Sunday, December 04, 2016

福沢諭吉神話を解体するために(「元祖ヘイトスピーカー」批判の始まり)

研究集会・日本の「近代」と「戦後民主主義」――戦後つくられた「福沢諭吉神話」の徹底検証(主催・同実行委員会、明治大学)に参加した。民主主義者、平等主義者と誤解されてきた福沢諭吉の思想を検証し、差別主義者、帝国主義者であったことを見事に解明してきた安川寿之輔、雁屋哲、杉田聡の3人がそろった講演会だ。
冒頭に、雁屋哲が「なぜ、今、福沢諭吉なのか」で、集会全体の趣旨を説明した。
続いて、安川寿之輔が「『福沢諭吉神話』とはなにか」で、これまでの諸著作のエッセンスを語った。
さらに、杉田聡が「福沢の帝国主義思想と自民党改憲草案」で、福沢はたんに差別的だったのではなく、典型的な体系的帝国主義者であったという。西欧には多数の帝国主義者がいたが、まとまった体系的思想として打ち出したわけではない。これに対して、福沢は体系的な帝国主義者であるという。
最後に、雁屋哲が「福沢が我々を大日本帝国に引き戻す」として、福沢批判の重要性を説いた。
安川の『福沢諭吉のアジア認識』『福沢諭吉と丸山真男』『福沢の戦争論と天皇制論』『福沢の教育論と女性論』は、いずれも出版当時に読んだので、基本内容はよく知っていた。
3人の共著『さようなら!福沢諭吉』も読んできた。
今回出版された雁屋哲・シュガー佐藤『まさかの福沢諭吉』、杉田聡『福沢諭吉と帝国主義イデオロギー』を購入した。読むのが楽しみ。

安川は福沢諭吉を「元祖ヘイトスピーカー」と呼んでいる。なるほど、と思う。帝国主義、植民地主義の立場から朝鮮をはじめとするアジア諸国人民に対する差別発言をまき散らした福沢は、まさに扇動者であり、ヘイト・スピーカーだ。

Friday, December 02, 2016

ヘイト・クライム禁止法(123)オランダ

オランダ政府が人種差別撤廃委員会に提出した報告書(CERD/C/NLD/19-21. 18 November 2013)によると、公共政策に反する目的を有する組織は、検事局の申請に基づき裁判所の命令によって解散できる。刑法一四〇条は、「禁止された組織の活動に継続的に参加した者は犯罪を行ったことになる。政党の禁止または解散は最終手段として行われる措置である。
表現の自由は絶対ではない。他の憲法上の権利と矛盾することがある。表現の自由があるからと言って、差別理由による教唆、憎悪、差別の煽動、暴力の唱道は保護されない。公共の事柄について公共の議論を広めることは重要である。しかし、表現の自由に限界がないということではない。社会的利益のために表現の自由を制限する必要がある場合もある。その判断は、検察官と裁判所が、国内法や欧州人権裁判所判例に照らして、慎重に行う。集団に対する侮辱事件では、判例法を通じて形成された三段階モデルがある。第一に、その発言自体が刑法一三七条cの意味での侮辱に該当するか(故意に人の集団を侮辱する意見を公然と表現したか)。第二に、その発言がなされた文脈がその侮辱の性格を無効にするか。第三に、その発言が公的議論に加わる過程でなされたものか(政治的意見の表明を含む)、又は宗教的信念や芸術表現の文脈でなされたものか。その発言の侮辱的性格が文脈によって無効になる場合は、不必要に有害な場合だけに犯罪とみなされる。
人の身体的統合に脅威となる発言は犯罪となる。そうした発言の犯罪性は表現の自由を引き合いにして減じることはできない。しかし、脅威の性格や、発言がなされた状況が、被害者が脅威にさらされたと感じるようなものでなければならない。
映画『フィトナ』を制作したゲルト・ウィルダースは自由党党首、議員であるが、二〇一一年六月二三日、アムステルダム地裁によって憎悪と差別の煽動及び差別的理由に基づく人の集団への侮辱について、無罪を言い渡された。検事局が控訴しなかったため手続きは終結した。
オランダは表現の自由を強く支持しており、表現の自由分野では刑法は二次的役割を有するに過ぎない。オンラインに差別的発言が投稿された場合、人々はホットラインに通報できる。すべての報告が記録される。オンライン差別についてのホットラインの役割は、差別的投稿の削除ができることである。
二〇一〇~一二年四月まで、検察局が扱った事件は多様であり、モロッコ出身の警察官に対する暴言、ナチスのシンボルやスローガンを刻んだ短剣の輸入、人種主義の歌のオンライン配布、外国出身の若者の食品販売店からの排除などであった。多くの事件で裁判所により刑罰を科されたが、無罪となった例もある。無罪の理由は、その発言が訴因に該当しない場合や、その発言を誰が行ったか証明されなかった場合である。
<オランダ領アルバ>
刑法2:60条から2:64条により差別行為は禁止されている。彼又は彼女の人種ゆえに公然と人を攻撃することは禁止されている。侮辱的発言、文書、電子データも禁止である。他人に特定集団に対する差別を教唆することは犯罪である。差別的性格の文書を出版すること、差別を目的とする活動を財政支援することも禁止されている。刑罰は六カ月以上二年以下の刑事施設収容、又は第二級乃至第四級の罰金である。
<オランダ領キュラソー>
刑法1:6条1項(d)は、コンピュータ・システムや電磁的ネットワークを通じて、人種主義的排外主義的性質の行為を行った外国人を含む定住者に、刑事管轄権を与えている。これはサイバー条約ストラスブール議定書に合致する。刑法2:60条は、宗教、信念、政治的見解、人種、皮膚の色、言語、国民的又は社会的出身、心身の障害、性別、性的志向、マイノリティであることを理由に人の集団を侮辱する見解を故意に公然と表明することを犯罪としている。一年以下の刑事施設収容、又は第三級の罰金である。常習の場合、複数人の犯行の場合、二年以下の刑事施設収容、又は第四級の罰金である。
刑法2:61条はコンピュータ・システムによる図像やデータを用いて憎悪、差別、暴力を煽動すること、刑法2:62条は公然と発言したり、そうした発言が含まれていることを知りながら印刷物を配布すること、刑法2:63条は人に対する差別を目的とする活動に参加し、財政支援すること、刑法2:64条は職場において項に人を差別することを、犯罪としている。
<オランダ領土サンマルタン>

刑法269条は、宗教、信念、政治的見解、人種、皮膚の色、言語、国民的又は社会的出身、心身の障害、性別、性的志向、マイノリティであることを理由に、公然と、高等、文書、図像、データにより、人の集団を侮辱した者は、一年以下の刑事施設収容、又は第三級の罰金とする。

ヘイト・スピーチ研究文献(77)成嶋隆への反論

前田 朗「ヘイト・スピーチ法研究の探訪」内田博文先生古稀祝賀論文集『刑事法と歴史的価値とその交錯』(法律文化社、2016年)
近代刑法史研究の第一人者であり、九州大学副学長としてハンセン氏病患者に対する差別、人権侵害、そして救済措置に関する詳細な報告書をまとめあげた内田先生の古稀祝賀論文集に書かせていただいた。
昨年出した『ヘイト・スピーチ法研究序説』(以下『序説』)以後の課題を整理し直す作業中である。ヘイトの本質と現象形態をさらに解明すること。ヘイトの被害の法的把握をさらに進めること。日本国憲法に基づいたヘイト・スピーチ処罰の当然性を強く打ち出すこと。世界のヘイト・スピーチ法の制定状況と適用状況をさらに詳しく紹介すること。
本稿前半では、獨協大学教授・憲法学者の成嶋隆の論文に応答した。成嶋は『獨協法学』92・93号掲載の論文で私の見解を批判している。そこで成嶋の主張を受け止め、さらに議論を進めることにした。いくつかの論点があるが、成嶋の批判点は、ヘイト・クライムとヘイト・スピーチに関する前田の定義が不明確だという趣旨である。この批判は当たっており、私の定義はなお不十分と思われる。しかし、成嶋の定義はもっと不明確であり、混乱している。成嶋論文の方法論そのものに疑問がある。さらなる議論が必要だ。
本稿後半では、人種差別撤廃委員会84会期に提出された各国政府の報告書の中から、条約4条に関する部分を紹介した。ベルギー、ホンデュラス、カザフスタン、ルクセンブルク、モンテネグロ、ポーランド、スイス、ウズベキスタンである。
ヘイト・スピーチ刑事規制に消極的な憲法学者に対する批判として、『序説』では、奥平康弘や内野正幸を取り上げて若干の疑問を提示する方法をとった。その後、塚田啓之の議論への疑問も提示した。

しかし、これまで憲法学者への本格的な反論はしてこなかった。それよりもヘイト・スピーチ刑事規制の憲法論的根拠を整理し、提示することが重要だった。それは『序説』でいちおう提示した。そこで今後は憲法学者への反論を試みることにしたい。成嶋は早くに私への批判をしてくれたので、今回、応答した。

ヘイト・スピーチ研究文献(76)被害者の救済をめぐって

前田 朗「人種・民族差別被害者の救済をめぐって――欧州諸国の施策に学ぶ」『人権と生活』43号(2016年冬号、在日本朝鮮人人権協会会報)
「差別とヘイトのない社会を目指して」という連載の3回目である。人種差別撤廃条約を日本が批准してから20年を超える歳月が流れ、研究も進んできた。条文の解釈やCERDの一般的勧告の翻訳がなされた。日本政府報告書の審査にあたってNGOが精力的にロビー活動を行って、有益な勧告を手にしてきた。
しかし、条約の解釈は文理解釈の域を出ているとは言えない。CERDがこれまでに行ってきた解釈に基づき、各国の状況がどのようになっているのかを解明する必要がある。
そこで、本稿では、人種差別撤廃条約6条の解釈を明らかにするために、条文、一般的勧告だけではなく、各国政府の報告書の記載を紹介した。先に『救援』及び『社会評論』において10か国の状況を紹介したのに続き、本稿ではオランダ、ノルウェー、ヴァチカン、リトアニア、スロヴェニアの状況を紹介した。また、15カ国の状況を簡潔に整理した。

条約4条のヘイト・スピーチに関してはすでに世界130か国の状況を紹介した。5年がかりの作業だ。6条に関しては、世界すべてではなく、とりあえず欧州諸国に限定して紹介している。今後も継続する予定だ。

Thursday, November 24, 2016

ヘイト・スピーチ研究文献(75)立法議員による解説書

『ヘイトスピーチ解消法成立の経緯と基本的な考え方』(第一法規)
解消法制定に尽力した議員たちによる共著である。魚住裕一郎、西田昌司、矢倉克夫、三宅慎吾、有田芳生、仁比聡平、谷亮子。
本編は、法律制定の経緯(背景、国会における審議、主な質疑)、解説(趣旨及び国会における答弁の逐条別整理)。
資料編がとても充実している。法案提案理由説明、法案要綱、概要、両院の付帯決議。人種差別撤廃施策推進法律案関連資料。その他として両院法務委員会の主要会議録。法律成立以後の警察庁通達、法務省ホームページの啓発活動など。

外国人人権法連絡会・編著/師岡康子・監修『Q&Aヘイトスピーチ解消法』(現代人文社)とともに活用することができる。

Saturday, November 12, 2016

『隣国の肖像――日朝相互認識の歴史』

杉並歴史を語り合う会・歴史科学者協議会編『隣国の肖像――日朝相互認識の歴史』(大月書店)
<分かちがたい関係にある日本と朝鮮・韓国。近代から現代まで、互いの姿をどのように認識していたのかを描き相互理解の深化をめざす。>
「近くて遠い国」といった表現が繰り返し用いられてきた日本列島と朝鮮半島の不幸で複雑な歴史を前に、私たちはいつも少したじろぎながら、双方の関係史をあれこれと手探りし、友好と侵略と共助と反発の入り混じった意識を振り返りながら、そのなかで次の可能性を模索してきた。
本書はそうした作業を、あらためて実証的に降り下げようとする。日本、韓国、朝鮮の歴史認識や生活過程におけるズレがどのようなものであり、どのように形成されてきたのか。双方の知識人はどのような認識を育み、双方の民衆はどのような歴史を生きてきたのか。その交流の中に共感とズレの両者を探る。第Ⅰ部「近代日本の朝鮮観」では、日本側の認識の「多様性」と「一面性」(偏向性)が解明される。第Ⅱ部「近代朝鮮の日本観」では、朝鮮側の認識の「複雑性」と「限界性」が解明される。そして、第Ⅲ部「現代の相互認識」では、在日朝鮮人も含めて、歴史の担い手のそれぞれの認識の内実を問い直す作業が続けられる。
全体を通じて、執筆者たちは、実証的方法を前提に、かなり謙抑的な議論を守り続けている。もう少し冒険しても良いのではないかと思わないではないが、第Ⅲ部第6章「対談 日韓相互認識の今昔(大門正克/趙景達)」では、世界史における位置づけを試みている。執筆者たちが共有している問題意識であろうが、分析の際には、この問題意識に引き付けすぎないように努力したのであろう。
日韓、日朝、いずれも最悪の関係に陥っている現在、より長いスパンで関係史を問い直す本書は重要である。
<目次>
序 服藤早苗

第Ⅰ部 近代日本の朝鮮観
第1章 近世日本の朝鮮観(須田努)
第2章 明治期日本の朝鮮観(吉野誠)
第3章 近代日本における為政者の朝鮮観(小川原宏幸)
第4章 大正知識人の朝鮮観(千葉功)
第5章 日本民衆の朝鮮観(青木然)
第6章 植民者の朝鮮観(趙景達)

第Ⅱ部 近代朝鮮の日本観
第1章 朝鮮使節の日本観――第一次修信使を通して(北原スマ子)
第2章 ある開化派官僚の日本観――兪吉濬を通して(伊藤俊介)
第3章 伝統的知識人の日本観――崔益鉉と開化派人士の同時代的考察(慎蒼宇)
第4章 朝鮮民族運動家の日本観――一九一〇~二〇年代を中心に(加藤圭木)
第5章 朝鮮民衆の日本観(宋連玉)
第6章 親日派の日本観――「親日/対日協力」の論理・動機を手がかりとして(宮本正明)

第Ⅲ部 現代の相互認識
第1章 現代の日韓相互認識の深化――三人の歴史研究者・歴史教育者の応答から(君島和彦)
第2章 戦後在日朝鮮人の「日本観」(金鉉洙)
第3章 戦後日本における知識人の朝鮮観――朝鮮人BC級戦犯と朝鮮人被爆者問題から見るジャーナリズムの役割(本庄十喜)
第4章 現代韓国人の日本観(南相九)
第5章 ドイツから見た日韓相互認識(ユリアン・ビオンティーノ)

第6章 対談 日韓相互認識の今昔(大門正克/趙景達)

Friday, November 04, 2016

罅割れた美しい国――移行期の正義から見た植民地主義(3)

四 移行期の正義と植民地支配犯罪

 東アジアにおける移行期の正義を日本に即して語る場合、大きく分けると、戦争問題(戦争と占領の後の戦後賠償と戦争責任)と、植民地問題とを、それぞれ解明した後に総合する作業が必要となる。
しかし、第2次大戦後の連合国の戦後処理は、主として戦争問題に限定された。東京裁判もサンフランシスコ条約も、その後の2国間賠償も、基本的に戦争問題の処理であった。
1990年代以後の日本における戦後補償運動は大きな成果を挙げたが、戦後補償や戦争責任が語られたように、植民地問題も戦争問題のなかに含められ、両者が混同させられた面がないとは言えない。
世界的なポスト・コロニアリズムの流れに呼応して、日本でも「継続する植民地主義」問題が登記され、理論成果を積み上げてきたが、いまだ十分とは言い難い(日本語文献として、岩崎稔・中野敏男編『継続する植民地主義』青弓社、2005年、中野敏男他編『沖縄の占領と日本の復興――植民地主義はいかに継続したか』青弓社、2006年、永原陽子編『植民地責任論』青木書店、2009年、徐勝・前田朗編『<文明と野蛮>を超えて――わたしたちの東アジア歴史・人権・平和宣言』かもがわ出版、2011年、木村朗・前田朗編『二一世紀のグローバル・ファシズム』耕文社、2013年)。
ここでは植民地支配犯罪論を垣間見ることで、移行期の正義の一局面について考えることにしたい。

1 植民地支配犯罪とは

(1)  国連国際法委員会の議論
 第2次大戦後に行われたニュルンベルク裁判及び東京裁判の後、国際刑事裁判の普遍化が求められ、徐々に国際刑法が整備されることになった(前田朗『戦争犯罪論』青木書店、2000年、同『ジェノサイド論』青木書店、2002年、同『侵略と抵抗』青木書店、2005年、同『人道に対する罪』青木書店、2009年)。
 国連国際法委員会は1950年代から、戦争犯罪や人道に対する罪の法典化の議論を継続してきたが、なかなか進捗しなかった。1982年、ドゥドゥ・ティアムが特別報告者に任命された。ティアム特別報告者は精力的に研究を進め、この後9本の報告書を作成し、国連国際法委員会に提出した。ここに「植民地支配犯罪」の名称が入った。
 ティアム特別報告者が1991年の国際法委員会第43会期に提出した報告書には12の犯罪類型が含まれていた。すなわち、侵略(草案第15条)、侵略の脅威(第16条)、介入(第17条)、植民地支配及びその他の形態の外国支配第(colonial domination and other forms of alien domination)(18条)、ジェノサイド(第19条)、アパルトヘイト(第20条)、人権の組織的侵害又は大規模侵害(第21条)、重大な戦争犯罪(第22条)、傭兵の徴集・利用・財政・訓練(第23条)、国際テロリズム(第24条)、麻薬の違法取引(第25条)、環境の恣意的重大破壊(第26条)である。
  第18条(植民地支配及びその他の形態の外国支配)は次のような規定である。
 「国連憲章に規定された人民の自決権に反して、植民地支配、又はその他の形態の外国支配を、指導者又は組織者として、武力によって作り出し、又は維持した個人、若しくは武力によって作り出し、又は維持するように(to establish or maintain by force)他の個人に命令した個人は、有罪とされた場合、・・・の判決を言い渡される。」
 第1に、人民の自決権に違反することが明示されている。国連憲章第1条第2項や、1966年の二つの国際人権規約共通第1条には人民の自決権が明記されている。
 第2に、「植民地支配、又はその他の形態の外国支配」という文言が採用されている。「植民地支配」の定義は示されていないが、人民の自決権という内実が示されている。
 第3に、犯罪の実行主体は「指導者又は組織者」として一定の行為をした個人とされている。指導者又は組織者には、政府中枢部の政治家、高級官僚、軍隊指揮官などが入ると思われる。
 第4に、実行行為は「武力によって作り出し、又は維持した個人、若しくは武力によって作り出し、又は維持するように他の個人に命令した」とされている。植民地状態の創出、植民地状態の維持、及びそれらの命令である。植民地状態の創出は、他国を植民地化する計画をつくり、その計画を実施するために軍事的行動を行ったことであろう。
 第5に、刑罰は空欄となっている。ニュルンベルク・東京裁判では死刑と刑事施設収容(終身刑を含む)が適用された。国連総会は1989年に国際自由権規約第二選択議定書(死刑廃止条約)を採択したので、終身刑以下の刑事施設収容刑が想定される。
 しかし、1995年の国連国際法委員会第47会期は、法典に盛り込まれるべき犯罪を大幅に削除することを決定した。残されたのは、侵略(第15条)、ジェノサイド(第19条)、人権の組織的侵害又は大規模侵害(第21条)、重大な戦争犯罪(第22条)だけである。植民地支配(第18条)は保留とされ、結局、削除されることになった。1996年の「人類の平和と安全に対する罪の法典草案」を経て、1998年のICC規程に盛り込まれたのは侵略の罪、ジェノサイド、人道に対する罪、戦争犯罪という4つの犯罪類型である。こうして植民地支配犯罪の法典化の試みはいったん頓挫した(以上につき詳しくは、前田朗「植民地支配犯罪論の再検討」『法律時報』87巻10号、2015年)。

(2)ダーバン会議以後の議論
 2001年のダーバン人種差別反対世界会議の際に、NGO宣言は「植民地支配は人道に対する罪であった」と明記した。
さらに、国家間会議において議論が継続されたが、旧宗主国・欧米諸国の反対により「植民地時代の奴隷制は人道に対する罪であった」と認定するにとどまった。こうして植民地支配犯罪論は未発のままにとどまった。国連では「ポスト・ダーバン戦略」が討議されたが、アメリカ、EU、日本は後ろ向きの姿勢を取り、ダーバン宣言が活用されていない。
 民衆レベルでは世界的議論が続けられている。歴史学、文学、法学など多様な研究分野でポスト・コロニアリズム研究が進み、新植民地主義批判、ヘイト・スピーチとの闘いは世界的課題であり続けている。
「慰安婦」に対するヘイト・スピーチのようなホロコースト否定発言への対処も世界的に議論されている(前田朗『ヘイト・スピーチ法研究序説――憎悪煽動犯罪の刑法学』三一書房、2015年。なお、同『増補新版ヘイト・クライム』三一書房、2013年、同編『なぜ、いまヘイト・スピーチなのか』三一書房、2013年)。
 植民地犯罪概念の導入は頓挫したが、その後の議論の中で、人道に対する罪やジェノサイドの概念の中に植民地犯罪概念の実質を読み込む作業が継続された。人道に対する罪やジェノサイドは、戦争犯罪とは異なり、必ずしも武力紛争要件を必要としないからである。

2 植民地主義に向き合うために
――日本軍「慰安婦」問題の場合

 移行期の正義と植民地支配犯罪論を重ね合わせることにより、東アジアにおける日本における/日本による戦争と植民地支配の歴史の基本的性格を改めて位置づけ直すことができる。ここでは、日本軍「慰安婦」問題に照らして、最低限必要なコメントを付しておこう(報告者・前田の認識については、ラディカ・クマラスワミ『女性に対する暴力』の「訳者あとがき」明石書店、2000年、日本軍「慰安婦」問題webサイト制作委員会編『性奴隷とは何か』お茶ノ水書房、2015年、及び西野瑠美子・小野沢あかね編『日本人「慰安婦」』現代書館、2015年所収の論文。最近のものでは、前田朗編『「慰安婦」問題の現在――「朴裕河現象」と知識人』三一書房、2016年、同編『日本軍「慰安婦」・日韓合意を考える』彩流社、2016年)。
 第1に、真実への権利である。慰安婦問題が浮上した1990年代、何よりも真実発見が重要であったことは言うまでもない。日本政府は事実を否定しようとしたが、歴史学者や支援団体の調査によって次々と事実が明るみに出て、韓国のみならずアジア各地から被害者が名乗り出ることによって、事態が一気に明らかになっていった。そのことが河野談話や村山談話につながった。
 しかし、90年代後半から現在に至るまで、真実を闇に葬り去るための策動が続いていることは言うまでもない。
 第2に、国際社会では40を超える真実和解委員会の実例があるという。日本軍慰安婦問題については、研究者、被害者団体その他の民間団体による多くの調査があるが、公的な真実和解委員会は設置されなかった。日本政府は内部的な調査を行い、事実を否定できなくなったために河野談話と村山談話を出さざるを得ず、あとは「アジア女性基金」で幕引きを図った。本格的な調査は行われず、しかも情報公開も不十分であった。国家責任を逃れるためのアジア女性基金政策は欺瞞的であり、破綻せざるを得なかった。いずれにせよ、日本軍慰安婦問題については公的な真実和解委員会が設置されなかった。今日、真実を犠牲にした日韓「合意」が強行されている。
 他方、国連人権委員会のラディカ・クマラスワミ「女性に対する暴力特別報告書」及び人権小委員会のゲイ・マクドゥーガル「戦時性奴隷制特別報告書」が、国連人権機関レベルにおける真実発見機能を果たしたと言えよう。
 また、民間における調査・研究は今日に至るまで長期的に行われている。特に、2000年に東京で開催された「日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷」は、民衆法廷という形態をとった真実和解委員会でもあったと言えるだろう(前田朗『民衆法廷入門』耕文社、2007年)。
 第3に、委員会の期間である。初期の真実和解委員会はいずれも短期間であったという。日本政府もごく短期間の内部調査しか行わず、重要な関連資料を明らかにすることさえしなかった。形式的に調査したアリバイだけを残して、真相を闇に葬るための「調査」というしかない。民間における調査・研究は長期にわたった。90年代における調査は女性国際戦犯法廷に取り入れられて、大きな前進となった。
 第4に、調査するべき対象の期間である。アルゼンチンが7年、ケニアの場合は44年という。慰安婦問題は1930年代から1945年までの15年と言えよう。もっとも、軍慰安婦以前からの近代日本における性奴隷制という観点ではもっと長期にわたる調査が必要ということになる。
 他方、デ・グリーフ報告者は言及していないが、対象期間と調査機関との間の時間の隔たりを見ておく必要もある。南アフリカ真実和解委員会は、アパルトヘイト体制終了後に比較的短期間で開始された。東ティモールも同様である。これに対して、慰安婦問題は、被害女性が半世紀の沈黙を破ったことから調査が始まったという点で大きな特徴がある。旧ユーゴスラヴィアやルワンダの悲劇と異なり、被害時期と調査時期の間の大きな隔たりが調査を困難にした面がある。
 慰安婦問題について、いかなる形態の機関によって真相解明が行われるべきだったのか、1990年代初期の議論では、必ずしも十分な議論がなされなかったと言えよう。日本政府にどのような調査をさせるべきかという議論も不十分であったかもしれない。
内閣部局が調査に当たるのは当然だったかもしれないが、朝鮮総督府、内務省、陸軍・海軍などの全体的な資料調査は十分に行えなかった。また、法務省や裁判所も調査に協力していないため、国外移送目的誘拐罪の判決があることさえ、いまだに日本政府は認めていない。被害女性と支援団体が東京地検に告訴・告発しようとした時にも、東京地検は何ら捜査することなく、告訴・告発を不受理とした。
当時、研究者や支援団体の中で真実和解委員会という発想はなかったように思う。ラテンアメリカ諸国における真実和解委員会の実践に関する知識がほとんどなかったためであろう。グアテマラ真実和解委員会の成果が紹介され、南アフリカ真実和解委員会が動き出したニュースが流れたのは、やや後の事だったように思う。韓国の過去事整理委員会の活動もやや後に始まった。現在では、そうした多くの成果を基に考えることができるが、90年代初頭にそのような発想を持てなかったのは、わたしたちの限界であった。

五 「真実前」の政治

 冒頭に見た通り、細谷は21世紀アメリカにおける「真実後の政治」を語る。
 しかし、本報告が縷々述べてきたように、東アジアにおける日本における/日本による戦争と植民地支配の歴史、及び今日に至る未清算の現実に向き合うならば、わたしたちが置かれている状況は「真実前の政治(Pre-truth politics)」ではないだろうか。
 「真実前」と見るか、「真実後」と見るかは言葉の綾に過ぎないという理解もありうるかもしれないが、「真実後」であるならば、少なくとも一度、私たちは真実の世界に身を置いたことになる。近現代日本の歴史を虚偽と隠蔽の歴史と一面的に決めつけることは適切ではないかもしれないが、移行期の正義と植民地支配犯罪論を踏まえて検討するならば、私たちは一貫して「真実なき政治」の世界に身を浸してきたと見るべきではないだろうか。「戦争では真実が最初の犠牲者となる」という警句があるが、150年に及ぶ日本の戦争と植民地支配の歴史(未清算の歴史)を通じて、真実はおぼろげにでも姿を現したことがあっただろうか。

靖国の思想を嬉々として演じているこの国の政策決定エリートと人民が倒錯のファンタジーの世界の住人でないと、誰が言えるだろうか。