鑑賞者を闘いに引きずり込む映画
松本シネマセレクトの『よみがえる声』公開記念
朴壽南監督特集で、映画を見るとともに、両監督トークを聞いた。
八王子から特急あずさに乗って2時間、松本まで映画を見に行った甲斐があった。
『よみがえる声』(朴壽南・朴麻衣監督、2025年)
https://www.cinematoday.jp/movie/T0031290
「あらすじ」は次の通りだ。
「1935年、在日朝鮮人二世として日本で生まれた朴壽南は、1958年に起きた小松川事件の死刑囚で在日朝鮮人二世の少年イ・ジヌとの往復書簡集「罪と死と愛と」によって注目される。その後も在日朝鮮人一世が体験した事実の聞き取りのために単独で筑豊の炭鉱や広島、大阪などを訪れて記事を発表し、後にドキュメンタリーを手掛けるようになる。朴壽南がライフワークとしてきた朝鮮出身の原爆被爆者の現状と問題点をあぶり出す。」
この「あらすじ」では語り尽くせないことがあまりにも大きい。
撮影した時の監督の意図や構想が見事に継承されているとはいえ、意図や構想を大きく乗り越え、新しい発見が織り込まれている。
証言者の意図、撮影時の意図、編集時の意図、そして映画作品における両監督の意図、それらを超えて、画面に映し出される映像が持つ予期せざる意図と構想――40年の間に撮りためたフィルムから採択された映像の歴史と現在――鑑賞者がそこに見出すのは、歴史の重みであり、時代の涙であり、精神の緊張であり、心の奥底まで痛撃する「未来」である。
どうすれば、この「未来」にたどり着けるか。
それが鑑賞者と両監督の衝突であり、闘いである。
映画は、鑑賞者を闘いに引きずり込む。容赦なく挑み、問いかける。
あなたは引き返せない。安易に振り向くことも許されない。
安易に振り向けば、あなたは軍艦島に置き去りにされるかもしれない。
なぜ、なにを、どのように振り返るのか。
その瞬間に向けて心を研ぎ澄ますことが求められる。