Monday, February 16, 2009

非武装・中立のオーランド(3)

一九二一年、国際連盟裁定によってバルト海のオーランド諸島(フィンランド)は非武装・中立・自治の島になった。それ以来、自治政府と島民は、非武装・中立・自治を維持するために長期にわたって努力を続けてきた。自治政府は国連欧州本部などで平和セミナーを主催してきた。オーランド平和研究所は欧州における平和研究センターとなり、平和学に貢献を続けている。

欧州の非武装

 非武装・中立と言葉が並べられがちであるが、両者は歴史的にも法的にも異なる概念である。

オーランド平和研究所の委託を受けて調査を行ったクリスタ・アールストレームによると、非武装や中立の一般的な法的定義はなく、経験的研究による必要があるという。非武装とは、国家領土における軍事力の質的量的縮減であるが、無期限なのか一定期限付きなのか、いかなる原因によって設定されるのかもさまざまである。

他方、中立は、もともとは戦時に適用される。一定領域において軍事行動を行わないことであり、軍事基地を設置しないことではない。中立地域にも軍事施設を置くことはありうる。中立の時期は武力紛争(戦争)開始から終結までである。

非武装と中立を同時に採用した事例は欧州においても見られるが、通常は切り離されている。

アールストレームによると、非武装概念は一八世紀後半から一九世紀において、一定施設から一定地理領域を含むようになった。一八〇六年、フランス・バヴァリア講和条約によってティロル地方が非武装化され、一八一五年、オーストリア・プロイセン・ロシア条約によってクラコウが中立とされ、同年のウィーン条約によってフランスのシャブレが中立とされた。この時期の非武装や中立の法的性格はあいまいである。監視機関も紛争解決機関もなかった。多くは紛争後に、勝者が敗者に強制していた。

一九〇五年以後、両概念はいっそうあいまいになった。スウェーデン・ノルウェーのカールシュタット条約は信頼構築を目的としていた。

第一次大戦後、非武装概念が重要な役割を演じた。一九一九年、ヴェルサイユ条約によって、ドイツのラインラント、ザールラント、ヘルゴラント島、デューン島、バルト海沿岸が非武装とされた。ドイツの弱体化が目的であった。チェコスロヴァキアは独立を認められたが、サンジェルマン講和条約によってブラティスラヴァ南部のダニューブ右岸は非武装とされた。一九二〇年、ノルウェーはスピッツバーゲン諸島の領有を認められたが、同時に非武装中立とされた。

第二次大戦後、非武装は再び紛争解決手段となった。ドイツの非武装化に続いて、キプロスの非武装化、後には旧ユーゴスラヴィアについてボスニア・ヘルツェゴヴィナの安全地帯化も行われた。

非武装を支える力

 アールストレームによると、これまで欧州では六〇を超える非武装と中立の事例が存在したが、現在も続いているのはオーランド以外には九箇所にすぎないという。

 ウナンゲ(フランス、非武装、一八一五年パリ条約)

 コルフ島・パゾワ島(ギリシア、非武装、一八六三年ロンドン条約)

 レムノス島(ギリシア、非武装、一九一四年ロンドン条約)

 ミティレネ、チオス、サモス、ニカリア諸島(ギリシア、非武装、一九一四年ロンドン条約)

 スピッツバーゲン諸島(ノルウェー、非武装中立、一九二〇年パリ条約)

 ペラゴサ諸島(クロアチア、非武装、一九四七年パリ条約)

 ドデカネセ諸島(ギリシア、非武装、一九四七年パリ条約)

 ブルガリア・ギリシア国境(ブルガリア、非武装、一九四七年パリ条約)

 ピンク・ゾーン(クロアチア、非武装、一九九二年ヴァンス計画)

 この他にボスニア紛争後、国連安保理事会がサラエヴォに「重武器排除地域」、スレブレニツやゼパに「安全地域」などを設定しているが、非武装とまではいえないようである。

 なぜ多くの非武装や中立が消えてなくなったのか。アールストレームは、原因となる文書(条約)の性質、当該地域設定の法的性質、各地の具体的状況の相違を考慮しつつ、第一に、当該領域を支配することになった新しい主権(国家)が非武装や中立を尊重したか否か。第二に、当該地域住民が非武装や中立に意義を見いだし、支える力となったか否かを検討し、現代軍事テクノロジーの発達によって非武装・中立の効果が見直されていることに注目している。

 オーランドは、欧州で非武装・中立に加えて住民自治を獲得している唯一の地域である。クラコウ、ザールラント、ダンツィヒもかつては非武装・中立であったが、オーランドとどこが違うのか。アールストレームは、次のように述べている。

 「オーランド諸島の法的地位に関する明白な特徴は、地域住民の間に非武装・中立を保持することへの高い尊重である。オーランドの法的地位を変更しようとする提案は、住民による断固たる反対に出会ってきた。両者の法的な連結は強いわけではないが、住民は、自治と島の軍事利用の制限を切り離せない一体のものとして理解している。」

 スウェーデンとフィンランドの二国間関係、自治を尊重せざるを得ないフィンランドの政策、バルト海周辺諸国の利害も含めて、オーランドの非武装・中立が続いてきた。

今日、オーランドは国家ではないにもかかわらず、北欧委員会に代表を送り、北欧協力機構にも参加している。一九九五年のフィンランドの欧州連合(EU)加盟に際してもオーランドの非武装・中立条項が確認されている。オーランドの関税特権も認められた。国際的承認は確固たるものとなってきた。

平和学においては、紛争解決のための「オーランド・モデル」が語られている。歴史や地理、政治的状況はさまざまであるから、同じ方式をそのまま適用することができるというわけではないが、紛争当事国がオーランド・モデルを参考にしながら平和構築を模索することによって、紛争予防や解決を促進することができる。

 なお、オーランド政府のスザンヌ・エリクソンによると、今後、フィンランドのNATO加盟問題などが生じれば、オーランドの非武装・中立は大きな試練にさらされることになる。

       (「月刊社会民主」2009年1月号」