Saturday, January 30, 2016

美術と社会の緊張と相克を測定する

藤井匡『公共空間の美術』(阿部出版、2016年)
第1章     野外設置される彫刻
第2章     都市空間の中の美術
第3章     コミュニティの再構築
第4章     場所の記憶と記憶
第5章     主題としてのコミュニケーション
第6章     アソシエーションとしての彫刻シンポジウム
2008~2015年に書かれた、野外彫刻、パブリックアート、アートプロジェクトのレポートを整理・編集した1冊。野外彫刻のはじまりから、パブリックアートやアートプロジェクトへの展開を跡付け、1960年代に始まり、21世紀になって衰退している野外彫刻の可能性を改めて問う。
野外彫刻の設置事業は1961年の宇部市野外彫刻展に始まり、その後「彫刻のあるまちづくり」は鎌倉、仙台、福岡、碧南などに広がり全国化したが、日本の社会の中で公共性を獲得し得ないままげんしょうしたが、1990年代からパブリックアート、2000年代にはアートプロジェクトが盛んになった。それらの変遷と関連を具体的に明らかにするため、著者は神奈川県立近代に術刊、桜川市の雨引の里と彫刻、大阪アメニティパーク、宮城県美術館、仙養ケ原石彫刻シンポジウム、姫路護国神社、北名古屋市野外彫刻、あいちトリエンナーレ、別府の「混浴温泉世界」など、全国各地の野外彫刻展、アートプロジェクトに足を運ぶ。いくつかは著者自身が企画した展示でもある。現代日本の彫刻シーンを丹念に紹介し、読者を彫刻アートの鑑賞者に育ててくれる。その視点は「公共空間と美術」「公共空間の美術」であり、美術と社会の関係である。
「私には野外彫刻展や彫刻シンポジウムを過去のものとして扱うという考えはない。パブリックアートやアートプロジェクトによって提出された批判を受けて、野外彫刻展や彫刻シンポジウムの可能性を再び考えることができると思っている。美術の社会的機能を考えるのであれば、現在の社会に迎合するのではなく、それに対抗する視点を提示することもその重要な機能のはずだからである。」

著者は宇部市役所学芸員、フリーランスを経て東京造形大学准教授。著書に『現代彫刻の方法』(美学出版)。

ヘイト・スピーチ研究文献(51)京都朝鮮学校事件リーフレット

『京都朝鮮学校事件高裁判決 日本の裁判所はなんと言ったの?』(こるむ+こっぽんおり)
Q1「今回の高裁判決は、民事教育についてどのように判断したんですか?」、Q2「判決では、どうして1,226万円もの大きな賠償金を命令することになったんですか?」が出ている。

「こるむ」は朝鮮学校襲撃事件裁判を支援する会」、「こっぽんおり」は朝鮮学校と民族教育の発展をめざす会・京滋。

Thursday, January 28, 2016

差別はいかに再編・維持されてきたか

黒川みどり『近代部落史――明治から現代まで』(平凡社新書)
重要な本を今頃になって読んだ。新書だが、部落問題の基本を教えてくれる好著だ。著者歴史学専攻の静岡大学教授で、著書に『異化と同化の間――被差別部落認識の軌跡』、『共同性の復権』、『地域史のなかの部落問題』があり、最近の共著に『差別の日本近現代史』がある。
明治維新期に近代国家の成立に伴って身分が再編されて以来、開化は四民平等と言いながら、被差別部落の排除が始まった。「家」制度、帝国の時代の人種主義、水平社の設立に対する「融和」事業、そして戦後の部落解放運動へ。250頁の内、191頁以後が戦後の記述である。つまり、戦前の記述が多く、戦後についてはあっさり触れているに過ぎない。その点はやや不満が残るが、戦前戦後を通じて近現代日本における部落差別の「論理」を抉り出すには、本書のような試みが有益なのだろう。
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差別の日本通史への挑戦
黒川みどり・藤野豊『差別の日本近現代史――包摂と排除のはざまで』(岩波書店、2015年)

大江健三郎を読み直す(54)断乎として進むペシミスト

大江健三郎『生き方の定義――再び状況へ』(岩波書店、1985年)
10年前の『状況へ』の続編として雑誌『世界』に12回連載され、連載終了後直ちに単行本になった。「生き方の定義」という独特の考え方は、その後の大江のエッセイに一貫して継承され、『定義集』(朝日新聞出版、2012年)に至っている。この時期の大江は短篇小説の連作をいくつか仕上げているが、短編小説とエッセイとが、同時並行的に、内容もかなり重なりあいつつ、書かれていた。大江としては、小説とエッセイ・評論とを明確に区別していたようだが、読者としては、重なり合いがどんどん多くなっていたようにも感じていた。私小説からもっとも遠くから出立したはずの大江が、時に「私小説に屈した」と揶揄され、揶揄されていることを承知の上で、「私小説を超える私小説」を組み立てていた時期ともいえる。障害を持った息子と「共生」する決意をして以来、個としての状況への向き合い方と、核時代の状況への政治的発言とが重なり合い、故郷四国の森を暗喩に再生のイメージを探り続けた大江の「生き方の定義」――「優しさ」の定義。「考えられないこと」とは。「資産としての悲しみ」。「破壊していい最後のもの」。「ある楽しさ」。
「新しい若い作家たちの新鮮な感受性と言語感覚とは、昨今きわだって秀れたレヴェルを示しています。かれらが同時代をよくとらえて、独自の文学をつくり出すならば、それはわれわれ旧世代の文学を明瞭に超えるでしょう。現にある恐怖と対抗していかに生き延びるか、その恐怖と見合う大きさ・確実さの希望の根拠をどうつくり出すか、それを考える過程で、若い作家は、今日のもっとも敏感な時代の精神をみずから担うものです。かれらがそのようにしてつくりだす文学を、すなわち今日の核状況のなかでの時代の精神、恐怖と希望を何らかの形で反映している文学を、同時代の若い日本人は、読み手として期待しているはずだと僕は信じます。」
大江は、渡辺一夫や中野重治らの精神を繰り返し引証して「戦闘的ユマニスム」という一見すると矛盾した言葉に辿りつく。
「われわれがよく身の周りを見る・また広くは海外まで見る眼力を持つならば、様ざまな場所に、様ざまなありようで、戦闘的なユマニスム、己が雄々しさを確証するようなユマニスム、自由と寛裕と自由検討の原則が見す見すその仇敵どもの恥知らずな狂信主義の餌食にされてしまふ法はないといふことを確信してるユマニスム」――その定義は中野重治の「断乎として進むペシミスト」と表裏一体であるという。大江は「戦闘的なユマニスム」「断乎として進むペシミスト」として魯迅を挙げる。

「絶望之為虚妄、正与希望相同。」

Thursday, January 21, 2016

ヘイト・スピーチ研究文献(50)地方自治体はヘイト団体に協力してよいか

前田朗「公共施設のヘイト団体による利用――東京弁護士会意見書を読む」『部落解放』718号(2016)

税金を用いて運営される公共施設を利用してヘイト集会を行うことが続いている。地方自治体はヘイト団体に協力している。人種差別撤廃条約第1条、第2条、第4条に照らして許されない犯罪的行為である。私は以前から批判してきたが、憲法学者の中には、「ヘイト・スピーチ目的であっても、地方自治体は公共施設の利用を制限できない」などと主張する例が見られる。昨年秋、東京弁護士会が公表した意見書はこの問題についてよく考えた的確な内容である。地方自治体の関係者は東京弁護士会意見書を学ぶべきである。

植民地支配と文化財の略奪

『韓国の失われた文化財』(三一書房)
黃壽永:編/国外所在文化財財団:企画
李洋秀・李素玲:日本語訳/荒井信一:監修
日本による侵略・植民地支配の時期に韓国から失われた文化財の調査記録である。韓国で出された『日帝期文化財被害資料』(1973年)の増補改訂版。韓国の調査のため、朝鮮半島南部が中心だが、ピョンヤンは金剛山も含まれる。

略奪文化財について、旧宗主国側は「市場で購入した」「正当な商取引である」といった弁解をする。しかし、嘘と言った方が良い。植民地支配の下で、強権的に買い取りを強要する。市場に出るはずのない性質のものを無理やり売りに出させる。泣く泣く安値で売らされ、手放さざるをえないようにする。その結果、植民地から大量の文化財が失われる。世界中で起きたことだが、日本の植民地でも同じことが起きた。その調査が本書である。美術館、図書館は必ず備え付けるべき本だろう。

Tuesday, January 19, 2016

アイヌ差別と学問の責任を問う

植木哲也『植民学の記憶――アイヌ差別と学問の責任』(緑風出版、2015年)
前著『学問の暴力――アイヌ墓地はなぜあばかれたか』(春風社)で、学問の名によるアイヌ墓地盗掘の歴史を詳細に解明し、学問と称する植民地主義とアイヌ差別の深刻な実態を解析した著者の第2弾である。
1977年の北大における北大差別講義事件での、アイヌ民族の結城庄司の命を懸けた闘いを手がかりとして、著者は、北海道大学とは何か、札幌農学校とは何かを追跡する。そして、札幌農学校と北大における植民学とは何であったのかを明らかにする。北海道への殖民、植民、開拓とはいったい何を意味したのか。北海道史はどのように描かれてきたのか。どのように描かれるべきなのか。「アイヌ民族の衰亡」「アイヌ民族の同化」とは、どのように遂行され、どのように学問化されたのか。植民学講座、内国植民論、辺境論がもった意味を問い返す。
結城庄司の問いは次の3つであった。
1.アイヌ民族はすでに和人に同化したとして、その存在を否定し歴史を「切り捨てた」。
2.アイヌ民族の身体的特徴などについて「軽蔑、侮蔑、差別的発言」を行なった。
3.アイヌ問題をタブー視し隠蔽してきた。
かつての植民学、これを継承した農業経済学、北大を中心とする「学問」は、ついにこの問いに答えなかった。それゆえ、植木は自らに突き付けられた問いとして受け止め、応答する。植木によると、アイヌ民族の否定は「学問による差別」である。「学問的発言だから差別にならない」という、よくある差別者の弁解が認められないことを端的に指摘する。学術研究は社会の中に一定の位置をもち、体制に組み込まれている。学問の自由を口実に他者の存在を否定し、正当化する言説がいかに権力を行使しているかと問う。
植木は1977年の北大差別講義事件を歴史的事件としているだけではない。
1985年のアイヌ肖像権裁判を引き合いに出し、国連先住民族の権利宣言をも射程に入れて、現在のアイヌ民族差別を問う。そして、2012年2月、2人のアイヌ民族が北大を訪問して、祖先の遺骨の返還を求めた出来事を紹介する。アイヌ墓地の「発掘」による1000以上の遺骨が北大に残されている。この老人たちの申し入れに北大は応じなかった。警備員を動員して、雪の降る玄関先で、老人たちを追い返したと言う。
1977年の差別事件に抗議した結城や学生たちに権力がいかに対応したか。2012年に同じことが繰り返された。
1869年の最初の屯田兵の一族の子孫である私は、アイヌ民族との関係では侵略者側に立っている。一族が保有した膨大な土地は、日本国家がアイヌ民族から勝手に取り上げて、民有地として払い下げたものだった。札幌生まれだが、1973年4月以後、東京在住の私は、北大差別講義事件を1977年当時は知らなかった。後に読書体験を通じて断片的に知っただけで、本書を通じて事件の歴史的本質を知ることになった。著者の誠実な学問に感謝したい。


Friday, January 15, 2016

ヘイト・スピーチ研究文献(49)在日コリアン・マイノリティー人権研究センター

Sai(サイ)』74号(在日コリアン・マイノリティー人権研究センター、 2015/2016)
高敬一「日韓国交正常化50年0「日韓条約」で解決済みはほんとうか?」
鄭栄桓「在日コリアンの法的地位問題――「特別永住資格」とは何か」

元百合子「マイノリティ女性に対する複合差別その1」

Thursday, January 14, 2016

ヘイト・スピーチ研究文献(48)スイスにおける反差別法

前田朗「スイスにおける反差別法・政策」『部落解放』717号(2015)

2013年5月14日にスイス政府が人種差別撤廃委員会に提出した報告書CERD/C/CHE/7-9)から、反差別の取り組みを紹介した。
スイスと言えば、永世中立国、カントンにおける直接民主主義、観光立国で知られ、人種差別に対する法・政策も高い水準にあると見られてきた。
しかし近年は動揺が見られる。EU諸国間の人の移動の自由化を大幅に進めたシェンゲン協定に加入したため、協定加入国からの人の移動が一気に自由化され、拡大した。これによって短期滞在の観光客や、国連などの国際公務員・国際機関職員以外にも、さまざまな外国人が流入し、長期滞在・居住する例が増えてきた。人種・民族関係は従来以上に複雑化してきた。このためヘイト・クライム、ヘイト・スピーチの増加が懸念されている。
それに対してスイス政府及び各カントン政府が行っている反差別法・政策を紹介した。

Monday, January 11, 2016

出口なしの絶望から抜け出すために

辺見庸・高橋哲哉『流砂のなかで』(河出書房新社)
『私たちはどのような時代に生きているのか』(2000年)、『新 私たちはどのような時代に生きているのか』(2002年)に続く、といってもかなり間があいたが、13年ぶり、3度目の対談である。
1999年の周辺事態法、盗聴法、国旗国歌法など、「戦後民主主義の危機」の時期に始まった対談は、9.11同時多発テロ、アフガニスタン戦争、テロ対策特措法の時期に続いた対談だが、今回は、3.11の後に、かつ第二次安倍政権の憲法無視のファシズム路線がこの国と社会に見事に内装された時期の対談である。
2人は「なぜこの国は責任を問わないのか」と問う。責任を問わないのは近代国家において必ずしも異例のことではないが、国家間紛争で失敗した国家と指導者の責任が問われることは国際社会の常識になってきた。企業経営者の経営責任もかろうじて問われるようになってきたはずだ。
ところが、安倍政権は戦争責任を否定し、フクシマの責任も、オキナワの責任も取らない。勝手気ままに憲法破壊政策を進め、民意を無視する異常な政権である。にもかかわらず、メディアがこれに翼賛する。国民のかなりの部分も戦争と差別を願うかのように、安倍政権に縋り付く。政権にすり寄って利益を得られるのならまだしも、政権から邪険にされ放り出されている国民さえもが、沈黙し、無関心をつらぬき、政権にフリーハンドを与えている。「骨の髄まで腐った民主主義国家」を2人は繰り返し批判する。
ウェーバーによるまでもなく民主主義とは支配・統治の一形態であるから、権力支配が腐敗するのはある意味で当たり前ではあるが、それにしても、ここまでとは、というのが2人の実感なのだろう。最後に2人は「人が自らに責任を問うとき」について語る。だが、予感は暗く、出口は見えない。

戦後補償、戦争責任、戦後責任、靖国、死刑、福島原発、沖縄米軍基地・・・勇気ある市民や言論人が問い続け、この国の闇に光をさし込もうとしてきた諸領域でも激しい逆流がさかまき、押し寄せ、不条理が支配している現在、責任を問い続ける2人の闘いが続く。

Sunday, January 10, 2016

暴力に抗する思考と実践――岡野平和学宣言

岡野八代『戦争に抗する――ケアの倫理と平和の思想』(岩波書店)
ムーミンがまたまた意欲作を出した。
ど~~ん、と派手に出したような気もするのに、そっと控えめに提示しているようにも見える。この両義性が本書の論理のいたるところで魅力を発揮する。だが、それは本書の意義のゼロコンマ1%にすぎない。
本書の意義は近代政治思想の本流に棹差しながら、本流を乗り越える思想の挑戦にある。著者は近代政治思想を鍛え直すとか、乗り越えることに第一の課題を据えているわけではない。近代政治思想を批判しつつ鍛え直し、鍛え直しつつ乗り越え、乗り越えつつ立ち戻り、虹の彼方に新しい平和学を予感させる。なぜなら、日本と世界の政治の現実が前近代への強烈な退行を牽引している一方で、近代政治思想から排除されてきた第三項、第四項が主体として登場しているからである。
ムーミンが闘うフィールドはまず正義論である。性奴隷とされた「慰安婦」の正義を求める闘いが提起する理論課題を引き受けて、近代の正義を問い直し、編み直し、時に過激に引き裂きながら、来るべき地べたの正義を手繰り寄せる。
次のフィールドは立憲主義と民主主義である。立憲主義と民主主義の歴史的必然性と限界を見据えつつ、しかし、立憲主義の破壊を許さない、民主主義の簒奪を許さない、思想の根拠をていねいに掘り起こす。その手つきは軽やかでありながら、たしかな強さを持っている。カミソリと大ナタと削岩機を兼ね備えた強靭な理論である。

『法の政治学』『シティズンシップの政治学』『フェミニズムの政治学』という<政治批判・政治学批判3部作>を通じて構築されてきたケアの倫理は、実践における鍛錬を経て、岡野平和学として立ち上がった。

Tuesday, January 05, 2016

新春コンサートは「ベートーヴェン物語」

上野の東京文化会館で、崔善愛企画のChamber Music, Anyone? Vol.17 「ベートーヴェン物語 苦悩をつきぬけ、歓喜にいたる」だった。ズシキツネ、シンスゴキツネ、ジンナイキツネをはじめ市民運動仲間が詰めかけた。
ピアノ&脚本が崔善愛。
ヴァイオリン:梅原真希子・竹原奈津、ヴィオラ:渡邉信一郎、チェロ:三宅進。
ヴァイオリンとピアノのためのソナタ第5番「春」第1楽章、弦楽四重奏曲第4番第1楽章、ピアノソナタ「月光」、ピアノ協奏曲第4番より、交響曲第9番第4楽章より・・・・
演奏だけではなく、進行・司会役の斉藤とも子が、朗読を担当した。
崔善愛が用意した脚本は、ベートーヴェンの生涯を追いながら、その作品と人となりを紹介しつつ、自由と平等を求める啓蒙と改革の時代を生き抜いた天才の苦悩を描き出す。ラストの「歓喜」に至るまで、一直線の生涯ながら、揺れ動きながらも、「苦悩をつきぬける」までの精神のたたかいを理解させるものだった。言うまでもないことだが、現在の崔善愛の課題であり、(天才とはかけはなれているが)私たちの課題である。
パンフレットに崔善愛のエッセイが収録されている。その末尾の次の一節を紹介しておこう。
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今年戦後70年、ウィーンでは、ナチスドイツからの解放を祝うコンサートが開催され、ベートーヴェン交響曲第九番が演奏された。
このコンサート会場でオーストリアのファイマン首相は一万五千人の観客を前に語った。
「戦争や憎しみをあおる政治を試みる勢力が現れたら、黙って見過ごしてはならない。」
ファイマンさん、日本に移住してくれないかしら。
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黙って見過ごしてきた私の学問と実践が問われている。

正月5日の午後、切なさと、ひたむきさと、激しさと、そして崔善愛の強さに感銘を受けた。

Monday, January 04, 2016

闘う翁長沖縄県知事の原点と現点

翁長雄志『闘う民意』(角川書店)
辺野古基地建設阻止のために奮闘する翁長沖縄県知事の最新刊である。
自民党出身の保守政治家であるが、辺野古基地建設反対のためのオール沖縄を実現し、県民の先頭に立って行動 し、発言する「雄」と「志」。
県知事当選から4か月間、何度申し入れをしても安倍首相や菅官房長官に面会できなかった時期のこと。
沖縄の基地に関する事実を質問しても安倍首相がろくに答えもしなかったこと。
 基地問題による“魂の飢餓感“を訴えても言葉が伝わらないもどかしさ。基地問題でアメリカ訪問しても「日本の 国内問題」と言われ、日本政府に掛け合っても「アメリカの問題」と逃げられた時期のこと。
 そして2015年9月、ジュネーヴの国連人権理事会で発言した成果。
 日米安保体制に賛成し、保守政治家を自任してきたが、日本の民主主義の危機を強くアピールする。沖縄に基地を 押し付ける「民主主義」という名の「独裁」は、日本そのものを堕落させ、腐らせるからだ。

 第4章「苦難の歩み、希望への道」では、沖縄戦で亡くなった人々の遺骨を収集して慰霊碑を建立した父親・翁長助静(真和志村村長、真和志市長、立法院議員)の事績を紹介しつつ、保守系政治家一家に生まれた自分の政治家への道を振り返り、政治家としての原点を語る。特に基地問題をめぐって県民が対立し、分裂する悲劇に終止符を打ちたいという思いを再確認している。それが後の沖縄県知事選出馬に繋がっている。

Sunday, January 03, 2016

初めて提唱された脱原発憲法学

澤野義一『脱原発と平和の憲法学』(法律文化社)

『非武装中立と平和保障』、『永世中立と非武装平和憲法』、『入門平和をめざす無防備地域宣言』、『平和主義と改憲論議』、『平和憲法と永世中立』など、平和主義や永世中立に関する歴史的かつ原理的研究の先頭を走ってきた著者の最新刊である。
著者は、近現代における平和主義と永世中立の歴史的展開を解明するとともに、日本国憲法の平和主義の特質と歴史的意義を世界史的文脈で問い返し、そうした理論研究の蓄積を基に現代日本の改憲動向を批判的に検証してきた。
本書第Ⅱ部「憲法9条が示す平和と安全保障」では、9条の射程を永世中立との関連で測定し、集団的自衛権論を批判する。第Ⅲ部「日本の安全保障政策と改憲論」では、民主党政権期、及び安倍政権期における安全保障政策の変遷と相互関係を検討する。これらは著者の従来の研究の直接延長上にある。
他方、第Ⅰ部「原発に関する憲法・人権論」は、初めての脱原発憲法学の本格的展開である。著者は、これまでの憲法学において原発問題が正面から論じられることがなかったことを確認し、その理由を探りつつ、先駆的な議論として田畑忍、小林直樹、浦田賢治、山内敏弘らの見解を整理する。その上で、日本国憲法の基本原理と精神に従った脱原発の憲法解釈論の可能性を模索する。原発が孕む様々の人権侵害を検証し、幸福追求権、恐怖と欠乏からの自由、平和的生存権、平等原則に照らして原発の憲法論を提示する。さらに、原発=「核潜在力」論、日米同盟の一環としての原発政策に着目し、コスタリカ憲法裁判所による原発違憲判決をも参考に、原発違憲論を提示する。そして、国内的には、各種の原発訴訟への影響、自治体における脱原発宣言や条例の可能性(無防備地域条例を含む)、原発禁止法、日米安保破棄を展望する。
著者はここでも、単に日本国憲法の条文解釈だけを唱えるのではなく、憲法原則の歴史的考察、比較法的考察を踏まえて、日本国憲法の特質を際立たせると同時に、発展的創造的解釈の可能性を提示する。憲法9条に関する従来の憲法学は歴史的考察を踏まえてきたとはいえ、発展する世界の憲法の比較法的考察を軽視しがちであり、憲法9条のオリジナリティにばかり注目してきた。しかし、著者が示してきたように、歴史の中の9条の位置づけは時代とともに変化してきた。現在の世界には、戦争放棄憲法もあれば、平和的生存権規定もあれば、国連平和への権利宣言を求める動きもある。そうした展開を踏まえながら、憲法9条の射程をより明確にしていこうとする澤野平和憲法学は、脱原発憲法学をも必須の課題とする。

脱原発の憲法理論の提唱には、「原発を問う民衆法廷」運動への協力(法廷証言)というプロセスもあった。原発民衆法廷にかかわった私は、著者の脱原発の憲法理論の形成過程をまじかに見る幸運に恵まれた。

Saturday, January 02, 2016

大江健三郎を読み直す(53)「新年の挨拶」という人生の挨拶

大江健三郎『新年の挨拶』(岩波現代文庫、2000年)
雑誌『図書』連載(1992年1月号~1993年8月号)を1993年に単行本とし、岩波同時代ライブラリー(1997年)を経て、岩波現代文庫に収録された。本人が「私の仕事としてよく完結している」と述べている。「この国の文学の伝統にある私小説に近いものを、自分のスタイルで書いたようなこれらのエッセイ」とも説明しているように、大江流私小説と言っても、エッセイと言ってもよいような文章を20編収めている。
同時代ライブラリーに収録された時に購入して読んだが、「私の仕事としてよく完結している」という意味はよくわからなかった。大江が50歳代後半であり、一方で、自分の文学歴(作家としての作品歴と、そのモチーフとなった読書歴、そして何より文学的主題となった息子・光の物語)を振り返りつつ、他方で、年齢的に「生と死」をめぐる思索を展開していた時期だ。
本書でも、亡くなった兄、ハーバート・ノーマンへの追悼、全日本精神薄弱者育成会での講演、旧作「現代伝奇集」の「雨の木」のエピソードの新展開、河合隼雄の心理療法、ザミャーチンの反ユートピア小説、光作曲の「卒業」などを素材に、人生を問い続けている。

同時代ライブラリー版に追加された「あとがき」に相当する「生きられた人生の物語」が解説編となっている。また、この時期、大江は「最後の小説」というアイデアを繰り返し発言し、結局それは「狼少年」に終わったとはいえ、長編3部作『燃え上がる緑の木』に向けて大江文学の新展開を準備していた時期でもある。40歳そこそこの私にとって、当時はサッと読み流す本だったが、60歳を迎えた今、改めて「新年の挨拶」という「人生の挨拶」を感慨深く読むことができた。