Sunday, July 03, 2022

ヘイト・スピーチ研究文献(203)平和学とヘイト・スピーチ01

佐藤潤一「ヘイトスピーチ規制の現状と課題」佐藤『法的視点からの平和学』(晃洋書房、2022年)

佐藤は大阪産業大学准教授、憲法学者だが、最初の著書が『日本国憲法における「国民」概念の限界と「市民」概念の可能性――「外国人法制」の憲法的統制に向けて』(専修大学出版局、2004年)であり、国際人権法にも詳しい。本書は先に出版した『平和と人権』を大幅に改定したもので、ヘイト・スピーチの論文は大阪産業大学の紀要に発表した論文が元になってるという。

また下記の論稿があり、本稿と重複する。

佐藤潤一「ヘイトスピーチ規制の法的問題点」『国際人権ひろば』133

https://www.hurights.or.jp/archives/newsletter/section4/2017/05/post-13.html

5章 ヘイトスピーチ規制の現状と課題

1節 「ヘイトスピーチ」解消法を考えるための視点

2節 法的課題検討の前提

3節 「ヘイトスピーチ」刑事規制の再検討

結語 「ヘイトスピーチ」規制の課題

冒頭で佐藤は「ヘイトスピーチ解消法は、ヘイトスピーチ解消の必要条件ではあるが十分条件とは言い難い」とし、憲法と国際人権法の視点から、外国人の権利や、ヘイト・スピーチ規制について検討するという。

1節 「ヘイトスピーチ」解消法を考えるための視点

1 歴史的視点の欠如

2 判例の検討

(1)      政見放送削除事件判決

事実の概要と判旨

考察

(2)      街頭宣伝差止め事件

事実の概要と判旨

考察

3 「ヘイトスピーチ」解消法の概要

(1)      法律の概要

(2)      附帯決議

2節 法的課題検討の前提

1 人種差別撤廃条約4条とその留保

2 「ヘイトスピーチ」規制の積極論と消極論

3 「ヘイトスピーチ」規制積極論への疑問

1節・第2節は以上の構成である。第1節では、歴史的視点の欠如の指摘と、2つの判例の検討が、いかなる関係にあるのかわかりにくい構成だが、書かれている内容は的確であり、理解しやすい。

ヘイト・スピーチは「近年」始まったという、とんでもない誤謬が堂々と語られていることに対して、佐藤は「歴史的視点の欠如」を指摘し、「しかし日本の植民地支配と、その結果としての特別永住者の存在が、ヘイトスピーチを行っている人々と無関係であるはずがない」とし、主に歴史学者の板垣竜太の、ヘイト・スピーチを「レイシズムという大きな問題の氷山の一角」に位置づける見解を参照する(8990)

ただし、佐藤は、「この板垣の問題意識それ自体は共有しつつ、しかし第3章で検討するようにこれは明らかに規制積極説の立場であり、憲法との関係では問題があると解される」という(91)

この点はいささか理解しにくい。ヘイト・スピーチ現象の歴史的根源を解明する板垣の認識は、まずは歴史的背景や事実に関わる。それが「明らかに規制積極説の立場」なのだろうか。なるほど、板垣は規制積極説に立っているだろう。だが、歴史的事実を基にヘイト・スピーチについて語ることが、法規制の積極・消極にただちに飛躍するわけではないだろう。板垣は、歴史的事実として「植民地支配」を論じ、その上で次に「植民地支配責任」の論理を展開しているはずだ。植民地支配責任の一環としてレイシズムの抑止・是正、それゆえヘイト・スピーチの規制が求められることになるが、両者は区別される問題だ。佐藤もそのことは理解しているはずだが、佐藤の記述は、スペースの制約のためか、両者をいきなり等号で結んでいるように読める。この点については後にあらためて述べる。

判例の検討では、佐藤は政見放送削除事件最高裁判決と京都朝鮮学校の街頭宣伝差止め事件判決を分析し、後者について、ヘイト・スピーチを民事不法行為とした重要な判決であるという。

次に佐藤はヘイト・スピーチ解消法の制定経過と具体的内容を紹介し、さらに付帯決議にも言及する。

2節では、法的課題検討の前提として、まず人種差別撤廃条約4条とその日本政府の留保を確認する。人種差別撤廃委員会からの留保撤回勧告には言及がない。次に佐藤は、「ヘイトスピーチ」規制の積極論と消極論を取り上げるが、内容は憲法学者の見平典の論文に依拠している。

見平によると、積極論は、第一に被害者が受ける深刻な精神的・身体的害悪、第二に差別構造の強化・再生産、第三に対抗言論の原則や思想の自由市場が機能しないこと、第四にヘイト・スピーチは表現の自由を支える諸価値に寄与しないことを挙げるという。

消極論は、第一に政府による規制濫用のおそれ、第二に萎縮効果、第三に対抗言論と思想の自由市場論、第四にヘイト・スピーチは表現の自由を支える諸価値に寄与しないとはいえない、第五に規制以外の手段が存在する、という。

見平は、積極論と消極論の対立は「それは表現の自由の保障について、あくまで『国家からの自由』として捉えるか、それとも『国家による自由』という局面も認めるかと言う問いを投げかける」という(佐藤106頁より引用)。佐藤も同じ認識であろう。佐藤の中間的結論は「しかし、人種差別撤廃を強調するあまり、不十分な論拠でヘイトスピーチ規制を正当化しているように解されるのである」(106)

さらに、佐藤は、「ヘイトスピーチ」規制積極論への疑問として、松井茂記による積極論批判を肯定的に引用紹介する。そして、松井に対する批判として浦部法穂の見解を紹介し、浦部説を検討する。

その上で、「本稿の立場は、先に引用した松井説のうち第1及び第2の点についてであれば、きわめて限定的な場合においてのみ、刑事規制が可能ではないかというものである」となる(109)

1の点とは、特定される集団に対する違法な暴力の行使の煽動や唆し。

2の点とは、特定されうる集団およびそのメンバーに対する集団的名誉棄損や誹謗中傷、侮辱。

佐藤はこの2つについて「きわめて限定的な場合においてのみ、刑事規制が可能ではないか」という。限定的ではあるが規制を認める「中間説」と言えるかもしれない。

佐藤は次の2点については規制を否定する。

3は、特定されうる集団のメンバーに対する差別の煽動や助長。

4は、特定されうる集団のメンバーに対する憎悪の増進。

佐藤は第2節の最後に、「そもそも、ヘイトスピーチを縮減させる施策としては、本質的に『外国人』差別を解消するとともに、共生を推進するための施策としての、日本語を母語としない人に対する『日本語教育』の推進が必要と考えられるのであり、この点について、若干の検討を行ってきた。」という(109)。註が付され、日本語教育に関する佐藤のこれまでの研究が列挙されている。ただ、この記述は意味がよくわからない。後に検討したい。