Monday, May 19, 2025

マグナ・カルタ原本発見記事で思い出したこと

朝日新聞519日朝刊に「マグナ・カルタ、貴重な原本だった 米ハーバード大、「写本」安値で購入」という記事が掲載された。

https://www.asahi.com/articles/DA3S16216256.html?msockid=39656b98262d63d91b7179fe27c76213

ハーバード大学が保有する「写本」が実は1300年の原本だったと言う。1215年が最古のマグナ・カルタには20種類くらいの原本があるようだ。

マグナ・カルタは、私の恩師である櫻木澄人の研究テーマの一つだった。

かつて次のように書いた。

「筆者が初めて読んだ櫻木澄和の論文は「遺棄罪の問題点」だが、むしろ「マグナ・カルタの“古きよき基本法”への展開と法理の構造」に感銘を受けた。学部四年生の時で、何が書いてあるのかほとんど理解できなかったが、続いて一九五八年の論文「マグナ・カルタの神話」、一九六五年の論文「近代市民法の論理仮説」を読み了えた時には大学院へ進んで櫻木を指導教授に選ぶことに決めていた。企業法学のゼミに属していたため早々と某銀行に就職が内定していたのを取り消して進路を変更した。その後の苦労の始まりだが、人生の選択としてはベストだった、と今になって思う。」(前田朗『黙秘権と取調拒否権』三一書房)。

櫻木澄和「マグナ・カルタの神話」『法学新報』6510号(1958年)

櫻木澄和「マグナ・カルタの古きよき基本法への展開と法理の構造」『比較法雑誌』10巻2号(1977年)

これを読んで大学院に進んだが、櫻木の指導は厳しすぎて、なかなかついていけなかった。苦労の連続だったが、諦めなかったのが良かった。

「封建文書を資本主義刑法の「淵源」とし、イギリス法の象徴をドイツ法の模範として掲げる二重の錯誤がいかにして可能となるのか。「わが国における刑法学が、罪刑法定『主義』を説明するばあいに、憲法三一条を引照するが、憲法八一条を引照して理論構成するのをまったくといっていいほどみなかけない」と言う櫻木は「イングランド中世のマグナ・カルタは、一見、憲法八一条の原型質ともみえそうな法理をもっていたし、クックの“神話”は中世マグナ・カルタの再解釈という手続きをとらざるをえなかった。“古きよき基本法”の法理は、中世マグナ・カルタに始原していたのである」とみて、マグナ・カルタの成立とその再編及び再発見の歴史過程を具体的に分析する。」(前田同書)

「マグナ・カルタの変容は封建的身分的階級構造に規定されつつも、時代の要請に応えながらの自己改革の過程ともいえる。“古きよき基本法”は絶対王権に対する一定の控制機能を果たした面も指摘されるが、「法の下に立つ国王」という観念は登場していない。“古きよき基本法”はマグナ・カルタの再編であって、マグナ・カルタを超えるものではなかった。

 「“古きよき基本法”という法思想は、ヘンリ七世とヘンリ八世による絶対王政が本格的に確立されてく過程で、破壊されていく。しかし絶対王政から市民革命への推転期にかけて、第二の“古きよき基本法”観念が発掘される。」」(前田同書)

 ほとんど弟子をとらず研究者をあまり育てなかったが、多くの若手研究者に影響を与え、ゼミ生から多数の優秀な弁護士を輩出した櫻木は1993年、現職教授のまま逝去した。67歳であった。

 2022年、67歳を迎えた私は、自分の『黙秘権と取調拒否権』を読み直した。2016年に出版したが、取調拒否権論は残念ながら学界や法曹界に影響を与えることができなかった。

 このまま終わるかと思っていたが、世の中おもしろいもので、2024年、弁護士たちが「取調べ拒否権の実現を求める会」を立ち上げた。欣喜雀躍する私である。

 櫻木の主要論文は、私見では、次の論文である。

 櫻木澄和「現代における法と主体-客体-関係の構造」『法律時報』521011号(1980年)、53巻5号、7号(1981年)

 私が大学院修士課程時代に書かれた論文だが、その内容について櫻木本人から話を聞いた記憶はない。一度、「これに加筆して1冊にまとめると出版社に約束したが、できなかったのが残念」と聞いただけである。

この論文を理論的に超えることが私の課題だが、まだ難しいようだ。弟子にとって恩師とはそういうものなのだろう。