Monday, July 06, 2015

ヘイト・スピーチ研究文献(25)カウンター運動における右傾化

『人権と生活』第40号(2015年6月、在日本朝鮮人人権協会)
「特集・現代日本の排外主義にどう立ち向かうか――ヘイト・スピーチ、歴史修正主義、民族教育を考える」
2015年2月28日に開催されたシンポジウムの記録。コーディネータは李春熙 (弁護士)、パネラーは金尚均、板垣竜太、鄭栄桓。「ヘイト・スピーチだから表現の自由だ」という言葉尻にとらわれた皮相な議論を的確に批判している。


論考、朴利明「ヘイトスピーチをめぐる運動における右傾化に ついて」は、「歴史修正主義の立場をとりながらもヘイトスピーチには反対するということがまかりとおっている」とし、民族差別に鈍感な 「反レイシズム運動」や、カウンター行動にまぎれこんだ「ナショナリズム」を検証する。

Sunday, July 05, 2015

ヘイト・クライム禁止法(94)ホンデュラス

二〇〇二年に条約に加入したホンデュラス政府が人種差別撤廃委員会に提出した初めての報告書(CERD/C/HND/1-5. 13 May 2013)によると、憲法第六〇条は、平等の権利と差別からの保護を定め、「性別、人種、階級その他の人間の尊厳を損なう理由によるすべての形態の差別は処罰される」となっている。二〇一〇年八月一七日、最高裁判所憲法部は平等原則について、すべての者が法の下に平等の取り扱いを受けること、特別の事情の下で異なる取り扱いがなされることを妨げないことを確認した。憲法第六一条は、いかなる差別もなしに、安全、自由、平等、所有権を保障されるとしている。
刑法第三二一条は差別犯罪を次のように定める。「性別、人種、年齢、階級、宗教、政党、政治的姿勢、障害、その他の人間の尊厳を損なう理由に基づいて他人を差別した者は、三年以上五年以下の刑事施設収容および三万以上五万レンピラ以下の罰金に処す。実行者が外国人の場合、判決執行後に国外追放することができる」。
この定義は条約第一条の人種差別の定義に合致していない。条約の定義に合致させるために、刑法第三二一条の改正案が国会に提出されている。「性別、ジェンダー、年齢、性的志向、ジェンダー・アイデンティティ、政治的意見、市民的地位、先住民やアフリカ系ホンデュラス人の一員であること、言語、国籍、宗教、家族的背景、財産状態、社会状態、異なった能力や障害、健康状態、身体的外見、その他の人間の尊厳を損なう理由に基づいて、個人又は集団の権利の行使を、恣意的又は違法に、妨げ、制限し、減少させ、妨害し、または無効にした者は、三年以上五年以下の刑事施設収容および三万以上五万レンピラ以下の罰金に処す」。「実行行為に暴力が伴った場合、刑罰は三分の一加重される。公務員や公的従業員が職務中に行った場合、累犯の場合、当該公務員や公的従業員の刑事施設収容期間を二倍とする。実行者が外国人の場合、判決執行後に国外追放することができる」。
刑法第三一九条はジェノサイドの罪を定める。ジェノサイドの煽動及び共謀も処罰される。ジェノサイドの直接煽動は八年以上一二年以下の刑事施設収容、間接煽動は五年以上八年以下の刑事施設収容である。
司法人権省は、刑法第一一七条の殺人罪について、憎悪動機があった場合は刑罰加重事由とするという改正案を国家に提出している。

労働法、子ども青年法、民事訴訟法、公選法、基礎教育法、文化遺産保護法などにも差別禁止規定がある。

Saturday, July 04, 2015

日韓関係を見直すための実践的研究

吉澤文寿『日韓会談1965――戦後日韓関係の原点を検証する』(高文研)
http://www.koubunken.co.jp/0575/0570.html
この10年ほどの間に、日韓両国で公文書が10万枚公開された。日本政府に公開を求める市民団体の共同代表として公開請求と裁判を続けてきた歴史家である著者は、日韓両政府の公開文書を読み解いて、1965年の日韓条約に至る過程をていねいに明らかにする。基本的な問題意識は次のようにまとめられる。
「日韓基本条約が締結され、国交が「正常化」して50年が経った今、なぜ、日本と韓国は歴史認識や領土問題で対立を繰り返すのか?」
日本軍性奴隷制(「慰安婦」)問題や、竹島問題をはじめとする両国の間の矛盾と軋みの出発点こそ日韓条約であった。10数年にわたる日韓会談の結論としての日韓条約は、問題解決のための条約ではなく、問題隠蔽のための条約になってしまった。植民地支配責任を明らかにすることなく、中途半端な認識のまま、双方が都合の良い解釈の余地を残して妥協した結末であった。
このことを著者は、条約締結過程、韓国併合条約の「無効」論、「在日韓国人・法的地位」、文化財問題、竹島/独島領有権問題に即して、検証する。専門研究だが、一般読者にも読みやすく理解しやすい。
著者は次のように述べる。
「歴史対話を欠いたまま、「未来志向」を目指す手法は限界に来ている。」

現在でも、「慰安婦」問題や竹島問題を棚上げにして、日韓が「未来志向」でやっていくべきだという主張がよく登場する。しかし、「未来志向」論は少しも新しくない。それどころか50年以上に及ぶ失敗の歴史、破綻の歴史を持つ、手あかのついた主張に過ぎない。「何が未解決なのか」。植民地主義を克服するために、「原点」に返る必要がある。

Tuesday, June 30, 2015

「軍隊を持っていない国はたった26カ国」百田発言余話

6月27日に開催された自民党の「文化芸術懇話会」という非文化的会合で、露骨な沖縄差別とメディア弾圧を呼びかけて問題となった百田尚樹は、その後も知性崩壊を実証する暴言を続けているが、報道によると、27日の会合で他にも多くの問題発言を繰り返していたという。反知性主義者たちの集まりに百田のようなデマ垂れ流し屋が呼ばれて無責任発言をしているのは驚くほどのことではない。
『朝日新聞』7月1日朝刊の「ナウルなどを『くそ貧乏長屋』」という記事によると、百田は、軍隊を持たないナウル、バヌアツ、ツバルなどを「くそ貧乏長屋、とるものも何もない」などと述べていたと言う。「軍隊は防犯用の鍵だ。軍隊を持っていない国はたった26カ国」「南太平洋の小さな島。ナウルとかバヌアツ、ツバルなんか、もう沈みそう。家で例えればくそ貧乏長屋。とるものも何もない」と。
コメント第1。小国とはいえ主権国家に対する差別的発言をして、何が楽しいのかよくわからない。下品な百田の愚劣さが明瞭になっただけだが、自民党議員たちは「ためになる話だ」と感激していたらしい。
コメント第2。「軍隊を持っていない国はたった26カ国」の「たった」とはどういう意味だろうか。以前、日本の憲法学者や平和運動家たちは「世界で唯一の非武装国・日本」と嘘を並べていた。その後、コスタリカについての知識が普及して、「コスタリカと日本」と言うようになった。ところが、百田が言う通り26カ国もあるのなら、一気に26倍(又は13倍)に増えたことになる。国連加盟国193カ国を基に計算しても14%もの国に軍隊がないことになる。「26カ国もの国に軍隊がない」のだ。
コメント第3。百田はどこから26カ国という数字を出したのだろうか。私は2005年から2008年にかけて、スイスの平和運動家クリストフ・バルビーの教示に従って、軍隊のない国家27カ国を訪問し、その記録を出版した。とても素敵な旅だった。
前田朗『軍隊のない国家――27の国々と人びと』(日本評論社、2008年)。
それ以前、日本ではこうした情報は知られていなかったし、その後、この件での調査や研究論文は出ていないと思うので、たぶん、私が紹介した情報がどこかを流れて百田の貧弱きわまりない脳細胞の片隅に漂着したのだろう。


Saturday, June 27, 2015

植民地主義からの解放のために

高橋哲哉『沖縄の米軍基地――「県外移設」を考える』(集英社新書)

野村浩也の『無意識の植民地主義』(御茶ノ水書房)論に触発されて、沖縄の若手研究者・言論人たちが沖縄の基地問題に新しい展開をもたらしてきた。「日本人よ、沖縄の米軍基地を持って帰れ」「本土に基地を引き取れ」という厳しい問いかけは、徐々に共感の輪を広げてきた。私自身、最初に野村の著書に接した際に、半分説得されながら、半分、内心で懸命に「反論」を試みていたことを思い出す。

知念ウシの『ウシがゆく 植民地主義を探検し、私を探す旅』(沖縄タイムス社)に接した時も、同じように賛否半ばの思いを抱えていたように思う。日本人としてのポジショナリティを十分理解しながら、「基地はいらない、どこにも」という反戦平和主義の「甘え」から脱していなかったが、同書は本土(ヤマト)の側こそ読むべきだと思い、100冊ほど普及した。

この間、アイヌ民族の先住民族としての権利を考え、朝鮮植民地支配における「植民地犯罪」と 人道に対する罪について検討し、植民地犯罪の現代的形態の一つであるヘイト・クライム/ヘイト・スピーチに向き合い続けることによって、ようやく野村や知念の問いかけから逃げない地点にたどり着いた。使い古された表現を用いれば「内なる植民地主義の在り処」にようやく理論的にも実践的にも向き合えるようになった。それでも、知念ウシの『シナンフーナーの暴力』(未來社)に説き伏せられながら、なお、たじろぐ自分がいた。

沖縄に対する植民地主義を脱するために、構造的沖縄差別をまず除かなくてはならない。そのためには沖縄に押し付けられた米軍基地を本土に引き取る必要がある。つまり、県外移設である。平和運動に取り組む平和主義者、非武装平和主義者としては、 沖縄であれ本土であれ、基地はいらない。だから、まず沖縄の基地をなくし、本土に移転してきた基地との闘いに取り組まなくてはならない。そうしないと、本土の平和運動は本気で米軍基地と闘うことをしないのだから。――この結論は気が重く、率先して口にする気になれない結論であるが、沖縄差別を解消するためには必要な結論だろう。その結論を明快に説いたのが高橋哲哉である。

第一章     在沖米軍基地の「県外移設」とは何か
第二章     米軍基地沖縄集中の歴史と構造
第三章     県外移設を拒む反戦平和運動
第四章     「県外移設」批判論への応答
終章  差別的政策を終わらせるために

憲法9条擁護と言いながら、実は本土(ヤマト)の国民の圧倒的多数が日米安保条約を是認し、米軍基地を容認している。日本防衛のために米軍基地が必要だと言う。しかし、「自分の所には持ってくるな」。つまり、米軍基地は沖縄に置くべきだと考えてきた。基地押しつけは日本政府やアメリカ政府だけではなく、日本国民の選択でもあった。

構造的差別を終わらせるために何をすべきなのか。「沖縄の基地を本土に移転せよ」と言う主張に対して、本土の反戦平和運動は「基地はどこにもいらない。県外移設ではなく、国外移設を」と唱える。だが、それは真剣な議論ではなく、沖縄の基地を維持する意見でしかない。

高橋は、知念ウシほか『沖縄、脱植民地への胎動』(未來社)における、知念ウシと石田雄の往復書簡をもとに、沖縄に基地を押し付けながら、本土に基地を引き取ることを拒否する日本人の感情と論理を明るみに出す。次に高橋は、沖縄で県外移設論への批判を展開している新城郁夫の議論を批判的に検討して、県外移設論の正当性を再確認する。石田雄や新城郁夫といった敬愛すべき論客との応接により、高橋の主張が鮮明になる。

高橋の結論は次のようなものとなる。

「県外移設要求は正当であり、それに応えるのは『本土』の責任である。なぜなら、在日米軍基地を必要としているのは日本政府だけでなく、約八割という圧倒的多数で日米安保条約を支持し、今後も維持しようと望んでいる『本土』の主権者国民であり、県外移設とは、基地を日米安保体制下で本来あるべき場所に引き取ることによって、沖縄差別の政策に終止符を打つ行為だからである。/県外移設は、平和を求める行為と矛盾しないのはもとより、『安保廃棄』の主張とも矛盾するものではない。『本土』の人間が安全保障を求めるなら、また平和や『安保廃棄』を求めるなら、基地を引き取りつつ自分たちの責任でそれを求めるべきであり、いつまでも沖縄を犠牲にしたままでいることは許されない。県外移設が『本土』と沖縄、『日本人』と『沖縄人』の対立を煽るとか、『連帯』を不可能にするなどという批判は当たらない。県外移設で差別的政策を終わらせてこそ、『日本人』と『沖縄人』が平等な存在としてともに生きる地平が拓けるのである。」

知らず識らずのうちに植民地主義に貫かれている日本の反戦平和主義を、いかに反植民地主義的反戦平和運動に作りかえていくのか。近代150年の日本を総括する思想的課題である。日本人自身が植民地主義から解放され、沖縄が植民地主義から解放されるために。

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植民者の手を引っ込めるために
日本の沖縄植民地支配を問い続ける
先住民族の権利から見た尖閣諸島
琉球救国運動--必然としての「抗日」
やまとんちゅ必読! 新しい琉球独立宣言
精神の植民地主義を克服するために
沖縄の自立と平和とは何か


Tuesday, June 23, 2015

ヘイト・スピーチ研究文献(24)部落解放同盟「糾弾」史に学ぶ

小林健治『部落解放同盟「糾弾」史』(ちくま新書、2015年)
部落解放同盟中央本部マスコミ・文化対策部、糾弾闘争本部、解放出版社事務局長を経て、現在にんげん出版代表の著者は、1922年の全国水平社創立大会から今日に至る差別と、差別に対する抗議・糾弾の歴史、反差別闘争史をコンパクトにまとめる。80年代前半の差別事件を「無知によって再生産される差別」、80年代後半の差別事件を「つい、うっかり」にひそむ差別、90年代の差別事件を「想像力の貧困」と特徴づけたうえで、現在の「新時代の差別事件」、ヘイト・スピーチについて「むき出しの悪意にどう立ち向かうか」と課題を提示する。
「差別は犯罪である。ヘイトスピーチは社会的犯罪なのであり、それを規制し、処罰することを目的とした差別禁止法が、もとめられているのである。」
それゆえ、著者はヘイト・スピーチを表現の自由だなどと言うメディアや憲法学者を厳しく批判する。例えば、駒村圭吾(慶応大学教授)は、国際人権法学会のシンポジウムにおいて、「差別表現は話者の品格の問題である」「論議するなら思想の自由市場で行えばよい」などと述べたと言う。これに対して著者は次のように批判する。
「差別の現実をまったく無視する発言であった。ヘイトスピーチが学問の対象ではないのだから、その禁止法を諸外国のように立法化する必要性など、日本の憲法学者が微塵も考えていないことがあきらかになった。『表現の自由』を絶対視し、思考停止する憲法学者の発言に、驚きを通り越して、正直呆れてしまった。」
その通りである。憲法学者の多くは、差別の現実を無視し、ヘイト・スピーチの被害を無視する。それだけではない。憲法学者の多くは、実は「表現の自由」の意味すら理解していない。表現の自由が重要なのは人格権と民主主義に由来するからであり、少数意見を大切にするのが表現の自由の本義である。にもかかわらず、憲法学者の多くは「マイノリティを差別するマジョリティの表現の自由」だけを主張する。目茶苦茶である。日本国憲法21条の表現の自由を正しく解釈するならば「マイノリティの表現の自由の優越的地位」を唱えるべきである。
著者は、ヘイト・スピーチを犯罪とし「言論による暴力」と見る。
「それは『話者の品格』の問題でもなく、『対抗言論』で対処できる性質の暴言ではない。言論の暴走を放置すれば必ず肉体の抹殺(ジェノサイド)に至ることは、内外の歴史が証明しているところだ。」
これも的確な理解である。ヘイト・クライム、ヘイト・スピーチをジェノサイドと結び付けて理解するのは国際的には当たり前のことであるし、師岡康子の岩波新書もそう述べている。しかし、憲法学者はこれも無視する。

人間の尊厳をかけて、差別と闘い、ヘイト・スピーチと闘うことが求められている。本書はこの課題を分かりやすく、コンパクトに打ち出す。重要な1冊だ。

Sunday, June 21, 2015

ヘイト・クライム禁止法(93)ベルギー

ベルギー政府が人種差別撤廃員会第八四会期に提出した報告書(CERD/C/BEL/16-19. 27 May 2013)によると、差別を煽動する団体と闘うことはベルギーにとって優先事項である。
二〇一一年三月九日、ネオナチ組織として知られる「血と名誉のフランドル」の三人のメンバーがヴュルネ刑事裁判所で、三月の刑事施設収容(うち二人については執行猶予付)を言い渡された。
二〇一二年二月一〇日、急進的イスラム運動の「シャリア4ベルギー」のスポークスマンは、非ムスリムに対する憎悪と暴力の煽動で訴追されていたが、アントワープ刑事裁判所で、二年以下の刑事施設収容及び五五〇ユーロの罰金を言い渡された。同年三月三〇日、量刑がやや軽くなったが、有罪が確定した。この団体は欧州にシャリア法を確立しようとし。これまでも同様の活動をして訴追されてきた。非民主的団体の禁止に関する法律案が議会で審議中である。
自由を脅かす政党として懸案事項となってきた「フラームス・ベラング」に関して、国家がフラームス・ベラングに政党助成しないという提案が二〇〇六年五月一七日に議会に提出された。フラームス・ベラングは基本権に対する敵意を表明してきたことで批判されてきた。
フラームス・ベラングの提訴により、憲法裁判所は、助成金否定根拠条項と表現の自由や結社の自由との両立性について予備審査を行った。憲法裁判所は、助成金否定根拠条項は、そこで用いられている「敵意」概念を明らかにして、現行法に違反する煽動を意味するものとだけ理解されるならば、表現の自由や結社の自由に反すると判断されることはないとした。ある意見がまぎれもなく民主主義の主要原則の一つを侵害することを人に煽動するものであるか否かの問題は、その内容と文脈に従って判断される。

議会は、表明された思想が過激で物議を醸すもの、社会の一部の間に敵意をかきたて、不寛容の風潮を促進するものと定義した。その思想が不安を呼び起こすとか、攻撃的であるだけでは、現行法を侵害することを煽動したと判断されない。それゆえフラームス・ベラングは政党助成を受け続けている。(本件については、エリック・ブライシュ『ヘイト・スピーチ』に詳しく紹介されている。)