柄谷行人『遊動論――柳田国男と山人』(文春新書、2014年)
なぜ柳田国男かと思ったが、著者は40年前に柳田論を書いていて、それを2013年にそのまま出版し、さらに柳田のアンソロジーを出すと言う。つまりセット販売で、この新書も出たということだ。著者がかねてから主張してきた交換様式B(再分配)やC(商品交換)に対して、交換様式A(互酬)に対応した交換様式Dの模索の一環だ。柳田にもその萌芽があったという論証が本書の課題である。
わからないではないが、「最初期に山人を論じた柳田が山人に言及しなくなったのは事実だが、言及していないだけで、捨て去ったわけではなく、ずっと柳田の中で生きていたはずだ」として、「はずだ」「はずだ」と積み重ねる著者の強引な論法は、著者のファンには説得力があるかもしれないが、普通の感覚の持ち主にはレトリックだけとしか見えないだろう。柳田の論述において、主題も手法もすっかり変わり、何十年も忘れ去られたテーマが、否定すると明言していないのは事実としても、ずっと続いていたというのは奇特な話だ。でも、こういう強引な読み込みが著者の思想の魅力なのだろう。『マルクスその可能性の中心』以来、時折著者の本を読んだとはいえ熱心な読者ではないし、著者の最近の主著もざっと見ただけなので、あまり内容に立ち入ってコメントできないが。もっと勉強しなくては、と思わせてくれる本ではある。