――国連人権理事会における議論
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人権理事会諮問委員会
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2010年8月、ジュネーヴ(スイス)の国連欧州本部で開催された国連人権理事会諮問委員会第5会期で、諸人民の平和への権利が議題として取り上げられた。
8月5日、ジュネーヴに集結した5つのNGOは、諮問委員会(人権問題専門家によって構成された委員会)にアピールするための相談を行い、NGO発言を行った。
最初に、デヴィド・フェルナンデス・プヤナ(スペイン国際人権法協会)が、これまでの取り組みを踏まえて、人権理事会での検討を通じて諸人民の平和への権利の概念内容を明確にし、国連宣言を作るよう訴えた。プヤナは、キャンペーンを組織したスペイン国際人権法協会(AEDIDH)事務局員である。続いて、アルフレド・デ・ザヤス(国際人権協会)が、平和への権利の射程の広さを強調して、すべての人権を支えるものとして人権体系に位置づける発言をした。デ・ザヤスはジュネーヴ大学名誉教授である。ミシェル・モノー(国際友和会)は、テロとの闘いにふれ、テロ対策には戦争ではなく、平和への権利の定式化こそ重要と訴えた。モノーは「軍隊のないスイス」運動のメンバーである。次に筆者が、2008年5月に日本で開催された9条世界会議や、2009年にコスタリカのプンタレナスで開催された平和会議を紹介した。最後にクリストフ・バルビー(国際良心・平和税)が、紛争解決の思想と方法としての平和への権利について述べた。バルビーは「軍隊のない国家27カ国」の研究者で、講演のために2度の来日経験がある。
諮問委員会は作業グループを設置し、議論を行なった結果、決議を採択した。諸人民の平和への権利について、さらに議論する必要性を認めて、今後も議論を続けることになった。
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スペインNGOのキャンペーン
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国連で諸人民の平和への権利が議論されているのに、日本では報道されないため、ほとんど知られていない。これまでの経過を簡潔に追ってみよう。
2006年10月、スペインの法律家たちが、「平和への権利に関するルアルカ宣言」を採択し、世界キャンペーンを始めた。国連人権理事会に持ち込んで、平和への権利の議論を巻き起こし、各国政府に要請行動を行い、2008年以後、関連する決議を獲得してきた。諸国・地域のNGOにも呼びかけた。
2010年2月、今度は「ビルバオ宣言」を採択した。ルアルカ・ビルバオ両宣言は、平和とはすべての形態の暴力が存在しないことであるという理解に立っている。直接暴力(武力紛争)、構造的暴力(経済的社会的不平等の帰結、極貧、社会的排除)、文化的暴力である。法律的見地からは、平和とは国連憲章の基礎であり、世界人権宣言その他の人権文書の指導原理であり、平和そのものが人権と考えられるべきである。諸人民の平和への権利という表現は1984年の国連総会決議に由来する。人権理事会は、2008年決議8/9と2009年決議11/4を採択し、平和への権利の研究を始めた。スペイン・グループは、2010年6月、ルアルカ・ビルバオ宣言を踏まえて「バルセロナ宣言」をまとめた。欧州やラテン・アメリカを中心に賛同NGOが続々と増えている。スペイン国際人権法協会がとりまとめたNGO文書には世界の500ものNGOが賛同している。同月、人権理事会は決議14/3を採択し、さらに研究を続けることになった。なお、日本政府は残念なことに一貫して反対投票してきた。
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ルアルカ宣言
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最初のルアルカ宣言を見てみよう。宣言は、国連憲章の平和理念や、世界人権宣言や国際人権規約などの国際人権法の理念や、1984年の国連平和的生存権宣言などを振り返り、「個人、集団、人民は、正当な、持続可能な、継続する平和への不可分の権利を有する。この権利によって、個人、集団、人民は、この宣言に明示された権利の担い手である」(第1条)とする。
さらに、平和への権利の教育の権利として「平和・人権教育を受ける権利」があり、信頼、連帯、相互尊重の精神での紛争解決も教育内容に含められる(第2条)。人間的安全保障の権利として、食料、飲料水、健康、衣服、住居や基礎教育を得る権利や、雇用や労働組合加盟の公正な条件を享受する権利も有する(第3条)。安全と健康な環境の権利として、国家によるものであれ非国家行為者によるものであれ、違法な暴力行為からの保護を受ける権利がある(第4条)。不服従と良心的兵役拒否の権利として、個人としても集団としても、平和のための不服従と良心的兵役拒否の権利がある。不服従を認めない法律に平和的に抗議し、従わないことが認められる。軍隊構成員であっても、犯罪的命令や不正義の命令には従わない権利がある。武器製造や開発のための科学研究に参加しない権利がある。軍事支出のための税金支払いを拒否する権利がある(第5条)。すべての個人と人民は、人権や人民の自己決定権に対する重大又は組織的な侵害に抵抗・拒否する権利がある。戦争、戦争犯罪、人道に対する罪、ジェノサイド、侵略の罪、戦争宣伝に反対する権利を有する(第6条)。差別なしに、難民状態の場合に難民の地位を承認される権利がある(第7条)。移民、平和的移住、参加の権利として、平和的に移住する権利や母国に帰還する権利が認められる。居住する国家における公的な事項に参加する権利がある。自分たちの要求を自由に表明できるようにするために特別の機関を設立する権利がある(第8条)。国際人権法としての思想・良心・信仰の自由の行使が認められる(第9条)。人権侵害について、効果的補償を受ける権利、真相解明や責任者の処罰を含めて、裁判を求める権利がある。人権侵害被害者や家族は真相を知る権利がある(第10条)。軍縮を求める権利があり、軍縮による経費を経済的社会的文化的発展に利用することができる(第11条)。すべての個人と人民は、発展の権利、発展への貢献、発展を享受する権利がある(第12条)。すべての個人と人民は、持続可能な自然環境に暮らす権利がある(第13条)。被害を受けやすい集団は、暴力の諸形態が権利の享受に対してもつ影響を分析する権利がある。紛争の平和的解決に対する女性の特別な貢献が活用されるべきである(第14条)。すべての個人と人民は、平和と真実の情報の要求を認められる(第15条)。平和への権利の実現のための義務として、国家や国際機関のさまざまな責務が確認される(第16条)。平和への権利に関する本格的議論を行うためのワーキング・グループ設置を提唱する(第17条)。そのワーキング・グループの機能が列挙される(第18条)。
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2010年人権理事会決議
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2010年決議14/3(A/HRC/RES/14/3)は、賛成31、反対14で採択された。
決議の主な内容は、次の通り。わが地球の諸人民が聖なる平和への権利を持つことを確認し、平和への権利の履行の促進が各国の義務であるとし、平和への権利はすべての者のすべての人権にとって重要であるとし、平和・安全・発展・人権を国連システム内で統合することをめざし、国際平和と安全保障の維持・確立が全ての国家の責務であるとし、すべての国家が国連憲章に従って平和的手段で紛争を解決する義務があるとし、平和への権利の実現のために平和教育が重要であるとし、諮問委員会にこの問題について議論し報告書を提出するよう求め、2011年の人権理事会で継続審議すると決めている。
投票結果は次の通りである。賛成は、アンゴラ、アルゼンチン、バーレーン、バングラデシュ、ボリヴィア、ブラジル、ブルキナファソ、カメルーン、チリ、中国、キューバ、ジブチ、エジプト、ガボン、ガーナ、インドネシア、ヨルダン、マダガスカル、モーリシャス、メキシコ、ニカラグア、ナイジェリア、パキスタン、フィリピン、カタール、ロシア、サウジアラビア、セネガル、南アフリカ、ウルグアイ、ザンビア。
反対は、ベルギー、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、フランス、ハンガリー、イタリア、日本、オランダ、ノルウェー、韓国、スロヴァキア、スロヴェニア、ウクライナ、イギリス、アメリカ。棄権は、インド。
平和的生存権に反対しているのは、EU諸国、日本、アメリカである。アフガニスタンとイラクへの戦争を見れば明らかなことだが、戦争勢力は誰なのか、民族自決権を踏み躙っているのは誰なのかを考えるためにも参考になる。
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日本での取組みを
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2010年12月には、サンティアゴ・デ・コンポステラで「平和への権利NGO国際会議」が開かれ、宣言が採択された。スペイン・グループはこれらの成果を元に、さらに人権理事会で議論を進め、平和への権利の法典化を求め、最終的には国連総会での宣言採択をめざす。いよいよ「国連・人民の平和への権利宣言」の可能性が見えてきた。
国連で諸人民の平和への権利(平和的生存権)が審議されているのに、残念なことに日本国憲法前文や9条が貢献していない。スペイン・グループは日本国憲法9条を知っている。しかし、日本の平和的生存権の議論をよく知らない。言葉の壁は大きい。議論に加わってきた日本人も僅かだ。日本政府は断固反対を貫き、日本のマスメディアは報道しない。日本とは無関係に平和的生存権の議論が進む。日本から参加しているのは、国際民主法律家協会(IADL)に属する法律家であり、9条に関して情報発信しているが、今後の議論に、より積極的に加わっていく必要がある。例えば、2008年のイラク自衛隊派遣違憲訴訟名古屋高裁判決は、平和的生存権の具体的権利性を認めた公文書である。おそらく世界史上画期的な文書のはずだから、国連に報告していく必要がある。
また、2011年春には、スペイン・グループの代表を日本に招くための準備も始まった(*)。国連平和的生存権宣言を実現するための取組みを日本国内でも強化したいものだ。
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「友和」2011年1月号
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* スペイン法律家招請は、3月11日の東アジア大震災と原発事故のため中止になった。本年秋以後に実現したいと考えている。