Tuesday, November 30, 2021

ジェノサイド予防04

3パネルは、セシル・アプテル国連人権高等弁務官事務所・法の支配と民主制局長が司会、ジェノサイド予防のための早期警告の強化を論じた。パネラーはジェノサイド予防特別顧問、イルーゼ・ブランド・ケーリス国連事務総局人権アシスタント、ファビアン・サルヴィオリ真実・正義・補償特別報告者である。

特別顧問は、ジェノサイド予防のための早期警告について、大虐殺犯罪を分析する枠組みを研究し、リスク要因を確認していると述べた。政治意志とリーダシップが重要であり、ジェノサイド予防を国連の仕事の中心に置くべきだという。国連ヘイト・スピーチ戦略・行動計画は新型コロナの文脈でヘイト・スピーチを論じている。ソーシャル・メディア企業とともに、ヘイト・スピーチに反対する市民社会を支援する。安保理事会及び人権理事会も重要であり、人権理事会に市民社会組織の参加がより重要である。人権理事会UPRも同様に重要である。

ケーリスは、大虐殺犯罪は人権侵害の最終形態であるとし、持続可能な発展と持続可能な平和に向けた前進を破壊するという。保護が予防の最良の形態であり、保護のための課題を発展させるべきである。2030年のSDGsの履行に人権課題を結びつける。

サルヴィオリは、大虐殺犯罪の発生を避けるための説明責任の重要性を指摘する。各国には過去の残虐行為についての説明責任がある。平和の文化を促進する教育の重要性を最新報告書で示した。ジェノサイド予防特別顧問との協力を続けている。

その後、ベルギー、中国、キプロス、ギリシア、インド、ポーランド、イギリス、EU、国連女性連合が発言した。

最後に、司会がまとめの発言をした。ジェノサイド予防には第一に各国に責任があるが地域的国際的協力も重要である。移行期の司法を補完するため、刑事責任を問い、法的制度を確立する必要がある。記録資料を残し、記憶、博物館、教育も重要である。ヘイト・スピーチ、不寛容、反ユダヤ主義、その他のレイシズムの原因を解明する必要がある。

ジェノサイド予防03

2パネルは、ジェノサイド予防の地域イニシアティヴへの国家の参加助長で、司会はシルヴィア・フェルナンデス・デ・グルメンディ・大虐殺犯罪に反対するグローバル・アクション議長である。フリサ・マンティラ米州人権委員、ユユン・ワユニングルムASEAN人権委員会インドネシア代表、クリスティン・デ・ペイロン欧州域外行動サービス人権・グローバル問題事務局長が発言した。

フェルナンデス・デ・グルメンディは、大虐殺犯罪予防の短期的及び長期的政策樹立に関して各国を支援する「大虐殺犯罪に反対するグローバル・アクション」を紹介する。グローバル・アクションは事件対応の文化から予防の文化への移行を求めてきた。予防について議論する国家と市民社会協働のミーティングを開いてきたが、2021年11月にはオランダで第4回ミーティングを予定している。

マンティラは、米州人権条約第1条のもとで各国には管轄権内のすべての人の人権尊重義務があるという。人権侵害の監視と個人の申し立てシステムとして、米州人権委員会はジェノサイド予防に貢献している。監視のための各国訪問調査が重要である。マンティラは、2003年の米州人権委員会決議は、大虐殺犯罪は米州機構憲章及び国連憲章の基本原理の否定であるとしたとし、国際犯罪を行ったとされる被疑者を裁判にかけるために引き渡しが必要であるとした。米州人権裁判所のグアテマラ事件及びコロンビア事件において、裁判所は米州人権条約はジェノサイド条約その他の国際条約に照らして解釈されるべきであるという立場で、ジェノサイドの申し立てを審議した。

ワユニングルムは、地域機関の任務を論じた。ASEAN憲章、ASEAN人権宣言、ASEAN政治安全共同体、ASEAN社会文化共同体、ASEAN平和・統合・弾力・健康・調和社会のための予防文化宣言が地域における大虐殺犯罪予防の協力を可能にしている。ASEAN政府間人権委員会の2021~25年行動計画が事件対応から予防へのアプローチの変化を生んでいる。行動計画は、リスク評価、調査研究、早期警報を通じて、暴力的過激主義の個人、組織、制度レベルの原因を確認する措置を助長している。効果的な救済の権利、人権、平和教育、表現の自由、宗教の自由、ヘイト・スピーチへの対処のすべてが大虐殺犯罪の予防に貢献するという。

デ・ペイロンは、「ホロコースト被害者の記憶記念国際デー」に言及し、過去の犯罪を認知する記憶政策の持続を訴えた。新型コロナがマイノリティに対するヘイト・スピーチや憎悪を惹き起こしている。2002年以来、EUは大虐殺犯罪の捜査と訴追における各国の密接な協力ネットワークを作ってきた。ジェノサイドその他の大虐殺犯罪の予防はEUの外交安全政策の中心部分であり、EUは反ユダヤ主義と闘う戦略を採択している。「人権と民主主義のための行動計画2020-2024」に基づいて、EUは民族的出身、宗教又は信念に基づいた共同体に対する不寛容、ハラスメント又は暴力と戦っている。

デ・ペイロンは、ジェノサイド予防の努力を倍加するように呼び掛けた。ジェノサイド条約は各国がジェノサイド予防の行動をとるための共通の法的基礎を提供している。デ・ペイロンは、国際刑事裁判所や国際法廷へのEUの協力に言及し、移行期の司法の前進が重要であるとした。

最後にデ・グルメンディは、ジェノサイド予防における記憶、移行期の司法、教育の重要性を指摘し、国際刑事裁判所との協力の重要性にも言及した。ジェノサイド予防の責任は各国にあるが、国際共同体全体として大虐殺犯罪の発生を予防するべきである。

Sunday, November 28, 2021

非国民がやってきた! 005

三浦綾子『母』(角川文庫)

小林多喜二の母セキが88歳の時点で、主語「わだし」として語るスタイルで、多喜二とその家族を描いた作品である。1992年の作品なので、いまから29年前になる。三浦綾子は『氷点』(1965年刊)でデビューし、1999年に亡くなるまで作家活動を続けたが、本書は晩年の作品の一つとなる。

この作品を初めて読んだ。三浦綾子が小林多喜二を描いたことは、当時、新聞で読んだのに、作品を手にすることはなかった。私の「非国民がやってきた!」シリーズの第2作『国民を殺す国家』(耕文社)において多喜二を取り上げたので、多喜二全集を購入するとともに、多喜二に関する重要文献を十数冊読んだが、その時にも本作を読んでいない。

セキは1873年に秋田県に生まれ、1886年に小林末松と結婚し、1903年に次男・多喜二誕生、1907年に小樽に移住。多喜二がプロレタリア作家として活躍したのが1920年代で、1933年に治安維持法違反容疑で逮捕され、築地署で虐殺された。セキ60歳、多喜二30歳を迎える年である。セキは1961年に87歳で他界した。

作品は全7章から成る。

第一章      ふるさと

第二章      小樽の空

第三章      巣立ち

第四章      出会い

第五章      尾行

第六章      多喜二の死

第七章      山路越えて

年代順に小林家の出来事、家族の人柄、その生涯をじゅんじゅんと語る構成だから、多喜二の生涯を知る者には、第一章から第六章までは、タイトルを見ただけであらすじがわかる。語られるエピソードの多くはすでに知られていることが多いが、巧みな小説として、かつセキの語りとして描かれているので、心にしみる。多喜二とタキ(本作品ではタミ)との出会いはとても切ない気持ちになる。

私の両親は、多喜二が作家として活躍した1920年代に、札幌に生まれ育った。ともに地主の一族出身なので、多喜二の『不在地主』の世界は私にとってもすぐ近いところにあった。小樽も少年時代に何度も遊びに行った町だ。タキの家族がすごし、後にセキが暮らすことになった朝里の海水浴場にも、少年時代、毎年のように行った。当時は多喜二を知らなかったが。セキは1961年5月に亡くなっているから、私が5歳の時だ。また、タキは2009年に101歳で亡くなった。つまり、多喜二の時代はそんなに遠くない。私たちは多喜二の時代と地続きの世界に生きている。赤狩り、思想弾圧、排除、不当逮捕、長期身柄拘束、拷問……日本はどれだけ変わったと言えるだろうか。

多喜二を虐殺した警官が後に警察署長になったり、叙勲され、昭和天皇から勲章をもらったこともよく知られる。虐殺の時代の主役だった昭和天皇、今ではその孫が天皇に君臨している。

「第一章から第六章までは、タイトルを見ただけであらすじがわかる」と書いたのは、第七章はタイトルだけでは内容の推測ができないからだ。ここは多喜二の物語ではなく、セキの物語だけだ。朝里に暮らしたセキが小樽シオン教会の牧師との出会いからキリスト教に目覚めて行く。受洗はしなかったようだが、自分の葬式を教会で行うよう、あらかじめ家族に依頼している。セキが「そらでうたえるように練習」した讃美歌が「山路越えて」であり、第七章のタイトルになっている。讃美歌の多くは西洋でつくられたが、「山路越えて」は日本人がつくったという。この歌をうたうと、ふるさと秋田を思い出す。安らかになる。

多喜二は共産党であり、セキも晩年、共産党に入党したが、同時にキリスト教に惹かれた。教義にではなく、シオン教会の牧師の人格に惹かれたようだが、そこからイエスと多喜二の類比に至る。

「わだしは、多喜二が聖書ば読んでたことが、これでよくわかった。とにかくね、イエスさまは貧しい人を可愛がって下さったのね。」

「…十字架にかけられるのね。両手両足に五寸釘打ち込まれて、どんなに痛かったべな、どんなに苦しかったべな」。

「わだしはね、多喜二が警察から戻って来た日の姿が、本当に何とも言えん思いで思い出された。多喜二は人間だども、イエスさまは神の子だったのね。神様は、自分のたった一人の子供でさえ、十字架にかけられた。神さまだって、どんなにつらかったべな。」

かくして三浦綾子はセキをマリアに類比させる。セキは多喜二の母であり、すべての子どもをもつ母であり、<母>となる。

Saturday, November 27, 2021

ジェノサイド予防02

1部のパネルでは、パブロ・デ・グリーフ元真実正義補償特別報告者が司会を務め、ジャミーラ・モハメド・ケニア・ジェノサイド予防委員会委員長、ヴェルマ・サリッチ紛争後調査センター所長、ナオミ・キコラー・シモン・スクジョット・ジェノサイド予防センター長、メラニー・オブライエン西オーストラリア大学ロースクール講師が報告した。

モハメドは、ジェノサイド予防のため国内委員会の重要な役割、及び地域委員会との協力を強調した。グレートレイク諸国の元首たちは2006年にジェノサイド予防と処罰のために地域委員会を立ち上げる協定を結んだ。それゆえケニアは国内委員会を立ち上げ、モハメドが委員長を務めているが、委員会には政府だけでなくNGO、特に人権団体や宗教指導者からメンバーを選出している。2010年ケニア憲法は、残虐な犯罪の説明責任を果たすのに重要である。2008年、ケニアは国際犯罪法を制定し、高等裁判所に国際組織犯罪局を設置した。

サリッチは、紛争予防と持続的平和構築にとって教育が重要であると強調した。ボスニア・ヘルツェゴヴィナの「一つの屋根の下の二つの学校」現象に言及し、過去についての共通の授業が必要であるとした。教育課程は人権教育と平和教育を統合し、道徳を学び、積極的変化に影響を与えた個人の役割にも焦点を当てる。サリッチが所属する紛争後調査センターは、マルチメディア教育による平和構築教育を履行している。

サリッチは、過去の紛争の文脈で、記憶の必要性を強調した。ボスニア・ヘルツェゴヴィナのように、記憶のためのプロジェクトには政治化のリスクもあるが、過去について一方的な見解を提供するアプローチではなく、共通のアプローチが必要である。リスクに対処するため、スレブレニツァ記憶センターのように、記憶と公教育のための公正な組織を設置するべきである。紛争後調査センターは、ジェノサイド予防国連事務局と協力して、市民社会の協力を組織し、残虐な犯罪を監視し予防するためのセミナーを開催してきた。同センターは2017年にジェノサイドと大量虐殺犯罪予防西バルカン連合を創設した。

キコラーは、1980年のアメリカ議会決議によって設立されたホロコースト記憶博物館のような生きた記憶を持つことの重要性を指摘した。ホロコーストの知識に基づいて、同博物館はジェノサイドがないかにして、なぜ起きるのかを調査し、その彫刻に警告を発してきた。キコラーは『人権とジェノサイド予防マニュアル』が、ジェノサイドについて21のリスク要因を掲げていることに言及した。同博物館は再発防止のために定期的に展示を企画してきた。最近ではシリアにおけるマイノリティやミャンマーにおけるロヒンギャの経験を展示した。

オブライエンは、憲法におけるマイノリティの権利保護の人権章典重要性から始めた。拷問、強姦、殺害のような人権侵害についての法的資源であり、国内刑法と国際刑法によって補充される。国債刑事裁判所や赤十字国際委員会も重要である。オブライエンは、各国が国際犯罪について普遍的管轄権を導入するように唱えた。国際刑事裁判所規程とジェノサイド条約の普遍的管轄権も重要である。ジェノサイドの条文を持たない国が多数あるので、オブライエンは各国の刑法を条約に合致させるべきだと指摘した。

その後、アルゼンチン、キューバ、デンマーク、イスラエルが発言した。さらに、欧州安全協力機構代表が発言した。

最後にデ・グリーフが、各国における教育、記憶化、市民社会の支援の重要性を指摘した。人権は救済の手段だけでなく、問題解決メカニズムと見るべきである。予防のための組織的アプローチにより、制度的、文化的、個人的レベルでの介入が必要である。

Thursday, November 25, 2021

新刊・藤井匡(編)『美術館を語る』(風人社)

 東京造形大学附属美術館[監修] 藤井匡[編集]

『美術館を語る』(風人社、2021年)

https://www.fujinsha.co.jp/books/book-artistic/9784938643980-2/?fbclid=IwAR1S9eLk4Mf_qH-UQo0qnEJOxvSTIjJyGeZsYVKxai81SjL5wgIMLY5K5hc

美術館の現場にかかわっている14人の共著。

ひとりひとりの著者が、自分の「いちばん」の話を学生に伝えます。

どうやって美術館の展示はできていくのか、メイキングの話が面白い。

 

著者

東京造形大学附属美術館[監修],藤井匡[編集]

淺沼塁,水田紗弥子,末永史尚,池上英洋,滝川おりえ,中里和人,前沢知子,菅章,伊藤幸穂,正田淳,岡村幸宣,門馬英美,藤井匡,前田朗

内容紹介

美術館の現場にかかわっている14人の共著。

本書は2020年度に東京造形大学(東京都八王子市)学芸員課程の授業で行ったゲストレクチャーの内容を文章化したものに、数本の書き下ろしを加えたものである。

2020年、コロナ禍で大学の多くの授業がオンラインで行われることになった。学芸員課程には博物館実習がある。例年なら、東京造形大学附属美術館でも4年生の実習を受け入れてきたが、美術館以前に、大学そのものに学生が入構できるようになるのかどうか不明な状況が続いていた。代替となるプログラムを考えなければならなくなったとき、普段から美術館の現場にかかわっている学芸員やアーティストの方々に、その現場のはなしを語ってもらうことを思いついた。

本書にはそれぞれの立場から語られたリアルな言葉が集められている。現在の日本の美術館はさまざまな問題を抱えており、さらに、コロナ禍は今後の予算の縮小といった問題も引き起こすことになるはずである。本書には、日本のこれからの美術館のあり方を考えるヒントが含まれていると思っている。(本書「あとがき」より抜粋)

 

amazon

https://www.amazon.co.jp/dp/4938643987/ref=sr_1_1?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&keywords=%E7%BE%8E%E8%A1%93%E9%A4%A8%E3%82%92%E8%AA%9E%E3%82%8B&qid=1637814237&sr=8-1&fbclid=IwAR0Z-7ZfO4buT014XoJrbOCMuUCPmbp0Ie3U5QMB5bn70SWMjmXG3wTo-xs

ジェノサイド予防01

2021210日、国連人権理事会は「ジェノサイド予防のための能力強化における協力に関する対話の会期間一日ミーティング」を開催した。その概要を記録した報告書が人権理事会第48会期に提出された(A/HRC/48/42)。ごく簡潔に紹介する。

冒頭にナザット・シャミーン・カーン国連人権理事会議長、アンドラニク・ホヴァニーサン・アルメニア政府代表、ナダ・アルナシフ人権高等弁務官代理、アリス・ワイリム・ンデリト国連事務総局ジェノサイド予防特別顧問があいさつした。

(*本ブログでの外国人の固有名詞の表記は正確ではない。それぞれの母語に従った発音を調べていない。人名の読み方をできるだけ正確に表記することは重要かもしれないが、国連文書に登場する人物の氏名の発音を調べる余裕はない。私のブログでの表記に時々ご意見を頂くが、今後も調べるつもりはない。)

ホヴァニーサン・アルメニア政府代表は、国連人権理事会が、その決議43/29において、過去のジェノサイド事件の正当化、歪曲又は否定が暴力の再発のリスクを増大させると確認したことを指摘する。人権理事会は、ジェノサイドの否定はヘイト・スピーチの一形態であると確認した。ジェノサイドの否定に国家が関与し、これに反対する適切な行動をとらないと、多くの場合、過去の残虐行為の再発防止保障の行動がないことになるとした。

アルメニア政府代表は、被害者とその子孫のために、認定、説明責任、真実、補償、再発防止保障、歴史の記憶の保存を通じて正義を確保する必要性を強調した。市民社会と自由で独立したメディアが残虐な犯罪予防に決定的な役割を果たすとした。

人権高等弁務官代理は、1948129日のジェノサイド防止条約の採択が世界人権宣言採択の翌日であったことから始め、ジェノサイドの予防と人権保護の結びつきを指摘した。残虐な犯罪は長期に及ぶ市民的政治的侵害、差別、経済的不平等、社会的排除、経済的文化的権利の否定に根差している。ジェノサイドなど残虐な犯罪の初期の兆候は人権理事会の機関、人権条約機関によって報告されている。ヘイトの種が成長する前に対処する継続的アプローチが求められる。予防と処罰は互いに別の孤立したものと見てはならない。説明責任の文化と、公正平等な司法運営が構造的な解決のために必要である。人権高等弁務官代理は、司法と予防の第一の責任が国家にあるとした。国際刑事裁判所も重要な役割を果たすので、国際刑事裁判所規程を批准していない国家に批准を呼びかけた。

国連事務総局ジェノサイド予防特別顧問は、ジェノサイド条約採択以後、ジェノサイド予防には前進があったが、排外主義、レイシズム、宗教的憎悪がなお人権、民主的価値、社会的安定を損ねているとした。世界は住民を残虐な犯罪から保護することができていない。

ジェノサイド予防特別顧問は、中央アフリカ、エチオピア、ミャンマー、イエメンに言及した。南スーダン政府によるアフリカ連合ハイブリッド法廷の設置承認。「神の抵抗軍」元指揮官ドミニク・オングエンの国際刑事裁判所有罪判決。中央アフリカで行われた犯罪に関連するマハマト・サイード・アブデル・カニの法廷引き渡し。ダルフールで行われた犯罪に関連するアリ・ムハマド・アリ・アブダルラーマンの法廷への移送といった前進が見られた。

ジェノサイド予防特別顧問は、ジェノサイド予防には、すべての集団の意思決定過程への真の包摂が重要とした。

その後、3つのパネル・ディスカッションが行われた。

ジェノサイドについて以下を参照。

前田朗『ジェノサイド論』(青木書店、2002年)

前田朗『ヘイト・スピーチ法研究要綱』(三一書房、2021年)第4

Wednesday, November 24, 2021

ヘイト・スピーチ法研究の最前線09

桧垣伸次・奈須祐治『ヘイトスピーチ規制の最前線と法理の考察』(法律文化社)

「第9章 ヘイトスピーチと尊厳」(玉蟲由樹)は、『人間の尊厳保障の法理――人間の尊厳条項の規範的意義と動態』(尚学社)の著者によるヘイト・スピーチへの応用である。同書はずっと以前にざっと読んだ。同書ではヘイト・スピーチには論及していなかったが、今回の論文でヘイト・スピーチについての尊厳論を読むことができた。

玉蟲は、ルドロンの尊厳論を一瞥した上で、ドイツにおける人間の尊厳論の一般的特徴を論じ、人の原理的な法的平等、人間の尊厳の「保護」を整理し、次いでヘイト・スピーチ規制について検討する。ドイツでも人間の尊厳論の検討がなされるが、「兵士は殺人者だ」事件に代表されるように、集団の保護がドイツ軍などであって、マイノリティではない。ユダヤ人のアイデンティティを保護する局面では尊厳論にも独自の意味があるが、ヘイト・スピーチ一般としては必ずしもそうではない。大集団を対象とした侮辱的表現の場合と、ユダヤ人のように民族的人種的メルクマールと結びついている場合とでは異なる。後者では「個人の名誉や尊厳が侵害されること」がある。

玉蟲は、尊厳侵害説の限界を論じる。第1に、マイノリティの「尊厳」を特別に保護することは「人間の尊厳が禁じる『差異化』に該当しないかが問題となる」という。ユダヤ人に対する侮辱を特別に規制することには限界があるという。「逆差別」論の一種であろう。

2に、玉蟲は、尊厳侵害説の言う人間の尊厳が本当に憲法上の人間の尊厳なのか、と問う。人間の尊厳が絶対性を有するのに対して、相互尊重は他の法益との衡量を要する。この矛盾を解消するには「憲法上の人間の尊厳と法律上のそれとを区別する」ことだという。ドイツ刑法130条の尊厳は、その核心は憲法上の人間の尊厳であるが、「それとまったく同一ではなく、私人間における尊厳の相互尊重を図るものとして立法者が導入した法律上の人間の尊厳」だという。

玉蟲によると、憲法上の人間の尊厳を前提とするとヘイト・スピーチの範囲をかなり狭めるので、むしろ法律によって保護される尊厳と見るのが妥当だという。

最後に玉蟲は、「このようなドイツの人間の尊厳論に依拠した主張は、憲法13条を根拠として、日本国憲法上も十分に成立しうるものだと考える」という。それゆえ、『人間の尊厳保障の法理』に立ち返ることになる。

私も、ヘイト・スピーチの保護は、民主主義と人間の尊厳を基本に理解するべきだとしてきたので、玉蟲の議論は大いに参考になる。最後の「ドイツの人間の尊厳論に依拠した主張は、憲法13条を根拠として、日本国憲法上も十分に成立しうる」という部分をもっと詳細に論じて欲しかったが。

憲法学では、憲法上の人間の尊厳論を否定する見解も多数ある。日本国憲法にはこの言葉がないからだ。憲法第13条は「個人の尊重」なので「個人の尊厳は認めるが、人間の尊厳は認めない」という論者も少なくないようだ。

また、玉蟲はドイツの人間の尊厳論を参照するとするが、まさに同じ理由で、「それはドイツの概念であって、日本の概念ではない」と明言する論者も少なくない。

その意味で、人間の尊厳を論じる場合、却って敷居が高くなる面もないではない。

玉蟲は、「憲法上の人間の尊厳と法律上のそれとを区別する」という。これは私は十分考えてこなかったので、これから再検討したい。上の論点と絡めると、「日本国憲法には人間の尊厳が内在する。仮に内在しない場合でも、法律上の尊厳概念を想定しうる」という議論をすることになるのだろうか。

私自身は、もともと人間の尊厳をドイツ法由来とは考えない。ドイツ基本法よりも前に、国連憲章前文、世界人権宣言前文及び第1条に掲げられた言葉である。その後も、人種差別撤廃条約、拷問等禁止条約、女性差別撤廃条約等においても用いられてきた。つまり国際人権法の基本概念である。多くの国の憲法にも書きこまれている。このことを抜きに人間の尊厳を論じるのが日本の憲法学者だ。世界でも日本だけではないだろうか。

Friday, November 19, 2021

ヘイト・スピーチ法研究の最前線08

桧垣伸次・奈須祐治『ヘイトスピーチ規制の最前線と法理の考察』(法律文化社)

「第8章 信教の自由と反差別法」(森口千弘)は、宗教的動機によるヘイト・スピーチとその規制について、表現の自由とは異なる側面があり、「保護されない言論」は存在しても「保護されない信仰」は存在しないという。信教の自由と反差別法が対立する場合、侵攻を理由とした反差別法からの例外的免除が認められるか否かが中心的な争点となるという。

森口はアメリカにおけるMasterpiece Cakeshop事件を手掛かりに、分析する。事件は、ゲイのカップルがケーキ店からウェディングケーキの販売を拒否された。敬虔なキリスト教徒である店主は、同性愛は神の意思に背くと考え、ケーキの販売を拒否した。州公民権委員会は、性的志向に基づいた差別であると認定した。これに対して店主は、真摯な進行に基づいた販売拒否は例外的な法義務免除を受ける権利があるとして提訴した。

森口は、法義務免除と第三者へのコストをめぐって、他にも数多くの宗教に関連する判例を紹介・検討する。特に尊厳にかかわるコストが問題となる。

日本では信仰と差別の緊張関係を主たる論点とする判決はないが、今後、ヘイト・スピーチに関連して信教の自由と反差別法の対立する事案が出て来るかもしれないと森口は見ている。

信教の自由と差別問題に関するアメリカ法の検討は差別問題を考える参考になる。

もっとも、森口が紹介する事案はヘイト・スピーチ事案ではない。アメリカは基本的にはヘイト・スピーチを刑事規制しないから、ヘイト・スピーチ刑事判例はないだろうが、民事や行政に関連する判決はないのだろうか。

欧州諸国では人種主義ヘイト・スピーチのみならず宗教的ヘイト・スピーチも刑事規制するから、アメリカよりも検討に値する判決が多数あるはずだ。現に欧州人権裁判所においても宗教的ヘイトは取り上げられている。

https://maeda-akira.blogspot.com/2021/09/blog-post_6.html

宗教的ヘイト・スピーチについて検討するのに、宗教的ヘイト・スピーチに関連する判決を紹介せず、関係のない判決ばかり紹介するのはなぜだろう。ちょっと不思議。

Thursday, November 18, 2021

2021総選挙の結果を受けた法律家6団体の声明

私たち法律家は、憲法に基づく政治を実現するために、市民と野党の共闘を支持し、9条などの改憲に反対する

20211119

 改憲問題対策法律家6団体連絡会

社会文化法律センター   共同代表理事 海渡 雄一

自由法曹団            団長 吉田 健一

青年法律家協会弁護士学者合同部会 議長 上野  格

日本国際法律家協会        会長 大熊 政一

日本反核法律家協会        会長 大久保賢一

日本民主法律家協会       理事長 新倉  修

 

 

 本年1031日投開票の衆議院総選挙は、自民党が絶対安定多数の261議席を獲得し、立憲民主、共産両党はともに議席減となり、自民・公明に維新を加えた改憲推進勢力の議席が、3分の2を超える結果となった。

 

メディアは、野党共闘不発と論じ、連合の芳野友子会長は、共産党との候補者調整を見直すよう立憲民主党執行部に注文したと報道されている。しかし、市民連合の共通政策を基礎に候補者一本化が全国289小選挙区のうち214小選挙区で成立し、62小選挙区で野党共闘候補が勝利したほか、31小選挙区で1万票以内の接戦に持ち込んだ。野党が候補者を一本化できなかった72小選挙区では、野党は6小選挙区の勝利にとどまることからも、野党共闘が一定の成果を上げたことは疑いがないことを確認する必要がある。現在の選挙制度を前提とする限り、与党に対抗するためには、立憲野党が共闘する以外に道がないことは明らかである。

立憲野党は、接戦区で勝ちきれなかったこと、市民連合との「共通政策」が有権者に浸透しきれなかったこと、投票率が55.93%にとどまったことや、比例区の共闘のあり方など、今回の選挙結果を真摯に総括すべきである。そして、来年の参議院選挙に向けて、速やかに321人区での候補者一本化を図り、野党共闘を発展させ強化することが緊急に求められている。

 

自民党は、選挙公約で日本国憲法の改正をあげ、岸田文雄首相は、「敵基地攻撃能力」など防衛力の強化を図り、「任期中に改憲のメドを付けたい」と言明している。維新の松井一郎代表は、総選挙後、「来年参院選と同日に改憲国民投票を」と踏み込み、与党、維新ら改憲勢力は、臨時国会における憲法審査会での改憲案討議入りを数の力で押し切ろうとしている。改憲派は、自民党4項目改憲案をもとに、とりわけ、コロナ対策を理由とする緊急事態条項の創設と中国に武力で対抗するための9条改憲を狙っている。

しかし、コロナ対策のために改憲をする必要は全くない。また、米中の緊張関係が高まる中、日本が行うべきは、「敵基地攻撃能力」を高めることでも、アメリカと一体となって中国を武力によって威嚇することでもなく、ましてや9条の改憲でもない。憲法の平和主義の理念に基づき、国際世論をリードして戦争の危険性を回避するため、あらゆる政治的な努力をすることが最優先されるべきである。いま必要なのは「憲法の改正」ではなく、立憲主義の本義に立ち返り、権力に憲法を遵守させて、憲法に基づく政治を実践させることである。

 

私たち改憲問題対策法律家6団体連絡会は、これまでも自民党4項目改憲案に強く反対し、立憲主義・平和主義に反する「安保法制」などの法律の廃止を求めてきた。来年の参議院選挙が終わると2025年までは国政選挙がない可能性がある。憲法と平和の危機に直面する今、私たち法律家は、あらためて命と平和と民主主義を守る憲法に基づく政治への転換を強く求め、その実現のために、来年の参議院選挙に向けて市民と野党の共闘を一層広げかつ強化するよう強く後押しをし、奮闘することを誓う。

 

以上

Wednesday, November 17, 2021

ヘイト・スピーチ法研究の最前線07

桧垣伸次・奈須祐治『ヘイトスピーチ規制の最前線と法理の考察』(法律文化社)

「第7章 ヘイトスピーチ規制と保護属性」(村上玲)は、ヘイト・スピーチを刑事規制することによって保護される属性について検討する。

人種差別撤廃条約第4条は人種差別の煽動等を禁止し、国際自由権規約20条は国民的、人種的、宗教的憎悪の唱道の禁止を要請している。

2016年のヘイトスピーチ解消法は「本邦外出身者」という、国際的に類例のない概念を用いた。主に在日朝鮮人に対するヘイト・スピーチを念頭に置いたものだ。民主党が提案した人種差別撤廃法案では人種、皮膚の色、世系、民族的・種族的主審としていたが、与党案は本邦外出身者であった。これによってアイヌ民族、琉球民族、被差別部落、性的マイノリティ等は保護の対象から除外された。

村上はイギリスの憎悪扇動表現規制の歴史を踏まえて、1.人種、2.宗教、3.性的指向について、検討する。

1.           人種を保護対象とすればアイヌ民族等を含めることができるが、表現の自由との関係で「重大な懸念」があるという。名誉毀損罪では「被害者と加害者が特定可能」だが、人種とすると「被害者と実際の損害殿因果関係が希薄であっても規制の対象」となるためだという。表現の場所や、法の下の平等の観点についても検討している。

2.           宗教を保護対象とすることは、従来の日本法における宗教的寛容と合致しない恐れがある。「宗教団体やその活動に対する批判の機会を抑制しうる可能性」があるという。

3.           性的志向を保護対象とすることは、日本の現状では立法事実があるとは言えないので。「イギリスのように喫緊に法的対策を行わなければならないような状況には達していない」という。

結論としてイギリスの憎悪煽動表現規制の手法を日本で採用することには、村上は否定的である。そこにはヘイト・スピーチに固有の字事情だけでなく、訴追制度の差異もあり、い「イギリスが訴追可能性を抑制するために設けた仕組み」があるが、日本では同様の仕組みを導入する可能性があまりない。つまり司法制度の差異から言って、そもそもイギリスに学ぶ可能性はないことが明らかだということのようだ。

このことは村上の旧論文でもすでに明らかになっていたと言って良いだろう。

https://maeda-akira.blogspot.com/2021/10/blog-post_66.html

保護の対象、保護属性という理解自体が、私にとっては目新しかったので、ここは今後も考えてみたい。というのも、保護法益論に関連するのに、保護法益としてではなく、保護属性という表現を選んだことにはそれなりの意味があるのだろうと思うからだ。

欧州諸国でもっとも多いと思われるヘイト・スピーチ規制の条文の形式を見ると、

例えばポーランド刑法第2562項は、公然とファシズムその他の全体主義国家体制をプロパガンダし、国民的、民族的、人種的、宗教的差異、又は宗教的信念を持たないことによる差異に動機を持つ憎悪を煽動する内容の、印刷物、記録、その他の物を頒布する目的を持って、製造、記録、販売、所有、提示、輸出入又は運搬する行為」とする。

エストニア刑法第151条改正案は「市民権、国籍、人種、身体的特徴、健康状態、性別、言語、出身、宗教、性的志向、政治的信念又は社会的地位に基づいて、組織的に又は公共の平穏を乱す方法で、憎悪、暴力、差別を煽動する文書、写真、シンボルその他の物を使用、配布、共有する行為」とする。

つまり、「…動機を持つ」「…づいて」「…理由として」という文言が用いられている。刑法規定としては、犯罪の動機を示すスタイルである。間接的には保護対象を明示しているとも言えるが、必ずしもそうではないことは、錯誤事例を考えればすぐにわかることだ。

保護属性という観点では、私の『ヘイト・スピーチ法研究序説』には詳しい一覧表を掲載したが、世界には実に多くの立法例がある。人種、皮膚の色、言語、宗教、性的指向だけではない。国民的出身、社会的出身、政治的意見、世系、障害、年齢、性的アイデンティティ、ジェンダーなど多様である。アメリカの議論ではホームレスの保護も問題となっている。この点も今後見ていきたい。

Tuesday, November 16, 2021

ヘイト・スピーチ法研究の最前線06

桧垣伸次・奈須祐治『ヘイトスピーチ規制の最前線と法理の考察』(法律文化社)

「第6章 ヘイトスピーチの人権法による統制の可能性」(奈須祐治)は、大著『ヘイト・スピーチ法の比較研究』においてアメリカ、イギリス、カナダを中心に英米法圏におけるヘイト・スピーチ規制の歴史と現在を詳細に解明した著者の論文である。奈須は、ヘイト・スピーチ刑事規制についての消極説は妥当でないとして、一定の場合に刑罰を用いて規制することは可能であるという立場を表明してきたが、他方で、刑罰によるとは限らず、人権法の枠組みでの対処を工夫してきたカナダの状況も紹介してきた。最近ではオーストラリアの規制と人権法も紹介し始めた。本論文もオーストラリアの状況を紹介する。

オーストラリアは人種差別撤廃条約や国際自由権規約を批准して、条約に従ってヘイト・スピーチ刑事規制法づくりを試みたが、表現の自由との関係などをめぐって議論となり、刑事規制が削除されたり、法案が不成立となった。1995年にようやく成立したのが人権法型の人種憎悪法であった。「不快にし、侮辱し、辱め、または脅す可能性が合理的にみて高い」言動を規制するが、救済機関は人権委員会法に基づく人権委員会であり、調査や調停を行う。前身の人権及び平等機会委員会には審決権限があったが、権力分立に違反するとして違憲とされたため、人権委員会に審決権限はない、争いは裁判所に持ち込まれる。

ヘイト・スピーチ規制については最近も大きな議論になっているようだ。

奈須はオーストラリア連邦法の課題として、1.明確性、2.救済手続き、3.その他を挙げている。

明確性については、違法性の敷居を低くしたためか、「不快にし、侮辱し、辱め、または脅す」という文言にあいまいさがあるとの批判があるという。

救済手続きについては、ヘイト・スピーチは公的害悪を生むのに、手続きのイニシアチブを私人に委ねていること、政府が何の役割も果たさないこと、公的非難がなされず将来の抑止につながらないことなどの指摘がなされているという。

奈須は、オーストラリアの人権法を参照する場合、メリットとデメリットの双方を考慮する必要があるという。メリットは、マイノリティ主導なので国家権力の濫用の危険は少なく、マイノリティのエンパワーメントになり、判例の積み重ねにより人権法の解釈を確立できるという。

デメリットは、反対派のキャンペーンやバックラッシュの恐れや、私人の負担が過大となることや、調停に応じない者、過激なヘイトに出る者には効果がないことを挙げている。

奈須の結論は次の通りである。

「日本では一部のマイノリティに対する差別が厳しく、マイノリティの団体の組織化にも限界が見られる。マイノリティのエンパワーメントのためにも、刑事規制とともに人権法による規制の必要性が検討されてよい。また、仮に国内人権機関の設置が困難なら、大阪市ヘイトスピーチ条例の当初案にあったように、マイノリティのための訴訟支援の仕組みも検討されるべきである。また、国レベルでの人権機関の設置のハードルが高いのであれば自治体レベルでの設置を検討できる。」

奈須はヘイト・スピーチ刑事規制の可能性を論じてきた上で、人権法型の採用も考慮する。そのためカナダ法の紹介も行ってきた。

私も2本立てはあり得ると考える。ただ、私自身はヘイト・スピーチについての人権法型を考えてきたわけではない。ヘイト・スピーチに限らず、そもそも独立の国内人権機関の設置が必要である。国連人権理事会や国際自由権委員会は、日本政府に国内人権機関を設置するよう何度も勧告してきた。日本政府は断固として拒否してきた。国内人権機関をつくろうという提言は、人権NGOが行ってきたが、憲法学からの応答は余りなかったと思う。ヘイト・スピーチについてカナダやオーストラリアの研究をしてきた憲法学者の小谷順子や奈須が国内人権機関について言及している。ここから憲法学においても国内人権機関の議論が高まると良いのだが。

国内人権機関の実践例についても国連人権理事会には様々に報告されてきた。その都度、見てはいたが、まとめて日本に紹介してこなかった。北欧のオンブズマンや、西欧の人権委員会など、いろんな可能性がある。パリ原則に従った国内人権機関の研究も重要だ。

Sunday, November 14, 2021

ヘイト・スピーチ法研究の最前線05

桧垣伸次・奈須祐治『ヘイトスピーチ規制の最前線と法理の考察』(法律文化社)

「第5章 地方公共団体によるヘイトスピーチ対策の現況」(中村英樹)は、これまで何本かの論文で地方公共団体のヘイトスピーチ条例を分析し続けてきた著者による現段階での分析である。大きく3つの論点に分けている。

氏名等の公表

公の施設の利用制限

川崎市条例

1の氏名等の公表について、大阪市条例をめぐる動きを整理し、条例の合憲性をめぐる大阪地裁判決を検討し、合憲判断の根拠について「各々の妥当性に異論はあろうが、他の地方公共団体のヘイトスピーチ規制の参考となる」という。東京や川崎の条例にも言及する。

2の公の施設の利用制限について、川崎氏を始めガイドラインが作成されている状況を踏まえ、利用制限の要件を検討している。川崎市、東京都、新宿区などの条例では、言動要件と迷惑要件の2つを満たすことが必要とされている。京都府条例等では言動要件のみであり、迷惑要件は示されていない。学説からも迷惑要件は不要とする指摘がなされてきた。

中村は、泉佐野事件及び上尾事件の最高裁判決を検討して、言動要件で足りるという見解は判例に適合的ではないように思われるという。当該施設が閉鎖型か解放方か、施設が集会の用に供するものかそうでないかを論じる。

3の川崎市条例の刑事罰について、条例制定権の範囲内であることを確認した上で、内容上の合憲性を検討する。立法事実について、「少なくとも面前型のヘイトスピーチに対して、抑制的な規制を行う必要性を認めることができる」とする。規制の要件については「保護法益との間に一定の合理的関連性を見出すことができる」とする。さらに、同一違反者による言動の反復性の認定について、「依然いささか分かりにくいが」としつつ、「妥当な認定要件であろう」とする。直罰方式とせずに三段階方式とする点も、「比例原則の観点からも、乱用防止という政策的妥当性の観点からも評価できる」とする。

最後に中村は次のように述べる。

「ヘイトスピーチ解消という難問に対しては、地方公共団体による様々なトライ・アンド・エラーの余地があり得ると考える。しかし、それらが法治主義のもとで正当性を持ち、住民の理解を得て問題の解決へと結びつくには、表現の自由や集会の自由の真義を踏まえた透明な制度構築と運用、普段の検証が必須であろう。」

憲法、最高裁判例、ヘイト・スピーチ解消法、地方自治体条例を体系的整合的に立案し、解釈するという問題関心から、一つひとつ検討を加えた結果、氏名公表、施設利用、川崎方式の刑事罰というこれまでの動向を概ね肯定的にとらえ、さらなる検証を続ける姿勢である。この点では、ヘイト・スピーチに対する姿勢が私とは根本的に違う。

ただ、地方公共団体の従来の条例を比較検討し、より望ましい条例の立案と解釈運用を図るのは合理的な考えであるし、個別の論点についての判断は、一部を除いて、私も中村説に賛同するところが少なくない。

私自身は、氏名公表や、(本論文では論じられていない)ヘイト記事削除要請問題や、施設利用については、すでに何度も論じた。

前田朗『ヘイト・スピーチと地方自治体』では、さらに各地の条例に従って、「第6章 教育・文化政策のために」と「第7章 被害者救済のために」を論じた。多くの論者が「ヘイト処罰よりも教育を」と言いながら、いかなる教育をするかについてはだんまりを決め込んできた。被害者救済が必要なことは誰もがわかっているのに、ヘイトの被害者救済について議論する論者がほとんどいない。現場で取り組んでいる弁護士やNGOなら真っ先に論じることを、研究者はいまだに回避したままである。

前田朗『ヘイト・スピーチ法研究要綱』でも、ヘイト・スピーチ問題について何度も発言しながら、教育や被害者救済について決して論じようとしない憲法学者に対して、「なぜ、論じないのか」と注文をつけておいた。

中村もこれらを論じようとしないように見えるが、どうだろうか。

Tuesday, November 09, 2021

ヘイト・スピーチ法研究の最前線04

桧垣伸次・奈須祐治『ヘイトスピーチ規制の最前線と法理の考察』(法律文化社)

「第4章 インターネット上のヘイトスピーチとその規制」(成原慧)は、現実空間とインターネット上のヘイトスピーチを踏まえ、関連法令や取り組みとして解消法以後の法務省の動向、媒介者・プラットフォーム事業者による自主規制の現状をまとめる。そのうえで、外国の法令として米国と欧州(ドイツ、フランス)の状況を瞥見する。

成原は、規制手法を削除要請と発信者の氏名公表とし、その現状を見て、比較する。大阪市条例の削除要請について、大阪地裁判決を踏まえて、法治主義の見地から評価し、検閲にも事前抑制にもあたらないが、運用によっては表現の場そのものを奪うことになりかねないとして、透明性や説明責任を確保する必要性を指摘する。

氏名公表については、「思想の自由市場の正攻法の効果に期待しているともいえる」としつつ、国がどこまで介入してよいかという問題は残るという。

規制手法の比較では、成原は、代替の表現の場を確保できない場合もあるので、「氏名等の公表よりも拡散防止措置の方を、謙抑的に判断すべき場合もある」という。

最後に成原は「今後の課題」として、プラットフォーム事業者・媒介者の責任をどのように法的に構成するか、氏名公表等の場合に通信の秘密との関係をいかに理解するか、手続きの迅速性と表現の自由の手続的保障の両立をいかにはかるかを検討する。さらに、インターネットの越境性への対応について、越境性はあるものの、「何が規制すべきヘイトスピーチに当たるかは、その国・地域においてマイノリティが置かれている社会的・歴史的文脈に依存するはずである」という。

結論は次のようにまとめられる。

「特定型のヘイトスピーチに対しては、プロバイダ責任制限法の改正や運用の改善などにより、発信者の特定のための手続きを迅速化・円滑化し、発信者への責任追及を容易にする一方で、非特定型のヘイトスピーチについては、多様な表現の場の文脈を踏まえ、プラットフォームごとの多様な自主的取り組みの強化を促すことが、表現の自由を尊重しつつ、マイノリティの権利の保護を図る手法として適当なのではないか」

インターネットとヘイト・スピーチに関する基本論点を簡潔にまとめて、現状を踏まえつつ、一歩前進するための論文である。

EUレベルでは事業者特にGAFA等との協議の結果、法規制が進んできた。アメリカでも事業者の自主規制が、不十分ながら進んでいる。この方向をより適正に進めるために、何処でも苦労しているのが実情で、日本でも総務省、大阪市、各種の研究会がいくつもの提言をしてきた。これらを踏まえた法改正も少し実現している。その概要が分かり、参考になった。

とはいえ、欧州の法状況の紹介はかなり手薄だ。サイバー犯罪条約や欧州人権裁判所に言及がなく、ドイツとフランスだけが取り上げられている。米国も含めて、わざわざ「外国の法令・自主規制」という項目を立てたのに、新規の情報が含まれていない。国際人権法にも無関心である。限られたスペースなのでやむを得ないかもしれないが、これまで日本の比較法研究なるものを何度も批判してきた私としては同じ疑問を感じざるをえない。

プラットフォーム事業者等にヘイトスピーチの削除を義務づける規制の導入について「慎重な検討が求められるだろう」とまとめているのは、その通りではあるが、ドイツとフランスの法状況をごく僅か数行紹介しただけで、このような結論になっているのは、結論ありき、ではないだろうか。慎重な検討を踏まえた結論を書いてほしいというのは過大な期待だろうか。

Monday, November 08, 2021

ヘイト・スピーチ法研究の最前線03

桧垣伸次・奈須祐治『ヘイトスピーチ規制の最前線と法理の考察』(法律文化社)

「第3章 集団呼称による個人に対する名誉毀損罪成立の可能性」(櫻庭総)は、ヘイト・スピーチ規制法のない現行法の下で、法解釈の可能性をさらに一歩進めるために、名誉毀損罪の再検討を行う。

日本刑法では集団侮辱は不処罰だが、ドイツ刑法の侮辱罪は集団侮辱を処罰しうる解釈が施されている。櫻庭はドイツ刑法における侮辱罪について別論文で詳細に検討したという。本論文ではその一部を活用している。集団侮辱の類型、判例、近年の憲法裁判所判決をフォローする。判例で扱われるのは、ユダヤ人の集団侮辱は別として、多くは警察官の事例である。警察官による集会規制、デモ規制、サッカー試合警備等に際しての実力行使に対する反感から、警察官を非難する言説を、警察集団に対する侮辱として処罰するための法理論である。

櫻庭はドイツの法理を参考に、日本刑法の侮辱の解釈を検討する。

ドイツでは大規模集団に向けられた表現のついては集団侮辱は成立したいので、「朝鮮人」一般に向けられたヘイト・スピーチについては集団侮辱は成立しないという。

「明確に境界付けられた部分集団」基準を採用すれば、在日朝鮮人の集住地区や面前でなされたものについては、集団侮辱成立の可能性がある。ただし、ドイツの学説はこれに批判的だという。

「集団帰属性の存在構造メルクマール」に結びついている場合は集団侮辱を認める学説がある。しかし、「集団帰属性の存在構造メルクマール」概念は必ずしも明確でない。

憲法裁判所判例の理論では「その集団に属する構成員が、当該表現に個人化されたかたちで組み込まれている」必要がある。「個人化された」と言える要件も厳格に解釈すれば、集団侮辱の可能性は極めて限られる。

ただ、名誉棄損罪は個人的法益、ヘイト・スピーチ規制は社会的法益とすれば保護法益が異なるので、この手法の活用も限定される。

立法論としては、「個人的法益を侵害する粗暴犯型の犯罪類型」をヘイト・スピーチ規制することが考えられるが、やはり保護法益の違いを無視できない。

「人間の尊厳」概念は論者により内実が異なるので、なお検討が必要である。

櫻庭によると、ドイツ的な集団侮辱の援用によって、一部の類型について一定の前進を図る可能性があることが分かる。

ただし、「個人的法益を侵害する粗暴犯型の犯罪類型」をヘイト・スピーチ規制するというのは、現状でも処罰可能な暴力事犯をヘイト・スピーチとして再構成するというレベルの話である。つまり処罰できるものは処罰できる、ということに落ち着くのではないだろうか。

総体としては櫻庭によっても、典型的なヘイト・スピーチの可罰性を基礎づけることは難しいという結論になりそうだ。櫻庭の旧著でも、結論は差別対策の基盤整備こそ重要というものだった。

世界中で膨大なヘイト・スピーチ処罰法があり、無数の処罰事例がある。判例はとうてい数えきれない。それらの事件を素材に櫻庭法理がどのような意味を有するのかを示してもらえると助かるのだが。

ドイツの集団侮辱の法理はそれなりに参考になる。

ただ、これは人種民族的マイノリティの保護のための法理ではない。横暴な警察力の行使に反感を持った市民の警察批判を封じ込めるために刑罰を用いるための法理である。弾圧の法理をマイノリティ保護の法理に逆用するには、どのような方策が良いのか、さらなる検討が必要だ。

名誉毀損類型

―保護法益・個人的法益

―主観面・故意(名誉毀損)

―客体・個人

―実行行為・社会的評価の低下

 

ヘイト・スピーチ

―保護法益・社会的法益(のみ?)

―主観面・属性に基づく動機(差別動機)+故意

―客体・個人または集団

―実行行為・差別・暴力の煽動

両者は重なる局面があるとはいえ、犯罪類型としてはまったく異なる。

多くの西欧諸国のヘイト・スピーチ法は「人種・言語・宗教等に基づいて、人又は人の集団に対する差別を煽動した」というスタイルである。属性に基づく動機(差別動機=人種・言語・宗教等に基づいて)が明確であれば、客体としての「集団」の認定を精緻にする必要がない。

ドイツの集団侮辱の場合、差別動機が要件でないから、犯罪成立要件を絞るためには客体としての「集団」概念にこだわるしか方法がない。

Sunday, November 07, 2021

ヘイト・スピーチ法研究の最前線02

桧垣伸次・奈須祐治『ヘイトスピーチ規制の最前線と法理の考察』(法律文化社)

「第2章 ヘイトスピーチに対する差止め請求に関する一考察」(梶原健祐)は、表現行為に関する事前抑制禁止の法理との関係で、差止め請求問題を検討する。

「ヘイト表現物の差止め」については、全国部落調査事件として鳥取ループ事件の仮処分決定を検討する。「差別されない権利」の意欲的な構成について、梶原はこれを評価しつつ、従来の差別概念を変容させるものであり、さらに慎重な検討を要するという。ヘイト表現物と全国部落調査事件との類似性とともに差異があるので、同様に解釈することには留保を付している。

「ヘイトデモ等の差止め」については、京都事件や川崎事件における差止め判決を分析し、差止めの対象や範囲を検討し、憲法論としてはより精緻な検討が必要であるという。

「デモと事前抑制禁止の法理」については、アメリカの判例を確認して、事前抑制を正当化することは困難と見る。

スコーキー事件について、31頁で「聴聞を経て裁判所は‥‥ユダヤの信仰または祖先をもつ人々に対する憎悪を刺激・促進する内容のパンフレットを配布したり掲示したりすること等を命じた」としているのは、意味不明である。

最後の「繰り返されるヘイトスピーチと事前抑制禁止の法理」がもっとも興味深い。この論点には山邨俊英の論文(広島法学)があり、梶原もこれに言及しつつ、「裁判所によって違法と評価を受けた過去の活動について、同じ行為を招来に向かって差止めることは事前抑制ではないとの立論は成り立ちうるように思われる」と言う。

梶原は、さらに許容される差止めの範囲に論及する。まず主体が問題となる。過去の行為の主体と同じ主体であるかどうか。同じ団体のメンバーをどこまで含めるか。

また、行為の同一性の認定も問題となる。「差止められる表現と先行行為とは基本的に同じものでなければなるまい」という。文言の限定、表現のタイミングや場所、方法の限定が必要となる。

書籍や雑誌記事の出版差し止めが命じられても、ウェブサイトに発信される場合も考えられる。

これらの論点を今後さらに検討する必要がある。

私も『原論』で、地方自治体の公共施設利用に関連して、山邨論文と同様の立場をとることを表明したが、主体の同一性、行為の同一性等について立ち入って論じていない。個人Aによる行為に続いて、別人Bが同様の行為に出る場合。団体Cによるデモに続いて、別団体Dがデモを申請した場合。様々な可能性が考えられるので、事前に一般的な理論を組み立てることは難しい。

日本で具体的に問題となってきたのは、ヘイト行為を繰り返してきたヘイト団体が政治活動と称して政治的発言を行い、その中にヘイトを散りばめる場合であった。また、地方公共団体の施設利用ガイドラインが作られてきたので、別団体名での利用申請がなされる可能性も出ている。これらも検討が必要になりそうだ。

さらに、条例で刑事罰を導入した川崎市の場合、過去の行為を前提に市長が勧告や命令を出せるので、その場合の論理もさらに詰める必要がある。市長が勧告や命令を出すことを怠った場合に、被害者側が裁判所に差止め請求をすることも考えられる。

Saturday, November 06, 2021

ヘイト・スピーチ法研究の最前線01

桧垣伸次・奈須祐治『ヘイトスピーチ規制の最前線と法理の考察』(法律文化社)

大著『ヘイト・スピーチ規制の憲法学的考察』の桧垣と、『ヘイト・スピーチ法の比較研究』の奈須の編集によるヘイト・スピーチ法最新研究である。

「現在法学研究者に求められるヘイトスピーチの書籍は、既存の国内の学説・判例の整理や外国の法律・判例の単純な紹介ではなく、新たな理論の構築を目指すものでなければならない。そこで、本書は日本で十分に論じられてこなかったいくつかの論点を、理論的に掘り下げることを主たる目的とする。こうした本書の性格上、編者が特に重要性が高いと考える論点をピックアップしたうえで、最新の理論動向に敏感な若手・中堅の法学研究者に執筆を依頼した。」

研究者9名による意欲的な「最前線」の研究である。

「第1章 ヘイトスピーチ解消法と非規制的施策」(桧垣伸次)は、2016年のヘイト・スピーチ解消法制定により、日本は、アメリカ型ともヨーロッパ型とも異なる「第3の道」を歩み始めたと見る。ヘイト・スピーチを「許されない」としつつも、刑罰は用意せず、国や地方公共団体が教育活動や啓発活動を通じて、その解消を目指すタイプだからである。

桧垣は解消法の内容を確認した上で、アメリカ法理である「政府言論」の理論を参照して、法務省や地方公共団体の取り組みを検討する。

桧垣は「基本的な視点」として「政府言論」について紹介する。政府が表現者となる場合には「観点中立性」は求められないが、政府は圧倒的な影響力を有するため、言論市場を独占・操作する危険性がある。場合によっては脅しになったり強要になってしまう懸念もある。表現に関わる問題についての政府言論の在り方には慎重な検討が求められる。

その上で、桧垣は大阪市条例のような、ヘイト・スピーチを行った者の氏名を公表する措置について検討する。大阪市条例に関する大阪地裁判決は、氏名公表は表現の自由を制限する側面を有するが、規制の目的は合理的であり正当であると判断した。表現の性質(悪質性)や、意見聴取などの手続き的保障がなされているからである。

桧垣は、「ヘイトスピーチは、標的とされるのが人種・民族的マイノリティである。しかし、ヘイトスピーチを行う集団も、『孤立した集団やある種の偏見に見舞われた団体』――すなわちある種のマイノリティ――であることもありうる。上述の大阪地裁判決は、これらを十分考慮していない点で問題があるといえる。」と批判する。

また、桧垣は「川崎市のように、行為者の氏名だけでなく住所まで公表することについては、第3者による報復の可能性やサンクションとしての効果が大きいため、政策的妥当性も含めて考えるべきであろう。」という。

最後に桧垣は「表現の自由との衝突をある程度回避しつつ、まずは、ヘイトスピーチは許されないとする社会的合意を形成していこうとするやり方は、次善の策であるといえる」と、日本の「第3の道」を評価する。

表現の自由とヘイト・スピーチに関する長年の研究成果を基に、現在の日本の状況に向かう桧垣論文は、手堅く、鋭い分析となっており、大変参考になる。

桧垣の「政府言論」に関する論文はこれまでも読んできたが、私は十分理解できていなかった。本論文はわかりやすいが、なお疑問は残る。

「第3の道」の日本の法状況に対する評価に際して、「第1の道」であるアメリカ型の法理を基準にするのはなぜだろうか。思想の自由市場論にしても観点中立性論にしても、ヘイト・スピーチを規制しないための理屈付けであるし、それを前提としたうえで政府言論の場合は異なる法理だと言いながら、政府言論の判断の中にも元の判例法理を読み込んでいるように見える。

そもそもヘイト・スピーチの規制と表現の自由は衝突するという決めつけが、私には理解できない。国連人権機関では、ヘイト・スピーチの規制と表現の自由の保障は矛盾しないというのが常識である。表現の自由を守るためにヘイト・スピーチを規制するべきだというのが私の長年の主張である。日本では、ヘイト・スピーチの規制と表現の自由は衝突するという大前提は疑ってはならないことになっているが、宗教のようだ。

氏名公表についての検討はなるほどと思う。氏名公表なら問題はない、という私の単純な理解では不適切な場合が生じるかもしれないので、再検討が必要だ。

ただ、桧垣は「ヘイトスピーチを行う集団も、『孤立した集団やある種の偏見に見舞われた団体』――すなわちある種のマイノリティ――であることもありうる。」と言う。この意味が分からない。一般論ならともかく、大阪地裁判決を批判して、「ヘイトスピーチを行う集団も、ある種のマイノリティ」であると主張している。「ある種のマイノリティ」とは何だろうか。大阪市条例は「人種又は⺠族を理由とする不当な差別的言動」を抑止するために施策を講じるとしている。人種・民族的マイノリティ以外に「ある種のマイノリティ」を持ち出す根拠は何だろうか。

Thursday, November 04, 2021

日常の中の差別を問う

キム・ジへ『差別はたいてい悪意のない人がする』(大月書店)

[目次]

プロローグ――差別が見えますか

I 善良な差別主義者の誕生

1章 立ち位置が変われば風景も変わる

2章 私たちが立つ場所はひとつではない

3章 鳥には鳥かごが見えない

II 差別はいかにして不可視化されるのか

4章 笑って済ませるべきではない理由

5章 公正な差別は存在するか

6章 排除される人々

7章 「私の視界に入らないでほしい」

III 差別と向き合う私たちの姿勢

8章 平等は変化への不安の先にある

9章 すべての人のための平等

10章 差別禁止法について

エピローグ

人種・民族、皮膚の色、言語、宗教、性別、性的アイデンティティ、世系、家柄、出身、経済的地位、経済状態、ありとあらゆる差異をもとに、あるいは差異をつくり出して、人は人を差別してきた。

その中には、ナチスドイツのユダヤ人差別、アメリカの黒人差別、南アフリカのアパルトヘイトのように歴史的に「重大な」差別もあれば、日常の中の「小さな」差別もある。

「重大な」差別や「小さな」差別というのは、本来比較できないものを「比較」して用いた不適切な表現でもある。被害者にとっては「小さな」差別は小さくはない。

差別を論じることが難しいのは、差別の主体も客体も、差別の動機も千差万別だからだ。大小は別として、差別の心理学や社会学を展開しているつもりでも、いずれかの差別を「典型例」とすることによって、別種の差別を見えなくさせてしまうこともある。

本書は、韓国社会の日常の中の「小さな」差別の具体例を素材に、差別とは何か、差別に向き合うにはどうするべきかをていねいに論じている。記述も分かりやすい。元の文章もそうなのだろうが、翻訳も平明で優れている。

差別概念をもっとも広く浅くとって、差異の承認のすべてが差別であるとすれば、これほど説得的な本はないかもしれない。

Tuesday, November 02, 2021

ナチス賛美との闘い――ホロコースト否定犯罪を考える06

テンダイ・アチウメ人種主義問題特別報告者の報告書(A/HRC/48/77. 13 September 2021)には、前回まで紹介した30カ国に加えて、EUの状況が紹介されている。 

EUは新型コロナ危機が差別や不寛容を加速させていることに注目している。オンライン上の不寛容と人種主義に関心があり、ソーシャル・メディア・プラットフォームがいかに憎悪メッセージの宣伝に用いられているかを調査している。ムスリム、移住者、ユダヤ人がオンラインのヘイト・スピーチの被害を受けている。

2016年にオンラインのヘイト・スピーチに対処する行動綱領について、主要なソーシャル・メディア企業(フェイスブック、ツイッター、ユーチューブ等)と協定を結んだ。

2020918日、「反人種主義行動計画202025」を策定した。

20201019日、欧州委員会は、反ユダヤ主義と闘う包括的戦略の策定を公表し、反ユダヤ主義の暴力やヘイト・クライムが増えている各国を支援している。

202012月2日、EU評議会は反ユダヤ主義と闘う宣言を採択し、作業部会を設置した。

 

続いて、アチウメ人種主義問題特別報告者は、「適用可能な人種平等枠組み」として、国際人権法を確認する。

1に、人種差別撤廃条約第1条。

2に人種差別撤廃条約と国際自由権規約の差別の煽動禁止規定。

3に人種差別撤廃条約第2条の差別の禁止、第6条の被害者救済。

4に人種差別撤廃条約第4条のヘイト・スピーチの禁止。

5に国際自由権規約第20条と自由権規約員会の解釈。

6に人種差別撤廃委員会の一般的勧告第35号。

7にダーバン宣言パラグラフ848594

(以上はすべて日本でも知られている。)

 

最後にアチウメ人種主義問題特別報告者は、結論と勧告をまとめている。

・各国は、国際人権基準に合致した反ユダヤ主義と闘う具体的行動計画を策定すること。

・各国は、人種差別撤廃条約第4条の義務に完全に従うこと、条約第4条に対する留保を撤回すること。

・各国は、ダーバン宣言と行動計画を完全かつ効果的に施行する措置を取ること。

・各国は、人種差別撤廃委員会の諸勧告を履行すること。

・人種主義・排外主義。反ユダヤ主義犯罪の統計を取ることは重要である。実行者の動機、被害者の特定などヘイト・クライムの情報を収集し、それと闘う措置を設計すること。

・人種主義と闘うためには包括的な枠組みが不可欠である。市民社会、国際人権機関、地域人権機関、国内人権機関と協力が重要である。

・過去についての真実の説明を促進し、寛容と国際人権原則を促進するため、教育制度の見直しが重要である。

 

以上。