Wednesday, June 15, 2022

主なヘイト・クライム/スピーチ事件裁判

主なヘイト・クライム/スピーチ事件裁判

 

63日に開催した「のりこえねっと」総会におけるシンポジウム「ヘイト裁判と日本社会」のために簡単な年表を作成した。不十分ながらも最近の動向が良くわかる。今後、さらに補充していくが、せっかく作成したので公開することにした。

若干補足。

1に、時期は201022年を扱っている。ヘイト事件やヘイト裁判が2010年以後に始まったというわけではない(この点については追って別の資料を公開する)。ヘイト事件は近現代日本でずっと続いてきた。この年表はそこまでを射程に入れていない。

2に、ヘイト裁判も多様である。個人に対する名誉毀損や侮辱の事案もあれば、不特定の者に対するヘイト、集団に対するヘイトもある。刑事裁判もあれば民事裁判もあれば仮処分もある。ヘイト加害者側が起こした裁判もある。

3に、標的とされる属性は在日朝鮮人、障害者、被差別部落など多様であるが、この年表では在日朝鮮人関連情報が多い。実際に在日朝鮮人が主要な標的とされてきたことと、私自身の関心が在日朝鮮人の人権であることによる。

4に、近年、名誉毀損裁判を提訴し、闘ってきたのは女性が目立つ。民族差別と女性差別の「複合差別」を問う裁判も続いている。男性がヘイト被害を受けていないとか、男性が闘っていないという意味ではないが、女性に対する攻撃が増えていると言える。

5に、裁判の背後には、裁判になっていない無数のヘイト被害がある。立ち上がって闘える被害者は決して多くない。裁判自体が大変な負担を伴うからだ。この年表で取り上げたのは、文字通り、被害の氷山の一角にすぎない。

 

*********************************

2010

徳島県教組襲撃事件(在特会)・刑事一審・徳島地裁判決

 

2011

京都朝鮮学校襲撃事件(在特会)・刑事一審・京都地裁判決

徳島県教組襲撃事件(在特会)・刑事一審・京都地裁判決

京都朝鮮学校襲撃事件(在特会)・刑事二審・大阪高裁判決

 

2012

京都朝鮮学校襲撃事件(在特会)・刑事上告審・最高裁決定

水平社差別街宣事件(在特会)・民事一審・奈良地裁判決

ロート製薬事件(在特会)・刑事一審・大阪地裁判決

 

2013

京都朝鮮学校襲撃事件(在特会)・民事一審・京都地裁判決

 

2014

京都朝鮮学校襲撃事件(在特会)・民事二審・大阪高裁判決

京都朝鮮学校襲撃事件(在特会)・民事上告審・最高裁決定

 

2015

徳島県教組襲撃事件(在特会)・民事一審・徳島地裁判決

 

2016

川崎市ヘイトデモ・仮処分・横浜地裁川崎支部決定

徳島県教組襲撃事件(在特会)・民事二審・高松高裁判決

李信恵・反ヘイト裁判(在特会)・民事一審・大阪地裁判決

徳島県教組襲撃事件(在特会)・民事上告審・最高裁決定

 

2017

李信恵・反ヘイト裁判(在特会)・民事二審・大阪高裁判決

李信恵・反ヘイト裁判(在特会)・民事上告審・最高裁決定

李信恵・反ヘイト裁判(保守速報)・民事一審・大阪地裁判決

 

2018

朝鮮総連本部銃撃事件・刑事一審・東京地裁判決

李信恵・反ヘイト裁判(保守速報)・民事二審・大阪高裁判決

写楽ブログ名誉毀損訴訟・刑事一審・川崎簡裁略式命令

 

2019

伊藤詩織名誉毀損訴訟(山口敬之)・民事一審・東京地裁判決

「こだま」ネットヘイト神奈川県迷惑行為防止条例違反(つきまとい)・刑事一審・川崎簡裁略式命令

 

2020

相模原市津久井やまゆり園事件・刑事一審・横浜地裁判決

京都朝鮮学校名誉毀損事件(在特会)・民事一審・京都地裁判決

京都朝鮮学校名誉毀損事件(在特会)・民事二審・大阪高裁判決

写楽ブログ侮辱訴訟・民事一審・横浜地裁川崎支部判決

大阪市条例氏名公表違憲訴訟・民事一審・大阪地裁判決

フジ住宅ヘイトハラスメント裁判・民事一審・大阪地裁判決

在日コリアン虐殺宣言葉書等威力業務妨害事件・刑事一審・川崎地裁

 

2021

川崎市ふれあい館脅迫手紙郵送事件・刑事告訴

写楽ブログ侮辱訴訟・民事二審・東京高裁判決

辛淑玉・DHC「ニュース女子」裁判・民事一審・東京地裁判決

部落地名総鑑出版事件・民事一審・東京地裁判決

フジ住宅ヘイトハラスメント裁判・民事二審・大阪高裁判決

伊藤詩織名誉毀損訴訟(はすみとしこ)・民事一審・東京地裁判決

伊藤詩織名誉毀損訴訟(大澤昇平)・民事一審・東京地裁提訴

安田菜津紀名誉毀損訴訟・民事一審・東京地裁提訴

崔江以子「ハゲタカ」ネットヘイト・民事訴訟提起・横浜地裁川崎支部

 

2022

伊藤詩織名誉毀損訴訟(山口敬之)・民事二審・東京高裁判決

伊藤詩織名誉毀損訴訟(杉田水脈)・民事一審・東京地裁判決

大阪市条例氏名公表違憲訴訟・民事上告審・最高裁判決

行橋市議ヘイト・スピーチ事件・民事一審・福岡地裁小倉支部判決

京都ウトロ等連続放火事件・刑事一審・京都地裁公判開始

辛淑玉・DHC「ニュース女子」裁判・民事二審・東京高裁判決

 

 

Tuesday, June 14, 2022

ヘイトスピーチ研究文献(198)憲法問題のソリューションd

市川正人「1 表現の自由――ヘイトスピーチの規制」市川正人・倉田玲・小松浩編『憲法問題のソリューション』(日本評論社、2021年)

 第7に、思想の自由市場論そのものへの疑問である。

『ヘイト・スピーチ法研究原論』240頁で、市川への応答として、私は次のように書いた。

「第五に「思想の自由市場」論は検証されたことのない仮説に過ぎず、社会科学的根拠がない。そもそも検証可能性がない。日本国憲法が「思想の自由市場」論を採用しているという論証もなされていない(本節第二項参照)。」

 既に述べたように、私は「憲法第21条と第12条と第13条」を根拠に議論している。

 これに対して、市川は「憲法21条と思想の自由市場論」を根拠に議論する。市川は憲法第12条と第13条に依拠しない理由を示すことなく、思想の自由市場論という日本国憲法に書かれていない独自の見解を根拠に据える。これは憲法解釈ではなく、改憲論ではないだろうか。

思想の自由市場論への疑問を、私は『ヘイト・スピーチ法研究原論』232235頁、及び『ヘイト・スピーチ法研究要綱』7274頁に詳しく書いた。その要点を再確認しよう。

思想の自由市場論は憲法原理でもなければ社会科学理論でもない。一度も検証されたことのない仮説であり、単なる比喩的表現に過ぎない。

①思想の自由市場を経済市場と類比する根拠や具体的内容が明らかでない。思想の自由市場論の比喩の正当性自体疑わしい。ウォルドロンは「彼らはロースクールの学生に、『思想の市場』という呪文をまくしたてることを教えるだけである。経済市場においては政府による一定の規制が重要だと一般的に思われている。にもかかわらず、私たちは、『思想の市場』に関しては、そうした規制に類比されるものを何も生み出してこなかった」と言う(ウォルドロン『ヘイト・スピーチという危害』186頁)。経済市場には貨幣という「共通言語」があるが、思想の自由市場には「共通言語」が存在しない。

②自由市場論の成立には市場参入者の同質性と平等性が保障されなければならない。この前提を掘り崩すヘイト・スピーチに思想の自由市場論を適用することはできない。同質的で平等な市民同士の意見交換ならば少数意見が多数意見に変わることがありうる。異なる人種・民族等に属し、構造的差別の下に置かれている場合、マイノリティがマジョリティに変わる可能性があるとなぜ言えるのか。

③タイムスパンが明示されない。万が一仮に長期的には思想の自由市場論が当てはまる場合があるとしても一般的に適用できるとは限らない。大衆がナチスを支持し、マッカーシズムがアメリカを席巻するのが現実である。

④「悪貨は良貨を駆逐する」という常識を考慮する必要がある。思想の市場において悪貨が良貨を駆逐してきたことは改めて証明する必要がない。思想の自由市場論は質の悪い喩え話にすぎない。あるいは思想の自由市場論という悪貨が良貨を駆逐してきた。

⑤市場に参入するつもりがない被害者をなぜ無理やり引きずり出して、参入を強制しなければならないのか。加害者が一方的に押し掛けて罵声を浴びせる事例で、被害者に対抗言論を強制する論者はヘイト・スピーチの「共犯」ではないだろうか。

結論として、①思想の自由市場論は検証されたことのない仮説であり、あいまいな比喩的表現を超えるものではない。②思想の自由市場論が仮に検証されてもヘイト・スピーチに適用する妥当性が明らかにされていない。③思想の自由市場論がアメリカにおいて採用されているとしても、日本国憲法が採用しているという論証がなされたことはない。④思想の自由市場論をヘイト・スピーチ論に持ち出すことは、被害者を無理やり引きずり出すことであり、他者の主体性を無視する暴力である。以上が私の考えである。

市川は次のように主張する。

「しかし、そもそも『思想の自由市場』論においては、本来、だれでもが思想の自由市場に登場することを禁止されていなければよいのであって、表現行為のしやすさや思想内容の受け入れられやすさは問題とならない。それゆえ、実際に反論することが困難であるとか、反論が有効性をもたないがゆえに『思想の自由市場』論は十分には機能しないので、当該表現を禁止すべきだという主張は、国家の規制によって健全な思想の自由市場を確保しようとするものであって、『思想の自由市場論』に立つ表現の自由論に大きな修正を加えようとするものである。しかし、こうした立論を安易に認めれば、「『思想の自由市場』の実質的な保障」、「表現の自由を守るため」といった名目で、国家による広い範囲の表現行為の禁止が認められることになり、表現の自由の保障は大きく損なわれることになるであろう。」(10頁)

市川は思想の自由市場論を前提とした修正論に反論している。私は思想の自由市場論そのものを否定しているので、ここでは議論がすれ違っている面があるが、まず、市川の主張に即して私の見解を対置してみよう。

 ①市川は「そもそも『思想の自由市場』論においては、本来、だれでもが思想の自由市場に登場することを禁止されていなければよいのであって、表現行為のしやすさや思想内容の受け入れられやすさは問題とならない」と言う。「市場に登場することを禁止されていなければよい」から、「市場参入者の同質性と平等性」を保障する必要はないということだろうか。市場でだれがどのようにふるまうかはどうでもよく、とにかく市場への登場を阻止されていなければよいという趣旨だろうか。そうであれば、「思想の自由市場ではより良い思想が生き残る」というテーゼは何処へ行ったのだろうか。「少数意見が多数意見に変わる」というテーゼは何処へ行ったのだろうか。不思議である。

②仮に「表現行為のしやすさや思想内容の受け入れられやすさは問題とならない」というのも、「思想の自由市場ではより良い思想が生き残る」というテーゼや、「少数意見が多数意見に変わる」というテーゼを実質的に修正しているのではないだろうか。

 ③「市場に参入するつもりがない被害者をなぜ無理やり引きずり出して、参入を強制しなければならないのか」という私の見解との関係では、市川は「市場に参入するつもりのない被害者は市場の外で黙って被害を受け続ければよい」と言うのだろうか。

 以上の3つは、市川の主張への疑問であるが、次に市川が言及していないことを確認しておこう。

 ①市川は「思想の自由市場を経済市場と類比する根拠や具体的内容が明らかでない。思想の自由市場論の比喩の正当性自体疑わしい。」という私の指摘には応答しない。

 ②「タイムスパンが明示されない」点にも応答しない。

③「悪貨は良貨を駆逐する」点にも応答しない。

④思想の自由市場論を、日本国憲法が採用しているという論証がなされたことはない点について応答しない。

市川は「当該表現を禁止すべきだという主張は、国家の規制によって健全な思想の自由市場を確保しようとするものであって、『思想の自由市場論』に立つ表現の自由論に大きな修正を加えようとするものである」と言う。

私は「日本国憲法の表現の自由」を論じているが、市川は<「思想の自由市場論」に立つ表現の自由>を論じている。「『思想の市場』という呪文をまくしたてる」(ウォルドロン)だけである。

 思想の自由市場論は、中学や高校の教室で子どもが頭の体操をするのには便利かもしれないが、建付けが粗野であり、憲法学が論拠としうる議論ではないだろう。思想の自由市場論という比喩表現を根拠に差別を容認することは、憲法の人権原則を解体する危険性が高い。

Monday, June 13, 2022

ヘイトスピーチ研究文献(198)憲法問題のソリューションc

市川正人「1 表現の自由――ヘイトスピーチの規制」市川正人・倉田玲・小松浩編『憲法問題のソリューション』(日本評論社、2021年)

第4に思想の自由市場論である。すでに引用した通り、市川は思想の自由市場への批判に応答して、次のように述べる。

「しかし、こうした立論を安易に認めれば、「『思想の自由市場』の実質的な保障」、「表現の自由を守るため」といった名目で、国家による広い範囲の表現行為の禁止が認められることになり、表現の自由の保障は大きく損なわれることになるであろう。」(10頁)

 市川は批判対象を明示していないため、誰を批判しているのか不明である。しかし、「表現の自由を守るためにヘイト・スピーチを刑事規制する」というのは、私の主張の中核部分であり、『ヘイト・スピーチ法研究序説』『ヘイト・スピーチ法研究原論』『ヘイト・スピーチ法研究要綱』の3冊の著書の「はしがき」冒頭に掲げた一文である。他に同様の主張をしている研究者がいるかもしれないが、私は見たことがない。ヘイト・スピーチと銘打った法律書でこのように主張してきたのは私だけだろう。なお、私は「ヘイト・スピーチを規制しなければ表現の自由を守れない」という主張もしてきた。

 ただ、私が「表現の自由を守るためにヘイト・スピーチを刑事規制する」と主張してきたのは、思想の自由市場論への批判と言うよりも、表現の自由の民主主義的側面、及び「表現の自由と責任」という観点でのことだ。

 そこで、第5に民主主義である。

表現の自由は単に個人の人格的な側面にかかわるだけでなく、民主主義の実現にとって重要である。ヘイト・スピーチは社会構成員の排除と殺害を唱えるのであるから、民主主義を掘り崩す。民主主義とヘイト・スピーチは相容れない。このことを私は何度も指摘してきた。ただし、これは私のオリジナルではない。国連人権理事会では、「レイシズムと民主主義は両立しない」というのは常識の部類に属するので、私は常識を援用してきた。私は市川に対して、『ヘイト・スピーチ法研究原論』240頁で、次のように指摘した。

「第四に自己統治の価値とは民主主義の範疇に属する事柄である。民主主義とレイシズムは両立しないはずである(本章第1節参照)。にもかかわらず、民主主義的価値を根拠にヘイト・スピーチ処罰を否定的に解する離れ業である。民主主義観そのものが問われている。」

 しかし、市川はこれに応答しない。市川の目に留まらなかったのかもしれない。それとも、市川にとっては民主主義とヘイト・スピーチが両立するのだろうか。もしそうだとすると、レイシズムやヘイト・スピーチと両立する市川の民主主義とは何なのかが問題となる。

 第6に「表現の自由と責任」である。

憲法第12条は「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」と明示する。自由及び権利には責任が伴うという当然ことを憲法は明確に表現している。

憲法第13条は「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」と明示する。

自由と権利は「公共の福祉に反しない限り」保障される。それゆえ、日本国憲法は「表現の自由と責任」を調和の取れた解釈で実現することを求めている。憲法第21条の表現の自由は「表現の自由と責任」の観点で解釈されるべきである。市川は憲法第12条及び第13条をなぜ無視するのだろうか。

 私の『ヘイト・スピーチ法研究原論』240頁では、市川を名指しして次のように述べた。

「日本国憲法前文に掲げられた理念(民主主義、平和主義、平和的生存権)をもとに、憲法第一三条の個人の尊重、第一四条の法の下の平等と差別の禁止、第一二条の自由と権利に伴う責任規定を根拠に、ヘイト・スピーチの刑事規制は憲法の趣旨に合致すると考えるべきではないだろうか。憲法第二一条を持ち出して日本国憲法の基本原則を否定するのは本末転倒ではないだろうか。」

 しかし、市川は今回の論文でも憲法第12条や第13条を無視する。不思議だ。自由や権利の行使には責任が伴うことを市川は認めないのだろうか。日本国憲法が、自由の制約原理の一つとして責任を明示しているのに、これを否定するのだろうか。日本国憲法が明示する自由の制約原理は、公共の福祉と責任である。

 表現の自由をきちんと実現するためには、同時に表現の責任を明確にしておかなくてはならない。『序説』『原論』『要綱』、及び前田朗『メディアと市民――責任なき表現の自由が社会を破壊する』(彩流社)において、私は何度も「表現の自由と責任」と唱えてきた。表現の自由について1分でも考えればすぐにわかることであるし、日本国憲法がはっきりと明示している。


Friday, June 10, 2022

ヘイトスピーチ研究文献(198)憲法問題のソリューションb

市川正人「1 表現の自由――ヘイトスピーチの規制」市川正人・倉田玲・小松浩編『憲法問題のソリューション』(日本評論社、2021年)

  前回、市川論文の概要を紹介した。感想をいくつか並べておこう。

  第1に、ヘイト・スピーチ規制について、市川は消極説か中間説という点である。

  市川はヘイト・スピーチ刑事規制そのものが違憲となるとは決めつけていない。むしろ、十分な立法事実が論証されれば刑事規制が正当化されることはありうると見ている。現状では立法事実はないと見ているが、川崎市条例が刑事罰を導入したことについて、違憲か合憲かという論点を検討せずに、条例の限定解釈の必要性を論じている。つまり、川崎市条例の刑事罰方式が合憲であることはわざわざ検討するまでもなく認めているとも言える。その上で、限定解釈を施すと主張している。こう見ると、市川説を消極説と見るよりも、奈須祐治『ヘイト・スピーチ法の比較研究』のように、中間説と見る方が妥当なのかもしれない。ただ、立法事実に関する市川の議論の中身は不明である(この点は後述する)。

2に、市川の限定解釈論は明白かつ現在の危険の考え方を前提としている。

明白かつ現在の危険の考え方は、随分と前に提唱されたものである。伊藤正巳『言論・出版の自由 その制約と違憲審査の基準』(岩波書店)は名著とされていたので、1970年代半ば、私は学生時代に読んだ。本が出たのは1959年だ。しかし、長い間、最高裁判所によって受け入れられてこなかった。伊藤は最高裁判事になったが、最高裁は伊藤理論を明白には、あるいは実質的には受容しなかったといえよう。すでに、日本国憲法の解釈としては過去の遺物となった考え方と見たほうが良い。多くの憲法学者が揃いも揃って、半世紀以上の長期にわたって大声で主張してきたものの、実務には影響を与えることができなかった。それでも明白かつ現在の危険を唱えるのは、市川なりに筋を通すということだろう。憲法学者としてここは譲れないと表明しておくことには意味があるだろう。とはいえ、それでは憲法解釈にならない。学問的に怠惰であることの証拠と言われかねないだろう。しかも、明白かつ現在の危険論はもともと憲法に書かれていない独特の発想であるから、実質的に改憲論とならざるをえないだろう。

 第3に、とはいえ、具体的な結論を見ると、市川と私の間にさほどの大きな違いはないのかもしれないとも思う。

 市川は煽動タイプについて、「本邦外出身者をその居住する地域から退去させる行為――本邦外出身者の居住する地域に押しかけ無理やり退去させることのほか、居住する地域に押しかけ騒音を出し平穏な日常生活を損なうことなど――に出る明白かつ現在の危険があって初めて禁止された『本邦外出身者に対する不当な差別的言動』にあたる、と限定解釈が加えられるべきであろう」(13)という。

「居住する地域に押しかけ騒音を出し平穏な日常生活を損なうこと」を例示して、その明白かつ現在の危険があれば、条例の刑事罰適用を認める趣旨である。立法趣旨に適った結論に接近している。

 ただ、「居住する地域に押しかけ」の「地域」をどのように考えるかで結論が異なるかもしれない。川崎市を念頭に置くのか、それとも桜本を念頭に置くのかで異なる。現に最近のヘイトデモは桜本ではなく、川崎駅前で行われている。

 また、市川は「騒音を出し平穏な日常生活を損なうこと」と言う。差別そのものが「平穏な日常生活を損なう」のではなく、「騒音」が「平穏な日常生活を損なう」と考えるのかもしれず、そうであれば、私とは考え方が異なることになる。

 侮辱タイプについて、市川は「川崎市の本邦外出身者の集住地域でなされ、特定の人や団体に向けられているのと同視できるようなものを指す、と限定して解釈すべきであろう」と言う。

一定の限定の下で、侮辱タイプのヘイト・スピーチ規制を認める趣旨である。「特定の人や団体に向けられているのと同視できる」の解釈が問題となる。ただ、侮辱タイプで、なぜ「集住地域」が登場するのか、理解は難しい。刑法の侮辱罪と比較しても、地域の限定を付す理由はないのではないか。侮辱罪の保護法益をどう見るかに関わるが、社会的評価説であれ名誉感情説であれ、地域の限定を付すことを説明できないだろう。煽動タイプであれば、平穏生活侵害説による説明も可能だが、それでは煽動タイプと侮辱タイプを何のために分けたのだろうか。

(続く)

ヘイトスピーチ研究文献(198)憲法問題のソリューションa

市川正人「1 表現の自由――ヘイトスピーチの規制」市川正人・倉田玲・小松浩編『憲法問題のソリューション』(日本評論社、2021年)

https://www.nippyo.co.jp/shop/book/8499.html

立命館大学の市川正人の定年退職記念出版であり、執筆者14名の内10名が立命館大学の教員である。通常、還暦記念とか退職記念の出版は研究論文を集めるものだと思っていたが、本書は研究論文ではなく学生向けの演習テキストとしての解説文集である。180頁の本なのでざっと読むのにさして時間はかからない。「自由」「権利」「権力」「原理」の4部編成で、読者・学生に考えさせる論稿を収録している。

市川は憲法学者であり、表現の自由研究の大家として知られる。著書は『表現の自由の法理』(日本評論社、2003年)、『司法審査の理論と現実』(日本評論社、2020年)。その他共著がある。

市川『表現の自由の法理』については、私の『ヘイト・スピーチ法研究序説』753頁以下で言及した。

他方、市川正人「表現の自由とヘイトスピーチ」『立命館法学』360(2015)が公表された。この論文で市川は、私の見解を批判した。

そこで、私の『へイト・スピーチ法研究原論』237頁以下で応答した。

今回の市川論文には、私の名前は出てこないが、私のことを指しているのだろうと見られる箇所がある。ごく短い言及にすぎず、正面から私を批判したものではない。

なお、私は市川をヘイト・スピーチ処罰消極論者と見ていたが、奈須祐治『ヘイト・スピーチ法の比較研究』(信山社)463465頁は、市川説を消極説ではなく「代表的な中間説」に分類している。奈須は「市川は規制には非常に消極的であるが、立法事実によっては限定された規制の余地は認める」、「市川はヘイト・スピーチが過激化して以降も規制が必要なほど立法事実が変化したとは考えておらず、依然として規制に慎重な立場を表明している」という。市川は理論的には規制の可能性があることを否定しないが、実際には規制を否定する立場であろうか。

<市川論文の目次>

Ⅰ 報道によると

 1 「ヘイト 刑事罰条例成立 公の場で 海外出身者・子孫を理由に 川崎市 全国初

 2 「ヘイト根絶へ『全国に広がって』川崎市条例が全面施行」

Ⅱ 何が問題なのか

Ⅲ 考えてみるには

 1 表現の自由の意義と限界

(1)  表現の自由保障の意味

(2)  犯罪の煽動

(3)  名誉毀損

2 ヘイトスピーチの規制・処罰についての考え方

(1)  特定の個人・団体に向けられているヘイトスピーチ

(2)  差別・暴力煽動罪

(3)  民族侮辱罪

Ⅳ 「答え」を導き出そう

 1 条例が禁止する「不当な差別的言動」の類型

 2 煽動タイプ

 3 侮辱タイプ

市川は川崎市条例を素材に、ヘイト・スピーチの刑事規制の可否について検討する。表現の自由の意義を再確認し、犯罪の煽動や名誉毀損の中には規制できる場合があるとしつつも、「思想の自由市場論」を唱えるとともに、「明白かつ現在の危険」の法理を採用するべきだと主張する。煽動に関する最高裁判例は「明白かつ現在の危険」の法理を採用していない、この法理は長年にわたって採用されてこなかったので、日本国憲法の法理とは考えられていないが、市川はこれを採用すべきだと主張する。

「思想の自由市場論」に対しては、それはヘイト・スピーチには妥当しないとか、対抗言論は当事者間に立場の互換性が必要である等の多くの批判があるため、市川はこれらを検討して次のように述べる。

「しかし、そもそも『思想の自由市場』論においては、本来、だれでもが思想の自由市場に登場することを禁止されていなければよいのであって、表現行為のしやすさや思想内容の受け入れられやすさは問題とならない。それゆえ、実際に反論することが困難であるとか、反論が有効性をもたないがゆえに『思想の自由市場』論は十分に機能しないので、当該表現を禁止すべきだという主張は、国家の規制によって健全な思想の自由市場を確保しようとするものであって、『思想の自由市場』論に立つ表現の自由論に大きな修正を加えようとするものである。しかし、こうした立論を安易に認めれば、「『思想の自由市場』の実質的な保障」、「表現の自由を守るため」といった名目で、国家による広い範囲の表現行為の禁止が認められることになり、表現の自由の保障は大きく損なわれることになるであろう。」(10頁)

この考え方から、市川はヘイト・スピーチ刑事規制の根拠として十分な立法事実があればともかく、「しかし、今のところそうした論証が十分説得的になされているとは言い難い」(10頁)と結論付ける。

民族侮辱罪について、市川は、「裁判所という国家機関が、表現の自由の機能にとって役立つか否かで価値の高い表現と価値の低い表現とを分類することを認める立場には、疑問がある。それゆえ、差別的表現も他の表現と同様、例外的にどうしても必要な場合だけ必要なかぎりで制約されるという立場が適切であろう」(11)という。

そして市川は「特定の民族に対する特にひどい侮辱表現を当該民族に属する個人に直接向けられていない場合であっても処罰する法律・条例が許されるかどうかを判断するためには、日本における民族的マイノリティに対する差別の歴史と現状、当該民族を侮辱する表現がその集団に属する者に与える衝撃の程度、当該民族を侮辱する表現の頻度などを考慮する必要があろう」(11)という。

「Ⅳ 「答え」を導き出そう」の「2 煽動タイプ」で、市川は川崎市条例の具体的な解釈について、明白かつ現在の危険に基づいて限定解釈を施すよう主張する。

「本気で本邦外出身者をその居住する地域から退去させることをあおるものであり、実際に発言を聞いた者が本邦外出身者をその居住する地域から退去させる行為――本邦外出身者の居住する地域に押しかけ無理やり退去させることのほか、居住する地域に押しかけ騒音を出し平穏な日常生活を損なうことなど――に出る明白かつ現在の危険があって初めて禁止された『本邦外出身者に対する不当な差別的言動』にあたる、と限定解釈が加えられるべきであろう」(13)という。

「3 侮辱タイプ」についても、市川は「条例が禁止する『本邦外出身者を人以外のものにたとえるなど、著しく侮辱すること』は、川崎市の本邦外出身者の集住地域でなされ、特定の人や団体に向けられているのと同視できるようなものを指す、と限定して解釈すべきであろう」(14)という。

以上が市川論文のエッセンスである。

Wednesday, June 08, 2022

フェミサイド測定のための統計枠組み04

付録1 すでにICCSに含まれている変数に追加(又は修正)される、ジェンダー関連殺害を測定するための統計枠組みの要素

Ⅰ 女性と少女のジェンダー関連殺害(フェミサイド/フェミニシド)確定のための中核変数

付録には、いくつもの図表が掲載されている。一部を紹介する。

最初の図表は「故意の殺人の実行犯と被害者の関係」である。

1に、親密なパートナーと家族が分けられる。

親密なパートナーは、(1)現在の配偶者・パートナー、(2)元配偶者・パートナーに分かれ、それぞれに(a)同居、(b)非同居に分けられる。

家族は、(1)血縁関係、(2)その他の家族、婚姻、養子に分かれる。血縁関係は(a)両親、(b)子ども、(c)兄弟、(d)その他の血縁に分けられる。

2つ目の図表は基準・変数・カテゴリーに即した分類である。

(1)  基準は4つ掲げられる。

(a)殺人被害者の暴力/ハラスメント被害前歴

(b)実行犯が制限命令を受けていたかどうか

(c)被害者が性産業で働いていたか

(d)殺害前後に性暴力があったか

(2)  これに対応して変数が4つ示される。

(a)暴力の前歴

(b)実行犯への制限命令

(c)被害者の性産業への関与

(d)被害者の身体への性暴力

(3)さらに4つのカテゴリーが示される。

(a)被害者が司法当局に暴力被害を届け出た。その他の手段で実行犯ンお暴力前歴が確認された。実行犯の暴力前歴に関する情報がない。

(b)当局から実行犯に制限命令が出ていた。制限命令が出ていない。情報がない。

(c)性産業で働いていた。性産業で働いていない。情報がない。

(d)殺害前に性暴力があった。殺害時に性暴力があった。殺害後に性暴力があた。性暴力がなかった。情報がない。

情報収集のための変数として数多くの項目が列挙されている。

・奴隷制、・強制労働、・家事の強制労働、・産業の強制労働、・その他の強制労働、その他の奴隷制と搾取、・人身売買、・性搾取のための人身売買、・強制労働のための人身売買、・臓器摘出のための人身売買、・その他の目的の人身売買、・成人の性搾取、・子どもの性搾取、・子どもポルノ、・子ども買春、・その他の子どもの性搾取

また、刑法上の犯罪との関連も列挙される。

・自由に対する侵害行為、・誘拐、・両親の誘拐、・その他の家族の誘拐、・保護者の誘拐、・自由剥奪、・子どもの誘拐、違法な拘束、・ハイジャック、・その他の自由剥奪、・違法な養子縁組、・強制結婚、・その他の自由に対する侵害行為

また、実行犯と被害者の関係についての図表が示されている。

(1)  友人/知人

(2)  当局/保護関係

(3)  その他の実行犯で、被害者が知っている

(4)  被害者が知らない実行犯

それぞれの下位分類。

(1)  友人/知人

(a)友人/同僚/仲間

(b)知人

(2)   当局/ケア関係

(a)保険提供者――医師、精神科医、看護士、その他

(b)介護者――職業的介護者、ベビーシッター、その他

(c )教育者――教師、その他の教育関係者

(d)安全・保安要員――警察官、消防士、軍人、その他

(e)公務員

(f)雇用主

(g)その他のケア関係

(3)   その他の実行犯で、被害者が知っている

(4)   被害者が知らない実行犯

以上の他、年齢、性別、国籍・民族、雇用関係、アルコール・薬物など、武器使用の有無さまざまな観点で図表がつくられている。チェックリストになる。

Tuesday, June 07, 2022

改憲ありきの憲法審査会の運営に抗議する法律家団体の声明

改憲ありきの憲法審査会の運営に抗議する法律家団体の声明

 

2022年6月7日

改憲問題対策法律家6団体連絡会

社会文化法律センター 共同代表理事 海渡 雄一

自由法曹団 団長 吉田 健一

青年法律家協会弁護士学者合同部会 議長 上野 格

日本国際法律家協会 会長 大熊 政一

日本反核法律家協会 会長 大久保賢一

日本民主法律家協会 理事長 新倉 修

 

1 はじめに

我々改憲問題対策法律家 6 団体連絡会は、本年 2 24 日、2022 1 17 日に召集された第 208 回通常国会に際し、「自民党改憲案(4 項目改憲案)に反対し、改憲ありきの憲法審査会の始動には反対する法律家団体の声明」を発表し、いま政治が行うべきは未だに収束を見ない新型コロナウィルス対策など国民の生命と暮らしを守ることであり、世論は改憲を求めていないこと、そして憲法審査会の開催に固執する改憲派の狙いは 9 条改憲にあり、緊急事態条項その他の改憲項目についても改憲は必要性がないことを明らかにした。その上で、憲法審査会でまず行うべきは、2021 年に公選法並びの改正との理由だけで極めて不十分な内容のまま成立させられた「日本国憲法の改正手続に関する法律の一部を改正する法律」(以下「改憲手続法」)の本質的な欠陥を附則 4 条に基づき是正することや、憲法違反が横行する現政権の横暴を調査是正することであり、自民党 4 項目改憲ありきの改憲論議を進めることは許されないことを指摘した。

しかし、衆議院憲法審査会は、これまでの慣例を破り、予算審議期間中である同年 2 10 日を皮切りに、3 10 日と祝日の 5 5 日を除いて毎週開催されたうえ、改憲手続法の本質的な欠陥を是正するための議論を行うこともなく、緊急事態条項、安全保障(憲法 9条)、地方自治等、自由討議の名のもとに、自民党改憲 4 項目を中心とした改憲項目についての議論を行った。

私たち改憲問題対策法律家 6 団体連絡会は、かかる改憲ありきの憲法審査会の運営に強く抗議し、直ちにかかる運営を見直し、いま求められている命と暮らしを守る政策を優先して議論することを求める。

2 憲法審査会における審議状況

(1)憲法軽視の乱暴な改憲議論

 自民党は、2021 11 月、「衆参憲法審査会における議論の促進に努めるとともに、国民との対話集会や遊説などを活発化させ、憲法改正に向けた機運をこれまで以上に高めていく方針」を掲げ、憲法改正推進本部を憲法改正実現本部に改組し、岸田首相は第 207 回、第 208 回国会所信表明演説で憲法改正の議論を呼びかけるとともに予算審議期間中に憲法審査会が開催されたことを歓迎し、2022 5 3 日の憲法記念日には自民党改憲 4 項目の早期実現が求められる等と改憲に向けた発言を繰り返している。

 また、日本維新の会は、2022 7 月に予定される参議院議員選挙と同日での国民投票を呼びかけ、岸田首相に具体的な改憲日程を示すことを求め、2022 5 月には憲法29 条の改憲案を示すなど、拙速に改憲を進めようとしている。

これら 2 党に加え、国民民主党、公明党も加わり、国会でのオンライン審議を呼び水とし、強硬に憲法審査会の開催が要求された結果、国の方針を左右する重要な予算審議期間中にもかかわらず衆議院では毎週憲法審査会が開催された。また、高橋和之参考人、只野雅人参考人がいずれも反対、もしくは慎重審議の意見を述べたにもかかわらず、緊急事態が発生した場合等においてはオンライン出席を認める解釈が大勢であったとする取りまとめを多数決により拙速に行った。

とりまとめを多数決で行い、公選法並びの 3 項目の趣旨説明を強行するなど、与野党一致で運営を行うという慣例に反する運営が行われたことはきわめて問題である。

(2)コロナ禍やウクライナ侵攻に乗じた自民党 4 項目改憲ありきの議論

改憲派は、緊急事態条項創設や安全保障については、コロナ化やロシアによるウクライナ侵攻、日本を取り巻く安全保障環境の変化等を理由に掲げている。しかし、ロシアによる侵攻を受けたウクライナでさえ議会の機能は失われていないし、わが国においても過去の戦争中も国会は開催されている。大規模自然災害によって国会機能が維持できなかったり、長期に亘って国政選挙ができなかった事態はこれまでになく、今後も想定し難いのであるから、改憲の立法事実を欠く。

にもかかわらず、憲法を一時的に停止して国民の人権を制限する権限を内閣や内閣総理大臣に与えたり、選挙を延期して国会議員の任期を延長する等の緊急事態条項を創設することは、到底許容されるものではない。

憲法 9 条に関しても、ウクライナと日本では全く状況が異なる上、9 条を改憲し軍事力を強化することは、日本が周辺諸国に対して脅威となることをあからさまに示すことにほかならず、かえって日本の安全保障環境を悪化させるおそれがある。また、日本維新の会は、衆院憲法審査会の場でも「核共有」の議論を開始すべきなどと述べたが、唯一の戦争被爆国である日本が、核抑止論に依拠し、果ては核共有を行うことなど断じて許されるものではない。

合区の問題や教育無償化についても、憲法を改正する必要性がないことは改憲派も認めるところであり、「改憲をする」こと自体を目的化しての議論といわざるを得ない。

憲法は、主権者たる国民が制定権力を持ち、侵すことのできない基本的人権を定めることで政府による人権侵害を防ぐものである。上記のような自民、公明、維新、国民民主の各政党による立憲主義に反する乱暴な改憲ありきの姿勢は、主権者国民の意思を完全に無視し憲法を軽視するものというほかなく、国会議員の憲法尊重擁護義務(憲法 99条)にも違反するものであり、断じて許されない。

(3)改憲議論の前に行うべきこと

 2021 6 11 日に成立した改憲手続法は、野党及び参考人から CM 規制、資本規制等の根本的な欠陥を指摘されながらも、公選法並びの 7 項目の改正のみ拙速な審議で成立させたものである。そのため、附則 4 条により、「施行後 3 年を目途に」、有料広告制限、資金規制、インターネット規制などの「検討と必要な法制上の措置その他の措置を講ずるものとする」とされている。

改憲手続法は、国民の憲法改正権の具体的権利行使のための手段を定めた法律であり、憲法が国民の意思に基づき制定されたという正当性を根拠づける極めて重要な法律である。しかるに、現状の改憲手続法は、有料広告規制、資金規正、インターネット規制については極めて不十分である。強い影響力のあるテレビ CM のみならず、SNS 等が広く普及し、AI によるプロファイリングに基づくマイクロターゲティング広告等を用いた世論誘導等の危険性が大きな問題となっている現代社会において、現状の改憲手続法に基づく国民投票では、到底憲法の正当性を根拠づけることはできないといえ、根本的な見直しが不可欠である。それにもかかわらず、2022 4 28 日に衆院憲法審査会で自民、公明、維新の会等が提案した改憲手続法改正案は、上記根本的な問題点には触れることなく、2019 5 8 日及び 2022 3 31 日に成立した公職選挙法 3 項目改正に並べたものであり、全く改正を急ぐ必要のないものであった(法律家 6 団体 2022 4 20 日付声明参照)。かかる改憲派の態度は、憲法の正当性など意に介さず、自身の都合の良いように改憲手続を進めようとする意図が如実に表れたものであり、到底許されるものではない。

憲法審査会は、その目的に「日本国憲法及び日本国憲法に密接に関連する基本法制について広範かつ総合的に調査を行」うことが掲げられている(国会法 102 条の 6)。すなわち、憲法審査会が行うべきは、改憲議論だけではなく、憲法にかなう政治が行われているかどうかの調査も含むものといえる。2022 5 25 日には、最高裁において、最高裁判所裁判官の国民審査について在外投票ができない現行法制について、戦後 11 例目となる違憲判決が下されている。このように、国民の権利が制約され違憲状態であることが司法によって明確に断じられた事項について、早期に違憲状態を解消するために議論を行うことこそ、優先して行われるべきである。

3 いま行うべきは改憲議論ではない

新型コロナウィルス感染症の蔓延も徐々に落ち着きつつあり、ようやく自粛も解除され経済が再開しつつあるものの、2 年以上にわたるコロナ禍で疲弊しきっている上、ロシアによるウクライナ侵攻も相まって、世界的な半導体不足や経済制裁による貿易の減退などによる物価の高騰により、多くの人々の生活が更なる窮地に追い込まれている。そういう中でありながら、自民党は、防衛予算をGDP比2%にまで増大せよ(現在より約6兆円増)とする提言を発表している。一方、5 25 日、熊本地裁は、生活保護費の引き下げを違法と判断し、政府による国民生活を支える生活保護給付の引き下げに待ったをかける判決を下している。

「9条改憲NO!全国市民アクション」は、2022 5 19 日に 62 万筆を超える「憲法改悪を許さない全国署名」を国会に提出した。また、現在の情勢に合わせて署名用紙をリニューアルし、さらなる拡大を見せている。

今政治に求められているのは、緊急事態条項創設等のための憲法改正ではなく、経済を立て直し、あらゆる人々が健康で文化的な最低限度の生活が保障される社会を構築すること及び憲法 9 条の精神に基づき平和な国際社会を構築するために武力によらないあらゆる外交努力を尽くすことである。

私たち 改憲問題対策法律家6団体連絡会は、安易な改憲ありきの憲法審査会の運営に強く抗議するとともに、国会議員一人一人が、立憲主義の回復及び市民の命と暮らしを守るための活動にこそ全力で取り組むよう、改めて強く求めるものである。

以上