
平成21年8月25日火曜日
平成21年8月19日水曜日
空に歌えば――平和・人権・環境(32)
「月刊マスコミ市民」487号
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「第九で9条」を世界に響かせたい
あきもとゆみこ
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第九で9条ピースパレード
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本連載第一二回目に紹介したように、あきもとゆみこは第九のメロディで日本国憲法第九条を唄ってきた。毎月一回、仲間と一緒に大阪・御堂筋をパレードしている(本誌二〇〇七年一二月号参照)。
ところが、最近になって、無断で改作したCDが発行され、週刊誌に宣伝記事まで掲載された。その経過を振り返ってみよう。
「二〇〇六年一月にこの歌を作りました。誰もが知っている第九のメロディにのせれば憲法第九条も広がるかなという思いと、第九の9と憲法九条の9のロゴがいいということで『第九で9条』と命名しました。そして、その二月からステージなどで唄う活動や毎月この歌を唄う『第九で9条ピースパレード』を続けています」。
あきもとは、大阪府出身の絵描きだ。ミナミの街で、ある放浪画家と出会ったのがきっかけで似顔絵師になった。流しのギター弾きならぬ「流しの似顔絵描き」としても活動歴がある。ジャーナリストの斎藤貴男の推薦を貰って、平和主義を地域で実現するための無防備地域運動の漫画『マンガ無防備マンが行く!』(同時代社)も出版している。
「ベートーベンの交響曲第九番の『歓喜の歌』のメロディに憲法第九条の条文をのせて唄います。『戦争はしません』と戦争放棄を掲げたのが、憲法第九条です。世界的にもとても貴重な平和憲法なのです。だけど、与党の自民党新憲法草案は、憲法第九条二項を変えて、自衛隊を自衛軍に変えて、戦争ができる国にしようとしています。軍隊になるということは『人を殺せる』ということなのです! 世界第四位の軍事費をもつ自衛隊でも、今まで人ひとり殺すことがなかったのは、第九条が歯止めになってくれたからなのです」。
二〇〇六年五月三日、大阪の「中之島まつり」で披露し、一一月三日、おおさか九条の会の大阪城野外ステージで二五〇〇人の大合唱にこぎつけた。二〇〇八年の9条ピースウォークや、9条世界会議in関西のステージでも披露してきた。そして、大阪のメインストリート御堂筋で「第九で9条ピースパレード」 を毎月実施してきた。
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三年かけて定着
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『毎日新聞』二〇〇六年六月一七日記事「第九に託す憲法9条――平和『喚起の歌』に」は、「憲法改正の手続きを定める国民投票法案を巡る議論などが本格化する中、今年一月ごろ、『第九』を発案。メロディに合うよう、条文の息継ぎする箇所を調整してつくり上げ」たとして、あきもとの写真とともに紹介している。
『大阪日日新聞』同年一〇月二五日記事「戦争放棄『第九』にのせて――憲法九条を歌で提唱」も、市民祭りのイベントで歌うあきもと の写真とともに、「九条は多くの人の平和への思いをつなぐ“最大公約数”。もっと知ってほしい」という言葉を紹介している。
『しんぶん赤旗』同年一〇月二日の「近畿のページ」は、「今人気の歌『第九で9条』発案者です――目標は九九九九人の合唱」として、アカペラの CD『第九で9条』を作成したことも紹介し、「歌手を目指し、レコード会社からミュージックテープを出したことがあります。大きくてハスキーな声。のびのびと九条を歌い上げます」と報じている。
『毎日新聞』同六年一二月二四日記事「『第九』で憲法9条を歌おう」も、御堂筋パレードを取り上げている。
二〇〇七年にも、『毎日新聞』七月八日記事「第九で9条歌い御堂筋をパレード」が、パレードの様子を紹介している。
『朝日新聞』一二月二五日「青鉛筆」欄も「この日はサンタクロースやトナカイの仮装をした約三〇人が参加し、御堂筋などを練り歩いた」、「けげんな顔の通行人も『9つながり』に気づくと納得。『平和を誓う9条も、長年歌い継がれる歓喜の歌と同様、国民に愛されてほしい』と主催者」と報じている。
また、「憲法9条――世界へ未来へ連絡会」の機関紙『9条連』一六一号(二〇〇八年)にも「第九で9条!大阪・御堂筋ピースパレード発」として『第九で9条』が掲載された。
二〇〇八年五月六日の「9条世界会議・関西」でも精一杯歌った。その様子はパンフレット『9条世界会議・関西報告集』(9条世界会議in関西実行委員会)に2枚の写真が収録されている。
このように、さまざまな機会に歌ってきたので、努力の甲斐あって広く知られ、定着してきた。また、二〇〇八年三月には広島・原爆ドーム前でも歌った。今後は全国に広げて、みんなで九条を歌いたい。「九九九九人の第九」をめざしている。「肩肘をはらずに、みんなで平和を考えるきっかけになれば」という思いから、クリスマス・イヴに、九九九九人の参加者を募って「第九で9条」を歌うパレードやカウントダウン・ライブコンサートを実現したいという。「さらに夢を膨らませると、紅白で唄えたら最高です!」。
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週刊金曜日の記事
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ところが、あきもとの『第九で9条』を改作して、オリジナルであるかのように振舞う人々が登場した。
『週刊金曜日』七四九号(二〇〇九年五月一日・八日号)に、宮本有紀「第九のメロディで九条を歌う 戦争の放棄」という文章が掲載された(『週刊金曜日』同号四二ページ)。筆者は同誌編集者である。記事は、次のように構成されている(引用に当たって個人名をアルファベットにした)。
①冒頭、SやMらの発案で「第九で9条」の作成を始めたと書いている。「『第九』で有名なベートーベンの交響曲第九番四楽章。このメロディに憲法九条の条文を歌詞につけて合唱し、CDまでつくってしまった人たちがいる」。二〇〇八年四月、SとMが「偶然隣り合わせになり、雑談中に『第九に九条を歌詞としてつけるのは無理ですかね』と問われた」。その問いを聞いたMは「頭の中でちかっと共鳴した」という。奇怪な話だ。
②記事の途中にあきもとのことが出てくるが、あきもとの作品とは違うという説明に力点がある。「そこで『第九を歌うなら(秋元さんの作の歌詞ではなく)憲法九条そのものを歌詞に合唱しよう』ということになり、Mさんがヘ長調に編曲し、Sさんと歌詞構成を考えた『戦争の放棄』を歌うことに」したという。
この文章だと、あきもとは第九条の条文ではなく、自分で作詞して歌っていることになる。しかし、楽譜を見れば一目瞭然だが、あきもとは第九条の条文を歌っている。そこに四番を付け加えているが、三番までは第九条そのものである。
改作の方はというと、一番と二番は第九条だが、三番は「戦争放棄、戦争放棄、戦争放棄」となっていて、第九条そのままではない。「憲法九条そのものを歌詞に合唱しよう」という理由を掲げているが、実際は違う。『週刊金曜日』記事は事実と異なる。
③記事は、次にCD作成過程を紹介した上で、二〇〇九年三月に収録を終えたが、CD完成直前にMが亡くなったことに触れ、Mがなぜ第九で九条を思いついたか、その思い入れが書かれている。「CD作成は遺言なんです」という言葉が踊る。Mは、ベートーベン、カント、ルソー、シラーに言及し、「絶対平和主義と、自由と平等の精神を背景に『人類はみな兄弟となる』というのであれば、日本国憲法第9条こそは、この原曲にもっとも相応しい歌詞」と述べたのだという。
『第九で9条』をつくり、三年がかりでようやく広めてきたあきもとの思いは、見事に丸ごと横取りされる。
④右の引用に続いて、記事は「そう言われると九の重なりが単なる偶然ではなく思えてくる。/たまたま隣に座ったMさんとSさんが互いに音楽に造詣が深く、共に九条を音楽で広めたいと思っていた偶然。たまたま同時期に提案された『第九で9条』の合唱。偶然も積み重なれば必然だ」と、「偶然」の積み重なりを強調する。
あきもとの思いも努力も、御堂筋パレードの仲間の思いも、すべてMの遺言のための「偶然」にされてしまう。二〇〇六年以来の三年間は無視され、なかったことにされる。「たまたま同時期に提案された」「偶然」だと強弁する。先に紹介した数々の新聞記事や雑誌記事もなかったことにされてしまう。
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他者を黙殺する人々
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改作されたことをあきもとが知ったのは、二〇〇八年夏のことだ。インターネットで目に止まったのだ。
「たまたま『第九で9条』で検索した時に、この事実を知り、とてもショックでした。すぐにこの人たちに、抗議をしました。」
あきもとだけではない。御堂筋パレードに参加してきた仲間も繰り返し抗議のEメールを送った。しかし、何も返事がなかった。
そこで、あきもとの作った唄い方でいっしょに唄ってもらえないかという手紙を送った所、ようやく返事がきた。内容は、あきもとの「名前を入れて敬意を示した文を入れている」というおわびの文はあったが、それには「もっと唄いやすいように変えた」などという文が楽譜に載せられていた。結局、あきもとの要請は受け入れられなかった。
唄いやすいということについても、どうだろうか。歌いやすいか否かは主観的な判断なので、比較は難しい。だが、『戦争の放棄』は、一つの音符に言葉を詰め込んだり、逆に音符にまたがって言葉を長く伸ばしている。しかも、一番は長いのに、二番はいたずらに引き伸ばした挙句、途中でプツンと切れてしまう。これに対して、『第九で9条』は、音符に言葉を平均的に盛り込んでいるので、平明である。
今回の『週刊金曜日』記事を見て、今度はCDも製作されたことに驚いたあきもとは、二〇〇九年五月、再び抗議の手紙を出した。しかし、返事はない。
あきもとは『週刊金曜日』編集部にも要請の手紙を出した。
「今回の記事を読んで思ったことは、この第九のメロディに9条をのせると言うアイディアが、偶然の重なりとされたことが、違うということです。そもそも私は、三年前の二〇〇六年一月に、ベートーベンの第九のメロディで憲法9条をのせた『第九で9条』という歌を作っております。第九の9と憲法9条の9のゴロがいいなあということで『第九で9条』と名づけました。そして、第九なら誰もが知っているし、歓喜の歌というメッセージもピッタリだし、大勢の人たちと唄えるということで、これはいいと、ひらめいたわけです」。
それから二ヶ月になるが、返事はない。
9条への思い
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あきもとは、自分がなぜ『第九で9条』を作ったのか、自分自身の思いを改めて考えた。
「一つは、9条を広げて行くという大きな目的です。だからこそ、色々な方に協力してもらえ広がっているわけです」。
しかし、それだけではない。
「もう一つは、自分が作ったという自己主張、自己アイデンティティの存在です。これがあるから、自分自身の存在意義が認識できて、何かを作ったりできるわけで、原動力になっているわけです。今回は、後者の理由である私自身の存在をないがしろにされたことに、不快な気分になりました。けど、前者の目的は、今回のことを通しても広がっているのは事実です。」
憲法第九条への思いは、人それぞれだ。その思いをどう表現するか、それぞれ工夫している。第九条をロックにした人も、フォークソングにした人も、詩吟にした人もいる(本連載二〇〇九年二月号参照)。第九条改悪を阻止し、一歩でも二歩でも平和のために歩みたいという思いは共通だろう。
しかし、相手が嫌がっているのを知りながら、あえて改作しCDをつくり、週刊誌に宣伝記事を載せてしまうのは、どうだろうか。事実と異なる記事によって傷ついた読者に返事もないのは、いかがなものだろうか。
「私は、憲法9条や平和の運動をしている人たちの中でも、色々な主義や思想があって、なかなか一つになれないと感じていました。それなら歌ならどうかと思い『第九で9条』を考えた次第です。みんなで唄えば一つになれるのではと思い、広げてきたのですが、今回のことで、平和運動という名のもとので自己主張をなにより大事だと思う人がケッコウいるということがわかりました。平和をつくる以上に、まず自分たちの主張を通したいということなんですね。だから平和をつくるという大意を忘れ、自己主張をしすぎて、思想や主義が違って、まとまらないんですわ。音楽でも同じことなんですね。今回のことをキッカケに、改めて平和運動とは何かという本質を深く考えさせられました。」
しかし、今回のことを引きずることなく、9条世界会議・大阪で精一杯歌ったように、世界に9条を響かせたいと願う。
「この件で9条全体の運動にとって支障にならないよう、これで終わりにしたいと思います。とにかく、今まで一緒に広めてきてくれた人たちのためにも『第九で9条』をこれからも楽しく唄っていきますので、みなさん、よろしくでーす!」
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第九で9条(ピースケのページ)
http://peaceke.blog65.fc2.com/
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<経過>
2006年 1月 あきもとゆみこ『第九で9条』製作し、歌い始める
独唱・アカペラCD作成
2006年12月 御堂筋でパレード始める(以後、毎月定例化)
2008年 3月 あきもと、演奏付CD作成
2008年 4月 SとMの会話で「発案」
2008年 6月以後 SとMが改作
(当初は『第九で9条』のタイトルも同じ)
2008年夏頃 あきもと等、改作に抗議
2009年 5月 改作のCD『戦争の放棄』発売
平成21年8月3日月曜日
ヘイト・クライム(13)
『法と民主主義』435号(日本民主法律家協会、2009年1月)
<刑事法の脱構築①>
人種差別の刑事規制について
一 はじめに
かつて差別的表現に関する憲法論を展開した内野正幸は、人種差別撤廃条約や自由権規約を取り上げ、そして「自由主義諸国の苦悩」と題して各国の立法例を紹介している(1)。アメリカの人種的集団ひぼうの禁止、イギリスのヘイトクライム法、フランスの人種差別禁止法の集団侮辱と憎悪・暴力煽動、カナダの憎悪煽動罪などを紹介・検討し、立法例について、①人種的集団に対する憎悪煽動、②差別煽動、③名誉毀損、④侮辱の四つに類型化できるとしている。規制範囲について、人種差別撤廃条約四条aは禁止の対象にあまり限定をつけていない、立法例にも同様の例がある、ドイツやフランスの立法には「本来自由であるべきだと思われるような表現行為に対してまで、適用される傾向」があると指摘している。
内野は、「部落差別的表現の規制」について賛成論と反対論を検討したうえで、五つの私案を紹介している。
① 部落解放同盟・差別規制法要綱(案)
「第三(差別表現、差別煽動の禁止)(一)何人も、ことさら部落差別もしくは民族差別の意図を以って、個人もしくは集団を公然と侮辱し、またはその名誉を侵害してはならない。(二)何人もことさら前記記載の差別を煽動する目的をもって、公然と個人もしくは集団に対する暴力行為または殺傷行為を挑発してはならない。」
② 松本健男案
「何人も、民族、人種、国籍ならびに社会的出身、出生を理由として、個人又は集団に対し、公然と侮辱的言動をなし、あるいは名誉、信用を傷つけ、憎悪、暴力、交際拒絶を煽動し、もしくは社会的・市民的権利の享有を妨害し、あるいは誹謗してはならない。」
③ 森井暲案
「個人または団体に対し、ことさら部落差別の意図をもって、公然となされる侮辱、名誉毀損ならびに信用毀損を禁止する。」
④ 山中多美男案
(一) 確信犯、開き直り、(二)差別を利用しての利益追及、(三)執拗な差別電話,手紙、落書き、(四)ファッショ的な内容、を対象にする。教育・啓発を先行させ、にもかかわらず反省のない者に行政罰を科す。
⑤ 内野正幸案
「(第一項)日本国に在住している、身分的出身、人種または民族によって識別される少数者集団をことさらに侮辱する意図をもって、その集団を侮辱したものは、・・・・・・の刑に処す。(第二項)前項の少数者集団に属する個人を、その集団への帰属のゆえに公然と侮辱した者についても、同じとする。(第三項)前二項にいう侮辱とは、少数者集団もしくはそれに属する個人に対する殺傷、追放または排除の主張を通じて行う侮辱を含むものとする。(第四項)本条の罪は、少数者集団に属する個人またはそれによって構成される団体による告訴をまってこれを論ず。」
以上の諸案の特徴は次のようなものである。
第一に、①②③は禁止規定であり、犯罪とする趣旨と思われるのに、それが文章に反映されていない。④⑤は犯罪であることを明言している。
第二に、いずれも人種差別撤廃条約に準じた規定案にはなっていない。
第三に、①②③⑤は個人に対する差別禁止と集団に対する差別禁止の両者を含んでいる。
第四に、①②は差別禁止と扇動禁止の両方を含むが、それ以外は煽動禁止について明示していない。
第五に、いずれも差別表現を伴う暴力や差別的動機による暴力の加重処罰規定に言及していない。
二 国際人権機関の勧告
日本政府が人種差別撤廃条約を批准したことにより、議論状況は大きく変化した。人種差別撤廃条約第四条は、人種的優越主義に基く差別と煽動を犯罪として禁止するよう要請している。四条aは人種的優越・憎悪観念の流布・煽動を犯罪とし、bは人種差別団体を規制することとし、cは国による人種差別助長・煽動を禁じている(日本政府はabを留保している)。人種差別撤廃委員会に提出された報告書を見ると多くの国で実際にそうした処罰立法がなされており、現に適用されている。
①人種差別撤廃委員会
二〇〇一年三月二〇日、人種差別撤廃委員会は、前年四月九日の石原慎太郎都知事の「三国人発言」は条約に違反する差別発言だと指摘した(2)。
日本政府は次のように回答した。「石原発言は特定の人種を指していない。外国人一般を指したもので人種差別を助長する意図はなかった。『不法入国した三国人、外国人が凶悪な犯罪を繰り返しており、災害時には騒擾の恐れがある』との言葉だが、都知事には人種差別を助長する意図はなかった。」
委員会の最大の関心事は、日本政府が条約四条abの適用を留保しており、しかも日本に人種差別禁止法がないことであった。石原発言が野放しになっていることやチマチョゴリ事件(在日朝鮮人に対する差別と暴力)への厳しい批判に次いで、人種差別禁止法の制定を求める発言が続出した。印象的だったのは「人種差別表現の自由などというものは認められない」という趣旨の発言であった。委員会の「最終所見」は、人種差別の禁止と表現の自由は対立せず、両立することを指摘し、条約を完全に実施するために人種差別禁止法を制定し、人種差別を犯罪とするよう勧告した。
②人種差別特別報告者
二〇〇六年、国連理事会の「人種差別特別報告者」ドゥドゥ・ディエンの報告書が公表された(3)。
「日本政府は、日本社会に人種差別や外国人排斥が存在していることを公式に表立って認めるべきである。差別されている集団の現状を調査して、差別の存在を認定するべきである。日本政府は、人種差別と外国人排斥の歴史的文化的淵源を公式に表立って認め、人種差別と闘う政治的意思を明確に強く表明するべきである。こうしたメッセージは、社会のあらゆる水準で人種差別や外国人排斥と闘う政治的条件をつくりだせるのみならず、日本社会における多文化主義の複雑だが意義深い過程を促進するであろう。」
ディエン報告者は、日本における人種差別の現状を分析し、日本政府の政策や措置も検討した上で、数々の勧告を行なった。特に強調されたのが、人種差別が存在することを公的に認め、人種差別を非難する意思を明確に表明し、人種差別と闘うための具体的措置をとること、人種差別禁止法を制定することである。
「日本政府は、自ら批准した人種差別撤廃条約第四条に従って、人種差別や外国人排斥を容認したり助長するような公務員の発言に対しては、断固として非難し、反対するべきである。」
「日本政府と国会は、人種主義、人種差別、外国人排斥に反対する国内法を制定し、憲法および日本が当事国である国際文書の諸規定に国内法秩序としての効力を持たせることを緊急の案件として着手するべきである。その国内法は、あらゆる形態の人種差別、とりわけ雇用、住居、婚姻、被害者が効果的な保護と救済を受ける機会といった分野における差別に対して刑罰を科すべきである。人種的優越性や人種憎悪に基づいたり、人種差別を助長、煽動するあらゆる宣伝や組織を犯罪であると宣言するべきである。」
③国連人権理事会
人権委員会が改組されて二〇〇六年に発足した人権理事会は「普遍的定期審査(UPR)」という制度を設け、各国の人権状況を審査することにした。日本についての最初のUPRは、二〇〇八年五月に行われた。総会に先んじた作業部会において、日本政府に対して多数の勧告がなされていたが、総会においても同様に厳しい指摘がなされた。多くの人権条約の選択議定書を批准していないこと、人種差別禁止法を制定すべきこと、インターネット上の人権侵害に対処すること、死刑廃止に向けた努力をすること、難民認定の独立機関を設置すること、日本軍性奴隷制度の解決に向けた努力をすることなど、多面的な指摘がなされた(4)。
④自由権規約委員会
市民的および政治的権利に関する国際規約に基づく自由権規約委員会は、二〇〇八年一〇月三〇日、日本について最終見解を発表した(5)。
日本軍性奴隷制問題に関して、自由権規約委員会は問題を解決するよう厳しい指摘をした。年金制度に関しても、日本国籍者以外に対する年金からの除外を是正すること、移行措置をとることを勧告した。朝鮮学校に対して、他の私立学校と同様の卒業資格認定、その他の経済的手続的な利益措置を講じることも勧告した。
自由権規約委員会はその他にも多くの勧告を出している。主要なものを項目だけ列挙してみよう。ⓐアイヌ民族を先住民族として認めること。琉球/沖縄についても権利を認めること。ⓑ人身売買被害者を救済すること。ⓒ外国人研修生や技能実習生に対する搾取や奴隷化を是正すること。ⓓ拷問を受ける恐れのある国への送還を行わないこと(ノン・ルフールマン原則)。ⓔ裁判官などにジェンダー教育を行うこと。ⓕ子どもの虐待に対処すること。ⓖ同性愛者や性同一性障害者への差別をなくすこと。
以上のように、国際人権機関から日本政府に対する勧告が相次いでいる。人種差別禁止法を制定するべき十分な立法事実があることを推測させるものである。
三 最近の議論
国際人権機関からの勧告を受けて、NGOレベルではさまざまな議論の積み重ねが見られる。もともと、国際人権機関による勧告は、NGOの報告書などに基づいて審議を行った結果出てきたものであって、人権NGOの努力が背景にある(6)。ここでは「外国人人権法連絡会」による議論の成果をもとに見ていこう(7)。
① 外国人住民基本法(案)
「外登法問題と取り組む全国キリスト教連絡協議会」が、一九九八年一月に作成した。前文、第一部「一般的規定」、第二部「出入国および滞在・居住に関する権利」、第三部「基本的自由と市民的権利および社会的権利」、第四部「民族的・文化的および宗教的マイノリティの権利」、第五部「地方公共団体の住民としての権利」、第六部「外国人人権審議会」(全二三条)から成る。第三条第二項は「国および地方公共団体は、人種主義、外国人排斥主義、および人種的・民族的憎悪に基づく差別と暴力ならびにその扇動を禁止し抑止しなければならない」とする。同条第三項は司法的救済等を定めている。
この規定は、人種差別、暴力、その扇動を犯罪化することを含意しているものと推測できるが、その内容はあいまいである。具体的な実行行為が特定されていない。差別と暴力の保護法益は被害者の個人的法益と考えられるが、扇動は人種集団や民族集団の集団的法益を想定しているようである。刑罰には言及がない。
②多民族・多文化の共生する社会の構築と外国人・民族的少数者の人権基本法の
制定を求める宣言
日本弁護士連合会が、二〇〇四年一〇月に作成した。前文と八項目から成る。ⓐ基本的人権と少数者の権利、ⓑ永住外国人の地方参政権等、ⓒ社会保障、ⓓ労働権、ⓔ外国人女性に対する暴力防止、ⓕ在留資格、入国管理手続きの適正化、ⓖ教育権、ⓗ人種差別禁止法等。第八項は「人種差別禁止のための法整備を行い、その実効性を確保するために政府から独立した人権機関を設置するとともに、差別禁止と多文化理解に向けた人権教育を徹底すること」とする。
人種差別禁止法の提案であるが、人種差別の犯罪化が含まれているか否かは不明である。
③外国人・民族的少数者の人権基本法要綱試案
日本弁護士連合会第四七回人権擁護大会第一分科会実行委員会が、二〇〇四年一〇月に作成した。右の「宣言」を具体化した要綱試案である。前文、第一章「総則」、第二章「外国人及び民族的少数者の人権と国及び地方自治体の責務」、第三章「旧植民地出身者とその子孫の法的地位」、第四章「人種差別の禁止」、第五章「国・地方自治体の施策」、第六章「救済機関」から成る。第四章の1は「国及び地方自治体は、人種差別撤廃条約の諸規定を国内においても実効化するための法律または条令を制定する責務を有する」とする。
「人種差別撤廃条約の諸規定を実効化する」ことには人種差別の犯罪化が含まれるはずであるが、試案はそこまで明言していない。第六章では、「第二章ないし第四章に規定する権利の侵害」の救済機関としての国内人権機関を設置することとしている。司法的救済には言及していないので、人種差別の犯罪化を意図していないとも読める。
④人種差別撤廃条例要綱試案
東京弁護士会外国人の権利に関する委員会差別禁止法制検討プロジェクトチームが、二〇〇五年六月に作成した。一「総則」、二「個別分野における差別禁止」、三「公務員による差別禁止の特別規定」、四「地方公共団体・企業及び私人の責務」、五「救済手続」から成る。人種差別を、直接差別・間接差別・ハラスメントに分類している。二「個別分野における差別禁止」では、労働・公務就任、医療・社会保障、教育、団体加入等、不動産の貸借、売買、施設利用等における人種差別を禁止し、末尾の「罰則」は「本章の禁止規定に違反した者は、これを罰する」とする。三「公務員による差別禁止の特別規定」では、「公務員が、公の場において、公務に従事する者としての立場において、人種等の事由につき日本における少数者の立場にある人種集団若しくはそこに属する者に対し、人種等に関し、暴力行為を行い若しくはそれを扇動し、憎悪を表現し、または脅迫若しくは侮辱を行ったときはこれを罰する」とする。五「救済手続」の「刑事告発」の項では、首長の直轄機関として設置される「人種差別撤廃委員会は、本条例において刑事罰の対象となる人種差別行為を認知したときは、検察官または司法警察員に対し告発することができる」とする。
第一に、「個別分野における差別禁止」に違反した者を罰するとしているのは、極めて包括的な犯罪化規定である。労働、医療、教育等の非常に広範な分野における、さまざまの人種差別行為を、無限定に犯罪化する趣旨と読める。
第二に、「公務員による差別禁止の特別規定」では、「人種集団若しくはそこに属する者」とあるように、個人的法益だけではなく、集団的法益も保護の対象としている。実行行為は、暴力行為、その扇動、憎悪表現、脅迫、侮辱である。個人に対する暴力行為、脅迫、侮辱は刑法上の犯罪であるが、扇動と憎悪表現は新たな犯罪規定である。扇動は、「人種差別の扇動」ではなく、人種差別的な暴力行為の扇動であるから、人種差別撤廃条約とは異なる。憎悪表現は、扇動、脅迫、侮辱以外のさまざまな人種差別的表現をさすものと考えられる。
⑤人種差別撤廃法要綱
自由人権協会が、二〇〇六年二月に作成した。第一「目的」、第二「定義」、第三「一般的差別禁止」、第四「個別分野」、第五「公務員による差別または差別助長の禁止」、第六「罰則」、第七「国・地方公共団体・企業及び私人の責務」、第八「法律の広報・周知」、第九「法律の解釈の補足的手段としての国際人権法」、第一〇「救済手続きの考え方」から成る。第六「罰則」は「以下の行為が故意になされた場合は、人権委員会の告発を条件としてこれを罰する。(1)公務員が第五に違反して行った人種差別又は差別の助長、(2)前号以外の人種差別(ハラスメントを除く)」。人権委員会による告発は、第一〇の救済手続きによっては問題が解決しないこと、当該行為の悪質性、重大性、告発が人種差別撤廃のために必要なことを条件としている。
第一に、公務員による人種差別又は人種差別の助長の犯罪化である。
第二に、公務員以外の者による人種差別の犯罪化である。「ハラスメントを除く」としているのは、直接差別と間接差別を犯罪化する趣旨である。対象分野は、労働・公務就任、医療・社会保障、教育、住居、物品等の提供、団体加入である。非常に広範囲であり、犯罪成立要件はあいまいであるが、人権委員会による告発という条件によって制約している。
⑥外国籍住民との共生に向けて
「移住労働者と連帯する全国ネットワーク」が、二〇〇六年六月に作成した。第一章「多民族・多文化共生の未来へ」、第二章「人権と共生に向けた法の整備」、第三章「働く権利・働く者の権利」、第四章「移住女性の権利」、第五章「家族と子どもの権利」、第六章「子どもの教育」、第七章「医療と社会保障」、第八章「地域自治と外国籍住民」、第九章「『難民鎖国』を打ち破るために」、第一〇章「収容と退去強制」、第一一章「裁判を受ける権利」、第一二章「人種差別・外国人差別をなくすために」から成る。非常に詳細な提言である。第二章で外国人人権法と人種差別撤廃法の制定を提言しているが、その内容は第一二章で取り扱われている。まず「国際人権諸条約を完全批准し、これを実施する。特に以下のことを早急に実行する。①人種差別撤廃条約の第四条a、b項に対する留保を撤回し、同条約第一四条(個人・団体の通報制度)が求める宣言を行う」とする。次に、人種差別撤廃法の要綱として、ⓐ人権と基本的自由の享受、ⓑ国と地方自治体の責務、ⓒ人種差別の定義、ⓓ公権力・公務員による差別重視、ⓔ犯罪化、ⓕ被害者の救済と補償、を掲げる。第五項は「人種差別に対する罰則、人種主義の宣伝・扇動を刑事犯罪とする規定を含むこと」とする。
第一に、人種差別の犯罪化と、宣伝・扇動の犯罪化である。人種差別の犯罪化は非常に広範囲に見える。
第二に、罰則と刑事犯罪という表現を使い分けているところからすると、宣伝・扇動は刑事犯罪とするが、人種差別は行政犯として過料の対象とする趣旨かもしれない。
⑦日本における人権の法制度に関する提言
「人権の法制度を提言する市民会議」が、二〇〇六年一二月に作成した。「日本の人権状況をめぐる現状認識」「提言にあたっての基本的視点」「提言の基本的枠組み」「わたしたちの提言」から成る。人権基本法、当事者差別禁止法の制定や、人権行政推進体制の確立などを提言する。「差別禁止規定は、一般的・抽象的な文言にとどまらず、差別禁止事由と差別行為を明記するとともに、意図的ではない差別、伝統的な文化や慣習に基づく差別、及びパターナリズムに根ざす差別の禁止も盛り込むできである」とする。
当事者差別禁止法が、人種差別の犯罪化を含意するか否かは不明である。
以上の諸提案の特徴をまとめてみよう
第一に、内野が紹介した諸案と比較すると、最近の議論は、人種差別撤廃条約や国際人権機関による勧告を踏まえているので、国際人権法を意識した提案となっている。総合的な外国人人権法や人種差別禁止法が提案されている。
第二に、それゆえ、ⓐ公務員による差別の禁止と公務員以外の者による差別の禁止、ⓑ差別禁止と煽動の禁止、ⓒ個人に対する差別と団体に対する差別などが、比較的区別されて議論されている。
他方、第三に、犯罪化するための立法提案としては充分な考慮がなされていない。内野案のような具体的な条文化の試みもなされていない。
第四に、差別を伴う暴力や差別的動機による暴力についての言及がない。諸外国においても一般的な立法例であるし、日本で立法提案する場合にも、もっとも抵抗が少ないはずなのに、まったく言及されていない。
四 今後の検討課題
人種差別禁止法をつくる考えはNGOの間で共有されるようになってきたが、特定の人種差別行為について犯罪化するための立法提案に関しては、まだ十分な検討がなされていない。一般的な禁止規定にとどまっていたり、犯罪とされるべき実行行為の特定がなされていない。内野が紹介した諸案と最近の議論を比較しても、議論の水準があがったとはいえないのが実情である。理由は何であろうか。
日本政府は、表現の自由を根拠に人種差別表現の刑事規制の困難を主張してきた。明確性の原則など罪刑法定原則も強調されてきた。
しかし、市民的表現の自由をあたかも敵視しているかのごとき日本政府、罪刑法定原則を省みようとしない日本政府が、人種差別表現の場面に限って表現の自由や罪刑法定原則を殊更に強調するのは理解に苦しむ。
欧米はもとより、多くの諸国でさまざまな形でヘイト・クライムや人種差別扇動の処罰が行われている。諸外国に表現の自由がないなどと言うことは考えられない。罪刑法定原則が国際的に無視されているとも考えられない。
表現の自由を不当に侵害することなく、罪刑法定原則に反しない方法で、人種差別を刑事規制する方策はさまざまにあるはずだが、そのための情報も議論も十分に提供されていないように思われる。最近の諸提案は専門的法律的検討を経ていないため、立法提案としては不十分である。
ⓐ立法事実、現実的な規制の必要性 (つまり放置しがたい差別的な表現によって被害が生じている事実)はすでに十分認められている。特に、在日朝鮮人や最近の来日外国人に対する差別的な表現には深刻なものもある。
ⓑ比較法的な検討 (各国の国内処罰立法及び適用状況の研究)は非常に手薄である。
ⓒ憲法論は、なお議論の余地はあるかもしれない。「人種差別表現の自由」を唱える憲法学の見直しが必要である。
特に集団侮辱罪について、言論・表現を処罰することは常に憲法違反であるかのような特異な主張もあるが、明らかな間違いである。刑法は侮辱罪や名誉毀損罪を定めている。個人の名誉、社会的評価等を保護する個人法益保護のための規定である。集団侮辱罪の提案は、一定の集団に対する侮辱も刑事規制しようという提案に過ぎない。したがって、立法事実が明確に提示され、犯罪成立要件の規定が少なくとも現行の侮辱罪の規定と同じ程度に明確にできていれば、処罰立法を作ることが憲法違反になることはない。集団侮辱罪の規定が犯罪規定として整備されているかどうか、明確かどうかが問題になる。
立法事実があり、人種差別犯罪を処罰することは人種差別撤廃条約の要請である。世界人権宣言や自由権規約にも合致する。憲法に違反しない処罰規定をつくることもできる。とすれば、今後何を検討するべきなのか。
第一に、比較法研究である。諸外国の人種差別犯罪の諸規定の研究が不可欠である(8)。特に重要なのは、差別表現を伴う暴力や差別的動機に基づく暴力の加重処罰規定の研究である。これらは多くの諸国で採用されているし、立法提案の中でももっとも抵抗が少ないと思われるからである。
第二に、立法政策論として、処罰規定の妥当性、有効性についての検討である。というのも確信犯に対する処罰は、却って「勲章」になってしまう場合がある。犯罪抑止効がないばかりか、潜在的逆効果をもちかねない。それでも象徴的意味合いで差別禁止立法が必要との判断もありうるが、いずれにしても情報が少なすぎる。より制限的でない他の手段を尽くす検討も必要である。
第三に、日本社会の歴史的経験からして、警察・検察・裁判所にこうした権限を与えることに疑問も生じうる。警察権限の肥大化、恣意的適用の恐れがある。例えば、日本人と朝鮮人がトラブルとなりお互いに中傷発言や暴力を行った場合、警察・検察・裁判所が不公正な判断をしないという保障はない。加害者と被害者を取り違えることがありうる。立法趣旨に反した法適用のおそれは決して低くはない。
第四に、以上のことを踏まえて、具体的な人種差別禁止規定を検討する必要がある。各規定について、保護法益、実行行為の特定、成立要件、訴追条件、刑罰などを的確に定める必要がある。
註
(1)内野正幸『差別的表現』(有斐閣、一九九〇年)。なお、反差別国際運動日本委員会『人種差別撤廃条約と反差別の闘い』(解放出版社、一九九五年)、在日朝鮮人・人権セミナー編『在日朝鮮人と日本社会』(明石書店、一九九九年)。
(2)前田朗「問われた日本の人種差別――人種差別撤廃委員会日本政府報告書審査」『生活と人権』一二号(二〇〇一年)。
(3)E/CN.4/2006/16/Add.2. なお、前田朗「日本には人種差別がある――国連人権委員会が日本政府に勧告」『週刊金曜日』五九七号(二〇〇六年)。
(4)A/HRC/8/44/Add.1.
(5)前田朗「自由権規約委員会が日本政府に勧告」『統一評論』五一九号(二〇〇九年)。
(6)前田朗「人種差別撤廃NGOネットワーク」『無罪!』二〇〇六年九月号。
(7)外国人人権法連絡会編『外国人・民族的マイノリティ人権白書』(明石書店、二〇〇七年)。
(8)前田朗「ヘイト・クライム(憎悪犯罪)」『救援』四四八号~四五二号(二〇〇六年)、同「コリアン・ジェノサイドとは何か」『統一評論』五一七号(二〇〇八年)など。
ヘイト・クライム(12)
『統一評論』524号(2009年6月)
ヒューマン・ライツ再入門6
コリアン・ジェノサイドの真相解明を
――関東大震災朝鮮人虐殺ソウル・シンポジウム
三月二八日、ソウル鐘路の韓国基督教会館で「関東大震災時朝鮮人虐殺――植民地犯罪、日本国家に責任を問う」が開催された。主催は「関東大震災における朝鮮人虐殺の真相糾明と名誉回復を求める日・韓・在日市民の会」、共催は韓国の民族問題研究所、およびアヒムナ運動本部である。
基督教会館は、韓国民主化闘争の際の民衆運動の拠点のひとつだった。学生・労働者とともに、キリスト者による民主化の闘いが推し進められたからである。
独立運動・不逞鮮人・虐殺
冒頭、関東大震災朝鮮人虐殺の研究に人生をかけてきた姜徳相(滋賀県立大学名誉教授)のビデオ・メッセージが流された(以下の引用はシンポジウムの配布パンフレットによる)。
その問題提起は、事件を朝鮮民族独立運動に対する弾圧として再認識することであった。従来、震災の混乱時に「朝鮮人が井戸に毒を投げ入れた」という流言飛語が流れ、民衆が虐殺を惹き起こしたという神話が流通してきた。混乱時の流言飛語の自然発生性と、興奮状態の民衆による虐殺とが組み合わされたイメージが繰り返されてきた。
しかし、そこには大きな疑問がある。軍隊や警察の行動をていねいに見ていけば、事件の真相はまったく異なる。
戒厳初動軍の中心となった部隊について見ると、九月一日夜半に警備救援出動した國府台野重砲連隊は、二日早朝に戒厳軍となり、岩波隊は朝鮮人二〇〇名を虐殺、松山隊は三〇〇名、また岡野隊は一七〇名を捕虜にした。
九月二日早朝、戒厳令を受けた習志野騎兵連隊は「敵は朝鮮人」の認識で出動し、問答無用の朝鮮人狩りを行った。
民衆が流言飛語に乗せられて虐殺するよりも前に、最初から軍隊が組織的に虐殺した。続いて各地の警察が、朝鮮人暴動が発生したというデマを流した。軍隊や警察の行動を知った民衆が、各地で自警団を組織し、大虐殺に発展していく。混乱時の流言飛語による虐殺ではなく、軍隊と警察によって組織的に惹き起こされたことが明らかである。
それでは、なぜ日本軍はこれほど迅速に朝鮮人狩りを始めたのか。なぜ警察は朝鮮人暴動のデマを捏造したのか。
三・一朝鮮独立運動に先行する旧韓末の義兵戦争では、日本軍死者一三六、負傷者二二九、韓国義兵死者一七、七七九、負傷三、七〇六である。戦争というべき内実を持っていたことが見えてくる。義兵戦争に対する勝利の結果、日本は韓国を併合した。だからこそ現役陸海軍大将を総督とする統治が行われた。
「軍事警察の憲兵が行政を牛耳る軍政そのもので、朝鮮人は『服従か死か』の選択しかなかった。言論、集会、結社の自由を奪われ、その中で土地を奪われ、生存権を奪われていった。抵抗したり不平を洩らす者は『不逞鮮人』の烙印を押され監視、迫害の対象となった。所詮『大正時代』の日本の朝鮮認識は『不逞鮮人』『不逞唱歌』『不逞結社』等々『不逞』『不穏』にみちみちていた。『不逞』は不平、従順でないを意味した。天皇の領土を盗む不逞の輩とも使われた」。
その延長で三・一事件が発生した。独立万歳、生存権を主張する朝鮮民衆に対する弾圧は、「戦争の論理」にたって行われた。七、五〇〇名の犠牲は、まさに戦争被害である。その後も、日本軍と朝鮮軍の戦闘が繰り返された。三・一運動の影響を受けた中国四・三運動も日本に衝撃を与え、弾圧がいっそう激化した。東アジアにおける「植民地防衛戦争」という観点で見るべきである。
関東大震災時の戒厳軍の中心人物は、石庭二郎軍事参議官をはじめとして、朝鮮や満州で朝鮮独立運動と戦った経験のある軍人たちである。震災直後、軍隊は軍事参議官の私邸に兵士を派遣して警備している。朝鮮独立運動を弾圧し、大虐殺をした本人だとの認識があったからである。
同様に警察の中枢は、水野練太郎内務大臣と、赤池濃警視総監の二人であった。水野は、三・一事件当時、朝鮮総督府政務総監であり、赤池は総務局長だった。三・一事件の記憶を生々しく持っていた二人が、朝鮮人の抵抗に恐怖感を持って事態に対処しようとしたことは容易に推測できる。
軍隊と警察が率先して朝鮮人虐殺を実行し、朝鮮人暴動のデマを流して民衆を興奮させ、虐殺を煽動した。その結果、六、六六一名というおびただしい犠牲者が出た。「国家権力を主犯に民衆を従犯にした民族的大犯罪、大虐殺となったのである」。
「この在日同胞の独立運動の一環を負うこの悲惨な犠牲に対してこんにちまで何ゆえに、調査、謝罪要求一つしないのか。国家は国民を守る義務がある。歴史に時効はない。今からでも遅くはない。上海臨時政府の法統を引き継ぐ韓国政府は、日本政府当局に朝鮮人が放火した、井戸に毒を投げたとの汚名からの名誉回復と謝罪と真相調査要求をしていただきたい。在日同胞の願いである。殺された人の遺族の悲しみはそれなしに消えない」。
日本国家の犯罪と民衆責任
続いて、山田昭次(立教大学名誉教授)「関東大震災時朝鮮人虐殺事件の日本の国家責任」は、歴史資料を駆使して、虐殺のメカニズムを解明し、日本国家の責任の全体を構造的に明らかにした(山田報告の詳細はこれまでの本誌連載参照)。
日本国家の責任は、「第一に朝鮮人虐殺そのものの責任」である。朝鮮人暴動という誤認情報を流し、戒厳令を布告し、大虐殺を惹き起こしたことである。
しかし、それだけではない。朝鮮人暴動がないことが判明すると、官憲は国家責任隠蔽工作を展開した。それには次の四つがあるという。
①架空の朝鮮人暴動の捏造。
②朝鮮人を虐殺した自警団員に対して形式的な裁判を行って、国家責任を果たしたような外観を作った。他方、朝鮮人暴動流言を流した官憲や朝鮮人を虐殺した軍隊の罪は全く問われなかった。
③虐殺された朝鮮人の遺体を朝鮮人に引き渡さずこれを隠し、虐殺数や虐殺状況を徹底的に隠蔽した。
④官憲が編纂した関東大震災に関する歴史書は、朝鮮人虐殺の原因を朝鮮人自身と日本人民衆に押しつけ、朝鮮人虐殺の国家責任を隠蔽した。
このように国家責任とその隠蔽の問題性を抉り出しつつ、山田報告は、軍隊や警察に煽動された民衆の責任も問い直そうとする。日本民衆が朝鮮人に対して根強い差別と蔑視を抱いていたこと、自らの主体性を確立しえていなかったことが、煽動にのせられて朝鮮人虐殺に走った原因であるし、その後も日本民衆による反省がきちんとなされたとはいえないからである。
山田報告に対して、韓国側から、朴漢龍(民族問題研究所研究室長)がコメントした。やはり国家責任と民衆責任をどのように把握するかが焦点とされた。
「朝鮮人虐殺は国家の暴力的システムのみでなく、(むしろ)日本民衆の一部が虐殺に自発的に先駆けた事実が重要である。ここには朝鮮人に対する偏見と恐怖、それから差別意識があった。当時、日本統治当局や言論のせいにするとしても集団狂気に捕らわれて、スケープゴートとして朝鮮人を虐殺した行為そのものに関しては深い責任感を持って反省しなければならない。そうした上でこそ、次に、虐殺を幇助・共謀・指揮・工作した国家に対して強くその責任を問えると思う」。
そして、南北朝鮮の政府、民衆、さらには在日朝鮮人の「責任」も再考しようとする。例えば、韓国の歴史教科書の記述の不十分性、韓国国家機関の無責任性など。その上で、在日朝鮮人の歴史的な意味を見直そうとする。
「ただ被害者という枠組からのみ見るといけない。在日朝鮮人の中の相当数は、過去日本帝国主義の植民地支配と天皇制ファシズム、対外侵略戦争に対して闘争してきた。日本民主主義闘争史の中で、かれらの闘争が過小評価されては困る。植民政策の犠牲者としての人道主義的なレベルでの評価のみでなく、日本社会をよりよい社会につくるために献身した在日朝鮮人の堂々たる歴史を明確に告げる必要がある」。
ジェノサイドは終わったか
次に前田朗が、関東大震災朝鮮人虐殺を国際法上の犯罪であるジェノサイドの視点で把握する報告を行った。その主な内容は、二〇〇八年夏の「在日朝鮮人歴史・人権週間(さいたま市・ソニックシティ大宮)」における報告と同じであり、すでに本誌に掲載されている(前田朗「コリアン・ジェノサイドとは何か」『統一評論』二〇〇八年一一月号)。
以下では、これと重複しない部分を引用・紹介しておく。
* *
関東大震災は一九二三年の出来事です。八五年の歳月が流れました。それでは関東大震災ジェノサイドは終わったのでしょうか。
関東大震災ジェノサイドの真相解明はなされたでしょうか。それどころか、日本政府は事実を隠蔽し、真相解明を妨げてきました。被害者への謝罪も補償もしていません。形だけ自警団メンバーの裁判を行いましたが、真の責任者を明らかにしていません。裁きも不十分で事実認定は歪曲され、量刑も著しく軽いものでした。それどころか、愛国心ゆえの犯行だったなどと弁解をしています。責任者処罰がなされたとはとても言えません。ですから、再発防止の努力もなされていません。民間ではさまざまな努力が積み重ねられてきましたが、日本政府はサボタージュあるのみです。
関東大震災ジェノサイドは、何一つ終わっていないのです。しかも、冒頭に見たように、石原都知事は差別の煽動を公然と行っています。日本政府は石原発言を擁護しています。
事実を認めず、隠蔽し、石原都知事発言のように逆転した発言を続けることは、次の不安と危険を呼び覚まします。ドイツにおいてユダヤ人虐殺を否定する「アウシュヴィッツの嘘」発言が新たなユダヤ人差別であり、犯罪とされていることはよく知られています。
終わっていないのは関東大震災だけではありません。コリアン・ジェノサイドは終わっていません。朝鮮半島に対する植民地支配、朝鮮人差別、数々の弾圧と虐殺の真相は解明されず、責任も明らかにされていません。
戦前だけではありません。例えば、阪神教育闘争事件とは何だったのでしょうか。阪神教育闘争事件は、一九四八年に起きた単発の事件として理解することはできません。朝鮮植民地支配の残滓であり、朝鮮人差別の繰り返しです。その後の朝鮮人弾圧と差別の予告でもありました。
いまもなお続く朝鮮人差別と歴史の偽造も指摘しておかなければなりません。朝鮮半島をめぐる政治的緊張のたびに、日本社会では「チマ・チョゴリ事件」に象徴される差別と犯罪が繰り返されています。社会で時たま起きる事件ではありません。日本政府が再発防止の努力を行わず、それどころか、最近の滋賀朝鮮学校事件を始めとする朝鮮総連関連施設弾圧事件のように、日本政府こそが率先して朝鮮人差別の犯罪を行っているのです。
世界史の中で考えよう
関東大震災朝鮮人虐殺をジェノサイドとして理解することは、事件を世界史の中で考えることです。
レムキンがジェノサイド概念を構築したとき、念頭にあったのは一九一五年のアルメニア・ジェノサイドと、一九三〇年代からのナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺でした。レムキンは、なぜ一九二三年の関東大震災に言及していないのでしょうか。――知らなかったからです。国際社会でコリアン・ジェノサイドは語られていません。
今日でも世界各地でジェノサイド、人道に対する罪が繰り返されています。規模や原因はさまざまですが、世界各地で悲劇が続いています。歴史を振り返れば、スターリンの大粛正、日本軍の三光政策・無人区政策、ヒロシマ・ナガサキへの原爆投下、朝鮮戦争における国連軍の犯罪、ベトナム戦争・北爆・枯葉剤作戦、カンボジアのポルポト派による大虐殺、旧ユーゴスラヴィアの「民族浄化」、ルワンダのツチ虐殺、東ティモール独立をめぐる内戦による虐殺、スーダンのダルフール・ジェノサイド、アフガニスタンとイラクで続いている戦争における膨大な民間人被害、そして、イスラエルによるパレスチナ・ジェノサイド――コリアン・ジェノサイドは、これらと同じ文脈で語られなければなりません。
歴史のはざまで数々の悲劇が起きてきました。この悲劇は自然災害ではありません。人為的な犯罪は防ぐことができます。ジェノサイドをいかにして防ぐのか。そのための議論はいまだに十分になされていないのではないでしょうか。コリアン・ジェノサイドにきっちり決着をつけて、二度と起きないようにする課題です。八五年も昔の物語ではなく、今なお私たちが向き会わなければならない未決の課題なのです。
私たちに何ができるか。
これまでの調査・研究の積み重ねの上に立って、これから私たちは何をすることができるでしょうか。さまざまな課題が考えられますが、ここではその一部を指摘する事で問題提起とさせていただきます。
第一に、国際社会への訴えです。国連人権理事会をはじめとする国際人権機関に報告する事によって、事件を国際社会の舞台で明らかにしていきましょう。ユダヤ人ジェノサイドやアルメニア・ジェノサイドはよく知られていますが、コリアン・ジェノサイドはまったく知られていません。日本軍「慰安婦」問題や南京大虐殺と同じように、世界史的出来事として語る必要があります。そのために国際的なNGOネットワークの協力を得る必要があります。日本政府に対する責任追及(真相解明、事実の承認、謝罪など)を進めるためにも、関係政府(韓国、朝鮮、中国)に適切な対応を求めるためにも、国際社会への訴えが重要となります。
第二に、日本の裁判所における訴訟の可能性ですが、この点は、次の梓澤報告の中で議論されるでしょうから、ここでは省略します。
第三に、民衆法廷の可能性です。日本軍性奴隷制(「慰安婦」)問題を裁いた女性国際戦犯法廷、朝鮮戦争における国連軍の戦争犯罪を裁いたコリア戦犯民衆法廷、アフガニスタンにおけるアメリカの戦争犯罪を裁いたアフガニスタン国際戦犯民衆法廷、イラクについて同様のイラク国際戦犯民衆法廷のように、国際的な協力の下に民衆法廷を開いて、真相と責任の所在を明らかにすることです(前田朗『民衆法廷入門』耕文社参照)。
歴史の彼方からの呼びかけ――八〇年以上の長きにわたって聞き取られることのなかった無数の叫びに耳を澄まし、ジェノサイドの過去を深く反省し、未来に向けて新たな歩みを始めることが必要です。二〇世紀最初の、東アジアにおける最初のジェノサイドを、私たち自身の手で終わらせましょう。
* *
前田報告に対して、韓国側から、ユン・ミヒャン(韓国挺身隊問題対策協議会常任代表)
がコメントした。
まず、ある日本軍「慰安婦」問題のシンポジウムにおいて在日朝鮮人女性が「チマ・チョゴリ事件(在日朝鮮人の子どもたちに対する暴力や脅迫)」を報告したが、シンポ参加者の反応はあまりよくなかったことがある。他方、朝鮮の人工衛星打ち上げ問題で日本の世論が沸騰した時期に、子どもの安全を気遣う在日朝鮮人の母親の思いを考えた。こうした事例を思い起こすと、日本の政治、経済、文化、社会のすべての分野で朝鮮人差別が継続している。「コリアン・ジェノサイドは、過去の歴史でのみならず、現在も継続している」と述べた。
続いて、「世界史の中でコリアン・ジェノサイドを考える」ことが従来、十分とは言えなかった点について、日本軍「慰安婦」問題の解決のために挺身隊問題対策協議会が行ってきた国際活動が参考になるとして、その具体例を紹介した。真相解明のための資料公開、記録保全、専門家による研究、広報教育活動、マスコミ対策、演劇、展示、国際シンポジウム、海外同胞との協力など。
さらに、国際人権法を活用した運動について、市民的政治的権利に関する国際規約、国連人権理事会、国際司法裁判所へのアクセスの重要性を指摘した。最後に、記憶と再発防止に関連して、ジェノサイドの時代としての二〇世紀の悲劇を繰り返すことのないように、「現在も日本の政治家およびマスコミ、社会全分野で繰り返されているコリアン・ジェノサイドに対する韓日政府次元の教育と追悼活動を求め、これを通じ予防活動を実施するようにし、市民次元でも再発防止のためのキャンペーン、文化芸術分野での活動などが行われればと思います」とまとめた。
国家犯罪を裁くために
三番目に梓澤和幸(弁護士)「日弁連勧告の趣旨と再発防止」は、日弁連人権擁護委員会の関東大震災事件委員会委員長として行った調査と勧告の概要を紹介した(報告自体は個人の立場で行った)。二〇〇三年八月二五日の日弁連調査報告書および勧告の全文が資料として配布された。勧告の趣旨は次の二点である。
① 国は関東大震災直後の朝鮮人、中国人に対する虐殺事件に関し、軍隊による虐殺の被害者、遺族、および虚偽事実の伝達など国の行為に誘発された自警団による虐殺の被害者、遺族に対し、その責任を認めて謝罪すべきである。
②国は、朝鮮人、中国人虐殺の全貌と真相を調査し、その原因を明らかにすべきである。
梓澤報告は、この勧告をまとめるにいたった日弁連の調査活動を紹介するものであった。
第一に重要なことは、軍隊による虐殺があったことである。
「当時、戒厳令が出ていたわけです。戒厳令が出ている中で、軍隊が出て行って人を傷つけると、それは戒厳『詳報』という文書に公式の記録に残っています。公式の記録に残った朝鮮人虐殺の数が、記録に残っているものだけで、九月一日から九月四日までの四日間で、二八三人です。二八三人、それはこん棒やなたで殺害したのではなく、銃で殺害したのです」。
第二に自警団を作れという指令が出ていたことである。
「自衛の策をとるために自警団を作れという指令が出ていた、その指令の中で出来上がった自警団の数は驚くべき数です。自衛隊と警視庁の関東大震災の研究という本が出ていまして、そこには約一五〇〇の自警団が出来ていたということが記録上に残っています。そういうことを国は研究しているんです。なのに、今まで国が民衆を扇動して悲惨な虐殺を巻き起こしたということが全く語られてこなかった。そのことは放置されてはいけないのではないか、ということが日弁連の勧告でございます」。
日弁連報告書は、軍隊による虐殺の日時、場所、部隊などをできる限り特定して詳細に列挙している。その上で、軍隊や警察に先導・扇動された民衆による虐殺についても、日時、場所などを順次特定している。
「日弁連の勧告はひとつのきっかけを作ったということで、つまり、今までの事件像、民衆が激高してやっちゃったというイメージを根底から覆す、事件像を覆すスタートを切ったんだという点で、私は日弁連の勧告の意味はもっと語られてしかるべきだと思います。今、私たちが生きているこの時代は、決して生者、生きている人が独占して良いものではありません。無念の思いで亡くなっていった人も含めて、この時代を共に生きていると信じます。そいう意味で、今日のこの集会や、私どもの非常に紆余曲折の末に到達した日弁連勧告の内容というのは、その意味が色々な人の生き方の問題として語られてほしい、と思っています」。
梓澤報告に対して、韓国側から、魏大永(弁護士、民主社会のための弁護士会)がコメントした。
梓澤報告は日弁連勧告の内容紹介に加えて、訴訟の可能性についても検討を加え、日本の裁判所での裁判の可能性について問題点を指摘していた。戦後補償裁判をはじめとする多くの裁判例を見ると、関東大震災朝鮮人虐殺について提訴することは必ずしも良策ではない。裁判所の姿勢が後ろ向きであり、訴訟法上のさまざまなネックがある。最悪の場合、裁判所によって歴史の事実が否定されかねない。せっかく日弁連調査によって明らかになった事実まで否定される恐れもある。
この点について、魏コメントも同様の懸念を指摘した。日本政府や裁判所の姿勢からいって、謝罪、補償および賠償請求訴訟を提訴しても敗訴する可能性がとても高い。国際法的論点も国内法的論点も数多くあり、事実上日本政府に従っている裁判所にあまり期待できない。他方、賠償請求などの履行請求訴訟と異なって、違法確認訴訟の可能性は検討に値する。一九二三年一二月一五日の衆議院の質疑において、朝鮮人虐殺に関する質問に対して、総理大臣が、調査中であり後日報告する、と述べている。にもかかわらず、その後、国会に報告がなされていない。日本政府は現在に至るまで真相調査も国会報告も行っていない。調査および報告のために必要な相当の期間を超えて報告していないのは、政府の違法行為であることを確認する訴訟は可能ではないか、と述べた。
植民地犯罪とは何か
最後に、本シンポジウムのタイトルが「関東大震災時朝鮮人虐殺――植民地犯罪、日本国家に責任を問う」となっていること、「植民地犯罪」という概念が用いられていることに関連して、少し検討しておきたい。
第一に、「植民地犯罪」とは何か。国際法にも国内法にも「植民地犯罪」という用語は見られない。むしろ、植民地宗主国によって作られた国際法は、植民地を合法的なものとしてきた。国家指導者に対する暴力や脅迫によって締結された植民地条約は違法だが、それ以外の植民地条約はいずれも合法かつ有効とされてきたから、「植民地犯罪」という概念は否定されてきた。
しかし、植民地とされた側の人民にとって、その歴史的経験はまさに「植民地犯罪」と表現するべきである。そこで、第二次大戦後の国連国際法委員会において国際刑事裁判所づくりが進められる中で、「人類の平和と安全に対する罪の法典草案」に、ジェノサイド、人道に対する罪、戦争犯罪と並んで、「植民地犯罪」規定が盛り込まれた。しかし、旧宗主国側の反発、法的定義の困難性などを理由に、すぐに削除されてしまった。一九九八年の 国際刑事裁判所規程は、もっとも重大な国際犯罪として、侵略の罪、ジェノサイド、人道に対する罪、戦争犯罪のみを掲げた。
他方、二〇〇一年のダーバン人種差別反対世界会議では、植民地時代における奴隷制が人道に対する罪であったことを旧宗主国にも認めさせることができた。謝罪や補償の義務は否定されたが、奴隷制が人道に対する罪であることを国連レベルで認めることになった。
この間、各国においてもさまざまな議論が積み重ねられてきた。フランスでは奴隷制を人道に対する罪と認めるトビラ法が制定された。イギリスやアメリカのいくつかの州議会決議も出ている。こうして「植民地犯罪」そのものではないが、「植民地責任」というべき議論が世界で広がった。日本による朝鮮植民地支配も、こうした文脈で再検討されつつある。最近の歴史学研究は大きな成果をあげている(岩崎稔ほか編『継続する植民地主義』、金富子ほか編『歴史と責任』、永原陽子編『「植民地責任」論』など。なお、前田朗『人道に対する罪』)。
第二に、関東大震災朝鮮人虐殺は日本で起きた事件であって、朝鮮半島で起きた事件ではない。それにもかかわらず「植民地犯罪」と呼んでいることにも注意が必要だ。国際法上の犯罪概念としての「植民地犯罪」を定義するとすれば、さまざまな困難がある。場所的定義の限定も要請されざるをえないからである。
しかし、人道に対する罪の成立要件に該当する犯罪のひとつとしての植民地犯罪を検討する場合、植民地という支配―被支配関係の下で起きた事件という点に着目すれば、日本において起きた事件もこれに該当するといえるだろう。
あるいは、国際法上の犯罪概念としてではなく、歴史的責任を解明するための作業仮説として「植民地犯罪」という概念を用いる場合も、同じことがいえる。
「植民地犯罪」は単純な類型ではなく、複数の犯罪概念を包括した概念として理解されるべきである。少なくとも次の三つの類型を相対的に区別して、それぞれ議論する必要があるだろう。
①植民地化の犯罪――実際には植民地戦争、侵略戦争、その中での民衆虐殺によって実現される。
②植民地支配における犯罪――植民地政策のみならず、支配―被支配関係の中で起きる。それゆえ、朝鮮から日本への強制連行、日本における差別と迫害も含まれ、関東大震災朝鮮人虐殺は典型例といえる。
③脱植民地化に関連する犯罪――植民地責任のサボタージュ、在日朝鮮人に対する差別と迫害、侵略戦争の美化、歴史の隠蔽など。
このような検討を踏まえて、植民地犯罪概念を練り上げることも今後の課題である。
軍隊と警察が、朝鮮人集団をターゲットに組織的に大規模に行った虐殺。警察および政府が組織的に流した朝鮮人暴動のデマ。これに触発された民衆が「愛国心」と恐怖に駆られて敢行した虐殺。これはジェノサイドや人道に対する罪という国際法上の重大犯罪であった。第一の責任は日本政府にある。
虐殺の国家責任と民衆責任を解明するためにも、被害側の朝鮮政府や韓国政府、両国市民、他方で加害側の日本市民、そして在日朝鮮人が連帯して取り組む必要がある。
八六年の歳月を隔てて、いま問われているのは、東アジアの民衆自身による平和と安全と連帯の構築であるだろう。いまなお世界で繰り返されるジェノサイドや人道に対する罪の予防、再発防止のためにも、日本で起きたジェノサイドのメカニズムを解明し、政府による謝罪、犠牲者の名誉回復を行うべきである。
ヘイト・クライム(11)
『統一評論』519号(2009年1月)
ヒューマン・ライツ再入門①
自由権規約委員会が日本政府に勧告
日本軍性奴隷制
国際人権規約(市民的および政治的権利に関する国際規約)に基づく自由権規約委員会は、一〇月一五日・一六日に第五回日本政府報告書の審査を行い、同三〇日、最終見解を発表した。
まず、日本軍性奴隷制(「慰安婦」)問題に関して、自由権規約委員会は次のように述べた(パラグラフ二二)。
「委員会は、日本政府が、第二次大戦時における『慰安婦』制度の責任をいまだに受け入れず、実行者が訴追されず、被害者に渡された補償は公的基金ではなく民間基金によるもので、不十分であり、『慰安婦』問題について触れている歴史教科書は僅かしかなく、政治家やマスメディアが被害者を貶めたり、事実を否定し続けていることに、関心を持って留意する。」
その上で、委員会は次のように勧告した。
「日本政府は『慰安婦』制度について法的責任を受け入れ、被害者の大多数が受け入れることができる、かつ被害者の尊厳を回復する方法で、留保なしに謝罪するべきである。まだ生存している実行者を訴追するべきである。すべての生存者に権利として適切な補償をするために即座に効果的な立法措置および行政措置を講じるべきである。この問題について学生および一般公衆に対して教育するべきである。被害者を貶めたり、事実を否定しようとする試みを非難し、制裁を課すべきである。」
これまでの国際機関などからの勧告を継承する内容で、踏み込んだものとなっている。自由権規約委員会が最終見解の勧告に含めたのは初めてである。
一九九二年二月、この問題が国連人権委員会に報告され、その後、人権委員会、人権小委員会(差別防止少数者保護小委員会、後に人権促進保護小委員会)、現代奴隷制作業部会において議論された。NGOの国際友和会、日本友和会、朝鮮人強制連行真相調査団、韓国挺身隊問題対策協議会、リラ・ピリピーナ、アジア女性人権評議会、国際人権活動日本委員会などが国連欧州本部にメンバーを派遣して情報提供を続けた。
一九九三年の人権小委員会において、オランダの国際法学者テオ・ファン=ボーベン「重大人権侵害特別報告」者が「慰安婦」問題は重大な人権侵害であり、被害者救済・保護・リハビリテーションのために日本政府が責任を果たす必要があると表明した。
一九九六年の人権委員会において、スリランカの弁護士ラディカ・クマラスワミ「女性に対する暴力特別報告者」が「慰安婦問題報告書」を公表した。「慰安婦」問題を「軍隊性奴隷制」と定義づけ、日本政府には道義的責任とは別に法的責任があること、真相解明・情報公開、被害者への謝罪と補償、教科書記述、責任者処罰などを勧告した。
一九九八年および二〇〇〇年の人権小委員会において、アメリカの弁護士ゲイ・マクドゥーガル「戦時性奴隷制特別報告者」が、戦時性奴隷制に関する国際法を詳細に研究し、日本軍性奴隷制が、奴隷の禁止、戦争犯罪、人道に対する罪に当たる犯罪であるとし、日本政府に責任者処罰と被害者補償を勧告した。
他方、国際労働機関(ILO)の条約適用専門家委員会でも議論が始まり、一九三〇年の強制労働条約に照らして法的評価が行われた。強制労働条約は女性の強制労働を禁止していた。日本軍性奴隷制が条約違反であったことが確認された。一九九六年のILO条約適用専門家委員会は、日本政府による条約違反を指摘し、被害者救済を呼びかけた。その後も九度にわたって日本政府への勧告を続けている。
他方、女性差別撤廃委員会、社会権委員会、拷問禁止委員会など、人権条約に基づいて設置された条約委員会も日本軍性奴隷制問題を取り上げた。例えば、二〇〇七年五月の拷問禁止委員会の勧告は、被害者の提訴が時効を理由に棄却されたことは遺憾であり、日本政府は時効規定を見直すべきであるとした。性暴力被害者の救済が不適切であり、国家が事実を否認したり、事実が公開されず、拷問行為の責任者が訴追されず、被害者への適切なリハビリテーションがないことが、虐待とトラウマを継続させているとした。
各国政府による勧告や決議も続いている。二〇〇七年、日本軍性奴隷制をめぐる決議案がアメリカ議会で採択された。同様の決議は、オランダ、カナダ、EU、韓国、台湾の議会においても採択された。
今回の自由権規約委員会は、従来の諸勧告と同様の内容の勧告を出した。日本政府は、法的責任を否定し、責任逃れのためのアジア女性基金政策を推進し、解決を困難にしてきた。勧告を契機に、誤った政策の見直しが必要である。
朝鮮人差別
自由権規約委員会は、年金制度に関して、日本国籍者以外に対する年金からの除外を是正すること、移行措置をとることを勧告した(パラグラフ三〇)。
「委員会は、一九八二年の国民年金法からの国籍条項の削除が遡及効をもたなかった結果、二五歳から六〇歳の間に少なくとも二五年以上年金に掛け金を支払うことが受給要件となっているため、大部分の非国籍者、特に一九五二年に日本国籍を喪失した大半のコリアンが、国民年金制度の受給資格からまったく排除されていることに関心を持って留意する。また、委員会は、国民年金法から国籍条項が削除された時点で二〇歳以上の非国籍者には障害年金特別措置が認められなかったために、同じ問題が、一九六二年以前に出生した障害を有する非国籍者にも当てはまることに関心を持って留意する。」
委員会はその上で次のように勧告した。
「日本政府は、非国籍者が国民年金制度から差別的に排除されることのないよう、国民年金法における年齢要件の影響を受ける非国籍者のための移行措置を採るべきである。」
在日朝鮮人に対する年金差別は一九八二年に是正されるはずだったのに、日本政府が必要な移行措置を採らなかったため、高齢者と障害者が排除されたままとなった。経済的社会的権利に関する社会権規約委員会などが日本政府に対して是正を勧告してきたが、自由権規約委員会は、差別問題として捉えて、やはり是正を勧告した。
次に朝鮮学校に対して、他の私立学校と同様の卒業資格認定、その他の経済的手続的な利益措置が講じられることが求められている(パラグラフ三一)。
「委員会は、朝鮮語で教育を行う学校への国家助成が普通学校への助成と比較して歴然と低いこと、このため個人寄付金への依存度が非常に高いのに、日本の私立学校やインターナショナルスクールとは異なって、税制控除が認められなかったり、低いこと、朝鮮学校卒業生には大学入学資格が自動的に与えられないことに関心を有する。」
その上で委員会は次のように勧告している。
「日本政府は、朝鮮学校のための適切な基金を、国家助成を増やし、朝鮮学校への寄付者に他の私立学校への寄付者と同様の税制控除を適用して認め、朝鮮学校卒業生に直接の大学受験資格を認めるべきである。」
朝鮮学校に対する差別については、一九九三年の自由権規約委員会や、その後の子どもの権利委員会でも取り上げられた。国連人権委員会や人権小委員会でも、NGOの在日朝鮮人・人権セミナー、在日本朝鮮人人権協会、アジア女性人権評議会などが是正を求める発言を繰り返してきた。二〇〇一年の人種差別撤廃委員会も、二〇〇六年の国連人権理事会ドゥドゥ・ディエン「人種差別問題特別報告者」も、同様の勧告をしている。
自由権規約委員会とは
それでは自由権規約委員会とは何か。
一九四八年の世界人権宣言は、個人の人権がもっとも重要であると宣言し、人権尊重を国際社会の課題として掲げた。しかし、宣言に過ぎず、そのままでは拘束力がない。
そこで国際社会は、拘束力のある人権条約をつくることにした。その結果作成されたのが一九六六年の二つの国際人権規約である。批准した国家には規約遵守義務が生じる。具体的には国内の人権状況に関する報告書を提出して規約の人権委員会における審査を受けることである。審査を通じて各国の人権状況を改善する狙いである。二つの国際人権規約とは、①「経済的社会的文化的権利に関する国際規約(社会権規約)」、②「市民的政治的権利に関する国際規約(自由権規約)」である。
自由権規約は一九七六年に発効した。日本についての効力は一九七九年九月に生じた。
自由権規約第一部第一条は人民の自決権規定である。第二部は一般規定である。締約国による差別なき権利尊重、必要な立法措置、実効的な救済措置(第二条)、男女同等の権利(第三条)、緊急事態における権利の制限(第四条)などである。
第三部は実体規定である(第六~二七条)。生命に対する権利、死刑の大幅制限、拷問や残虐な刑罰の禁止、奴隷及び強制労働の禁止、身体の自由、逮捕・抑留の手続、自由を奪われた者及び被告人の取り扱い、契約義務不履行による拘禁の禁止、移動及び居住の自由、自国に戻る権利、外国人の追放の制限、公正な裁判を受ける権利、無罪の推定、上訴の権利、刑事補償の権利、遡及処罰の禁止、人として認められる権利、プライバシー、家族、住居への干渉・攻撃からの保護、思想・良心・宗教の自由、表現の自由、戦争宣伝及び差別唱道の禁止、集会の権利、結社の自由、家族に対する保護、子どもの権利、政治に参与する権利、法律の前の平等、少数者の権利である。
古典的な近代市民法における自由権の一覧と同様の規定が並んでいる。「国家からの個人の自由」を確保することによって、個人の主体的な自己実現を保護するものであり、逆に言えば、無用な国家介入を禁止している。
第四部は実施措置である。条約の実施のための監視機関として人権委員会を設置する(第二八~三九条)。国連経済社会理事会に設置されていた人権委員会とは異なるので、自由権委員会・自由権規約委員会と略称される。締約国には報告書提出義務があり、委員会で審査を受ける(第四〇条)。締約国の義務不履行について委員会が検討し、場合によっては特別調停委員会を設置する(第四〇・四一条)。条約の主体と義務の担い手は締約国である。
冒頭に紹介したのは、以上の手続きと権限を有する自由権規約委員会の勧告である。国際人権規約は、世界人権宣言が掲げた理念を再確認し、具体的に実現することを目指した。その手続き規定が「実施措置」として整備された。委員会はジュネーヴ(スイス)の国連欧州本部で開催される。
勧告実現のために
自由権規約委員会はその他にも多くの勧告を出している。主要なものを項目だけ列挙してみよう。
① アイヌ民族を先住民族として認めること。琉球/沖縄についても権利を認めること。②人身売買被害者を救済すること。③外国人研修生や技能実習生に対する搾取や奴隷化を是正すること。④拷問を受ける恐れのある国への送還を行わないこと(ノン・ルフールマン原則)。⑤裁判官などにジェンダー教育を行うこと。⑥子どもの虐待に対処すること。⑦同性愛者や性同一性障害者への差別をなくすこと。⑧死刑を廃止すること。廃止までの死刑囚処遇を改善すること。厳正独居(隔離拘禁)をやめること。⑨代用監獄を廃止すること。取調べへの弁護人立会いを認めること。⑩刑事施設視察委員会の改善。⑪立川テント村事件など表現の自由の侵害をやめること。
このように数多くの勧告であるが、さらに注目するべき勧告がある。
⑫裁判官、検察官などに国際人権法教育を行うことが勧告された。前回の勧告にも同じ内容が含まれていたが、要するに、日本の裁判官や検察官は国際人権法に無知であることが、規約人権委員会によって繰り返し指摘されたのである。人権に無知な裁判官が法解釈をゆがめているのだ。マスメディアはこの問題を殆ど報道しない。
⑬公共の福祉による人権制約や、世論の支持を口実とした死刑の維持についても強い勧告が出された。日本政府は人権と公共の福祉をわざわざ対立させ、公共の福祉を優先してきたが、そうした思考方法そのものへの批判である。世論の支持によって死刑を正当化してはならないことも確認された。
委員会は、一部の項目については一年後にフォローアップを行うこと、全体については二〇一一年一〇月までに次回の報告を行うことを日本政府に求めている。この間、日本政府の人権報告は提出期限を守っていない。締切を守らせるための監視が必要である。
自由権規約委員会の勧告は法的拘束力があるわけではない。しかし、何度も審査を受け、多くの人権委員会から出された勧告と同じ内容のものが目立ち、強く改善が求められている。日本政府に勧告を守らせるのは、人権NGOの任務でもある。
ヘイト・クライム(10)
『統一評論』517号(2008年11月号)
(2008「在日朝鮮人歴史・人権全国集会」シンポジウムより)
コリアン・ジェノサイドとは何か
私の報告では、少し視点を変えて、関東大震災時朝鮮人虐殺を国際基準で見ていこうという話をします。国際法に照らして考えてみます。キーワードはジェノサイドです。
第一に、議論の手がかりとして石原慎太郎東京都知事の「三国人」発言を取り上げます。第二に、ジェノサイドを考えるために、最初のジェノサイドであるアルメニア・ジェノサイドについて見ます。第三に、ジェノサイドとは何かという法律の定義を確認します。第四に、「関東大震災朝鮮人虐殺はジェノサイドである」「ジェノサイドを教唆したのは日本政府である」ことを確認します。コリアン・ジェノサイドを世界史の中に位置づけてみましょう。
石原都知事の差別発言
第一に、石原都知事の差別発言です。いま「差別発言」と言いましたが、ここでは単なる「差別発言」ではなく「人種差別の煽動」であることに関心を向けていきたいと思います。それが「ジェノサイドの教唆」ともつながりを持つからです。
石原都知事発言とは、二〇〇〇年四月九日、陸上自衛隊の記念式典において「今日の東京を見ますと、不法入国した多くの三国人・外国人が非常に凶悪な犯罪を繰り返している。もはや東京の犯罪の形は過去と違ってきた。こういう状況で、すごく大きな災害が起きた時には大きな騒擾事件すらですね、想定される、そういう状況であります」と挨拶したものです。
この発言は、単なる差別発言ではなく、いくつもの嘘をまぎれこませた悪質な差別の煽動です。①「三国人」という言葉自体が、戦後日本で在日朝鮮人・中国人に対して差別的に用いられた言葉です。②「三国人」とされた人々のほとんどは、日本で生まれ育っていますから「不法入国」などしません。できません。③「三国人・外国人が非常に凶悪な犯罪を繰り返している」という事実がありません。外国人も日本人もさまざまな犯罪をしている事実はあります。しかし、凶悪犯罪は減少してきたのが事実です。それでも残念ながら凶悪犯罪が起きますが、その大半は日本人によるものです。④災害時に自然に騒擾事件が起きたことはありません。起きたのは関東大震災朝鮮人虐殺のように日本政府が仕組んだ騒擾事件です。最初から最後まで嘘で固めた石原発言です。虚偽に基づく差別と差別煽動の発言を、陸上自衛隊の前で行ったのです。意味するところは明白です。
二〇〇一年三月、ジュネーヴ(スイス)のパレ・ウィルソン(人権高等弁務官事務所)で開催された人種差別撤廃委員会における日本政府報告書の審査の結果、人種差別撤廃委員会は日本政府に対して次のような勧告を出しました。
「委員会は、高位の公務員が行った差別的な発言と、特に、条約第四条(c)違反の結果として、当局が取るべき行政上または法律上の措置をとっていないこと、またそうした行為は人種差別を助長、煽動する意図があった場合にのみ処罰されるという解釈に、懸念をもって注目する。締約国が、こうした事件の再発を防ぐための適切な措置をとり、特に、公務員、法執行官および行政官に対し、条約第七条に従って、人種差別につながる偏見と闘う目的で適切な訓練を行うよう求める。」
① 人種差別撤廃委員会は、石原都知事発言が差別的な発言であり、人種差別撤廃条約第四条(c)に違反すると認定しています。ここには石原都知事の名前は出ていませんが、「高位の公務員」とは石原都知事のことです。②人種差別撤廃委員会は、石原都知事発言に対して、当局が「政治上または法律上の措置」をとるべきだとしています。③日本政府は「石原都知事には差別を助長、煽動する意図がなかった」と言う弁解をしましたが、人種差別撤廃委員会は、そうした解釈に懸念を表明しています。「差別を煽動する意図がないとさえ言えば、どんな差別発言もやりたい放題」という日本政府の解釈は世界に通用しません。差別を煽動した事実が問題なのです。④人種差別撤廃委員会は、差別再発防止のための訓練を行うように求めています。しかし、日本政府は右のような解釈を公然と主張していますから、まともな訓練をしていません。それどころか、差別を煽動する差別発言を公然と擁護していますから、日本社会では差別発言が続発しました。
以上をまとめます。①石原都知事発言は人種差別発言です。本人は、辞書の意味がどうのこうのとか、他にもこの言葉を使った人がいるとか言い訳をしていましたが、石原都知事がこの言葉を使ったのは明白に差別的文脈でした。②単なる人種差別発言にとどまりません。人種差別撤廃条約にいう「人種差別の煽動」です。日本政府は「差別を煽動する意図がなかったから、煽動ではない」と言い訳しましたが、およそ説得力がありません。人種差別撤廃委員会でも、日本政府の主張は完全に否定されました。③歴史的なジェノサイドとの関連抜きに語ることはできません。単なる「人種差別の煽動」ではなく、自衛隊の前で、地震などの際に自衛隊の出動を、と呼びかけたのですから、「ジェノサイドの教唆」の一歩手前と言うべきなのです。関東大震災朝鮮人虐殺の歴史を持ちながら、あえてこのような発言をしたのですから極めて悪質です。
ジェノサイドとは
それではジェノサイドとは何でしょうか。いまジェノサイドについて語ることにどのような意味があるのでしょうか。
一九四八年一二月九日に第三回国連総会で採択されたジェノサイド条約(一九五一年発効、批准国は一三四カ国、日本は未批准)は、その前文で「ジェノサイドが、国連の精神および目的に反し、かつ、文明世界から強く非難された国際法上の犯罪であるとする、一九四六年一二月一一日の国連総会決議九六(I)を考慮し、歴史上あらゆる時期においてジェノサイドが人類に多大な損失をもたらしたことを認め、この忌まわしい苦悩から人類を解放するためには国際協力が必要である」としています。
ジェノサイド条約第一条は「締約国は、ジェノサイドが、平時に行なわれるか戦時に行なわれるかを問わず、国際法上の犯罪であることを確認し、かつ、これを防止し処罰することを約束する」としています。条約第二条はジェノサイドの定義を示し、同第三条は処罰すべき行為について明示しています。条約第四条は、犯罪者の地位は問わないとし、「憲法上の責任ある統治者であるか、公務員であるか、または私人であるか」を問わず、いかなる者によるジェノサイドも処罰すべきだとしています。
それでは関東大震災朝鮮人虐殺をジェノサイド概念に照らして位置づけ直すことにしましょう。従来、関東大震災を語る人はジェノサイドについて語りません。ジェノサイドを語る人は関東大震災を語りません。
アルメニア・ジェノサイド
ジェノサイドの典型例は、誰もが知るように、ナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺です。ただ、ジェノサイドという言葉を作ったときに、念頭にあった最初のジェノサイドは、一九一五年のアルメニア・ジェノサイドです。ジェノサイドという言葉は、後に説明するように、ラファエル・レムキンが一九四四年につくりましたが、念頭にあったのはアルメニア・ジェノサイドです。ジェノサイドという言葉ができるよりも前の出来事ですが、アルメニア・ジェノサイドと呼ばれています。
二〇〇二年の映画『アララトの聖母』を思いおこしてみましょう。画家アーシル・ゴーキーの絵画をモチーフに、アルメニア人虐殺の悲劇と現代の親子の物語を交錯させて描いたドラマです。監督・製作・脚本は『フェリシアの旅』のアトム・エゴヤンです。シャンソンのベテラン歌手、「ピアニストを撃て」のシャルル・アズナブールも重要な役で出演していました。アズナブールもアルメニア系フランス人です。
映画作家のエドワード・サロヤン(アズナブール)は、アルメニア人にとって聖なる山アララトの麓で起きたアルメニア人虐殺を映画にするため、カナダのトロントに撮影にやってきます。カナダには亡命してきたアルメニア人のコミュニティがあります。サロヤンは、虐殺で母を亡くした画家アーシル・ゴーキーに注目し、少年時代の彼を映画に登場させようと考え、ゴーキー研究家・美術史家アニに撮影の顧問を依頼します。アニには二回の結婚歴があり、最初の夫との息子ラフィは、死んだ父親がテロリストなのか英雄なのかと悩んでいました。二度目の夫の娘シリアは、ラフィの恋人ですが、自分の父親の事故死の原因がアニにあると考え、激しく憎んでいました。そしてサロヤンの映画がクランク・インします。撮影現場で雑用係として働いていたラフィは、映画の内容に触発され、父の真実を知るためにアララトへと旅立ちます。帰国したラフィは、空港の税関で取り調べを受けます。ラフィは「喪失の歴史」を語り終え、解放されます。アーシル・ゴーキーの絵画「アララトの聖母」の秘密は何であったのか。アルメニアで何があったのか。何が、なぜ、「喪失」させられたのか。映画は歴史と現在を重ね合わせながら描きます。
第一次大戦時、ロシアとトルコが交戦状態になりました。トルコはアルメニア人がロシア側につくと考え、アララト山周辺地域のアルメニア人を強制移住させ、従わない場合には攻撃しました。被害は五〇万とも一〇〇万とも言われます。多数のアルメニア人が外国に逃れました。アズナブールもその子孫です。フランスやオランダでアルメニア系の人と出会うことは決して珍しくありません。現在、カスピ海沿岸につくられたアルメニア国家の人口は三五〇万人です。被害の大きさは想像を絶するものでした。
アルメニアと言っても、どこにあるのかわからないと思うかもしれませんが、皆さんはこの夏にテレビで毎日のように見ています。ロシア軍がグルジアに侵攻しましたが、グルジアの隣がアルメニアです。黒海とカスピ海の間で、グルジア、オセチアなどでの事件、カスピ海沿岸の石油とガスをめぐる国際政治が吹き荒れる地域です。
アルメニア人が多数フランスに逃げたこともあって、二〇〇〇年から二〇〇一年にかけて、フランス議会でこの問題が取り上げられ、フランス議会は「アルメニア事件はジェノサイドであった」と決議しました。このためトルコとフランスの外交問題に発展しました。二〇〇五年にはアメリカ議会でも議論が巻き起こっています。そのくらい有名な事件で、西欧ではアルメニア人を「第二のユダヤ人」と呼ぶくらいです。在日朝鮮人の間でも「第二のユダヤ人」という言葉が使われてきたと思いますが、国際社会ではそれはアルメニア人のことです。
一九一五年当時、フランス・イギリス・ロシアの共同宣言では、この事件を「人道と文明に対する罪」と呼んでいます。国際法上、人道に対する罪という言葉が用いられたのはこれが最初だとも言われています。ジェノサイドと人道に対する罪という二つの異なった概念は、登場した最初から共通性を持っていたのです。
一九一九年にキャルソープ高等弁務官が責任者処罰が必要だと唱え、イギリス軍がトルコに進出して、トルコ人容疑者六七人を身柄拘束し、マルタ島に送りました。裁判のために協議が続けられ、一九二〇年のセヴル条約案では戦争犯罪条項がつくられました。しかし、ナショナリズムに燃えるトルコ側の反発が激しくなり、イギリスは一九二一年にトルコと捕虜交換協定を結び、六七人は釈放されました。一九二三年のローザンヌ条約では恩赦が決定され、責任者処罰は実現しませんでした。一部の犯罪者がトルコのイスタンブール裁判所で裁かれるにとどまりました。その裁判でも人道に対する罪を裁くということが意識されていました(前田朗「ヴェルサイユからローマへ(二)」Let’s四六号)
アルメニア・ジェノサイドについて、いくつか確認しておきましょう。①最初のジェノサイドです。もちろん歴史的には古くから大虐殺がありますが、ジェノサイドという考え方に直接の関連を持った最初の事件です。二十世紀最初のジェノサイドです。②当時すでに重大犯罪として処罰が要請されました。実際の処罰は不十分でしたが、当時から処罰するべき重大犯罪でした。③戦争の混乱は弁解にはなりません。トルコは今でも、アルメニア人の被害事実はあるが、戦争の混乱の中で起きた悲劇だと弁解しています。トルコ人も苦労したのだと言います。アルメニアも、フランスやアメリカもこの弁解を認めていません。④九〇年たってもフランス議会やアメリカ議会で議論が行われています。トルコ政府が責任を認めず、弁解を繰り返しているからです。ただし、フランス議会などで議論が行われているのは、トルコのEU加盟問題との関係で、トルコに圧力を加える政治目的と言う面もあります。⑤アルメニア人の努力も指摘しておく必要があります。フランス議会を動かしたのは亡命アルメニア人です。もしアルメニア人に会えば、「朝鮮人はなぜこんなに淡白なのか」と質問されるかもしれません。戦争犯罪やジェノサイドには時効がありません。人道に衝撃を与えるような重大かつ深刻な犯罪は適切に扱う必要があります。
レムキンの提案
ポーランドの刑法学者ラファエル・レムキンは、すでに一九三〇年代に国際刑法の分野で、重大な虐殺を特別な犯罪として処罰するための議論を展開していました。ところが、ナチス・ドイツがポーランドを支配したので、ユダヤ人であったレムキンはアメリカに亡命します。そして、一九四四年に、アルメニアやナチスのユダヤ人虐殺を念頭において、ジェノサイドという犯罪類型を考えました。レムキンは、国際社会がアルメニア・ジェノサイドに適切に対処していれば、ナチスの犯罪を防げたのに、と考えたといいます。
第二次大戦後、国連ができると、レムキンは国連に乗り込んでジェノサイド条約の制定を推進しました。レムキンはジェノサイドを次のように定義しました(以下詳しくは前田朗『ジェノサイド論』青木書店)。
「国民集団の生命の本質的基礎を、その集団自体を全滅させようとして、破壊しようとするさまざまの行為の連結した企図。その企図の目的は、国民集団の文化や、言語、国民感情、宗教、経済の存在を解体したり、その集団に属する個人の人身の安全、自由、健康、尊厳や生命を破壊することである。ジェノサイドは、統一体としての国民集団に向けられ、その行為が個人に向けられるのは、その個人の特性によるのではなく、その国民集団の一員であることによる。」
これが初発の定義です。さらに、レムキンは、ジェノサイドのカテゴリー定義として、次のような要素を列挙しています。
とらわれた人々の生活のさまざまの面に向けられた共時的な攻撃
政治領域:自己の政府制度の破壊、ドイツ流の統治の押し付け、ドイツによる植民地化
社会領域:国民の社会的統合の分裂、精神的指導を与える知識人などの殺害や移動
文化領域:文化施設や文化活動の禁止と破壊、教養教育の取替え
経済領域:ドイツ人への富の移動、通商の禁止
生物領域:人口減少政策、占領地域におけるドイツ人生殖促進
身体存在:非ドイツ人飢餓政策の導入、ユダヤ人、ポーランド人、スロヴェニア人、ロシア人の大量殺害
宗教領域:教会活動の妨害
道徳領域:ポルノ出版物や映画を通じた道徳低下の試み
レムキンの提案には、後にまとめられたジェノサイド条約と大きく違う点があります。文化、宗教、道徳を重視していることです。物理的生物学的に民族を抹殺することだけではなく、民族の文化や宗教を奪うことによって、結果として民族を抹殺することもジェノサイドの典型だと考えたのです。ですから、学校教育の組み換え、図書館利用の禁止、新聞の停止などによって、その民族の言葉を奪って、別の言葉を押し付けることも、レムキンの考えでは、ジェノサイドの要素なのです。日本の朝鮮植民地政策が何であったのかも、ジェノサイドの観点で見直す必要があります。
ジェノサイドの定義
国連は一九四六年から一九四八年にかけてジェノサイド条約を準備しました。一九四八年一二月に条約ができ上がりましたが、その議論の過程で、文化ジェノサイドについては、犯罪の成立要件を明示することは難しいと考えられたため、ジェノサイド概念は主に物理的ジェノサイドと生物学的ジェノサイドを中心に整理されました。レムキンのジェノサイド概念とはやや異なることになります。ジェノサイド条約第二条はジェノサイドを次のように定義しています。
国民、民族、種族または宗教集団の全部または一部を破壊する意図をもって、次に掲げる行為を行なうこと
a 集団の構成員を殺害すること
b 集団の構成員に対して、重大な身体的または精神的な害悪を加えること
c 集団の全部または一部についてその身体の破壊をもたらすことを意図した集団生活の条件をことさらに押し付けること
d 集団内の出生を妨げることを意図した措置を課すこと
e 集団の子どもを他の集団に強制的に移転すること
以上の五類型がジェノサイドと決まりました。注意してほしいのは、ジェノサイドは「集団殺害」ではないということです。従来、集団殺害という訳語が用いられてきましたし、私もこの訳語を使うことがあります。しかし、ジェノサイドは、殺害以外に、心身の害悪を加えることや、子どもを強制移転することなども含みます。一九四八年の定義が、一九九八年の国際刑事裁判所規程にも引き継がれたので、今も同じ定義が採用されています。国際法におけるジェノサイドの定義は確定したと言えます。
戦争犯罪やジェノサイドを裁くために設立された国際刑事裁判所の締約国会議において承認された『犯罪の成立要素』は、例えば、aの「殺害によるジェノサイド」について次のように示しています。b~eについては省略します。
第六条a 殺害によるジェノサイド
1 実行者が、一人または複数の人を殺した。
2 その一人または複数の人が、特定の国民、民族、種族または宗教集団に属していた。
3 実行者が、その国民、民族、種族または宗教集団をそれ自体として全部または一部を破壊することを意図した。
4 実行行為が、その集団に対して向けられた明らかに同様の行為のパターンの文脈で行なわれた。または、その行為が、それ自体、そうした破壊をもたらしうるものであった。
さらに、ジェノサイド条約第三条は、処罰すべき行為を次のように明示しています。
a ジェノサイド
b ジェノサイドの共同謀議
c ジェノサイドの直接かつ公然たる教唆
d ジェノサイドの未遂
e ジェノサイドの共犯
ジェノサイドそのものが五つの行為類型からなっているのに加えて、共同謀議、教唆、未遂、共犯も処罰されるべきだというのです。まず、「ジェノサイドの直接かつ公然たる教唆」とあるのに注意してください。
教唆とは、他人をそそのかして犯罪を実行させることです。一般には、ひそかに教唆することも含まれますが、ジェノサイドの教唆は「直接かつ公然たる教唆」に限られます。そそのかしたことで、相手が初めて特定の犯罪を実行することを決意することが必要です。もともと犯罪を行うつもりだった人にそそのかしても教唆にはなりません。それは従犯(幇助犯)です。実際には教唆と幇助が同時並行的に行われることがあります。いずれにせよ、教唆か幇助を行えば犯罪です。
次にeに「共犯」とあります。「共犯」には教唆や従犯が含まれるので、cの「直接かつ公然たる教唆」と重複するように見えます。
コリアン・ジェノサイド
以上のジェノサイド概念に照らして、コリアン・ジェノサイドについて考えていきましょう。私の見解では、コリアン・ジェノサイドを考えるには、少なくとも、①植民地朝鮮におけるジェノサイド、②関東大震災ジェノサイド、③第二次大戦後における在日朝鮮人弾圧、をそれぞれ検討する必要があります。しかし、ここでは関東大震災ジェノサイドに限定して話を進めます。
第一に、ジェノサイドは、実行者が「特別の意図」をもって客観的行為を行ったことが必要です。特別の意図とは「国民、民族、種族または宗教集団を全部または一部を破壊する意図」です。これは通常の犯罪のメンズ・レア(主観的要素)とは異なります。通常の犯罪のメンズ・レアは、「事実」を知っていたことです。殺人罪であれば、「自分が生きている人を殺そうとしていると知りながら、その人を殺すための行為をしようと決意する」ことです。ジェノサイドでは、「事実」を知っていたことに加えて、「特別の意図」を持っていたことを必要とします。「破壊」は身体的物理的破壊を意味しています。文化ジェノサイドを除外する含意をもっているからです。
関東大震災朝鮮人虐殺時に、朝鮮人集団、在日朝鮮人集団の全部または一部を破壊する意図があったか否かが問題になります。鈴木という日本人が、日頃から個人的に恨みを持っていた李という朝鮮人を殺しても、ジェノサイドではなく、殺人罪です。鈴木が、朝鮮人一般を憎んで、朝鮮人迫害のさなかに、李が朝鮮人であるが故に、李を殺せば、ジェノサイドです。
ルワンダにおけるツチ虐殺を裁いたアカイェス事件ICTR一審判決は、特別の意図とは「実行者が、訴追された犯罪を引き起こす明白な意図をもっていた」ことを要するとしています。実行者は特別の意図を持って客観的行為を行った場合にだけ責任を問われます。ICTRとはルワンダにおけるツチ虐殺を裁くためにつくられたルワンダ国際刑事裁判所です。
それでは、実行者が「そんな意図はなかった」と言い張れば、ジェノサイドが成立しないのでしょうか。
クリスティン・バイロンの論文「ジェノサイドの罪」(ドミニク・マッゴルリック、ピーター・ローウェ、エリック・ドネリー編集『常設国際刑事裁判所--法律問題と政策問題』)は、「破壊する意図は被告人の行為から推認できるか」と問いを立てています。多くの学者の論文でも、国際法廷であるICTRやICTY(旧ユーゴスラヴィア国際法廷)の判決でも、この問いには肯定の答えが出されてきました。実行者の自白がなければ特別の意図を認定できないことになってしまっては、ジェノサイドはほとんど成立しないことになってしまうからです。とはいえ、検察官が被告人に特別の意図があったことを合理的な疑いを超えて立証しなければならないので、こうした意図が推論できるのは補強証拠が十分に存在する場合だけということになります。
少し複雑な話になってきましたが、自分が、どのような状況でどのような位置にあって何をしようとしているのかを知りながら、特定の集団の一員を殺す決意をしたとすれば「特別の意図」があったと認定できることになります。
関東大震災時の日本内務省や、殺人実行にかかわった日本人の中に、朝鮮人に対する差別を基礎とした、迫害、排除、破壊の意図があったことを確認することは、客観的証拠、状況証拠によって可能となるはずです。補強証拠は十分といえるでしょう。
第二に、「集団の構成員を殺害すること」について見ておきましょう。特定の集団の構成員を、その構成員であると認識し、集団の全部または一部を破壊することを意図して殺害することです。多数の構成員を殺害したことを必要としません。ジェノサイドがしばしば「集団虐殺・大量虐殺」と訳されるために誤解されがちですが、個人の刑事責任としての犯罪の成立要件としては、一人殺せば足ります。実際に一人の殺害でジェノサイドの認定が行なわれることはまれでしょうが、多数の犯行者によるジェノサイドが行なわれている状況で、同じ意図をもって一人殺害すれば、理論的にはジェノサイドが成立します。
関東大震災朝鮮人虐殺は、非常に広範囲にわたって実行されました。それぞれの実行犯には全体状況がどうなっていたかの認識が十分になかったかもしれません。相互の連絡があったわけでもないでしょう。しかし、「朝鮮人が井戸に毒を入れた」などのデマ宣伝が上から組織的に行われたことによって、互いに知り合いでもない多くの人々が、類似の状況で類似の社会心理を持たされ、朝鮮人に対する迫害行為に出ることになったのです。わざわざ朝鮮人を探して、朝鮮人であるという理由だけで殺しました。一人ひとりの実行犯が「殺害によるジェノサイド」を犯したと考えられます。
第三に、ジェノサイドの直接かつ公然の教唆です。石田貞さん、山田昭次さん、梓澤和幸さん、三人のご報告が既に十分明らかにしたように、「朝鮮人が井戸に毒を入れた」の類のデマ宣伝は、内務省から県へ、県から市町村へ、市町村から自警団へと伝達されたのです。大震災で混乱し、騒然としている状況において、デマ宣伝が果たした役割は非常に大きなものがありました。人々を恐怖に陥しいれ、反朝鮮人感情を爆発させ、結果として各地で朝鮮人虐殺が発生したのです。
以上のことから、次の帰結を導くことができます。①関東大震災朝鮮人虐殺は、上からのデマ宣伝によって、つまり「直接かつ公然たる教唆」によって、組織的意図的に惹き起こされたジェノサイドです。デマ宣伝に加担した者には、ジェノサイドの直接かつ公然の教唆という犯罪が成立します。②虐殺に手を染めた実行犯のそれぞれにジェノサイドの犯罪が成立します。殺害によるジェノサイドです。ジェノサイドは未遂や共犯も処罰されるべき犯罪です。③ジェノサイドの教唆と、ジェノサイドは、ともに、個人ではなく、組織としての日本政府の犯罪が中核にあります。個人によるジェノサイドも犯罪ですから見逃せませんが、最大の犯罪者は日本政府です。
ジェノサイドは終わったか
関東大震災は一九二三年の出来事です。八五年の歳月が流れました。それでは関東大震災ジェノサイドは終わったのでしょうか。
関東大震災ジェノサイドの真相解明はなされたでしょうか。それどころか、日本政府は事実を隠蔽し、真相解明を妨げてきました。被害者への謝罪も補償もしていません。形だけ自警団メンバーの裁判を行いましたが、真の責任者を明らかにしていません。裁きも不十分で事実認定は歪曲され、量刑も著しく軽いものでした。それどころか、愛国心ゆえの犯行だったなどと弁解をしています。責任者処罰がなされたとはとても言えません。ですから、再発防止の努力もなされていません。民間ではさまざまな努力が積み重ねられてきましたが、日本政府はサボタージュあるのみです。
関東大震災ジェノサイドは、何一つ終わっていないのです。しかも、冒頭に見たように、石原都知事は差別の煽動を公然と行っています。日本政府は石原発言を擁護しています。
事実を認めず、隠蔽し、石原都知事発言のように逆転した発言を続けることは、次の不安と危険を呼び覚まします。ドイツにおいてユダヤ人虐殺を否定する「アウシュヴィッツの嘘」発言が新たなユダヤ人差別であり、犯罪とされていることはよく知られています。エクスター大学のキャロライン・フォーネットの著作『破壊犯罪とジェノサイドの法』(アシュゲート出版)は、実際にジェノサイドがあった事実を否定する「ジェノサイドの否定」について論じています。「否定は、犯罪実行者にとって防御機制となります。防御はすべてのジェノサイドにおいて現に用いられています。言い換えると、ジェノサイドの否定は今やおきまりとなっているのです」。フォーネットは、ジェノサイドの否定が次のジェノサイドの教唆につながる恐れを指摘し、ジェノサイドの否定が被害者に対する精神的加害となると指摘しています。
終わっていないのは関東大震災だけではありません。コリアン・ジェノサイドは終わっていません。朝鮮半島に対する植民地支配、朝鮮人差別、数々の弾圧と虐殺の真相は解明されず、責任も明らかにされていません。
戦前だけではありません。例えば、阪神教育闘争事件とは何だったのでしょうか。阪神教育闘争事件は、一九四八年に起きた単発の事件として理解することはできません。朝鮮植民地支配の残滓であり、朝鮮人差別の繰り返しです。その後の朝鮮人弾圧と差別の予告でもありました。
いまもなお続く朝鮮人差別と歴史の偽造も指摘しておかなければなりません。朝鮮半島をめぐる政治的緊張のたびに、日本社会では「チマ・チョゴリ事件」に象徴される差別と犯罪が繰り返されています。社会で時たま起きる事件ではありません。日本政府が再発防止の努力を行わず、それどころか、最近の滋賀朝鮮学校事件を始めとする朝鮮総連関連施設弾圧事件のように、日本政府こそが率先して朝鮮人差別の犯罪を行っているのです。
世界史の中で考えよう
関東大震災朝鮮人虐殺をジェノサイドとして理解することは、事件を世界史の中で考えることです。
レムキンがジェノサイド概念を構築したとき、念頭にあったのは一九一五年のアルメニア・ジェノサイドと、一九三〇年代からのナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺でした。レムキンは、なぜ一九二三年の関東大震災に言及していないのでしょうか。――知らなかったからです。国際社会でコリアン・ジェノサイドは語られていません。
今日でも世界各地でジェノサイド、人道に対する罪が繰り返されています。規模や原因はさまざまですが、世界各地で悲劇が続いています。歴史を振り返れば、スターリンの大粛正、日本軍の三光政策・無人区政策、ヒロシマ・ナガサキへの原爆投下、朝鮮戦争における国連軍の犯罪、ベトナム戦争・北爆・枯葉剤作戦、カンボジアのポルポト派による大虐殺、旧ユーゴスラヴィアの「民族浄化」、ルワンダのツチ虐殺、東ティモール独立をめぐる内戦による虐殺、スーダンのダルフール・ジェノサイド、そしてアフガニスタンとイラクで続いている戦争における膨大な民間人被害――コリアン・ジェノサイドは、これらと同じ文脈で語られなければなりません。
歴史のはざまで数々の悲劇が起きてきました。この悲劇は自然災害ではありません。人為的な犯罪は防ぐことができます。ジェノサイドをいかにして防ぐのか。そのための議論はいまだに十分になされていないのではないでしょうか。石田貞、山田昭次、梓澤和幸報告が突きつけているのは、コリアン・ジェノサイドにきっちり決着をつけて、二度と起きないようにする課題です。八五年も昔の物語ではなく、今なお私たちが向き会わなければならない未決の課題なのです。
ヘイト・クライム(9)
3 日本はどこへ行くのか
それでは日本はどこへ向かっているのでしょうか。
長期的なスパンで考えるべきことではありますが、それだけの知識も準備もありませんので、ここでは日本のシナリオを、二一世紀初旬に限定して考えてみたいと思います。対照的な二つのシナリオを見てみましょう。
第一は、対米追随の極限的進行、自衛隊海外派兵と武力行使、従ってアジアに対する軍事侵略というシナリオであり、これは日本の自滅にたどり着きます。対米追随を進めれば進めるほど、問題の把握の仕方から解決の方式に至るまで、米中関係や米朝関係など、アメリカとアジアの関係をベースにしなくてはなりませんから、日本外交自身による問題解決の可能性は消失していきます。これほどの経済大国であり、同時にすでに十分大きすぎる“軍事大国”である日本が、政治家や官僚の居丈高な発言にもかかわらず、東アジアの外交関係におけるカードを失っていくことなのです。資源や権益をなんとか維持するためにはアメリカとともにあることこそ重要だという発想では、日本はアジアの撹乱要因でしかなくなります。
第二は、例えば最近数人の人たちが提案している東北アジア共同体論や、東北アジア非核平和条約の道、アジア人権機構の創設、さらにはアジア通貨の模索といったシナリオです。東アジア冷戦の終結を視野に入れたものです。このシナリオでは、アジア、東アジアにおける各国の対等・平等の立場での平和外交の確立が出発点となります。その中で、アジアにおける日本の積極的役割が期待されます。
実は私はいささか悲観的に、現在の日本国家と社会は第一のシナリオを積極的に採用して、破滅への道を突き進んでいると考えています。日本だけが勝手に破産して、惨めな思いをするだけなら、それでも構わないかもしれませんが、そうはなりません。日本の自滅は、その過程においても、その結果としても、アジア各国にも重大な危機を惹き起こします。
ですから、第二のシナリオに軌道修正しなければならないのですが、日本社会自身が、現在は、第一のシナリオを握り締めて離さないわけです。時間はかかると思いますが、軌道修正の努力を続けるしかありません。
第二のシナリオは、もともと日本国憲法前文と第九条の道であり、平和憲法を実現する課題です。半世紀以上にわたって、憲法第九条に支えられてきた日本の平和運動はそれなりの豊かな歴史を刻んできました。その平和運動の意識が憲法第九条を支えてもきました。
ところが、最近では日本社会の平和意識が大きく揺らいでいます。対米追随は「テロとの闘い」であり、朝鮮有事や中国有事に向けて軍事的関与を追及する意識が強まっています。周辺事態とか武力攻撃事態などと称しつつ、実際には「先制攻撃体制」を着々と準備しています。
残念ながら現在の平和運動はこうした現実に直面して正面から平和の課題を掲げることすらできていません。言葉の上で「憲法第九条を守れ」と唱えるだけで、憲法第九条の内容を実現する運動にはなっていません。「憲法第九条を守れ」ということは、在日米軍完全撤去、そして自衛隊解体でなければなりません。こうした当たり前の課題が、日本の平和運動から消失して久しいのです。
二〇〇二年から二〇〇四年にかけて、アメリカのアフガニスタン攻撃における戦争犯罪を裁くためにアフガニスタン国際戦犯民衆法廷(ICTA)という民衆法廷運動を日本各地で開催しました。アフガニスタン攻撃は侵略の罪であり、アフガン各地への爆撃は無差別爆撃であり、従って戦争犯罪であり、大量の難民を発生させたことは人道に対する罪であるという告発です。被告人はブッシュ大統領です。検事は日本やアメリカの弁護士が担当しました。判事は日本、インド、アメリカ、イギリスの五人の法律家に担当してもらいました。
この運動のために、戦争被害調査が必要となったので、アフガニスタン戦争被害調査として九回の現地調査を行ないました。アフガニスタンの首都カブールは惨憺たる廃墟と化していました。ヒンドゥークシの彼方に抜けるような青空のアフガニスタン。アジア・ハイウェイの脇に落ちている壊れた戦車。地雷処理の進む砂漠。そして、砂埃の路上に座ったまま動かない人々がいました。頭からブルカをかぶり、幼子を抱えた女性たちが施しを求めて手を差し出してきます。地雷のために片足を失った人がたくさんいました。下半身を失って両手で歩いている人にも遭遇しました。米軍が投下したクラスター爆弾のために失明した少年に取材しました。一瞬にして家族一六人を亡くした少女もいました、クンドゥズの山間の村で家族を失った人たちにも会いました。カブール北部のベマル山麓の井戸からは通常の二百倍の放射能が検出されています。たった一回の爆撃が残した傷跡です。
カブールで通訳をしてくれた青年医師は、ヒロシマ・ナガサキを知っていました。彼にとって、日本はかつてアメリカによって原爆投下の被害を受けた国です。今、アフガニスタンがアメリカの空爆を受けて大勢の人々が亡くなっている。そこへ調査にやってきた私たちに向かって、彼はヒロシマ・ナガサキについて語るのです。アメリカのアフガニスタン空爆に燃料給油をして協力している日本の私たちは、彼に向かって何を言えるでしょうか。
イラクも同じです。大量破壊兵器の嘘、イラク解放の嘘、さまざまな嘘を並べてイラク攻撃を強行したアメリカ。米軍兵士の犠牲者は数えられていますが、イラクの膨大な犠牲者の数は不明です。無差別爆撃、拷問、虐殺の嵐の中で苦悩するイラクの人々に対して、自衛隊が無法な占領に加担している日本の私たちは、何が言えるでしょうか。
かつて朝鮮戦争、ヴェトナム戦争においても日本は米軍への加担を行ないましたが、現在の加担はその程度をはるかに大きく超えています。
アジアの平和と安定を実現するために、日本のシナリオを変えることが不可欠です。あらためて市民の平和力を鍛えなおし、アジアにおける平和、友好、連帯の時代を模索し、グローバルな市民社会の形成を目指す闘いが不可欠です。
ヘイト・クライム(8)
2 “自己植民地主義”の確立・定着
最近の日米関係を出発点として考えていきます。「九・一一」の後、「テロとの闘い」と称する「永久戦争」が強行されています。アフガニスタン攻撃、そしてイラク攻撃が二一世紀の平和を願う声を押しつぶしています。日本はアメリカの忠実な番犬、しかも尻尾を振るだけではなく、資金を提供する番犬としてひたすら忠誠を示しています。普通、資金を提供するのはご主人様のはずなのに。
この間の米軍基地再編問題や基地移転費用問題を見ると、日米関係は「外交」とか「国際関係」とよばれる事態とはおよそ無関係だということがわかります。宗主国と植民地の関係という以外にこの現実を把握する方法はないのではないでしょうか。小泉純一郎首相は「日本総督」と肩書きを変えたほうが正しい。
米兵犯罪の扱いを見ても、これは永年の間続いてきましたが、やはり日米関係は上下関係でしかなく、日本人はアメリカ人に比して「一人の人間」とは看做されていません。日本政府自身が日本人を一ランク下に位置づけているのですから、日本社会にもそうした意識が普及していきます。アメリカ人を一ランク上に位置づける社会は、日本人よりも下の人間を必要とします。在日中国人や朝鮮人が好都合な存在として呼び出されることになります。同時に、日本人の中にも細かなランク分けを持ち込みます。出身地、職業、性別から趣味や成績に至るさまざまな等級が定着します。「格差社会」という言葉が流行していますが、これは一貫してこの社会を規定してきたのであって、小泉改革によって生じた現象ではありません。
昨年の「九・一一選挙」に見られる情報戦も、最近ではアメリカの改革要求を丸呑みしただけであることが明らかになっています。郵政改革や金融改革といっていますが、ただでさえアメリカの言いなり状態の日本経済をますますアメリカの従属下に置くための改革であり、その改革プランはワシントンでつくられ、東京で実行されているわけです。
しかも、重要なことは、日本社会がこうした現実をおおむね「歓迎」していることです。アメリカの言いなりで、自分で判断する能力のない首相が人気を誇り、同様にアメリカ詣でに励む政治家や官僚たちが政治、経済を左右しています。彼らが自分で判断するのは、靖国神社参拝のような、アジアとの関係で開き直るときだけです。
今日の小泉政権に典型的な対米追随・アジア蔑視の「伝統」は、脱亜入欧の延長上にあるとともに、第二次大戦後に新たに形成されてきた政治配置と歴史意識です。
第二次大戦の敗戦と占領、サンフランシスコ講和条約、日米安保条約、冷戦終結後の日米関係といった要因に規定されて、戦後日本は「アメリカの影」の中で生きることになります。換言すれば「アメリカの核の傘の下」です。基本がここにありますから、アジア蔑視はメダルの裏側ということになります。対朝鮮半島、対中国、そして対アジアのそれぞれの「気分」や「表現様式」は異なりますが、底流は同じといってよいでしょう。
半世紀に及んだ対米追随・アジア蔑視の「伝統」は、今日では、経済的にはグローバリゼーションのもとの日米関係、国際政治的には「テロとの戦い」の日米同盟関係(実際には対等の同盟ではなく、親分子分関係)として進行しています。アフガニスタン戦争における米軍支援、イラク戦争における自衛隊派兵は、親分の手のひらで踊る子分の存在形態をよく示しています。
このような現代日本国家と社会のあり様を、もう一度、植民地主義と“自己植民地主義”の文脈に据え直して考えてみたいと思います。
第一に、日本国家の対外政策は、何よりも対米追随路線として邁進することになります。政治および経済の領域では、日米関係は国際関係でも同盟関係でもなく、支配・従属関係といったほうが適確に理解できるとさえ考えられます。
それは極論であるとの批判もあります。特に、日本資本主義はそれなりに自己の利益を追求して行動しているのだという批判です。しかし、これでは反論とはいえません。日本資本主義がその利益に従って行動しているのは事実でしょう。問題は、日本資本主義の利益の具体的形態と内容は何によって規定されているのか。それは日本資本主義によって規定されているのかということです。資源の配分や市場の獲得という点に着目しても、アメリカ資本主義によって基本的な内容が規定されていることは明瞭です。
同様に、日本資本主義の利害がアメリカ資本主義の利害に抵触した場合に、日米間に帝国主義国家間の対立という形で先鋭化するかという問題も指摘できます。そうならないのはなぜか、明らかでしょう。
第二に、日本国家の対米追随は、経済関係にも見られるわけですが、それ以上に米軍基地再編問題にこれ以上ないほど明白にあらわれています。米軍基地再編の起動要因、その青写真形成、その具体的プラン、その経費に至るまで、すべてがアメリカ単独で準備・計画・立案され、結論が日本政府に上から押し付けられます。日本政府はアメリカの言いなりになるしかありませんから、政府が考えることは国民をいかにごまかすか、自治体をいかに黙らせるかしかありません。昔はマスコミをいかに黙らせるかが第一でしたが、最近ではマスコミは政府の広報機関と化していますから、そう苦労はありません。
第三に、アジア政策は、対米追随とセットになっている面と、相手であるアジア諸国との歴史的関係や現在の利害関係などさまざまな要因に規定されています。そうした中で非常にわかりやすい形で政治問題となったのが首相の靖国神社参拝問題です。小泉首相の特異性が指摘されることもありますが、そういう理解では不十分です。小泉首相の行動や発言の異様さはたしかにその特異性をうらづけるものですが、そもそも首相の靖国神社参拝問題は中曽根内閣以来ずっと続いてきた政治問題です。
従って、靖国神社参拝問題は日本政治の本来の問題として位置づける必要があります。ここでは、一つには、すでに指摘され尽くしているように、日本の戦時体制、戦争国家づくりとの関係があります。右傾化、ナショナリズムとして指摘されてきたことや、監視社会化の問題もつながっています。二つには、過去の戦争への開き直り、戦後補償の否定という欲求があり、歴史の偽造につながっています。戦争被害者への侮辱、とくに日本軍性奴隷制の被害女性に対するセカンドレイプ発言が飛び出します。三つには、靖国神社参拝は日本政治にとっての“代償行為”でもあります。ほかでは自分たちの思うようにならない、思うようにできない、言いなりにならなければならない、その状況から逃れるためです。四つには、対米追随との関係で言えば、“抑圧移譲”の機制を指摘できます。アメリカの言いなりになっている自分への自信回復、安定化のために、下にいるはずの他者への“抑圧移譲”を行なっているのです。だから、「心の問題」などと言い訳をしているにもかかわらず、取り巻きを連れ、マスコミを率いて大々的に参拝するのです。政治的パフォーマンスを通じて自己の“素晴らしき伝統、歴史、記憶”を心情において再形成する試みです。
第四に、日本政府の国内政策も同様のゆがみを生じざるを得ません。対米追随とアジア蔑視の対外政策が国内問題に転化します。経済政策や政治改革自体がアメリカ由来です。文化やITも含めて、アメリカナイゼーションに引き裂かれた日本が、孤独に、不安定に(しかし一部政治家と官僚の心情においてはおそらく、堂々と)、佇んでいるのが現状といえましょう。
日本社会の再編は、財政改革や金融改革だけではありません。地方自治体の強引な合併に見られるように、地域で、至るところで「改革」が進行しています。
さらに、監視社会化の進行があります。住基ネット、監視カメラ、生活安全条例、ぽい捨て条例、禁煙条例、共謀罪法案、越境組織犯罪対策、入国管理法改悪、ICカードによる管理という具合に、権力による監視の網の目が急速に整備されています。
しかも、多くの市民がそのことに疑問を持っていない。便利になる、清潔になる、サービスが迅速になる、と思い込んでいるのです。現代日本社会では、権力による監視は、必ずしも国家、警察、税務所といった国家暴力装置による監視だけを意味していません。各地の自警団、町内会による監視、住民自治の名による監視、銀行や商店街やコンビニの監視カメラなど、監視する市民と監視されたがる市民による“双方向監視社会”が完成に向かっています。
“植民地になりたがる政府の監視されたがる市民”は、尊大でありながら卑小であり、豊かでありながら貧しく、内向きでありながら他者に対して不思議に攻撃的にもなります。“自己植民地主義”に反省のない社会は、自己責任による上昇と、他者への侮蔑を内面に蓄積していきます。国内においても対話や連帯ではなく、自己防衛と他者糾弾のメンタリティを育みます。対外的には、歴史の暗殺、和解の拒否、責任のすり替え、排外主義、人種差別に豊かなスペースを用意することになります。
ヘイト・クライム(7)
在日朝鮮人社会科学協会セミナーにおける講演原稿
(後に加筆訂正の上『非国民がやってきた!』耕文社、2009年に収録)
内から見た日本
――日本における植民地主義と“自己植民地主義”
1 植民地主義と“自己植民地主義”
「日本における植民地主義と“自己植民地主義”」という副題を掲げました。“自己植民地主義”というのは聴きなれない言葉です。社会科学的な用語ではありませんが、今日の報告では植民地主義と“自己植民地主義”の相克という観点から現代日本について考えてみたいと思います。
まず「日本における植民地主義」については説明するまでもありません。近代日本が蝦夷、琉球を手始めに、台湾、朝鮮、そしてアジア各地へと触手を伸ばしていった植民地化の歴史を追跡することはここでは割愛します。
ただ、確認しておきたいのは、「歴史としての植民地主義」とは区別される意味で「意識としての植民地主義」、あるいは「現在の植民地主義」について検討しなければならないことです。
換言すれば、植民地支配や戦争の歴史についての認識ですが、植民地支配や戦争への反省の欠如、従って植民地意識の残存という問題があります。日本が「脱植民地化過程」をどのように潜り抜けてきたのか、あるいは潜り抜けてこなかったのかという問題です。
そのことが、戦後における植民地意識の再生産を見事に現実化させたわけで、人種差別、排外主義も含めて、長い間、日本社会の根底に潜み続けてきました。
いま「日本社会」と言いましたが、私の報告では、日本国家と日本社会とを相対的に区別します。しかし、言うまでもなく両者は区別されるべきものであると同時に、容易に切り離すことのできない、密接な連接を有する存在です。植民地主義という問題圏において、日本国家と日本社会とがどのような構制で語られるべきなのかも注意していきたいと思います。
戦後において再生産されてきた植民地意識はそのものとして「ある」わけですが、さらに私
たちは、現在において、東アジアの新しい情勢の中でつくられている植民地主義も見ておく必要があります。アジアにおける「権益擁護」論という形の植民地主義でして、在外邦人ではなく、在外「法人」を守るための戦略的思考なるものがそれです。
さらに言えば、今日では「ライバルとしてのアジア」という現実が見えてきているだけに、かつて見下し、支配してきたアジアがライバルと化しつつあることから、もう一つゆがんだ植民地主義が登場してきていると考えられます。
次に“自己植民地主義”です。この奇妙な言葉で表現しようとしているのは、もちろん戦後、現在にまで至るアメリカによる「日本植民地化」と、それに対応する日本社会の意識のことです。
歴史的には明治以来の脱亜入欧の近代があり、昭和における「近代の超克」の失敗が続くわけですが、その結果として米軍による占領と民主化と安定の歴史を迎えることになります。連合国による占領といっても実態はアメリカによる単独占領に近かったわけですし、日本社会の受け止め方もそうでした。しかも、自由の指令、憲法改正をはじめとする戦後改革、まぶしすぎるほどのアメリカ文化の流入などにより、自由と民主主義を与えられた日本社会は、それまでの“鬼畜米英”から、ひたすらアメリカ・ファンクラブへと見事に転進したわけです。
自由や民主主義や文化だけに着目すると本当のところが隠されてしまうわけで、実際には日米安保条約の縛りがあるのです。日米安保条約の半世紀を経て、アメリカ抜きに自立できない国家が完成し、対米追随の社会意識が定着してきました。しかも、そのことを日本社会は疑いを持たず、むしろ歓迎しているほどです。沖縄をはじめとして迷惑施設を押し付けられた地域は別として、日本社会はアメリカの“植民地になりたがる精神”に充満しているのです。
植民地主義と“自己植民地主義”の相克、葛藤――その歴史的意味を見定めることが私の報告の課題です。ただ、果たして両者は相克、葛藤しているのか。それとも単にすれ違っているのかも、なお疑問として残っているのが実情です。
しかし、日本社会の意識という面だけではなく、より大きな視野で、五〇〇年にわたる近代のプロジェクトとしての世界分割を経て、世界的に続けられた脱植民地化過程――宗主国の脱植民地化過程と被植民地国の脱植民地化過程、そして「新植民地主義」までを含めて見通しながら考えておく必要があります。
二〇〇一年八月末から九月初旬に南アフリカのダーバンで開かれた人種差別反対世界会議は象徴的でした。私は他のNGOメンバーとともに、「ダーバン二〇〇一日本委員会」としてこの会議に参加しました。
ダーバン会議は国連主催の三回目の人種差別反対世界会議でした。最初の二回は旧宗主国側と旧植民地側との見解が先鋭に分かれたために、結局のところ成果を挙げることができなかったのですが、三回目のダーバン会議において、ようやく植民地時代の反省が正面から議論されました。ダーバンに集まった多くのNGOや、アフリカ、カリブ諸国は植民地支配の清算を求めてさまざまな活動を行ないました。政府間の本会議では、アフリカ・カリブ諸国がケニア政府などを先頭に団結して植民地支配の責任を追及しました。これに対してJUSCANZグループ(日本、アメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド)が、何とか調整しようとしたのです。植民地支配の最大の責任者であるイギリス、オランダ、ベルギー、スペイン、ポルトガルなどはJUSCANZグループの後ろに隠れていました。日本政府がむしろ先頭に立っている有様でした。二転三転した結果、二〇〇一年九月八日にまとめられたダーバン宣言と行動綱領は、植民地時代における奴隷制は人道に対する罪に当たることを認めるが、その補償を義務付ける文言は含めない形で決着を見ました。
妥協の結果とはいえ、国連の歴史上初めて、奴隷制は人道に対する罪であったと認めたことは大きな前進でした。ところが、その三日後、私が帰国して時差ぼけで熟睡している間に、ニューヨークで世界貿易センタービルが崩壊し、ブッシュ大統領の「テロとの闘い」と称する「宗教戦争」「人種差別戦争」が噴出することになったのです。ここから「新植民地主義」がひそかに胚胎していきます。五〇〇年にわたる近代のプロジェクトの犯罪性の確認からわずか三日後に、歴史は暗転したのです。
五〇〇年の歴史をここで振り返る余裕はもちろんありません。問題点を指摘するにとどめますが、日本における植民地主義の両義性、そのねじれを見ていきたいと思います。おそらく、この両義性は、日本社会にとっては“複雑骨折”とでもいった表現が的確なのではないかと考えていますが。
ヘイト・クライム(6)
『週刊金曜日』597号(2006年3月)
日本には人種差別がある
国連人権委員会特別報告者、日本政府に勧告
昨年七月に来日した国連人権委員会の人種差別に関する特別報告者の報告書が公表された。報告書は、日本政府に対して、人種差別禁止法を制定すること、人権委員会を設立することなど多くの勧告を行なっている。
人種差別の隠蔽を批判
「日本政府は、日本社会に人種差別や外国人排斥が存在していることを公式に表立って認めるべきである。差別されている集団の現状を調査して、差別の存在を認定するべきである。日本政府は、人種差別と外国人排斥の歴史的文化的淵源を公式に表立って認め、人種差別と闘う政治的意思を明確に強く表明するべきである。こうしたメッセージは、社会のあらゆる水準で人種差別や外国人排斥と闘う政治的条件をつくりだせるのみならず、日本社会における多文化主義の複雑だが意義深い過程を促進するであろう。」
今回公表された報告書は、日本政府に対して、もっとも根本的なレベルからの勧告を行なっている。というのも、人種差別の事例を一つひとつ指摘したり、その克服のための提言をしているだけではない。何よりもまず日本政府が日本に人種差別のあることを認めるように迫っているのである。このことの意味は大きい。なぜなら、日本政府は従来、日本社会に人種差別が根強く存在することに光を当ててこなかった。それどころか、人種差別の存在を隠蔽したがっていると疑われるような姿勢をとってきたからである。
毎年ジュネーヴ(スイス)の国連欧州本部で開かれてきた国連人権委員会や人権促進保護小委員会、日本政府報告書を審査した二〇〇一年三月の人種差別撤廃委員会、同年八月にダーバン(南アフリカ)で開かれた人種差別反対世界会議――これらの国際会議に参加してロビー活動を展開してきたNGOにとっては、人種差別が現に存在することを日本政府に認めさせるためにエネルギーを使い続けてきたのが実情なのだ。
特別報告者の勧告は、人種差別を隠さずに認めて、その克服のために国際社会並みのスタートラインに立つことを日本政府に求めている。日本社会構成員の九八%以上が日本人であり、圧倒的多数を占めているため、差別される側の痛みを理解しない社会意識が根強い。政府が的確に事実を認識して人種差別対策を行なわなければ、被害者の声が掬いとられることがない。
国連人権委員会の特別報告者が日本の人権問題について報告書をまとめたのは、一〇年前のラディカ・クマラスワミ「女性に対する暴力特別報告者」による『日本軍「慰安婦」に関する報告書』(一九九六年)以来二度目のことである。
報告書の正式名称は『人種主義・人種差別・外国人排斥・関連する不寛容の現代的諸形態に関する特別報告者ドゥドゥ・ディエンの報告書:日本訪問』(E/CN.4/2006/16/Add.2)である。ディエン特別報告者は、二〇〇五年七月三日から一一日にかけて来日し、大阪、京都、東京、北海道および愛知を訪問した。日本政府の外務副大臣、関連省庁担当者、裁判官、および大阪・京都・東京・札幌の自治体関係者と面会した。また、日本弁護士連合会を含む多くのNGOメンバーと会合を持った。その上で作成された報告書だが、残念ながら東京都知事には会えなかったとわざわざ明記されている。国際的に有名な差別主義者の都知事に面会したかったのであろう。
差別禁止法を求める
ディエン報告者は、日本における人種差別の現状を分析し、日本政府の政策や措置も検討した上で、二四ものパラグラフに及ぶ勧告を行なっている。特に強調されているのが、人種差別が存在することを公的に認め、人種差別を非難する意思を明確に表明し、人種差別と闘うための具体的措置をとること、従って、そのために人種差別禁止法を制定することである。
「日本政府は、自ら批准した人種差別撤廃条約第四条に従って、人種差別や外国人排斥を容認したり助長するような公務員の発言に対しては、断固として非難し、反対するべきである。」
都知事をはじめとする政治家による差別発言や暴言の数々はいまや国際的にも知られている。
「日本政府と国会は、人種主義、人種差別、外国人排斥に反対する国内法を制定し、憲法および日本が当事国である国際文書の諸規定に国内法秩序としての効力を持たせることを緊急の案件として着手するべきである。その国内法は、あらゆる形態の人種差別、とりわけ雇用、住居、婚姻、被害者が効果的な保護と救済を受ける機会といった分野における差別に対して刑罰を科すべきである。人種的優越性や人種憎悪に基づいたり、人種差別を助長、煽動するあらゆる宣伝や組織を犯罪であると宣言するべきである。」
勧告は、二〇〇一年の人種差別撤廃委員会の日本政府に対する勧告を引用して、人種差別禁止法の制定を呼びかけている。人種差別撤廃委員会において、日本政府は「日本には処罰する必要のある人種差別は存在しない」と述べて、顰蹙を買った。
日本政府は人種差別禁止条約を批准した際に、人種差別行為を犯罪とする内容を規定した条約第四条(a)(b)の適用を留保した。これに対して、人種差別撤廃委員会は、日本政府の留保は条約の基本的義務に合致しないと指摘した。特別報告者も同様の指摘をして、人種差別禁止法の制定を求めている。
日本政府は、表現の自由を根拠に人種差別の処罰は困難であると述べて世界を驚かせた。アメリカ、イギリス、フランス、ドイツをはじめ世界中で多くの諸国が何らかの形で人種差別を禁止し処罰している。これらの国には表現の自由がないのだろうか。人種差別撤廃委員会は、人種差別表現の自由などというものは認められないと指摘した。それから五年、特別報告者の勧告も同じことを述べているが、日本政府の姿勢に変化は見られるだろうか。
勧告を手がかりに
ディエン報告者は、差別を受けている被害グループそれぞれについて現状を分析し、NGOが提供した情報を吟味して、様々の勧告を記している。
就職や各種のサービス業において差別をするために個人の出身地に関するリストを作成することを禁止する法律を制定すること(いわゆる「部落地名年鑑」を想定している)、人種差別を明確に禁止した人権憲章を制定すること、独立した平等・人権国内委員会を設置すること、その委員について国籍条項を設けないこと、ダーバンで開かれた人種差別反対世界会議で採択された「ダーバン宣言と行動計画」に基づいて人種差別と闘うための国内行動計画を策定すること。
少数者や近隣諸国の関係者の歴史を客観的かつ正確に反映するように、歴史教科書を見直すこと。被差別部落民、アイヌ、沖縄人、在日コリアン、在日中国人の歴史や文化を教科書に記述すること。記述に当たっては、長い視野で歴史を捉え返し、差別の起源を明らかにすること。植民地時代や戦時における日本の犯罪、特に「慰安婦」制度の事実と責任を記述すること。
アイヌを先住民族と認めて、国際法に従って先住民の権利を承認すること。先住民族に関するILO条約を批准すること。アイヌの鮭の漁業権を認めること。少数者の代表を国政に送るために国会にアイヌや沖縄人の代表割当制を採用すること。アイヌの独立メディアを創設すること。沖縄の米軍基地による人権侵害を徹底調査し、その結果生じている差別について監視すること。
朝鮮学校など外国人学校に対する差別的処遇を撤廃すること。補助金などの財政援助を行なうこと。大学受験資格を認めること。朝鮮学校生徒に対する差別と暴力を予防し、処罰すること(いわゆる「チマ・チョゴリ事件」を念頭においている)。国民年金から排除されている朝鮮人高齢者を救済すること。ウトロに居住する朝鮮人の生活と居住を保障する措置をとること。
国営メディアは、社会に多元主義を反映するように、少数者に関する番組により多くのスペースを割くこと。外国人に対して雇用、居住などの権利や自由を保障すること。外国人に対する偏見を予防するために文化政策(文化間・宗教間の対話等)をとること。
勧告は日本政府だけに向けられたものではない。
人種差別禁止法の制定にあたっては、関連するコミュニティが制定過程に参加することが求められる。差別されている諸グループは、互いに連帯の精神をもって行動し、多元主義社会を達成するために互いに援助しあうことが求められる。
人種差別の克服は、人種差別撤廃条約を批准した日本政府の責務であるが、同時に日本社会構成員の責務でもある。差別被害を訴えている当事者をよそに、差別の存在を否定する政府。フランスにおける暴動や、イスラム教風刺漫画による世界の混乱は大々的に報道するが、日本の中の差別には無関心なメディア。被害者が普段はなかなか「見えない人」であるがゆえに「見ようとしない」私たち多数者の日本人。
ディエン報告書は、「見えない問題」が実は私たちの周囲に確実に存在していることを教えてくれる。そして「差別問題」が差別される側の問題である以上に、差別する側の問題であることに気づかせてくれる。
差別のない社会はない。だからといって、差別は仕方のないものではない。少数者に対する差別を放置していることは、九八%の多数者の人間の尊厳を自ら傷つけることでもある。ディエン報告書を手がかりに、日本社会における人種差別との闘いを活性化していくことが私たちに求められている。
ヘイト・クライム(5)
『救援』452号(2006年12月号)
ヘイト・クライム(憎悪犯罪)(五)
ヘイト・クライム法
ホール『ヘイト・クライム』第六章は、ヘイト・クライム対策法を取り上げる。ジェイコブとポッターの『ヘイト・クライム』(オックスフォード大学出版、一九九八年)によれば、アメリカのヘイト・クライム法は四つに分類される。①犯罪が憎悪の動機による場合に刑罰を重くする法、②犯罪的行動を新しい犯罪として定義づける法、③特に公民権問題に関連する法、④ヘイト・クライムの報告・データ収集に関連する法、である。ホールはこの分類を参照しながら、アメリカの法律を順次紹介している。
一九六八年の公民権法は、現在のヘイト・クライム法の触媒となった。人種、皮膚の色、宗教、国民的出自のゆえに暴力や威嚇によって、選挙権、教育権、雇用の権利などの権利に介入することを禁止している。ヘイト・クライムそのものを対象にした法ではないが、ヘイト・クライム予防に関連すると理解されてきた。
一九九〇年のヘイト・クライム統計法は、アメリカ司法省をはじめとする法執行機関が、ヘイト・クライム情報を毎年収集し、公表すると定めた。人種、宗教、性的志向、民族によって動機づけられた犯罪に関連する情報を収集するもので、謀殺、故殺、強姦、暴行、傷害、放火、器物損壊などについて調査する。それによって、①刑事司法制度がより効果的にヘイト・クライムに対処できる、②法執行官がヘイト・クライムに敏感になる、③一般民衆がヘイト・クライムに関心を持つ、④アメリカ社会に「ヘイト・クライムに寛容であってはならない」というメッセージを送る、と期待された。
一九九四年の女性に対する暴力法は、被害者のジェンダーによって動機づけられた犯罪は、ジェンダーに基づく差別からの自由という被害者の権利を侵害する犯罪であるとした。これによってヘイト・クライムのカテゴリーに初めてジェンダーが導入された。
一九九四年のヘイト・クライム重罰化法は、犯行者が、被害者の人種、宗教、皮膚の色、国民的出自、民族、ジェンダー、傷害または性的志向に対する偏見によって犯行を行なったことが証明された場合、量刑を三〇%重くすることができるとした。
一九九六年の教会放火予防法は、宗教上の対立や偏見から教会・礼拝所に対する放火事件が続発したため、教会放火の量刑を加重するとともに、被害を受けた教会再建のために連邦がローンの保証をすることにした。
一九九九年のヘイト・クライム予防法は、上院を通過したが、下院を通過していない。ヘイト・クライムを重罪とし、訴追における連邦検事局の権限を強化する法律である。
州法に眼を転じると、ヘイト・クライム法において、年齢に関する規定(四州)、暴行傷害(四五州、コロンビア特別区)、民事訴訟(三〇州等)、情報収集(二三州等)、ジェンダー(二五州等)、制度的蛮行(四二州等)、人種、宗教、民族集団(四三州等)、性的志向(二八州等)の規定がある。
もっとも、ヘイト・クライム法に対してアメリカでもイギリスでも、理論的批判や実務的批判が生まれているという。法律を制定したからといってヘイト・クライムがなくなるわけではない。法律に対する反発を生じることもあるし、実務が十分に法律を適用しないこともある。表面だけ取り繕って、かえって密行化することもある。
とはいえ、ヘイト・クライム統計法を制定して、実態を明らかにした上で必要な立法の検討を行う手順は参考になる。
日本の人種差別
一一月六日、国連総会第三委員会において、ドゥドゥ・ディエン「人種差別問題」特別報告者が報告書のプレゼンテーションを行い、その中で日本における人種差別に言及した。
「国連人権委員会への公式訪問報告書において、特別報告者は、人種差別および外国人嫌悪が存在し、三種類の被差別集団に影響を及ぼしていると結論づけた。三種類の被差別集団とは、ナショナル・マイノリティ(部落の人びと、アイヌ民族、沖縄の人びと)、かつての日本の植民地出身者およびその子孫(コリアン、中国人)、ならびに外国人・移住労働者である」(「人種差別撤廃NGOネットワーク」の情報による)。
そして、日本には人種差別が存在すると認めること、それと闘う政治的意思を表明すること、人種差別禁止法を採択すること、および国内人権委員会を設置することを勧告した。
しかし、日本政府は、これらの勧告を拒否している。マス・メディアもまったく報道しようとしないため、日本国内ではほとんど知られていない。ディエン報告書は二〇〇六年三月の国連人権委員会に提出されたが、ほとんど報道されなかった。報告書については、前田朗「日本には人種差別がある――国連人権委員会が日本政府に勧告」『週刊金曜日』五九七号参照。二〇〇六年九月一八日、ディエン特別報告者は、国連人権理事会におけるプレゼンテーションの際にも日本における人種差別の存在を指摘したが、これも日本のメス・メディアでは報道されなかった。この点につき、前田朗「ミサイル実験以後の在日朝鮮人への人権侵害」『世界』七五八号参照。そして国連総会での報告である。それでも日本のメディアは報道しようとしない。取材していないわけではない。知らないわけでもない。ジュネーヴの国連欧州本部にも、ニューヨークの国連本部にも、日本の主要メディアは常駐して、取材しているし、国連のプレスリリースが直ちに送られてくるから、記者たちが知らないということは考えられない。そもそも記事を書いていないのか、書いてもデスクが潰すのかは知らないが、典型的な「マスコミ・ブラックアウト」である。
日本政府は人種差別の実態を調査しようともせず、「深刻な人種差別はないから人種差別禁止法は必要ない」と断言する。マス・メディアは、日本の人種差別が国連総会で取り上げられても報道しない。日本に生まれ育った日本国籍日本人は、国内では人種差別されることはないから、関心を持たない。現実に被害者がいるのに平気で無視する。それが人種差別の上塗りであることに気づこうとしない。NGOがディエン特別報告書を精力的に活用して日本社会の意識を変えていく必要がある。
ヘイト・クライム(4)
『救援』451号(救援連絡センター、2006年11月号)
ヘイト・クライム(憎悪犯罪)(四)
犯罪学の失敗
ホール『ヘイト・クライム』第五章はヘイト・クライム犯罪者の分析を試みている。ベン・ボウリングによると、イギリスで人種差別を犯罪として研究するようになったのは一九八〇年代からで、きっかけは一九八一年のブリクストン暴動の発生や同じ時期の被害者学の発展であったという。バーバラ・ペリー『憎悪の名において――ヘイト・クライムを理解する』(ルートリッジ出版、二〇〇一年)によると、アメリカでもヘイト・クライムは「新しい」現象と理解された。ホールは偏見がいかにして否定的な行為に転換するのかを犯罪学は説明できなかったという。ペリーも犯罪学はヘイト・クライムを説明してこなかったという。歴史的には、マートンの緊張理論が最初の説明であった。マートンによると、犯罪は西欧社会における成功目標と、目標達成のために個人に与えられている手段との間の不適合である。この理論がヘイト・クライムに適用され、例えば「外国人」によって仕事や社会的資源が奪われたとか、「アウトサイダー」によって経済的安全が脅かされたと考えた者による犯罪という説明がなされた。目標達成の正当な手段に対する脅威への反応である。この説明を支える実証研究もなされた。
しかし、ヘイト・クライムは緊張が生じた時期や緊張がもっとも激しい時期に起きるとは限らない。ヘイト・クライム被害者は圧倒的に少数者であることが多く、社会にさほどの経済的影響を与えるわけではない。加害者側もあらゆる階層にわたっている。ペリーによると、ヘイト・クライム犯罪者には、社会において比較的権力の地位にある者が含まれ、その地位が脅かされていない。それどころか権力の最高の地位にある者がヘイト・クライムを犯してきた。それゆえマートン理論はヘイト・クライムを説明できない。そこでペリーは「差異」に着目する。性別、人種、ジェンダー、階層などのヒエラルキーを構成する差異の観念が、差別現象には深く埋め込まれている。差異は社会的に構成されたもので時と場所によって変化する。差異はその前提として「所属」を仮設する。境界が固定され、相互浸透性がなく、構成員は所与のものであり、選択できないとされる。こうした分割のもとでアイデンティティが構成される。差異の上に支配的な規範が形成される。西欧社会における白人、男性、キリスト教徒、裕福という標識が確立し、支配と権力の「神話的規範」となる。差異が優位性や従属性の階層構造を生み出す。この構造が、労働、雇用、政治、性別、文化を通じていっそう強められる。ヘイト・クライムは社会における従属集団がよりよい地位を得ようとして優位・劣位の「自然な」関係を脅かすと、支配を再確立しようとして用いられる「道具」である。ヘイト・クライムは権力構造に深く根ざした抑圧の文脈で理解することができる。
しかし、ホールは疑問を呈する。ペリーの権力理論は個人の犯罪者と被害者との関係の複雑性を覆い隠すのではないか。権力理論が正しいならば支配集団構成員だけがヘイト・クライム犯罪を行なうはずであるが現実は違う。少数集団だけが被害者になるはずだが違う。権力理論では、犯罪者がどう考えているのか、被害者がどう感じているのか、誰が犯罪者になりうるのかを説明できない。権力の考察は重要だが、人間感情や人間行動を多面的に検討する必要がある。
研究の進展
ペリーの問題提起以後、ヘイト・クライム研究が盛んになった。ケリーナ・クレイグ「憎悪に基づく攻撃の研究」『攻撃と暴力行為』七号(二〇〇二年)は、規律と攻撃についての象徴的効果に着目して被害者集団の行動様式の変動を俎上に乗せつつ、犯罪者については社会、心理、政治、文化的な諸要因の総合研究を展開した。
レー・シビット『人種ハラスメントと人種的暴力の犯罪者』(内務省、一九九七年)は、ロンドンにおける人種暴動の研究をもとに、社会的文脈と個人の心理的要因の相互作用に焦点を当て、コミュニティにおける犯罪者の類型化を試みる。人種主義犯罪者は年齢も性別も問わないが、年代や性別によって犯罪化要因が異なる可能性を指摘する。年代別、犯罪表出のタイプ別の研究がめざされる。
マクデヴィット、レヴィン、ベネット「ヘイト・クライム犯罪者」『社会問題雑誌』五八巻二号(二〇〇二年)は、ボストンでの犯罪者、被害者、警察官への調査に基づいて類型化を試みている。①スリル、②防御、③報復、④使命の四つの性格づけと、犯罪者が単独か集団か、年齢、場所(被害者の領域か犯罪者の領域か)、武器・手段、被害者歴、偏見の有無、抑止などとを交差させている。
バイアー、クライダー、ビッガース「偏見犯罪の動機」『現代刑事司法雑誌』一五巻一号(一九九九年)は、サイクスとマッツァの理論を応用して、犯罪者が自己の行為を正当化する論理、手法を解明しようとした。アーミッシュに対するヘイト・クライムでは「中立化の手法」が用いられ、①傷害の否定(実害はないじゃないか)、②被害の否定(現実の被害者の無視)、③より高い忠誠(自分が属する集団の安全という言い訳)、④非難者に対する非難(被害者と称する者こそ犯罪者だ)、⑤責任の否定(他の諸事情への仮託)が試みられる。
ホールは、ヘイト・ク










