Monday, August 08, 2022

ヘイト・スピーチ研究文献(204)古典で読む表現の自由03

見平典「第14章 表現の自由」曽我部真裕・見平典編『古典で読む憲法』(有斐閣、2016年)

見平論文は学生向けの「入門書」の一章であって、研究論文ではない。見平のオリジナルではなく、これまでに多くの論者によって言われてきたことをまとめただけとも言える。その意味では、これをヘイト・スピーチ研究の一つとして検討する必要はないかもしれないが、内容を見ると、憲法学の水準を踏まえて手際よく整理している。そして、日本憲法学の論文を見れば一目瞭然だが、専門研究ではない解説文やエッセイを引用して議論するのはごく普通のことである。頻繁に行われてきたことだ。現に佐藤潤一論文は、見平の議論を引用し、立論の根拠にしている。

見平論文はとても不思議な構成を採用している。この不思議さこそが日本憲法学の基本的特徴である。目次は次のとおりである。

<目次>

Ⅰ 表現の自由をめぐる闘争

Ⅱ 表現の自由の保障根拠

Ⅲ ヘイト・スピーチの規制

 表現の自由をめぐる闘争で、見平は、紀元前5世紀のギリシアと紀元前3世紀の秦の始皇帝、そして宗教改革のマルティン・ルターに言及する。ギリシアと秦を無媒介に並べるのは荒唐無稽としか思えないが、まあいいだろう。市民革命後について、見平は、ジョン・ミルトンの検閲なき出版の自由論の意義にふれてイギリスにおける表現の自由の進展を見たうえで、アメリカ憲法修正1条の制定と運用の前進を振り返る。近代西欧の憲法史の古典から学ぶのだから、ルターとミルトンを挙げるのはよくわかる。

Ⅱ 表現の自由の保障根拠で、見平は、1 真理への到達――「思想の自由市場」論、2 自己統治、3 個人の自己実現・自律、4 表現の自由の脆さについて議論する。ミルトンも出てくるが、ここではホームズ、マイクルジョン、エマーソンと、アメリカ詣でになる。Ⅰでは西欧だったのに、Ⅱではアメリカになる。全体として欧米だからまだ一貫しているのだろうか。

Ⅲ ヘイト・スピーチの規制で、見平は、1 ヘイト・スピーチ規制の積極論、2 ヘイト・スピーチ規制の消極論、3 まとめ、を論じるが、すべてアメリカの議論を参照する。西欧の議論は一切顧みようとしない。

西欧近代の憲法史の古典に学ぶはずが、突如としてアメリカ一本やりになるのは不思議だ。だが、これは見平に固有のことではない。日本憲法学にはこうした立論、構成が非常に多い。西欧、西欧と言って、イギリスやフランスから始めながら、いつの間にか「世界はアメリカだけでできている。学ぶべきはアメリカだけだ」となる。表現の自由の議論では特にこの傾向が強い。

議会制民主主義の議論ではこうはならないし、天皇制の議論でもこうはならない。アメリカ憲法と日本国憲法は、決定的に違う。大統領制のアメリカ、天皇制の日本、議会制民主主義の日本、9条のある日本、9条のないアメリカ、連邦制のアメリカ。基本構造が全く違う。だから、日本の憲法学はこれらの点でアメリカ憲法に学ぶことはしてこなかった。当然だ。ところが、日本憲法学の比較法には一貫した方法論がないから、そのつどのそのつど、論者の趣味でふらふら、あちこちさまようことになる。気分次第でギリシアに行ったり、中国に飛んだりする。そして落ち着くのが「西欧からアメリカへ」だ。

以上のことは、些末な話に見えるかもしれないが、そうではない。学問の方法にかかわることだ。見平は次のように述べる。

「現代の立憲民主政諸国は、こうした表現に規制を加えるべきか長く苦悩してきた。というのも、それらの諸国では、差別の克服や少数者の保護は重要な課題とされているが、表現の自由もまた憲法上の重要な権利として保障されているからである。実際に、各国の対応は割れており、ヨーロッパではヘイト・スピーチに何らかの規制を設けている国も少なくないが、アメリカでは連邦最高裁判所がこうした規制を認めることに消極的である。」(225)

奇怪な文章だ。「現代の立憲民主政諸国は、こうした表現に規制を加えるべきか長く苦悩してきた」というが、本当だろうか。「実際に、各国の対応は割れており、ヨーロッパではヘイト・スピーチに何らかの規制を設けている国も少なくない」というが、本当だろうか。

見平は「各国の対応は割れており、ヨーロッパではヘイト・スピーチに何らかの規制を設けている国も少なくないが、アメリカでは連邦最高裁判所がこうした規制を認めることに消極的である」という。この文章を、普通の読者はどう読むだろうか。「少なくない」というレトリックから、「ヨーロッパではA国とB国は規制し、C国、D国、E国は規制せず、アメリカは消極的」と読むのではないだろうか。見平は具体的な国名を一つも挙げずに、「少なくない」と述べる。それでは、C国、D国、E国はどこか。

師岡康子『ヘイト・スピーチとは何か』(岩波新書、2013年)の読者なら、EU議会決議によって、EU諸国はすべてヘイト規制することになっていることを知っている。実際にすべてのEU諸国に規制法がある。EU加盟国以外の欧州諸国の多くにも規制法があることは、前田『ヘイト・スピーチ法研究序説』(三一書房、2015年)に示しておいた。つまり、見平論文が書かれた2015年には、すでに、その内容が虚偽であることは明白だった。小手先のレトリックを用いて事実から目を背けるのはなぜなのか。

見平が師岡康子『ヘイト・スピーチとは何か』を参考文献に挙げない理由がよく見えてくる。

見平は、「現代の立憲主義諸国は、ヘイト・スピーチ規制の導入をめぐって苦悩しており、国によって対応も分かれてきた」(239頁)と述べる。なるほど、「国によって対応も分かれてきた」のは一面の事実である。アメリカと日本は規制に消極的だからだ。とはいえ、アメリカではジェノサイドの煽動は法規制されるし、脅迫類型も処罰される。

「入門書」において、学生に事実に基づいて考えてもらうためには、見平は次のように書くべきだったであろう。

「現代の立憲主義諸国は、ヘイト・スピーチ規制の導入をめぐって苦悩しており、国によって対応も分かれてきた。イギリスもフランスもドイツもイタリアもスペインもポルトガルもアイルランドもベルギーもオランダもスイスもオーストリアもスウェーデンもノルウェーもデンマークもアイスランドもフィンランドもチェコもスロヴァキアもルクセンブルクもリヒテンシュタインもカナダもニュージーランドも規制し、アメリカは消極的だがジェノサイドの煽動等のヘイト・スピーチを規制する」と。

アメリカ政府は人種差別撤廃委員会に「我が国はヘイト・スピーチを許さず、一定の場合に刑事規制する」と報告してきた。日本の憲法学者は「アメリカはヘイト・スピーチを刑事規制しない。刑事規制に消極的である」と決めつけてきた。どちらが事実だろうか。

事実に基づく思考を忌避する憲法学は、さらに奇妙な展開を示す。見平は、Ⅲ ヘイト・スピーチの規制において、1 ヘイト・スピーチ規制の積極論、2 ヘイト・スピーチ規制の消極論をまとめる。

欧州諸国には規制する国が「少なくない」とし、アメリカは規制に消極的というのなら、普通は、欧州諸国における積極論の論拠と、アメリカにおける消極論を紹介して、読者に両者を対比させて考えるように促すはずだ。ところが、見平は積極論も消極論もアメリカの議論を紹介する。欧州の議論は参考にしない。

見平は積極論の箇所でマリ・マツダの見解を紹介する。なるほどマリ・マツダはアメリカにおいては積極論の代表的論者の一人であり、よく引用される。しかし、欧州におけるヘイト・スピーチ文献でマリ・マツダが引用されることはほとんどない。「ほとんどない」というのは、私は欧州におけるヘイト・スピーチ論の英語文献を数十本読んだが、マリ・マツダが引用されているのを見たことがないという意味だ。フランス語やドイツ語やスペイン語やイタリア語等の諸文献でも同じだろうと思うが、自分で読んだわけではないので断定できない。

欧州におけるヘイト・スピーチ文献は何千本あるのか知らない。欧州におけるヘイト・スピーチ処罰判例が何千件あるのか知らない。とはいえ、人種差別撤廃委員会に報告された欧州数十か国の法状況を見れば、おおよそのことはわかる。私の『ヘイト・スピーチ法研究序説』『ヘイト・スピーチ法研究原論』『ヘイト・スピーチ法研究要綱』で詳しく紹介した。

見平はなぜアメリカだけを参照するのか。アメリカだけを参照するのなら、なぜ「アメリカだけを参照する」と断らないのか。なぜヨーロッパを含めて「現代の立憲主義諸国」などと語るのだろうか。

見平は、アメリカでは表現の自由は優越的地位にあるとし、「日本においても、憲法学界では、アメリカの影響を受けて同様の考え方がとられてきた」と述べる(228)。これは事実だ。同様にアメリカ法を参照するべきだと唱える憲法学者も似たようなことを唱えてきた。ただ、論者によって微妙な差異がある。

ある論者は、アメリカ憲法に学ぶべき理由を、表現の自由規定の類似性に求める。しかし、米修正第1条と日本国憲法第21条は似ても似つかない条文だ。そもそも憲法構造が違うし、個人の尊重や法の下の平等規定も異なるので、日米の類似性を言い募るのは無理がある。

見平はこの難点を乗り越えるために、「原理的な問い」と言う。表現の自由について原理的に考察すれば、日米の対比には大きな意味があるのはその通りだろう。それでも、なぜイギリスやフランスやドイツを排除するのか、理由にならない。また、原理的に考察するのなら、世界人権宣言、国際自由権規約、人種差別撤廃条約の基本的考え方こそ参照するべきだろう。

そこで、見平は「日本においても、憲法学界では、アメリカの影響を受けて同様の考え方がとられてきた」と重ねる。「憲法学界では同様の考え方がとられてきた」のは事実だ。だが、憲法の構造も条文もまったく違うのに、「憲法学界が同様の考え方を取ってきた」ことを、憲法解釈が同じであるべきだという論拠にできるだろうか。これは「立法論」であり「解釈改憲」だろう。憲法学界では多数説であっても、最高裁判所は長年にわたってこれを採用していない。そんなことをしたら、憲法解釈はなんでもありになってしまうからだ。

この点はこれまで何度も書いてきた。

https://maeda-akira.blogspot.com/2021/04/blog-post_14.html

https://maeda-akira.blogspot.com/2022/02/blog-post.html

Sunday, August 07, 2022

ヘイト・スピーチ研究文献(204)古典で読む表現の自由02

見平典「第14章 表現の自由」曽我部真裕・見平典編『古典で読む憲法』(有斐閣、2016年)

<目次>

Ⅰ 表現の自由をめぐる闘争

Ⅱ 表現の自由の保障根拠

Ⅲ ヘイト・スピーチの規制

Ⅲ ヘイト・スピーチの規制

見平は、「現代の立憲主義諸国は、ヘイト・スピーチ規制の導入をめぐって苦悩しており、国によって対応も分かれてきた」(239頁)と述べ、検討を加える。

1 ヘイト・スピーチ規制の積極論

2 ヘイト・スピーチ規制の消極論

3 まとめ

1 ヘイト・スピーチ規制の積極論

見平は、積極論の論拠を5つにまとめる。

1に、「その標的とされた集団の構成員に深刻な精神的・身体的害悪をもたらすという点である」(239頁)。見平は、マリ・マツダの議論を引用する。

2に、「既存の差別構造を強化・再生産するという点である」(239頁)。ここでもマリ・マツダを引用する。

3に、「通常の対抗言論の減速や思想の自由市場の考え方が機能しないとされる」(240)として、沈黙効果や思想の自由市場のゆがみに言及する。

4に、ヘイト・スピーチは表現の自由を支える諸価値に寄与しないとされる」(240)

最後に、見平は、「ヘイト・スピーチ規制は表現の自由の抑圧ではなく、むしろ思想の自由市場のゆがみを矯正し、犠牲者の表現の自由を確保するためのものであると主張する」(240241頁)という。つまり「国家からの自由」ではなく「国家による自由」の議論であるという。

2 ヘイト・スピーチ規制の消極論

見平は、消極論の論拠を5つにまとめる。

1に、「政府が規制を乱用するおそれが存在する点である」(241頁)。

2に、「規制が市民に広範な委縮効果を及ぼすおそれがある点である」(241頁)。

3に、「ヘイト・スピーチの領域においても、対抗言論や思想の自由市場は機能しうるとされる」(242頁)。犠牲者が反論できない場合でも、多数者集団の中から対抗言論がなされればよいからだという。

「実際に、ヘイト・スピーチ規制を支持する声が少数者集団・多数者集団に跨る形で存在しており、規制導入の是非が議論されていることは、対抗言論や思想の自由市場、民主的討議が機能していることを例証している、とされる。」(242頁)

4に、「ヘイト・スピーチは表現の自由を支える諸価値にまったく寄与しないとはいえない、とされる」(242頁)。

「ヘイト・スピーチは社会の中に差別思想が存在していること、差別主義者が活動していることを明らかにするが、これは、差別の原因やとるべき政策を議論することを促すという点で、民主的討議に(消極的に)寄与しているとみることも可能である。」(242頁)

5に、見平は、「差別の克服や平等の実現のためにとりうる手段は、ヘイト・スピーチ規制以外にも存在していることが指摘される」(242頁)

「特に、差別の克服という観点からみれば、ヘイト・スピーチ規制によって社会に存在する差別思想が隠蔽されてしまうことの方が問題であるとされる。」(242)

3 まとめ

見平は、積極論と消極論を紹介するにとどめ、それ以上の検討をしていない。「入門書」なので、読者が自分で考えるようにという趣旨であろうか。

最後に見平は、「留意点」を2つ述べる。

1に、「日本の現状を精確に認識する必要がある」(243)。「日本における差別の実態、ヘイト・スピーチの被害状況、表現規制の運用実態を把握するとともに、ヘイト・スピーチ規制の効果等について日本の文脈に照らしながら考えることが必要であろう」(243)という。

2に、「この問題が表現の自由に関する原理的な問いを提起しているという点である」(243)。「『国家からの自由』か、それとも『国家による自由』という局面も認めるかという問いを投げかけるものである。読者も、この問題を通して、表現の自由の保障のあり方について、ぜひ考えてみてほしい」と締めくくる(243)

見平は、参考文献として、大石眞・石川健治編『憲法の争点』、内野正幸の2014年の論文及び内野の1990年の著書『差別的表現』、アンソニー・ルイス『敵対する思想の自由』、エリック・バレント『言論の自由』をあげる。

2015年当時に日本でヘイト・スピーチについて議論するのに、師岡康子『ヘイト・スピーチとは何か』(岩波新書、2013年)をあげないのは不思議。金尚均編『ヘイト・スピーチの法的研究』(法律文化社、2014年)も無視されている。「古典で読む表現の自由」だからというわけではないだろう。大石・石川も内野もルイスもバレントも古典とはいえない。

ヘイト・スピーチ研究文献(204)古典で読む表現の自由01

見平典「第14章 表現の自由」曽我部真裕・見平典編『古典で読む憲法』(有斐閣、2016年)

本書は学生向けの「入門書」であり、研究論文ではないが、佐藤潤一「ヘイトスピーチ規制の現状と課題」佐藤『法的視点からの平和学』が引用していたので、初めて知った。20163月出版の本の1章が表現の自由で、内容はヘイト・スピーチ論である。佐藤は、ヘイト・スピーチ規制の積極論と消極論について、見平の整理を基に議論していた。

https://maeda-akira.blogspot.com/2022/07/blog-post_3.html

見平は京都大学准教授。著書に『違憲審査制をめぐるポリティクス―現代アメリカ連邦最高裁判所の積極化の背景』(成文堂、2012年)がある。

<目次>

Ⅰ 表現の自由をめぐる闘争

Ⅱ 表現の自由の保障根拠

Ⅲ ヘイト・スピーチの規制

本論文は20163月に出版されているので、2015年以前の状況を基に書かれている。2016年のヘイト・スピーチ解消法よりも前である。

見平は2015年の野党による人種差別撤廃施策推進法案に言及し、反差別、特にヘイト・スピーチが課題となっているという。

「現代の立憲民主政諸国は、こうした表現に規制を加えるべきか長く苦悩してきた。というのも、それらの諸国では、差別の克服や少数者の保護は重要な課題とされているが、表現の自由もまた憲法上の重要な権利として保障されているからである。実際に、各国の対応は割れており、ヨーロッパではヘイト・スピーチに何らかの規制を設けている国も少なくないが、アメリカでは連邦最高裁判所がこうした規制を認めることに消極的である。」(225)

そこで見平は「表現の自由はそもそもなぜ保障されるのかという、原理的な問いに向き合うことでもある」として、表現の自由の歴史を遡る(226頁)。

見平はまずホームズ「エイブラムズ対合衆国事件反対意見」(1919)の思想の自由市場論を紹介する(227頁)。

Ⅰ 表現の自由をめぐる闘争

見平は、アメリカでは表現の自由は優越的地位にあるとし、「日本においても、憲法学界では、アメリカの影響を受けて同様の考え方がとられてきた」と確認する。

近代以前について、紀元前5世紀のギリシアと紀元前3世紀の秦の始皇帝、そして宗教改革のマルティン・ルターに言及する。

市民革命後について、ジョン・ミルトンの検閲なき出版の自由論の意義にふれてイギリスにおける表現の自由の進展を見たうえで、アメリカ憲法修正1条の制定と運用の前進を振り返る。

Ⅱ 表現の自由の保障根拠

見平は、表現の自由の展開を支えた理論・思想として、次の4つを論じる。

1 真理への到達――「思想の自由市場」論

2 自己統治

3 個人の自己実現・自律

4 表現の自由の脆さ

1 真理への到達――「思想の自由市場」論

見平は、ミルトンの議論を検討し、ホームズ判事の「思想の自由市場」論を紹介する。

「そこでは、『思想の自由な交換』が『市場の競争』を通して行われる中で、われわれは最もよく真理に近づくことができると述べられている。そして、表現の自由に対する国家の規制が許されるのは、市場競争による淘汰を待っていては間に合わない、明白で切迫した危険が当該表現によって生じる場合に限られるという。」(232233)

「ホームズ反対意見のもう一つの重要な特徴は、市場のメタファーである。『思想の自由市場』論は、国家による介入を排した完全に自由な市場における競争こそが、国家や社会に最大の利益をもたらすとの当時の経済の自由市場論を、市場に見立てた言論空間に類推している。」(233頁)

見平によると、「現代の経済の自由市場論は、当時とは異なり、自由で公正な経済市場を維持するためには、一定の国家介入の必要な場合があることを認めている」としつつ、現代でも言論空間への国家介入には消極的であるという。

2 自己統治

見平は、「民主政が打ち立てられた諸国においては、真理への到達という点とは別に、民主政の維持という点から、表現の自由を擁護する声も挙がるようになった。」(234頁)という。マイクルジョンの自由な言論の理論を紹介している。

「このような見方に従えば、民主政は表現の自由があってこそ成立しうるものであり、その意味で、表現の自由は特別な意義を有するといえる。」(235)

3 個人の自己実現・自律

見平は、表現の自由論の代表としてエマーソンの議論を紹介する。(237頁)

4 表現の自由の脆さ

最後に見平は、「表現の自由がきわめて脆いものである」とし、表現の自由が手厚く保障されるべきなのは「歴史的経験をふまえ、表現の自由がこわれやすいものであるという認識がある。」という(238)

以上の議論は、見平のオリジナルではなく、アメリカ憲法学で長年にわたって構築されてきた理論の整理である。日本でも同様のことが何度も語られてきた。見平は、その議論を手際よく、コンパクトにまとめている。しかも、ミルトン、ホームズ、マイクルジョン、エマーソンの議論を引用紹介することによって「古典で読む憲法」のわかりやすい解説を行っている。学生向けの入門書として、すぐれた解説に見える。

Wednesday, August 03, 2022

政府による安倍元⾸相の国葬の決定は、⽇本国憲法に反する  ―憲法研究者による声明―

政府による安倍元相の国葬の決定は、本国憲法に反する

憲法研究者による声明

 

2022722、政府は閣議決定をもって、927)に東京都千代区の本武道館において、安倍元総理⼤⾂の葬儀を国葬という形式で執りうと発表し、遺族もそれを承諾した。岸⽥⾸相が葬儀委員を務め、これに掛かる経費は全て本年度の予備費から出するとしている。われわれは憲法学を専攻し研究する者として、この国葬がわれた場合には、それが単に法的根拠を持たないだけでなく、本国憲法に⼿続的にも実体的にも違反することになると危惧し、この国葬の実に反対する。 

明治憲法下では、「国葬令」(1926年公布)が存在し、皇族と「国家に偉功ある者」に対して国葬がわれてきた。国葬令の適は、正天皇の国葬に合わせることになった。天皇の思し召しによって、国葬が実施され、国は喪に服することを義務付けられた。国葬という形式は、本五六の時のように、何よりも明治憲法の軍国化を促す効をもたらしてきたが、この「国葬令」は戦後の本国憲法の施と同時に1947年に失効している。国葬令は、なによりも憲法14条の平等主義に反するものであり、憲法に規定された基本的権の保障に反するからである。戦後は吉茂元相の国葬があったが、これは「戦後復興に尽くした」との理由による例外的なものであった。佐藤栄作元相の時も、国葬が提案されたが、憲法の番である内閣法制局が認めなかったことにより、国葬案は実施されなかった。平正芳元相の時より、政府と⾃⺠党による合同葬の形式が慣的に続いてきた。 

い間封印されてきた国葬が、岸内閣によって以下の理由をもって実されようとしている。それは「憲政史上最になる88にわたり、内閣総理⼤⾂の重責を担った震災からの復興、本経済の再⽇⽶関係を基軸とした外交の展開等のきな実績を残した外国脳を含む関係社会からのい評価選挙中の蛮による急逝」と説明されている。しかし、この~三に評されるように、安倍内閣はそれほどに評価すべきことをってきたのであろうか。1の任期(第90代内閣総理⼤⾂)の時は、教育基本法の改悪と防衛庁の省への昇格を実したが、内閣スキャンダル⾃⾝の病気を理由にして退いた。さらに、期に及ぶ2の任期(第96~98代内閣総理⼤⾂)は、憲法に違反する法改正(組織犯罪法における共謀罪、安全保障関連法等)を繰り返しながら、「モリ・カケ・サクラ」とわれたよう銭疑惑を残した。そして再度、病気を理由に職務を放り出し、多くの疑惑に正から答えることなく、相の座を明け渡した。とくに財務省の記録を改ざんし、殺者をみ出すまでして事実を隠ぺいした安倍元相の疑惑はいが、もはや闇の中にある。他で、外交に多な功績を残したとあるが、これまでの懸念材料であった「領・基地・朝鮮半島問題」にきな進展はない。安倍内閣は憲法の改正を望んできたが、現実に憲法の核部分は徐々に削られてきたことになる。 

内閣は、この国葬を今度は内閣法制局の唆を受けて、内閣府設置法の4条にある「所掌事務」として形式的に実施しようとしている。国葬の実施は政府が主体となる国事為であるから明確な法的根拠を必要としている。ところが、法4333号は、「国の儀式並びに内閣のう儀式及び事に関する事務に関すること」を内閣府が関わりうることを定めた限りであって、国葬という実体を定めているわけではない。国葬の実施はいかなる場合になされるかという要件を定めた法規があることを前提としてでなければ、この法4333号の実施は不可能である。さらに、国の最機関である国会が関わる余地は、内閣府設置法からはなんらえてこない。ここに⼿続き上の明な違反があり、これは法治主義に違反することになる。しかし、形式だけを整えても、国葬は実体的に憲法に反する問題をもっている。 

内閣官房官の説明では、「国葬の当学校は休にはしない」とあるが、政府が実施しテレビ放映による映像が流れることによって、社会が受ける反応にはきな影響が起こりうる。国に時間を指定して哀悼の気持ちを求め、公的機関での半旗の推奨もありうる。現時点で、部科学⼤⾂が国公⽴⼤学に求めている「国旗掲揚」の政指導が、強く、広範囲で実施されるおそれがある。こうしたことは全て本国憲法19条が保障する「思想・良由」に抵触することになりかねない。この由は「内由」に当たり、個思考の核部分を保障するものであり、これへの制約は厳しく審査されなければならない。とくに、学校事として国葬への参加が強制されることのないように気を付けなければならない。場合によっては、憲法20条に保障された信教の由や21条に保障された表現の由を侵害することにもなりうる。こうした国葬は強制がなんらないとわれるが、⾃⼰の信念に反する国葬が実施されるという事実をもって、国の各がもつとしての在り、「個としての尊重」(憲法13条)への侵害がじるおそれがある。 

財政的には現在試算がされているが、これを財務⼤⾂は予備費から出するとしている。しかし、警備も徹底するとなればかなりな費を必要とするであろう。額の問題もあるが、問題は予備費の使われにある。本来は害、コロナ対応等の不測の事態にあてるべきであり、国会での審議を求めるのが筋であろう(憲法83条)。また、公費をすでに私となってしまった個死に振り向けることには、その妥当性がないといえるのではないだろうか(憲法89条)。宗教性を払しょくしてうとしているが、個の死に関係することであるから宗教儀式の環と受けめる国も多いはずである。これを国家がに代わって国費で実施することが異常なのであり、国が実施することに格別の政治的な効があると推定されてしまう(憲法20条3項、89条の政教分離原則)。もしも、国葬をもって死者を必要以上に美化し、それを国の記憶に残し、政治的効果を意図し、現政権の継続を願うものであれば、そのことこそ国家の為を厳格に制約しようとする、本国憲法の憲主義の構造に反することになるおそれがあると考えられる。          

以上 

 

賛同者 2022.8.3 15:00現在84

 

1.   浅野宜之⻄⼤学教授

2.   ⾜⽴英郎阪電気通信学名誉教授

3.   飯島滋明名古屋学院学教授

4.   秀作愛媛学教授

5.   川多加学教員

6.   村修専修学名誉教授

7.  

8.   稲正樹元国際基督教学教員

9.   植野妙実中央学名誉教授

10.          植松健命館学教授

11.          右崎正博獨協学名誉教授

12.          賢治早稲⽥⼤学名誉教授

13.          江原勝早稲⽥⼤学教授

14.          久保史郎命館学名誉教授

15.          津浩明治学法学部教授

16.          学教員

17.          奥野恒久⿓⾕⼤

18.          栗実児島学名誉教授

19.          沢隆東京慈恵会医科学教授

20.          野善康⼿⼤学名誉教授

21.          ⾦⼦学名誉教授

22.          上脇博之学院

23.          河上暁弘広島市⽴⼤学准教授

24.          川畑博昭愛知県⽴⼤学教員

25.          下智史⻄⼤学教授

26.          君島東彦命館学教授

27.          清末愛砂室蘭学院教授

28.          原志命館学教授

29.          倉持孝司⼭⼤学教授

30.          ⼩⽵拓殖学教授

31.          後藤光男早稲⽥⼤学名誉教授

32.          林武沖縄学客員教授

33.          林直樹姫路獨協学教員

34.          松浩命館学教授

35.          幡洋愛知県⽴⼤学名誉教授

36.          近藤真⾩⼤学名誉教授

37.          笹沼弘志静岡学教授

38.          斎藤 名古屋学教授

39.          百合恵泉学園学教員

40.          榊原秀訓⼭⼤学教授

41.          澤野義阪経済法科学特任教授

42.          雅彦本体育学教授

43.          菅原真⼭⼤学教授

44.          真澄⿓⾕⼤学名誉教授

45.          佐智美⻘⼭学院学教授

46.          作正博⻄⼤学教授

47.          橋利安広島修道学名誉教授

48.          橋洋愛知学院学名誉教授

49.          内俊広島修道学名誉教授

50.          森正孝⾩⼤学名誉教授

51.          島泰彦元上智学教授

52.          ⽥⼀命館

53.          哲之学院学教授

54.          常岡(乗本)せつフェリス学院学名誉教授

55.          内藤光博専修学教授

56.          中川律⽟⼤学准教授

57.          ⾥⾒阪電気通信学教授

58.          中島茂樹 命館学名誉教授

59.          中富公広島修道

60.          秀樹学院学名誉教授

61.          茂樹東海学教員

62.          成澤孝信州学教授

63.          成嶋隆新潟学名誉教授

64.          瓶由美元桜の聖短期学教授

65.          ⿓⾕⼤学教授

66.          根森健東亜学院教授

67.          波多江悟史愛知学院学法学部専任講師

68.          畑尻剛較法研究所客員研究所員

69.          藤野美都福島県医科学特任教授

70.          福嶋敏明学院学教授

71.          古野豊秋元・桐蔭横浜学教授

72.          前原清隆崎総合科学学教員

73.          松井幸夫学院学名誉教授

74.          松原幸恵⼭⼝⼤学准教授

75.          島朝穂早稲⽥⼤学教授

76.          宮地基明治学院学教授

77.          尚紀⻄⼤学教授

78.          ⿓⾕⼤学名誉教授

79.          ⾨⽥広島学教授

80.          内敏弘学名誉教授

81.          若尾典元佛教学教授

82.          吉隆学院学准教授

83.          渡辺治学名誉教授

84.          ⼾⼤学名誉教授