Saturday, November 29, 2014

精神の植民地主義を克服するために

知念ウシ・與儀秀武・桃原一彦・赤嶺ゆかり『沖縄、脱植民地への胎動』(未來社、2014年)
PR誌「未来」の連載を2年分まとめたもので、前著『闘争する境界』に続く「沖縄からの報告」単行本第2弾。
民主党政権の「裏切り」から、安倍政権になっての民意の無視と「堂々たる」基地の押しつけを前に、沖縄の怒りと苦悩が続く。普天間基地移設問題における県外から辺野古への転換と、問答無用の手続きの進行。「軍事的には沖縄である必要はないが、政治的には沖縄に基地を」というあからさまな差別。オスプレイ配備の強行と、それに伴う県民に対する暴力的排除。教科書問題における歴史の歪曲と民主主義の否定。文化と芸能の簒奪と利用。政治、経済、社会、文化、教育、あらゆる分野にわたって根深く、しかも着実に進められる植民地主義の開き直りと礼賛。腐敗が人間の姿をして登場してくる。侮蔑が背広を着て訪問して来る。誹謗中傷が霰のように降り注ぐ。2014年の終わりを迎えようとする現在、沖縄に対して「植民地支配」を強行している宗主国の人民の一人として本書を読むことは、何を意味するのか。

私の思考の基本は、徐勝との共編『文明と野蛮を超えて』(かもがわ出版)と、木村朗との共編『21世紀のグローバル・ファシズム』(耕文社)において一応示したが、まだまだ不十分である。今回、東北アジア歴史財団の主催で、ソウルで植民地責任をめぐるシンポジウムに参加し、「植民地犯罪」について報告することが出来た。成田と仁川の往復の飛行機の中で本書を通読したおかげで、植民地をめぐる思考を明晰にすることが出来たように思うが、どのように理論化するべきか、まだ定かではない。国際法における植民地犯罪概念の歴史と削除の過程にどのように学ぶべきか。民衆の法思想形成において植民地犯罪論と植民地責任論をどのように組み立てるべきか。平和思想と平和運動と反基地闘争と反植民地闘争をどのように接合し、総合的に整理し直すべきか。植民地宗主国に生まれ育ち身に着けた、内なる、精神の植民地主義をいかにして克服しうるのか。7月11日の琉米条約150周年に際して『琉球新報』から提示された問いにどのように応答していくべきか。あの時「植民地犯罪論の重要性を」と答えたことについては、今回、かろうじて植民地犯罪論の入口に辿りつくことが出来たが、その次の一歩をどう歩むのか。沖縄の知識人が模索する「脱植民地化」を読みながら、「旧宗主国側の脱植民地化」の可能性を問い続けることが当面の課題である。

Wednesday, November 26, 2014

特定秘密保護法批判の書またひとつ

宇都宮健児・堀敏明・足立昌勝・林克明『秘密保護法』(集英社新書)

強引に「成立」させられた特定秘密保護法に対する批判の書物は既に何冊も出ているが、本書はコンパクトな新書で、「誰が、何のために秘密保護法をつくったのか」(堀)、「超監視社会への道」(足立)、「知る権利の妨害と闘う」(林)、「憲法と秘密保護法」(宇都宮)。大半の内容は知っていることだが、フリーランス連絡会を母体に、秘密保護法施行の差し止め訴訟のことは断片的にしか知らなかったので、本書が参考になった。本年3月28日、43人の表現者たちが、憲法違反であることの確認、施行の差止め、賠償請求の訴状を提出したと言う。執筆者はいずれも知り合いだ。足立昌勝・関東学院大学名誉教授は大学院の先輩で、何かとお世話になった。現在は救援連絡センター運営委員としてご一緒させてもらっている。

Tuesday, November 25, 2014

シンポジウム「植民地責任の清算の世界的動向と課題」inソウル(11月28日)予定

植民地責任清算世界的動向課題

Nov.  282014
 東北アジア歴史財団大会議室

09:30~10:00 登錄
10:00~10:10 開會辭金學俊 (東北アジア歴史財団理事長)
歡迎辭崔昇煥 (世界国際法協会国本部会長)

10:10~12:00              SessionⅠ 植民地責任国際法的検討

  •李長熙 (国外国語大学法学専門大学院教授常設仲裁裁判所裁判官)
  発表-1 山田晴太 (日本弁護士): 戦後補償裁判植民地責任論
  討論-1 張完翼 (国弁護士)
  発表-2 前田朗 (東京造形大学教授):植民地犯罪概念す―国際法における議論と民衆の法思想形成
  討論-2 崔哲榮 (大邱大学法科大学教授)
  発表-3 都時煥 (東北アジア歴史財団研究委員): 植民地責任国司法判決
  討論-3 洪晟弼 (延世大学校法学専門大学院教授)

12:00~13:20                                  Lunch Time

13:30~15:20               SessionⅡ 植民地責任世界的動向

  • 崔昇煥 (慶熙大学校法学専門大学院教授)
  発表-4 Shami Jeppie (University of Cape TownProfessor): アフリカでの植民地主義清算
  討論-4 辛源龍 (靈山大学教授、アフリカ学会会長)
  発表-5 粟屋利江 (東京外国語大学教授): イギリスのインド支配を再考する
  討論-5 李玉順 (延世大学外來教授、インド研究院長)
  発表-6 前川佳遠理(アジア太平洋戦争日本関連史資料および学術連絡支援財団(SOO)代表理事): 植民地性蘭領東インド植民地化とオランダの植民地責任
  討論-6 康炳根 (高麗大学法学専門大学院教授)

15:20~15:30                                Coffee Break

15:30~17:20                SessionⅢ 植民地責任日本課題

  • 張世胤 (東北アジア歴史財団研究委員)
  発表-7 吉澤文寿 (新潟国際情報大学教授): 日韓談文書公開と植民地責任
  討論-7 張博珍 (国民大学日本学研究所専任研究員)
  発表-8 永原陽子 (京都大学教授) 植民地責任論におけるナショナリズムの克服
  討論-8 徐賢珠 (東北アジア歴史財団研究委員)
  発表-9 河棕文 (韓神大学教授): 植民地責任克服けた日本政府課題
  討論-9 李昌偉 (ソウル市立大学法学専門大学院教授)

17:20~18:00                     SessionⅣ 総合討論

 • 成宰豪 (成均館大学法学専門大学院教授)

   総合討論 : 発表討論者全員

Thursday, November 20, 2014

大江健三郎を読み直す(33)歴史歪曲主義者との闘い

岩波書店編『記録・沖縄「集団自決」裁判』(岩波書店、2012年)
1970年の大江健三郎『沖縄ノート』(岩波新書)に対して2005年に歴史歪曲主義者が仕掛けた擬似歴史論争のための嫌がらせ裁判に、大江と岩波書店、そして沖縄の人々、歴史学者、沖縄戦経験者らが結集して6年間の裁判を闘い、2008年3月28日、大阪地裁で勝訴、同年10月31日、大阪高裁で控訴棄却、2011年4月21日、最高裁が上告不受理決定して決着となった。
歴史歪曲主義者との闘いのために裁判を支援する会ができ、私も会員となったが、大阪地裁での裁判のため傍聴に行くこともなく、実質的な支援に関わることが出来なかった。裁判に関わって活躍された高橋哲哉、目取真俊、奥平康弘、松井茂記、外間守善、大田昌秀、石原昌家、村上有慶、謝花直美、小牧薫、坂本昇、そして弁護団の秋山幹男、近藤卓史、秋山淳の文章が収録されている。沖縄戦における日本軍の横暴と無責任、沖縄民衆に対する差別の下で何が起きたのか。「集団自決(集団死)」とは何であったのか。経験者が長期にわたって沈黙してきたのはなぜか。歴史の扉を徐々にあけてきた調査・研究の集大成が本書である。そして、1970年に出版された有名著作に対して、2008年に名誉棄損で提訴すると言う、それだけでも異様な裁判が、実際、歴史歪曲主義者によって仕掛けられた政治裁判であったことは、提訴の時点で原告が大江の本を読んでいなかったことで、くっきり鮮明になった。背後で歴史歪曲と大江叩きのために嫌がらせ裁判を推進した勢力がいたのである。彼らの目的は歴史修正だが、それ以上に大江叩きが主眼だったのではないかと思われるのは、裁判を「支援」するかのような記事を書いていたメディアは大江を「非国民」「国賊」とまで罵倒していたからだ。
本書に大江は3つの文章を収めている。「『人間をおとしめる』とはどういうことか」「誤読・

防諜・『美しい殉国死』」「近い将来への『証言』を求める」。いずれも以前、他の形で読んだと記憶しているが、まとめて読んでみて、誤読に基づくデマ宣伝で無理やり裁判を起こしてきた破廉恥な弁護士たちへの空しい思いにとらわれながら、大いに時間の無駄を経験しつつも、裁判に向き合い、歴史の事実を明確に記録しておこうとする大江の姿勢がよくわかる。

Tuesday, November 18, 2014

フェルディナント・ホドラー展

ホドラーは何でも描いた大作家という印象がある。アルプスをはじめとするスイス各地の自然も繰り返し何度も描いた。景観画、肖像画、歴史画、自画像も多数描いた。画風も様々に変化した。油彩カンバス作品のみならず、壁画も残している。光を描き、闇を描き、自然も苦悩も喜びも祈りも描いた。ホドラーは文字通りスイスの国民的画家である。
国立西洋美術館で開催中のホドラー展。今年の授業で「スイスの美術館」をやっているが、パウル・クレーはスイス生まれスイス育ちだがドイツ国籍。表現主義のキルヒナーもドイツ。アンジェリカ・カウフマンもクール生まれだがオーストリア国籍。アルプスの画家セガンティーニはイタリア出身。スイス出身のバロットンはフランス国籍取得。スイスと言えば、画家ジャコメティ、彫刻家ジャコメティ、美術・デザインのマックス・ビルなど多数いるが、ホドラーの存在感が一番だ。ジャコメティの「歩く人」がスイス紙幣に使われているが、かつてはホドラーが紙幣に使われていたと言う。ホドラー作品はスイスの主要美術館どこでも見ることが出来る。ジュネーヴ、ベルン、バーゼル、ヴィンタトール、どこにもホドラーがいくつもあるが、まとめてみたのは初めてだ。
とても印象に残ったのは、「インターラーケンの朝」の光と影の対比、「オイリュトミー」の静かな静かなリズム、連作「昼」の構図と生命観、幾様にも描き分けたレマン湖の顔、ユングフラウの偉容。ホドラーの前にホドラーなし、ホドラーの後にホドラーなし。カタログをもう一度ゆっくり見直す必要がある。




Sunday, November 16, 2014

ブラック国家批判の作法

佐高信『ブラック国家ニッポンを撃つ』(七つ森書館、2014年)

「佐高信の緊急対論50選・天の巻」と付されている。「地の巻」「人の巻」と合わせて3冊で50の対論・討論・座談を集めている。本書では、佐藤優、田原総一郎、上野千鶴子、加藤紘一、小森陽一、東郷和彦、吉永小百合、鈴木宗男、中島岳志、斎藤貴男、菅原文太、福島みずほなど27人が登場する。政治と経済にわたる批判の書であり、著者らしく、実名を出して具体的批判に徹している。政治家、企業人、官僚、作家、宗教者など次々とやり玉に挙げながら、ニッポンの行く末を論じている。2006年頃の対談から2013年のものまで収録されているため、話題がやや古いなと思うところもないわけではないが、それが現在とつながっているので、全体として違和感なく読める。経済小説家(大下英治、飯塚将司)による経済小説論が一番面白く読めた。

Sunday, November 09, 2014

大江健三郎を読み直す(32)時代が主題を作家に与える

大江健三郎『日本の「私」からの手紙』(岩波新書、1996年)
ノーベル賞受賞後1年の間の手紙、講演、往復書簡を収めている。「フランス核実験をめぐる手紙と感想」は、駆け込み核実験を強行した1995年の「傷だらけ」のフランスをめぐる手紙である。「天皇が人間の声で話した日」は、1945年8月15日の天皇ラジオ放送を発端に日本と大江が歩んだ道を振り返る。「日本人はアジアで復権しうるのか」は、1995年の「戦後50年不戦決議」をめぐる考察である。1995年にあの戦争を追想し、異なる戦後を辿ったドイツのギュンター・グラスとの往復書簡は、当時も読みごたえがあったが、「戦後70年」を迎えようとしている現在、読み直す意味がある。「時代から主題を与えられた」において、大江は、アトランタ・オリンピックに先行して開催されたアトランタ文化オリンピックを紹介し、老人の域に達した文学者の集まりなので、参加者が走ったわけではないとジョークを飛ばしながら、時代と文学の関係を根本的に問い直すことについて話を始める。ウェールズの詩人R.S.トーマスの作品を紹介しながら、大江は、自分が主題を選んだのではなく、核時代の文学という主題が大江を選んだのだと言う。それは文学者としての大江の生涯を規定する。
嘘を虚栄に満ちた最低の内閣が引きずり込もうとしている東京オリンピックに向けて、私たちはどのような精神の闘いを挑んでいくのか。

本書あとがきに「『ヒロシマ・ノート』に始まった、私のいかにも私に発する岩波新書のシリーズは、これでしめくくることになるだろう」とある。『沖縄ノート』『新しい文学のために』『あいまいな日本の私』を含め、岩波新書の大江は5冊ということになる。3.11以後、今度も繰り返しまた大江の社会的発言が重みを増しているのだが。

戦争が日本を鷲づかみにして離さない理由

内田雅敏『靖国参拝の何が問題か』(平凡社新書)

安倍首相のこっそり電撃靖国参拝によって、またしても日本の異常さ、国際常識のなさを露呈した靖国問題。戦後補償に取り組んできた内田雅敏弁護士は、あらためて靖国批判の論陣を張る。
最初のポイントは「A級戦犯合祀以後、天皇が靖国参拝しなくなった。だから、A級戦犯分祀を」と言う主張への批判である。この主張は、靖国批判側からの意見というよりも、靖国擁護側の分岐を示すものであり、最近は遺族会の一部からも出ている。しかし、著者は言う。A級戦犯合祀こそ靖国思想の中核であり、本質であり、それを抜いたら靖国神社は靖国神社でなくなる。この点は、靖国批判側にとっても、万が一、A級戦犯分祀が実現しても、それで靖国神社がまともな神社になるわけではないことを確認させる。それにしても、天皇が参拝できない靖国神社とは何か。いったい何の意味があるのか、は残るだろう。著者は靖国の「聖戦」史観を徹底批判している。
次のポイントは靖国生き残り戦略と東京裁判批判がもつ意味である。本文も興味深いが、付論1で、靖国神社「放火」犯の引き渡しを拒んだ韓国高等法院判決に見る靖国神社観を紹介している。そこでは、放火犯人を政治犯として位置付け、政治犯を日本に引き渡すことを拒んだ根拠として、韓国司法が用いた言葉が「普遍的価値」であったことだ。当時、私もこれを重視して一文を書いたことがある。その意味は、第一に、靖国神社は国際社会の普遍的価値観に反するという言であり、第二に、靖国参拝は普遍的価値観に対する挑戦であり、それゆえ第三に、日本は欧米民主主義諸国と価値観を共有していないということである。戦争翼賛神社が日本にしがみつき、何が何でも戦争を賛美する。
本書に付け加えるとすれば、次に論じるべきポイントは「英霊は靖国にいるのか、それとも南洋諸島のジャングルや海底をさまよっているのか」であろう。靖国に英霊はいない。天皇が参拝しない靖国に英霊がいるはずがない。だから、遺族たちはガダルカナルやサイパンやタラワに慰霊碑を建立してきたのだ。アジア太平洋に建立された慰霊碑は1500を超える。遺族はインチキ神社・靖国の嘘にうすうす気づいては、いるのだ。

Wednesday, November 05, 2014

エリート・レイシズムを考える

チュン・ファン・ダイクの「エリート・レイシズム」という論文がある。1995年に出版されたリタ・カーク・ウィロックとデイヴィド・スレイデン編『ヘイト・スピーチ』に掲載された。著者はアムステルダム大学の研究者で、本論文は1990年9月にドイツのハンブルクで開催された「欧州のレイシズムに関する国際会議」での報告に基づく。
Teun A. van Dijk, Elite Discouse and the Reproduction of Racism, Rita Kirk Whillock & David Slayden(ed.), Hate Speech, SAGE Publications, 1995.
ファン・ダイクは「エリート・レイシズム」に焦点を当てる。ファン・ダイクはエリートの態度が白人低階層の人々や極右に影響を与える、という。以下、その一部を紹介する。
白人集団メンバーと白人の制度が、日常的に、白人の支配を表明し、確乎たるものにする。社会的な語りや、子ども時代に読む本も、マスメディアや政治において語られるのも、マジョリティたる白人の語りである。そこにおいてマイノリティに関する語りが規制されている。社会的認知は民族的に方向づけられており、偏見が確立する。
エリートは社会権力構造の中で生まれ、政府、議会、行政の長、指導的政治家、企業経営者、指導的研究者らが、社会に影響を与える決定とその実施を統制している。
メディアについてみると、メディアに雇用されるのはマジョリティのエリートである。メディアへのアクセスは一方向的であり、マイノリティにはチャンスがごく僅かしか配分されない。マイノリティ・ジャーナリストがごくわずかなので、メディアが取り上げるトピックスもマジョリティの利害と関心に左右される。レイシズムに鈍感なため、レイシズムに直面してもその事実を否定したり、反転させる。結果としてマスメディアはレイシズムの温床となる。
同様のことは、教科書についても言える。教育課程と教科書は、マジョリティのエリートによって編集・作成される。教科書には、マイノリティに関する情報が掲載されなかったり、掲載される場合にはマジョリティの視線によって構築されたマイノリティ像が掲載されることが多い。移民や人種問題が犯罪と逸脱行動に関する事項に記載されることも少なくない。
専門研究や政治議論においても同様のメカニズムが働き、無自覚のうちにレイシズムが強化される。エリートは自分が持つイメージを撹拌することなく、既存のイメージに安住してしまうことによってレイシズムの強化に加担することになる。
以上を参考に日本におけるエリート・レイシズムについて考えたい。日本の場合、国家が積極的に朝鮮人差別政策を推進してきたので、国家レイシズムを問う必要があるが、国家レイシズムの中核をなすのがエリート・レイシズムといえよう。
日本社会のマジョリティである大和民族、日本国籍、男性、いわゆる健常者で、高学歴の政策決定エリートの価値観が、日本社会の価値観の基本を成している。それは知らず知らずのうちにレイシズムを強化する。
政策決定エリートは、日本国憲法の解釈権限を占有するため、日本国憲法を歪曲して、マジョリティによるマイノリティに対する差別を「表現の自由」という口実で正当化してしまう。
日本国憲法前文の平和主義と国際協調主義を基に考えれば、日本国憲法第21条の表現の自由は、かつて戦争宣伝や民族差別を煽った歴史を反省して、表現の自由と責任をバランスよく考慮することが求められる。
ところが、政策決定エリートは、何の根拠もなくこれを転覆し、日本国憲法第21条を理由にして、差別表現の自由を規制できないという倒錯した理屈を構築する。

この社会のレイシズムとヘイト・スピーチの根本問題は、ザイトクにではなく、エリート・レイシズムにあるのではないだろうか。

大阪市はヘイト団体の共犯になるのか

NGOのヒューライツ大阪の情報によると、大阪市人権施策推進審議会の検討部会において<市の施設の使用に関しては、「制限すると表現の自由の侵害につながるおそれがある」という課題を複数の委員が指摘>したそうである。
「専門委員」は下記の人物である。
専門委員たちは<市が公共施設をヘイト団体に利用させてヘイト集会を行わせた場合、市がヘイト団体に協力・加担したことになる>という論点についてどのように検討したのだろうか。
換言すれば、大阪市はヘイト団体と共犯となって、被害者に対するヘイト・クライム/ヘイト・スピーチを行うことになる。
このような事態を日本国憲法が許容しているのだろうか。地方自治体の責務は住民の暮らしと安全を守ることである。「住民」には外国人住民も含まれる。
大阪市が選んだ「専門委員」は外国人住民の基本的人権を侵害してもよいと考えているのだろうか。「専門委員」たちは、なぜここまでして「差別表現の自由」を擁護しなければならないのだろうか。
<地方自治体がヘイト団体に公共施設を利用させてヘイト集会を行わせた場合、市がヘイト団体に協力・加担したことになる>という理解を私は何十回と唱えてきた。大阪府でも大阪市や門真市の市民などが主催した公開集会で何度も指摘した。論文でも書いたし、複数の新聞記事でも取り上げられたし、このブログにも書いてきた。
ホテルの会議室を借りてヘイト集会を開催すれば10万円かかるのに、市の公共施設を利用すれば1万円で開催できたとすれば、市がヘイト団体に9万円の資金援助をしたに等しい。ヘイトデモと違って、公共施設におけるヘイト集会ならば公然性がないので、差別被害は比較的少ないと言える。しかし、差別されるマイノリティが当該施設に行くことが困難になる。何よりも市が加害に加担しているので、被害者は権利保護をどこにも求めることが出来ない。
人種差別撤廃条約第2条は、地方自治体を含む政府に、人種差別を擁護したり支持したりしないことを求めている。
人種差別撤廃条約第4条本文は、政府にヘイト・スピーチを非難することを求めている。この条項を日本政府は留保していない。日本政府が留保したのは4条(a)(b)である。
人種差別撤廃条約第4条(a)は、政府にヘイト団体への資金援助を犯罪とするよう求めている。日本政府は4条(a)の適用を留保しているが、それは「ヘイト団体への資金援助を犯罪とすることを留保している」と言う意味である。「日本政府がヘイト団体に資金援助する」などということがあってはならない。
人種差別撤廃条約第4条(c)は「国又は地方の公の当局又は機関が人種差別を助長し又は扇動することを認めないこと」としている。地方自治体が人種差別を助長することがあってはならない。日本政府は4条(c)の適用を留保していないのだから、4条(c)を守るべきである。
人種差別撤廃条約第2条
1 締約国は、人種差別を非難し、また、あらゆる形態の人種差別を撤廃する政策及びあらゆる人種間の理解を促進する政策をすべての適当な方法により遅滞なくとることを約束する。このため、
a)各締約国は、個人、集団又は団体に対する人種差別の行為又は慣行に従事しないこと並びに国及び地方のすべての公の当局及び機関がこの義務に従って行動するよう確保することを約束する。
b)各締約国は、いかなる個人又は団体による人種差別も後援せず、擁護せず又は支持しないことを約束する。
c)各締約国は、政府(国及び地方)の政策を再検討し及び人種差別を生じさせ又は永続化させる効果を有するいかなる法令も改正し、廃止し又は無効にするために効果的な措置をとる。
d)各締約国は、すべての適当な方法(状況により必要とされるときは、立法を含む。)により、いかなる個人、集団又は団体による人種差別も禁止し、終了させる。
e)各締約国は、適当なときは、人種間の融和を目的とし、かつ、複数の人種で構成される団体及び運動を支援し並びに人種間の障壁を撤廃する他の方法を奨励すること並びに人種間の分断を強化するようないかなる動きも抑制することを約束する。
人種差別撤廃条約第4条
 締約国は、一の人種の優越性若しくは一の皮膚の色若しくは種族的出身の人の集団の優越性の思想若しくは理論に基づくあらゆる宣伝及び団体又は人種的憎悪及び人種差別(形態のいかんを問わない。)を正当化し若しくは助長することを企てるあらゆる宣伝及び団体を非難し、また、このような差別のあらゆる扇動又は行為を根絶することを目的とする迅速かつ積極的な措置をとることを約束する。このため、締約国は、世界人権宣言に具現された原則及び次条に明示的に定める権利に十分な考慮を払って、特に次のことを行う。
a)人種的優越又は憎悪に基づく思想のあらゆる流布、人種差別の扇動、いかなる人種若しくは皮膚の色若しくは種族的出身を異にする人の集団に対するものであるかを問わずすべての暴力行為又はその行為の扇動及び人種主義に基づく活動に対する資金援助を含むいかなる援助の提供も、法律で処罰すべき犯罪であることを宣言すること。
b)人種差別を助長し及び扇動する団体及び組織的宣伝活動その他のすべての宣伝活動を違法であるとして禁止するものとし、このような団体又は活動への参加が法律で処罰すべき犯罪であることを認めること。

c)国又は地方の公の当局又は機関が人種差別を助長し又は扇動することを認めないこと。

Sunday, November 02, 2014

クマラスワミ報告書について(6)

『週刊金曜日』1014号に、私のコメントが掲載されました。

前田朗「『クマラスワミ報告』に安倍内閣が修正要求」

です。

日本政府の「修正要求」は国内向けのパフォーマンスに過ぎず、国際的には「恥の上塗り」というコメントです。

他にも能川元一さん、吉見義明さんなどの文章が掲載されています。