『救援』500号(2010年12月)
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入門セミナー・刑事法批判第9回報告
検察崩壊――必要な改革とは何か
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「入門セミナー:現代日本の刑事法批判」第九回は、一一月一九日、佃区民館(東京都中央区)で開催された。大阪地検特捜部事件によって、ついに社会的に明らかになった検察崩壊を徹底批判し、真の刑事司法改革に繋げるための議論を始めるために。
「押収資料の改竄にまで手を染めた大阪地検特捜部の所業は論外にせよ、前田や大坪といった不良検事は、腐りきった刑事司法システムの末端で薄汚く蠢いた芥の如き存在に過ぎない。徹底的に指弾するべきは、法務・検察権力全体の暴走構造であり、それを許してきた刑事司法システム全体を覆っている劣化の構図である。当面は少なくとも、取り調べの全面可視化導入が必須作業となるだろう。さらには特捜検察など解体し、検事総長の民間登用なども推し進めるべきだ。しかし、それだけではまったく十分ではない。「代用監獄」の廃止や検察・警察が押収した証拠類の全面開示、そして何よりも司法官僚に牛耳られた裁判システムの抜本改善が、何よりも求められている。」(宮岡悠、本紙より)
パネリストは、青木理(ジャーナリスト)、宮本弘典(関東学院大学教授)、山下幸夫(弁護士)の三名である。
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メディアの役割
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青木報告は、冒頭に、一九七六年のロッキード事件における田中角栄首相逮捕や、一九八九年のリクルート事件における調査報道の「金字塔」(竹下政権の崩壊につながった)以来、「権力悪を撃つ」「巨悪を撃つ」という大いなる勘違いが始まったと振り返る。なるほど、それ以来、調査報道と特捜検察の活躍によってほぼ毎年のように腐敗政治家が逮捕された。スクープの時代であった。しかし、メディアと特捜の蜜月は何を産み出したか。第一に、メディアによる垂れ込み、特捜捜査開始、メディアによる巨悪叩きという一連の流れは、メディアによる「チクリ」構造をつくり上げた。しかも、検察批判はタブーとなった。警察不祥事はメディアが暴いたが、検察批判はできなくなった。それを破ったのが今回の朝日新聞記事である。メディアと検察の蜜月が崩れ始めた。この間、流行語となったように「国策捜査」の批判的解明は二〇〇六年から始めた。検察に狙われ追い落とされた政治家や官僚が使った言葉が「はじめにストーリーありき」であった。否認すれば保釈のない「人質司法」、代用監獄を利用した密室取調べ、弁護人接見の異常な制約、自白の強要にもとづく九九・九%有罪の「暗黒地帯」が現在の刑事司法である。可視化と証拠リスト開示、特捜廃止、自己完結型制度の改革(捜査と公訴権の独占の見直し)など数々の課題が指摘された。
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解体されなかった検察
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宮本報告は、かつての戦時刑事特別法が現在の刑事司法を貫いていることを指弾した。治安維持法や国防保安法は解体され、新憲法と新刑事訴訟法によって刑事司法は大幅な衣装変えをした。刑事訴訟法学は、戦後改革を肯定的に評価してきた。しかし、証拠法は、一九四〇年代の戦時刑事特別法がそのまま残っていると見るべきである。大正刑事訴訟法でさえ検察官には強制処分権がなかったし、全証拠開示が原則であった。戦後改革で特徴的なのは、国家の暴力装置としての軍隊の廃止、警察・内務省の解体であったが、検察だけは維持された。GHQとの綱引きの結果、応急措置規定を通じて全面改革を引き伸ばした。被告人以外の供述調書には特信性(特段の信用性を担保する状況)が必要なのに、自白調書は任意でありさえすればいいとされた。検察の処分権限は一般刑事事件ではなく主に治安事件に発揮された。裁判所の任意性判断は非常に緩やかで、検察の思い通りになった。裁判所も、判決書で本来の証拠説明も必要なく、証拠の標目を示すことで足りるようになり、自由心証主義が悪用され、上訴・再審でチェックできない。暗黒裁判を打破するためには全面的改革が必要だが、当面早急に必要なのは、検察官の強制処分権の剥奪、当事者主義の貫徹、捜査段階の調書の証拠能力の制限(本人が死亡した場合などに限定すべき)であると述べられた。
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全証拠開示を
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山下報告では、大阪地検特捜部事件を契機に始まったあり方検証チームや検証アドバイザーの動向紹介に続いて、まず村木事件無罪判決で裁判所が変わろうとしていることが指摘された。特捜事件を無罪にするなどと言うことは、これまでの裁判所には考えられないことであった。特捜の呪縛は、客観的証拠がなくてもストーリーに沿った調書さえあれば「質より量」で、同じ内容の調書が複数あればそれで有罪としていた。いくら調書があっても客観的証拠に合わないものは信用しないという当然のことさえ、無視されてきた。村木事件では、捜査があまりにも杜撰だったこともあるが、裁判所が検察主張を否定した。裁判所が変わろうとしているが、その流れを止めずに、コペルニクス的転換を実現することが必要である。改革については、民主党は可視化法案を出していたのに、政権についたら法案を捨ててしまい、新たに研究会を作ってゼロから始める有様である。可視化しないための研究をやっているようなものだ。証拠全面開示が必要だ。公判前整理手続きである程度出るようになったというが、被告人に有利なもの、必要なものは出さない。隠したままである。全面開示を追及する必要がある。可視化は捜査機関にとっても利益のはずだ。その意味で可視化は中立であることを強調したい。可視化した諸国では、警察も無用な疑いを避けることが出来るので、可視化が良かった、と言っている。可視化とともに弁護人立会いが必要だ。一部立会いは却って不利になることもあるので、立会い原則とすべきだ。さまざまな改革をばらばらにではなくセットで実現しなければならないとまとめられた。
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参加者の声
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参加者からは、三井環元大阪高検検事などが進めている検察問題のデモへの参加呼びかけや、健全な法治国家の会が進めた前田検事に対する特別公務員職権濫用罪告発の報告があった。刑事訴訟法改革の歴史的意味についての質問に関連して、被逮捕者を悪人視し、はじき出す「善良な国民」というメッセージ装置の検証の重要性が指摘された。さらに、検察官上訴禁止も指摘された。さらに、三井環元検事が参加者として発言し、権力に安住し、濫用する検察官の意識の問題性が明らかにされた。
報告の中では、検察改革は必須不可欠枢要な課題だが、それだけでは不充分である。代用監獄を始めとする弊害は警察改革を必要とする。警察・検察のやりたい放題を許してきたのは裁判所である。裁判所改革も必要である。権力に擦り寄る一部弁護士や刑事法学者にも問題があることが繰り返し指摘された。根本的な刑事司法改革が必要である。現実的にはあり方検証チームの結論を待たざるを得ないことになるが、元検事総長や御用学者が名を連ねるあり方検証チームのメンバー構成を見れば、根本的改革が提起される可能性はあまりない。徹底監視が必要である。 (文責・前田朗)