Thursday, January 01, 2026

のんびり古典を読もう(01)

5年前、東京造形大学を定年退職した時、古典を読もうと思っていた。しかし、多忙に紛れて実現できなかった。授業は少なくなったが、論文、エッセイ、レポートなどひたすら書くことに力を注いできたので、自転車操業という感じだった。

読もうと思ったのはまず『経済学批判要綱』だ。院生時代、5年間ほど経済学研究科の宮崎犀一先生の『資本論』ゼミに参加していて、最後の時期に『経済学批判要綱』も読み始めたが、すぐに挫折した記憶があるためだ。

博士後期課程の時、もう一つ、商学研究科の山中隆次先生の古典講読で『経済学哲学草稿』を読んだことも、大いに有益だった。

法学研究者の私にとって、『資本論』『経哲草稿』『ドイツ・イデオロギー』をそれとして読むのではなく、あくまでも社会科学方法論という関心から読んだのだが、法学方法論としても意味があったと、今になって思う。もっとも、法学研究者たちからは邪道と思われていただろうが。

12月に古稀になったので、朝鮮大学校非常勤講師も今年度で定年だ。4月からは授業担当がなくなる。

2026年も忙しくなりそうだが、古稀なので、のんびり古典を読みたいところだ。古典に専念できるわけではないが、少しずつでも読んでいくことにしよう。今読まないと、やがて読書も難しくなる年齢だし。

というわけで、元旦から『経済学批判要綱』を読み始めた。大月書店版(高木幸二郎監訳)第1分冊。

A 序説の「1.生産、消費、分配、交換(流通)」の「1)生産」は、近代の自立した個人と所有が歴史的生産関係に規定されていることの確認である。のんびり読んでいこう。

もう一つ、夏堀正元の『渦の真空』(朝日新聞社)を読み始めた。

夏堀は社会派ミステリーやサスペンスに位置づけられることが多く、戦後文学史において重視されていないきらいがある。埴谷雄高『死霊』、大西巨人『神聖喜劇』、野間宏『青年の輪』といった「全体小説」の系譜に属する『渦の真空』をもう少し評価しても良いと思う。と言いつつ、10数年前に上巻だけ読んで、下巻を読んでいない。改めて全体を通読することにした。

「全体小説」というのは言葉だけであって、明確な定義はないと思うが、ともあれ言葉は不思議な魅力がある。単なる長編小説ではなく、一つの世界を全体的に描き切った作品だ。大江健三郎の『万延元年のフットボール』『同時代ゲーム』や、『燃えあがる緑の木』三部作もそうだ。大江は丸谷才一の『裏声で歌え君が代』をあげていたと記憶する。井上ひさし『吉里吉里人』や筒井康隆『虚航船団』『歌と饒舌の戦記』もある。大江健三郎・井上ひさし・筒井康隆については前田朗『パロディのパロディ』(耕文社)参照。

夏堀正元は、初期の『醜聞家族』『豚とミサイル』や、『海鳴りの街』『人間の岬 あるヤンシュウ伝』『目覚めし人ありて 小説中江兆民』最後の『虚構の死刑台 小説幸徳秋水』まで数十冊読んだし、何より『非国民の思想』は、「非国民研究」の導きの一冊だった。『小樽の反逆 小樽高商軍事教練事件』『蝦夷国まぼろし』など、北海道を舞台とした反逆の小説作品は時代を見事に撃ち抜いている。その意味で近代日本の植民地主義を反映した『渦の真空』を読み通せていないのは問題だ。今年こそ、ちゃんと読もう。

『渦の真空』上巻は、夏堀の父親・釧路地裁判事・夏堀悌二郎が信子と結婚したところから始まる。当時の釧路はまさに最果ての街で、石川啄木流浪の最後の地でもある。悌二郎は啄木に直接会ってはいないが、すれ違っている。信子が釧路に嫁いだのは1923(大正12)年のことで、関東大震災の年だ。まもなく悌二郎が小樽区裁判事に転任して、夏堀正元は1924(大正14年)に小樽で生まれる。

1925(大正15)年に屯田兵一族の子どもとして札幌に生まれたのが私の父親だ。私自身は1955年札幌生まれだが、夏堀が描く北海道の歴史と地理は私にとっても揺り籠のようなものだ。

Sunday, December 28, 2025

深沢潮を読む(10)家庭における女性差別の諸相

深沢潮『乳房のくにで』(双葉社、2020年)

 

新潮社が週刊新潮誌上でおわび掲載へ コラムへの校閲指摘、修正せず

https://www.asahi.com/articles/photo/AS20251224004214.html?oai=ASTDS3GBLTDSUCVL01TM&ref=msn_kijinaka

 「週刊新潮118日号」によると、「人権デューデリジェンスの新たな取り組みについて」と題して2ページの社告を掲載。731日号に掲載された元産経新聞記者高山正之氏のコラム「変見自在」には、外国ルーツの人の人権への配慮を欠いた内容が含まれていたとし、深沢さんらの実名を挙げて日本名の使用に言及した部分に厳しい批判を受けたことについて「重く受け止めております」と記した。校了前には、校閲部員が指摘したにもかかわらず、社内の担当者と筆者が注意深く検討しないまま校了し、修正されずに掲載されたという経緯を明らかにした。

 そのうえで、コラムは差別的で人権侵害といった指摘を受けたとして、編集長名で深沢さんらへのおわびをつづった。連載は2002年から1千回超にわたって続いていたが、8月に終了した。編集長は「(筆者の)意向を過度に尊重するあまり、人権への配慮やチェック意識を充分に働かせることができなかったことが原因であると、反省しております」とも記している。

『乳房のくにで』は深沢の第10作である。

恋愛、お見合い、結婚、夫婦生活、妊娠・出産、育児など女性の人生を主題にすることの多かった深沢が、本作では「乳母」の人生を描いている。

冒頭、乳飲み子を抱えたシングルマザーの苦労話から始まる。母乳の少ない母親に代わって、赤ん坊に授乳する仕事をまかされた福美が、政治家の徳田家の乳母になる。やがて、授乳にとどまらず、長男の光を育てる役割を引き受ける。その間の、出来事が描かれる。自分の娘と徳田の光。徳田の姑の千代と長男の妻の奈江。小学校の度急性だった福美と奈江。千代が奈江を徳田家から追い出したのちに後妻となった咲子。子育ての苦労と喜びが錯綜する。背景には少子化問題があり、男女雇用機会均等法問題があり、さらには世襲政治家問題がある。物語の大半は徳田家を舞台とするが、最後には選挙における女性の地位問題へと発展していく。

Friday, December 26, 2025

インタヴュー講座/金富子さん日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷25年

インタヴュー講座:脱植民地主義のために(第2回)

敗戦80年の今日、日本の政治社会は過去の侵略戦争と植民地支配を忘却し、日本人の戦争被害だけを語ります。歴史の風化と浸蝕が進んでいます。しかし、植民地主義は過去の歴史ではなく現在の「日本問題」です。日本は侵略戦争と植民地支配の過去を封印して「日本人ファースト」を叫んでいます。200001年の女性国際戦犯法廷から四半世紀を経て、いま、植民地主義から脱却するために何が必要かを考えましょう。

 

日時:212日(木)午後6時半~8時半(6時開場)

会場:東京ボランティア市民活動センター(飯田橋RAMLA10階)

参加費:500

日本軍性奴隷制を裁く

女性国際戦犯法廷25

金富子さん

*講師プロフィル:東京外国語大学名誉教授、専攻・ジェンダー史、朝鮮教育史、戦時性暴力。VAWW RAC共同代表、Fight for Justice共同代表。主著に『植民地期朝鮮の教育とジェンダー』『継続する植民地主義とジェンダー』(以上世織書房)、共編著に『もっと知りたい「慰安婦」問題:性と民族の視点から』(明石書店)、『植民地遊郭――日本の軍隊と朝鮮半島』(吉川弘文館)、『歴史と責任――「慰安婦」問題と一九九〇年代』(青弓社)、『女性国際戦犯法廷20年』(世織社)、『性暴力被害を聴く:「慰安婦」から現代の性搾取へ』『記憶で書き直す歴史――「慰安婦」サバイバーの語りを聴く』(以上岩波書店)など多数。

*第3回予定「現代韓国の反性売買女性運動――ポストコロニアル・フェミニズム運動」

主催:平和力フォーラム

連絡先:07023071071(前田)

E-mail:akira.maeda@jcom.zaq.ne.jp

知られざる「第四の被曝」

                     『マスコミ市民』681号(202511月)

拡散する精神/委縮する表現(176

 

知られざる「第四の被曝」(一)

 

前田 朗

 

第四の被曝とは

 

 九月一三日、茅ケ崎市民文化会館で関東大震災朝鮮人虐殺追悼式が行われた。東京都墨田区、横浜市、さいたま市、本庄市など各地で追悼式が続いてきたが、茅ケ崎では初めての開催であった。

 追悼式終了後の懇親会に参加したところ、「『第四の被曝』を広める会」(代表・大蔵律子前平塚市長)のメンバーと同席することになり、関連資料を頂き、お話を伺った。

 七月一二日、神奈川県平塚市で「『第四の被曝』を広める会」が旗揚げしたという。きっかけは二〇二四年九月一五日に放映されたNHKスペシャル『封じられた“第四の被曝”~なぜ夫は死んだのか』である。

 「第四の被曝」とは何か。まったく知らなかったので大変驚いた。

 一九五八年七月一二日、ビキニ西方海上でアメリカの水爆実験ポプラが実施された。当時、国連の国際地球観測プロジェクトの海流調査のために派遣されて南太平洋を航行していた海上保安庁の測量船「拓洋」と巡視船「さつま」の乗員が被曝した。洋上でガイガー計測器で被曝の危険性を知った両船はラバウルに避難したが、すでに白血球の異常な低下が確認されている。被爆から一年後、拓洋の機関士永野博吉(三四歳)が急性骨髄性白血病で死亡した。

アメリカ核実験司令部の軍医が作成した報告書によると、乗員二四人のうち一六人に重度を含む白血球減少があったという。軍医は五〇〇ミリシーベルト以上被爆した場合に急性被曝が認められるとし、拓洋船上の被曝線量を〇・八五ミリシーベルトと算出し、健康への影響はないと結論付けたという。測定値と矛盾する結論を出したのだ。NHK取材班は別の乗員が残した歯の被ばく線量を基に、健康への影響はないという結論に疑問を投げかける。

 聞いたことのある話だと思う人もいるかもしれないが、ビキニ水爆実験の話ではない。

 一九五四年三月、アメリカがビキニ環礁で行った水爆実験ブラボーによって、太平洋で操業していた漁船一四二二隻が被曝した。マグロ漁船の第五福竜丸は多量の死の灰(放射性降下物)を焼津港に持ち帰った。半年後の九月、無線長久保山愛吉が死亡した。ヒロシマ・ナガサキに次ぐ第三の被曝である。

 

六五年の隠蔽と闘う

 

 四年後の一九五八年に拓洋の機関士が被曝によって他界した。アメリカも日本も「第二の第五福竜丸事件」を表面化させないために、必死になって事件をもみ消した。日米安保条約の改定を迎える時期であり、反核世論が反米に繋がることを恐れたからであろう。

永野機関士の妻は、日本政府から「日本だけでなく、アメリカも絡んでいるから」と口止めされた。公務中の殉職として補償されることもないまま、長く口を閉ざしてきた。海上保安庁職員であったため、国の方針に従わざるを得なかったのだろう。

 七月の「第四の被曝を考える映像と市民のつどい」では、NHKスペシャル『封じられた第四の被曝~なぜ夫は死んだのか』上映に続いて、第二部「講演 横里征二郎さん(NHKディレクター)『封じられた第四の被曝』から見えてきたこと」が行われた。

NHKスペシャル取材に応じて証言した機関士の妻は二〇二四年五月、九三歳で他界した。「宿命、宿命という言葉は、嫌な言葉なんだけど認めざるを得ないんです」、「自分で選んだ道じゃないけど」と語りつつも、国家による秘密強要の暴力に抗って最後の最後に力を振り絞っての証言である。

物心がついた時には父親が亡くなっていた娘は母親の最後の闘いを見守り、七月の上映会の際に名乗りを上げた。

「母は被曝事件や父の死を不条理だと感じながらも、『宿命』だと言って、自分自身を納得させるしかなかったと言うことなんだと思います。そうしなければ、前を向いて生きることができなかったんじゃないかな」。

こう語る娘は六五年の秘密に挑み、たとえ時間がかかっても国に対して問うていきたいと宣言した。

 「広める会」はまず県内各地で集会を開き、この問題を社会に広めるとともに、国に対して「放射線量は微量」とした根拠の説明を求めるなど、真相解明の取り組みを始めた。七月一二日を記念して毎年講演会などを開催し、ヒロシマ・ナガサキ・ビキニに続く第四の被曝の真相解明を追究する。

                       

                      『マスコミ市民』682号(202512月)

拡散する精神/委縮する表現(177

 

知られざる「第四の被曝」(二)

前田 朗

 

真相究明を

 

 二〇二四年放映のNHKスペシャル『封じられた第四の被曝~なぜ夫は死んだのか』をきっかけに、二〇二五年七月一二日、神奈川県平塚市で「『第四の被曝』を広める会」が旗揚げした。

 一九五八年七月一二日、ビキニ西方海上でアメリカの水爆実験ポプラ(広島原爆の六〇〇倍)により、南太平洋航行中の海上保安庁の測量船「拓洋」と巡視船「さつま」の乗員一一三人が被曝した。ラバウルに避難して検査したところ、白血球の異常な低下が確認された。被爆から一年後、拓洋の機関士永野博吉(三四歳)が急性骨髄性白血病で死亡した。

 一九五四年のビキニ水爆実験ブラボーによる被曝の第五福竜丸事件から四年後、六〇年安保に向けて改定作業中の日米両国にとって、反米意識の高揚は何としてでも回避しなければならない。アメリカ核実験報告書に「即座に福竜丸事件を日本人に思い起こさせた。核実験を巡る日米対立を悪化させる可能性を否定できない」と記された。事件隠蔽が必死の命題であった。

 第一に拓洋の被爆状況の徹底解明がなされなかった。乗員たちには放射線被曝についての十分な知識が与えられていない。乗員は「ガイガー計測器で『濃度が高いよ』と言われた」「放射能汚染についてはオフレコだったからねえ、沈んだ空気になっていた」と証言する。アメリカの利害を忖度し、国家的秘密が人々の口を閉ざす。

 第二に被曝と発症の因果関係を否定する。被曝五日後、ラバウルに避難した乗員たちの血液検査で、四人に一人が白血球数の顕著な結果が判明した。アメリカ核実験司令部軍医だったラルフ・ショース医師作成報告書によると、乗員のリンパ球の減少は驚くべきものだった。急性被曝の典型的な症状であり、報告書には「このような所見は放射線障害、もしくは五〇〇ミリSv以上被爆した場合の急性被曝と関連付けられることに疑問の余地はない」と記載されている。にもかかわらず、ショース医師は「算出した微量の被曝線量では、健康への影響はない」と結論づけた。矛盾した記述である。

 被曝医療に関わってきた斉藤紀医師は「『微量』ということで、これもろとも打ち捨てるわけですよ」「『矛盾する』から放射線被災そのものがないことにしようという姿勢を、米軍レポートの結論はとってしまった」と言う。

 これを基に日本政府は、被曝線量は「微量」であり、白血病と「直接関連づけることは困難」と結論づけた。第五福竜丸と違って、事件は急速に忘れられることになった。

 

放射線許容量基準とは

 

 第三に被曝許容量という思考が登場し、見事に社会化に成功した。アメリカは被害者補償を否定するために、「被曝基準」を設けて「一般市民を教育する」と考えた。これを受けて日本側は「放射線許容量基準」を設けた。

 放射線許容量基準は、例えば歯科医治療のための撮影や、胸部X線検査など多彩な局面で用いられる。原子力や放射線を扱う作業者の線量限度は年間五〇ミリSvや五年間で一〇〇ミリSvなどとされる。こうした線量基準を社会化し、一般化する方法で、原発事故の被曝線量も議論されてきた。福島原発事故被害をめぐる議論が典型である。日本政府だけでなく、国際原子力機関なども同様の基準を指定しているため、「一定の被曝はやむを得ない。害はない」という許容値が権力的に「公定」される。実際には原発被爆者救済を妨げるための基準として猛威を振るうことになった。アメリカに忖度した日本の棄民政策が、原発企業を守る棄民政策に転化した。

 第四に遺族を沈黙に追いやる。永野博吉さんの妻には沈黙が強要された。それから六〇年余り、事件は闇に閉ざされてきた。

 「広める会」はまず県内各地で集会を開き、この問題を社会に広めていく。国に対して「放射線量は微量」とした根拠の説明を求めるなど、真相解明の取り組みを始めた。神奈川県下の自治体に協力要請し、高校など教育関係者にも協力をもらい、県内でこの問題を広める活動を始めた。NHKスペシャルの上映を含む学習会を積み重ねて、周知していく。

 二〇二六年二月七日には平塚市中央公民館で「第四の被曝を広める」学習会を開催する。さらに二〇二六年七月には大規模集会を開催して、神奈川県内のみならず全国に訴えていくという。

Tuesday, December 23, 2025

意見書・長生炭鉱遺骨DNA鑑定の正当性と合法性

意見書・長生炭鉱遺骨DNA鑑定の正当性と合法性

 

1223日、衆議院第1議員会館で「長生炭鉱ご遺骨返還に向けた政府との意見交換会」及び記者会見が開かれた。

その場で公表した意見書を公開する。なお、誤植を手直しするとともに一部加筆削除を施した。

 

20251223日(修正版)

前田 朗(東京造形大学名誉教授・人権論)

一 結論

二 理由

Ⅰ 事案の概要

 Ⅱ 遺骨損壊罪の法解釈

1 刑法190

2 保護法益

3 成立要件(構成要件)

 Ⅲ DNA鑑定による遺骨損壊罪の成否

1 保護法益の検討

2 構成要件の検討

3 本件DNA鑑定の正当性と合法性

Ⅳ 国際人権法の視点

1      被害者の権利と遺骨へのアクセス権

2      記憶する権利と真実への権利

Ⅴ 日本政府の責任

1 DNA鑑定問題

2 海底坑道への放置

3 歴史的責任

***********************************

 

一 結論

 

1.長生炭鉱海底坑道で発見された遺骨の身元特定のために、DNA鑑定が不可欠である。日本政府はすみやかにDNA鑑定を実施するべきである。

2.日本政府がこれを行わない場合、民間人が主導してDNA鑑定を実施する必要がある。

3.民間人による本件DNA鑑定は死体等損壊・領得罪(刑法190条)の保護法益を侵害せず、構成要件に該当しない。本件DNA鑑定は、合法かつ正当である。

4.国際人権法では遺骨へのアクセス権、喪に服する権利、記憶する権利、真実への権利が議論されており、長生炭鉱遺骨の遺族や韓国社会にはこれらの権利が保障されるべきである。

 5.日本政府は、DNA鑑定と遺骨返還を遅延させることによって、刑法190条の保護法益が侵害される状態を招いている。

 6.日本政府は、DNA鑑定と遺骨返還を遅延させることによって、遺骨へのアクセス権、喪に服する権利、記憶する権利、真実への権利が侵害される状態をつくり出している。

 

二 理由

 

Ⅰ 事案の概要

 

「長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会」(以下「刻む会」)は、長年にわたって日本政府に海底坑道の調査・発掘を要請してきたが、日本政府はこれに協力してこなかった。

 刻む会は、自らの負担(財政、人材、クラウドファンディング等)で海底坑道調査に漕ぎ着け、2025825日、海底坑道で遺骨を発見した。発見された遺骨を直ちに山口県警に引き渡した。

 発見された遺骨は、194223日の長生炭鉱水非常(事故)によって海底坑道に埋もれた骨と推定される。当該遺骨は、海底坑道で作業していた183名のうちの誰かと考えられる。その内訳は、朝鮮半島出身者136名、日本人47名である。それ以外に海底坑道に人骨が存在した可能性はない(長生炭鉱水非常について、前田朗『旅する平和学』彩流社、2017年)

 刻む会は日本政府に協力を要請したが、厚労省担当者は刻む会の要請に応じてこなかった。

 刻む会は当該遺骨を山口県警に引き渡したが、山口県警はDNA鑑定しようとしない。鑑定実施の判断は警察庁など国の判断としている。

警察庁は、NHKの文書質問に「DNA鑑定の実施の判断のために韓国政府との協議を要するなど通常とは異なる配慮が必要で、関係省庁と調整し韓国政府との意思疎通の結果を踏まえ適切に判断していく」と回答したという。

 韓国の犠牲者遺族は遺骨の返還、それゆえ遺骨のDNA鑑定実施を希望している。

刻む会は31件(日本人2名の犠牲者、朝鮮人27名の犠牲者)のDNA情報を20251021日に警察庁に提出した。韓国政府は重複分を除き57人の犠牲者のDNA情報を保有しているという。韓国政府は遺骨鑑定に参加することで国民の貴重なデータを活かす担保にしようとしている。刻む会と合わせて83名分の犠牲者のデータがある。

 

Ⅱ 遺骨損壊罪の法解釈

 

1 刑法190

 

刑法190条 死体、遺骨、遺髪又は棺に納めてある物を損壊し、遺棄し、又は領得した者は、3年以下の拘禁刑に処する。

 

 刑法190条は「死体損壊罪」「死体等損壊罪」と呼称されることが多いが、本稿では遺骨のDNA鑑定が主題となるので、遺骨損壊罪という用語も用いる。

 

2 保護法益

 

 刑法190条の死体等損壊罪の保護法益は、刑法学では社会的法益と理解されている。

①死者に対する敬虔感情――死者に対する社会的な敬意や感情を保護すること。死体等は、社会的な習俗に従って、適切に扱われるべきであり、これを損壊することは社会全体の倫理観を侵害することになる。

②宗教的感情――死者に対する宗教的な感情を保護すること。いずれの文化や宗教においても、死者の扱いは非常に重要であり、適切な埋葬や葬祭が求められる。このような行為を損壊・妨害することは、人々の宗教的な信念を侵害することになる。

 それゆえ、死者本人や遺族(個人)の権利・法益に対する侵害ではなく、社会的な習俗や宗教に関連して理解される。

 最高裁判所判決は保護法益について次のように述べている。

 「刑法190 条は、社会的な習俗に従って死体の埋葬等が行われることにより、死者に対する一般的な宗教的感情や敬けん感情が保護されるべきことを前提に、死体等を損壊し、遺棄し又は領得する行為を処罰することとしたものと解される。」(最高裁令和5年3月24 日判決(刑集77 巻3号41 頁))

 それゆえ、刑法190 条の犯罪類型は、「単なる」死体等の損壊、遺棄、領得を処罰するものではなく、「死者に対する一般的な宗教的感情や敬けん感情を侵害する態様」の死体等の損壊、遺棄、領得を処罰するものである。

 福永俊輔によると、「洋の東西を問わず、死者をねんごろに葬り追慕と祭祀の対象とすることは、古くから人間の慣わしとして行われてきた宗教風俗に他ならない。ゆえに、死体遺棄罪の保護法益は、公衆の一般的な宗教的感情、死者に対する追悼・敬虔の感情であるとするのが学説上の通説であり、裁判例においても同様に理解されている。したがって、社会的に見て『公衆の一般的な宗教的感情、死者に対する追悼・敬虔の感情を害する態様の死体等の放棄・隠匿』が死体遺棄罪の実行行為である『遺棄』ということになる」という(福永俊輔「熊本技能実習生死体遺棄事件控訴審判決」『西南学院法学論集』第552号、2022年)。

 さらに、最高裁令和5年3月24 日判決が示した保護法益の理解について、福永俊輔「死体遺棄罪における『遺棄』について」『西南学院法学論集』第582号(2025年)参照。

 酒井智之は、「法益侵害の有無という点では、一般的に行われている方法で死体を葬る行為につき死体遺棄罪の成立が否定されることに疑いがないとしても、敬虔感情という保護法益は極めて抽象的であり、具体的にいかなる行為がそれを害するかを判断することは容易ではない」として、「死体遺棄罪の成立範囲を明確にするためには、保護法益を具体的に捉えた上で、それに基礎づけられた形で『遺棄』の意義を明らかにする必要がある」と言い、保護法益を詳細に検討する必要性を指摘する(酒井智之「死体遺棄罪の保護法益と作為による遺棄の意義」『一橋法学』第213号、2022年)。

 他方、松宮孝明は、死体等遺棄罪の保護法益を「個人的法益」として把握し直しており、個人的法益説も有力説となってきている(松宮孝明「『他者による葬祭可能性の減少』と死体遺棄」『立命館法学』404号、2022年)。

 ここでは、判例及び多数説に従って、死体等遺棄罪、それゆえ遺骨損壊罪の保護法益について社会的法益として理解し、最高裁令和5年3月24 日判決の「社会的な習俗に従って死体の埋葬等が行われることにより、死者に対する一般的な宗教的感情や敬けん感情が保護されるべきこと」を保護法益として理解する。

 

3 成立要件(構成要件)

 

 刑法190条の客体は、死体、遺骨、遺髪又は棺に納めてある物である。その実行行為は「損壊し、遺棄し、又は領得」である。

   損壊とは、基本的に「客体を物理的に破壊する行為」を指すと理解されている。

 ②遺棄とは、客体を捨てること、放棄することである。埋葬等の方法によらずに死体を放棄することである。つまり、「社会的な習俗に従って死体の埋葬等が行われる」ことを妨げる方法で客体を放棄することを意味する。習俗上の埋葬方法とは認められない態様で客体を放棄することである。

 ③領得とは、窃盗罪や強盗罪など奪取する罪におけるように、占有者の意思に反して財物の占有を取得することを指す。一般的な表現をするなら、他人の財物を自分の財物であるかのように振舞うことである。

 すでに述べたように、形式上の損壊や領得の行為があったからといって直ちに遺骨損壊罪が成立するのではなく、保護法益を侵害する態様で当該行為が行われることが必要である。

 なお、遺骨損壊罪は作為だけでなく、不作為によっても成立する場合があることが判例通説で認められている。死者を埋葬する義務のある者が、適切な埋葬を行わずに放置した場合や、他者による適切な埋葬を妨げる結果をもたらした場合に、不真正不作為犯が成立する場合がある。

 福永俊輔によると、「遺棄の行為の態様としては、こうした作為形態のみならず不作為形態のものもあるとするのが判例の確立した見解であり、学説上も不作為による遺棄を認める見解が通説である」。不作為がつねに遺棄に該当するのではなく、「不作為による遺棄は行為者に葬祭義務がある場合(葬祭義務者)に限られるとされている。これは、不真正不作為犯の成立には作為による構成要件と同視できるものでなければならず、そのために行為者に作為義務が必要とされるところ、死体遺棄罪においては葬祭義務が作為義務に当たるとされているのである」(福永俊輔「孤立出産の末の死産と死体遺棄罪」『西南学院法学論集』第542号、2022年)。

この点は日本政府の責任に関連するので、後述する。

 

Ⅲ DNA鑑定による遺骨損壊罪の成否

 

1 保護法益の検討

 

本件DNA鑑定の実施は「損壊」に当たるか。形式的には「損壊」に当たるように見えるが、実質的には当たらないと解釈するべきである。

本件DNA鑑定の実施によって、保護法益が侵害されるかを検討する必要がある。

最高裁令和5年3月24 日判決によると、刑法190条は「死者に対する一般的な宗教的感情や敬けん感情を侵害する態様」の死体等の損壊、遺棄、領得を処罰するものである。

本件DNA鑑定は、遺骨の返還及び埋葬のため、遺骨の主を特定するために実施されるDNA鑑定であるから、「死者に対する敬虔感情」や「宗教的感情」を損なうことはなく、保護法益が侵害されることはない。

 次に、本件DNA鑑定のために遺骨を刻む会の手元に保管する行為は「領得」に当たるか。これも「損壊」の場合と同様に考えられる。

すなわち、本件DNA鑑定のために遺骨を刻む会の手元に保管するのは、遺骨の身元を特定し、身元が判明すれば返還し、遺族等による慰霊や埋葬等を促進するためである。

 最高裁令和5年3月24 日判決によると、刑法190条は「死者に対する一般的な宗教的感情や敬けん感情を侵害する態様」の死体等の損壊、遺棄、領得を処罰するものである。本件DNA鑑定は「死者に対する一般的な宗教的感情や敬けん感情を侵害する」ことはなく、むしろ、返還及び埋葬を促進する行為である。

 刻む会が遺骨の一部を手元に保管するのは、DNA鑑定を実施し、遺族や故郷に返還するためである。刻む会として当該遺骨を保管し続けることを目的とするものではない。日本政府がDNA鑑定を実施して遺骨を返還するのであれば、刻む会は速やかに当該遺骨を日本政府に引き渡す用意がある。

 

2 構成要件の検討

 

 上記の通り、本件DNA鑑定は刑法190条の予定する保護法益を侵害することがないから、構成要件に該当しないが、さらに検討する。

 最高裁令和5年3月24 日判決によると、「刑法190 条は、社会的な習俗に従って死体の埋葬等が行われることにより、死者に対する一般的な宗教的感情や敬けん感情が保護されるべきことを前提に、死体等を損壊し、遺棄し又は領得する行為を処罰することとしたものと解される」のであるから、保護法益を侵害しない行為は「死体等を損壊し、遺棄し又は領得する行為」に該当しない。それゆえ、本件DNA鑑定は刑法190条の実行行為に該当しない。

本件DNA鑑定は、長生炭鉱水非常の真相を解明し、発見された遺骨を遺族の手元に返還し、埋葬・慰霊・追悼を実施するために行われる。それは日本市民社会の歴史的責任として実施されるものである。歴史的正当性があり、犠牲者遺族や韓国市民社会の法感情にも適う。その意味で社会的相当性が非常に高いと言える。それゆえ刑法190条の構成要件に該当せず、正当な行為である。

福岡高裁令和4年119日判決によると、被告人の行為がその「外観からは死体を隠すものに見え得るとしても、習俗上の葬祭を行う準備、あるいは葬祭の一過程として行ったものであれば、その行為は、死者に対する一般的な宗教的感情や敬けん感情を害するものではなく、『遺棄』に当たらないから、被告人が現にした行為がそれらを害するものであるかどうかを判断するにあたって事後の死体の取り扱いについての意図を考慮することは、誤りではない」と言う。

福永俊輔は、行為者の「意図」を考慮する可能性を指摘し、保護法益が侵害されたか否かを判断する際に、行為者が死体損壊罪の「意図」を有していたのか否かを検討している(福永俊輔「熊本技能実習生死体遺棄事件控訴審判決」『西南学院法学論集』第552号、2022年)。

刻む会は、死体等損壊罪の「意図」を有するものではなく、DNA鑑定の実施により、当該遺骨を遺族や故郷に返還して、遺族等の手により葬祭が行われることを促進する「意図」を有している。この点からも、本件DNA鑑定及びそのための保管行為はこのような目的で行われるから宗教的感情に沿うものであり、遺骨損壊罪の損壊や領得に当たらないことは明白である。

以上の通り、客観的要件に照らしても、「意図」という主観的要件に照らしても、本件DNA鑑定は遺骨損壊罪の構成要件に該当しない。

 

3 本件DNA鑑定の正当性と合法性

 

以上をまとめると、本件DNA鑑定は、日本政府(警察)が速やかに実施するべきものであり、DNA鑑定実施の必要性と相当性は非常に高いと言える。そうであれば、民間人がDNA鑑定を実施した場合であっても、その行為の目的、行為態様は合理的かつ正当なものである。あえて「損壊」と呼ぶ必要がない。仮に形式上は「損壊」や「領得」に当たるように見えるとしても、刑法190条が前提とする保護法益を侵害することがないので、構成要件該当性はなく、犯罪とはならない。

法益侵害に着目してさらに検討すると、本件DNA鑑定は犠牲者特定の目的で実施されるものであり、その必要性と相当性が高いと言えるから、「死者に対する敬虔感情」や「宗教的感情」を損なうことはない。

逆に、犠牲者遺族が慰霊・追悼目的でDNA鑑定実施を希望しているので、DNA鑑定実施こそが埋葬・慰霊を促進するものであり、「死者に対する敬虔感情」や「宗教的感情」に合致している。

 

Ⅳ 国際人権法の視点

 

1 被害者の権利と遺骨へのアクセス権

 

国際人権法で重視されてきた「人間の尊厳」が民主主義国家において最も尊重されるべき価値であることには異論がない。日本国憲法第13条は「個人の尊重」、同第24条は「個人の尊厳」を明記しており、人間の尊厳と同一ではないが、日本においても人間の尊厳が重要な価値であることは共有されている。

2005年の国連総会で採択された「国際人権法の重大な違反および国際人道法の深刻な違反の被害者に対する救済および賠償の権利に関する基本原則とガイドライン」によれば、「被害者の救済の権利」として、(a)司法への平等かつ実効的なアクセス、(b)被った損害に対する充分で実効的かつ迅速な賠償、(c)違法行為と賠償制度に関する適切な情報へのアクセスが挙げられる。

損害賠償として、「原状回復、補償、リハビリテーション、満足および再発防止の保障」が掲げられている。このうち「満足」について、次の事項が列挙されている。

①失踪者の行方の捜索、誘拐された子どもの身元特定、殺害された者の遺体の捜索、および被害者が表明した意思、推測される被害者の意思、又は家族やコミュニティの文化的習慣に従った遺体の回収、身元特定、改葬。

②被害者および被害者と密接に関係する者の尊厳、名誉および権利を回復する公式の宣言または司法判決。

③事実の認定と責任の承認を含む公的な謝罪。

④違反の責任者に対する司法上および行政上の制裁。

⑤被害者への記念と追悼。

⑥国際人権法および国際人道法の法教育およびすべてのレベルの教材に、発生した違反の正確な説明を含める。

2007年の国連先住民族権利宣言第12条は次の通りである(市民外交センター訳)。

1.  先住民族は、彼/女らの精神的および宗教的伝統、慣習、そして儀式を表現し、実践し、発展させ、教育する権利を有し、彼/女らの宗教的および文化的な遺跡を維持し、保護し、そして私的にそこに立ち入る権利を有し、儀式用具を使用し管理する権利を有し、遺骸/遺骨の返還に対する権利を有する。

2. 国家は、関係する先住民族と連携して公平で透明性のある効果的措置を通じて、儀式用具と遺骸/遺骨のアクセスおよび/または返還を可能にするよう努める。」

この規定は「先住民族の権利」について言及しているが、今日においては、先住民族のみならず、マジョリティ・マイノリティを問わず、すべての市民にとって「遺骨のアクセス」が権利であると考えられる。

2006年の強制失踪条約第15条は「締約国は、強制失踪の被害者を援助するため、失踪者を捜索し、発見し、及び解放し、並びに失踪者が死亡した場合には、その遺体を発掘し、特定し、及び返還するに当たり、相互に協力し、かつ、最大限の援助を与える」とする。

さらに同条約第24条は「被害者」の権利として、「被害者は、強制失踪の状況に関する真実、調査の進展及び結果並びに失踪者の消息を知る権利を有する」とし、失踪者が死亡した場合には、「その遺体を発見し、尊重し、及び返還するため、すべての適当な措置を取る」と定める。

国際人権法では、重大人権侵害被害者、先住民族、強制失踪被害者の権利として遺体等に関する権利保障が認められてきた。近年の国連人権理事会等の議論では、そもそも人間の基本的人権として遺体等及び記憶や追悼の権利が重要視されてきている。

2005年の重大人権被害者権利ガイドライン、及び2007年の国連先住民族権利宣言の国連総会での採択の際、日本政府は賛成した。2006年の強制失踪条約について、日本政府は2007年に署名した(同条約は2009年に発効)。

日本政府は遺体・遺骨へのアクセスの権利を保障・実現するために必要な措置を講じるべきである。DNA鑑定を実施して、すみやかに遺族等の元に遺骨を返還することは、決して至難の業ではなく、日本政府において容易に実施しうることである。

日本政府がこれを実施しない場合に、民間人が自らの責任で本件DNA鑑定を実施することは、国際人権法に照らして積極的な意味を有し、正当行為である。

 

2 記憶する権利と真実への権利

 

ウラディスラウ・べラヴサウ&アレクサンドラ・グリシェンスカ-グラビアス編『法と記憶――歴史の法的統制に向けて』所収のアントン・デ・ベーツ(オランダ・フローニンゲン大学教授)の論文「国連自由権規約委員会の過去についての見解」は、権利としての記憶と権利としての歴史について検討する。

権利としての記憶に関する見解として、デ・ベーツは、①喪に服する権利、②記念する権利、③記憶する権利、④歴史見解を禁止する記憶法の不存在、⑤自由な表現を制限しない伝統、を列挙する。

続いて、権利としての歴史に関する見解として、①過去についての真実への権利、②過去についての情報への権利、③過去の犯罪を捜査する国家の義務、を掲げる。

ごく一部だけ紹介しよう(詳しくは、前田朗『ヘイト・スピーチ法研究要綱』三一書房、2021年参照)。

   喪に服する権利

デ・ベーツによると、尊厳に基づく人権原則は喪に服する権利をプライバシーや思想の権利に含めていると言える。シェトコ対ベラルーシ事件では、息子がいつ、どこで処刑されたか、どこに埋葬されたかも教えられなかった事案について、国際自由権委員会は国際自由権規約第7条に違反すると指摘した。埋葬場所を知らせることや遺体を遺族に返還するようを勧告した。

   記念する権利

デ・ベーツは私的に喪に服する権利は必然的に公的に喪に服する権利や記念する権利に広がり、表現の自由や平和的集会の権利につながるという(自由権規約第19条、第21条)。国際自由権委員会一般的勧告第31号(2004年)は人権侵害被害者について「公的に謝罪し、公的に記憶することのような補償措置」があるとした。ソ連邦時代のスターリン主義抑圧の被害者を記念するための集会に関するベラルーシの事件で、国際自由権委員会は平和的な記念活動を組織する権利を支持した。

   記憶する権利

デ・ベーツによると、国際自由権委員会は記憶する権利を国際自由権規約第18条2項に関連付け、思想の自由に関する委員会一般的勧告第22号(1993年)、意見・表現の自由に関する一般的勧告第34号(2011年)を想起した。市民には記憶する権利があり、これには喪に服する権利と記念する権利が含まれる。

   真実への権利

デ・ベーツによると、過去に人権侵害を受けた被害者や遺族には真実にアクセスする権利があることが1990年代を通じて認識されるようになった。真実への権利は情報への権利、実効的救済の権利、非人道的措置から自由な権利と結びつきを有する(自由権規約第19条、第2条3項、第7条)。キンテロス対ウルグアイ事件で、国際自由権委員会は娘が失踪した母親に娘に何が起きたかを知る権利があるとした。真実への権利が保障されないと直接被害者の遺族も人権侵害被害者となる。

   情報への権利

 デ・ベーツによると、情報への権利は個人が公共機関が保有する情報にアクセスする権利であり、遺族にも認められる。ぺゾルドヴァ対チェコ共和国事件で、国家による財産破壊を被った申立人が19912001年の間、政府資料へのアクセスを否定されたことを国際自由権委員会は実効的救済の権利が侵害されたとした。国際自由権委員会一般的勧告第34号も同じ趣旨を述べている。

   過去の犯罪を捜査する国家の義務

 真実への権利には国家が過去の犯罪を捜査する義務が対応していなければならない。国際自由権委員会は1982年以来、一般的勧告第6号(生命権)、第20号(拷問の禁止)などでこの義務を認めてきた。

 他方、国連「真実・正義・補償・再発防止保障特別報告者」のファビアン・サルヴィオリ(アルゼンチン・ラプラタ大学教授)の報告書『人権と国際人道法の重大違反の文脈における歴史記憶化過程――移行期正義の第五極』(A/HRC/45/45. 9 July 2020)は、移行期正義は異なる時間軸にかかわると言う。

第1に過去の侵害に光を当てる(事実の認定、刑事法では実行者の処罰)。

第2に現在の問題(被害者の記憶の認知・尊重・共有化、補償の提供、体験を語ること、公的謝罪、歴史否定主義との闘い)。

第3に未来のための準備(教育を通じての未来の暴力の予防、平和の文化の構築)。

サルヴィオリによると、南アフリカ真実和解委員会は南アフリカにおける人種関係を変更するためにアパルトヘイト犯罪に対処し、異なる未来を構想するのに役立った。委員会の仕事は技術的ではなく、言葉のもっともよい意味で政治的であり、被害者集団、メディア、政治家、労働組合等にも幅広い支持を得た。

 第二次大戦後のニュルンベルク裁判だけでなく、1960年代のニュルンベルク継続裁判に引き続き、膨大な研究書が出版され、多くの学生たちが強制収容所を訪問し、ホロコーストについての数々のテレビドラマが放映された。これら全体によってナチスの犯罪が認知され、民主社会への移行が果たされた。

 カナダの真実和解委員会は、インディアン居住学校の悪しき遺産に影響を受けた人々についての歴史の事実を確定した。リベリアでは真実和解委員会の勧告により保障と紛争解決メカニズムが検討された。シエラレオネでは真実和解委員会が国家の将来構想に広く反映させられた。アルゼンチン真実委員会と責任者の訴追により、軍事独裁下の国家テロリズムについての共通理解が形成された。

以上のように、国際人権法は喪に服する権利、記念する権利、記憶する権利、真実への権利を練り上げてきた。各国はこれらの権利を尊重し、実現するために必要な措置を講じるべきである。国際社会における紛争時の記憶化の課題はまさに現在進行中の重要人権問題である。

 

Ⅴ 日本政府の責任

 

1 DNA鑑定問題

 

DNA鑑定を実施せず放置することは「死者に対する敬虔感情」や「宗教的感情」を損なうものと言うべきである。

 長生炭鉱は民間企業であったが、第二次世界大戦の戦争遂行に資するべく危険な労働条件で増産に励んだために水非常事故を惹起した。

 戦後も83年にわたって当事者の民間企業や日本政府が真相解明、遺骨調査を実施することなく、放置してきた。このため当該遺骨が犠牲者遺族の手元に返還されることなく83年を徒過したものである。

 日本政府には、長生炭鉱水非常の真相を明らかにし、犠牲者の氏名を特定し、発見された遺骨の身元を特定し、これを遺族及び韓国に返還する歴史的責任がある。

 長生炭鉱水非常の真相を解明し、犠牲者の慰霊・追悼を行うことは、日本社会の歴史的責任であり、市民の責務である。同時に日本政府の歴史的責任であるから、日本政府は速やかにこれに協力するべきである。

 それにもかかわらず、日本政府がDNA鑑定を実施せず、長期にわたって遺骨の身元特定を妨げ、その返還を妨げることは、刑法190条の保護法益を侵害する状態を招くことを意味するのではないか。

 最高裁令和5年3月24 日判決によると、刑法190条は、「死者に対する一般的な宗教的感情や敬けん感情を侵害する態様」の死体等の損壊、遺棄、領得を処罰するものである。

 福岡高裁令和4年119日判決によると、「他者により適切な時期に葬祭が行われる可能性を著しく減少させたという点において死者に対する一般的な宗教的感情や敬けん感情を害する」ことが死体遺棄罪の実質である。

 「他者により適切な時期に葬祭が行われる可能性を著しく減少させた」と言う場合の「適切な時期」がどの程度の期間を意味するのか明確な法規定はなく、判例においても必ずしも明らかではない。

福岡高裁令和4年119日判決の事案は、死亡から「1日と約9時間」であった。

 死体損壊罪における「適切な時期」について論じた学説の多くは、死亡直後の遺棄事案に関するものである。本件のように水非常から80年以上の歳月を経て発見された遺骨について論じた学説は見当たらない。

 とはいえ、死亡届の提出時期は「死亡の事実を知った日から7日以内(国外で死亡したときは、その事実を知った日から3か月以内)」とされている。

 墓地、埋葬等に関する法律第3条は、「埋葬又は火葬は、他の法令に別段の定があるものを除く外、死亡又は死産後24時間を経過した後でなければ、これを行つてはならない。但し、妊娠7箇月に満たない死産のときは、この限りでない。」と定める。

 死体の場合は腐敗する等の事情があり、本件遺骨は腐敗する恐れがないので、ただちに墓地、埋葬等に関する法律を適用するべきとは言い難いかもしれない。

 しかし、最高裁判決に「社会的な習俗に従って死体の埋葬等が行われることにより、死者に対する一般的な宗教的感情や敬けん感情が保護されるべきこと」とあるので、死亡後すみやかに葬祭の準備を行い、これを実施することが一般的な宗教的感情に合致することは論を待たない。

 刻む会は2025825日に海底坑道から遺骨を発見し、これを山口県警に引き渡した。このことは同日、主要なメディアに大きく報道され、遺骨発見は社会的に周知の事実となった。韓国においても本件は関心を集め、繰り返し報道された。それゆえ、犠牲者遺族は、発見された遺骨の身元特定がなされれば、すみやかに遺族のもとに返還されると期待した。

 刻む会が遺骨を発見したことが報道された時点で、犠牲者遺族及び日韓の市民社会は、すみやかにDNA鑑定が実施され、遺族が特定されれば遺骨が遺族の元に返還され、埋葬・慰霊・追悼が行われるものと信じた。遺族が特定されなくても遺骨が望郷の丘に送られることで、韓国市民社会のもとで埋葬・慰霊・追悼がなされるものと期待した。にもかかわらず、身元特定も返還も行われていない。

 日本政府は、必要なDNA鑑定を実施しないこと(不作為)によって、日韓の市民社会における「死者に対する敬虔感情」や「宗教的感情」を損なう事態を招いている。これにより、犠牲者遺族の側から見れば、遺骨の「隠匿」状態が作り出されている。帰ってくるはずの遺骨が帰って来ないからである。

 83年の歳月が流れたので、数カ月の遅延などさして重要でないと考えるべきではない。83年の歳月を経て、ようやく遺骨が帰ってくると期待して、慰霊の時を待ちわびている遺族にとって、数カ月の遅延はとうてい甘受できる遅延とは言えない。日韓の市民社会における宗教感情に照らしても、すみやかな返還が求められる。

 最高裁令和5年3月24 日判決によると、刑法190条は、「死者に対する一般的な宗教的感情や敬けん感情を侵害する態様」の死体等の損壊、遺棄、領得を処罰するものである。死体等の「遺棄」には一定の「隠匿」が含まれるというのが刑法学説及び判例である。

 

2 海底坑道への放置

 

 さらに検討するべき重要な論点がある。

本件遺骨は刻む会が発見し、山口県警に引き渡した。上記の議論は、山口県警に引き渡して以後の遺骨領得や遺骨遺棄(隠匿)についてのものであるが、遡って遺骨発見以前の日本政府の義務を検討する必要がある。

 というのも、1942年の水非常から83年もの歳月が流れた。つまり、犠牲者の遺骨は83年以上の長期間、冷たい海に放置されてきた。

放置してきたのは誰か。換言すると、葬祭義務を負うのは誰か。

 身元不明の遺体は、墓地、埋葬等に関する法律、及び行旅病人及行旅死亡人取扱法により、取り扱われる。遺体等の引取者がいない時は、死亡地の市町村が遺体の火葬等を行うことになる(行旅法第7条)。

 本件遺骨について、直接的には死亡地の宇部市が葬祭を行うことになる。ただ、本件は規模及び被害の点で重大事故であり、83年もの長期に及んでいるだけではなく、犠牲者の多くが朝鮮半島出身者であるため、日韓間の外交問題になってきた。この点に着目すれば、本件遺骨の葬祭義務者は日本政府である。

 日本政府には、長生炭鉱海底坑道に残された遺体を探索し、発見し、引き揚げ、そして適切な時期に葬祭を行う作為義務があった。にもかかわらず、日本政府はこれを怠ってきた。

 日本政府は刻む会からの要請にもかかわらず、自らの作為義務を怠っただけでなく、刻む会及び遺族が期待する葬祭を妨げている。

不作為犯は継続犯であり、日本政府は今日まで不作為による死体遺棄を続けていると評価できる。

遺骨を冷たい海の中に放置しておくことは、「死者に対する一般的な宗教的感情や敬けん感情を侵害する態様」の死体等の遺棄に当たるのではないか。一般人をして「死者に対する敬虔感情」や「宗教的感情」を損なうものと認識しうる状態となっているのではないか(不作為による死体遺棄等について、福永俊輔「孤立出産の末の死産と死体遺棄罪」『西南学院法学論集』第542号、2022年参照)。

 

3 歴史的責任

 

 強制連行・強制労働や徴用工その他の名称で呼ばれる朝鮮半島出身者で、日本において死亡した者の遺骨は、朝鮮人強制連行真相調査団を始め多くの市民団体の手で調査され、故郷への返還が試みられてきた。

 北海道の朱鞠内で遺骨の発掘と返還に生涯を賭けた殿平善彦は、「日韓政府間で膨大な時間と経費を使い、日本国内で何度も両政府が参加する遺骨の共同調査も行いながら、朝鮮人強制動員犠牲者の遺骨は日本政府の手を通しては、一体も返還されることなく今日に至っている」と述べる(殿平善彦『和解と平和の森――北海道・朱鞠内に朝鮮人強制労働の歴史を刻む』高文研、2025年)。

 何度も繰り返してきたように、犠牲者遺骨の返還は、日本政府の責任であり、同時に市民社会の責任である。日本政府は、刻む会の努力と成果を踏まえてすみやかにDNA鑑定を実施し、遺骨を犠牲者遺族及び故郷に返還し、適時における葬祭を可能とするよう努力するべきである。

 国際人権法に照らしても同様のことが言える。本稿ではごく一部の紹介にとどめたが、198090年代、国連人権委員会において重大人権侵害被害者の人権保障の議論が始まり、2005年には国連総会ガイドラインが採択された。1998年のローマ国際刑事裁判所規程によって設立された国際刑事裁判所も独自の被害者権利ガイドラインを策定した。

 2005年の国連重大人権被害者権利ガイドライン、2006年の強制失踪条約、2007年の国連先住民族権利宣言など多くの人権文書において被害者への補償のための国家の責務が定められた。それには被害者の権利としての遺骨へのアクセス権、被害者遺族やコミュニティの喪に服する権利、祈念する権利、記憶する権利、真実への権利が含まれる。日本政府は国際人権法の視点から、その政策を見直す必要がある。

 長生炭鉱で発見された遺骨のDNA鑑定を怠り、その遺族や故郷への返還を堰き止めることによって、日本政府は国際人権法の基本原則に反し、人道を拒否し、人間の尊厳を貶める結果を招いている。

 

<参考文献>

①酒井智之「死体遺棄罪の保護法益と作為による遺棄の意義」『一橋法学』第213号(2022年)

②殿平善彦『和解と平和の森――北海道・朱鞠内に朝鮮人強制労働の歴史を刻む』(高文研、2025年)

③福永俊輔「孤立出産の末の死産と死体遺棄罪」『西南学院法学論集』第542号(2022年)

④福永俊輔「熊本技能実習生死体遺棄事件控訴審判決」『西南学院法学論集』第552号(2022年)

⑤福永俊輔「死体遺棄罪における『遺棄』について」『西南学院法学論集』第582号(2025年)

⑥前田朗『旅する平和学』(彩流社、2017年)

⑦前田朗『ヘイト・スピーチ法研究要綱』(三一書房、2021年)

⑧松尾誠紀「死体遺棄罪における保護法益の実質とその成否判断」『北大法学論集』第725号(2022年)

⑨松宮孝明「『他者による葬祭可能性の減少』と死体遺棄」『立命館法学』404号(2022年)

Uladzislau Belavusau and Aleksandra Gliszczyńska-Grabias (ed.), Law and Memory. Towards Legal Governance of History. Cambridge University Press, 2017.

Fabian Salvioli, Memorialization processes in the context of serious violations of human rights and international humanitarian law: the fifth pillar of transitional justice. Report of the Special Rapporteur on the promotion of truth, justice, reparation and guarantees of non-recurrence. A/HRC/45/45. 2020.

Saturday, December 13, 2025

「第四の被曝」とは何か 知られざるもう一つの被曝

知られざるもう一つの被曝

 

 1958年7月12日、アメリカの水爆実験ポプラによって、南太平洋ビキニ西方を航行していた海上保安庁の測量船「拓洋」と巡視船「さつま」の乗員が被曝し、1年後、拓洋の機関士永野博吉(34歳)が急性骨髄性白血病で死亡しました。

 日米両政府は被曝と永野さんの死亡の因果関係を否定し、事件をもみ消しました。

 ビキニ水爆実験・第五福竜丸(1954年)の話ではありません。ほとんど誰も覚えていない事件です。「第四の被曝」を広める会は、この事件の真相解明を求めて活動を始めました。そのきっかけとなったNHKスペシャル「第四の被曝」を観て、広める会の活動について伺います。

 日本政府に情報公開を求め、隠された真相を追及するために、ぜひご一緒に考えましょう。

 

「第四の被曝」とは何か

  NHKスペシャル『封じられた第四の被曝』上映

  大藏律子 (広める代表) 挨拶

「第四の被曝」を広める会の活動について (事務局)

④遺族アケミさんの訴え 

資料代:500

2026131(土) 開場6時、開会630

東京ボランティア市民活動センター会議室

JR飯田橋駅隣RAMLAビル10階)     

*会場定員は35名です。参加希望者はEメールで予約願います。

 

主催:平和力フォーラム

連絡先E-mail: akira.maeda@jcom.zaq.ne.jp

電話070-2307-1071(前田)

Wednesday, December 10, 2025

深沢潮を読む(9)結婚とは、家族とは

深沢潮を読む(9)結婚とは、家族とは

深沢潮『かけらのかたち』(新潮社、2018年)

このところ高市首相の台湾有事発言などへの抗議を続けてきた。

12月6日の東京新聞こちら特報部

https://www.tokyo-np.co.jp/article/453810

12月7日、中国中央テレビ

https://content-static.cctvnews.cctv.com/snow-book/video.html?item_id=11870995765803578417&t=1765088547434&toc_style_id=video_default&track_id=D27326E1-FFA1-4D0E-A859-4957B338A221_786782548079&share_to=wechat

129日、東京新聞こちら特報部

https://www.tokyo-np.co.jp/article/454626?rct=tokuhou

『かけらのかたち』は深沢の第9作である。前作は本格的長編だったが、本書はふたたび深沢お得意のロンド形式に戻った。第1作の『ハンサラン 愛する人びと』以来、連作短編の形式で、結婚や家族について考えさせる。

「マドンナとガガ」に始まり「マミィ」に至る6つの短編を繋ぐのは、学生時代のテニス部のマドンナだった優子。テニス部時代の仲間たち、思い出、その後の20年以上の歳月、それぞれの夫婦の物語、子どもたちを、順次取り上げていく。今を生きる市井の人々の暮らし、意識が鮮やかに描き出される。

愛、友情、信頼、憎しみ、嫉妬が、ありきたりなのに、それぞれの夫婦や家族の形を織りなす。平凡な市民が抱える悩みが、人間の普遍的な悩みである。

おそらく深沢は年々、歳月を積み重ねる中で、このテーマとスタイルを追究し続けるだろう。