Thursday, September 15, 2016

ヘイト・スピーチ研究文献(68)『ヘイトスピーチはどこまで規制できるか』

LAZAK編『ヘイトスピーチはどこまで規制できるか』(影書房)
在日コリアン弁護士協会(LAZAK)が15年12月5日開催したシンポジウムの記録である。私も一参加者としてシンポジウムの議論を聞いたが、正直言ってがっかりした。改めて本書を読んだが、同じ感想を持たざるを得なかった。
冒頭、板垣竜太「日本のレイシズムとヘイトスピーチ」は、日本の歴史と社会におけるレイシズムを、国家論も射程に入れて概説したすぐれた報告であった。続いて、在日コリアンの弁護士たちが、被害実態調査の結果を紹介し、京都朝鮮学校襲撃事件判決を解説し、アメリカにおけるヘイトクライム規制について詳細に報告している。いずれも優れた報告である。特にアメリカにおけるヘイトクライムの研究は有益である。
続くパネルディスカッション「ヘイトスピーチはどこまで規制できるか」は、板垣竜太、木村草太、金哲敏、金竜介、李春煕による討論であるが、ここ数年間の議論の蓄積を無視した議論になっていると言わざるを得ない。師岡康子『ヘイトスピーチとは何か』、金尚均編『ヘイトスピーチの法的研究』をはじめとする議論の蓄積がなかったかのようにされている。私が『ヘイト・スピーチ法研究序説』等で唱えてきた基本命題は、理由も示さずに、丸ごと否定されている。LAZAKには知り合いも多いだけに、残念。
例えば、歴史論と憲法論とが無関係に並列されているため、前半の板垣報告が憲法論に反映していない。つまり、日本国憲法の歴史的性格と基本原則を憲法解釈に取りいれる方法論が示されていない。私が執拗に唱えてきた憲法前文と憲法12条の意義が顧みられることがない。憲法21条の表現の自由論における人格権及び民主主義に関する基本認識が
語られない。レイシズムは民主主義と両立しないことを踏まえない議論に終わっている。要するに小手先の法解釈論しか出てこない。
一点、評価すべきは、「ヘイトスピーチ事例の分類表」「論点整理票」などの具体化である。