法典化の試み
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三月一九日、ジュネーヴ(スイス)の国連欧州本部会議室で、NGOの国際民主法律家協会(IADL)主催のセミナー「人民の平和への権利の促進」が開催された。チャールズ・グレイブス(インターナショナル・インターフェイス)の司会のもと四本の報告があった。
塩川頼男(IADL)「高度に発展した、しかし実は発展途上国における人民の平和への権利」、コリン・アーチャー(国際平和ビューロー)「発展のための軍縮」、クリストフ・バルビー(軍隊のないスイス運動)「軍隊のない国家と平和憲法」も興味深かったが、なかでも注目されたのは、デヴィド・フェルナンデス・プヤナ(スペイン国際人権法協会)の報告「平和への権利の法典化」である。
プヤナ報告によると、二〇〇六年一〇月三〇日、スペインの専門家による「平和への権利に関するルアルカ宣言」が採択され、四年間の世界キャンペーンに取り組み、世界各地に紹介し、国連人権理事会にも報告してきた。その議論を通じて、ルアルカ宣言についての理解が深まり、追加・補充がなされてきた。これを受けて二〇一〇年二月二四日に一四人のスペインの専門家が「平和への権利に関するビルバオ宣言」を採択した。
両宣言を準備したスペインの専門家や平和運動が共有しているヴィジョンは、平和とはすべての形態の暴力が存在しないことである。直接暴力(武力紛争)、構造的暴力(経済的社会的不平等の帰結、極貧、社会的排除)、文化的暴力である。法律的見地からは、平和とは国連憲章の基礎であり、世界人権宣言その他の人権文書の指導原理であり、平和そのものが人権と考えられるべきである。
ビルバオ宣言は、今後の国際起草委員会の作業を促進するものであり、二〇一〇年五月末にバルセロナで集会を持ち、さらに同年一二月にサンティアゴ・デ・コンポステラで開かれる「平和への権利NGO国際会議」でまとめられる。最終文書を国連人権理事会に提出し、平和への権利の法典化を各国に求めていく。
スペイングループは、国連人権理事会で平和への権利決議を採択させるために努力し、理論的研究も続けてきた。国連人権理事会の次の会期に平和への権利作業部会を開くよう提案している。そのための文書提出もしてきた。人権理事会は、二〇〇八年決議八/九と二〇〇九年決議一一/四を採択し、人権高等弁務官事務所に、二〇〇九年一二月にジュネーヴで人民の平和への権利に関する専門家ワークショップを開催するよう指示し、人権理事会レベルの動きも続いている。
スペイングループなどNGOは、一九四五年の国連憲章、一九四八年の世界人権宣言、二〇〇五年の世界サミット文書、同年一二月の国連総会決議といった法的基礎を確認し、議論を続けてきた。一九八四年の国連総会「人民の平和への権利に関する宣言」や、ニ〇〇〇年の国連ミレニアム宣言も重要である。
プヤナ報告によると、人権理事会および諮問委員会におけるさらなる議論と、NGOの研究を通じて、平和への権利の法典化をさらに求めていくという。
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人権理事会決議
プヤナ報告が触れているように、二〇〇九年六月一七日の人権理事会決議は、われわれの惑星の諸人民は平和への聖なる権利を有するとし(第一項)、その権利保護はすべての諸国の基本的責務であり(第二項)、すべての者にすべての人権を促進保護するために平和が重要であることを強調し(第三項)、人間社会が富める者と貧しい者に分断され、発展した世界と発展途上の世界の間に溝があることが、平和や人権にとっての主要な脅威となっていると強調し(第四項)、平和、安全、発展、人権が国連システムの柱石であることも強調し(第五項)、人民の平和への権利行使のために、各国の政策が、国際関係における戦争の脅威の廃絶、武力行使とその脅威の否認を要求することを強調し(第六項)、すべての諸国が、国際平和と安全の確立、維持、強化を促進すべきであることを確認し(第七項)、すべての諸国に国連憲章の諸原則と目的を尊重するよう促し(第八項)、すべての諸国に、国際紛争を平和的に解決し、国際平和と安全を維持するよう再確認し(第九項)、人民の平和への権利を実現するために平和のための教育が重要であることを強調し(第一〇項)、国連人権高等弁務官に、ニ〇一〇年二月までに人民の平和への権利に関するワークショップを開催して、この権利の内容と射程を明らかにし、この権利実現の重要性の認識を高めるための措置を提案し、各国に具体的な行動を提案するよう求め(第一一項)、その報告書を人権理事会に提出するよう要請し(第一二項)、各国にこの討論に注意を払い協力するように促し(第一三項)、この議論を継続的に行うことを決定した(第一四項)。
賛成は三二カ国(アンゴラ、アルゼンチン、アゼルバイジャン、バーレーン、ボリヴィア、ブラジル、ブルキナファソ、カメルーン、チリ、中国、キューバ、ジブチ、エジプト、ガボン、ガーナ、インドネシア、ヨルダン、マダガスカル、マレーシア、モーリシャス、メキシコ、ニカラグア、ナイジェリア、パキスタン、フィリピン、カタール、ロシア、サウジアラビア、セネガル、南アフリカ、ウルグアイ、ザンビア)。反対は一三カ国(ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、カナダ、フランス、ドイツ、イタリア、日本、オランダ、韓国、スロヴァキア、スロヴェニア、スイス、ウクライナ、イギリス)。棄権はインド。
平和的生存権は、一九六〇年代、自衛隊基地をめぐる恵庭訴訟、長沼訴訟の闘いのなかで平和運動・弁護士・憲法学者が、憲法前文と第九条をもとに主張し、理論化し、平和の闘いの武器とした。それが今日でも平和運動の一つの柱となっている。二〇〇八年四月の名古屋高裁におけるイラク自衛隊派遣違憲訴訟判決にもその射程が及んでいる。
しかし、スペインの法律家たちは、そのことをあまり知らないようである。もちろん欧州の平和運動家たちは第九条をよく知っている。日本政府が第九条をまったく守っていないことも知られている。同時にヒロシマ・ナガサキもよく知られている。
しかし、日本における平和的生存権の議論自体はあまり知られていないようだ。プヤナ報告者も、第九条のもとで様々な議論が行われているであろうことを一般的には知っていた。しかし、日本における平和的生存権の思想と論理をよくは知らなかった。
いま、国際人権法分野で平和への権利が体系化されようとしているのに、第九条はあまり貢献していない。ルアルカ宣言やビルバオ宣言の運動の中で、第九条は参考にするべき法律文書として掲げられていない(もっとも、作業過程において参照されたことがあるか否かは不明である。どこかの時点で参照されたのではないかと推測しているが)。
それどころか、日本政府は、二〇〇九年の国連人権理事会決議一一/四に、反対投票している。政治家も学者もNGOも監視していないから、外務官僚が勝手に決めている。今からでも遅くはない。第九条が「平和への権利の法典」に貢献できるように、平和運動の努力が求められている。