Sunday, September 29, 2013
ヘイト・クライム禁止法(38)
国連人権理事会24会期に提出された「アフリカ系人民に関する専門家作業部会報告書」(A/HRC/24/52)の付録として、イギリス訪問調査報告書(A/HRC/24/52/Add.1. 5 August 2013)がある。2012年10月に、ミレイユ・ファノン・マンデス・フランス、ミリヤナ・ナイセフスカ、ヴェレーヌ・シェパードがイギリスを訪問して調査した結果である。ヘイト・クライムに関する記述を紹介する。2010/11年に検察局が把握した中で、最も共通するタイプは、人に対する犯罪44.2%、公共の秩序に対する犯罪37.6%である。被告人の多数は25~59歳の白人イギリス男性である。被害者は男性58.3%、15%は性別不明。多くはアフリカ系の難民申請者だが、その集団に対する加害は報告されない例も多い(つまりもっと多いはず)。メデチィアにおけるレイシズムの主な問題は特定集団に対する消極的ステレオタイプである。イギリスにはメディア苦情委員会があり、編集者実務綱領もある。インターネットにおけるレイシズムが増えている。捜査や立証が困難である。イギリスの裁判所は、インターネットは公共の秩序法にいう公共空間と認めている。2012年3月、ある学生が、アフリカ系フットボール選手に関してツイッターに攻撃的投稿をして56日の拘留となった事例がある。イギリスは7つの国際人権文書を批准しているが、移住労働者家族権利保護条約は批准していない。人種差別撤廃条約14条の個人通報を受容していない。レイシスト・プロパガンダとレイシスト団体の禁止に関する条約4条については、表現の自由との関係で解釈宣言をしている。人種差別撤廃委員会は2003年と2011年にこの見解の見直しを勧告した。2010年のUPRでも同様の勧告があった。イギリスにおける関連法規は、2010年の平等法であり、1965年の人種関係法に遡る。イギリス政府によると、2010年平等法は、それまでの反差別法を簡明にし、調和的にするものだ。直接差別、間接差別、ハラスメントも射程に入れている。職場における不公正な処遇に対処している。ただし、ヘイト・スピーチ法という観点では、弱い。イギリスにおけるヘイト・クライムについて詳しくは師岡康子論文参照。
Saturday, September 28, 2013
トラウマを「耕す」ために
宮地尚子『トラウマ』(岩波新書)
文化精神医学、医療人類学、トラウマとジェンダーを専門とする著者による「入門書」である。トラウマという言葉はいつの間にかかなり日常的に使われるようになってきたが、本来の意味から離れて、「私ちょっとトラウマになっちゃって」といった軽い使い方もされている。本書はトラウマの本来の意味を解説しつつ、同時にトラウマの多様な面を幅広く取り上げている。「戦争・紛争体験、自然災害、暴力犯罪、事故、拷問、人質、監禁、強制収容所体験、児童虐待、DV,過酷ないじめなどの被害があげられます。日常ではいられない出来事が多いのですが、日常生活の中に潜んでいて、実はけっこう多くの人が経験しているものもあります」という。つまり、かなり広い意味でもありうることを含んでいる。トラウマの分類、トラウマとPTSD、トラウマが埋もれていく理由、トラウマ治療、トラウマを織った人にどう接するかなど、順に書かれている。DV被害者のトラウマも詳しい。最終章で「トラウマを耕す」という表現が用いられている。精神科医の星野弘の「分裂病を耕す」「精神病を耕す」に倣った言葉である。トラウマも「耕す」ことができる。それによって「豊かになっていくのではないでしょうか。柔らかく混ぜ返し、外から空気を入れれば、ふくよかになっていくのではないでしょうか」と言う。想像力、創造力につなげて、「心のケア」におけるアートの役割が説かれる。刑務所における修復的アート、映画やパフォーマンス、詩、文学、マンガなどさまざまな可能性がありうるという。「『何者』にもならなくていいということ。それがトラウマからもたらされる想像力や創造性の帰着点です。そして、それがまた新たな想像力や創造性の原点となるのです」という最後の言葉はわかるようで、わからないが。
Friday, September 27, 2013
国連人権理事会24会期閉幕(一方的強制措置、制裁を批判)
27日、人権理事会24会期(3週間)の最終日だった。26日午後から27日は決議の採択だった。諮問委員会委員の選挙も行われた。会期中に行われた討論をもとに、各国政府がそれぞれ担当し、協議しながら決議案をつくる。途中で公表して、他の諸国やNGOの意見を聞いて、手直しする場合もある。決議採択の直前に初めて公表されるものもある。毎回同じテーマで決議が続いている者もある。今回も次々と決議が採択された、例えば、「スポーツとオリンピック精神を通じた人権促進」「地方政府と人権」「奴隷制度の現代的諸形態特別報告者」「ジャーナリストの安全に関するパネル討論」「恣意的拘禁」「平等な政治参加」「人権と先住民族」等々。多くの決議は事前の調整ができているので、コンセンサス(投票なし)で採択される。しかし、意見の割れるものもあり、反対意見や修正意見が出ると、場が盛り上がる。議論の後に、投票になる。昔は1か国ずつ順に「賛成」「反対」とロールコール投票で楽しかったが、今は押しボタン式ですぐに結果が出る。今回一番の注目は「人権と一方的強制措置Human Rights and unilateral coercive measures」決議案だった。非同盟諸国とアラブ諸国が中心になって準備し、イランとパレスチナが提案国だ。事前に公開討議はなく、最終日に決議案が配布された。内容は、国家の固有名詞は出ていないが、明らかに、アメリカのユニラテラリズムによる介入や制裁が各国の人権にたいしていかに悪影響を与えているか、というものである。アメリカ、欧州、日本が批判対象と言ってよい。UCMは国際法違反、国際人道法違反と明記している。そして今後、このテーマの議論をどんどんやっていこうとい趣旨だ。ベネズエラが賛成演説をし、EUが「この決議案は政治的だ」と強く批判して、反対した。EUの反対意見は説得力がない。第1に、通常は決議案の内容を取り上げて、どのパラグラフ、どの言葉を受け入れないかを表明する。この部分が国際人権法と合致しないから反対と言えば、強い反対意見になる。それがなかった。第2に、手続き上の批判をするケースも多い。内容はいいが、討議が不十分だから、といった批判である。EUはそれも言わなかった。言ったのは「政治的だから、人権理事会ではなく、他の機関(つまり安保理)で議論するべき」ということだけだ。政治的なのは確かだ。でも、政治が人権状況を悪くしているのであれば、人権理事会で取り上げて何も困らない。EUが毎年出している死刑廃止決議案だって、政治的だ。EUには、政治的だからという意見を言う資格はない。結局、投票になった。賛成31、反対15、棄権1で、決議は採択された。他方、もめるかと思っていた「良心的兵役拒否」決議案はすんなんり採択された。準備段階の非公式会議で次々と修正されて、かなりトーンダウンしている。アメリカが意見を言ったが、反対はしなかった。アメリカには徴兵制がないので、反対理由がない。決議案は、市民の兵役拒否の権利を明示している。軍人の任務拒否には言及していない。これが入れば、猛烈に反対するだろう。続いて、韓国が「わが国は兵役拒否を認めない」(韓国では拒否すれば犯罪として刑務所行きだ)と切り出したので、反対するのかと思ったら、「だが、決議をすることに反対はしない」。NGOメンバーは苦笑していた。結局、コンセンサスで、つまり投票なしで採択された。もう一つ、驚いたのはFGM(female genital mutilation)の決議だ。提案国がガボンなのでまず驚いた。しかもアフリカ諸国を代表して提案するという。前文には「2011年7月1日、マラボにおけるアフリカ連盟の決議でFGMの禁止を求めている」といい、本文中では「FGMとの闘い」と繰り返している。つまり、アフリカ諸国が国家レベルでFGM禁止を主張して、国連に持ち込んでいる。かつて、「FGM禁止というのは西欧的な考えの押しつけである」といった議論があったが、今や、アフリカ諸国が一致してFGM禁止を提案している。詳細を検討してみないとわからないことも多いが、以前のような議論では済まないことが分かった。諮問委員会委員の選挙もなされた。毎年3分の1が選挙で選ばれていく。今回、アフリカはエジプトのHoda Elsdda*、ウガンダのAlfred Karakora+、アジアは中国のYihan Zhang、日本のKaoru Obata、東欧はロシアのMikhail Lebedev、西欧はスイスのJean Ziegle+選ばれた。*は女性、+は再選。
小畑郁(名古屋大学教授)
http://www.nomolog.nagoya-u.ac.jp/ls/teacher/obata.html
Wednesday, September 25, 2013
アリアナ博物館散歩
ジュネーヴ郊外、国連欧州本部、赤十字国際委員会(ICRC)、国際労働機関(ILO)などの国際機関が並ぶ地区にアリアナ博物館がある。所蔵しているのは陶芸とガラスである。広い敷地の中央にあるネオクラシックとネオバロックの折衷的な様式の建物は、1877~1887年に建築されたという。資産家グスタヴ・ロビヨーが慈善事業としてジュネーヴ市に寄贈したものだ。中央にそびえる丸天井形ドームは偉容だが、ローマン教会風の聖アンドレ・ド・キリナルSt.Andre du Quirinalの影響を受けている。所蔵品は、第一に、ニヨン焼きをはじめとする地元スイスの陶器である。チューリヒ、ベルンなど各地で17世紀から19世紀にかけて制作されたものだ。第二に、フランス、ドイツなど欧州諸国における陶器である。とても素敵なベネチア・グラスもある。第三に、中国や日本のものだ。分厚いカタログを販売しているが、フランス語版のみなので、購入しなかった。大阪の東洋陶磁美術館を思い出したが、いまはどうなっているのであろう。7~8年前に一度行ってみてきたが、最近のことは知らない。展示品の多くが中国や朝鮮半島の名品だ。「買ったのだ」と言い張っているようだが、普通に考えれば、略奪品だ。それはともかく、陶器とはこんなに幅広い利用がなされていたのかと思うくらい、実に多様な作品が並ぶ。大皿、小皿はもちろん食器だが、素敵なデザインのものに加えて、風景画、宗教画、肖像画などが描きこまれているので、最初から装飾品としてつくられている。コーヒー・カップ、ティー・カップ、ミルクポット、砂糖入れ、壺、花瓶、小物入れ、壁飾りはもとより、大小様々の時計もあれば、暖炉もある。イエス・キリストの受難を描いた大皿もある。これで夕食を食べたりすると、天罰か。ノアの方舟の神話を描いたと思われるものもある。ほほえましいのは、アスパラガスや茄子など野菜が大皿に載せられている様子を陶器で制作していたり、花瓶を布で包んでいる様を陶器で再現していることだ。多様なアイデアと技巧によって、陶器に世界を再現している。2013年夏、アリアナ美術館では、AKIO TAKAMORIの作品が展示されていた。一瞬、『あしたのジョー』の高森朝雄(梶原一騎、本名・高森朝樹、『巨人の星』『タイガーマスク』の原作)を思い出したが、全く関係ない。インターネットで調べると、AKIO TAKAMORIは、武蔵野美術大学出身のアーティストで、いまはシアトルを中心にアメリカで活躍しているようだ。今回展示された作品は、「普通の人の肖像」で、子どもたちを陶器で表現している。多くは、立っている子ども、次いで寝転がっている子どもだが、一つだけしゃがんでいる少女があり、それが宣伝チラシに使われている。なんだかほっとして、気が休まり、そうか、こんな子ども時代があったよな、と思わせてくれるが、それは日本人の受け止め方だろうか。それとも、アメリカでTAKAMORI作品はどのような評価をされているのだろうか。ジュネーヴではどうなのか。そこまではわからなかった。博物館の敷地には、正面前の平和通りに向けて、マハトマ・ガンディー像が設置されている。んぜ、ここにガンディーと思ったが、わからない。ガンディーの年譜を確認していないが、スイスに来たことはないはずだ。2007年にインド政府が寄贈したと書かれているので、インド政府の施策の一環としてガンディー像を広めているのだろうか。さらに、敷地には品川の鐘がある。こちらは日本でもよく知られているが、東京品川の品川寺(ほんせんじ)の鐘が幕末に行方不明になり、それがのちにジュネーヴで発見され、1930年、無事に品川に戻ったという話だ。住職が売りとばしたのだろうが、それは不問に付されたようだ。本物は品川に帰り、その記念の新しい鐘がジュネーヴにあるが、誰も搗いてくれないのではないか。と、勝手に思って、「ゆく夏、来る秋」と唱えながら、叩いてきた。
Tuesday, September 24, 2013
グローバル・レイシズムと闘う
24日の国連人権理事会は、議題8「ウィーン宣言と行動計画の実施のフォローアップ」と、議題9「人種主義、人種差別、外国人嫌悪、関連する不寛容の諸形態」の審議が行われた。議題8では、本年6月にウィーン世界人権会議20周年のシンポジウムが行われたことをオーストリア政府が報告し、各国政府とNGOによる討論。発言では、ウィーンから始まった女性の権利のメインストリーム化がどれだけ実現したか、及びLGBTの権利が目立った。議題9では、2001年のダーバン宣言と行動計画の実施がテーマだが、欧米や日本のサボタージュのため、ダーバン行動計画のフォローアップ作業ができていないため、その一部の「アフリカ出身者の権利」の議論がなされた。「アフリカ出身者に関する専門家作業部会」の報告書が紹介された(A/HRC/24/52, Add.1 and Add.2)。付録文書は、イギリスとパナマへの訪問調査の報告書。イギリス訪問報告書にはヘイト・クライムに関する記述があるので、別途紹介したい。イギリス政府の回答文書(A/HRC/24/52/Add.3)も配布された。午後に、反レイシズム世界ネットワーク、国連青年学生国際運動などが主催のサイドイベント「グローバル・レイシズムと闘う」に参加した。司会は、平和と自由のための女性国際連盟のクリシュナ・アフージャ・パテル。最初の発言は、「アフリカ出身者に関する専門家作業部会」メンバーのミリヤナ・ナイセスカで、今回の報告書作成経過に少し触れ、アフリカ出身者は世界中にいて、当該地域の民族構成・住民構成も多様であり、その生活実態や状況は多様だが、差別されるときのステレオタイプにはかなり共通性があることを、司法、教育、健康などに即して概説した。続いて南アフリカ外務省人権担当官のピッツォ・モントウェディが、2001年のダーバン会議の準備で議題設定を担当した時の苦労から始めて、ダーバン宣言は歴史的ランドマークだが、重要なのに良く見落されるのはそれが被害者の問題から始めたことであるとし、アフリカ・アジア・ラテンアメリカ諸国によるフォローがあるが、国際社会全体によるフォローになっていないことは残念とし、最後にスポーツ分野における差別の問題を少し話した。最後の発言者は、国連青年学生国際運動のヤン・レーンで、市民社会と国連メカニズムの間にずれがあるとし、様々な困難があるが、その一つが財源で、一方では被害者救済の補償の出し惜しみがあり、他方で人種差別予防メカニズムの財源がないことを強調した。ヤン・レーンには、イラク戦争の時に、ブッシュの戦争犯罪を裁く「イラク世界民衆法廷WTI」運動でお世話になった。ジュネーヴで記者会見をしたときの手配・準備もやってもらったので、それ以来の知り合いだ。「グローバル・レイシズム」について、その定義や射程はどういうものかを質問したが、「最初はレイシズムと闘うだったが、チラシを作った時に余白があったので、グローバル・レイシズムと闘う、に変えた」と笑っていた。それはないだろう、この名前を見て、参加したのに(苦笑)。
Monday, September 23, 2013
ルールを守らないNGO
23日の国連人権理事会は、まず先週の続きで議題6「普遍的定期審査UPR」の一般討論、続いて、議題7「パレスチナにおける人権状況」の討議を行った。UPRは、先週金曜までにロシア、アゼルバイジャン、バングラデシュ、キューバ等の審査を終え、決議も採択された。23日は一般討論で、これはUPR制度の改善提案が中心だった。各国政府の発言に続いて、NGOの発言だったが、「国連ウオッチUNW」というNGOがキューバ非難の発言をした。UNWはもともとキューバたたきばかりしてきたNGOという印象があるので、ああ、またか、と思って聞いていたところ、キューバ政府がポイント・オブ・オーダー(議事進行に対する意見)。議長が、UNW発言を中止させて、キューバ政府が発言。「キューバに関するUPRは20日に終わって決議も採択済みであるのに、このNGOはなぜいまキューバについて発言しているのか。一般討論のルールに反するのではないか」。なるほど、その通りと思った。ところが、アメリカが「政府は市民社会の声を聴くべきだ」と余計な発言をしたため、場が一気に盛り上がった。直ちに、パキスタンが「手続きのルールが決まっている。NGOにも発言権があるが、マナーを守るべきだ」。ベネズエラが「キューバを支持する。市民社会の声を聴くべきだが、ルールを守らないNGOの発言を許すべきでない」。中国が「キューバを支持する。政府もNGOもルールを守るのが当然」。エジプトが「NGOが提供する情報は重要だが、このNGOは明らかにルール違反だから認めるべきでない」。イランが「キューバを支持する。ルールを守るよう要請する」。それで議長が「UPRの個別審査は終わった。今は一般討論であるから、ルールに従って発言するように」と述べて、再びUNW発言となったが、なんとUNWはキューバ非難発言を続けた。事前に用意したペーパーをただ読んでいるから、こうなる。馬鹿だ。即座にキューバが2度目のポイント・オブ・オーダー。「いま記録を確認したところ、このNGOは20日のUPR審査の時に発言したが、いまも同じことを発言している。なぜ一般討論で特定国非難を繰り返すのか。議長、ルールを守らせるよう要請する」。議長が、同じことを繰り返してUNWに質問。UNWは「発言を終わります」の一言に追い込まれた。UNWは以前からキューバ、イラン、シリア、朝鮮を非難し続けてきた。発言内容はともかく、やり方がお粗末で、墓穴を掘り、「ルールを守らないNGO」というレッテルを自分で張ってしまった。しかも、よせばいいのにアメリカがUNW擁護発言をして顰蹙を買った。もともとUNWはアメリカ政府の手先と言われかねない偏った発言をしてきたのに、窮地に立つやアメリカが助けようとした。しかも中身はルール違反と断定される中身だ。アメリカ発言を認めたら、今後、他のNGOは、いつでも、議題と関係なくアメリカ批判発言をしていいことになる。滅茶苦茶だ。UNWもアメリカも無用に評価を落とした。議題7では、8月22日付の国連人権高等弁務官事務所の「東エルサレムを含む占領下パレスチナにおける人権状況」報告をめぐる審議。報告書は人権理事会決議22/28によるもので、2012年12月~2013年5月のデータをもとにしている。イスラエルは席をはずした。以前は反論したこともあったが、今回は欠席戦術。決議22/28自体を認めないという意味だろう。パレスチナ、シリア(ゴラン高原があるので当該国の一つ)が発言した。続いて政府発言で、パキスタン、イラン、ガボン、エクアドル、ブラジル、マレーシア、アラブ首長国、インドネシア、ベネズエラ、カタール、クェート、モルディブ、リビア、チリ、アンゴラ、モーリタニア、ロシア、中国など40カ国近くが次々と発言し、パレスチナ人民への連帯を表明。途中でアメリカ政府がいなくなったのは、故意か、たまたまか。西欧諸国は一切発言しなかった。
バーゼル美術館散歩
バーゼルはライン川の町で、スイスの一番北にある。町の北東はドイツ、北西はフランスで、鉄道の駅もスイスの鉄道駅、フランス駅、ドイツ駅がある。ライン川を挟んでできた町の中心、旧市街にミュンスター、市庁舎、そして美術館がある。バーゼル美術館はスイスの美術館の中では、チューリヒ、ジュネーヴと並ぶ規模の大きさだ。といっても、格別大きいわけではない。スイスの美術館が一般に小さ目だから。バーゼル美術館の常設展をゆっくり見ても3時間程度だろうか。近代西洋美術史の勉強にはちょうど良い規模と構成になっている。もちろんスイス出身又はスイスとゆかりのある画家・彫刻家の作品が多いが。そういえば、亡くなった美術評論家・宮下誠の名著『逸脱する絵画――20世紀芸術学講義』(法律文化社)で取り上げられている作品のかなり多くがバーゼル美術館所蔵だ。宮下がバーゼル大学大学院に留学したためだ。『逸脱する絵画』を思い出しながら、展示を見て歩いた。宮下とは面識がなかったが、かつて「特別講座パウル・クレー」に出講してもらおうと連絡を取ろうとしていた矢先に亡くなってしまった。実に残念だ。結局、その講座は、前田富士男(慶応大学名誉教授、中部大学教授)や、林綾野(キュレーター)といった素晴らしい講師にめぐまれて、大成功だったが、やはり宮下にも講義してもらいたかった。宮下誠『越境する天使』、同『パウル・クレーとシュルレアリスム』も名著だ。さて、バーゼル美術館だ。図録が凄い。400頁もあって、1万円だ。受付隣の売店に積んであって、誰が買うのだろうと思いながら、1冊買った。美術館所蔵主要作品の解説だが、見開きで左ページに解説、右ページに図版で、1から160まで、15世紀から20世紀まで並ぶ。ホルバイン親子、エルダー、ルーベンス、フュスリ、ドラクロワ、コロー、クールベ、ルノワール、ピサロ、モネ、ドガ、アンンカー、ベックリン、セガンティーニ、ホドラー、バヨットン、ゴーギャン、ゴッホ、セザンヌ、マチス、ボナール、ピカソ、ブラック、モジリアニ、レジェ、ムンク、マレヴィチ、カンディンスキー、シャガール、モンドリアン、ジャコメッティ、アープ、ノルデ、エゴン・シーレ、マルク、キルヒナー、クレー、ミロ、エルンスト・・・と続く。彫刻もロダンやジャコメッティ。バーゼル美術館の代表作を何にするのか、迷うところだ。もっとも、印象派は世界中にいくらでもある。セガンティーニ美術館、キルヒナー美術館、パウル・クレー・センター、ピカソ美術館、シャガール美術館などもある。それらを除くと、マルクの「動物の運命」(1913年)が浮上するかもしれない。宮下の本でも大きく取り上げていたはずだ。20世紀初頭の政治的社会的緊張を背景とし、死と戦争を念頭に置いたマルクの代表作だが、死後に破損したため、盟友パウル・クレーが修復したことでも知られる。作品名も、マルクの原題ではなく、クレーがつけた「動物の運命」として知られる。
Sunday, September 22, 2013
記憶の文化は何を可能にするか
岡裕人『忘却に抵抗するドイツ――歴史教育から「記憶の文化」へ』(大月書店)
著者は歴史研究者で、フランクフルト日本人国際学校事務局長を務め、ドイツ在住22年である。もともとはドイツ農民戦争の時代の研究者だ。本書では、ドイツの歴史教育――ナチスの過去の克服のみならず、戦後西ドイツ時代からの移民・移住者のドイツ社会への統合の課題、東西ドイツ統合の課題、及び現在の欧州統合の課題も含めて多層的に展開しているドイツ史の理解の変容を意識しながらの歴史教育、学生の主体的な学び、対話により理解の深化の方法を、現場の具体的な情報に基づいてわかりやすく示してくれる。ナチス・ドイツの過去の克服だけでも大変なことなのに、これほどの歴史的課題を抱えると立ち往生してしまいそうだが、欧州の真ん中にあるドイツは立ち尽くしている暇はない。第二次大戦後は、国境を接し、ナチス・ドイツが侵略・占領した地域との和解と対話が不可欠であった。さらに東西対立の時期には、冷戦構造に巻き込まれつつも、たとえばポーランドとの間の歴史対話を懸命に続けてきた。トルコをはじめとする各地からの移民・移住者についても、多様性だけを強調する共生ではうまくいかず、ドイツで生きていく若者たちの人生を見据えた教育が構築されなければならない。共生ではなく、統合、しかし、多様性を踏まえてドイツ社会自身の変容。そのフレキシビリティ。東ドイツからの移住者の記憶、そして東ドイツ地域に住む人々の歴史意識も無視できない。こうした困難に直面しながらも、つねに矛盾を見つめ続け、そこから新しい統合への理路をさぐり、対話を通じて実践していく姿勢が重要だ。日本にはまったくない姿勢だ。ドイツはモデルでも理想でもなく、次々と失敗を重ねつつ歩んできた。その歩みの困難と可能性に学ぶことが、いま求められている。
Saturday, September 21, 2013
他国の人権改善に無関心な国(2)
20日の国連人権理事会でも普遍的定期審査(UPR)最終報告が続いた。4か国のUPR最終報告を傍聴した。(1)バングラデシュに対する世界各国からの勧告は196、うち日本は1つで、ちょうど100番目。日本政府も常に沈黙しているわけではなく、きちんと発言しているようだ。その内容は、「100.仏教徒やヒンドゥ教徒など宗教的マイノリティの安全を確保するさらなる措置を採用せよ」である。バングラデシュ政府は日本政府の勧告を受け入れた。なぜなら、「はい、やっています」という話だからだ。そもそも「さらなる」ということは、「バングラデシュは安全を確保する努力をしているが、さらに・・」という意味だ。バングラデシュ政府が喜ぶような勧告だ。これに比べて、例えばモルディヴは「拷問等禁止条約選択議定書に加入して、効果的な国内予防機関を設置せよ」と勧告し、バングラデシュはこれを拒否した。そこから対話が始まる。「なぜ受け入れないのか」と。(2)アゼルバイジャンに対する勧告は162、日本は何も発言しなかった。(3)カメルーンに対する勧告は171、日本は何も発言しなかった。(4)ロシアに対する勧告は231、日本は2つ勧告した。1つは、冒頭の1番目で「1.強制失踪保護条約を批准せよ」。もう一つは、「144.表現の自由をさらに保障する努力を続けよ」である。かつて南米等で軍事独裁政権による強制失踪が吹き荒れた時代、独裁政権に援助していた日本政府だが、日本人拉致事件以後、強制失踪問題に前向きになった。それは良いが、ロシアは「はい、批准方針です」と答えておしまい。後者の表現の自由については何も言っていないに等しい。たとえば、アルジェリアは「ジャーナリストと、そのマスメディアでの活動につき、自由と正当性を強化するため、彼らを保護することに特に注意を払え」と勧告した。オーストリアは「ジャーナリストに対する暴行傷害事件を捜査し、犯人に責任を取らせるように努力を強化せよ」、アイルランドは「ジャーナリストや人権活動家に対する暴行傷害事件の申し立てがあれば徹底的、迅速かつ公平に捜査せよ」と勧告している。ノルウェー、ラトビア、ドイツ、オーストラリア、モーリタニアなど次々とこういう勧告を出している。
Friday, September 20, 2013
国際平和の日記念イベント
20日、国連欧州本部でNGOの国際平和メッセンジャー都市協会主催のサイドイベント「人権と平和」が開催された。例年、9月21日ころに開催されているという。参加者は120名ほどだが、その大半は平和ツアーでジュネーヴにやってきた人たち。アメリカ、ポーランド、デンマーク、コンゴ、コスタリカ、コロンビア、パレスチナなど各国から。隣に座った女性はカリフォルニアの人で初参加だが、例年やっていると言っていた。議長はリカルド・エスピノーサ。彼はコロンビア出身で、国連経済社会理事会のNGO資格委員会事務局に勤めていた。オランダの対日道義請求財団のアドリアンセン・シュミットさんの親せきだ。クリスチャン・ホルスト(ユネスコ)は平和教育の普遍性と文化の多様性について話した。マヌエル・ポラーレンス(コスタリカ政府)はコスタリカの軍隊廃止の経過に触れ、平和と調和の重要性、世界の軍事費と他方で増える貧困について語った。L.ルポリ(メッセンジャー都市メンバー)は平和への権利宣言案の作成過程を振り返った。カトリーム・ベックマン(国際赤十字)は平和教育は知識ではなくライフスキルであり、平和教育はスキルとバリューの形成だと語った。とてもアジ演説がうまくて、拍手喝采。青年平和構築ネットワークのオリバーなんとかは、平和構築と市民社会について語った。ホセ・ルイス・ゴメス(スペイン国際人権法協会)は平和教育について話す中で、知る権利との関係で漫画「はだしのゲン」に触れた。笹本潤(弁護士、日本国際法律家協会)は9条と憲法前文の平和的生存権が日本の平和運動を支えてきたことを説明した。
立憲主義の基本を押さえた、自民党改憲案批判
青井美帆『憲法を守るのは誰か』(幻冬舎ルネッサンス書)
立憲主義とは何かの基本をきっちり押さえて、自民党改憲案を正面から批判する本だ。弁護士の伊藤真、憲法学者の清水雅彦など、自民党改憲案批判が次々と出てきた。96条改正先行案への徹底批判である。本書は新書だが、充実した内容だ。序章「憲法の目的は人権を保障することにある」、第一章「日本国憲法は立憲主義憲法である」から、第五章「暴走への懸念」、終章「いまこそ一人ひとりが、良識をフルに働かせる時」まで、よくできている。短期間で急いで書いたようだが、丁寧に書かれて、わかりやすい。230頁の新書にしては、読み応えがある。必要なことはちゃんと書かれているし、たとえ話やエピソードにも工夫がある。立憲主義を、国民主権、基本的人権、憲法尊重擁護義務との関連できちんと説明したうえで、憲法とは何か、どうあるべきか、改正論議はどうあるべきかを論じ、自民党改憲案など本来なら土俵にも乗れないような代物にすぎないことを明快に指摘している。838円+税は安いといってよい。一か所だけ残念なのは、171~2頁の「軍縮平和外交によって守られてきた安全」で、日本外交が「武器貿易条約」や小型武器規制に積極的に取り組んできたとして、日本の平和外交の貢献を語っているところだ。間違いという訳ではないが、かなりナイーブだ。なぜ今、通常兵器や小型武器の規制なのかは、明瞭だ。アメリカのアフガニスタン戦争、イラク戦争の教訓は、抵抗勢力が小型武器を持っているために、占領軍に被害が出る、ということだ。米軍兵士の被害を極小化するために、占領軍は圧倒的な軍事力で完全に抑え込み、民衆に抵抗させないことが求められる。小銃やカラシニコフを持っていては困る。だから、日本がアメリカのお先棒担ぎで前面に出る。もちろん、軍縮につながるという面では良いことだ。だが、大半の諸国の軍隊も武装勢力も、イージス艦、オスプレイ、ステルス戦闘機、航空母艦、巡洋艦、戦略爆撃機、大陸間弾道弾など持っていない。アメリカを中心とする大国が世界を自由に侵略し、思いのままに占領支配するために、小型武器規制が不可欠なのだ。三菱、IHI、東芝など軍需産業が大儲けするのもイージス艦やステルス戦闘機であって、小型武器ではない。なるほど、世界では小型武器による殺傷被害が大きいのは事実であり、規制が必要なのも事実だ。だが、ルワンダ・ジェノサイドの武器は斧やこん棒だった。斧やこん棒を規制しろとは誰も言わない。斧やこん棒が問題なのではなく、憎悪と迫害が問題だからだ。シリアで小型武器によって膨大な被害が出ても沈黙している政府が、化学兵器が使われたかもしれないと言うだけで大騒ぎするのはなぜか。171~2頁は、本書全体の流れから言っても違和感のある記述だ。削除したほうが、すっきり話が通る。
Thursday, September 19, 2013
他国の人権改善に無関心な国
18日から、国連人権理事会は普遍的定期審査(UPR)に入った。18日はトルクメニスタン、ブルキナファソ、ケープヴェルデ、19日はトゥヴァル、コロンビア、ウズベキスタン、ドイツ、ジブチ、カナダと続いた。作業部会での審査の結果が報告され、当該国家がどの勧告を受け入れ、どの勧告を拒否したかが明らかになり、最後に、各国及びNGOのまとめの発言があり、最終報告が採択される。実質的な審査は作業部会で行われるので、人権理事会の手続きはセレモニーと化している。NGOの傍聴も少ない。ただ、作業部会で多く注文を付けたNGOは、最後まで参加してフォローしている。前から思っていたことだが、報告書を見ていて、日本政府の発言が非常に少ないことがわかる。たとえば、ドイツの審査にあたった作業部会では、ちょうど200の勧告が各国政府から出された。そのために各国とも、ドイツの状況を調べ、質問し、そして勧告を出している。結構な努力が必要だ。ドイツがすでに実現していることを、実現していないと誤解して勧告を出した政府は、恥をかくことになるからだ。それでもどこも積極的に発言する。東アジア、東南アジアを中心にチェックしてみると、フィリピン2、スリランカ2、インドネシア3、モルディヴ2、バングラデシュ3、インド4、ネパール2、カンボジア2、中国3、ヴェトナム1、朝鮮3、韓国1、マレーシア3、パキスタン3、タイ2と、どこもドイツに勧告を出している。フィリピン2と書いたのは、フィリピンがドイツに対して2つの勧告を出したという意味だ。しかし、日本は1つも出していない。18日の審議でも一度も発言しなかった。世界各国から200の勧告が出され、東アジア、東南アジアから36の勧告が出されたのだが、日本政府はひたすら沈黙していた。眠っていたのかもしれないが。コロンビアに対しては全部で160の勧告が出ている。アジアについてみると、フィリピン3、シンガポール2、パキスタン2、マレーシア2、ヴェトナム2、インドネシア2、カンボジア2、スリランカ2、韓国2、中国1、タイ2である。たとえば、韓国はコロンビアに対して「武装集団から先住民族を保護する措置をもっと強化し、権利を保障せよ」「高級軍人による重大人権侵害や女性に対する性暴力に関する不処罰を終わらせる努力をせよ」と勧告している。ところが、日本は1つも勧告を出していない。これまでの会期の中で、日本が他の諸国に勧告を出しているのを聞いたこともあることはあるが、極めて少ないと記憶している。改めてチェックしてみると、尋常ならざる少なさだ。他国の人権状況に関心を持っていないのだろうと推測せざるを得ない。UPRは国連加盟国が相互にチェックし合うことによって人権状況を改善する制度だが、日本政府は前向きとは言えない。他国に勧告するためには、第1に、相手国の人権状況をきちんと調査しなければならない。第2に、他の諸国やNGOと協議して、どのような勧告が望ましいかを検討しなければならない。第3に、自国がサボっていることを他国に勧告できない(日本の場合、これが最大のネックかもしれない)。外交官の数の少ない各国でさえ、さまざまな努力を通じて多くの勧告を出している。ひときわスタッフの多い日本なら簡単にできることなのに、あまりやらない。日本外交官にとっては、高級レストランで接待して、政府開発援助の密談をするほうがお得意なのだろうか。
このテーマは、国際人権法研究においても重要になりうる。日本の人権状況を、日本に対するUPRの内容から議論することはこれまでも行われている。国際人権法学者が、文書記録だけをもとにしてわかったようなことを言っているが、それは現場で人権NGOがやっていることの二番煎じに過ぎない。国際人権法学者が調査して発言するのなら、人権NGOスタッフではできないことをやってもらいたい。日本に対するUPRではなく、他の諸国に対するUPRにおいて日本がどのような発言をし、どのような勧告を出したのか。それは意味のある勧告だったのか。相手国は受け容れたのか、拒否したのか。日本は他の諸国に関するUPRで、どの人権項目に強い関心を示しているのか。こうしたことを明らかにすることで、日本の人権状況に裏側から光を当てることができる。国際人権法研究の大学院生で、やってくれる人はいないものか。
Wednesday, September 18, 2013
先住民族世界会議パネル討論
17日午後、国連人権理事会は、先住民族世界会議に関するパネル討論を行った。進行はウリセス・カンコラ・グティレス・メキシコ代表。開会あいさつはフラヴィア・パンシエリ人権高等弁務官代理。これまでの経過説明で、1977年のパレ・デ・ナシオンにおける先住民族NGO会議から、2007年の国連先住民族権利宣言までの発展を受けて2014年9月に先住民族世界会議を開催すことになったこと、これまでの準備状況などを話した。ニューヨーク、ジュネーヴでの会議とともに、ノルウェーのサーミ人の町アルタで準備会議を開いたという。その責任者が、ノルウェーのサーミ人国会議員のジョン・ヘンリクセンで、やはりご挨拶。続いて、アジアからバングラデシュのラジャ・デバシ・ロイ(先住民族フォーラム代表)、ペルーのアヤクチョ人のタニア・パリオナ・タルキ(先住民族グローバル調整グループ)、カナダのファーストネーションのウィルトン・リトルチャイルド(先住民族の権利専門メカニズム)、そしてアフリカからマリのソヤタ・マイガ(アフリカ人権委員会、アフリカ女性法律家委員会)が発言した。世界会議は先住民族の権利に関する包括的な戦略と行動計画を作ることになる。後半の各国政府による討論を一部しか聞かなかったので、日本政府が発言したかどうかわからない。アイヌ民族および琉球/沖縄民族にとってとても重要な世界会議だ。
Tuesday, September 17, 2013
絶望だらけの<希望の牧場>から
針谷勉『原発一揆――警戒区域で闘い続けるベコ屋の記録』(サイゾー)
福島第一原発事故により廃業した農家、廃業の危機に陥った農家はどれだけあるだろう。土地も施設も放棄し、家畜を殺処分せざるを得なかった牧場はどれだけあるだろうか。原発事故は、人間だけでなく、家畜も、自然の動物たちも危機に追いやった。そうした中、「決死救命、団結!」を決意し、闘い続けている吉沢正巳の<希望の牧場・ふくしま>が輝いている。だが、その輝きとはいったい何なのか。どれほどの絶望の上にあるのか。AFP通信社に所属する映像ジャーナリストの著者は、吉沢と希望の牧場を取材しているうちに、なんと吉沢とともに闘いはじめ、ついに希望の牧場立ち上げにかかわり、なんと事務局長になってしまった。新人ジャーナリストなら、取材対象の魅力にひきこまれて、一緒に闘ってしまう、つまりある意味では「ジャーナリスト失格」になってしまうことはよくあるかもしれない。しかし、著者は新人ではない。にもかかわらず、取材対処に意気投合し、惚れ込み、ともに闘っている。しかも、ジャーナリストであり続けている。底知れぬ絶望の中、先の見えない暗闇のさらに闇の中、息苦しさにもだえるようにして、彼らはあくまでも「命」に向き合う。どこまでも「命」を問い続ける。徹底して「命」を掲げる。無責任な国と東電を相手に闘い続ける。見えない放射能を相手に闘い続ける。それが一揆であり、決死救命であり、団結だ。この信じがたい骨太の意地を、写真と文章で記録したのが本書だ。吉沢の話は何度か聞く機会があった。決して話し上手ではないが、肺腑をえぐられる話だ。その吉沢を著者・針谷が描く。頭が下がる。
良心的兵役拒否決議案インフォーマル協議
17日午後、国連欧州本部で開催中の国連人権理事会24会期において、良心的兵役拒否に関する決議案のインフォーマル協議があったので、参加した。参加者は40名ほど。主催は、クロアチア、コスタリカ、ポーランド。決議案の修正案が配布された。10日に最初の案の検討会があったらしい。修正案は、全文が7パラグラフ、本文が20パラグラフ。あちこちに修正が施されている。パラグラフごとに、さらに修正意見があるかどうか、という形で進行。エジプト、キューバ、シンガポール、イギリスが頻繁に発言。そのほかにアメリカ、タイ、エストニア、アイルランド、スイス、オーストリア、ロシアなど。メキシコ、フィンランド、チェコは参加していたが発言しなかった。オーストリア、スイスは修正案でよいと述べたが、その後、エジプト、キューバ、イギリスなどが次々と修正意見を出した。修正内容は、すべて決議案をトーンダウンさせる内容だった。「人権高等弁務官事務所作成のガイドブック出版を歓迎する」を「考慮する」に変えるとか、「各国に良心的兵役拒否を許容するよう呼びかける」を「許容することを検討するよう呼びかける」のように、次々と骨抜きになっていった。いささか腹を立てつつ、笑ったのは、この件ではキューバとアメリカが見事に意気投合していたことだ。いつもは猛烈に批判し合う両国だが、キューバが修正案を出すと、アメリカが「賛成」。アメリカが意見を述べると、キューバが「先ほどアメリカが言った通り…」という調子だ。コスタリカ以外はすべて軍隊を持っている国だ。コスタリカ以外の軍隊のない国の代表は参加していなかった。軍隊がないので兵役もなく、兵役拒否もないから、関心がないだろう。先週、国際友和会(IFOR)のミシェル・モノーが「人権理事会が兵役拒否の権利を取り上げるのは初めてだから重要だ」と言っていた。これまでも他の議題の中で話題になったことはあるが、兵役拒否を議題として、決議まで出すというのだから重要なのは間違いない。第一次大戦時には、イギリスでもドイツでも、兵役拒否者は死刑だった。1000人規模で死刑になっている。第二次大戦時には、懲役刑だった。日本でも兵役拒否は犯罪だった。第二次大戦後、徐々に変わってきたが、第1に、兵役義務のない国家が増えた。アメリカでさえ志願制だ。第2に、良心的兵役拒否を認める国が増えた。「良心的」の解釈は国によって違い、明確な宗教的理由でなければ認めない国もあるが、ともあれ兵役拒否が徐々に認められるようになっている。ミクロネシア連邦憲法には兵役拒否の権利が明記されている。それでも、韓国やイスラエルのように兵役拒否を犯罪としている国もある。国連人権理事会というレベルで決議を出すことの意味は、第1に、良心的兵役拒否を認めることが世界的傾向になったことである。第2に、その根拠として思想信条の自由を明記したことである。第3に、義務としての兵役よりも志願制に移行するのがよいという考えを一応していることである。最初の案では、もっと強く志願制に移行するように呼び掛けていたようだが、トーンダウンしている。第4に、兵役拒否の代替奉仕の幅を広げて認めようとしていることである。軍隊がないことになっているのに、憲法を無視して事実上の軍隊を持ち、さらに国防軍にしたいとか兵役を盛り込みたいなどという議論が起きている日本では、こういう議論さえ知られることがない。軍隊がない、兵役がない、だから兵役拒否についてまじめに考えない。そのため、兵役拒否の権利が世界に広まっていることも考えようとしない。
国連人権理事会:平和への権利セミナー
16日午後1~3時、国連欧州本部・第23会議で、平和への権利セミナーが開催された。主催は、コスタリカ、ヴァチカン(Holy See)、マルタ騎士団(Order of Malta)。参加者は100名を超えていた。事前に国連人権理事会のボードに出た案内では「平和への権利」だったが、当日の正式文書では「平和と人権」となっていた(ここが一番重要なのだが)。議長はマリア・テレーゼ・ピクテ・アルタン(マルタ騎士団)。発言者は、シルヴァノ・トマシ(司教、ヴァチカン)、フラヴィア・パンシエリ(人権高等弁務官代理のアシスタント)、クリスチャン・ギヨメ・フェルナンデス(コスタリカ大使、国連人権理事会平和への権利宣言作業グループ議長)、ニコラ・ミシェル(元国連事務総長法律顧問)、ミシェル・ヴューティ(マルタ騎士団ジュネーヴ代表代理、元赤十字国際委員会)。少し遅れていったので、パンシエリ発言の途中だった。メインの報告はクリスチャン・ギヨメ報告。質疑応答では、イラクで息子を殺された人権活動家女性の体験、コンゴ民主共和国のジェノサイドを経験した男性の体験が語られ、この男性は「コンゴでは教会の存在が全く見えなかった。教会は何をする存在なのか」と非常に厳しい質問をしたので、シーンとなった。ヴァチカンが主催者の集会だ。「う~ん、ここでその質問をしても答えられないよな」と思いながら聞いていたら、ピクテ議長とトマシ司教が誠実に答えていた。誠実というのは、個人として誠実に、だ。ヴァチカンそのものの役割についてはごく一般論しか答えなかった。発展の権利と平和への権利の関係についての質問では、クリスチャンが「積極的平和と消極的平和」の文脈で答えた。安保理事会常任理事国批判の不処罰に関する質問も続いた。正義と赦しと和解をめぐる意見交換も印象的だった。OIC代表は、平和は対話に基づき、暴力は対話を断ち切るが、「保護する責任」は平和に見せかけて対話を断ち切る動きではないかと質問した。シリア問題に関連する質問だ。最後のヴューティ発言は、まもなく第一次大戦から100年、第二次大戦から70年になる。節目節目の年に、平和の意味を問い直し、国際平和を実現するための不断の努力を、とまとめた。参加者の多くは、平和への権利国連宣言の起草過程についてほとんど知らない人たちだ。入門編と言ってよいだろう。カルロス、ダヴィドは来ていなかったようだ。ミコルのみ。
Monday, September 16, 2013
国連人権理事会で「慰安婦」問題の真実・正義・補償を求める(2)
16日午前、ジュネーヴの国連欧州本部で開催中の国連人権理事会24会期において、NGOの国際人権活動日本委員会(JWCHR、前田朗)は、要旨次のように発言した。「真実・正義・補償の促進に関する特別報告者の報告書を歓迎する。日本における性奴隷制問題の最近の状況について紹介する。日本政府は1992年以来、道義的責任のもとにいくつかの措置を講じたが、法的責任を認めず、被害者が求める真実・正義・補償に応じていない。国連機関からの勧告を拒否し続けている。安倍内閣は、条約委員会の勧告には拘束力がないから従う必要はないと表明した。安倍首相は強制の証拠はないと主張している。侵略戦争の謝罪も取り消すと言い出している。私たちは、新しい国際メモリアルデー運動を始めた。金学順さんがカムアウトした8月14日を記念して、先月、東京その他世界各地で、最初のメモリアルデー行事をもち、8月14日を国連メモリアルデーにしようと宣言した」。国際メモリアルデーに関する部分は、東京集会宣言文の2節をそのまま借用した。これは13日のアムネスティ・インターナショナル及びヒューマン・ライツ・ナウに続く発言である。議題3全体ではNGO発言は40ほどあったので、そのうち3つになる。アフガニスタン、イラク、イラン、カシミール、モロッコ、スーダン、コンゴ民主共和国、パラグアイ、チベット、死刑、拷問、失踪、人身売買、人権教育など世界中の重大人権侵害が報告されるので、日本軍性奴隷制の発言が3つというのは、限界だろう。これ以上多くやると、他のNGOから、多すぎると言われてしまう。90年代後半には5つ、6つのこともよくあったが。発言終了後、オランダの対日道義請求財団の方が、とてもよかったと言ってくれた。韓国外交部顧問から感謝されて、お詫びも感謝も、するのはこちらです、と。JWCHR発言の後、議題3が終わって、議題4の「シリア問題」に移った。このため、16日は凄い参加者だった。いつもは300~400のところ、満席で立見が出ていたので、1000人近かっただろう。大半はシリア問題しか頭にない人たちとはいえ、大勢いるところで日本軍性奴隷制の発言が出来たのは良かった。というわけで、悪魔の赤ラベル、NOIR DIVIN, Domaine du Paradis, Geneve 2011.
Sunday, September 15, 2013
「ドストエフスキー的状況」との格闘
河原宏『ドストエフスキーとマルクス』(彩流社)
http://www.sairyusha.co.jp/bd/isbn978-4-7791-1793-0.html
一日かけて通読したが、熟読とは言えず、後日、再読しなければならない。いったいこの本は何であり、誰に向けて差し出されたものなのだろうか。19世紀を生きて資本の運動法則と格闘して革命の必然性を論じたマルクスと、他方、同時代のロシアで「神」から逃走しながら「神」に突入していったドストエフスキーと。その両者に学ぶこととは、「彼らが求めた所を求めなければならない」という。『ユダヤ人問題』『経済学哲学草稿』『資本論』、『罪と罰』『悪霊』『カラマーゾフの兄弟』――彼らが書いたことを引き写したり、あれこれ解釈するのではなく、19世紀に彼らが直面し、問い続けた課題を、21世紀の今、著者の思想として時代に立ち向かうこと。著者は、文学者でもなければマルクス学者でもなく、日本政治思想史研究者だ。「神」「ユダヤ人」「自由」をめぐるドストエフスキーとマルクスの思索の懸隔――はるか彼方で遠く交響するその出会いと行き違いと矛盾を一手に引き受けて、著者は「王様は裸だ!」という子どもの目で「革命を革命する」。革命された革命がいかにして循環するべきか。そこに「笑い」が待ち受ける。現代におけるインフレ、恐慌、食糧問題を解くための「くに」づくり構想はサンマリノ共和国をモデルとしているが、なお明快とはいいがたい。ともあれ、再読三読すべき1冊。河原ゼミ出身でもある編集者が付した内容紹介は次の通り。
<「何も信じられない」現代日本の、「ドストエフスキー的状況」>
<十九世紀に、二人の偉大な革命家がいた――ドストエフスキーとマルクス。二人に共通する偉大さは、その生きた時代を超える革命家だったことにある。しかし、1990年代以降のソ連と社会主義圏の解体以後、近代的な戦争も革命もなくなり、すべての思想が持つものだったはずの革命的性格は既存の体制維持の用具へと変貌し、思想は死んだ。これはマルクス、ドストエフスキーの予想もしなかったことである。本書は、古い「革命」概念にしがみつくのを止め、古い「革命」主義を革命する指針をしめす。マルクスとドストエフスキーの二人を並べ、理論としても現実的にも、「近代」の革命論を総括したマルクス。しかしそのマルクスに欠けていた神と宗教の問題を、ドストエフスキーによって補う。本書ではマルクスとドストエフスキーを考えていくなかで、「神」「解放」「自由」「革命」「素朴」などの概念を問い、最後に「笑い」の問題をとり上げていく。>
河原 宏:1928年東京生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科博士課程修了。政治学博士。早稲田大学理工学部にて助教授、教授。1998年、退職し、名誉教授。日本政治思想史、また日本文化論について著書多数。2012 年2 月28 日没。主な著書に、『転換期の思想-日本近代化をめぐって』(早稲田大学出版部、1963)、『西郷伝説─「東洋的人格」の再発見』(講談社現代新書 1971)、『昭和政治思想研究』(早稲田大学出版部 1979)、『伝統思想と民衆-日本政治思想史研究1』(成文堂 1987)、『「自在」に生きた日本人』(農文協 1998)、『科学文明の「信」を問う─ 存在・時間・生命の情理』(人文書院 2003)、『空海 民衆と共に─信仰と労働・技術』(人文書院 2004)、『日本人はなんのために働いてきたのか』(ユビキタ・スタジオ 2006)、『新版 日本人の「戦争」─古典と死生の間で』(ユビキタ・スタジオ2008)など。
Saturday, September 14, 2013
国連人権理事会で「慰安婦」問題の真実・正義・補償を求める
12~13日、国連人権理事会24会期において、パブロ・デ・グリーフ「真実・正義・補償・再発防止保障の促進に関する特別報告者」及びグルナラ・シャヒニアン「奴隷制の現代的諸形態に関する特別報告者」の報告書プレゼンテーションがあり、そののちに議論が行われた。NGOの発言は10団体までのため、発言希望の登録をしても発言できるとは限らない。アムネスティ・インターナショナル(フランチスカ・クリステン)は、日本軍「慰安婦」問題について、日本政府が道義的責任を認めつつ法的責任をとらず、真実・正義・補償が実現されていないとし、欧米諸国の議会における決議に触れたうえで、国際基準に従った解決が必要であるとし、日本はG8のメンバーなのでG8諸国も関心を持つべきであるとし、さらに、11日に国連欧州本部で開催したシンポジウム(グリーフ特別報告者や私が報告したシンポ)の内容を紹介した。ヒューマン・ライツ・ナウ(元百合子)は、日本軍性奴隷制には十分な証拠があり、法的責任、補償、情報公開、実行者処罰が必要だが、どれも実現していないとし、それどころか安倍や橋下が暴言を続けているうえ、安倍内閣は条約委員会からの勧告に従う必要はないと閣議決定までしたことを紹介し、人権理事国であるにもかかわらず性暴力の事実を否定したり、虐殺を正当化したりするようなことのないように、グリーフ特別報告者が日本を訪問して調査するように要請した。
Friday, September 13, 2013
ポルノ被害と性暴力を考える会編『森美術館問題と性暴力表現』
ポルノ被害と性暴力を考える会編『森美術館問題と性暴力表現』(不磨書房)
私も執筆者の一人だが、出版されてはじめて他の著者の文章を読んだ。ほぼ同じ考えの持ち主による共著と言えばそうなのだが、私は、編者である「ポルノ被害と性暴力を考える会」会員ではないため、一度も会ったことのない共著者、一度しか会ったことのない共著者などもいる。一読しておもしろかったのは、私が言おうとしてきちんと表現できていなかったことが、すでに他の著者によってはっきりと表現されていることだ。イダヒロユキは「主流秩序」(私たちを取りこみ縛っている価値と規範の序列体系)というキーワードを用いて、ジェンダー秩序、性差別秩序が差別や抑圧をもたらしていると見る。イダは、会田誠の作品について「主流秩序の価値観をなぞった平凡な作品にすぎず、そこに深い批判性などない」「会田作品はアイキャッチャー的に若い女性の体を利用しているだけ」と述べる。私が「別にタブーに挑戦しているわけではないのです。ポルノ大国において通有しているポルノ容認の価値観にどっぷり浸かっているだけです」「才能がないからポルノに走る」と述べたことを、理論的に整理してくれたものと言える。イダはまもなく『主流秩序――囚われの正体と責任、そして離脱の方法』という本を出版する予定だという。梅山美智子は、男性雑誌編集者だった経験をもとに、雑誌がどのような男性目線で作られていくかを明らかにしている。岡野八代は、女性差別のヘイトクライムを鋭く切開し、尊厳を守るとはどういうことなのかを説く。日本におけるヘイトスピーチ論議では、被害が起きているのに被害とは認めないのが主流である。どんなひどい差別発言でも「被害はない。表現の自由だ」というのが憲法学の決まり文句である。岡野はまず被害の所在を明確にして議論をしている。私は「ジェンダー・ヘイトスピーチ」について考えてきたが、岡野論文に学んで再考したい。西山千恵子は、性の政治と「芸術」の特権性を取り上げ、公園などに堂々と設置されている女性ヌード彫刻の意味を考え直し、「芸術における女性への暴力」を問う。森田成也は、近代法における古典的な表現の自由と、そこから発展した現代における表現の自由の歴史的意味と法的意味を整理して、「表現の自由」派が、そもそも表現の自由をまともに理解していないことを厳しく批判する。まさに私が主張してきたことと重なる。そのほか、討論集会の記録や、関連連資料も収録されている。
著者:イダヒロユキ(立命館大学大学院先端総合学術研究課非常勤講師)、梅山美智子(フリーライター)、岡野八代(同志社大学グローバル・スタディーズ研究科・教員)、角田由紀子(弁護士)、西山千恵子(青山学院大学・慶應義塾大学非常勤講師)、前田 朗(東京造形大学教授)、宮口高枝(ヒューマン・サービスセンター理事/劣化ウラン廃絶港ネットワーク代表)、森田成也(駒澤大学・國學院大学非常勤講師)、宮本節子(フリー・ソーシャルワーカー)、横田千代子(社会福祉法人ベテスダ奉仕女母の家/婦人保健施設「いずみ寮」施設長)
Thursday, September 12, 2013
ジェンダー統合と市民社会の貢献パネル
12日、国連人権理事会は「ジェンダー・パースペクティヴの人権理事会の作業への統合への市民社会の貢献」をめぐるパネル・ディスカッションを行った。司会は世界YWCA事務局長のニャラザイ・グンボンヴァンダ、開会演説は国連人権高等弁務官のナバネセム・ピレイ、パネリストは、チョロカ・ベヤニ(国内避難民の人権に関する特別報告者、男)、モスン・ハッサン(フェミニスト研究のためのNazra)、ネハ・ソーダ(人口開発カナダ行動事務局長)、ペニー・ウィリアムス(女性と少女のためのグローバル大使)であった。ベヤニだけ男性。ジェンダー・パースペクティヴ統合のパネルは毎年われていて、今回が6回目で、市民社会の貢献をテーマにした。
ピレイ人権高等弁務官が、次のように述べた。人権理事会決議6/30が、女性の人権の促進における女性団体、人権活動家、NGOの役割を強調している。人権理事会は2007年に「制度構築」を掲げ、特別手続きと普遍的定期審査(UPR)が動いている。特別手続きの下で33のプログラムが動いているが約半分がジェンダー次元を取り上げている。陰険理事会の初期の13会期におけるすべての勧告は、23,479あったが、17%の4,070が女性の人権とジェンダーに関するものであった。その3分の1が「女性に対する暴力」に関するものである。最近の勧告でもジェンダーに関するものが増えている。人権理事会における理事国の代表を見ても、2010年には女性が29%だったが、2013年6月の人権理事会23会期では32%が女性であった。23会期におけるパネル・ディスカッションの発言者は女性が52%だった。チョロカ・ベヤニは、2006年の人権理事会創設以来、人権理事会の数々の特別手続きを調整する責任者であり、すべての特別手続きの審議に女性の人権とジェンダーを統合するために努力してきた。モスン・ハッサンは中東における女性人権活動家として知られる。ネハ・スーダは、UPR審議におけるジェンダーと性別のテーマについて調査研究した結果を報告した。パネル後半では、EU、コスタリカ、アメリカ、キューバ、ヴェネスエラ、トルコ、メキシコ、アイルランド、ブラジル、クウェート、ポーランド、モンテネグロなどが次々と発言したが、いずれも建前通り、女性の人権の重視と、NGOの活動の重要性を唱えていた。日本政府は発言しなかった。
Wednesday, September 11, 2013
死刑囚の子どもの権利に関する議論
11日午前、国連人権理事会第24会期で、「死刑を言い渡され、または執行された両親の子どもの人権に関するパネル・ディスカッション」が行われた。人権高等弁務官事務所の年次報告書(A/HRC/24/18)を踏まえての討論である。
冒頭に、人権高等弁務官代理のフラヴィア・パンシエリが、基調報告をした。最初に国連加盟国193のうち150以上の国が、死刑を廃止し、又は事実上の廃止国となっている、と述べた。120くらいと思っていたが、彼女ははっきりと150以上と言ったので、要調査。報告は、死刑廃止条約、子どもの権利条約CRC、これまでの人権理事会決議などをもとにしたもので、特にCRC3条、19条、20条、27条1項を強調した。また、マスコミで報道された事件で親が死刑を言い渡された子どもが差別的な状況に置かれること、人種・民族・宗教に基づく差別が死刑による苦痛を加重させること、親が処刑されて子どもがストリートチルドレンになる場合があること、教育を受ける機会が奪われることなどを述べていた。
アムネスティ・インターナショナル主催の「慰安婦」問題シンポに出なければならないため、パンシエリ報告が終わると会場を出なければならず、パネル・ディスカッションを聞くことが出来なかった。死刑を言い渡された者の処遇については日本でもこれまで議論はなされてきた。しかし、死刑囚の家族、特に子どもについての議論はあまりなされてこなかったと思う。
日本軍性奴隷制・ジュネーヴ・シンポジウム
9月11日、ジュネーヴの国連欧州本部の会議室21で、アムネスティ・インターナショナル主催のサイドイベント「日本軍性奴隷制の生存者に正義を」が開催された。サイドイベントというのは、9日から、同じ国連欧州本部の会議室20で国連人権理事会第24会期が開催されているので、そのサイドイベントという意味である。イベントを準備したのはAIと韓国挺身隊問題対策協議会である。開始直後に数えた時は90名の参加。その後出入りがあった。冒頭に挺対協が持参した被害者証言ビデオを上映。続いて、挺対協のユン・ミヒャンが基調報告。そして、韓国の被害生存者キム・ボクドンさんの証言。台北婦女救援基金のファン・シューリン発言。そして、国連人権理事会の特別報告者パブロ・デ・グリーフ報告。国際活動の紹介として、キャサリン・バラクラフ(AI東アジアキャンペーン担当)、及びジュンヨン・ジェニー・ヘオとクボタ・ハルホ(ともにカナダから来た若手活動家)。最後に、私が、日本政府が補償を怠り、正義が実現されていないことについて発言。この問題に取り組んできた人なら知っていることばかりなので、詳細は省略。
パブロ・デ・グリーフ特別報告者は、2012年から、国連人権理事会の「真実、正義、補償、再発防止保障の促進に関する特別報告者」である。2001年から、ニューロークで「移行期司法のための国際センター」研究局長であった。その前は、ニューヨーク州立大学の哲学准教授で、倫理学と政治理論も教えていた。民主主義、民主主義理論、道徳・政治・法の関係に関する研究をし、著作を公表し、移行期司法のための国際センターで関連著書を出している。シンポジウムでの発言では、日本軍「慰安婦」問題について、クマラスワミ報告書やマクドゥーガル報告書などをもとに国際法上の結論が出ていることを指摘し、それに対して日本政府が正義を提供したかどうかが問題と詩、謝罪、補償、教育(歴史教科書問題)などについて発言した。私が言うべきことの多くを、グリーフ特別報告者が言ってくれたので、私は少し予定を変えて、90年前の9月に起きた関東大震災コリアン・ジェノサイドの話や、2000年女性国際戦犯法廷のこと、麻生のナチス発言にも触れた。そして最後に、最近始めた8月14日を国際メモリアルデーにしようという運動の紹介をした。国際メモリアルデー運動の8月集会宣言文は会場で配布した。要領を得ない発言だったが、終了するや韓国の外交官がやってきて「とてもよかった」と言ってくれた。たぶん、国連ではろくでもない日本外交官にしか会えなかったので、私の報告がまともに聞こえたのだろう。オランダの日本軍収容所被害者で、対日道義請求財団のアドリアンセン・シュミットさんやブリジット・ファン・ハルダーさんも参加。というわけで、CORNALIN,Valais Sion, 2010.
Tuesday, September 10, 2013
国際政治経済予測と対応する戦略提案
中野剛志『日本防衛論――グローバル・リスクと国民の選択』(角川SSC新書)
「異能の官僚が描く壮大な新国家戦略の全貌」だそうだ。2050年までを射程にした国際政治経済予測を立てて、それに対応する戦略を論じているので、たしかに。もっとも、日本に何ができるかと問いを立てているが、あまり何もできないという答えのように読める。とおあれ、大胆な予測と分析の本で、それなりに楽しめる。著者は良く勉強している。「異能の官僚」というのは、最近よく目につくような気もする。元官僚で、研究熱心で、さまざまな分野で活躍している評論家は多い。著者は『TPP亡国論』(集英社新書)で話題になったようだが、読んでいないので、良くわからない。その後も『日本破滅論』『官僚の反逆』『日本思想史新論』と、新書を量産しているようだ。元京都大学准教授。なぜか元で、いまは評論家とのこと。本書はかなり舎弟の広い議論で、国際経済が中心なので、なんとも論評する能力がないが、それなりにおもしろい。グローバル・リスクに対処する戦略が必要な時代なのに、日本にはそれが欠落しているという。なるほどと思う。2012年11月段階で、日本経済のリスクシナリオとして想定するべきことは、ユーロ危機、アメリカの景気後退、新興国の構造不況、地政学的変動、気候変動、地殻変動の6つであり、これらの的確な分析に基づいた対処を呼びかけている。これもなるほどと思う。原発再稼働を呼びかけたり、日本核保有のシナリオを論じたり、血気盛んな若手評論家という事だろうか。2050年を見据えたおみくじ占いの一つ一つにコメントする能力はないが、危機は常に外からやって来るという議論の仕方に違和感がある。日本は素晴らしくて、何も問題はないのに、外からリスクが押し寄せて来るから対処しないといけないが、いまの日本政府や日本人はその準備ができていないと批判している。でも、本当の危機は中からくるものではないだろうか。
Sunday, September 08, 2013
ローゼンガルト美術館散歩
ローゼンガルト美術館(ローゼンガルト・コレクション・ルツェルン)は、ルツェルン駅からピラトゥス通りに入ってすぐのところにある。裏手は、ロイス川のカペル橋と水の塔だ。ルツイェルンといえば、カペル橋、シュプロイヤー橋、ギュッチ展望台、ライオン像、氷河公園、ホープ教会、イエズス教会、ムー絶句城壁、そして湖の遊覧船だ。かつては旧市街にピカソ・ハウスがあり、ピカソの写真が多数展示されていたが、それもすべてローゼンガルト美術館に移された。ローゼンガルトとは画商ジーグフリート・ローゼンガルトの名前で、1930年代には主に印象派の作品を扱っていたが、1950年代からピカソとパウル・クレーに力を注いだ。クレーは1940年に亡くなっていたが、ピカソは長生きしたので、ローゼンガルトはピカソと親交を持った。ピカソは娘アンジェラ・ローゼンガルトの肖像画を描いている。鉛筆のものも、リトグラフもある。ローゼンガルト美術館1階はピカソがずらりと並ぶ。「カフェのバイオリン」(1913年)、「マントルピースのギター」(1921年)、「窓の前のテーブル」(1919年)、「窓の前で眠る裸婦」(1934年)、「ヌシュ・エリュアールの肖像」(1938年)、「ボートの少女(マヤ)」(1938年)、「麦わら帽子の女」(1938年)、「座っている裸婦(ドナ・マール)」(1941年)、「ドナ・マールの肖像」(1943年)、「戯れる女と犬」(1953年)、「アトリエのジャクリーヌ」(1956年)、「アトリエの女」(1956年)、「青い肘掛椅子の女」(1960年)、「帽子をかぶった女」(1961年)、「草上の昼食(マネの後に)」(1961年)、「画家」(1963年)、「横たわる女」(1964年)、「プロヴァンスの田舎」(1965年)、「パイプを持った男」(1968年)、「パイプと花を持った紳士」(1968年)、「立っている裸婦とパイプを持った男」(1968年)など。スケッチあり、油彩あり、彫刻あり、花瓶あり、皿ありだ。西岡文彦『ピカソは本当に偉いのか?』を読みながら、ピカソ作品を見たのはなんとも言いがたい経験ではある。他方、地下はすべてクレーだ。チュニス旅行の作から晩年まで多彩な作品が百数十点。「チュニスのサンジェルマン」(1914年)、「最初の動物たち」(1919年)、「アスコナ」(1920年)、「心臓の女王」(1922年)、「ある11月の夜の冒険の記憶」(1922年)、「エロス」(1923年)、「魚の絵」(1925年)、「星々と門」(1926年)、「クリスタルラインの景色」(1929年)、「ロマンティックな公園」(1930年)、「リトルX」(1938年)、「冬の太陽」(1938年)など。2階には、ピサロ、モネ(アムステルダム、ヴェロン教会)、ルノアール(裸婦、タンバリンを持ったイタリア女性)、セザンヌ、スーラ、シニャック、ボナール、ユトリロ、モディリアニ、ルオー、レジェ、ブラック(パイプのあるテーブル、プログラム)、マチス、ミロ、シャガール(ロシアの村、モデルたち、オペラ座の前で、赤い太陽)、カンディンスキーが展示されている。印象派、後期印象派、キュビズム、表現主義まで。第二次大戦後のピカソは別格。
ピカソはなぜピカソなのか
西岡文彦『ピカソは本当に偉いのか?』(新潮新書)
<「あんな絵」にどうして高値がつくの?みんなホントにわかってるの?アート世界の身勝手な理屈をあばいた「目からウロコの芸術論」>という宣伝文句。著者は版画家で多摩美術大学教授。本署が冒頭で掲げる疑問は、この絵は本当に美しいのか?、見るものにそう思わせる絵が、どうして偉大な芸術とされるのか? かりに偉大な芸術としても、その絵にどうしてあれほどの高値がつくのか?。その他いくつもの問いを投げかけ、順次開設している。まずは「絵画バブルの父」ということで、画商の存在が解説される。つまり、アートそのものではなく、アートビジネスの問題である。と書くと、ミスリーディングだ。今やアートビジネス抜きにアートは成立しないので、「アートそのものではなく」という表現は不適切だ。次にピカソの個人的資質と才能。画家としての才能もそうだが、それ以上に人心操作にたえた人物という話。そのうえで、近代西欧絵画史における発展、革新の問題が解説される。印象派とは何だったのか、そしてキュビズムとは何か。<マネは「時代」を、モネは「光」を、ドラクロワは「感覚」を、それぞれ画面に描き留めることを願い、その創造的な試みの成就のために伝統を破壊せざるを得なかったわけです。ところがピカソはそうではありません。/ピカソ本院が、絵画は破壊の集積であると明言していることからもわかるように、その破壊は明らかに破壊自体を目的としたものでした。」>ここで「破壊のための芸術」が成立する。私が『森美術館問題と性暴力表現』の中で使った言葉では、「芸術がスキャンダルとなった時代」から「スキャンダルが芸術となる時代」への転換である。著者は「現代芸術はなぜ暴力と非常識を賛美するのか」と問いかけ、さまざまに答えている。おもしろかったのは、ボヘミアンの嘘だ。芸術家はボヘミアンを気取り、世間もロマン主義的にボヘミアンとしての芸術家を許容しているが、実際の芸術家はボヘミアンでもなんでもなく、気取ってそのふりをしているだけだ。そのことが分かりやすく書かれている。本書はピカソのわかりにくさと偉大さをやさしく解説している。その後の現代アートを直接取り上げていないが、おおむね、本書の趣旨に従って考えれば、現代アートの「魅力」と「インチキぶり」がわかるようになる。
Friday, September 06, 2013
民族紛争の事例と理論を探る
月村太郎『民族紛争』(岩波新書)
Ⅰ部「世界各地の民族紛争」では、スリランカ、クロアチアとボスニア、ルワンダ、ナゴルノ・カラバフ、キプロス、コソヴォの6つの事例を、歴史的に紹介し、民族紛争の発生の要因や、終結へ向かうプロセスなどを考えるための素材としている。Ⅱ部「民族紛争を理解する為に」では、発生、予防、「成長」、終了から再建へのプロセスを理論的に説明している。ざっと読んで勉強になった。
大筋で言うと、書かれていることはよくわかる。表題通りの著作である。なるほど、これら6つの事例の経過がよくわかるし、著者が民族紛争をどのようにとらえて記述しているのかもよくわかる。ただ、書かれていないことは、よくわからない。なぜ、この6事例なのか、11~12頁にそっけない説明らしきものがあるが、わからない。また、発生については、構造的要因、政治的要因、経済的要因、社会文化的要因が解説される。書いてあることは、よくわかり、納得できる。ただ、なぜ、この4要因なのかがわからない。予防の部分でも、連邦制、文化的自治、多極共存制という3つのシステムが解説される。なぜ、この3システムなのかはわからない。多極共存制の特徴は、大連合、相互拒否権、民族的比率に基づく資源配分、各民族の自律性の4点だという。なぜ、この4点なのかがわからない。本書に一貫した特徴は、なぜ、その要因やシステムや特徴が抽出されたのか、その思考過程が示されていないことである。著者のこれまでの研究成果なのだ、ということなのだろうが。そして、もっと気になるのは、Ⅰ部とⅡ部が有機的に結びついていないことだ。220頁ほどの著作で、Ⅰ部の6事例に170頁までを費やしている。その後に、Ⅱ部が50頁ほど続く。だが、記述を見る限り、Ⅰ部の事例編からの帰納によってⅡ部が構成されているようには見えない。もちろん、演繹でもない。Ⅰ部に書いていることは理解できる。Ⅱ部に書いてあることも理解できる(上記の疑問は別として)。Ⅰ部とⅡ部が、事例編と理論編のはずなのに、それぞれ独立しているように見えるのが不思議なところだ。
著者の思考様式と、私の思考様式がかなり違うためだろう。著者の思考様式、思考過程を読み取れない私の問題なのかもしれない。一例だけあげると、次の文章は、私を混乱させる。
「本来、宗教とは公的な信仰体系であった。しかし、それが世界観に繋がり、また人間の生活をしばしば外形的に制約する為に、ある宗教を信ずるか否かが、ときにはその属する社会や国家への忠誠の有無と同一視されることもあった。江戸時代の『踏み絵』が恰好の例である。こうした『踏み絵』としての宗教の機能は紛争において一定の役割を果たすことがある。」(183頁)
なぜ、「しかし」という逆接の接続詞が用いられているのかよくわからない。「それゆえ」ではいけないのだろうか。「しかし」ならば、むしろ「宗教とは私的な信仰体系であった」のではないだろうか。このように悩んでしまう。
ベルン歴史博物館散歩
ベルン出身の画家アルベルト・アンカーがベルン市民の日常を作品に描いたキルヒェンフェルト橋を渡るとヘルヴェティア広場に出る。右にアルプス博物館、左に美術ホールがあり、正面にベルン歴史博物館がある。古城を思わせるつくりの博物館、のはずが、すっかり様変わりしていた。元からの建物の前に、白くてモダンな増築がなされていて、入口受付、売店、レストランになっていた。変わりように驚いたが、元の建物の前部に増築したもので、元の建物自体は残っている。この夏、ベルン歴史博物館は秦の始皇帝の展示だった。ベルン市内に「QIN」というポスターが大々的に張り出してあって、いった何かと思ったら秦の始皇帝Qin Shi Huang(紀元前259~210年)のようだ。展示は「始皇帝陵及び兵馬俑坑」で、始皇帝陵からの出土品だ。始皇帝の治績の解説はあまり多くなく、ひたすら世界遺産の出土品の凄さを体感させる展示だ。たぶん、日本でも展覧会が行われただろうが、見ていないので、ベルンでじっくりと見た。本来なら8000人が殉死するところを、8000体の人物像や兵馬俑を制作し、埋葬したスケールの大きさには驚嘆するしかない。紀元前3世紀にこれほどまでのスケールの墳墓を造営した文化の重みを痛感する。ベルン歴史博物館には、他にも常設展として、アジアの文物、ベルン地域の考古学、アインシュタイン博物館(アインシュタインはベルンの特許庁に勤務していたので、住んでいた建物は街中にあり、いまはアインシュタイン記念館となっている。歴史博物館には別途、展示がある)などがある。始皇帝展を見に来た家族連れが、他の展示も見ていた。ベルンで思いがけない中国史の勉強だった。
Wednesday, September 04, 2013
古代史のなぞ:継体天皇とは誰か
水谷千秋『継体天皇と朝鮮半島の謎』(文春新書)
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古代史ファンには、邪馬台国、応神・仁徳などいくつもの謎があり、論争があり、楽しい研究が続いているが、継体天皇も楽しめる謎だ。どう考えても、王朝が交替しているので、大和で何があったのか、越前の継体がなぜ天皇になれたのか、どんな人物だったのか、は昔からよく議論されてきた。古代文献史学では論じつくされたことだが、禁煙は考古学の進展により新たな発見、新たな論点が次々と登場している。本書でも、もともと文献史学研究者の著者が、考古学研究の成果を渉猟し、文献史学と考古学研究の総合を図っている。いまや古代史研究は文献史学だけではどうにもならない。著者は、仁徳系王統はほろんだとし、その理由を単に男子継承者が生まれなかったことだけではなく、経済力や国際関係の中で検討する。王統のライバルだけではなく、大和の豪族たちの盛衰(葛城、平群、大伴、物部、蘇我など)、そして越前の豪族や九州の豪族、さらには朝鮮半島との関係(権威、文化文明など、冠と大刀等)を総合的に検討している。その力関係の推移の帰結として、継体天皇を引き立てる力がこの時期に変革を実現したものとみる。また、直接証拠はないが、継体天皇は、一時期、朝鮮半島に渡っていた可能性が高いと見る。百済文化こそが当時の力の源泉という一面もあったという。
おもしろかったのは、「氏名」のエピソードだ。第1に、著者によると、日本にはもともと「氏」と「名」がなく、名前だけだったのが、5世紀後半に百済文化の影響で「氏」と「名」ができたという。第2に、中国では古代から「李」「王」など姓が一文字だが、日本では「大伴」「物部」のように二文字だ。これは、百済文化の影響だという。百済では二次姓が多かったという。朝鮮半島の姓は「金」「李」「朴」など一文字と思い込んでいると、古代史の常識と違うことが分かる。つまり、氏名をつけることも、姓を二文字にすることも、日本は朝鮮半島をまねたということだ。これが日本の伝統!(笑)
Sunday, September 01, 2013
ヘイト・クライム禁止法(37)
ジャマイカ政府報告書(CERD/C/JAM/16-20. 5 November 2012)によれば、条約4条に関する記述はごくわずかである。前回の審査の結果として人種差別撤廃委員会は、ジャマイカ政府に対して条約4条の留保を撤回し、特に人種主義団体の禁止に関する4条(b)を尊重した立法をするように勧告した。ジャマイカ政府は、条約2条と同様に、原稿の「基本的権利と自由の憲章」の下で十分な措置が取られており、人種や出身地に関してすべての人に権利が保障されていると述べている。
2条に関する部分で、「憲章」は憲法第3章改正を含むもので、検証13条3項(i)は、男女の別に基づいて、又は、人種、出身地、社会階級、皮膚の色、宗教並びに政治的意見に基づいて、差別されずに自由権を享受できるとしている。13条は差別や権利はく奪を容認するような法律を認めないことも明らかにしている。
ジャマイカ報告書は5条に関する記述が非常に長く、各論は充実しているが、4条に関してはそっけない。