Saturday, November 30, 2013
急進ナショナリズムを「保守」とは呼ばない
樋口陽一『いま、憲法改正をどう考えるか』(岩波書店)――自民党改憲案に対する批判だが、改憲案の根底に流れる思考、態度に対する思想的な批判である。副題が象徴的で「『戦後日本』を『保守』することの意味」だ。はじめ、えっ、著者はいつから「保守」を語るようになったのかと驚いたが、副題の意味は読んで、よくわかった。著者は東北大学、東京大学、早稲田大学などの憲法学教授をつとめた、現在の日本を代表する憲法学者だ。著書に『近代立憲主義と現代国家』『近代国民国家の憲法構造』『憲法と国家』『憲法という作為』など多数。憲法史、憲法政治、憲法思想史に関する研究は日本憲法学の発展そのものであった。本書は170頁ほどのコンパクトな本だが、近代日本における憲法の位置づけと性格を歴史的に分析し、戦後憲法史における9条の機能を再検討し、自民党改憲論の展開を跡付け、戦後憲法の『体験』の意味を考える。とりわけ、西欧憲法(学)から受け止めた普遍的価値を日本という磁場で活かしてきた体験を、日本から西欧に返していくことの意味を考える。作家・劇作家の井上ひさしと高校の同級生で、憲法をめぐる対談本も出ているが、その本について私は最近、雑誌『マスコミ市民』で取り上げた。副題の「保守」について、「2012年12月総選挙をめぐって展開した政治状況とその結果を、国内の論調は『保守化』という言葉で表現することが多い。自国の先達の残した最良の過去を――その挫折の歴史とともに――記憶し、それを現在に生かそうとしないことを、『保守』と言えるだろうか」と著者は述べる。安倍政権は「保守政権」ではなく「急進ナショナリスト政権」ではないか。「保守の衰退こそ、ひとつの社会の安定と品位にとっての危険信号なのである」。この認識が本書を貫く。むろん、本書では、歴史的な考察が多く提示されるし、自民党改憲案の具体的な検証もきちんと示されているが、「保守の衰退」という視点から見て、なるほど現状がよく理解できるという面が大きい。先に紹介した山崎行太郎は、小林秀雄以来の保守の第一世代から、現在の保守主義の第二世代に至る「劣化」を厳しく批判して『保守論壇亡国論』を書いた。山崎は自ら保守の立場を鮮明にしている。他方、樋口陽一は、現在の日本ではリベラルを代表する立場ということになるが、「保守の衰退」を語る点は同じである。右翼と左翼をめぐる社会意識の分裂と混乱は長く続いているが、保守と革新についても同じことが言える。民族派と国際派もおそらく同様だろう。思想の地図が見えにくくなってきたことも指摘されて久しい。ネット時代の思想状況に即して、あるいは、21世紀、ゼロ年代やテン年代の若手評論家による代案もいくつも提示されたが、たいてい1年もたたずに消えて行った。「保守」とは何か、真正の保守思想家が登場するまで、偽物たちの狂宴が続くしかないのだろうか。
「在日特権」の嘘を徹底批判
野間易通『「在日特権」の虚構』(河出書房新社)――副題「ネット空間が生み出したヘイト・スピーチ」。在特会による異常な差別と排外主義に対抗して「しばき隊」をつくり、活動してきた著者によるヘイト・スピーチ批判である。まったく根拠のないデマをばかばかしいと言って相手にしないでいると、いつの間にかネット空間にはデマがあふれ出し、デマに踊らされる人間が増える一方である。著者は「在日特権」を直接取り上げて具体的に批判する必要性を痛感し、これに取り組んだ。本書で対象としたのは、特別永住資格、年金問題、通名と生活保護受給率、住民税減免問題である。前3者については在日朝鮮人の歴史を学んだり、在日朝鮮人の人権擁護に取り組んできた者には常識的な内容ばかりであるが、一般には知られていないがために、「在日特権」という嘘がまかり通っている。著者は、一つひとつ丁寧に取り上げて再確認している。また、住民税減免問題については、在特会が盛んに宣伝する三重県伊賀市の事例について現地に赴いて調査し、それが特権ではなく、歴史的に行われたアファーマティヴ・アクションというべきものであったことを指摘する。この点は知らなかった。本書で初めて知る人が多いだろう。「在日特権」論自体がヘイト・スピーチであるとして厳しい批判を展開している。この点はヘイト・スピーチの定義いかんであるが、いずれにせよ重要な問題提起である。著者には『金曜官邸前抗議』もあるように、この間の市民運動の中で非常に重要な役割を果たしている。実践面での役割に加えて、理論面でも貢献している。
Wednesday, November 27, 2013
論壇の崩壊を跡付ける
山崎行太郎『保守論壇亡国論』(K&Kプレス)――冷戦崩壊後、左翼論壇が自滅し、右翼論壇が跳梁跋扈したように見える。だが、左翼が自滅したとすれば、右翼には存在意義がなくなるので、右翼論壇も自壊するしかない。危機に直面した右翼論壇は、左翼なき後の「サヨク」を猛烈に攻撃し、リベラルや個人主義や民主主義まで攻撃対象にしていった。他方、ネット右翼は「在日特権」を捏造して攻撃している。かくして、右翼論壇も思想的頽廃を露呈する。著者は、中国を批判し、靖国に参拝すれば、それで「保守」と言えるのか、「保守論壇」の思想的劣化により、政治家と、日本の劣化が始まった、と見る。右翼論壇の第一世代を小林秀雄、福田恒存、江藤淳、三島由紀夫、永井陽之助などの系譜に求める著者は、第一世代が左翼論壇と正面から格闘し、議論したがゆえに、その知性を保ちえたのに対して、現在の第二世代の右翼論壇は対決すべき左翼不在のままに盛況を呈したがために、論理が飛躍し、事実を捏造し、幼稚な議論を展開する結果に陥ったと見る。その典型例として、渡部昇一、西部邁、櫻井よしこ、中西輝政、小林よしのり、西尾幹二などを取り上げて、厳しく批判する。かくして保守論壇は自壊し、亡国の論理に陥った。つまり、論壇そのものが全体として劣化し、混迷していることになる。福田恒存が述べたように、もともと、保守とは「態度」であり、「主義」ではないにもかかわらず、「保守主義」というイデオロギーに無自覚に染まっている。小林秀雄、江藤淳の影響を強く受けた著者らしく、2人の文章が良く引用される。福田恒存の影響はそう大きくはないようだ。私は小林、江藤は苦手で、福田だけは良く読んだものだが。また、本書では三島由紀夫はメインではないが、著者には『小説三島由紀夫事件』という著書があるという。さらに、現在「柄谷行人論」を執筆中。
Tuesday, November 26, 2013
写真・図版で見る「慰安婦」問題
wam編著『日本軍「慰安婦」問題すべての疑問に答えます』(合同出版)――wamとは、<アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」>という長い名前のミュージアムで、2013年「日本平和学会・平和賞」を受賞した。日本軍「慰安婦」問題を中核に、武力紛争時における女性に対する暴力問題をあつかう。本書は、wamが2007年に開催した「中学生のための『慰安婦』」展に際して制作したカタログがもとになっている。第1章「日本軍『慰安婦』制度の仕組みと実態」、第2章「『慰安婦』制度の被害と実態」、第3章「日本政府の対応と各国・国際機関の反応」、第4章「女性国際戦犯法廷とNHK」、第5章「教科書問題と『慰安婦』記述」。150を超える写真、やはり100数十点の資料・図版が収められ、わかりやすい解説がついている。中学生のため、だけではなく、「員不」問題に関心を持つすべての人にとって役に立つ本だ。右翼政治家、マスコミ、ネットの書き込みでデマ宣伝が大量に流布されているのに対して、写真と資料をきちんと載せている点が強い批判力となっている。
Wednesday, November 20, 2013
憲法破壊と闘うテキスト
清水雅彦『憲法を変えて戦争のボタンを押しますか』(高文研)――「自民党憲法改正草案の問題点」という副題の本書は、右ページに現行憲法と自民党改憲案の対照表をのせ、左ページに著者による解説を載せている。最後まで一貫してこのスタイルで通しているところが、最大の特色か。従って、目次は「前文」「第一章天皇」~「第十一章最高法規」まで憲法の構成と同じだが、「第二章戦争の放棄」は「第二章安全保障」となり、現行憲法にはなくて自民党改憲案だけの「第九章緊急事態」がある。著者の解説は、コンパクトだが要点を押さえ、わかりやすい。欄外註も、よくあるような編集者が辞典から引っ張ってきたような解説ではなく、著者自身が書いたもので、抑制的だが、時折著者の信念が前に出る。立憲主義とは何か、平和主義とは、民主主義とは、という基本から、自民党改憲案は失格であることを明確に示している。この夏、憲法論・改憲論としては、伊藤真、青井美帆、水島朝穂などの著作を読んだ。いずれも興味深く、勉強になる本だが、本書も、改憲問題の基本を理解して、安倍政権による憲法破壊と闘うためのテキストとしてよくできている。著者は日本体育大学准教授(憲法学)で、研究テーマは平和主義と監視社会論。後者については著書『治安政策としての「安全・安心まちづくり」』がある。
Tuesday, November 19, 2013
フリブール美術館散歩
フリブール美術館のお目当てはマルセロだ。数年前に見学した時に、えっ、知らなかった、こんなアーティストがいたのか、と思わされたからだ。たまたま観た美術館で、たまたま出会ったアーティストだが、今回はマルセロ目当てで行ってきた。フリブール美術館は、旧市街のはずれにある。市役所前広場や聖ニコラ大聖堂からも徒歩2分だ。フリブールは、フランス語圏とドイツ語圏の境にある町で、多くの市民がバイリンガルだ。フリブールというのはフランス名で、ドイツ語ではフライブルクだ。美術館は正式にはフリブール美術歴史博物館という。歴史とつくのは12~15世紀の地元の絵画と彫刻が多数あるからだ。多くが宗教画・彫刻で、聖母マリアや、キリスト、預言者たちを描いている。15~17世紀のステンドグラスも楽しい。啓蒙時代頃の衣類、家具、食器、宝飾品なども展示されている。近代絵画もホドラーやピカソが数点あるほか、地元の画家の作品をそろえているが、なんといっても、マルセロだ。マルセロの本名はアデレ・ダフリーAdele d’Affry, Duchess de Castiglione Colonna。1836年にフリブールで生まれ、南フランスで育ち、ローマで彫刻家ハインリヒ・マックス・イムホフに彫刻を学び、19歳でカルロ・コロナと結婚したが、夫は数か月後に死んでしまう。新しい人生をパリに求めたアデレは、男性の名前マルセロMarcelloを名乗り、絵画と彫刻の世界で活躍した。ローマ時代からミケランジェロ作品に学び、力強い人物像を作り続けた。1863年からパリのサロンで定期的に個展を開いて彫刻家として認められた。フリブール美術館所蔵作品もこの時代の大理石像が中心である。代表作と言えば、パリのガルニエ・オペラ座にある<Pythia>だそうだ。このブロンズ像の実物を見たことがないが、フリブール美術館にはレプリカが置いてある。病気のため1879年没。43歳の若さだ。フリブール美術館のカタログとは別に、以前、「マルセロ展」が開催された時のカタログも買ってきたが、フランス語版のみ。カタログの表紙も<Pythia>だ。だが、なぜか展示されている絵画や、主要な大理石像がカタログに収録されていない。と思ってみると、美術館のカタログに収録されたマルセロ作品の番号はMAHF2006-97といった表記になっている。MAHFはフリブール美術歴史博物館の略なので、おそらく、2006年に所蔵となったものだろう。美術館には、エドゥアル・ブランシャルが油彩で描いたマルセロ像、ジョルジュ・クレランが油彩で描いた「アトリエのマルセロ」も展示されている。
Monday, November 18, 2013
「日本第2の哲学者」と言うが
会田正人『田辺元とハイデガー――封印された哲学』(PHP新書)――かつて西田幾多郎とともに京都大学哲学科の看板となり、三木清、戸坂潤、久松真一、西谷啓治、高坂正顕、高山岩男、鈴木成高等々の弟子を輩出した「日本第2の哲学者」、田辺。日本の侵略戦争に加担する思想宣伝を重ねたがゆえに、戦後は「封印」されてきた田辺。同じく加担したはずの西田は戦後ももてはやされたが。その田辺が近年徐々に復権しつつある。岩波文庫にも何冊か登場しているという。著者も長年、田辺研究をしてきたので本書に至った。著者は明治大学教授で、『吉本隆明と柄谷行人』『レヴィナスを読む』『幸福の文法』などの著書がある。著者はもちろん単に田辺を復権させようとしているのではない。逆に、単なる無視や封印によっては田辺を乗り越えられないので、田辺哲学を正面から問い直し、田辺の「種の論理」と格闘を試みる。「種の論理」は、「ジャン=ポール・サルトルの『存在と無』と『弁証法的理性批判』を合わせたような規模の理論」であり、「レヴィナスが『全体性と無限』で語った主題のほとんどすべて」を論じたのだという。その「種の論理」が、「出陣する学徒たちに決死と散華を説き、国民総動員を哲学的に裏付け、戦争遂行を懺悔し、戦後日本の進むべき道を示した」と見る著者は、「種の論理」の「懐胎」、「成立」、「変容」を追いかけ、戦争責任との関係で、ついに「懺悔」に至る田辺を追跡する。「種の論理」が必然的に崩壊に至る過程も提示している。フッサールやハイデガーに学び、それを批判しつつ、また師である西田をも批判しつつ、いかにして田辺の思想が形成されたのかは、なかなかおもしろい。また、著者は、田辺が戦場に赴いた学徒からの「殺せない」との手紙を受けて、「殺せ」と書いたことや心境なども提示し、田辺の眼中には「殺される者」「差別される者」「侵略される側」がまったくないことを指摘する。それはもともと「種の論理」が、日本には日本人だけがいる、というレベルの発想に立っており、朝鮮半島出身者を排除して成立していたことにも明らかであるとして批判している。その通りだ。この点を見れば、「思想的に他者を排除した」ことの問題性もよく見えるが、そもそも事実認識として、日本国には日本人しかいないという認識が極めて幼稚であり、おふざけのレベルであることも分かるはずだ。ここまでふざけきった思想を「思想」とは呼ばない。「哲学」と呼んではいけない。しかし、著者はあくまでも思想として、哲学として語る。田辺を思想家、哲学者と呼ばないと、著者自身の思想と哲学の行き先が不安になるのだろう。真に問うべきは、西田や田辺程度の思想・哲学しか生み出せなかったこの国の知的風土とはいったい何であるのかだろう。
Friday, November 15, 2013
ヘイト・クライム禁止法(45)アゼルバイジャン
アゼルバイジャン政府がCRD75会期に提出した報告書(CERD/C/AZE/6. 16 May 2008)によると、憲法47条3項は、人種、民族、宗教、社会的不調和や敵対を煽動するアジテーションや宣伝を禁止している。2000年刑法は憎悪や人種的動機による各種犯罪を規定している。ジェノサイド(103条)、せん滅(105条)、奴隷化(106条)、住民の強制移送や強制移住(109条)、性暴力(108条)、強制拘禁(110条)、アパルトヘイト(111条)、拷問(113条)、市民の平等侵害(154条)、宗教儀式の妨害(167条)、民族、人種又は宗教的敵意の煽動(283条)。また、刑法120条2項は、殺人罪について、民族、人種又は宗教的憎悪又は敵意による場合を加重処罰するとしている。近年、人種的動機による殺人事件は報告されていない。報告書は、奴隷化、人身売買、強制国外追放などについて詳しく書いている。急進的イスラム原理主義者による宗教的憎悪による犯罪防止のために、諸外国からの要請に従って、宗教的憎悪を煽動し、テロリズム行為を行った被疑者12人を国外退去と舌が、3人はアル・カイーダ、3名はミシル・イスラム・ジハーディ、5人はアル・ジャマ・アル・イスラミヤのメンバーである。刑法283条に関する情報は掲載されていない。
ヘイト・クライム禁止法(44)アラブ首長国連邦
アラブ首長国連邦がCERD75会期に提出した報告書(CERD/C/ARE/12-17. 27 March 2009)によると、1987年の連邦刑法(2005年改正)には暴力を禁止する一連の規定がある。刑法312条は、聖なるイスラム教を貶めたり、イスラム宗派を侮辱した者は刑事施設収容又は罰金としている。宗教信念に対する罪、人身に対する罪、名誉に対する罪、侮辱罪がある。刑法102条は刑罰加重事由を定めているが、犯罪を行った際の残虐さなどが加重事由とされている。――アラブ首長国連邦だけでなく、イスラム諸国にはイスラムを保護する刑罰規定が目立つ。イスラム諸国では、これをヘイト・スピーチ法と考えている。とりわけ、西欧諸国におけるイスラム侮辱、ムハマド侮辱戯画事件など。CERDは、アラブ首長国連邦に、条約4条に従って立法するようにと勧告している。
パウル・クレーの世界を満喫
前田富士夫『パウル・クレー 造形の宇宙』(慶応義塾大学出版)――著者には、2011年度の総合講座「パウル・クレー」に2回出講していただいた。西洋美術史の同僚と2人でコーディネートしたが、こちらは素人。それでも、ベルン美術館7~8回、パウル・クレー・センター8回の訪館歴、つまり、素人ながらクレーの作品を1000点以上見て、美術館で資料も入手してきたので、総合講座を思いついた。お墓にも4回行った。ちなみに、クレーの作品は約9000点(数え方にもよるので1万点という人もいる)、そのうち4000点がパウル・クレー・センターにあり、さまざまな企画展が行われてきた。総合講座には、勤務先の同僚である画家、美術史家、造形研究家などにそれぞれの観点からクレー作品について語ってもらい、外部からゲスト講師として前田富士夫先生に2回おいでいただき、さらにフリーの学芸員の林綾野さんにも2回講義していただいた。どちらも素晴らしい講義だった。前田先生は「クレーにおけるオーバーラップ」「クレーと色彩論」をお話しいただいた。そのもとになった論文(同じタイトル)はともに本書に収録されている。前田先生の講義はとても水準が高くて、学生には難しいな、と思って聞いていたのだが、学生が書いたアンケートを見ると、とても好評だった。水準の高い理論的な話でも、聞くときは聞くんだ、つまり、きっちり聞かせるんだ、と思わされた(苦笑)。林綾野さんの講義は、ちょうど林さんがTVの情熱大陸に取り上げられた時期で、TV局のクルーがやって来て撮影したと思ったら、少しだけ講義の様子が映っている。いまはユーチューブで見ることが出来る。――さて、本書は2012年10月に出たが、本格的な美術・美術史評論で本文440頁もある。「クレーにおける『分節』概念の成立」「エネルゲイアとしての造形」「コンステレーションとしての造形」「絵画の導きとしてのイデオロギー」「語り手としての画家そして語り手たち」「クレーとベックマンにおける神話的ノーテーション」といった論文が15本収められている。私には読む能力がない。理解できるのは一部にすぎない。ふつう図版が頼りだが、カラー写真を掲載した口絵は4頁しかなく、あとは本文中にモノクロ図版だ。イメージがわかない。見た作品を記憶していないと、本書は読めない。というわけで、読む能力、基礎知識がないにもかかわらず、懸命に、楽しく頁をめくった。まとまった時間がないと、こうはできない。著者は、言うまでもなくパウル・クレー研究の第一人者で、慶応義塾大学名誉教授、現在は中部大学教授だ。著書に『伝統と象徴』『パウル・クレー――絵画のたくらみ』『色彩から見る近代美術』等。パウル・クレー・センター設立以後、クレー研究は飛躍的に発展している。センターの学芸員たちの努力だ。ちょうど2011年、京都と東京で「終わらないアトリエ パウル・クレー展」が開かれたが、あれなど、一時期のクレーの技法で、制作した作品を切り貼りして再構成して、思いがけない表現を創った時期の、その手法をテーマにした玄人好みの展覧会だ。それをセンターの学芸員たちは、玄人を満足させながら、同時に素人もしっかり楽しませる展覧会として構成していた。「芸術とは眼にみえるものを再現するのではなく、眼にみえるようにすることだ」――あまりにも有名なクレーの言葉だが、いまだにある種の謎でもある。本書は、「形態」「色彩」「セミーシス」の3つの柱に、それぞれ5本、合計15本の論文を配して、クレーの造形宇宙の謎を解き明かす意欲的な試みだ。あちこち読み返しながら、少しでも理解できるようになりたいものだ。
Thursday, November 14, 2013
ヘイト・クライム禁止法(43)ポーランド
ポーランド政府がCERD75会期に提出した報告書(CERD/C/POL/19. 19 May 2008)によると、刑法256条及び257条は、国民、民族、人種及び宗教の差異、又はいかなる宗派に属さないことのために、公然と憎悪を煽動した者、その国民、民族、人種又は宗教関係ゆえに、又は、いかなる宗派に属さないことゆえに、住民の中の集団又は諸個人を公然と侮辱した者、又はそれらの理由で、他人の人間の尊厳を侵害した者は、訴追されるべきとしている。他方、刑法119条(1)(2)は、集団又は個人に対して暴力を用いたり、違法な脅迫をすること、そうした犯罪の実行を公然と煽動することを禁止している。2000~03年、人種主義的理由で行われた事件が刑事訴追されたのは35件であり、その内7件は裁判が終結し、28件は却下された。2004年、24件、2005年、29件。2004年には20件、2005年には37件が終結。刑法256条と257条について見ると、2000年には刑法256条違反の訴追は9人で、内6人について判決が出て、5人は刑事施設収容、1人は罰金。刑法257条違反の訴追は13人で、6人について判決が出て、4人が刑事施設収容、2人が罰金。2001年は、刑法256条について、訴追16人、判決16人、刑事施設収容10人、自由制限刑5人、罰金1人。刑法257条について、訴追9人、判決6人、刑事施設収容4人、自由制限刑1人、罰金1人。2002年は、刑法256条について、訴追7人、判決6人、刑事施設収容2人、罰金2人。刑法257条について、訴追8人、判決8人、刑事施設収容6人、罰金2人、等々。2004年11月以後、内務省の人種主義・外国人嫌悪監視チームが情報収集を行って、分析している。人種主義・外国人嫌悪に関する裁判の具体例として、次のものが掲げられている。(1)2004年5月31日、自宅のバルコニーにカギ十字を描いた赤旗を掲げて、国家をファシズム化することを公然と促進したことで被告人が訴追された。タルノフゼクTarnobrzeg地裁は、2004年8月23日判決で、刑法256条違反として12か月の自由制限刑及び40時間の社会奉仕命令を言い渡した。(2)2003年8月26日、被告人は、瓊浦257条違反で訴追された。アメリカ市民を、彼女の人種的関係ゆえに侮辱し、背中を叩き、彼女の名前を侮蔑的に呼ぶことで人間の尊厳を侵害したというものである。ワルシャワ・スロドミエスキSrodmiescie地裁は、2004年8月9日判決で、6月の刑事施設収容を命じた。固有名詞の読み方は調べていない。なお、自由制限刑の内容も不明だが、刑事施設に収容されないが何らかの条件を付して行動制限(外出制限、旅行制限等)を課す刑罰と思われる(要調査)。
<おんな>の思想の源泉
上野千鶴子『<おんな>の思想――私たちは、あなたを忘れない』(集英社インターナショナル)――なるほど、よくわかった。著者が「論争」に次ぐ「論争」に突入し、連戦連勝を遂げた理由の一端が。帯の言葉は「わたしの血となり肉となったことばたち。フェミニズムの賞味期限はすぎたのだろうか?」。
本書第1部「<おんなの本>を読みなおす」では、森崎和江、石牟礼道子、田中美津、富岡多恵子、水田宗子の5人の女性の著作が取り上げられる。<おんなの思想>がどのように生み出され、形をなして行ったのか。その苦しい、そして激しい思想の闘いを著者はどのように読み、学び、著者自身の思想として取り入れ、鍛え直して行ったのか。私が森崎や石牟礼を読むとき、いかに敬意を持って読もうとも、知識を得る読み方を超えない。著者が森崎や石牟礼を読むとき、著者の学問だけでなく、人生が賭けられている。そんな読み方に勝てるはずがない。
本書第2部「ジェンダーで世界を読み換える」では、ミシェル・フーコー、エドワード・サイード、イヴ・セジウィック、ジョーン・スコット、ガヤトリ・スピヴァク、ジュディス・バトラーの6人の思想家の著作が取り上げられる。フーコーとサイードは男だが、著者は『性の歴史』や『オリエンタリズム』の画期的意義を受け止め、自らの方法論に活かしていった。「セックスは自然でも本能でもない」「オリエントとは西洋人の妄想である」「同性愛恐怖と女性嫌悪」「世界を読み換えたジェンダー」「服従が抵抗に、抵抗が服従に」「境界を攪乱する」――大胆に簡略化したスローガンだが、元の著作の粋を抽き出して、わかりやすく表現するだけでなく、これらに学んで著者のフェミニズムを紡ぎ直し続けたということだ。こうして理論武装した著者は、「論争」に次ぐ「論争」から決して撤退することなく、つねに最前線で闘い続けた。著者は一人ではなかった、からだ。尊敬する先人の言葉と思想と人生を引き受けて、負けられない闘いに挑み続けたからだ。11人の著作が取り上げられているが、最終章の「境界を攪乱する」は、竹村和子の遺著に著者がつけたタイトルなので、竹村も含めると12人の思想家を取り上げている。
本書はフェミニズム入門ではないが、「上野フェミニズム」の源泉となった著作の読み解き方を教示してくれる。著者はあとがきで「わたしがいかにつくられたか、ということの証言でもある。/だから、この本はわたしにとって、とくべつなものとなった」と述べている。上野フェミニズムに関心のある読者はもちろんとして、それ以外の、現代思想に関心を持つすべての読者にも有益な1冊である。
最後に1点、とても気になることを書き留めておこう。著者は「バトラーの言説実践論は、ことば狩りのようなヘイトスピーチの取り締まりに『ノー』と答える。それぞれに歴史的負荷を負った言語や概念を『使わない/使えないようにする』よりは、むしろそれを誤用、流用することで新しい意味を与えていくほうがよい、と。」(287頁)。これはバトラーの『触発する言葉』のことだという。同書を読んでいないので、本格的なコメントはできないが、上野の記述が正しいとすれば、バトラーはヘイト・スピーチとは何かをおよそ理解していない。
第1に、ヘイト・スピーチは単なる「表現」ではない。ヘイトは憎悪と訳されるが、単なる「憎悪」でもない。ヘイト・スピーチは「憎悪表現、言論」と訳されるが、単なる表現ではない。差別、差別の煽動、暴力の煽動、そして排除と迫害であり、放置しておくと人道に対する罪としての迫害やジェノサイドにつながる行為である。これが常識というものである。だから、国際自由権規約も人種差別撤廃条約も人種主義の流布や人種差別の煽動を規制するように要求しているのだ。だから、EU加盟国すべてがヘイト・スピーチ規制法を持っているのだ。そして、京都朝鮮学校事件に関する京都地裁判決も、(不十分な認識ではあるが、)在特会の行為を「排除」だと認定したのだ。単なる「表現」ではなく、「憎悪をぶつけて排除する行為」が問題となっているのだ。この認識をもたないと、ヘイト・スピーチを「表現」に圧縮し、ヘイト・スピーチ規制を「ことば狩り」だなどとトンデモ発言をすることになる。「我々は叫んでいるだけだ。表現の自由だ」と開き直る在特会に、ジュディス・バトラーはお墨付きを与える。
第2に、被害を無視している。ヘイト・スピーチが直接の被害者及び間接の被害者(被害者と属性を同じくする集団構成員等)に深刻な重大被害をもたらしている現実を考えれば、まともな人間なら、まず被害を止めることを考えなくてはならない。ところが、バトラーは「歴史的負荷を負った言語や概念を『使わない/使えないようにする』よりは、むしろそれを誤用、流用する」と言うのだ。まさかとは思うが、「被害など関心はない。私の言説実践こそ重要なのだ」とでも考えているのだろうか。
本書第1部「<おんなの本>を読みなおす」では、森崎和江、石牟礼道子、田中美津、富岡多恵子、水田宗子の5人の女性の著作が取り上げられる。<おんなの思想>がどのように生み出され、形をなして行ったのか。その苦しい、そして激しい思想の闘いを著者はどのように読み、学び、著者自身の思想として取り入れ、鍛え直して行ったのか。私が森崎や石牟礼を読むとき、いかに敬意を持って読もうとも、知識を得る読み方を超えない。著者が森崎や石牟礼を読むとき、著者の学問だけでなく、人生が賭けられている。そんな読み方に勝てるはずがない。
本書第2部「ジェンダーで世界を読み換える」では、ミシェル・フーコー、エドワード・サイード、イヴ・セジウィック、ジョーン・スコット、ガヤトリ・スピヴァク、ジュディス・バトラーの6人の思想家の著作が取り上げられる。フーコーとサイードは男だが、著者は『性の歴史』や『オリエンタリズム』の画期的意義を受け止め、自らの方法論に活かしていった。「セックスは自然でも本能でもない」「オリエントとは西洋人の妄想である」「同性愛恐怖と女性嫌悪」「世界を読み換えたジェンダー」「服従が抵抗に、抵抗が服従に」「境界を攪乱する」――大胆に簡略化したスローガンだが、元の著作の粋を抽き出して、わかりやすく表現するだけでなく、これらに学んで著者のフェミニズムを紡ぎ直し続けたということだ。こうして理論武装した著者は、「論争」に次ぐ「論争」から決して撤退することなく、つねに最前線で闘い続けた。著者は一人ではなかった、からだ。尊敬する先人の言葉と思想と人生を引き受けて、負けられない闘いに挑み続けたからだ。11人の著作が取り上げられているが、最終章の「境界を攪乱する」は、竹村和子の遺著に著者がつけたタイトルなので、竹村も含めると12人の思想家を取り上げている。
本書はフェミニズム入門ではないが、「上野フェミニズム」の源泉となった著作の読み解き方を教示してくれる。著者はあとがきで「わたしがいかにつくられたか、ということの証言でもある。/だから、この本はわたしにとって、とくべつなものとなった」と述べている。上野フェミニズムに関心のある読者はもちろんとして、それ以外の、現代思想に関心を持つすべての読者にも有益な1冊である。
最後に1点、とても気になることを書き留めておこう。著者は「バトラーの言説実践論は、ことば狩りのようなヘイトスピーチの取り締まりに『ノー』と答える。それぞれに歴史的負荷を負った言語や概念を『使わない/使えないようにする』よりは、むしろそれを誤用、流用することで新しい意味を与えていくほうがよい、と。」(287頁)。これはバトラーの『触発する言葉』のことだという。同書を読んでいないので、本格的なコメントはできないが、上野の記述が正しいとすれば、バトラーはヘイト・スピーチとは何かをおよそ理解していない。
第1に、ヘイト・スピーチは単なる「表現」ではない。ヘイトは憎悪と訳されるが、単なる「憎悪」でもない。ヘイト・スピーチは「憎悪表現、言論」と訳されるが、単なる表現ではない。差別、差別の煽動、暴力の煽動、そして排除と迫害であり、放置しておくと人道に対する罪としての迫害やジェノサイドにつながる行為である。これが常識というものである。だから、国際自由権規約も人種差別撤廃条約も人種主義の流布や人種差別の煽動を規制するように要求しているのだ。だから、EU加盟国すべてがヘイト・スピーチ規制法を持っているのだ。そして、京都朝鮮学校事件に関する京都地裁判決も、(不十分な認識ではあるが、)在特会の行為を「排除」だと認定したのだ。単なる「表現」ではなく、「憎悪をぶつけて排除する行為」が問題となっているのだ。この認識をもたないと、ヘイト・スピーチを「表現」に圧縮し、ヘイト・スピーチ規制を「ことば狩り」だなどとトンデモ発言をすることになる。「我々は叫んでいるだけだ。表現の自由だ」と開き直る在特会に、ジュディス・バトラーはお墨付きを与える。
第2に、被害を無視している。ヘイト・スピーチが直接の被害者及び間接の被害者(被害者と属性を同じくする集団構成員等)に深刻な重大被害をもたらしている現実を考えれば、まともな人間なら、まず被害を止めることを考えなくてはならない。ところが、バトラーは「歴史的負荷を負った言語や概念を『使わない/使えないようにする』よりは、むしろそれを誤用、流用する」と言うのだ。まさかとは思うが、「被害など関心はない。私の言説実践こそ重要なのだ」とでも考えているのだろうか。
Wednesday, November 13, 2013
マリオネット博物館散歩
マリオネット博物館はフリブールの底にある。フリブールの町は、蛇行するサリーヌ川が抉り取った断崖の上と下に発達した。旧市街は川へ向かって下りる斜面につくられ、一番下にサリーヌ川が流れている。凄い坂の町だ。坂の底に、ベルン橋とミリュー橋がある。ミリュー橋のたもとにある小さな建物がマリオネット博物館だ。町の中心にそびえる聖ニコラ大聖堂や、赤い塔、猫の塔などを見て、ベルン橋を渡り、広場を通り抜けると赤い屋根の博物館だ。フリブール生まれのジュネーヴ市民だったジャン・ビントシェドラーは、音楽家の父親の元、劇場に出入りし、ジュネーヴ大学卒業後、教師やジャーナリストをしながら、各地の劇場を訪れる中、マリオネットに興味を持ち、収集を始めた。スイス、フランス、ドイツはもとより、やがてインドやザイールなど、アジアやアフリカ各地を訪問して調査した。1978年にマリオネット博物館を開いたが、現在のようになったのは1985年のようだ。経営はビントシェドラー財団。収蔵・展示されているのは、スイス各地(ジュネーヴ、フリブール、ベルン、チューリヒなど)、フランス、ドイツ、イタリア、そしてインド、ブータン、ヴェトナム、タイ、インドネシア(ジャワ、バリ)、カンボジア、ビルマ、ザイール、チェコスロヴァキアなど各地のマリオネット。指人形、糸操り人形、影絵、仮面、劇場の箱、その他の小道具などが所狭しと展示されている。もちろん、マリオネット博物館の作品も多数ある。というのも、ここは博物館だけでなく、マリオネット劇場と喫茶店でもある。小さなホールで劇を上演し、各地に出張上演もしている。カタログの表紙には「蝶々夫人」の人形が使われているが、1984年にビントシェドラー自身が作成して上演した『蝶々夫人』の時のものだ。
Tuesday, November 12, 2013
ヘイト・クライム禁止法(42)フィリピン
フィリピン政府がCERD75会期に提出した報告書(CERD/C/PHL/20. 8 July 2008)によると、条約4条については前回報告書参照と述べつつ、追加情報として、先住民族権利法72条は、先住民族の土地や所有地に対する権限のない又は不法な侵襲を犯罪としており、それには残虐な取扱いや屈辱的な取扱いの規制も含まれるとしている。同法73条は、犯行者が公務員の場合、刑罰加重するとしている(詳細が不明。先住民族権利法を見てみないとわからない)。フィリピンでは、「2007年の宗教・人種的プロファイリング禁止法案」(ドゥマルパ法案)が国会上程中である(その後の状況は不明。要調査)。
拷問禁止委員会・キルギスタン政府報告書審査
12日午前は、拷問禁止委員会でキルギスタン政府報告書の審査だった。政府は7名、NGOは30名ほどだった。昨日のアンドラ審査は2名で驚いたが、今日は常連が10名余りと、キルギスタン関係者らしき人たち。政府報告書は2回目で48頁、手堅くまとめた報告書の印象だったが、NGOは充実した報告書を持ってきていた。きとんと印刷製本された3つの報告書をもらった。『キルギス共和国の閉鎖施設における拷問からの自由の権利の考察』(BISHKEK、2102年)、『キルギス共和国の内務省管轄下の暫定拘禁施設における拷問予防』(BISHKEK、2011年)、『2010年のキルギスタン南部で発生した悲劇的事件についての調査』(BISHEKK、2011年)。前2冊はOSCEの協力によるものだ。トゥグシ委員が、刑法の拷問罪の定義に差別による拷問が含まれていないのはなぜか、憲法の人権規定はよくできているがNGO情報では実際の刑事司法には残念な事件が起きている、身柄拘束時に記録が不備なため12時間の制限が守られず混乱が生じている、拘禁条件、特に医療とメンタルヘルスに難点がある、など質問した。ゲア委員は、施設の閉鎖性が高く外部交通が少ない、警察留置下での自殺事件がみられるが詳細を知りたい、不服申立制度で独立の第三者の機関に直接アクセスできない、一部に強制結婚目的の誘拐事件がみられるなどの指摘をしていた。昼食時、外を見ると文字通り雲一つない見事な快晴だったので、モンレポ公園に出て、レマン湖のシーバスに乗ってパキやイギリス公園に出てお散歩した。
Monday, November 11, 2013
スターの時代と、時代の中のスター
鴨下信一『昭和芸能史 傑物列伝』(文春新書)――美空ひばり、長谷川一夫、藤山一郎、渥美清、森繁久彌、森光子――国民栄誉賞を受賞した芸能人6人の伝記だが、著者は1958年に東京放送(TBS)に入社して以来、芸の畑を歩んできた演出家だったので、6人のうち4人は実際に演出したことがあるなど、個人的に親しかったこともあり、想い出、秘話も含めての伝記であり、同時に6人だけを描くのではなく、昭和という時代に焦点を当てている。タイトルにふさわしい本だ。著者は「不思議なことに、ここに挙げた国民的芸能人たちは、正当な評価が行われていない。エンタテインメントに関しては日本人はいつでもそうだから不思議でも何でもないのかもしれない。」と始める。そうなのだろうか。そうなのかもしれない。まず取り上げられた美空ひばりだが、「昭和の歌姫」「女王」と呼ばれながら、国民栄誉賞を受賞したのは死後のことである。「生前あげておけばよかったのに、ひばりさん申し訳なかった」という。なぜなら「これほど[イジメられた]人もいない」からだ。デビュー当時に、詩人サトウ・ハチローから「バケモノ」「不気味」と嫌われ、劇作家の飯沢匡からも批判された。大衆に支持されたが、インテリに嫌われたのはなぜか。「ひばりは下品だ」の中身を、歴史と社会の中で分析する、その追跡がとても面白い。敗戦後の日本で、「ひばりが思い出させたもの」、それをインテリは嫌ったのだ、という。たしかに、そうだ。戦争の影を見せつけられる一面があったということだ。他方で、弟の存在が暴力団を引き寄せる。芸能界と暴力団、これも現在まで続くテーマだ。もっとも、大鵬や長嶋茂雄もつい先日、受賞したばかりだ。政治家が人気取りのために気まぐれに出すのが国民栄誉賞だからだ。それはともかく、長谷川一夫以下の伝記も実に面白い。知っていることもあるが知らないエピソードが次々と出て来るし、それぞれの時代になぜ彼らがスターとして輝いたのかがよくわかり、文章も上手なので、最後まで一気に読めてしまう。もっと、ゆっくり読みたかった、と後で思わされる本でもある。子どもを産まなかった森光子が、京塚昌子や山岡久乃をさしおいて<日本のお母さん>と呼ばれるようになった秘密もよくわかる。森光子の代表作「放浪記」は林芙美子の物語であり、お母さんではないにもかかわらず。著者は他の芸能人についても山ほど思い出を持っているので、「この調子で書き継いだら、さぞ面白いだろう」と言う。ぜひぜひ早急に書いてほしいものだ。
税金も軍隊も死刑もない国アンドラ
11日、パレ・ウィルソンで開催中の拷問禁止委員会はアンドラの第1回報告書を審査した。アンドラには2005年夏に行ったことがある。軍隊のない国家の調査のために、あの夏は、リヒテンシュタイン、モナコ、サンマリノなど各地を回った。アンドラへは菫の町トゥールーズからバスだった。トゥールーズを出てしばらくすると、南西部フランスの街並みはどんどんスペイン風になっていく、と当時思ったが、それはスペイン風ではなく、カタロニア風というべきだったことが分かる。高速をおりて、アンドラ・ラ・ベッリャにつくと、小さな素敵な田舎町だが、中心部のメインストリートには世界の商品があふれていた。税金のない国家で、世界の商品が集まる。ピレネー山中にあるので、夏はスペインからの避暑地となる。冬はスキー場だ。これで温泉があれば日本からの観光客が増えるのだが。国会と裁判所を訪れて、見せてもらったのを思い出す。拘置所はいま使っているからということで、入れてもらえなかったが。拷問禁止委員会の審査は、アンドラ政府から7人、傍聴NGOはたった2人。先週まで来ていたNGOは誰も来なかった。1人、始めて見る女性が一番端に座っていた。40名ほど入れる傍聴席はガラガラ。アンドラの初めての報告書だが、欧州拷問禁止条約とその選択議定書には前から入っているので、報告書は手慣れた感じで書いてある。税金や軍隊だけでなく、死刑もない。しかも、憲法に死刑禁止と明示している国だ。ブルニ委員が、国内人権機関が不十分、刑事施設の外部交通につき2007年欧州拷問禁止委員会で改善の約束をしたが、どうなったか、など質問。ワン委員は、ヘイトや不寛容に対する反レイシズムの立法が不十分、人身売買の犯罪化はどうなったか、国連人権理事会の普遍的定期審査で「市民でない者non-citizens」が権利を享受することを保障するよう勧告されているのを受け入れていない理由は何かと質問していた。ドマ委員は、法律家や警察官の訓練研修、独立性と専門性の研修について質問していた。アンドラには大学がないので、みなスペインの大学に行き、専門家となって帰ってくるので、アンドラ自身で専門性の研修を準備するのは大変だろう。
Sunday, November 10, 2013
ヘイト・クライム禁止法(41)ギリシア
人種差別撤廃委員会75会期に提出されたギリシア政府報告書(CERD/C/GRC/19. 3 April 2009)によると、1979年の法律927号は「人種差別を目的とする行為を処罰する」としている。(1)故意にかつ公然と、口頭、印刷、文書、描写、その他の手段であれ、人種的又は国民的出身、又は宗教(1984年改正)を根拠に、個人又は個人の集団に対する差別、憎悪又は暴力を惹起する行為を煽動すること。(2)人種差別の傾向を持つ組織的宣伝又は活動を意図する組織をつくり、又は参加すること。(3)公然と、口頭、印刷、文書、描写、その他の手段であれ、人種的又は国民的出身、又は宗教(1984年改正)を根拠に、個人又は個人の集団に対する攻撃的観念を表明すること。2001年の法律290号が刑罰を規定していたが、2005年の法律3386号71条4項で改正され、上記(1)(2)は2年以下の刑事施設収容又は罰金、(3)は1年以下の刑事施設収容又は罰金となった。さらに、2005年の法律3304号16条1項は、「民族的又は人種的出身、宗教その他の信念、障がい、年齢又は性的志向を根拠に、公衆に対して商品やサービスの提供に関して、差別的取り扱いの禁止に違反した者は、6か月の刑事施設収容又は1000以上5000ユーロ以下の罰金とする」としている。2005年、極右勢力が国際的に「ヘイト祭り」を開催しようとしたことに対して、政府は、人種的憎悪を促進するイベントを非難した。政府とNGOが強い反対をしたので、「ヘイト祭り」は中止となった。刑法とは別に、1987年のラジオ・テレビ局設置法や、2000年のテレビ局に関する大統領令が、放送において憎悪煽動を放送してはならないと定めている。
大災害、犯罪、刑法をめぐる研究
斉藤豊治編『大災害と犯罪』(法律文化社)――刑法学者で甲南大学名誉教授、大阪商業大学教授の編者らが2011年の国際犯罪学会世界大会で開催したシンポジウムをもとに編集した本である。刑法学者、弁護士、犯罪学者、心理学者、科学者などの協力により、幅広い研究書となっている。第1章「大災害後の犯罪」(斉藤豊治)は内外の研究成果を手際よくまとめて課題を浮き彫りにしている。編者には学界や研究会で長年ご指導いただいてきたので、刑法(解釈論のみならず理論史研究も)、少年法、国家秘密法など、深く鋭く、そして手堅い研究を行ってきたことはよく知っていたが、このテーマでも阪神淡路大震災以後、研究を重ねていたのは、よく知らなかった。本書にでは「阪神淡路大震災後と関東大震災後の犯罪減少の比較」「阪神淡路大震災後の犯罪減少」「阪神淡路大震災後の犯罪防止活動」「ハリケーン・カトリーナ後のアメリカ南部の危機」「東日本大震災の津波への対応は適切だったか」「東日本大震災における助け合いと犯罪」「犯罪学からみた原発事故」「経済・企業犯罪研究からみた福島原発事故」「自身・断層研究からみた柏崎刈羽原発の危険性と福島原発事故」「原発訴訟弁護団からみた浜岡原発の危険性と福島原発事故」「福島原発事故と刑事責任」、「近未来の大災害と犯罪に備える」が収録されている。多角的な分析はとても参考になる。13人の著者のうち5人は知り合いだ。一つひとつの論考を紹介する余裕はないが、いずれもためになる。もっとも、違和感のある記述もないではない。たとえば、犯罪社会学におけるコーエンとフェルソンの日常活動理論を適用しているが、理論に合致しないデータを無視し、合致するデータを強調して、理論の正当性を確認しているのは疑問だ。また、竹村典良(桐蔭横浜大学教授)「犯罪学からみた原発事故」は、環境重視のグリーン犯罪学を唱えて意欲的である。註を見ると、グリーン犯罪学に関する英文の論文も書いている。期待したい。ただ、「事故の対処として『刑事的制裁』(刑罰)を科すだけでは何も解決せず、さらなる原発事故の発生が予測される」という表現が繰り返され、「再発防止のための民主的かつ規制的な新たなシステムを構築することが必要であろう」という。不思議な文章である。刑罰を科すか否かは実行者に刑事責任があるか否かに関わる。「事故の対処として『刑事的制裁』(刑罰)を科すだけでは何も解決せず」と言うが、それを言い出せば、あらゆる事故に当てはまる。「事故の対処として『刑事的制裁』(刑罰)を科す」とともに「再発防止のための民主的かつ規制的な新たなシステムを構築することが必要であろう」と考えるのが普通だろう。なぜ「科すだけでは何も解決せず」などと言わなければならないのか。東電の責任者を免責するための言葉でしかない。著者は論文前半で、「国家と電力会社」の関係を「国家―企業複合体」として厳しく批判しているが、いざ責任を問う段階になると、突如として「刑罰を科すだけでは何も解決せず」と言い出して、原子力ムラに奉仕する。「再発防止のための民主的かつ規制的な新たなシステムを構築すること」を具体的に提案するのならともかく、それ抜きに刑事免責だけを主張するのはいかがなものか。著者は大学院の後輩で、若い時代を知っているが、まともな研究者だったはずなのに。
Saturday, November 09, 2013
ヘイト・クライム禁止法(40)エチオピア
エチオピア政府報告書(CERD/C/ETH/7-16. 11 March 2009)によると、人種差別撤廃条約4条で定められている人種差別はエチオピア刑法の下で犯罪とされてるという。刑法486条(b)は、いかなる手段であれ人種憎悪を流布することを犯罪とし、刑事施設収容又は罰金としている。重大な事件では三年以下の刑事施設収容である(重大でない場合は「単純な刑事施設収容」としている。期間は不明)。1992年の「プレスの自由宣言」10条2項(b)は、民族的又は人種的優越性や劣等性に基づく非難、人種的ステレオタイプや憎悪について、一年以上三年以下の刑事施設収容、又は一万以上五万以下のビルの罰金としている。2007年の「放送サービス宣言」30条4項(a)は、放送によって人間の尊厳や個人の自由を侵害してはならないとし、民族的優越性や劣等生に基づく観念は、被害民族集団に属する者の尊厳の侵害に当たるとしている。刑罰とは別に、放送権剥奪もありうる。刑法269条はジェノサイドの罪をさだめている(ジェノサイド条約とはやや異なる規定)。刑法274条は、ジェノサイドの罪の実行の挑発や共謀を処罰するとしている。刑法240条1項(a)は、「市民や住民の武装、他者に武器を取るよう呼びかけるなどによる内戦」の教唆を重大犯罪としている。刑法480条は、口頭、文書、図画、ジェスチャーその他によって、コミュニティ又は個人に対する暴力行使を教唆する行為を犯罪としている。同様に、人種主義的活動への財政援助も犯罪である。人種差別を促進し、煽動する組織や宣伝活動を行う団体は禁止されている。また、刑法84条により、ある犯罪が人種的動機によって行われた場合は刑罰加重事由とされている。
日本史における辺境と国境
武光誠『国境の日本史』(文春文庫)――歴史哲学・比較史的研究の著者による新書で、神話の時代から現在までを通して国境や辺境や領土意識がどのように変わってきたかを1冊にまとめている。序章で、日本政府が主張する「わが国固有の領土」という考え方を批判している。国際法になく、英語にも訳せない日本独自の奇怪な見解が世界に通用しないことは明らかだが、単に国際法から見ておかしいと言うだけでなく、国境とは何か、国境はどのように定められてきたかという基本に立って、「わが国固有の領土」というのはおかしいと、著者は指摘する。もっともだ。そのうえで、著者は縄文時代の日本とはどこまでか、古事記や日本書紀の日本とはどこかといった話から、現代の北方領土、竹島、尖閣諸島まで、国境や辺境にまつわるエピソードを次から次と繰り出す。南洋諸島や南極も無視せず、日本とのかかわりを明示する。博識だし、面白い本だ。ここから現在の領土問題を論じるのは無理だが、著者も、一定の方向性は示すものの、論争それ自体に立ち入るわけではない。ちょうどよいセーブぶりだ。
国際宗教改革博物館散歩
ジュネーヴの旧市街の中心、小さな丘の上にサン・ピエール寺院があり、その隣が国際宗教改革博物館だ。かつてジャン・カルヴァンが活躍したサン・ピエール寺院だけあって、ルターが活躍した南ドイツとともに、宗教改革のセンターがここである。サン・ピエール寺院の鐘楼に登ると、レマン湖、そこから流れ出すローヌ川、そしてその周辺に広がるジュネーヴの街並みを見下ろすことができる。国際宗教改革博物館も10年以上前に一度見たきりだった。いまは常設展に加えて、企画展「天国か地獄か」をやっている(14年2月まで)。展示を見て、絵葉書、CD(後述)、そして小さなパンフレットを購入した。宗教改革や改革者の伝記など分厚い本をたくさん置いてあったが、とてもそこまでは読めない。基礎知識は日本でも手に入るので、オリヴィエ・ファティオ『ジャン・カルヴァンとジュネーヴの宗教改革』(宗教改革博物館、2009年)という44頁のパンフレットだけ買った。著者はジュネーヴ大学名誉教授で、まさに宗教改革とカルヴァンの研究者だ。カルヴァンが生まれたのが1509年、他界したのが1564年。先輩のルターがドイツのヴィテンベルクでカトリック教会批判の第一弾を放ったのが1517年、ローマ教皇から破門されたのが1521年。パリで勉強中のカルヴァンが宗教改革の思想を持つようになったのは1529年頃で、32年には「釈義」を出版している。34年にカトリックと決別し、バーゼルその他を回りつつ、ジュネーヴの宗教改革に関わっていったのは40年代。42年に「ジュネーヴ教会のカテキズム」を書き、その後、次々と論争の書を送り出した。46年にルターが亡くなったが、カルヴァンは50~60年代、ジュネーヴをはじめスイス西部の町で改革の炎を燃やし続けた。カルヴァンの肖像画は、多くは痩せた顎鬚の初老の男性だが、実際には55歳で亡くなっている。30代から活躍しているが、肖像画は年配に描かれていると思ったら、40くらいの精悍な顔つきの肖像画(作者不明だが、なかなかのでき。本人を見た作者だろう)もある。モーリス・レイモンドの彫刻「ジャン・カルヴァン」もあるが、こちらは想像の産物。ジュネーヴの宗教改革者や、世界の宗教改革者などの肖像画もあった(スコットランドのジョン・ノックスも)。サン・ピエール寺院の裏手のバスティヨン公園には「四大宗教改革者の像」がある。誰を「四大」にするかは難しい。ルター、カルヴァン、ツビングリ、フュスリ、メランヒトン、ノックス、ヒエロニムスなど、多数いる。ジュネーヴにとっての四大という解釈だろうか。CDは、サン・ピエール寺院つきミュージシャンによる『宗教改革の歌』で、日本語の解説もついている。この宗教改革の音楽は、初期の基礎が16世紀のストラスブールとジュネーヴでつくられたという。ともにカルヴァン所縁の地。ラテン語ではなく、地元の人々の言葉であるフランス語を用いたので、フランス語統一運動と密接に関連する。もちろん、ドイツにはドイツの宗教改革の音楽が膨大にある。CDにはジュネーヴ宗教改革音楽38曲収録。1曲目はクロード・ル・ジューヌの「ヴィオラ・ダ・ガンバのソロ」。25~29はパイプオルガン曲、30以下は讃美歌。36~38は「マダガスカルの歌曲」で、なぜマダガスカルなのか謎だ。
Friday, November 08, 2013
拷問禁止委員会・ポルトガル政府報告書審査
8日、昼はとてもよく晴れて、久々にモンブランがくっきり見えた。拷問禁止委員会はポルトガル政府報告書の審査2日目だった。昨日は平和への権利宣言の件でコスタリカ代表部に行っていたため、審議前半を聞けなかった。今日はNGOは12~13人しかいなかった。先週まで来ていた研修生がいなくなったため、傍聴が少ない。前日の質問へのポルトガル政府の回答から始まった。DVについて質問が多かったようで、かなりの時間をDVに費やした。DVが増えているので、対処としての行動計画を作り、本、ガイドライン、パンフレット、さまざまな対策をしている。レッドカードの実物を持て着ていた。サッカーのレッドカードと同様のものだが、使い方が正確にはわからなかった。「自分の安全を守るためのガイドライン・パンフ」の実物も持ってきていた。心理的暴力への対処のため医療関係者やソーシャルワーカーの教育・訓練に力を入れているという。次に多かったのが人種差別関連で、マルチカルチュラル社会統合の政策や、移住者に関する行動計画や、警察官による差別の不服申し立て増加への対処を報告していた。未決拘禁における処遇も。ブルニ委員が、厳正独居について繰り返し質問した。最大30日の厳正独居が可能だが、実際にはもっと短いと答えていた。(日本では10年、20年の厳正独居だ。異常だ。)マリノ委員が、ジプシーについて質問。スペインやポルトガルでは、ロマやシンティという言葉は使わず、ジプシーがふつうで、他にヒタノ、シガノといった言葉だそうだ。ジプシーの子どもが学校に通えず、子ども労働に駆り出されている件。リスト・ブ・イッシューには、アメリカCIAによるアゾレス諸島での秘密取調べの件が出ていたが、それへの回答はなかった。昨日、回答したのかもしれない。
Thursday, November 07, 2013
経済成長至上主義を乗り超える「緑の党宣言」
足立力也『緑の思想』(幻冬舎ルネッサンス)――『丸腰国家』『平和って何だろう』で軍隊のない国家コスタリカの法と社会を紹介してきた著者のもう一つの思想世界が、「みどり」だ。2004年には「みどりの会議」から参議院選挙に出馬、現在は「緑の党グリーンジャパン」運営委員。本書の副題は「経済成長なしで豊かな社会を手に入れる方法」である。20世紀を支配した資本主義や共産主義を乗り越える環境中心主義の「みどり」だが、著者によるとこれは単なるエコロジーではなく、持続可能な21世紀の社会モデルを提示する総合的な社会思想である。本書は「緑の思想」を日本で本格的に提示・展開した最初の本になるだろう。日本ではドイツの緑の党は良く知られているし、環境中心主義の考えも知られているが、それだけでは十分ではない。環境中心と言っても、しばしば資本主義の論理にからめ捕られているからだ。著者は、つまみぐいではない、「緑の思想」を根本に据えて、近い将来社会論を提示する。第1章「緑の思想とは何か」、第2章「グローバル・グリーンズの6原則」、第3章「日本における緑の党発祥の歴史」、第4章「日本における緑の基本思想の発展と適用」、第5章「世界で活躍する緑の党」。よく練られた構成と内容で、文章も読みやすい。『丸腰国家』『平和って何だろう』が出版された時に、出版記念を兼ねて八王子・市川・東京で講演会を企画・実現したことがある。福岡在住の著者に東京に出てもらい、なんと2日に3つの講演という強行軍をお願いした。その時にも本書のごくごく断片は顔をのぞかせていたが、本書を読んで初めてわかったことも多い。
平和への権利国連宣言のために
7日は在ジュネーヴのコスタリカ代表部に招かれて平和への権利国連宣言づくりのための戦略について大使と協議してきた。コスタリカ代表部の各部屋の壁にはたくさん絵画がかけられていた。大使の父親の作品だそうだ。油彩と、綿糸織物。父親がアーティスト。その絵画に描かれた鳥、ケツァールの話や、軍隊のない国家27か国調査のためにコスタリカを訪れた時の話、サンホセやプンタレナスの話をひとしきり。平和への権利宣言作りの件は、国連人権理事会の作業部会長としてこれまで重ねてきた外交交渉を踏まえて、現状とこれからを伺った。2つの意味でブロック作りを考えてきたと言う。一つは、宣言草案への賛成国をブロックごとに増やす。例えばアセアン宣言にright to peaceが盛り込まれたので、アセアン諸国にアプローチした。ところが、アセアン宣言にright to peaceを入れることに賛成しても、それぞれの自国内ではそのつもりがなく、国連宣言にも積極的でない国もあるという。もう一つは、時期をまとまりで考えることで、2012~14で、まずは考えてきた。その次は2018まで、という形。日本からの情報として、1946年憲法、1962年星野安三郎「平和的生存権論」、1973年札幌地裁長沼訴訟判決(その時札幌の高校生だったこと)、1990年代の市民平和訴訟における連戦連敗、2008年名古屋高裁判決といった流れを説明した。「コンセンサスか投票か」について、やはりまだまだ悩んでいるようで、詳しく聞いた。国内では民主的とはいいがたく、right to peaceを認めない国でも国連宣言に賛成の国もたくさんあるので、どこまで押せるか、どこまで妥協するかの読みはまだまだ難しいと言う。1989年の死刑廃止条約(自由権規約第二選択議定書)のときは投票で押し切ったが、とにかく死刑廃止条約が出来たことで、その後、多くの国が死刑廃止を実現した例や、2007年の先住民族権利宣言の時は4か国の反対があったが、圧倒的な多数の流れを作ることが出来たことなどを参考に、あれこれ話した。拘束力のある条約と、宣言とでは違うので、宣言はやはりコンセンサス、あるいは先住民族権利宣言のように192のうち180以上の圧倒的賛成という形にしたいという。そうでないと、120対60で採択しても、後々、反対国のアメリカやEUは「これは国際社会でコンセンサスができていない」と言い続けるからだ。このあたりは本当に難しい。1984年のごく簡潔な宣言、そして2014年の一歩前進の宣言を残しておけば、これをもとに2044年の世代が次のより豊かな内容の宣言をつくる手掛かりになる、と言うと、法律アシスタントのダヴィドも「将来の世代の取り組みになれば」と。一番若いダヴィドに、私と大使が、「あなたが将来世代を引っ張るんだよ」(笑)。ともあれ、この12月にコスタリカ作業部会長作成の宣言草案が公表され、14年2月の作業部会で逐条審議、6月の人権理事会で採択、そして冬の国連総会だ。
Wednesday, November 06, 2013
拷問禁止委員会・ベルギー政府報告書審査2
6日、パレ・デ・ナシオンは緊張して、外交官やジャーナリストがバタバタしていると思ったら、シリア問題の再燃だそうだ。ニューヨークではないので軍事的な話にはならないが、人権状況をめぐって臨時審議があったようだ。当方は、平和への権利でNGOメンバーと密談の後、午後はパレ・ウィルソンに移動してベルギー政府報告書審査の続きを途中から傍聴した。前日の質問にベルギー政府が回答していた。上官の違法命令によって警官が拷問等をした場合も不処罰ではないとか、ノン・ルフールマンはジュネーヴ条約やEU憲章にもあるのできちんと遵守しているとか、拷問の定義は条約とはやや違うが、関連規定で処罰できるので条約の定義をカバーしているとか(これは日本政府も同じパターンの回答、というか、こう回答する国が結構多い)、人種差別に基づいて拷問がなされた場合はヘイトクライムであり加重処罰できるが、近年の実例を把握していないといった回答をしていた。ベルミー委員は、ノンルフールマンについて重ねて質問。ブルニ委員は、不服申立委員会に警察以外のスタッフがいるが、そのスタッフが実際にどのような役割を果たしているのかがよくわからないと指摘していた。スヴェアス委員は、子どもへの体罰についての対処が不十分と。また、拷問被害者が補償を受けた事例、件数を知りたかったのに、と。最後のほうで、ベルギー政府が、2013年1月6日のジェイコブ事件については詳細が手元の資料ではわからないので、すみません、明日追加で報告しますと約束していた。どういう事件かよくわからないが、飛行機で送り返されたといった話が出ていたので、ノンルフールマン関連だろう。
最新の刑事訴訟法教科書に学ぶ
内田博史編『歴史に学ぶ刑事訴訟法』(法律文化社)――編者とその仲間たち(主に九州大学大学院出身の刑事法学者)による新しい刑事訴訟法の教科書である。序章から10章まで、全部で11章を分担執筆している。毎日1章ずつ読んだ。よくある分担執筆本と違って、各章の叙述が、文字通り「歴史に学ぶ」という問題意識に貫かれていて、いずれも高い水準となっているので、読み応えがある。近代日本の刑事訴訟法の歴史的教訓をいかに受け止め、いかに反省して、より良い刑事訴訟法に発展させていくのかという観点だが、それは現在の支配層には全くない観点である。最高裁事務総局をはじめ、法務・検察も、刑事法学の主流派も、現在の刑事訴訟がよいものであり、基本的に正しいと開き直っている。代用監獄をはじめとする「人質司法」、拷問その他の残虐な行為だらけの人権侵害司法、死刑冤罪をはじめとする誤判を、まともに反省すると大改革をしなければならないが、官僚司法とその提灯持ちは改革を拒否し続けている。本書は、そうした現状を歴史的にとらえ返して改革の道を探る。また、日本国憲法の基本的人権規定を正しく解釈して、刑事訴訟法の解釈を行う姿勢も鮮明である。国際人権法にも学びつつ、国際水準に照らして恥ずかしくない司法を模索する。執筆者の多くとは、長年、研究会で一緒だったので顔を思い浮かべながら読んだ。とても勉強になる1冊だが、一番の疑問は本書の読者層だ。教科書なので、まずは学生だが、学部学生には水準が高すぎる。普通の教科書を2~3冊読んだ専門ゼミの学生ならなんとかこなせるのだろうか。法科大学院向けでもないだろう。研究者養成の大学院生には向いているだろう。もちろん、刑事法学者、検察官、裁判官、弁護士も主要な対象ではあるだろうが、読む気のないのがたくさんいそうだ。たぶん、私が一番適切な読者だ。SAN CARLO, Ticino,2009.
Tuesday, November 05, 2013
アールブリュット美術館散歩
ローザンヌのアールブリュット・コレクションCollection de l’Art Brutは、展示作品が結構変わっていた。以前見たのがいつか日も覚えてないが、10数年前だ。見た作品をきちんと覚えているわけではないが、今回始めて見るものがいくつかあった。21世紀になってからの作品も結構展示されていた。販売されているカタログも、2012年出版のものだ。前回は購入しなかったので比較できないが、今回買ったカタログは大きなカラー図版が充実した170頁のしっかりしたカタログだ。アールブリュットにはいろんな定義があるようだ。「メインストリームの外で制作された美術作品」、「正規の美術教育を受けずに自分で学んで制作するようになったアーティストによる作品」ともいう。「孤独のうちに制作された作品、人に知られることなく、静かに、そして社会的評価から忘れられて制作された作品」とも書かれている。パンフには「病院の患者、刑務所収容者、奇人変人、一匹狼、アウトカースト」が例に挙げられているが、「正規の美術教育を受けて一匹狼」になるアーティストはいくらでもいるだろう。「正規の美術教育を受けてメインストリームで活躍したかったのに、認められず忘れられたアーティスト」のほうが多いかもしれない。「アウトサイダーアート」とアールブリュットの異同もよくわからないが、定義を詮索することに意味があるわけではない。受付脇の本棚に多数の関連書籍が置いてあった。日本語でも、つい先年、各地を巡回したアールブリュット展のカタログ(『アール・ブリュット・ジャポネ』現代企画室)が置いてあった。他方、日本では死刑囚の美術・文学作品の展示や出版も続いている。アールブリュット美術館、実際の展示では、古いものでも、Ataa Oko、Henry Darger、Helga Goetzeなど、特に有名な作品は展示されていた。カタログ掲載作品の半分くらいは実際に展示されていた。展示されていてもカタログには載っていないものも結構あった。日本人では3人の作品があったがカタログにはなく、カタログに出ているのは実際には展示されていなかった。カタログには、岡山出身のMasao Obata(1943~2010年、カードボードに色鉛筆の作品)と、滋賀出身のShinichi Sawada(1982年~、粘土とエナメルの人形作品)の作品が載っている。アールブリュット美術館はローザンヌの町中にあるが、普通の一軒家を改造した美術館だ。収蔵庫を持っているようには見えないので、収集した作品群をどうしているのだろう。保管が大変なのではないかと思う。
拷問禁止委員会・ベルギー政府報告書審査
5日、人権高等弁務官事務所で開催された拷問禁止委員会CATは、ベルギー政府第3回報告書(CAT/C/BEL/3)の審査を行った。政府代表は13名、傍聴のNGOは40名を超えていた。CATは、もともと常連のNGOが結構多いためか、どの政府の審査の時も傍聴席はいっぱいになる。人種差別撤廃委員会CERDだと、傍聴者があふれる時もあれば、ガラガラの時もあるが、CATはいつもNGOが多い。しかも、女性の方が多い。ベルギー政府報告書は、あらかじめ委員会から出されたリスト・オブ・イッシューに即して組み立てられているので、大きな論点は先に答えているため、補足質問という感じだった。ベルギー政府のプレゼンテーションは、報告書の内容紹介を省いて、3点、最近の立法、人身売買、女性に対する暴力に焦点を当てて簡潔に報告した。ベルミー委員は、HRCや、CHRのUPRでも指摘されているように、拷問の定義が条約と合致していないと指摘した。ブルニ委員は、ノン・ルフールマンの原則が貫徹していないのではないかとし、また監獄職員への人権教育・訓練を強化するよう指摘した。ゲア委員は、過剰拘禁と、民族的出身による差別に焦点を当てた。スヴェアス委員は、家庭や学校における身体刑を取り上げた。マリノ委員は、アフガンに派遣されたベルギー政府と軍関係者が現地の激しい暴力にどのようにかかわっているのかを聞いていた。ワン委員は、UPRでも指摘されたが、移住労働者権利保護条約をなぜ批准しないのかと質問した。
Monday, November 04, 2013
平和への権利作業部会・NGO意見交換
11月4日、ジュネーヴの国連欧州本部会議室において、国連人権理事会の平和への権利作業部会長・特別報告者主催で、NGOとの意見交換会が開催された。平和への権利作業部会長はコスタリカ政府大使である。平和への権利の審議は、2006年の人権理事会から活発化したが、特にスペイン国際人権法協会が精力的にロビー活動を展開し、これにスイスや日本のNGOが加わってきた。いまでは世界中のNGOが加わっている。2009年から2011年にかけて、国連人権理事会は、平和への権利宣言について専門家セミ内を開くことや、人権理事会諮問委員会で審議することを求めてきた。これに応じて、NGO、専門家(憲法、平和学、人権論)などの協力で多数のセミナーが開かれた。NGOの見解は、ルアルカ宣言、ビルバオ宣言などを経て、2010年のサンティアゴ宣言にまとめられた。人権理事会諮問委員会では2011~12年にかけて平和への権利国連宣言草案作りが進み、それが人権理事会に提出された。2012年の人権理事会決議によって、平和への権利作業部会が設置され、部会長・特別報告者にコスタリカ政府が選出された。2013年人権理事会に作業部会報告がなされた。こうした経過を受けての今回の意見交換であった。コスタリカ政府から6名(ダヴィド・フェルナンデスを含む)、NGOは25名ほどの参加だった。主な話題は、第一に、平和への権利の議論に多くのNGOが参加しているが、世界的に著名なNGOが参加していないことである。コスタリカ政府は、NGの圧倒的多数の支持を得て外交交渉を進めたいのだが、なぜか著名NGOが参加していない。いろんな意見が出たが、おおむね、拷問や失踪に取り組んでいるNGO、人身売買や子ども労働に取り組んでいるNGOなど、特定テーマに力を入れているNGOは平和への権利というテーマだと、わざわざ参加しない、あるいはNGO内の見解をまとめることがない、という推測であった。参加者は、みな平和への権利に関心を持ち、発言してきたNGO代表なので、参加していないNGOの内情はよくわからず、あくまでも推測である。また、世界をカバーしている著名NGOには各国政府から資金を得ているところもあり、アメリカやEUが反対している平和への権利には口を出さないようにしているのではないかとの発言もあった。ともあれ、今後もできるだけ多くのNGOからの意見を集約しようという話に落ち着くしかなかった。第二に、コンセンサスか投票か、である。これまで平和への権利に関する決議は、人権理事会で投票によって採択されてきた。おおむね30カ国余りが賛成、12~14か国ほどが反対である(人権理事会は47か国からなる)。作成された宣言草案を投票で採択することは可能である。人権理事会に次いで、国連総会に行っても賛成多数を取ることは可能である。しかし、現在の宣言草案については、アメリカ、EU、日本が猛反対をしている。アメリカ、EU(スペインを除く)、日本が反対のまま宣言をつくっても、その効果は薄れるのではないか。そうであれば、修正して歩み寄って、コンセンサス(全会一致)で採択した方が良いのではないか、である。このことは前から議論されてきたが、いよいよ具体的な問題となってきた。というのも、今後のスケジュールは、年内にコスタリカ政府が宣言草案を作成し、2014年2月に次の作業部会を行い、2014年6月の人権理事会に提出して採択し、同年秋・冬の国連総会で決着を図るという目標スケジュールになったからである。コスタリカ政府は、どうやら両案を作成しているようだが、これまでの議論の成果を網羅的に盛り込んだ豊かな内容の宣言草案と、アメリカやEUも反対しないように大幅に削除・訂正した宣言草案のどちらにするのか。NGOの間でも意見は分かれている。あまり譲歩し過ぎて、内容が貧弱な宣言ならば、つくらない方がいいという意見もある。アメリカやEUは、そもそも「平和は権利ではないから、平和編権利は認められない」と主張している。そこに歩み寄るということは、現在の草案の大半を削除することになる。アメリカやEUは、「基本的人権は個人の権利であり、集団の権利は認めない」とも主張している。おそらくコスタリカ政府が、今後さまざまなチャンネルを通じてアメリカやEUの様子をうかがいながら判断をしていくことになるだろう。今日の意見交換には、カルロス(スペイン国際人権法協会)、モノー(国際友和会)、ミコル(国際民主法律家協会)、デザヤス(ジュネーヴ外交国際関係大学教授)などが参加した。ダヴィドはもともとスペイン国際人権法協会事務局だが、いまはコスタリカ政府の法律アシスタントになっているので、政府側に座っていた。
Sunday, November 03, 2013
「ブラック企業」とたたかう
今野晴貴『ブラック企業――日本を食いつぶす妖怪』(文春新書)――著者とは会ったことがある。NPO法人POSSE立ち上げの頃だ。POSSEに賛同してメッセージを送ったように記憶しているが、自分の研究・活動テーマとはやや離れているため、その後、特にかかわってこなかった。申し訳ない。改めて、見ると、著者は大学の後輩だ。確かに当時、そんなことを話していたのも覚えている。POSSE立ち上げが2006年で、著者はその頃まだ学生だった。今も大学院生だが、すでに著書が複数ある。しかも、本書を見ると、ブラック企業の被害者からの相談に基づく現実をもとにしているうえ、同時に労働法をはじめとする理論を的確に構築している。同じ若者世代のための闘いの書であると同時に、現代日本社会分析でもある。凄い。著者は嫌がるだろうが、私の自慢の後輩、ということになる(このところ、不祥事を起こした弁護士とか、同じく不祥事でビッグニュースとなった母校の総長とか、フロッピディスク改ざん事件の元大阪特捜部長とか、先輩や後輩はこんなのばかりで、情けない)。第1章でブラック企業の実態を事例をもとに明らかにし、第2章ではウェザーニューズ、大庄、ワタミ、SHOP99を実名告発し、第3章でパターンわけをし、第4章ではブラック企業が開発してきた「辞めさせる技術」を分析し、第5章で個人がいかに身を守るかを論じる。しかし、ブラック企業は社会問題であり、個人被害者だけの問題ではないとして、著者は日本企業論、日本社会論に踏み込む。第6章で「若く有益な人材の使い潰し」がいかにコストとなるかを示し、ブラック企業がそのコストを社会に転嫁していることを論じる。とても重要な指摘だ。第7章ではブラック企業を生んだ背景というか、地盤としての日本型雇用も分析し、第8章で社会的対策を提言する。「ブラック企業問題は、若者の未来を奪い、さらには少子化を引き起こす。これは日本の社会保障や税制を根幹から揺るがす問題である。同時に、ブラック企業は、消費者の安全を脅かし、社会の技術水準にも影響を与える」と言い、「これまでただ『自分を責める』ことしか知らなかった私たちの世代が、『ブラック企業』という言葉を発明し、この日本社会の現状を、変えるべきものだとはじめて表現したことにこそ、この言葉の意義はある。ブラック企業は『概念』なのではない。私たちの世代が問題意識を持ち、それを結びつけ、そして世の中を動かしていこうとする『言説』なのである」(本書おわりに)と述べる。30歳の若者が、同世代の若者と、日本社会を救うために、本書を世に問うた。今後も著者とPOSSEに注目。
Saturday, November 02, 2013
ルネサンス3巨匠の交錯のドラマ
池上英洋『ルネサンス 三巨匠の物語』(光文社新書)----1504年のフィレンツェ、1516年のローマ、レオナルド(万能)、ミケランジェロ(巨人)、ラファエッロ(天才)の3人が2度にわたって同じ町にいた時期を取り上げて、彼らの交錯を描きながら、それぞれの個性を浮かび上がらせる。絵画、彫刻はもとより、建築に至る幅広い分野での傑出した才能のぶつかりあいだ。前著『ルネサンス 歴史と芸術の物語』では社会構造の面からルネサンスをとらえたが、本書では芸術家たちの人間的なドラマに焦点を当てている。一部はフィクションも含みつつ、歴史小説の手法も採用して物語を展開し、その次の美術史的な解説を施すスタイルをとっている。3巨匠の年齢の違い、社会的評価の違い、収入の差異、「世紀の対決」など、読みどころ満載だ。「ジョコンダ(モナリザ)」、「最後の晩餐」、「最後の審判」、「サン・ピエトロのピエタ」、「ダヴィデ」、「三美神」、サン・ピエトロ大聖堂。圧倒的な美とスケールだ。メディチのフィレンツェの繁栄と没落。ローマ教皇の個性と死と。そして、プロテスタントの登場によるルネサンスの終わり。同時に大航海時代の始まりによる地中海時代――イタリアの時代の終わり。そこに至るまでの時代背景も読み取れるようになっている。それにしても著者は新書の達人だ。『恋する西洋美術史』『イタリア 24の都市の物語』『ルネサンス 歴史と芸術の物語』『西洋美術史入門』と、手を変え品を変えて読者を愉しませる。しかも、今春、『神のごときミケランジェロ』を出版したばかりなのに、夏には本書を送り出している。
http://maeda-akira.blogspot.ch/2013/08/blog-post_23.html
ローザンヌ美術館散歩
ローザンヌ美術館は何度目だろうかと思いながら足を運んだところ、「MAKING SPA----------CE」という現代映像アート展だった。街中に張られたポスターにナムジュン・パイクが使われているので、何で今頃ナムジュン・パイクかと思っていたら、ローザンヌ美術館で映像アート展だ。1973年のナムジュン・パイクのGlobal Grooveを映像アートの先駆けとして、今年が40周年ということで、23人のアーティストの作品を上映していた。知っている名前はジャン・オト、アンリ・サラだけで、あとは知らない名前ばかりだが、この40年間の映像アート作家だそうだ。70~90年代の映像作品を見ると、もはや古典的というか、技術的にも「古い」ことになり、う~ん、とうなるしかない。上映するのにSONYのTVセットを使っているのが笑えた。そのうち上映不能になるのではないだろうか。コンピュータ時代となってみると、アートの中身よりも、映像技術の発展が急激なため、同じ「映像アート」という言葉でくくれるのかどうか疑問だ。実験映画というのもジャンルが重なりつつ、ややずれていそうだ。21世紀になってからの作品を見たが、どれも長いのが困りもの。結局、一部しか見ることが出来なかった。同時並行撮影画像を3面に同時上映した映画作品はうまくできていたが、中身が陳腐。世界8都市の雑踏を撮影した画像の同時上映作品も、「交通費がかかりましたね、ご苦労様」でオシマイ。そもそもローザンヌ美術館に行ったのは、フランソワ・デュボア(デュボイス)の「聖バーソロミュの虐殺」を見るためだったのに、全館、映像アート展のため、絵画作品はすべて撤去されていた。どこかに貸し出しているのだろうか。それにアリス・ベイリーがいくつかあったはずだ。彼女の作品はあまり見ることが出来ないので、ぜひもう一度見ておきたかった。また、別の機会に行かなくてはならない。