Friday, January 09, 2026

誰がパレスチナを語るのか

イザベラ・ハンマード(岡真理訳)『見知らぬ人を認識する』(みすず書房、2025年)

心が折れるという表現がある。呑気に、のんびり生きてきた私たちが安易に使う言葉でもある。

本当に心が折れることを、私たちは想像できるだろうか。

否、このような反問は不適切かもしれない。

心が折れる、押しつぶされる、縮みあがる。現実の前に、言葉の無力さに打ちひしがれながら、それでも言葉を紡がなくてはならない。生きるために、そして生きるために闘うために。

人間らしく生きる。人間として生きる。そのことさえ全否定された、灼けるように凍り付いたこの世界で、言葉を唯一の武器として暴力に抗する精神はいかにして形成されるか。

2023928日に、コロンビア大学エドワード・サイード記念講演において、イザベラ・ハンマードは、「人生において転換点がどこに存在するのか」と問い、ただちに「転換点なるものもまた同様に人間の構築物であり、あとから遡って見出されるものです」と折り返す。

あまりにも当たり前で、平凡な転換点の思考は、しかし、例えば1939年や、1947/48年や、1967年や、2007年という時代に引き寄せていくと、現代史の大きなテーマとして立ち現われ、小説など文学の未踏の課題として浮き彫りになる。ハンマードは「サイードのおかげで、とりわけ文学をはじめとするヨーロッパの表象の伝統と帝国権力の働きとの関係」に論究する。サイードに学び、再演し、さらに一歩を踏み出そうとするハンマードの精神は、思いがけないほど穏やかに、しかし想像を超える鋭さをもって、鮮やかな言葉の数々を運び出す。

対位法、アナグノリシス(認識の場面)、ナクバ、入植者植民地主義、「ユダヤ人の救済」、エピファニー、「人間の物語」、認識/承認、「異邦人」。

2023107日の直前に語られたハンマードのテクストは、そのはるか以前に及ぶのと同じように、その後の現在にまで及んでいる。

20241月に書かれた「ガザについて」という短文が追加されて1冊の著書に編まれることで、あらためてパレスチナの苦難の全史に読者は向き合うことになる。

訳者による「解説 ホロサイドに抗して」は、サイードからハンマードへ手渡された精神のリレーをすべて引き受け、さらにその先へとリレーする意志の産物である。

訳者は、読者に向かって、「あなたはこのリレーに加わるつもりがあるのか。あなたはあなた自身の闘いを、どこでどのようにして完遂するのか」と問いかける。

ガザでジェノサイドが行われている。人道に対する罪が行われている。ホミサイド、リンギサイド、ドミサイド、ホロサイドがこれでもかと言わんばかりに続いてきたし、いっそう激化して世界を震撼させている。

訳者はホロコーストとジェノサイドを掛け合わせて、ホロサイドと言う。

2002年に出版した私の『ジェノサイド論』(青木書店)において、リンギサイドやプラネティサイドと言った言葉を紹介したことがある。その後も多様な言葉が提案されてきた。私自身の関心はアフガニスタンやイラクだった。ジェンダー・アパルトヘイトやジェンダー迫害という概念が国際人権法では用いられている。

2025年、イタリアでフェミサイド刑法が制定され、日本でもニュースになった。だが、イタリア刑法は必ずしも新しくない。ラテンアメリカ刑法では普通の規定だ。前田朗「フェミサイド研究のために――ラテンアメリカのフェミサイド刑法の紹介」『女性・戦争・人権』23号(2024年)に詳しく紹介した。

先週調べていた所、フェミサイド研究の中で、「フェミジェノサイド」の提唱もなされているので、『マスコミ市民』2月号に紹介する原稿を書いた。

ジェノサイドの周辺に新しい言葉を作ることに意味があるというわけではない。ジェノサイドと対立する概念を明快に打ち出すことに意味がある。

訳者は例えば「人間として認められる権利」を提起する。1948年の世界人権宣言第6条に明記された言葉だ。同じころナクバが起きていた。国連総会は、ナクバを知りながら、何もせず、何もできず、他方で「人間として認められる権利」を創案した。

この言葉は日本国憲法には書かれていないため、日本ではまったく使われない。そのことに私は驚愕し、震撼した。前田朗「人として認められる権利――世界人権宣言第六条を読み直す」『明日を拓く』129130号(2021年、東日本部落解放研究所)

だが、日本では全く反応がなかった。訳者がガザの事態を前にこの言葉に着目したのは見事である。

どん底のどん底から立ち上がり、這い上がるために、暴力に抗して言葉で闘うために、ハンマードと岡真理が見据えているのは、何よりも私たちを、だ。果たして私は人間なのか。

Thursday, January 08, 2026

月刊誌『マスコミ市民』59年で休刊に

月刊誌『マスコミ市民』が本年3月号をもって休刊することになった。686号で終了の見込みだ。

もとはNHK労組の機関誌的な雑誌だったらしいが、その後、独立した月刊誌となっていた。19672月創刊、第3種郵便物認可が19675月だ。

私は19946月に安孫子誠人編集長と出会い、1995年から編集に協力するようになった。編集委員の時期もあれば寄稿者の時期もあったが、30年ほど、直接間接にかかわってきた。

現在の石橋さとし編集長になった時期に、「拡散する精神/委縮する表現」というコラムを書くようになったが、そのコラムは現在178回目だ。あと2回なので180回で終わる。ちょうど15年だ。

2019年に600号を迎えた時に書いたコラムを下記に貼り付ける。

 

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『マスコミ市民』600号(2019年)

拡散する精神/委縮する表現(94)

一九九〇年代の安孫子誠人編集長(一)

 

チマ・チョゴリ事件調査

 

 本誌が六〇〇号を迎えたのを機に、一九九〇年代の安孫子誠人編集長(故人)の思い出を若干披露しておこう。一九九〇年代、本誌は深刻な経営難に陥り、編集室を失って漂流していた。特に九〇年代中後期のことは、関係者にもほとんど知られていないので、その一断面を知る筆者の記憶から若干紹介しておきたい。

 安孫子編集長と初めて会ったのは一九九四年六月二八日、埼京線の十条駅改札口前であった。集まったのは、床井茂(弁護士)、近藤日佐子(声楽家)、西野瑠美子(ルポライター)、水野彰子(弁護士)など。名刺交換をして、東京朝鮮高級学校まで歩いた。

 一九九四年四月、朝日新聞報道に端を発して「北朝鮮核開発疑惑」が重大問題として大騒ぎ状態となった。この件は夏の米朝交渉によって一段落したが、日本国内では朝鮮学校に対する脅迫、嫌がらせが集中し、駅や路上で朝鮮学校生徒に対する暴行と暴言が多発した。チマ・チョゴリを着用した女子生徒に対する暴行事件が頻発したため、当時「チマ・チョゴリ事件」と呼ばれた。

 「事件は殴る、服を切る、髪を切るといった犯罪行為である。被害は、朝鮮の民族衣装であるチマ・チョゴリ(朝鮮学校の制服)を着た女子学生に集中した。電車の中で後ろからチマ・チョゴリをナイフやハサミで切り裂かれる。髪をハサミで切られる。同一犯人と思われるものに繰り返し襲われる。また、民族差別的な侮辱が加えられる。『朝鮮人は帰れ』といった無責任な暴言も多発している。民族差別的な暴言も含めて、報告された事件は一五五件を数える。また、朝鮮学校に対する電話による嫌がらせや脅迫も頻発している。」(朝鮮人学生に対する人権侵害調査報告書』同委員会、一九九四年七月

 現在いうところのヘイト・クライム、ヘイト・スピーチ事件である。筆者は一九八九年に法律家や市民のグループ「在日朝鮮人・人権セミナー」(実行委員長・床井茂、事務局長・筆者)を結成していたので、被害調査を行った。東京朝鮮高級学校の校長に許可をいただいて、被害生徒からの聞き取りである。大阪の弁護士たちも大阪朝鮮学校で被害聞き取りを行っていた。

 

ブックレット出版

 

 東京では六月二八日、右のメンバーが東京朝鮮学校教室で数人の生徒たちから聞き取りを行った。『マスコミ市民』編集部が関心を持っているという連絡があり、十条駅で待ち合せたのである。

 七月に報告書をまとめて記者会見を行ったが、その過程で二つのアイデアが出された。一つは国連人権機関に訴えることであり、筆者がジュネーヴに飛び、同年八月一一日、朝鮮人差別と暴力事件を国連人権委員会・差別防止少数者保護小委員会で訴えた。

 もう一つがブックレット出版であった。調査結果はコピー印刷して配布したが、「せっかくの調査だからきちんとした出版物にしよう」という安孫子編集長の提案で印刷・製本することになり、朝鮮人学生に対する人権侵害調査委員会編『切られたチマ・チョゴリ』(在日朝鮮人・人権セミナー/マスコミ市民、一九九四年九月)というブックレット(六四頁)にした。床井茂、西野瑠美子、近藤日佐子、崔一洙(在日本朝鮮人人権協会会長)、筆者のほかに、福島瑞穂(弁護士)、落合恵子(作家・月刊『子ども論』発行人)、早乙女勝元(作家)が寄稿している。当時、筆者はこの三人と面識がなく、原稿依頼も印刷・製本の手はずも安孫子編集長の手によるものだっただろう。

 安孫子編集長は「あとがき――事件とマスコミと」で「北朝鮮非難」政治キャンペーンと朝鮮学校・生徒への暴行・暴言事件を列挙して「これらそれぞれの事柄がリンクした問題であるにもかかわらず、別々の現象としてしかマスコミは取り上げない。原因と結果を結びつけようとしなければ、まさにマッチ・ポンプではないか、と言わざるをえない」と指摘している。

 筆者にとっては、ここから『マスコミ市民』との付き合いが始まり、国連人権機関へのロビー活動が始まった。あれから四半世紀、国連人権機関に通い続けているのも、安孫子編集長との出会いの結果である。

 

『マスコミ市民』601号(2019年)

拡散する精神/委縮する表現(95)

一九九〇年代の安孫子誠人編集長(二)

 

漂流する編集部

 

 一九九〇年代後半、本誌編集部は深刻な経営難に陥り、編集室を失った。居所・連絡先が二転三転し、ついに安孫子誠人編集長(故人)の自宅を編集室とすることになった。京王線府中駅から徒歩一〇分ほどのマンションの一室である。

 安孫子宅での編集会議は二年ほど続いただろうか。多い時で四人、少ない時は安孫子編集長と私の二人だけで編集会議を重ねた。

二人だけの編集会議で月刊誌の企画を案出するのは無理である。すぐにネタは切れるし、友人知人の伝手を頼って執筆者探しをするのも大変だった。それ以前からの連載執筆者や、長年に渡る協力者がいたから発行を維持できたが、編集の管理、原稿の督促もきちんとできないため、毎号毎号締め切りを過ぎても原稿が集まらない。発行予定日を過ぎてしまうことも度々で、ついには不定期発行の事態に陥る危機が続いた。

インターネットが今のように普及していないから、原稿の多くはFAX送信だった。郵便で届く原稿もあった。オペレータに打ち直してもらう経費を節減し、安孫子編集長自らワープロに向かっていた。

特集企画を練る余裕もなく、その都度の思い付きで、とにかく集まった原稿を並べて構成する始末だ。発行日を過ぎても頁数が足りないので、安孫子編集長や私が慌てて追加原稿を書いた。朝方電話がかかってきて「今日中にもう一つ原稿を書いてほしい」と頼まれる。

私は本名のほかに複数のペンネームを使うことになった。「明神駆」というペンネームは自宅所在地、「宇津貫拓」は勤務先所在地の町名から取った。無署名記事も書いたが、「蛍」というサインをした記憶もある。ひどい時には同じ号に四~五本の記事を書いた。

こんな状態だから雑誌の質が著しく低下したのは当然である。古くからの読者から厳しい批判を受けた。そうした読者が次には支えてくれたので、何とか立ち直れたように思う。

府中駅前の寿司屋で、安孫子編集長が「雑誌を潰すわけにはいかない。なんとしてでも継続発行したい」と繰り返し呟いていたのを昨日のことのように覚えている。

 

文化の夕べ

 

いよいよ限界となったので、寿司屋での討議の結果、諸団体に協力要請することにした。私も安孫子編集長と一緒に他団体に協力要請に出かけたことがある。最初に協力してくれたのがJR東日本労組関係だった。

創価学会にお願いをして、マスコミ問題の集会を共催し、その記録を雑誌に掲載したこともある。たしか創価学会副会長の文章も掲載した。この時ばかりは古くからの読者から厳しい叱責があった。単発の依頼原稿を掲載するのならともかく、これでは他団体の宣伝機関誌に成り下がるのではないかとの疑念が指摘された。特定団体に強い協力をお願いすると「御用雑誌化しかねない」との判断で方針変更に立ち至ったと記憶する。

一時期、安孫子宅から徒歩五分ほどの喫茶店に事務所を置いたこともあった。一階が喫茶店で、二階が展覧会や会議用のスペースになっていたので、片隅に机を置かせてもらったのだ。

楽しい思い出も紹介しておこう。一九九〇年代終わりから二〇〇〇年代にかけて数年間、「文化の夕べ」と称して、志賀高原の小規模ホテルを借り切って講演と音楽のプログラムを持ったことがある。前回紹介した在日朝鮮人に対する差別・暴力事件の被害調査に引き続いて協力してくれた歌手の近藤日佐子さんや金剛山歌舞団のメンバーによる音楽(歌と演奏)がメインだ。安孫子編集長の知り合いが保有しているホテルで、シーズンオフなので格安料金で借り、素敵なワインを嗜んだ。

東京から志賀高原まで、安孫子編集長運転の軽自動車で往復したが、窮屈なうえに、ダンプカーに幅寄せされる恐怖を味わいながらの旅であった。

星野安三郎先生(東京学芸大学名誉教授、故人)との出会いもマスコミ市民編集会議であった。安孫子宅の会議に星野先生が加わったことが二回あった。平和的生存権を初めて提唱した伝説的な憲法学者にお目にかかることができたのは幸運であった。

安孫子編集長の無私の努力のおかげで雑誌が潰れることなく今日に至った。日本政治とメディアの状況は悪化する一方にも見えるが、マスコミ市民が役割を果たすべき時期ともいえる。灯をともし続けることの意義を反芻しながら、次の一歩を踏み出したい。

Sunday, January 04, 2026

倒される彫刻のその先へ

小田原のどか『近代を彫刻/超克する』(講談社、2021年)

彫刻は芸術であり、モニュメントであり、ソローガンであり、社会教育である。公共空間に設置されることによって、時代の刻印を帯びる。あるいは、時代と衝突する。スターリン増やレーニン像が倒され、奴隷制商人像やアメリカ南軍将軍像が倒される。

藤井匡『公共空間の美術』(阿部出版、2016年)は、公共空間における彫刻の可能性を追求するが、小田原は、彫刻という困難に目を向け、分析する。

日本では第二次大戦中まで戦意高揚の銅像や忠魂碑が林立していた。敗戦後、倒され、消えた像も少なくない。

代わって平和の像がそこかしこに建立された。公共公園に、なぜか女性の裸体像が「平和の像」として進出した。

戦意高揚の彫刻と平和宣伝の彫刻。政治的には真逆であり、対立する。だが、彫刻という方法で戦争/平和を人々に教え込む、鼓舞する点では同じ機能が求められている。

このため社会意識が変われば、同じ彫刻に向けられる視線も変わる。本郷新の「わだつみ像」がたどった道はそのことをよく示している。

小田原は近代という時代の彫刻の社会的政治的機能をていねいに分析する。

2021年の本書では触れられていないが、群馬の森追悼碑、関東大震災追悼碑、そして日本軍性奴隷制の「平和の少女像」をめぐる「政争」も同じ文脈で理解できる。

この問題を小田原は独自の「彫刻論」として提示する。私は国際人権法における記念する権利、記憶する権利、真実への権利の文脈で把握する。文脈はまったく異なるが、交差する地点で新しい情景を目撃することができるだろう。

平和をつくるオンライン講座第1回:軍民分離による無防備地域とは何か

平和をつくるオンライン講座

 

台湾有事の高市首相発言が東アジアの緊張を高めているようだ。日本の軍事化が進んでいるけど、何が起こっているのかよく理解できない。日本の平和をどのようにつくることができるのか分からない。このままいったら日本が本当に戦争への道を進んで、平和な生活が脅かされるのではないのか。

・・・と不安に感じている皆さん、いま改めて無防備地域(戦争不参加宣言)を学び、考えてみませんか? 

軍民分離による無防備地域とは何か

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2026130日(金)1921

無防備平和入門 : 前田朗(朝鮮大学校講師)

無防備地域宣言は国際人道法に定められています。1977年のジュネーヴ諸条約追加議定書という、ふだん見慣れない国際法ですが、基本思想は軍民分離です。軍隊は攻撃目標になりますから、軍隊と民間人が一緒にいると、民間人が巻き添えで被害を受けます。軍事施設を民間の居住地域に設置することは極めて危険です。基本的考え方を学びましょう。

2回(予定)

<参加無料>

本講座はZOOMで行います。

参加希望者は、128日までにEメールで申し込んでください。

ZOOMURL)をお知らせします。

2026310日(火)1921

沖縄と平和主義(仮題)

飯島滋明(名古屋学院大学教授)

 

主催:「無防備地域をいま、改めて考える」実行委員会

問合せ先:090-4092-8581(土橋)

申込み先:E-mail: akira.maeda@jcom.zaq.ne.jp

E-mail: akio-t@e-mail.jp

Thursday, January 01, 2026

のんびり古典を読もう(01)

5年前、東京造形大学を定年退職した時、古典を読もうと思っていた。しかし、多忙に紛れて実現できなかった。授業は少なくなったが、論文、エッセイ、レポートなどひたすら書くことに力を注いできたので、自転車操業という感じだった。

読もうと思ったのはまず『経済学批判要綱』だ。院生時代、5年間ほど経済学研究科の宮崎犀一先生の『資本論』ゼミに参加していて、最後の時期に『経済学批判要綱』も読み始めたが、すぐに挫折した記憶があるためだ。

博士後期課程の時、もう一つ、商学研究科の山中隆次先生の古典講読で『経済学哲学草稿』を読んだことも、大いに有益だった。

法学研究者の私にとって、『資本論』『経哲草稿』『ドイツ・イデオロギー』をそれとして読むのではなく、あくまでも社会科学方法論という関心から読んだのだが、法学方法論としても意味があったと、今になって思う。もっとも、法学研究者たちからは邪道と思われていただろうが。

12月に古稀になったので、朝鮮大学校非常勤講師も今年度で定年だ。4月からは授業担当がなくなる。

2026年も忙しくなりそうだが、古稀なので、のんびり古典を読みたいところだ。古典に専念できるわけではないが、少しずつでも読んでいくことにしよう。今読まないと、やがて読書も難しくなる年齢だし。

というわけで、元旦から『経済学批判要綱』を読み始めた。大月書店版(高木幸二郎監訳)第1分冊。

A 序説の「1.生産、消費、分配、交換(流通)」の「1)生産」は、近代の自立した個人と所有が歴史的生産関係に規定されていることの確認である。のんびり読んでいこう。

もう一つ、夏堀正元の『渦の真空』(朝日新聞社)を読み始めた。

夏堀は社会派ミステリーやサスペンスに位置づけられることが多く、戦後文学史において重視されていないきらいがある。埴谷雄高『死霊』、大西巨人『神聖喜劇』、野間宏『青年の輪』といった「全体小説」の系譜に属する『渦の真空』をもう少し評価しても良いと思う。と言いつつ、10数年前に上巻だけ読んで、下巻を読んでいない。改めて全体を通読することにした。

「全体小説」というのは言葉だけであって、明確な定義はないと思うが、ともあれ言葉は不思議な魅力がある。単なる長編小説ではなく、一つの世界を全体的に描き切った作品だ。大江健三郎の『万延元年のフットボール』『同時代ゲーム』や、『燃えあがる緑の木』三部作もそうだ。大江は丸谷才一の『裏声で歌え君が代』をあげていたと記憶する。井上ひさし『吉里吉里人』や筒井康隆『虚航船団』『歌と饒舌の戦記』もある。大江健三郎・井上ひさし・筒井康隆については前田朗『パロディのパロディ』(耕文社)参照。

夏堀正元は、初期の『醜聞家族』『豚とミサイル』や、『海鳴りの街』『人間の岬 あるヤンシュウ伝』『目覚めし人ありて 小説中江兆民』最後の『虚構の死刑台 小説幸徳秋水』まで数十冊読んだし、何より『非国民の思想』は、「非国民研究」の導きの一冊だった。『小樽の反逆 小樽高商軍事教練事件』『蝦夷国まぼろし』など、北海道を舞台とした反逆の小説作品は時代を見事に撃ち抜いている。その意味で近代日本の植民地主義を反映した『渦の真空』を読み通せていないのは問題だ。今年こそ、ちゃんと読もう。

『渦の真空』上巻は、夏堀の父親・釧路地裁判事・夏堀悌二郎が信子と結婚したところから始まる。当時の釧路はまさに最果ての街で、石川啄木流浪の最後の地でもある。悌二郎は啄木に直接会ってはいないが、すれ違っている。信子が釧路に嫁いだのは1923(大正12)年のことで、関東大震災の年だ。まもなく悌二郎が小樽区裁判事に転任して、夏堀正元は1924(大正14年)に小樽で生まれる。

1925(大正15)年に屯田兵一族の子どもとして札幌に生まれたのが私の父親だ。私自身は1955年札幌生まれだが、夏堀が描く北海道の歴史と地理は私にとっても揺り籠のようなものだ。

Sunday, December 28, 2025

深沢潮を読む(10)家庭における女性差別の諸相

深沢潮『乳房のくにで』(双葉社、2020年)

 

新潮社が週刊新潮誌上でおわび掲載へ コラムへの校閲指摘、修正せず

https://www.asahi.com/articles/photo/AS20251224004214.html?oai=ASTDS3GBLTDSUCVL01TM&ref=msn_kijinaka

 「週刊新潮118日号」によると、「人権デューデリジェンスの新たな取り組みについて」と題して2ページの社告を掲載。731日号に掲載された元産経新聞記者高山正之氏のコラム「変見自在」には、外国ルーツの人の人権への配慮を欠いた内容が含まれていたとし、深沢さんらの実名を挙げて日本名の使用に言及した部分に厳しい批判を受けたことについて「重く受け止めております」と記した。校了前には、校閲部員が指摘したにもかかわらず、社内の担当者と筆者が注意深く検討しないまま校了し、修正されずに掲載されたという経緯を明らかにした。

 そのうえで、コラムは差別的で人権侵害といった指摘を受けたとして、編集長名で深沢さんらへのおわびをつづった。連載は2002年から1千回超にわたって続いていたが、8月に終了した。編集長は「(筆者の)意向を過度に尊重するあまり、人権への配慮やチェック意識を充分に働かせることができなかったことが原因であると、反省しております」とも記している。

『乳房のくにで』は深沢の第10作である。

恋愛、お見合い、結婚、夫婦生活、妊娠・出産、育児など女性の人生を主題にすることの多かった深沢が、本作では「乳母」の人生を描いている。

冒頭、乳飲み子を抱えたシングルマザーの苦労話から始まる。母乳の少ない母親に代わって、赤ん坊に授乳する仕事をまかされた福美が、政治家の徳田家の乳母になる。やがて、授乳にとどまらず、長男の光を育てる役割を引き受ける。その間の、出来事が描かれる。自分の娘と徳田の光。徳田の姑の千代と長男の妻の奈江。小学校の度急性だった福美と奈江。千代が奈江を徳田家から追い出したのちに後妻となった咲子。子育ての苦労と喜びが錯綜する。背景には少子化問題があり、男女雇用機会均等法問題があり、さらには世襲政治家問題がある。物語の大半は徳田家を舞台とするが、最後には選挙における女性の地位問題へと発展していく。

Friday, December 26, 2025

インタヴュー講座/金富子さん日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷25年

インタヴュー講座:脱植民地主義のために(第2回)

敗戦80年の今日、日本の政治社会は過去の侵略戦争と植民地支配を忘却し、日本人の戦争被害だけを語ります。歴史の風化と浸蝕が進んでいます。しかし、植民地主義は過去の歴史ではなく現在の「日本問題」です。日本は侵略戦争と植民地支配の過去を封印して「日本人ファースト」を叫んでいます。200001年の女性国際戦犯法廷から四半世紀を経て、いま、植民地主義から脱却するために何が必要かを考えましょう。

 

日時:212日(木)午後6時半~8時半(6時開場)

会場:東京ボランティア市民活動センター(飯田橋RAMLA10階)

参加費:500

日本軍性奴隷制を裁く

女性国際戦犯法廷25

金富子さん

*講師プロフィル:東京外国語大学名誉教授、専攻・ジェンダー史、朝鮮教育史、戦時性暴力。VAWW RAC共同代表、Fight for Justice共同代表。主著に『植民地期朝鮮の教育とジェンダー』『継続する植民地主義とジェンダー』(以上世織書房)、共編著に『もっと知りたい「慰安婦」問題:性と民族の視点から』(明石書店)、『植民地遊郭――日本の軍隊と朝鮮半島』(吉川弘文館)、『歴史と責任――「慰安婦」問題と一九九〇年代』(青弓社)、『女性国際戦犯法廷20年』(世織社)、『性暴力被害を聴く:「慰安婦」から現代の性搾取へ』『記憶で書き直す歴史――「慰安婦」サバイバーの語りを聴く』(以上岩波書店)など多数。

*第3回予定「現代韓国の反性売買女性運動――ポストコロニアル・フェミニズム運動」

主催:平和力フォーラム

連絡先:07023071071(前田)

E-mail:akira.maeda@jcom.zaq.ne.jp