Saturday, May 30, 2020

大いなる田舎町・札幌のワイン


札幌農業と歩む会編著『こんな近くに!札幌農業』(共同文化社)

http://kyodo-bunkasha.net/modules/webphoto/index.php?fct=photo&p=320

<政令指定都市であるにも関わらず、近郊で農業が盛んな札幌市。

その魅力を歴史面、4つのエリアごとに多くの農園を紹介する農業が楽しくなるガイド本。>



『迷宮の人 砂澤ビッキ』で初めて知った出版社から、札幌の農業の本が出た。芸術家砂澤ビッキと札幌農業――関係ありそうで、関係ない。北海道という共通点だけだ。

さて、札幌農業と歩む会は、2011年の「さっぽろ食農フォーラム」以来、札幌市内の農家を訪ね、ツアーを組んできた。例えば、コマツナの作付面積と収穫量が、広い北海道で第1位だと言う。レタス、ニラ、シュンギク、チンゲンの作付面積は第2位だ。桃は3位、スイカは4位。このように札幌は農業地帯なのだ。札幌農学校(現・北海道大学)の街だからと言うわけではない。1960年代以来、都市化のため農業人口も畑も激減してきたが、近年、「農的くらし」のルネッサンスが始まっているという。

札幌市内各地の農家の状況が次々と紹介されている。意外なところでは、札幌ワイナリー3軒が紹介されている。

八剣山ワイナリー

http://hakkenzanwine.com/

さっぽろ藤野ワイナリー

http://www.vm-net.ne.jp/elk/fujino/

ばんけい峠のワイナリー

https://sapporo-bankei-winery.jimdofree.com/

札幌農業と歩む会会長は私の高校時代の同級生だ。大いなる田舎町・札幌出身の私にはとても楽しい本である。

時代と格闘するとはどういうことか


鵜飼哲『まつろわぬ者たちの祭り 日本型祝賀資本主義批判』(インパクト出版会)

http://impact-shuppankai.com/products/detail/293

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『思想運動』(1053号、6月1日)の依頼で「いま読みたいこの三作」を紹介したので、その一作にあげて紹介した。3月以来、外出自粛のため時間はたくさんあるが、なかなか本を読めない。原稿を書くのに必要な本はなんとか読んできたが、じっくり読もうと思う本は頭に入らない。集中力がないためだ。オンライン授業の準備に追われていることもある。

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<私たちは「未来の残酷さ」のただなかにいる。

地震、津波、原発事故の三重の打撃によって政治的、社会的な未曾有の危機に陥った日本資本主義が、スポーツ・ナショナリズムの鞭を全力で振るって、なりふり構わず正面突破を図ろうとしている。

天皇代替わり、そして2020 東京オリンピック・パラリンピック――

いま、国民国家主義とグローバル資本主義を媒介する巨大スペクタクルに呑み込まれないために。>

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 「災厄のポリティクス」「境界から歴史をみつめ直す」「日本型祝賀資本主義批判──天皇代替わりとオリンピック・パラリンピック」の3部にまとめられた文章の数々が、鵜飼哲ワールドをつくりあげる。2010年代の日本――福島原発事故、歴史歪曲、天皇代替わり、そして東京オリンピックへ――の狂乱と崩落を、力ずくで統合しようとする「日本型祝賀資本主義」の倒錯と暴力を鵜飼は言葉の銃弾で撃ち抜く。

 鵜飼流の批判の作法は定型化できない。歴史を遡行し、論理を組み替える。言葉の表層を掠めるかと思うと、深層からぶち抜く。直喩あり、暗喩あり、比喩の限界の指摘あり。時の彼方から迎撃することもある。<フクシマ>と<ヒロシマ>の交差点に思想の爆弾を投下する。原発政策と対抗運動の弁証法的展開を追跡するかと思うと、境界のリミットに身を浸して現状を測定し直す。実証的データに基づく批判と、目の覚めるような飛翔する論理を巧みに操る。

 鵜飼流の批判の作法は「ともに考えること、闘うこと」に差し向けられる。どこからでも、だれであっても、ともに闘いのフィールドに参戦できる。思想の愉しみを満喫しながら、自分を鍛え、他者との共感を実感しながら、私たちは鵜飼の闘いをコンマ1秒遅れで滑降することができる。

 とりあえずTOKYO2020は阻止した。モリ、カケ、サクラ、そしてクロカワの<惨事自招型資本主義>のアベシンゾーと別れを告げるため、TOKYO20202021阻止に向けて、次の一歩を。

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鵜飼哲はどこから到来したか

鵜飼哲『テロルはどこから到来したか――その政治的主体と思想』(インパクト出版会)

https://maeda-akira.blogspot.com/2020/03/blog-post_66.html

Thursday, May 14, 2020

團藤重光研究の到達点に学ぶ(3)


福島至編『團藤重光研究――法思想・立法論、最高裁判事時代』(日本評論社)



高田久実「第5章 改正刑法準備草案と團藤――名誉に対する罪をめぐる戦前・戦後の刑法改正事業」は、刑事立法における團藤の刑法学がどのような内実を有したかを、名誉毀損罪の規定、特に事実証明規定に即して検討する。1921年に始まった刑法改正作業のまとめとしての改正刑法仮案(総則1933年、各則1940年)における名誉毀損罪の検討過程を、泉二説や小野説に即してフォローしたうえで、戦後に始まった刑法改正作業における改正刑法準備草案(1963年)における團藤説の位置を測定しようとする。刑法230条の2の導入過程をつぶさに検討し、小野と團藤の理解を対比し、團藤の提案が改正刑法準備草案では削除された意味を考察する。團藤刑法学の形成過程の一面を明らかにすると同時に、刑法改正作業の研究にも新たな光を当てる。



玄 守道「第6章 團藤重光の人格責任論――その形成過程に着目して」は、團藤刑法学の要である人格責任論、あるいは主体性の理論の形成過程を解明する。その際、玄は、刑法理論だけでなく、團藤の初期の刑事訴訟法学の形成過程や、行刑理論の構築においてすでに人格責任論がみられたことに着目し、分析を加える。レンツやメツガーの理論に学びながら、團藤の独自の理論がいかに形成されたかである。「團藤は犯罪論、刑罰・行刑論、刑事手続論を人格ないし主体性の理論を基礎に動的に一貫して把握しようとしている」という。そのうえで、1949年の人格責任論論文で骨格が提示されたので、詳しくフォローする。玄は、團藤の「普遍的な理論構築への問題関心」と、人格の動的・発展的性格を理論に組み込もうとする野心的な試みに着目しつつ、理論的整合性がとれたとはいいがたく、人格責任論を支持することはできないという。團藤から継承すべきは、問題意識や思考方法である。



出口雄一「第7章 昭和28年刑事訴訟法改正と團藤重光」は、刑事訴訟法の1953年大改正の際の、法制審議会刑事法部会小委員会、及び法制審議会刑事法部会、そして国会における議論を紹介・検討する。主な改正点は、陪審制度採用の要否と不当勾留抑制、簡易公判手続きの導入とアレインメント制度、控訴審の構造であり、さらに検察官と司法警察職員との関係(捜査の適正化)をめぐる位置づけであった。刑事裁判における職権主義と当事者主義の関係をいかに理解するかが問われていた。出口は、「憲法化・アメリカ法化・当事者主義化・操作の適正化の4つの特色を持つ新刑事訴訟法にとって、1950年代は『模索と定着』の時代」であるとし、職権主義を定着させようとする立場と、伝統的な職権主義に押し戻そうとする立場が「交錯」していたとし、團藤は当事者主義の定着を図ったとみる。

この点はとても興味深かった。平野龍一の刑事訴訟法学を学んだ者にとっては、「團藤の職権主義vs平野の当事者主義」という構図で見てしまいがちになる。だが1953年当時は「小野清一郎の職権主義vs團藤の当事者主義」が対抗しており、團藤は恩師・小野の議論にチャレンジしていたのだということがわかる。



兒玉圭司「第8章 團藤文庫『警察監獄学校設立始末』から見えてくるものーー明治32年・警察監獄学校の設立経緯」は、團藤文庫の『警察監獄学校設立始末』を紹介しつつ、その設置経過において設置目的に変更があったこと、歴史的に重要な役割を果たしたことを明らかにする。1915年の全国65名の「典獄」のうち27名が警察監獄学校卒業生だったという。本資料が團藤の法思想の形成に直接的に関係したとは言えないと兒玉自身が述べているが、興味深い資料であり、研究である。



團藤刑法学には長い歴史があり、幅広い射程があるため、総合的研究を行うには多数の研究者による共同が必要である。そのための作業はこれまでも行われてきたし、高田と玄も先行研究に学びつつ、さらに團藤文庫資料を活用して新たな知見と分析を加えている。



以下、余談。



学会は別として、團藤が一般社会で認知されたのは、その死刑廃止論者としての発言であったといえよう。東大教授として、刑法学者として、最高裁判事としてきわめて広範で重要な貢献をしたとはいえ、團藤は一般には知られていなかった。死刑廃止論こそ、社会に知られることになった理由であり、社会における團藤の存在意義であったと言って過言でない。

そこで気になるのは、人格責任論と死刑の関係である。というのも、最高裁判事時代までの團藤刑法学は死刑積極存置論であり、最高裁判事として死刑判決を書いた。死刑廃止論に転じたのは判事退官後である。つまり、團藤の人格責任論は死刑存置論であった。少なくとも死刑存置論と矛盾しなかった。そして、人格責任論をあまり口にしなくなって以後に死刑廃止論に転じたのだ。このことの意味をきちんと分析しないと、團藤の人格責任論を論じたことにならないのではないか。

Tuesday, May 05, 2020

團藤重光研究の到達点に学ぶ(2)


福島至編『團藤重光研究――法思想・立法論、最高裁判事時代』(日本評論社)



太田宗志「第3章 東大と防空――團藤重光と東京帝国大学特設防護団法学部団」

小石川裕介「第4章 法学の研究動員と團藤重光――戦時下の学術研究会議を中心として」



2本の論文は、團藤文庫資料を基に、戦時下の團藤重光の活動と研究に一側面を明らかにする。従来、資料が少なく、先行研究もわずかで、当事者の証言も多くはない分野であるだけに、いわば空白期である。



太田は、團藤文庫資料にある東京帝国大学特設防護団法学部団の資料――『防護団登番記録』と『防護団ノート』――によって、その活動の様子を明らかにし、そこにおける團藤の位置と役割を解明する。194110月に設置された東京帝国大学特設防護団は、大学全体の組織だが、学部ごとに編成されたので、法学部団も設置され、その記録が残された。これによると、教官(教授、助教授、助手)と学生350名を、総務、防火、研究室の分に編成していたという。團藤は総務班長だった。太田は、当番日記から見えてくる防護団の状況を解説し、空襲の危機への太陽、そして敗戦後の灯台防空の終焉までたどる。基本的に資料紹介にとどまるが、興味深い。国家総動員体制で臨んだ「大東亜戦争」における異様に貧弱な防空体制--国民の生命財産を軽視した戦時体制の批判的検討はなされていない。



小石川は、戦時下の学術研究の一側面を明らかにする。科学研究動員委員会において、團藤はインド刑法の研究を担当し、その記録を残している。「インド刑法略史」の記述が紹介され、團藤が「政治的」ではなく、「一個の法律学徒」として「文化的」考察を試みたという。特別委員会においては、團藤は経済犯罪研究委員会に所属し、価格統制、配給、消費等の経済刑法研究を行っていたという。重要な資料が紹介されている。敗戦後の1946年には、突如として「民主主義と法律」「民主主義的裁判期間の構成」を担当したことにも言及があるが、「法学における共同研究の戦前・戦後の連続性/断絶性の問題については、今後の課題としたい」と述べるにとどまっている。



以下は余談。



私は大学院時代にナチス刑法研究に手をつけた時期があり、最初の著書『鏡の中の刑法』(水曜社、1992年)270367頁に収録した。そのさい当時の日本刑法学者(牧野英一、木村亀二、小野清一郎、不破武夫、安平政吉、佐伯千仭、團藤重光、市川秀雄ら)がナチス刑事法をいかに紹介・受容したかを論じた。

その後、戦時期における日本刑事法の特質を評定する研究も始めた。なかなか成果が出なかったが、小田中聡樹先生古稀記念論文集に論文「日本法理の歴史意識」を書くことができた。そこでは、小野清一郎と團藤重光の2人に絞って、日本法理、大東亜法秩序がいかなる法理であったかを解明するとともに、戦後に再編成された團藤刑法学――その理論的中核をなす主体性の理論と人格形成理論の淵源の一つが小野清一郎の日本法理であったことを論じた。「戦前・戦後の連続性/断絶性の問題」そのものを取り上げた。この論文は、のちに私の『ジェノサイド論』に「侵略の刑法学――日本法理の歴史意識」と改題して収録した。

しかし、私はその後、このテーマを深めることはしなかった。研究環境が大きく変わったことと、他に抱えるテーマが多数あったため、この研究を放棄してしまった。

その後、宮本弘典、本田稔をはじめ、戦時刑事法の実相とイデオロギーを解明する研究は続いている。最近では法制史における出口雄一らの研究も重要である。

今年2月、私の著書『500冊の死刑』出版記念会で、宮本弘典に話をしてもらったが、その際の配布資料は宮本の論文「二ホン刑事司法の古層」『今,私たちに差し迫る問題を考える Vol.2」(関東学院出版会)であった。宮本は、戦後司法改革の担い手たちが、実は戦時刑事イデオロギーの張本人たちであったこと、理論的にも思想的にも連続性を否定できないことを逐次明らかにしている。

ここ数年、私自身は植民地主義批判、植民地主義法批判の作業を続けているが、刑法学における植民地主義批判にたどり着いていない。『團藤重光研究――法思想・立法論、最高裁判事時代』には、植民地主義批判という問題意識がみられないのが気にかかる。

Sunday, May 03, 2020

検事長勤務延長閣議決定と検察官の勤務延長制度導入の撤回を求める声明


検事長勤務延長閣議決定と検察官の勤務延長制度導入の撤回を求める声明

202052

民主主義科学者協会法律部会理事会



 2020131日,政府は,現行検察庁法第22条に従って定年退官する予定だった東京高等検察庁検事長について,国家公務員法(以下「国公法」)第81条の3第1項を適用し,半年間勤務を延長することを閣議決定した。これは,検察官に適用される検察庁法が一般法である国公法に対して特別法であるとした上で,国公法上の定年制度やこれを前提とする勤務延長が検察官に適用される余地はないとする従来の検察庁法の解釈・適用を無視した違法・無効なものである。

 また,同年313日,政府は,検察官の勤務延長制度を導入する内容を含む国公法改正案及び検察庁法改正案を国会に提出した。その内容は,検事長ら役職者の勤務延長を内閣・法務大臣の判断に委ねるものであって,あくまで平等と公平の正義を追求するために,その職務遂行に厳正性,不偏不党性が求められる検察官の不偏不党性を害するものである。

 民主主義科学者協会法律部会理事会は,上記閣議決定並びに国公法改正案及び検察庁法改正案の撤回を求める。その理由は,次のとおりである。



1 まず,上記閣議決定は,国公法第81条の31項を東京高等検察庁検事長に「適用」して,「その職員を当該職務に従事させるため引き続いて勤務させる」(同項)ものである。しかし本来,同項は,国公法第81条の21項および第2項により定年を迎えることとなる国家公務員について,特別な必要性がある場合に,任命権者の判断によりその勤務を延長させるものである。

 そして,国公法は,1947年に制定された当時にそもそも定年制を定めておらず,1981年にはじめて定年制を導入し「定年による退職」(同法第81条の2)及び「定年退職者等の再任用」(第81条の3)を設けた。第81条の2は,国家公務員が一定の年齢に達した時に一律に退職する制度(退職年齢制度)を予定したものではなく,別途定められる「定年退職日」に退職する制度(定年退職日制度)であり,しかも職務の性質や必要性に応じて柔軟な取扱いが許容され,さらに第81条の3による「再雇用」も視野に入れた職務内容に必要に応える柔らかな定年制度である。

 これに対して,検察官の定年は,検察庁法第22条により,検事総長は満65歳,他の検察官は63歳と定められているように,検察官が一定の年齢に達した時に一律に退職する制度(退職年齢制度)であって,国公法上の退職制度とは趣旨も範囲も異なるものと言わなければならない。また現に,1981年の国公法の改正に関する国会審議において改正国公法は検察官に適用がないことが繰り返し確認されており,これが運用の面でも忠実に順守されてきた,国公法についてのゆるぎない立法者意思であることは明らかである。したがって,国公法第81条の21項および第2項は,検察官に適用する余地はなく,検察官に対して,そもそも国公法第81条の31項の適用はないというのが確立した法解釈及び法実務である。



2 このように,検察官に対して,その任命権者による特別の勤務延長が適用されなかった理由は,検察官が,刑事手続を始動させる公訴権を独占する(準起訴手続は例外)など,刑事司法全般に対して重大な影響力を持ち,ゆえに,その職務はあくまで平等と公平の正義を追求するものでなければならないことにある。そのために,検察官には,とりわけ政治的影響力を受けることのないように,裁判官に準じた身分保障が必要であり,その限りで,司法権独立の精神は検察権の行使とその担い手である検察官のあり方についても推及されなくてはならないのである。

 それにもかかわらず,検察官につき,自然年齢にのみ拘束される一律の年齢退職制度をとり,定年の延長を認めない硬性の手続をとっている現行法を変更して,その任命権者である内閣の意向によってその勤務を延長させることが可能となるのであれば,その検察官の身分の独立性がその限りで害され,検察官の職務が内閣の意向に左右されるおそれは皆無ではありえない。この点は,国際的な標準として検察官の職務準則と権利義務を定めた国連経済社会理事会決議の「検察官の職務準則と権利義務に関する声明」(E/CN.15/2008/L.10/Rev)にも反するものである。

 したがって,東京高等検察庁検事長の勤務を延長させるとする上記閣議決定は,その法律による根拠のない違法・無効なものであり,同時に,検察官の職務の独立性を害するものとして撤回をすべきものなのである。



3 加えて,上記の検察官の勤務延長制度を導入する国公法改正案及び検察庁法改正案は,一般の国家公務員及び検察官の定年を一律に満65歳にまで延長することを背景に,次長検事,検事長及び検事正,上席検察官については満63歳に達した翌日から他の職に補することを原則としつつ,内閣及び法務大臣が定める準則により特別の事由があればその勤務の延長を可能とし,さらに,検察官一般につき,満65歳の定年を迎えた後も特別の事由があれば,内閣や法務大臣の判断により,その職務の延長を認めるものとしている。

 要するに,この検察庁法改正案は,国公法の改正目的を逸脱して,検事総長を含む検察官の職務延長を,広く,時の内閣や法務大臣の判断に委ねようとするものと言わざるを得ない。このような法改正は,独立した法の支配の砦としてあくまで平等と公平の正義を追求することが期待される検察官の職務に対して,定年の延長という「蟻の一穴」から職務の公正を蝕む「害毒」を注ぎ込むに等しいことになる。すなわち,この検察庁法改正が実現すれば,いわゆる定年延長を求めて時の政権の意向を忖度する司法運営がまかり通ることとなり,司法権独立は危機に瀕する。



4 また,検察庁法改正案の立案過程には,様々な矛盾や問題点がある。法務大臣は,210日の国会答弁で,上述の国公法第81条の23の規定が検察官に適用除外される旨の1981年当時の国会審議について,議事録の詳細は存じ上げないとした。同月12日には,人事院給与局長が法解釈は変わっていない旨を答弁した。しかし,同月13日に総理大臣が検察官の勤務延長に国公法を適用するとして解釈変更を国会で答弁した後に,法務大臣は1月後半に法解釈の変更を法務省内で「口頭決裁」した旨を,人事院給与局長は12日の答弁の言い間違いを,それぞれ弁明するに至った。以上から,そもそも131日の閣議決定は,従来の国公法及び検察庁法の解釈を十分に踏まえていない疑いがある。

さらに,検察庁法改正案について,法務省は,201910月の時点で,一般公務員の役職定年延長制度につき,公務の運営に著しい支障が生じるなどの問題は考え難いとして,検察官には必要ないものと判断していたにもかかわらず,2020年に入り,同法案に検察官の役職定年延長を可能とする規定が加えられた。この経緯に鑑みれば,同法案は,特定の検事長の勤務延長を可能とする違法な閣議決定を法形式で追認するものと言わざるを得ない。



5 目下,新型コロナウイルス感染症への対応が急務の課題となっている中,検察庁法改正案は,国公法等一部改正法案として国公法改正案等と一括して国会に上程されており,審議が十分尽くされないことが強く危惧される。



 以上の理由から,民主主義科学者協会法律部会理事会は,上記閣議決定並びに国公法及び検察庁法改正案の撤回を,断固として求めるものである。

世界哲学史という意欲的な試み


『世界哲学史Ⅰ(古代1)知恵から愛知へ』(ちくま新書)



1月から出版が始まった全8冊のシリーズ、筑摩書房80周年記念出版だ。執筆者は総勢101名だという。目次を眺めるだけで、凄い。



第1冊(古代1)をのんびり読んだ。

序 世界哲学史に向けて   納富信留

1 哲学の誕生をめぐって   納富信留

2 古代西アジアにおける世界と魂   柴田大輔

3 旧約聖書とユダヤ教における世界と魂   髙井啓介

4 中国の諸子百家における世界と魂   中島隆博

5 古代インドにおける世界と魂   赤松明彦

6 古代ギリシアの詩から哲学へ   松浦和也

7 ソクラテスとギリシア文化   栗原裕次

8 プラトンとアリストテレス   稲村一隆

9 ヘレニズムの哲学   荻原 理

10 ギリシアとインドの出会いと交流   金澤 修



西欧中心主義に毒されていると反省してきたつもりでも、反省しきれていなかったことがよくわかる。西欧哲学史の窓から見た哲学史しか頭に入っていなかった。

「世界」とは、地理的な世界に拡張することだけでなく、人々が暮らす生活世界の総体を対象とし、自然環境や生命や宇宙から人類の在り方を反省する哲学を必要とする。各地域、それぞれの時代の哲学の営みを総ざらいして、世界という全体の文脈において比較し、共通性や独自性を確認するチャレンジングな企画だ。

第1冊を読んだだけだが、企画の趣旨を踏まえた見事な論述が続く。本格的な研究書ではなく、新書で世界哲学史をという点も、だれもが手に取り、読むことができる世界哲学史と言うスタンスだろう。

新型コロナ緊急事態宣言の中、読書に集中できない日が続く。時間があるようで、ない。精神的に余裕がないためだろう。このため、本書もなかなか頭に入らなかったが、人類の知的営為に触れることができるのは愉しいものだ。

Friday, May 01, 2020

團藤重光研究の到達点に学ぶ(1)


福島至編『團藤重光研究――法思想・立法論、最高裁判事時代』(日本評論社)

https://www.nippyo.co.jp/shop/book/8228.html

東京大学名誉教授、元最高裁判事、元宮内庁参与の團藤重光(19132012年)は、戦中から戦後にかけて日本刑事学を代表する研究者であり、戦後の刑事訴訟法制定に大きな役割を果たし、独自の人格責任論をはじめとする刑法理論を構築し、最高裁判事としては「リベラル派」として重要判決にかかわり、退官後は日本を代表する死刑廃止論者として活躍した。その研究の深さと広さは他の追随を許さない。

團藤はその蔵書や膨大な資料類を、親戚にあたる福島至(龍谷大学教授、刑事訴訟法学者)の在籍する龍谷大学に寄贈した。「團藤文庫」と呼ばれる。

龍谷大学矯正・保護総合センターの「團藤文庫研究プロジェクト」は2013年に活動を本格化させ、さまざまな聞き取りや調査研究を行ったという、成果の一部は「特集 團藤文庫を用いた研究の可能性」龍谷大学矯正・保護総合センター研究年報第6号(2016年)にまとめられているが、これに続く成果が本書である。

http://rcrc.ryukoku.ac.jp/research/book34.html



<目次>

はしがき

序章 團藤重光研究の意義と本書の概要……福島 至

第1部 團藤重光の法思想・立法論

第1章 法学教育史から見る法制史についての一考察

    ーー東京帝国大学生・團藤重光の受講ノートをたよりに

      ……畠山 亮

第2章 満蒙問題と團藤重光

    ーー團藤文庫所蔵「蒙古聯合自治政府」法制関連資料の紹介

      ……岡崎まゆみ

第3章 東大と防空

    ーー團藤重光と東京帝国大学特設防護団法学部団

      ……太田宗志

第4章 法学の研究動員と團藤重光

    ーー戦時下の学術研究会議を中心として

      ……小石川裕介

第5章 改正刑法準備草案と團藤

    ーー名誉に対する罪をめぐる戦前・戦後の刑法改正事業

      ……高田久実

第6章 團藤重光の人格責任論ーーその形成過程に着目して

      ……玄 守道

第7章 昭和28年刑事訴訟法改正と團藤重光……出口雄一

第8章 團藤文庫『警察監獄学校設立始末』から見えてくるもの

    ーー明治32年・警察監獄学校の設立経緯

      ……兒玉圭司

第2部 最高裁判事としての團藤重光

第9章 最高裁判例の形成過程と團藤重光文書

    ーー国公法違反被告事件(大坪事件と猿払事件)をめぐって

      ……赤坂幸一

10章 学者としての良心と裁判官としての良心

    ーー共謀共同正犯についての團藤意見を中心として

      ……村井敏邦

11章 凶器準備集合罪の法益と團藤補足意見

    ーー1983(昭和58)年6月23日最高裁第一小法廷判決

      ……古川原明子

12章 迅速な裁判を受ける権利の保障をめぐって

    ーー多数意見と團藤少数意見

      ……福島 至

13章 流山事件最高裁決定と團藤重光補足意見の意義と特徴

      ……斎藤 司



福島至「序章 團藤重光研究の意義と本書の概要」は、1)團藤文庫が寄贈された経緯、2)團藤文庫研究プロジェクトの経緯、3)本書の趣旨と構成、を略述する。團藤文庫の整理、分類、公開はまだ途上にあるが、共同研究の一定の成果を示すために本書を編んだという。



畠山亮「第1章 法学教育史から見る法制史についての一考察――東京帝国大学生・團藤重光の受講ノートをたよりに」は、團藤の学生時代の受講ノートを基にした研究である。團藤は、牧野英一の刑法、我妻栄の民放、中田薫の西洋法制史等の受講ノートを残した。畠山は、そのうち中田・西洋法制史の受講ノートを基に、法学教育史という観点で研究を進める。中田は学生向けの教科書等を執筆しなかったため、受講した学生たちが作成した講義ノートが多数残されているというが、それらと團藤の受講ノートを比較することによって、一方では中田の講義の変遷が判明し、他方で学生・團藤のまじめな勉強ぶり、受講ノートの完成度の高さを知ることができる。なかなかおもしろい論文だ。



以下は余談。



私は学生時代、まじめにノートを筆記したほうだが、その時のための走り書きのノートにすぎず、保存していない。法学部学生時代に受講した授業の記録はなく、記憶もどんどん薄れていくのは残念なことだ。

学生時代に受講した講義で感銘を受けたのは、第1に高島善哉の「社会科学」だ。大学1年の時だから1974年度の講義である。高島はマルクス主義系統の、アダム・スミス研究者、経済学・社会学者で、当時すでに一橋大学名誉教授だった。視力が弱りつつあった時期で、杖をついて歩き、パートナーや助手らしき人が付き添って教室に来ていたと思う。高島は、ノートも何も見ずに、記憶だけで立派な講義をしていた。平田清明の市民社会論が大きな論争を巻き起こした時期でもあったので、高島の授業を受けることができたのは幸運だった。

第2に佐藤功の「憲法」だ。これも1974年度である。日本国憲法制定に携わった佐藤は当時、上智大学教授だったが、非常勤講師として中央大学政治学科の「日本国憲法」を担当していた。佐藤の『日本国憲法概説』を手に受講した。佐藤は話しが非常に上手で、冗談が得意だった。教壇に立って、憲法制定過程のエピソードを身振り手振りを交えて、おもしろく語り、学生を笑わせた。どこまでが本当で、どこが脚色だったのか、学生にはわからなかった。

履修したのは、橋本公亘の「憲法」だが、あまりなじめなかった。橋本の『日本国憲法』は、アイヌ民族を「旧土人」とする北海道旧土人保護法を積極的に評価していたので、最初に拒否感を持ってしまったためだろう。後に橋本は「憲法変遷論」を唱えて、自衛隊合憲化に乗り出したことで社会的話題となった。

第3に山田卓生の「民法(債権法)」、1975年度の講義だ。大学2年生だったので、3年次指定の山田の講義を履修することはできなかったが、次年度に山田がサバティカルでドイツに行くと聞いたので、2年生の時に授業を聴講した。山田は帰国後、ほどなくして横浜国立大学に転じたので、75年度に無理して全授業を聴講したのは大正解だった。

第4に櫻木澄和の「刑法」、1976年度及び77年度の講義だ。私が履修したのは下村康正の「刑法」で、これも面白い授業であったが、たしか夜間部で櫻木が刑法を教えていたので、これもすべて聴講した。櫻木の「刑法総論」は、1年かけて犯罪論の「構成要件論」を終わらなかった。「1年では責任論にたどりつくのがやっとで、未遂論や共犯論にたどりつかない」というのはよくある話だが、櫻木は一番最初の「構成要件論」が終わらない。違法論も責任論も未遂論も共犯論も、7677年度にはやらなかったと記憶している。なにしろ「刑法総論」の講義で、櫻木はシステム工学、創造工学、人格理論の話をしていたし、マルクスの『経済学批判要綱』を取り上げることも良くあった。7879年度、私が修士課程の時には、なんとか違法論や責任論もやっていたが、たぶんどこかからクレームがついたためだろう。

櫻木論文に驚嘆し、「学問」を志すことになったことは、よく話してきた。大学院で指導教授に選んで以後のことは、前田朗『黙秘権と取調拒否権』(三一書房)第7章及びあとがきに書いた。

https://31shobo.com/2016/05/16008/




Thursday, April 30, 2020

戦後社会科学変遷の見取り図


森政稔『戦後「社会科学」の思想――丸山眞男から新保守主義まで』(NHKブックス)

https://www.nhk-book.co.jp/detail/000000912612020.html

Ⅰ部 「戦後」からの出発

 第一章 「戦後」の意味と現代性

 第二章 丸山眞男とその時代

 第三章 日本のマルクス主義と市民社会論

 第四章 ヨーロッパの「戦後」

 補論1 鶴見俊輔と転向研究

Ⅱ部 大衆社会

 第五章 大衆社会論の二つの顔

 補論2 大衆社会論期のいくつかの政治的概念について

Ⅲ部 ニューレフトの時代

 第六章 奇妙な「革命」

 第七章 知の刷新

Ⅳ部 新保守主義的・新自由主義的転回

 第八章 新保守主義の諸相

 第九章 新自由主義と統治性



東京大学大学院総合文化研究科教授による社会科学入門の授業を基にした概説書だ。丸山眞男、マルクス主義、市民社会論、大衆社会論、ニューレフト、新保守主義、新自由主義と変遷してきた流れをていねいに論じている。欧米の知の潮流との対比によって、わかりやすい見取り図になっている。次のように説明されているが、その通りの著作だ。

<「現代が必ず過去の時代より優れているわけではない」こと、「過去の議論の蓄積はたやすく忘却されてしまい、そのため無益な議論の繰り返しが起きがちである」ことなどを警告する。そして浅薄な「時代」理解を避け、「現代とは、過去を踏まえてどのような時代となっているのか」ということを正確に理解するために、戦後の「社会科学」が、各々の時代をどのように理解してきたのかを大局的な視点から概括して、戦後の一流の知識人たちの思考のあとをたどる。なお社会科学とは、経済学、政治学、法学、社会学などの社会を対象とする諸学問の総称だが、著者にとってそれは、「個別の社会領域を超えて時代のあり方を学問的に踏まえつつ社会にヴィジョンを与えるような知的営み」である。>

戦後日本の「社会科学」について、別の整理の仕方もあるだろうが、本書の整理の仕方はそれなりに納得できる。300頁の小さな本なので、ざっと流している部分も少なくないが、要所では突っ込んだ分析をしている。本書を読むことで、私自身がどのような座標系の中で思考してきたかを把握することもできる。その意味でも有益な本だ。初めて社会科学を学ぶ学生にも役に立つだろう。市民運動にかかわってきた市民にとっても、戦後日本論として有益だと思う。

特に現在の新保守主義と新自由主義についての論述が重要だ。古典的な保守主義や自由主義ではなく、現在の「新」なる主義の意味を、著者・森はポスト産業社会との関連で位置づけ、多様な新自由主義を4つに論点で整理している。そこでは「誰が」ではなく「いかに統治するか」というフーコー的問題設定がカギをなす。



戦後日本、戦後民主主義をいかに把握するかについて、私は著者・森とはずいぶんと違う理解をしている。平和憲法や戦後民主主義の初発の限界をどのように見るかの違いだ。端的に言えば、戦後思想における「植民地主義の無視」という論点だ。森自身には植民地主義への視線もあるのだが、戦後思想に対するときに、森は植民地主義の克服がおよそなされなかったことをあまり重視していない。輝ける戦後民主主義がどのように変遷・変質していったかという理解に近い。輝ける戦後民主主義の「闇」を主題にしない。

だが、それは本書の価値を損なうものではない。上述のように、本書はいろいろな読み方のできる、そして有益な本である。

Monday, April 27, 2020

星野智幸を読む(7)差別がないと成り立たない社会?


星野智幸『在日ヲロシヤ人の悲劇』(講談社、2005年)



新型コロナのため、スイスから帰国して2週間、外出自粛だったが、終了時期に政府の緊急事態宣言が出た。おかげで外出自粛が6週間目に突入した。運動不足がたたってぼけ老人状態だ。読書や原稿執筆はしていたものの、連日、暗いニュースを見てはため息をついてきた。

『在日ヲロシヤ人の悲劇』は、新しい「家族小説」と銘打っているが、タイトルから推測できるように、在日外国人が日本の政治や社会に直面して受ける「処遇」に苦悶する事態を前提としている。

「日本を生きるという空疎」という言葉が用いられるが、ヲロシヤ国、露連、アナメリカ、日本を行き来する家族の物語を、一方で外国人処遇、他方で親と子の関係において、描き出す。

イスラム過激派壊滅のため露連大統領がアナメリカに「テロ撲滅共同作戦」を呼びかける。厳しい独裁体制にあえぐ亡命ヲロシヤ人たちが人道支援を訴える。国際社会は非難の合唱。アナメリカは共同作戦を拒否するかと思いきや、派兵の挙に出る。在日アナメリカ軍が派遣され、日本国軍にも派兵を求めた。日本の主要メディアは即刻派兵を唱えた。

熱狂的な派兵ムードに抗して立ち上がり、在日ヲロシヤ人の保護を訴える「左翼」好美はNGO「ヲロシヤン・コネクション」の主催者として矢面に立たされながら、悪意ある攻撃と闘い、ハンガーストライキの果てに死んだ。

娘をなくした父親はヲロシヤン・コネクションの活動に加わり、日本という空疎な壁に突き当たる。父親や好美と離反して一人暮らしていた弟・純も事態に巻き込まれていく。

日本と日本人がもっとも生き生きとする時――それは他者を排除し、差別し、非難し、猛烈に講義する時だ。他者を非難しないと「日本」なるものは存在意義を失う。意識的であれ無意識的であれ、差別と排外主義によって己を保つ日本社会。差別しないとアイデンティティの危機に脅える日本人。執拗に攻撃していても、自分が攻撃されていると不安になる日本。悪罵を発散することで連帯を獲得する日本社会。善意も悪意も混ざり合って区別のつかない日本。

Sunday, April 26, 2020

語られる井上ひさし


今村忠純ほか『「井上ひさし」を読む』(集英社新書)

https://shinsho.shueisha.co.jp/kikan/1014-f/

井上ひさしファンにはたまらない魅力の本だ。

文学の小森陽一と歴史の成田龍一が、ゲストを招いて、井上ひさしについて語る。

豪華絢爛なゲストは、今村忠実純、島村輝、大江健三郎、辻井喬、永井愛、平田オリザだ。巻末には井上ひさしとノーマ・フィールドが参加した座談会も収録されている。

2010年4月9日、井上ひさしが亡くなった。毎年、4月10日前後に吉里吉里忌が開かれている(今年は新型コロナのため中止になった)。小森陽一と成田龍一は、井上ひさしの人と作品を日本文学史に位置づけるために、座談会形式で井上文学を語る機会を設定し、その記録を「すばる」に掲載してきた。それをまとめたのが本書である。



第一章 言葉に託された歴史感覚  今村忠純 島村輝

第二章 “夢三部作”から読みとく戦後の日本  大江健三郎

第三章 自伝的作品とその時代  辻井喬

第四章 評伝劇の可能性  永井愛

第五章 「日本語」で書くということ  平田オリザ

特別付録 座談会「二一世紀の多喜二さんへ」井上ひさし最後の座談会 井上ひさし ノーマ・フィールド



『「井上ひさし」を読む』は、言語論、小説論、自伝の評価、評伝劇の評価を順次取り上げて、戦後文学史における井上ひさしの位置を測定しようとする。どこから読んでも楽しいおすすめ本だ。

なお、昨年の吉里吉里忌のさいに井上ひさし研究会も発足し、私も会員にしてもらった。新型コロナのため、当面は研究会の活動がないのが残念だ。本来なら、『「井上ひさし」を読む』出版記念会を開いてほしいところだ。

私も井上ひさしファンで、ひょっこりひょうたん島以来、半世紀にわたって井上ひさしに笑わされてきた。文学研究者ではないが、『パロディのパロディ 井上ひさし再入門』(耕文社)という本を出した。

https://www.amazon.co.jp/%E3%83%91%E3%83%AD%E3%83%87%E3%82%A3%E3%81%AE%E3%83%91%E3%83%AD%E3%83%87%E3%82%A3-%E4%BA%95%E4%B8%8A%E3%81%B2%E3%81%95%E3%81%97%E5%86%8D%E5%85%A5%E9%96%80%E2%80%95%E9%9D%9E%E5%9B%BD%E6%B0%91%E3%81%8C%E3%82%84%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%8D%E3%81%9F-%E3%80%88Part3%E3%80%89-%E5%89%8D%E7%94%B0-%E6%9C%97/dp/4863770421

Monday, April 06, 2020

テロリスト・シンゾーの恐怖支配


新型コロナは世界中に「恐怖」をもたらしているが、日本は「恐怖」ではなく「恐怖支配」を進めている。

両者は同じように見えて、性質が異なる。「恐怖」対策を行わないことによって継続させた「恐怖」を利用した「恐怖支配」が続いているからだ。



欧州諸国のように、PCR検査を行って、どこに、どのような感染者がいるのかを明らかにすれば、「自分は感染している、感染していない」がわかる。感染している人は他人に感染させないように気を付けることができる。感染者のいる地域を徹底的に囲い込み、対処しなければならない。感染者のいる家、空間、都市は「汚染地域」であるから、人の出入りを制限しなければならない。防疫の初歩知識があればだれにでもわかることだ。



ところが、日本政府は初歩的対策を否定した。なんと、検査しない、検査させない、汚染地域を特定しないという方針を決めてしまった。「病院に来るな」「PCR検査はできない」と大キャンペーンを張った。これによって、誰が感染しているかわからない状態をつくり出した。



すべての市民が、「自分が感染しているかもしれない」、「人と会うと感染するかもしれない」、「感染させるかもしれない」、「目の前にいる人が感染しているかどうかがわからない」、という状態が延々と続いている。



厚労省は、「濃厚接触者」という奇妙な言葉を流行語にした。感染予防をするつもりのないことが明瞭である。人から人への感染だけに目を向けるように仕組んでいる。しかし、物から人へも感染するから、「接触機会」を徹底的に減らす必要がある。「汚染地域」の立ち入り制限と、迅速な消毒が必要不可欠である。



厚労省は「クラスター」というヨコ文字を流行語にした。AからBに感染し、その周囲の人々に感染するという。ここでも人から人の話ばかりだ。



例外は、クルーズ船だった。船そのものを隔離したのは正しい。ただ、内部の分画をきちんとしなかった。船客すべてを感染させても、外に出なければ構わないという方針だ。



日本政府の基本方針は「集団免疫」の思考である。イギリスが当初とったのが、60%が感染すれば、みんなに抗体ができて、自然に収まり解決するという集団免疫の考えだった。結果的に集団免疫が実現することはあるかもしれない。しかし、政府が集団免疫を方針として採用してはならない。多数の死者をやむを得ないと切り捨てる悪魔の政策だからだ。



国会審議で、安倍首相は「集団免疫の考えはとっていない」と明言した。しかし、日本政府の方針が集団免疫の考えとどう異なるかの説明はできなかった。



厚労省や東京都が毎日、「感染者数」を発表し、マスコミはそれを報じているが、真っ赤な嘘である。厚労省や東京都は感染者数を把握していない。検査しないのに把握できるはずがない。厚労省や東京都が発表しているのは、発症者数と死亡者数である。



重要なのは、検査数、感染者数、感染経路、汚染地域の迅速な特定であり、そこに対する集中的な対処である。その一部だけしか調べていない厚労省の方針では絶対に対策になりえない。



成田空港では、3月下旬まで海外からの帰国者を無検査で入国させていた。検疫に出頭した人間に検査すらしなかった。欧州からもアメリカからも帰国者は無検査で入国していた。

https://list.jca.apc.org/public/cml/2020-March/058273.html

https://list.jca.apc.org/public/cml/2020-March/058283.html

この情報を知り合いの新聞記者たちに知らせたが、まったく反応がない。記者たちはみんな承知の上だ、ということなのか。成田空港の検疫の実態は一目見ればわかるが、厚労省は嘘で固めて、NHKも朝日新聞も嘘を横流ししていた。



成田空港では4月初頭まで、帰国者を一か所に集めて、感染しやすい状態で検査していた。欧州では、空港の椅子は並んで座ることができないようにしていた。3月20日のジュネーヴ空港やコペンハーゲン空港は、椅子は並んで座れないように、ロープを張っていた。成田空港は大勢を一か所に集めていた。感染しないで帰国した人間も成田空港で感染させられる。



横田基地では、米軍関係者が無検査のまま入国している。外務省は、止める気はない。これで感染予防ができるはずもない。



欧州では、どこに感染者がいるかを確認するために徹底検査している。だから感染者数が飛躍的に増えている。日本は検査させない、検査しない基本方針を貫いている。だから、どこに感染者がいるかわからない。隣にいるかもしれない。つねに恐れながら行動しなければならない。つまり、だれもがすべての他者を疑いながら行動しなければならない。



市民に対して、すべての人間を疑え、相手は感染者ではないか、他人に近寄るな、という「訓練」が毎日実施されている。そうして緊急事態宣言である。



安倍政権が意図したわけではないだろうが、新型コロナによる「恐怖」に加えて、日本政府による「恐怖支配」が進行していると考えるべきだ。



下記の児玉龍彦の発言は私の意見を裏付けている。

新型コロナ重大局面 東京はニューヨークになるか 20200403 WeN

https://www.youtube.com/watch?v=r-3QyWfSsCQ



特に重要なのは、(1)検査数と感染者数の比較(日本は検査しないので比較できない)、(2)人口比での感染者数(中国は非常に少ない、アメリカは多い)、という点だろう。



無自覚なまま「恐怖支配」に耐えることをやめよう。

Monday, March 16, 2020

マルチェロを探して(3)


フリブールにはマルチェロMarcelloの名前を冠した通りがあるというので、探した。

フリブール美術歴史博物館で尋ねてみたが、知らないという。フリブール駅の国鉄窓口で聞いたが、知らないということで、他の職員に聞いてもらったところ、「マルチェロ通りRue Maecelloがあるはずだが、どこかな、場所は知らない」という返事だった。

駅近くのロモン通りの書店で、大きなフリブール地図を買った。索引を見ると、たしかにRue Maecelloが載っている。ところが、地図の中には記載されていない。大きな通りには名前が示されているが、小さな通りには記されていない。困った。地図表示上の「K5」の区分なので、この地区を順に歩くことにした。幸い、K5は、フリブールの中心部で、駅、大学、大広場、フニクリ斜面鉄道、カントン新庁舎群、旧市街のローザンヌ通りとアルプ通りが入る。全部歩けば見つかるだろう。

主要な通りを一通り歩き、両サイドの通りを確認したが、見つからない。K5からはみ出るが、ついでに旧市街の一番谷底の部分も全部歩くことにして、坂道を下った。観光客が一番歩くコースだが、観光客もあまりいない。新型コロナのせいだろう。一番下の広場に出て、昼食。ベルン橋、猫の党、ミリュー橋を渡り、マリオネット博物館があるが、今回はパス。そして、サンジャン橋を渡る。

しかし、旧市街は16世紀にはできていたから、ここの通りにマルチェロの名前はついていないよな、と気づく。気づくのが遅い。もっと新しい地区の通りについているはずだ。

フリ美術館Fri-Art Museumに行ってみた。サリーヌ河の低いところの堤上にある現代アートの美術館だ。2つの展示だった。1つは、KettyRoccaという映像アーティストの作品。暗い画面の中に、白い手のひらだけが映っている。手を開いたり握ったり。こすったり、曲げたり。無音で、その映像が10分くらい。もう1つは、複数の男性作家の映像作品。モニターを10個並べているが、全部向きが違うので、一度に3つくらいしか見えない。妙に宗教じみた、男性のしゃべりと、カタストロフィの映像。出るときに、念のため受付でマルチェロ通りを聞いてみたら、当たった。そこに住んでいるという女性がいた。私が通った幼稚園の前の通りよ。

カントン新庁舎群の向かい側だ。ピトン広場からカントン新庁舎に向けて高台まで坂を上り、ジャン・グリモー通りを抜けると、その先に彼女が昔、通った幼稚園がある。ここだ。

マルチェロ通りは、鉄道添いの北通りと新庁舎を結ぶ通りで、住宅地の間だ。そのはずれに幼稚園があって、そこまでの通りだ。長さは100メートルあるかどうか。車2台がすれ違うのがやっとの通りだ。片側はちょっとしゃれた窓のマンション建築。反対側は事務所ビルだ。幼稚園の壁には楽しい絵が描いてある。子ども達が遊んでいる。4カ所に、彫刻家のマルチェロ通りというプレートがあった。

あまり苦労せずに見つかって良かった。といっても、3時間、坂を上ったり、降りたり、結構疲れた。

「新にっぽん診断」平和力フォーラム2020企画

新型コロナの影響のため、本企画は、秋以後に延期します。



平和力フォーラム2020企画「新にっぽん診断」



1回 5月9日(土)午後2時30分~5時30分(開場2時)
       *当初、曜日を間違えて日曜日と記載していましたが、
        正しくは土曜日です。失礼いたしました。

企業栄えて人間滅ぶ――虚妄の「働き方改革」がつくる社会

竹信三恵子(ジャーナリスト、和光大学名誉教授)



 今年は東京オリンピックを頂点に、さらなる上からのナショナリズムによる国民動員が進められる一方、弱者切り捨て、文化破壊の「国家改造」が進行していくことでしょう。(*新型コロナの影響がどこまで及ぶか不分明ですが)

 こうした状況を前に、私たちは何を考え、どのように行動するべきなのでしょうか。平和力フォーラムでは「新にっぽん診断」と題して、各分野における日本の問題を問い直すインタヴュー講座を開催します。

 1964年、1冊の書物、『にっぽん診断』(三一書房)が世に送り出されました。東京オリンピックに沸き立つ日本社会に警鐘を鳴らす日高六郎ら知識人たちの精神の闘いの書です。

 日髙六郎ら知識人の境地にはるかに遠く及ばない私たちですが、各分野における「日本問題」を根底から問い直す公開インタヴュー講座をシリーズで開催します。日本のいまを検証し、人間解放の理論と実践を提起し続けたいと思います。



1回 5月9日(日)午後2時30分~5時30分(開場2時)

企業栄えて人間滅ぶ――虚妄の「働き方改革」がつくる社会

竹信三恵子(ジャーナリスト、和光大学名誉教授)

<プロフィル>

竹信三恵子:ジャーナリスト、和光大学名誉教授。主著に『ルポ雇⽤劣化不況』(岩波新書)『⼥性を活⽤する国、しない国』(岩波ブックレット)『ルポ賃⾦差別』(ちくま新書)『家事労働ハラスメント』(岩波新書)『正社員消滅』(朝⽇新書)『企業ファースト化する⽇本――虚妄の「働き⽅改⾰」を問う』(岩波書店)など多数。

<インタヴュアー>

前田朗:東京造形大学教授。スペース・オルタにおけるインタヴュー記録として、鵜飼哲・岡野八代・田中利幸・前田朗『思想の廃墟から』(彩流社)、高橋哲哉・前田朗『思想はいま何を語るべきか』(三一書房)、佐藤嘉幸・田口卓臣・前田朗・村田弘『「脱原発の哲学」は語る』(読書人・電子書籍)、前田朗・黒澤知弘・小出裕章・崎山比早子・村田弘・佐藤嘉幸『福島原発集団訴訟の判決を巡って』(読書人)。



会場:SPACE ALTA

横浜市港北区新横浜2-8-4オルタナティブ生活館

Tel&Fax 045-472-6349

E-mail予約:spacealta1985@gmail.com



各回参加費:当日1,200円、前売り・予約1,000円、4回通し券3,500円)



主催:平和力フォーラム(maeda@zokei.ac.jp

協賛:三一書房、市民セクター政策機構、スペース・オルタ



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今後の予定



第2回 6月7日(日)午後2時30分~5時30分(開場2時)

尊厳ある解決を求めて――日本軍性奴隷制問題に見る歴史歪曲

渡辺美奈(wam館長)



3回 6月14日(日)午後2時30分~5時30分(開場2時)

原発があらゆる絆を断ち切る――被災者、刑事裁判、廃炉問題

海渡雄一(弁護士)



第4回 7月5日(日)午後1時30分~4時30分(開場1時)

「属国」づくりの改憲を許さない――日米安保、自衛隊、軍事研究

清末愛砂(室蘭工業大学大学院准教授)

Sunday, March 15, 2020

星野智幸を読む(6)時代の変調をいかに読み取るか


星野智幸『ファンタジスタ』(集英社、2003年)

表題作「ファンタジスタ」は雑誌で読んだが、サッカー(フットボール)が日本を支配している設定に違和感があったためか、読み流した感じだった。

サッカーが野球その他をはるかに凌駕して、日本のスポーツの中心になり、ついには元サッカー選手であった政治家が首相選に出る。首相は公選制(直接選挙)になっている。最初の首相選で有力候補となったのがスター選手だった長田だ。熱狂的な人気を集め、有力候補である。

登場人物達は、選挙で投票するかいなか、誰に投票するかをしきりに話題にする。サッカーをしながら、選挙の話に明け暮れる。そうしたサッカーファン達の前に、突如、長田が颯爽と登場し、試合に出た上、その映像がニュースで流れて、これも選挙運動。

長田とは何者なのか。政策は何なのか。この国をどうしようとしているのか。わかりそうで、わからないまま、ついに選挙当日となり、スタジアムの応援の雰囲気のまま、長田が勝利する。そして「開国宣言」だ。なぜなら、戦後日本は借り物だったから、自主憲法制定が必要であり、そのために昭和天皇の戦争責任に遡ってけりをつけなくてはならないという。「日本を戦いの場として差し出す」という宣言。「ねじれた民主主義が育てた空洞」を意識しつつ、長田政治が始まる。

冒頭の短編「砂の惑星」は、埼玉の新米新聞記者の取材を通じて、現代日本のひび割れ状態を浮き彫りにする。小学校における食中毒は集団無差別殺人事件か、という冒頭の謎から、話はホームレス問題や、埼玉の林や山林の所有権問題など、よくわからないまま拡散していく。ところが、最後に、思いがけない形で話がつながる。

その中心に据えられたのが、かつてのドミニカ移民問題だ。豊かな土地での農業生活を約束され、だまされて、ドミニカの荒れ地に捨てられた日本人達。その困窮と恨み。その主人公が、林の中で演じる一人芝居を、新聞記者が追跡する。

「棄民が世は千代に八千代に細石の巌となりて苔のむすまで」。

マルチェロを探して(2)


今日は天才女性彫刻家マルチェロMarcelloが生まれた家を探した。

マルチェロの本名はアデレ・ダフリーAdele d’Affry, Duchess de Castiglione Colonna。ダフリー家はフリブールの名門一族だ。アデレ(母親はアダという愛称で呼んだようだ)は、フリブール市大通り58番地の自宅で生まれた。

その前にまずルイ・ダフリー通りを見に行った。フリブール駅の西側を走る幹線道路がルイ・ダフリー通りRue Louis- d’Affryなので、行くとすぐにわかった。フリブール駅から地下のバスターミナルに出て、エレベータでスーパーのミグロとCOOPに上がり、外に出ると、ルイ・ダフリー通りだ。

ルイ・ダフリーLouis-Auguste-Augustine- d’Affryの息子がCount Louis Auguste-Philipe d’Affry(1743~1810年)なので、どちらのルイだろうかと思ったが、息子の方だった。息子は、スイス政府代表としてナポレオンと外交交渉し、欧州制覇をめざすナポレオンの軍事攻撃を外交でかわし、スイスの独立と中立を守った。ルイ・ダフリーの肖像画が残されている。画家は地元フリブールのジョセフ・デ・ランデルセだが、中心にルイが正装して直立。ナポレオンと交渉した60歳頃。机の上に置かれているのが、フランス・スイス間の条約だ。これでスイスが守られた。画面の左上に小さな人物画があるが、これが34歳のナポレオンだ。

このルイが、フリブール市大通り58番地に家を持っていた。ダフリー家は、もともとはフリブール郊外のジビジエに邸宅を持っていたが、両方に暮らすようになり、孫娘のマルチェロは58番地で生まれ、ジビジエで育ったようだ。妹のセシル・ダフリーも同じようだ。セシルは、外交官と結婚して、平穏な人生を送ったとされている。

さて、58番地だ。フリブール駅からサンピエール通り、元は城壁があったあたりを抜けると旧市街に入る。アルプ通りを、ずっと右下を流れるサリーヌ河を見下ろし、前方のカテドラルを見ながら歩いて、カントン旧庁舎の前を抜けると、大通りGrand-Rueだ。車2台がすれ違うのもやっとの通りだが、城壁時代のメインストリートだったのだろう。58番地は歩いてすぐだった。

当時とは番地表示が変わっているかもしれないと思いつつ、行ってみると、玄関脇にプレートがはめ込まれていて、ここがダフリー家であったと説明がついていた。現在はミシン、アイロン、掃除機など家庭用機器のミニ博物館になっている。

http://museewassmer.com/

上記サイトのトップの写真、左側の5階建ての家の玄関の右側に、小さくてよくわからないかもしれないが、1階の窓と窓の間に、ダフリー家の紋章と説明板がはめ込まれている。



Noir Divin Satigny Geneve 2018.

Saturday, March 14, 2020

マルチェロを探して(1)


フリブール駅は、もともとのフリブールの町の外に後でつくられた。15~16世紀のフリブールは、城壁に囲まれていたが、いまは城壁の跡形もない。フリブール駅周辺は近代的なビルがならぶが、駅前通を歩き、ロモン通りを抜けると建物ががらりと変わる。昔の町並みで、城壁があったところから坂道を下ることになる。

というのも、フリブールは、サリーヌ河が地面を掘り下げていった谷に向かって下る斜面の上につくられた町だ。かつての町並み、旧市街は坂道だらけだ。ローザンヌ通りの商店街を過ぎると、小さな広場に出る。目の前が州庁舎だが、玄関前は工事中だった。左手に回ってモラ通りに出ると、ジャン・ティングリとニキ・ド・サンファルジョ記念館だが、今回は素通りする。裏のグーテンベルク博物館も素通りだ。

1分とかからずにフリブール美術歴史博物館に出る。新型コロナの影響か、町中も人影が少なかったが、美術館も閑散としていた。受付で、早速確認した。マルセロか、マルチェッロかを。

天才女性彫刻家マルセロMarcelloだ。マルセロの本名はアデレ・ダフリーAdele d’Affry, Duchess de Castiglione Colonna。フリブールで生まれ、ローマで彫刻を学んだが、結婚して主婦業になるはずが、新婚まもなく夫が病死したため、彫刻家を目指した。パリに出て、美術界で活躍する。当時のアカデミーやサロンは男しか入会できず、作品を出品できなかったので、男の名前マルセロで作品を出して、サロンで展示され、入賞もしていた。すぐに実は女性とわかったが、批評家から高く評価されたので、閉め出されなかった。

これまでマルセロと表記してきたが、イタリア語の名前なのでマルチェッロの方が正しいかもしれない。受付で質問したところ、マルセロで良いと思うとのことだった。もっとも、受付係の言葉が正しいとは限らない。

フリブールは、フランス語圏とドイツ語圏の境にある町で、サリーヌ川の東はドイツ語圏、西はフランス語圏で、多くの市民がバイリンガルだ。フリブールというのはフランス名で、ドイツ語ではフライブルクだ。モラはムルテン、ビエンヌはビールというように、スイスには両方の言葉が使われる町がいくつもあるが、フリブールはその代表だ。イタリア語の町ではないので、マルセロと発音しただけかもしれない。

と思ったところ、マルセロの解説映像を見ることができた。育った家や、彫刻や絵画の作品などを写し、専門家が解説する映像で、フランス語なのでよくわからないが、ずっと見ていたところ、フリブール大学の美術史教授や、音楽教授達が、解説をしていた。みな、マルチェロと発音していた。マルセロでもマルチェッロでもなく、マルチェロだ。

パリで実際にどう呼ばれていたのか、当時の発音はわからないが、今後はマルチェロと表記することにした。

美術館は旧館と新館の2つから成る。旧館は歴史博物館だ。12~15世紀の地元の絵画と彫刻が多数ある。多くが宗教画・彫刻で、聖母マリアや、キリスト、聖人たちを描いている。15~17世紀のステンドグラスも美しい。啓蒙時代頃の衣類、家具、食器、宝飾品なども展示されている。その中にマルチェロの彫刻と絵画も1点ずつ展示されていた。

新館は美術館で、近代絵画もホドラーやピカソが数点あるほか、地元の画家の作品をそろえている。
新館の中に、マルチェロのコーナーができている。昔、来たときはなかったが、2013年に来たときにはコーナーがつくられていた。その後繰り返し来ていたが、今回あらためて見てきた。代表作の<ピティア>は何度見ても素晴らしい。といっても、フリブールにあるのはレプリカだ。本物はパリのガルニエにあって、以前、ジュネーヴで展示された時に見た。

他に大理石の胸像が10点ほど並んでいたのが、圧巻だ。マルチェロはローマで彫刻家ハインリヒ・マックス・イムホフに彫刻を教わったが、作風は似ていないという。マルチェロは、一貫してミケランジェロを尊敬し、学び、模倣した新古典主義の作風だ。大理石の胸像はその典型である。他方、テラコッタの<ロッシーナ>は前回はなかったような気がする。



1836年、アデレ・ダフリーAdele d’Affryフリブールで生まれ、郊外のジビジエで育つ。スイス衛兵の軍人一族。歴代の軍人、外交官を輩出した一族で、祖父はナポレオンと外交交渉をした人物だった。だが、父親は絵画もたしなんだ。15歳まで家庭で教育。

1855年、ナポリの宮廷でカルロ・コロナCarlo Colonna, Duke of Castiglione Alitibrantiと出会う。

1856年4月、Carlo Colonnaと結婚し、Duchess de Castiglione Colonnaとなるが、同年12月、Carlo Colonnaが病死。

1857年、21歳でいったん故郷のジビジエに戻るが、彫刻に専念することに決めてローマに戻り、イムホフに学ぶ。この時期<自画像>と<カルロ・コロナ像>を制作。

1858年、ニースとパリにでて、夏にはフリブールに。

1859年、パリに出る。ドラクロワEugene Delacrixの従兄弟であるレオン・リースナーLeon Riesenerのアパートを借りる。ベルテ・モリゾBerthe Morisotらとの交友始まる。パリ社交界で著名人。

1861年、彫刻家として立つために、帝国美術学校入りを希望するが、男性限定という理由から拒否される。ブロンズの<美しいヘレン>が評判になり出世作。

1863年頃、男性名Marcelloを名乗ることにする。由来は、イタリアの作曲家Benedetto Marcello(1686~1739年)。


Friday, March 13, 2020

国連人権理事会43会期中止に


国連人権理事会が予定会期一週間を残して、中止になりました。新型コロナの影響です。



開会直後に、サイドイベント中止の連絡が来ました。それでも本会議は開かれていました。私は3月3日にジュネーヴに来て、4日から参加していました。いたりが酷い状況になり、フランスやスイスでも発症していたため、徐々に厳しくなってきました。



今週は、ついに会場変更となり、一番大きな会場に、政府代表も4名ではなく2名にしぼり、NGOメンバーは発言予定でないと会場には入れないという状態。並んで座らず、1列おきに座ることに。



それでもなんとか進行してきましたが、一昨日、WTO事務局長がパンデミック発言をしたのが大きいようです。WHOのお膝元のジュネーヴ、国連会議から発症が増えたらしゃれになりませんし。というわけで、13日を持って人権理事会43会期は終了です。



ですから私の発言もありません。今回は4つの発言を準備していたのですが、「慰安婦」問題ひとつだけで、ヘイト・スピーチ、琉球・辺野古、フクシマ避難者についての発言は残念ながらできませんでした。



あるNGOメンバーは、「このためにカンパ集めてジュネーヴに来たのに、どうして」と国連事務局スタッフに詰め寄っていました。一度も発言できずに、帰らなくてはならないので。でも事務局スタッフも応答しようがありません。



長年来ていますが、初めての事態に私も困惑しているところです。といいつつ、週末は天才女性彫刻家マルセロの調査のためフリブールへ行ってきます。

https://maeda-akira.blogspot.com/2017/03/blog-post_16.html




Thursday, March 12, 2020

ヘイト・スピーチ研究文献(151)反ヘイト文学批評の最前線


岡和田晃『反ヘイト・反新自由主義の批評精神――いま読まれるべき〈文学〉とは何か』(寿郎社、2018年)

寿郎社

https://www.ju-rousha.com/

サブタイトルに「いま読まれるべき〈文学〉とは何か」とある。現代日本文学におけるヘイトとの闘い、植民地主義との闘いの先頭に立つ文芸批評だ。

見たことのある名前だと思ったら、『アイヌ民族否定論に抗する』(河出書房新社)の編者であり、さらには『北の想像力――《北海道文学》と《北海道SF》をめぐる思索の旅』の編者でもある。前者は読んだが、後者は読んでいない。

著者は文芸評論家だが、同時にゲームデザイナーでもある。文芸批評にも大きな特徴があり、一つは「北海道」にこだわり、アイヌ民族に対する差別の歴史を徹底して問い直している。もう一つは、タイトルの通り、反ヘイト・反新自由主義である。

「政治と文学」をめぐる「論争」は長いこと続いてきたが、とりわけ近年は、「政治と文学」の切り離し傾向が強い。「虚飾とシニシズムが積み重なり、現実は閉塞に満ちている」。

岡和田は、文芸批評の現在を、第1に歴史の改竄と陰謀論を柱とする「極右(ネトウヨ)」批評、第2に現実を政治的文脈から逸らす「オタク」批評、第3に「魂」、死者、安直な癒しに向井「スピリチュアリズム」批評である。情けない現実をいかに受け止め、いかに変革していくのか。ポストコロニアリズムの視点を踏まえて、文芸批評の復権をめざす。

 ネオリベラリズムに抗する批評精神

 ネオリベラリズムを超克する思弁的文学

 北方文学の探究、アイヌ民族否定論との戦い

 沖縄、そして世界の再地図化へ

以上の4部構成で、長短とりまぜて40本以上の論説を収める。総頁400を超える力作だ。

取り上げられる作家、作品は、大江健三郎、はだしのゲンの中沢啓治、大西巨人、高橋和巳、神山睦美、山城むつみ、青木淳悟、藤野可織、、笙野頼子、小熊秀雄、向井豊昭、木村友祐、津島佑子、石純姫、宮内勝典など、有名無名を含めて、幅広い。特に北海道文学、アイヌ文学への視線が目立つ。著者自身、1981年、富良野生まれだという。

ただし、北海道文学に詳しいと言っても、地域文学の閉じこもる話ではない。逆に、北海道文学から日本文学という名の東京文学を撃つ。北海道文学を掘り下げていけば、世界文学への視野が開けるし、宇宙論的視座を獲得できる。そうでなければわざわざ北海道文学と称する理由がなくなる。

こうした方法論を支えるのが、ポストコロニアリズムであり、反植民地主義であり、反ヘイトである。この姿勢は一貫している。

こういう文芸評論家が活躍していたことを十分認識していなかったのは、うかつだった。『北の想像力』出版時に話題になったし、書評を読んだ記憶があるが、きちんと受け止めていなかったのだろう。今後、注目すべき、期待できる評論家である。



林美子という詩人の『タエ・恩寵の道行』という詩集があり、岡和田は何度も林に言及している。まさに、いま読まれるべき文学の代表のようだ。恥ずかしながら、まったく知らなかった。文学を専門としない私が知らなかったのはやむを得ないが、驚いたのは次の一節だ。

「そこから本詩集の表題にある『タエ』を見返せば、自意識を無機物へと換える『砂』に仮託して、極小と極大が同一する空間を描き続けた画家・松尾多英の連作を指しながら、一方で、絶える言葉、耐える身体、逆説的に生まれた妙なる浄化の宙音をも意味するとわかる。」

 なんと画家・松尾多英だ。ついこの前まで、私の同僚だった。

 松尾多英への私のインタヴューを下記の本に収録した。

前田朗編『美術家・デザイナーになるまで――いま語られる青春の造形』(彩流社)

http://www.sairyusha.co.jp/bd/isbn978-4-7791-2634-5.html

砂を描く日本画家― 松尾多英ホームページ

http://www.matsuotae.com/

Sunday, March 08, 2020

アベノミクスは社会主義だという奇手


鯨岡仁『安部晋三と社会主義』(朝日新書)

元日経、後に朝日新聞の安部首相番記者による安倍晋三論。

<満州国を主導した岸信介を継ぐ「統制経済」の思想水脈と、恐るべき結末>との惹句にあるように、1940年の統制経済、岸信介、その後の「日本は社会主義」論、そしてアベノミクスまで、「社会主義」という特質が貫かれていると見る。

日銀の株爆買い、出口なき金融緩和、経産省の市場への介入、安倍首相による財界への賃上げ要請など、いずれも社会主義的であるという。

話の接ぎ穂は、岸信介と社会主義者・三輪壮寿の友人関係であり、近衛新体制であり、岸による国民皆保険・皆年金であり、「公益資本主義」論であり、アベノミクスの「変節」である。

「左派の政策? いいじゃないか」という安倍発言も証左となる。「瑞穂の国の資本主義」とは実は社会主義であった。

なかなかおもしろい本だ。

もっとも、社会主義の定義がなされていない。統制経済、計画経済を言うのか。何らかの国家介入があれば社会主義なのか。おまけに国家社会主義には言及がない。この論法なら「全ての資本主義は社会主義である」と言える。

1940年の統制経済、岸信介、そして「護送船団」方式も含めて戦後日本型経済を社会主義と見なしているかと思えば、戦後は資本主義だったが、アベノミクスは社会主義、と言っているようにも読める。叙述がやや混乱しているのも定義がないためだ。

1940年体制にしても戦後高度経済成長にしても、日本型システムのメリットだけが語られる。植民地支配や占領には特段の言及がない。戦後の朝鮮特需やベトナム特需にも言及がない。日本型システムの優秀性だけが取り上げられる。つまり、周辺諸民族を踏みつけにして、略奪し、荒稼ぎして、日本経済を成長させた歴史に疑問を感じてはならない。「一国資本主義=社会主義」論が徹底している。

末尾に文献が多数列挙されているが、青木理『安倍三代』がない。朝日文庫なのに。

Friday, March 06, 2020

鵜飼哲はどこから到来したか


鵜飼哲『テロルはどこから到来したか――その政治的主体と思想』(インパクト出版会)

http://impact-shuppankai.com/products/detail/292

<支配的な政治構造からラディカルに断絶するためにかつても今も、私たちは「テロルの時代」に生きている。世界が、時代が、多くの変化にもかかわらず、相変わらず同じ問いの前に立たされている。反戦の論理はどの方向に研ぎ澄まされるべきか?  私たちは、みずからの置かれてきた歴史的状況をいかに思考しうるか?

フランス、アルジェリア、パレスチナ、南アフリカ、スペイン、アラブ世界、そして日本――「遭遇」と考察の軌跡。>



『抵抗への招待』から23年、『応答する力――来たるべき言葉たちへ』から17年、『主権のかなたで』から12年、そして『ジャッキー・デリダの墓』から6年。

ジャン・ジュネの研究者にして、ジャック・デリダの翻訳者。ナショナリズムとレイシズムの厳しい批判者として、天皇制との思想的闘いの先陣を切ってきた鵜飼哲。反東京オリンピックの理論と運動の仕掛け人でもある鵜飼哲。

現代思想の最前線を疾駆しながら、つねに立ち止まり、反芻し、言葉を紡ぎ直し、問い返し、だがつねに光速の鮮烈な思考を掲げ続けてきた鵜飼哲。

本書ではテロ、テロル、テロリズムという言葉の彼方にある歴史と思想の激突を、幾本もの補助線を引きながら、分画し、併合し、裏返し、重ね合わせ、時に溶解しながら、詰めていく。その手つきは、他の誰にも真似の出来ない鵜飼流だ。鵜飼が引く補助線は簡明でありながら独特だ。意外な場所に細く小さな補助線を挟むかと思えば、長く太い、太すぎる補助線を強引に割り込ませる。鵜飼が引く補助線は直線とは限らない。緩やかにうねり、迂回して元に返る。補助線の上にそれを否定するかのような補助線が引き直されたと思うと、消失したはずの補助線が図面を支配する。そんな比喩しか出来ないが、ここに私たちが鵜飼の文章を30年も読み続けてきた深奥の秘密がある。えっ、秘密ではないって? それはそうだ。



本書の各所で、鵜飼は、「世代論的」と言われることも覚悟の上で、同時代に向き合ってきた自分の年代・経験に言及している。フランス文学・思想研究が本来なので、いつ、どのような時代にパリに滞在したかは、決して偶然的なこととしてではなく、鵜飼の思想形成につねに影響を与えていることが、明確に自覚されている。また、パレスチナと南アフリカを「類比」しながら語る際に、南アフリカの最初のイメージは出張した父親からの絵はがきであり、1965年頃、小学生時代のことだという。鉱物資源、金やダイヤモンドの、そして同時にアパルトヘイトの南アフリカ。学生時代にシャープビルの虐殺を知り、アパルトヘイトへの認識を深めていく。

1955年生まれの鵜飼にとって、どの出来事にどのように遭遇したかは、思索を積み重ねるために常に意識されていなければならない。先行世代は、いわゆる全共闘世代であり、圧倒的にこの国の青年達の思想に影響を与えてきた。いや、引きずり回してきたといった方が良い。そのことも踏まえて、鵜飼の問いは複雑化していく。複雑化した問いを、一つひとつていねいに解きほぐしながら、世代論を意識しながら、世代論に回収されない思想をデザインする必要がある。これが鵜飼の思考であり、生き方である。

1955年生まれで、鵜飼と同じ世代論的経験をしてきた私にとって、「ああ、やっぱり」とか「そうだったのか」という言葉を何度も繰り返しながら、鵜飼の著書を読むことは、ある種の愉しみである。世代が一緒だからと言って、同じ風景を見てきたわけではない。鵜飼に見えたものが私には見えなかったことも少なくない。それでも、かなりの程度、「ああ、やっぱり」なのだ。



フランス、アルジェリア、イスラエル、パレスチナ、南アフリカといったテーマとともに、死刑も鵜飼の重要テーマの一つであり、本書でも「政治犯の処刑」というテーゼが打ち出される。本書奥付の次の頁に、私の『500冊の死刑――死刑廃止再入門』の広告がのっているが、同書での私の言葉で言えば、「非国民の死刑」となる。同書は500冊の本の紹介のため、詳細を説き起こしているわけではないが、「死刑」は「国民と非国民を分かつ制度」であり、「生きるに値する者と生きるに値しない者を分かつ制度」である。鵜飼は「政治犯の処刑」を視野に入れつつ、天皇制ファシズムの日本で死刑が多用されなかったのは、「転向」「思想犯保護観察」のゆえであったことに気づいている。転向を迫るファシズムの風土はいまなお健在なのだから。



本書には1980年代後半に書かれた文章も収められている。当時から現在まで、フランスで、あるいは世界的に、テロルは目の前の現実であり、思想の課題であり、運動のバネであった。このことが見えていたのは、鵜飼と、ごく僅かの思想家だけだろう。「生きてやつらにやりかえせ」という2016年の講演は、テロルに立ち向かい、テロルを飲み込み、テロルをわがものとし、テロルをつぶさに分析する鵜飼の革命的離れ業を鮮やかに見せてくれる。



宙空を彷徨う思想ではなく、足下の運動論的課題を引き受けた思想の可能性を信じる読者にとって、もっとも学ぶべき参照軸を提供してくれる鵜飼の最新刊である。

と思ったら、なんと続編が予告されている。『まつろわぬ者たちの祭り――日本型祝賀資本主義批判』は3月刊だという。

「慰安婦」問題を国連人権理事会に報告


3月6日、ジュネーヴの国連欧州本部で開催中の国連人権理事会第43会期において、NGOの国際人権活動日本委員会(JWCHR、前田朗)は、議題3(市民的政治的経済的社会的文化的権利)のセッションで次のように発言した。



 <「慰安婦」問題、第二次大戦時における日本軍性奴隷制の最近の状況を報告したい。

3月2日、大邱市(韓国)で元慰安婦、92歳の韓国女性が亡くなった。被害=生存者240人の内222人が謝罪も補償もないまま死んだ。現在生存者は18人に過ぎない。

 2月24日、カン・キュンファ韓国外相は、北京宣言から25周年であるが、女性に対する暴力及び戦争の武器としての性暴力を根絶するためにまだまだ多くの仕事が必要だと述べた。彼女は、政府は尊厳と名誉の回復を求めている「慰安婦」被害生存者の努力を支援していると述べた。彼女の発言を歓迎する。

 私たちは1992年以来、国連人権機関で日本軍性奴隷制問題の解決を要請してきた。

 日本軍性奴隷制は韓国と日本の2国間問題ではない。1945年の日本敗戦まで、アジア太平洋全域で行われた。被害者は韓国人だけでなく、中国人、台湾人、マレーシア人、インドネシア人、東ティモール人、パプアニューギニア人、オランダ女性であった。国際法の下で、日本には全ての生存者に救済を提供する責任があり、被害者には賠償を受ける権利が或る。

 私たちは国連人権理事会が日本軍性奴隷制の歴史の事実を調査するよう繰り返し要請している。>



私自身は19948月の国連人権委員会差別防止少数者保護小委員会に参加して発言して以来、四半世紀にわたって国連人権委員会、その後の人権理事会に参加してきた。今回で86回目の発言になる。なかでも「慰安婦」問題と、在日朝鮮人の人権問題の2つを一貫して取り上げてきた。「慰安婦」問題は、いまでは正面から議論されることはないが、それでも韓国政府や朝鮮政府が発言し、日本政府も一言反論する。NGOからの発言も必要だ。



新型コロナがイタリアでも猛威を振るっていて、フランスやスイスでも発祥している。スイスでは東南部のティチーノやグラウビュンデンのほうのようだ。最西部のジュネーヴではない。とはいえ、国連欧州本部では、人権理事会は予定通り開かれているが、それ以外のサイドイベントは中止になった。サイドイベント関係者や観光客は中に入れない。もっとも、ジュネーヴは世界中から人が集まる町なので、いつ発症するかわからない。世界保健機関WHOのお膝元で発症すると困る。私はWHOに徒歩3分の所に滞在している。郊外の岡の上だ。当面、宿と国連を往復するだけで、町中には出ないことにしている。

Thursday, March 05, 2020

ますます進む社会の分断


橘玲『上級国民/下級国民』(小学館新書)

成田空港の書店で購入し、飛行機の中で読んだ。初めて知る著者だが、国際金融小説を書く作家で、同時に金融・人生設計に関する著作も多いという。池袋でおきた自動車暴走事故によって2人が亡くなったのに、運転したのが元高級官僚で、逮捕されなかったことから、「上級国民」なる言葉が生まれた。実際には高齢であり、自身が骨折していたために逮捕されなかったようだが、前後に似たようなケースもあったことから、「上級国民/下級国民」という言葉が使われるようになったという。

本書は、バブル崩壊後の平成の労働市場がどのように分断を強化したのかを示す。「雇用破壊」とか、日本型雇用の変質が指摘されたが、実は「正社員の雇用は全体として守られた」という。守られたのは団塊の世代である。そのあおりで就職できなかったのが団塊ジュニア世代というから、ややこしい。次に起きるのは「働き方改革」の進行と、年金制度をめぐる対抗のようだ。続いて、「モテ」と「非モテ」の分断に焦点が当てられる。社会の分断によって生み出されたアンダークラスには浮上のチャンスがきわめて乏しい。そもそも教育の本質は「格差拡大装置」なので、教育による格差是正は期待できないという。最後に、リベラル化する世界では「人口爆発」と「ゆたかさの爆発」の先に、人生の自由な選択と設計が実現しており、「リスク」を自分で引き受けなければならない。知識社会の憂鬱が語られる。

数千年単位でのマクロの話と、数十年単位のミクロの変化を強引につなげて話を進めるなど、説得力に欠けるが、案外、すんなり読める。読者を引き込む文章はさすが作家と言える。統計の読み方も独特であり、ウケる新書の書き方はお得意のようだ。

Wednesday, March 04, 2020

そうだったのか、バンクシー


毛利嘉孝『バンクシー アート・テロリスト』(光文社新書)

いまをときめくストリート・アーティストのバンクシーを取り上げた新書だ。サザビーズ・オークションにおける作品裁断事件で世界的に話題となり、東京都港区の日の出駅近くのネズミの絵で、日本にもバンクシーが、と更に話題となった。いまや誰でも知っている匿名作家に、『ストリートの思想』の著者が挑む格好だが、著者はかなり以前からバンクシーをフォローしていたので、新書の入門書とはいえ、よくできている。知らないことばかりだが、読みやすい。

おもしろいエピソードが次々と紹介されている。一番おもしろかったのは、キング・ロボとバンクシーの「戦争」だ。1980年代にイギリスにグラフィティを持ち込んだキング・ロボと、後輩世代のバンクシーだが、あるすれ違いから敵対関係となった。バンクシーが、キング・ロボの絵に、上書きをして「戦争」を仕掛けた。これに激怒したキング・ロボが、さらにその上に絵を書き足して反撃した。すると、バンクシーはKINGの署名の前にFUCを加えてFUCKINGとして侮辱した。今度は、キング・ロボだけではなく、他のグラフィティ・アーティストたちが「参戦」して、バンクシーの作品を消しまくった。ところが、2011年にキング・ロボが事故で意識不明の重体になると、バンクシーはキング・ロボの回復を願う作品を描いて、「戦争」は終結したという。町中に、路上に、壁に、勝手に、時には違法に描いていくグラフィティなので、完成した作品の上に他の作家が書き足して意味を変えることが可能だ。ここが凄い。

西欧ではたしかに鉄道沿線の壁や、トンネルの壁に見事なグラフィティ・アートを見かけることが多い。上に書き加えられている者が多いが、前の作品が古いから、上に描いているかと思っていた。どうやらそれだけではなく、作家同士の対話、共同、時に「戦争」がおきているようだ。今後は注意してみよう。

バンクシーはブリストル出身で、その活動はブリストルからロンドンへ、そしてアメリカへ、パレスチナへ、さらには世界へと広がったという。また、今は一人ではなく、プロジェクト・チームによる活動のようだ。

Sunday, March 01, 2020

星野智幸を読む(5)毒身帰属の会とは何か


星野智幸『毒身温泉』(講談社、2002年)

「毒身帰属」「毒身温泉」「ブラジルの毒身」の3作が収録されている。前2作はつながりがあり、「毒身帰属の会」の物語。「ブラジルの毒身」は、その延長で構想されたのであろうが、独立した作品といったほうが良い。

1989年に設立された「毒身帰属の会」は「独身貴族は体に毒だ」という発想からなり、「毒身者の存在の根拠は自分自身にある。毒身者は、毒身者自身という単位に帰属している。そういう単位のネットワーク」として、プリンス・シキシマによって提言された。大家が取り壊す予定の古いアパートを買い取って、「毒身帰属の会」の拠点とし、毒身者が挙動生活をするというアイデアの実現を目指す。ここに集まった人々の物語だ。性や、年齢や、家族の枠にとらわれず、人々の新たなネットワークを作ろうという試みだが、人間関係はそう単純ではない。

「ブラジルの毒身」は異色の作品だ。「天国行きのトラック」に乗った一団はブラジルに移住した日系移民たちで、アマゾンで開催される日系一世同窓会をめざす。果たして行きつけるかどうか定かでない無謀な旅の途中、それぞれの人生が語られる。浦島太郎のような体験である。語りの間にいつのまにやらトラックの乗客がどんどん増えていく。誰がいつどのように乗ったのかもわからない。無縁仏の多い地域だからか。足もとに「影」のない人々も混じる。最後に登場するおばあさんは、日本と家族から捨てられてブラジルに嫁ぐはずが、それさえままならず、ブラジルで一人で生きてきた。「婚期を逃したガイジンの年増女なんか、一人前の人間とは見なされないわけよ」。過酷な人生体験が開陳されるかと思うと、いきなり「盆踊りとカーニバルとどっちが偉いかで論争」が始まり、乗客たちは踊りだす。盆踊り派とカーニバル派のダンス合戦だ。奇妙奇天烈な挿話だ。

さて、ここから何を考えるべきか。読者は途方に暮れるが、それも作者の計算か。

Saturday, February 22, 2020

拉致問題を切り捨てた日本政府


『月刊マスコミ市民』2019年7月号掲載



拡散する精神/委縮する表現(100)

拉致問題を切り捨てた日本政府



強制失踪委員会



 安倍晋三首相は拉致問題の解決に向けて取り組んできた、ということになっている。本年五月一九日の拉致被害者家族会や「救う会」などが都内で開いた国民大集会に出席し、「拉致問題は安倍政権の最重要課題」と強調したのは周知のことである。

 ところがトランプ・金正恩会談の進展につれて徐々に姿勢を変えてきた。「対話は意味がない。制裁あるのみ」という基本姿勢から「前提条件なしで話し合う」に変化したことはさまざまな推測を呼ぶことになった。

 実は安倍政権は昨年一一月にジュネーヴの国連人権高等弁務官事務所で開催された強制失踪委員会の場で、拉致問題を切り捨てる方針を表明した。「前提条件なしで話し合う」に変化したことと因果関係があるかどうかは不明だが、強制失踪委員会で何があったのか。政権は語らないし、マスコミも報じない。筆者は当時の強制失踪委員会の審議を傍聴していないので、限られた資料と、本年三月にジュネーヴに滞在した際の関係者からの聞き取りに基づいて判明した範囲で事の次第を報告したい。

 二〇〇六年一二月、国連総会において強制失踪条約が採択された。国の機関等が人の自由をはく奪する行為であって、失踪者の所在等の事実を隠蔽することを伴い、かつ、法の保護の外に置くことを「強制失踪」と定義し、「強制失踪」の犯罪化及び処罰を確保するための法的枠組み等について定めている。条約第二六条に基づいて強制失踪委員会が設置された。条約当事国は条約第二九上に基づいて報告書を提出し、委員会で審議の結果、勧告等が出される。日本政府は今回初めて報告書を提出し、昨年一一月五~六日、委員会審査に臨んだ。

 日本政府報告書は冒頭から朝鮮民主主義人民共和国による日本人拉致問題を取り上げ、詳しく報告した。事前にメディアや関係者にも繰り返しレクチャーし、拉致問題に力を入れているとアピールした。

 ところが思いがけない事態になった。強制失踪委員会は拉致問題を取り上げなかったのだ。それに代えて委員会が質問したのは日本軍「慰安婦」問題であった。NGOから提出された報告書はいずれも「慰安婦」問題を報告していたからである。



苦渋の選択?



 一一月五日、一日目の審査直後、日本代表団はパニック状態だったらしい。人権人道大使の目はうつろになっていたという。翌六日、二日目の審査までに、日本政府は対応を決しなければならない。というのも、日本政府は「慰安婦」問題は条約締結以前の問題だから、委員会が取り上げるべきではない」と繰り返してきた。この主張によれば、拉致問題も条約締結以前の問題だから、委員会が取り上げてはならないことになる。

 拉致問題が取り上げられると安直に信じ込み、メディアに宣伝してきた日本政府は窮地に追い込まれた。「慰安婦」問題か、拉致問題か、予想外の二者択一を迫られた。

 大使レベルで判断できる問題ではない。現地の五日夜から六日未明にかけて、日本代表団は必死の思いで東京に連絡を取ったことだろう。ことは外務大臣でも即断できない。当然のことながら官邸の判断だ。時間は限られている。筆者はこの間の事情をつまびらかにしていない。推測するのみだが、安倍首相の判断で、「慰安婦」問題を優先したのだろう。

 委員会で、日本政府は改めて「条約締結以前の問題を委員会は取り上げるべきでない」と主張した。拉致問題を取り上げるな、という驚愕のメッセージになる。大使の手は震えていたという。

 一一月一九日、委員会から「慰安婦」問題の解決を求める勧告が出されたのに対して、一一月三〇日、日本政府は「強制失踪条約は本条約が発効する以前に生じた問題に対して遡って適用されないため,慰安婦問題を本条約の実施状況に係る審査において取り上げることは不適切です」「国連に求められる不偏性を欠き,誠実に条約を実施し審査に臨んでいる締約国に対し非常に不公平なやり方といわざるを得ません」と、猛烈な抗議の手紙を出した。

 ここまで来ると後戻りはできないだろう。安倍政権は拉致問題を切り捨ててでも、「慰安婦」問題に関する国際的要請をはねつけることを優先した。その判断経過をもっと知りたいものである。



********************************



<追記>

安倍政権は、最近も拉致問題を解決するつもりがあるかのようなポーズをとっているが、もともとそんなつもりがないことは、高嶋伸欣(琉球大学名誉教授)らの批判によって明かになってきた。

それどころか、本稿で示したように、安倍政権は国連人権機関では、拉致問題をはっきりと切り捨てて、解決できないようにするために懸命の努力を続けている。解決せずにえんえんと引き延ばすことに利益を見いだしているのかもしれない。

おまけに、マスコミが事実を報道しない。国連人権機関で起きたことさえ、報道しない。

私は強制失踪委員会を傍聴していなかったため、記録と、事後の取材によって、一部の事実を明らかにしたが、真相はまだわからない。

Sunday, February 16, 2020

ヘイト・クライム禁止法(168)モンテネグロ


モンテネグロ政府が人種差別撤廃委員会に提出した報告書(CERD/C/MNE/4-6. 26 September 2017)によると、憲法第55条1項は、憲法秩序の破壊、領土の統合の破壊、自由と権利の侵害、国民、人種、宗教その他の憎悪と不寛容の煽動のための政治団体を禁止している。刑法第42条aは、犯罪が人種、宗教、国民又は民族、性別、性的志向、ジェンダー・アイデンティティに基づく憎悪によって行われた場合は刑罰加重事由とする。2013~14年、憎悪に基づく犯罪は4件記録された。2015年、人種、皮膚の色、国籍、民族的出身等に基づく差別犯罪は2件であった。

差別禁止法第23条について、2013年には128件が告発され、135人が起訴された。性的志向によるものが123件、宗教が5件、国民が3件であった。2014年には、21件が告発された。性的志向が15件、宗教が2件、国民が4件である。28人が起訴された。2015年には19件の差別事件が告発されたが、性的志向が16件、国民が3件であり、22人が起訴された。2016年には45件が告発された。人種が1件、国民が3件、その他は性的志向であった。

公共平穏秩序法第19条は、国民、人種、宗教、民族的出身その他の特徴に基づいて公共の場所で人を攻撃した場合、150以上1500以下のユーロの罰金又は60日以下の刑事施設収容とする。

スポーツイベントにおける暴力犯予防法第4条は、憎悪や不寛容を煽動・助長するバナー、旗その他の物の掲示、及び叫び声や歌を禁止する。

ビジェロポリエ高等裁判所は、刑法第370条の国民、人種、宗教憎悪ゆえに生じた犯罪を1件扱ったが、本件は破棄された。

ポドゴリツァ高等裁判所は、刑法第370条の事案を4件扱った。2014年10月24日、1人が有罪となり3月の刑事施設収容となった。2015年6月5日、1人が保健施設への強制収容となった。2014年12月25日、1人が6月の刑事施設収容・執行猶予付きとなった。

ニキシッチ初審裁判所は、2015年9月30日に受理した差別禁止法の人種差別禁止に関する事案を審理中である。

ポドゴリツァ軽罪裁判所は、2014~17年5月に、9件の人種差別事案を扱った。5件は合法との結論が出たが、4件は審理中である。2件は宗教信仰の事案、7件は国民の事案である。ブドヴァ軽罪裁判所は、2014~17年5月に、公共平穏秩序法に関する2件の人種差別事案を扱った。ビジェロポリエ軽罪裁判所は、国民ゆえの侮辱事案を6件扱い、4件は終結、2件は審理中である。人権擁護者が告発した差別事案は、2012年に64件で、そのうち21件が国民、1件が宗教である。2013年は59件で、13件は前年からの事案で、新規は46件である。10件は国民、2件は宗教である。2014年は54件で、8件が国民である。2015年は83件で、10件は前年からの事案である。全件終結した。15件が国民、4件が宗教である。2016年は151件で、146件が終結、5件が翌年に繰り越した。9件が国民、3件が宗教、2件が国民である。

(*固有名詞の表記は現地語の発音に従っていない。)

人種差別撤廃委員会はモンテネグロに次のように勧告した(CERD/C/MNE/CO/4-6. 19 September 2018)。2014年改正の差別禁止法がヘイト・スピーチを禁止しているが、人種主義ヘイト・スピーチや人種主義暴力に関する統計データが十分でない。政治家が選挙運動の際にいくつかの民族集団に対してヘイト・スピーチをしたとの情報がある。インターネットなどメディアにおけるセルビア人やモンテネグロ人に対する侮辱などのヘイト・スピーチがある。ロマに対する人種主義暴力も報告されている。一般的勧告第35号を想起して、政治家による人種主義ヘイト・スピーチを非難すること。政治家による選挙運動中のヘイト・スピーチを捜査し、適当な場合には訴追し、処罰すること。ロマなどの民族的集団に対するヘイト・スピーチと闘い、犯行者が処罰されるようにすること。メディア規制機関が人種主義憎悪現象を予防・抑止すること。コンピュータ即応チームと警察庁サイバー犯罪部局に、オンラインのヘイト・スピーチに対処するため、適切な財政と技術職員を配置すること。

ヘイト・スピーチ研究文献(150)移民・難民の主体性


高橋若木「収容所なき社会と移民・難民の主体性」杉田俊介・櫻井信栄編『対抗言論』1号(法政大学出版局)



「仮放免は目標になりうるのでしょうか?」――この問いには、異なる2つの応答が必須である。長期収容の現実を前にすれば、仮放免は目標であるに決まっている。だが、退去強制が取り消されず、就労許可も公的健康保険もない現実の下では仮放免は最終目標ではない。阿鼻地獄が良いか、叫喚地獄が良いかの選択を迫る論法にはまってはならない。そこで高橋は「反収容タイプ」を2つに分ける。

現実の制度の運用改善を求める反収容タイプAと、収容制度の廃止を求める反収容タイプBである。この両者を視野に入れて議論していく必要があるという。

反収容タイプAは、例えば、救急搬送拒否事件で事件を世間に訴え、診察と搬送を求める運動が取り組まれた。裁判でも、長期収容につながる「在留活動禁止説」に対して、収容の目的は退去強制を円滑に実施するためのものであるとして「執行保全説」が対置される。だが、退去強制すべきだと主張しているのではない。タイプAは、収容政策の適正化を求めつつ、収容そのものに反対するタイプBを展望し得る。

反収容タイプBは、収容の改善ではなく撤廃を目指す。誰も収容されない社会を創造することが目標だが、一気に実現するわけではないから、収容に上限を設定することから始める。高橋は、反収容タイプBに立った4つの原則を掲げる。「第一に、まともな在留資格を設定し直すことである。」労働者としての権利保障が出発点だ。

「第二に、労働者としての権利は入管法に違反したからと言って停止されるわけではないと認めさせることである。」

「第三に、『ヨーロッパの教訓』などの漠然とした移民警戒論を語るくらいなら、日本の移民政策の最近の失敗を想起することだ。それらは多くの場合、改善可能である。」

「第四に、外国人の人権を日本人が守るという発想に留まらず、日本国籍を持たない住民の政治的主体性を確立することだ。外国人参政権はそのために不可欠である。」



他方、高橋は「リベラルな恩恵的排外主義」を批判する。「リベラルは一般的に、個人の権利を尊重しようとする。しかしその原則が、すでにいるメンバーが尊重される共同体を保守するため、権利を保障しきれない移民は入れないでおこうという姿勢につながる場合がある」からだ。

高橋は「リベラルな恩恵的排外主義」の実例として、(1)堤未果『日本が売られる』による外国人と日本人の対立図式、(2)TOKYO DEMOCRACY CREWの「移民受け入れ拡大反対」論、(3)社会学者の上野千鶴子の移民受け入れ拡大反対論の3つを紹介して、「移民と国民の利害対立という単純な図式が根拠薄弱かつ無責任である」と批判する。



最後に高橋は「収容する権力と移民の主体性」について論じる。結論は次のようにまとめられる。

「反収容タイプAで現在の移民を制度内で支援する際には、収容所なき社会を追及する反収容タイプBを並走させることで、『よい収容所』作りとは異なる方向を歩むこと。反収容タイプBの目的を追求しつつも、タイプAで現在の移民を支援し、彼・彼女たちの必然的な選択に連帯すること。今いる当事者を支援して制度の適正化を要求しつつ、同時に収容所が無用となる社会に向かう反差別はあり得る。マジョリティ(収容されない人々)が支援活動のなかでも自分たちの恩恵的なポジションと格闘することは、その言論・運動がもつ特徴の一つだろう。タイプAとタイプBを往還する反収容は、例外的な保護対象ではなく政治的な主体としての移民の運動ともなり得るはずだ。」

日本政府の外国人処遇から、リベラルな恩恵的排外主義に至るまでの、日本社会の差別と排外主義は、人間の断片化に貫かれている。移住外国人を、人間として処遇するのではなく、それゆえ人権の主体としてではなく、労働力としてのみ位置付ける。人間を、ある一面の機能に縮減する。人間たる資格を持つのはマジョリティである私たちだけであり、それ以外の者には存在証明責任が課される。収容所のある社会とは、マイノリティの主体性を否定し、マジョリティを千切りにして、際限なく序列化する社会である。

Friday, February 14, 2020

ヘイト・スピーチ研究文献(149)朝鮮人から見た沖縄


呉世宗「朝鮮人から見える沖縄の加害とその克服の歴史」杉田俊介・櫻井信栄編『対抗言論』1号(法政大学出版局)



沖縄における朝鮮人の歴史は日本政府も沖縄県も調査してこなかったという。沖縄戦に関しても、さまざまな歴史資料の中に、断片的に記載され、推測がなされてきた。沖縄戦における朝鮮人の被害は「不詳」とされるが、計り知れない被害があったと考えられる。日本と沖縄の加害と被害の歴史の中に置かれた朝鮮人は、沖縄による被害も余儀なくされた。このことに焦点を当てる研究がなかったわけではなく、徐々にその相貌が浮かびあがってきた。呉世宗『沖縄と朝鮮のはざまで』(明石書店)は最新の研究成果である。

呉は、本論文で、沖縄による加害を紹介したうえで、加害を克服しようとする沖縄、加害を乗り越えようとする沖縄にも焦点を当てる。第1に、1960年代の復帰運動、特に反復帰論というラディカルな思想の重要性、そしてアジア。アフリカ諸国の国際連帯における沖縄の位置を測定する必要があるという。呉は次のように言う。

「そのように沖縄の復帰運動は、アジアやアフリカにも開かれた運動であったからこそ、パレスチナや朝鮮民主主義人民共和国など、いわゆる第三世界から共に闘おうという連帯のメッセージが送られてくることとなった。沖縄を『悪魔の島』と呼んだベトナムからも連帯のメッセージが届けられたことは、復帰運動が普遍的な平和を目指す運動であったことを示すものであった。そのようにして復帰運動は自らを外に開き、第三世界との連帯を模索したからこそ、自分たちの加害性に向き合う土壌を作り出していくことになる。」

それゆえ、第2に、1960年代の沖縄戦記録運動の中で、この課題が継承されていく。沖縄戦の記録を目指す運動の中で、何のために記録を残すのか、何のために証言するのかという問題意識の反芻の結果、沖縄の中にいたアジア人である朝鮮人の「発見」にたどり着いた。このことが沖縄の加害の自覚につながった。呉は、安仁屋政昭を例証として、このことを確認する。

「復帰運動及び記録運動の経験は、沖縄が持つアジアとの連帯の可能性を示すものであり、いまも継承されるべき思想的資源であると考える。自分たちの歴史の中にはアジアの人たちがいて、彼彼女らの歴史と自分たちの歴史を別々のものとして分けることなく絡みあっているままに受け入れていく、そのような歴史の見方や思想が60年代の運動のなかで生まれていたためである。それは民衆の側から他者を可視化し、自らの責任に向き合う契機を作り出した、沖縄固有の驚くべき出来事であった。この経験に基づいた公的な調査の実施や、沖縄が主軸となっての日韓の民衆連帯の形成が期待される。」

重要な指摘である。沖縄の反戦平和運動は、1960年代だけでなく、その後もアジアにおける平和運動を意識して進められた。本土の平和運動とは趣を異にする。朝鮮人から見た沖縄という視点は実に重要である。

Friday, February 07, 2020

星野智幸を読む(4)壊れることさえできないのなら


星野智幸『目覚めよと人魚は歌う』(新潮社、2000年)



時代の表層を掠め、断片を切り取り、スライドガラスに貼り付け顕微鏡で眺めまわしながら、見える部分をかいくぐるようにしてプレパラートを反転させる。星野の作法は、帰納でも演繹でもなく、形式論理も弁証法もまたぎ越して、淡い小説世界を浮き上がらせる。

幸福も不幸も知らない無関心な親元から逃れるために蜜夫に「さらわれ」た糖子は、不在の蜜夫を追い求め続けながら、赤砂漠の丸越の家で、息子の蜜生と暮らす。

日系ペルー人やドミニカ人などが暮らす川崎で、失業と暴走族と喧嘩の世界から逃走したヒヨとあなは、赤砂漠の丸越の家に吸い込まれていく。

幻の蜜夫を除く、糖子、丸越、蜜生、ヒヨ、あなの5人が織りなす、静かな疑似家族の愛憎劇、と言ってしまうと、ちょっと違う。それぞれの家族の情景が語られ、反目と無視と衝突と逃走の幕が繰り返される。食事、ほら貝、サルサ、隠れ家、温泉を行きつ戻りつ、すれ違いとセックスが物語を呼び寄せる。現実とも幻想ともつかない疑似家族の臨界は、現実世界の川崎における乱闘事件と報復事件によってかたどられる。

乱闘事件の落とし前をつけるために、川崎へ帰らなければならない。現実に帰るのではない。もう一つの幻想と現実の狭間に乗り入れていくのだ。



バブルの時期、仕事を求めて日本にやってきたアジアや中南米の人々、中には「定住」しはじめた人々もいたが、バブルが始め不況と失業の波に洗われることになった。日系ペルー人や日系ブラジル人など、各地で苦しい生活を余儀なくされた。「移民」を認めない政府の在留制度、「外国人」を排斥する社会、アイデンティティの危機。社会から排除された若者達の混乱と苦悩と爆発。

星野は、日系ペルー人の若者達だけでなく、日本人の側のアイデンティティの危機をも射程に入れる。単なる差別の告発にしたくなかったからだろうか。だが、その分、普遍化した、逆に言えばありきたりの、成長の悩みに近づいていく。そこをどう超えていくか。

第13回三島由紀夫賞受賞作。

ヘイト・スピーチ研究文献(148)「嫌韓」の歴史的起源


加藤直樹「歪んだ眼鏡を取り換えろ――『嫌韓』の歴史的起源を考える」杉田俊介・櫻井信栄編『対抗言論』1号(法政大学出版局)



加藤は、「嫌韓」は「単なる感情ではなく、一つの世界観であり、認識の枠組みである」として、この「眼鏡」をかけている限り、朝鮮蔑視、韓国蔑視は強まることはあっても、容易には是正されないと見る。その上で、この「眼鏡」には3つの歴史的起源があるという。第1に尊王思想、第2に進歩主義、第3に植民地経験だという。

1の尊王思想とは、近代国民国家形成に当たっての尊王攘夷思想により、国家の正当性を天皇に求め、大日本帝国を確立したことを指す。水戸学以来の帝国のファンタジーであり神話が基礎となる。この神話の世界では朝鮮は日本の「属国」でなければならない(三韓征伐)。

2の進歩主義とは、西欧近代に学んだ日本はその進歩主義を取り入れることになった。追いつき追い越せの近代化、発展段階論は、日本が西欧近代に迫ることと同時に、遅れた朝鮮を必要とする。自らを文明とし、朝鮮を野蛮とする思考は、明治の支配層以来の伝統であると同時に、進歩的な経済学者やマルクス主義者にも共有された。

3の植民地経験は言うまでもない。植民地化過程における虐殺を通じて、日本の庶民は朝鮮人を非人間的に扱うことを学んでしまった。

加藤によると、1945年の敗戦にもかかわらず、この3つの思想は消失したのではなく、忘れられたり、変容を伴いつつ、継続していくことになった。植民地を失ったにもかかわらず、日本人の朝鮮観には切断が生じなかったという。

そして、1990年代以降、冷戦構造の終焉とともに、東アジアの地勢は構造的変化を始め、「日本人は150年来初めて、韓国のもつ他者性を認め、それを通じて、日本を唯一のモデルとする単線的な発展段階論を否定しなければならない事態を突きつけられている」。

しかも民主化した韓国は、日本の過去を見事に照らし出す。日本は文明ではなく

「野蛮」だったのではないか。この事態を引き受けることのできない脆弱な日本人が悲鳴をあげ、否認に走る。それが「嫌韓」であり、ヘイト・スピーチとなって噴き出す。

「だが、歴史の流れは止められず、日本人はいずれ、尊王思想、進歩主義、植民地経験を通じて作り出された『眼鏡』の方を捨て去らなくてはいけなくなるだろう。それでも、断末魔に陥った人ほど恐ろしいものはない。私たちが『早く眼鏡を取り換えろ』と叫ぶ必要が、ここにある。」



基本的に同感である。

私自身は日本人の朝鮮蔑視、ヘイト・スピーチを2種の枠組みで理解してきた。第1は、「500年の植民地主義」と「150年の植民地主義」である。西欧近代の植民地主義と類比的な過程を経て、日本は周辺諸国を植民地化してきた。第2は、近代の中での時期区分である。韓国併合以来の植民地経験、敗戦後になされなかった植民地清算、朝鮮半島分断と日韓条約体制、9.17以後の激烈な朝鮮蔑視とライバルとなった韓国への敵視といった流れで、重層的に積み重なった差別とヘイトという理解である。

ヘイト・スピーチについて、「2009年に日本でもヘイト・スピーチが始まった」という評論家がいるが、そうではない。日本による朝鮮・韓国へのヘイトには「500年の植民地主義」と「150年の植民地主義」という長い歴史があり、その中で現象形態を変えてきた。このことを見失った議論は不適切である。加藤の理解は私と共通するところが大きいと思う。

Thursday, February 06, 2020

ヘイト・クライム禁止法(167)ボスニア・ヘルツェゴヴィナ


ボスニア・ヘルツェゴヴィナが人種差別撤廃委員会に提出した報告書(CERD/C/BIH/12-13. 13 September 2017)によると、ジェンダー平等法と差別禁止法があり、すべての生活領域における差別を禁じている。2016年に差別禁止法を改正してLGBTも保護対象にするために、性的志向とジェンダー・アイデンティティを加えた上、「性的特徴」という要件も追加し、包括的な差別禁止法にした。

2016年に刑法を改正し、ヘイト・クライムを、人の属性、皮膚の色、宗教信念、国民的民族的出身、言語、ジェンダー、障害、性的志向又はジェンダー・アイデンティティゆえに行われた刑事犯罪と定義し、刑罰加重事由とした。刑法166条2項(c)は、憎悪ゆえに行われた殺人を1年以上10年以下の刑事施設収容とした。刑法203条4項は、強姦罪について憎悪が伴えば3年以上15年以下の刑事施設収容とした。刑法293条3項は、憎悪による他人の財産損壊を1年以下の刑事施設収容とした。

スルプシュカ共和国は、刑法改正作業中であるが、これは人種主義と排外主義を犯罪化するためで、「暴力又は憎悪の公然教唆及び煽動」を対象としている。印刷、ラジオ、テレビ、コンピュータシステム又はソーシャルネットワークを通じて、公開集会又は公共の場所その他公然と、暴力又は憎悪を惹起し、教唆した場合、3年以下の刑事施設収容である。

刑法は子どもの性的虐待と搾取も犯罪化している。子ども性的虐待、子どもとの性行為、子どもポルノ等を犯罪化した。

2013年以来、スルプシュカ共和国内務省は、憎悪動機による犯罪の記録を取っている。憎悪、不和、不寛容の煽動、他人の財産損壊について、実行者、標的とされた人、場所、日時、実行方法を記録している。

コミュニケーション法に基づいて独立機関としてコミュニケーション規制局が設置されている。表現の自由の講師を目的とし、差別とヘイト・スピーチの禁止に関しても取り扱う。テレビ番組における「ヘイト・スピーチ」の疑いがあるという申立てを多数受け取ったが、2県ではテレビ局に2000BAM及び4000BAMの罰金と判断した。

人種差別撤廃委員会はボスニア・ヘルツェゴヴィナに次のように勧告した(CERD/C/BIH/CO/12-13. 10 September 2018)。人種的動機を刑罰加重事由とすること。人種主義プロパガンダの流布や人種的優越性の思想の助長が犯罪とされているかどうか不明であるので、条約第4条に関z年に合致するよう刑法を改正すること。一般的勧告第35号を想起して、公的言論における人種主義ヘイト・スピーチを強く非難すること。公的演説が人種憎悪の煽動にならないようにすること。ヘイト・スピーチとヘイト・クライムを記録、捜査し、裁判にかけることで法律を実効化すること。ジャーナリストやメディア関係者の人権教育のための行動計画を通じて、メディアがこの問題に敏感になるようにすること。

Wednesday, February 05, 2020

ヘイト・スピーチ研究文献(147)差別はいつ悪質になるか


堀田義太郎「差別の哲学について」杉田俊介・櫻井信栄編『対抗言論』1号(法政大学出版局)



ヘルマン『差別はいつ悪質になるのか』(法政大学出版局)の翻訳者である堀田の差別論である。堀田はほかにも「差別の規範理論」『社会と倫理』29号など関連する論文を公表してきた。

「差別は悪い」のは常識のはずだが、なぜ差別がいけないのかとなると、意外なことに定説がない。むしろ意見が分かれる。法学的議論でもそうだが、哲学となると、議論は単純ではない。原理的にものごとを考えることは、適切に単純化して考えることのはずだが、それもなかなか容易ではない。

堀田はまず議論の対象となる差別の定義を整理する、区別や不利益や特徴といった要因がどのように絡むのかを整理し、歴史的社会的な文脈の重要性や、社会的に顕著な特徴をいかに位置付けるかを論じる。

悪質な差別については、伝統的な倫理学の枠組みに従って、害説(害悪説)とディスリスペクト説(尊重説)をもとに健闘する。差別が悪いのは、差別される個人に多大な不利益や害を与えるからなのか、それとも他者を同等の価値を持つ存在としてリスペクトしないからであろうか。またディスリスペクト説の中で、「意図=ディスリスペクト説」と「意味=ディスリスペクト説(社会的意味説)」を区別している。

堀田の結論は次のようにまとめられる。

「ある人々への差別的な慣行や価値観がある場合、その人々の特徴に基づく不利益扱いは、それら既存の慣行や価値観などを助長または強化または是認する意味をもつと言えるのではないか。そしてその意味は、被差別者が被る害の大きさとも、行為者の意図や動機、信念などとも独立して、行為に帰属できるのではないか。」

最後に堀田は、日本でしばしば用いられる「差別的」「差別につながる」と言う表現を取り上げる。差別だと断定できなくても、差別的だと言える場合である。

堀田はこの議論を重視する。

「これらは、典型的な差別の事例からすれば明確に差別だとは言えない境界事例と言えるかもしれない。しかし、差別が様々な行為の集合によって成立すること、そして単に諸行為が複数存在するだけでなく、それらが相互に是認または正当化し合う意味をもって関係していると考えれば、こうした事例はむしろ差別にとって中心的なものとして理解できる。諸行為の中には、単独で取り出すと『差別』とは断言できないようなものもある。しかし、それらが意味をもって相互に関係しているという点が重要だと思われる。」



なるほど差別と言っても、多様な行為の集合によって成立することが多い。また、直接差別と間接差別もある。個人に対する差別行為と集団に対する差別も区分できる。差別の動機(人種・民族、性別、宗教、言語等)も多様だ。全体をカバーする議論のためにも、類型分けした議論が先に深められる必要がある。

ヘイト・クラム禁止法(166)ペルー


ペルー政府が人種差別撤廃委員会に提出した報告書(CERD/C/PER/22-23. 20February 2017)によると、民族差別や人種差別のない情報を発展させるため、政府はジャーナリストや情報発信者に人種的ステレオタイプと闘う啓発と訓練を行っている。ブックレットや公共サービスを利用して啓発を続けている。ラジオ・テレビ放送法は、個人の擁護と人間の尊厳を尊重し、基本的人権と自由を保障することを原則としている。放送局は、これらの原則と国際人権条約に基づいて倫理綱領を定めている。放送局のウエブサイトには、法律違反に対する申立てのガイドが掲載されている。申立て後15日以内に放送局が対応しなければ、情報監視委員会が対処する。出身、性別、人種、性的志向、宗教、意見、経済的社会的地位、言語その他の特徴に基づいて差別されない権利を保護するため、憲法的手続法がある。刑事手続きにおける差別のないように刑事訴訟法第323条がある。

人種差別撤廃委員会はペルー政府に次のように勧告した(CERD/C/PER/CO/22-23.23May 2018)。法律を見直して、人種差別の禁止のために条約第11項の要件を満たすこと、直接差別と間接差別を射程にいれて法改正すること。条約第4条で言及された行為を犯罪とする法律によって特に禁止すること。先住民族やアフリカ系住民が人種的ステレオタイプによるスティグマを受けないよう、メッセージ、番組、広告を予防する措置を取ること。人種的ヘイト・スピーチと闘う一般的勧告35号に注意を喚起する。

ヘイト・クライム禁止法(165)キューバ


キューバ政府が人種差別撤廃委員会に提出した報告書(CERD/C/CUB/19-21. 9 September 2016)によると、刑法第116条はジェノサイド、第120条はアパルトヘイトを犯罪としている。刑法295条1項は、平等権侵害の罪を、6月以上2年以下の刑事施設収容及び・又は200以上500以下ユニットの罰金としている。平等権侵害の罪は、人の性別、人種、皮膚の色、又は国民的出身に対する攻撃的な言動により、又は同じ動機を持って平等権を妨害することにより、人を差別し、又は差別を助長・煽動した者とされる。刑法295条2項は、人種的優越性又は憎悪に基づく思想を流布した者、又は異なる皮膚の色又は出身の人又は人の集団に対して暴力行為を行い、又はその実行を煽動した者を処罰する。

1985年の結社法は、憲法が保障する結社の権利の行使を規制し、人種主義団体や隔離主義団体の結成を禁止する。他方で、多様な国民の歴史、文化、アート、人間の友好、連帯、平等の研究、流布、維持を促進する結社を認める。

人種差別撤廃委員会はキューバ政府に次のように勧告した(CERD/C/CUB/CO/19-21.20September 2018)。アフリカ系人民の反差別のための活動をする人権活動家、特に市民社会のリーダー、ジャーナリスト、メディア関係者に対するハラスメント、脅迫、資格剥奪などを予防する措置を講じること。憲法及び刑法の規定における禁止される人種差別の定義を、条約第一条の定義に合致させること。人種主義ヘイト・スピーチと闘う一般的勧告第35号を参照し、条約第四条が定める行為を刑法において犯罪化すること。人種主義動機、又は皮膚の色、世系、国民的出身に基づく動機を刑罰加重事由とすること。

星野智幸を読む(3)なぶりあうアイデンティティ


星野智幸『嫐嬲』(河出書房新社、1999年)



1998年の『最後の吐息』に続く星野の作品集である。「嫐嬲」と書いて「なぶりあい」と読む。「嫐嬲」「裏切り日記」「溶けた月のためのミロンガ」の3作が収められているが、表題作の完成度はそれなりに高いものの、他の2作は習作と言ってよいだろう。



同じ会社から翻訳を依頼されていたグランデ、プティ、メディオの3人が出逢い、呑み、意気投合して、共同生活を始める。2部屋のワンルームを1つは執務室、1つは寝室とし、将来の英語イスパニア語の共同翻訳オフィスを夢見る。1人での翻訳作業とは別に、3人共同によって作業が大いにはかどり、体験を共有していく。

若い3人の友情、連帯、共同作業は、やがて外にあふれ出て、危険なスリルとサスペンスの日々を迎える。船着き場の船を盗んで対岸に渡る。温泉の湯船の栓を抜いて逃げる。銀行強盗ならぬ銀行強制預金事件を引き起こして逃げる。渋谷交差点を渡る人々を大混乱させるスクランブル事件。こうしてお互いを信じあい確かめ合いながらの冒険の日々に、お互いの不信とスレ違いが生まれていく。

プティは「おかまに見えない」「もと女だもん」という「おかま」という設定であり、メディオは「男であることのアイデンティティは廃墟同然」だが「男をやめることもできない」という設定である。「ただの女にすぎない」グランデは「排除」された意識を持つ。違いを認め合い、お互いを尊重しながらも、時に批判し、傷つけあいながら、絡み合う。結末、「嫐嬲」の危機から脱出したのはプティであり、外国へ行くことになったとのビデオを残して消える。

90年代後半、字幕翻訳をやっていた星野の体験をベースに、翻訳にいそしむ若者たちのアイデンティティをめぐる葛藤、煩悶を描いた秀作だ。