Saturday, July 05, 2008

女性国際戦犯法廷のはじまりのはじまり





















1998年4月9日、ジュネーヴ(スイス)のパレ・デ・ナシオン(国連欧州本部)で開かれていた国連人権委員会の際に、ラディカ・クマラスワミ「女性に対する暴力特別報告者」を迎えて女性フォーラムが開催された。






  主催者の一人(故)松井やよりは、日本政府が日本軍性奴隷制についての責任逃れを続け、「アジア女性基金(国民基金)」というごまかしの策を弄しているため、クマラスワミ勧告の「責任者処罰」を日本政府に期待することはできないから、もはや民衆法廷を開くしかない、と発言した。






  韓国挺身隊問題対策協議会のシン・ヘイスーは、日本からの民衆法廷提案を歓迎する、韓国側も全面協力する、と述べた。マラヤ・ロラズのインダイ・サホールも、ぜひやりましょう、と述べた。






  帰国した松井は日本の女性たちと相談の上、5月、ソウルにおけるアジア連帯会議で民衆法廷を提案し、6月には、東京でVAWW NETジャパンを発足させた。







  写真は4月9日の女性フォーラムの様子。当日、会場設営・受付係の前田が撮影した5枚で、3枚目はやや遅れた松井がはいってきたところ。