Sunday, December 29, 2013
ヘイト・スピーチと闘う特集(6)
『Let’s』81号(日本の戦争責任資料センター)
http://space.geocities.jp/japanwarres/
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「戦争犯罪論ノート(49)ヘイト・クライム法研究の進展」前田朗
ヘイト・スピーチと闘う特集(5)
教育科学研究会『教育』812号(かもがわ出版)
http://homepage3.nifty.com/kyoukaken/
特集1 政治が強いる道徳を超えて
「『他者と出会う』歴史教育はいかにして可能か?」菅間正道
「4・28『主権回復の日』と倫理的想像力」一盛真
「在特会のヘイト・スピーチの実態と法的対策」前田朗
など
彗星的思考とは何か
平井玄『彗星的思考――アンダーグラウンド群衆史』(平凡社)――――『愛と憎しみの新宿』『ミッキーマウスのプロレタリア宣言』の著者による、現代日本における群衆運動の現状と思想を探る快著である。3.11以後、高円寺、渋谷、新宿に湧いて出た脱原発を求める群衆の抗いの渦中において、著者は、路上の思索者としてデモ、占拠、蜂起の意味を再考し、近代日本における群衆の可能性とその抑圧の歴史を反芻し、次へ向けての模索を続ける。「半径一キロ」からの「惑星蜂起」に始まり、「宇宙の憲法」「敵対線を引き直す」「彗星になること」に終わる本書は、群衆科学、野次馬と「ええじゃないか」を潜り抜け、オーギュスト・ブランキ、竹内好、谷川雁、平岡正明を召喚する。忘れられた思想家と言っては言い過ぎかもしれないが、いま、なぜ平岡正明なのかは、なお不分明ではある。著者の視線は、福島や新宿や日比谷公園だけではなく、ニューヨークや、タハリール広場など、この惑星の群衆の闘いにも向けられる。国民、人民、平民、大衆、民衆、マルチチュードではなく、群衆である(著者は民衆という語も用いるが、基本的に群衆を採用している)。ジャズ・ファンであり音楽評論家でもある著者は、キップ・ハンラハン、オーネット・コールマンを論じつつ、スーダラ節とは何だったかも明かす。私ならこの10月に他界したルー・リード率いたベルベット・アンダーグラウンドから始めたいところだ。「ベンヤミンの天使」は「ブランキの彗星」から生まれたのではないか?との問いは新鮮だ。パウル・クレーの天使のベンヤミンによる再解釈に対して、私はクレーの指人形たちをもとに「振り向く天使」の視点を強調してきた。歴史的現在を生きる思索者にとって、ベンヤミンの天使を吹き飛ばす彗星の可能性は重要である。近代日本における非国民の系譜を模索してきた私にとって、彗星のごとく飛翔する群衆の思想にいかなる現実的可能性があるのか、とても気になるところだ。著者の思索がどこへ向けて放たれ、何と衝突してどのようにスパークするのか、次の著書が楽しみだ。
右翼・民族派の論理と行動を読む
木村三浩『お手軽愛国主義を斬る』(彩流社)――――右翼を代表する一水会代表の著書で、副題が「新右翼の論理と行動」だ。新右翼というのは、新左翼運動の高揚に危機感を感じて行われた三島由紀夫事件を契機に、それまでの右翼とは違って、左翼と新左翼の全体に対して批判し、特に民族派として、対米自立を唱えた運動だ。かつての右翼が対米従属路線を歩んでいたことへの批判もあった。その中心の一水会の代表に2000年からついている著者は、前著『憂国論』(彩流社)でもブッシュのイラク戦争を厳しく批判し、イラクに20回以上訪問し、フセイン大統領にエールを送っていた。沖縄へのオスプレイ配備に反対し、在特会などの排外主義を徹底批判してきたこともよく知られる。私の授業にお招きして3週連続対談した記録を木村三浩・前田朗『領土とナショナリズム――民族派と非国民派の対話』(三一書房)として出版した。北方領土、竹島、尖閣諸島をめぐる議論で、著者はすべて日本の領土と主張している。私は、北方領土はもとは日本領だが、政府のでたらめ外交によって返還可能性を喪失してきたと考えている。私見では、竹島は日本領土ではない。尖閣諸島は琉球人民の生活圏だったので、いちおう日本領と言えるが、現在の紛糾・混乱をつくりだしたのは日本側の責任と考える。このように対立するが、相互批判しながらの対話である。私の元には「なんで右翼と一緒に本を出すのか」という非難が何件も届いたが、内容に対する批判は一つもない。こういう非難をするのは「中身のない崩壊左翼」「理論のない気分だけサヨク」ばかりだ。まともな左翼ならこんな低レベルの非難をしないだろう。さて、著者は、本書で、お手軽愛国主義の安倍政権が「わが国を売り渡す」、「日本の溶解」をもたらす、「中国、韓国などを刺激する言動を繰り返し、『お手軽愛国主義』の空気に点火させ、心をくすぐり、増長させている」と的確に批判し、これに民族派の論理を対置する。朝鮮、インド、「アブハジア共和国」への訪問記録も掲載している。朝鮮訪問は日本人遺骨問題の解決のためで、交渉進展のきっかけを作った。おかげで国交がないにもかかわらず、人道的配慮として、朝鮮半島北部への日本からの遺族訪問・墓参が実現した。民族派だから、当然、他の民族を尊重するという姿勢である。他民族を誹謗中傷して自分のアイデンティティにしがみつくザイトクとは決定的に違う。ただし、ヘイト・スピーチの法規制には反対しているところが、私と対立する。東アジアの歴史認識についても、意見は異なるが、著者のような見方があることを知ることは役に立つ。イノセ5000万円事件で「時の人」になってしまったが、そのさなかに本書が出たことは、著者の思想と立場を世間に明らかにするためによかったと思う。イノセ事件は年明けには刑事事件の立件となりそうだから、著者も大変な立場だろうが、すべて話すべきだろう。*
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<<<追記>>>
一水会の機関誌『レコンキスタ』416号(2014年1月)一面に、著者の報告「猪瀬都知事が辞任 残念無念! 米軍横田基地返還(軍民共用)がこれで遠のく――必ず捲土重来を期する――木村代表」が掲載され、徳田虎雄、猪瀬直樹両者をつないだ経緯や理由を説明している。猪瀬辞任は、民族派としては「政策の一端が潰えた」と位置付けるとともに、「ポスト猪瀬」として名前の挙がっている人物は「どの人を見ても都民の目線に立つ人ではないと思います。都庁役人の言いなりになってしまうだけの人物では確実に都政は現在より悪くなるでしょう」と述べている。
Saturday, December 28, 2013
東アジア共同体構想を練り続ける
進藤栄一『アジア力の世紀――どう生き抜くのか』(岩波新書)――――国際アジア共同体学会会長、東アジア共同体評議会副議長による東アジア共同体再論である。ガラパゴス化した日本外交の失敗を厳しく批判し、TPPや中国脅威論を抜け出て、東アジア共同体への道を探るための1冊。随所に学ぶべきことがあるが、わかりやすいところでは、ギリシアやスペインの金融危機に際して、無責任なメディアや評論家がEUの失敗を唱え、ギリシアやスペインのEU離脱と大騒ぎしていた。著者はこれが全く見当違いであることを指摘する。EUの限界が明らかになったことは事実だが、EUの失敗ではなく、逆にEUがあったからこそ持ちこたえることが出来たし、現にギリシアやスペインのEU離脱など起きていないし、EU域内経済は復調している。デマを並べた評論家たちはもう忘れて次のデマに取り掛かっている。この種のことが多すぎる。外交官の無能ぶりはいまさら指摘するまでもない。それは、一つには日本の政治経済外交の将来構想がないこと、二つにはアメリカ追随、である。著者の分析は信頼できる。ただ、日本の生きる道として東アジア共同体を構想しているが、実際には日本こそが東アジア共同体の最大の阻害要因となっている現実をどうするのか。その具体的な展望はない。特に日本軍慰安婦や靖国をめぐる歴史認識がますます重要となってきている。日本の転落を救い出そうとする著者の願いは、残念ながら困難に出くわしてばかりだ。
ヘイト・スピーチと闘う特集(4)
『K-magazine』30号(2013年、在日コリアン青年連合)
在日コリアン青年連合http://www.key-j.org/
特集1 「石原『三国人』発言から13年、いまヘイトスピーチとどう戦うか?」辛淑玉
特集2 「日本のレイシズム・ヘイトクライム」KEY座談会 三世世代以降の在日コリアンに求められていること
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文字通り体を張って差別と闘う最前線を生きてきた辛淑玉さんインタヴューの小見出しより
「差別の政治家による後押し」「『殺せ』まできた2013年」「後輩に一番言いたい言葉――『死ぬな!』」「1勝9敗で闘い続ける意味」「ヘイトスピーチでやられているところと 声をあげられるところと」「今が最初だったら壊れていたと思う」「実は、声を上げるほど叩かれない」「気づいた差別煽動の意味」「民族団体と孤立した在日コリアン」「新しい在日論、生き方をいま」「安全で安心できる空間はマイノリティの権利」「のりこえねっとに込めた覚悟」
ヘイト・スピーチと闘う特集(3)
「特集日本国憲法を守る」『ひょうご部落解放』150号(2013年)
ひょうご部落解放・人権研究所http://www6.ocn.ne.jp/~blrhyg/
「自民党改憲草案批判――天皇を戴く、戦争と人民抑圧国家の亡霊を生かしてはならない!」冠木克彦 / 「いま、なぜヘイト・スピーチか――差別・差別煽動と表現の自由」前田朗 / 「日本国憲法について考える」朴一 / 「DV被害者支援の現場から見る憲法24条」正井礼子
Friday, December 27, 2013
ヘイト・スピーチと闘う特集(2)
「特集 レイシズム 日本そして世界」『IMADR-Jc通信』176号(2013年)
IMADR-Jc(反差別国際運動日本委員会)http://imadr.net/
「表現の自由を守るためにヘイト・スピーチ規制を」前田朗/
「マケドニア共和国スコピエ市のロマ集住地区シュトカとロマ学童の教育問題」金子マーティン/
「シュト・オリザリ地区について」ゴルダナ・ロデッチ=キタノッヴスカ/
「人種主義的ヘイトスピーチと闘うために――CERD一般的勧告35を出す」小森恵
ヘイト・スピーチと闘う特集(1)
ヘイト・スピーチと闘う特集(1)
「在特会のヘイトスピーチと人種差別」『コリアNGOセンターNEWS Letter』34号(2013年12月)http://korea-ngo.org/
「京都地裁が人種差別と明確に規定 高額賠償認める」
「たかじんのそこまで言って委員会 読売テレビが番組で謝罪」
「金稔万さん本名損害賠償裁判」とインタビューなど
Thursday, December 26, 2013
見たくないのにでじゃぶーな人たち
壱花花『でじゃぶーな人たち 風刺漫画2006~2013』(三一書房)――2006年の第1次安倍政権の暴走に危機を感じて政治風刺漫画を描き始めた壱花花の作品に解説を付して、第2次安倍政権を撃つべく出版された1冊。デジャブをひらかなにしたタイトルも微妙なバランス。ざっと見ると、半分くらいは前に見たような記憶がある。最初期の「お前ら、俺のオモチャ使うんじゃねえ」(10頁)から、最近の「状況は完全にコントロールされてます」(212頁)まで、時代を切り抜き、挑み、透視し、ちょっと捻る風刺の連続。「壱花花WEBSITE」で見ることが出来る。三一書房http://31shobo.com/
ヘイト・スピーチと闘うために
師岡康子『ヘイト・スピーチとは何か』(岩波新書)――――ヘイト・スピーチを流行語にした仕掛け人によるコンパクトな概説書である。ヘイト・スピーチに関する数々の誤解に的確に応答し、正しい理解をしたうえで、いかなる対処が必要かを論じている。「ヘイト・スピーチは汚い言葉である」などと素朴な誤解を平気で並べ立てる評論家がいるが、著者は、マイノリティに対する人種的動機、人種差別による表現行為であることを明確に指摘して、「ヘイト・スピーチとは、広義では、人種、民族、国籍、性などの属性を有するマイノリティの集団もしくは個人に対し、その属性を理由とする差別的表現であり、その中核にある本質的な部分は、マイノリティに対する『差別、敵意又は暴力の煽動』、『差別のあらゆる煽動』であり、表現による暴力、攻撃、迫害である」とまとめている。著者はヘイト・スピーチの本質、被害の深刻さをきちんと論じたうえで、イギリス、ドイツ、カナダ、オーストラリアの法状況を紹介し、国連人権高等弁務官事務所主導によるラバト行動計画や、人種差別撤廃委員会の一般的勧告35など国際人権法の水準も確認し、法規制慎重論に一つひとつ反論し、最後に「規制か表現の自由かではなく」として包括的な制度構築(調査、差別禁止法、救済制度)を提言している。ヘイト・スピーチと闘うための必読書である。著者は、2003~07年日本弁護士連合会人権擁護委員会委嘱委員、東京弁護士会外国人の人権に関する委員会委員、枝川朝鮮学校取壊し裁判弁護団。07年ニューヨーク大学ロースクール、08年英キール大学大学院、10年キングズカレッジ・ロースクール留学。大阪経済法科大学アジア太平洋研究センター客員研究員、国際人権法学会所属。外国人人権法連絡会運営委員。共著書に『なぜ、いまヘイト・スピーチなのか』(前田朗編著、三一書房)、『今、問われる日本の人種差別撤廃 国連審査とNGOの取り組み』(反差別国際運動日本委員会編集・発行)、『外国人・民族的マイノリティ人権白書2010』(外国人人権法連絡会編、明石書店)ほか。
京都地裁判決における在特会による人種差別
桜井誠『在特会とは「在日特権を許さない市民の会」の略称です!』(青林堂)――在特会会長へのインタヴュー本だ。周知の内容だが、在特会の形成過程や基本的立場がわかりやすく述べられている。笑えるのは、冒頭で「日本のメディアは異常だということですね。今回の件でも、メディアはミスリードをしたんです。朝鮮学校に対して我々が行った抗議が『人種差別にあたった』から、賠償を命じられたと、そう報道されていたんですよ。」(12頁)、「そんな報道をすること自体、判決文を読んでいない証拠なんです。判決文では、名誉毀損にあたるという理由で、賠償金を命じているんですよね。『抗議活動が人種差別にあたるから賠償を命じる』など、どこにも書いてない。」(13頁)と主張している。一般の読者は判決文を入手することが出来ないから、平気でこんな話をする。それでは、判決文にはどう書いてあるか。2013年10月7日の「平成22年(ワ)第2655号 街頭宣伝差止め等請求事件」についての京都地裁第2民事部判決(橋詰均裁判長)からいくつか引用しておこう。
判決は人種差別撤廃条約の内容に踏み込んで、次のように述べる。「人種差別撤廃条約は、『人種差別』について『人種、皮膚の色、世系又は民族的若しくは種族的出身に基づくあらゆる区別、排除、制限又は優先であって、政治的、経済的、社会的、文化的その他のあらゆる公的生活の分野における平等の立場での人権及び基本的自由を認識し、享有し又は行使することを妨げ又は害する目的又は効果を有する者』と定義し(1条1項)、締結国に『人種差別を非難し・・・あらゆる形態の人種差別を撤廃する政策・・・をすべての適当な方法により遅滞なくとる』ことを求め、『すべての適当な方法(状況により必要とされるときは、立法を含む。)により、いかなる個人、集団又は団体による人種差別も禁止し、終了させる』ことを求めている(2条1項柱書き及びd)。さらに、人種差別撤廃条約の締約国は、その『管轄の下にあるすべての者に対し、裁判所・・・を通じて・・・あらゆる人種差別の行為に対する効果的な保護及び救済措置を確保し、並びにその差別の結果として被ったあらゆる損害に対し、公正かつ適正な賠償又は救済を・・・求める権利を確保する』ことをも求められる(6条)」。そして、判決は、「このように、人種差別撤廃条約2条1項は、締結国に対し、人種差別を禁止し終了させる措置を求めているし、人種差別撤廃条約6条は、締結国に対し、裁判所を通じて、人種差別に対する効果的な救済措置を確保するよう求めている。これらは、締結国に対し、国家として国際法上の義務を負わせるというにとどまらず、締結国の裁判所に対し、その名宛人として直接に義務を負わせる規定であると解される。このことから、わが国の裁判所は、人種差別撤廃条約上、法律を同条約の定めに適合するように解釈する責務を負うものというべきである」とする。「人種差別となる行為が無形損害(無形損害も具体的な損害である。)を発生させており、法709条に基づき、行為者に対し、被害者への損害賠償を命ずることが出来る場合には、わが国の裁判所は、人種差別撤廃条約上の責務に基づき、同条約の定めに適合するよう無形損害に対する賠償額の認定を行うべきものと解される」。「無形損害に対する賠償額は、行為の違法性の程度や被害の深刻さを考慮して、裁判所がその裁量によって定めるべきものであるが、人種差別行為による無形損害が発生した場合、人種差別撤廃条約2条1項及び6条により、加害者に対し支払いを命ずる賠償額は、人種差別行為に対する効果的な保護及び救済措置となるような額を定めなければならないと解されるのである」。判決は「本件活動による業務妨害及び名誉毀損が人種差別撤廃条約上の人種差別に該当すること」において、被告人らが差別意識を有していたこと、自分たちの考えを表明するために示威活動を行ったことから「本件活動が、全体として在日朝鮮人に対する差別意識を世間に訴える意図の下に行われた」とした。その上で、判決は被告らによる数々の差別的発言を確認し、「以上でみたように、本件活動に伴う業務妨害と名誉毀損は、いずれも、在日朝鮮人に対する差別意識を世間に訴える意図の下、在日朝鮮人に対する差別的発言を織り交ぜてされたものであり、在日朝鮮人という民族的出身に基づく排除であって、在日朝鮮人の平等の立場での人権及び基本的自由の享有を妨げる目的を有するものといえるから、全体として人種差別撤廃条約1条1項所定の人種差別に該当する」と判断し、「民法709条所定の不法行為に該当すると同時に、人種差別に該当する違法性を帯びている」とした。
Monday, December 23, 2013
獄壁をこえた奇跡の愛
『無実で39年 獄壁をこえた愛と革命 星野文昭・暁子の闘い』(星野さんをとり戻そう!全国再審連絡会議)――1972年の「沖縄返還」を前に、1971年11月、学生運動が取り組んだ沖縄返還協定批准阻止闘争(米軍基地を温存した核つき返還、ベトナム戦争協力への反対闘争)の渋谷デモにおける混乱のさなか、一人の警察官が亡くなった。その「犯人」とされたのが高崎経済大学生の星野文昭さん(1946年、札幌生れ)。75年に不当逮捕され、79年一審で懲役20年、83年二審で無期懲役となり、87年最高裁で確定、現在、第二次再審請求中。冤罪ストーリーは、他の冤罪事件と非常によく似ている。共犯者の巻き込み証言、少年に対する強引な自白強要の取調べ、物的証拠なしに供述で有罪認定、被告人に有利な証拠の無視と歪んだ解釈、検察官手持ち証拠の隠匿等々。2009年11月に提出した第二次再審請求は12年3月に東京高裁が規約決定をだし、異議申し立てにより異議審が進行する中、弁護団と支援者は全証拠開示請求運動を展開している。被告人の無実の証拠を持っていてもかくしておきながら有罪判決をかすめ取るのは日本検察の常とう手段である。松川事件の諏訪メモがとくに有名だが、どの冤罪事件でも後になって証拠隠しや証拠隠滅が明らかになる。大阪地検特捜部によるフロッピディスク改ざん事件は、よくある事態の一つに過ぎない。そもそも捜査機関が収集した証拠を検察官がかくして、弁護人にも裁判所にもみせず、都合のよい証拠だけを使って裁判を進める日本の異常さが問題である。星野裁判のその典型だ。本書は、1986年9月17日に、星野さんと獄中結婚し、手を握ることすらできないまま、面会に通い続け、星野さんの獄中闘争を支え続けてきた暁子さん、この2人の愛と革命の結晶だ。前半は、星野文昭さんの優しく美しい絵画作品(主に、生まれ育った北海道の風景画、静物画、妻の暁子さんの肖像画など)と、暁子さんの詩作品とをセットにしている。暁子さんの手記「生命の輝き――星野文昭とともに生きて」がこれに続く。2人の愛は文字通り奇跡の愛である。1984年、秋田大学の聴講生だった暁子は、「傷だらけの孤立した文昭の姿をじっと見続けた」。まもなく文通を始め、東京拘置所に面会に通うようになった。両親の反対を押し切って獄中者との結婚に踏み切った暁子を待っていたのは、決して手を触れることのできない夫との30年にも及ぼうという愛と共闘の日々であった。獄中で体調を崩し、病気に苦しむ文昭、獄外でやはり心身の負担から体調を崩す暁子。その苦しみを乗り越えて、想像を絶する闘いを続ける2人である。文昭と暁子の愛はそれ自体が闘いである。生きることが闘いであり、生きぬくことが革命である。本書後半は、文昭さんの陳述書「私は無実だ。私はやっていない」、再審弁護団(私が尊敬する岩井信、鈴木達夫、西村正治など)の訴え、歴史的背景と、事件の全貌の解明である。さらに、元・在日韓国政治犯で再審無罪を勝ち取った金元重、刑事法学者の宮本弘典などの講演などが収録されている。1800円。発行:星野さんをとり戻そう!全国再審連絡会議
http://fhoshino.u.cnet-ta.ne.jp/
Sunday, December 22, 2013
そうか!家事ハラだったんだ!
竹信三恵子『家事労働ハラスメント』(岩波新書)――炊事、洗濯、掃除、育児、介護など、人間生活に不可欠の暮らしの営みが「労働」としては正当に評価されず、無償労働とされる。外部化した場合も女性労働とされ、低賃金であり、昇進・昇格もなく、使い捨て労働とされる。長らく議論されてきたこの問題を「家事労働ハラスメント」と呼んで、さまざまな観点から光を当てて検証した本である。著者本人の体験もあれば、取材して聞いた体験談も多い。統計資料も豊富であり、実証的かつ総合的な検討がなされている。働いても働いても生活難の「元祖ワーキングプア」、「専業主婦回帰」と「貧困主婦」、「男性はなぜ家事をしないのか」、家事労働ビジネスのブラック化など多面的に考察することで、「単なる家事労働」が、一つの国家・社会における政治、経済の全体を貫く基本思想を体現していることが明らかになる。「私たちの社会には、家事労働を見えなくし、なかったものとして排除する装置が、いたるところに張りめぐらされている。これまで、その装置がどのように設置されているか、その装置によって家事労働が見えなくさせられていることが、いかに私たちの社会を貧しくさせ、危うくさせ、生きづらくさせているか」。著者は朝日新聞記者、編集委員を経たジャーナリストで、現在は和光大学教授。著書に『日本株式会社の女たち』『女の人生選び』『「家事の値段」とは何か』『ルポ雇用劣化不況』『ルポ賃金差別』など。
Saturday, December 21, 2013
ツレウヨを観た!
京都の若手演劇集団「笑の内閣」の東京公演「ツレがウヨになりまして」(こまばアゴラ劇場)を観た。作・演出・キャストの高間響は30歳だという。アフタートークの時に北海道岩見沢出身だと言っていた。札幌出身の私としては、単に北海道というだけで「評価が甘くなる」(苦笑)。ツレウヨは、女子大学生と同棲しているカレが在日特権を非難するウヨクになり、「日本を守る」と叫んで、韓流で儲ける商店に「抗議」に押しかけては警察沙汰になり、恋人関係が破たんしていくが、ついには店舗に押し入り、切腹騒動を引き起こすというギャグ演劇だ。次々とギャグ、叫び、人間模様が盛り込まれ、ストーリーが煮詰まっていき、後半は若さでどっと突撃のドタバタ劇となる。ネット右翼、ザイトク、ヘイトスピーチという最近の社会現象を鮮やかに切り取って描いた演劇で、なかなかよくできている。京都の劇団だが、東京公演、連日好評ということで、今夜も満席だった。劇団名に打ち出しているくらい、笑いを取ることに力を注いでいるので、決して思想劇ではないが、単に軽いノリのお笑い劇というだけでもない。切腹騒動では三島由紀夫事件までパロっているし、高間響が天皇になり替わるシーンも始終笑いのただ中である。井上ひさしの東京裁判3部作における天皇への変身のような劇的必然性はないが、高間陛下もなかなかのものだ。社会派コント集団ザ・ニュースペーパーTNPの「演劇バージョン」というと、本人たちはどう受け止めるだろうか。嫌がるだろうか、それとも、TNPほどではと謙遜するだろうか。芝居としては真っ向ストレートのお笑い勝負なので、他面では、もう少しひねりが欲しい印象もある。また、歌を随所に挟んで巧みに進行しているが、歌唱力はやや物足りない。歌についても、オリジナル曲に挑戦してほしい。今回は18次という笑の内閣を観たのは初めてなので、これまでの作品を知らないまま注文を付けても的外れかもしれないが、ノリとスピードとお笑いに磨きをかけるために、作品における言葉遊びももっと積極的になるとよいのではないだろうか。社会的テーマを取り上げていくのなら坂手洋二にまなびつつ、独自の演劇世界を構築すれば大化けするかも。今後の高間響と笑の内閣に注目! なお、14年2月には札幌公演だ。
Sunday, December 15, 2013
移行期正義の賠償政治とは
ジョン・トーピー『歴史的賠償と「記憶」の解剖』(法政大学出版局)――ホロコースト、日系人強制収容、奴隷制、アペルトヘイトをめぐる歴史的責任、歴史的賠償の世界的動向を取り上げた比較歴史社会学的分析の書である。著者はニューヨーク市立大学大学院教授。日本軍「慰安婦」問題にも随所で言及がある。日本では戦争責任、戦後責任、戦後補償、植民地責任と呼ばれてきたテーマを、記憶をめぐる抗争、人権回復を求める運動、そして歴史的賠償の問題としてとらえ返し、それを「賠償政治」と呼んでいる。中心的に取り上げているのは、日系アメリカ人、日系カナダ人の強制収容、アメリカの黒人奴隷の賠償要求運動、アパルトヘイト後のナミビアと南アフリカにおける賠償政治である。記念的賠償要求、象徴的賠償要求、反制度的賠償要求といったカテゴリーが、わかるようでわかりにくいところもあるが、日本軍「慰安婦」問題など、日本の歴史を見る場合にも使えるかどうか、一度検討してみてもいいかもしれない。移行期正義については国連人権機関でも議論が続いてきたが、本書でもそれを取り入れている。他方、アメリカにおける移行期正義には独自の研究史があるようだ。このあたり、私が無知なため、十分に理解できていない。もう少し勉強が必要だ。
Saturday, December 14, 2013
脱原発弁護士・河合弘之の人生
大木英治『逆襲弁護士河合弘之』(さくら舎)――「勝つまでやる。だから負けない。おれは逆襲弁護士だ」――本書最後の1行は脱原発弁護団全国連絡会共同代表の脱原発の闘う志を示すとともに、ビジネス弁護士として数々のバブル経済事件を担当してきた“法の凄腕用心棒”の生きざまを示す。今では脱原発弁護士としても知られ、中国残留孤児の支援なども続けている河合弁護士だが、いわゆる人権弁護士ではなく、ビジネス弁護士である。というよりも、企業乗っ取り、企業再建、M&Aなど「巨悪たちの奪うか奪われるかの舞台」で踊る弁護士であった。平和相互銀行事件、ダグラス・グラマアン事件、リッカー再建、つぼ八事件、秀和・忠実屋事件、イトマン事件、福岡ドーム事件、国際航業事件、蛇の目ミシン事件など、カネと欲望の渦巻く世界を法と才能と機略で渡り歩いた個性派弁護士として有名だ。時に悪徳弁護士と批判されたこともある。その舞台裏を明かした本であり、読み物としておもしろい。他方、最終章で、東電相手の脱原発訴訟、株主訴訟や刑事告発の取り組みも紹介される。河合弁護士は、原発民衆法廷にも協力してくれた。
国連・人権勧告の実現を!集会に参加
14日、明治大学で開催された「国連・人権勧告の実現を!~すべての人に尊厳と人権を」(主催・同実行委員会)に参加した。実行委員会は、国内でさまざまな人権獲得の活動をしてきた諸団体、国連人権機関に情報提供などロビー活動を展開してきたNGOなどから成る。例えば、日本軍「慰安婦」問題に取り組んできた団体として、日本軍「慰安婦」問題解決全国行動、「慰安婦」問題解決オール連帯ネットワーク、女たちの戦争と平和資料館。人種、民族、部落、性的アイデンティティによる差別に反対してきた団体として、アイヌ・ラマット実行委員会、レインボー・アクション、朝鮮学校生徒を守るリボンの会、在日本朝鮮人人権協会、チマ・チョゴリ友の会、部落解放同盟東京都連合会、差別・排外主義に反対する連絡会。国際的なレベルで人権擁護運動を展開してきたアムネスティ日本、反差別国際運動、ヒューマン・ライツ・ナウ、ピースボートなど四九団体六一個人参加者は二五〇名を超えた。集会準備段階では三回の学習会を開催し、朝鮮学校差別、「慰安婦」問題、アイヌ、沖縄・琉球問題を取り上げてきた。14日の集会では、荒牧重人(山梨学院大学教授)が基調報告「国連人権勧告と日本」において、人権メカニズムの概略とこれまでの経過をわかりやすく報告した。続いてアメリカからのゲストとして、戦争と差別に反対するANSWER事務局長のブライアン・ベッカーと弁護士のマラ・バーヘイデン・ヒリアードが連帯のメッセージで、日本における朝鮮人差別に抗する運動の意義を南アフリカにおけるアパルトヘイト反対運動や、アメリカにおける黒人差別に対する公民権運動に類比するおのと位置付けた。その後、朝鮮学校無償化排除問題について宋恵淑(在日本朝鮮人人権協会)、沖縄・アイヌ問題について上村英明(恵泉女学園大学教授/市民外交センター)、国際社会から見た日本の人権状況について寺中誠(国内人権機関と選択議定書の実現を求める共同行動)、福島原発事故と健康の権利について伊藤和子(ヒューマン・ライツ・ナウ)、「慰安婦」問題について渡辺美奈(女たちの戦争と平和資料館)が報告した。いずれも要点を絞ったコンパクトな報告で、国際人権と日本の関係や、今後の課題が浮き彫りにされた。最後に行動提起として野平晋作(ピースボート)が、今後の集会・デモなどの告知を行った。全体を通じて、国際人権法や国際人権活動と言った場合に、国連憲章レベルの国連人権理事会、そのテーマ別特別報告者(人種差別問題特別報告者、健康の権利特別報告者)、人権条約に基づく委員会(自由権委員会、社会権委員会、女性差別撤廃委員会、人種差別撤廃委員会、子どもの権利委員会、拷問禁止委員会)など、さまざまな機関があり、それらから日本に対して多数の勧告が出されてきたことがよくわかる。国際人権法入門講座の意味もある。自由権規約委員会の次の日本政府報告書審査は14年7月、人種差別撤廃委員会は8月の見込みである。
Thursday, December 12, 2013
2013年を笑い飛ばす
今夜は銀座博品館劇場で、ザ・ニュースペーパーPart84 TNP結成25周年記念12月公演だった。ニュースをお笑いにするコント集団はいまでは複数あるが、TNPが元祖であり、今も先頭を走っている。今夜の「登場人物」はアベ、イシバ、コイズミ親子、イシハラ、シイ、レンホウ、イノセ、タワラソウイチロウ。ネタは特定秘密保護法、TPP、食品偽装、東京五輪。五輪関連では体操のウチムラ、シライ、野球のマー君、五輪と言えばキタムラと称して実は演歌の親分のキタムラ。もちろん定番の「さる高貴なご一家」のご主人様、奥様、長男ご夫妻など。年末公演定番の「TNPのラスト・ニュース」では、2020年のニュースで、東京五輪成功、時の知事は87歳のイシハラと復活した副知事イノセ。今夜の特徴はアドリブが目立ったことか。しかもアドリブがかなり受けていた。他方、ジンバブエを笑いにしたところは、残念ながら笑えなかった。TNPは発足直後から見てきた。昭和天皇危篤で「自粛」となり、日本からお笑いが消え、お笑い芸人の仕事が激減したため、やむなくTNPを結成し、天皇ネタをコントにして一部で話題になった時期から、年に2~4回、ずっと見てきた。25年、その時その時のニュースを、よくぞこれだけの間、お笑いにしてきたと感心する。最初期メンバーが抜けて行った後、わりとエンバー交代を繰り返していたが、このところ9人が固定している。渡部又兵衛はよく頑張っている。そろそろ若手メンバーが入ってもいい頃かもしれないとも感じるが。CD『ドキドキ!』(「ドキドキ!」「Change」の2曲)を購入。
Wednesday, December 11, 2013
現実を引き受けた物語を読み解く批評
立野正裕『日本文学の扉をひらく 第一の扉 五里霧中をゆく人たちの物語』(スペース伽耶)――本郷文化フォーラム・ワーカーズ・スクールの講座をもとに執筆された本で、同じ著者による『世界文学の扉をひらく』(現在3巻出版)の兄弟姉妹編ということになる。対話形式で、作品に様々な観点から光を当て、理解を深めていく弁証法的な文芸批評と言ってよいだろう。本書で取り上げられたのは、宮沢賢治『注文の多い料理店』、夏目漱石『夢十夜』、泉鏡花『高野聖』、大西巨人『五里霧』、幸田露伴『雪たたき』の5作。これらを「五里霧中をゆく人たち」の登場する作品としてとらえ、作品に内在する出会い、疑念、疑惑、衝突、不安、なぞに着目し、作品の構造と問いかけを浮き彫りにする。また、文学史における位置や同時代の影を考察に入れ、外在的な理解も並行して進めようとする。個人的には、冒頭の宮沢賢治をあまり評価していないので、読み始めは違和感を持ちながら読み進めたが、著者の視点の確かさもあって、最後まで楽しく読めた。著者には名著『精神のたたかい』があり、かつてこれを読んだ私は、一面識もないのに、「非国民入門講座」のインタヴューを申し入れた。その記録「精神のたたかい――不服従の可能性」は、前田朗編『平和力養成講座』(現代人文社)に収録。学ばされることのとりわけ多い著者である。著者は明治大学教授(英米文学、文学評論)で、非暴力主義の思想的可能性を追求。
Tuesday, December 10, 2013
腐敗司法にメスを入れた小説
黒木亮『法服の王国 小説裁判官(上・下)』(産経新聞出版)――「人権の守護神か?非常の判決マシンか? これが裁判官の実態だ!」「最高裁判例を打ち破れ! 原発に下された『世紀の判決』とは!?」。地裁所長による裁判干渉、司法修習生の任官拒否、現職裁判官の再任拒否など、騒然とした70年代の司法反動に始まり、その後の司法統制、司法の官僚化、そして国民無視判決の続出に至る司法の病理はなぜ帰結したのか。民主的司法を求める法律家の間では常識だが、一般には知られざる司法の腐敗を、本書は小説という形で見事に描いている。腐敗司法を批判する側を描くのではなく、腐敗のただ中で暗躍し、格闘する司法官僚の世界を舞台に、人間模様を描き出している。最高裁長官、最高裁判事、最高裁調査官、事務総局の官僚を中心に、裁判所内における思想差別も抉り出す。差別された裁判官の不安や、闘いもしっかり取り上げている。そして、司法反動の時期に、まさに全国に広がり始めた原発、そして原発反対運動、原発訴訟も並行して描く。司法反動と原発とは、結びつかないように見えて、実に直結していた。そして、最高裁判例を打ち破ったのは、差別された裁判官であり、司法反動に挑んだ弁護士たちの努力であった。最高裁の闇を、原発訴訟でいえば、伊方や志賀の闘いが突き破る。史上初の原発停止命令はこうして実現した。そこまで射程に入れた構想が素晴らしい。――再任拒否や任官拒否問題では、知り合いの弁護士たちが続々と実名で出て来るので、本人の顔を思い出しながら、実に楽しく読むことができた。元青年法律家協会東京支部長で、今もいちおう青年法律家協会会員の私としては、いろんな愉しみ方のできる本である。
Sunday, December 08, 2013
「悪の陳腐さ」を再考するとは
映画『ハンナ・アーレント』(2012年、監督マルガレーテ・フォン・トロッタ)を観た。一方の主人公は哲学者ハンナ・アーレント。20世紀最大の哲学者ハイデガーとフッサールに学び、ナチスドイツから逃れてニューヨークに渡ったプリンストン大学教授で、すでに『全体主義の起源』と著者だった。そして、夫のハインリヒ・ブリュッヒャー、盟友メアリー・マッカーシー、ハンス・ヨナス、クルト・ブルーメンフェルトら。もう一人の「主人公」はアドルフ・アイヒマン。ナチスのユダヤ人移送係で、終戦後アルゼンチンに逃亡していたが、イスラエルのモサドに「逮捕」され、イェルサレムで裁判にかけられる。裁判を傍聴したアーレントが何を感じ、受け止め、思索し、そして何を書いたか。後に『イェルサレムのアイヒマン』として出版される裁判傍聴記がどのような反響を呼んだかが中軸となる。アイヒマンが人間離れした悪魔や巨怪ではなく、どこにでもいる「官僚」であって、命令を忠実に実行した役人に過ぎず、その「悪の陳腐さ」こそが問題だとするアーレントの主張は当時はなかなか受け入れられなかった。ニューヨークのユダヤ人コミュニティでは、アーレントがアイヒマンを、従ってナチスドイツを擁護したと誤解され、糾弾されることになる。その過程を追いかけた映画である。映画『ローザ・ルクセンブルク』(1986年)でもフォン・トロッタ監督とチームを組んだ女優バルバラ・スコヴァがアーレントを演じ、アクセル・ミルベルク、ジャネット・マクティア、ユリア・イェンチ、ウルリッヒ・ノイテンなど、脇を固める俳優たちの演技も素晴らしい。冒頭のアイヒマン逮捕のシーンは、もう少し何とかならないものかと思わないではないが、ニューヨークとイェルサレムを舞台とした作品は良質である。ハイデガーとアーレントのエピソード(スキャンダル)も取り上げているのはストーリー上の必然性がないが、あまりに有名なエピソードなのでパスするわけにはいかなかったのかもしれない。一番ひっかかったのは、映画『スペシャリスト――自覚なき殺戮者』(監督エイアル・シヴァン)への言及がないことだ。同じアイヒマン裁判を主題とし、アーレントの「悪の陳腐さ」を導きの意図とし、しかもアイヒマン裁判の記録映像は同じものを使っている。アイヒマンを主役としつつ「市民的不服従」を問う作品は、日本上映時に、ブローマン『不服従を讃えて』(産業図書、2000年、翻訳:高橋哲哉他)も出版された。岩波ホールが用意したパンフレット(プログラム)は1か所「スペシャリスト」という言葉を用いているが、映画『スペシャリスト』に言及しない。なぜか、映画『ニュールンベルク裁判』(監督スタンンリー・クレマー)を引き合いに出して、「本作とは性質を異にする」と解説している。監督インタビューでも言及がない。オリジナリティを主張したかったのかもしれないが、むしろ、両作品を並べて、そこから議論を始める方が健全というものだ。
ブリティッシュ・ロックの源流と真髄
中山康樹『ブリティッシュ・ロックの真実』(河出書房新社)――ビートルズの登場から始まり、レッド・ツェッペリンによって開花した70年代ブリティッシュ・ロックとは何だったのか。著者は、60年代イギリスのミュージシャンが何を聞き、どのような音楽環境に育ち、何を目指したのかを追跡する。一方でビートルズを生んだリバプール、他方でそれとは一線を画したロンドン。そこに鳴り響いていたアメリカン・ブルースがどんなものだったのか。チャールズ・ミンガス、チャーリー・パーカー、バド・パウエルを、ジンジャー・ベイカーやエリック・クラプトンはどのように聞いたのか。ジミ・ヘンドリクスやミック・ジャガーはどこからやってきたのか。謎は、黒人によるブルースと白人ミュージシャンがいかに格闘したか、その帰結である。そこにポップスでも、ロックン・ロールでもない、ロックが立ち現れることになる。おもしろいのは、日本とイギリスが類比的に語られることだ。イギリスの若者にとってアメリカン・ミュージックが圧倒的影響を与えたように、戦後日本でも一時はジャズがもてはやされた。ところが、イギリスは影響を受け続けたのに対して、日本では影響が消え去って行った。その分岐も少しだけ論じられている。また、逆にビートルズによって、アメリカ人にとっては初めて外国音楽が流行し、ブリティッシュの侵略が語られたという。さまざまなエピソード、音源から成る70年代ロック史への導入は、おもしろいが、始まるところでお終わってしまうのは不満が残る。続きが読みたい。また、ハード・ロックよりもプログレ・ファンだった私としては、そちらの話題がないのが残念。
Sunday, December 01, 2013
部落差別を反省することとは
宮崎学・小林健治『橋下徹現象と部落差別』(モナド新書、にんげん出版)――1年前に出た本だが、見落としていた。『週刊朝日』と佐野眞一による部落差別は、橋下徹大阪市長による抗議の結果、『週刊朝日』側の謝罪によって決着がついた形になっている。しかし、本書が取り上げているように、『週刊朝日』以外に、『新潮45』『週刊新潮』『週刊文春』などが橋下徹に対するネガティヴ・キャンペーンを展開して、部落の出自を取り上げていた。『週刊朝日』事件が浮上した際には、少なからざる知識人・文化人が『週刊朝日』擁護の発言をしていた。何が問題なのかを理解していない。部落差別であること、そして差別による具体的な被害が出ていることを無視した議論をする例が見られた。本書はそうした事例も取り上げて、「橋下徹の政治手法は厳しく批判するが、部落差別は許さない、従って部落差別問題については橋下徹と連帯して『週刊朝日』を徹底批判する」という姿勢に貫かれている。『週刊朝日』の記事「ハシシタ 奴の本性」が2012年10月26日号で、本書は2か月後の12月25日出版なので、緊急出版であるが、新書268頁の内容は充実している。私は雑誌『マスコミ市民』2013年1月号に「差別を反省することとは」を書いて、佐野眞一を批判し、次のように書いた。「部落差別や人種・民族差別をめぐる意識のありようを見ると、この国では何も変わらない。決して変わろうとしない鈍感な精神が蔓延しているように思えてならない。問題記事の筆者・佐野眞一は『週刊朝日』の連載中止と謝罪の後に反省の弁を語っていたが、果たして問題の所在をきちんと理解しているのかどうか、残念ながらあやしいと言わざるを得ない。」今も同じだと思う。佐野だけでなく、メディアも相変わらずという印象だ。その後、ザイトクによるヘイト・デモが大きな話題になったが、そこでも差別と暴力による被害を矮小化している。差別がなぜ許されないのか、なぜ問題なのか、本書をしっかり読むべきだろう。なお、差別と剽窃の佐野眞一については、次の本も重要。溝口敦他『ノンフィクションの「巨人」佐野眞一が殺したジャーナリズム 大手出版社が沈黙しつづける盗用・剽窃問題の真相』 (宝島NonfictionBooks)。
Saturday, November 30, 2013
急進ナショナリズムを「保守」とは呼ばない
樋口陽一『いま、憲法改正をどう考えるか』(岩波書店)――自民党改憲案に対する批判だが、改憲案の根底に流れる思考、態度に対する思想的な批判である。副題が象徴的で「『戦後日本』を『保守』することの意味」だ。はじめ、えっ、著者はいつから「保守」を語るようになったのかと驚いたが、副題の意味は読んで、よくわかった。著者は東北大学、東京大学、早稲田大学などの憲法学教授をつとめた、現在の日本を代表する憲法学者だ。著書に『近代立憲主義と現代国家』『近代国民国家の憲法構造』『憲法と国家』『憲法という作為』など多数。憲法史、憲法政治、憲法思想史に関する研究は日本憲法学の発展そのものであった。本書は170頁ほどのコンパクトな本だが、近代日本における憲法の位置づけと性格を歴史的に分析し、戦後憲法史における9条の機能を再検討し、自民党改憲論の展開を跡付け、戦後憲法の『体験』の意味を考える。とりわけ、西欧憲法(学)から受け止めた普遍的価値を日本という磁場で活かしてきた体験を、日本から西欧に返していくことの意味を考える。作家・劇作家の井上ひさしと高校の同級生で、憲法をめぐる対談本も出ているが、その本について私は最近、雑誌『マスコミ市民』で取り上げた。副題の「保守」について、「2012年12月総選挙をめぐって展開した政治状況とその結果を、国内の論調は『保守化』という言葉で表現することが多い。自国の先達の残した最良の過去を――その挫折の歴史とともに――記憶し、それを現在に生かそうとしないことを、『保守』と言えるだろうか」と著者は述べる。安倍政権は「保守政権」ではなく「急進ナショナリスト政権」ではないか。「保守の衰退こそ、ひとつの社会の安定と品位にとっての危険信号なのである」。この認識が本書を貫く。むろん、本書では、歴史的な考察が多く提示されるし、自民党改憲案の具体的な検証もきちんと示されているが、「保守の衰退」という視点から見て、なるほど現状がよく理解できるという面が大きい。先に紹介した山崎行太郎は、小林秀雄以来の保守の第一世代から、現在の保守主義の第二世代に至る「劣化」を厳しく批判して『保守論壇亡国論』を書いた。山崎は自ら保守の立場を鮮明にしている。他方、樋口陽一は、現在の日本ではリベラルを代表する立場ということになるが、「保守の衰退」を語る点は同じである。右翼と左翼をめぐる社会意識の分裂と混乱は長く続いているが、保守と革新についても同じことが言える。民族派と国際派もおそらく同様だろう。思想の地図が見えにくくなってきたことも指摘されて久しい。ネット時代の思想状況に即して、あるいは、21世紀、ゼロ年代やテン年代の若手評論家による代案もいくつも提示されたが、たいてい1年もたたずに消えて行った。「保守」とは何か、真正の保守思想家が登場するまで、偽物たちの狂宴が続くしかないのだろうか。
「在日特権」の嘘を徹底批判
野間易通『「在日特権」の虚構』(河出書房新社)――副題「ネット空間が生み出したヘイト・スピーチ」。在特会による異常な差別と排外主義に対抗して「しばき隊」をつくり、活動してきた著者によるヘイト・スピーチ批判である。まったく根拠のないデマをばかばかしいと言って相手にしないでいると、いつの間にかネット空間にはデマがあふれ出し、デマに踊らされる人間が増える一方である。著者は「在日特権」を直接取り上げて具体的に批判する必要性を痛感し、これに取り組んだ。本書で対象としたのは、特別永住資格、年金問題、通名と生活保護受給率、住民税減免問題である。前3者については在日朝鮮人の歴史を学んだり、在日朝鮮人の人権擁護に取り組んできた者には常識的な内容ばかりであるが、一般には知られていないがために、「在日特権」という嘘がまかり通っている。著者は、一つひとつ丁寧に取り上げて再確認している。また、住民税減免問題については、在特会が盛んに宣伝する三重県伊賀市の事例について現地に赴いて調査し、それが特権ではなく、歴史的に行われたアファーマティヴ・アクションというべきものであったことを指摘する。この点は知らなかった。本書で初めて知る人が多いだろう。「在日特権」論自体がヘイト・スピーチであるとして厳しい批判を展開している。この点はヘイト・スピーチの定義いかんであるが、いずれにせよ重要な問題提起である。著者には『金曜官邸前抗議』もあるように、この間の市民運動の中で非常に重要な役割を果たしている。実践面での役割に加えて、理論面でも貢献している。
Wednesday, November 27, 2013
論壇の崩壊を跡付ける
山崎行太郎『保守論壇亡国論』(K&Kプレス)――冷戦崩壊後、左翼論壇が自滅し、右翼論壇が跳梁跋扈したように見える。だが、左翼が自滅したとすれば、右翼には存在意義がなくなるので、右翼論壇も自壊するしかない。危機に直面した右翼論壇は、左翼なき後の「サヨク」を猛烈に攻撃し、リベラルや個人主義や民主主義まで攻撃対象にしていった。他方、ネット右翼は「在日特権」を捏造して攻撃している。かくして、右翼論壇も思想的頽廃を露呈する。著者は、中国を批判し、靖国に参拝すれば、それで「保守」と言えるのか、「保守論壇」の思想的劣化により、政治家と、日本の劣化が始まった、と見る。右翼論壇の第一世代を小林秀雄、福田恒存、江藤淳、三島由紀夫、永井陽之助などの系譜に求める著者は、第一世代が左翼論壇と正面から格闘し、議論したがゆえに、その知性を保ちえたのに対して、現在の第二世代の右翼論壇は対決すべき左翼不在のままに盛況を呈したがために、論理が飛躍し、事実を捏造し、幼稚な議論を展開する結果に陥ったと見る。その典型例として、渡部昇一、西部邁、櫻井よしこ、中西輝政、小林よしのり、西尾幹二などを取り上げて、厳しく批判する。かくして保守論壇は自壊し、亡国の論理に陥った。つまり、論壇そのものが全体として劣化し、混迷していることになる。福田恒存が述べたように、もともと、保守とは「態度」であり、「主義」ではないにもかかわらず、「保守主義」というイデオロギーに無自覚に染まっている。小林秀雄、江藤淳の影響を強く受けた著者らしく、2人の文章が良く引用される。福田恒存の影響はそう大きくはないようだ。私は小林、江藤は苦手で、福田だけは良く読んだものだが。また、本書では三島由紀夫はメインではないが、著者には『小説三島由紀夫事件』という著書があるという。さらに、現在「柄谷行人論」を執筆中。
Tuesday, November 26, 2013
写真・図版で見る「慰安婦」問題
wam編著『日本軍「慰安婦」問題すべての疑問に答えます』(合同出版)――wamとは、<アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」>という長い名前のミュージアムで、2013年「日本平和学会・平和賞」を受賞した。日本軍「慰安婦」問題を中核に、武力紛争時における女性に対する暴力問題をあつかう。本書は、wamが2007年に開催した「中学生のための『慰安婦』」展に際して制作したカタログがもとになっている。第1章「日本軍『慰安婦』制度の仕組みと実態」、第2章「『慰安婦』制度の被害と実態」、第3章「日本政府の対応と各国・国際機関の反応」、第4章「女性国際戦犯法廷とNHK」、第5章「教科書問題と『慰安婦』記述」。150を超える写真、やはり100数十点の資料・図版が収められ、わかりやすい解説がついている。中学生のため、だけではなく、「員不」問題に関心を持つすべての人にとって役に立つ本だ。右翼政治家、マスコミ、ネットの書き込みでデマ宣伝が大量に流布されているのに対して、写真と資料をきちんと載せている点が強い批判力となっている。
Wednesday, November 20, 2013
憲法破壊と闘うテキスト
清水雅彦『憲法を変えて戦争のボタンを押しますか』(高文研)――「自民党憲法改正草案の問題点」という副題の本書は、右ページに現行憲法と自民党改憲案の対照表をのせ、左ページに著者による解説を載せている。最後まで一貫してこのスタイルで通しているところが、最大の特色か。従って、目次は「前文」「第一章天皇」~「第十一章最高法規」まで憲法の構成と同じだが、「第二章戦争の放棄」は「第二章安全保障」となり、現行憲法にはなくて自民党改憲案だけの「第九章緊急事態」がある。著者の解説は、コンパクトだが要点を押さえ、わかりやすい。欄外註も、よくあるような編集者が辞典から引っ張ってきたような解説ではなく、著者自身が書いたもので、抑制的だが、時折著者の信念が前に出る。立憲主義とは何か、平和主義とは、民主主義とは、という基本から、自民党改憲案は失格であることを明確に示している。この夏、憲法論・改憲論としては、伊藤真、青井美帆、水島朝穂などの著作を読んだ。いずれも興味深く、勉強になる本だが、本書も、改憲問題の基本を理解して、安倍政権による憲法破壊と闘うためのテキストとしてよくできている。著者は日本体育大学准教授(憲法学)で、研究テーマは平和主義と監視社会論。後者については著書『治安政策としての「安全・安心まちづくり」』がある。
Tuesday, November 19, 2013
フリブール美術館散歩
フリブール美術館のお目当てはマルセロだ。数年前に見学した時に、えっ、知らなかった、こんなアーティストがいたのか、と思わされたからだ。たまたま観た美術館で、たまたま出会ったアーティストだが、今回はマルセロ目当てで行ってきた。フリブール美術館は、旧市街のはずれにある。市役所前広場や聖ニコラ大聖堂からも徒歩2分だ。フリブールは、フランス語圏とドイツ語圏の境にある町で、多くの市民がバイリンガルだ。フリブールというのはフランス名で、ドイツ語ではフライブルクだ。美術館は正式にはフリブール美術歴史博物館という。歴史とつくのは12~15世紀の地元の絵画と彫刻が多数あるからだ。多くが宗教画・彫刻で、聖母マリアや、キリスト、預言者たちを描いている。15~17世紀のステンドグラスも楽しい。啓蒙時代頃の衣類、家具、食器、宝飾品なども展示されている。近代絵画もホドラーやピカソが数点あるほか、地元の画家の作品をそろえているが、なんといっても、マルセロだ。マルセロの本名はアデレ・ダフリーAdele d’Affry, Duchess de Castiglione Colonna。1836年にフリブールで生まれ、南フランスで育ち、ローマで彫刻家ハインリヒ・マックス・イムホフに彫刻を学び、19歳でカルロ・コロナと結婚したが、夫は数か月後に死んでしまう。新しい人生をパリに求めたアデレは、男性の名前マルセロMarcelloを名乗り、絵画と彫刻の世界で活躍した。ローマ時代からミケランジェロ作品に学び、力強い人物像を作り続けた。1863年からパリのサロンで定期的に個展を開いて彫刻家として認められた。フリブール美術館所蔵作品もこの時代の大理石像が中心である。代表作と言えば、パリのガルニエ・オペラ座にある<Pythia>だそうだ。このブロンズ像の実物を見たことがないが、フリブール美術館にはレプリカが置いてある。病気のため1879年没。43歳の若さだ。フリブール美術館のカタログとは別に、以前、「マルセロ展」が開催された時のカタログも買ってきたが、フランス語版のみ。カタログの表紙も<Pythia>だ。だが、なぜか展示されている絵画や、主要な大理石像がカタログに収録されていない。と思ってみると、美術館のカタログに収録されたマルセロ作品の番号はMAHF2006-97といった表記になっている。MAHFはフリブール美術歴史博物館の略なので、おそらく、2006年に所蔵となったものだろう。美術館には、エドゥアル・ブランシャルが油彩で描いたマルセロ像、ジョルジュ・クレランが油彩で描いた「アトリエのマルセロ」も展示されている。
Monday, November 18, 2013
「日本第2の哲学者」と言うが
会田正人『田辺元とハイデガー――封印された哲学』(PHP新書)――かつて西田幾多郎とともに京都大学哲学科の看板となり、三木清、戸坂潤、久松真一、西谷啓治、高坂正顕、高山岩男、鈴木成高等々の弟子を輩出した「日本第2の哲学者」、田辺。日本の侵略戦争に加担する思想宣伝を重ねたがゆえに、戦後は「封印」されてきた田辺。同じく加担したはずの西田は戦後ももてはやされたが。その田辺が近年徐々に復権しつつある。岩波文庫にも何冊か登場しているという。著者も長年、田辺研究をしてきたので本書に至った。著者は明治大学教授で、『吉本隆明と柄谷行人』『レヴィナスを読む』『幸福の文法』などの著書がある。著者はもちろん単に田辺を復権させようとしているのではない。逆に、単なる無視や封印によっては田辺を乗り越えられないので、田辺哲学を正面から問い直し、田辺の「種の論理」と格闘を試みる。「種の論理」は、「ジャン=ポール・サルトルの『存在と無』と『弁証法的理性批判』を合わせたような規模の理論」であり、「レヴィナスが『全体性と無限』で語った主題のほとんどすべて」を論じたのだという。その「種の論理」が、「出陣する学徒たちに決死と散華を説き、国民総動員を哲学的に裏付け、戦争遂行を懺悔し、戦後日本の進むべき道を示した」と見る著者は、「種の論理」の「懐胎」、「成立」、「変容」を追いかけ、戦争責任との関係で、ついに「懺悔」に至る田辺を追跡する。「種の論理」が必然的に崩壊に至る過程も提示している。フッサールやハイデガーに学び、それを批判しつつ、また師である西田をも批判しつつ、いかにして田辺の思想が形成されたのかは、なかなかおもしろい。また、著者は、田辺が戦場に赴いた学徒からの「殺せない」との手紙を受けて、「殺せ」と書いたことや心境なども提示し、田辺の眼中には「殺される者」「差別される者」「侵略される側」がまったくないことを指摘する。それはもともと「種の論理」が、日本には日本人だけがいる、というレベルの発想に立っており、朝鮮半島出身者を排除して成立していたことにも明らかであるとして批判している。その通りだ。この点を見れば、「思想的に他者を排除した」ことの問題性もよく見えるが、そもそも事実認識として、日本国には日本人しかいないという認識が極めて幼稚であり、おふざけのレベルであることも分かるはずだ。ここまでふざけきった思想を「思想」とは呼ばない。「哲学」と呼んではいけない。しかし、著者はあくまでも思想として、哲学として語る。田辺を思想家、哲学者と呼ばないと、著者自身の思想と哲学の行き先が不安になるのだろう。真に問うべきは、西田や田辺程度の思想・哲学しか生み出せなかったこの国の知的風土とはいったい何であるのかだろう。
Friday, November 15, 2013
ヘイト・クライム禁止法(45)アゼルバイジャン
アゼルバイジャン政府がCRD75会期に提出した報告書(CERD/C/AZE/6. 16 May 2008)によると、憲法47条3項は、人種、民族、宗教、社会的不調和や敵対を煽動するアジテーションや宣伝を禁止している。2000年刑法は憎悪や人種的動機による各種犯罪を規定している。ジェノサイド(103条)、せん滅(105条)、奴隷化(106条)、住民の強制移送や強制移住(109条)、性暴力(108条)、強制拘禁(110条)、アパルトヘイト(111条)、拷問(113条)、市民の平等侵害(154条)、宗教儀式の妨害(167条)、民族、人種又は宗教的敵意の煽動(283条)。また、刑法120条2項は、殺人罪について、民族、人種又は宗教的憎悪又は敵意による場合を加重処罰するとしている。近年、人種的動機による殺人事件は報告されていない。報告書は、奴隷化、人身売買、強制国外追放などについて詳しく書いている。急進的イスラム原理主義者による宗教的憎悪による犯罪防止のために、諸外国からの要請に従って、宗教的憎悪を煽動し、テロリズム行為を行った被疑者12人を国外退去と舌が、3人はアル・カイーダ、3名はミシル・イスラム・ジハーディ、5人はアル・ジャマ・アル・イスラミヤのメンバーである。刑法283条に関する情報は掲載されていない。
ヘイト・クライム禁止法(44)アラブ首長国連邦
アラブ首長国連邦がCERD75会期に提出した報告書(CERD/C/ARE/12-17. 27 March 2009)によると、1987年の連邦刑法(2005年改正)には暴力を禁止する一連の規定がある。刑法312条は、聖なるイスラム教を貶めたり、イスラム宗派を侮辱した者は刑事施設収容又は罰金としている。宗教信念に対する罪、人身に対する罪、名誉に対する罪、侮辱罪がある。刑法102条は刑罰加重事由を定めているが、犯罪を行った際の残虐さなどが加重事由とされている。――アラブ首長国連邦だけでなく、イスラム諸国にはイスラムを保護する刑罰規定が目立つ。イスラム諸国では、これをヘイト・スピーチ法と考えている。とりわけ、西欧諸国におけるイスラム侮辱、ムハマド侮辱戯画事件など。CERDは、アラブ首長国連邦に、条約4条に従って立法するようにと勧告している。
パウル・クレーの世界を満喫
前田富士夫『パウル・クレー 造形の宇宙』(慶応義塾大学出版)――著者には、2011年度の総合講座「パウル・クレー」に2回出講していただいた。西洋美術史の同僚と2人でコーディネートしたが、こちらは素人。それでも、ベルン美術館7~8回、パウル・クレー・センター8回の訪館歴、つまり、素人ながらクレーの作品を1000点以上見て、美術館で資料も入手してきたので、総合講座を思いついた。お墓にも4回行った。ちなみに、クレーの作品は約9000点(数え方にもよるので1万点という人もいる)、そのうち4000点がパウル・クレー・センターにあり、さまざまな企画展が行われてきた。総合講座には、勤務先の同僚である画家、美術史家、造形研究家などにそれぞれの観点からクレー作品について語ってもらい、外部からゲスト講師として前田富士夫先生に2回おいでいただき、さらにフリーの学芸員の林綾野さんにも2回講義していただいた。どちらも素晴らしい講義だった。前田先生は「クレーにおけるオーバーラップ」「クレーと色彩論」をお話しいただいた。そのもとになった論文(同じタイトル)はともに本書に収録されている。前田先生の講義はとても水準が高くて、学生には難しいな、と思って聞いていたのだが、学生が書いたアンケートを見ると、とても好評だった。水準の高い理論的な話でも、聞くときは聞くんだ、つまり、きっちり聞かせるんだ、と思わされた(苦笑)。林綾野さんの講義は、ちょうど林さんがTVの情熱大陸に取り上げられた時期で、TV局のクルーがやって来て撮影したと思ったら、少しだけ講義の様子が映っている。いまはユーチューブで見ることが出来る。――さて、本書は2012年10月に出たが、本格的な美術・美術史評論で本文440頁もある。「クレーにおける『分節』概念の成立」「エネルゲイアとしての造形」「コンステレーションとしての造形」「絵画の導きとしてのイデオロギー」「語り手としての画家そして語り手たち」「クレーとベックマンにおける神話的ノーテーション」といった論文が15本収められている。私には読む能力がない。理解できるのは一部にすぎない。ふつう図版が頼りだが、カラー写真を掲載した口絵は4頁しかなく、あとは本文中にモノクロ図版だ。イメージがわかない。見た作品を記憶していないと、本書は読めない。というわけで、読む能力、基礎知識がないにもかかわらず、懸命に、楽しく頁をめくった。まとまった時間がないと、こうはできない。著者は、言うまでもなくパウル・クレー研究の第一人者で、慶応義塾大学名誉教授、現在は中部大学教授だ。著書に『伝統と象徴』『パウル・クレー――絵画のたくらみ』『色彩から見る近代美術』等。パウル・クレー・センター設立以後、クレー研究は飛躍的に発展している。センターの学芸員たちの努力だ。ちょうど2011年、京都と東京で「終わらないアトリエ パウル・クレー展」が開かれたが、あれなど、一時期のクレーの技法で、制作した作品を切り貼りして再構成して、思いがけない表現を創った時期の、その手法をテーマにした玄人好みの展覧会だ。それをセンターの学芸員たちは、玄人を満足させながら、同時に素人もしっかり楽しませる展覧会として構成していた。「芸術とは眼にみえるものを再現するのではなく、眼にみえるようにすることだ」――あまりにも有名なクレーの言葉だが、いまだにある種の謎でもある。本書は、「形態」「色彩」「セミーシス」の3つの柱に、それぞれ5本、合計15本の論文を配して、クレーの造形宇宙の謎を解き明かす意欲的な試みだ。あちこち読み返しながら、少しでも理解できるようになりたいものだ。
Thursday, November 14, 2013
ヘイト・クライム禁止法(43)ポーランド
ポーランド政府がCERD75会期に提出した報告書(CERD/C/POL/19. 19 May 2008)によると、刑法256条及び257条は、国民、民族、人種及び宗教の差異、又はいかなる宗派に属さないことのために、公然と憎悪を煽動した者、その国民、民族、人種又は宗教関係ゆえに、又は、いかなる宗派に属さないことゆえに、住民の中の集団又は諸個人を公然と侮辱した者、又はそれらの理由で、他人の人間の尊厳を侵害した者は、訴追されるべきとしている。他方、刑法119条(1)(2)は、集団又は個人に対して暴力を用いたり、違法な脅迫をすること、そうした犯罪の実行を公然と煽動することを禁止している。2000~03年、人種主義的理由で行われた事件が刑事訴追されたのは35件であり、その内7件は裁判が終結し、28件は却下された。2004年、24件、2005年、29件。2004年には20件、2005年には37件が終結。刑法256条と257条について見ると、2000年には刑法256条違反の訴追は9人で、内6人について判決が出て、5人は刑事施設収容、1人は罰金。刑法257条違反の訴追は13人で、6人について判決が出て、4人が刑事施設収容、2人が罰金。2001年は、刑法256条について、訴追16人、判決16人、刑事施設収容10人、自由制限刑5人、罰金1人。刑法257条について、訴追9人、判決6人、刑事施設収容4人、自由制限刑1人、罰金1人。2002年は、刑法256条について、訴追7人、判決6人、刑事施設収容2人、罰金2人。刑法257条について、訴追8人、判決8人、刑事施設収容6人、罰金2人、等々。2004年11月以後、内務省の人種主義・外国人嫌悪監視チームが情報収集を行って、分析している。人種主義・外国人嫌悪に関する裁判の具体例として、次のものが掲げられている。(1)2004年5月31日、自宅のバルコニーにカギ十字を描いた赤旗を掲げて、国家をファシズム化することを公然と促進したことで被告人が訴追された。タルノフゼクTarnobrzeg地裁は、2004年8月23日判決で、刑法256条違反として12か月の自由制限刑及び40時間の社会奉仕命令を言い渡した。(2)2003年8月26日、被告人は、瓊浦257条違反で訴追された。アメリカ市民を、彼女の人種的関係ゆえに侮辱し、背中を叩き、彼女の名前を侮蔑的に呼ぶことで人間の尊厳を侵害したというものである。ワルシャワ・スロドミエスキSrodmiescie地裁は、2004年8月9日判決で、6月の刑事施設収容を命じた。固有名詞の読み方は調べていない。なお、自由制限刑の内容も不明だが、刑事施設に収容されないが何らかの条件を付して行動制限(外出制限、旅行制限等)を課す刑罰と思われる(要調査)。
<おんな>の思想の源泉
上野千鶴子『<おんな>の思想――私たちは、あなたを忘れない』(集英社インターナショナル)――なるほど、よくわかった。著者が「論争」に次ぐ「論争」に突入し、連戦連勝を遂げた理由の一端が。帯の言葉は「わたしの血となり肉となったことばたち。フェミニズムの賞味期限はすぎたのだろうか?」。
本書第1部「<おんなの本>を読みなおす」では、森崎和江、石牟礼道子、田中美津、富岡多恵子、水田宗子の5人の女性の著作が取り上げられる。<おんなの思想>がどのように生み出され、形をなして行ったのか。その苦しい、そして激しい思想の闘いを著者はどのように読み、学び、著者自身の思想として取り入れ、鍛え直して行ったのか。私が森崎や石牟礼を読むとき、いかに敬意を持って読もうとも、知識を得る読み方を超えない。著者が森崎や石牟礼を読むとき、著者の学問だけでなく、人生が賭けられている。そんな読み方に勝てるはずがない。
本書第2部「ジェンダーで世界を読み換える」では、ミシェル・フーコー、エドワード・サイード、イヴ・セジウィック、ジョーン・スコット、ガヤトリ・スピヴァク、ジュディス・バトラーの6人の思想家の著作が取り上げられる。フーコーとサイードは男だが、著者は『性の歴史』や『オリエンタリズム』の画期的意義を受け止め、自らの方法論に活かしていった。「セックスは自然でも本能でもない」「オリエントとは西洋人の妄想である」「同性愛恐怖と女性嫌悪」「世界を読み換えたジェンダー」「服従が抵抗に、抵抗が服従に」「境界を攪乱する」――大胆に簡略化したスローガンだが、元の著作の粋を抽き出して、わかりやすく表現するだけでなく、これらに学んで著者のフェミニズムを紡ぎ直し続けたということだ。こうして理論武装した著者は、「論争」に次ぐ「論争」から決して撤退することなく、つねに最前線で闘い続けた。著者は一人ではなかった、からだ。尊敬する先人の言葉と思想と人生を引き受けて、負けられない闘いに挑み続けたからだ。11人の著作が取り上げられているが、最終章の「境界を攪乱する」は、竹村和子の遺著に著者がつけたタイトルなので、竹村も含めると12人の思想家を取り上げている。
本書はフェミニズム入門ではないが、「上野フェミニズム」の源泉となった著作の読み解き方を教示してくれる。著者はあとがきで「わたしがいかにつくられたか、ということの証言でもある。/だから、この本はわたしにとって、とくべつなものとなった」と述べている。上野フェミニズムに関心のある読者はもちろんとして、それ以外の、現代思想に関心を持つすべての読者にも有益な1冊である。
最後に1点、とても気になることを書き留めておこう。著者は「バトラーの言説実践論は、ことば狩りのようなヘイトスピーチの取り締まりに『ノー』と答える。それぞれに歴史的負荷を負った言語や概念を『使わない/使えないようにする』よりは、むしろそれを誤用、流用することで新しい意味を与えていくほうがよい、と。」(287頁)。これはバトラーの『触発する言葉』のことだという。同書を読んでいないので、本格的なコメントはできないが、上野の記述が正しいとすれば、バトラーはヘイト・スピーチとは何かをおよそ理解していない。
第1に、ヘイト・スピーチは単なる「表現」ではない。ヘイトは憎悪と訳されるが、単なる「憎悪」でもない。ヘイト・スピーチは「憎悪表現、言論」と訳されるが、単なる表現ではない。差別、差別の煽動、暴力の煽動、そして排除と迫害であり、放置しておくと人道に対する罪としての迫害やジェノサイドにつながる行為である。これが常識というものである。だから、国際自由権規約も人種差別撤廃条約も人種主義の流布や人種差別の煽動を規制するように要求しているのだ。だから、EU加盟国すべてがヘイト・スピーチ規制法を持っているのだ。そして、京都朝鮮学校事件に関する京都地裁判決も、(不十分な認識ではあるが、)在特会の行為を「排除」だと認定したのだ。単なる「表現」ではなく、「憎悪をぶつけて排除する行為」が問題となっているのだ。この認識をもたないと、ヘイト・スピーチを「表現」に圧縮し、ヘイト・スピーチ規制を「ことば狩り」だなどとトンデモ発言をすることになる。「我々は叫んでいるだけだ。表現の自由だ」と開き直る在特会に、ジュディス・バトラーはお墨付きを与える。
第2に、被害を無視している。ヘイト・スピーチが直接の被害者及び間接の被害者(被害者と属性を同じくする集団構成員等)に深刻な重大被害をもたらしている現実を考えれば、まともな人間なら、まず被害を止めることを考えなくてはならない。ところが、バトラーは「歴史的負荷を負った言語や概念を『使わない/使えないようにする』よりは、むしろそれを誤用、流用する」と言うのだ。まさかとは思うが、「被害など関心はない。私の言説実践こそ重要なのだ」とでも考えているのだろうか。
本書第1部「<おんなの本>を読みなおす」では、森崎和江、石牟礼道子、田中美津、富岡多恵子、水田宗子の5人の女性の著作が取り上げられる。<おんなの思想>がどのように生み出され、形をなして行ったのか。その苦しい、そして激しい思想の闘いを著者はどのように読み、学び、著者自身の思想として取り入れ、鍛え直して行ったのか。私が森崎や石牟礼を読むとき、いかに敬意を持って読もうとも、知識を得る読み方を超えない。著者が森崎や石牟礼を読むとき、著者の学問だけでなく、人生が賭けられている。そんな読み方に勝てるはずがない。
本書第2部「ジェンダーで世界を読み換える」では、ミシェル・フーコー、エドワード・サイード、イヴ・セジウィック、ジョーン・スコット、ガヤトリ・スピヴァク、ジュディス・バトラーの6人の思想家の著作が取り上げられる。フーコーとサイードは男だが、著者は『性の歴史』や『オリエンタリズム』の画期的意義を受け止め、自らの方法論に活かしていった。「セックスは自然でも本能でもない」「オリエントとは西洋人の妄想である」「同性愛恐怖と女性嫌悪」「世界を読み換えたジェンダー」「服従が抵抗に、抵抗が服従に」「境界を攪乱する」――大胆に簡略化したスローガンだが、元の著作の粋を抽き出して、わかりやすく表現するだけでなく、これらに学んで著者のフェミニズムを紡ぎ直し続けたということだ。こうして理論武装した著者は、「論争」に次ぐ「論争」から決して撤退することなく、つねに最前線で闘い続けた。著者は一人ではなかった、からだ。尊敬する先人の言葉と思想と人生を引き受けて、負けられない闘いに挑み続けたからだ。11人の著作が取り上げられているが、最終章の「境界を攪乱する」は、竹村和子の遺著に著者がつけたタイトルなので、竹村も含めると12人の思想家を取り上げている。
本書はフェミニズム入門ではないが、「上野フェミニズム」の源泉となった著作の読み解き方を教示してくれる。著者はあとがきで「わたしがいかにつくられたか、ということの証言でもある。/だから、この本はわたしにとって、とくべつなものとなった」と述べている。上野フェミニズムに関心のある読者はもちろんとして、それ以外の、現代思想に関心を持つすべての読者にも有益な1冊である。
最後に1点、とても気になることを書き留めておこう。著者は「バトラーの言説実践論は、ことば狩りのようなヘイトスピーチの取り締まりに『ノー』と答える。それぞれに歴史的負荷を負った言語や概念を『使わない/使えないようにする』よりは、むしろそれを誤用、流用することで新しい意味を与えていくほうがよい、と。」(287頁)。これはバトラーの『触発する言葉』のことだという。同書を読んでいないので、本格的なコメントはできないが、上野の記述が正しいとすれば、バトラーはヘイト・スピーチとは何かをおよそ理解していない。
第1に、ヘイト・スピーチは単なる「表現」ではない。ヘイトは憎悪と訳されるが、単なる「憎悪」でもない。ヘイト・スピーチは「憎悪表現、言論」と訳されるが、単なる表現ではない。差別、差別の煽動、暴力の煽動、そして排除と迫害であり、放置しておくと人道に対する罪としての迫害やジェノサイドにつながる行為である。これが常識というものである。だから、国際自由権規約も人種差別撤廃条約も人種主義の流布や人種差別の煽動を規制するように要求しているのだ。だから、EU加盟国すべてがヘイト・スピーチ規制法を持っているのだ。そして、京都朝鮮学校事件に関する京都地裁判決も、(不十分な認識ではあるが、)在特会の行為を「排除」だと認定したのだ。単なる「表現」ではなく、「憎悪をぶつけて排除する行為」が問題となっているのだ。この認識をもたないと、ヘイト・スピーチを「表現」に圧縮し、ヘイト・スピーチ規制を「ことば狩り」だなどとトンデモ発言をすることになる。「我々は叫んでいるだけだ。表現の自由だ」と開き直る在特会に、ジュディス・バトラーはお墨付きを与える。
第2に、被害を無視している。ヘイト・スピーチが直接の被害者及び間接の被害者(被害者と属性を同じくする集団構成員等)に深刻な重大被害をもたらしている現実を考えれば、まともな人間なら、まず被害を止めることを考えなくてはならない。ところが、バトラーは「歴史的負荷を負った言語や概念を『使わない/使えないようにする』よりは、むしろそれを誤用、流用する」と言うのだ。まさかとは思うが、「被害など関心はない。私の言説実践こそ重要なのだ」とでも考えているのだろうか。
Wednesday, November 13, 2013
マリオネット博物館散歩
マリオネット博物館はフリブールの底にある。フリブールの町は、蛇行するサリーヌ川が抉り取った断崖の上と下に発達した。旧市街は川へ向かって下りる斜面につくられ、一番下にサリーヌ川が流れている。凄い坂の町だ。坂の底に、ベルン橋とミリュー橋がある。ミリュー橋のたもとにある小さな建物がマリオネット博物館だ。町の中心にそびえる聖ニコラ大聖堂や、赤い塔、猫の塔などを見て、ベルン橋を渡り、広場を通り抜けると赤い屋根の博物館だ。フリブール生まれのジュネーヴ市民だったジャン・ビントシェドラーは、音楽家の父親の元、劇場に出入りし、ジュネーヴ大学卒業後、教師やジャーナリストをしながら、各地の劇場を訪れる中、マリオネットに興味を持ち、収集を始めた。スイス、フランス、ドイツはもとより、やがてインドやザイールなど、アジアやアフリカ各地を訪問して調査した。1978年にマリオネット博物館を開いたが、現在のようになったのは1985年のようだ。経営はビントシェドラー財団。収蔵・展示されているのは、スイス各地(ジュネーヴ、フリブール、ベルン、チューリヒなど)、フランス、ドイツ、イタリア、そしてインド、ブータン、ヴェトナム、タイ、インドネシア(ジャワ、バリ)、カンボジア、ビルマ、ザイール、チェコスロヴァキアなど各地のマリオネット。指人形、糸操り人形、影絵、仮面、劇場の箱、その他の小道具などが所狭しと展示されている。もちろん、マリオネット博物館の作品も多数ある。というのも、ここは博物館だけでなく、マリオネット劇場と喫茶店でもある。小さなホールで劇を上演し、各地に出張上演もしている。カタログの表紙には「蝶々夫人」の人形が使われているが、1984年にビントシェドラー自身が作成して上演した『蝶々夫人』の時のものだ。
Tuesday, November 12, 2013
ヘイト・クライム禁止法(42)フィリピン
フィリピン政府がCERD75会期に提出した報告書(CERD/C/PHL/20. 8 July 2008)によると、条約4条については前回報告書参照と述べつつ、追加情報として、先住民族権利法72条は、先住民族の土地や所有地に対する権限のない又は不法な侵襲を犯罪としており、それには残虐な取扱いや屈辱的な取扱いの規制も含まれるとしている。同法73条は、犯行者が公務員の場合、刑罰加重するとしている(詳細が不明。先住民族権利法を見てみないとわからない)。フィリピンでは、「2007年の宗教・人種的プロファイリング禁止法案」(ドゥマルパ法案)が国会上程中である(その後の状況は不明。要調査)。
拷問禁止委員会・キルギスタン政府報告書審査
12日午前は、拷問禁止委員会でキルギスタン政府報告書の審査だった。政府は7名、NGOは30名ほどだった。昨日のアンドラ審査は2名で驚いたが、今日は常連が10名余りと、キルギスタン関係者らしき人たち。政府報告書は2回目で48頁、手堅くまとめた報告書の印象だったが、NGOは充実した報告書を持ってきていた。きとんと印刷製本された3つの報告書をもらった。『キルギス共和国の閉鎖施設における拷問からの自由の権利の考察』(BISHKEK、2102年)、『キルギス共和国の内務省管轄下の暫定拘禁施設における拷問予防』(BISHKEK、2011年)、『2010年のキルギスタン南部で発生した悲劇的事件についての調査』(BISHEKK、2011年)。前2冊はOSCEの協力によるものだ。トゥグシ委員が、刑法の拷問罪の定義に差別による拷問が含まれていないのはなぜか、憲法の人権規定はよくできているがNGO情報では実際の刑事司法には残念な事件が起きている、身柄拘束時に記録が不備なため12時間の制限が守られず混乱が生じている、拘禁条件、特に医療とメンタルヘルスに難点がある、など質問した。ゲア委員は、施設の閉鎖性が高く外部交通が少ない、警察留置下での自殺事件がみられるが詳細を知りたい、不服申立制度で独立の第三者の機関に直接アクセスできない、一部に強制結婚目的の誘拐事件がみられるなどの指摘をしていた。昼食時、外を見ると文字通り雲一つない見事な快晴だったので、モンレポ公園に出て、レマン湖のシーバスに乗ってパキやイギリス公園に出てお散歩した。
Monday, November 11, 2013
スターの時代と、時代の中のスター
鴨下信一『昭和芸能史 傑物列伝』(文春新書)――美空ひばり、長谷川一夫、藤山一郎、渥美清、森繁久彌、森光子――国民栄誉賞を受賞した芸能人6人の伝記だが、著者は1958年に東京放送(TBS)に入社して以来、芸の畑を歩んできた演出家だったので、6人のうち4人は実際に演出したことがあるなど、個人的に親しかったこともあり、想い出、秘話も含めての伝記であり、同時に6人だけを描くのではなく、昭和という時代に焦点を当てている。タイトルにふさわしい本だ。著者は「不思議なことに、ここに挙げた国民的芸能人たちは、正当な評価が行われていない。エンタテインメントに関しては日本人はいつでもそうだから不思議でも何でもないのかもしれない。」と始める。そうなのだろうか。そうなのかもしれない。まず取り上げられた美空ひばりだが、「昭和の歌姫」「女王」と呼ばれながら、国民栄誉賞を受賞したのは死後のことである。「生前あげておけばよかったのに、ひばりさん申し訳なかった」という。なぜなら「これほど[イジメられた]人もいない」からだ。デビュー当時に、詩人サトウ・ハチローから「バケモノ」「不気味」と嫌われ、劇作家の飯沢匡からも批判された。大衆に支持されたが、インテリに嫌われたのはなぜか。「ひばりは下品だ」の中身を、歴史と社会の中で分析する、その追跡がとても面白い。敗戦後の日本で、「ひばりが思い出させたもの」、それをインテリは嫌ったのだ、という。たしかに、そうだ。戦争の影を見せつけられる一面があったということだ。他方で、弟の存在が暴力団を引き寄せる。芸能界と暴力団、これも現在まで続くテーマだ。もっとも、大鵬や長嶋茂雄もつい先日、受賞したばかりだ。政治家が人気取りのために気まぐれに出すのが国民栄誉賞だからだ。それはともかく、長谷川一夫以下の伝記も実に面白い。知っていることもあるが知らないエピソードが次々と出て来るし、それぞれの時代になぜ彼らがスターとして輝いたのかがよくわかり、文章も上手なので、最後まで一気に読めてしまう。もっと、ゆっくり読みたかった、と後で思わされる本でもある。子どもを産まなかった森光子が、京塚昌子や山岡久乃をさしおいて<日本のお母さん>と呼ばれるようになった秘密もよくわかる。森光子の代表作「放浪記」は林芙美子の物語であり、お母さんではないにもかかわらず。著者は他の芸能人についても山ほど思い出を持っているので、「この調子で書き継いだら、さぞ面白いだろう」と言う。ぜひぜひ早急に書いてほしいものだ。
税金も軍隊も死刑もない国アンドラ
11日、パレ・ウィルソンで開催中の拷問禁止委員会はアンドラの第1回報告書を審査した。アンドラには2005年夏に行ったことがある。軍隊のない国家の調査のために、あの夏は、リヒテンシュタイン、モナコ、サンマリノなど各地を回った。アンドラへは菫の町トゥールーズからバスだった。トゥールーズを出てしばらくすると、南西部フランスの街並みはどんどんスペイン風になっていく、と当時思ったが、それはスペイン風ではなく、カタロニア風というべきだったことが分かる。高速をおりて、アンドラ・ラ・ベッリャにつくと、小さな素敵な田舎町だが、中心部のメインストリートには世界の商品があふれていた。税金のない国家で、世界の商品が集まる。ピレネー山中にあるので、夏はスペインからの避暑地となる。冬はスキー場だ。これで温泉があれば日本からの観光客が増えるのだが。国会と裁判所を訪れて、見せてもらったのを思い出す。拘置所はいま使っているからということで、入れてもらえなかったが。拷問禁止委員会の審査は、アンドラ政府から7人、傍聴NGOはたった2人。先週まで来ていたNGOは誰も来なかった。1人、始めて見る女性が一番端に座っていた。40名ほど入れる傍聴席はガラガラ。アンドラの初めての報告書だが、欧州拷問禁止条約とその選択議定書には前から入っているので、報告書は手慣れた感じで書いてある。税金や軍隊だけでなく、死刑もない。しかも、憲法に死刑禁止と明示している国だ。ブルニ委員が、国内人権機関が不十分、刑事施設の外部交通につき2007年欧州拷問禁止委員会で改善の約束をしたが、どうなったか、など質問。ワン委員は、ヘイトや不寛容に対する反レイシズムの立法が不十分、人身売買の犯罪化はどうなったか、国連人権理事会の普遍的定期審査で「市民でない者non-citizens」が権利を享受することを保障するよう勧告されているのを受け入れていない理由は何かと質問していた。ドマ委員は、法律家や警察官の訓練研修、独立性と専門性の研修について質問していた。アンドラには大学がないので、みなスペインの大学に行き、専門家となって帰ってくるので、アンドラ自身で専門性の研修を準備するのは大変だろう。
Sunday, November 10, 2013
ヘイト・クライム禁止法(41)ギリシア
人種差別撤廃委員会75会期に提出されたギリシア政府報告書(CERD/C/GRC/19. 3 April 2009)によると、1979年の法律927号は「人種差別を目的とする行為を処罰する」としている。(1)故意にかつ公然と、口頭、印刷、文書、描写、その他の手段であれ、人種的又は国民的出身、又は宗教(1984年改正)を根拠に、個人又は個人の集団に対する差別、憎悪又は暴力を惹起する行為を煽動すること。(2)人種差別の傾向を持つ組織的宣伝又は活動を意図する組織をつくり、又は参加すること。(3)公然と、口頭、印刷、文書、描写、その他の手段であれ、人種的又は国民的出身、又は宗教(1984年改正)を根拠に、個人又は個人の集団に対する攻撃的観念を表明すること。2001年の法律290号が刑罰を規定していたが、2005年の法律3386号71条4項で改正され、上記(1)(2)は2年以下の刑事施設収容又は罰金、(3)は1年以下の刑事施設収容又は罰金となった。さらに、2005年の法律3304号16条1項は、「民族的又は人種的出身、宗教その他の信念、障がい、年齢又は性的志向を根拠に、公衆に対して商品やサービスの提供に関して、差別的取り扱いの禁止に違反した者は、6か月の刑事施設収容又は1000以上5000ユーロ以下の罰金とする」としている。2005年、極右勢力が国際的に「ヘイト祭り」を開催しようとしたことに対して、政府は、人種的憎悪を促進するイベントを非難した。政府とNGOが強い反対をしたので、「ヘイト祭り」は中止となった。刑法とは別に、1987年のラジオ・テレビ局設置法や、2000年のテレビ局に関する大統領令が、放送において憎悪煽動を放送してはならないと定めている。
大災害、犯罪、刑法をめぐる研究
斉藤豊治編『大災害と犯罪』(法律文化社)――刑法学者で甲南大学名誉教授、大阪商業大学教授の編者らが2011年の国際犯罪学会世界大会で開催したシンポジウムをもとに編集した本である。刑法学者、弁護士、犯罪学者、心理学者、科学者などの協力により、幅広い研究書となっている。第1章「大災害後の犯罪」(斉藤豊治)は内外の研究成果を手際よくまとめて課題を浮き彫りにしている。編者には学界や研究会で長年ご指導いただいてきたので、刑法(解釈論のみならず理論史研究も)、少年法、国家秘密法など、深く鋭く、そして手堅い研究を行ってきたことはよく知っていたが、このテーマでも阪神淡路大震災以後、研究を重ねていたのは、よく知らなかった。本書にでは「阪神淡路大震災後と関東大震災後の犯罪減少の比較」「阪神淡路大震災後の犯罪減少」「阪神淡路大震災後の犯罪防止活動」「ハリケーン・カトリーナ後のアメリカ南部の危機」「東日本大震災の津波への対応は適切だったか」「東日本大震災における助け合いと犯罪」「犯罪学からみた原発事故」「経済・企業犯罪研究からみた福島原発事故」「自身・断層研究からみた柏崎刈羽原発の危険性と福島原発事故」「原発訴訟弁護団からみた浜岡原発の危険性と福島原発事故」「福島原発事故と刑事責任」、「近未来の大災害と犯罪に備える」が収録されている。多角的な分析はとても参考になる。13人の著者のうち5人は知り合いだ。一つひとつの論考を紹介する余裕はないが、いずれもためになる。もっとも、違和感のある記述もないではない。たとえば、犯罪社会学におけるコーエンとフェルソンの日常活動理論を適用しているが、理論に合致しないデータを無視し、合致するデータを強調して、理論の正当性を確認しているのは疑問だ。また、竹村典良(桐蔭横浜大学教授)「犯罪学からみた原発事故」は、環境重視のグリーン犯罪学を唱えて意欲的である。註を見ると、グリーン犯罪学に関する英文の論文も書いている。期待したい。ただ、「事故の対処として『刑事的制裁』(刑罰)を科すだけでは何も解決せず、さらなる原発事故の発生が予測される」という表現が繰り返され、「再発防止のための民主的かつ規制的な新たなシステムを構築することが必要であろう」という。不思議な文章である。刑罰を科すか否かは実行者に刑事責任があるか否かに関わる。「事故の対処として『刑事的制裁』(刑罰)を科すだけでは何も解決せず」と言うが、それを言い出せば、あらゆる事故に当てはまる。「事故の対処として『刑事的制裁』(刑罰)を科す」とともに「再発防止のための民主的かつ規制的な新たなシステムを構築することが必要であろう」と考えるのが普通だろう。なぜ「科すだけでは何も解決せず」などと言わなければならないのか。東電の責任者を免責するための言葉でしかない。著者は論文前半で、「国家と電力会社」の関係を「国家―企業複合体」として厳しく批判しているが、いざ責任を問う段階になると、突如として「刑罰を科すだけでは何も解決せず」と言い出して、原子力ムラに奉仕する。「再発防止のための民主的かつ規制的な新たなシステムを構築すること」を具体的に提案するのならともかく、それ抜きに刑事免責だけを主張するのはいかがなものか。著者は大学院の後輩で、若い時代を知っているが、まともな研究者だったはずなのに。
Saturday, November 09, 2013
ヘイト・クライム禁止法(40)エチオピア
エチオピア政府報告書(CERD/C/ETH/7-16. 11 March 2009)によると、人種差別撤廃条約4条で定められている人種差別はエチオピア刑法の下で犯罪とされてるという。刑法486条(b)は、いかなる手段であれ人種憎悪を流布することを犯罪とし、刑事施設収容又は罰金としている。重大な事件では三年以下の刑事施設収容である(重大でない場合は「単純な刑事施設収容」としている。期間は不明)。1992年の「プレスの自由宣言」10条2項(b)は、民族的又は人種的優越性や劣等性に基づく非難、人種的ステレオタイプや憎悪について、一年以上三年以下の刑事施設収容、又は一万以上五万以下のビルの罰金としている。2007年の「放送サービス宣言」30条4項(a)は、放送によって人間の尊厳や個人の自由を侵害してはならないとし、民族的優越性や劣等生に基づく観念は、被害民族集団に属する者の尊厳の侵害に当たるとしている。刑罰とは別に、放送権剥奪もありうる。刑法269条はジェノサイドの罪をさだめている(ジェノサイド条約とはやや異なる規定)。刑法274条は、ジェノサイドの罪の実行の挑発や共謀を処罰するとしている。刑法240条1項(a)は、「市民や住民の武装、他者に武器を取るよう呼びかけるなどによる内戦」の教唆を重大犯罪としている。刑法480条は、口頭、文書、図画、ジェスチャーその他によって、コミュニティ又は個人に対する暴力行使を教唆する行為を犯罪としている。同様に、人種主義的活動への財政援助も犯罪である。人種差別を促進し、煽動する組織や宣伝活動を行う団体は禁止されている。また、刑法84条により、ある犯罪が人種的動機によって行われた場合は刑罰加重事由とされている。
日本史における辺境と国境
武光誠『国境の日本史』(文春文庫)――歴史哲学・比較史的研究の著者による新書で、神話の時代から現在までを通して国境や辺境や領土意識がどのように変わってきたかを1冊にまとめている。序章で、日本政府が主張する「わが国固有の領土」という考え方を批判している。国際法になく、英語にも訳せない日本独自の奇怪な見解が世界に通用しないことは明らかだが、単に国際法から見ておかしいと言うだけでなく、国境とは何か、国境はどのように定められてきたかという基本に立って、「わが国固有の領土」というのはおかしいと、著者は指摘する。もっともだ。そのうえで、著者は縄文時代の日本とはどこまでか、古事記や日本書紀の日本とはどこかといった話から、現代の北方領土、竹島、尖閣諸島まで、国境や辺境にまつわるエピソードを次から次と繰り出す。南洋諸島や南極も無視せず、日本とのかかわりを明示する。博識だし、面白い本だ。ここから現在の領土問題を論じるのは無理だが、著者も、一定の方向性は示すものの、論争それ自体に立ち入るわけではない。ちょうどよいセーブぶりだ。
国際宗教改革博物館散歩
ジュネーヴの旧市街の中心、小さな丘の上にサン・ピエール寺院があり、その隣が国際宗教改革博物館だ。かつてジャン・カルヴァンが活躍したサン・ピエール寺院だけあって、ルターが活躍した南ドイツとともに、宗教改革のセンターがここである。サン・ピエール寺院の鐘楼に登ると、レマン湖、そこから流れ出すローヌ川、そしてその周辺に広がるジュネーヴの街並みを見下ろすことができる。国際宗教改革博物館も10年以上前に一度見たきりだった。いまは常設展に加えて、企画展「天国か地獄か」をやっている(14年2月まで)。展示を見て、絵葉書、CD(後述)、そして小さなパンフレットを購入した。宗教改革や改革者の伝記など分厚い本をたくさん置いてあったが、とてもそこまでは読めない。基礎知識は日本でも手に入るので、オリヴィエ・ファティオ『ジャン・カルヴァンとジュネーヴの宗教改革』(宗教改革博物館、2009年)という44頁のパンフレットだけ買った。著者はジュネーヴ大学名誉教授で、まさに宗教改革とカルヴァンの研究者だ。カルヴァンが生まれたのが1509年、他界したのが1564年。先輩のルターがドイツのヴィテンベルクでカトリック教会批判の第一弾を放ったのが1517年、ローマ教皇から破門されたのが1521年。パリで勉強中のカルヴァンが宗教改革の思想を持つようになったのは1529年頃で、32年には「釈義」を出版している。34年にカトリックと決別し、バーゼルその他を回りつつ、ジュネーヴの宗教改革に関わっていったのは40年代。42年に「ジュネーヴ教会のカテキズム」を書き、その後、次々と論争の書を送り出した。46年にルターが亡くなったが、カルヴァンは50~60年代、ジュネーヴをはじめスイス西部の町で改革の炎を燃やし続けた。カルヴァンの肖像画は、多くは痩せた顎鬚の初老の男性だが、実際には55歳で亡くなっている。30代から活躍しているが、肖像画は年配に描かれていると思ったら、40くらいの精悍な顔つきの肖像画(作者不明だが、なかなかのでき。本人を見た作者だろう)もある。モーリス・レイモンドの彫刻「ジャン・カルヴァン」もあるが、こちらは想像の産物。ジュネーヴの宗教改革者や、世界の宗教改革者などの肖像画もあった(スコットランドのジョン・ノックスも)。サン・ピエール寺院の裏手のバスティヨン公園には「四大宗教改革者の像」がある。誰を「四大」にするかは難しい。ルター、カルヴァン、ツビングリ、フュスリ、メランヒトン、ノックス、ヒエロニムスなど、多数いる。ジュネーヴにとっての四大という解釈だろうか。CDは、サン・ピエール寺院つきミュージシャンによる『宗教改革の歌』で、日本語の解説もついている。この宗教改革の音楽は、初期の基礎が16世紀のストラスブールとジュネーヴでつくられたという。ともにカルヴァン所縁の地。ラテン語ではなく、地元の人々の言葉であるフランス語を用いたので、フランス語統一運動と密接に関連する。もちろん、ドイツにはドイツの宗教改革の音楽が膨大にある。CDにはジュネーヴ宗教改革音楽38曲収録。1曲目はクロード・ル・ジューヌの「ヴィオラ・ダ・ガンバのソロ」。25~29はパイプオルガン曲、30以下は讃美歌。36~38は「マダガスカルの歌曲」で、なぜマダガスカルなのか謎だ。
Friday, November 08, 2013
拷問禁止委員会・ポルトガル政府報告書審査
8日、昼はとてもよく晴れて、久々にモンブランがくっきり見えた。拷問禁止委員会はポルトガル政府報告書の審査2日目だった。昨日は平和への権利宣言の件でコスタリカ代表部に行っていたため、審議前半を聞けなかった。今日はNGOは12~13人しかいなかった。先週まで来ていた研修生がいなくなったため、傍聴が少ない。前日の質問へのポルトガル政府の回答から始まった。DVについて質問が多かったようで、かなりの時間をDVに費やした。DVが増えているので、対処としての行動計画を作り、本、ガイドライン、パンフレット、さまざまな対策をしている。レッドカードの実物を持て着ていた。サッカーのレッドカードと同様のものだが、使い方が正確にはわからなかった。「自分の安全を守るためのガイドライン・パンフ」の実物も持ってきていた。心理的暴力への対処のため医療関係者やソーシャルワーカーの教育・訓練に力を入れているという。次に多かったのが人種差別関連で、マルチカルチュラル社会統合の政策や、移住者に関する行動計画や、警察官による差別の不服申し立て増加への対処を報告していた。未決拘禁における処遇も。ブルニ委員が、厳正独居について繰り返し質問した。最大30日の厳正独居が可能だが、実際にはもっと短いと答えていた。(日本では10年、20年の厳正独居だ。異常だ。)マリノ委員が、ジプシーについて質問。スペインやポルトガルでは、ロマやシンティという言葉は使わず、ジプシーがふつうで、他にヒタノ、シガノといった言葉だそうだ。ジプシーの子どもが学校に通えず、子ども労働に駆り出されている件。リスト・ブ・イッシューには、アメリカCIAによるアゾレス諸島での秘密取調べの件が出ていたが、それへの回答はなかった。昨日、回答したのかもしれない。
Thursday, November 07, 2013
経済成長至上主義を乗り超える「緑の党宣言」
足立力也『緑の思想』(幻冬舎ルネッサンス)――『丸腰国家』『平和って何だろう』で軍隊のない国家コスタリカの法と社会を紹介してきた著者のもう一つの思想世界が、「みどり」だ。2004年には「みどりの会議」から参議院選挙に出馬、現在は「緑の党グリーンジャパン」運営委員。本書の副題は「経済成長なしで豊かな社会を手に入れる方法」である。20世紀を支配した資本主義や共産主義を乗り越える環境中心主義の「みどり」だが、著者によるとこれは単なるエコロジーではなく、持続可能な21世紀の社会モデルを提示する総合的な社会思想である。本書は「緑の思想」を日本で本格的に提示・展開した最初の本になるだろう。日本ではドイツの緑の党は良く知られているし、環境中心主義の考えも知られているが、それだけでは十分ではない。環境中心と言っても、しばしば資本主義の論理にからめ捕られているからだ。著者は、つまみぐいではない、「緑の思想」を根本に据えて、近い将来社会論を提示する。第1章「緑の思想とは何か」、第2章「グローバル・グリーンズの6原則」、第3章「日本における緑の党発祥の歴史」、第4章「日本における緑の基本思想の発展と適用」、第5章「世界で活躍する緑の党」。よく練られた構成と内容で、文章も読みやすい。『丸腰国家』『平和って何だろう』が出版された時に、出版記念を兼ねて八王子・市川・東京で講演会を企画・実現したことがある。福岡在住の著者に東京に出てもらい、なんと2日に3つの講演という強行軍をお願いした。その時にも本書のごくごく断片は顔をのぞかせていたが、本書を読んで初めてわかったことも多い。
平和への権利国連宣言のために
7日は在ジュネーヴのコスタリカ代表部に招かれて平和への権利国連宣言づくりのための戦略について大使と協議してきた。コスタリカ代表部の各部屋の壁にはたくさん絵画がかけられていた。大使の父親の作品だそうだ。油彩と、綿糸織物。父親がアーティスト。その絵画に描かれた鳥、ケツァールの話や、軍隊のない国家27か国調査のためにコスタリカを訪れた時の話、サンホセやプンタレナスの話をひとしきり。平和への権利宣言作りの件は、国連人権理事会の作業部会長としてこれまで重ねてきた外交交渉を踏まえて、現状とこれからを伺った。2つの意味でブロック作りを考えてきたと言う。一つは、宣言草案への賛成国をブロックごとに増やす。例えばアセアン宣言にright to peaceが盛り込まれたので、アセアン諸国にアプローチした。ところが、アセアン宣言にright to peaceを入れることに賛成しても、それぞれの自国内ではそのつもりがなく、国連宣言にも積極的でない国もあるという。もう一つは、時期をまとまりで考えることで、2012~14で、まずは考えてきた。その次は2018まで、という形。日本からの情報として、1946年憲法、1962年星野安三郎「平和的生存権論」、1973年札幌地裁長沼訴訟判決(その時札幌の高校生だったこと)、1990年代の市民平和訴訟における連戦連敗、2008年名古屋高裁判決といった流れを説明した。「コンセンサスか投票か」について、やはりまだまだ悩んでいるようで、詳しく聞いた。国内では民主的とはいいがたく、right to peaceを認めない国でも国連宣言に賛成の国もたくさんあるので、どこまで押せるか、どこまで妥協するかの読みはまだまだ難しいと言う。1989年の死刑廃止条約(自由権規約第二選択議定書)のときは投票で押し切ったが、とにかく死刑廃止条約が出来たことで、その後、多くの国が死刑廃止を実現した例や、2007年の先住民族権利宣言の時は4か国の反対があったが、圧倒的な多数の流れを作ることが出来たことなどを参考に、あれこれ話した。拘束力のある条約と、宣言とでは違うので、宣言はやはりコンセンサス、あるいは先住民族権利宣言のように192のうち180以上の圧倒的賛成という形にしたいという。そうでないと、120対60で採択しても、後々、反対国のアメリカやEUは「これは国際社会でコンセンサスができていない」と言い続けるからだ。このあたりは本当に難しい。1984年のごく簡潔な宣言、そして2014年の一歩前進の宣言を残しておけば、これをもとに2044年の世代が次のより豊かな内容の宣言をつくる手掛かりになる、と言うと、法律アシスタントのダヴィドも「将来の世代の取り組みになれば」と。一番若いダヴィドに、私と大使が、「あなたが将来世代を引っ張るんだよ」(笑)。ともあれ、この12月にコスタリカ作業部会長作成の宣言草案が公表され、14年2月の作業部会で逐条審議、6月の人権理事会で採択、そして冬の国連総会だ。
Wednesday, November 06, 2013
拷問禁止委員会・ベルギー政府報告書審査2
6日、パレ・デ・ナシオンは緊張して、外交官やジャーナリストがバタバタしていると思ったら、シリア問題の再燃だそうだ。ニューヨークではないので軍事的な話にはならないが、人権状況をめぐって臨時審議があったようだ。当方は、平和への権利でNGOメンバーと密談の後、午後はパレ・ウィルソンに移動してベルギー政府報告書審査の続きを途中から傍聴した。前日の質問にベルギー政府が回答していた。上官の違法命令によって警官が拷問等をした場合も不処罰ではないとか、ノン・ルフールマンはジュネーヴ条約やEU憲章にもあるのできちんと遵守しているとか、拷問の定義は条約とはやや違うが、関連規定で処罰できるので条約の定義をカバーしているとか(これは日本政府も同じパターンの回答、というか、こう回答する国が結構多い)、人種差別に基づいて拷問がなされた場合はヘイトクライムであり加重処罰できるが、近年の実例を把握していないといった回答をしていた。ベルミー委員は、ノンルフールマンについて重ねて質問。ブルニ委員は、不服申立委員会に警察以外のスタッフがいるが、そのスタッフが実際にどのような役割を果たしているのかがよくわからないと指摘していた。スヴェアス委員は、子どもへの体罰についての対処が不十分と。また、拷問被害者が補償を受けた事例、件数を知りたかったのに、と。最後のほうで、ベルギー政府が、2013年1月6日のジェイコブ事件については詳細が手元の資料ではわからないので、すみません、明日追加で報告しますと約束していた。どういう事件かよくわからないが、飛行機で送り返されたといった話が出ていたので、ノンルフールマン関連だろう。
最新の刑事訴訟法教科書に学ぶ
内田博史編『歴史に学ぶ刑事訴訟法』(法律文化社)――編者とその仲間たち(主に九州大学大学院出身の刑事法学者)による新しい刑事訴訟法の教科書である。序章から10章まで、全部で11章を分担執筆している。毎日1章ずつ読んだ。よくある分担執筆本と違って、各章の叙述が、文字通り「歴史に学ぶ」という問題意識に貫かれていて、いずれも高い水準となっているので、読み応えがある。近代日本の刑事訴訟法の歴史的教訓をいかに受け止め、いかに反省して、より良い刑事訴訟法に発展させていくのかという観点だが、それは現在の支配層には全くない観点である。最高裁事務総局をはじめ、法務・検察も、刑事法学の主流派も、現在の刑事訴訟がよいものであり、基本的に正しいと開き直っている。代用監獄をはじめとする「人質司法」、拷問その他の残虐な行為だらけの人権侵害司法、死刑冤罪をはじめとする誤判を、まともに反省すると大改革をしなければならないが、官僚司法とその提灯持ちは改革を拒否し続けている。本書は、そうした現状を歴史的にとらえ返して改革の道を探る。また、日本国憲法の基本的人権規定を正しく解釈して、刑事訴訟法の解釈を行う姿勢も鮮明である。国際人権法にも学びつつ、国際水準に照らして恥ずかしくない司法を模索する。執筆者の多くとは、長年、研究会で一緒だったので顔を思い浮かべながら読んだ。とても勉強になる1冊だが、一番の疑問は本書の読者層だ。教科書なので、まずは学生だが、学部学生には水準が高すぎる。普通の教科書を2~3冊読んだ専門ゼミの学生ならなんとかこなせるのだろうか。法科大学院向けでもないだろう。研究者養成の大学院生には向いているだろう。もちろん、刑事法学者、検察官、裁判官、弁護士も主要な対象ではあるだろうが、読む気のないのがたくさんいそうだ。たぶん、私が一番適切な読者だ。SAN CARLO, Ticino,2009.
Tuesday, November 05, 2013
アールブリュット美術館散歩
ローザンヌのアールブリュット・コレクションCollection de l’Art Brutは、展示作品が結構変わっていた。以前見たのがいつか日も覚えてないが、10数年前だ。見た作品をきちんと覚えているわけではないが、今回始めて見るものがいくつかあった。21世紀になってからの作品も結構展示されていた。販売されているカタログも、2012年出版のものだ。前回は購入しなかったので比較できないが、今回買ったカタログは大きなカラー図版が充実した170頁のしっかりしたカタログだ。アールブリュットにはいろんな定義があるようだ。「メインストリームの外で制作された美術作品」、「正規の美術教育を受けずに自分で学んで制作するようになったアーティストによる作品」ともいう。「孤独のうちに制作された作品、人に知られることなく、静かに、そして社会的評価から忘れられて制作された作品」とも書かれている。パンフには「病院の患者、刑務所収容者、奇人変人、一匹狼、アウトカースト」が例に挙げられているが、「正規の美術教育を受けて一匹狼」になるアーティストはいくらでもいるだろう。「正規の美術教育を受けてメインストリームで活躍したかったのに、認められず忘れられたアーティスト」のほうが多いかもしれない。「アウトサイダーアート」とアールブリュットの異同もよくわからないが、定義を詮索することに意味があるわけではない。受付脇の本棚に多数の関連書籍が置いてあった。日本語でも、つい先年、各地を巡回したアールブリュット展のカタログ(『アール・ブリュット・ジャポネ』現代企画室)が置いてあった。他方、日本では死刑囚の美術・文学作品の展示や出版も続いている。アールブリュット美術館、実際の展示では、古いものでも、Ataa Oko、Henry Darger、Helga Goetzeなど、特に有名な作品は展示されていた。カタログ掲載作品の半分くらいは実際に展示されていた。展示されていてもカタログには載っていないものも結構あった。日本人では3人の作品があったがカタログにはなく、カタログに出ているのは実際には展示されていなかった。カタログには、岡山出身のMasao Obata(1943~2010年、カードボードに色鉛筆の作品)と、滋賀出身のShinichi Sawada(1982年~、粘土とエナメルの人形作品)の作品が載っている。アールブリュット美術館はローザンヌの町中にあるが、普通の一軒家を改造した美術館だ。収蔵庫を持っているようには見えないので、収集した作品群をどうしているのだろう。保管が大変なのではないかと思う。
拷問禁止委員会・ベルギー政府報告書審査
5日、人権高等弁務官事務所で開催された拷問禁止委員会CATは、ベルギー政府第3回報告書(CAT/C/BEL/3)の審査を行った。政府代表は13名、傍聴のNGOは40名を超えていた。CATは、もともと常連のNGOが結構多いためか、どの政府の審査の時も傍聴席はいっぱいになる。人種差別撤廃委員会CERDだと、傍聴者があふれる時もあれば、ガラガラの時もあるが、CATはいつもNGOが多い。しかも、女性の方が多い。ベルギー政府報告書は、あらかじめ委員会から出されたリスト・オブ・イッシューに即して組み立てられているので、大きな論点は先に答えているため、補足質問という感じだった。ベルギー政府のプレゼンテーションは、報告書の内容紹介を省いて、3点、最近の立法、人身売買、女性に対する暴力に焦点を当てて簡潔に報告した。ベルミー委員は、HRCや、CHRのUPRでも指摘されているように、拷問の定義が条約と合致していないと指摘した。ブルニ委員は、ノン・ルフールマンの原則が貫徹していないのではないかとし、また監獄職員への人権教育・訓練を強化するよう指摘した。ゲア委員は、過剰拘禁と、民族的出身による差別に焦点を当てた。スヴェアス委員は、家庭や学校における身体刑を取り上げた。マリノ委員は、アフガンに派遣されたベルギー政府と軍関係者が現地の激しい暴力にどのようにかかわっているのかを聞いていた。ワン委員は、UPRでも指摘されたが、移住労働者権利保護条約をなぜ批准しないのかと質問した。
Monday, November 04, 2013
平和への権利作業部会・NGO意見交換
11月4日、ジュネーヴの国連欧州本部会議室において、国連人権理事会の平和への権利作業部会長・特別報告者主催で、NGOとの意見交換会が開催された。平和への権利作業部会長はコスタリカ政府大使である。平和への権利の審議は、2006年の人権理事会から活発化したが、特にスペイン国際人権法協会が精力的にロビー活動を展開し、これにスイスや日本のNGOが加わってきた。いまでは世界中のNGOが加わっている。2009年から2011年にかけて、国連人権理事会は、平和への権利宣言について専門家セミ内を開くことや、人権理事会諮問委員会で審議することを求めてきた。これに応じて、NGO、専門家(憲法、平和学、人権論)などの協力で多数のセミナーが開かれた。NGOの見解は、ルアルカ宣言、ビルバオ宣言などを経て、2010年のサンティアゴ宣言にまとめられた。人権理事会諮問委員会では2011~12年にかけて平和への権利国連宣言草案作りが進み、それが人権理事会に提出された。2012年の人権理事会決議によって、平和への権利作業部会が設置され、部会長・特別報告者にコスタリカ政府が選出された。2013年人権理事会に作業部会報告がなされた。こうした経過を受けての今回の意見交換であった。コスタリカ政府から6名(ダヴィド・フェルナンデスを含む)、NGOは25名ほどの参加だった。主な話題は、第一に、平和への権利の議論に多くのNGOが参加しているが、世界的に著名なNGOが参加していないことである。コスタリカ政府は、NGの圧倒的多数の支持を得て外交交渉を進めたいのだが、なぜか著名NGOが参加していない。いろんな意見が出たが、おおむね、拷問や失踪に取り組んでいるNGO、人身売買や子ども労働に取り組んでいるNGOなど、特定テーマに力を入れているNGOは平和への権利というテーマだと、わざわざ参加しない、あるいはNGO内の見解をまとめることがない、という推測であった。参加者は、みな平和への権利に関心を持ち、発言してきたNGO代表なので、参加していないNGOの内情はよくわからず、あくまでも推測である。また、世界をカバーしている著名NGOには各国政府から資金を得ているところもあり、アメリカやEUが反対している平和への権利には口を出さないようにしているのではないかとの発言もあった。ともあれ、今後もできるだけ多くのNGOからの意見を集約しようという話に落ち着くしかなかった。第二に、コンセンサスか投票か、である。これまで平和への権利に関する決議は、人権理事会で投票によって採択されてきた。おおむね30カ国余りが賛成、12~14か国ほどが反対である(人権理事会は47か国からなる)。作成された宣言草案を投票で採択することは可能である。人権理事会に次いで、国連総会に行っても賛成多数を取ることは可能である。しかし、現在の宣言草案については、アメリカ、EU、日本が猛反対をしている。アメリカ、EU(スペインを除く)、日本が反対のまま宣言をつくっても、その効果は薄れるのではないか。そうであれば、修正して歩み寄って、コンセンサス(全会一致)で採択した方が良いのではないか、である。このことは前から議論されてきたが、いよいよ具体的な問題となってきた。というのも、今後のスケジュールは、年内にコスタリカ政府が宣言草案を作成し、2014年2月に次の作業部会を行い、2014年6月の人権理事会に提出して採択し、同年秋・冬の国連総会で決着を図るという目標スケジュールになったからである。コスタリカ政府は、どうやら両案を作成しているようだが、これまでの議論の成果を網羅的に盛り込んだ豊かな内容の宣言草案と、アメリカやEUも反対しないように大幅に削除・訂正した宣言草案のどちらにするのか。NGOの間でも意見は分かれている。あまり譲歩し過ぎて、内容が貧弱な宣言ならば、つくらない方がいいという意見もある。アメリカやEUは、そもそも「平和は権利ではないから、平和編権利は認められない」と主張している。そこに歩み寄るということは、現在の草案の大半を削除することになる。アメリカやEUは、「基本的人権は個人の権利であり、集団の権利は認めない」とも主張している。おそらくコスタリカ政府が、今後さまざまなチャンネルを通じてアメリカやEUの様子をうかがいながら判断をしていくことになるだろう。今日の意見交換には、カルロス(スペイン国際人権法協会)、モノー(国際友和会)、ミコル(国際民主法律家協会)、デザヤス(ジュネーヴ外交国際関係大学教授)などが参加した。ダヴィドはもともとスペイン国際人権法協会事務局だが、いまはコスタリカ政府の法律アシスタントになっているので、政府側に座っていた。
Sunday, November 03, 2013
「ブラック企業」とたたかう
今野晴貴『ブラック企業――日本を食いつぶす妖怪』(文春新書)――著者とは会ったことがある。NPO法人POSSE立ち上げの頃だ。POSSEに賛同してメッセージを送ったように記憶しているが、自分の研究・活動テーマとはやや離れているため、その後、特にかかわってこなかった。申し訳ない。改めて、見ると、著者は大学の後輩だ。確かに当時、そんなことを話していたのも覚えている。POSSE立ち上げが2006年で、著者はその頃まだ学生だった。今も大学院生だが、すでに著書が複数ある。しかも、本書を見ると、ブラック企業の被害者からの相談に基づく現実をもとにしているうえ、同時に労働法をはじめとする理論を的確に構築している。同じ若者世代のための闘いの書であると同時に、現代日本社会分析でもある。凄い。著者は嫌がるだろうが、私の自慢の後輩、ということになる(このところ、不祥事を起こした弁護士とか、同じく不祥事でビッグニュースとなった母校の総長とか、フロッピディスク改ざん事件の元大阪特捜部長とか、先輩や後輩はこんなのばかりで、情けない)。第1章でブラック企業の実態を事例をもとに明らかにし、第2章ではウェザーニューズ、大庄、ワタミ、SHOP99を実名告発し、第3章でパターンわけをし、第4章ではブラック企業が開発してきた「辞めさせる技術」を分析し、第5章で個人がいかに身を守るかを論じる。しかし、ブラック企業は社会問題であり、個人被害者だけの問題ではないとして、著者は日本企業論、日本社会論に踏み込む。第6章で「若く有益な人材の使い潰し」がいかにコストとなるかを示し、ブラック企業がそのコストを社会に転嫁していることを論じる。とても重要な指摘だ。第7章ではブラック企業を生んだ背景というか、地盤としての日本型雇用も分析し、第8章で社会的対策を提言する。「ブラック企業問題は、若者の未来を奪い、さらには少子化を引き起こす。これは日本の社会保障や税制を根幹から揺るがす問題である。同時に、ブラック企業は、消費者の安全を脅かし、社会の技術水準にも影響を与える」と言い、「これまでただ『自分を責める』ことしか知らなかった私たちの世代が、『ブラック企業』という言葉を発明し、この日本社会の現状を、変えるべきものだとはじめて表現したことにこそ、この言葉の意義はある。ブラック企業は『概念』なのではない。私たちの世代が問題意識を持ち、それを結びつけ、そして世の中を動かしていこうとする『言説』なのである」(本書おわりに)と述べる。30歳の若者が、同世代の若者と、日本社会を救うために、本書を世に問うた。今後も著者とPOSSEに注目。
Saturday, November 02, 2013
ルネサンス3巨匠の交錯のドラマ
池上英洋『ルネサンス 三巨匠の物語』(光文社新書)----1504年のフィレンツェ、1516年のローマ、レオナルド(万能)、ミケランジェロ(巨人)、ラファエッロ(天才)の3人が2度にわたって同じ町にいた時期を取り上げて、彼らの交錯を描きながら、それぞれの個性を浮かび上がらせる。絵画、彫刻はもとより、建築に至る幅広い分野での傑出した才能のぶつかりあいだ。前著『ルネサンス 歴史と芸術の物語』では社会構造の面からルネサンスをとらえたが、本書では芸術家たちの人間的なドラマに焦点を当てている。一部はフィクションも含みつつ、歴史小説の手法も採用して物語を展開し、その次の美術史的な解説を施すスタイルをとっている。3巨匠の年齢の違い、社会的評価の違い、収入の差異、「世紀の対決」など、読みどころ満載だ。「ジョコンダ(モナリザ)」、「最後の晩餐」、「最後の審判」、「サン・ピエトロのピエタ」、「ダヴィデ」、「三美神」、サン・ピエトロ大聖堂。圧倒的な美とスケールだ。メディチのフィレンツェの繁栄と没落。ローマ教皇の個性と死と。そして、プロテスタントの登場によるルネサンスの終わり。同時に大航海時代の始まりによる地中海時代――イタリアの時代の終わり。そこに至るまでの時代背景も読み取れるようになっている。それにしても著者は新書の達人だ。『恋する西洋美術史』『イタリア 24の都市の物語』『ルネサンス 歴史と芸術の物語』『西洋美術史入門』と、手を変え品を変えて読者を愉しませる。しかも、今春、『神のごときミケランジェロ』を出版したばかりなのに、夏には本書を送り出している。
http://maeda-akira.blogspot.ch/2013/08/blog-post_23.html
ローザンヌ美術館散歩
ローザンヌ美術館は何度目だろうかと思いながら足を運んだところ、「MAKING SPA----------CE」という現代映像アート展だった。街中に張られたポスターにナムジュン・パイクが使われているので、何で今頃ナムジュン・パイクかと思っていたら、ローザンヌ美術館で映像アート展だ。1973年のナムジュン・パイクのGlobal Grooveを映像アートの先駆けとして、今年が40周年ということで、23人のアーティストの作品を上映していた。知っている名前はジャン・オト、アンリ・サラだけで、あとは知らない名前ばかりだが、この40年間の映像アート作家だそうだ。70~90年代の映像作品を見ると、もはや古典的というか、技術的にも「古い」ことになり、う~ん、とうなるしかない。上映するのにSONYのTVセットを使っているのが笑えた。そのうち上映不能になるのではないだろうか。コンピュータ時代となってみると、アートの中身よりも、映像技術の発展が急激なため、同じ「映像アート」という言葉でくくれるのかどうか疑問だ。実験映画というのもジャンルが重なりつつ、ややずれていそうだ。21世紀になってからの作品を見たが、どれも長いのが困りもの。結局、一部しか見ることが出来なかった。同時並行撮影画像を3面に同時上映した映画作品はうまくできていたが、中身が陳腐。世界8都市の雑踏を撮影した画像の同時上映作品も、「交通費がかかりましたね、ご苦労様」でオシマイ。そもそもローザンヌ美術館に行ったのは、フランソワ・デュボア(デュボイス)の「聖バーソロミュの虐殺」を見るためだったのに、全館、映像アート展のため、絵画作品はすべて撤去されていた。どこかに貸し出しているのだろうか。それにアリス・ベイリーがいくつかあったはずだ。彼女の作品はあまり見ることが出来ないので、ぜひもう一度見ておきたかった。また、別の機会に行かなくてはならない。
Thursday, October 31, 2013
反論権の理論を学ぶ
曽我部真裕『反論権と表現の自由』(有斐閣)――ヘイト・クライム、ヘイト・スピーチ関連の議論の中で、対抗言論や反論権が取りざたされることがある。しかし、ごく一般的な意味で言葉を使っていて、不正確な議論が多い。というか、反論権については、憲法教科書のごくありきたりの説明しか知らないので、少し勉強しなくては、と思っていたところ、本書が今春出版されていたので、読んでみた。著者は京都大学大学院准教授の憲法学者。本書は反論権を重んじてきたフランス法の専門研究書であり、難しくて理解が及ばないところもあったが、私なりに勉強になった、と思う。第二章の「プレス反論権法の現代的展開」で、新しい反論権や、ルペンショックの解説の部分は特に面白かった。第三章「視聴覚メディアの自由と反論権法の展開」では、プレスの場合と、視聴覚メディアの場合で、反論権の適用方法が違うことを知った。差異について、納得はできていないが。フランス反論権法から著者が引き出してきた「自己像の同一性に対する権利」はよくわかるが、日本の議論の文脈にうまく乗るのかどうかは良くわからない。むしろフランス的特殊性と言われて終わるのではないだろうか。終章「反論権と表現の自由」で、著者は「本書の検討の結果をもう一度まとめなおせば、フランスにおいては、反論権法は、手続的に理解された『自己像の同一性に関する権利』の保護という、日本と比較すればきわめて広範な人格権ないし人格的利益の保護を図りつつも、メディアの自由との関係では原理的には強度の緊張関係に立っており、この緊張関係を経験的な楽観論によって現実的に解決するという均衡の上に立っているといえる。また、委縮効果との関係についても、反論権法は、その機能による多様かつ『噛み合った』議論の流通の促進効果と反論権法による委縮効果との均衡の上に成立しているといえよう」としている。なるほど。本書は、個人に即した反論権法の議論を検討しており、人種や民族に関わるヘイト・クライム、ヘイト・スピーチとは別論ではあるが、考え方を学ぶという意味ではいい本だ。また、対抗言論とはほとんど重なりがないこともよくわかった。
人権委員会一般的意見35号審議(2)
31日午前、人権委員会(HRC、国際自由権規約委員会)は、一般的意見35号の審議だった(CCPR/C/107/R.3)。前回の継続で、5章「不法又は恣意的拘禁からの釈放手続きの権利」の訂正条文草案の審議と、7章規約9条とその他の条文との関係」の審議だった。報告者のニューマン委員が順次説明し、他の委員が質問や意見。ほとんどシャニィ委員、ブジ委員、ファタール委員、ケーリン委員が発言した。マジョディ委員も時々。大半の委員は発言なし。どうでもいいことを一言発言するくらい。これでいいのかと思うが、「人身の自由と安全」で、基本的に刑事手続きに関する議論なので、刑事法専攻でない委員はあまり発言しないのだろう。拘禁の際の裁判官面前引致の議論の途中で、裁判所courtとは何かをめぐる議論が少々紛糾した。ニューマン委員が、自分は独自のcourt概念には関心ない、あくまでも自由権規約9条のcourtを念頭に置いているとして、当たり前のことを述べていたが、議論では、拘禁命令権限を有するのがcourtなのか、それとも被拘禁者がアピールしうるのがcourtなのか、という形になり、tribunalはいつcourtになるのかと言っていた。ちょっと理解できず、議論についていけなかった。軍事法廷その他各種の法廷を念頭に置いての議論だろうが、結局、ニューマン委員が粘って説得して、規約9条を前提とした議論に戻った。おもしろかったのは、パラグラフ58の議論で、規約9条と規約6条(生命権)との関連について、ニューマン委員がoverlapという表現をした。「9条と6条の射程範囲が重複する」という意味だと思っていた。ところが、いろんな意見が出たすえ、スペインの委員が「スペイン語にはそれに対応する言葉がない」と言い出し、スペイン語で適切な言葉を示していた。他の委員が「それはcollateralだろう」と言うと、ニューマン委員も「私もcollateralならすっきりする」と言った。実に興味深く、かつ悩ましい対話だった。日本語で「重複」と考えていたが、途中で「競合」か「連合」かなと思ったが、collateralと言われると「付随的って、どいうことだ」と悩んでしまう。各言語における言葉のイメージの差異を痛感させられた。審議は結局、パラグラフ58で時間切れとなった。残り59~71は来年3月の会期になる。議長は、できれば3月会期でまとめたいと言っていた。
Wednesday, October 30, 2013
ヘイト・クライム禁止法(39)ポーランド
拷問禁止委員会に提出されたポーランド政府第5・6回報告書(CAT/C/POL/5-6. 15 November 2012)にヘイト・クライムの法と政策に関連する記述があるので、簡潔に紹介する。『ヘイト・クライムとの闘いに関する法執行官プログラム(LEOP)』が2006年以来実施されている。プログラムは内務省が組織し、欧州安全協力機構(OSCE)民主的制度・人権局の協力で、警察で実施されている。2008年9月、スルプスカの警察学校で「反差別・警察フォーラム」が開催され、警察及び、マイノリティ団体代表やNGOからも参加した。プログラムは2つの内容。1つは、警察官のための多面的な教育訓練システムで、2009年9月、警察の指揮官レベルに行われた。中央レベルで、トレーナーのためのヘイト・クライムと闘う5日間の専門コースである。専門コースは、4種類のコースとなっているが、50人の警察官が受講した。もう1つは、警察専門家、OSCE専門家、NGOなどが講師となる、地方レベルの1日訓練で、警察官対象である。ポーランド各地で行われ、これまでに2万人の警官が受講した。さらに、『ヘイト・クライム――トレーナーのためのガイドライン』を出版した。他方、2007年、「差別と効果的に闘うための検察官の役割」というプロジェクトを立ち上げ、人種、民族的出身、宗教、宗派、年齢、性的志向に基づく差別と闘う検察官育成を行い、ワークショップに240名の検察官が参加した(以上、報告書58~59頁、パラグラフ263~270)。差別の予防に関連して、現在、刑法改正の議論をしている。刑法草案119条「その国民、民族、政治又は宗教的意見の故に、又は宗教的信念がないことの故に、並びに、性別、ジェンダー、年齢、障がい又は性的志向に基づいて、人の集団、又は特定個人に対して、暴力を用い、又は不法な脅迫を行った者は、3月以上5年以下の自由剥奪刑に処する」。刑法草案256条「ファシストまたはその他の全体主義国家システムを公然と促進し、又は、国籍、民族的出身、人種、宗教ないし宗教的信念のないこと、性別、ジェンダー、年齢、障がい又は性的志向における差異を理由に、憎悪を煽動し、流布し、又は侮辱した者は、罰金、自由制限罰、又は二年以下の自由剥奪刑に処する」。刑法草案257条「その国民、民族、政治又は宗教的意見、宗教的信念のないこと、の故に、並びに、性別、ジェンダー、年齢、障がい又は性的志向、あるいは他人の神聖不可侵性を侵害するその他の理由に基づいて、人の集団又は特定個人を公然と中傷した者は、三年以下の自由剥奪刑に処する」(以上、報告書88頁、パラグラフ432)。
拷問禁止委員会傍聴(ポーランド報告書審査)
30日午前の拷問禁止委員会CATはポーランド政府第5・6回報告書審査だった。ポーランド政府代表団は10人ほど。NGOは30名弱。政府題補油が「議長Chiarman、ありがとうございます」と言って報告を始めようとしたところ、グロスマン議長がただちに「私はChiarmanではなくChiarpersonです」。ポーランド政府報告書は99頁495パラの充実した内容で、リスト・オブ・イッシューごとにまとめて回答している。政府報告では報告書の内容には一言も触れず、報告書に記載していないこととして、自由権規約選択議定書を批准したこと、欧州人権条約第一三議定書を批准したことなどを説明した。マリノ・メネンデス委員が、素晴らしい報告書とプレゼンテーションだと言っていた。どの政府にも社交辞令でいう事になっているのとは違って、明らかにほめていた。ただし、過剰拘禁の実態について厳しい質問をしていた。ワン委員(中国)は、監獄の医療、無国籍者の処遇を質問した。ゲア委員は、2012年の監獄の置ける自殺が100件以上として、その内容を質問した。ドマ委員は、刑法246条の拷問罪の規定は条約の定義と異なるとして、その理由を問いただした。刑法246条と247条は、これでは条約が求める水準と言えないと指摘していた。2010年改正による新刑法246条「公務員、又はその命令下で行動する者が、特定の供述、説明、情報又は言明を得るために、他人に対して、実力、不法な脅迫、又は責苦を用いた場合、それが身体的であろうと精神的であろうと、1年以上10年以下の自由剥奪刑に処する。」
Tuesday, October 29, 2013
拷問禁止委員会傍聴
29日は爽やかな秋晴れ。晩秋で風は冷たいが。午後の人権委員会は秘密会議になっていたので、拷問禁止委員会のモザンビーク政府報告書審査を傍聴した。 司法大臣が、昨日の委員からの質問に回答し、また委員が質問し、再回答して終わり。回答は全て司法大臣が一人で行った。他の男性スタッフ6人はついに一言も話さなかった。NGOの傍聴は30数名。回答の最初は、「刑法には拷問罪の規定はないが、暴行罪、傷害罪その他の規定で処罰することが出来る」というものだ。日本政府と同じパターンだ。監獄における暴力事件の統計がないことを認め、今後調査すると言っていた。その他、多くの点での不備を認めつつ、長い戦争や内戦の遺産であるとして、将来に向けて是正を約束していた。オンブズマンや国際人権機関のないことについて、国内人権委員会が亜ルト説明していたが、行政の一機関であって、独立性も専門性もない。マリノ・メネンデス委員は、監獄における拷問や暴力を誰が捜査するのかやはり明らかでないと繰り返しの質問。女性に対する暴力の不服申し立ても不備と指摘。グロスマン委員は、拷問を犯罪と定義できない理由を追及した。トグシ委員は、NGOによると過剰拘禁は260%と指摘。過剰拘禁についてはいろんな数字が挙げられていたが、いずれにしても200%を超えている。再回答で司法大臣は、新しい刑務所建設を進めていると始めたので、分かっていない、と思ったが、続けて刑期の短縮化を図っていること、家族との面会を増加させたことを説明していた。
Monday, October 28, 2013
拷問禁止委員会51会期はじまる
10月28日、ジュネーヴのパレ・ウィルソン(国連人権高等弁務官事務所)で、拷問等禁止条約に基づいて設置された拷問禁止委員会(CAT)51会期がはじまった。11月22日までの日程である。政府報告書の審査は、モザンビーク、ウズベキスタン、ポーランド、ラトビア、ベルギー、ブルキナファソ、ポルトガル、アンドラ、キルギスタン。そのほかに、個人通報申立ての秘密審理や、拷問予防小委員会との合同会議などが予定されている。パレ・ウィルソンでは、国際自由権規約に基づく人権委員会(HRC)もまだ開催中なので、同時に両方に出ることが出来ない。今日は拷問禁止委員会を傍聴した。まずはモザンビーク政府第一回報告書の審査。モザンビークはつい先日、人権委員会でも第一回報告書の審査だった。レバイ司法大臣(*女性。以下、*は女性)率いる代表団は7人。NGOは40人以上いて満席状態だった。大半が白人だ。アフリカ系の人は一部のみ。そして、過半数が女性だ。マリノ・メネンデス委員(スペイン)は、刑法に拷問罪がないことを指摘、拷問の捜査と訴追が適切になされていないのではないか(特に監獄における拷問)、外国人の移送手続きがノンルフールマン原則に違反していないかと指摘した。グロスマン委員(チリ)は、性的アイデンティティに関してLGBTに対する拷問、またテロリスト捜査マニュアルにおける拷問予防の有無、拷問に関する不服申立ての実効性を質問した。ブルニ委員(イタリア)は、過去の戦争の遺産として拷問が残されていると指摘し、244%の過剰拘禁の理由を質問した。ドマ委員(モーリシャス)は、警察、検察の捜査官の数や、拷問関係で有罪となった人員数を質問した。ベルミー委員(*モロッコ)は、過剰拘禁と拘禁条件について質問。スヴェアス委員(*ノルウェー)は、拷問被害者のリハビリテーションや、イスタンブール・プロトコルの位置づけを質問。トグシ委員(グルジア)は、メンタルヘルスに関する法と政策の不備を指摘した。ゲア委員(*アメリカ)は、被収容者間の暴力事件や、戦時における子ども兵士をいかに社会統合しているのかを質問した。回答は29日午後だが、その時間は、人権委員会の一般的意見35号の審議なので、そちらに行かなければならない。夜は、La Republique, Epesses Lavaux,2010. 1552年から続くPatrick Fonjalllazだが、う~ん、期待ほどではなかった。
Saturday, October 26, 2013
女たちのサバイバル作戦を読む
上野千鶴子『女たちのサバイバル作戦』(文春新書)――「総合職も、一般職も、派遣社員も、なぜつらい?」/「追いつめられても手をとりあえない女たちへ」/「ネオリベ時代を生き抜くために」。女性学、ジェンダー研究者で、東大名誉教授、NPO法人WAN理事長の著者の最新刊だ。初期の『家父長制と資本制』『近代家族の成立と終焉』、中期の『ナショナリズムとジェンダー』、そして近年の『おひとりさま』『男おひとりさま道』など、著者の本を随分と読んで学んできた。「慰安婦」問題については全く立場が異なり、著者の見解を批判したこともあるが、他の問題では一方的に学ばされてばかりだ。本書は雑誌『文學界』に12回連載したという。文學雑誌に、この内容を連載というのもユニークだが、文学もあらゆる人間生活や意識に関わるのだから、当然なのかもしれない。フェミニズムの旗手として驀進邁進突撃してきた著者も、ついに「高齢者」の仲間入りだと言うが、本書でも「上野節」はますます健在だ。均等法から現在までの30年間の日本社会の変化、とりわけ労働市場の変化と、女性たちの労働、暮らし、意識を追いかけている。それを「ネオリベ改革」の30年と特徴づけ、同時に著者が「働いてきた30年間」だという。「そのときどきに、わたしが怒ったり、笑ったり、してやられたと悔しがったりした同時代の記録でもあります」。なるほど、第1章「ネオリベ/ナショナリズム/ジェンダー」、第2章「雇用機会均等法とは何だったか?」から、第11章「ネオリベの罠」、第12章「女たちのサバイバルのために」に至る歩みは、この30年の労働市場の変貌を総合的に扱っている。欧米諸国の労働市場/女性の社会進出の変容と、日本の逆行現象が見事に対照的なのも、欧米と日本のネオリベへの対応の仕方の差異による。そこで日本企業は成功をおさめ、女性を抑え込んだ。しかし、それが日本企業のアキレス腱にもなっている。そのことを著者は徹底解剖し、そこに女たちのサバイバルのための突破口を見出そうとしている。それにしても、読めば読むほど、男社会の狡猾さ、卑劣さ、駄目さがよくわかり、暗澹たる気分になるのは私が男だからだが、たぶん、女が読んでも、本書の読後感は暗く、暗く、ただ暗澹としているのではないだろうか。最後のサバイバル作戦も、せいぜい「ひとりダイバーシティ」と「持ち寄り家計」だ。これは著者のせいではなく、日本国家と社会のせいだが。340頁の充実した新書で、定価800円は格安、お得だ。ざっと読み飛ばすのではなく、1章ごとにゆっくり読むと本当に勉強になる。もっとも、いつも勉強させられ、なるほど、なるほど、と呟いてばかりなのも癪に障るので、一つだけささやかな抵抗をしておこう。第7章「オス負け犬はどこへ行ったのか?」は、女ではなく、男の話だ。ここが一番面白いともいえる。著者は「男おひとりさま」の「社会的孤立」を取り上げて、「あなたは正月三が日誰にも会いませんでしたか?」にイエスと答えたのが前期高齢者男性61.7%、後期高齢者男性46.8%という調査記録を紹介し、「正月は家族の時間。ひとりものがもてあます地獄の時間」だと決めつける。果たしてそうだろうか。仕事も雑用もなく、全く自由な年末年始の1週間に、ふだんは忙しくて読めない本をひたすらまとめ読みするのは「至福の時間」ではないだろうか。
Friday, October 25, 2013
人権委員会一般的意見35号審議(人身の自由と安全)
24日午後3~6時、ジュネーヴのパレ・ウィルソン(国連人権高等弁務官事務所)で開催中の人権委員会(Human Rights Committee、自由権規約委員会)は、「一般的意見35号草案、第9条:人身の自由と安全」の審議を行った。人権委員会は、各国政府の報告書を審査した結果として、それぞれの国に対して勧告的意見を出す。日本政府に対しても、代用監獄の廃止や死刑の廃止・制限などさまざまな勧告的意見を出してきた。それとは別に、特定の国を相手としたものではなく、一般的意見を出すことができる。これまで例えば、34号は2011年に出された意見・表現の自由、19号は2008年の家族の保護、15号は2008年の外国人の地位などについて、34の意見を出してきた。今回は35号の草案を審議している。審議は10月17日、18日にも行われ、24日が3回目だった。今後、29日、31日にも審議が予定されている。草案(CCPR/C/107/R.3)は人権高等弁務官事務所のウェブサイトに掲載されている。草案は全7章71パラグラフからなる。A4版で21頁。229もの註がついた、詳細な意見である。註の大半は、これまでの人権委員会の一般的意見や各国への勧告的意見である。目次を示すと、Ⅰ総論、Ⅱ恣意的拘禁と不法拘禁、Ⅲ逮捕及び刑事訴追の理由の告知、Ⅳ刑事訴追と結びついた拘禁の司法的統制、Ⅴ不法又は恣意的拘禁からの釈放を求める手続きをとる権利、Ⅵ不法又は恣意的逮捕・拘禁の補償の権利、Ⅶ自由権規約9条とその他の諸規定との関係。24日の審議はパラグラフごとの逐条審議形式で行われた。担当の報告者はアメリカ政府推薦のニューマン委員。本人が国連に届け出たプロフィルによると、ニューマンGerald Neumanは1952年生まれのアメリカの法律家で、ペンシルバニア、コロンビアを経て現在ハーバード・ロー・スクール教授(人権、アメリカ憲法、比較憲法)。著書は『人権』、『憲法に対する外国人:移民、国境、基本法』がある。60歳にもなるのに、なんと2冊しかない! 大丈夫かと少し心配になる。審議は、Ⅳ刑事訴追と結びついた拘禁の司法的統制、に始まり。Ⅴ不法又は恣意的拘禁からの釈放を求める手続きをとる権利、の途中まで進んだ。ニューマン報告者が各パラグラフについて少し説明し、他の委員が質問や意見を出しながら進める。シャネ委員(フランス)がフランスの情報や欧州人権裁判所の情報を提起していた。ケリン委員(スイス)も欧州人権裁判所の判例に触れていた。ブジ委員(アルジェリア)もアフリカの経験を話していた。ナイジェル・ロドリー委員は一言も発言しなかった。パラグラフ32から46まで消化した。一例として、日本にとっても非常に重要なパラグラフ37を示しておく。37. Once the individual has been brought before the judge, the judge must decide whether the individual should be released or remanded in custody, for additional investigation or to await trial. If there is no lawful basis for continuing the detention, the judge must order release -- in this respect the hearing required under paragraph 3 also performs the function of proceedings under paragraph 4. If additional investigation or trial is justified, the judge must decide whether the individual should be released pending further proceedings because detention is not necessary, an issue addressed more fully by the second sentence of paragraph 3. In the view of the Committee, detention on remand should not involve a return to police custody, but rather to a separate facility under different authority, because continuing custody in the hands of the police creates too great a risk of ill-treatment. 逮捕後すみやかに裁判官面前に引致して、身柄拘束について裁判官が決定するが、その後、警察留置場に連れ戻してはいけないという当たり前のことである。なお、最後のbecause以下は若干修正されたが、ちゃんとメモをしていないので、ここに紹介できない。
Thursday, October 24, 2013
日本NGOブリーフィング(人権委員会)
24日午後2~3時、ジュネーヴのパレ・ウィルソン(国連人権高等弁務官事務所)会議室で、「市民的政治的権利に関する国際規約ICCPR」に基づく人権委員会(Human Rights Committee)委員に対する日本関連NGOによるブリーフィングが行われた。日本政府報告書が提出され、2014年に審議される。NGOレポートも多数提出され、すでに人権高等弁務官事務所のウェブサイトに掲載されているが、今回は直接のブリーフィングでアピールした。参加した委員は、フリンターマン、マジョディナ、マタディーン、モト、ニューマン、シェニィ、ウォーターヴァル、ザイベルト・フォア(委員の顔と名前を覚えていないため、不正確かも)。NGOは14人参加。最初に、反差別国際運動IMADRと部落解放同盟が、橋下大阪市長が部落出身であることを侮蔑的に取り上げた週刊朝日事件を手掛かりに、日本における部落差別の現状を報告した。次に日弁連代表が、朝鮮学校差別(無償化問題、助成金など)、最近のヘイトスピーチ状況(新大久保、鶴橋)、死刑問題などについてアピールした。さらに、国際人権活動日本委員会JWCHRが、日本航空客室乗務員不当解雇問題や、学校における日の丸君が代強制問題を報告した。国境なき人権は、宗教の自由を報告。さらに、言論表現の自由を守る会が、最新の問題として秘密保全法などを取り上げた。最後に、監獄人権センターCPRが拘禁条件について報告した。私は資料係と写真係をしていたので、質疑応答をきちんと聞いていないが、日の丸君が代問題について教師だけでなく子どもへの影響について、刑事裁判における99%有罪という実態について、部落差別は日本だけかアジア地域の問題か、女性に対する暴力について(「慰安婦」問題も一言)等の質疑応答がなされた。終了後、パレ・ウィルソンのレストランカフェでコーヒーを飲みながら、ほんのわずかの時間だけど委員に直接訴えることができて、わざわざジュネーヴに来てよかったと、お互いに労をねぎらった。
日本と中国の普通の人々の日常から
中島恵『中国人の誤解 日本人の誤解』(日経プレミアシリーズ)――『中国人エリートは日本人をこう見る』のジャーナリストが、抗日や反中の不幸な関係を読み解くために、政治や経済の対立ではなく、市民生活の中で普通の人々がどのような知識と意識をもっているのかを明らかにして、無用な誤解の構図を乗り越えようとする。日本と中国で燃え上がるナショナリズムの対立が、政治やメディアで取りざたされ過激なる一方で、庶民は意外に冷静だ、などと済ますのではなく、目でチアに踊らされる庶民もいれば、さしたる関心を持たない庶民もいれば、日本にあこがれる中国の庶民もいる。反日は、日本批判というよりも、実際には中国政府批判だったり、生活への不満だったりする場合もある。そうした局面を、中国人留学生、ビジネスマンだけでなく、中国の大学生や、日常生活を営んでいる市民から聞き取りを行い、すれ違いの中身に迫ろうとする。相互の誤解のも渦を明かり身に出すことで、次の「理解へのステップ」となる。
Wednesday, October 23, 2013
自由権規約委員会の新しい審議方式
23日、パレ・ウィルソンで開催された、「市民的政治的権利に関する国際規約」に基づく人権委員会(Human Rights Committee、自由権規約委員会)は、ウルグアイ政府第5回報告書(CCPR/C/URY/5)の審議を行ったが、その際、従来と異なる、新しい方式を採用した。新しい審理方式を、岩沢委員はlist of issues firstと呼び、他の数人の委員はlist of issues priorityと呼んだ。「リスト・オブ・イッシュー優先方式」である。リスト・オブ・イッシューLOIとは、政府報告書が提出された後、人権委員会委員が当該政府に対して特に重視して質問する事項をまとめた文書であり、実際の審議の際にもLOIを中心に質疑応答が行われてきた。とはいえ、政府報告書、NGO報告書、LOIなどのやり取りの手間がかかり、文書が増える一方であった。文書は翻訳しなければならないので、その手間と経費もかかる。そこで手続きの簡素化と経費節減が求められ、合理化したのが新しい「リスト・オブ・イッシュー優先方式」である。すべての国に適用されるのではなく、国家の側が選択できることになっていて、ウルグアイ政府が初めて選択した。22日までのモザンビークなどは旧式で審議が行われ、23日のウルグアイが初めて新方式であった。ウルグアイ政府報告書は、LOIごとに政府の回答を記載している。23日の審議でも、各委員は、「LOIの5番と6番と10番について質問します」という具合に、LOIを中心に質問した。岩沢委員は、この方式が、国連にも委員会にも締約国にも有益である、と説明していた。なるほどと思ったが、一つ抜けている。国連にも委員会にも政府にも有益だが、NGOにとっては有益とは限らない。23日の審議を聞いただけなので、問題点はまだ明らかとはなっていないが、直ちにわかるのは、「LOIに取り上げられなかった事項は、審議の際に取り上げられる可能性がほとんどない」ということであり、したがって、NGOとしては「LOIに取り上げてもらうためにいっそうの努力を傾けなければならなくなる」ということである。つまり、NGOの間で「LOIの椅子取りゲームが熾烈になる」。ウルグアイ政府の審議には、政府から6人ほどが来て、フィデリコ・ペラサ大使らが説明していた。傍聴は30人ほどだが、うち10人が日本人だった。4人は岩沢委員のところの大学院生。残りはNGOだ。ウルグアイは、人身売買、DV、自由を奪われた女性(被拘禁者)、被収容者の健康衛生、マイノリティ保護、難民などを詳しく取り上げた。質疑では、その前に、条約の裁判所による履行・適用があるか否か、国内人権機関とオンブズマンはどうなっているかが重視されていた。また、ICC法が制定されているが、「ICCローマ規程の国内法化」と言えるのか否かも質問が出ていた。夜はJWCHRメンバーで会食。Cornalin,Claudy Clavien, Valais 2012.
Tuesday, October 22, 2013
国際自由権規約の人権委員会傍聴
22日午前中、ジュネーヴは凄い霧だった。10メートル先が真っ白状態。午後から晴れたので、パレ・ウィルソン(国連人権高等弁務官事務所)で開催中の人権委員会(Human Rights Committee)に傍聴に出かけた。「市民的政治的権利に関する国際規約」に基づいて設置された人権委員会である。わかりやすく国際自由権委員会と呼ぶこともある。以前は、国連人権委員会(Commission on Human Rights)があったので、両者を混同する人も多かった。後者は今は、人権理事会(Human Rights Council)で、やはりHRCなので誤解を招きやすい。Human Rights Committeeの略称はCCPRだ。22日はモザンビーク政府第一回報告書の審査だった。政府代表は7人いて、うち4人が女性。報告も女性が担当した。モザンビークはタンザニアと南アフリカの間にあるが、ポルトガルの植民地だったので公用語はポルトガル語だという。内戦が続いたこともあって、今回初めての報告書だ。死刑はない(死刑廃止条約を批准)、拷問もないと始めて、男女平等についてジェンダー政策を説明していた。国会議員は女性が40%だという。1997年には28%しかなかったという。「28%しか」と言うのなら、日本はどうするのかという数字だ。女性に対する暴力や、教育におけるジェンダー、出産後のケアのことも報告していたのは珍しい。委員からは、国際人権条約の適用事例はないのか、人権侵害被害者の賠償請求権の内容が不明だ、国内人権機関はどうなっているのか、過剰拘禁や刑事施設の収容条件はどうかなどの質問が相次いだ。傍聴席は、最前列にアフリカ系の人がいたが、3列目に白人が6人ならんで座った。隣の女性に聞くとポルトガル系だった。他方、2列目に日本人の若い男性が4人座っていた。背広にネクタイで、どう見ても人権NGOではないな、と思っていたら、日本政府推薦で委員となっている岩沢委員があれこれ話しかけて指導していた。大学院生か学生だろうか。夕方は、人権委員会で日本の人権状況についてロビー活動をするためにジュネーヴに来た国際人権活動日本委員会JWCHRのメンバーと打ち合わせ。
エピソード金正恩
髙英起『金正恩』(宝島社新書)――著者は、共著『いまだから知りたい不思議の国・北朝鮮』『金正恩の北朝鮮』のある在日コリアン2世のジャーナリスト。朝鮮学校出身だが、朝鮮学校、朝鮮総連、金日成・正日を厳しく批判してきたようだ。本書も、金正恩と朝鮮の政治・経済・社会に徹底した批判の目を向ける。この種の本は、圧倒的多数が、ひたすら朝鮮非難に終始する。一部の本は、「そうはいっても、日本植民地支配や戦後の分断に原因がある」という形で冷静な思考を求める。その程度でも「北を擁護するな」と猛烈な攻撃が集中する。本書は、朝鮮を厳しく非難してはいるが、一面では著者の「愛情」ともいうべき「思い」も伝わってくる。米ロ中日韓に取り囲まれた半島北部の政治と経済が、いかなる制約の下にありつつ、いかなる「主体」によって、今日の状況に至っているのかを問う。また、政治や経済だけではなく、「権力闘争」の経過や、後継者伝説のつくられ方も解説する。第3章「お笑い!金正恩伝説」では、苦境に立つ3代目を権力者として安定させるための必死の努力を、さまざまに分析する。市民生活の激変にも目を向け、消費生活の状況を伝える。近年、ピョンヤンでは携帯電話が急速に普及していることは、他の著作でも伝えられてきたが、本書でも確認できる。新しい音楽集団(アイドル)としてのモランボン楽団の紹介も楽しいが、それ以上に、日本におけるK-POPとNK―POP(North Korea Pop)の対決イベントのエピソードがおもしろい。著者は自身のことを、「北朝鮮当局からすれば変節者の一人に過ぎない」としつつ、最後に次のように述べている。「もし、あなたが祖父や父と違った近代的な指導者として、北朝鮮を近代的な国家に変わらせたいという思いがあるのなら、まずは住民のための政治、すなわち『先民政治』を行い、人民大衆の息子として生まれ変わるべきである。」
Monday, October 21, 2013
伝統アート「アフリカの記憶」
パレ・デ・ナシオン国連欧州本部新館で、アフリカ連盟主催の「アフリカ伝統アート:アフリカの記憶」(アフリカ連盟50周年記念)が開かれている。「われわれはアフリカ人であることに誇りを持っている。行動する男性や女性のように思考せよ。思考する男性と女性のように行動せよ。兄弟姉妹たちよ、いまこそあなたたちの時である。いまこそアフリカの時である。その瞬間を捕まえよ」。展示されているのは、大半が、立像(人間、動物)、坐像、頭部、仮面である。小さなものを入れて100点近く。大きいものでも等身大以下。木製、ブロンズ、テラコッタ、ミックスト・メディア。マリ、ガーナ、コートジボアール、シエラレオネ、リベリア、ギニア、ナイジェリア、カメルーン、ガボン、コンゴ。象のマスクがおもしろかった。
世界の宗教見取り図
橋爪大三郎『世界は宗教で動いている』(光文社新書)--世界の宗教一覧とか、世界の紛争地地図とか、この種の本は昔からよく出ている。地図やカラー写真つきの豪華本もよく見たように記憶している。本書が少し違うのは、社会学者が、ビジネスパーソンの基礎教養として語った記録ということだろうか。地図や写真はない。著者はこのところ『ふしぎなキリスト教』『なぜ戒名を自分でつけてもいいのか』『世界がわかる宗教社会学入門』などを出しているそうだ。著者の本は昔、何冊か読んだが、この20年ほど読んでいなかった。私とは関係ない本だからだ。成田空港の書店でまとめ買いしたときに、「まえがき」に<さまざまな宗教の「相互関係」を考えなければならない。・・・この点を掘り下げてみる>と書いてあったので、購入した。もっとも、「掘り下げている」とはとても思えない。「第一講義 ヨーロッパ文明とキリスト教」では、一神教としてのキリスト教の形成と思想を略説している。それはわかるが、キリスト教の現場はいわゆる中近東だ。後にローマが舞台となり、はるか後にヨーロッパでプロテスタントが登場する話も出て来るが、第一講義は「ヨーロッパ文明とキリスト教」というタイトルにふさわしい内容になっていない。なぜか一つだけ掲載されている図「ユダヤ教成立当時の周辺状況」も、エジプト、パレスチナ、メソポタミアの歴史だ。キリスト教がいかにしてヨーロッパを形成したのかにもっと焦点を当ててくれるとよいのだが。第三講義の「イスラム文明の世界」は、よくあるイスラム紹介の焼き直しだ。個人的に面白かったのは、中国の儒教の解説で、EUと中国を対比している部分だ。これも著者の独創とは言えないが。全体として、小さな新書で世界の大宗教をごく大雑把に概説するという意味では、なるほどという著書ではある。
Tuesday, October 15, 2013
ただただスタンディング・オベーション
こまつ座『ムザシ』(井上ひさし作、さいたま芸術劇場)を観た。あっという間に終わった3時間の公演に感動し、ただただスタンディング・オベーション。演出の蜷川幸雄に泣かされてしまった。ちょっと悔しい。音楽担当の宮川彬良も素晴らしい。武蔵(藤原竜也)、小次郎(溝畑淳平)、乙女(鈴木杏)、沢庵(六平直政)、柳生(吉田鋼太郎)、まい(白石加代子)、平心(大石継太)らの演技もお見事。初演の話題の時に、「武蔵を藤原竜也?」と思ったのは、愚かだった。藤原竜也の武蔵、大した役者だ。溝畑淳平は今回初参加ということだが、若手らしくまっすぐに、しかものびのびと役にぶつかっているのが、なんとも爽快だった。そもそも井上ひさしの『ムサシ』という話を聞いた時に違和感があった。文学者評伝シリーズ、昭和庶民伝3部作、広島もの、そして東京裁判3部作と続いた井上ひさしのテーマとは異なると勝手に勘違いした。このため、今回初めて『ムサシ』を観た。しかし、21世紀の「テロとの戦争」の時代にふさわしい「殺すな」というメッセージが溢れんばかりの武蔵と小次郎の物語は、想像できなかった。原作を読んだ時に、一応理解したが、舞台で見て初めて本当に理解できた。長年の井上ひさしファンなのに、我ながらお粗末。いつもながら井上ひさしに脱帽。
Wednesday, October 09, 2013
日本の沖縄植民地支配を問い続ける
知念ウシ『シランフーナーの暴力』(未来社)
『ウシがゆく――植民地主義を探検し、私をさがす旅』(沖縄タイムス社)、共著『闘争する境界――復帰後世代の沖縄からの報告』(未来社)で、沖縄の歴史と現状を根底的に考える視点と思索を提示した著者の「政治発言集」は、シランフーナー(知らんふり)の日本人の意識と行動を鋭く鮮やかに分析する。「日本人よ、沖縄の基地を引き取りなさい!」というストレートな問題提起にたじろぐ日本人は、シランフーナーに逃げ込むか、話題をすり替えるしかできない。日本の平和運動が沖縄の平和運動に連帯しているという姿勢では、「沖縄に米軍基地を押し付けているのは日本であり、日本人であり、そこには日本の平和運動も含まれる」という当たり前のことを見忘れる。忘れた方が楽だからだ。著者は「知らないふりは暴力であり、攻撃である」と踏み込む。日米同盟論に立ち、中国敵視政策を進めている日本政府や政策決定エリートだけの問題ではない。沖縄に癒されたがる観光客も、沖縄の平和運動を指導したがるヤマトの平和運動家も、沖縄米軍基地を撤去するための闘いの場であるはずの東京で何をしてきたか。何を成し得たか。何もなしえない日本人は、シランフーナに逃げ込むことで、実は「無意識の植民地主義」(野村浩也)に安住している。先住民族、朝鮮半島、台湾、アジア太平洋諸地域に対する植民地支配と侵略の歴史を直視せず、責任回避を続けてきた日本への重要な問いかけである。沖縄の米軍基地撤去は「日米の帝国主義の要をはずす」闘いである。日本帝国主義、植民地主義、そして人種差別との闘いが続く。日本で広く読まれるべき著作である。
Monday, October 07, 2013
ヘイト・スピーチと闘うために
有田芳生『ヘイトスピーチとたたかう!』(岩波書店)
昨日は京都朝鮮学校襲撃事件民事訴訟で、京都地裁が、在特会の差別街宣は人種差別撤廃条約にいう人種差別に当たり、不法行為であり、高額の損害賠償と街宣差止を命じるという、非常に良い判決を出した。今朝の朝日新聞、毎日新聞、東京新聞、京都新聞、琉球新報、沖縄タイムズ、岐阜新聞などが社説で取り上げている。しかし、朝日新聞社説をはじめ主流は「表現の自由か、ヘイト・スピーチの規制か」という奇妙な二者択一を掲げる。毎日新聞に登場している識者もこの二者択一を唱える。これでは議論にならない。思考停止状態だ。「表現の自由を守るためにヘイト・スピーチを規制しなければならない」。こう考えるべきだ。「表現の自由だから規制できない」というのなら、EU加盟国すべてが処罰していることをどう説明するのか。EU諸国には表現の自由がなく、日本にだけ表現の自由があるとでも言うのだろうか。ヘイト・スピーチという言葉は今年になって日本で普及し始めた。議論の蓄積がない。このため初歩的知識すら持っていない法律家が多い。ジャーナリストも条件反射のごとく表現の自由と唱える。現場を知らず、被害実態を無視した議論である。本書は著名なジャーナリストで参議院議員の著者の、在特会などによる異常な差別街宣、ヘイト・スピーチとのたたかいの記録である。差別の現場へ行き実態を把握し、国会内で2度にわたって討論集会を開催し、国会質問でも取り上げ、研究者の意見に耳を傾けながら、著者はヘイト・スピーチといかにたたかうのか、思索し、議論し続けている。表現の自由は大切だが、ヘイト・スピーチの問題は必ずしも表現の自由の文脈で考えるべきではないことも指摘されている。人種差別撤廃条約を批准しながら条約の実施に後ろ向きの日本政府と法律家の限界を乗り越えるため、実態把握と、諸外国の法規制の調査を進め、公的な議論を呼びかける。とりあえず罰則のない人種差別禁止法をつくり、人権機関や救済機関をつくる。そのためにまず調査委員会をつくる。その前提としてヘイトスピーチ研究会を発足させると言う。著者は最後に、「法的規制は必要ないという専門家には、ぜひ各地の『現場』へ足を運び、デモの異様さを感じていただきたいのです。・・・そして被害者の声を直接聞いていただきたい」と述べる。巻末には、在特会を取材し続けてきたジャーナリスト安田浩一、ヘイト・スピーチ法に詳しい専門家・師岡康子との座談会が収録されている。
「それからのブンとフン」を見る
昨日は天王洲銀河劇場で、井上ひさし「それからのブンとフン」(こまつ座、ホリプロ)だった。1970年の井上ひさし小説出版デビュー作『ブンとフン』を、1975年に演劇用に脚本を作ったものだ。売れない作家・大友憤の小説「ブン」の主人公である4次元世界の泥棒ブンが小説から現実世界に飛び出て来て暴れる。次から次と盗みを働き、できないことはない大泥棒だが、やがて、形あるものではなく、人間の記憶を盗み、いやなやつからいやなところを盗み、重病人からその病を盗む。そして、人間が大切にしている「権威」を盗む。国家権力、社会的権威に対する公然たる挑戦である。『ブンとフン』を読んだのは大学2年か3年の時だ。その後も井上作品を読むと、かつて上智大学学生だった井上ひさしが東京四谷近くに住んでいたことがあるため、四谷、しんみち通り当たりがよく出てきた。当時、私は新宿区若葉町、四谷駅から徒歩5分のアパートに住んでいたので、まさに小説の現場だった。そんなこともあって、ますます井上ひさしを読んだ。その後、『吉里吉里人』の大ブレイクで、トップランナーになった井上ひさしは小説だけでなく、戯曲でも大活躍するようになった。その最初期の作品「それからのブンとフン」だ。紛争世代の学生運動、アポロ月着陸など、70年の時代背景が出てくるが、痛快軽快なドタバタ演劇では、ブンとフンの闘いにもかかわらず、結局、権威と権力が勝利を収め、「元に戻ってしまった」と呟くしかない状況になる。まさに「元に戻ってしまった」。時代状況の悪化に落胆した井上ひさしは、暗く冷たい地下牢に閉じ込められた作家・フンを絶望させることなく、懸命に立ち上がらせようとする。そこで幕が下りるのだが、次の闘いは井上ひさし自身がそれから40年近くかけて続けて行ったことになる。井上ひさしの分身であるフンを市村正親、泥棒ブンを小池栄子、フンと敵対する悪魔を新妻聖子、クサキ・サンスケ警察長官を橋本じゅんが演じる。いずれも好演、熱演だ。演出は栗山民也、ピアノは朴勝哲。
こまつ座 http://www.komatsuza.co.jp/
Thursday, October 03, 2013
福沢諭吉神話徹底批判完結
安川寿之輔『福沢諭吉の教育論と女性論――「誤読」による<福沢神話>の虚妄を砕く』(高文研)
『福沢諭吉のアジア認識』(2000年)に始まり、『福沢諭吉と丸山真男』(2003年)、『福沢諭吉の戦争論と天皇制論』(2006年)に続いて、本書において、著者の福沢諭吉批判、そして福沢を「民主主義者」であるかのごとく虚偽の神話を作った丸山真男批判、その神話を無批判に継承している論壇、研究者に対する批判が完結した。『福沢諭吉のアジア認識』は衝撃的だった。韓国人や在日朝鮮人から福沢批判を耳にして、少しは知っているつもりだったが、自分で調べていなかったので、やはり<福沢神話>を逃れることはできない。福沢諭吉の侵略的姿勢とアジア蔑視と激しい差別には愕然とした。その福沢を民主主義者と持ち上げている日本の思想界の腐敗ぶりも徹底的に暴露されている。その後、慶応義塾関係者が安川への反論を試みて、論争が行われたこともあったが、今では安川批判はなく、むしろ、一部の論者は、安川の議論を無視して、相変わらずの福沢神話流通に励んでいる。13年経った今でも同様に、都合の悪いことは無視して、恣意的な引用と誤読をもとに福沢を持ち上げる例が次々と登場している。本書には、西澤直子『福沢諭吉と女性』(慶応義塾大学出版会、2011年)や宮地正人『国民国家と天皇制』(有志舎、2012年)への批判が含まれている。安川の徹底批判の姿勢も見事だが、いくら批判しても無視する「研究者」も「見事」だ。「見事」という言葉にもいろんな意味がある。本書末尾では、司馬遼太郎の「明るい明治」と「暗い昭和」の図式に対して、安川は「明るくない明治」と「暗い昭和」の連続性を探り、その「お師匠様」としての福沢諭吉を確認する。明治日本がなぜ、いかにして帝国主義国家として「自立」し、アジア侵略を積み重ね、アジア人蔑視と差別に精を出し、虐殺や日本軍性奴隷制度の歴史に突き進んだのか。近代日本総体の最高の「お師匠様」が福沢諭吉であったのではないか。そして、いまもアベとかイシハラが福沢諭吉を持ち上げている。
パテク・フィリップ博物館散歩
時計会社パテク・フィリップの時計博物館は、ジュネーヴ市内、プランパレ公園やジュネーヴ大学の近くにある。15世紀のドイツはニュルンベルクやアウグスブルクでつくられたものから現代までの時計が陳列されている。ポケット時計(懐中時計)、腕時計、ペンダント時計、柱時計、置時計。いつに多彩な装飾時計の数々が並ぶ。金、銀、メノウ、貝など各種の装飾が見事だ。肖像画、キリスト教にちなんだ図柄も目立つ。古いものは一般販売ではなく、王侯貴族からの注文品だろう。ロシアの歴史やポーランドの歴史を描いたシリーズものもある。時計も精巧だが、図柄もさまざまに工夫を施してあり、精密だ。金、銀、真珠、宝石類をちりばめた見事な装飾品だ。時計が壊れて止まっても、装飾だけで意味がある。時計や時間の研究に関する書籍も多数陳列されている。また、時計づくり工房の様子を、当時使った専用机、工具、写真で展示している。今や電子時計の時代だが、逆に希少価値があって、一層素敵な装飾が求められる。一番気になったのはルソーの系譜だ。16~17世紀ジュネーヴの時計の歴史にルソーの名が刻まれている。1549年にジュネーヴにやってきたディディエ・ルソーの孫ジャン・ルソーは時計職人だった。その息子がダヴィド・ルソーで、孫がイザク・ルソー、ともに時計職人だ。3代続いた時計職人の家に1712年に生まれたのが、ジャン・ジャック・ルソー。職人としてはできそこないで口先ばかり達者だったジャン・ジャックは、パリに出て『人間不平等起源論』『社会契約論』の著者になる。著作ではいつも「ジュネーヴ市民」と名乗っていたが、啓蒙の旗手ルソーは一時、時の人として故郷に凱旋するも、やがて権力に追われる身となり、故郷では出版禁止の憂き目にあう。最後は「ジュネーヴ市民」と名乗るのを止めることになった。今、ルソーの生家はジュネーヴ旧市街に残され、観光客が訪れる。パテク・フィリップ博物館ではジャン・ジャックのことは名前しか出てこないが。
Sunday, September 29, 2013
ヘイト・クライム禁止法(38)
国連人権理事会24会期に提出された「アフリカ系人民に関する専門家作業部会報告書」(A/HRC/24/52)の付録として、イギリス訪問調査報告書(A/HRC/24/52/Add.1. 5 August 2013)がある。2012年10月に、ミレイユ・ファノン・マンデス・フランス、ミリヤナ・ナイセフスカ、ヴェレーヌ・シェパードがイギリスを訪問して調査した結果である。ヘイト・クライムに関する記述を紹介する。2010/11年に検察局が把握した中で、最も共通するタイプは、人に対する犯罪44.2%、公共の秩序に対する犯罪37.6%である。被告人の多数は25~59歳の白人イギリス男性である。被害者は男性58.3%、15%は性別不明。多くはアフリカ系の難民申請者だが、その集団に対する加害は報告されない例も多い(つまりもっと多いはず)。メデチィアにおけるレイシズムの主な問題は特定集団に対する消極的ステレオタイプである。イギリスにはメディア苦情委員会があり、編集者実務綱領もある。インターネットにおけるレイシズムが増えている。捜査や立証が困難である。イギリスの裁判所は、インターネットは公共の秩序法にいう公共空間と認めている。2012年3月、ある学生が、アフリカ系フットボール選手に関してツイッターに攻撃的投稿をして56日の拘留となった事例がある。イギリスは7つの国際人権文書を批准しているが、移住労働者家族権利保護条約は批准していない。人種差別撤廃条約14条の個人通報を受容していない。レイシスト・プロパガンダとレイシスト団体の禁止に関する条約4条については、表現の自由との関係で解釈宣言をしている。人種差別撤廃委員会は2003年と2011年にこの見解の見直しを勧告した。2010年のUPRでも同様の勧告があった。イギリスにおける関連法規は、2010年の平等法であり、1965年の人種関係法に遡る。イギリス政府によると、2010年平等法は、それまでの反差別法を簡明にし、調和的にするものだ。直接差別、間接差別、ハラスメントも射程に入れている。職場における不公正な処遇に対処している。ただし、ヘイト・スピーチ法という観点では、弱い。イギリスにおけるヘイト・クライムについて詳しくは師岡康子論文参照。
Saturday, September 28, 2013
トラウマを「耕す」ために
宮地尚子『トラウマ』(岩波新書)
文化精神医学、医療人類学、トラウマとジェンダーを専門とする著者による「入門書」である。トラウマという言葉はいつの間にかかなり日常的に使われるようになってきたが、本来の意味から離れて、「私ちょっとトラウマになっちゃって」といった軽い使い方もされている。本書はトラウマの本来の意味を解説しつつ、同時にトラウマの多様な面を幅広く取り上げている。「戦争・紛争体験、自然災害、暴力犯罪、事故、拷問、人質、監禁、強制収容所体験、児童虐待、DV,過酷ないじめなどの被害があげられます。日常ではいられない出来事が多いのですが、日常生活の中に潜んでいて、実はけっこう多くの人が経験しているものもあります」という。つまり、かなり広い意味でもありうることを含んでいる。トラウマの分類、トラウマとPTSD、トラウマが埋もれていく理由、トラウマ治療、トラウマを織った人にどう接するかなど、順に書かれている。DV被害者のトラウマも詳しい。最終章で「トラウマを耕す」という表現が用いられている。精神科医の星野弘の「分裂病を耕す」「精神病を耕す」に倣った言葉である。トラウマも「耕す」ことができる。それによって「豊かになっていくのではないでしょうか。柔らかく混ぜ返し、外から空気を入れれば、ふくよかになっていくのではないでしょうか」と言う。想像力、創造力につなげて、「心のケア」におけるアートの役割が説かれる。刑務所における修復的アート、映画やパフォーマンス、詩、文学、マンガなどさまざまな可能性がありうるという。「『何者』にもならなくていいということ。それがトラウマからもたらされる想像力や創造性の帰着点です。そして、それがまた新たな想像力や創造性の原点となるのです」という最後の言葉はわかるようで、わからないが。
Friday, September 27, 2013
国連人権理事会24会期閉幕(一方的強制措置、制裁を批判)
27日、人権理事会24会期(3週間)の最終日だった。26日午後から27日は決議の採択だった。諮問委員会委員の選挙も行われた。会期中に行われた討論をもとに、各国政府がそれぞれ担当し、協議しながら決議案をつくる。途中で公表して、他の諸国やNGOの意見を聞いて、手直しする場合もある。決議採択の直前に初めて公表されるものもある。毎回同じテーマで決議が続いている者もある。今回も次々と決議が採択された、例えば、「スポーツとオリンピック精神を通じた人権促進」「地方政府と人権」「奴隷制度の現代的諸形態特別報告者」「ジャーナリストの安全に関するパネル討論」「恣意的拘禁」「平等な政治参加」「人権と先住民族」等々。多くの決議は事前の調整ができているので、コンセンサス(投票なし)で採択される。しかし、意見の割れるものもあり、反対意見や修正意見が出ると、場が盛り上がる。議論の後に、投票になる。昔は1か国ずつ順に「賛成」「反対」とロールコール投票で楽しかったが、今は押しボタン式ですぐに結果が出る。今回一番の注目は「人権と一方的強制措置Human Rights and unilateral coercive measures」決議案だった。非同盟諸国とアラブ諸国が中心になって準備し、イランとパレスチナが提案国だ。事前に公開討議はなく、最終日に決議案が配布された。内容は、国家の固有名詞は出ていないが、明らかに、アメリカのユニラテラリズムによる介入や制裁が各国の人権にたいしていかに悪影響を与えているか、というものである。アメリカ、欧州、日本が批判対象と言ってよい。UCMは国際法違反、国際人道法違反と明記している。そして今後、このテーマの議論をどんどんやっていこうとい趣旨だ。ベネズエラが賛成演説をし、EUが「この決議案は政治的だ」と強く批判して、反対した。EUの反対意見は説得力がない。第1に、通常は決議案の内容を取り上げて、どのパラグラフ、どの言葉を受け入れないかを表明する。この部分が国際人権法と合致しないから反対と言えば、強い反対意見になる。それがなかった。第2に、手続き上の批判をするケースも多い。内容はいいが、討議が不十分だから、といった批判である。EUはそれも言わなかった。言ったのは「政治的だから、人権理事会ではなく、他の機関(つまり安保理)で議論するべき」ということだけだ。政治的なのは確かだ。でも、政治が人権状況を悪くしているのであれば、人権理事会で取り上げて何も困らない。EUが毎年出している死刑廃止決議案だって、政治的だ。EUには、政治的だからという意見を言う資格はない。結局、投票になった。賛成31、反対15、棄権1で、決議は採択された。他方、もめるかと思っていた「良心的兵役拒否」決議案はすんなんり採択された。準備段階の非公式会議で次々と修正されて、かなりトーンダウンしている。アメリカが意見を言ったが、反対はしなかった。アメリカには徴兵制がないので、反対理由がない。決議案は、市民の兵役拒否の権利を明示している。軍人の任務拒否には言及していない。これが入れば、猛烈に反対するだろう。続いて、韓国が「わが国は兵役拒否を認めない」(韓国では拒否すれば犯罪として刑務所行きだ)と切り出したので、反対するのかと思ったら、「だが、決議をすることに反対はしない」。NGOメンバーは苦笑していた。結局、コンセンサスで、つまり投票なしで採択された。もう一つ、驚いたのはFGM(female genital mutilation)の決議だ。提案国がガボンなのでまず驚いた。しかもアフリカ諸国を代表して提案するという。前文には「2011年7月1日、マラボにおけるアフリカ連盟の決議でFGMの禁止を求めている」といい、本文中では「FGMとの闘い」と繰り返している。つまり、アフリカ諸国が国家レベルでFGM禁止を主張して、国連に持ち込んでいる。かつて、「FGM禁止というのは西欧的な考えの押しつけである」といった議論があったが、今や、アフリカ諸国が一致してFGM禁止を提案している。詳細を検討してみないとわからないことも多いが、以前のような議論では済まないことが分かった。諮問委員会委員の選挙もなされた。毎年3分の1が選挙で選ばれていく。今回、アフリカはエジプトのHoda Elsdda*、ウガンダのAlfred Karakora+、アジアは中国のYihan Zhang、日本のKaoru Obata、東欧はロシアのMikhail Lebedev、西欧はスイスのJean Ziegle+選ばれた。*は女性、+は再選。
小畑郁(名古屋大学教授)
http://www.nomolog.nagoya-u.ac.jp/ls/teacher/obata.html
Wednesday, September 25, 2013
アリアナ博物館散歩
ジュネーヴ郊外、国連欧州本部、赤十字国際委員会(ICRC)、国際労働機関(ILO)などの国際機関が並ぶ地区にアリアナ博物館がある。所蔵しているのは陶芸とガラスである。広い敷地の中央にあるネオクラシックとネオバロックの折衷的な様式の建物は、1877~1887年に建築されたという。資産家グスタヴ・ロビヨーが慈善事業としてジュネーヴ市に寄贈したものだ。中央にそびえる丸天井形ドームは偉容だが、ローマン教会風の聖アンドレ・ド・キリナルSt.Andre du Quirinalの影響を受けている。所蔵品は、第一に、ニヨン焼きをはじめとする地元スイスの陶器である。チューリヒ、ベルンなど各地で17世紀から19世紀にかけて制作されたものだ。第二に、フランス、ドイツなど欧州諸国における陶器である。とても素敵なベネチア・グラスもある。第三に、中国や日本のものだ。分厚いカタログを販売しているが、フランス語版のみなので、購入しなかった。大阪の東洋陶磁美術館を思い出したが、いまはどうなっているのであろう。7~8年前に一度行ってみてきたが、最近のことは知らない。展示品の多くが中国や朝鮮半島の名品だ。「買ったのだ」と言い張っているようだが、普通に考えれば、略奪品だ。それはともかく、陶器とはこんなに幅広い利用がなされていたのかと思うくらい、実に多様な作品が並ぶ。大皿、小皿はもちろん食器だが、素敵なデザインのものに加えて、風景画、宗教画、肖像画などが描きこまれているので、最初から装飾品としてつくられている。コーヒー・カップ、ティー・カップ、ミルクポット、砂糖入れ、壺、花瓶、小物入れ、壁飾りはもとより、大小様々の時計もあれば、暖炉もある。イエス・キリストの受難を描いた大皿もある。これで夕食を食べたりすると、天罰か。ノアの方舟の神話を描いたと思われるものもある。ほほえましいのは、アスパラガスや茄子など野菜が大皿に載せられている様子を陶器で制作していたり、花瓶を布で包んでいる様を陶器で再現していることだ。多様なアイデアと技巧によって、陶器に世界を再現している。2013年夏、アリアナ美術館では、AKIO TAKAMORIの作品が展示されていた。一瞬、『あしたのジョー』の高森朝雄(梶原一騎、本名・高森朝樹、『巨人の星』『タイガーマスク』の原作)を思い出したが、全く関係ない。インターネットで調べると、AKIO TAKAMORIは、武蔵野美術大学出身のアーティストで、いまはシアトルを中心にアメリカで活躍しているようだ。今回展示された作品は、「普通の人の肖像」で、子どもたちを陶器で表現している。多くは、立っている子ども、次いで寝転がっている子どもだが、一つだけしゃがんでいる少女があり、それが宣伝チラシに使われている。なんだかほっとして、気が休まり、そうか、こんな子ども時代があったよな、と思わせてくれるが、それは日本人の受け止め方だろうか。それとも、アメリカでTAKAMORI作品はどのような評価をされているのだろうか。ジュネーヴではどうなのか。そこまではわからなかった。博物館の敷地には、正面前の平和通りに向けて、マハトマ・ガンディー像が設置されている。んぜ、ここにガンディーと思ったが、わからない。ガンディーの年譜を確認していないが、スイスに来たことはないはずだ。2007年にインド政府が寄贈したと書かれているので、インド政府の施策の一環としてガンディー像を広めているのだろうか。さらに、敷地には品川の鐘がある。こちらは日本でもよく知られているが、東京品川の品川寺(ほんせんじ)の鐘が幕末に行方不明になり、それがのちにジュネーヴで発見され、1930年、無事に品川に戻ったという話だ。住職が売りとばしたのだろうが、それは不問に付されたようだ。本物は品川に帰り、その記念の新しい鐘がジュネーヴにあるが、誰も搗いてくれないのではないか。と、勝手に思って、「ゆく夏、来る秋」と唱えながら、叩いてきた。
Tuesday, September 24, 2013
グローバル・レイシズムと闘う
24日の国連人権理事会は、議題8「ウィーン宣言と行動計画の実施のフォローアップ」と、議題9「人種主義、人種差別、外国人嫌悪、関連する不寛容の諸形態」の審議が行われた。議題8では、本年6月にウィーン世界人権会議20周年のシンポジウムが行われたことをオーストリア政府が報告し、各国政府とNGOによる討論。発言では、ウィーンから始まった女性の権利のメインストリーム化がどれだけ実現したか、及びLGBTの権利が目立った。議題9では、2001年のダーバン宣言と行動計画の実施がテーマだが、欧米や日本のサボタージュのため、ダーバン行動計画のフォローアップ作業ができていないため、その一部の「アフリカ出身者の権利」の議論がなされた。「アフリカ出身者に関する専門家作業部会」の報告書が紹介された(A/HRC/24/52, Add.1 and Add.2)。付録文書は、イギリスとパナマへの訪問調査の報告書。イギリス訪問報告書にはヘイト・クライムに関する記述があるので、別途紹介したい。イギリス政府の回答文書(A/HRC/24/52/Add.3)も配布された。午後に、反レイシズム世界ネットワーク、国連青年学生国際運動などが主催のサイドイベント「グローバル・レイシズムと闘う」に参加した。司会は、平和と自由のための女性国際連盟のクリシュナ・アフージャ・パテル。最初の発言は、「アフリカ出身者に関する専門家作業部会」メンバーのミリヤナ・ナイセスカで、今回の報告書作成経過に少し触れ、アフリカ出身者は世界中にいて、当該地域の民族構成・住民構成も多様であり、その生活実態や状況は多様だが、差別されるときのステレオタイプにはかなり共通性があることを、司法、教育、健康などに即して概説した。続いて南アフリカ外務省人権担当官のピッツォ・モントウェディが、2001年のダーバン会議の準備で議題設定を担当した時の苦労から始めて、ダーバン宣言は歴史的ランドマークだが、重要なのに良く見落されるのはそれが被害者の問題から始めたことであるとし、アフリカ・アジア・ラテンアメリカ諸国によるフォローがあるが、国際社会全体によるフォローになっていないことは残念とし、最後にスポーツ分野における差別の問題を少し話した。最後の発言者は、国連青年学生国際運動のヤン・レーンで、市民社会と国連メカニズムの間にずれがあるとし、様々な困難があるが、その一つが財源で、一方では被害者救済の補償の出し惜しみがあり、他方で人種差別予防メカニズムの財源がないことを強調した。ヤン・レーンには、イラク戦争の時に、ブッシュの戦争犯罪を裁く「イラク世界民衆法廷WTI」運動でお世話になった。ジュネーヴで記者会見をしたときの手配・準備もやってもらったので、それ以来の知り合いだ。「グローバル・レイシズム」について、その定義や射程はどういうものかを質問したが、「最初はレイシズムと闘うだったが、チラシを作った時に余白があったので、グローバル・レイシズムと闘う、に変えた」と笑っていた。それはないだろう、この名前を見て、参加したのに(苦笑)。
Monday, September 23, 2013
ルールを守らないNGO
23日の国連人権理事会は、まず先週の続きで議題6「普遍的定期審査UPR」の一般討論、続いて、議題7「パレスチナにおける人権状況」の討議を行った。UPRは、先週金曜までにロシア、アゼルバイジャン、バングラデシュ、キューバ等の審査を終え、決議も採択された。23日は一般討論で、これはUPR制度の改善提案が中心だった。各国政府の発言に続いて、NGOの発言だったが、「国連ウオッチUNW」というNGOがキューバ非難の発言をした。UNWはもともとキューバたたきばかりしてきたNGOという印象があるので、ああ、またか、と思って聞いていたところ、キューバ政府がポイント・オブ・オーダー(議事進行に対する意見)。議長が、UNW発言を中止させて、キューバ政府が発言。「キューバに関するUPRは20日に終わって決議も採択済みであるのに、このNGOはなぜいまキューバについて発言しているのか。一般討論のルールに反するのではないか」。なるほど、その通りと思った。ところが、アメリカが「政府は市民社会の声を聴くべきだ」と余計な発言をしたため、場が一気に盛り上がった。直ちに、パキスタンが「手続きのルールが決まっている。NGOにも発言権があるが、マナーを守るべきだ」。ベネズエラが「キューバを支持する。市民社会の声を聴くべきだが、ルールを守らないNGOの発言を許すべきでない」。中国が「キューバを支持する。政府もNGOもルールを守るのが当然」。エジプトが「NGOが提供する情報は重要だが、このNGOは明らかにルール違反だから認めるべきでない」。イランが「キューバを支持する。ルールを守るよう要請する」。それで議長が「UPRの個別審査は終わった。今は一般討論であるから、ルールに従って発言するように」と述べて、再びUNW発言となったが、なんとUNWはキューバ非難発言を続けた。事前に用意したペーパーをただ読んでいるから、こうなる。馬鹿だ。即座にキューバが2度目のポイント・オブ・オーダー。「いま記録を確認したところ、このNGOは20日のUPR審査の時に発言したが、いまも同じことを発言している。なぜ一般討論で特定国非難を繰り返すのか。議長、ルールを守らせるよう要請する」。議長が、同じことを繰り返してUNWに質問。UNWは「発言を終わります」の一言に追い込まれた。UNWは以前からキューバ、イラン、シリア、朝鮮を非難し続けてきた。発言内容はともかく、やり方がお粗末で、墓穴を掘り、「ルールを守らないNGO」というレッテルを自分で張ってしまった。しかも、よせばいいのにアメリカがUNW擁護発言をして顰蹙を買った。もともとUNWはアメリカ政府の手先と言われかねない偏った発言をしてきたのに、窮地に立つやアメリカが助けようとした。しかも中身はルール違反と断定される中身だ。アメリカ発言を認めたら、今後、他のNGOは、いつでも、議題と関係なくアメリカ批判発言をしていいことになる。滅茶苦茶だ。UNWもアメリカも無用に評価を落とした。議題7では、8月22日付の国連人権高等弁務官事務所の「東エルサレムを含む占領下パレスチナにおける人権状況」報告をめぐる審議。報告書は人権理事会決議22/28によるもので、2012年12月~2013年5月のデータをもとにしている。イスラエルは席をはずした。以前は反論したこともあったが、今回は欠席戦術。決議22/28自体を認めないという意味だろう。パレスチナ、シリア(ゴラン高原があるので当該国の一つ)が発言した。続いて政府発言で、パキスタン、イラン、ガボン、エクアドル、ブラジル、マレーシア、アラブ首長国、インドネシア、ベネズエラ、カタール、クェート、モルディブ、リビア、チリ、アンゴラ、モーリタニア、ロシア、中国など40カ国近くが次々と発言し、パレスチナ人民への連帯を表明。途中でアメリカ政府がいなくなったのは、故意か、たまたまか。西欧諸国は一切発言しなかった。
バーゼル美術館散歩
バーゼルはライン川の町で、スイスの一番北にある。町の北東はドイツ、北西はフランスで、鉄道の駅もスイスの鉄道駅、フランス駅、ドイツ駅がある。ライン川を挟んでできた町の中心、旧市街にミュンスター、市庁舎、そして美術館がある。バーゼル美術館はスイスの美術館の中では、チューリヒ、ジュネーヴと並ぶ規模の大きさだ。といっても、格別大きいわけではない。スイスの美術館が一般に小さ目だから。バーゼル美術館の常設展をゆっくり見ても3時間程度だろうか。近代西洋美術史の勉強にはちょうど良い規模と構成になっている。もちろんスイス出身又はスイスとゆかりのある画家・彫刻家の作品が多いが。そういえば、亡くなった美術評論家・宮下誠の名著『逸脱する絵画――20世紀芸術学講義』(法律文化社)で取り上げられている作品のかなり多くがバーゼル美術館所蔵だ。宮下がバーゼル大学大学院に留学したためだ。『逸脱する絵画』を思い出しながら、展示を見て歩いた。宮下とは面識がなかったが、かつて「特別講座パウル・クレー」に出講してもらおうと連絡を取ろうとしていた矢先に亡くなってしまった。実に残念だ。結局、その講座は、前田富士男(慶応大学名誉教授、中部大学教授)や、林綾野(キュレーター)といった素晴らしい講師にめぐまれて、大成功だったが、やはり宮下にも講義してもらいたかった。宮下誠『越境する天使』、同『パウル・クレーとシュルレアリスム』も名著だ。さて、バーゼル美術館だ。図録が凄い。400頁もあって、1万円だ。受付隣の売店に積んであって、誰が買うのだろうと思いながら、1冊買った。美術館所蔵主要作品の解説だが、見開きで左ページに解説、右ページに図版で、1から160まで、15世紀から20世紀まで並ぶ。ホルバイン親子、エルダー、ルーベンス、フュスリ、ドラクロワ、コロー、クールベ、ルノワール、ピサロ、モネ、ドガ、アンンカー、ベックリン、セガンティーニ、ホドラー、バヨットン、ゴーギャン、ゴッホ、セザンヌ、マチス、ボナール、ピカソ、ブラック、モジリアニ、レジェ、ムンク、マレヴィチ、カンディンスキー、シャガール、モンドリアン、ジャコメッティ、アープ、ノルデ、エゴン・シーレ、マルク、キルヒナー、クレー、ミロ、エルンスト・・・と続く。彫刻もロダンやジャコメッティ。バーゼル美術館の代表作を何にするのか、迷うところだ。もっとも、印象派は世界中にいくらでもある。セガンティーニ美術館、キルヒナー美術館、パウル・クレー・センター、ピカソ美術館、シャガール美術館などもある。それらを除くと、マルクの「動物の運命」(1913年)が浮上するかもしれない。宮下の本でも大きく取り上げていたはずだ。20世紀初頭の政治的社会的緊張を背景とし、死と戦争を念頭に置いたマルクの代表作だが、死後に破損したため、盟友パウル・クレーが修復したことでも知られる。作品名も、マルクの原題ではなく、クレーがつけた「動物の運命」として知られる。
Sunday, September 22, 2013
記憶の文化は何を可能にするか
岡裕人『忘却に抵抗するドイツ――歴史教育から「記憶の文化」へ』(大月書店)
著者は歴史研究者で、フランクフルト日本人国際学校事務局長を務め、ドイツ在住22年である。もともとはドイツ農民戦争の時代の研究者だ。本書では、ドイツの歴史教育――ナチスの過去の克服のみならず、戦後西ドイツ時代からの移民・移住者のドイツ社会への統合の課題、東西ドイツ統合の課題、及び現在の欧州統合の課題も含めて多層的に展開しているドイツ史の理解の変容を意識しながらの歴史教育、学生の主体的な学び、対話により理解の深化の方法を、現場の具体的な情報に基づいてわかりやすく示してくれる。ナチス・ドイツの過去の克服だけでも大変なことなのに、これほどの歴史的課題を抱えると立ち往生してしまいそうだが、欧州の真ん中にあるドイツは立ち尽くしている暇はない。第二次大戦後は、国境を接し、ナチス・ドイツが侵略・占領した地域との和解と対話が不可欠であった。さらに東西対立の時期には、冷戦構造に巻き込まれつつも、たとえばポーランドとの間の歴史対話を懸命に続けてきた。トルコをはじめとする各地からの移民・移住者についても、多様性だけを強調する共生ではうまくいかず、ドイツで生きていく若者たちの人生を見据えた教育が構築されなければならない。共生ではなく、統合、しかし、多様性を踏まえてドイツ社会自身の変容。そのフレキシビリティ。東ドイツからの移住者の記憶、そして東ドイツ地域に住む人々の歴史意識も無視できない。こうした困難に直面しながらも、つねに矛盾を見つめ続け、そこから新しい統合への理路をさぐり、対話を通じて実践していく姿勢が重要だ。日本にはまったくない姿勢だ。ドイツはモデルでも理想でもなく、次々と失敗を重ねつつ歩んできた。その歩みの困難と可能性に学ぶことが、いま求められている。
Saturday, September 21, 2013
他国の人権改善に無関心な国(2)
20日の国連人権理事会でも普遍的定期審査(UPR)最終報告が続いた。4か国のUPR最終報告を傍聴した。(1)バングラデシュに対する世界各国からの勧告は196、うち日本は1つで、ちょうど100番目。日本政府も常に沈黙しているわけではなく、きちんと発言しているようだ。その内容は、「100.仏教徒やヒンドゥ教徒など宗教的マイノリティの安全を確保するさらなる措置を採用せよ」である。バングラデシュ政府は日本政府の勧告を受け入れた。なぜなら、「はい、やっています」という話だからだ。そもそも「さらなる」ということは、「バングラデシュは安全を確保する努力をしているが、さらに・・」という意味だ。バングラデシュ政府が喜ぶような勧告だ。これに比べて、例えばモルディヴは「拷問等禁止条約選択議定書に加入して、効果的な国内予防機関を設置せよ」と勧告し、バングラデシュはこれを拒否した。そこから対話が始まる。「なぜ受け入れないのか」と。(2)アゼルバイジャンに対する勧告は162、日本は何も発言しなかった。(3)カメルーンに対する勧告は171、日本は何も発言しなかった。(4)ロシアに対する勧告は231、日本は2つ勧告した。1つは、冒頭の1番目で「1.強制失踪保護条約を批准せよ」。もう一つは、「144.表現の自由をさらに保障する努力を続けよ」である。かつて南米等で軍事独裁政権による強制失踪が吹き荒れた時代、独裁政権に援助していた日本政府だが、日本人拉致事件以後、強制失踪問題に前向きになった。それは良いが、ロシアは「はい、批准方針です」と答えておしまい。後者の表現の自由については何も言っていないに等しい。たとえば、アルジェリアは「ジャーナリストと、そのマスメディアでの活動につき、自由と正当性を強化するため、彼らを保護することに特に注意を払え」と勧告した。オーストリアは「ジャーナリストに対する暴行傷害事件を捜査し、犯人に責任を取らせるように努力を強化せよ」、アイルランドは「ジャーナリストや人権活動家に対する暴行傷害事件の申し立てがあれば徹底的、迅速かつ公平に捜査せよ」と勧告している。ノルウェー、ラトビア、ドイツ、オーストラリア、モーリタニアなど次々とこういう勧告を出している。
Friday, September 20, 2013
国際平和の日記念イベント
20日、国連欧州本部でNGOの国際平和メッセンジャー都市協会主催のサイドイベント「人権と平和」が開催された。例年、9月21日ころに開催されているという。参加者は120名ほどだが、その大半は平和ツアーでジュネーヴにやってきた人たち。アメリカ、ポーランド、デンマーク、コンゴ、コスタリカ、コロンビア、パレスチナなど各国から。隣に座った女性はカリフォルニアの人で初参加だが、例年やっていると言っていた。議長はリカルド・エスピノーサ。彼はコロンビア出身で、国連経済社会理事会のNGO資格委員会事務局に勤めていた。オランダの対日道義請求財団のアドリアンセン・シュミットさんの親せきだ。クリスチャン・ホルスト(ユネスコ)は平和教育の普遍性と文化の多様性について話した。マヌエル・ポラーレンス(コスタリカ政府)はコスタリカの軍隊廃止の経過に触れ、平和と調和の重要性、世界の軍事費と他方で増える貧困について語った。L.ルポリ(メッセンジャー都市メンバー)は平和への権利宣言案の作成過程を振り返った。カトリーム・ベックマン(国際赤十字)は平和教育は知識ではなくライフスキルであり、平和教育はスキルとバリューの形成だと語った。とてもアジ演説がうまくて、拍手喝采。青年平和構築ネットワークのオリバーなんとかは、平和構築と市民社会について語った。ホセ・ルイス・ゴメス(スペイン国際人権法協会)は平和教育について話す中で、知る権利との関係で漫画「はだしのゲン」に触れた。笹本潤(弁護士、日本国際法律家協会)は9条と憲法前文の平和的生存権が日本の平和運動を支えてきたことを説明した。
立憲主義の基本を押さえた、自民党改憲案批判
青井美帆『憲法を守るのは誰か』(幻冬舎ルネッサンス書)
立憲主義とは何かの基本をきっちり押さえて、自民党改憲案を正面から批判する本だ。弁護士の伊藤真、憲法学者の清水雅彦など、自民党改憲案批判が次々と出てきた。96条改正先行案への徹底批判である。本書は新書だが、充実した内容だ。序章「憲法の目的は人権を保障することにある」、第一章「日本国憲法は立憲主義憲法である」から、第五章「暴走への懸念」、終章「いまこそ一人ひとりが、良識をフルに働かせる時」まで、よくできている。短期間で急いで書いたようだが、丁寧に書かれて、わかりやすい。230頁の新書にしては、読み応えがある。必要なことはちゃんと書かれているし、たとえ話やエピソードにも工夫がある。立憲主義を、国民主権、基本的人権、憲法尊重擁護義務との関連できちんと説明したうえで、憲法とは何か、どうあるべきか、改正論議はどうあるべきかを論じ、自民党改憲案など本来なら土俵にも乗れないような代物にすぎないことを明快に指摘している。838円+税は安いといってよい。一か所だけ残念なのは、171~2頁の「軍縮平和外交によって守られてきた安全」で、日本外交が「武器貿易条約」や小型武器規制に積極的に取り組んできたとして、日本の平和外交の貢献を語っているところだ。間違いという訳ではないが、かなりナイーブだ。なぜ今、通常兵器や小型武器の規制なのかは、明瞭だ。アメリカのアフガニスタン戦争、イラク戦争の教訓は、抵抗勢力が小型武器を持っているために、占領軍に被害が出る、ということだ。米軍兵士の被害を極小化するために、占領軍は圧倒的な軍事力で完全に抑え込み、民衆に抵抗させないことが求められる。小銃やカラシニコフを持っていては困る。だから、日本がアメリカのお先棒担ぎで前面に出る。もちろん、軍縮につながるという面では良いことだ。だが、大半の諸国の軍隊も武装勢力も、イージス艦、オスプレイ、ステルス戦闘機、航空母艦、巡洋艦、戦略爆撃機、大陸間弾道弾など持っていない。アメリカを中心とする大国が世界を自由に侵略し、思いのままに占領支配するために、小型武器規制が不可欠なのだ。三菱、IHI、東芝など軍需産業が大儲けするのもイージス艦やステルス戦闘機であって、小型武器ではない。なるほど、世界では小型武器による殺傷被害が大きいのは事実であり、規制が必要なのも事実だ。だが、ルワンダ・ジェノサイドの武器は斧やこん棒だった。斧やこん棒を規制しろとは誰も言わない。斧やこん棒が問題なのではなく、憎悪と迫害が問題だからだ。シリアで小型武器によって膨大な被害が出ても沈黙している政府が、化学兵器が使われたかもしれないと言うだけで大騒ぎするのはなぜか。171~2頁は、本書全体の流れから言っても違和感のある記述だ。削除したほうが、すっきり話が通る。
Thursday, September 19, 2013
他国の人権改善に無関心な国
18日から、国連人権理事会は普遍的定期審査(UPR)に入った。18日はトルクメニスタン、ブルキナファソ、ケープヴェルデ、19日はトゥヴァル、コロンビア、ウズベキスタン、ドイツ、ジブチ、カナダと続いた。作業部会での審査の結果が報告され、当該国家がどの勧告を受け入れ、どの勧告を拒否したかが明らかになり、最後に、各国及びNGOのまとめの発言があり、最終報告が採択される。実質的な審査は作業部会で行われるので、人権理事会の手続きはセレモニーと化している。NGOの傍聴も少ない。ただ、作業部会で多く注文を付けたNGOは、最後まで参加してフォローしている。前から思っていたことだが、報告書を見ていて、日本政府の発言が非常に少ないことがわかる。たとえば、ドイツの審査にあたった作業部会では、ちょうど200の勧告が各国政府から出された。そのために各国とも、ドイツの状況を調べ、質問し、そして勧告を出している。結構な努力が必要だ。ドイツがすでに実現していることを、実現していないと誤解して勧告を出した政府は、恥をかくことになるからだ。それでもどこも積極的に発言する。東アジア、東南アジアを中心にチェックしてみると、フィリピン2、スリランカ2、インドネシア3、モルディヴ2、バングラデシュ3、インド4、ネパール2、カンボジア2、中国3、ヴェトナム1、朝鮮3、韓国1、マレーシア3、パキスタン3、タイ2と、どこもドイツに勧告を出している。フィリピン2と書いたのは、フィリピンがドイツに対して2つの勧告を出したという意味だ。しかし、日本は1つも出していない。18日の審議でも一度も発言しなかった。世界各国から200の勧告が出され、東アジア、東南アジアから36の勧告が出されたのだが、日本政府はひたすら沈黙していた。眠っていたのかもしれないが。コロンビアに対しては全部で160の勧告が出ている。アジアについてみると、フィリピン3、シンガポール2、パキスタン2、マレーシア2、ヴェトナム2、インドネシア2、カンボジア2、スリランカ2、韓国2、中国1、タイ2である。たとえば、韓国はコロンビアに対して「武装集団から先住民族を保護する措置をもっと強化し、権利を保障せよ」「高級軍人による重大人権侵害や女性に対する性暴力に関する不処罰を終わらせる努力をせよ」と勧告している。ところが、日本は1つも勧告を出していない。これまでの会期の中で、日本が他の諸国に勧告を出しているのを聞いたこともあることはあるが、極めて少ないと記憶している。改めてチェックしてみると、尋常ならざる少なさだ。他国の人権状況に関心を持っていないのだろうと推測せざるを得ない。UPRは国連加盟国が相互にチェックし合うことによって人権状況を改善する制度だが、日本政府は前向きとは言えない。他国に勧告するためには、第1に、相手国の人権状況をきちんと調査しなければならない。第2に、他の諸国やNGOと協議して、どのような勧告が望ましいかを検討しなければならない。第3に、自国がサボっていることを他国に勧告できない(日本の場合、これが最大のネックかもしれない)。外交官の数の少ない各国でさえ、さまざまな努力を通じて多くの勧告を出している。ひときわスタッフの多い日本なら簡単にできることなのに、あまりやらない。日本外交官にとっては、高級レストランで接待して、政府開発援助の密談をするほうがお得意なのだろうか。
このテーマは、国際人権法研究においても重要になりうる。日本の人権状況を、日本に対するUPRの内容から議論することはこれまでも行われている。国際人権法学者が、文書記録だけをもとにしてわかったようなことを言っているが、それは現場で人権NGOがやっていることの二番煎じに過ぎない。国際人権法学者が調査して発言するのなら、人権NGOスタッフではできないことをやってもらいたい。日本に対するUPRではなく、他の諸国に対するUPRにおいて日本がどのような発言をし、どのような勧告を出したのか。それは意味のある勧告だったのか。相手国は受け容れたのか、拒否したのか。日本は他の諸国に関するUPRで、どの人権項目に強い関心を示しているのか。こうしたことを明らかにすることで、日本の人権状況に裏側から光を当てることができる。国際人権法研究の大学院生で、やってくれる人はいないものか。
Wednesday, September 18, 2013
先住民族世界会議パネル討論
17日午後、国連人権理事会は、先住民族世界会議に関するパネル討論を行った。進行はウリセス・カンコラ・グティレス・メキシコ代表。開会あいさつはフラヴィア・パンシエリ人権高等弁務官代理。これまでの経過説明で、1977年のパレ・デ・ナシオンにおける先住民族NGO会議から、2007年の国連先住民族権利宣言までの発展を受けて2014年9月に先住民族世界会議を開催すことになったこと、これまでの準備状況などを話した。ニューヨーク、ジュネーヴでの会議とともに、ノルウェーのサーミ人の町アルタで準備会議を開いたという。その責任者が、ノルウェーのサーミ人国会議員のジョン・ヘンリクセンで、やはりご挨拶。続いて、アジアからバングラデシュのラジャ・デバシ・ロイ(先住民族フォーラム代表)、ペルーのアヤクチョ人のタニア・パリオナ・タルキ(先住民族グローバル調整グループ)、カナダのファーストネーションのウィルトン・リトルチャイルド(先住民族の権利専門メカニズム)、そしてアフリカからマリのソヤタ・マイガ(アフリカ人権委員会、アフリカ女性法律家委員会)が発言した。世界会議は先住民族の権利に関する包括的な戦略と行動計画を作ることになる。後半の各国政府による討論を一部しか聞かなかったので、日本政府が発言したかどうかわからない。アイヌ民族および琉球/沖縄民族にとってとても重要な世界会議だ。
Tuesday, September 17, 2013
絶望だらけの<希望の牧場>から
針谷勉『原発一揆――警戒区域で闘い続けるベコ屋の記録』(サイゾー)
福島第一原発事故により廃業した農家、廃業の危機に陥った農家はどれだけあるだろう。土地も施設も放棄し、家畜を殺処分せざるを得なかった牧場はどれだけあるだろうか。原発事故は、人間だけでなく、家畜も、自然の動物たちも危機に追いやった。そうした中、「決死救命、団結!」を決意し、闘い続けている吉沢正巳の<希望の牧場・ふくしま>が輝いている。だが、その輝きとはいったい何なのか。どれほどの絶望の上にあるのか。AFP通信社に所属する映像ジャーナリストの著者は、吉沢と希望の牧場を取材しているうちに、なんと吉沢とともに闘いはじめ、ついに希望の牧場立ち上げにかかわり、なんと事務局長になってしまった。新人ジャーナリストなら、取材対象の魅力にひきこまれて、一緒に闘ってしまう、つまりある意味では「ジャーナリスト失格」になってしまうことはよくあるかもしれない。しかし、著者は新人ではない。にもかかわらず、取材対処に意気投合し、惚れ込み、ともに闘っている。しかも、ジャーナリストであり続けている。底知れぬ絶望の中、先の見えない暗闇のさらに闇の中、息苦しさにもだえるようにして、彼らはあくまでも「命」に向き合う。どこまでも「命」を問い続ける。徹底して「命」を掲げる。無責任な国と東電を相手に闘い続ける。見えない放射能を相手に闘い続ける。それが一揆であり、決死救命であり、団結だ。この信じがたい骨太の意地を、写真と文章で記録したのが本書だ。吉沢の話は何度か聞く機会があった。決して話し上手ではないが、肺腑をえぐられる話だ。その吉沢を著者・針谷が描く。頭が下がる。
良心的兵役拒否決議案インフォーマル協議
17日午後、国連欧州本部で開催中の国連人権理事会24会期において、良心的兵役拒否に関する決議案のインフォーマル協議があったので、参加した。参加者は40名ほど。主催は、クロアチア、コスタリカ、ポーランド。決議案の修正案が配布された。10日に最初の案の検討会があったらしい。修正案は、全文が7パラグラフ、本文が20パラグラフ。あちこちに修正が施されている。パラグラフごとに、さらに修正意見があるかどうか、という形で進行。エジプト、キューバ、シンガポール、イギリスが頻繁に発言。そのほかにアメリカ、タイ、エストニア、アイルランド、スイス、オーストリア、ロシアなど。メキシコ、フィンランド、チェコは参加していたが発言しなかった。オーストリア、スイスは修正案でよいと述べたが、その後、エジプト、キューバ、イギリスなどが次々と修正意見を出した。修正内容は、すべて決議案をトーンダウンさせる内容だった。「人権高等弁務官事務所作成のガイドブック出版を歓迎する」を「考慮する」に変えるとか、「各国に良心的兵役拒否を許容するよう呼びかける」を「許容することを検討するよう呼びかける」のように、次々と骨抜きになっていった。いささか腹を立てつつ、笑ったのは、この件ではキューバとアメリカが見事に意気投合していたことだ。いつもは猛烈に批判し合う両国だが、キューバが修正案を出すと、アメリカが「賛成」。アメリカが意見を述べると、キューバが「先ほどアメリカが言った通り…」という調子だ。コスタリカ以外はすべて軍隊を持っている国だ。コスタリカ以外の軍隊のない国の代表は参加していなかった。軍隊がないので兵役もなく、兵役拒否もないから、関心がないだろう。先週、国際友和会(IFOR)のミシェル・モノーが「人権理事会が兵役拒否の権利を取り上げるのは初めてだから重要だ」と言っていた。これまでも他の議題の中で話題になったことはあるが、兵役拒否を議題として、決議まで出すというのだから重要なのは間違いない。第一次大戦時には、イギリスでもドイツでも、兵役拒否者は死刑だった。1000人規模で死刑になっている。第二次大戦時には、懲役刑だった。日本でも兵役拒否は犯罪だった。第二次大戦後、徐々に変わってきたが、第1に、兵役義務のない国家が増えた。アメリカでさえ志願制だ。第2に、良心的兵役拒否を認める国が増えた。「良心的」の解釈は国によって違い、明確な宗教的理由でなければ認めない国もあるが、ともあれ兵役拒否が徐々に認められるようになっている。ミクロネシア連邦憲法には兵役拒否の権利が明記されている。それでも、韓国やイスラエルのように兵役拒否を犯罪としている国もある。国連人権理事会というレベルで決議を出すことの意味は、第1に、良心的兵役拒否を認めることが世界的傾向になったことである。第2に、その根拠として思想信条の自由を明記したことである。第3に、義務としての兵役よりも志願制に移行するのがよいという考えを一応していることである。最初の案では、もっと強く志願制に移行するように呼び掛けていたようだが、トーンダウンしている。第4に、兵役拒否の代替奉仕の幅を広げて認めようとしていることである。軍隊がないことになっているのに、憲法を無視して事実上の軍隊を持ち、さらに国防軍にしたいとか兵役を盛り込みたいなどという議論が起きている日本では、こういう議論さえ知られることがない。軍隊がない、兵役がない、だから兵役拒否についてまじめに考えない。そのため、兵役拒否の権利が世界に広まっていることも考えようとしない。
国連人権理事会:平和への権利セミナー
16日午後1~3時、国連欧州本部・第23会議で、平和への権利セミナーが開催された。主催は、コスタリカ、ヴァチカン(Holy See)、マルタ騎士団(Order of Malta)。参加者は100名を超えていた。事前に国連人権理事会のボードに出た案内では「平和への権利」だったが、当日の正式文書では「平和と人権」となっていた(ここが一番重要なのだが)。議長はマリア・テレーゼ・ピクテ・アルタン(マルタ騎士団)。発言者は、シルヴァノ・トマシ(司教、ヴァチカン)、フラヴィア・パンシエリ(人権高等弁務官代理のアシスタント)、クリスチャン・ギヨメ・フェルナンデス(コスタリカ大使、国連人権理事会平和への権利宣言作業グループ議長)、ニコラ・ミシェル(元国連事務総長法律顧問)、ミシェル・ヴューティ(マルタ騎士団ジュネーヴ代表代理、元赤十字国際委員会)。少し遅れていったので、パンシエリ発言の途中だった。メインの報告はクリスチャン・ギヨメ報告。質疑応答では、イラクで息子を殺された人権活動家女性の体験、コンゴ民主共和国のジェノサイドを経験した男性の体験が語られ、この男性は「コンゴでは教会の存在が全く見えなかった。教会は何をする存在なのか」と非常に厳しい質問をしたので、シーンとなった。ヴァチカンが主催者の集会だ。「う~ん、ここでその質問をしても答えられないよな」と思いながら聞いていたら、ピクテ議長とトマシ司教が誠実に答えていた。誠実というのは、個人として誠実に、だ。ヴァチカンそのものの役割についてはごく一般論しか答えなかった。発展の権利と平和への権利の関係についての質問では、クリスチャンが「積極的平和と消極的平和」の文脈で答えた。安保理事会常任理事国批判の不処罰に関する質問も続いた。正義と赦しと和解をめぐる意見交換も印象的だった。OIC代表は、平和は対話に基づき、暴力は対話を断ち切るが、「保護する責任」は平和に見せかけて対話を断ち切る動きではないかと質問した。シリア問題に関連する質問だ。最後のヴューティ発言は、まもなく第一次大戦から100年、第二次大戦から70年になる。節目節目の年に、平和の意味を問い直し、国際平和を実現するための不断の努力を、とまとめた。参加者の多くは、平和への権利国連宣言の起草過程についてほとんど知らない人たちだ。入門編と言ってよいだろう。カルロス、ダヴィドは来ていなかったようだ。ミコルのみ。
Monday, September 16, 2013
国連人権理事会で「慰安婦」問題の真実・正義・補償を求める(2)
16日午前、ジュネーヴの国連欧州本部で開催中の国連人権理事会24会期において、NGOの国際人権活動日本委員会(JWCHR、前田朗)は、要旨次のように発言した。「真実・正義・補償の促進に関する特別報告者の報告書を歓迎する。日本における性奴隷制問題の最近の状況について紹介する。日本政府は1992年以来、道義的責任のもとにいくつかの措置を講じたが、法的責任を認めず、被害者が求める真実・正義・補償に応じていない。国連機関からの勧告を拒否し続けている。安倍内閣は、条約委員会の勧告には拘束力がないから従う必要はないと表明した。安倍首相は強制の証拠はないと主張している。侵略戦争の謝罪も取り消すと言い出している。私たちは、新しい国際メモリアルデー運動を始めた。金学順さんがカムアウトした8月14日を記念して、先月、東京その他世界各地で、最初のメモリアルデー行事をもち、8月14日を国連メモリアルデーにしようと宣言した」。国際メモリアルデーに関する部分は、東京集会宣言文の2節をそのまま借用した。これは13日のアムネスティ・インターナショナル及びヒューマン・ライツ・ナウに続く発言である。議題3全体ではNGO発言は40ほどあったので、そのうち3つになる。アフガニスタン、イラク、イラン、カシミール、モロッコ、スーダン、コンゴ民主共和国、パラグアイ、チベット、死刑、拷問、失踪、人身売買、人権教育など世界中の重大人権侵害が報告されるので、日本軍性奴隷制の発言が3つというのは、限界だろう。これ以上多くやると、他のNGOから、多すぎると言われてしまう。90年代後半には5つ、6つのこともよくあったが。発言終了後、オランダの対日道義請求財団の方が、とてもよかったと言ってくれた。韓国外交部顧問から感謝されて、お詫びも感謝も、するのはこちらです、と。JWCHR発言の後、議題3が終わって、議題4の「シリア問題」に移った。このため、16日は凄い参加者だった。いつもは300~400のところ、満席で立見が出ていたので、1000人近かっただろう。大半はシリア問題しか頭にない人たちとはいえ、大勢いるところで日本軍性奴隷制の発言が出来たのは良かった。というわけで、悪魔の赤ラベル、NOIR DIVIN, Domaine du Paradis, Geneve 2011.
Sunday, September 15, 2013
「ドストエフスキー的状況」との格闘
河原宏『ドストエフスキーとマルクス』(彩流社)
http://www.sairyusha.co.jp/bd/isbn978-4-7791-1793-0.html
一日かけて通読したが、熟読とは言えず、後日、再読しなければならない。いったいこの本は何であり、誰に向けて差し出されたものなのだろうか。19世紀を生きて資本の運動法則と格闘して革命の必然性を論じたマルクスと、他方、同時代のロシアで「神」から逃走しながら「神」に突入していったドストエフスキーと。その両者に学ぶこととは、「彼らが求めた所を求めなければならない」という。『ユダヤ人問題』『経済学哲学草稿』『資本論』、『罪と罰』『悪霊』『カラマーゾフの兄弟』――彼らが書いたことを引き写したり、あれこれ解釈するのではなく、19世紀に彼らが直面し、問い続けた課題を、21世紀の今、著者の思想として時代に立ち向かうこと。著者は、文学者でもなければマルクス学者でもなく、日本政治思想史研究者だ。「神」「ユダヤ人」「自由」をめぐるドストエフスキーとマルクスの思索の懸隔――はるか彼方で遠く交響するその出会いと行き違いと矛盾を一手に引き受けて、著者は「王様は裸だ!」という子どもの目で「革命を革命する」。革命された革命がいかにして循環するべきか。そこに「笑い」が待ち受ける。現代におけるインフレ、恐慌、食糧問題を解くための「くに」づくり構想はサンマリノ共和国をモデルとしているが、なお明快とはいいがたい。ともあれ、再読三読すべき1冊。河原ゼミ出身でもある編集者が付した内容紹介は次の通り。
<「何も信じられない」現代日本の、「ドストエフスキー的状況」>
<十九世紀に、二人の偉大な革命家がいた――ドストエフスキーとマルクス。二人に共通する偉大さは、その生きた時代を超える革命家だったことにある。しかし、1990年代以降のソ連と社会主義圏の解体以後、近代的な戦争も革命もなくなり、すべての思想が持つものだったはずの革命的性格は既存の体制維持の用具へと変貌し、思想は死んだ。これはマルクス、ドストエフスキーの予想もしなかったことである。本書は、古い「革命」概念にしがみつくのを止め、古い「革命」主義を革命する指針をしめす。マルクスとドストエフスキーの二人を並べ、理論としても現実的にも、「近代」の革命論を総括したマルクス。しかしそのマルクスに欠けていた神と宗教の問題を、ドストエフスキーによって補う。本書ではマルクスとドストエフスキーを考えていくなかで、「神」「解放」「自由」「革命」「素朴」などの概念を問い、最後に「笑い」の問題をとり上げていく。>
河原 宏:1928年東京生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科博士課程修了。政治学博士。早稲田大学理工学部にて助教授、教授。1998年、退職し、名誉教授。日本政治思想史、また日本文化論について著書多数。2012 年2 月28 日没。主な著書に、『転換期の思想-日本近代化をめぐって』(早稲田大学出版部、1963)、『西郷伝説─「東洋的人格」の再発見』(講談社現代新書 1971)、『昭和政治思想研究』(早稲田大学出版部 1979)、『伝統思想と民衆-日本政治思想史研究1』(成文堂 1987)、『「自在」に生きた日本人』(農文協 1998)、『科学文明の「信」を問う─ 存在・時間・生命の情理』(人文書院 2003)、『空海 民衆と共に─信仰と労働・技術』(人文書院 2004)、『日本人はなんのために働いてきたのか』(ユビキタ・スタジオ 2006)、『新版 日本人の「戦争」─古典と死生の間で』(ユビキタ・スタジオ2008)など。
Saturday, September 14, 2013
国連人権理事会で「慰安婦」問題の真実・正義・補償を求める
12~13日、国連人権理事会24会期において、パブロ・デ・グリーフ「真実・正義・補償・再発防止保障の促進に関する特別報告者」及びグルナラ・シャヒニアン「奴隷制の現代的諸形態に関する特別報告者」の報告書プレゼンテーションがあり、そののちに議論が行われた。NGOの発言は10団体までのため、発言希望の登録をしても発言できるとは限らない。アムネスティ・インターナショナル(フランチスカ・クリステン)は、日本軍「慰安婦」問題について、日本政府が道義的責任を認めつつ法的責任をとらず、真実・正義・補償が実現されていないとし、欧米諸国の議会における決議に触れたうえで、国際基準に従った解決が必要であるとし、日本はG8のメンバーなのでG8諸国も関心を持つべきであるとし、さらに、11日に国連欧州本部で開催したシンポジウム(グリーフ特別報告者や私が報告したシンポ)の内容を紹介した。ヒューマン・ライツ・ナウ(元百合子)は、日本軍性奴隷制には十分な証拠があり、法的責任、補償、情報公開、実行者処罰が必要だが、どれも実現していないとし、それどころか安倍や橋下が暴言を続けているうえ、安倍内閣は条約委員会からの勧告に従う必要はないと閣議決定までしたことを紹介し、人権理事国であるにもかかわらず性暴力の事実を否定したり、虐殺を正当化したりするようなことのないように、グリーフ特別報告者が日本を訪問して調査するように要請した。
Friday, September 13, 2013
ポルノ被害と性暴力を考える会編『森美術館問題と性暴力表現』
ポルノ被害と性暴力を考える会編『森美術館問題と性暴力表現』(不磨書房)
私も執筆者の一人だが、出版されてはじめて他の著者の文章を読んだ。ほぼ同じ考えの持ち主による共著と言えばそうなのだが、私は、編者である「ポルノ被害と性暴力を考える会」会員ではないため、一度も会ったことのない共著者、一度しか会ったことのない共著者などもいる。一読しておもしろかったのは、私が言おうとしてきちんと表現できていなかったことが、すでに他の著者によってはっきりと表現されていることだ。イダヒロユキは「主流秩序」(私たちを取りこみ縛っている価値と規範の序列体系)というキーワードを用いて、ジェンダー秩序、性差別秩序が差別や抑圧をもたらしていると見る。イダは、会田誠の作品について「主流秩序の価値観をなぞった平凡な作品にすぎず、そこに深い批判性などない」「会田作品はアイキャッチャー的に若い女性の体を利用しているだけ」と述べる。私が「別にタブーに挑戦しているわけではないのです。ポルノ大国において通有しているポルノ容認の価値観にどっぷり浸かっているだけです」「才能がないからポルノに走る」と述べたことを、理論的に整理してくれたものと言える。イダはまもなく『主流秩序――囚われの正体と責任、そして離脱の方法』という本を出版する予定だという。梅山美智子は、男性雑誌編集者だった経験をもとに、雑誌がどのような男性目線で作られていくかを明らかにしている。岡野八代は、女性差別のヘイトクライムを鋭く切開し、尊厳を守るとはどういうことなのかを説く。日本におけるヘイトスピーチ論議では、被害が起きているのに被害とは認めないのが主流である。どんなひどい差別発言でも「被害はない。表現の自由だ」というのが憲法学の決まり文句である。岡野はまず被害の所在を明確にして議論をしている。私は「ジェンダー・ヘイトスピーチ」について考えてきたが、岡野論文に学んで再考したい。西山千恵子は、性の政治と「芸術」の特権性を取り上げ、公園などに堂々と設置されている女性ヌード彫刻の意味を考え直し、「芸術における女性への暴力」を問う。森田成也は、近代法における古典的な表現の自由と、そこから発展した現代における表現の自由の歴史的意味と法的意味を整理して、「表現の自由」派が、そもそも表現の自由をまともに理解していないことを厳しく批判する。まさに私が主張してきたことと重なる。そのほか、討論集会の記録や、関連連資料も収録されている。
著者:イダヒロユキ(立命館大学大学院先端総合学術研究課非常勤講師)、梅山美智子(フリーライター)、岡野八代(同志社大学グローバル・スタディーズ研究科・教員)、角田由紀子(弁護士)、西山千恵子(青山学院大学・慶應義塾大学非常勤講師)、前田 朗(東京造形大学教授)、宮口高枝(ヒューマン・サービスセンター理事/劣化ウラン廃絶港ネットワーク代表)、森田成也(駒澤大学・國學院大学非常勤講師)、宮本節子(フリー・ソーシャルワーカー)、横田千代子(社会福祉法人ベテスダ奉仕女母の家/婦人保健施設「いずみ寮」施設長)
Thursday, September 12, 2013
ジェンダー統合と市民社会の貢献パネル
12日、国連人権理事会は「ジェンダー・パースペクティヴの人権理事会の作業への統合への市民社会の貢献」をめぐるパネル・ディスカッションを行った。司会は世界YWCA事務局長のニャラザイ・グンボンヴァンダ、開会演説は国連人権高等弁務官のナバネセム・ピレイ、パネリストは、チョロカ・ベヤニ(国内避難民の人権に関する特別報告者、男)、モスン・ハッサン(フェミニスト研究のためのNazra)、ネハ・ソーダ(人口開発カナダ行動事務局長)、ペニー・ウィリアムス(女性と少女のためのグローバル大使)であった。ベヤニだけ男性。ジェンダー・パースペクティヴ統合のパネルは毎年われていて、今回が6回目で、市民社会の貢献をテーマにした。
ピレイ人権高等弁務官が、次のように述べた。人権理事会決議6/30が、女性の人権の促進における女性団体、人権活動家、NGOの役割を強調している。人権理事会は2007年に「制度構築」を掲げ、特別手続きと普遍的定期審査(UPR)が動いている。特別手続きの下で33のプログラムが動いているが約半分がジェンダー次元を取り上げている。陰険理事会の初期の13会期におけるすべての勧告は、23,479あったが、17%の4,070が女性の人権とジェンダーに関するものであった。その3分の1が「女性に対する暴力」に関するものである。最近の勧告でもジェンダーに関するものが増えている。人権理事会における理事国の代表を見ても、2010年には女性が29%だったが、2013年6月の人権理事会23会期では32%が女性であった。23会期におけるパネル・ディスカッションの発言者は女性が52%だった。チョロカ・ベヤニは、2006年の人権理事会創設以来、人権理事会の数々の特別手続きを調整する責任者であり、すべての特別手続きの審議に女性の人権とジェンダーを統合するために努力してきた。モスン・ハッサンは中東における女性人権活動家として知られる。ネハ・スーダは、UPR審議におけるジェンダーと性別のテーマについて調査研究した結果を報告した。パネル後半では、EU、コスタリカ、アメリカ、キューバ、ヴェネスエラ、トルコ、メキシコ、アイルランド、ブラジル、クウェート、ポーランド、モンテネグロなどが次々と発言したが、いずれも建前通り、女性の人権の重視と、NGOの活動の重要性を唱えていた。日本政府は発言しなかった。
Wednesday, September 11, 2013
死刑囚の子どもの権利に関する議論
11日午前、国連人権理事会第24会期で、「死刑を言い渡され、または執行された両親の子どもの人権に関するパネル・ディスカッション」が行われた。人権高等弁務官事務所の年次報告書(A/HRC/24/18)を踏まえての討論である。
冒頭に、人権高等弁務官代理のフラヴィア・パンシエリが、基調報告をした。最初に国連加盟国193のうち150以上の国が、死刑を廃止し、又は事実上の廃止国となっている、と述べた。120くらいと思っていたが、彼女ははっきりと150以上と言ったので、要調査。報告は、死刑廃止条約、子どもの権利条約CRC、これまでの人権理事会決議などをもとにしたもので、特にCRC3条、19条、20条、27条1項を強調した。また、マスコミで報道された事件で親が死刑を言い渡された子どもが差別的な状況に置かれること、人種・民族・宗教に基づく差別が死刑による苦痛を加重させること、親が処刑されて子どもがストリートチルドレンになる場合があること、教育を受ける機会が奪われることなどを述べていた。
アムネスティ・インターナショナル主催の「慰安婦」問題シンポに出なければならないため、パンシエリ報告が終わると会場を出なければならず、パネル・ディスカッションを聞くことが出来なかった。死刑を言い渡された者の処遇については日本でもこれまで議論はなされてきた。しかし、死刑囚の家族、特に子どもについての議論はあまりなされてこなかったと思う。
日本軍性奴隷制・ジュネーヴ・シンポジウム
9月11日、ジュネーヴの国連欧州本部の会議室21で、アムネスティ・インターナショナル主催のサイドイベント「日本軍性奴隷制の生存者に正義を」が開催された。サイドイベントというのは、9日から、同じ国連欧州本部の会議室20で国連人権理事会第24会期が開催されているので、そのサイドイベントという意味である。イベントを準備したのはAIと韓国挺身隊問題対策協議会である。開始直後に数えた時は90名の参加。その後出入りがあった。冒頭に挺対協が持参した被害者証言ビデオを上映。続いて、挺対協のユン・ミヒャンが基調報告。そして、韓国の被害生存者キム・ボクドンさんの証言。台北婦女救援基金のファン・シューリン発言。そして、国連人権理事会の特別報告者パブロ・デ・グリーフ報告。国際活動の紹介として、キャサリン・バラクラフ(AI東アジアキャンペーン担当)、及びジュンヨン・ジェニー・ヘオとクボタ・ハルホ(ともにカナダから来た若手活動家)。最後に、私が、日本政府が補償を怠り、正義が実現されていないことについて発言。この問題に取り組んできた人なら知っていることばかりなので、詳細は省略。
パブロ・デ・グリーフ特別報告者は、2012年から、国連人権理事会の「真実、正義、補償、再発防止保障の促進に関する特別報告者」である。2001年から、ニューロークで「移行期司法のための国際センター」研究局長であった。その前は、ニューヨーク州立大学の哲学准教授で、倫理学と政治理論も教えていた。民主主義、民主主義理論、道徳・政治・法の関係に関する研究をし、著作を公表し、移行期司法のための国際センターで関連著書を出している。シンポジウムでの発言では、日本軍「慰安婦」問題について、クマラスワミ報告書やマクドゥーガル報告書などをもとに国際法上の結論が出ていることを指摘し、それに対して日本政府が正義を提供したかどうかが問題と詩、謝罪、補償、教育(歴史教科書問題)などについて発言した。私が言うべきことの多くを、グリーフ特別報告者が言ってくれたので、私は少し予定を変えて、90年前の9月に起きた関東大震災コリアン・ジェノサイドの話や、2000年女性国際戦犯法廷のこと、麻生のナチス発言にも触れた。そして最後に、最近始めた8月14日を国際メモリアルデーにしようという運動の紹介をした。国際メモリアルデー運動の8月集会宣言文は会場で配布した。要領を得ない発言だったが、終了するや韓国の外交官がやってきて「とてもよかった」と言ってくれた。たぶん、国連ではろくでもない日本外交官にしか会えなかったので、私の報告がまともに聞こえたのだろう。オランダの日本軍収容所被害者で、対日道義請求財団のアドリアンセン・シュミットさんやブリジット・ファン・ハルダーさんも参加。というわけで、CORNALIN,Valais Sion, 2010.
Tuesday, September 10, 2013
国際政治経済予測と対応する戦略提案
中野剛志『日本防衛論――グローバル・リスクと国民の選択』(角川SSC新書)
「異能の官僚が描く壮大な新国家戦略の全貌」だそうだ。2050年までを射程にした国際政治経済予測を立てて、それに対応する戦略を論じているので、たしかに。もっとも、日本に何ができるかと問いを立てているが、あまり何もできないという答えのように読める。とおあれ、大胆な予測と分析の本で、それなりに楽しめる。著者は良く勉強している。「異能の官僚」というのは、最近よく目につくような気もする。元官僚で、研究熱心で、さまざまな分野で活躍している評論家は多い。著者は『TPP亡国論』(集英社新書)で話題になったようだが、読んでいないので、良くわからない。その後も『日本破滅論』『官僚の反逆』『日本思想史新論』と、新書を量産しているようだ。元京都大学准教授。なぜか元で、いまは評論家とのこと。本書はかなり舎弟の広い議論で、国際経済が中心なので、なんとも論評する能力がないが、それなりにおもしろい。グローバル・リスクに対処する戦略が必要な時代なのに、日本にはそれが欠落しているという。なるほどと思う。2012年11月段階で、日本経済のリスクシナリオとして想定するべきことは、ユーロ危機、アメリカの景気後退、新興国の構造不況、地政学的変動、気候変動、地殻変動の6つであり、これらの的確な分析に基づいた対処を呼びかけている。これもなるほどと思う。原発再稼働を呼びかけたり、日本核保有のシナリオを論じたり、血気盛んな若手評論家という事だろうか。2050年を見据えたおみくじ占いの一つ一つにコメントする能力はないが、危機は常に外からやって来るという議論の仕方に違和感がある。日本は素晴らしくて、何も問題はないのに、外からリスクが押し寄せて来るから対処しないといけないが、いまの日本政府や日本人はその準備ができていないと批判している。でも、本当の危機は中からくるものではないだろうか。
Sunday, September 08, 2013
ローゼンガルト美術館散歩
ローゼンガルト美術館(ローゼンガルト・コレクション・ルツェルン)は、ルツェルン駅からピラトゥス通りに入ってすぐのところにある。裏手は、ロイス川のカペル橋と水の塔だ。ルツイェルンといえば、カペル橋、シュプロイヤー橋、ギュッチ展望台、ライオン像、氷河公園、ホープ教会、イエズス教会、ムー絶句城壁、そして湖の遊覧船だ。かつては旧市街にピカソ・ハウスがあり、ピカソの写真が多数展示されていたが、それもすべてローゼンガルト美術館に移された。ローゼンガルトとは画商ジーグフリート・ローゼンガルトの名前で、1930年代には主に印象派の作品を扱っていたが、1950年代からピカソとパウル・クレーに力を注いだ。クレーは1940年に亡くなっていたが、ピカソは長生きしたので、ローゼンガルトはピカソと親交を持った。ピカソは娘アンジェラ・ローゼンガルトの肖像画を描いている。鉛筆のものも、リトグラフもある。ローゼンガルト美術館1階はピカソがずらりと並ぶ。「カフェのバイオリン」(1913年)、「マントルピースのギター」(1921年)、「窓の前のテーブル」(1919年)、「窓の前で眠る裸婦」(1934年)、「ヌシュ・エリュアールの肖像」(1938年)、「ボートの少女(マヤ)」(1938年)、「麦わら帽子の女」(1938年)、「座っている裸婦(ドナ・マール)」(1941年)、「ドナ・マールの肖像」(1943年)、「戯れる女と犬」(1953年)、「アトリエのジャクリーヌ」(1956年)、「アトリエの女」(1956年)、「青い肘掛椅子の女」(1960年)、「帽子をかぶった女」(1961年)、「草上の昼食(マネの後に)」(1961年)、「画家」(1963年)、「横たわる女」(1964年)、「プロヴァンスの田舎」(1965年)、「パイプを持った男」(1968年)、「パイプと花を持った紳士」(1968年)、「立っている裸婦とパイプを持った男」(1968年)など。スケッチあり、油彩あり、彫刻あり、花瓶あり、皿ありだ。西岡文彦『ピカソは本当に偉いのか?』を読みながら、ピカソ作品を見たのはなんとも言いがたい経験ではある。他方、地下はすべてクレーだ。チュニス旅行の作から晩年まで多彩な作品が百数十点。「チュニスのサンジェルマン」(1914年)、「最初の動物たち」(1919年)、「アスコナ」(1920年)、「心臓の女王」(1922年)、「ある11月の夜の冒険の記憶」(1922年)、「エロス」(1923年)、「魚の絵」(1925年)、「星々と門」(1926年)、「クリスタルラインの景色」(1929年)、「ロマンティックな公園」(1930年)、「リトルX」(1938年)、「冬の太陽」(1938年)など。2階には、ピサロ、モネ(アムステルダム、ヴェロン教会)、ルノアール(裸婦、タンバリンを持ったイタリア女性)、セザンヌ、スーラ、シニャック、ボナール、ユトリロ、モディリアニ、ルオー、レジェ、ブラック(パイプのあるテーブル、プログラム)、マチス、ミロ、シャガール(ロシアの村、モデルたち、オペラ座の前で、赤い太陽)、カンディンスキーが展示されている。印象派、後期印象派、キュビズム、表現主義まで。第二次大戦後のピカソは別格。
ピカソはなぜピカソなのか
西岡文彦『ピカソは本当に偉いのか?』(新潮新書)
<「あんな絵」にどうして高値がつくの?みんなホントにわかってるの?アート世界の身勝手な理屈をあばいた「目からウロコの芸術論」>という宣伝文句。著者は版画家で多摩美術大学教授。本署が冒頭で掲げる疑問は、この絵は本当に美しいのか?、見るものにそう思わせる絵が、どうして偉大な芸術とされるのか? かりに偉大な芸術としても、その絵にどうしてあれほどの高値がつくのか?。その他いくつもの問いを投げかけ、順次開設している。まずは「絵画バブルの父」ということで、画商の存在が解説される。つまり、アートそのものではなく、アートビジネスの問題である。と書くと、ミスリーディングだ。今やアートビジネス抜きにアートは成立しないので、「アートそのものではなく」という表現は不適切だ。次にピカソの個人的資質と才能。画家としての才能もそうだが、それ以上に人心操作にたえた人物という話。そのうえで、近代西欧絵画史における発展、革新の問題が解説される。印象派とは何だったのか、そしてキュビズムとは何か。<マネは「時代」を、モネは「光」を、ドラクロワは「感覚」を、それぞれ画面に描き留めることを願い、その創造的な試みの成就のために伝統を破壊せざるを得なかったわけです。ところがピカソはそうではありません。/ピカソ本院が、絵画は破壊の集積であると明言していることからもわかるように、その破壊は明らかに破壊自体を目的としたものでした。」>ここで「破壊のための芸術」が成立する。私が『森美術館問題と性暴力表現』の中で使った言葉では、「芸術がスキャンダルとなった時代」から「スキャンダルが芸術となる時代」への転換である。著者は「現代芸術はなぜ暴力と非常識を賛美するのか」と問いかけ、さまざまに答えている。おもしろかったのは、ボヘミアンの嘘だ。芸術家はボヘミアンを気取り、世間もロマン主義的にボヘミアンとしての芸術家を許容しているが、実際の芸術家はボヘミアンでもなんでもなく、気取ってそのふりをしているだけだ。そのことが分かりやすく書かれている。本書はピカソのわかりにくさと偉大さをやさしく解説している。その後の現代アートを直接取り上げていないが、おおむね、本書の趣旨に従って考えれば、現代アートの「魅力」と「インチキぶり」がわかるようになる。
Friday, September 06, 2013
民族紛争の事例と理論を探る
月村太郎『民族紛争』(岩波新書)
Ⅰ部「世界各地の民族紛争」では、スリランカ、クロアチアとボスニア、ルワンダ、ナゴルノ・カラバフ、キプロス、コソヴォの6つの事例を、歴史的に紹介し、民族紛争の発生の要因や、終結へ向かうプロセスなどを考えるための素材としている。Ⅱ部「民族紛争を理解する為に」では、発生、予防、「成長」、終了から再建へのプロセスを理論的に説明している。ざっと読んで勉強になった。
大筋で言うと、書かれていることはよくわかる。表題通りの著作である。なるほど、これら6つの事例の経過がよくわかるし、著者が民族紛争をどのようにとらえて記述しているのかもよくわかる。ただ、書かれていないことは、よくわからない。なぜ、この6事例なのか、11~12頁にそっけない説明らしきものがあるが、わからない。また、発生については、構造的要因、政治的要因、経済的要因、社会文化的要因が解説される。書いてあることは、よくわかり、納得できる。ただ、なぜ、この4要因なのかがわからない。予防の部分でも、連邦制、文化的自治、多極共存制という3つのシステムが解説される。なぜ、この3システムなのかはわからない。多極共存制の特徴は、大連合、相互拒否権、民族的比率に基づく資源配分、各民族の自律性の4点だという。なぜ、この4点なのかがわからない。本書に一貫した特徴は、なぜ、その要因やシステムや特徴が抽出されたのか、その思考過程が示されていないことである。著者のこれまでの研究成果なのだ、ということなのだろうが。そして、もっと気になるのは、Ⅰ部とⅡ部が有機的に結びついていないことだ。220頁ほどの著作で、Ⅰ部の6事例に170頁までを費やしている。その後に、Ⅱ部が50頁ほど続く。だが、記述を見る限り、Ⅰ部の事例編からの帰納によってⅡ部が構成されているようには見えない。もちろん、演繹でもない。Ⅰ部に書いていることは理解できる。Ⅱ部に書いてあることも理解できる(上記の疑問は別として)。Ⅰ部とⅡ部が、事例編と理論編のはずなのに、それぞれ独立しているように見えるのが不思議なところだ。
著者の思考様式と、私の思考様式がかなり違うためだろう。著者の思考様式、思考過程を読み取れない私の問題なのかもしれない。一例だけあげると、次の文章は、私を混乱させる。
「本来、宗教とは公的な信仰体系であった。しかし、それが世界観に繋がり、また人間の生活をしばしば外形的に制約する為に、ある宗教を信ずるか否かが、ときにはその属する社会や国家への忠誠の有無と同一視されることもあった。江戸時代の『踏み絵』が恰好の例である。こうした『踏み絵』としての宗教の機能は紛争において一定の役割を果たすことがある。」(183頁)
なぜ、「しかし」という逆接の接続詞が用いられているのかよくわからない。「それゆえ」ではいけないのだろうか。「しかし」ならば、むしろ「宗教とは私的な信仰体系であった」のではないだろうか。このように悩んでしまう。