Sunday, September 16, 2012

差別集団・在特会に有罪判決


ヒューマン・ライツ再入門32

差別集団・在特会に有罪判決

                    

雑誌「統一評論」550号(2011年)

 

 

  京都朝鮮第一初級学校襲撃事件を惹き起こした「在日特権を許さない市民の会(在特会)」に有罪判決が出た。暴力による学校授業に対する妨害を威力業務妨害罪、差別的暴言を侮辱罪と認定し、執行猶予付きとはいえ懲役刑を言い渡すなど、明快な判決が出たといえる。

  もっとも、起訴から判決に至るまで、本件をヘイト・クライム(憎悪犯罪)として論定することはできていない。ヘイト・クライム法がないため、刑法の威力業務妨害罪等を活用することになった。そのこと自体に異論があるわけではないが、威力業務妨害罪で有罪としたのだからそれで足りると考えるべきではない。やはり、ヘイト・クライム法が必要である。以下、検討したい。

 

京都朝鮮学校襲撃事件

 

  四月二一日、京都地方裁判所は、在特会や「主権回復を目指す会」の構成員が京都朝鮮第一初級学校等に対して行った差別(暴言・虚言)と暴力事件について、四人の被告人による犯罪事実を認定し、それぞれ懲役一~二年(いずれも執行猶予四年付)を言い渡した。東日本大震災と原発事故のニュースが報道の大半を占めていたため、この判決は関西以外ではほとんど報道されなかった。

  事件は二つの事実からなる。第一に、京都朝鮮学校襲撃事件である。二〇〇九年一二月四日、被告人ら四名(ABCD)が、共謀の上、京都朝鮮第一初級学校前に押しかけて暴言を撒き散らし、スピーカーに接続された配線コードを切断した(威力業務妨害罪、侮辱罪、器物損壊罪)。第二に、徳島県教組乱入事件である。二〇一〇年四月一四日、右の四名のうち三名(ABC)が、共謀の上、徳島県教職員組合事務所に乱入し、暴行や暴言を伴う大騒ぎをした(建造物侵入罪、威力業務妨害罪)。

京都朝鮮学校襲撃事件について、判決理由の第一・第二は次のように述べている。

被告人四名は、京都朝鮮第一初級学校南側路上及び勧進橋公園において、被告人ら一一名が集合し、日本国旗や『在特会』及び『主権回復を目指す会』などと書かれた各のぼり旗を掲げ、同校校長Kらに向かってこもごも怒声を張り上げ、拡声器を用いるなどして、『日本人を拉致した朝鮮総連傘下、朝鮮学校、こんなもんは学校でない』『都市公園法、京都市公園条例に違反して五〇年あまり、朝鮮学校はサッカーゴール、朝礼台、スピーカーなどなどのものを不法に設置している。こんなことは許すことできない』『北朝鮮のスパイ養成機関、朝鮮学校を日本から叩き出せ』『門を開けてくれ、設置したもんを運び届けたら我々は帰るんだよ。そもそもこの学校の土地も不法占拠なんですよ』『戦争中、男手がいないところ、女の人レイプして虐殺して奪ったのがこの土地』『ろくでなしの朝鮮学校を日本から叩き出せ。なめとったらあかんぞ。叩き出せ』『わしらはね、今までの団体のように甘くないぞ』『早く門を開けろ』『戦後。焼け野原になった日本人につけ込んで、民族学校、民族教育闘争ですか、こういった形で、至る所で土地の収奪が行われている』『日本から出て行け。何が子供じゃ、こんなもん、お前、スパイの子供やないか』『お前らがな、日本人ぶち殺してここの土地奪ったんやないか』『約束というものは人間同士がするものなんですよ。人間と朝鮮人では約束は成立しません』などと怒号し、同公園内に置かれていた朝礼台を校門前に移動させて門扉に打ち当て、同公園内に置かれていたサッカーゴールを倒すなどして、これらの引き取りを執拗に要求して喧騒を生じさせ、もって威力を用いて同校の業務を妨害するとともに、公然と同校及び前記学校法人京都朝鮮学園を侮辱し、被告人Cは、勧進橋公園内において、京都朝鮮学園が所有管理するスピーカー及びコントロールパネルをつなぐ配線コードをニッパーで切断して損壊し」た

これらが威力業務妨害罪(学校の授業運営などを妨害した)、侮辱罪(朝鮮学校に対する侮辱)、器物損壊罪(配線コード切断)と判断された。

 

徳島県教組乱入事件

 

 判決理由の第三は次の通りである。

被告人ABCは、共謀の上、あしなが育英会等に寄付するとして集められた募金の中から徳島県教職員組合が四国朝鮮初中級学校に支援金を渡したとして糾弾するなどして同組合の正常な業務を妨害する目的で、四月一四日午後一時一五分ころ、徳島県教育会館二階同組合事務所内に、『日教組の正体、反日教育で日本の子供たちから自尊心を奪い、異常な性教育で日本の子供たちを蝕む変態集団、それが日教組』などと記した横断幕、日章旗、拡声器等を携帯して、『詐欺罪』などと怒号しながら侵入した上、約一三分間にわたり、同事務所において、同組合の業務に係る事務をしていた組合書記長T及び組合書記Mの二名を取り囲み、同人らに対し、前記横断幕、日章旗を掲げながら、拡声器を用いるなどして、『詐欺罪じゃ』『朝鮮の犬』『売国奴読め、売国奴』『国賊』『かわいそうな子供助けよう言うて金集めてね、朝鮮に一五〇万送っとんねん』『募金詐欺、募金詐欺じゃ、こら』『非国民』『死刑や、死刑』『腹切れ、お前、こら』『腹切れ、国賊』などと怒号し、『人と話をするときくらいは電話は置き』『置けや』などと言いながら前記Tの両腕や手首をつかむなどして同人が一一〇番通報中であった電話の受話器を取り上げて同通話を切った上、同人の右肩を突き、『朝鮮総連と日教組の癒着、許さないぞ』『政治活動をする日教組を日本から叩き出せ』などとシュプレヒコールするなどした上、机上の書類等を放り投げ、拡声器でサイレン音を吹鳴させるなどし、事務所内を喧噪状態に陥れて同組合の正常な業務を不能ならしめ、もって同事務所に正当な理由がないのに侵入した上、威力を用いて同組合の業務を妨害した」。

  これらが建造物侵入罪と威力業務妨害罪と判断された。

  以上が在特会事件第一審判決の概要である。事件の法的評価について言えば、起訴状自体が不十分なものであったため、判決も不十分である。朝鮮学校を舞台とする朝鮮人差別と暴行の事件は、本質的にはヘイト・クライムであるが、日本にはヘイト・クライム法がない。また、名誉毀損罪があるにもかかわらず、検察官は名誉毀損罪を起訴状(訴因)に含めず、威力業務妨害罪、侮辱罪、器物損壊罪に絞った。

 

有罪判決が出た意義

 

これまで各地で蛮行を繰り返してきた在特会に、刑事裁判で初めて有罪判決が出たことは大きい。蕨市におけるカルデロン事件、三鷹事件、名古屋博物館事件、西宮事件、秋葉原事件など各地で、在特会は警察に見守られながら激しい差別と暴力を繰り返してきた。京都朝鮮学校事件でも、現場に立ち会った警察官は差別と暴力を規制するそぶりも見せなかった。朝鮮学校関係者や弁護団の度重なる要請によって、ようやく重い腰を上げて京都地検が動き、本件が立件された。被告人らが逮捕されたのは事件から八ヶ月も後のことであった。このように遅れがちであったが、ともあれ威力業務妨害罪や侮辱罪で有罪となった。執行猶予四年の間は蛮行が収まることが期待できる。

 本判決は刑事裁判判決であるため、認定事実は、検察官と被告人側の主張・立証に基づいたものである。被害者である朝鮮学校側の主張は、検察官の主張を通じて法廷に一部顕出したにすぎない。むしろ、被害者の主張は正面から登場しなかったといってよいだろう(被害者側の主張は、これとは別の民事裁判で示されている)。それゆえ、本件決について論評する場合、それが検察官と被告人側の主張・立証だけをもとにした事実認定であることを意識しておく必要がある。

 これに関連して、以下ではいくつか感想を記しておきたい。

 第一に、被害者側の朝鮮学校による勧進橋公園利用に関して、都市公園法違反容疑での取り調べが行われるなど、あたかも「喧嘩両成敗」のような手続きが取られた。この点では、差別と暴力に専念する在特会の主張に、それなりの正当性があったかのような観を呈することになった。少なくとも、在特会は、朝鮮学校による違法行為を告発し、捜査機関が捜査を行う契機を与えたことを自慢することができる。現に刑事裁判の法廷で、被告人らは正当行為であるとの主張を続けた。朝鮮学校側は捜査に協力を余儀なくされ、捜査機関による不当介入の恐れも感じさせられる事態であったようだ。犯行現場に駆け付けた警察官が、在特会の犯行を阻止することなく、見守り続けたことも、在特会側に「警察官も認めていたのだ」という主張の口実を与えていたが、検察の事案処理も同様の効果を持ちうるものであった。

 第二に、名誉毀損罪(刑法第二三〇条)を適用せず、侮辱罪(刑法二三一条)での起訴となった。事実の摘示の有無に関する法的評価のわかれともいえるが、実際には名誉毀損罪一般につきまとう立証の困難があったのであろう。憲法上の表現の自由との関係があり、被告人側が争えば、検察側は立証に多大の精力を注ぐ必要が出てくる。「三年以下の懲役若しくは禁錮または五十万円以下の罰金」が法定刑とされた名誉棄損罪ではなく、「拘留又は科料」しか予定されていない侮辱罪を選択したことには疑問が残る。もっとも、立証上の困難をもつ名誉毀損罪を回避して侮辱罪で起訴しつつ、「三年以下の懲役又は五十万円以下の罰金」の威力業務妨害罪(刑法第二三四条)および「三年以下の懲役又は三十万円以下の罰金若しくは科料」の器物損壊罪(刑法第二六一条)を介して懲役刑を選択する余地を生みだしたと見ることもできる。その点では検察官の工夫が功を奏したともいえよう。

京都朝鮮学校襲撃事件だけではなく、建造物侵入罪と威力業務妨害罪の徳島県教組乱入事件もあるので、懲役刑の選択は必至であったから、名誉毀損罪と侮辱罪のいずれを選択するかはさして重要ではないとの判断もありうる。名目よりも実質を重視して、ヘイト・クライム法への関心を度外視すれば、適切な事件処理が行われたと評価できることになる。

 なお、仄聞するところでは、在特会メンバーの三人(ABC)は控訴せず、本判決が確定したという。他方、主権回復の会メンバーのDだけは控訴したようである。在特会と主権回復の会との間に方針の差異が生じたようである。

 第三に、逮捕・起訴・有罪判決によって在特会の違法活動に一定の制約がかかったように思われる。京都朝鮮学校襲撃については、仮処分命令と合わせて、抑止効があった。執行猶予の四年間は一定の効果が期待できる。もっとも、京都以外の各地の在特会にどこまでの効果が及ぶかは不明である。五月には大阪の鶴橋駅前で在特会による朝鮮人差別の街宣が行われている。とはいえ、暴力に踏み出せば、これまでとは違って警察による規制が入る可能性は大きくなった。本来なら、長期にわたって在特会の暴力を見逃してきた警察の責任問題なのだが、ともあれ有罪判決によって、暴力は許されないという当たり前のことを在特会にも思い知らせることになったし、各地の警察も今後は適切な対処をすることが期待できる。また、各地の市民運動は、これまで以上に在特会に毅然と対応できるだろう。

 第四に、インターネットを活用して行動への参加を呼び掛け、ユーチューブなど映像による宣伝を行ってきた在特会に、「新しい運動だ」「問題提起だ」などと勘違いして参加してきた若者たちが、過ちに気づいて差別や暴力から遠ざかることも期待できる。

 

在特会とは何か

 

ジャーナリストや市民による在特会の監視も強まってきた。ジャーナリストの安田浩一「『在特会』の正体」『G2』第六号(二〇一〇年)の続編である、同「ネット右翼に対する宣戦布告」『G2』第七号(二〇一一年)は、在特会代表について、「意見の異なる他者をすべて『朝鮮人』だと決め付けることで、どうにか自分を保っている人々に対して、私は何も反論する言葉を持たない。語彙の乏しさと貧困な想像力を憐れむだけである。そもそも在特会がしていることは、社会変革を目的とした『運動』と呼べるものなのか――。それこそが取材当初から私が抱かざるを得なかった疑問のひとつである」と述べている。

 安田は、在特会のみならず、類似のネット右翼を丹念に取材した結果として、次のようにまとめている。

 「ネット右翼は決して右翼や民族派なんかじゃない。それらしい味付けを施しながら、自らの存在を国家に投影しつつ、ダイナミックに自分自身を描こうとしているに過ぎない。そして集団で他社を貶め、『正義』に酔っているだけだ。」

 安田の指摘は、在特会などの差別団体の性格と行動様式を考える上で重要である。筆者はかつて「どこが『保守』なのか」と題して次のように書いたことがある。

 「ところで、在特会は『行動する保守』と称している。果たして彼らは『保守』なのだろうか。/『保守』とは何かという定義に深入りするまでもなく、『保守』は日本の政治・社会・文化のあり方を、歴史や伝統に引き寄せて理解してきた。日本の歴史、日本の美を強調し、伝統回帰、または伝統の再構築を図ってきた。その特徴は、日本らしさを引き受け、変わらざるものを慈しみ、変化する場合にも穏健で自然な変化を遂げることを願ってきた。そうした保守には、穏健で、歴史的淵源と深みのある『思想』があった。同時に、保守思想は、日本の奥の深さ、懐の深さ、日本的寛容を唱えてもきた。保守にはそれなりの論理と、何よりも気概というものがあった。/このような保守と照らし合わせてみると、歴史に学ばず、他者との対話を拒否し、憎悪と差別を撒き散らす暴力集団を『保守』と自称するのは、レッテル詐欺でしかないだろう。/それでは、在特会は『右翼』なのだろうか。政治的立場としては右翼に位置することは確かであろう。戦前・戦後を通じて右翼は『テロ』と親和的であったから、在特会も右翼に見える面がある。/しかし、右翼には右翼の歴史があり、思想の積み重ねがあったはずである。そうした気配を微塵も感じさせない暴力集団を右翼に数えることが適切なのかどうか、疑問は残る。/『保守か革新か』『右翼か左翼か』という二項対立を前提として把握しようとすれば、在特会が保守や右翼に位置するかのように見えることもあるかもしれない。/だが、在特会の実態を見るならば、保守や右翼というよりも、単なる暴力集団という特徴こそが本質的である。/むしろ、真の保守や右翼こそ、弱いも者いじめに専念し、差別と排外主義に走るだけの暴力集団を批判するべきではないだろうか。」(前田朗『ヘイト・クライム』三一書房労組、二〇一〇年)

 安田の指摘は、筆者の疑問を裏付けるものと言えよう。

 

人はいつ、どこでレイシストになるのか

 

 他方、鵜飼哲(一橋大学教授)は、二〇一〇年一一月一〇日に、第二東京弁護士会人権擁護委員会主催の講演会において、「人はいつ、どこでレイシストになるのか」と問いを投げかけて、次のように述べた。

 「人はいつ、どこでレイシストになるのかということについていえば、『どこ』かを確定することは難しいですね。今、日本の学校がどうなっているのかということも不安な気はします。しかし、大きく言ってやはりテレビやネットの情報環境でこうした考え方が拡大していることは確かでしょう。現在日本では、単にネットだけではなく、テレビの状況が相当深刻です。北朝鮮や中国に関するテレビ報道は、映像や言葉のレベルで、これは明らかにレイシズムと言える例があふれていると思います。/分類上の『狂信派』は秘教的な集団を形成し、勉強会を通じてイデオロギー的な集団性を獲得するに至るわけですけれども、どうも今大衆的に街頭行動に出てきているグループには、そのような集団性はないような気がします。広がりと裏腹の脆弱さもあるような気がしていて、この両面をどう把握するのかはひとつの課題とみなしていいかと思います。」(第二東京弁護士会主催のシンポジウムの記録『現代排外主義とヘイトクライム法の検討』第二東京弁護士会、二〇一一年)

 「ネット右翼は決して右翼や民族派じゃない」という安田と、「広がりと裏腹の脆弱性」を見る鵜飼の見解は共振しているだろう。

 鵜飼はさらに社会現象としてのレイシズムについて、キャピタリズムやナショナリズムとの関係を解きほぐそうとする。「社会の病気」としてのレイシズムは資本主義との連関で、とりわけ新自由主義との関係で理解できる。ナショナリズムとの関係を的確に理解することは案外難しい面が残るが、ナショナリズムが行きつく先にレイシズムが用意されていることは間違いない。鵜飼は次のように指摘している。

 「今の日本のナショナリズムは排除によってしか自己主張ができない。何か積極的に守るべきものがあってそれを防衛しようというナショナリズムではない。・・・/何か自負するものがあるかというとない。理念もない。具体的な目標が何かあるかというと、これもない。だから、今の民主党のポスターではありませんが、『元気な日本』とか、昔は何かいいものがあったようなことを言っているだけ。このナショナリズムは、米軍基地をなくそうという方向には絶対に行かない。自分自身に対する自負がないのですから、それでも自分が高まるという幻想に浸りたいと思うと他者を自分より劣ったものとする、蔑視するしかない。/そうすると、坂道を転落するようにレイシズムに向かっていってしまう回路が、どうも今の日本にはあるような気がする。」(同右)

 理念も目標もないが、自己意識だけは肥大化したナショナリズムのなれの果てとしてのレイシズムであり、ヘイト・クライムである。

 なお、鵜飼哲「鎧と毒矢・原発震災の中で外国人排斥運動を再考する」『月刊社会民主』六七四号(二〇一一年)の次の指摘も重要である。

 「憲法二五条一項に規定された『健康で文化的な最低限度の生活を営む権利』が、現在福島県の広域にみられるように、あからさまな虚言によってかくも安易に踏みにじられ、秩序優先の国家意志が強制されるのであれば、そしてそのとき、家族にも、市民社会にも、地方自治体にも、無防備な個人を守り支える意志、思想、能力が欠如しているのであれば、『棄民』の恐怖は『国民』ひとりひとりの頭上に、つねに、ダモクレスの剣のようにぶら下がっているのである。このような社会に、『非国民』とみなされた人々におぞましい言葉の『毒矢』を射ちまくり、そのことによって幻想の『鎧』を身にまとい、つかのまの、むなしい高揚感を得ようとする人々が続々と現れることは不思議ではない。震災直後の日々にも、外国人犯罪に関する悪質なデマが、日本語のネット環境には多数流された。」

 大気圏と太平洋に放射能をばらまき、垂れ流しているのが日本政府と東京電力であり、ネット上に外国人差別のデマを垂れ流しているのが日本社会である。鵜飼はさらに次の事実を指摘する。

 「郡山市の朝鮮学校は震災直後、避難所として校舎を解放、数十人の日本人被災者を受け入れた。その朝鮮学校に、文科省から県内すべての学校に配布された線量計は、ついに届くことはなかった。」

 

 

京都事件判決の法理

 

  在特会による蛮行は、現代日本における人種差別と排外主義の典型事例である。人種差別禁止法やヘイト・クライム法について議論するための素材として、京都事件に焦点を当てて、判決の法理を検討してみよう。

  被告人らは、「京都朝鮮学校南側路上及び勧進橋公園において、日本国旗などを掲げ、同校校長Kらに向かってこもごも怒声を張り上げ、拡声器を用いるなどして」、差別的な発言を怒号し、「同公園内に置かれていた朝礼台を校門前に移動させて門扉に打ち当て、同公園内に置かれていたサッカーゴールを倒すなどして、これらの引き取りを執拗に要求して喧騒を生じさせ、もって威力を用いて同校の業務を妨害するとともに、公然と同校及び前記学校法人京都朝鮮学園を侮辱し、被告人Cは、勧進橋公園内において、京都朝鮮学園が所有管理するスピーカー及びコントロールパネルをつなぐ配線コードをニッパーで切断して損壊し」たものである。

  六月二四日、龍谷大学で開催された第二回ヘイト・クライム研究会において、本判決の検討を行った。そこでの議論も参照しつつ、ヘイト・クライムとの関係で目につく点を検討すると、第一に、罪名は威力業務妨害罪、侮辱罪、器物損壊罪である。名誉毀損罪が訴因に含まれていないため、判決も侮辱罪を適用するにとどめた。侮辱罪の刑は拘留又は科料にとどまるが、威力業務妨害罪などとセットのために、懲役刑(執行猶予付)が選択されている。名誉毀損罪の適用には立証上の問題があるため、これを適用せず侮辱罪にしたが、刑は威力業務妨害罪等の適用によって適切なものになし得たということであろうか。逆にいえば、威力業務妨害罪に問える場合でなかったとしたら、名誉毀損罪ではなく侮辱罪だけで拘留又は科料ということがありえたことになる。

  第二に、判決の文脈によると、怒号その他の行為によって「喧騒を生じさせ、もって威力を用いて同校の業務を妨害するとともに、公然と侮辱し、損壊し」たという流れになる。「妨害するとともに」というつながりから「喧騒を生じさせ、公然と侮辱し」と読む可能性もないわけではない。侮辱罪は名誉毀損罪と異なって事実の摘示を必要としないし、平穏侵害の要件もないので、喧騒と侮辱は関係ないはずだが、つながりがあるという読み方もありうるということだろうか。

第三に、被害者は朝鮮学校と学校法人朝鮮学園とされている。集団侮辱罪のあるドイツとは異なって、日本刑法の侮辱罪の法益は個人的法益であって、集団侮辱には適用できない。このため、被害者として法人等の組織があげられている。逆にいえば、在日朝鮮人一般に対する攻撃の場合は侮辱罪が成立しない場合があることになる。

 

ヘイト・クライム法の必要性

 

 在特会の蛮行は朝鮮学校を直接の対象としている。判決において引用された差別発言も、なるほど朝鮮学校を名指ししている。しかし、「約束というものは人間同士がするものなんですよ。人間と朝鮮人では約束は成立しません」のように、朝鮮学校ではなく、朝鮮人全体を対象とした表現も使われている。判決に引用されていない発言の中にも、やはり朝鮮人全体をターゲットにしたものがある。まして、在特会の従来の言動からいっても、在特会の名称や組織の性格からいっても、朝鮮人一般に対する差別と迫害を行うことを目的とし、その主要な活動内容としていることは明らかである。

  判決の文脈を、被害者は誰かという観点から見直してみると、威力業務妨害罪、侮辱罪、器物損壊罪の三つの罪について同一の被害者を認定することが便宜であり、それに従って判決文が書かれていると考えられる。威力業務妨害罪として構成すれば、学校の授業運営が妨害されたのだから、当然、被害者は学校及び法人になる。器物損壊罪も同様である。侮辱罪もこの二罪ととともに掲げられている。三つの罪名は実行行為の順に従って列挙されている。このため侮辱罪に関する判決文が、威力業務妨害罪と器物損壊罪の間に挟まれて、前者との関係で記述されているように見える。

  名誉毀損罪の場合と異なって、侮辱罪の認定・評価には特段の理論的争いはないし、本件事案もくだくだしく解釈を展開するまでもなく、当然、侮辱罪との認定ができるので、このような判決文になったのであろう。この限りでは、本件では起訴状の構成に対応して穏当な判決が書かれたということができよう。

 しかし、判決が実際に起きた事案を適切に反映したものかという観点で検討すれば疑問も少なくない。ヘイト・クライムや集団侮辱罪の規定がないことに由来するが、このことをどのように評価するかは判断が分かれうる。第一に、ヘイト・クライム法がなくても、検察・裁判所は別の罪名を活用して事案を的確に把握したという理解である。第二に、ヘイト・クライム法がないため、事案が縮小認定され、事件が矮小化されたという理解である。後者の立場からは、実態に即した法的評価を可能とするような人種差別禁止法やヘイト・クライム法の整備が課題となる。「日本には人種差別禁止法を必要とするような人種差別はない」と断言する日本政府の現状を是正するために、やはり事実に即した評価こそが重要である。日本にはヘイト・クライムがあり、在特会はヘイト・クライムを教唆・煽動し、率先して実行してきた。ヘイト・クライムは許されないというメッセージを明瞭に発することが求められている。

 そのために、ヘイト・クライムとは何か、その定義を的確に行う必要がある。前田朗「ヘイト・クライムを定義する(一)~(六)」本連載18、19、23、24、28、29参照。

 ヘイト・クライムによって何が侵害されるのか。保護法益を解明することも重要である。前田朗「ヘイト・クライムはなぜ悪質か(一)~(四)」『アジェンダ』三〇~三三号(二〇一〇~一一年)。

 さらに、ヘイト・クライム法規制の比較法的考察も不可欠である。そのための基礎研究が必要である。前田朗「ヘイト・クライム法研究の課題」『法と民主主義』四四八号・四四九号(二〇一〇年)、同「ヘイト・クライム法研究の展開」第二東京弁護士会前掲パンフ、同「ヘイト・クライム法研究の現在」『村井敏邦先生古稀祝賀論文集・人権の刑事法学』(日本評論社、二〇一一年)など参照。

 こうした研究の積み重ねによって、日本に必要なヘイト・クライム法についての議論を深めることが可能となるだろう。

 先に紹介したヘイト・クライム研究会は、本年五月、龍谷大学で第一回研究会を開催した。金尚均(龍谷大学教授)がドイツの民衆扇動罪について検討し、筆者が「人種差別表現の自由」という議論を批判した。六月の第二回研究会では、桜庭総(九州大学助教)がドイツのヘイト・クライム厳罰化法と統計法を紹介し、金尚均が、在特会有罪判決を検討した。今後も研究会を継続する予定である。

 

追記:二〇一一年四月二一日、京都地裁判決は、三名につき確定した。一名のみ控訴したが、同年一〇月二八日、大阪高裁で棄却、二〇一二年二月二三日、最高裁で上告棄却となった。

見田宗介・大澤真幸『二千年紀の社会と思想』


見田宗介・大澤真幸『二千年紀の社会と思想』(太田出版)


 

<「これからの千年を人類はどう生きるべきか?」

千年の射程で人類のビジョンを示す、日本を代表する社会学者による奇蹟の対談集。>

 

◆目次◆

 まえがき 見田宗介

 第一章 現代社会の理論と「可能なる革命」

 第二章 名づけられない革命をめぐって

 第三章 「自我」の自己裂開的な構造

 第四章 未来は幽霊のように

 あとがき 大澤真幸

 

見田宗介の著作をよく読んだのは四半世紀も前のことだ。真木悠介名義の『気流の鳴る音』『現代社会の存立構造』も熱心に読んだ。問題意識、シャープな分析、そして文体、いずれをとっても、まさに気鋭の社会学者であり、優れた理論家である。もっとも、昨年、『定本見田宗介著作集・全10巻』(岩波書店)が刊行され始めたが、迷いつつ、買ってさえいない。

 

見田の弟子である大澤真幸の初期の理論社会学の大著を読んでいないが、この10年ほどに何冊か新書本などを読んできた。やはり優れた理論家であり、感銘を受けることもしばしばである。もっとも、最近はあまり読まなっていた。

 

その二人の対談本で、タイトルが大仰なので、つい手に取り、購入してしまった。

 

日本を代表する理論社会学の二人の対談だけあって、随所に学ばされ、考えさせられるところがある。鋭い分析には唸らされることもある。買って、損はない。

 

しかし、鋭い分析、というところに二人の難点があることも、よくわかる。この二人だけではなく、社会学者の論文の魅力と限界が、鋭い分析だ。現場での調査を中心とする実証的社会学と違って、理論社会学は論理が命であり、論理展開の鮮やかさが魅力である。だが、彼らの鋭い分析の要因は、同時に「単純化」である。

 

本書の対談でも、二項対立図式、三段階論、四象限論が大活躍する。二項対立図式を受容した読者にとって、見田の論理は明晰で説得的である。三段階論に納得する読者にとって大澤の分析はカミソリでありつつナタでもあり、あまりの見事さに感動する。四象限論を共有する読者にとって二人の対談は知恵の宝庫である――ただ、それだけ、でもある。

 

理論にとって単純化は不可避である。適切に単純化して、現実の諸側面を浮き彫りにすることは大切な理論的営為である。とはいえ、単純化が鼻につくこともある。一面的であり、あまりに平板になることもある。

 

一例だけあげると、チンパンジーとの対比で語られる二人の人間認識は、次のようなものだ(146~147頁)。

 

見田――チンパンジーは、血族ではないチンパンジーの赤ちゃんが、どうなろうと全然平気らしいんです。木から落ちようが、ほかの動物に食べられようが、なんの感情ももたない。でも、人間は、親戚でもなんでもない、それどころか外国人の赤ちゃんだって、木・・・はめったにないですね(笑)、ビルから落ちそうだったら、なんとなく可哀そうだと思うじゃないですか。だから、人間の共同性が異質なものとのあいだでも可能だということのベースは、人間の種のなかにあるのかもしれない。

大澤――よその赤ちゃんが落ちても平気なほうが、遺伝子の利己性にかなっているとふつう思うんですが、ただ、別の観点から考えると、遺伝子にとっても人間のような特徴のほうがむしろいいのかもしれない。現にチンパンジーよりもわれわれのほうが成功しているわけだから(笑)。
 

誰もが驚く単純さだ。これほど平板な人間認識でモノを語ることのできるのが社会学者なのだろう。
 

「人間は、血族ではない広島や長崎の赤ちゃんが何万人も死んでも、全然平気」だ。いまだに原爆投下の正当性を唱え続けている。
 
 
「人間は、血族ではない人間のイラクの赤ちゃんが50万人死んでも、全然平気」だ。「(イラクに対する経済制裁を)やった甲斐があった」と自画自賛したほどである。
 
 
人間はもっと多面的である。
 

第4章「未来は幽霊のように」で、大澤は、原発をめぐる日本社会の意識を問い、原発廃止に至るために、将来の人間との連帯をいかにリアルにイメージできるかを問う。趣旨に賛成である。
 

ただ、大澤が、リスク社会論を振り回して、原発事故のリスクについて「1000年に一度」と何度も何度も繰り返すのを読まされると、苦笑せざるを得ない。「日本列島には50基あるのだから、1000年に一度とは、正しくは20年に一度ではないか」というのは、運動の現場ではずっと語られてきたことである。正しい統計の読み方がどうなのか、リスク論とはいかなる理論なのかは、ここでは問わない。ただ、市民の常識を馬鹿にするのはやめたほうがいい。




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以上の本文に関連して、 市民のML[CML]で、熊田一雄さんから情報提供がありました。

 

>「大澤真幸氏の言論活動について」
http://d.hatena.ne.jp/kkumata/20120917/p2

 

これに対して、私は下記の返信を出しました。

 

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熊田さん

 

情報ありがとうございます。

 

大澤真幸のセクハラ疑惑はちらっと耳にしたことがありましたが、関西のことですし、畑違いでもあるので、事実関係を知りませんでした。私は刑法が専攻なので、法律関係教員のセクハラ問題だと比較的よく情報が入りますが。

 

ネットで調べてみましたが、2009年に大澤真幸が京都大学を辞職したこと、直後に京都大学が社会学教員のセクハラ事件を公表したこと、その時期に辞職した教員は大澤真幸しかいないこと、などがわかります。

 

ただ、情報が錯綜していて、事実がわかりません。お付き合い説、強姦説、愛人説など乱れ飛んでいますね。社会学会ではどのような話になっているのやら。また、妻であるという立教大学教授の吉澤夏子は沈黙しているようです。夫婦のことはプライバシーなので、とやかく言うことではありませんが、フェミニズム理論家のはずですし。

 

ネット上では、大澤真幸がすみやかに辞職して、次はどこに再就職するのか、といった話題になっているようです。ウィキペディアでみると、辞職後、以前にも増して多くの著作を出版しています。講談社、河出ブックス、弘文堂、NHK出版、朝日出版、岩波書店の編集者や経営者たちは、いったい何を考えているのか。その程度の編集者ばかりなのか。

 

それ以上に、見田宗介はいったいどういうつもりなのか。セクハラ弟子と一緒に本を出すのが、見田の理論社会学なのか。

 

やはり、人間認識がどうしようもなく薄っぺらだ。

 

ありがとうございました。



 

これ1冊ですぐにわかる六ヶ所再処理工場の危険性


小出裕章・渡辺満久・明石昇二郎『最悪の核施設六ヶ所再処理工場』


 

<様々な原発報道において、なぜか盲点になっている場所がある。それが、青森県六ヶ所村の「使用済み核燃料再処理工場」だ。本格稼働すると「原発が一年で放出する放射能を一日で放出する」と言われるこの施設では、いくつものお粗末な欠陥が露呈し、しかも、直下には明らかに活断層が存在する。その危険性は、通常の原子力発電所の比ではない。

 本書は、それぞれの分野で「六ヶ所」にアプローチしてきた専門家たちの切実な訴えで構成される。このような施設を稼働させれば、日本のみならず地球全体に取り返しのつかない災厄をもたらすのである。>

 

原発の危険性を訴えてきた原子力工学者、断層の確認をしてきた変動地形学者、原発を追いかけてきたジャーナリストの3人による、「危険な新書」である。六ヶ所再処理工場の全貌ではないが、危険が簡単に理解できる。ひとたび事故が起きれば、あまりにも巨大な被害が生じる。原発以上に危険な再処理工場である。しかも、これをつくり、運営しようとしているのは、すでに素人以下であることが判明した自称「専門家」たちである。本書では日本は「原子力後進国」を命名されている。なるほど、と思う。むしろ「原発事故大国」である。3.11以前からそうだったのだから。

 

第2章「シミュレーション『六ヶ所炎上』」では、地震と津波によって六ヶ所が事故を起こした場合の被害状況のシミュレーションだ。「見えてくるのはとてもこの世のものとは思えない、あまりにも残酷な光景ばかりだったので、やめておくことにした」と、中断されている。

 

第3章の活断層研究では、これまでの原子力関連施設の建設に際しての活断層調査・判定がいかにずさんで、インチキで、ごまかし続きであったかが、詳しく語られている。「いくらなんでも、まさか」というレベルの話ばかりだ。無能で無責任で破廉恥な「御用学者」には、もう相当慣れたつもりだったが、まだまだ。あきれてものが言えないという言葉を延々と繰り返すしかない。

 

これ1冊で、すぐにわかる六ヶ所。

Friday, September 14, 2012

朝鮮学校の高校無償化除外問題(二)


雑誌「統一評論」549号(2011年7月)

ヒューマン・ライツ再入門31

朝鮮学校の高校無償化除外問題(二)

                   

 

 二〇一〇年四月に導入された高校無償化だが、一部の右翼政治家により朝鮮学校排除が叫ばれ、菅直人政権は右翼政治家に引きずられるように判断を先送りし、やがて「判断基準」をずるずると変更し、いつの間にか自ら差別政策を採用して、朝鮮学校排除を確定させてしまった。二〇一一年三月末を迎えたことによって、無償化適用の一年目を徒過してしまった。

 以下、前号に引き続き、高校無償化問題の経過を整理し、問題点について検討したい。

 

八 韓国における取組み

 

韓国の日刊紙国民日報(電子版)では「すでに決定された懸案(高校授業無償化法案の対象に各種学校も含むこと)を、政治的な問題と連係させて、覆そうとするのはおかしな話だ。過去に日本政府が、各種学校に対して行った差別政策と同様に、支援から除外することもまた差別だ」と記している。同紙では、これまでの朝鮮学校の歴史も、決して平たんではなかったとして「暗鬱だった過去を克服するためにも、朝鮮学校を支援から除外することは望ましくない。日本政府の前向きな最終決定を期待する」と結んでいる。また、「韓国挺身隊問題対策協議会」など約五〇の民間団体は、ソウルで反対集会を行ったという。「韓国挺身隊問題対策協議会」「民族問題研究所」「地球村同胞連帯(KIN)」などの民間団体は二〇一〇年三月四日、朝鮮学校の高校授業料無償化除外に反対する集会『真実と未来、国辱一〇〇年事業共同推進委員会』を開催した。この中で団体らは、朝鮮学校を給付対象に含めるべきだとする声明を発表した。「一〇校余ある朝鮮学校を支援しないということは、在日朝鮮人に対する歴史性と現実性を無視した差別的処置」とし、「日本による植民主義の清算を心から望む世界の人びとは、今回の(朝鮮学校に対する)高校授業料無償化法案をその試金石として常に注視している」と訴えた。日本の高校過程に相当する朝鮮高級学校は全国に一一校あり、現在約一九〇〇人が在学している。学生は朝鮮籍だけでなく、韓国籍の学生も多い。韓国メディアは韓国国内で起こる反対の動きをはじめ、「朝鮮学校を対象に含めるべきだ」という考え示した日本の社民、国民新両党の主張を報じるなど、日本で揺れる高校無償化について関心が向けられているという。

他方、朝鮮新報三月一六日によると、此の問題を受け止めたソウルの市民が日本大使館前で「一人デモ」を繰り広げるなど、いくつもの取組みがなされたという。 

 

九 菅首相の指示問題

 

 中井差別発言に対して、鳩山政権では川端文部科学相が平等適用の方向性を示していたが、徐々に姿勢が揺らいでいった。そして、菅政権は差別政策を唱え始めた。

 二〇一〇年一一月二九日、弁護士の任意団体である自由法曹団は、次の声明を出した。

 「報道によれば、朝鮮民主主義人民共和国が大韓民国の大延坪島を砲撃したことを受け、本年一一月二四日、菅直人内閣総理大臣は、朝鮮学校への高校無償化制度適用プロセスを停止するよう文部科学省に指示し、二五日、文部科学省は審査を行わないことを正式に表明した。/三月の声明で述べたように、そもそも『高校無償化制度』の趣旨は、家庭の状況にかかわらず、すべての高校生が安心して勉強に打ち込める社会を築くこと、そのために家庭の教育費負担を軽減し、子どもの教育の機会均等を確保するところにある。このような制度趣旨からすれば、朝鮮学校を、一旦は『高校無償化』の対象とするとした方針を翻して、各種学校である他の外国人学校とことさら区別して、『高校無償化』制度の対象から除外する取り扱いは、多くの法的問題があるといわざるを得ない。/また、朝鮮民主主義人民共和国による大韓民国砲撃というきわめて政治的な問題を理由に方針の見直しをすることは、政治を子どもの教育に持ち込むことであって、いかなる意味でも許されてはならないことである。/私たち自由法曹団は、改めて、教育を受ける子どもたちの立場から朝鮮学校を『高校無償化』の対象とすることを強く求めるものである。」

教育に関する問題に政治的理由による差別を持ち込んだことが明確に指摘されている。

一一月二九日、大学関係者有志は次のよう声明を出した。

報道等によれば、文部科学省は、朝鮮学校による『高校無償化』の申請は予定通り一一月三〇日まで受理するが、現状では審査を『停止』することを正式に発表しました。今回の『停止』は、朝鮮半島の西海での軍事的な衝突を受けての判断だと、総理大臣、文部科学大臣、官房長官らは発言しています。従来、日本政府は『高校無償化』の適用については、『外交上の配慮などにより判断すべきものではなく、教育上の観点から客観的に判断すべき』だと繰り返してきました。今回の『停止』措置は、その見解をくつがえすものです。そのことについて文科大臣は、『平和を脅かす特別な想定外の事態』に対応したのだと説明しました。しかし、これは外交的に解決すべき問題を教育の場へと転嫁する、きわめて不当な判断だと、わたしたちは考えます。/一体、今回の軍事衝突と『高校無償化』に何の関係があるのでしょうか。今回の日本政府の過剰反応は、日米戦争のさなかに米国で日系人らが『敵性外国人』として財産を奪われ、強制収容所に送られ、日本人学校が閉鎖された歴史を思い起こさせます。また、冷戦の緊張が深まる一九四九年、在日本朝鮮人連盟が『反民主主義』的な団体であるとして強制解散させられ、朝鮮人学校が閉鎖され、財産も没収された歴史をも想起させます。こうした歴史的経験や、今回の『停止』に至る一連の措置をみるかぎり、日本政府は、朝鮮学校に通っている生徒や関係者を『敵性外国人』とみなしていると考えざるを得ません。これは『人種、信条、性別、社会的身分』に由来する差別を禁じた日本国憲法ならびに国連人権規約、人種差別撤廃条約にも反する不当な措置です。/わたしたちは、日本政府に対し、朝鮮学校の生徒や関係者を愚弄しつづけたことに対して謝罪し、即刻『高校無償化』制度を適用することを要求します。」

呼びかけ人は、板垣竜太(同志社大学)、市野川容孝(東京大学)、鵜飼哲(一橋大学)、内海愛子(早稲田大学)、宇野田尚哉(神戸大学)、河かおる(滋賀県立大学)、駒込武(京都大学)、坂元ひろ子(一橋大学)、高橋哲哉(東京大学)、外村大(東京大学)、冨山一郎(大阪大学)、仲尾宏(京都造形芸術大学)、中野敏男(東京外国語大学)、藤永壮(大阪産業大学)、布袋敏博(早稲田大学)、水野直樹(京都大学)、三宅晶子(千葉大学)、米田俊彦(お茶の水女子大学)である。

二〇一一年に入って、朝鮮高級学校三年生の卒業が迫ってくると、さらに市民運動は集会や要請行動に取り組んだ。二〇一一年二月二六日、「二・二六朝鮮学校への無償化即時適用を求める大集会」が開催され、参加者一同は次の決議を採択した。

「『高校無償化』手続き停止に怒りをもって抗議する!/二〇一一年二月四日、文部科学省は、朝鮮高級学校への『高校無償化』適用手続きを『凍結』している理由について、二〇一〇年一一月の軍事衝突を挙げ、『不測の事態に備え、万全の体勢を整えていく必要があることに鑑み』手続きを停止していると、学校側に通知した。これでは、朝鮮学校を敵視しているも同然です。また、法に基づく異議申し立てに対し、なんら合理的な説明になっていません。朝鮮半島における砲撃戦と朝鮮高級学校に『高校無償化』を適用するかどうかは、何の関係もないことです。朝鮮学校を差別し、子どもの人権を侵害し、『法の下の平等』を踏みにじるこのような措置は、断じて許されるものではありません。私たちは、怒りをもって抗議します。/そもそも制度発足の当初から、朝鮮学校にも『高校無償化』を適用すべきでした。そして、民族教育への弾圧の歴史を断ち切るための第一歩とすべきでした。すでに三一校の外国人学校やインターナショナルスクールが『高校無償化』の対象となっているなか、朝鮮学校を狙い撃ちして排除することは、差別以外のなにものでもありません。文部科学省が設置した検討会議の報告書にも『外交上の配慮などにより判断すべきものではなく、教育上の観点から客観的に判断すべきものであるということが法案審議の過程で明らかにされた政府の統一見解である』と明記されています。政府は自らの言葉に責任を取らねばなりません。即時に、『高校無償化』を朝鮮高級学校に適用するよう日本政府に要求します。/日本政府はこれまで、植民地支配の責任を省みることもなく、在日朝鮮人の民族教育を否定してきました。朝鮮学校は、義務教育段階を含めた学校教育を担っているにもかかわらず、法律上『各種学校』とされ、国からの公的な助成は一切ありません。それどころか、学校への寄付金に対する税制上の差別すらあります。これらの差別については、日本弁護士連合会や国連の委員会から、繰り返し是正勧告が出されています。本来なされるべきは、朝鮮学校をはじめとする外国人学校に対する差別的な処遇を改め、日本に暮らすすべての子どもに学ぶ権利を保障することです。/ここに集まったわたしたちは、日本政府による悪辣な差別と取り返しのつかない愚行を、満腔の怒りとともに糾弾します。そして、心ある全ての人々に、それぞれの場所、それぞれの立場から、あらゆる手を尽くして、この差別と闘うことを呼びかけます。」

 市民団体は三月中旬にも東京大集会を予定していたが、三月一一日の東日本大震災と原発事故のため中止を余儀なくされた。

 

一〇 日朝の青年学生は手をつなごう

 

 二〇一一年一月二八日、高校無償化問題をめぐって、「本郷文化フォーラム・ワーカーズスクール(HOWS講座)」において、「朝鮮高級学校を卒業した朝鮮大学校の学生・研究生四人と日朝の連帯運動に参加してきた日本人の大学生・大学院生二人による討論会が行われた。その記録がパンフレット報告と討論:日朝の青年学生は手をつなごう――「高校無償化」からの朝鮮学校排除問題を手がかりに考える』(本郷文化フォーラム・ワーカーズスクール、二〇一一年としてまとめられている[一セット五部・一〇〇〇円。「このパンフレットの売り上げ金は、東日本大震災で被害を受けた東北地方の朝鮮学校への義援金に使われます」。問合せ先:HOWS、電話番号〇三―五八〇四―一六五六])。

 討論会は、「HOWSというウリハッキョ(私たちの学校)にはレーニンの肖像画が飾られていて、誰かに外せといわれても外さない(笑)」という司会者の冗談から始まっている。この冗談は、なかなかよくできた冗談である。一方では、朝鮮学校への抑圧と干渉を巧みに示すとともに、他方では、朝鮮学校に対するそれとHOWSに対するそれとの差異をも意識させるものとなっている。朝鮮学校に対する抑圧と干渉は、マジョリティによるそれであり、権力によるそれであり、法の下の平等を権力自ら踏み躙る暴挙である。司会者は、このことを自覚しつつ右の冗談を述べている。というのも、司会者の言葉は次のように続くからである。

「この朝鮮学校『高校無償化』適用除外問題は、朝鮮学校に通う生徒と保護者という限られた人の問題ではない。『無償化』問題に限らず、在日朝鮮人問題は日本のプロレタリア・インターナショナリズムを自覚する者が、それを貫徹できるかどうかの試金石だというのが私の問題意識です。皆さんそれぞれ問題意識をお持ちでしょうが、『無償化』問題は在日朝鮮人だけの問題ではない、という共通認識で講座がすすめられれば幸です。」

 こうして開始された討論会は興味深く、印象的な発言が続くが、ごく一部だけを紹介しながら見ていこう。

 まず、宋一(ソン・イル、当時朝鮮大学校政治経済学部一年)は、次のように述べている。

 「僕はこの数年間、とくに去年の朝鮮半島情勢を見ながら、誰がこの日本社会の世論を扇動し、朝鮮を敵として作り上げているのかがよくわかりました。それはマスメディアと癒着して情報操作をしている日本政府です。/考えてみれば、自分が朝鮮に対して疑問を感じたきっかけはテレビや新聞でした。しかし僕がその疑念を払拭できたのは、朝鮮学校で学び、自分の目で真実を見極めるように教えてくれ、その力を育ててくれた先生たちがいたからだと思います。たぶん朝鮮学校に通わなかったら報道に流されてこんな考えもしなかっただろうし、日本人として暮らしていたと思います。なぜなら、朝鮮学校や組織と関係を持たない僕の親戚や多くの在日朝鮮人がそうだからです。/日本政府は、こうしてマスメディアを利用して、在日同士の関係を悪化させ、内部分裂させようとしています。」

 ここには日本社会の同化圧力と、それを強化するマスメディア、そしてメディアを利用した日本政府による差別、抑圧、分断が示されている。そのことが同時に朝鮮学校の必要性を裏づけている。

 次に、金星娘(キム・ソンラン、当時朝鮮大学校政治経済学部二年)は、次のように述べている。

 「私がビラ配りをしている時に、そこを通りかかった日本の方が私にもう首相が鳩山から菅に代わるだろうから、こんなことしなくたってお金はもらえるようになるよ。と言われたことがありました。その時、私は納得がいきませんでした。/なぜなら、私たちが欲しいのはお金じゃないからです!/私たちが欲しいのは、当然あるべきはずの権利であり、在日朝鮮人として生きる権利です。/いままで、日本政府が在日朝鮮人にくれた権利など、一つもありません。すべて自分たちで闘い、勝ち取った権利ばかりです。」

 第一に、「日本の方」の発言は善意でなされたものである。まさか、市民運動出身の菅直人首相が意図的に差別政策を推進するなどとは想像もしなかっただろう。市民運動出身であろうと、何出身であろうと、権力の座についた日本の政治家は差別を決して手放さないものだという教訓になるだろう。第二に、ここで語られているのは「権利のための闘争」(イェーリング)そのものである。上から権利を与えられることに慣れてきた日本人とは異なって、在日朝鮮人は奪われた権利を回復するために闘わなければならなかった。「権利のための闘争」を実践し、引き継いできたのが朝鮮学校である。それゆえ、朝鮮学校は日本社会におけるまともな権利運動の発信拠点でもある。その恩恵を被ってきたのは日本人である。

 次に、金玉順(キム・オクスン、当時朝鮮大学校外国語学部三年)は、次のように述べている。

 「私は三年間ネットワーク(朝日・日朝大学生友好ネットワーク)活動に携わってきましたが、いままで日本の大学生と直接会って話す機会が、この活動以外なかったので、新しい経験の場になりましたし、得るものが本当にたくさんありました。視野を広げて自分自身や周りの物事について深く考えるきっかけになりましたし、日本の大学生の方たちと仲良くなって、在日朝鮮人と日本社会について深く話し合えるとてもいい経験をしています。/朝日の青年が膝を突き合わせて真剣に自分たちの未来を語り合うことによって、お互いの背負う国やその文化が少しでも近いものになると私は信じています。お互い歩み寄る努力というのが、ネットワーク活動において何よりも大事なことだと思っています。」

 知らないこと、中途半端に自分勝手な知識だけを持っていること、これが差別の一因になっていることは言うまでもない。他者の存在、歴史、文化に対する無知が、他者への不寛容となり、齟齬が生み出され、差別が始まる。幾度も指摘されてきたことだが、日本人が在日朝鮮人の歴史や文化について知らないこと、知ろうとしないことが大きな障害となっている。

 申正春(シン・ジョンチュン、当時朝鮮大学校研究院生)は、在日朝鮮人史を問い直しつつ、次のように述べている。

 「なぜか『朝鮮学校が開かれねばならない』というような世論が出てきている。もちろん朝鮮学校は開かれねばならないんですけれども、いままで公開授業もやっていますし、これまでも開かれてきたんです。にも関わらず、なぜか『もっと開かれねばならない』というふうに問題がズラされてくる。そして朝鮮学校自体は在日朝鮮人のための学校であるにもかかわらず、ただでさえ運営が厳しく、教員たちが苦しくても懸命にやっているにもかかわらず、日本の地域社会に開かれるために負担を強いられねばならない。このような状況が、この一年間の高校無償化問題を通じて押し付けられていると思います。」

 悪意で朝鮮学校に無理難題を押し付ける橋下大阪府知事だけではない。善意のそぶりを示しながら、いちおうは平等適用を唱える大新聞の中には、「朝鮮学校も変わってきている」=「だから日本の懐の大きさを示すために平等適用を」という論理が紛れ込んでいる。無償化適用を求める市民のなかにも、「朝鮮学校問題」として認識している例は少なくない。本当は「日本政府による差別問題」であるが、差別は、差別される側に弁明を強要するメカニズムを持っている。

 次に日本人学生の発言である。廣野茅乃(当時青山学院大学文学部四年)は、次のように述べている。

 「私は今回の問題が長引いていること、そしてそもそもこのような問題が生じることを食い止めることができなかったのは、日本の青年学生が運動のなかで存在を示せなかったことも、大きな原因であると思います。/私は在日朝鮮人ではありませんし、今回の問題で言えば、高校生でもない。私が在日朝鮮人に対する日本政府と日本社会の差別政策と権利侵害の状態を止めさせ、日本社会を差別なく平和な方向に変えていくにはどうすべきか、と考えるときに、私は自分自身の問題に立ち返ることが必要だと思いました。

 朝鮮人差別は日本政府の長年にわたる政策であったし、現在も菅政権によって推進されている。この政策を変えることができずにいるのは日本社会であるが、日本社会自身が差別を許容し、あるいは差別によって利益を得ている(と思い込んでいる)。その意味では、市民社会全体の基本問題であるが、右の発言にあるように、「青年学生が運動のなかで存在を示」すことも極めて重要である。

 次に、須藤虎太郎(当時東京大学法科大学院二年)は、次のように述べている。

 「私は階級的視点というのが大事だと思います。・・・菅政権が消費税を増税するということを言っていたりとか、他にもいろいろありますけれど、こうしたことは、いま恐慌に苦しんでいる独占資本がその危機を乗り切るために、人民の肩に、その危機を転嫁しようとしているということの現われとしていまのような状況がおきていると思うんです。そういったなかで、当然、日本の人民も苦しんでいるわけですけれども、そういったところで、人民の不満をそらすために排外主義が利用されているのだろうと思います。しかし、そういった不満を外にそらせようとする排外主義、こういったものが、間違いであるということを、しっかりと見抜くためにも階級的な視点が必要だと思います。」

 「失われた一〇年」と言われた一九九〇年代以来、ナショナリズム、排外主義、ポピュリズムが総動員され、さまざまに形を変えながら、市民社会に分裂をもたらしてきたことを見据えて、若者のこれからの活動を語っている。資本家と労働者の間の矛盾が、労働者の間、ジェンダーの間、高齢者と青年の間、民間労働者と公務労働者の間、異なる民族の間の矛盾に転嫁され、偽装される。内部矛盾は外部に転嫁され、外からの危機が呼号される。矛盾を乗り越えるための連帯の思想の重要性がここでは意識されている。

 

一一 おわりに

 

 東日本大震災と福島原発事故のため、日本社会は「頑張れニッポン大合唱」にハイジャックされた様相を呈している。「日本はひとつだ。日本はチームだ。日本人の団結を」という叫びが社会を貫いている。

 これは、第一に、日本社会の矛盾をかき消す効果を持っている。原発事故を招きながら、まともな対処もできない東電も、「不安院」と名称変更するべき保安院も、「原発は安全だ」とか「放射能は健康にいい」などと嘯く御用学者も、失言と前言訂正の右往左往を繰り返すだけの菅政権も、「日本はひとつ」であれば、そこに矛盾は、ない。復興を目指して団結することが「国益」とされる。

第二に、その裏側には、排外主義がぴったりと張り付いている。「ひとつである」べき日本の和を乱す者は、輪の外に追いやられる。日本人であっても「余計な発言」をしたと見なされた者は「非国民」扱いである。外国人は最初から危険視されている。原発事故後に多くの短期滞在者は離日したといわれるが、定住外国人は日本を離れるわけにはいかない。「頑張れニッポン」の恐怖に脅えながら、用心しながら日本社会で暮らすしかない。

 大震災と原発事故により政治機能が麻痺したにもかかわらず、戦争と差別を推進する政治機能だけは万全に機能している。米軍による「トモダチ作戦」、沖縄普天間基地移設をめぐる駆け引き、憲法改悪のための国民投票に向けた国会内の動き、そして朝鮮学校無償化除外。危機に直面するとその人格がよくわかるというが、実に残念なことに、危機に直面して日本政府と日本社会の「品格」がいっそう鮮明に見えてきた。

 

朝鮮学校の高校無償化除外問題(一)


雑誌「統一評論」54号(2011年月)

ヒューマン・ライツ再入門30

朝鮮学校の高校無償化除外問題(一)

                    

 

一 はじめに

 

 「高木文部科学相は二五日午前の閣議後の記者会見で、北朝鮮による韓国砲撃を受けて審査手続きがとまっている朝鮮学校への高校授業料無償化適用について、『審査に要する期間を考えると、年度内に指定するかどうかを判断することは困難になった』と述べ、年度内の適用断念を表明した。/ただ、四月以降に適用を決めた場合に二〇一〇年度分の就学支援金をさかのぼって支給するかどうかについては、『可能かどうかも検討しなければならない』と含みを持たせた。」(『読売新聞』オンライン二〇一一年三月二五日)

 朝鮮高級学校の高校無償化からの除外問題は一年以上経過したが解決に至らず、二〇一〇年度の卒業式を終えてしまった。日本政府は、外交や政治問題を教育の場に持ち込んで、朝鮮学校に対する差別政策を推進してきた。一部の政治家による朝鮮学校排除ではなく、首相の直接指示による朝鮮学校排除が現実化してきた。そして、本年三月二五日、差別の固定化が完了した。

 また、大阪府、神奈川県、宮城県、埼玉県など各地の自治体における状況も変動し続けている。橋下徹大阪府知事のパフォーマンスに始まった朝鮮学校つぶしが、神奈川県では松沢知事の判断で助成金継続となったが、東日本大震災の混乱の中、宮城県や埼玉県などで新たな助成金否定の動きが出ている。

 問題が、教育への不当な政治介入であり、しかも朝鮮学校に対する差別であることから、日本社会では早いうちから批判の声が高まっていた。新聞の社説においても、一部を除いて、政府方針に疑問を示すものが少なくなかった。二〇一〇年の人種差別撤廃委員会や子どもの権利委員会での審議など、国際社会からの批判もあり、問題点が鮮明になっていった。それにもかかわらず、朝鮮学校排除の合唱を続ける一部の政治家、メディア、運動家は相変わらず差別の煽動に熱中している。

 三月二九日、これまでこの問題に取り組んできた「『高校無償化』からの朝鮮学校排除に反対する連絡会」は、内閣府と文科省に対して、朝鮮学校への無償化適用を求める要請行動った

 あらためて問題の所在を確認し、今後の検討と運動につなげたい。

 

二 問題の発端と経過

      ――高校無償化法の成立と中井大臣発言

 

 民主党が二〇〇九年の政権公約(マニフェスト)に掲げた高校授業料無償化法が二〇一〇年三月三一日の参院本会議で、与党(民主党)と公明、共産両野党の賛成多数で可決成立した。自民党は反対した。本法は四から施行され

対象は、高校高等専門学校専修学校、一部の各種学校などである。公立高と公立の中等教育学校後期課程、特別支援学校高等部については、国が生徒人当たりの授業料相当額(年一一八八〇〇円)を基準にして、地方自治体に授業料収入相当額を交付する。これによって授業料徴収なくなった

各種学校である外国人学校については、文部科学省は、(一)本国が日本の高校と同等であることを認めている、(二)国際的な評価機関で認定を受けているのいずれかを満たせば対象とする方針だったそのための細かな基準は、省令で定めることとされていた

 ところが、閣内から日本人拉致問題に絡めて、朝鮮学校を無償化の対象外とするよう求める声が出た。中井洽拉致問題担当大臣(当時。以下同じ)は「北朝鮮に制裁をかけていることを十分考慮してほしい」と述べて、川端達夫文部科学相に朝鮮学校の適用除外を要請したという
 文科省は「朝鮮学校は、多くの大学が卒業生の入学を認めている」として、専門家の検討会を設置して検討するとした

 この問題では、文部科学省ではなく、政治家が先頭に立って差別政策を進めた。従来、国立大学受験資格問題でも、朝鮮学校への寄付金控除問題でも、文部科学省自身が、(他省庁とともに)朝鮮学校を差別する姿勢を示してきた。しかし、この問題では、文部科学省はむしろ、学校の種類で支援の有無を区別すべきではないと、日本学校との同等の取り扱いを示していた。外国人学校を別扱いすることに道理がないことを当局も認めざるを得なかったからである。

ところが、中井大臣発言を受けて、鳩山由起夫首相は国会内で記者団に対し、「中井氏の考え方というのは、ひとつあるなと思う。そのような方向性になりそうだというふうには聞いている」と語った。また、平野博文官房長官も、朝鮮学校が「無償化にふさわしいカリキュラムかどうか」と述べた。

こうして朝鮮学校の高校無償化からの排除問題が一気に政治問題、社会問題となった。

 中井発言や鳩山発言が報じられると、多くのメディアがこれを大きく取り上げ、疑問を呈した。一部に朝鮮学校排除を求めるメディアもあったが、多くのメディアは差別に疑問を呈する穏当な姿勢を示した。

例えば、『沖縄タイムス』は、二月二七日に、「人種差別として国際社会をがっかりさせそうだ」、「国連人権差別撤廃委員会が年ぶりに行っている対日審査会合で二五日、この問題が取り上げられた。北朝鮮との外交関係を理由に差別的措置がとられようとしている、という問題認識が委員から指摘された」、「審査員は『なぜ北朝鮮がやっていることで、子どもたちが責められるのか』と問うた。審査会は朝鮮学校が公的援助を受けられない現状を問題視した。それは人種差別とみなされる」と報じた上で、「教育と外交問題を同一視すべきではない」とし、「そこで学び、青春を過ごしている若者たちは何も違わないはずだ」と締めくくった。

人権問題に関わってきた多くのNGOや、教育関係者もすばやく立ち上がって声をあげた。

 もっとも、ネット上では、北朝鮮叩きの延長で、過激で異常な差別発言が飛び交い、一部のメディアや評論家が差別を煽動し続けている。

 

三 法的問題点

 

 法的問題点は、当初から明確に指摘され、検討されていた。基本的な論点だけを確認しておこう。

 第一に、政権の政策自体との矛盾である。

民主党はその「教育政策の集大成」である「日本国教育基本法案」において「国民と限定するのではなく」、「何人にも『学ぶ権利』を保障」すると明示してい二〇〇九年の衆院選挙を前に出された民主党政策集インデックスにも明示されてい。政策集インデックスは、国際社会権規約第一三条についても触れていた。第一三条は「締約国は、教育についてのすべての者の権利を認める」と定めている。国民だけではなく外国人の子どもたちの学ぶ権利の保障を謳ったにもかかわらず、それが外国との政治的関係によって左右されるということは「権利」というものの性質から、考えられないことであ
 第二に、在日朝鮮人も納税の義務を負っている。

高校無償化施策の実施に伴い、特定扶養親族控除の廃止が予定されていため、朝鮮学校に対し高校無償化措置(就学支援金)が適用されないとなると朝鮮学校生徒保護者の負担は却って大きくなり、差別拡大につながった。

一部メディアは「国民の血税」を朝鮮学校に渡すのかどうかなどと主張しているが、日本国が徴収している税金に「国民税」はない。外国人からも各種の税金を徴収している。在日朝鮮人から一方的に税金を取りながら、朝鮮人のための施策には使われてこなかった。
 第三に、国際自由権規約に基づく自由権規約委員会が、二〇〇八年の日本政府報告書審査の結果出した最終見解において、「朝鮮学校に対する国の補助金が通常の学校に対するものよりも相当低く、民間の寄付金に強く依存しているが、私立の日本人学校やインターナショナル・スクールとは異なり、これらの学校が免税対象外又は税金控除対象外であること、また、朝鮮学校の卒業証書がそのまま大学入学資格として認められないことを懸念する(第二六条及び第二七条)締約国は、国による補助金を増大し、朝鮮学校への寄付を行う者に他の学校に寄付を行う者と同じ財政的な利益を与えることによって、朝鮮学校への適切な資金援助を確保し、朝鮮学校の卒業証書を直接大学入学資格として認めるべきである(外務省ホームページより抜粋)と勧告し。同様に、国際社会権規約に基づく社会権委員会、子どもの権利条約に基づく子どもの権利委員会、人種差別撤廃条約に基づく人種差別撤廃委員会においても朝鮮学校への各種の差別是正を求める勧告されきた
 この点について、日本弁護士連合会(日弁連)も、一九九八年と二〇〇八年の二度にわたり、朝鮮学校などへの助成金が国からは皆無であり、各地方自治体からは僅かに出ているものの日本の公立私立学校と比べて極めて少額に過ぎないことについて「重大な人権侵害」「学習権の侵害」だとして日本政府へ是正勧告を出している。
 第四に、基準の客観性である。

文部科学大臣は専修学校設置基準において「授業時数は、学科ごとに、一年間にわたり八百時間以上とする」(第条)、「一の授業科目について同時に授業を行う生徒数は、四十人以下とする。ただし、特別の事由があり、かつ、教育上支障のない場合は、この限りでない」(第条)とするなど外形基準を用いている。専修学校卒業生の大学入学資格においても修業年限三年以上で卒業に必要な総授業時数が二五九〇単位時間以上、普通科目の総授業時数は四二単位授業時数以上などの形式的・外形的な要件をみたせば学校単位で大学入学資格が認められるとしてきた。このように何も国際評価機関や本国の認定だけに依拠しなくても一条校(学校教育法第一条に基づく学校)と同等の課程を有するものと認める線引きは可能である。今回も、文部科学省は、授業内容に関わらず一律の客観的基準で判断するとしていた。

 

四 朝鮮高級学校教員・生徒の取組み

 

  在日本朝鮮人教職員同盟中央本部は、繰り返し平等適用を求める意見、声明を発して、日本政府や社会に訴え続けた。

 基本的内容は、第一に、「高校無償化法案の趣旨は差別のない後期中等教育の機会保障にある」、第二に、在日朝鮮人納税義務を果たしていること、第三に、「各種学校の認可のもと、一条校と同等の教育を行っている」、第四に、「大学受験資格、体育大会公式参加など事実上高校として認められている」ことである。

 朝鮮学校生徒たちも、街頭に出て、あるいは集会に参加して、自らの思いを語り、日本社会に訴えた。広島朝鮮高級学校生徒の詩集は大きな反響を呼んだ。朝鮮学校教員や生徒による取組みは本誌でも報告されてきた。

 

五 日弁連の取組み

 

二〇一〇年三月五日、日本弁護士連合会は宮﨑誠会長声明を公表した。

今国会に提出された、いわゆる高校無償化法案(「公立高等学校に係る授業料の不徴収及び高等学校等就学支援金の支給に関する法律案」)について、朝鮮民主主義人民共和国に対する制裁措置の実施等を理由に、朝鮮学校を対象校から外すか否かが、政府内で検討されている。しかし、本法案の趣旨は、『高等学校等における教育に係る経済的負担の軽減を図り、もって教育の機会均等に寄与する』(法律案の理由)ことにある。教育を受ける機会は、政治・外交問題に左右されてはならず、朝鮮学校に通う子どもたちについても変わることなく保障されるべきものである。また、朝鮮学校については、教育課程等の確認ができないとの考え方も報道されているが、朝鮮学校の教育課程に関する情報は、各種学校の認可を受ける際に必要に応じて提出され、朝鮮学校自らがホームページ等でも公開しているのであるから容易に調査可能であり、現に、ほとんどの大学は朝鮮学校卒業生に入学資格を認めている。朝鮮学校に通う子どもたちが本法案の対象外とされ、高等学校、専修学校、インターナショナル・スクール、中華学校等の生徒と異なる不利益な取扱いを受けることは、中等教育や民族教育を受ける権利にかかわる法の下の平等(憲法第一四条)に反するおそれが高く、さらには、国際人権(自由権・社会権)規約、人種差別撤廃条約、子どもの権利条約が禁止する差別にあたるものであって、この差別を正当化する根拠はない。当連合会は、高校無償化法案の適用において朝鮮学校が不当に排除されることのないように強く求めるものである。

以上が日弁連会長声明である。法の趣旨、朝鮮学校の教育課程の客観的判断、憲法、そして国際人権法に照らして判断を行っている。

 

六 市民運動の取組み

 

 二〇一〇年二月から三月にかけて、全国各地で市民による取組みが行われた。政府、国会議員への要請行動、講演会、市民集会、街頭演説など多彩な取組みが広がった。冒頭に紹介した「『高校無償化』からの朝鮮学校排除に反対する連絡会」は、東京を中心とした市民のネットワークだが、そのほかにも名古屋、大阪、福岡をはじめ各地で取組みが続けられ、実に多くの市民団体が抗議集会を開催し、声明を発し、朝鮮学校支援の輪を広げた。ごく一部だけ紹介しておこう。

 一〇年三月八日、「日朝懇談会(愛媛)」と「自主・平和・民主のための広範な国民連合・愛媛」は次の声明を出した。

そもそも朝鮮国籍の方々が多数日本で生活しているのは、戦前の強制連行、強制労働に起因するもので、ひとえに日本政府の責任で生じた事態であり、その意に反して日本に連行された朝鮮の方々の本意ではない。その在日の方々が民族の誇りと自尊心を語り伝えるために、戦後、私費で朝鮮語の学習を主とする民族教育の場として朝鮮学校を日本各地に創っていったのが始まりだと聞いている。戦前の植民地支配を反省、謝罪、補償し、ピョンヤン宣言に基づいて国交正常化の努力をするのが政府の責務であり、民族教育を温かく見守るのが当然である。それを怠ってきた責任を棚上げし、善隣友好の時流に逆行し、『敵視』『危険視』する世論を煽ることに断固反対する。在日の方々の人権と誇りを傷つけ、経済的に圧迫することに反対する。政府は国民の期待を裏切り、本質的に自民党時代と変わらぬこの妄動を直ちに取り止めねばならない。日朝友好、日朝国交正常化を進めるよう要求する。われわれは、今後、一層、日朝友好、日朝国交正常化のために、心ある多くの広範な国民各層、県民各層とともに奮闘する。以上、声明する」。

 一〇年三月二五日、自由人権協会も声明を出した。

 「高校無償化法案は、日本が批准した社会権規約一三()に定める『無償教育の漸進的な導入により』、『すべての者に対して〔中等教育の〕機会を与えること』を実現しようとするものであり、また、『教育に係る経済的負担の軽減を図り、もって教育の機会均等に寄与すること』(法案)を目的としている。そして、同法案に基づく就学支援金の受給権者は『生徒又は学生』(法案項)であり、学校は、事務処理の便宜上、それを代理受領するにすぎない。それにもかかわらず朝鮮学校をこの制度の対象から除外するならば、それによる経済的不利益は、朝鮮学校に通う生徒及びその保護者に生じることになる。これが本制度の趣旨を没却するものであることは明らかである。また、外国人学校は外国籍・民族的マイノリティの子どもの学習権実現に不可欠の存在であり、子どもの権利条約三〇条、自由権規約二七条、及び憲法二三条及び二六条により、教育の自由(教育権)は外国人学校にも保障されている。そして、朝鮮学校に通う生徒らには、日本人の子ども及び他の外国籍の子ども達と同様、学習権(教育を受ける権利)が保障されており、この学習権の内容として、その属する民族の言語・文化・歴史・地理等に関する民族教育を受ける権利も保障されているものである。朝鮮学校を高校無償化制度の対象から恣意的に除外することはもちろん、その教育内容を経済的給付の可否の判断材料にすることは、朝鮮学校に通う子どもの学習権に対する重大な侵害となることは明らかである。また、朝鮮学校のみを不利益に取扱うことは、不合理な差別的取扱として憲法一四条の定める平等原則にも反するおそれが強い。特に、今回の朝鮮学校外しは、日本の私立学校との間だけではなく、等しく各種学校である外国人学校の間にも差別を持ち込むものであって、その点でも違憲の疑いは大きいものである」。

また、一〇年七月二九日、「朝鮮史研究会」は次の声明を出した。

わたしたちは、今回の法令が歴史の積み重ねの上にあると考えます。朝鮮学校は、日本の敗戦により植民地支配から解放された在日朝鮮人が、教育機会を奪われてきた朝鮮語・朝鮮史などを教授しようと設立した民族教育機関を起源としています。しかし、これを危険視した連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)と日本政府は学校の閉鎖を命令し、それに反対する一九四八年の阪神教育闘争を非常事態宣言まで発布して弾圧したのち、翌四九年にはついに閉鎖・改組を強行しました。そこから自主学校などのかたちで徐々に再建されていったものが、現在の朝鮮学校です。その後も、日本政府は一九六五年の日韓条約を契機に、朝鮮学校を各種学校として認めるべきでないとする文部次官通達を発しました。にもかかわらず、各都道府県が朝鮮学校を各種学校として認可してきたことで、この通達は死文化しました。一九七六年に専修学校制度が設けられたときも、外国人学校は除外されました。そして二〇〇二年の日朝首脳会談以降、大学入学資格、税制優遇措置、さらに今回の『高校無償化』において、朝鮮学校は差別的な扱いを受けました。しかし既にほぼ全ての大学が朝鮮学校の大学入学資格を認めてきた、したがって実質的に『高等学校の課程に類する課程』であると認定してきたのが実情であり、今回の法令はそうした歴史の趨勢に反するものです。/中等・高等教育の無償化は、日本国も批准している国際人権規約および子どもの権利条約でうたわれており、今回の『高校無償化』はその実現を目指したものと理解できます。しかし、両条約に民族教育の権利の保障が書きこまれていることも、忘れてはなりません。今年三月の国連・人種差別撤廃委員会では、日本政府に対し朝鮮学校除外を懸念するとの勧告がありました。いま日本政府は、民族教育の保障に向けて新たな一歩を踏み出すのか、逆に新たな排除を生み出すのか、その岐路に立たされているのです」。

以上が朝鮮史研究会声明である。このようにさまざまな市民がそれぞれの立場から差別政策に反対の声をあげた。以上の例はほんの一部を取り上げたに過ぎない。全国各地の市民が声を寄せ合ったことを知ることができる。

なお、詩人の河津聖恵の呼びかけにより、数多くの日本人および在日朝鮮人の詩人たちがこの問題に関連する詩集『朝鮮学校無償化除外反対アンソロジー』を編み、社会的に大きな話題となったことは、すでに本連載第二五回(本年一月号)でも取り上げた。

 

七 教育者の取組み

 

 一〇年三月二三日、日本高等学校教職員組合は次の声明(談話)を出した。

 「鳩山政権は二〇一〇年度から公立高校授業料の実質無償化と私立高校への就学支援金を実施する方針ですが、朝鮮学校に適用するかどうかの判断は四月以降に先送りしようとしています。無償化が適用されないとすれば、教育の機会均等の保障に反し、民族・国籍により差別し排除するという問題で政府の姿勢が根本から問われます。/高校授業料無償化は教育を受ける権利を社会的に保障する立場から実施されるものであり、政治的理由から特定の学校を排除することはあってはならないことです。/朝鮮学校の教育課程が『高校に類する』ことは、国公立大学を含む大半の大学が卒業生の受験や入学を認めていることをみても明白です。朝鮮学校は、高校野球やラクビー、高校サッカー選手権にも参加が認められ出場しています。朝鮮学校を高校授業料無償化から除外することはまったく道理がありません。/重大なことは、この差別問題が国内の教育問題にとどまらず、世界から注目される国際問題に発展していることです。日本は、『人種差別撤廃条約』を一九九五年に批准しており、国や地方自治体などのすべての公共機関が、人種や民族などで差別する行為を行ったり、差別を扇動、助長したりすることは許されません。国際人権A規約第二条及び子どもの権利条約第二条は、人権が人種・性・言語・宗教・意見・国民的出身などによるいかなる差別もなしに保障されると規定しています。そのうえで、規約第一三条と権利条約二三条は、教育を受ける権利を規定しています。/日本も批准したこれらの規約・条約によって、国籍や出身を問わずすべての子どもに教育を受ける権利を保障するのは当然のことです。/国連の人種差別撤廃委員会は三月一六日に公表した報告書において、高校の授業料を実質的に無償化する新制度の対象から、朝鮮学校を除外するよう意見が出ていることに対し、『子どもの教育に差別的な影響を与える行為』として、懸念を表明しました。/高校授業料無償化の対象から朝鮮学校を除外するなどということは、国際ルールに照らして断じて許されないことは明らかです。/鳩山政権が、高校授業料の無償化にふみだしたことは、教育費の負担軽減を求める国民の世論と運動の反映であり、教育費の無償化という世界の流れにそった重要な一歩です。/日高教は、鳩山政権の高校授業料無償化から朝鮮学校を除外しようとしていることに強く抗議するとともに、一刻も早く朝鮮学校へ適用することを強く求めるものです」。

また、大学関係者有志の声明や要請行動も注目を集めた。呼びかけ人は、板垣竜太(同志社大学)、市野川容孝(東京大学)、鵜飼哲(一橋大学)、内海愛子(早稲田大学)、宇野田尚哉(大阪大学)、河かおる(滋賀県立大学)、駒込武(京都大学)、坂元ひろ子(一橋大学)、高橋哲哉(東京大学)、外村大(東京大学)、冨山一郎(大阪大学)、仲尾宏(京都造形芸術大学)、中野敏男(東京外国語大学)、藤永壮(大阪産業大学)、布袋敏博(早稲田大学)、水野直樹(京都大学)、三宅晶子(千葉大学)、米田俊彦(お茶の水女子大学)であり、賛同者は一〇一六名(二〇一〇年三月三日時点)であった。

一〇年三月に続いて、一一年三月にも声明が出された。

「『全ての意志ある高校生等が、安心して勉学に打ち込める社会をつくる』ことを目的に設けられた公立高校無償化・高等学校等就学支援金制度(以下『高校無償化』制度)が始まって間もなく一年を迎えようとしていますが、いまだ朝鮮学校の生徒には就学支援金が支給されていません。大学はいま入試シーズン真っ只中ですが、公私立の高等学校、高等専修学校、朝鮮学校以外の外国人学校の生徒らは同制度の恩恵を受ける一方で、朝鮮学校の生徒のみ『安心して勉学に打ち込め』ない状態で受験せざるを得ないという露骨な格差が生じています。わたしたちはこの異常な事態を決して容認することができません。/政府は、『高校無償化』制度の朝鮮学校への適用については、『教育上の観点から客観的に判断するものであって、外交上の判断などにより判断すべきものではない』と国会の場などで明言してきました。ところが、幾度も適用の判断を先送りにしたあげく、昨年一一月二三日の延坪島砲撃を受けて、『北東アジア地域全体の平和と安全』なる観点から手続きを『停止』しました。これは誰が見ても矛盾であり、外交問題を朝鮮学校への就学支援金支給に転嫁する措置に他なりません。そうした揺れ動く政府の対応の影響をも受けながら、大阪府や東京都をはじめとする複数の都道府県では、長年にわたって朝鮮学校に支給してきた教育助成の『中断』『留保』などの措置をとるにいたっています。さらに、今年から特定扶養控除の減額がはじまり、高校生相当の年齢の子どもをもつ保護者は増税となります。つまり、朝鮮学校に子どもを通わせる保護者には、幾重もの不利益が課せられることになります。/二〇世紀の日本は朝鮮の民族教育を弾圧してきました。植民地支配下での民族教育の監視と弾圧、日本の敗戦後に広まった朝鮮人学校の強制閉鎖措置、その後自主的に再建された朝鮮学校にも様々な排除の政策がとられてきました。昨年来の政府・地方自治体の一連の措置は、まさにその歴史に連なるものであるといわざるを得ません。/わたしたちは、四月に遡って朝鮮学校に就学支援金制度を即時適用することを、強く要求します」。