生ける軍神
前に『あしたのジョー』と『カムイ伝』を取り上げた。同様にぼくらの青少年期の画期となる漫画を取り上げるとすれば、手塚治虫の諸作品は別格として、何が相応しいだろうか。ゴルゴ13、ドカベン、がきデカ、パタリロ、あぶさん、銀河鉄道999、宇宙戦艦ヤマト、ドラゴンボール等々、時代を賑わした傑作漫画は数々あるが、『あしたのジョー』や『カムイ伝』のように「時代と激突した作品」とは言い難い。漫画というのは好き嫌いが相当なウエイトを占めるので比較しにくい面もあるし、少年漫画と少女漫画も比較しにくい。里中満智子『あすなろ坂』『アリエスの乙女たち』や、萩尾望都『ポーの一族』、竹宮恵子『風と木の詩』も屈指の傑作だし、ベルバラも落とすわけにはいかない。
しかし、「あの時代」を「現在(いま)」と繋げて考えるためには、『光る風』こそ、時代を証言する漫画として想起しなければならない作品だ。
長いこと忘れていた『光る風』を思い出したのは、二〇一〇年の映画『キャタピラー』(監督・若松孝二)のためだ。『キャタピラー』の前半の粗筋は次のようなものだ。
「一銭五厘の赤紙一枚で召集される男たち。シゲ子(寺島しのぶ)の夫・久蔵(大西信満)も盛大に見送られ、勇ましく戦場へと出征していった。しかしシゲ子の元に帰ってきた久蔵は、顔面が焼けただれ、四肢を失った無残な姿であった。村中から奇異の眼を向けられながらも、多くの勲章を胸に、『生ける軍神』と祀り上げられる久蔵。四肢を失っても衰える事の無い久蔵の旺盛な食欲と性欲に、シゲ子は戸惑いつつも軍神の妻として自らを奮い立たせ、久蔵に尽くしていく。四肢を失い、言葉を失ってもなお、自らを讃えた新聞記事や、勲章を誇りにしている久蔵の姿に、やがてシゲ子は空虚なものを感じはじめる。久蔵の食欲と性欲を満たす事の繰り返しの日々の悲しみから逃れるように、シゲ子は『軍神の妻』としての自分を誇示するかのように振る舞い始める」(同映画公式サイトより)。
「盛大に見送られ、勇ましく戦場へと出征していった」が「四肢を失った無残な姿で」帰って来たのは久蔵だけではない。『光る風』の主人公・六高寺弦の兄・光高もまた、「ばんざーい、ばんざーい」の歓呼の声に送られて「ベトナム戦争」に出征する。反戦運動に関わったために捕らわれて精神病院に送り込まれた弦が必死に脱走して自宅に戻ると、「名誉の負傷」で四肢を失った光高が無残な姿で横たわっていた――『キャタピラー』とともに、このシーンが蘇えってくる。あの時代、『光る風』に触れた衝撃の重さとともに。
漫画『光る風』は、山上たつひこの初期の代表作である。あのギャグ漫画『がきデカ』の山上たつひこだ。その後も前衛的ギャグ漫画に新境地を切り拓いた山上たつひこである。
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明日の日本か、現在か?
『光る風』は「少年マガジン」に一九七〇年四月から一一月にかけて連載された「近未来ポリティカル・フィクション」だ。「少年マガジン」では当時、『巨人の星』(梶原一騎原作、川崎のぼる画)と『あしたのジョー』(高森朝雄原作、ちばてつや画)が連載中だった。つまり、少年たちに圧倒的に支持された雑誌である。「少年ジャンプ」が登場してトップの座に上るのはずっと後のことだ。ぼくは、仲間とともに「少年マガジン」「少年サンデー」に読みふけった。『光る風』の連載は中学三年生の春のことだが、連載開始時のことは記憶にない。記憶しているのは、兄・光高の出征式に乱入した主人公・弦が、「いっちゃだめだ!にいさん!」「生きてかえってくれっ」「死ぬなよ――!!」と叫ぶシーンだ。
とはいえ、『巨人の星』は毎回隅から隅まで読み返したが、『光る風』は半分も読んでいないように思う。全編を通して読んだのは、大学生時代に駿河台にあった喫茶店で単行本を手にした時だっただろう。今の漫画喫茶(インターネット喫茶)には膨大な漫画が常置されているが、当時は普通の喫茶店で、多数の漫画をそろえている店を漫画喫茶と呼んでいた。国鉄中央線の御茶ノ水駅周辺には数軒の漫画喫茶があり、ぼくが『光る風』を手にしたのは、御茶ノ水橋口改札から一番近い漫画喫茶だった。記録では一九七二年四月に『光る風1・2』(朝日ソノラマ)が出版されているので、それを一九七四年初夏に読んだことになる。
今回調べてみると、山上たつひこ『光る風』(小学館、二〇〇八年)が「初の完全版」と銘打って出版されていたので、慌てて注文した。全一巻六〇〇頁を超える小学館版には、朝日ソノラマ版では省略されていた扉頁などが復元されている。連載から三八年目にして漸く完全版が刊行された「ポリティカル・フィクション」だ。
背景はベトナム戦争だが、もう一つ藻池村事件が冒頭に提示される。S県藻池村で「とつぜん原因不明の奇病が発生、一万二千三百人が発病し七百十二人の死者を出した」といい、その後も「奇形病」が相次ぎ、隔離されていく。藻池村の「謎」を追う教師、学生、そして書店主。他方で、「国連協力法」を口実に、ベトナム戦争への加担のために「国防隊」ベトナム派遣が強行される。反戦運動を徹底弾圧する狂気の抑圧社会。反戦運動に関わった者も監獄へ、精神病院へと隔離収容されていく。
言うまでもなく、湾岸戦争以後、自衛隊は国際協力や国連協力を口実に、イラク、カンボジア、ゴラン高原、東ティモール、インド洋へと派遣されてきた。
光高が四肢を失った謎も解き明かされる。「戦闘中のきず」ではなく、米軍の開発した「新兵器」の運搬中の事故であった。「日本兵だけに運ばせる新兵器・・・」。日米安保条約に基づいて駐留する米軍による差別が浮上する。藻池村事件も近傍に化学工場が存在した事実が明らかになる。
誰しも劣化ウラン弾と呼ばれる放射能兵器を思い出さずに入られないだろう。湾岸戦争で実戦使用された放射能兵器は、イラクやコソヴォの民衆に猛烈な放射能被害を与え続けているが、同時に米軍兵士たちも被曝している。多くが黒人を始めとする有色人種や、貧困ゆえに軍隊入りを決意せざるを得なかった無産階級の兵士たちだ。歓呼の声に送られて勇ましく戦場に向かったが、戦場で被曝し、帰還後に発病しても満足な診察・治療も受けられない。米軍は「劣化ウラン弾は安全だ」と言い続けているからだ。イラクに派遣されて米軍を輸送した自衛隊員はどうなのか。まともな診療が行われているだろうか。
巻末、「暴走列島」を大地震が襲う。廃墟と化した都会を恋人の遺骸を抱えながら彷徨い、ついに倒れる弦の眼に映るものは何か。
山上たつひこは『光る風』によって文字通り「時代と激突した」。飛び散った火花の大きさがどの程度のものだったかは知らない。時あたかもベトナム反戦運動、学生運動、そしてフォークソングが若者に執り憑き、反戦歌や反差別歌が発売禁止になっていた。『光る風』は、政治的圧力によって連載が中断させられたとか、そのために山上たつひこはギャグ漫画に転向せざるを得なかったとか、とかく噂が流れたという。それも頷ける悲惨で陰鬱な、そして重たい「フィクション」である。