Friday, March 22, 2019

ジュネーヴのヴィーナス像


ジュネーヴ美術歴史館は常設展と企画展だった。

常設展は、近世の宗教画に始まり、近代絵画がずらり。地元スイスやその周辺の画家と、西欧各地の画家の作品が混在している。地元はまずはアルプスの山岳絵画、そしてレマン湖をはじめとする湖。印象派も小品だが有名画家は2~3点そろっている。ホドラーやバロットン、アリス・ベイリーやジャコメティ。シャガールとピカソ。

企画展は、ローヌ川のローマ遺跡がテーマだった。

フランス南部のアルル地方がローマの支配下に入ると、アルルで地中海に注ぐローヌ川をさかのぼってローマが進軍した。リヨンを経て、紀元前1世紀頃にはレマン湖にやってくる。ジュネーヴにも集落が出来たようだが、レマン湖東側のマルティニにはローマの競技場が残っている。現在のスイス南西部がローマ領となった。シーザーの時代にかかっている。ローマからは、イタリア半島を直接北上してフランス南部に来るコースもあるが、もう一つはスペインからピレネーを越えてきた。アルル地方の支配はそうして実現したようだ。

展示は、レマン湖底、ローヌ川、そして周辺沿岸地域で出土した物で、門柱、レリーフ、彫刻、コイン、メダル、食器、壺、棺等だ。

圧巻は大理石のヴィーナス像だ。高さ2メートル50センチくらいの大理石像、一部欠けているが、かなり良好だ。


夕方は、プレニーの展望台でレマン湖を見下ろした。3月中旬までは小雨や曇りの日が多かったが、ここ数日は見事な青空で雲一つない。目の前は緑の野原、その向こうに林があり、その下にレマン湖の青がたたずむ。視界の過半は青空だ。レマン湖の向こう岸はかすんでいたが。A&Gの明日に架ける橋など歌いながらさわやかな風に吹かれていた。

歴代総理の沖縄観をつぶさに検証


塩田潮『内閣総理大臣の沖縄問題』(平凡社新書)

吉田茂、芦田均、佐藤栄作、大平正芳、宮沢喜一、村山富市、橋本龍太郎、小渕恵三、小泉純一郎、鳩山由紀夫、そして安倍晋三にいたる歴代総理が、沖縄にいかに向き合ってきたかを検証している。前半は沖縄返還問題であり、後半は現在の米軍基地問題である。大筋はみな知っていることだが、その都度、総理がいかなる情勢、いかなる情報の元、どのように行動したかを、エピソードを交えて叙述している。

総理の立場から問題を見て、解決策を求めるので、どの総理もそれぞれの善意で、最善を尽くしていたかのような錯覚に陥る面もないではない。

安倍政権は、アベノミクスや集団的自衛権に力を入れて、沖縄問題に優先的ではなかったのが、ここへ来て重大問題になっている。それならば、と塩田は最後に言う。

「結果重視の安倍が本気で『政治の責務』を意識するなら、『沖縄問題は内閣の最重要課題』と公言した橋本を手本に、沖縄問題の政策的優先順位を格上げして、沖縄とのハートフルなネットワーク作りも含め、総力結集態勢を構築しなければならない。」

「何よりも民主主義に対する深い理解と『沖縄の民意との結託』という道を選択する柔軟さが安倍政権に求められる。問われているのは、内閣総理大臣の沖縄問題に取り組む識見と力量である。」

もっともだが、ないものねだりである。

Thursday, March 21, 2019

「こころ」の謎に迫る脳科学


櫻井武『「こころ」はいかにして生まれるのか』(講談社ブルーバックス)


覚醒を制御する神経ペプチド「オレキシン」の発見者で脳科学の第一人者による新書だ。

大脳皮質の認知機能、大脳辺縁系による記憶と常道の制御機構、そして報酬系の機能などをわかりやすく解説しながら、その「システム」から「こころ」が生まれることを示している。

「こころ」自体は、科学の対象とは言えないようだが、脳の機能が発達して、人間特有の「こころ」ができあがり、科学と文学の交差領域にあるのかもしれない。

脳の情報処理システム、「こころ」と常道の関係、脳内報酬系の謎、神経伝達物質の多様性など、知らないことばかりだ。とても理解したとは言えないが、現代脳科学がどんなことに関心を持って研究を進めているのかがわかっておもしろい。個別のエピソードは理解できるが、構造と機能の中身に立ち入ると素人には難しい。


本書カバーの表紙には、舟越桂の彫刻「山と水の間に」(1998年制作)が使われている。舟越の独特の彫像は、まさに物体に過ぎない彫刻作品に感情が宿るかのごとき錯覚を与える。どれも静謐なイメージで、およそ躍動感からは遠いのに、いまにも眉や眼が動くのではないか、唇が何かを言いたそうだ、と思わせる。表紙にこの作品を使ったのは、著者の意向だろうか、編集者の判断だろうか。いずれにせよ、本書の表紙にふさわしい。舟越とは同僚なので、ちょっと嬉しい。

赤十字の刑務所展


国際赤十字(ICRC)の博物館は、常設展と企画展だった。

常設展「人道主義の冒険」は、赤十字の由来、活動の主な内容に関する資料、証言などの構成。何度か組み替えたり、新たに加わっているが、基本的には赤十字の歴史なので基本はずっと変わらない。

ソルフェリーノの戦いにおけるアンリ・デュナンの活動、その後の赤十字結成、赤十字旗の由来、第一次大戦における名簿カードとメッセージカード、第二次大戦を経て、ルワンダ・ジェノサイドにおける写真カード、そしてコンピュータによる情報管理に至る救援活動の基本。世界的組織とは言え、やはり元は欧州中心なので、朝鮮戦争やヴェトナム戦争はほとんどでてこない。

証言は、戦争や地震や飢餓の中で、難民となった人物、救援活動に加わった人物、国際刑事裁判所に訴追する役割を果たした人物などの証言。3.11以後、東北地方で遺体の歯を調査し、身元情報を確認し、遺体を家族の元に送る作業をすすめた歯科医の証言もある。9カ国語の解説があり、日本語もあるので便利。

企画展「刑務所」は、文字通り「刑務所とは何か」の展示だ。
真っ先に、ベンサムのパノプティコンの図版と解説があり、イギリスやフランスの古い刑務所の写真や図面が展示されている。一望監視装置による被収容者管理の思想が分かりやすく示されている。日本の刑務所も、府中、横浜、千葉など、以前はみな同じスタイルだった。

次に刑務所における処遇と生活の様子だ。

とても興味深かったのは、「刑務所の音」だ。舎房のモデル室に入ると、無機質な壁と床のみで何もない空間だが、音響が流れる。物がぶつかる音、金属音、誰かの呟き、意味不明の叫びが入り交じった雑多な音だ。うるさい。これが、はじめて収容された受刑者が耳にする音。一般生活の中での生活音との違いがわかる。

もっとも、日本の刑務所は違うかもしれない。ここ30年ほど、国際人権法の世界に報告されてきたように、日本の刑務所のキーワードは静寂と沈黙だ。音を立てない静かさ、会話を禁じられた世界。懲役囚の工場での作業は別として、舎房では静寂が求められる。

展示は、刑務所暴動のコーナーもあった。他方、刑務所内暴力も、まずは拷問被害者の写真と拷問用具。政治犯に対する厳しい処遇。また、女性収容者に対するレイプ。

他方、被収容者の工作やアート作品も展示されていた。最後に修復的司法の解説があった。刑務所展は英語とフランス語のみ。

入り口に戻って売店を見ると、デュナンや赤十字の本と並んで、ミシェル・フーコーも売っていた。

Tuesday, March 19, 2019

国連でアイヌ民族遺骨返還問題を訴える


 19日、ジュネーヴの国連欧州本部で開催中の国連人権理事会40会期の議題9「ダーバン宣言フォローアップ」で、NGOの国際人権活動日本委員会(JWCHR、前田朗)は、アイヌ民族遺骨返還問題について、おおよそ次のような発言をした。

<先住民族アイヌの遺骨返還をめぐる最近の状況を紹介する。日本の医学者たちが1930~40年代、北海道各地のアイヌ共同体の墓地から遺骨を持ち出した。

 少なくとも1700の人骨が、医学者の調査活動によって盗まれ、80年間、返還されないままである。これらの人骨はいまなお国立の北海道大学、東京大学等々に保管されている。仮に研究目的だったとしても許されないことである。

 アイヌ民族は1980年以来、遺骨返還を求めてきたが、北海道大学は返還を拒んでいる。それゆえ、アイヌ民族は遺骨返還を求めて札幌地裁に6つの訴訟を提起してきた。

 国連先住民族権利宣言12条は、遺骨の返還の権利を定めている。2018年9月26日、人種差別撤廃委員会は、これに関心を示し、雇用、教育、公共サービスにおけるアイヌ差別があり、アイヌ民族の言語や文化伝統の保護が十分でないとした。

 日本政府は、アイヌ民族の宗教的権利を保護する措置をとるべきである。>


議題8が終わってすぐに議題9になった。議題9は発言する国が少なかったため、NGOの発言も比較的早く始まった。予想よりも早く発言することになった。


人権理事会でアイヌ民族遺骨問題をアピールしたのはたぶん初めてではないだろうか。先住民族作業部会や人種差別撤廃委員会には報告してきたが、人権理事会本会議ではアピールしてこなかったように記憶する。私の知らないところで発言した例があるかもしれないが。

他方、アイヌ新法について一言ふれたかったが、うまく入れられなかた。


同じ日に琉球民族遺骨問題とアイヌ民族遺骨問題の両方を発言できたのは良かった。

国連で琉球民族遺骨返還問題を訴える


19日、ジュネーヴの国連欧州本部で開催中の国連人権理事会40会期の議題8「ウィーン人権宣言フォローアップ」で、NGOの国際人権活動日本委員会(JWCHR、前田朗)は、琉球民族遺骨返還問題について、おおよそ次のような発言をした。

<昨年12月4日、5人の琉球先住民族が、琉球の墓地から持ち出された遺骨の返還を求めて、遺骨問題について京都地裁に提訴した。少なくとも26の人骨が墓から盗まれ、90年間返還されていない。仮に研究目的であっても許されないことである。この琉球人遺骨は、1928~29年に琉球で調査を行った日本人人類学者によって持ち出され、いまなお京都大学が保管している。

 さらに33の琉球の人骨が国立台湾大学に保管されている。これらは琉球諸島から持ち出されて返還されていない遺骨問題のうちの二つの事例に過ぎない。

 1879年の日本による強制併合と植民地化のため、琉球人は国家のないマイノリティとなり、差別にさらされてきた。琉球は日本領土の0.6%にすぎないのに、米軍基地の70%以上が意志に反して琉球に置かれている。

 さらに、日本政府は沖縄島北部の辺野古に新しい軍事基地建設を暴力的に進めている。

 2018年9月26日、人種差別撤廃委員会は、日本政府に、琉球人を先住民族と認め、その人権を保護し、米軍基地の兵士による暴力から琉球女性を保護するように勧告した。>


議題8の審議は18日に終わるはずだったが、長引いたため、私の少し前で終わった。19日朝早くに発言することになった。待つ時間が長引いたのと、朝一番はまだ各国外交官が揃わない時間だったのが残念。


琉球民族遺骨返還問題を国連人権理事会に報告したのは初めてのことだろう。これまで先住民族作業部会には報告されているだろうし、昨年8月の人種差別撤廃委員会の日本政府報告書審査に向けてNGOが提出した報告書には載っていただろうが、人権理事会本会議に報告されたことはなかったと思う。

ここ数年、人権理事会には琉球関連の発言が続いている。たとえば2015年9月には翁長雄志知事が発言した。2017年3月には、山城博治さんの釈放を求める発言があった。

Monday, March 18, 2019

戦後思想史の体験・記憶・対話に学ぶ


清水多吉『語り継ぐ戦後思想史』(彩流社、2019年)


名著『1930年代の光と影』の清水だ。

『ベンヤミンの憂鬱』の清水だ。

ハーバーマスの『社会科学の論理によせて』『史的唯物論の再構成』『討議倫理』の翻訳の清水だ。

著書を通じて数多くのことを学ばせてもらった碩学の、「体験と対話から」語り継ぐ時代の証言である。

僅か215頁の著書に、数々のエピソードが詰め込まれている。目次を見るだけでため息が出そうになる。

登場するのは、福本和夫、吉本隆明、中野重治、日本浪漫派、『新日本文学』と『近代文学』の作家たち、わだつみ世代の村上一郎、三島由紀夫、埴谷雄高、全共闘世代、芳賀登、廣松渉、藤原保信等々。

西欧知識人では、ブレヒト、ブロッホ、マルクーゼ、ホルクハイマー、アドルノ、ハーバーマス、ルーマン、ホネット、ドルーズ、リオタール等々。

こうした知識人の著作や対話を通じて、戦後思想史を描き出している。そこでは、ソ連型マルクス主義崩壊後の現代史における主体形成、社会編成、そして権力をめぐる論戦が様々に形を変えて解き明かされていく。

『1930年代の光と影』の著者のメッセージは、次のようにまとめられる。

<昭和が終わり、平成が代替わりしようとしている現在、

安穏に見える無関心の人たちに支えられた民主主義政治が成り立っている。

かつて世界を二分した熱い戦争の悲劇から、

冷たい戦争の時代を経る過程で、さまざまな思想の葛藤があり、

それに伴う行動があった。

今、世界の政治は

いわゆる「ポピュリズム」(大衆迎合主義)の傾向を強め、

ナショナリズムと分断に誘うリーダーが幅を利かせている。

社会主義体制は内的に自壊したが、

ファシズムは軍事的に敗れたのであり自壊したのではない。

種子がある限り蘇る可能性があるのだ。

本書は、新時代への危惧と次世代への問いかけを含む好著である。>

行間に込められた思いを十分に受け止めるだけの能力がないが、それでも非常に勉強になる著作である。


気になるところもないではない。

ケアレスミスの誤植があるのはともかくとして、その一つが、吉本隆明の『言語にとって美とはなにか』を「昭和六一年に発表された」としていることだ(60頁)。これが躓きの始まりだ。「一九六一年」に訂正すれば済む話ではあるが、なぜ元号なのか。清水は西暦と元号を併用し、あるときは元号で、あるときは西暦で表記している。そして本文最後に次のように述べる。

「この『平成』という時期は、あの『大正』期十五年の倍の長さを持ったにも拘わらず、『大正』期の誰しもが感ずる『大正期らしい生きられた思想』に匹敵するものを、生み出さなかったのではあるまいか。」(212頁)

元号を用いていることを直ちにとやかく言う必要はないだろう。ハーバーマスの話の所では西暦を用いて、福本和夫の話の所では元号を用いるのは合理的と言えるかもしれない。

だが、著者は時代区分も元号に従っている。大正や昭和や平成の思想を語る姿勢である。そのことも必ずしも批判されるべきことではないだろう。

だが、やはり気になる。大いに気になる。なぜか。

最大の理由は、本書には天皇も天皇制も登場しないことだ。

コミンテルンの31年テーゼと32年テーゼの比較をするとき、清水は、社会主義革命か民主主義革命かの論点だけに絞り込む。天皇制については語らない。

日本浪漫派や三島由紀夫についてふれることはあっても、天皇制には及ばない。

1989年の激変に世界史の転換を見て、思想史のエポックを画するという位置づけをするが、焦点化されるのは壁が崩壊したことだけであり、朕が崩御したことではない。

清水が天皇及び天皇制に関心のないはずがない。それどころか、語るべき多くを抱え込んでいるはずだ。にもかかわらず、本書で清水は天皇及び天皇制への言及を徹底的に排除した。慎重かつ周到に排除した。

なぜなのか。

「社会主義体制は内的に自壊したが、ファシズムは軍事的に敗れたのであり自壊したのではない。」という言葉にすでに込められているというのだろうか。

それとも、清水は最後にもう一冊、『語り継がれなかった戦後思想史』を世に問う腹案を持っているのだろうか。大いに気になる。


目次

はじめに──忘れられて行く価値 忘れられない価値

第一章 「転向」の諸相

第一節 様々な獄中体験

第二節 ゴーリキーの不可解な死

第三節 いわゆる「転向」「コロビ」

第二章 戦争直後の世代

第一節 『新日本文学』vs.『近代文学』

第二節 「わだつみ世代」の反応

第三節 更に「遅れてきた世代」の受けとめ方

第三章 「自同律の不快さ」

第一節 つまり「私が私であることのこの不快さ」

第二節 「異化作用」

第三節 「ハムレット」劇を例として

第四節 エルンスト・ブロッホ訪問

第五節 フランクフルト大学を尋ねて

第四章 叛乱の季節

第一節 西欧の「学生叛乱」

第二節 日本の東大・日大闘争

第三節 西欧の叛乱学生の資質

第四節 ルガーノ湖畔にホルクハイマー訪問

第五節 『啓蒙の弁証法』の読み方

第六節 テロ事件に直接遭遇

第五章 ニューヨークからミュンヘンへ

第一節 「寺子屋教室」の思い出

第二節 ニューヨーク・ホウフストラ大学での講義体験

第三節 ピストル武装の学生に守られてのニューヨーク見物

第四節 ワーグナーを求めてバイロイトへ

第五節 シュタルンベルクにハーバーマスを尋ねて

第六章 「権力」への問い

第一節 福本和夫、再び

第二節 ルーマンvs. ハーバーマス

第三節 ホネットの『権力の批判』

第四節 フーコーの微視的「権力論」

第五節 フランス哲学への問い

第七章 社会主義体制の自滅

第一節 ソ連での不快な思い出

第二節 東ベルリンでの恐怖の思い出

第三節 東欧・ソ連社会主義体制の自滅

第八章 ベルギーのルーヴァン大学から再びベルリンへ

第一節 リオタールあるいはドゥルーズ批判

第二節 ベルギー、ルーヴァン大学での意見発表

第三節 再び「壁」崩壊後のベルリンへ

第四節 かけがえのない私の友人 廣松渉氏、藤原保信氏の死

第五節 ドゥルーズ、レヴィナス、ルーマンの死。そしてわが友 矢代梓氏の死。

終 章 テロとともに始まった二一世紀