Monday, August 03, 2009

ヘイト・クライム(12)

『統一評論』524号(2009年6月)

ヒューマン・ライツ再入門6

コリアン・ジェノサイドの真相解明を

――関東大震災朝鮮人虐殺ソウル・シンポジウム

 三月二八日、ソウル鐘路の韓国基督教会館で「関東大震災時朝鮮人虐殺――植民地犯罪、日本国家に責任を問う」が開催された。主催は「関東大震災における朝鮮人虐殺の真相糾明と名誉回復を求める日・韓・在日市民の会」、共催は韓国の民族問題研究所、およびアヒムナ運動本部である。

 基督教会館は、韓国民主化闘争の際の民衆運動の拠点のひとつだった。学生・労働者とともに、キリスト者による民主化の闘いが推し進められたからである。

独立運動・不逞鮮人・虐殺

冒頭、関東大震災朝鮮人虐殺の研究に人生をかけてきた姜徳相(滋賀県立大学名誉教授)のビデオ・メッセージが流された(以下の引用はシンポジウムの配布パンフレットによる)。

その問題提起は、事件を朝鮮民族独立運動に対する弾圧として再認識することであった。従来、震災の混乱時に「朝鮮人が井戸に毒を投げ入れた」という流言飛語が流れ、民衆が虐殺を惹き起こしたという神話が流通してきた。混乱時の流言飛語の自然発生性と、興奮状態の民衆による虐殺とが組み合わされたイメージが繰り返されてきた。

しかし、そこには大きな疑問がある。軍隊や警察の行動をていねいに見ていけば、事件の真相はまったく異なる。

 戒厳初動軍の中心となった部隊について見ると、九月一日夜半に警備救援出動した國府台野重砲連隊は、二日早朝に戒厳軍となり、岩波隊は朝鮮人二〇〇名を虐殺、松山隊は三〇〇名、また岡野隊は一七〇名を捕虜にした。

九月二日早朝、戒厳令を受けた習志野騎兵連隊は「敵は朝鮮人」の認識で出動し、問答無用の朝鮮人狩りを行った。

 民衆が流言飛語に乗せられて虐殺するよりも前に、最初から軍隊が組織的に虐殺した。続いて各地の警察が、朝鮮人暴動が発生したというデマを流した。軍隊や警察の行動を知った民衆が、各地で自警団を組織し、大虐殺に発展していく。混乱時の流言飛語による虐殺ではなく、軍隊と警察によって組織的に惹き起こされたことが明らかである。

それでは、なぜ日本軍はこれほど迅速に朝鮮人狩りを始めたのか。なぜ警察は朝鮮人暴動のデマを捏造したのか。

三・一朝鮮独立運動に先行する旧韓末の義兵戦争では、日本軍死者一三六、負傷者二二九、韓国義兵死者一七、七七九、負傷三、七〇六である。戦争というべき内実を持っていたことが見えてくる。義兵戦争に対する勝利の結果、日本は韓国を併合した。だからこそ現役陸海軍大将を総督とする統治が行われた。

「軍事警察の憲兵が行政を牛耳る軍政そのもので、朝鮮人は『服従か死か』の選択しかなかった。言論、集会、結社の自由を奪われ、その中で土地を奪われ、生存権を奪われていった。抵抗したり不平を洩らす者は『不逞鮮人』の烙印を押され監視、迫害の対象となった。所詮『大正時代』の日本の朝鮮認識は『不逞鮮人』『不逞唱歌』『不逞結社』等々『不逞』『不穏』にみちみちていた。『不逞』は不平、従順でないを意味した。天皇の領土を盗む不逞の輩とも使われた」。

その延長で三・一事件が発生した。独立万歳、生存権を主張する朝鮮民衆に対する弾圧は、「戦争の論理」にたって行われた。七、五〇〇名の犠牲は、まさに戦争被害である。その後も、日本軍と朝鮮軍の戦闘が繰り返された。三・一運動の影響を受けた中国四・三運動も日本に衝撃を与え、弾圧がいっそう激化した。東アジアにおける「植民地防衛戦争」という観点で見るべきである。

関東大震災時の戒厳軍の中心人物は、石庭二郎軍事参議官をはじめとして、朝鮮や満州で朝鮮独立運動と戦った経験のある軍人たちである。震災直後、軍隊は軍事参議官の私邸に兵士を派遣して警備している。朝鮮独立運動を弾圧し、大虐殺をした本人だとの認識があったからである。

同様に警察の中枢は、水野練太郎内務大臣と、赤池濃警視総監の二人であった。水野は、三・一事件当時、朝鮮総督府政務総監であり、赤池は総務局長だった。三・一事件の記憶を生々しく持っていた二人が、朝鮮人の抵抗に恐怖感を持って事態に対処しようとしたことは容易に推測できる。

軍隊と警察が率先して朝鮮人虐殺を実行し、朝鮮人暴動のデマを流して民衆を興奮させ、虐殺を煽動した。その結果、六、六六一名というおびただしい犠牲者が出た。「国家権力を主犯に民衆を従犯にした民族的大犯罪、大虐殺となったのである」。

 「この在日同胞の独立運動の一環を負うこの悲惨な犠牲に対してこんにちまで何ゆえに、調査、謝罪要求一つしないのか。国家は国民を守る義務がある。歴史に時効はない。今からでも遅くはない。上海臨時政府の法統を引き継ぐ韓国政府は、日本政府当局に朝鮮人が放火した、井戸に毒を投げたとの汚名からの名誉回復と謝罪と真相調査要求をしていただきたい。在日同胞の願いである。殺された人の遺族の悲しみはそれなしに消えない」。

日本国家の犯罪と民衆責任

 続いて、山田昭次(立教大学名誉教授)「関東大震災時朝鮮人虐殺事件の日本の国家責任」は、歴史資料を駆使して、虐殺のメカニズムを解明し、日本国家の責任の全体を構造的に明らかにした(山田報告の詳細はこれまでの本誌連載参照)。

 日本国家の責任は、「第一に朝鮮人虐殺そのものの責任」である。朝鮮人暴動という誤認情報を流し、戒厳令を布告し、大虐殺を惹き起こしたことである。

 しかし、それだけではない。朝鮮人暴動がないことが判明すると、官憲は国家責任隠蔽工作を展開した。それには次の四つがあるという。

①架空の朝鮮人暴動の捏造。

②朝鮮人を虐殺した自警団員に対して形式的な裁判を行って、国家責任を果たしたような外観を作った。他方、朝鮮人暴動流言を流した官憲や朝鮮人を虐殺した軍隊の罪は全く問われなかった。

③虐殺された朝鮮人の遺体を朝鮮人に引き渡さずこれを隠し、虐殺数や虐殺状況を徹底的に隠蔽した。

④官憲が編纂した関東大震災に関する歴史書は、朝鮮人虐殺の原因を朝鮮人自身と日本人民衆に押しつけ、朝鮮人虐殺の国家責任を隠蔽した。

このように国家責任とその隠蔽の問題性を抉り出しつつ、山田報告は、軍隊や警察に煽動された民衆の責任も問い直そうとする。日本民衆が朝鮮人に対して根強い差別と蔑視を抱いていたこと、自らの主体性を確立しえていなかったことが、煽動にのせられて朝鮮人虐殺に走った原因であるし、その後も日本民衆による反省がきちんとなされたとはいえないからである。

 山田報告に対して、韓国側から、朴漢龍(民族問題研究所研究室長)がコメントした。やはり国家責任と民衆責任をどのように把握するかが焦点とされた。

 「朝鮮人虐殺は国家の暴力的システムのみでなく、(むしろ)日本民衆の一部が虐殺に自発的に先駆けた事実が重要である。ここには朝鮮人に対する偏見と恐怖、それから差別意識があった。当時、日本統治当局や言論のせいにするとしても集団狂気に捕らわれて、スケープゴートとして朝鮮人を虐殺した行為そのものに関しては深い責任感を持って反省しなければならない。そうした上でこそ、次に、虐殺を幇助・共謀・指揮・工作した国家に対して強くその責任を問えると思う」。

 そして、南北朝鮮の政府、民衆、さらには在日朝鮮人の「責任」も再考しようとする。例えば、韓国の歴史教科書の記述の不十分性、韓国国家機関の無責任性など。その上で、在日朝鮮人の歴史的な意味を見直そうとする。

 「ただ被害者という枠組からのみ見るといけない。在日朝鮮人の中の相当数は、過去日本帝国主義の植民地支配と天皇制ファシズム、対外侵略戦争に対して闘争してきた。日本民主主義闘争史の中で、かれらの闘争が過小評価されては困る。植民政策の犠牲者としての人道主義的なレベルでの評価のみでなく、日本社会をよりよい社会につくるために献身した在日朝鮮人の堂々たる歴史を明確に告げる必要がある」。

ジェノサイドは終わったか

 次に前田朗が、関東大震災朝鮮人虐殺を国際法上の犯罪であるジェノサイドの視点で把握する報告を行った。その主な内容は、二〇〇八年夏の「在日朝鮮人歴史・人権週間(さいたま市・ソニックシティ大宮)」における報告と同じであり、すでに本誌に掲載されている(前田朗「コリアン・ジェノサイドとは何か」『統一評論』二〇〇八年一一月号)。

 以下では、これと重複しない部分を引用・紹介しておく。

   *     *

 関東大震災は一九二三年の出来事です。八五年の歳月が流れました。それでは関東大震災ジェノサイドは終わったのでしょうか。

関東大震災ジェノサイドの真相解明はなされたでしょうか。それどころか、日本政府は事実を隠蔽し、真相解明を妨げてきました。被害者への謝罪も補償もしていません。形だけ自警団メンバーの裁判を行いましたが、真の責任者を明らかにしていません。裁きも不十分で事実認定は歪曲され、量刑も著しく軽いものでした。それどころか、愛国心ゆえの犯行だったなどと弁解をしています。責任者処罰がなされたとはとても言えません。ですから、再発防止の努力もなされていません。民間ではさまざまな努力が積み重ねられてきましたが、日本政府はサボタージュあるのみです。

関東大震災ジェノサイドは、何一つ終わっていないのです。しかも、冒頭に見たように、石原都知事は差別の煽動を公然と行っています。日本政府は石原発言を擁護しています。

事実を認めず、隠蔽し、石原都知事発言のように逆転した発言を続けることは、次の不安と危険を呼び覚まします。ドイツにおいてユダヤ人虐殺を否定する「アウシュヴィッツの嘘」発言が新たなユダヤ人差別であり、犯罪とされていることはよく知られています。

終わっていないのは関東大震災だけではありません。コリアン・ジェノサイドは終わっていません。朝鮮半島に対する植民地支配、朝鮮人差別、数々の弾圧と虐殺の真相は解明されず、責任も明らかにされていません。

戦前だけではありません。例えば、阪神教育闘争事件とは何だったのでしょうか。阪神教育闘争事件は、一九四八年に起きた単発の事件として理解することはできません。朝鮮植民地支配の残滓であり、朝鮮人差別の繰り返しです。その後の朝鮮人弾圧と差別の予告でもありました。

いまもなお続く朝鮮人差別と歴史の偽造も指摘しておかなければなりません。朝鮮半島をめぐる政治的緊張のたびに、日本社会では「チマ・チョゴリ事件」に象徴される差別と犯罪が繰り返されています。社会で時たま起きる事件ではありません。日本政府が再発防止の努力を行わず、それどころか、最近の滋賀朝鮮学校事件を始めとする朝鮮総連関連施設弾圧事件のように、日本政府こそが率先して朝鮮人差別の犯罪を行っているのです。

世界史の中で考えよう

 関東大震災朝鮮人虐殺をジェノサイドとして理解することは、事件を世界史の中で考えることです。

レムキンがジェノサイド概念を構築したとき、念頭にあったのは一九一五年のアルメニア・ジェノサイドと、一九三〇年代からのナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺でした。レムキンは、なぜ一九二三年の関東大震災に言及していないのでしょうか。――知らなかったからです。国際社会でコリアン・ジェノサイドは語られていません。

今日でも世界各地でジェノサイド、人道に対する罪が繰り返されています。規模や原因はさまざまですが、世界各地で悲劇が続いています。歴史を振り返れば、スターリンの大粛正、日本軍の三光政策・無人区政策、ヒロシマ・ナガサキへの原爆投下、朝鮮戦争における国連軍の犯罪、ベトナム戦争・北爆・枯葉剤作戦、カンボジアのポルポト派による大虐殺、旧ユーゴスラヴィアの「民族浄化」、ルワンダのツチ虐殺、東ティモール独立をめぐる内戦による虐殺、スーダンのダルフール・ジェノサイド、アフガニスタンとイラクで続いている戦争における膨大な民間人被害、そして、イスラエルによるパレスチナ・ジェノサイド――コリアン・ジェノサイドは、これらと同じ文脈で語られなければなりません。

 歴史のはざまで数々の悲劇が起きてきました。この悲劇は自然災害ではありません。人為的な犯罪は防ぐことができます。ジェノサイドをいかにして防ぐのか。そのための議論はいまだに十分になされていないのではないでしょうか。コリアン・ジェノサイドにきっちり決着をつけて、二度と起きないようにする課題です。八五年も昔の物語ではなく、今なお私たちが向き会わなければならない未決の課題なのです。

私たちに何ができるか。

 これまでの調査・研究の積み重ねの上に立って、これから私たちは何をすることができるでしょうか。さまざまな課題が考えられますが、ここではその一部を指摘する事で問題提起とさせていただきます。

 第一に、国際社会への訴えです。国連人権理事会をはじめとする国際人権機関に報告する事によって、事件を国際社会の舞台で明らかにしていきましょう。ユダヤ人ジェノサイドやアルメニア・ジェノサイドはよく知られていますが、コリアン・ジェノサイドはまったく知られていません。日本軍「慰安婦」問題や南京大虐殺と同じように、世界史的出来事として語る必要があります。そのために国際的なNGOネットワークの協力を得る必要があります。日本政府に対する責任追及(真相解明、事実の承認、謝罪など)を進めるためにも、関係政府(韓国、朝鮮、中国)に適切な対応を求めるためにも、国際社会への訴えが重要となります。

 第二に、日本の裁判所における訴訟の可能性ですが、この点は、次の梓澤報告の中で議論されるでしょうから、ここでは省略します。

 第三に、民衆法廷の可能性です。日本軍性奴隷制(「慰安婦」)問題を裁いた女性国際戦犯法廷、朝鮮戦争における国連軍の戦争犯罪を裁いたコリア戦犯民衆法廷、アフガニスタンにおけるアメリカの戦争犯罪を裁いたアフガニスタン国際戦犯民衆法廷、イラクについて同様のイラク国際戦犯民衆法廷のように、国際的な協力の下に民衆法廷を開いて、真相と責任の所在を明らかにすることです(前田朗『民衆法廷入門』耕文社参照)。

 歴史の彼方からの呼びかけ――八〇年以上の長きにわたって聞き取られることのなかった無数の叫びに耳を澄まし、ジェノサイドの過去を深く反省し、未来に向けて新たな歩みを始めることが必要です。二〇世紀最初の、東アジアにおける最初のジェノサイドを、私たち自身の手で終わらせましょう。

* *

 前田報告に対して、韓国側から、ユン・ミヒャン(韓国挺身隊問題対策協議会常任代表)

がコメントした。

 まず、ある日本軍「慰安婦」問題のシンポジウムにおいて在日朝鮮人女性が「チマ・チョゴリ事件(在日朝鮮人の子どもたちに対する暴力や脅迫)」を報告したが、シンポ参加者の反応はあまりよくなかったことがある。他方、朝鮮の人工衛星打ち上げ問題で日本の世論が沸騰した時期に、子どもの安全を気遣う在日朝鮮人の母親の思いを考えた。こうした事例を思い起こすと、日本の政治、経済、文化、社会のすべての分野で朝鮮人差別が継続している。「コリアン・ジェノサイドは、過去の歴史でのみならず、現在も継続している」と述べた。

 続いて、「世界史の中でコリアン・ジェノサイドを考える」ことが従来、十分とは言えなかった点について、日本軍「慰安婦」問題の解決のために挺身隊問題対策協議会が行ってきた国際活動が参考になるとして、その具体例を紹介した。真相解明のための資料公開、記録保全、専門家による研究、広報教育活動、マスコミ対策、演劇、展示、国際シンポジウム、海外同胞との協力など。

 さらに、国際人権法を活用した運動について、市民的政治的権利に関する国際規約、国連人権理事会、国際司法裁判所へのアクセスの重要性を指摘した。最後に、記憶と再発防止に関連して、ジェノサイドの時代としての二〇世紀の悲劇を繰り返すことのないように、「現在も日本の政治家およびマスコミ、社会全分野で繰り返されているコリアン・ジェノサイドに対する韓日政府次元の教育と追悼活動を求め、これを通じ予防活動を実施するようにし、市民次元でも再発防止のためのキャンペーン、文化芸術分野での活動などが行われればと思います」とまとめた。

国家犯罪を裁くために

 三番目に梓澤和幸(弁護士)「日弁連勧告の趣旨と再発防止」は、日弁連人権擁護委員会の関東大震災事件委員会委員長として行った調査と勧告の概要を紹介した(報告自体は個人の立場で行った)。二〇〇三年八月二五日の日弁連調査報告書および勧告の全文が資料として配布された。勧告の趣旨は次の二点である。

① 国は関東大震災直後の朝鮮人、中国人に対する虐殺事件に関し、軍隊による虐殺の被害者、遺族、および虚偽事実の伝達など国の行為に誘発された自警団による虐殺の被害者、遺族に対し、その責任を認めて謝罪すべきである。

 ②国は、朝鮮人、中国人虐殺の全貌と真相を調査し、その原因を明らかにすべきである。

 梓澤報告は、この勧告をまとめるにいたった日弁連の調査活動を紹介するものであった。

 第一に重要なことは、軍隊による虐殺があったことである。

 「当時、戒厳令が出ていたわけです。戒厳令が出ている中で、軍隊が出て行って人を傷つけると、それは戒厳『詳報』という文書に公式の記録に残っています。公式の記録に残った朝鮮人虐殺の数が、記録に残っているものだけで、九月一日から九月四日までの四日間で、二八三人です。二八三人、それはこん棒やなたで殺害したのではなく、銃で殺害したのです」。

 第二に自警団を作れという指令が出ていたことである。

 「自衛の策をとるために自警団を作れという指令が出ていた、その指令の中で出来上がった自警団の数は驚くべき数です。自衛隊と警視庁の関東大震災の研究という本が出ていまして、そこには約一五〇〇の自警団が出来ていたということが記録上に残っています。そういうことを国は研究しているんです。なのに、今まで国が民衆を扇動して悲惨な虐殺を巻き起こしたということが全く語られてこなかった。そのことは放置されてはいけないのではないか、ということが日弁連の勧告でございます」。

 日弁連報告書は、軍隊による虐殺の日時、場所、部隊などをできる限り特定して詳細に列挙している。その上で、軍隊や警察に先導・扇動された民衆による虐殺についても、日時、場所などを順次特定している。

 「日弁連の勧告はひとつのきっかけを作ったということで、つまり、今までの事件像、民衆が激高してやっちゃったというイメージを根底から覆す、事件像を覆すスタートを切ったんだという点で、私は日弁連の勧告の意味はもっと語られてしかるべきだと思います。今、私たちが生きているこの時代は、決して生者、生きている人が独占して良いものではありません。無念の思いで亡くなっていった人も含めて、この時代を共に生きていると信じます。そいう意味で、今日のこの集会や、私どもの非常に紆余曲折の末に到達した日弁連勧告の内容というのは、その意味が色々な人の生き方の問題として語られてほしい、と思っています」。

 梓澤報告に対して、韓国側から、魏大永(弁護士、民主社会のための弁護士会)がコメントした。

 梓澤報告は日弁連勧告の内容紹介に加えて、訴訟の可能性についても検討を加え、日本の裁判所での裁判の可能性について問題点を指摘していた。戦後補償裁判をはじめとする多くの裁判例を見ると、関東大震災朝鮮人虐殺について提訴することは必ずしも良策ではない。裁判所の姿勢が後ろ向きであり、訴訟法上のさまざまなネックがある。最悪の場合、裁判所によって歴史の事実が否定されかねない。せっかく日弁連調査によって明らかになった事実まで否定される恐れもある。

 この点について、魏コメントも同様の懸念を指摘した。日本政府や裁判所の姿勢からいって、謝罪、補償および賠償請求訴訟を提訴しても敗訴する可能性がとても高い。国際法的論点も国内法的論点も数多くあり、事実上日本政府に従っている裁判所にあまり期待できない。他方、賠償請求などの履行請求訴訟と異なって、違法確認訴訟の可能性は検討に値する。一九二三年一二月一五日の衆議院の質疑において、朝鮮人虐殺に関する質問に対して、総理大臣が、調査中であり後日報告する、と述べている。にもかかわらず、その後、国会に報告がなされていない。日本政府は現在に至るまで真相調査も国会報告も行っていない。調査および報告のために必要な相当の期間を超えて報告していないのは、政府の違法行為であることを確認する訴訟は可能ではないか、と述べた。

 

植民地犯罪とは何か

 最後に、本シンポジウムのタイトルが「関東大震災時朝鮮人虐殺――植民地犯罪、日本国家に責任を問う」となっていること、「植民地犯罪」という概念が用いられていることに関連して、少し検討しておきたい。

 第一に、「植民地犯罪」とは何か。国際法にも国内法にも「植民地犯罪」という用語は見られない。むしろ、植民地宗主国によって作られた国際法は、植民地を合法的なものとしてきた。国家指導者に対する暴力や脅迫によって締結された植民地条約は違法だが、それ以外の植民地条約はいずれも合法かつ有効とされてきたから、「植民地犯罪」という概念は否定されてきた。

 しかし、植民地とされた側の人民にとって、その歴史的経験はまさに「植民地犯罪」と表現するべきである。そこで、第二次大戦後の国連国際法委員会において国際刑事裁判所づくりが進められる中で、「人類の平和と安全に対する罪の法典草案」に、ジェノサイド、人道に対する罪、戦争犯罪と並んで、「植民地犯罪」規定が盛り込まれた。しかし、旧宗主国側の反発、法的定義の困難性などを理由に、すぐに削除されてしまった。一九九八年の 国際刑事裁判所規程は、もっとも重大な国際犯罪として、侵略の罪、ジェノサイド、人道に対する罪、戦争犯罪のみを掲げた。

 他方、二〇〇一年のダーバン人種差別反対世界会議では、植民地時代における奴隷制が人道に対する罪であったことを旧宗主国にも認めさせることができた。謝罪や補償の義務は否定されたが、奴隷制が人道に対する罪であることを国連レベルで認めることになった。

 この間、各国においてもさまざまな議論が積み重ねられてきた。フランスでは奴隷制を人道に対する罪と認めるトビラ法が制定された。イギリスやアメリカのいくつかの州議会決議も出ている。こうして「植民地犯罪」そのものではないが、「植民地責任」というべき議論が世界で広がった。日本による朝鮮植民地支配も、こうした文脈で再検討されつつある。最近の歴史学研究は大きな成果をあげている(岩崎稔ほか編『継続する植民地主義』、金富子ほか編『歴史と責任』、永原陽子編『「植民地責任」論』など。なお、前田朗『人道に対する罪』)。

 第二に、関東大震災朝鮮人虐殺は日本で起きた事件であって、朝鮮半島で起きた事件ではない。それにもかかわらず「植民地犯罪」と呼んでいることにも注意が必要だ。国際法上の犯罪概念としての「植民地犯罪」を定義するとすれば、さまざまな困難がある。場所的定義の限定も要請されざるをえないからである。

しかし、人道に対する罪の成立要件に該当する犯罪のひとつとしての植民地犯罪を検討する場合、植民地という支配―被支配関係の下で起きた事件という点に着目すれば、日本において起きた事件もこれに該当するといえるだろう。

あるいは、国際法上の犯罪概念としてではなく、歴史的責任を解明するための作業仮説として「植民地犯罪」という概念を用いる場合も、同じことがいえる。

「植民地犯罪」は単純な類型ではなく、複数の犯罪概念を包括した概念として理解されるべきである。少なくとも次の三つの類型を相対的に区別して、それぞれ議論する必要があるだろう。

①植民地化の犯罪――実際には植民地戦争、侵略戦争、その中での民衆虐殺によって実現される。

②植民地支配における犯罪――植民地政策のみならず、支配―被支配関係の中で起きる。それゆえ、朝鮮から日本への強制連行、日本における差別と迫害も含まれ、関東大震災朝鮮人虐殺は典型例といえる。

③脱植民地化に関連する犯罪――植民地責任のサボタージュ、在日朝鮮人に対する差別と迫害、侵略戦争の美化、歴史の隠蔽など。

 このような検討を踏まえて、植民地犯罪概念を練り上げることも今後の課題である。

軍隊と警察が、朝鮮人集団をターゲットに組織的に大規模に行った虐殺。警察および政府が組織的に流した朝鮮人暴動のデマ。これに触発された民衆が「愛国心」と恐怖に駆られて敢行した虐殺。これはジェノサイドや人道に対する罪という国際法上の重大犯罪であった。第一の責任は日本政府にある。

虐殺の国家責任と民衆責任を解明するためにも、被害側の朝鮮政府や韓国政府、両国市民、他方で加害側の日本市民、そして在日朝鮮人が連帯して取り組む必要がある。

八六年の歳月を隔てて、いま問われているのは、東アジアの民衆自身による平和と安全と連帯の構築であるだろう。いまなお世界で繰り返されるジェノサイドや人道に対する罪の予防、再発防止のためにも、日本で起きたジェノサイドのメカニズムを解明し、政府による謝罪、犠牲者の名誉回復を行うべきである。

ヘイト・クライム(11)

『統一評論』519号(2009年1月)

ヒューマン・ライツ再入門①

自由権規約委員会が日本政府に勧告

日本軍性奴隷制

 国際人権規約(市民的および政治的権利に関する国際規約)に基づく自由権規約委員会は、一〇月一五日・一六日に第五回日本政府報告書の審査を行い、同三〇日、最終見解を発表した。

 まず、日本軍性奴隷制(「慰安婦」)問題に関して、自由権規約委員会は次のように述べた(パラグラフ二二)。

 「委員会は、日本政府が、第二次大戦時における『慰安婦』制度の責任をいまだに受け入れず、実行者が訴追されず、被害者に渡された補償は公的基金ではなく民間基金によるもので、不十分であり、『慰安婦』問題について触れている歴史教科書は僅かしかなく、政治家やマスメディアが被害者を貶めたり、事実を否定し続けていることに、関心を持って留意する。」

 その上で、委員会は次のように勧告した。

 「日本政府は『慰安婦』制度について法的責任を受け入れ、被害者の大多数が受け入れることができる、かつ被害者の尊厳を回復する方法で、留保なしに謝罪するべきである。まだ生存している実行者を訴追するべきである。すべての生存者に権利として適切な補償をするために即座に効果的な立法措置および行政措置を講じるべきである。この問題について学生および一般公衆に対して教育するべきである。被害者を貶めたり、事実を否定しようとする試みを非難し、制裁を課すべきである。」

これまでの国際機関などからの勧告を継承する内容で、踏み込んだものとなっている。自由権規約委員会が最終見解の勧告に含めたのは初めてである。

一九九二年二月、この問題が国連人権委員会に報告され、その後、人権委員会、人権小委員会(差別防止少数者保護小委員会、後に人権促進保護小委員会)、現代奴隷制作業部会において議論された。NGOの国際友和会、日本友和会、朝鮮人強制連行真相調査団、韓国挺身隊問題対策協議会、リラ・ピリピーナ、アジア女性人権評議会、国際人権活動日本委員会などが国連欧州本部にメンバーを派遣して情報提供を続けた。

一九九三年の人権小委員会において、オランダの国際法学者テオ・ファン=ボーベン「重大人権侵害特別報告」者が「慰安婦」問題は重大な人権侵害であり、被害者救済・保護・リハビリテーションのために日本政府が責任を果たす必要があると表明した。

一九九六年の人権委員会において、スリランカの弁護士ラディカ・クマラスワミ「女性に対する暴力特別報告者」が「慰安婦問題報告書」を公表した。「慰安婦」問題を「軍隊性奴隷制」と定義づけ、日本政府には道義的責任とは別に法的責任があること、真相解明・情報公開、被害者への謝罪と補償、教科書記述、責任者処罰などを勧告した。

一九九八年および二〇〇〇年の人権小委員会において、アメリカの弁護士ゲイ・マクドゥーガル「戦時性奴隷制特別報告者」が、戦時性奴隷制に関する国際法を詳細に研究し、日本軍性奴隷制が、奴隷の禁止、戦争犯罪、人道に対する罪に当たる犯罪であるとし、日本政府に責任者処罰と被害者補償を勧告した。

他方、国際労働機関(ILO)の条約適用専門家委員会でも議論が始まり、一九三〇年の強制労働条約に照らして法的評価が行われた。強制労働条約は女性の強制労働を禁止していた。日本軍性奴隷制が条約違反であったことが確認された。一九九六年のILO条約適用専門家委員会は、日本政府による条約違反を指摘し、被害者救済を呼びかけた。その後も九度にわたって日本政府への勧告を続けている。

他方、女性差別撤廃委員会、社会権委員会、拷問禁止委員会など、人権条約に基づいて設置された条約委員会も日本軍性奴隷制問題を取り上げた。例えば、二〇〇七年五月の拷問禁止委員会の勧告は、被害者の提訴が時効を理由に棄却されたことは遺憾であり、日本政府は時効規定を見直すべきであるとした。性暴力被害者の救済が不適切であり、国家が事実を否認したり、事実が公開されず、拷問行為の責任者が訴追されず、被害者への適切なリハビリテーションがないことが、虐待とトラウマを継続させているとした。

各国政府による勧告や決議も続いている。二〇〇七年、日本軍性奴隷制をめぐる決議案がアメリカ議会で採択された。同様の決議は、オランダ、カナダ、EU、韓国、台湾の議会においても採択された。

今回の自由権規約委員会は、従来の諸勧告と同様の内容の勧告を出した。日本政府は、法的責任を否定し、責任逃れのためのアジア女性基金政策を推進し、解決を困難にしてきた。勧告を契機に、誤った政策の見直しが必要である。

朝鮮人差別

自由権規約委員会は、年金制度に関して、日本国籍者以外に対する年金からの除外を是正すること、移行措置をとることを勧告した(パラグラフ三〇)。

「委員会は、一九八二年の国民年金法からの国籍条項の削除が遡及効をもたなかった結果、二五歳から六〇歳の間に少なくとも二五年以上年金に掛け金を支払うことが受給要件となっているため、大部分の非国籍者、特に一九五二年に日本国籍を喪失した大半のコリアンが、国民年金制度の受給資格からまったく排除されていることに関心を持って留意する。また、委員会は、国民年金法から国籍条項が削除された時点で二〇歳以上の非国籍者には障害年金特別措置が認められなかったために、同じ問題が、一九六二年以前に出生した障害を有する非国籍者にも当てはまることに関心を持って留意する。」

委員会はその上で次のように勧告した。

「日本政府は、非国籍者が国民年金制度から差別的に排除されることのないよう、国民年金法における年齢要件の影響を受ける非国籍者のための移行措置を採るべきである。」

在日朝鮮人に対する年金差別は一九八二年に是正されるはずだったのに、日本政府が必要な移行措置を採らなかったため、高齢者と障害者が排除されたままとなった。経済的社会的権利に関する社会権規約委員会などが日本政府に対して是正を勧告してきたが、自由権規約委員会は、差別問題として捉えて、やはり是正を勧告した。

次に朝鮮学校に対して、他の私立学校と同様の卒業資格認定、その他の経済的手続的な利益措置が講じられることが求められている(パラグラフ三一)。

「委員会は、朝鮮語で教育を行う学校への国家助成が普通学校への助成と比較して歴然と低いこと、このため個人寄付金への依存度が非常に高いのに、日本の私立学校やインターナショナルスクールとは異なって、税制控除が認められなかったり、低いこと、朝鮮学校卒業生には大学入学資格が自動的に与えられないことに関心を有する。」

その上で委員会は次のように勧告している。

「日本政府は、朝鮮学校のための適切な基金を、国家助成を増やし、朝鮮学校への寄付者に他の私立学校への寄付者と同様の税制控除を適用して認め、朝鮮学校卒業生に直接の大学受験資格を認めるべきである。」

朝鮮学校に対する差別については、一九九三年の自由権規約委員会や、その後の子どもの権利委員会でも取り上げられた。国連人権委員会や人権小委員会でも、NGOの在日朝鮮人・人権セミナー、在日本朝鮮人人権協会、アジア女性人権評議会などが是正を求める発言を繰り返してきた。二〇〇一年の人種差別撤廃委員会も、二〇〇六年の国連人権理事会ドゥドゥ・ディエン「人種差別問題特別報告者」も、同様の勧告をしている。

自由権規約委員会とは

 それでは自由権規約委員会とは何か。

 一九四八年の世界人権宣言は、個人の人権がもっとも重要であると宣言し、人権尊重を国際社会の課題として掲げた。しかし、宣言に過ぎず、そのままでは拘束力がない。

 そこで国際社会は、拘束力のある人権条約をつくることにした。その結果作成されたのが一九六六年の二つの国際人権規約である。批准した国家には規約遵守義務が生じる。具体的には国内の人権状況に関する報告書を提出して規約の人権委員会における審査を受けることである。審査を通じて各国の人権状況を改善する狙いである。二つの国際人権規約とは、①「経済的社会的文化的権利に関する国際規約(社会権規約)」、②「市民的政治的権利に関する国際規約(自由権規約)」である。

 自由権規約は一九七六年に発効した。日本についての効力は一九七九年九月に生じた。

 自由権規約第一部第一条は人民の自決権規定である。第二部は一般規定である。締約国による差別なき権利尊重、必要な立法措置、実効的な救済措置(第二条)、男女同等の権利(第三条)、緊急事態における権利の制限(第四条)などである。

 第三部は実体規定である(第六~二七条)。生命に対する権利、死刑の大幅制限、拷問や残虐な刑罰の禁止、奴隷及び強制労働の禁止、身体の自由、逮捕・抑留の手続、自由を奪われた者及び被告人の取り扱い、契約義務不履行による拘禁の禁止、移動及び居住の自由、自国に戻る権利、外国人の追放の制限、公正な裁判を受ける権利、無罪の推定、上訴の権利、刑事補償の権利、遡及処罰の禁止、人として認められる権利、プライバシー、家族、住居への干渉・攻撃からの保護、思想・良心・宗教の自由、表現の自由、戦争宣伝及び差別唱道の禁止、集会の権利、結社の自由、家族に対する保護、子どもの権利、政治に参与する権利、法律の前の平等、少数者の権利である。

 古典的な近代市民法における自由権の一覧と同様の規定が並んでいる。「国家からの個人の自由」を確保することによって、個人の主体的な自己実現を保護するものであり、逆に言えば、無用な国家介入を禁止している。

 第四部は実施措置である。条約の実施のための監視機関として人権委員会を設置する(第二八~三九条)。国連経済社会理事会に設置されていた人権委員会とは異なるので、自由権委員会・自由権規約委員会と略称される。締約国には報告書提出義務があり、委員会で審査を受ける(第四〇条)。締約国の義務不履行について委員会が検討し、場合によっては特別調停委員会を設置する(第四〇・四一条)。条約の主体と義務の担い手は締約国である。

 冒頭に紹介したのは、以上の手続きと権限を有する自由権規約委員会の勧告である。国際人権規約は、世界人権宣言が掲げた理念を再確認し、具体的に実現することを目指した。その手続き規定が「実施措置」として整備された。委員会はジュネーヴ(スイス)の国連欧州本部で開催される。

勧告実現のために

 自由権規約委員会はその他にも多くの勧告を出している。主要なものを項目だけ列挙してみよう。

① アイヌ民族を先住民族として認めること。琉球/沖縄についても権利を認めること。②人身売買被害者を救済すること。③外国人研修生や技能実習生に対する搾取や奴隷化を是正すること。④拷問を受ける恐れのある国への送還を行わないこと(ノン・ルフールマン原則)。⑤裁判官などにジェンダー教育を行うこと。⑥子どもの虐待に対処すること。⑦同性愛者や性同一性障害者への差別をなくすこと。⑧死刑を廃止すること。廃止までの死刑囚処遇を改善すること。厳正独居(隔離拘禁)をやめること。⑨代用監獄を廃止すること。取調べへの弁護人立会いを認めること。⑩刑事施設視察委員会の改善。⑪立川テント村事件など表現の自由の侵害をやめること。

このように数多くの勧告であるが、さらに注目するべき勧告がある。

⑫裁判官、検察官などに国際人権法教育を行うことが勧告された。前回の勧告にも同じ内容が含まれていたが、要するに、日本の裁判官や検察官は国際人権法に無知であることが、規約人権委員会によって繰り返し指摘されたのである。人権に無知な裁判官が法解釈をゆがめているのだ。マスメディアはこの問題を殆ど報道しない。

⑬公共の福祉による人権制約や、世論の支持を口実とした死刑の維持についても強い勧告が出された。日本政府は人権と公共の福祉をわざわざ対立させ、公共の福祉を優先してきたが、そうした思考方法そのものへの批判である。世論の支持によって死刑を正当化してはならないことも確認された。

委員会は、一部の項目については一年後にフォローアップを行うこと、全体については二〇一一年一〇月までに次回の報告を行うことを日本政府に求めている。この間、日本政府の人権報告は提出期限を守っていない。締切を守らせるための監視が必要である。

自由権規約委員会の勧告は法的拘束力があるわけではない。しかし、何度も審査を受け、多くの人権委員会から出された勧告と同じ内容のものが目立ち、強く改善が求められている。日本政府に勧告を守らせるのは、人権NGOの任務でもある。

ヘイト・クライム(10)

『統一評論』517号(2008年11月号)

(2008「在日朝鮮人歴史・人権全国集会」シンポジウムより)

コリアン・ジェノサイドとは何か

 私の報告では、少し視点を変えて、関東大震災時朝鮮人虐殺を国際基準で見ていこうという話をします。国際法に照らして考えてみます。キーワードはジェノサイドです。

 第一に、議論の手がかりとして石原慎太郎東京都知事の「三国人」発言を取り上げます。第二に、ジェノサイドを考えるために、最初のジェノサイドであるアルメニア・ジェノサイドについて見ます。第三に、ジェノサイドとは何かという法律の定義を確認します。第四に、「関東大震災朝鮮人虐殺はジェノサイドである」「ジェノサイドを教唆したのは日本政府である」ことを確認します。コリアン・ジェノサイドを世界史の中に位置づけてみましょう。

石原都知事の差別発言

 第一に、石原都知事の差別発言です。いま「差別発言」と言いましたが、ここでは単なる「差別発言」ではなく「人種差別の煽動」であることに関心を向けていきたいと思います。それが「ジェノサイドの教唆」ともつながりを持つからです。

 石原都知事発言とは、二〇〇〇年四月九日、陸上自衛隊の記念式典において「今日の東京を見ますと、不法入国した多くの三国人・外国人が非常に凶悪な犯罪を繰り返している。もはや東京の犯罪の形は過去と違ってきた。こういう状況で、すごく大きな災害が起きた時には大きな騒擾事件すらですね、想定される、そういう状況であります」と挨拶したものです。

 この発言は、単なる差別発言ではなく、いくつもの嘘をまぎれこませた悪質な差別の煽動です。①「三国人」という言葉自体が、戦後日本で在日朝鮮人・中国人に対して差別的に用いられた言葉です。②「三国人」とされた人々のほとんどは、日本で生まれ育っていますから「不法入国」などしません。できません。③「三国人・外国人が非常に凶悪な犯罪を繰り返している」という事実がありません。外国人も日本人もさまざまな犯罪をしている事実はあります。しかし、凶悪犯罪は減少してきたのが事実です。それでも残念ながら凶悪犯罪が起きますが、その大半は日本人によるものです。④災害時に自然に騒擾事件が起きたことはありません。起きたのは関東大震災朝鮮人虐殺のように日本政府が仕組んだ騒擾事件です。最初から最後まで嘘で固めた石原発言です。虚偽に基づく差別と差別煽動の発言を、陸上自衛隊の前で行ったのです。意味するところは明白です。

 二〇〇一年三月、ジュネーヴ(スイス)のパレ・ウィルソン(人権高等弁務官事務所)で開催された人種差別撤廃委員会における日本政府報告書の審査の結果、人種差別撤廃委員会は日本政府に対して次のような勧告を出しました。

 「委員会は、高位の公務員が行った差別的な発言と、特に、条約第四条(c)違反の結果として、当局が取るべき行政上または法律上の措置をとっていないこと、またそうした行為は人種差別を助長、煽動する意図があった場合にのみ処罰されるという解釈に、懸念をもって注目する。締約国が、こうした事件の再発を防ぐための適切な措置をとり、特に、公務員、法執行官および行政官に対し、条約第七条に従って、人種差別につながる偏見と闘う目的で適切な訓練を行うよう求める。」

① 人種差別撤廃委員会は、石原都知事発言が差別的な発言であり、人種差別撤廃条約第四条(c)に違反すると認定しています。ここには石原都知事の名前は出ていませんが、「高位の公務員」とは石原都知事のことです。②人種差別撤廃委員会は、石原都知事発言に対して、当局が「政治上または法律上の措置」をとるべきだとしています。③日本政府は「石原都知事には差別を助長、煽動する意図がなかった」と言う弁解をしましたが、人種差別撤廃委員会は、そうした解釈に懸念を表明しています。「差別を煽動する意図がないとさえ言えば、どんな差別発言もやりたい放題」という日本政府の解釈は世界に通用しません。差別を煽動した事実が問題なのです。④人種差別撤廃委員会は、差別再発防止のための訓練を行うように求めています。しかし、日本政府は右のような解釈を公然と主張していますから、まともな訓練をしていません。それどころか、差別を煽動する差別発言を公然と擁護していますから、日本社会では差別発言が続発しました。

 以上をまとめます。①石原都知事発言は人種差別発言です。本人は、辞書の意味がどうのこうのとか、他にもこの言葉を使った人がいるとか言い訳をしていましたが、石原都知事がこの言葉を使ったのは明白に差別的文脈でした。②単なる人種差別発言にとどまりません。人種差別撤廃条約にいう「人種差別の煽動」です。日本政府は「差別を煽動する意図がなかったから、煽動ではない」と言い訳しましたが、およそ説得力がありません。人種差別撤廃委員会でも、日本政府の主張は完全に否定されました。③歴史的なジェノサイドとの関連抜きに語ることはできません。単なる「人種差別の煽動」ではなく、自衛隊の前で、地震などの際に自衛隊の出動を、と呼びかけたのですから、「ジェノサイドの教唆」の一歩手前と言うべきなのです。関東大震災朝鮮人虐殺の歴史を持ちながら、あえてこのような発言をしたのですから極めて悪質です。

ジェノサイドとは

それではジェノサイドとは何でしょうか。いまジェノサイドについて語ることにどのような意味があるのでしょうか。

 一九四八年一二月九日に第三回国連総会で採択されたジェノサイド条約(一九五一年発効、批准国は一三四カ国、日本は未批准)は、その前文で「ジェノサイドが、国連の精神および目的に反し、かつ、文明世界から強く非難された国際法上の犯罪であるとする、一九四六年一二月一一日の国連総会決議九六(I)を考慮し、歴史上あらゆる時期においてジェノサイドが人類に多大な損失をもたらしたことを認め、この忌まわしい苦悩から人類を解放するためには国際協力が必要である」としています。

 ジェノサイド条約第一条は「締約国は、ジェノサイドが、平時に行なわれるか戦時に行なわれるかを問わず、国際法上の犯罪であることを確認し、かつ、これを防止し処罰することを約束する」としています。条約第二条はジェノサイドの定義を示し、同第三条は処罰すべき行為について明示しています。条約第四条は、犯罪者の地位は問わないとし、「憲法上の責任ある統治者であるか、公務員であるか、または私人であるか」を問わず、いかなる者によるジェノサイドも処罰すべきだとしています。

 それでは関東大震災朝鮮人虐殺をジェノサイド概念に照らして位置づけ直すことにしましょう。従来、関東大震災を語る人はジェノサイドについて語りません。ジェノサイドを語る人は関東大震災を語りません。

アルメニア・ジェノサイド

 ジェノサイドの典型例は、誰もが知るように、ナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺です。ただ、ジェノサイドという言葉を作ったときに、念頭にあった最初のジェノサイドは、一九一五年のアルメニア・ジェノサイドです。ジェノサイドという言葉は、後に説明するように、ラファエル・レムキンが一九四四年につくりましたが、念頭にあったのはアルメニア・ジェノサイドです。ジェノサイドという言葉ができるよりも前の出来事ですが、アルメニア・ジェノサイドと呼ばれています。

 二〇〇二年の映画『アララトの聖母』を思いおこしてみましょう。画家アーシル・ゴーキーの絵画をモチーフに、アルメニア人虐殺の悲劇と現代の親子の物語を交錯させて描いたドラマです。監督・製作・脚本は『フェリシアの旅』のアトム・エゴヤンです。シャンソンのベテラン歌手、「ピアニストを撃て」のシャルル・アズナブールも重要な役で出演していました。アズナブールもアルメニア系フランス人です。

 映画作家のエドワード・サロヤン(アズナブール)は、アルメニア人にとって聖なる山アララトの麓で起きたアルメニア人虐殺を映画にするため、カナダのトロントに撮影にやってきます。カナダには亡命してきたアルメニア人のコミュニティがあります。サロヤンは、虐殺で母を亡くした画家アーシル・ゴーキーに注目し、少年時代の彼を映画に登場させようと考え、ゴーキー研究家・美術史家アニに撮影の顧問を依頼します。アニには二回の結婚歴があり、最初の夫との息子ラフィは、死んだ父親がテロリストなのか英雄なのかと悩んでいました。二度目の夫の娘シリアは、ラフィの恋人ですが、自分の父親の事故死の原因がアニにあると考え、激しく憎んでいました。そしてサロヤンの映画がクランク・インします。撮影現場で雑用係として働いていたラフィは、映画の内容に触発され、父の真実を知るためにアララトへと旅立ちます。帰国したラフィは、空港の税関で取り調べを受けます。ラフィは「喪失の歴史」を語り終え、解放されます。アーシル・ゴーキーの絵画「アララトの聖母」の秘密は何であったのか。アルメニアで何があったのか。何が、なぜ、「喪失」させられたのか。映画は歴史と現在を重ね合わせながら描きます。

第一次大戦時、ロシアとトルコが交戦状態になりました。トルコはアルメニア人がロシア側につくと考え、アララト山周辺地域のアルメニア人を強制移住させ、従わない場合には攻撃しました。被害は五〇万とも一〇〇万とも言われます。多数のアルメニア人が外国に逃れました。アズナブールもその子孫です。フランスやオランダでアルメニア系の人と出会うことは決して珍しくありません。現在、カスピ海沿岸につくられたアルメニア国家の人口は三五〇万人です。被害の大きさは想像を絶するものでした。

アルメニアと言っても、どこにあるのかわからないと思うかもしれませんが、皆さんはこの夏にテレビで毎日のように見ています。ロシア軍がグルジアに侵攻しましたが、グルジアの隣がアルメニアです。黒海とカスピ海の間で、グルジア、オセチアなどでの事件、カスピ海沿岸の石油とガスをめぐる国際政治が吹き荒れる地域です。

アルメニア人が多数フランスに逃げたこともあって、二〇〇〇年から二〇〇一年にかけて、フランス議会でこの問題が取り上げられ、フランス議会は「アルメニア事件はジェノサイドであった」と決議しました。このためトルコとフランスの外交問題に発展しました。二〇〇五年にはアメリカ議会でも議論が巻き起こっています。そのくらい有名な事件で、西欧ではアルメニア人を「第二のユダヤ人」と呼ぶくらいです。在日朝鮮人の間でも「第二のユダヤ人」という言葉が使われてきたと思いますが、国際社会ではそれはアルメニア人のことです。

 一九一五年当時、フランス・イギリス・ロシアの共同宣言では、この事件を「人道と文明に対する罪」と呼んでいます。国際法上、人道に対する罪という言葉が用いられたのはこれが最初だとも言われています。ジェノサイドと人道に対する罪という二つの異なった概念は、登場した最初から共通性を持っていたのです。

 一九一九年にキャルソープ高等弁務官が責任者処罰が必要だと唱え、イギリス軍がトルコに進出して、トルコ人容疑者六七人を身柄拘束し、マルタ島に送りました。裁判のために協議が続けられ、一九二〇年のセヴル条約案では戦争犯罪条項がつくられました。しかし、ナショナリズムに燃えるトルコ側の反発が激しくなり、イギリスは一九二一年にトルコと捕虜交換協定を結び、六七人は釈放されました。一九二三年のローザンヌ条約では恩赦が決定され、責任者処罰は実現しませんでした。一部の犯罪者がトルコのイスタンブール裁判所で裁かれるにとどまりました。その裁判でも人道に対する罪を裁くということが意識されていました(前田朗「ヴェルサイユからローマへ(二)」Let’s四六号)

 アルメニア・ジェノサイドについて、いくつか確認しておきましょう。①最初のジェノサイドです。もちろん歴史的には古くから大虐殺がありますが、ジェノサイドという考え方に直接の関連を持った最初の事件です。二十世紀最初のジェノサイドです。②当時すでに重大犯罪として処罰が要請されました。実際の処罰は不十分でしたが、当時から処罰するべき重大犯罪でした。③戦争の混乱は弁解にはなりません。トルコは今でも、アルメニア人の被害事実はあるが、戦争の混乱の中で起きた悲劇だと弁解しています。トルコ人も苦労したのだと言います。アルメニアも、フランスやアメリカもこの弁解を認めていません。④九〇年たってもフランス議会やアメリカ議会で議論が行われています。トルコ政府が責任を認めず、弁解を繰り返しているからです。ただし、フランス議会などで議論が行われているのは、トルコのEU加盟問題との関係で、トルコに圧力を加える政治目的と言う面もあります。⑤アルメニア人の努力も指摘しておく必要があります。フランス議会を動かしたのは亡命アルメニア人です。もしアルメニア人に会えば、「朝鮮人はなぜこんなに淡白なのか」と質問されるかもしれません。戦争犯罪やジェノサイドには時効がありません。人道に衝撃を与えるような重大かつ深刻な犯罪は適切に扱う必要があります。

レムキンの提案

 ポーランドの刑法学者ラファエル・レムキンは、すでに一九三〇年代に国際刑法の分野で、重大な虐殺を特別な犯罪として処罰するための議論を展開していました。ところが、ナチス・ドイツがポーランドを支配したので、ユダヤ人であったレムキンはアメリカに亡命します。そして、一九四四年に、アルメニアやナチスのユダヤ人虐殺を念頭において、ジェノサイドという犯罪類型を考えました。レムキンは、国際社会がアルメニア・ジェノサイドに適切に対処していれば、ナチスの犯罪を防げたのに、と考えたといいます。

第二次大戦後、国連ができると、レムキンは国連に乗り込んでジェノサイド条約の制定を推進しました。レムキンはジェノサイドを次のように定義しました(以下詳しくは前田朗『ジェノサイド論』青木書店)。

 「国民集団の生命の本質的基礎を、その集団自体を全滅させようとして、破壊しようとするさまざまの行為の連結した企図。その企図の目的は、国民集団の文化や、言語、国民感情、宗教、経済の存在を解体したり、その集団に属する個人の人身の安全、自由、健康、尊厳や生命を破壊することである。ジェノサイドは、統一体としての国民集団に向けられ、その行為が個人に向けられるのは、その個人の特性によるのではなく、その国民集団の一員であることによる。」

 これが初発の定義です。さらに、レムキンは、ジェノサイドのカテゴリー定義として、次のような要素を列挙しています。

とらわれた人々の生活のさまざまの面に向けられた共時的な攻撃

政治領域:自己の政府制度の破壊、ドイツ流の統治の押し付け、ドイツによる植民地化

社会領域:国民の社会的統合の分裂、精神的指導を与える知識人などの殺害や移動

文化領域:文化施設や文化活動の禁止と破壊、教養教育の取替え

経済領域:ドイツ人への富の移動、通商の禁止

生物領域:人口減少政策、占領地域におけるドイツ人生殖促進

身体存在:非ドイツ人飢餓政策の導入、ユダヤ人、ポーランド人、スロヴェニア人、ロシア人の大量殺害

宗教領域:教会活動の妨害

道徳領域:ポルノ出版物や映画を通じた道徳低下の試み

 レムキンの提案には、後にまとめられたジェノサイド条約と大きく違う点があります。文化、宗教、道徳を重視していることです。物理的生物学的に民族を抹殺することだけではなく、民族の文化や宗教を奪うことによって、結果として民族を抹殺することもジェノサイドの典型だと考えたのです。ですから、学校教育の組み換え、図書館利用の禁止、新聞の停止などによって、その民族の言葉を奪って、別の言葉を押し付けることも、レムキンの考えでは、ジェノサイドの要素なのです。日本の朝鮮植民地政策が何であったのかも、ジェノサイドの観点で見直す必要があります。

ジェノサイドの定義

 国連は一九四六年から一九四八年にかけてジェノサイド条約を準備しました。一九四八年一二月に条約ができ上がりましたが、その議論の過程で、文化ジェノサイドについては、犯罪の成立要件を明示することは難しいと考えられたため、ジェノサイド概念は主に物理的ジェノサイドと生物学的ジェノサイドを中心に整理されました。レムキンのジェノサイド概念とはやや異なることになります。ジェノサイド条約第二条はジェノサイドを次のように定義しています。

国民、民族、種族または宗教集団の全部または一部を破壊する意図をもって、次に掲げる行為を行なうこと

a 集団の構成員を殺害すること

b 集団の構成員に対して、重大な身体的または精神的な害悪を加えること

c 集団の全部または一部についてその身体の破壊をもたらすことを意図した集団生活の条件をことさらに押し付けること

d 集団内の出生を妨げることを意図した措置を課すこと

e 集団の子どもを他の集団に強制的に移転すること

 以上の五類型がジェノサイドと決まりました。注意してほしいのは、ジェノサイドは「集団殺害」ではないということです。従来、集団殺害という訳語が用いられてきましたし、私もこの訳語を使うことがあります。しかし、ジェノサイドは、殺害以外に、心身の害悪を加えることや、子どもを強制移転することなども含みます。一九四八年の定義が、一九九八年の国際刑事裁判所規程にも引き継がれたので、今も同じ定義が採用されています。国際法におけるジェノサイドの定義は確定したと言えます。

戦争犯罪やジェノサイドを裁くために設立された国際刑事裁判所の締約国会議において承認された『犯罪の成立要素』は、例えば、aの「殺害によるジェノサイド」について次のように示しています。b~eについては省略します。

第六条a 殺害によるジェノサイド

1 実行者が、一人または複数の人を殺した。

2 その一人または複数の人が、特定の国民、民族、種族または宗教集団に属していた。

3 実行者が、その国民、民族、種族または宗教集団をそれ自体として全部または一部を破壊することを意図した。

4 実行行為が、その集団に対して向けられた明らかに同様の行為のパターンの文脈で行なわれた。または、その行為が、それ自体、そうした破壊をもたらしうるものであった。

 さらに、ジェノサイド条約第三条は、処罰すべき行為を次のように明示しています。

a ジェノサイド

b ジェノサイドの共同謀議

c ジェノサイドの直接かつ公然たる教唆

d ジェノサイドの未遂

e ジェノサイドの共犯

 ジェノサイドそのものが五つの行為類型からなっているのに加えて、共同謀議、教唆、未遂、共犯も処罰されるべきだというのです。まず、「ジェノサイドの直接かつ公然たる教唆」とあるのに注意してください。

 教唆とは、他人をそそのかして犯罪を実行させることです。一般には、ひそかに教唆することも含まれますが、ジェノサイドの教唆は「直接かつ公然たる教唆」に限られます。そそのかしたことで、相手が初めて特定の犯罪を実行することを決意することが必要です。もともと犯罪を行うつもりだった人にそそのかしても教唆にはなりません。それは従犯(幇助犯)です。実際には教唆と幇助が同時並行的に行われることがあります。いずれにせよ、教唆か幇助を行えば犯罪です。

 次にeに「共犯」とあります。「共犯」には教唆や従犯が含まれるので、cの「直接かつ公然たる教唆」と重複するように見えます。

コリアン・ジェノサイド

 以上のジェノサイド概念に照らして、コリアン・ジェノサイドについて考えていきましょう。私の見解では、コリアン・ジェノサイドを考えるには、少なくとも、①植民地朝鮮におけるジェノサイド、②関東大震災ジェノサイド、③第二次大戦後における在日朝鮮人弾圧、をそれぞれ検討する必要があります。しかし、ここでは関東大震災ジェノサイドに限定して話を進めます。

 第一に、ジェノサイドは、実行者が「特別の意図」をもって客観的行為を行ったことが必要です。特別の意図とは「国民、民族、種族または宗教集団を全部または一部を破壊する意図」です。これは通常の犯罪のメンズ・レア(主観的要素)とは異なります。通常の犯罪のメンズ・レアは、「事実」を知っていたことです。殺人罪であれば、「自分が生きている人を殺そうとしていると知りながら、その人を殺すための行為をしようと決意する」ことです。ジェノサイドでは、「事実」を知っていたことに加えて、「特別の意図」を持っていたことを必要とします。「破壊」は身体的物理的破壊を意味しています。文化ジェノサイドを除外する含意をもっているからです。

関東大震災朝鮮人虐殺時に、朝鮮人集団、在日朝鮮人集団の全部または一部を破壊する意図があったか否かが問題になります。鈴木という日本人が、日頃から個人的に恨みを持っていた李という朝鮮人を殺しても、ジェノサイドではなく、殺人罪です。鈴木が、朝鮮人一般を憎んで、朝鮮人迫害のさなかに、李が朝鮮人であるが故に、李を殺せば、ジェノサイドです。

 ルワンダにおけるツチ虐殺を裁いたアカイェス事件ICTR一審判決は、特別の意図とは「実行者が、訴追された犯罪を引き起こす明白な意図をもっていた」ことを要するとしています。実行者は特別の意図を持って客観的行為を行った場合にだけ責任を問われます。ICTRとはルワンダにおけるツチ虐殺を裁くためにつくられたルワンダ国際刑事裁判所です。

 それでは、実行者が「そんな意図はなかった」と言い張れば、ジェノサイドが成立しないのでしょうか。

クリスティン・バイロンの論文「ジェノサイドの罪」(ドミニク・マッゴルリック、ピーター・ローウェ、エリック・ドネリー編集『常設国際刑事裁判所--法律問題と政策問題』)は、「破壊する意図は被告人の行為から推認できるか」と問いを立てています。多くの学者の論文でも、国際法廷であるICTRやICTY(旧ユーゴスラヴィア国際法廷)の判決でも、この問いには肯定の答えが出されてきました。実行者の自白がなければ特別の意図を認定できないことになってしまっては、ジェノサイドはほとんど成立しないことになってしまうからです。とはいえ、検察官が被告人に特別の意図があったことを合理的な疑いを超えて立証しなければならないので、こうした意図が推論できるのは補強証拠が十分に存在する場合だけということになります。

少し複雑な話になってきましたが、自分が、どのような状況でどのような位置にあって何をしようとしているのかを知りながら、特定の集団の一員を殺す決意をしたとすれば「特別の意図」があったと認定できることになります。

関東大震災時の日本内務省や、殺人実行にかかわった日本人の中に、朝鮮人に対する差別を基礎とした、迫害、排除、破壊の意図があったことを確認することは、客観的証拠、状況証拠によって可能となるはずです。補強証拠は十分といえるでしょう。

 第二に、「集団の構成員を殺害すること」について見ておきましょう。特定の集団の構成員を、その構成員であると認識し、集団の全部または一部を破壊することを意図して殺害することです。多数の構成員を殺害したことを必要としません。ジェノサイドがしばしば「集団虐殺・大量虐殺」と訳されるために誤解されがちですが、個人の刑事責任としての犯罪の成立要件としては、一人殺せば足ります。実際に一人の殺害でジェノサイドの認定が行なわれることはまれでしょうが、多数の犯行者によるジェノサイドが行なわれている状況で、同じ意図をもって一人殺害すれば、理論的にはジェノサイドが成立します。

 関東大震災朝鮮人虐殺は、非常に広範囲にわたって実行されました。それぞれの実行犯には全体状況がどうなっていたかの認識が十分になかったかもしれません。相互の連絡があったわけでもないでしょう。しかし、「朝鮮人が井戸に毒を入れた」などのデマ宣伝が上から組織的に行われたことによって、互いに知り合いでもない多くの人々が、類似の状況で類似の社会心理を持たされ、朝鮮人に対する迫害行為に出ることになったのです。わざわざ朝鮮人を探して、朝鮮人であるという理由だけで殺しました。一人ひとりの実行犯が「殺害によるジェノサイド」を犯したと考えられます。

 第三に、ジェノサイドの直接かつ公然の教唆です。石田貞さん、山田昭次さん、梓澤和幸さん、三人のご報告が既に十分明らかにしたように、「朝鮮人が井戸に毒を入れた」の類のデマ宣伝は、内務省から県へ、県から市町村へ、市町村から自警団へと伝達されたのです。大震災で混乱し、騒然としている状況において、デマ宣伝が果たした役割は非常に大きなものがありました。人々を恐怖に陥しいれ、反朝鮮人感情を爆発させ、結果として各地で朝鮮人虐殺が発生したのです。

 以上のことから、次の帰結を導くことができます。①関東大震災朝鮮人虐殺は、上からのデマ宣伝によって、つまり「直接かつ公然たる教唆」によって、組織的意図的に惹き起こされたジェノサイドです。デマ宣伝に加担した者には、ジェノサイドの直接かつ公然の教唆という犯罪が成立します。②虐殺に手を染めた実行犯のそれぞれにジェノサイドの犯罪が成立します。殺害によるジェノサイドです。ジェノサイドは未遂や共犯も処罰されるべき犯罪です。③ジェノサイドの教唆と、ジェノサイドは、ともに、個人ではなく、組織としての日本政府の犯罪が中核にあります。個人によるジェノサイドも犯罪ですから見逃せませんが、最大の犯罪者は日本政府です。

ジェノサイドは終わったか

 関東大震災は一九二三年の出来事です。八五年の歳月が流れました。それでは関東大震災ジェノサイドは終わったのでしょうか。

関東大震災ジェノサイドの真相解明はなされたでしょうか。それどころか、日本政府は事実を隠蔽し、真相解明を妨げてきました。被害者への謝罪も補償もしていません。形だけ自警団メンバーの裁判を行いましたが、真の責任者を明らかにしていません。裁きも不十分で事実認定は歪曲され、量刑も著しく軽いものでした。それどころか、愛国心ゆえの犯行だったなどと弁解をしています。責任者処罰がなされたとはとても言えません。ですから、再発防止の努力もなされていません。民間ではさまざまな努力が積み重ねられてきましたが、日本政府はサボタージュあるのみです。

関東大震災ジェノサイドは、何一つ終わっていないのです。しかも、冒頭に見たように、石原都知事は差別の煽動を公然と行っています。日本政府は石原発言を擁護しています。

事実を認めず、隠蔽し、石原都知事発言のように逆転した発言を続けることは、次の不安と危険を呼び覚まします。ドイツにおいてユダヤ人虐殺を否定する「アウシュヴィッツの嘘」発言が新たなユダヤ人差別であり、犯罪とされていることはよく知られています。エクスター大学のキャロライン・フォーネットの著作『破壊犯罪とジェノサイドの法』(アシュゲート出版)は、実際にジェノサイドがあった事実を否定する「ジェノサイドの否定」について論じています。「否定は、犯罪実行者にとって防御機制となります。防御はすべてのジェノサイドにおいて現に用いられています。言い換えると、ジェノサイドの否定は今やおきまりとなっているのです」。フォーネットは、ジェノサイドの否定が次のジェノサイドの教唆につながる恐れを指摘し、ジェノサイドの否定が被害者に対する精神的加害となると指摘しています。

終わっていないのは関東大震災だけではありません。コリアン・ジェノサイドは終わっていません。朝鮮半島に対する植民地支配、朝鮮人差別、数々の弾圧と虐殺の真相は解明されず、責任も明らかにされていません。

戦前だけではありません。例えば、阪神教育闘争事件とは何だったのでしょうか。阪神教育闘争事件は、一九四八年に起きた単発の事件として理解することはできません。朝鮮植民地支配の残滓であり、朝鮮人差別の繰り返しです。その後の朝鮮人弾圧と差別の予告でもありました。

いまもなお続く朝鮮人差別と歴史の偽造も指摘しておかなければなりません。朝鮮半島をめぐる政治的緊張のたびに、日本社会では「チマ・チョゴリ事件」に象徴される差別と犯罪が繰り返されています。社会で時たま起きる事件ではありません。日本政府が再発防止の努力を行わず、それどころか、最近の滋賀朝鮮学校事件を始めとする朝鮮総連関連施設弾圧事件のように、日本政府こそが率先して朝鮮人差別の犯罪を行っているのです。

世界史の中で考えよう

 関東大震災朝鮮人虐殺をジェノサイドとして理解することは、事件を世界史の中で考えることです。

レムキンがジェノサイド概念を構築したとき、念頭にあったのは一九一五年のアルメニア・ジェノサイドと、一九三〇年代からのナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺でした。レムキンは、なぜ一九二三年の関東大震災に言及していないのでしょうか。――知らなかったからです。国際社会でコリアン・ジェノサイドは語られていません。

今日でも世界各地でジェノサイド、人道に対する罪が繰り返されています。規模や原因はさまざまですが、世界各地で悲劇が続いています。歴史を振り返れば、スターリンの大粛正、日本軍の三光政策・無人区政策、ヒロシマ・ナガサキへの原爆投下、朝鮮戦争における国連軍の犯罪、ベトナム戦争・北爆・枯葉剤作戦、カンボジアのポルポト派による大虐殺、旧ユーゴスラヴィアの「民族浄化」、ルワンダのツチ虐殺、東ティモール独立をめぐる内戦による虐殺、スーダンのダルフール・ジェノサイド、そしてアフガニスタンとイラクで続いている戦争における膨大な民間人被害――コリアン・ジェノサイドは、これらと同じ文脈で語られなければなりません。

 歴史のはざまで数々の悲劇が起きてきました。この悲劇は自然災害ではありません。人為的な犯罪は防ぐことができます。ジェノサイドをいかにして防ぐのか。そのための議論はいまだに十分になされていないのではないでしょうか。石田貞、山田昭次、梓澤和幸報告が突きつけているのは、コリアン・ジェノサイドにきっちり決着をつけて、二度と起きないようにする課題です。八五年も昔の物語ではなく、今なお私たちが向き会わなければならない未決の課題なのです。