川端幹人『タブーの正体! マスコミが「あのこと」に触れない理由』(ちくま新書、二〇一二年)は、タブーへの挑戦を誘う。
類書はたくさんあるが、異色の書である。新書であるにもかかわらず、かなり幅広く事例を提供して、わかりやすい。著者は『噂の真相』元編集長である。研究者と違って、元編集長で、現在もジャーナリストとして活躍しているだけあって、さまざまな具体例が、既存の著作に出ていない裏話も含めて紹介されている。
しかし、何より本書の特徴は、自分の経験を「暴露」していることだ。右翼による『噂の真相』襲撃事件の経過、その後の著者自身の「転向」を具体的に書いている。「口では『圧力には屈しない』『言論の自由を死守する』と強気の言葉を並べていても、内心はトラブルがこわくてこわくてたまらない。だから、『噂の真相』が休刊した時、私は心の底から安堵し、二度とタブーなんてものに関わるまいと心に誓った」と言い、自らを「へっぴり腰」とまで呼ぶ。しかし、著者は逃げているのではない。へっぴり腰であっても闘いつづけること、そのために本書を書いている。へっぴり腰でもかっこ悪くても、じたばたしながら、それでも闘うとの宣言である。
そのために著者は、メディアにおけるタブーがなぜ、どのように成立しているのか。その実態とメカニズムを問い続け、タブーの要因を「暴力の恐怖」「権力の恐怖」「経済の恐怖」という三つの視点で整理している。第一の暴力の恐怖は、言うまでもなく右翼団体や宗教団体による実力行使による被害、それを心配しての自粛問題である。最たるものが皇室タブーである。最近はナショナリズム・タブーがあり、拉致問題や靖国問題で表現が委縮している。ネット右翼によるタブー再生産もある。宗教団体もここに入るが、著者は宗教タブーが「信教の自由」に由来するという言い訳を批判している。
第二の権力の恐怖は、警察、検察、財務省による権力的介入への恐怖である。「国策捜査」と呼ばれる問題の影響もここに入る。戦前の治安維持法とは違うとはいえ、さまざまな形で権力による介入がなされる。利権や金銭疑惑があったにもかかわらずマスコミが追及しなかった小泉純一郎元首相と、軽微な不正にもかかわらずすさまじい物量の報道により辞職に追い込まれた辻元清美議員の対比はよくわかる。東京地検特捜部や大阪地検特捜部とは何であるのかも再考が必要である。
第三の経済の恐怖とは、スポンサーからの圧力、広告引き上げなどである。トヨタやパナソニックの不祥事はなかなか報道されない。東京電力、電通の広告により原発タブーがつくり出された。芸能プロダクションによるメディア操作の実態も描かれる。
こうした事実を踏まえたうえで、ジャーナリストはいかにあるべきかという問題になるが、著者はジャーナリスト論を高々と掲げて論じることはしない。へっぴり腰でも、なんとか頑張るには どうしたらいいのかが問題だからである。インターネットの普及により、ますますジャーナリズムが低落し、利益至上主義という企業の論理が支配している中で、どこに活路を見出すのか。メディアの未来はとても暗いが、ただ一つ、可能性は「破る」ことだと言う。タブーを破って例外状態を作り出すことは、たった一人のジャーナリストでもできる。もちろん、たった一人の反乱はすぐに鎮圧されてしまい、またタブーが支配することになるだろう。恐怖に怯えたマスメディアからは無視されてしまうだろう。「だとしてもそれは無駄ではないはずだ」。
「タブーを破ろうとすること自体が大きな意味をもつ。なぜなら、タブーを破ろうとすれば、必ず軋轢や圧力が生じ、そのことによってタブーの正体があぶりだされるからだ。いったい、だれが何のためにこのタブーをつくりだしたのか、どの表現がどう問題なのか、メディアは何を恐れているのか」。
「無様な敗北を繰り返してもなお、タブーに迫ろうとする」人にはお勧めの一冊である。