Thursday, February 18, 2010

グランサコネ通信2010-01

*ほぼ一年ぶりになりますが、今年もジュネーヴからグランサコネ通信をお届けします。ジュネーヴ市内・北部のグランサコネという地区、小さな丘の上に滞在しているので、この名称としています。

1)人種差別撤廃委員会に向けて

今月24日・25日、ジュネーヴ(スイス)の、人権高等弁務官事務所のあるパレ・ウィルソンにおいて、人種差別撤廃条約に基づいて設置された人種差別撤廃委員会CERDが、日本政府第2回(正式には3~6回)報告書の審査を行います。日本政府報告書は2008年12月に提出されたもので、外務省のウエブサイトに掲載されています。事前にCERDから質問が出されて、その質問への回答もすでに提出され、外務省のウエブサイトに掲載されています。

人種差別問題に関心を有するNGOは、かねてから「人種差別撤廃NGOネットワーク」をつくり、協力してNGOレポートを作成したり、日本政府との意見交換会に出席したり、公開学習会を開催してきました。私もいちおうそのメンバーなのですが、このところ多忙のため、実際には参加できていませんでした。CERDの審査を傍聴するためジュネーヴにやってきたので、人種差別撤廃NGOネットワークのメンバーと協力して活動する予定です。前回2001年3月8日・9日のCERDには、NGOからは30名ほどのメンバーがジュネーヴに参集しました。今回はそれほどではないようです。

私は16日にジュネーヴに来ました。今年はいつもより寒く、雪が降っているとのことでしたが、来てみるとあたり一面、白いカーペット状態です。

17日は国連欧州本部へいって、NGOの参加証を取得してきました。ついでに国連欧州本部に常駐している日本の新聞社まわりをしました。読売、共同、時事の支局へいってご挨拶。朝はいまにも雪が降りそうな曇天でしたが、午後には晴れて青空になりました。市内へ出て、レマン湖と噴水を眺めてきました。

2)機中の読書

成田からの飛行機の中で読んだ本。--旅行の時は、普段は読まないようなものでも適当に10数冊まとめて買って、読んだものから捨てていきます。旅先で本を買うので、結局同じ重さか、もっと重い荷物で帰ることになりますが。

内田樹『日本辺境論』(新潮新書、2009年)--現代思想研究者でもあるらしい著者の「話題」らしい本です。ほかにも新書をいくつも出しています。本書も、あえて大雑把な、大きな枠組みの本を書いたということですが、要するに呑み屋の与太話。時代を越え、文脈を超えて、話として使えるものをおもしろおかしく適宜並べて、日本が辺境であるが故のマイナス面とプラス面を考え、プラス面を生かしていくための本。こういうときでないと読むこともない本ですが、読み捨てには最適の1冊でもあります。

宮台真司・福山哲郎『民主主義が一度もなかった国・日本』(幻冬舎新書、2009年)--社会学者と外務副大臣・参議院議員の対談です。オビにも裏表紙にも「09年8月30日、日本に革命が起こった・・・」とあります。11月30日に出版されているので、8月30日から3ヶ月たっても、まだ舞い上がって、革命だあああ、などと言っている人がいた、という笑い話に使えます。頓珍漢な2人(もっとも、本文には「革命」とまでは書いていないので、編集者が宣伝のためにつけたのでしょう)。最近はこういう手合いが非常に多いですね。オバマから単に形式的な手紙を1通もらっただけで、驚天動地、欣喜雀躍、喉が張り裂けんばかりに「オバマの手紙!、オバマ!!、オバマ~~~~!!!」と青筋立てて絶叫しまくっていた奇妙な人もいます。いまや頬被り状態ですが。本書に戻ると、冒頭にこんなことが書いてあります。

「政治の話をするとき、僕は乗り物のバスに喩える。運転手は乗客たちとの契約に従って運転している。乗客たちが国民にあたり、契約が憲法にあたり、運転手が統治権力にあたる。・・・」

これまでは乗客が運転手任せにしてきたけれど、8月30日以後は、乗客が運転手に行き先を指図する時代になったという喩えです。これを読んで、読むのをやめて捨てようかと思いましたが、800円+税、なので、さすがに10秒で捨てるのはもったいないため読みました。これって、チャーターバスの話です。路線バスではこんなことはありません。喩えるならタクシーのほうが適切です。そもそも、バスの「運転手は、乗客たちとの契約に従う以前に、会社経営者との契約に従って運転している」のです。資本主義社会の現実が見えていない。もっとも、本文はなかなかおもしろく、無事最後まで読めました。

井上薫『平気で冤罪をつくる人たち』(PHP新書、2010年)--「問題裁判官」として話題になり、今は弁護士をしながら次々と出版をしている著者の最新作。足利事件や痴漢冤罪の事例を読み解いて、日本の裁判官がいかにして冤罪をつくりだしているかを論証しています。取調べや、証拠の扱いなど、従来から長年繰り返されてきた刑事司法批判、冤罪批判と同様の内容ですが、裁判官経験者だけあって、微妙なところを旨く説明していて、読んで良かった。元同僚である裁判官に厳しい批判を加えていて、「問題裁判官」はどちらか、という問いかけだなとよくわかります。「どちらか」なのか、「どちらも」なのか(笑)。