Tuesday, January 19, 2010

ヘイト・クライム(16)

雑誌「統一評論」532号(2010年2月)

ヒューマン・ライツ再入門⑭

レイシズムとヘイト・クライム

京都朝鮮学校事件

 インターネット上でうごめいてきた人種差別が溢れ出してきた。

ネット上の掲示板やMLには人種差別が蔓延していると指摘されて久しい。国際人権機関でも、ネット上の人種差別問題と、ネット上での人種差別を克服する教育の普及を課題として掲げてきた。日本でも同様のことが唱えられてきたが、差別が現実世界に躍り出てきた。ネット上で差別と排除の共同行動が呼びかけられ、集った「市民」が少数者に暴力的に襲いかかり始めた。

二〇〇九年一二月四日、人種差別集団が京都朝鮮第一初級学校に押しかけ、「朝鮮学校が公園を不法占拠している」という言いがかりをもとに、聞くに堪えない差別的な暴言を撒き散らし、教員や子どもたちを恫喝・脅迫する許しがたい差別行為を行った。「差別されている朝鮮人は日本から出て行け」「スパイの子ども」「朝鮮学校はテロリスト養成機関」などと執拗に差別と脅迫を繰り返し、威力業務妨害罪や器物損壊罪に当たると思われる行為もしている。運動場を持たない朝鮮学校は、市当局の許可のもとに半世紀にわたって公園を利用してきた。その間、周辺住民からの苦情はなかった。ところが、人種差別集団は「不法占拠」と大騒ぎしたのである。
 この日、同校では、京都第一、第二、第三、 および滋賀の初級学校の子どもたちが集まって交流会を行なっていた。大音量で侮辱的な暴言を浴びせられ、 不安をつのらせ、泣き出す子どもまでいて、 交流会場はパニック状態になってしまった。民族差別と同時に、教育の場に押しかけて大騒ぎする、子どもの権利条約の精神を踏みにじる行為である。一二月二一日、学校側は右翼集団に対する告訴状を京都府警に提出した。

 この人種差別集団は、自分たちの活動を写真や映像に収めて、ウェブサイトに掲載している。ウェブサイトには、現場で怒鳴り散らしたのと同様の暴言が山のように並べられている。人種差別や暴力行為を自慢する異常な集団である。

差別と暴力

 二〇〇九年に各地で差別と暴力を撒き散らしたのは、「在日特権を許さない会(在特会)」をはじめとする団体で、ネット右翼だけではなく、これに刺激を受けた既成右翼も行動をともにしているようだ。最近話題になった他の事例も確認しておこう。

①カルデロン事件。二〇〇九年二月、日本政府が、在留期限のすぎた外国人を子どもから引き離し家族を破壊して退去強制する暴挙に出た際、退去強制を支持するデモ行進を行い、子どもが通う中学校にまで押しかけて騒ぎ、これに抗議した市民と暴力沙汰を惹き起こした。

②三鷹事件。八月、三鷹市(東京)における日本軍性奴隷制(「慰安婦」)問題の報告集会に対して横槍をいれ、会場前に押しかけて出入りを妨害し、集会を妨害した。

③秋葉原事件。九月、秋葉原(東京)において外国人排除をアピールするデモ行進を行い、反対意見のプラカードをもった市民に襲いかかり暴行を加えた。

④朝鮮大学校事件。一一月、在日朝鮮人が長年にわたる努力で建設・維持してきた朝鮮大学校に押しかけて差別的言辞を吐いて侮辱し嫌がらせをした。朝鮮大学校の学園祭にも押しかけて妨害行為を行なった。

⑤名古屋市立博物館事件。一二月、博物館における日韓歴史展示に抗議して、館内に押し入って巨大な日の丸などを持って内部で騒いで展示を妨害した。

⑥ウトロ事件。一二月、戦後半世紀を越えて在住する朝鮮人と土地所有者の間の解決を覆し、朝鮮人を追い出そうと激しい非難を浴びせた。自衛隊基地に向かって拡声器で「朝鮮人を銃撃してください」と叫ぶ有様だったという。

従来の右翼団体の活動との違いは、第一に、インターネットを駆使して宣伝を行い、参加者を募り、活動報告も行っていること、第二に、「行動する保守」というスローガンで、法律を無視し人権侵害を惹き起こす「直接行動」に出ていることである。

在特会は、ネット上での言論活動や、講演会、街頭宣伝など多彩な取組みをしているが、時に暴力行動に出る。しかも、自分たちの暴力行為を収めた映像を堂々とネット上に掲載している。

在特会とは、「在日韓国人・朝鮮人(以下、在日)問題を広く一般に提起し、在日を特権的に扱う、いわゆる在日特権を無くすことを目的とする」団体である(会則四条)。事業は、講演会・勉強会の開催や調査・研究となっているが、「その他、当会の目的達成に必要なことを行う」(会則五条四)とあり、暴力活動もこれに含まれるのかもしれない。会員は七五四〇人である(同会ウェブサイト、二〇〇九年一二月二六日現在)。もっとも、これはネット上でアクセスした数であり、実際の行動メンバーがこれだけいるわけではない。在特会は次のような主張をしている。

在日特権を許さないこと極めて単純ですが、これが会の設立目的です。では在日特権とは何か?と問われれば、何より『特別永住資格』が挙げられます。これは一九九九年に施行された『入管特例法』を根拠に、旧日本国民であった韓国人や朝鮮人などを対象に与えられた特権です。在日特権の根幹である入管特例法を廃止し、在日をほかの外国人と平等に扱うことを目指すことが在特会の究極的な目標です。しかしながら、過去の誤った歴史認識に基づき『日帝の被害者』『かわいそうな在日』という妄想がいまだに払拭されていない日本社会では、在日韓国人・朝鮮人を特別に扱う社会的暗黙の了解が存在しているのも事実です」(同会ウェブサイトより)。

 歴史の全体像を見ようとせず、都合のよい部分だけをつまみ食いして、ご都合主義的に恣意的な「解釈」を加えて「在日特権」なる言葉を作り出し、この立場から、在日朝鮮人をはじめとする人々に襲いかかり、差別と暴力を撒き散らしている。

 二〇〇九年になって、このような異常な人種差別集団がなぜ活性化してきたのかは、より慎重な分析をする必要があるが、すでに指摘されているように、不況と時代閉塞の状況が根底にあることは見ておかなければならない。長引く不況で就職できない若者の声が「希望は戦争」と表現されているように、脱出路は戦争、差別、排外主義に求められている。

 かつて戦争や植民地支配によって利益を得たと思ったのが支配層だけではなかったように、グローバリゼーションに便乗して利益を得るのも支配層だけではない。まして国際競争から脱落する危険と不安に苛まれている日本の市民が、ナショナリズムと排外主義に転じるのは容易なことである。「守られるべき主体」に自らを加工=仮構する市民の安逸こそが差別の現実的根拠であるかもしれない(前田朗「ヘイト・クライムの現在」『無罪!』二〇〇九年一一月号)。

レイシズムをはぐくむ社会状況

 在特会をめぐる最近の動向を見ていて気づく点を確認しておこう。

 第一に、秋葉原の事例が典型だが、在特会の暴力行為を、警察が漫然と見逃していることである。伝聞情報であるが、行き過ぎた暴力のないように間に割ってはいることもあるが、暴力行為の瞬間にはニヤニヤ笑って見ている警官が複数いたという話を聞いた。在特会は自分たちの暴力活動映像をネット上に掲載している。しかし、警察が捜査に動いたという話は聞いたことがない。在特会と警察の間に連携があるとは言わないまでも、警察が彼らの暴力を黙認してきたのは事実だろう。

 第二に、マスメディアである。ネット上では、在特会の暴力が速報され、抗議声明なども出されてきたが、マスメディアの姿勢には不可解な例が散見される。三鷹の事例では比較的よく報道されたが、他の事例ではそうとはいえない。朝日新聞などは在特会会長の発言を一面記事で紹介しているほどである。「両論併記」の形をとれば、ヘイト・クライム集団を持ち上げても平気という編集姿勢だ。

このように在特会はすでに警察とマスメディアによって暴力活動の自由を半ば保障されている。

 思い起こす必要があるのは、日本には人種差別禁止法がないことだ。「ヘイト・クライムは日本では犯罪ではない」のだ。二〇〇一年、人種差別撤廃委員会は、日本政府に対して人種差別禁止法の制定を勧告した。二〇〇五年、国連人権委員会の人種差別に関する特別報告者は、「日本政府は、自ら批准した人種差別撤廃条約第四条に従って、人種差別や外国人排斥を容認したり助長するような公務員の発言に対しては、断固として非難し、反対するべきである」と、人種差別禁止法を制定すること、国内人権委員会を設立することなど多くの勧告を行なった。二〇〇八年、国連人権理事会は日本政府に対して人種差別等の撤廃のために措置を講じるよう勧告した。

ところが、日本政府は「日本には深刻な人種差別はないから禁止法は必要ない」とか、「表現の自由があるから人種差別の処罰は困難である」と述べて世界を驚かせた。「人種差別表現の自由」を主張したのである。この姿勢に基本的な変化はなく、二〇一〇年春に予定されている人種差別撤廃委員会への日本政府報告書は、やはり人種差別禁止法の制定に否定的である。マスメディアも人種差別禁止法のキャンペーンどころか、ヘイト・クライム団体を持ち上げている有様である。

 それでは自由・平等・連帯の担い手たるべき市民はどうか。異分子や外国人を差別し排除してきたのは、実は警察やマスメディアだけではないし、政府主導とばかりいえないかもしれない。市民こそが自分たちの安全・安心を求めて、朝鮮人を差別することに自分たちの利益を見出してきたからである。市民は差別の防波堤になる場合もあるが、時に差別と迫害の主犯となることもある。傍観者となることもある。そこに在特会の忍び寄る隙間がある。

市民の抗議集会

 他方、激化するヘイト・クライムに眉をひそめ、ただちに抗議集会に取り組んだ市民もいる。京都事件に関する緊急抗議集会が各地で取り組まれた。同月一九日には東京、二二日には地元・京都、二三日は大阪で相次いで抗議集会が開催され、いずれも短期間の準備にもかかわらず、会場に多くの市民が駆けつけた。

一九日の在日朝鮮人・人権セミナー主催「民族差別を許すな! 京都朝鮮学校襲撃事件を問う」東京集会は次のように呼びかけた。

「このような人種主義的、差別的行為を決して許してはなりません。ところが、警備の要請を受けて出動した警察官も、人種差別団体をきちんと規制しようとせず、好き放題にさせました。同様のことは、これまでも暴力・脅迫活動の各所で見られました。三鷹でも秋葉原でもウトロでも、この差別団体は警察の事実上の容認を得て、ますます過激な行動に出るようになっています。この問題は、単に一部の異常な排外主義集団だけの問題ではなく、それを許している日本政府および日本社会全体の問題ではないでしょうか。私たちはこのような差別と犯罪を許すことなく、全国各地で心ある人々が声を上げる時だと考えます。沈黙すべきではありません。」

 集会では、まず京都事件の映像が上映された。ネット上には右翼集団の宣伝映像が掲載されており、酷い差別発言を確認できる。脅迫、恫喝、蔑視発言の連発だが、隠すそぶりがないどころか、堂々と宣伝している始末だ。

 続いて、京都朝鮮学校校長から現地報告がなされた。公園使用は市の許可を得ていて「不法占拠」ではないこと、子どもたちが脅えて泣き出したことなど具体的な様子が報告された。右翼は「また来るぞ」と言っているので、今後も要警戒である。

 次にヘイト・クライム(憎悪犯罪)について筆者が報告した。犯罪右翼集団の活動状況を概括した上で、これがヘイト・クライムに当たること、人種差別禁止法を制定し、このような差別と犯罪を規制する必要性を確認した。

 会場発言の後、床井茂(弁護士、人権セミナー実行委員長)が、差別と迫害を許さないために日本人としてなすべきことを呼びかけて集会を終了した(前田朗「水晶の夜を迎えないために」『月刊社会民主』二〇一〇年二月号予定)。

 同月二三日には、在日朝鮮人・人権セミナー主催で大阪集会も開催された。東京集会と同様に、映像上映に続き、朝鮮学校校長の報告、筆者の報告(ヘイト・クライムの現状、および人種差別禁止法の必要性)、会場発言、そして武村二三夫(弁護士)によるまとめの発言がなされた。ヘイト・クライムを許さないために市民が連帯して取り組みを進める必要性が確認された(前田朗「激化するヘイト・クライム」『救援』二〇一〇年一月号予定)。

 メディアの様子にも変化が見られる。先に見たように、「朝日新聞」は人種差別集団の代表者をなんと一面に写真つきで紹介し、勝手な主張を述べさせている。異なる意見も並べて両論併記ならレイシズムに加担してもかまわないという姿勢だ。

 これに対して、一二月一八日、「東京新聞」は、「外国人いじめ不満はけ口」という見出しのもと、「不法占拠」というのは事実に反する言いがかりにすぎないことを指摘し、「一橋大の鵜飼哲教授(仏文学・社会思想)は『公園使用への抗議というのは言い掛かりだろう。日本の民族運動を提唱する人々のようだが、もはや単なる外国人嫌いにしかみえない』と語る」とし、さらに「女子学生のチマ・チョゴリ切り裂き事件は個人単位だったが、今回は組織された人々が公然と授業中の学校に押しかけており、危険な兆候だ」という言葉を引用紹介している。

 さらに、一二月二二日、「共同通信」は、「在特会の行動は朝鮮学校を標的とした悪質な嫌がらせとしか思えない。保護者の一人は『これまで日本に生きてきて、これほどの侮辱を受けたことはない』と憤りをメールにつづっている。そもそも在日韓国・朝鮮人の特別永住者が日本人より優遇されている『特権』などない。むしろ、就職や結婚などをめぐる隠然とした差別が日本には存在し続けている。在日外国人に対する差別や偏見に満ちた言葉はネットの巨大掲示板『2ちゃんねる』などにもさかんに書き込まれている。在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)によると、チマ・チョゴリを着た女生徒が路上で罵声を浴びるなど日本人拉致問題を理由とした在日韓国・朝鮮人に対する嫌がらせは近年、増える傾向にあるという。カナダ、ドイツなどでは人種・民族などをめぐる差別をあおる言葉を公然と口にすれば『憎悪犯罪』として刑事罰の対象になる。米国でもオバマ政権成立後、法規制は強化され、同性愛者への差別も憎悪犯罪に加える法改正が一〇月に行われた」と指摘している。

 こうした世論を盛り上げて、レイシズムに警戒し、ヘイト・クライムを許さない取り組みが必要だ。

人種差別禁止法の必要性

 先に述べたように、日本ではヘイト・クライムが犯罪とされていない。

 しかし、最近の人種差別禁止法をめぐる議論のように、より具体的な議論が始まっており、そこでは、刑事規制を必要とする具体的な立法事実があるのか否か。他に採るべき、より制限的でない手段はないのか。刑事規制立法を行うとして、それはいかなる射程で、いかなる行為を規制しようとするのか。さまざまな議論が始まっている。人種差別表現、ヘイト・クライムについては、いくつかの民間の提案が作成・公表されてきた(前田朗「人種差別の刑事規制について」『法と民主主義』四三五号、二〇〇九年)。

二〇〇一年には人種差別撤廃条約に基づく人種差別撤廃委員会における日本政府報告書の審査においても、人種差別禁止法の制定が勧告された。さらに、二〇〇五年には、国連人権委員会のドゥドゥ・ディエン人種差別問題特別報告者が日本政府に対して人種差別禁止法の制定を呼びかけている。

人種差別撤廃条約第二条一項は「締約国は、人種差別を非難し、また、あらゆる形態の人種差別を撤廃する政策及びあらゆる人種間の理解を促進する政策をすべての適当な方法により遅滞なくとることを約束する」と定めている、日本政府は条約を批准している。

 さらに、人種差別撤廃条約第四条本文は、「締約国は、一の人種の優越性若しくは一の皮膚の色若しくは種族的出身の人の集団の優越性の思想若しくは理論に基づくあらゆる宣伝及び団体又は人種的憎悪及び人種差別(形態のいかんを問わない。)を正当化し若しくは助長することを企てるあらゆる宣伝及び団体を非難し、また、このような差別のあらゆる扇動又は行為を根絶することを目的とする迅速かつ積極的な措置をとることを約束する。このため、締約国は、世界人権宣言に具現された原則及び次条に明示的に定める権利に十分な考慮を払って、特に次のことを行う」と定めている。

 ヘイト・クライムにもさまざまな行為類型があるが、ここでは最低限必要な限度で、四つの類型を整理しておこう(前田朗「ヘイト・クライム(憎悪犯罪)」『救援』四四八~四五二号参照)。

 第一は、差別と迫害の「発言」の禁止である。人種差別撤廃条約第四条(a)は、次のように定めている。「人種的優越又は憎悪に基づく思想のあらゆる流布、人種差別の扇動、いかなる人種若しくは皮膚の色若しくは種族的出身を異にする人の集団に対するものであるかを問わずすべての暴力行為又はその行為の扇動及び人種主義に基づく活動に対する資金援助を含むいかなる援助の提供も、法律で処罰すべき犯罪であることを宣言すること。」加えて、ジェノサイド条約や国際刑事裁判所規程は、ジェノサイドの直接かつ公然の教唆を独立の犯罪としている。これらは表現の自由の問題ではなく、犯罪である。

 第二は、人種差別的動機による暴力行為や、人種差別的発言を伴う暴力行為である。これは右の第一に含まれるのだが、ここではあえて区別してみておく。人種差別的な動機を持って他者に暴行を加えた場合、単なる暴行罪ではなく、「人種差別的動機による暴行罪」とするべきである。西欧諸国、北欧諸国にはこうした立法例がある。純粋な言論表現行為ではなく、暴力を伴う表現行為は刑罰が加重される。

 第三は、「アウシュヴィッツの嘘」罪である。ドイツ刑法に典型的だが、「アウシュヴィッツにガス室はなかった」といった歴史修正主義発言を犯罪とするものである。「アウシュヴィッツにガス室はなかった」と単純に事実を否定するのが「単純なアウシュヴィッツの嘘」罪である。「アウシュヴィッツにガス室があるというのは、ユダヤ人がドイツ人を貶めるための陰謀だ」といった類の発言は「重大なアウシュヴィッツの嘘」罪となり、刑罰が加重される。

第四は、人種差別団体の規制である。人種差別撤廃条約第四条(b)は、「人種差別を助長し及び扇動する団体及び組織的宣伝活動その他のすべての宣伝活動を違法であるとして禁止するものとし、このような団体又は活動への参加が法律で処罰すべき犯罪であることを認めること」と定めている。

 日本政府は人種差別撤廃条約第四条(a)(b)を留保しているため、日本ではこの条項を適用できない。日本政府は、人種差別行為を規制することは日本国憲法が保障する表現の自由に抵触するという異様な主張をしている。

 一二月二三日の大阪集会における参加者発言によると、生野(大阪)において右翼団体が朝鮮人差別と迫害の発言を続けたのに対して、通行人が差別発言をやめるように指摘したところ、警察官が「表現の自由だ」と応えたという。

 これに対して、人種差別撤廃委員会や、ドゥドゥ・ディエン人種差別問題特別報告者は、留保を撤回して、人種差別犯罪を取り締まるように日本政府に勧告している。表現の自由と人種差別は別物である。「人種差別表現の自由」などというものは、日本政府の捏造に過ぎない。そこまでして人種差別に肩入れする理由がわからない。日本の市民団体や弁護士会なども人種差別禁止法の制定を視野に入れて調査・研究・提言を行っている。

 二〇一〇年二月~三月に開催される人種差別撤廃委員会で、九年ぶりに日本政府報告書の審査が行われる。二〇〇一年の審査の結果として日本政府に出された勧告と同様の勧告が期待される。

  日本政府報告書は、二〇〇八年一二月に提出されたもので、日本におけるヘイト・クライムの実情を反映していない。人種差別禁止法についても否定的である。全体として後ろ向きの姿勢に変化がない。

 人種差別問題に取り組んできたNGOは、すでにNGOレポートを用意している。また、人種差別撤廃委員会から事前に日本政府に対して出された質問項目についても、NGOからさらなる情報提供を行う準備をしている。

 今回の日本政府報告書審査を通じて、日本における人種主義と人種差別の実態を徹底的に明らかにし、人種差別の規制、とりわけ人種差別禁止法の必要性を再確認したいものだ。また、二〇一〇年は韓国併合百周年であり、さまざまな企画が準備されている。差別と迫害を許さない取組みを第一に掲げる必要がある。

Sunday, January 17, 2010

ヘイト・クライム(15)

「救援」489号(2010年1月)

激化するヘイト・クライム

京都朝鮮学校事件

二〇〇九年一二月四日「在日特権を許さない市民の会(在特会)」と称する暴力的差別集団が京都朝鮮第一初級学校に押しかけ、「朝鮮学校が公園を不法占拠している」という言いがかりをつけ、聞くに堪えない暴言を撒き散らし、教員や子どもたちを恫喝・脅迫する許しがたい差別行為を行った。「差別されている朝鮮人は日本から出て行け」「スパイの子ども」「朝鮮学校はテロリスト養成機関」などと執拗に差別と脅迫を繰り返し、威力業務妨害罪や器物損壊罪に当たると思われる行為もしている。運動場を持たない朝鮮学校が、公園を管理する市当局の許可のもとに半世紀にわたって公園を利用してきた周辺住民からの苦情もなかった。ところが、右翼は「不法占拠」と大騒ぎした。
 この日、同校では、京都第一、第二、第三 および滋賀の初級学校の子どもたちが集まって交流会を行なっていた。大音量で侮辱的な暴言を浴びせられ、 不安をつのらせ、泣き出す子どもまでいて、 交流会場はパニック状態になってしまった。教育の場に押しかけて大騒ぎする、子どもの権利条約の精神を踏みにじる行為である。一二月二一日、学校側は右翼集団に対する告訴状を京都府警に提出した。

 二〇〇九年は、日本のヘイト・クライム(憎悪犯罪)が激化したターニング・ポイントとして記憶されるだろうこの犯罪集団次のような活動を繰り返してきた。

①カルデロン事件。日本政府が、在留期限のすぎた外国人を子どもから引き離し家族を破壊して退去強制する際、退去強制を支持するデモ行進を行い、子どもが通う学校にまで押しかけて騒ぎ、これに抗議した市民と暴力沙汰を惹き起こした。②朝鮮大学校事件。在日朝鮮人が長年にわたる努力で建設・維持してきた朝鮮大学校正門前に押しかけて差別的言辞を吐いて侮辱した。学園祭にも押しかけて妨害行為を行なった。③三鷹事件。三鷹市(東京)における日本軍性奴隷制(「慰安婦」)問題の報告集会に対して横槍をいれ、会場前に押しかけて出入りを妨害し、集会を妨害した。④秋葉原事件。秋葉原(東京)において外国人排除をアピールするデモ行進を行い、反対意見のプラカードをもった市民に襲いかかり暴行を加えた。⑤名古屋市立博物館事件。博物館における日韓歴史展示に抗議して、巨大な日の丸などを持って館内に押し入って騒いで展示を妨害した。⑥ウトロ事件。戦後半世紀を越えて在住する朝鮮人と土地所有者の間の解決を覆し、朝鮮人を追い出そうと激しい非難を浴びせた。自衛隊基地に向かって拡声器で「朝鮮人を銃撃してください」と叫ぶ有様だったという。

既成右翼団体との違いは、第一に、インターネットを駆使して宣伝を行い、参加者を募り、活動報告も行っていること、第二に、「行動する保守」というスローガンを掲げ、法律を無視し人権侵害を惹き起こす「直接行動」に出ていることである。考えないで行動する差別集団である。

ヘイト・クライムを許さない

 緊急抗議集会が各地で取り組まれた。同月一九日には東京、二二日には地元・京都、二三日は大阪で相次いで抗議集会が開催され、「差別を許すな」と多くの市民が駆けつけた。

二三日の在日朝鮮人・人権セミナー主催「民族差別を許すな! 京都朝鮮学校襲撃事件を問う」大阪集会は次のように呼びかけた。

「このような人種主義的、差別的行為を決して許してはなりません。ところが、警備の要請を受けて出動した警察官も、人種差別団体をきちんと規制しようとせず、好き放題にさせました。同様のことは、これまでも暴力・脅迫活動の各所で見られました。三鷹でも秋葉原でもウトロでも、この差別団体は警察の事実上の容認を得て、ますます過激な行動に出るようになっています。この問題は、単に一部の異常な排外主義集団だけの問題ではなく、それを許している日本政府および日本社会全体の問題ではないでしょうか。私たちはこのような差別と犯罪を許すことなく、全国各地で心ある人々が声を上げる時だと考えます。沈黙すべきではありません。」

 集会では、まず京都事件の映像が上映された。ネット上には右翼集団の宣伝映像が掲載されており、酷い差別発言を確認できる。脅迫、恫喝、蔑視発言の連発だ。

 続いて、京都朝鮮学校校長から現地報告がなされた。公園使用は市の許可を得ていて「不法占拠」ではないこと、子どもたちが脅えて泣き出したことなど具体的な様子が報告された。右翼は「また来るぞ」と言っているので、今後も要警戒である。

 次に筆者がヘイト・クライムについて報告した。犯罪右翼集団の活動状況を概括した上で、これがヘイト・クライムに当たること、人種差別禁止法を制定し、このような差別と犯罪を規制する必要性を確認した(ヘイト・クライムについて、本欄「ヘイト・クライム(憎悪犯罪)」本紙四四八号~四五二号。前田朗「人種差別の刑事規制について」『法と民主主義』四三五号、二〇〇九年参照)。

 会場発言の後、武村二三夫(弁護士、人権セミナー実行委員長)が、まとめの発言として、差別と迫害を許さないために日本人としてなすべきことを呼びかけて集会を終了した。

 右翼の卑劣な差別行為に対して、当初は沈黙していた世論にも変化の兆しが見える。京都事件では各地の市民がすばやく抗議集会を開催した。ネット上でも批判の声が増えてきたという。無責任なネット右翼の独壇場というわけでは必ずしもない。さらに既成右翼の中にも、やりすぎだ、子どもへの攻撃は考えられないという声が出ているという。

 メディアの状況も徐々に変わり始めた。犯罪的右翼集団を一面の記事で持ち上げた朝日新聞の例もあるが、一二月一八日の東京新聞は、不況の閉塞状況で外国人への嫌がらせが増えているとして、京都事件を取り上げ、「不法占拠」などという右翼の主張が事実に反することを報道した。

一二月二二日の共同通信も、「在特会の行動は朝鮮学校を標的とした悪質な嫌がらせとしか思えない。保護者の一人は『これまで日本に生きてきて、これほどの侮辱を受けたことはない』と憤りをメールにつづっている。そもそも在日韓国・朝鮮人の特別永住者が日本人より優遇されている『特権』などない。むしろ、就職や結婚などをめぐる隠然とした差別が日本には存在し続けている」と指摘している。

警察の警備も以前は全くおざなりだったが、最近は真剣になってきたようだ。右翼の勝手放題を許しておくと警察批判が高まると判断したのだろう。卑劣なヘイト・クライムを許さない世論をさらに高めていく必要がある。

Wednesday, January 13, 2010

強制連行は人道に対する罪(2)

雑誌「統一評論」531号(2010年1月)

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ヒューマン・ライツ再入門⑬

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 前回述べたように、追放や強制移送は、一定の要件を備えれば人道に対する罪に当たる。国際刑事裁判所(ICC)規程第七条第一項は、人道に対する罪について次のように規定する(直接関連する部分のみ引用)

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1 この規程の適用上、「人道に対する犯罪」とは、文民たる住民に対する攻撃であって広範又は組織的なものの一部として、そのような攻撃であると認識しつつ行う次のいずれかの行為をいう。

(c)奴隷化すること。

(d)住民の追放又は強制移送

(g) 強姦、性的な奴隷、強制売春、強いられた妊娠状態の継続、強制断種その他あらゆる形態の性的暴力であってこれらと同等の重大性を有するもの

(i)人の強制失踪

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 日本軍性奴隷制(「慰安婦」)問題は、従来、主に右の(c)や(g)との関連で検討されてきた。本稿では(d)について検討する。

なお、(i)についても従来は検討されてこなかったように思われるが、事案によっては、残された家族にとって「人の強制失踪」と言うべき場合もあったのではないだろうか。強制失踪に関する宣言なども検討する必要があるかもしれない。

以下では、第一に、(d)についての学説を紹介して、強制移送概念を明らかにする。第二に、(c)の奴隷化と(d)の強制移送との関連について検討する。第三に、「戦争犯罪としての追放」と「人道に対する罪としての追放又は強制移送」の関係も見ておこう。第四に、強制労働条約における強制労働概念等との関連を見る。以上によって、「人道に対する罪としての強制移送」の法的性格を明らかにしたい。

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強制移送概念

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 第一に国際刑法学説において、追放又は強制移送についてどのように述べられているかを確認しよう。

元・旧ユーゴスラヴィア国際刑事法廷(ICTY)所長でフローレンス大学教授であるアントニオ・カッセーゼの論文「人道に対する罪」(カッセーゼ、パオラ・ゲータ、ジョン・ジョーンズ編『国際刑事裁判所ローマ規程:注釈』(オクスフォード大学出版、二〇〇二年)は、住民の追放又は強制移送は、国際法上許容される理由なしに、排除又はその他の強制行為により、人が合法的に存在する地域からその者を強制的に退去させることとしている(ICC規程第七条二項d)。カッセーゼは、さらに、ICC規程の解釈のために作成された『犯罪の成立要素』では、追放又は強制的に移送された人が、彼らがそこから追放又は強制移動された地域に合法的に存在していたこと、および実行者がその者らが合法的に存在していたことを示す事実条件を知っていたことが追加されている、と述べている。

カッセーゼは以上のことしか述べていないが、逆に言えば、その者らが非合法に存在していた場合、あるいは実行者がその者らが非合法に存在していると認識していた場合には、この罪は成立しない可能性があることになる。

 ICTY法務職員のアレクサンダー・ザハールとアムステルダム大学教授のゲラン・スルイターの共著『国際刑法』(オクスフォード大学出版、二〇〇八年)は、人道に対する罪の概念が、迫害やその他の非人道的行為のように広範なものとなってきたことに関連して、追放や強制移送についても概念が広範で不明確であるという批判があることに言及している。ザハールとスルイターによると、クラジスニク事件ICTY判決で、追放と強制移送は、合法的にその場所に存在している人を、国際法上許容される理由なしに、強制的に退去させることとされているという。一定の条件がある場合には、強制的に移動することが許される。例えば、ジュネーヴ諸条約第三条約第一九条は、捕虜を戦闘地域から離れた収容所に後送しなければならないと定めている。第四条約第四九条は、被保護者の強制移送や追放を禁止しているが、同条第二文以下では、住民の安全又は軍事上の理由のため必要とされるときは移送を認めている。クラジスニク事件判決によると、「強制」には、暴力の恐怖、不法拘禁、心理的抑圧その他脅迫のような状況が、その場所に留まる選択肢を少なくし、その地域から去らなくてはならないような環境をつくり出す条件が含まれるとしている。また、法律上の国境を越える場合だけでなく、一定の条件のもとでは、事実上の国境を越える場合も含まれるとしている(クラジスニク事件判決パラグラフ七二三~七二六)。ただし、シュタキッチ事件判決は、この点では異論を提示している。

 オーストラリア赤十字財団教授のティモシー・マコーマックの論文「人道に対する罪」(ドミニク・マクゴルドリク、ペーター・ローウェ、エリック・ドネリー編『常設国際刑事裁判所』ハート出版、二〇〇四年)は、追放又は強制移送を人道に対する罪に含めることについては、ICC規程を作成したローマ外交官会議においても、論争があったという。この規定の最終条項は不明確であるとして、もっとも強く反対したのはイスラエル政府代表である。しかし、人道に対する罪に追放を含めることは、ニュルンベルク裁判条例および東京裁判条例という前例があり、ICTYおよびICTRでも同様であったので、追放を人道に対する罪に含めることは国債慣習法において熟していないという主張は採用されなかった。すべての国際文書が追放を人道に対する罪に含めていたが、強制移送を含めたのはICC規程が最初であるのは確かである。もっとも、アパルトヘイト条約がすでに追放と強制移送を並べていた。以上を確認して、マコーマックは、追放はふつうある国家から他の国家へ国境を越えて人を強制移動させることであり、強制移送はある国家の国境内である地域から他の地域へ強制移動させることであるとする。外交官会議でイスラエル政府は、草案で「移動(movement)」という用語が用いられていることを嫌い、排除(expulsion)又は移動(displacement)に代えるよう主張した。規程第七条二項dは、最終的に「排除による移動(displacement by expulsion)」となった。この修正によっても、犯罪の成立要素が必ずしも明確ではないとして、イスラエル政府は結局、留保の意思表示をしているという。マコーマックによると、イスラエル政府は、西岸やガザ地区からパレスチナ人を強制的に追放(expel)しており、追放された人々が文民であり、それが国家政策として遂行されているため、理論的には、イスラエル国民が人道に対する罪に問われる可能性がある。この犯罪の被害者は、「国際法上許容される理由なしに、合法的に存在する地域」から強制的に追放されたのでなければならない。ここには、「国際法上」という基準と、「合法的に」という国内法的基準という二つの基準が明示されている。この点は、人道に対する罪としての拷問の規定では国内法基準のみが示されているのと対照的であるという。イスラエル政府が気にかけているのは、追放の理由の判断に際して、国内法基準だけではなく、国際法基準が採用されることである。自国の国内法に基づいて実行された政策にもかかわらず、犯罪であるとして責任を問われる可能性がある。マコーマックは、国際刑法の発展や、第二次大戦後のニュルンベルク裁判のために考案された罪であることを考えると、イスラエルが新しい国際刑事裁判所の強力な支持者となっていないことは悲しい皮肉であると述べている。

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奴隷化と強制移送

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 人道に対する罪としての奴隷化と人道に対する罪としての追放又は強制移送は、明確に区別されている。国際法上の奴隷概念は一九二六年の奴隷条約によって規定されてきたのに対して、追放又は強制移送概念はナチス・ドイツによるユダヤ人追放又は強制移送が契機となって国際法に取り入れられた。その意味で歴史的に明らかに異なる概念である。

 奴隷条約は奴隷と奴隷取引を掲げている。

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奴隷条約第一条 この条約の適用上、次の定義に同意する。

1 奴隷制度とは、その者に対して所有権に伴う一部又は全部の権能が行使される個人の地位又は状態をいう。

2 奴隷取引とは、その者を奴隷の状態に置く意思をもって行う個人の捕捉、取得又は処分に関係するあらゆる行為、その者を売り又は交換するために行う奴隷の取得に関係するあらゆる行為、売られ又は交換されるために取得された奴隷を売り又は交換することによって処分するあらゆる行為並びに、一般に、奴隷を取り引きし又は輸送するすべての行為を含む。

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 右のように、奴隷と奴隷取引概念は非常に幅広いので、追放又は強制移送との関係が問題となりうるが、これまでの国際刑法テキストにおいて両者の関係を問う記述を見出すことはできない。おそらく、主な関心の向けられ方が異なるため、両者の関係を問う必要のあるような事例が国際刑事裁判に登場したことがないのかもしれない。

 しかし、アウシュヴィッツに強制移送されたユダヤ人は、選別されて殺害されることもあれば、収容所で強制労働させられ奴隷とされた場合もある。日本軍性奴隷制や朝鮮人・中国人強制連行・強制労働の被害者も、奴隷化の被害者であると同時に、追放又は強制移送の被害者であったこともありうるのではないか。追放又は強制移送を手段とする奴隷化という事例もあったのではないか。もちろん、「その者を奴隷の状態に置く意思をもって」行われた行為でなければ奴隷取り引きには当たらないので、犯罪の主観的要件が異なる。二つの行為が手段・結果関係に当たる場合、あるいは外形的行為が明瞭に区別できない場合、主観的要素をどのように把握するかによって、奴隷化として理解するのか、追放又は強制移送として理解するのか、結論が分かれることになりそうである。

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戦争犯罪としての追放

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 ICC規程第八条第二項(a)(vii)は「不法に追放し、移送し又は拘禁すること」を戦争犯罪としている。これは、一九四九年のジュネーヴ諸条約の重大な違反行為としての戦争犯罪の規定である。同条第二項(e)(viii)は「紛争に関連する理由で文民たる住民の移動を命令すること(当該文民の安全又は軍事上のやむを得ない理由が絶対的に必要とする場合を除く。)」として、非国際的紛争における戦争犯罪を定めている。

 戦争犯罪と人道に対する罪の大きな差異は、人道に対する罪の敷居要件である「文民たる住民に対する広範な又は組織的な攻撃の一部として、当該攻撃の認識とともに行われた」にある。追放や移送という概念は、人道に対する罪では「住民の追放又は強制移送」であり、戦争犯罪では「不法に追放し、移送し」「住民の移動を命令すること」であるが、基本的には同じ意味を有するといえよう。

赤十字国際委員会法律顧問のクヌート・デルマン『国際刑事裁判所ローマ規程における戦争犯罪の成立要素』(ケンブリッジ大学出版、二〇〇二年)によると、ICC準備会議において、「不法に追放し又は移送し」は、ジュネーヴ諸条約第四条約第一四七条は、第四九条と結びつけて理解されるべきであり、すべての強制移送が禁止されているので、占領地内における強制移送や占領地からの強制移送もこれに当たるという。また、準備会議において、追放又は移送とは、合法的に存在した地域からの追放又は移送であり、その点で人道に対する罪としての追放又は強制移送と同じであると指摘されていたという。さらに、デルマンによると、戦争犯罪としての追放又は移送が取り扱われた国際刑事裁判事例はないが、ICTYにおけるコヴァセヴィッチ事件において、検察官が、「被告人とその部下が、保護された者をその者が存在した地域から、その地域の外へ不法に追放又は強制移送した」と述べていたという。ICTYにおけるシミッチ事件においても、検察官は、「被害者が、合法的に存在していた地域から、その地域の外に不法に追放又は移送された」と述べていた。

さらに、検察官は、第四条約四九条の主な目的は大量の住民の移動を禁止することであったが、同時に個人の追放又は移送も禁止している、すべての形態の文民の強制移動が禁止されていると主張していた。デルマンによると、ICTYのクルシュティチ事件判決において人道に対する罪としての追放と強制移送が取り上げられた際に、やはり同様に第四条約第四九条を参照して判断が行われたという。

 さらに、デルマンによると、クルシュティチ事件判決において、ICTYは住民の移送の強制的性格について次のように判断した。第四九条の赤十字国際委員会の注釈によると、差別の恐怖に動機付けられて退去したことは、必ずしも法の違反ではない。すべての種類の移送が絶対禁止されているのではなく、移送される者の同意の有無がポイントとなる。差別や迫害に悩んでいて、それゆえに当該国家を立ち去った民族的又は政治的少数者に属する保護された者の事例が検討対象であった。任意の移送は正当化され、強制移送だけが禁止される。「『強制的に』という語句は、物理的な力に限定されず、その者に対する又は他の者に対する、実力の脅迫又は威圧、すなわち、暴力、束縛、拘禁、心理的抑圧又は権力乱用の恐怖によって惹き起こされた、又は威圧的環境に乗じてなされたものを含む」と判断された。本人に「純粋な選択」の余地があったか否かが重要である。

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強制労働と強制移送

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 一九三〇年の強制労働条約との関係も見ておく必要がある。第一に、奴隷化と同様に、追放又は強制移送と強制労働とが手段・結果関係になることがありうる。さらに第二に、強制労働条約自体が、人の移動に言及している。

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強制労働条約第一一条第一項(d) 夫婦及家族ノ関係ヲ尊重スルコト

同条約第一六条 1 特殊ノ必要ノ場合ノ外強制労働ガ強要セラルル者ハ食物及気候ガ其ノ慣レタルモノト著シク異ルガ為其ノ健康ヲ害スルガ如キ地方ニ移送セラレザルベシ

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 強制労働条約は、一九三〇年当時の古い条約であり、一八歳以上四五歳以下の成年男子に限って、一定の条件の下での強制労働を認めていた。いくつか確認しておこう。

 第一に、強制労働条約は女性の強制労働を全面禁止していた。かつて、日本政府は、同条約第二条第二項(d)の緊急時の例外規定を持ち出して日本軍性奴隷制の責任回避を図ったことがあるが、緊急時の例外であっても強制労働が許されたのは成年男子だけである。

 第二に、強制労働条約第二一条は、「鉱山ニ於ケル地下労働」の強制を禁止していた。

 第三に、強制労働条約は、第一二条で強制労働の期間を六〇日に限定していた。第一四条は適正な報酬支払いを定め、第一五条は労働災害への対策も必要としていた。日本による朝鮮人・中国人強制労働は、これらの条件も満たしていなかったことが多いといえよう。

 その意味で、朝鮮人・中国人強制連行・強制労働は、奴隷化、強制労働、そして追放又は強制移送の概念と深く結びついている。

強制連行は人道に対する罪(1)

雑誌「統一評論」530号(2009年12月)

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ヒューマン・ライツ再入門⑫

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「慰安婦」問題の議論

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 今回は国際法における強制連行概念を検証するために、「人道に対する罪としての追放・強制移送」を取り上げる。その問題意識は次の通りである。

 日本軍性奴隷制(「慰安婦」)問題をめぐる議論は、一九九〇年代初頭以来二〇年になるというのに、法理論的検討が十分になされたとはいえない。各地の裁判所における「慰安婦」訴訟の闘いがあり、弁護団の精力的な努力があり、国連人権機関での議論と勧告も相次いだが、いまだ手薄な法理論分野を補う必要がある。

 「慰安婦」強制連行が日本刑法における国外移送目的誘拐罪にあたることはすでに明らかにした(本連載⑩)。

 国際人道・人権法領域に目を転じると、奴隷の禁止、強制労働条約違反、醜業条約違反、戦争犯罪、人道に対する罪についての検討が積み重ねられてきた。その基本部分は、国連人権委員会のラディカ・クマラスワミ「女性に対する暴力特別報告者」報告書、国連人権小委員会のゲイ・マクドゥーガル「戦時性奴隷制特別報告者」報告書、二〇〇〇年に開催された女性国際戦犯法廷判決(二〇〇一年のハーグ判決)などですでに確立していた。軍隊性奴隷制、戦時性奴隷制の法概念が明確になった。自由権規約委員会(本連載①)、国連人権理事会の普遍的定期審査(本連載③)、女性差別撤廃委員会(本連載⑪)の諸勧告も、こうした議論の成果である。

 こうして見ると、人道に対する罪については、奴隷制、性奴隷制に力点が置かれていることがわかる。

 他方、「人道に対する罪としての追放・強制移送」についての研究はまだ手薄ではないだろうか。「慰安婦」強制連行をめぐって議論が百出したにもかかわらず、「人道に対する罪としての追放・強制移送」についての研究がさほど見られないのはなぜであろうか。奴隷制の解明に力が注がれたためであろうか。

 「慰安婦」被害は、強制連行、人身売買、国外移送目的誘拐、暴行・傷害、脅迫、監禁、奴隷制・性奴隷制、強制労働、強制売春など数々の複合的な犯罪によって生じている。

その中で、強制連行をめぐる議論は長期にわたってえんえんと論じられたにもかかわらず、実は「強制連行」概念の解明には向かわなかった。

奴隷制には、「奴隷」だけではなく「奴隷取引」が含まれる。また、強制連行・強制労働をめぐって強制連行も議論の対象となったが、悲惨で劣悪な労働条件に注目があつまり、強制連行概念の確立には至っていないように見える。

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日弁連勧告

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 強制連行を人道に対する罪の観点で考察した例もある。

例えば、二〇〇二年一〇月二五日の日本弁護士連合会の「朝鮮人強制連行・強制労働被害者人権救済申立事件調査報告書」は、長野県天竜村の平岡発電所建設現場への強制連行・強制労働事件について、強制労働条約(ILO二九号条約)、奴隷条約及び国際慣習法としての奴隷制の禁止について検討した上で、さらに「人道に対する罪」にあたる行為であるとする長いが引用しておこう。

(1)『人道に対する罪』は、第二次世界戦後ニュールンベルク国際軍事裁判所条例及び極東軍事裁判所条例において初めて実定化された戦争犯罪である。

(2)ニュールンベルク国際軍事裁判所条例第項(c)は、『人道に対する罪』を次のように定義している。

『戦争前または戦争中の全ての一般人民に対する殺人、絶滅的な大量殺人、奴隷化、強制的移動その他の非人道的行為、若しくは犯罪の行われた国の国内法に違反すると否とに関わらず、本裁判所の管轄に属するいずれかの犯罪の遂行のために行われ、またはこれに関連して行われたところの、政治的・人種的又は宗教的理由に基づく迫害行為』

 また、極東軍事裁判所条例第項(c)も『宗教的』という語を除いただけで上記文言と同じである。

 一九四六一二一一日の国連総会決議は、『ニュールンベルク裁判所条例及び当該裁判所判決で認められた国際法の諸原則を再確認』し、これらの諸原則はその後定式化され、一九五〇年の国連総会に報告されている。

 (3)極東軍事裁判所条例第項(c)は、中国人強制連行に関する軍事法廷において適用されている。

 すなわち、秋田県花岡の中国人強制連行に関する軍事法廷(横浜第軍司令部)では、中国人強制連行事件の弁護人からの再審理中立に対し、つぎのような意見で立を退けている。

 『弁護人は、この収容所における中国人は、自由契約戦争労働者であるという理由で、裁判所の管轄権に再度疑問を投げかけようとしている。前掲一九四五一二五日連合国司令部書簡パラグラフ2、b(1)(c)は、絶滅的な大量殺人、奴隷化、強制的移動その他の民間住民に対する非人道的行為・・・の犯罪に関する管轄権を定めている。』(一九四九日付法務部長再審査書八二頁)

 このことは、強制連行事案に『人道に対する罪』が適用され得ることを現わしている。

(4)前記認定した事実に照らすならば、本件強制連行及び強制労働は、上記一般人民に対する非人道的行為であることは明らかであるから、上記『人道に対する罪』に違反する人権侵害行為であるといえる。

 以上が日弁連調査報告書における人道に対する罪に関する記述である。朝鮮人強制連行・強制労働が人道に対する罪にあたることが端的に確認されている。正当な見解である。

 もっとも、人道に対する罪の法解釈が具体的に展開されているわけではない。

 第一に、日弁連報告書は「人道に対する罪」という一つの犯罪類型を前提としているように見える。しかし、人道に対する罪としての殺人、人道に対する罪としての奴隷化、人道に対する罪としての迫害は、それぞれ独立の犯罪であり、人道に対する罪としての追放・強制移送も独立の犯罪である。それゆえ、個別の成立要件の解釈が施される必要がある。

 第二に、人道に対する罪の基本性格を特徴付ける要素の検討もなされていない。日弁連報告書が引用しているニュルンベルク条例で言えば、「本裁判所の管轄に属するいずれかの犯罪の遂行のために行われ、またはこれに関連して行われたところの」とある点に関わる検討である。ここに「いずれかの犯罪」とあるのは、通例の戦争犯罪と平和に対する罪のことである。これらとの関連性が人道に対する罪の成立要件に加えられている。他方、国際刑事裁判所(ICC)規程で言えば、「文民たる住民に対する攻撃であって広範又は組織的なものの一部として」とある。こうした「敷居要件」の解釈を踏まえないと、人道に対する罪の成否を確定できない。

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人道に対する罪

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 「人道に対する罪としての追放・強制移送」の法解釈を明らかにするためには、第一に「人道に対する罪」の法解釈、第二に「強制移送」の法解釈を行う必要がある。

 まず、人道に対する罪である(人道に対する罪の歴史、条文の形成過程、基本的性格については、前田朗『戦争犯罪論』青木書店、同『民衆法廷の思想』現代人文社、同『人道に対する罪』青木書店など参照)。

一九九八年の国際刑事裁判所(ICC規程第七条第一項は、人道に対する罪について次のように規定する。

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1 この規程の適用上、「人道に対する犯罪」とは、文民たる住民に対する攻撃であって広範又は組織的なものの一部として、そのような攻撃であると認識しつつ行う次のいずれかの行為をいう。

(a)殺人

(b)絶滅させる行為

(c)奴隷化すること。

(d)住民の追放又は強制移送

(e)国際法の基本的な規則に違反する拘禁その他の身体的な自由の著しいはく奪

(f)拷問

(g) 強姦、性的な奴隷、強制売春、強いられた妊娠状態の継続、強制断種その他あらゆる形態の性的暴力であってこれらと同等の重大性を有するもの

(h)政治的、人種的、国民的、民族的、文化的又は宗教的な理由、3に定義する性に係る理由その他国際法の下で許容されないことが普遍的に認められている理由に基づく特定の集団又は共同体に対する迫害であって、この1に掲げる行為又は裁判所の管轄権の範囲内にある犯罪を伴うもの

(i)人の強制失踪

(j)アパルトヘイト犯罪

(k)その他の同様の性質を有する非人道的な行為であって、身体又は心身の健康に対して故意に重い苦痛を与え、又は重大な傷害を加えるもの

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従来「人道に対する罪」の訳語が定着していたが、日本政府訳=公定訳は「人道に対する犯罪」としている。不適切な訳語であるが、今後は「人道に対する犯罪」が用いられることになる。

 「慰安婦」問題は右の規定の(f)(g)(i)にも関連するが、「(d)住民の追放又は強制移送」が本稿の直接の対象である。だが、その前に冒頭の「敷居規定」の「文民たる住民に対する攻撃であって広範又は組織的なものの一部として、そのような攻撃であると認識しつつ行う次のいずれかの行為」の部分を検討しておかなければならない。人道に対する罪の基本性格が示されているからである。順に見ておこう。

 第一に「文民たる住民」である。ニュルンベルク憲章では「全て一般人民」となっている。軍隊構成員と文民たる住民の区別は国際慣習法で確立している。文民たる住民とその財産は、紛争時における加害から保護されなければならない。一九七七年のジュネーヴ諸条約第一追加議定書第四八条以下の諸規定が、文民保護を定めている。一九九三年の旧ユーゴスラヴィア国際刑事法廷(ICTY規程第五条は、人種、国籍、宗教などにかかわりなく、文民たる住民に対する犯罪としている。一九九四年のルワンダ国際刑事法廷(ICTR規程第三条は、文民たる住民は国民、政治、民族、人種又は宗教的理由、それゆえ差別的理由で攻撃されたことを要するとしている。文民には非戦闘員だけではなく、敵対行為にかかわらなくなった元戦闘員も含まれる。

 第二に「攻撃」である。ICC規程第七条第二項は(a)『文民たる住民に対する攻撃』とは、そのような攻撃を行うとの国若しくは組織の政策に従い又は当該政策を推進するため、文民たる住民に対して1に掲げる行為を多重的に行うことを含む一連の行為をいう」と述べる。二〇〇一年二月二二日クナラッチ事件ICTY判決によると、まず、攻撃がなければならない。実行行為がその攻撃の一部でなければならない。攻撃が文民たる住民に向けられていなければならない。攻撃が広範又は組織的でなければならない。実行者が、自己の行為が行われている文脈を知り、自己の行為が攻撃の一部であることを知っていなければならない。判決は「暴力行為の実行を含む一連の行為」としての攻撃を取り上げている。「一連の行為」とは、一定の時間に多くの行為が行われたことであり、単独の行為は含まれない。しかし、攻撃が文民たる住民に対する広範又は組織的な作戦の一部である場合、個人に対する単発の暴力行為も人道に対する罪となる。攻撃は必ずしも積極的物理的攻撃とは限らない。収容政策、アパルトヘイト、追放、差別は、暴力的でない行為の場合もありうる。暴力なのだが。

 第三に「広範又は組織的な攻撃」である。ICTY、ICTRおよびICC規程のもとでは、現実に集団が破壊されたことは必要ではなく、広範又は組織的な暴力政策がとられたことがポイントである。ICTR規程第三条やICC規程第七条と違って、ICTY規程第五条には「広範又は組織的な」という言葉がないが、これは必須要素である。一九九八年九月二日アカイェス事件ICTR判決によると、大きな、数多くの、大規模行為が多数の被害者に向けられたことが必要である。人道に対する罪は通常は国家やその他の組織集団によって行われる。政府の政策や計画によらない自然発生的行為は人道に対する罪には当たらない。二〇〇一年二月二二日コルディチ事件ICTY判決は、計画や政策の存在を不可欠と見ているが、二〇〇二年三月一五日クルノジェラッチ事件ICTY判決は、政策や計画は必ずしも国際慣習法上の要素ではないとしている。

 以上の要件を満たして行われた殺人、せん滅、追放・強制移送、迫害、拷問、アパルトヘイトなどが人道に対する罪に当たる。

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追放

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 次に、人道に対する罪としての追放・強制移送の歴史と成立要件を検討しよう。ICC規程採択後いち早く公刊された注釈書、オットー・トリフテラー編『ICCローマ規程注釈書』(ノモス出版、一九九九年)で人道に対する罪を執筆担当したクリストファー・ホールによると、「住民の追放又は強制移送(deportation or forcible transfer of population)」は、次のように説明されている。

 この用語は、国際法においてつねに使用されてきたわけではないが、両者を次のように区別すべきことは共有されている。追放は「人々をある国から他の国へ強制的に移動させること」、強制移送は「人々を同じ国のある地域から他の地域へ強制的に移動させること」である。ICC規程は追放と強制移送を明示的に区別していないが、この区別は一般的に共有されている。国境を越えたか否かという点では、越えても越えなくても、いずれも人道に対する罪にあたる。

 追放が最初に問題となったのは第一次世界大戦であり、国家や占領地域から外国人や自国民を追放(expulsion)することが国際非難を呼び起こした。ギリシアとトルコの間の強制住民交換がローザンヌ条約によって実際に求められた。当時はアルメニア・ジェノサイドも生じており、住民の追放が国際問題となっていた。第二次大戦直後、連合国も、東欧および中欧諸国からドイツ民族、ドイツ国民の追放を認めた。しかし、ニュルンベルク憲章採択以来、追放が禁止され、自国民や外国人を国境を越えて強制的に追放することは、国家領土でも占領地域でも人道に対する罪とみなされるようになった。

 追放・強制移送を人道に対する罪とした国際規範としては、ニュルンベルク憲章(条例)第六条(c)、連合国管理委員会規則第一〇号第二条一項(c)、東京裁判憲章(条例)第五条(c)、ニュルンベルク原則第六原則(c)、一九五四年の人類の平和と安全に対する罪の法典草案第二条一項、一九七三年のアパルトヘイト条約第二条(c)、一九九三年のICTY規程第五条(d)、一九九四年のICTR規程第三条(d)、一九九六年の人類の平和と安全に対する罪の法典草案第一八条(g)がある。

国際人権文書も、国民の追放が国際法に違反する条件を定義している。

世界人権宣言第九条「何人も、ほしいままに逮捕、拘禁、又は追放されることはない」。

同第一三条「すべて人は、各国の境界内において自由に移転及び居住する権利を有する。2.すべて人は、自国その他いずれの国をも立ち去り、及び自国に帰る権利を有する」。

同第一五条「すべて人は、国籍をもつ権利を有する。2.何人も、ほしいままにその国籍を奪われ、又はその国籍を変更する権利を否認されることはない」。

国際自由権規約第一二条四項「何人も、自国に戻る権利を恣意的に奪われない」。

 欧州人権条約第四議定書第三条、米州人権条約第二〇条、第二二条五項、アフリカ人権憲章第一二条二項も同様の趣旨の規定を有する。

次の規定は外国人の追放も禁止している。国際自由権規約第一三条「合法的にこの規約の締約国の領域内にいる外国人は、法律に基づいて行われた決定によってのみ当該領域から追放することができる。国の安全のためのやむを得ない理由がある場合を除くほか、当該外国人は、自己の追放に反対する理由を提示すること及び権限のある機関又はその機関が特に指名する者によって自己の事案が審査されることが認められるものとし、この為にその機関又はその者に対する代理人の出頭が認められる

 欧州人権条約第四議定書、米州人権規約第二二条六項、アフリカ人権憲章第一二条四項、五項なども同様である。

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強制移送

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 強制移送を禁止した国際文書は、一九一九年の平和会議報告書と一九七三年のアパルトヘイト条約であり、同じ国家内での住民の強制移送を人道に対する罪としている。

 同様に、国内移送は、限られた条件のもとでの一時的なものを除いて、国際人道法のもとで禁止されている。

 ジュネーヴ諸条約第四条約第四九条は、長いが全文引用しておこう。「1.被保護者を占領地域から占領国の領域に又は占領されていると占領されていないとを問わず他の国の領域に、個人的若しくは集団的に強制移送し、又は追放することは、その理由のいかんを問わず、禁止する。2.もっとも、占領国は、住民の安全又は軍事上の理由のため必要とされるときは、一定の区域の全部又は一部の立ちのきを実施することができる。この立ちのきは、物的理由のためやむを得ない場合を除く外、被保護者を占領地城の境界外に移送するものであってはならない。こうして立ちのかされた者は、当該地区における敵対行為が終了した後すみやかに、各自の家庭に送還されるものとする。3.前記の移送又は立ちのきを実施する占領国は、できる限り、被保護者を受け入れる適当な施股を設けること、その移転が衛生、保健、安全及び給食について満足すべき条件で行われること並びに同一家族の構成員が離散しないことを確保しなければならない。4.移送及び立ちのきを実施するときは、直ちに、利益保護国に対し、その移送及び立ちのきについて通知しなければならない。5.占領国は、住民の安全又は緊急の軍事上の理由のため必要とされる場合を除く外、戦争の危険に特にさらされている地区に被保護者を抑留してはならない。6.占領国は、その占領している地域へ自国の文民の一部を追放し、又は移送してはならない。

 さらに、ジュネーヴ諸条約第二選択議定書第一七条一項は次のように規定する。「文民たる住民の移動は、その文民の安全又は絶対的な軍事上の理由のために必要とされる場合を除くほか、紛争に関連する理由で命令してはならない。そのような移動を実施しなければならない場合には、文民たる住民が住居、衛生、保健、安全及び栄養について満足すべき条件で受け入れられるよう、すべての可能な措置がとられなければならない。」

フランシス・デン国連事務総局代表が準備した「国内移送に関するガイド諸原則」は、領土内での人の恣意的移送を禁止している。その第七原則と第八原則は、国際法によって移送が許される場合についても、守られるべき安全措置を明示している。

さらに、次の諸規定がある。

世界人権宣言第一三条一項「すべて人は、各国の境界内において自由に移転及び居住する権利を有する

国際自由権規約第一二条一項「合法的にいずれかの国の領域内にいるすべての者は、当該領域内において、移動の自由及び居住の自由についての権利を有する

同条三項「1及びの権利は、いかなる制限も受けない。ただし、その制限が、法律で定められ、国の安全、公の秩序、公衆の健康若しくは道徳又は他の者の権利及び自由を保護するために必要であり、かつ、この規約において認められる他の権利と両立するものである場合は、この限りでない

欧州人権条約第四議定書第二条一項、三項、米州人権条約第二二条一項、三項、四項も同様である。

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国内移送も国際犯罪

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 以上のように、追放と強制移送は、国際法に違反する重大な犯罪であり、人道に対する罪として位置づけられている。その成立要件を見ていこう。

 ICC規程第七条第二項は(d)『住民の追放又は強制移送』とは、国際法の下で許容されている理由によることなく、退去その他の強制的な行為により、合法的に所在する地域から関係する住民を強制的に移動させることをいう」とする

 一般的な用例としては、追放は、文民たる住民を自宅(故郷)から他の場所へと強制的に移動・避難・疎開させることである。クレア・ド・ザンとエドウィン・ショート『国際刑法と人権(トムソン出版、二〇〇三年)は、追放と強制移送の関連を問う。クルシュティチ事件では、一九九五年七月一二・一三日に、約二万五〇〇〇人のボスニア・ムスリムの女性、子ども、高齢者がスレブニツァの外に強制的に移動させられ、バスでボスニアの他の地域に移送された。二〇〇一年八月二日クルシュティチ事件ICTY判決によると、追放も強制移送も、住民が居住している地域からの、任意によらない不法な移動に関連するが、国際慣習法では両者は同意語ではない。追放は国境を越えた移動を予定し、強制移送は国内での移動に関連するとしている。ただし、すべての追放や強制移送が不法というわけではない。自然災害などで、住民の財産や安全を守るために行われる場合もあるからである。移動が不法となるのは、危険な状況が過ぎ去っても自宅に戻ることが許されない場合である。国内移送であっても国際社会の重大な関心事項となる場合には、人道に対する罪に当たる。