Sunday, May 26, 2019

鹿砦社・松岡利康さんへの返信


松岡利康さん



お手紙ありがとうございました(2019年5月22日に落手しました)。

「デジタル鹿砦社通信」の記事「カウンター大学院生リンチ事件前田朗教授の豹変(=コペルニクス的転換)に苦言を呈する! 鹿砦社代表 松岡利康」(2019年5月23日)も拝見いたしました。

【カウンター大学院生リンチ事件】前田朗教授の豹変(=コペルニクス的転換)に苦言を呈する! 鹿砦社代表 松岡利康




数々のご指摘ありがとうございます。「公開質問状(あるいは公開糾弾状)」をいただきましたので、私なりのお返事を、公開で、差し上げたいと存じます。



直接の話題となっているのは、本年1月に出版した私の『ヘイト・スピーチ法研究原論』、及び6月7日に大阪で開催予定の「ヘイト&組合弾圧」と闘うための大学習会です。問われている実質的な内容は、「リンチ事件」に関連する私の文章(救援連絡センター機関紙「救援」記事)と、上記2件との関連です。私が「豹変(=コペルニクス的転換)」したのではないかとのご指摘をいただきました。



ご指摘にお答えするためには、単に「救援」記事での発言と上記2件との整合性を示すだけでは不十分であり、私の研究及び実践の基本的立場をご説明する必要があります。そこで以下では次の順で説明させていただきます。やや長くなりますが、ご理解願います。

1 私の基本的立場――研究及び実践のスタンス

2 「リンチ事件」に関する認識

3 『原論』における謝辞

4 戸田ひさよしさんのこと

5 最後に



1 私の基本的立場――研究及び実践のスタンス



鹿砦社と松岡さんに長い人生経験、闘争経験、出版の歴史があるように、私にも私なりの経験があります。そのすべてをご説明することはとうてい不可能ですが、ごくかいつまんで重要な部分を摘示させてください。

私のもともとの専攻は刑事法学であり、日本民主法律家協会や青年法律家協会(東京支部)で活動していましたが、以下ではヘイト・スピーチ関連に限定します。



(1)   1989年

1989年春に私は、研究者や弁護士などの仲間とともに「在日朝鮮人・人権セミナー」というグループを旗揚げしました。呼びかけ人は社会学・人類学者の鈴木二郎(東京都立大学名誉教授)、実行委員長は床井茂(弁護士)、事務局長は私です。きっかけは1988年12月に世界人権宣言40周年記念集会を開いたことでした。人権セミナー発足直後の1989年春、公安当局は朝鮮学校に対する弾圧、違法捜査の挙に出ました。引き続いて朝鮮学校の児童・生徒たちに対する差別と暴力が吹き荒れました。そこから私たちの多忙な日々が始まりました。被害生徒たちへの聞き取り調査を行い、社会的にアピールし、事件のビデオ映像を作りました。活動の一部は後に、床井茂編『いま在日朝鮮人の人権は』(日本評論社、1990年)にまとめました。

1994年春にもふたたび朝鮮学校に対する弾圧、嫌がらせ、脅迫電話が殺到し、児童・生徒に対する暴力事件が多発しました。私たちは被害調査を実施し、朝鮮人学生に対する人権侵害調査委員会編『切られたチマ・チョゴリ』(1994年)というブックレットを出版しました。1998年にも全く同じ事態が生じたため、私たちは『再び狙われたチマ・チョゴリ』(1998年)というブックレットをつくりました。以上の調査活動をもとに、在日朝鮮人・人権セミナー編『在日朝鮮人と日本社会』(明石書店。1999年)をまとめました。これが、私がヘイト・クライム/スピーチ研究にのめりこむことになった出発点です。

日本国家が在日朝鮮人に暴力的に襲いかかり、日本社会が排除と差別を実践する異様な時代が続きました。国内でいくら訴えてもらちがあきません。そこで私たちは国際人権機関に訴える途を模索しました。最初は、市民的政治的権利に関する国際規約に基づいて設置された人権委員会(国際自由権委員会)に手紙を出して情報提供しました。続いて1994年8月、ジュネーヴの国連欧州本部で開催された国連人権委員会・差別防止少数者保護小委員会に参加して、事件を報告しました。その後、国連人権委員会、及び同小委員会に毎年のように参加して、在日朝鮮人の人権(差別と暴力、朝鮮学校卒業生の大学受験資格問題、看護師受験資格問題、高校無償化除外問題)を訴え続けてきました。国連人権理事会、国際自由権委員会、人種差別撤廃委員会、子どもの権利委員会などに四半世紀通ってきました。

1991年当時、JR各社が朝鮮学校生徒に通学定期券を発行することを拒否していたため、JRに要請行動を行いました。国会議員に協力をお願いして、国会質問をしてもらいました。JR電車通学をしていた静岡県内の子どもがいました。その祖父は強制連行されてトンネル工事に従事しました。孫は電車でそのトンネルを毎日通っていました。JRはこの孫に通学定期券を販売しません。とてもわかりやすい話なので、国会質問で取り上げてもらいました。1991年6月のことです。この時に強制連行とは何かを勉強し、さらに「従軍慰安婦」についても国会質問で問い質してもらいました。これに対して労働省職業安定局長が「いわゆる従軍慰安婦につきましては民間の業者が連れ歩いたもので、日本軍は関与しておりません」と答弁をしました。これがニュースとなり、後にはソウルの金学順さんのカムアウトにつながりました。ここから内外での「慰安婦」調査が始まりました。

ですから、1990年代、国連人権機関に通った私は、1つは在日朝鮮人の人権、もう1つは「慰安婦」問題をテーマとして取り上げ続けたのです。本年3月の国連人権理事会でも同じです。私が関与した著書は、前田朗『戦争犯罪と人権』(明石書店、1998年)、『戦争犯罪論』(青木書店、2000年)、『ジェノサイド論』(青木書店、2002年)、『人道に対する罪』(青木書店、2009年)、さらに翻訳として、ラディカ・クマラスワミ『女性に対する暴力』(明石書店、2000年)、ゲイ・マクドーガル『戦時・性暴力を裁く』(凱風社、1998年)等です。

以上をまとめます。1989年以来、私の研究及び実践は、在日朝鮮人の人権(その最大のテーマがヘイト・クライム/スピーチ)と「慰安婦」問題でした。それ以前とは異なって、思いがけず、国際人権法という分野で活動し、発信するようになりました。



(2)   1999年

1999年4月、朝鮮大学校は政治経済学部に法律学科を開設しました。日本の法律を学び各種資格を取得し、あるいは朝鮮人同胞企業で活躍する人材を育てるための学科です。今年が20周年になります。一学年5~10人程度の超ミニ学科ですが、すでに20人を超える弁護士を輩出しています。

発足時の日本人教員は3人でした。憲法は「平和的生存権」という思想の開拓者である星野安三郎先生(東京学芸大学名誉教授)。民法は東京都知事選に立候補経験のある黒木三郎先生(早稲田大学名誉教授)。刑法は私です。それから20年、私はずっと朝鮮大学校非常勤講師を務めています。

この間、数多くの日本人が非常勤講師として朝鮮大学校で教鞭をとっていますが、対外的に公表しているのは例外的です。松岡さんならすぐにピンとくると思いますが、朝鮮大学校講師であることは公安当局による調査及び嫌がらせの対象となる危険性が高いからです。現に私は何度も調査されました(公然及び非公然の調査の両方を経験しました)。

いわゆる右翼と呼ばれる勢力から「忠告」や「挨拶」をいただいたことは何度もあります。勤務先に「前田を馘にしろ」という「要請」が届きます。

しかし、朝鮮大学校の学生は勉学意欲に富み、まじめで楽しい学生たちです。弁護士だけでなく、公認会計士、税理士、司法書士、大学研究者も育っています。彼らの勉学のお手伝いができることは、私にとって誇りですから非常勤講師を続けさせてもらっています。

2001年3月、人種差別撤廃条約に基づく人種差別撤廃委員会が初めて日本政府の報告書の審査を行いました。いくつものNGOの仲間達とジュネーヴに出かけて委員会でロビー活動をしました。同年8~9月、南アフリカのダーバンで、国連人権高等弁務官主催の反人種差別世界会議が開催されました。世界中から数万の人権活動家が集合しましたが、日本からも「ダーバン2001日本」と称して、共同で活動しました。ダーバンの経験は私の研究及び実践に根底的な影響を与えて今日に至っています。

ダーバン宣言及び行動計画




(3)   2009年

2000年代に入って、2002年の日朝会談以後、在日朝鮮人に対する差別とヘイトはいっそう悪質になってきました。2009年の京都朝鮮学校襲撃事件、これに続く徳島事件、新大久保ヘイト事件、川崎ヘイト事件のことは改めて説明するまでもありません。

第1に、私は直ちに京都朝鮮学校事件に抗議する集会を開きました。事件から2週間後です。周囲に相談する暇もなかったので、私個人主催でした。ここに在特会が押し寄せてきて大騒ぎになりましたが集会は無事開催できました。その翌週にやはり私主催で大阪でも抗議集会を開きました。

第2に、大急ぎで原稿を取りまとめて、『ヘイト・クライム』(三一書房労組、2010年)を緊急出版しました。正月休みに構想を立て1か月後には原稿を仕上げました。

第3に、関心を持つ研究者、弁護士、ジャーナリストなどの仲間とヘイト・クライム研究会を発足させました。当初は京都の龍谷大学で開きましたが、ヘイト・スピーチ法制定に向けたロビー活動にもかかわるため東京で開くようになりました。これまでに38回開催しています。ヘイト・クライム/スピーチに関する最重要の研究会と言ってよいでしょう。

4に、人種差別撤廃NGOネットワークも私に大きな影響を与えています。2001年のジュネーヴとダーバンでの活動をふまえて、その後、人種差別撤廃NGOネットワークを発足させました。人種差別撤廃委員会の日本政府報告書審査は、2001年に続いて、2回目が2010年、3回目が2014年、4回目が2018年に行われ、委員会は日本政府に対して数多くの改善勧告を出しました。ヘイト・スピーチ対策はその中核です。人種差別撤廃NGOネットワークの活動の成果です。

これらの活動を踏まえて、前田朗編『なぜ、いまヘイト・スピーチなのか』(三一書房、2013年)、『ヘイト・スピーチってなに?レイシズムってどんなこと?』(共著、七つ森書 館、2014年)、前田朗『ヘイト・スピーチ法研究序説』(三一書房、2015年)、木村朗・前田朗編『ヘイト・クライムと植民地主義』(三一書房、2018年)を世に問いました。



(4)   2019年

以上をまとめます。この30年間、在日朝鮮人・人権セミナーをはじめ、多くの諸団体と協力して、日本及び国連人権機関において、反差別と反ヘイトの活動をしてきました。その到達点が『ヘイト・スピーチ法研究原論』(三一書房、2019年)です。

これと並行して、ここ数年、植民地主義批判の研究を続けています。上記『ヘイト・クライムと植民地主義』に収録した「私たちはなぜ植民地主義者になったのか」、そして『さようなら!福沢諭吉』に連載中の「日本植民地主義をいかに把握するか」が中心ですが、その理論的基礎はダーバン宣言であり、「植民地支配犯罪論」です。植民地主義、人種主義(レイシズム)がヘイト・スピーチの培養器であることは言うまでもありません。

以上のように、反ヘイトの研究と実践は私の基本的立場であり、このスタンスは30年変わることがありませんでした。今後も変わることはありません。

私としては、以上で松岡さんからのご指摘へのお答えになっていると考えますが、個別の点についてもう少し具体的にご説明する必要があります。



2 「リンチ事件」に関する認識



松岡さんは一貫して「カウンター大学院生リンチ事件」という言葉を用いていますが、最初に確認しておかなければならないのは、「リンチ事件」そのものの存否です。

なるほど出来事の全体を見れば、リンチ事件があったと推測するのが自然なことでした。私もその疑いが高いことを前提に議論してきました。事件当時、私は事件の存在を知りませんでした。加害者とも被害者とも面識がありません。ネット上で話題になった時も関心はありませんでした。松岡さんから鹿砦社の本3冊をいただいたので、オンラインの情報をチェックし、一部の関係者に問合せをした上で、私自身の判断として「リンチ事件があった可能性が高い」と見ました。「救援」記事では、リンチ事件があろうと、なかろうと、関係者の対応には疑問があることを指摘しました。

しかし、刑事事件としては、実行犯は一人とされて、判決が確定しました。民事事件としても、同様の結論になったと言えます。「リンチ事件」という言葉が、複数犯によるリンチを指すとすれば、リンチ事件はなかったことになります。李信恵さんについて言えば、共謀はなかったし、不法行為もなかったことが裁判上確定しました。

松岡さんとしては、判決にはとうてい納得できないことと思います。民事訴訟の事実認定も法律論も奇妙な結論になっていると言わざるを得ません。私も判決には疑問を感じます。

しかし、双方の立証活動をふまえた上で裁判所が下した判断が確定したのですから、事件は単独犯の暴力事件であって、リンチ事件はなかったことを前提として議論しなければなりません。松岡さんが裁判所の認定を批判するのはもちろん自由ですが、その理屈を李信恵さんに差し向けるのは不適切です。

日本の裁判所はもともと特権の上に胡座をかいて、どんな杜撰な事実認定でも押し通してきましたし、こじつけの法律論が得意技です。そのことを承知の上で、裁判に訴えたのですから、結果が気に入らないからと言って自説に固執するべきではないでしょう。

その上で私の判断を申し上げますと、法的責任はないとしても、道義的責任は残り、かつ大きいはずだと考えます。その意味で「救援」記事を訂正する必要はありません。関係者の行動にはやはり疑問が残ると言わなければなりません。

「救援」記事に対して、松岡さんとは全く逆の立場から、私を非難してきた人物が数名います。中には私を「敵」として非難し、「おまえのような馬鹿はもう相手にしない」と罵倒する絶縁メールを30回も送りつけてきた人物がいます。返事は出していません。この種の人物に返事を出しても時間の無駄です。ただ、ここで紹介したのは、この人物と松岡さんには一つ共通点があるからです。それは「敵/味方」関係で物事を考えていることです。

私はもともと「敵/味方」関係で考えていません。上記のように、反差別と反ヘイトの研究と活動の仲間たちですから、その行動に疑問があると指摘しましたが、敵対関係ではありません。「敵」がいるとすれば、それは差別する権力、差別させる権力、差別を利用する権力です。

李信恵さんとは2度ほどお目にかかったことがありますが、ほとんど話をした記憶はありません。しかし、反差別、反ヘイトの闘いには敬意を表してきました。在特会裁判については、雑誌『マスコミ市民』に連載しているコラムで取り上げました。国連人権理事会にも報告しました。


まもなく出る『思想運動』という新聞でも反ヘイト裁判判決を取り上げています。

他方、「リンチ事件」と呼ばれた件における言動は厳しく批判される十分な理由があります。また、鹿砦社との間の名誉毀損事件も批判されるべきです。お互いに名誉毀損で訴え合っているわけですが、こうした行為の全体が反ヘイトの闘いの妨害になっています。残念です。

ちなみに、鹿砦社が勝訴した一審判決について短い文章を書きましたが、未公刊です。反ヘイト裁判をはじめ、裁判で連戦連勝してきた李信恵さんが名誉毀損訴訟で敗訴したことはニュース価値が高いにもかかわらず、マスコミが一切報じていないことは奇妙なことですので、その点を指摘する文章です。マスコミも関係者も、李信恵さんによる名誉毀損の事実を隠蔽しているのは疑問です。



3 『原論』における謝辞



『ヘイト・スピーチ法研究原論』「あとがき」における謝辞について一言述べておきます。そこで列挙した方々の多くが、上記のヘイト・クライム研究会のメンバー、及び人種差別撤廃NGOネットワークで活動をともにしてきたメンバーです。いずれも私のヘイト・クライム/スピーチ研究のもっとも中心を成す研究会であり、NGOです。彼らとの協力がなければ私の研究も実践も成立しません。



4 戸田ひさよしさんのこと



戸田ひさよしさんとは門真市民会館事件以来のおつきあいです。『ヘイト・スピーチ法研究原論』272~288頁に詳しく書いておきましたが、2014年、在特会が門真市民会館を借りて差別集会を開催しようとした時、戸田さんがこれを取り上げて、門真市がヘイトに協力してはならないと論陣を張りました。戸田さんの依頼を受けて、私も市民会館利用を拒否するように要請しました。結局、門真市は施設利用許可を撤回して、差別集会を開催させませんでした。門真市が私を招いて、市役所の全職場研修を行い、200名の職員に私がヘイト・スピーチに関する講演をしました。

これは画期的なことでした。その後、関西の多くの自治体から、門真市や私に問い合わせがありました。私はこのチャンスに、ヘイト団体に公共施設を利用させない運動を展開しようとしました。

ところが、大阪市の審議会が、「ヘイト団体によるヘイト集会であっても、公共施設を利用させないと憲法21条違反である、地方公共団体にはヘイト集会に施設を利用させる義務がある」という異常な報告書を公表しました。デタラメな憲法学者と弁護士達が異常な報告書をでっち上げたのです。これによって、多くの地方自治体が、ヘイト集会に施設を貸し出す事態となり、被害が拡大しました。その後、川崎市におけるヘイト・デモ問題を巡って改めてヘイトに公共施設を貸すなという雰囲気が盛り上がったのは2016年春のことでした。大阪市審議会の無責任な報告書のため2年以上もヘイトが野放しになったのです。深刻なのは、「地方公共団体は差別集会に協力する義務がある」という馬鹿げた理屈が猛威を振るったことです。

こうしたヘイト状況に敢然と立ち向かったのが戸田さんでした。ですから2014年、私は戸田さん主催のヘイト問題集会にも出かけることになりました。私の『ヘイト・スピーチ法研究序説』出版記念会(2015年、大阪)にも戸田さんは参加してくれました。

次の3つを比較してください。

A 地方公共団体は差別集会のために公共施設を貸す義務がある。貸さなければ憲法違反である。

B 地方公共団体は差別集会のために公共施設を貸さないことのできる場合がある。

C 地方公共団体は差別集会のために公共施設を貸してはならない。貸せば憲法違反である。

大阪市の審議会の立場がAです。川崎市のガイドラインの立場がBです。最近はこの立場が徐々に増えていると思います。『原論』312~319頁に示したとおり、私の立場はCです。これを支持する憲法学者は一人もいません。私と同じ考えを最初に提唱したのは、戸田さんと言うことができます。

松岡さんには松岡さんの人間関係があり、それを基準に私にご指摘をいただていますが、それは私のあずかり知らぬことです。私には私の人間関係があり、戸田さんの問題提起と実践は私のヘイト研究と実践にとって最重要なのです。

なお、「"ヘイト&組合弾圧"と闘うための大学習会」は戸田さんの発案ではありません。私が思いついて戸田さんに相談したのです。




5 最後に



以上が私からの説明となりますが、最後に補足しておきたいと思います。

松岡さんと鹿砦社の5冊の著書の問題提起はとても重要なものでした。松岡さんとしては、誰も反省していない、誰も謝罪していないと、お怒りかと思います。松岡さんとしては、関係者に反省を促し、謝罪させるまでは気分が収まらないかもしれません。しかし、上に述べたように裁判の結果は出たのです。いかに説得力のない判決であっても、これが確定した以上は、ひとまず結果を受け入れて発言されてはいかがでしょうか。

改めて考えれば、多くの人たちが沈黙したのは、松岡さんの問題提起にそれなりの理があったからではないでしょうか。少なくともそう受け止めた人は多いはずです。

松岡さんがあくまでも自説に固執して、従来と同じ発言を繰り返し、李信恵さんを非難し、関係者を非難し続けることは、今や不適切なことと言わざるをえません。

李信恵さんは、在特会や保守速報による異様なヘイト攻撃に立ち向かい、闘い続けました。在日朝鮮人というマイノリティが猛烈な差別を受け、同時に女性差別を受けながら、ついには裁判所に「複合差別」を認定させました。このことの積極的意義を私たちは認め、李信恵さんの闘いに敬意を表すべきではないでしょうか。

松岡さんは、李信恵・上瀧浩子『#黙らない女たち』(かもがわ出版)をお読みになったはずです。どのような読み方をされたでしょうか。この本に鹿砦社との名誉毀損訴訟について何か書いていないかを確認するためにお読みになったことでしょう。それはそれで結構ですが、同時に「複合差別」とは何か、その被害はいかに甚大であるか、「複合差別」との闘いがいかに大変であるかを、本書から読み取るべきではないでしょうか。

機会がありましたら、元百合子さん(元大阪女学院大学教授)の論文「在日朝鮮人女性に対する複合差別としてのヘイト・スピーチ」『アジア太平洋研究センター年報2016-2017』(大阪経済法科大学)をお読みください。


その上で、複合差別と闘ってきた人々の苦労に思いを馳せていただけませんか。松岡さんも私も日本社会のマジョリティ側の一員です。複合差別がいかに深刻な被害を生み出し、いかに生活空間をねじ曲げ、いかにマイノリティを押しつぶしてきたか。

敵対関係にいつまでも拘泥することなく、あらん限りの想像力をもって、松岡さんらしい眼力と構想力をもって、今回の教訓をいかに今後に結びつけていけば良いのか、お考えいただけませんか。

長文失礼いたしました。

松岡さんと鹿砦社のますますのご発展、ご活躍を祈ります。