先住民族権利宣言
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国連総会は、二〇〇七年九月一三日、先住民族権利宣言を採択した(以下引用は市民外交センター訳)。先住民族に対する普遍的人権宣言であり、画期的なものである。
「先住民族は、集団または個人として、国際連合憲章、世界人権宣言および国際人権法に認められたすべての人権と基本的自由の十分な享受に対する権利を有する」(第一条)。「先住民族および個人は、自由であり、かつ他のすべての民族および個人と平等であり、さらに、自らの権利の行使において、いかなる種類の差別からも、特にその先住民族としての出自あるいはアイデンティティ(帰属意識)に基づく差別からも自由である権利を有する」(第二条)。「先住民族は、自己決定の権利を有する。この権利に基づき、先住民族は、自らの政治的地位を自由に決定し、ならびにその経済的、社会的および文化的発展を自由に追求する」(第三条)。
大まかに分類すると次のような内容である。第一に、人権保障の原則である。冒頭の三か条に続いて、先住民族権利宣言は多様な権利を掲げている。自治の権利(第四条)、国政への参加と独自な制度の維持(第五条)、国籍の権利(第六条)。
第二に、民族的アイデンティティ全体に関する権利である。生命、身体の自由と安全(第七条)、同化を強制されない権利、すなわち「先住民族およびその個人は、強制的な同化または文化の破壊にさらされない権利を有する」 (第八条)。共同体に属する権利(第九条)、強制移住の禁止(第一〇条)。
第三に、文化・宗教・言語の権利である。文化的伝統と慣習の権利(第一一条)、宗教的伝統と慣習の権利、遺骨の返還(第一二条)、歴史、言語、口承伝統(第一三条)。
第四に、教育・情報などの権利である。教育の権利(第一四条)、教育と公共情報に対する権利、偏見と差別の除去(第一五条)、メディアに関する権利(第一六条)、労働権の平等と子どもの労働への特別措置(第一七条)。
第五に、経済的社会的権利と参加の権利である。意思決定への参加権と制度の維持(第一八条)、影響する立法・行政措置に対する合意(第一九条)、民族としての生存および発展の権利(第二〇条)、経済的・社会的条件の改善と特別措置(第二一条)、高齢者、女性、青年、子ども、障害のある人々などへの特別措置(第二二条)、発展の権利の行使(第二三条)、伝統医療と保健の権利(第二四条)。
第六に、土地・領域(領土)・資源の権利である。 「先住民族は、自らが伝統的に所有もしくはその他の方法で占有または使用してきた土地、領域、水域および沿岸海域、その他の資源との自らの独特な精神的つながりを維持し、強化する権利を有し、これに関する未来の世代に対するその責任を保持する権利を有する。」(第二五条)。土地や領域、資源に対する権利(第二六条)、土地や資源、領域に関する権利の承認(第二七条)、土地や領域、資源の回復と補償を受ける権利(第二八条)、環境に対する権利(第二九条)。
第七に、自己決定権を行使する権利である。アイデンティティと構成員決定の権利(第三三条)、慣習と制度を発展させ維持する権利(第三四条)、共同体に対する個人の責任(第三五条)、国境を越える権利(第三六条)、条約や協定の遵守と尊重(第三七条)。
その他、第八に、実施と責任の諸規定、第九に、国際法上の性格規定である。
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アイヌ民族の権利
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権利宣言以後、アイヌ民族をめぐる動きが急速に展開している。
かつて日本政府はアイヌ民族の権利を認めようとしなかった。アイヌ文化保護法は文化に関する法律で、権利を認めるものではない。日本政府は、二〇〇一年の人種差別撤廃委員会でも、「先住民族の国際法上の概念が確立していないからアイヌ民族を先住民族といえるかどうか判断できない」といった逃げの姿勢であった。人種差別撤廃委員会や、国連人権理事会の人種差別問題特別報告者は、アイヌ民族を先住民族と認めて、権利保障するよう勧告してきた。
権利宣言採択の翌〇八年六月、「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」を衆参両院が採択した。国会が行政に対して、アイヌの先住民族性の認知を求めた。七月、「アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会」が設置された。三名の委員中、アイヌ民族委員が一名選ばれた。有識者懇談会は、〇九年七月、「アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会」報告書を提出し、〇九年八月、「アイヌ総合政策室」(旧アイヌ政策推進室)、〇九年一二月、「アイヌ政策推進会議」が設置された。一四名の委員中、アイヌ民族委員は五名である(まだ少ないが)。二〇一〇年一月、推進会議が活動を開始した。権利宣言が採択されてから僅か三年で日本政府の姿勢は一大転換を遂げた。
権利宣言を踏まえて、歴史をアイヌ民族の視点から洗い直す必要がある。アイヌ民族に関する歴史をきちんと学校教育で教え、アイヌ民族の視点から歴史観を検証することが不可欠である。日本はどうやって近代国家になったのかを問うことは、明治政府の責任(植民地化、制度的差別、強制同化政策)を浮かび上がらせる。日本はどうやって「民主主義国家」になったのか。戦後政府の責任(「単一民族国家」幻想)が問われる。日本の植民地主義はどうであったか、非植民地化プロセスはいかに辿られたのかである。
その上で具体的政策である。国民の理解の促進(教育・啓発)、広義の文化に関する政策の推進(国連宣言の遵守という視点から)、推進体制の整備(審議会・行政窓口の設置、法制化など)がすすめられるべきである。遅ればせながらも、日本政府が転換を遂げた現在、課題は具体的政策の策定と履行であり、社会的差別の是正である。
ところが実際には、日本政府は、北海道外に居住するアイヌの調査、およびアイヌ民族の象徴的施設の問題しか取り上げようとしない。特に権利宣言第二五条以下は完全に無視している。
権利宣言を考慮すれば、北海道は、いったい誰の「固有の領土」であったのか明確になるはずだ。アイヌ民族から奪った土地の返還が基本原則である。今さら返還は現実的でないというのは奪った側の理屈に過ぎない。北海道の土地の半分は国有地であるから、返還は不可能ではない。アイヌ民族の代表と交渉して、返還できる土地の返還を進め、返還困難な土地については土地利用権について協議するなり、補償するなりの施策を進めるべきである。私有地の返還はなるほど困難が伴うだろう。しかし、譲渡の制限や、環境保護のための開発規制は不可能ではない。また、補償は当然可能である。
「北方領土」も同様である。「父祖が築いた北方領土」などと宣伝しているが、実際は「父祖が盗んだ北方領土」ではなかったか。日ロの国境をめぐる外交交渉において、アイヌ民族や、ロシア側の先住民族の意見を十分に聞き、配慮する必要がある。それは国境線の引き方にも関わるが、どこに国境線が引かれようとも、先住民族の権利を尊重するべきである。
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「救援」502号(2011年2月)