無罪!08-04「法の廃墟」(22)
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団塊の世代ジョー
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「自由に生きる」という理想への道を追いかけて、六〇年代後半に「闘争における生の完全燃焼」を提示した『あしたのジョー』、七〇年代に「がんじがらめの社会からの自由」を歌った尾崎豊、「大きな物語」が崩壊した九〇年代に「終末の時代の自由」を模索したオウム真理教を分析したのは、橋本努『自由に生きるとはどういうことか』(ちくま新書、二〇〇七年)である。
もっとも、「七〇年も終わり、よその大学ではいいかげん下火になっていたのに、法政大学ではまだまだみんな元気だった。どのくらい元気だったかといえば、人より幾分長く僕はその大学に在籍していたのだが、その間、正常(?)に試験が行われたのは一度きりしかなかった」という吉田和明は、「尾崎豊は現在の<あしたのジョー>だ!」と断定していた(吉田和明『あしたのジョー論』風塵社、一九九二年)。
「ジョーは『団塊の世代』の一人だ!」と強調する吉田和明は、ジョーの生没年の解明に向かう。マンガ『あしたのジョー』の「物語の時間の流れには随所で矛盾」があるが、吉田は細部に至るまで検討して、「矢吹丈年譜」を仕上げた。
吉田によると、ジョーは一九四七年六月か七月生まれ(それも七月一三日以前の生まれ)である。まぎれもない団塊の世代である。ジョーがドヤ街にふらりと現れたのは、東京オリンピックに向けて建設ラッシュとなり始めた一九六二年初冬。この一〇月にファイティング原田が世界チャンピオンになっている。翌六三年四月に鑑別所に入所し、東光特等少年院に送られ、力石徹と出会う。力石は六四年一月、ジョーは同年七月に少年院を退院して、ボクサーへの道を歩む。ジョーと力石の宿命の対決は六五年四月。力石死後、ジョーはボディしか殴れない欠陥ボクサーとなり、ドサ廻りに出る。カーロス・リベラの登場に伴って、六七年四月にリングに戻ったジョーは翌六八年にかけて連戦連勝する。この時期、藤猛、沼田義明、小林弘、西条正三らが世界チャンピオンに輝いていた。他方、羽田闘争、エンタープライズ寄港阻止闘争、三里塚闘争、新宿騒乱事件が続く。最後の一戦、ホセ・メンドーサとの戦いは、六九年一二月である。同年一月に東大安田講堂事件が起き、一一月に赤軍派が大菩薩峠で検挙された。
「ジョーの死は、二二歳の一二月のある日のことであった・・・・。一エキシビジョンマッチを含めて二六戦して一九勝六敗一分け、それがジョーの一七歳から二二歳にして『真っ白に燃え尽き』るまでの、六年強の期間にわたるリングでの成績であった」。
吉田の綿密な追跡によってジョーの生没年が明らかになった。たしかにジョーは団塊の世代の一人であり、『あしたのジョー』は団塊世代マンガでもあった。
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相克する「あした」
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しかし、何か違和感が残る。前回、「世代論で物事を語るつもりはないし、『あしたのジョー』を世代論的に読み解く作業自体、別の論点を整理しておかないと難しいと思う」と書いたことにかかわるが、ジョーが団塊の世代である必然性がどこにあるのか、よくわからないのだ。
第一に、原作者の梶原一騎は一九三六年生まれであり、作画のちばてつやは一九三九年生まれであり、団塊の世代ではない。二人には世代論の意識もなかった。
第二に、力石徹や白木葉子の年齢を、吉田はなぜか問題にしようとしない。ジョーは六四年七月にB級ライセンスのプロ・テストを受験している。受験資格が一七歳だからだ。ところが力石はすでにウェルター級六回戦でデビュー以来一三KO勝ちをほこり「メガトン強打のわかき殺し屋」と呼ばれていた。ある試合で観客のきたないやじにカッとなりその客を叩きのめして、無期限出場停止となり、その処分を不服としてほうぼうで暴力事件をひき起こし、挙句の果てに少年院に送られて、ジョーと出会ったのだ。この経歴からすると、力石はどんなに若く見積もっても二十歳寸前に違いない。ジョーよりも二歳以上年長、つまり一九四五年七月以前の生まれである。
白木葉子の年齢を推定しうる情報は極めて少ないが、六四年一月、力石が少年院退院の際、オープンカーを運転して出迎えているから少なくとも一八歳になっている。葉子と力石の会話を見ると、姉が弟に話しかけるようなシーンが散見される。パトロンとボクサーの関係のためだとしても、葉子は少なくとも力石と同じ年齢で、ジョーより二歳以上年長と見るのが妥当である。つまり、力石も葉子も団塊の世代ではない。
なお、カーロス・リベラやホセ・メンドーサの年齢は不明だが、吉田は、東洋チャンピオン金龍飛がジョーより二歳年上と推定している。となると、団塊世代と年長世代の対決マンガと見ることができる。
一九六一年生まれで、『炎の転校生』で知られる漫画家・島本和彦は、世代論よりも、それぞれの「あした」に着眼している(島本和彦『あしたのジョーの方程式』太田出版、二〇〇六年)。そして、ホセ戦でジョーが戦っていた「あした」は、ジョーがそれまで思い描いていた「あした」とは違うあしたなんだと言う。
「殴り合うことで、お互いが充実し合えば合うほど、お互いが壊れていく。その矛盾のぶつかり合いですね。ジョーはそんな『あした』の中に生きていたわけだ。で、それをホセの『あした』が否定するんですね。この構造が、『あしたのジョー』という物語を作っているんだな。」
悲劇的、破壊的なケンカ・ボクシングではなく、家族を大切にし、きちんと自己管理して、身体も価値観も大人のスポーツマンであるホセとの一戦がラスト・ファイトとなった理由である。橋本努は、「無口で静かなマイホーム・パパ」であるメンドーサにジョーが敗北したことを「六〇年代後半の理想の終焉と、七〇年代の幕開け」と見るが、島本も「我々はホセの時代に生きている」と言う。
「このまんがの示した『あした』という価値が好きで、自分もそんなふうに生きたいと思ってしまったら、現実には破滅できない以上、どうしてもそうなりきれない自分に出会う結果になり続けるわけですね。『おれはあしたのジョーだぜ!』とか思いながら、現実にはせいぜいこんなもんでしかない自分。そういうものにひたすら出会ってしまう。そういうギャップの中で生きていくことになる。」
団塊の世代は「我々はあしたのジョーである」と信じてよど号に乗り込んだ。自分に出会わないために――それは『あしたのジョー』を誤読したパロディにすぎなかった。『あしたのジョー』がはじめから世代を越えて熱狂的な支持を受け、今日まで命脈を永らえてきたのは、単なる団塊世代マンガではなかったからである。