Wednesday, February 22, 2017

『志布志事件は終わらない』出版記念シンポジウム3.26東京

『志布志事件は終わらない』出版記念シンポジウム
 <冤罪と報道を考える>
日時:3月26日(日)午後2時~5時(開場1時30分)
会場:スペースたんぽぽ(たんぽぽ舎と同じビルの4階)
参加費:500円
パネリスト
梶山 天(朝日新聞記者)「志布志事件を暴いた調査報道」
木村 朗(鹿児島大学教授)「現代社会の病理としての冤罪と報道被害」
辻  恵(弁護士、元衆議院議員)「志布志事件と可視化問題」
山口正紀(人権と報道連絡会世話人、元読売新聞記者)「メディアは諸刃の剣」
コーディネーター
前田 朗(東京造形大学教授)
志布志事件とは、2003年春の鹿児島県議選に際して贈収賄があったとして、でっち上げられた冤罪事件です。
事件そのものが存在しないにもかかわらず、鹿児島県警は机上で事件を捏造し、多数の住民を取調べ、自白を強要し、犯罪者に仕立てようとしました。長時間取調べ、人格を貶め侮辱する取調べ、「踏み字」の強要など、無辜の市民に自白を強要、逮捕・勾留した上に起訴に持ち込みました。市民の日常生活が根本から破壊され、自殺者が出るなど、関係者の人生が粉々に砕かれました。
2016年8月、「叩き割り」国賠訴訟が終結し、これによってすべての裁判で住民側が勝利しました。しかし、鹿児島県警は謝罪せず、事件の真相は闇に隠されたままです。
追い込まれながら立ちあがった住民とともに、冤罪事件を明るみに出すにあたって大きな役割を果たしたのは弁護団と報道でした。弁護団は事件が捏造にすぎないことを明らかにし、無罪判決を獲得するにとどまらず、日本の刑事司法の闇を切り裂く闘いを繰り広げました。ジャーナリストは、真相を隠蔽する警察権力の不正を暴き、世論に訴えました。10年を超える歳月をともに闘った市民、弁護士、ジャーナリストの共著『志布志事件は終わらない』の出版を記念して、本シンポジウムを開催します。
問合せ先:090-2594-6914(藤田)

ヘイト・スピーチ研究文献(94)

「特集 台頭する差別・排外主義――「差別禁止法」の制定を」『部落解放ひろしま』99号(2017年)
芝内則明「鳥取ループ・示現舎の差別性・犯罪性」
金尚均「ヘイトスピーチ・インターネットの差別書き込みと差別禁止法」
樋口直人「排外主義と政治」
特集以外に次の論文も。
一木玲子「相模原事件を通してみる学校教育」
岡田英治「『部落差別解消推進法』をどう見るか」

Tuesday, February 21, 2017

梁英聖『日本型ヘイトスピーチとは何か』(3)

梁英聖『日本型ヘイトスピーチとは何か――社会を破壊するレイシズムの登場』 (影書房、2016年)
梁は、「第5章 なぜヘイトスピーチは頻発しつづけるのか?――三つの原因」で、これまでの叙述をまとめる。
第1の原因は「反レイシズム規範の欠如」である。「なぜ従来の反差別運動の力が、反レイシズム規範を成立させることができなかったのか」と問い、「国内的要因」として、「植民地支配時代からのレイシズム法制を入管法に引きついだ一九五二年体制」の確立と、「戦後日本に欧米とは異なる特殊な企業社会が成立したこと」をあげる。「企業の競争原理が市民社会全体を一元的におおっている」日本の企業社会への注目である。民主主義の脆弱さと左派政権の不在、産業民主主義の不成立、差別を内包する日本型雇用システムが社会的規範となったことが確認され、その中での反差別運動には限界があったとされる。
第2の原因は「上からの差別煽動」である。戦後におけるレイシズム暴力事案を見ても、「レイシズムが継続的な曲活動の組織化へと結びつく新しい社会的回路」ができたという。「パチンコ疑惑」「核開発疑惑」「テポドン事件」「拉致問題」など、日本政府や政治家によるレイシズムが噴出した。高校無償化問題もその典型例である。
第3の原因は「歴史否定」である。ドイツと異なり、東アジア冷戦構造の中で、日本は歴史否定の規制を行う必要がなく、むしろ歴史修正主義が権力の地位についてきた。1990年代以降、歴史修正主義が堂々と語られてきた。その延長上に在特会があるという。
以上をまとめて、梁は「グローバル化と新自由主義が招いた東アジア冷戦構造と企業社会日本の再編』と表現する。
「本章で分析した三つの原因を人びとが是正・抑制できなければ、レイシズム煽動が流血の事態にいたることを止めることができない。それはマイノリティを破壊するだけでなく、マジョリティの人格を腐敗させるにとどまらず、民主主義と社会を最終的に圧殺せずにはいないはずだ。」
現代日本のレイシズムとヘイト・スピーチの要因の分析として優れている。
梁は、「第6章 ヘイトスピーチ、レイシズムをなくすために必要なこと」において、レイシズムと闘い、ヘイト・スピーチを克服するための戦略を練る。レイシズムの原因を主に三つに整理したので、当然のことながら、対策もその三つに即して語られる。
第1に「反レイシズム規範の構築――反レイシズム1.0を日本でもつくること」である。人種差別撤廃条約の理念に基づいた反レイシズム法をつくらせることである。そのために、被害実態調査、被害相談、反レイシズム教育が重要である。
第2に「反歴史否定規範の形成」である。戦後補償問題に見られるように、何よりも、真相究明、事実の認定が必要である。
第3に「「上からの差別煽動」にどう対抗するか?」である。「まずは一般的な民主主義を叩かいとること」とされる。
「おわりに――反レイシズムを超えて」で、梁は、次のように述べる。
「日本のヘイトスピーチは、従来の在日コリアンへのレイシズムとの連続性をもちつつも、それとは一線を画した異質性と桁ちがいの危険性をもつレイシズム現象だ。そのためこれを放置すると、マイノリティを徹底的に破壊するだけにとどまらず、加害者個人のみならずマジョリティ側の人格・モラルをも腐敗させ、ついに民主主義と社会を壊す。」
「だが、本当の課題は、そもそもレイシズムが起きる社会的条件を別のものにおきかえることだ。本来は、レイシズムが必然的に暴力に結びついてしまう近代社会そのものをどうするかという問題に向きあわねばならない。反レイシズムは『反レイシズム』だけでは不十分なのである。」
かくして、私たちは20年前、1990年代の課題に立ち返ることになる。人種差別撤廃条約の批准と履行を求める闘い。戦後補償を中心とする政府の責任追及と、真相解明と、歴史修正主義との闘い。相次ぐ政治家の差別発言、妄言を許さない闘い。
梁の分析と問題提起は重要である。レイシズムによる差別被害を受け続けてきた在日コリアンの一員であり、いまなおヘイト・スピーチの暴力被害を受けている梁が、自分が置かれた状況を冷静に研究・分析し、変革の課題に結び付けて調査し、運動し、発言している。その考察は歴史的かつ社会的であり、現場の体験と運動に発し、同時に文献資料も活用して、的確に認識し、展望を切り拓こうとしている。本書に学ぶべきことは大きい。
在日コリアンにこのような研究と運動に取り組まなければならないようにしてきた日本社会の一員として、私はまず自らを恥じ入り、そして思いを新たにしてレイシズム研究に取り組まなくてはならないと思う。
最後に若干の感想を付け加えておこう。
第1に、梁がたどり着いた地点、提起する解決のための闘いは、1990年代からずっと同様に意識されてきた課題である。その意味で新しいことではない。同じ問題意識を有しながら、解決のために取組が続けられた。人種差別撤廃条約の批准、その履行実践、その他の国際人権法の実践、難民、移住者をはじめとする人々の人権擁護・・・さまざまな課題が取り組まれた。ところが、事態は改善と言うよりも、かえって悪化したのではないか。この四半世紀の運動をどう総括するのか。改めて問われている。
第2に、現代日本のレイシズムの独自性、特殊性と普遍性の解明作業も不可欠である。私自身は21世紀植民地主義、グローバル・ファシズム、<文明と野蛮>を超えて、植民地支配犯罪論といったタームで論じてきたが、まだ不十分である。当面は「500年の植民地主義」と「150年の植民地主義」という区分の上で再検討しようと考えている。
第3に、梁の分析では、天皇制が焦点化されていない。天皇制とレイシズムを直接正面から問うことは、まさにヘイトのターゲットとされることを意味するので、日本人がきっちり取り組むべき課題であろう。また、梁は、「日本国憲法のレイシズム」について取り上げていない。日本国憲法は13条で個人の尊重、14条で法の下の平等を掲げているにもかかわらず、実際にはレイシズムを内在させた憲法である。このことを憲法学は軽視してきた。日本国憲法を貫くレイシズムを軽視するから、「憲法は表現の自由を保障している」という稚拙な理由で ヘイト・スピーチを擁護する憲法学者が続出するのだ。「日本国憲法のレイシズム」は私自身の次のテーマである。
第4に、梁が「レイシズムは民主主義を壊す」と述べているのは、このテーマに近接している。刑法学者の金尚均がヘイト・スピーチの保護法益として人間の尊厳を論じる際に社会参加や民主主義について語るのも同じことである。私の文章で言えば、前田朗「ヘイト・デモは民主主義に反する――国連人権理事会のパネル・ディスカッション」『無罪!』2016年7月号参照。レイシズムやヘイト・スピーチは民主主義と両立しない。にもかかわらず、日本の憲法学者は民主主義と表現の自由を論拠にヘイト・スピーチを擁護するという離れ業を続けている。
最後になるが、2016年12月に出版された梁の著作が、2015年4月に出版された私の『ヘイト・スピーチ法研究序説』を無視しているのは残念である。

Monday, February 20, 2017

ヘイト・スピーチ研究文献(93)

上瀧浩子「ヘイトスピーチ裁判の意味と課題」『部落解放』739号(2017年)
李信恵「差別がない未来へ一歩一歩」『部落解放』739号(2017年)
在日特権を許さない市民の会と櫻井誠前会長によるヘイト・スピーチ被害を受けて、名お毀損訴訟を提起し、16年9月27日、大阪地裁で見事、勝訴判決を獲得した代理人弁護士と原告本人の文章である。私も「意見書」を書かせてもらったので、大いに喜んでいる。なお、複合差別や、インターネットの特性を配慮していないとして控訴したので、大阪高裁に係属中。
『部落解放』739号の特集「部落差別解消推進法成立」には下記の論文もあり、重要である。
西島藤彦「インタビュー法律の実効性を運動によって実現させる」
奥田均「部落差別解消推進法を読む」
炭谷茂「部落差別のない社会をめざして」
内田博文「部落差別解消推進法の意義と残された課題」
さらに、
小林敏昭・渡邉琢「対談・相模原事件がわたしたちにもたらしたもの」

梁英聖『日本型ヘイトスピーチとは何か』(2)

梁英聖『日本型ヘイトスピーチとは何か――社会を破壊するレイシズムの登場』(影書房、2016年)
梁は、「第4章 欧米先進諸国の反レイシズム政策・規範から日本のズレを可視化する」で、反レイシズムの3つの型を次のように提示する。
1 人種差別撤廃条約型反レイシズム――国連と欧州(ドイツを除く)
2 ドイツ型反レイシズム 
3 米国型反レイシズム 
このうち人種差別撤廃条約型反レイシズムが「世界でもっとも基本的な反レイシズムのモノサシと言える」「スタンダードなレイシズム禁止法」であり、「ドイツを除く欧州や世界各国で採用されている」という。ドイツ型反レイシズムは「ナチズムの過去の克服として極右を規制し、歴史否定に反対する規範をつくったという。米国型レイシズムは公民権法によりレイシズムを違法化しつつ、差別を行為/言論に分けて、言論を保護し、その結果、ヘイト・スピーチを容認する。
梁は、3つの型の差異と共通性を検討した上で、欧米先進諸国も、ムスリム差別、植民地主義、難民への対処、資本主義という4点で難問に直面しているとみる。
それでは日本はどうか。梁は「4 欧米先進諸国の反レイシズムと日本の現状」で、次のように指摘する。
「日本には、第一の人種差別撤廃条約型のようなレイシズムとレイシズム煽動を規制する国内法がない。これは九五年に人種差別撤廃条約を批准して以後も変わらない。」
「第二のドイツ型のように『過去』との類似性をモノサシとしてレイシズムを測る規範もない。」
「第三の米国型のような、マイノリティ側の表現の自由を尊重しアファーマティブ・アクションを重視するやり方での反レイシズムも、日本には皆無だった。」
従って、これら3つの型を日本にそのまま当てはめることはもちろんできない。しかし、現在の日本でヘイト・スピーチをなくすという課題は意識されている。それゆえ、ヘイト・スピーチをなくす課題を手掛かりに差別をなくす課題を認識させることが重要だという。
梁の主張は明快であり、大筋的確である。以下、若干のコメント。
第1に、欧米先進諸国の経験をそのまま日本に当てはめることができないとしつつ、それぞれの型がどのように形成され、その後の展開を示しているかを確認し、そこから日本をどのように見るかを検討する手法は合理的である。そのさい、人種差別撤廃条約という「普遍性」を帯びた型と、ドイツ型、米国型を対比し、全体を把握したうえで、日本的特質を導き出すのも適切であろう。
第2に、日本には差別禁止法がなく、ヘイト・スピーチ規制法もなく、歴史否定を犯罪とする法もなく、およそ反レイシズム規範が形成されて来なかったという特質の指摘も納得できる。このことは人種差別撤廃員会が繰り返し指摘してきたことである。人種差別撤廃員会でのロビー活動に協力してきたNGOの共通認識でもある。差別禁止とヘイト禁止のための総合的な法政策の必要性は、人種差別撤廃条約以来、半世紀に及ぶ国際人権法の常識と言ってよい。
第3に、梁が、世界をいちおうは見渡しつつも、実際には欧米先進諸国に絞り込んだ議論をしていることが気になる。欧米先進諸国の大半が旧植民地宗主国であり、レイシズムを生み出した本拠である。欧米先進諸国におけるレイシズムの形成と展開を抜きに、欧米先進諸国における反レイシズム違反を出発点としているように見える。
レイシズムに関する記述が先行しているが、反レイシズム規範を有する諸国が、今現在、植民地主義や資本主義という問題に直面しているという整理は、歴史的にも論理的にも逆転しているのではないだろうか。
第4に、歴史否定問題をレイシズム認識、レイシズムと闘いの問題として位置付けているのは正当である。重要な指摘だ。特に日本の現状に対する批判として、この指摘を繰り返す必要がある。ただ、ドイツの特殊性に偏りすぎていないだろうか。ナチスドイツの歴史に反省して、というのは正しい認識であるが、同時に、「アウシュヴィツの嘘」処罰に代表される歴史否定犯罪の処罰は、フランス、オーストリア、スイス、リヒテンシュタイン、スペイン、ポルトガル、ストヴァキア、マケドニア、ルーマニア、アルバニア、イスラエル、モンテネグロ等にある。加害側のドイツだけでなく、被害側や中立国にもある。

梁英聖『日本型ヘイトスピーチとは何か』(1)

梁英聖『日本型ヘイトスピーチとは何か――社会を破壊するレイシズムの登場』(影書房、2016年)
http://kageshobo.com/main/books/nihongatahatespeech.html
12月に出た最新のヘイト・スピーチ関連本である。著者は、1982年生まれの在日コリアン3世で、一橋大学大学院言語社会研究科修士課程。2015年に、NGO「反対レイシズム情報センター(ARIC)」を立ち上げて活動している。
ヘイト・スピーチ関連本はすでに、現状を把握するためのジャーナリストによる報告、法規制に関連する研究者・弁護士の法律論、アメリカや欧州諸国におけるヘイトの動向とそれへの対策を論じた著書など多数ある。本書は、そうした情報も参考にしつつ、日本におけるヘイト・スピーチの歴史と現状、特徴とそれへの対策を正面から論じている。
「序章 戦後日本が初めて経験するレイシズムの危険性を前に」では、「最悪のレイシズム現象としてのヘイトスピーチ」について、その危険性を可視化するために、「反レイシズムというモノサシ」、「差別煽動」をキーワードとし、反レイシズムの欠如が在日コリアンを沈黙に追い込んできたことを指摘し、「沈黙効果」の多元性を説く。
「在日コリアンは、本来もっているはずの、レイシズム被害を語る力も、人間性を失わないために自分のアイデンティティを活用する力も、それらを社会を変えるために発揮する力をも、右のような社会的条件のために削がれつづけている。これが、ヘイトスピーチの『沈黙効果』以前に、はるかに徹底的に在日コリアンの若者を黙らせてきたのだ。」
こうした問題意識も含めて、梁は、本書の課題をまとめている。
「本書は、日本のヘイトスピーチの危険性、社会的原因、有効な対策について考えていく。その際、欧米の経験を抽象化した一般論にとどまらず、日本という個別具体的な歴史的・社会的文脈の中に位置づけて、その特殊性に着目する。そして、反レイシズムというモノサシを身につけることを通じて、日本のレイシズム問題を『見える』ようにする。」
「第1章 いま何が起きているのか――日本のヘイトスピーチの現状と特徴」では、日本の現状を取り上げる。梁は、「二〇一三年六月 東京・大久保にて」及び「ひどすぎてありえない差別の登場」で、ヘイトデモの実態を描く。「さまざまなタイプの物理的暴力――街宣型・襲撃型・偶発的暴力」で、ヘイトの物理的暴力性を明確にする。「あらゆるマイノリティと民主主義の破壊」で、被害者の広がりを指摘する。さらに「社会「運動」としてのヘイトスピーチ」で、継続的に組織されたレイシズムの特徴を整理する。「ヘイトスピーチのどこがどうひどいのか――「見える」ひどさと「見えない」ひどさ」で、反人間性と暴力は見えるひどさだが、レイシズムと歴史否定は見えないひどさであると言う。その上で、「反レイシズムというモノサシ(社会的規範)の必要性」で、ヘイトの総体を把握し、これに対処するために、反レイシズムの視座が不可欠であることを論じる。
「第2章 レイシズムとは何か、差別煽動とは何か――差別を「見える化」するために」において、梁は、概念定義を確認する。まず、「レイシズムとは何か――レイシズムの「見える化」」で、人種差別撤廃条約等の定義をもとに、ヘイト・スピーチとレイシズムの定義を掲げる。日本で利用される国籍差別に関連して「国籍とレイシズム」にも目を配る。「差別煽動とは何か――レイシズムの発展を見えるようにする」で、レイシズムをレベルアップするメカニズムを論じる。「増殖する差別」の重要な要因として煽動が問題となる。ここでも人種差別撤廃条約第4条などをもとに差別煽動を定義している。その上で、亮は「レイシズム暴力」と国家の関係を問い、最大の責任主体としての国家、「上からの差別煽動」を主題とする。さらに、「マイノリティとしての在日コリアン――レイシズムと差別煽動の不可視化がもたらすもの」で、本書で中心的に論じる在日コリアンについて確認している。
「第3章 実際に起きた在日コリアンへのレイシズム暴力事例」で、梁は、近現代日本市におけるヘイトの歴史を素描する。
1 関東大震災時の朝鮮人虐殺(一九二三年九月~)
2 GHQ占領期の朝鮮人弾圧事件(一九四五年八月~一九五二年)
3 朝高生襲撃事件(一九六〇年代~七〇年代)
4 チマチョゴリ事件(一九八〇年代~二〇〇〇年代前半)
5 ヘイトスピーチ――在特会型レイシズム暴力(二〇〇七年~現在)
以上の順で、ヘイト・クライム/ヘイト・スピーチが在日コリアンに対していかに行われてきたかをたどり直し、その特徴を明らかにする。
ヘイト・スピーチの被害がとらえがたい理由を検討した結果、梁は次のように述べる。
「戦後七〇たったいまもなお、法律レベルで公認された権利がほぼないまま、レイシズム状況に自分たちがおかれていること。このことを痛烈に自覚しつづけざるをえないからこそ、在日コリアンの『ヘイトスピーチ被害』は、それだけ深刻なものになるのだ。」
ヘイトの被害についての正面からの議論はしていないが、差別が日常化、制度化、組織化されている状況下におけるヘイトの被害の深刻さを示している。
以上の3章を見るだけでも本書が極めて重要で有意義な著書であることを確認することができる。いくつもの特記事項があるが、少しだけ確認しておこう。
第1に、反レイシズム規範の強調は的確であり、重要である。世界人権宣言では不十分であり、日本国憲法には欠落している反レイシズムを、いかにして日本社会に提起するのか。人種差別撤廃条約、同委員会での議論、ダーバン反差別世界会議の宣言・行動計画、国連・先住民族会議の議論、ラバト行動計画など、国際社会の努力はまさに反レイシズムの規範作りであった。それが日本に十分に影響を与えることができなかった。人種差別撤廃委員会の度重なる勧告を日本政府が無視してきたからである。
第2に、レイシズムとヘイトの暴力性の指摘は何度でも、何十度でも繰り返さなければならないキモである。日本社会はあくまでもヘイトの言論性を口実にして、表現の自由だなどと言うが、実態は暴力である。暴力の実態を隠蔽するためのごまかしの議論として「行為と言論の区別」論が猛威を発揮してきた。
第3に、日本近現代史を通じてヘイトが続いてきたことの歴史的確認である。関東大震災から最近のヘイト・スピーチまで、在日朝鮮人の歴史に詳しい人間ならだれでも知っていることであるが、日本社会の研究者の中にはこの程度の情報すら踏まえていない例が少なくない。本書第3章の記述は、さらに詳細に「近現代日本におけるヘイトの現象形態とその本質」としてまとめる必要があるだろう。

ヘイト・スピーチ研究文献(92)

有田芳生「ヘイトスピーチ解消法の意義と展開――差別の煽動を根絶させるために」『セフルム』23号(2017年)
解消法制定に向けた立法運動の中心人物である有田参議院議員の講演記録である。『セフルム』は公益財団法人・朝鮮奨学会の機関誌。

Saturday, February 18, 2017

大江健三郎を読み直す(75)大江の世界の広さと狭さ

大江健三郎『恢復する家族』(講談社、1995年)
大江健三郎が文章を書き、大江ゆかりが挿画を描いて、医療関係の財団の機関誌『SAWARABI(早蕨)』に連載(1990年~1995年)されたのちに1冊にまとめられた。
タイトルのとおり、家族がさまざまな苦難に出会い、悩み、時にぶつかり合いながらも、徐々に恢復していく過程を描いたエッセイである。テーマ自体は大江が小説で繰り返し書いてきたことだが、エッセイなので、家族の実体験そのものに即して書かれている。大江の読者にとっては、小説とエッセイの区分けも案外難しいが。
「この間には、私の母の二度の入院、やはり二度の光のCD出版、それをつないでのコンサート、大きい発作の後の光を伴っての初めての海外旅行、NHKテレビ番組『響き合う父と子』の撮影、そして今回の夫の受賞、と家族にとって特別な出来事が次々と起こり」(あとがき、大江ゆかり)とあるように、息子を中心とした家族の現状を報告しながらの思索の数々が示される。
家族以外にも多くの人物が登場する。ほとんどは大江のエッセイの常連だ。医師・森安信雄、経済学者・隅谷三喜男、医師・重藤文雄、医師・上田敏、作家・井上靖、詩人・谷川俊太郎、詩人・大岡信、フランス文学者であり大江の師・渡辺一夫、作家・司馬遼太郎、映画監督・伊丹十三、ピアニスト・海老彰子、作家・堀田善衛、作家・大岡昇平・・・
こうして書き出してみると、大江の世界の広さと狭さがよくわかる。これ以外に、海外の作家や思想家たちとの交流もあるので、大江の世界の比類のない広さは言うまでもない。編集者やディレクター等については特に必要がない限り言及がなく、言及があっても固有名が登場しないので、本当の広がりを読み取ることはできないのだが。
息子のCD発売やそれを記念してのコンサートについてのエッセイはふつうなら「親バカ」の一言で片づけられるレベルのものだが、息子を家族に受け入れ、共に生きることを文学の主題とし続けた大江だけに、随所に深い思いと祈りが込められている。

Wednesday, February 15, 2017

日本は本当に「真実後」なのか?

このところ、「真実後(ポスト・トルース、post-truth)」という用語がさかんにつかわれるようになってきた。アメリカの評論家ラルフ・キーズ(Ralph Keyes)が2004年の著作で用い、2010年頃からアメリカ政治の世界で使われるようになったと言う。それが日本政治にも適用されている。
政治の世界では、真実を語ることは必要でなくなった。政治家に真実を求める文化がなくなっている。虚偽を語っても検証されず、批判もされない。たとえ虚偽を語っても、あれこれとごまかしの弁明が通用する。
 アメリカでは、オバマ政権に対しても用いられたが、何と言っても2016年の大統領選挙において、「真実後」現象が爆発した。2017年に入っても、トランプ大統領は平然と嘘を繰り返す。「オルタナティヴ・ファクト」という珍妙な言葉も流行した。
 日本でもこの言葉を用いる政治評論家やジャーナリストが増えてきた。そのすべてを見たわけはなく、一部しか確認していないが、まともな政治学者は用いていないのではないか。その場しのぎの「おみくじ評論家」が用いている印象だ。
2点だけ指摘しておこう。
 第1に、定義が不明確である。真実の定義自体、もともと流動的である。政治の世界では、それぞれの「真実」を求めて争う歴史がある。
 第2に、日本政治が「真実後」になったという主張は、同時に、日本政治は「真実」だったという主張を前提としてしまうことになる。
 だが、日本政治がいったいいつ「真実」だったことがあるだろうか。明治維新以来の近現代日本政治は一貫して「真実前」だったのではないか。あるいは、「反真実」、端的に言って「虚偽と隠蔽」だったのではないか。
 そのことも踏まえたうえで、「真実後」という表現をするのでなければ、歴史修正主義に加担することになるだけだろう。
 以下は昨年11月にソウルで開催されたシンポジウムでの私の報告の一節。
罅割れた美しい国――移行期の正義から見た植民地主義(3)
<しかし、本報告が縷々述べてきたように、東アジアにおける日本における/日本による戦争と植民地支配の歴史、及び今日に至る未清算の現実に向き合うならば、わたしたちが置かれている状況は「真実前の政治(Pre-truth politics)」ではないだろうか。
 「真実前」と見るか、「真実後」と見るかは言葉の綾に過ぎないという理解もありうるかもしれないが、「真実後」であるならば、少なくとも一度、私たちは真実の世界に身を置いたことになる。近現代日本の歴史を虚偽と隠蔽の歴史と一面的に決めつけることは適切ではないかもしれないが、移行期の正義と植民地支配犯罪論を踏まえて検討するならば、私たちは一貫して「真実なき政治」の世界に身を浸してきたと見るべきではないだろうか。「戦争では真実が最初の犠牲者となる」という警句があるが、150年に及ぶ日本の戦争と植民地支配の歴史(未清算の歴史)を通じて、真実はおぼろげにでも姿を現したことがあっただろうか。>

ヘイト・クライム禁止法(128)ヴァチカン市国

ヴァチカン政府(Holy See, VCS)が人種差別撤廃委員会に提出した報告書(CERD/C/VAT/16-23. 4 September 2014)によると、主な法源はカノン法である。イタリア法も補充的法源である。ヴァチカンで適用される刑罰の多くは罰金である。刑事施設収容は通例は6カ月を超えない。2013年7月11日に教皇フランシスのもと刑法が改正され、条約第4条に従った犯罪には5年以上10年以下の刑罰が科される。条約第6条に従って、刑法は被害者補償を定める。
2003年、欧州安全協力機構が開催した反レイシズム会議を支援し、各国国内および旧ユーゴスラヴィア国際刑事法廷及びルワンダ国際刑事法廷における人種主義行為への効果的な刑罰負荷を促進してきた。2005年、反ユダヤ主義に関する会議に協力した。2012年、欧州安全協力機構が開催した人種主義と闘う会議を支援した。
人種差別撤廃委員会はヴァチカン政府に対して次のような勧告をした(CERD/C/VAT/CO/16-23. 11 January 2016)。法源によると条約第4条に列挙された犯罪のいくつかが禁止されているが、条約第2条に照らして、人種差別が禁止されていないことに関心を有する。委員会は、条約第2条に照らして人種差別を禁止する措置をとるように勧告する。委員会は、条約第4条に関連して、一般的勧告35パラグラフ12に従って、比較的重大でない犯罪について刑罰を科しているか、そうではないかについて明らかにするように要請する。

「昭和天皇平和主義者」イメージ偽造の手口を暴く

山田朗『昭和天皇の戦争』(岩波書店、2017年)
敬愛する歴史学者の最新刊である。『昭和天皇の戦争指導』、『大元帥・昭和天皇』、『昭和天皇の軍事思想と戦略』において、隠されてきた昭和天皇の思想と行動を解明し、並行して『軍備拡張の近代史』、『近代日本軍事力の研究』で日本軍事史に新たな頁を加えてきた山田は、『兵士たちの戦場』では「体験と記憶の歴史家」にも挑んでいる。すごい理論的生産力に脱帽あるのみ。
本書の副題は「『昭和天皇実録』に残されたこと・消されたこと」である。2014年に一般公開され、2015年から出版されて、現在も進行中の「昭和天皇実録」全60巻について、メディアはその内容を横流ししてきた。いくつかの著作が出されてきたが、横流しのものも少なくない。批判的に検討した著書もあるが、あまりにも大部であるため、総合的な検討はこれからである。山田は「昭和天皇の戦争」に絞って、検証している。その問題関心は、「昭和天皇実録」が、何を収録し、何を収録しなかったか、である。
「『実録』において書き残されたことは、疑いのない史実として継承されていく反面、そこで消されてしまったことは、無かったこと、不確実なこととして忘れ去られていく可能性が高い。」
特に「平和主義者としての昭和天皇」という悪質なブラックジョークがすでに幅広く流布している。「実録」もそのイメージ強化に向けて総力を注いでいると言っても良い。山田は「大元帥としての天皇」について、「国務と統帥の統合者」という局面と、「政治・儀式」の局面に着目して、残されたことと、消されたことを確認していく。その上で、昭和天皇の戦争について、満州事変期、日中戦争期、張鼓峰事件と宣昌作戦、南進と開戦、そして敗戦に至るまで、「実録」の記述をていねいに点検していく。
結論として、「過度に『平和主義者』のイメージを残したこと、戦争・作戦への積極的な取り組みについては一次資料が存在し、それを『実録』編纂者が確認しているにもかかわらず、そのほとんどが消されたことは、大きな問題を残したといえよう」と述べる。
予想通り、「実録」は、少なくとも昭和天皇と戦争というテーマに即してみるならば、歴史偽造の書というべきだろう。歴史家や歴史教師だけでなく、多くの市民が本書を読むことが望まれる。

Monday, February 13, 2017

大江健三郎を読み直す(74)大江唯一のファンタジー・ノベル

大江健三郎『二百年の子供』(中公文庫、2006年[中央公論新社、2003年])
両親が不在の時期に故郷に滞在した3人の子どもたちがタイムマシン(シイの木のうろ)にのりこんで、過去に移動して故郷の伝説の人物メイスケさんに出会ったり、103年前のアメリカへ、あるいは100年後の日本を訪れる。大江自身の家族をモデルにし、3人の子どもも大江の子どもたちに相当する年齢と個性の持ち主である。
SFジュブナイルとして格別の特徴があるわけではない。タイムマシンものとしては、シイの木のうろをタイムマシンに、というのはそれなりのアイデアかもしれない。木のうろの話は大江自身の少年時代の体験として何度も語られてきたことでもある。SFであることに意味があるということではなく、子どもたちがそれぞれの時代、それぞれの場所で、悲しい出来事に出会い、苦難を乗り越え、勇気を奮い起こし、友情を確かめ合う、そのプロセスを提示することに意味がある。
本書の後に、大江は子ども向けのエッセイ集を2冊出している。全部で3冊というのはむしろ少ない印象だが。

Wednesday, February 08, 2017

ヘイト・スピーチ研究文献(91)ダーバン宣言とは何か

前田朗「植民地主義との闘い――ダーバン宣言とは何だったのか」『社会評論』187号(2017年)
一 はじめに
二 ダーバンへの道
三 ダーバン宣言の概要
四 ダーバンからの道
<ヘイト・スピーチと闘うために>というタイトルでの連載5回目である。2001年に南アフリカのダーバンで開催された国連人権高等弁務官主催の人種差別反対世界会議で採択されたダーバン宣言の意義を再確認した。
1980~90年代の国連の人種差別との闘いの集約として、人種差別反対世界会議が招集された。アパルトヘイトを終わらせた南アフリカのダーバンである。アパルトヘイトの原型はダーバン・システムであった。それゆえダーバンでの開催となった。国連、各国政府、NGOが大挙してダーバンに集まった。数は不明である。1万を超える人権NGOと言われていたと記憶する。日本からも「ダーバン2001日本」という名で集まったNGOが十数名参加した。
ダーバン宣言は、人種差別の根源として植民地支配、植民地主義に焦点を当て、「植民地支配時代における奴隷制は人道に対する罪であった」と認定した。ヘイト・スピーチに関連する条文も多数ある(ヘイト・スピーチという言葉は用いていないが)。
ダーバン宣言は2001年9月8日に採択された。ところが、3日後の9.11のため、世界は暗転した。「テロとの戦争」が人種差別を極度に悪化させ、21世紀は国家主導の人種差別が噴出する時代になってしまった。国連人権理事会では、その後もダーバン宣言のフォローアップの努力を続けてきたが、先進国(その多くが旧宗主国)側のサボタージュにより、進展がない。日本政府もダーバン宣言に背を向けたままである。
ヘイト・スピーチがいっそう悪化し、これへの対策が始まったばかりの日本では、ダーバン宣言の意義が大きい。ダーバン宣言に立ち戻って、課題を探る努力が不可欠だ。
ダーバン宣言及び行動計画の全訳は下記にアップされている。




ヘイト・クライム禁止法(127)エジプト

エジプト政府が人種差別撤廃委員会に提出した報告書(CERD/C/EGY/17-22. 30 June 2014)によると、エジプトは平等の権利の保護と差別の禁止をしており、雇用、教育、NGO及び報道に関する法において犯罪としている。2006年の刑法第176条は、人種、出身、言語、宗教又は信念に基づいて集団に対する差別を煽動し、その煽動が公共の平穏を侵害する場合、刑事施設収容に処することとしている。教育課程の発展のための規則と基準は、国際的な人権概念と基準をカバーする文脈で社会的教育を保障し、差別を拒否している。現行法をさらに改正する試みが進んでおり、差別行為、憎悪の煽動、人間からの強制搾取、すべての携帯の人身売買を犯罪化しようとしている。
人種差別撤廃委員会はエジプト政府に次のように勧告した(CERD/C/EGY/CO/17-22. 6 January 2016)。刑法第176条は人種差別を犯罪とするよう改正されたが、平穏侵害のあった場合に限定されている。委員会の一般的勧告35に照らして、刑法を、条約第4条に従って人種主義的ヘイト・スピーチをカバーするように改正するよう勧告する。人種的優越性又は憎悪に基づく観念の流布、人種的民族的差別の煽動、人種主義団体の設立や援助を禁止するべきである。犯罪の人種的民族的動機を刑罰加重事由とするべきである。

Tuesday, February 07, 2017

ヘイト・スピーチ研究文献(90)復刻版全国部落調査事件

河村健夫「ネット上の『言論』と司法手続き――復刻版全国部落調査事件を素材に」『明日を拓く』112号(東日本部落解放研究所、2016年[2017年]
16年6月に行われた第15回差別論研究会の報告と討論の記録である。雑誌の発行日が2016年1月10日と記載されているが、たぶん2017年1月10日発行が正しい。
1 インターネットの普及とそれに伴う誹謗中傷ケースの増加
2 ネット上の書き込みにより、どのような「被害」が生じているか
3 ネット上の誹謗中傷は、民事・刑事事件でどのように扱われるか
4 復刻版「全国部落調査」事件の概要と事実経過
5 ネット上の差別事象を根絶するために
鳥取ループ、示現舎による復刻版ウェブサイトアップについては、16年3~4月に出版差止めの仮処分決定とウェブサイト削除の仮処分決定が出ている。4月19日に本訴提訴、7月5日に第1回口頭弁論が開かれて、裁判継続中という。
その間、16年12月、部落差別解消法が制定された。障害者差別解消法とヘイト・スピーチ解消法に続くものだ。
本件担当弁護士による河村報告は、日本のネット状況を踏まえて詳しくなされているので、勉強になる。

Monday, February 06, 2017

ヘイト・クライム禁止法(126)ノルウェー

 ノルウェー政府が人種差別撤廃委員会に提出した報告書(CERD/C/NOR/21-22.21 November 2013)によると、2012年3月30日、最高裁判所は、2005年6月3日の改正刑法135条aに導入された差別的スピーチからの保護を厳しく強化した規定に関する判決を言い渡した。立法者は、裁判所に、それ以前の諸決定よりも刑事責任を問うための要件を低くするように意図した。本件被告人は、酩酊状態で、エンターテインメント会場のドアマンに対して、ドアマンを貶め、その皮膚の色に基づいて職務にふさわしくないと揶揄するために、人種主義的発言を行った。「馬鹿な黒人(nigger)」「馬鹿な黒人(coon)」と繰り返し叫んだ。最高裁は、この発言が、従業員が接客しているさなかに、公開の場でなされた文脈を強調し、表現の自由の権利によって保護される価値に関係しないことを強調した。それゆえ、この発言は憲法的保護を強く受けるものではない。従って、被告人は刑法135条a違反で有罪とされた。
前回審査の結果、委員会は、公的議論におけるレイシズムに対処する戦略を発展させ、被害の申立、捜査や訴追の結果などの統計データを報告するよう勧告した。これに応じて、ノルウェー政府はヘイト・クライムの記録作業を強化している。2012年以後、ヘイト・クライムは年次統計において独立項目とされている。人種や民族、宗教、性的志向に関するヘイトや偏見に動機を有する犯罪の統計がとられている。警察庁、司法省、検察局の協力により、ヘイト・クライムの報告制度が詳細に策定されている。
2012年、警察大学校は、過激主義やインターネット上の暴力的過激主義に関する報告を強化する制度の検討を行っている。
人種差別撤廃委員会はメディアにおける人種主義的発言やヘイト・スピーチへの関心を示した。ノルウェー政府は、財政措置を講じて、スピーチの自由、多様性、開かれた議論を促進している。オンライン・ヘイト・スピーチと闘う欧州評議会との戦略的パートナーシップに参加している。
人種差別撤廃委員会はノルウェー政府に次のように勧告した。ノルウェー政府がヘイト・スピーチと闘う努力をしていることに留意するが、政治家によるヘイト・スピーチや排外主義発言が増えている。メディアやインターネット上での、マイノリティや先住民族、とりわけサーミ人、西欧以外の欧州出身者、ロマ、難民認定請求者に対するヘイト・スピーチも増えている。委員会は、刑法135条aがヘイト・スピーチからの保護のために必ずしも適切に適用されていない。委員会の一般的勧告35に照らして、被害を受けやすい集団の権利を保護し、人種主義的ヘイト・スピーチから保護し、次の措置を取るよう勧告した。政治家やメディア関係者による人種主義的ヘイト・スピーチや排外主義発言を強く非難すること。ヘイト・スピーチを刑法に基づいて効果的に捜査し、責任者を適切に訴追すること。ヘイト・スピーチ事件の統計を収集し、利用できるようにすること。ヘイト・スピーチに反対する意識喚起キャンペーンを行い、ヘイト・スピーチと闘う長期戦略を発展させること。ヘイト・スピーチの有害な影響を除去し、学校教育課程や教材に関連する情報を含めること。
人種差別撤廃委員会は、ノルウェー刑法には、条約第4条bに合致して、人種差別を助長する団体を違法とする規定が含まれていないことに関心を表明した。一般的勧告7、15及び35を想起し、条約第4条の規定が義務的であることを想起し、人種差別を助長・煽動する団体を違法であり、禁止する法規定を設けるように勧告した。

Sunday, February 05, 2017

大江健三郎を読み直す(73)日本のプレモダンとポストモダン

大江健三郎『人生の習慣』(岩波書店、1992年)
1987年から91年にかけて行われた11回の講演録である。
冒頭の「信仰を持たない者の祈り」は、同じことを何度も繰り返してきたことだが、宗教者や信仰を持つものではない大江自身がいかにして祈りを実践し、深めていくかを問い続けてきた中間報告である。祈りや癒しや魂のことに、この後も大江はこだわり続ける。終生のテーマの一つである。
「日本の知識人」はベルギー、「ポストモダンの前、われわれはモダンだったのか?」はアメリカ・カリフォルニア、「なぜフランクフルトに来たか?」はドイツでの講演であり、それぞれの地での大江の読者に向けられたものだが、同時に日本文化の紹介も兼ね、また同時に日本の相対化を試みる作業でもある。
1990年の講演「ポストモダンの前、われわれはモダンだったのか?」において、大嘗祭を迎えようという時期の、プレモダンの日本の危機を論じている。
「天皇制の、憲法や皇室典範を自由に超える暗喩としての力を実体化させる試みは、中心の権力にとって、いわば最後の切札ですが、そうすることは天皇制自体を現実的な危機に直面させることでもあります。日本の近代は、中心の権力に対して、天皇制の暗喩の実体化ついて慎重であるよう教育する時代でもありました。その教育は民衆に大きい犠牲をはらわせる経験となりましたが、天皇制の暗喩は巨大なまま生き延びているのです。ポストモダンの繁栄の表層の真床襲衾をとりのぞいた後、それまで物忌みしていたどのような日本と日本人の実体があらわれるか? それを警戒して見張りながら生きるのが、漱石、大岡を見送った後の、日本の知識人の運命であるように思われます。」
それから27年、天皇による生前譲位要求に右往左往する日本を、大江はどう見ているだろうか。



Friday, February 03, 2017

見たくなかった日本のレントゲン写真

中村一成『ルポ 思想としての朝鮮籍』(岩波書店)
名著を読み終えた後しばらくは他の本が読めなくなる。読後感をまとめるのも難しい。頁をめくっては記述のあちこちを反芻し、時に感銘を受け直し、時に悩み、時に初読時に気づかなかった発見に気づくこともある。
2017年最初の名著に、著者に感謝。『ルポ 京都朝鮮学校襲撃事件』に続く本書は再読、三読を必然・義務と感じさせる。
<イデオロギーではなく今なお譲れない一線(=思想)として「朝鮮籍」を生きる.高史明,朴鐘鳴,鄭仁,朴正恵,李実根,金石範――在日にとって特に苛烈だった4060年代を含め,時代を駆け抜けてきた「歴史の生き証人」たちの壮絶な人生とその思想を,ロング・インタビューをもとにルポ形式で克明に抉りだす.在日から照射する「戦後70年史」.>
「在日朝鮮人」とは何か。この問いに応えられる日本人はいまなおほんの一握りしかいないだろう。朝鮮植民地支配による日本籍の押し付け。強制連行その他の渡日の歴史。昭和天皇最後の勅令による有無を言わせぬ国籍剥奪。外国人登録法体制下の管理と抑圧。日本における民族教育の死守。南北分断による韓国籍と「朝鮮籍」。多数の人々の帰化と「朝鮮籍」へのこだわり。これらの歴史過程を思い起こすだけでも大変な知的営為を必要とする。おそらく人類史に、これと比すべき事例がほとんどないのだから。まして、「在日朝鮮人」は一般化不可能な「歴史体験」であり「個人体験」である。一人ひとりの「在日の暮らし」があり「体験」があり、そこで初めて成立した「思想」がある。襞の一つひとつをていねいに克明に記録する作業は、他の著者にはできないだろう。中村一成と書いて「なかむらいるそん」と読む、この著者の体験と思いを抜きに本書を理解することはできない。高史明、朴鐘鳴、鄭仁、朴正恵、李実根、金石範という、知名度の高い在日朝鮮人の体験史ではあるが、本書が独特の光を放つのは中村一成のまなざし、震え、危機感がじわりじわりじわりじんわりと伝わってくる。<日本>のレントゲン写真がこれほど鮮やかに提示されたことはないだろう。多くの日本人が見たくないレントゲン写真だ。
「『戦争放棄』を唱えつつ、一方の国家殺人『死刑』を支持、黙認し、『基本的人権の尊重』を言いながら、『元国民』である在日朝鮮人がその享有主体から排除されている現状を看過する。『平和国家』を口にする一方で米国の戦争に付き従う――。これらの欺瞞を多くの日本人はそれとして認識してきたか? 倫理と生活を切り離し、日常の安定を謳歌してきた結果が、数年来、吹き荒れるレイシズムであり、『戦後』という欺瞞を最悪の形で解消しようとする第二次安倍政権の誕生ではなかったか。」


Thursday, February 02, 2017

検証なき「マスメディア共同体」の検証

瀬川至朗『科学報道の真相――ジャーナリズムとマスメディア共同体』(ちくま新書)
STAP細胞事件、福島第一原発事故、地球温暖化問題という3つの事例に関する科学報道の誤謬の実態を検証し、その構造的要因を探る本である。
STAP細胞事件では、理化学研究所や著名科学者や著名科学雑誌という「権威」に寄りかかって、あとはおもしろおかしくセンセーショナルにあおる報道がなぜ起きたのかをチェックする。福島第一原発事故報道でも「炉心溶融」が起きているのに、起きていないという政府と東電の願望をそのまま横流しする異様な報道がなされたが、同じ構造に起因するとみる。地球温暖化問題では、科学報道におけるバランスのとり方をめぐる意識の差異が顕著になる。
その上で著者は、記者クラブに代表される取材体制や、新聞記事が形成される過程を振り返りながら、「マスメディア共同体」とも言うべき現状を検証する。そして、「客観報道」と「公平・中立報道」の問題点を考える。特に日本では「客観的に報道する」という「客観報道」が「権力者の主観をそのまま報道する」異様な主観報道に堕してきたことを確認する。以上のことは科学報道だけではなく、日本の報道全体に共通の問題性である。
終章で著者は「科学ジャーナリストは科学者とどう向きあうべきか」と問う。科学ジャーナリストが陥りがちな権威重視や業界内向けの姿勢にならないために、科学共同体についての認識を深め、特に現代の巨大化・組織化された、国家プロジェクトとしての科学の実態を的確に把握し、ジャーナリズムの意味を問い直し続けることが重要である。
著者は軍事研究には言及していないが、科学とジャーナリズムの関係は軍事研究においていっそう強く問われるべきであろう。
著者はSTAP細胞事件の報道を検証したメディアがないことを繰り返し指摘している。検証なき「マスメディア共同体」が何をもたらすのか、そのことの批判的検証が不可欠である。必然的に誤報を垂れ流し、その検証を放棄して、次の誤報と人権侵害に向かう現代マスメディア共同体の真相をさらにチェックするべきである。