Thursday, October 29, 2009

ぐろ~ばる・みゅ~ぢっく(09)むじかんばやん



2004年夏にマニラで開かれたイラク国際戦犯民衆法廷マニラ公聴会のときに入手したアルバムです。イラク反戦、反帝国主義に貫かれたアルバムです。



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ざっと次のような説明がついています。



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2003年は独占資本主義、とくにアメリカ帝国主義が激化した世界史の転換期である。支配階級の富の独占慾によって、労働者や農民は抑圧され続けている。今日、人間性が直面している決定的局面は、貧困、不正義、ファシズム、人種主義、テロリズム、イラク侵略戦争である。もちろんNo.1テロリストはアメリカ帝国主義だ。他方、フィリピン人民は立ち上がり、アメリカ帝国主義批判をさまざまな戦線で展開している。ムジカンバヤンMUSIKANGBAYANは、フィリピン人民の文化集団であり、アメリカによる帝国主義侵略戦争に激烈に反対している。このアルバムを、正義、自由、平和のためにたたかって斃れた殉教者、ノルベルト・フレスカル、イーデン・マルセラーナ、エディー・グマノイに捧げる。



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10曲収録



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Over the Streets of Iraq (歌とギター:エンピール・パルマ)



Not in our name (歌:レヴィ・アバド、ギター:ダニー・ファベラとエンピール・パルマ)



The Union of the Weak(歌とギター:エンピール・パルマ)



Oh God!(歌とギター:レヴィ・アバド)



To a Poet(朗読:ピート・ベラスケス)



Youre a Terrorist



The Peace We Want



Light a Candle



Dont Talk about Freedom



War Monger



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空襲警報のサイレンで始まりますが、冒頭の歌詞はこんな具合。



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<イラクの路上に>



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サイレンが泣き叫び



カウントダウンが警告の響きを終わらせた



お前の軍隊がいま侵略のために



空に飛び立とうとしている



海をこえ、国境を横切り



人道に対するお前の戦争が



俺たちに垣間見させるのは地獄だ



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死者がはいずりまわり



数知れぬ無辜の民がくず折れる



お前は恐ろしい悪夢となって



家族を戦争の中に追いやる



この不正義によってはじめられた戦争に



お前には俺たちの命をとる権利などない



お前にはいかなる正当性もない



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俺たちの命はお前のおもちゃじゃない



世界はお前の所有物じゃない



お前が見せ付ける傲慢さを



俺たちは許しはしない



見せ掛けの平和を取り繕って



お前は野獣のように姿をあらわす



イラクの路上に


Friday, October 23, 2009

9条を生きる――ピースゾーンの思想を

*「友和」653号(2009年10月号)巻頭言

前田 朗

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転換期の期待

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 民主党圧勝による政権交代は、早くもさまざまな軋轢に直面し、意欲的な挑戦を示したり、矛盾を露呈したり、激しい揺れ動きの中にあります。

 政権発足前から予想されていたことですが、例えば、主要新聞社説に見られるように、マスコミは新政権に対してほぼ一斉に「責任」を理由として「マニフェストの見直し」を求めました。マニフェストを掲げて圧勝した政権に対して、「マニフェストの見直し」から始めるように主張するのは、議会制民主主義をわきまえない暴論ですが、マスコミは実に驚くべきそろい踏み状態です。

 また、公共事業問題でも、既に莫大な税金を支出したことを理由に「見直し政策の見直し」を求める声が突如として大きくなっています。新政権発足と同時に官僚による反撃が始まったといってもよいでしょう。新政権と官僚との綱引きまだまだ続くことでしょう。

 それ以上に重要なのは、政権発足と同時に対米姿勢の修正が始まったことです。これを「現実主義路線」と呼ぶ向きもあります。国民不在の対米屈従を「現実主義路線」と呼ぶマスコミや評論家が、果たして日本以外の諸国にいるのかどうか知りたいものです。

 国家戦略局がどうなるのか。「オバマ政権のアフガニスタン戦争」への協力問題。年金問題をめぐる厚生労働官僚との対決。警察による取調べの可視化問題。死刑急増と厳罰化の歯止めは可能か――さまざまな問題が次々と問い返されていくことでしょう。

 総選挙の結果を「革命」と呼ぶ人もいるようです。基本的な政治スタンスから言えば「革命」と呼ぶのは大げさです。それでも自民党政権がブッシュ政権の言いなりになって進めてきた新自由主義路線に一定の歯止めがかかることは確かでしょう。

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「慰安婦」問題の解決を

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これまで民主党・社会民主党が国会上程を繰り返してきた戦時性的被害女性補償法案がどうなるかも非常に注目に値します。

1990年代初頭に提起され、「慰安婦」被害女性たちの真相解明と謝罪と補償を求める闘いが始まってから、やがて20年になろうとしています。これほど長い間、アジア各地の被害女性や支援団体に具体的な展望の見えにくい運動を余儀なくさせてしまったことに申し訳ない思いをしていますが、それでも、ともかく、次の一歩が見えてきました。

鳩山首相はニューヨークで胡錦濤中国国家主席に歴史認識に関する村山談話の継承を明言しました。「慰安婦」問題の河野談話には言及していませんが、従来通りの法案の提出が期待できます。そのための市民運動も盛り上がっています。法案提出と同時に猛烈な巻き返しもあるでしょうが、一歩一歩着実に法制定を目指したいものです。

この問題では、日本友和会が国際友和会とともに国連人権機関で果たしてきた役割には特筆すべきものがあります。日本の戦争責任を明らかにし、真の和解を実現するときです。

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9条を生きるとは

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 9条についての新政権の姿勢はまだ不鮮明です。鳩山首相は改憲議員連盟の顧問ですし、改憲論議は必要だと発言してきた過去があります。

 自民党惨敗によって改憲の動きは弱まり、新政権も当面はそれどころではありません。政界では、安部政権の改憲ごり押し策動が結局は自民党の首を自分で絞めたのだとささやく声もあるので、改憲はすぐには動かないかもしれません。

 しかし、新政権が護憲であるわけではありません。自民党政権下で進められてきた有事法制をはじめとする戦争国家化にどのように歯止めをかけ、9条の理念を活かした政治を実現するかどうかは、これからの問題です。

 この間、私たちは「9条を守る」と表現してきました。しかし、「9条を守る」とは「9条に書いてある通りにする」ことであるはずなのに、今では「9条を書き換えるな」という意味だけで使われています。反戦平和運動の現場でも「9条に書いてある通りにする」という発言が抑圧されます。例えば、ある集会で、「自衛隊イラク派遣に反対する自衛隊員や家族も一緒に反対運動するのだから、自衛隊反対と言ってはいけない」と言う不可思議な決定がなされました。「現在の課題は9条改悪阻止なのだから改悪阻止の一点に絞るべきであり、それ以外のことを持ち出すのは運動の足並みを乱すものだ」と言われることもあります。「9条を守る」という言葉が、レベルの異なる二重の意味で使われているために議論が混乱することもあります。

 そこで一時、私たちは「9条を活かす」と唱えました。しかし、何をすれば「9条を活かす」ことになるのか。具体的な話になると、同じ問題が浮き上がってきます。

 しばらく悩んだ挙句、私は「9条を生きる」と主張することにしました。「私は9条を生きる。あなたもいかがですか」。

 日本国憲法9条ですから、日本政府に守らせなければなりません。そのための平和運動・護憲運動にはもちろん長い歴史があり、重要な取組みがあります。しかし、現実には政府に守らせることができていません。もちろん、平和運動はあきらめずに努力を続けるわけですが、同時に「9条を生きる」ことを考えたい。

個人レベルで「私は9条を生きる」。心の武装解除であり、思想としての非武装・非暴力です。

地域においては、9条の理念を活かしてピースゾーンをつくる。オーランド諸島の非武装中立や、世界に27カ国もある「軍隊のない国家」に学ぶこともできます(前田朗『軍隊のない国家』参照)。日本型ピースゾーンとしての無防備地域宣言運動が各地に広がっています。

政府に9条を守らせる運動も、昨年のイラク自衛隊派遣違憲訴訟名古屋高裁判決のような成果を獲得しています。

9条を世界に広げる運動も多彩に展開されています。「9条世界会議」は画期的な試みとなりました。

こうしたさまざまな取組みを「9条を生きる」という観点で繋ぎ、ピースゾーンの思想を紡ぎ直し、平和運動に連なっていきたいと思います(雑誌『マスコミ市民』10月号より、連載「9条を生きる」を始めます)。

Tuesday, October 20, 2009

白頭山でうたった統一の歌



風に逆らって(4)(青法協東京支部ニュース88号、2009年4月より)






我らの願いは統一
夢にまで願うは統一
この身を捧げて統一
統一を果たそう



 国境のその山を、中国では長白山、朝鮮では白頭山(ペクトゥサン)と呼ぶ。標高2,744メートルの山が孤独に屹立している。松花江も鴨緑江もここから流れ出す。ケーブルカーで昇りきると、あと一息で頂上にたどり着く。



そこから見下ろせるのが真っ青なカルデラ湖の天池だ。真夏の青空の日でも風に乗って雲が覆うため、運の悪い人は天池を見ることができないという。記念撮影を終えると、みんなで「我らの願いは統一(ウリエ・ソウォヌン・トンイル)」をうたった。朝鮮の若者たちが集まってきて、あっという間に大合唱になる。



 「1991年問題」がいちおうの決着を見たので、その夏、ぼくらは新潟から船で元山(ウォンサン)へ向かった。



1991年問題といっても、今となっては知らない人が多いかもしれない。1965年の日韓条約は、日本と韓国の間で形の上では戦後処理を終えた。実際には見落とした問題も多く後に禍根を残したが、その一つが在日「韓国」人の法的地位で、25年後に解決を引き延ばした。「韓国」籍朝鮮人には一応の在留資格を認めたが、25年の政治的期限が付された。同時に「朝鮮」は国家と認めないから、「朝鮮」籍朝鮮人に対しては、「朝鮮」という符号を付された正体不明の外国人扱いであった。1991年にはこうした事態を改めなければならず、日韓の協議が行われて(特別)永住資格の確認に至ったのだ。



 併せてこの時、日本政府発行のパスポートから「北朝鮮を除く」という言葉が削除された。それ以前、国交を結んでいない国はいくつもあったのに、日本政府はわざわざすべてのパスポートに「北朝鮮を除く」と印刷していた。嫌がらせのためである。



 1989年には、朝鮮で第13回世界青年学生大会が開催された。韓国政府の禁止命令に違反して「全国大学生代表者協議会」代表として単身参加したソウルの学生・林秀卿(イム・スギョン)は朝鮮各地をデモ行進した上で、板門店を歩いて渡ってきたために、その場で逮捕された。分断された朝鮮と韓国が歩いて渡れる同じ大地で繋がっているという当たり前のことを、命がけで証明して見せたのだ。「統一の花」の闘いは世界を驚愕させ、深い感動に引きずり込んだ。



 林秀郷がピョンヤンの記者会見でうたったのが「我らの願い」だった。彼女は白頭山でも同じ歌をうたい、「白頭山から漢拏山(ハルラサン)へ」と叫んでデモ行進を開始した。漢拏山は朝鮮半島の南に浮かぶ済州島の主峰である。朝鮮三千里のちょうど中間で逮捕されたことになる。



 一躍、統一の聖地となった白頭山を、2年後の夏、ぼくらは訪れた。朝鮮人にとっては抗日武装闘争の聖地でもある白頭山の頂で「我らの願い」をうたい了えて、振り返ると天池は真っ白な雲に覆われて見えなくなっていた。



 もう一つの漢拏山を訪れて「我らの願い」を呟くようにうたったのは、15年後の2006年のことだった。朝鮮と韓国はいまなお深い溝に分断され、厳しい状況が続いている。だが、北にいようと南にいようと、そして日本に暮らしていようと、切実な思いで統一を願っている多くの民衆がいる。複雑な歴史を背負う日本人にとっても、忘れてはならない課題だ。



この同胞を生き返らせる統一
この国が探し求めている統一                                                                                                                                                                
統一よ、早く来い
統一を果たそう

ぐろ~ばる・みゅ~ぢっく(08)ふぁれぴぴ・へ・まろふぁ


ニウエの元気な老人の音楽です。

Falepipi He Mafola Niuean Handcraft Group Incのファーストアルバム NIUE HAKU MOTU。

1993年4月1日、ニウエの老人たちが、週に1回集まって、健康や暮らしについて語る場を作りました。工芸品を作り、歌い、物語を話し、ニュースを情報交換しました。そのグループが2005年10月に録音したアルバムです。

曲は11曲

NIUE,NIUE, HAKU MOTU
TUTU MAI LA
TOLO MAI MA HAAKU MOTU
AUE KO E MALINIAMU FOOU
KO E LALOLAGI LAHI IA HANA
など。

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このシリーズに関してお問い合わせがありました。このCDはどこで売っているのか。聞いてみたい、というものです。

日本ではめったに売っていません。例外的に日本に輸入されているものを紹介する事もあるかもしれませんが、このシリーズで紹介するのは、ほとんど、現地でしか入手できないでしょう。

最初に書いたことですが、日本では、欧米のメジャーの音楽・CDが溢れているほかは、入手困難ですし、メディアでも紹介されにくいのが実情です。それぞれの大使館やビジネス関係者が持ちこんだり、友好協会などの人々が個人輸入したものなどがあるものの、なかなか入手できません。

今のところ南太平洋諸国のCDを紹介しています。

パラオのCDなどは、比較的日本に近いし、日本人観光客も多いので、かなり日本に入っていると思いますが、それでも一般には入手が極めて難しいです。一部の専門ショップ以外にはないでしょう。

まして、赤道以南のソロモン諸島、ヴァヌアツ、サモア、ニウエとなると、よほど南太平洋に関心のある人でないと、見向きもしてこなかったでしょう。

ここで紹介するCDは、私の手元にありますから、授業で学生に聞かせたりはしてきましたが、それ以外ではお聞きいただくことはかなり難しいです。

もっとも、オーストラリアのレコード会社から発売されたものなどは、メジャーの流れに乗って日本にも入っているかもしれません。

それと、一部のCDにはウエブサイトが掲載されているものもあります。通信販売がどの程度可能かはわかりませんが、ウエブサイト情報のあるものは、それを紹介していきます。

ぐろ~ばる・みゅ~ぢっく(07)へが




Hega Keresomaのアルバム NIUE、I will go home.




ニウエの人々の多くはニュージーランドに出稼ぎ労働者として出かけています。20年、30年と働いて、リタイアしてからニウエに戻る人も多いとのことです。ニウエ人はニュージーランド市民権取得が容易のようです。そんなわけで、故郷に戻るというのは、ニュージーランドで稼いで成功したり、事業に失敗して夢破れたニウエ人の望郷の思いです。




Hega(本名はHegatagaloa Keresoma)はボーカルとリズム・ギター、Geoff Marquisがベース、キーボード、パーカッションなど。ドラムはPaul Router。録音はオーストラリアのヴィクトリア市。




曲はニウエ語8曲、英語4曲。




Greetings  ( Fakalofa At)


Pepe Matafuluola (Beautiful Butterfly)


Manako Au (I Like)


Everything


など


ぐろ~ばる・みゅ~ぢっく(06)びくた


今回は「太平洋の岩」と呼ばれる小国ニウエの音楽です。ニウエは太平洋フォーラムの世界では国家として扱われていますが、日本政府は承認していません。国連にも加盟していません。


珊瑚礁が隆起してできた島です。あちこちに鍾乳洞があって、探検できます。地表にはジャングル。鯨ウオッチングやダイビングの観光客も来ます。


Victa Talimaの2006年のアルバムThe Hicks。Victaは、ギター、ベース、ボーカル。四は妹のローザもお手伝い。ドラムとエンジニアはJeff Cripps。


Victaのモットーは「何をするときにも、大地に足をつけて、星に届けとばかりの思いで・・・」だそうです。


曲は


Vela


Siale Niue


Tagi


E Fifine

Wednesday, October 07, 2009

チロルチョコのらべるになってしまった


知らない間に学生が私の似顔絵をラベルにしたチョコレートをつくっていました。
DECOチョコMacstyleチロルチョコに依頼して、箱詰めしています。エアイン塩バニラのホワイトチョコです。
まったく油断もすきもありゃしない(笑)。でも、おかげで毎日チョコ!です。

ぐろ~ばる・みゅ~ぢっく(05)あんくる・えー・えー・じぇい


Uncle A.A.J.は、ソロモン諸島のイサベル州サンバレーのTauseseとRaja村出身の家族バンドだ。CD発売にこぎつけるまでにいろいろとトラブルがあって苦労したが、なんとかKalamanアルバムをつくりあげた。もっともいつ発売されたか記載はない。Uncle A.A.J.の島のスタイルのリラックス・ミュージック、爽やかな南太平洋アイランド・ソングだ。


リードボーカルはRawdock Sorumana、 コンポーザー&アレンジメントがStephen Sorumana、 バックコーラスがAgy Sorumana、Little Annie、Rachy Sorumana、 プログラマーはRyan Bako。


10曲収録。


Fapulo Mei

Kalaman

Neke heve

Jafra

Sikolu

Nama charaka

Lisa dila

Boi nabagu

Gase

Why oh why

Tuesday, October 06, 2009

ぐろ~ばる・みゅ~ぢっく(04)らいさ




フィジー諸島共和国のナンディで購入したCDです。




LAISA、OI RA RUA. SPR.




「このアルバムを、フィジー全国女性委員会平和イニシアティヴの援助の下に、フィジーの平和、親善、繁栄に捧げる」とあります。




ライサのボーカルで、12曲。




Koro Waiwai


Ko Ira Na Vuda


Oi Ra Rua


Au Sa Guilecavi


Rosi Na Waisa


など




私のお気に入りは、Isa Vitiという曲です。


ぐろ~ばる・みゅ~ぢっく(03)さごね・るう・ぬう


サモアが津波で大変なことになっていますが、サモアのステキな音楽をご紹介。


アルバムDISCOVER SAMOA Samoan Siva Mix. 1.


説明文がついていないのと、記述がサモア語なので、よくわかりませんが、12曲収録。いずれも軽快なサモア・ポップス。


SAGONE LO'U NU'U

LAVALAVA

LE FEE

MANASE

SIVA MAI

FAAMAI

など