Sunday, February 17, 2019

ヘイト・スピーチ研究文献(132)ヒトラー『わが闘争』出版の可否


鈴木秀美「ドイツの民衆煽動罪と表現の自由」『日本法学』82巻3号(2016年)


ドイツの民衆煽動罪については、刑法学者の楠本孝、金尚均、櫻庭総による詳細な研究がある。

本論文の主要部分は同じことの繰り返しだが、二○一五年末にヒトラーの著『わが闘争』の著作権が消滅し、ドイツでその出版が許されるかを巡って論争が起きた経緯を紹介している。それまでは、『わが闘争』の著作権及び版権はバイエルン州が保有し、かつバイエルン州は出版を禁止してきた。しかし、著作権が消滅したので、ある出版社がこれを出版する計画を立て、バイエルン州が出版差止訴訟を提起するなど、論争が起きた。

別の極右系出版社が出版予告をしたところ、民衆煽動罪の嫌疑で捜査が始まるなど、論争は本格化することになった。

鈴木は、「弊誌は殺人者だ」決定、ヴンジーデル決定を詳しく紹介し、さらに有罪判決を覆した連邦憲法裁判所決定を紹介する。また、民衆煽動罪の最近の適用状況も紹介している。

「ドイツでは、一方で、立法者が、刑法130条による表現規制を絶えず見直し、ヘイトスピーチ規制に取り組んでおり、他方で、連邦憲法裁判所は、その規制による表現の自由の過剰な制約を回避するための歯止めとしての役割を果たしている。連邦憲法裁判所の存在を抜きにして、民衆煽動罪による表現規制の効果を理解することはできないということを指摘して、本稿を閉じることにしたい。」(424頁)


Thursday, February 14, 2019

思い残し切符を、あなたに


久しぶりのこまつ座。

井上ひさし『イーハトーボの劇列車』は、じんわり、やんわりと、静かな感銘を与えてくれた。


宮沢賢治の生涯を描いた作品だが、井上ひさしらしく、ごくごく限られた一時期、一場面の積み重ねで、賢治の生涯を提示する。

場面は、おおくが花巻から上野に向かう列車の車両である。上京する賢治と、他の客達の出会い、ふれあいをとおして、そこに賢治の作品をかなり強引に織り込んでいく。注文の多い料理店、修羅、又三郎、山男、グスコーブドリ。

賢治が主人公だが、さえないし、かっこわるいし、父親に怒鳴られるし、最後まで悩める賢治である。

父親は怒鳴るだけではない。話術、詭弁、正論、すりかえ、なんでもありの奸計をめぐらせて賢治を理論的に追い詰める。山西惇の演技が冴え渡る。

賢治役の松田龍平の好演も見逃せない。映画『蟹工船』などで見た松田龍平はイマイチだった。若くてかっこいいが、それだけ、と決めつけては申し訳ないが。あの松田龍平がこんないい役者になるとは予想していなかった。身体動作の演技が必ずしも多くない、颯爽としていないし、熱弁もわずか、そして東北弁――その賢治役を見事に演じきっていた。ゆったりとした進行、間の取り方が巧みだ。

最後、12人の登場人物から集めた思い残し切符を、車掌が客席に投げる。その瞬間、照明が落ちる。

さまざまな人生を閉じていった人々の思い残し切符。誰から誰に渡されるのか、決まりもなく、行方もわからない。でも、やるせなさ、かなしみ、たのしさ、やさしさ、はかなさをそっと漂わせる思い残し切符を、宮沢賢治から井上ひさしへ、そして、あなたへ。

前から2列目だったので、終演後、床から拾った思い残し切符を持って帰った。単なる1枚の紙切れで、何も書いていないが。

ヘイト・スピーチ研究文献(131)公人によるヘイト・スピーチ規制


守谷賢輔「人種差別撤廃条約における『人種差別』と人種差別的発言の不法行為の該当性」『福岡大学法学論叢』60巻1号(2015年)

2009~10年の在特会による京都朝鮮初級学校襲撃事件に関する民事訴訟の大阪高裁判決の判例評釈である。

一審の京都地裁判決が人種差別撤廃条約を適用して在特会による「人種差別」を論じ、1200万円という損害賠償を命じて大きな話題になったのを受けて、二審の大阪高裁は結論を維持しつつも、理由の部分については地裁判決を変更し、独自の判断を示した。

守谷は、一審判決、二審判決を、従来の日本の裁判所における人種差別撤廃条約の適用事例を比較・検討し、二審判決の特徴を描き出す。論点は、人種差別撤廃条約の「適用」方法、私人間の差別問題の扱い、人種差別撤廃条約と損害賠償額の算定、無形財産の金銭評価である。勉強になった。


守谷は論文末尾で次のように書いている。

「在特会の活動をめぐる一連の判決は、ヘイト・スピーチ規制の是非だけでなく、ヘイト・クライム規制を行うべきかを検討する重要な契機ともなりえよう。/ いずれにせよ、かりに法規制を行うのであれば、私人に対するものよりも、公人に対する規制が最初に行われなければならない。」(143頁)

これは遠藤比呂通論文が「公人による『慰安婦』に対するヘイト・スピーチを禁止することを緊急にやらなければならない」としたのを受けている。同時に、人種差別撤廃条約第4条(c)を日本政府が留保していないことに着目したものだ。

同感である。ただ、具体的にどのような方策を考えているのだろうか。それは書かれていない。守谷論文の主題からやや離れ、論文で検討していない論点だからだ。

1に、「公人によるヘイト・スピーチ」という身分犯規定の新設であろうか。公務員犯罪には、公務員職権乱用罪や特別公務員暴行罪などがあるが、特別公務員ヘイト・スピーチ罪といった刑法規定とするのか。それとも、公務員法その他の特別刑法か。

2に、これとつながる問題だが、対象、実行行為をどのように設定するか。西欧諸国はそもそもヘイト・スピーチを犯罪としているので、「公人」に限定していない。誰がやってもヘイト・スピーチはヘイト・スピーチだ。「公人による差別犯罪」や「公人によるヘイト・スピーチの重罰規定」は見た記憶があるが、「公人によるヘイト・スピーチ」という独立規定はあまりないのではないだろうか。もう少し調べてみたい。

第3に、「慰安婦」に対するヘイト・スピーチという対象の限定である。欧州諸国はもとより、世界の多くのヘイト・スピーチ規定は、人種や言語や宗教に動機を有するヘイト・スピーチの規制という一般的な記述になっている。特定の「慰安婦」のような限定をした立法例はあまりないのではないか。

この点で参考になるのは、「アウシュヴィツの嘘」犯罪の処罰規定である。『ヘイト・スピーチ法研究序説』及び『ヘイト・スピーチ法研究原論』で10数カ国の立法例を紹介したが、最近、「救援」論文でその続きを紹介している。世界に「アウシュヴィツの嘘」「ホロコーストと否定」「歴史修正主義」の犯罪規定は20数カ国に存在する。私自身、「アウシュヴィツの嘘」型の処罰規定の新設(慰安婦の嘘犯罪、南京大虐殺の嘘犯罪)を提案してきた。とはいえ、条文化はなかなか難しいのも事実だ。引き続き検討課題だ。

Tuesday, February 12, 2019

ヘイト・スピーチ研究文献(130)政府はヘイト団体の「共犯」になるべきなのか


中村英樹「ヘイトスピーチ集会に対する公の施設の利用制限」『北九州市立大学法政論集』46巻1・2号(2018年)


目次

1.はじめに

2.ヘイトスピーチ対策における地方公共団体の位置づけ

3.公の施設の利用制限

4.各ガイドラインの概要

5.集会の自由及び「公の施設」利用権との関係の検討


山形県生涯学習センター、門真市民会館をはじめとするヘイト集会利用問題は、その後、大阪市条例、東京弁護士会意見書、川崎市報告書とガイドライン、京都府ガイドライン、京都市ガイドライン、東京都条例、国立市条例などの進展を示している。中村論文は東京都条例以前の段階のものであり、そこまでの各地の状況をていねいに整理している。憲法、行政法・地方自治法、国際人権法の各分野に視線を配り、バランスをとりながら論じていることもよくわかる。

中村は次のように述べる。

「表現の自由あるいは集会の自由に対する『観点に基づく規制』ともいえるヘイトスピーチ規制を、ガイドラインという形式で策定するのは望ましいことであろうか。各GLを検討すると、利用制限の要件とは別に、『考え方』や『参考』などが散在し、また相互の関係が判然としないものもあって、住民に予見可能性を与え、行政の恣意的運用を適切に排除しうる明快な基準とはいい難いところがある。」(92頁)

「また、利用制限という直接的な法的効力を発生させる要件となるにもかかわらず、理念法である解消法における『不当な差別的言動』の定義をそのまま採用していることは、やはり問題である。」(92頁)

「解消法の制定による民主的正当性を擬制しうるのは、差別的言動の『法的な直接の禁止ではなく、各種施策による取り組みを通じた解消を目指す』ことまでであり、給付の拒否を含め、規制的手法を採用する場合は、地域住民による更なる民主的正当性の擬制=条例化が、本来は必要であると考える。ガイドラインという形式に拠ることは、不当な差別的原言論による問題が極めて深刻な地方公共団体における緊急的措置としてのみ、許容されるであろう。」(92~93頁)


公共施設利用問題について正面から取り上げた論文だが、私とは根本的に立場が異なる。私はこれまでにこの問題について何度も論じてきた。中村論文でも私の『部落解放』17年論文が引用されている。その後、数本の論文をまとめ直して、『ヘイトスピーチ法研究原論』第5章「地方自治体とヘイト・スピーチ」とした。

私の立論は単純である。

近代民主主義国家・法治国家の原理から言って、そして日本国憲法の精神から言って、及び国際人権法の要請に基づいて、国家(中央政府も地方政府も含む)は差別をしてはならない。差別に加担・協力してはならない。差別行為に資金援助したり、便宜供与してはならない。それゆえ、政府は、ヘイト団体のヘイト目的活動のために公共施設を利用させてはならない。利用させると、政府がヘイトの「共犯」となる。

中村はこれを全否定する。

中村は、地方自治体はヘイト団体のいかなる活動をも含んで、まず無差別に利用させるべきであるという前提に立つ。その上で、特段の理由があれば利用を拒否できるという。法的根拠、条例の根拠、明確で恣意的にならない基準が不可欠である。ヘイト団体によるヘイト目的集会であっても、ガイドラインによって拒否することはできず、条例化が必要である、という。資金援助については言及していないが、中村の論理からすれば、地方自治体がヘイト団体に資金援助しても何も問題ないことになるのではないだろうか。ヘイトの「共犯」になって何が悪い、と言うことかもしれない。

ヘイト・スピーチ研究文献(129)複合差別としてのヘイト・スピーチ


元百合子「在日朝鮮人女性に対する複合差別としてのヘイト・スピーチ」『アジア太平洋研究センター年報2016-2017』(大阪経済法科大学)


在特会・桜井誠及び保守速報による李信恵さんに対するヘイト・スピーチ・名誉毀損訴訟において、研究者による「意見書」が大阪地裁に提出された。私も一つ書いたが、元百合子は国際人権法の見地から複合差別としてのヘイト・スピーチについて「意見書」をまとめた。

2016年9月に大阪地裁判決が出て、李信恵さんが勝訴した。判決は人種差別を認めたが、複合差別については認定しなかった、本論文はその段階で書かれた。元意見書の概要をもとに、一審判決へのコメントを加えている。なお、その後、二審判決が複合差別論に応答した。日本の裁判所に複合差別を認めさせる元の先進的な理論的闘いである。

国際人権法として、元は「女性に対する暴力」を重視する。この点も元論文の積極面である。1993年の女性に対する暴力撤廃宣言、1994年以後の国連人権委員会及び国連人権理事会における「女性に対する暴力」において、例えばセクシュアル・ハラスメントは明確に暴力と定義されていた。日本ではセクハラの暴力性を認めさせるのに時間がかかった(というか、まだ認めようとしない政治家がうじゃうじゃいる)。

何しろ、「女性に対する暴力」は四半世紀に及ぶ国連人権機関の重要テーマである。ところが、日本では、ラディカ・クマラスワミ「女性に対する暴力特別報告者」に対する誹謗中傷が飛び交う。日本ではまともな議論がなされていない。

元は、国際人権法の基本を確認し、「被告らが街宣やインターネットを媒体として行った不法行為は、公的空間でおこなわれた心理的・精神的暴力」と適格に認定する。ヘイト・スピーチの暴力性を認識できるか否か、ここが一つのポイントである。その上で、人種差別と女性差別が交錯する複合差別について、国際人権機関における議論の経過を追跡し、元は複合差別の主要形態と事例を整理し、その基準に照らして、李信恵さんの被害が複合差別の被害であることをていねいに明らかにする。


国際人権法におけるマイノリティ差別の研究者として、同時に女性の権利の研究者として、元は複合差別の研究を続けてきたが、本論文ではその成果を縦横に駆使して、明晰な論理を展開している。私のヘイト・スピーチ論では足りない部分であるので、今後も元に学ばなければならない。

Thursday, February 07, 2019

ヘイト・スピーチ研究文献(128)京都事件一審判決評釈


中村英樹「人種差別的示威活動と人種差別撤廃条約」『北九州市立大学法政論集』42巻1号(2014年)


京都朝鮮学校襲撃事件に関する民事訴訟京都地裁判決の評釈である。

「…本判決は、条約のみを民法規定の解釈基準として取り上げ、憲法に関する言及がない点に特徴がある。…確かに、名誉毀損的表現と人格権との調整は、いわゆる『定義づけ衡量』によって解決済みであると考えることはできる。しかし、『人種差別』的表現をめぐっては、条約(及び憲法)のどのような『趣旨』あるいは『価値』が読み込まれ『意味充填』されて、対抗する諸利益が衡量されたのか(あるいは衡量されなかったのか)、必ずしも明確ではない。」(89頁)

「条約6条を裁判所に対して直接義務を負わせる規定と解しながらも、裁判所に課された条約上の責務は、民法709条に基づいて損害賠償を命じることができる場合にのみ生じるとしている点で、本判決の手法も、条約の『間接』適用と言えよう。しかし、そこでの条約は、国内法の単なる解釈指針といった扱いにとどまらず、また、私人間での利益衡量の対象でもない。」(91頁)

「本判決は、裁判所が人種差別撤廃条約上の直接の義務主体として、人種差別に対する実効的な保護・救済を積極的に行っていく姿勢を示した点に、大きな特徴があると言える。その論理構成が上述のようなものであるとすれば、本判決の射程は、刑事訴訟の量刑判断にも及びうる。こうした姿勢は、条約上の義務主体である『全体としての日本という国家』が人権条約に対してこれまで取ってきた『法形式主義とミニマリスト的対応』と比較すると、争闘にアグレッシヴであるように思われる。その姿勢が果たしてどこまで共有されるのか、控訴審での判断が注目される。」(92頁)


本判決について私は『序説』35~63頁で論じた。


中村が言う通り「相当にアグレッシヴ」な個所については、控訴審で修正されたため、今後、他の裁判所において、本件一審判決の条約論が採用されることはないだろう。

一〇〇〇万円を超える損害賠償額は非常に高いものとして、マスコミでも大きく取り上げられた。多くの判例評釈でも損害賠償額が高くなったのはなぜかという言及が目立つ。一方、刑事訴訟の量刑はかなり軽い。中村は末尾の註でこの点を紹介している。「本判決も取り上げているように、日本政府によればレイシズムの事件においては既に人種差別動機が量刑に反映されていることになっている。もっとも、本件刑事訴訟における量刑に対しては、軽すぎるという批判もある」とし、冨増四季と師岡康子の見解が引用されている。

ヘイト・スピーチ研究文献(127)解消法の概要


川西晶大「日本におけるヘイトスピーチ規制――ヘイトスピーチ解消法をめぐって」『レファレンス』807号(2018)


国立国会図書館調査及び立法考査局行政法務課長による論文である。冒頭に、「調査及び立法考査局内において審査を経たものです」とあるが、同時に「筆者の個人的見解であることをお断り」という、奇妙な言い訳が書かれている。公的立場だけに、苦労も多いようだ。


はじめに

Ⅰ 国際人権条約の枠組み

Ⅱ ヘイトスピーチ解消法以前の法的対応

Ⅲ ヘイトスピーチ解消法の制定

Ⅳ ヘイトスピーチ解消法制定後の動向

おわりに


自由権規約や人種差別撤廃条約について整理し、京都朝鮮学校事件や徳島県教組事件の判決を踏まえ、人種差別撤廃推進法案にも現況っしている。制定後については、川崎市事件や国の施策、地方公共団体の対応をフォローしている。

「本稿では、国際人権条約の枠組みには刑罰によるヘイトスピーチの禁止などより踏み込んだヘイトスピーチ対策を求めるものがあることを見た上で、条約の趣旨を踏まえた司法判断がヘイトスピーチ解消法前からあったこと、地方公共団体において先行してヘイトスピーチへの取り組みが模索されていたことを確認した。ヘイトスピーチ解消法は、このような状況の下で、基本理念を掲げ、国及び地方公共団体に施策の実施を求める内容として制定された。ヘイトスピーチ解消法の制定及び施行は、国の施策、地方公共団体の対応や司法判断に一定の影響を与えていると考えられる。

 しかし、今なおヘイトスピーチを伴うデモの開催などヘイトスピーチは続いており、国際人権機関においても日本に対し包括的な差別禁止法の制定などより踏み込んだ対策の実施を求める声がある。他方で、表現の自由その他の基本的権利を保護する観点から、ヘイトスピーチ対策が過剰な言論規制にならないよう慎重に考えるべきとの意見も強く、法学者の間でもより適切な対策について議論があるところである。」(73頁)

最後は世界人権宣言第1条を引用して終わっている。

解消法とその周辺状況のレビューとして、よくできている。多くの憲法学者とは違って、国際人権法にもきちんと視線を向けている。既知事項ばかりで新味がないのと、学説のフォローはかなりいい加減なので、大学院修士論文としても合格には達しないと思うが。個人的見解を強く打ち出せないのでやむを得ないかも。