Monday, February 13, 2017

大江健三郎を読み直す(74)大江唯一のファンタジー・ノベル

大江健三郎『二百年の子供』(中公文庫、2006年[中央公論新社、2003年])
両親が不在の時期に故郷に滞在した3人の子どもたちがタイムマシン(シイの木のうろ)にのりこんで、過去に移動して故郷の伝説の人物メイスケさんに出会ったり、103年前のアメリカへ、あるいは100年後の日本を訪れる。大江自身の家族をモデルにし、3人の子どもも大江の子どもたちに相当する年齢と個性の持ち主である。
SFジュブナイルとして格別の特徴があるわけではない。タイムマシンものとしては、シイの木のうろをタイムマシンに、というのはそれなりのアイデアかもしれない。木のうろの話は大江自身の少年時代の体験として何度も語られてきたことでもある。SFであることに意味があるということではなく、子どもたちがそれぞれの時代、それぞれの場所で、悲しい出来事に出会い、苦難を乗り越え、勇気を奮い起こし、友情を確かめ合う、そのプロセスを提示することに意味がある。
本書の後に、大江は子ども向けのエッセイ集を2冊出している。全部で3冊というのはむしろ少ない印象だが。

Wednesday, February 08, 2017

ヘイト・スピーチ研究文献(91)ダーバン宣言とは何か

前田朗「植民地主義との闘い――ダーバン宣言とは何だったのか」『社会評論』187号(2017年)
一 はじめに
二 ダーバンへの道
三 ダーバン宣言の概要
四 ダーバンからの道
<ヘイト・スピーチと闘うために>というタイトルでの連載5回目である。2001年に南アフリカのダーバンで開催された国連人権高等弁務官主催の人種差別反対世界会議で採択されたダーバン宣言の意義を再確認した。
1980~90年代の国連の人種差別との闘いの集約として、人種差別反対世界会議が招集された。アパルトヘイトを終わらせた南アフリカのダーバンである。アパルトヘイトの原型はダーバン・システムであった。それゆえダーバンでの開催となった。国連、各国政府、NGOが大挙してダーバンに集まった。数は不明である。1万を超える人権NGOと言われていたと記憶する。日本からも「ダーバン2001日本」という名で集まったNGOが十数名参加した。
ダーバン宣言は、人種差別の根源として植民地支配、植民地主義に焦点を当て、「植民地支配時代における奴隷制は人道に対する罪であった」と認定した。ヘイト・スピーチに関連する条文も多数ある(ヘイト・スピーチという言葉は用いていないが)。
ダーバン宣言は2001年9月8日に採択された。ところが、3日後の9.11のため、世界は暗転した。「テロとの戦争」が人種差別を極度に悪化させ、21世紀は国家主導の人種差別が噴出する時代になってしまった。国連人権理事会では、その後もダーバン宣言のフォローアップの努力を続けてきたが、先進国(その多くが旧宗主国)側のサボタージュにより、進展がない。日本政府もダーバン宣言に背を向けたままである。
ヘイト・スピーチがいっそう悪化し、これへの対策が始まったばかりの日本では、ダーバン宣言の意義が大きい。ダーバン宣言に立ち戻って、課題を探る努力が不可欠だ。
ダーバン宣言及び行動計画の全訳は下記にアップされている。




ヘイト・クライム禁止法(127)エジプト

エジプト政府が人種差別撤廃委員会に提出した報告書(CERD/C/EGY/17-22. 30 June 2014)によると、エジプトは平等の権利の保護と差別の禁止をしており、雇用、教育、NGO及び報道に関する法において犯罪としている。2006年の刑法第176条は、人種、出身、言語、宗教又は信念に基づいて集団に対する差別を煽動し、その煽動が公共の平穏を侵害する場合、刑事施設収容に処することとしている。教育課程の発展のための規則と基準は、国際的な人権概念と基準をカバーする文脈で社会的教育を保障し、差別を拒否している。現行法をさらに改正する試みが進んでおり、差別行為、憎悪の煽動、人間からの強制搾取、すべての携帯の人身売買を犯罪化しようとしている。
人種差別撤廃委員会はエジプト政府に次のように勧告した(CERD/C/EGY/CO/17-22. 6 January 2016)。刑法第176条は人種差別を犯罪とするよう改正されたが、平穏侵害のあった場合に限定されている。委員会の一般的勧告35に照らして、刑法を、条約第4条に従って人種主義的ヘイト・スピーチをカバーするように改正するよう勧告する。人種的優越性又は憎悪に基づく観念の流布、人種的民族的差別の煽動、人種主義団体の設立や援助を禁止するべきである。犯罪の人種的民族的動機を刑罰加重事由とするべきである。

Tuesday, February 07, 2017

ヘイト・スピーチ研究文献(90)復刻版全国部落調査事件

河村健夫「ネット上の『言論』と司法手続き――復刻版全国部落調査事件を素材に」『明日を拓く』112号(東日本部落解放研究所、2016年[2017年]
16年6月に行われた第15回差別論研究会の報告と討論の記録である。雑誌の発行日が2016年1月10日と記載されているが、たぶん2017年1月10日発行が正しい。
1 インターネットの普及とそれに伴う誹謗中傷ケースの増加
2 ネット上の書き込みにより、どのような「被害」が生じているか
3 ネット上の誹謗中傷は、民事・刑事事件でどのように扱われるか
4 復刻版「全国部落調査」事件の概要と事実経過
5 ネット上の差別事象を根絶するために
鳥取ループ、示現舎による復刻版ウェブサイトアップについては、16年3~4月に出版差止めの仮処分決定とウェブサイト削除の仮処分決定が出ている。4月19日に本訴提訴、7月5日に第1回口頭弁論が開かれて、裁判継続中という。
その間、16年12月、部落差別解消法が制定された。障害者差別解消法とヘイト・スピーチ解消法に続くものだ。
本件担当弁護士による河村報告は、日本のネット状況を踏まえて詳しくなされているので、勉強になる。

Monday, February 06, 2017

ヘイト・クライム禁止法(126)ノルウェー

 ノルウェー政府が人種差別撤廃委員会に提出した報告書(CERD/C/NOR/21-22.21 November 2013)によると、2012年3月30日、最高裁判所は、2005年6月3日の改正刑法135条aに導入された差別的スピーチからの保護を厳しく強化した規定に関する判決を言い渡した。立法者は、裁判所に、それ以前の諸決定よりも刑事責任を問うための要件を低くするように意図した。本件被告人は、酩酊状態で、エンターテインメント会場のドアマンに対して、ドアマンを貶め、その皮膚の色に基づいて職務にふさわしくないと揶揄するために、人種主義的発言を行った。「馬鹿な黒人(nigger)」「馬鹿な黒人(coon)」と繰り返し叫んだ。最高裁は、この発言が、従業員が接客しているさなかに、公開の場でなされた文脈を強調し、表現の自由の権利によって保護される価値に関係しないことを強調した。それゆえ、この発言は憲法的保護を強く受けるものではない。従って、被告人は刑法135条a違反で有罪とされた。
前回審査の結果、委員会は、公的議論におけるレイシズムに対処する戦略を発展させ、被害の申立、捜査や訴追の結果などの統計データを報告するよう勧告した。これに応じて、ノルウェー政府はヘイト・クライムの記録作業を強化している。2012年以後、ヘイト・クライムは年次統計において独立項目とされている。人種や民族、宗教、性的志向に関するヘイトや偏見に動機を有する犯罪の統計がとられている。警察庁、司法省、検察局の協力により、ヘイト・クライムの報告制度が詳細に策定されている。
2012年、警察大学校は、過激主義やインターネット上の暴力的過激主義に関する報告を強化する制度の検討を行っている。
人種差別撤廃委員会はメディアにおける人種主義的発言やヘイト・スピーチへの関心を示した。ノルウェー政府は、財政措置を講じて、スピーチの自由、多様性、開かれた議論を促進している。オンライン・ヘイト・スピーチと闘う欧州評議会との戦略的パートナーシップに参加している。
人種差別撤廃委員会はノルウェー政府に次のように勧告した。ノルウェー政府がヘイト・スピーチと闘う努力をしていることに留意するが、政治家によるヘイト・スピーチや排外主義発言が増えている。メディアやインターネット上での、マイノリティや先住民族、とりわけサーミ人、西欧以外の欧州出身者、ロマ、難民認定請求者に対するヘイト・スピーチも増えている。委員会は、刑法135条aがヘイト・スピーチからの保護のために必ずしも適切に適用されていない。委員会の一般的勧告35に照らして、被害を受けやすい集団の権利を保護し、人種主義的ヘイト・スピーチから保護し、次の措置を取るよう勧告した。政治家やメディア関係者による人種主義的ヘイト・スピーチや排外主義発言を強く非難すること。ヘイト・スピーチを刑法に基づいて効果的に捜査し、責任者を適切に訴追すること。ヘイト・スピーチ事件の統計を収集し、利用できるようにすること。ヘイト・スピーチに反対する意識喚起キャンペーンを行い、ヘイト・スピーチと闘う長期戦略を発展させること。ヘイト・スピーチの有害な影響を除去し、学校教育課程や教材に関連する情報を含めること。
人種差別撤廃委員会は、ノルウェー刑法には、条約第4条bに合致して、人種差別を助長する団体を違法とする規定が含まれていないことに関心を表明した。一般的勧告7、15及び35を想起し、条約第4条の規定が義務的であることを想起し、人種差別を助長・煽動する団体を違法であり、禁止する法規定を設けるように勧告した。

Sunday, February 05, 2017

大江健三郎を読み直す(73)日本のプレモダンとポストモダン

大江健三郎『人生の習慣』(岩波書店、1992年)
1987年から91年にかけて行われた11回の講演録である。
冒頭の「信仰を持たない者の祈り」は、同じことを何度も繰り返してきたことだが、宗教者や信仰を持つものではない大江自身がいかにして祈りを実践し、深めていくかを問い続けてきた中間報告である。祈りや癒しや魂のことに、この後も大江はこだわり続ける。終生のテーマの一つである。
「日本の知識人」はベルギー、「ポストモダンの前、われわれはモダンだったのか?」はアメリカ・カリフォルニア、「なぜフランクフルトに来たか?」はドイツでの講演であり、それぞれの地での大江の読者に向けられたものだが、同時に日本文化の紹介も兼ね、また同時に日本の相対化を試みる作業でもある。
1990年の講演「ポストモダンの前、われわれはモダンだったのか?」において、大嘗祭を迎えようという時期の、プレモダンの日本の危機を論じている。
「天皇制の、憲法や皇室典範を自由に超える暗喩としての力を実体化させる試みは、中心の権力にとって、いわば最後の切札ですが、そうすることは天皇制自体を現実的な危機に直面させることでもあります。日本の近代は、中心の権力に対して、天皇制の暗喩の実体化ついて慎重であるよう教育する時代でもありました。その教育は民衆に大きい犠牲をはらわせる経験となりましたが、天皇制の暗喩は巨大なまま生き延びているのです。ポストモダンの繁栄の表層の真床襲衾をとりのぞいた後、それまで物忌みしていたどのような日本と日本人の実体があらわれるか? それを警戒して見張りながら生きるのが、漱石、大岡を見送った後の、日本の知識人の運命であるように思われます。」
それから27年、天皇による生前譲位要求に右往左往する日本を、大江はどう見ているだろうか。



Friday, February 03, 2017

見たくなかった日本のレントゲン写真

中村一成『ルポ 思想としての朝鮮籍』(岩波書店)
名著を読み終えた後しばらくは他の本が読めなくなる。読後感をまとめるのも難しい。頁をめくっては記述のあちこちを反芻し、時に感銘を受け直し、時に悩み、時に初読時に気づかなかった発見に気づくこともある。
2017年最初の名著に、著者に感謝。『ルポ 京都朝鮮学校襲撃事件』に続く本書は再読、三読を必然・義務と感じさせる。
<イデオロギーではなく今なお譲れない一線(=思想)として「朝鮮籍」を生きる.高史明,朴鐘鳴,鄭仁,朴正恵,李実根,金石範――在日にとって特に苛烈だった4060年代を含め,時代を駆け抜けてきた「歴史の生き証人」たちの壮絶な人生とその思想を,ロング・インタビューをもとにルポ形式で克明に抉りだす.在日から照射する「戦後70年史」.>
「在日朝鮮人」とは何か。この問いに応えられる日本人はいまなおほんの一握りしかいないだろう。朝鮮植民地支配による日本籍の押し付け。強制連行その他の渡日の歴史。昭和天皇最後の勅令による有無を言わせぬ国籍剥奪。外国人登録法体制下の管理と抑圧。日本における民族教育の死守。南北分断による韓国籍と「朝鮮籍」。多数の人々の帰化と「朝鮮籍」へのこだわり。これらの歴史過程を思い起こすだけでも大変な知的営為を必要とする。おそらく人類史に、これと比すべき事例がほとんどないのだから。まして、「在日朝鮮人」は一般化不可能な「歴史体験」であり「個人体験」である。一人ひとりの「在日の暮らし」があり「体験」があり、そこで初めて成立した「思想」がある。襞の一つひとつをていねいに克明に記録する作業は、他の著者にはできないだろう。中村一成と書いて「なかむらいるそん」と読む、この著者の体験と思いを抜きに本書を理解することはできない。高史明、朴鐘鳴、鄭仁、朴正恵、李実根、金石範という、知名度の高い在日朝鮮人の体験史ではあるが、本書が独特の光を放つのは中村一成のまなざし、震え、危機感がじわりじわりじわりじんわりと伝わってくる。<日本>のレントゲン写真がこれほど鮮やかに提示されたことはないだろう。多くの日本人が見たくないレントゲン写真だ。
「『戦争放棄』を唱えつつ、一方の国家殺人『死刑』を支持、黙認し、『基本的人権の尊重』を言いながら、『元国民』である在日朝鮮人がその享有主体から排除されている現状を看過する。『平和国家』を口にする一方で米国の戦争に付き従う――。これらの欺瞞を多くの日本人はそれとして認識してきたか? 倫理と生活を切り離し、日常の安定を謳歌してきた結果が、数年来、吹き荒れるレイシズムであり、『戦後』という欺瞞を最悪の形で解消しようとする第二次安倍政権の誕生ではなかったか。」