Tuesday, February 24, 2009
Thursday, February 19, 2009
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Monday, February 16, 2009
非武装・中立のオーランド(3)
一九二一年、国際連盟裁定によってバルト海のオーランド諸島(フィンランド)は非武装・中立・自治の島になった。それ以来、自治政府と島民は、非武装・中立・自治を維持するために長期にわたって努力を続けてきた。自治政府は国連欧州本部などで平和セミナーを主催してきた。オーランド平和研究所は欧州における平和研究センターとなり、平和学に貢献を続けている。
欧州の非武装
非武装・中立と言葉が並べられがちであるが、両者は歴史的にも法的にも異なる概念である。
オーランド平和研究所の委託を受けて調査を行ったクリスタ・アールストレームによると、非武装や中立の一般的な法的定義はなく、経験的研究による必要があるという。非武装とは、国家領土における軍事力の質的量的縮減であるが、無期限なのか一定期限付きなのか、いかなる原因によって設定されるのかもさまざまである。
他方、中立は、もともとは戦時に適用される。一定領域において軍事行動を行わないことであり、軍事基地を設置しないことではない。中立地域にも軍事施設を置くことはありうる。中立の時期は武力紛争(戦争)開始から終結までである。
非武装と中立を同時に採用した事例は欧州においても見られるが、通常は切り離されている。
アールストレームによると、非武装概念は一八世紀後半から一九世紀において、一定施設から一定地理領域を含むようになった。一八〇六年、フランス・バヴァリア講和条約によってティロル地方が非武装化され、一八一五年、オーストリア・プロイセン・ロシア条約によってクラコウが中立とされ、同年のウィーン条約によってフランスのシャブレが中立とされた。この時期の非武装や中立の法的性格はあいまいである。監視機関も紛争解決機関もなかった。多くは紛争後に、勝者が敗者に強制していた。
一九〇五年以後、両概念はいっそうあいまいになった。スウェーデン・ノルウェーのカールシュタット条約は信頼構築を目的としていた。
第一次大戦後、非武装概念が重要な役割を演じた。一九一九年、ヴェルサイユ条約によって、ドイツのラインラント、ザールラント、ヘルゴラント島、デューン島、バルト海沿岸が非武装とされた。ドイツの弱体化が目的であった。チェコスロヴァキアは独立を認められたが、サンジェルマン講和条約によってブラティスラヴァ南部のダニューブ右岸は非武装とされた。一九二〇年、ノルウェーはスピッツバーゲン諸島の領有を認められたが、同時に非武装中立とされた。
第二次大戦後、非武装は再び紛争解決手段となった。ドイツの非武装化に続いて、キプロスの非武装化、後には旧ユーゴスラヴィアについてボスニア・ヘルツェゴヴィナの安全地帯化も行われた。
非武装を支える力
アールストレームによると、これまで欧州では六〇を超える非武装と中立の事例が存在したが、現在も続いているのはオーランド以外には九箇所にすぎないという。
ウナンゲ(フランス、非武装、一八一五年パリ条約)
コルフ島・パゾワ島(ギリシア、非武装、一八六三年ロンドン条約)
レムノス島(ギリシア、非武装、一九一四年ロンドン条約)
ミティレネ、チオス、サモス、ニカリア諸島(ギリシア、非武装、一九一四年ロンドン条約)
スピッツバーゲン諸島(ノルウェー、非武装中立、一九二〇年パリ条約)
ペラゴサ諸島(クロアチア、非武装、一九四七年パリ条約)
ドデカネセ諸島(ギリシア、非武装、一九四七年パリ条約)
ブルガリア・ギリシア国境(ブルガリア、非武装、一九四七年パリ条約)
ピンク・ゾーン(クロアチア、非武装、一九九二年ヴァンス計画)
この他にボスニア紛争後、国連安保理事会がサラエヴォに「重武器排除地域」、スレブレニツァやゼパに「安全地域」などを設定しているが、非武装とまではいえないようである。
なぜ多くの非武装や中立が消えてなくなったのか。アールストレームは、原因となる文書(条約)の性質、当該地域設定の法的性質、各地の具体的状況の相違を考慮しつつ、第一に、当該領域を支配することになった新しい主権(国家)が非武装や中立を尊重したか否か。第二に、当該地域住民が非武装や中立に意義を見いだし、支える力となったか否かを検討し、現代軍事テクノロジーの発達によって非武装・中立の効果が見直されていることに注目している。
オーランドは、欧州で非武装・中立に加えて住民自治を獲得している唯一の地域である。クラコウ、ザールラント、ダンツィヒもかつては非武装・中立であったが、オーランドとどこが違うのか。アールストレームは、次のように述べている。
「オーランド諸島の法的地位に関する明白な特徴は、地域住民の間に非武装・中立を保持することへの高い尊重である。オーランドの法的地位を変更しようとする提案は、住民による断固たる反対に出会ってきた。両者の法的な連結は強いわけではないが、住民は、自治と島の軍事利用の制限を『切り離せない一体のもの』として理解している。」
スウェーデンとフィンランドの二国間関係、自治を尊重せざるを得ないフィンランドの政策、バルト海周辺諸国の利害も含めて、オーランドの非武装・中立が続いてきた。
今日、オーランドは国家ではないにもかかわらず、北欧委員会に代表を送り、北欧協力機構にも参加している。一九九五年のフィンランドの欧州連合(EU)加盟に際してもオーランドの非武装・中立条項が確認されている。オーランドの関税特権も認められた。国際的承認は確固たるものとなってきた。
平和学においては、紛争解決のための「オーランド・モデル」が語られている。歴史や地理、政治的状況はさまざまであるから、同じ方式をそのまま適用することができるというわけではないが、紛争当事国がオーランド・モデルを参考にしながら平和構築を模索することによって、紛争予防や解決を促進することができる。
なお、オーランド政府のスザンヌ・エリクソンによると、今後、フィンランドのNATO加盟問題などが生じれば、オーランドの非武装・中立は大きな試練にさらされることになる。
(「月刊社会民主」2009年1月号」
非武装・中立のオーランド(2)
バルト海のオーランド諸島(フィンランド)は、一八五六年、パリ講和協定により非武装化が決定され、戦争で破壊されたロシア軍のボーマルスン要塞は放置された。一九二一年、国際連盟の裁定により周辺諸国がオーランド諸島非武装中立化協定を締結した。オーランドは非武装・中立・自治の島になった。
基礎としての住民権
首都マリエハムンの中心にあるオーランド自治政府庁舎は、日本のどこにでもある市役所のような建物だ。ただし、主棟の屋上にはためいているのはフィンランド国旗ではなく、オーランド島旗である。最初はスウェーデン国旗に類似したデザインを採用したが、さすがにフィンランド政府から苦情が出て、一九五四年、現在の青地に黄と赤の十字架のデザインになった。一目で北欧風の旗とわかる島旗は、政府の建物はもちろん船舶や遊覧船にも掲げられている。政府の隣にはオーランド美術館があり、展示はすべてオーランド独自の歴史と文化を強調している。
アーキペラーゴ(群島)のため、政府庁舎の裏手に出ると小さな入江に海水浴場があり、子どもたちが水遊びをし、大人は日光浴を楽しんでいる。北欧の夏の午後の陽射しは柔らかで暖かい。しばらく砂浜に座っていると、隣で本を読んでいた水着姿の女性が立ち上がると、水着の上にシャツを着て靴も履かずに自転車に乗って走り去った。その間、僅か十秒だ。町の中心に海水浴場があるので、気軽に日光浴に来られるのだろう。
フィンランド政府は領有権を確保するためにオーランドの自治権を認めた。スウェーデン編入を求めていた住民は当初は落胆したが、やがて非武装・中立・自治の島にアイデンティティを見出し、自治権の確立に力を注ぐようになった。その結果、自治権三〇周年の一九五一年に、新しい自治法が制定された。その後の社会発展に伴って数次の改正を見ているし、特に一九九一年に大きな改正が施されたが、オーランド自治権の基本は一九五一年自治法によって確立したと考えられている。
自治権の基礎にすえられたのが住民権である(自治法六条~一二条)。住民権には、選挙権、被選挙権、不動産取得権、営業権が含まれる。住民権がなければ、島での不動産取得も店舗の営業も困難である。住民権は、両親のいずれかが住民権を有している子ども、またはフィンランド国籍を保有し、オーランドに合法的に五年以上居住し、かつスウェーデン語の十分な能力のある者に認められる。逆に五年以上外に居住すると住民権が失われる。
公用語はスウェーデン語である(自治法三六条)。フィンランドの公用語はフィンランド語とスウェーデン語だが、フィンランド語とスウェーデン語は文法構造がまったく異なる別の言語である。英仏独語の間のような類似性がないという。
フィンランド政府とオーランド自治政府の協議、フィンランド政府から送付する文書、フィンランドの高等裁判所での審理などもすべてスウェーデン語を用いることになっている。
公立学校の教育言語もスウェーデン語である(自治法四〇条)。フィンランド語は「外国語」としてのみ教えられる。フィンランド語教育のための私立学校をつくることは可能だが、実際には存在しない。スウェーデン風オーランド文化を守るためにスウェーデン語の習得が不可欠の要件であり、住民はスウェーデン語と文化の維持のために努力を傾けてきた。
自治政府の権限
オーランドは特別の自治体だ。フィンランドには日本の市町村に当たる自治体があり、都道府県に相当する自治体はない。国家と市町村の二段階である。ところが、オーランドは別枠の存在である。他の自治体に関する法律とは別に、独自のオーランド自治法があり、これは憲法に準ずる地位を獲得している。
フィンランド憲法はヘルシンキのフィンランド議会の権限で改正できる。しかし、オーランド自治法はフィンランド議会だけでは改正できず、オーランド議会の承認を必要とする。改正手続きは憲法よりもオーランド自治法のほうが難しい。
オーランドに関するフィンランド政府の組織は二つある。第一に知事である。知事を任命するのはフィンランド大統領だが、その際、オーランド議会議長の同意を得ることになっている。第二はオーランド代表団である。フィンランドとオーランドの間の懸案事項の処理を担当する仲裁組織であるが、構成員はフィンランド政府とオーランド議会からそれぞれ二名任命される。知事が団長となる。
オーランド島議会は、島の法律を制定し、予算を審議・確定する(自治法一三条~一五条)。議員は直接選挙によって選出されるが、有権者は住民権を保有していなければならない。島議会の信任のもとに島の自治政府が組織される。自治政府は行政権を担当し、五名から七名の閣僚によって構成され、自治政府長官が閣僚を率いる。
島議会の立法・行政権はフィンランドの立法権と権限分割が図られている(自治法一八条)。島議会は次の決定権限を有する。島議会の組織と任務、選挙、自治政府の構成。公務員、その給与、懲戒など。島旗と紋章。行政府の選出。課税、所得追加税。公共の秩序と安全、消防。建築、計画、家屋。特別収容の際の特別権と補償。借地借家法。自然環境保護、水法。遺跡、文化・歴史的価値のある建築物の保護。保険医療。社会福祉。教育、文化、スポーツ、青年活動、公文書、図書館・美術館。農林業。狩猟漁業。動物虐待予防。農林業・漁業地域の保護。鉱物採掘権。ラジオ・ケーブルテレビ放送。道路・運河・鉄道交通。貿易。雇用促進。統計。オーランド固有状況に応じた犯罪と刑罰の設定。同様の科料の設定。その他オーランド立法権の範囲に属すると思われる事項。
これに対して、フィンランド議会の専権事項は、基本権としての自由権、市民権、国際条約、家族法、会社法、教会法、刑法、司法権、原子力エネルギー、通貨権、防衛、軍隊などである。
オーランド自治政府は、一九五〇年代から要求を続けて、一九八四年に切手発行権を獲得した。オーランドではフィンランド切手は使えない。郵便局の運営も自治政府に委ねられている。住民はフィンランドのパスポートを所持しているが、そのパスポートには「オーランド」とわざわざ明記されている。国際標準化機構メンテナンス機構はオーランドに「AX」という国コードを割り当てている。オーランドは独自の通貨発行も狙ったが、さすがにフィンランドはこれを認めなかった。
(「月刊社会民主」2008年12月号」