Sunday, September 18, 2011

原発事故と平和的生存権

 東日本大震災とそれに続く原発事故をめぐって、原発推進派と脱原発派の論争が続いています。原発の危険性、総合的エネルギー政策の必要性、節電の不可避性(私たちの暮らしそのものの見直し)など、さまざまな議論が続いています。菅直人首相の決断による浜岡原発の停止、その後の玄海原発再稼働をめぐる顛末は「原発問題の科学と権力」の実態を垣間見せることになりました。



憲法から考える



 原発問題をめぐる憲法論は、環境権(憲法第13条、25条)の土俵で論じられてきました。原発なしで、持続可能な環境で暮らすことを求める議論です。それに加えて、平和的生存権の視点からも検討を加えることはできないでしょうか。日本国憲法前文の平和的生存権自体は、主として戦争と平和とう文脈で語られていますが、それだけに限定して論じなければならないというわけではないでしょう。「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」という場合の、「恐怖と欠乏」が戦争だけをさすと理解する必要はないからです。


 ところで、憲法前文冒頭に「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」という一文がありますが、「われらの子孫のために」に注目するべきでしょう。

 同様に、憲法第11条は「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる」としています。さらに、憲法第97条は「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」としています。「われらの子孫のために」「将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利」を保障しようというのです。
 そうであれば、メルトダウンのような破局的な事故を起こすだけではなく、数十万年も後にまで使用済核燃料の保管を必要とするような原発を正当化することは困難というべきでしょう。「原発は日本国憲法に反する」とまでは言えないかもしれませんが、「原発は日本国憲法の精神に反する」と言うことができるのではないでしょうか。
平和への権利から考える
 先に紹介したように、国連人権理事会では平和への権利国連宣言をめざして議論が続けられています。本年4月1日には人権理事会諮問委員会が中間報告書を提出しました。6月17日、人権理事会は、諮問委員会中間報告書を受けて、さらに議論を進めて、2012年6月の人権理事会に国連宣言草案を提出するように諮問委員会に要請しました。

 人権理事会で議論している平和への権利は、日本国憲法の平和的生存権と必ずしも同じ概念ではありません。平和教育の権利、市民的不服従など多彩な内容を含んでいます。平和への権利の議論をリードしてきたNGOが2010年12月に採択したサンティアゴ宣言第3条「人間の安全保障、及び安全かつ健康な環境で暮らすことへの権利」では、「すべての人民及び個人は、安全で健康的な私的・公的環境において生存し、国家主体・非国家主体のいずれから生じるものであるかを問わず、いかなる身体的・心理的暴力の行為又は脅威からも保護される権利を有する」、「欠乏からの自由は、持続的発展に対する権利、及び経済的・社会的・文化的権利、とくにつぎのものの享有を含む。(a) 食料、飲料水、衛生、保健、衣服、住居、教育及び文化への権利」としています。「欠乏からの自由」の内容が示されています。


さらに、サンティアゴ宣言第4条「発展及び持続可能な環境への権利」では「平和への人権と構造的暴力の根絶を実現するには、あらゆる人権及び基本的自由が完全に行使されうるような経済的・社会的・文化的及び政治的発展に寄与し、その発展を享有する権利と並んで、その発展に参加する不可譲の権利を、すべての個人及び人民が享有することが必要である」、「すべての人民及び個人は、平和及び人類の生存の基礎としての持続可能で安全な環境において生存する権利を有する」としています。


 このように考えると、原発は「安全で健康な環境」を損ない、「生存の基礎としての持続可能で安全な環境」を害する巨大システムであると言えます。ひとたび事故を惹起した場合には明らかに「構造的暴力」となるばかりでなく、仮に無事故であったとしても、「持続的発展」を阻害し、「経済的・社会的・文化的権利」をも歪めるものであると考えられます。

 私たちは、原発問題を契機に、文明、科学、人間、自然の連関について改めて根底から考えなおす必要があります。人間は核と共存できるのかどうか、いま一度自らに、友人に、家族に問い返す時ではないでしょうか。
『友和』670号(日本友和会、2011年8月)

Thursday, September 15, 2011

原発責任者特権法案

第一条 法の目的
1.本法は、原発の設置・建設・運営に責任のある者に特権を付与することを目的とする。
2.本法に定める原発責任者の特権は、日本国憲法が定める法の下の平等には違反しないものと解釈される。
第二条 定義
本法における原発の設置・建設・運営に責任のある者には、次の者が含まれる。
1)当該原発の設置計画を立案した者。
2)当該原発の設置申請を許可した公的機関の責任者。
3)当該原発の建設を請け負った企業の経営者。
4)当該原発の運営を所掌する機関の責任者。
5)当該原発の安全性に保障を与えた学者。
6)当該原発の安全性の宣伝・広報を請け負ったマスメディアの経営者。
7)当該原発に関連する訴訟で原発の安全性を是認した裁判官。
第三条 特権の付与
1.原発の設置・建設・運営に責任のある者は、原発敷地内に家族とともに居住することを特別に許される。
2.政府及び地方自治体は、前項の居住用家屋を原発敷地内に建設するための経費の二分の一を負担する。
3.不動産にかかわる税金はこれを免除する。
第四条 特権の停止
前条に定める特権を付与された者は、職務上の必要がある場合、当該原発所在の地方自治体議会の過半数の議決を以て、前条に定める居住用家屋を離れることができる。その期間の上限は二週間とする。
第五条 特権の終身性と一身専属性
1.前々条に定める特権は、その者が当該職務又は地位を離脱した後も生涯にわたって保障される。
2.この特権は相続の対象とならない。
第六条 特権の放棄
第三条の規定にかかわらず、家族はその特権を放棄することができる。
第七条 遡及適用
本法の諸規定は、本法施行以前に遡ってすべての原発責任者に適用される。

Saturday, September 10, 2011

差別犯罪と闘うために――ヘイト・クライム法はなぜ必要か(1)

「解放新聞東京版」766号(2011年6月15日号)



在特会に有罪判決



  三月二一日、京都地裁は「在日特権を許さない市民の会(在特会)」「主権回復を目指す会」などのメンバーが行った差別、暴言、虚言、暴力事件について、四人の被告人の犯罪事実を認定し、それぞれ懲役一~二年(いずれも執行猶予四年)を言い渡した。


  事件は京都と徳島の二箇所で起きた。第一に、二〇〇九年一二月四日、被告人ら四名(ABCD)が、共謀の上、京都朝鮮第一初級学校に押しかけて暴言を撒き散らし、スピーカー接続の配線コードを切断した(威力業務妨害罪、侮辱罪、器物損壊罪)。第二に、二〇一〇年四月一四日、四名のうち三名(ABC)が、共謀の上、徳島県教職員組合事務所に乱入し、暴れた(建造物侵入罪、威力業務妨害罪)。


判決理由(京都事件)は大要次のように述べている。「被告人四名は、京都朝鮮第一初級学校南側路上及び勧進橋公園において、被告人ら一一名が集合し、日本国旗や『在特会』及び『主権回復を目指す会』などと書かれたのぼり旗を掲げ、同校校長Kらに向かって怒声を張り上げ、拡声器を用いるなどして、『日本人を拉致した朝鮮総連傘下、朝鮮学校、こんなもんは学校でない』『都市公園法、京都市公園条例に違反して五〇年あまり、朝鮮学校はサッカーゴール、朝礼台、スピーカーなどなどのものを不法に設置している。こんなことは許すことできない』『北朝鮮のスパイ養成機関、朝鮮学校を日本から叩き出せ』『門を開けてくれ、設置したもんを運び届けたら我々は帰るんだよ。そもそもこの学校の土地も不法占拠なんですよ』『戦争中、男手がいないところ、女の人レイプして虐殺して奪ったのがこの土地』『ろくでなしの朝鮮学校を日本から叩き出せ。なめとったらあかんぞ。叩き出せ』『わしらはね、今までの団体のように甘くないぞ』『日本から出て行け。何が子供じゃ、こんなもん、お前、スパイの子供やないか』『お前らがな、日本人ぶち殺してここの土地奪ったんやないか』『約束というものは人間同士がするものなんですよ。人間と朝鮮人では約束は成立しません』などと怒号し、同公園内に置かれていた朝礼台を校門前に移動させて門扉に打ち当て、サッカーゴールを倒すなどして、これらの引き取りを執拗に要求して喧騒を生じさせ、もって威力を用いて同校の業務を妨害するとともに、公然と同校及び前記学校法人京都朝鮮学園を侮辱し、被告人Cは、勧進橋公園内において、京都朝鮮学園が所有管理するスピーカー及びコントロールパネルをつなぐ配線コードをニッパーで切断して損壊し」た


これらが威力業務妨害罪(学校の授業運営などを妨害した)、侮辱罪(朝鮮学校に対する侮辱)、器物損壊罪と判断された。



犯罪被害をどう理解するべきか



各地で差別と暴力を繰り返してきた在特会メンバーに有罪判決が出たことは大きい。これまで三鷹事件、名古屋博物館事件、西宮事件などで、在特会は警察官の面前にもかかわらず、激しい差別と暴力を繰り返してきた。京都事件でも、現場に立ち会った警察官は差別と暴力を規制するそぶりも見せなかった。被害者や弁護団の度重なる要請によって、京都地検がようやく重い腰を上げて、本件が立件された。被告人らの逮捕は事件から八ヶ月も後のことであった。このように遅ればせとはいえ、ともあれ威力業務妨害罪や侮辱罪で有罪となった。本件判決を広めて活用していくことも必要である。


もっとも、事件の法的評価について言えば、そもそも起訴状が不十分なものであったため、判決も不十分である。事件の本質はヘイト・クライム(憎悪を煽る犯罪、憎悪に基づく差別犯罪)であるが、日本にはヘイト・クライム法がない。名誉毀損罪があるにもかかわらず、検察官は名誉毀損罪を起訴状(訴因)に含めず、侮辱罪に限った。「事案の真相」(刑事訴訟法第一条)を解明する作業ははじめから放棄された。


 起訴状、公判立証、判決を通じて、在特会の蛮行が明らかにされ、当然の有罪判決が出たとはいえ、実際に起きた事件の本質が俎上に載せられることはなかった。ヘイト・クライム被害の重大性や深刻性は脇におかれる結果となった。


 ヘイト・クライムとは、人種、民族、言語、宗教、ジェンダーその他の一定の特性を理由として、ある人々(多くはマイノリティ)に対する差別を煽動したり、差別的動機で暴力が行われる犯罪である(前田朗『ヘイト・クライム』三一書房労組、二〇一〇年)。


 被害者は直接のターゲットだけではない。朝鮮人であるがゆえにターゲットにされたのである。「朝鮮人は出て行け」という排除と迫害の「メッセージ犯罪」である。現場に居た朝鮮学校生徒、教員、および急を聞いて駆けつけた保護者だけではなく、京都在住の朝鮮人全体が被害者である。ひいては事件報道を見聞きした在日朝鮮人全体が被害者である。


 被害は犯行時だけではない。いつまた襲撃されるかわからない危険性と恐怖がつきまとう。子どもたちの安全を守るために、通学途上の安全性の確保、授業中の学校周辺の状況にも眼を光らせる努力を強いられる。重大な被害を受けた者は、後になってフラッシュバックに襲われたり、トラウマが残ることもある。


 被害地は朝鮮学校だけではない。近所に出かける際にも用心をしなければならない。街中に同じような犯罪者がいるのではないかという不安感にさいなまれる。ヘイト・クライムの「空間的影響」である。


 被害を心理学的に究明する必要がある。被害感情や苦悩は場合によってはかなり長期に及ぶ。自分が被害を受けやすいことに気づいた被害者は「自信喪失」に見舞われる。昨日までの自分ではいられない。自己尊重が失われ、逸脱感情に襲われる。時には被害者が自分を責める事態に陥ることもある。被害者と同じ集団に属する者には同様の被害感情が共有される。


  こうした被害の重層性、複雑性をていねいに見ておかないと、憎悪を撒き散らす差別犯罪であるヘイト・クライムについて語ることはできない。



人種差別撤廃委員会の勧告



  それゆえ人種差別撤廃条約第四条(a)は、人種差別の煽動を犯罪として処罰することを締約国に義務付けている。


  日本政府は一九九五年に条約を批准したが、条約第四条(a)(b)の適用を留保した。理由はなんと、人種差別表現は憲法上の表現の自由の保護の範囲内にあるというものである。日本政府は「人種差別表現の自由」という驚くべき思想を語る。


 二〇〇一年三月、人種差別撤廃委員会は、日本政府報告書の審査結果として、日本政府に条約第四条(a)(b)の留保を撤回し、包括的な人種差別禁止法を制定するように勧告した。 九年後の二〇一〇年三月、人種差別撤廃委員会は、第二回目の日本政府報告書の審査結果として、再び日本政府に対して留保撤回と人種差別禁止法の制定を勧告した。朝鮮人に対する暴力や、インターネットにおける部落差別の実態を見据えた勧告である。


 なお、ここで言う人種差別禁止法とは、ヘイト・クライム規制だけではなく、民事・行政・教育・雇用など諸分野におけるさまざまな差別を規制するための総合的立法である。ヘイト・クライム法は人種差別禁止法の一部に相当するが、刑法分野に属する。


 人種差別撤廃委員会だけではない。二〇〇五年以来数回にわたって日本の差別状況を調査した国連人権委員会のドゥドゥ・ディエン「人種差別問題特別報告者」も、留保撤回と禁止法の制定を勧告している。


 ところが、日本政府はこれらの勧告を拒否している。理由は、第一に表現の自由である。人種差別表現も憲法上の表現の自由に含まれるという。第二に罪刑法定原則である。ヘイト・クライム法は概念が不明確であって、処罰範囲を明確に規定できないという。


 日本政府の弁解には説得力がない。人種差別撤廃委員たちは、日本政府に対して「人種差別表現の自由というものを認めるべきではない」「表現の自由を守るためにこそヘイト・クライムを規制するべきだ」と指摘した。現行刑法にも名誉毀損罪がある。人種等に対する名誉毀損罪を認めることは決して難しいことではない。日本政府の主張が正しいとすれば、世界の大半の諸国には表現の自由がなく、日本だけが表現の自由を守っているという珍妙な話になってしまう。戦争反対のビラ配りさえ許さない日本に表現の自由があるというのは、ブラックジョークにすぎないのではないだろうか。


 また、条約第四条(a)を受けて、世界の多くの諸国にヘイト・クライム処罰規定が整備されている。日本政府の主張が正しいとすれば、世界の大半の諸国には罪刑法定原則がなく、日本だけが罪刑法定原則を守っているという奇怪な話になってしまう。


 それでは世界のヘイト・クライム法はどうなっているのだろうか。表現の自由とヘイト・クライムの刑事規制を両立させるために、各国はどのような努力を続けているのだろうか。

Tuesday, September 06, 2011

済州・江汀村海軍基地反対闘争

























































































































韓国・済州島の江汀村の海岸に海軍基地建設がすすめられています。現地村民が数年間反対闘争を続けてきましたが、ようやく広く知られるようになりました。




今、当局は実力行使により強引な決着をはかろうとしています。8月29日に現地を訪問したところ、その数日前に逮捕された5人のうち一部が釈放されて、基地工事ゲート前のテントの中でミサが行われていました。




海岸の近くのテントでは、強制執行阻止のために交替で座り込みが続いています。鎖を巻きつけての抵抗闘争です。




一番下の写真は、大統領選挙の候補ポスターです。映っているのは現地の飼い犬で、基地反対の公約を掲げています。