意見書・長生炭鉱遺骨DNA鑑定の正当性と合法性
12月23日、衆議院第1議員会館で「長生炭鉱ご遺骨返還に向けた政府との意見交換会」及び記者会見が開かれた。
その場で公表した意見書を公開する。なお、誤植を手直しするとともに一部加筆削除を施した。
2025年12月23日(修正版)
前田 朗(東京造形大学名誉教授・人権論)
一 結論
二 理由
Ⅰ 事案の概要
Ⅱ 遺骨損壊罪の法解釈
1 刑法190条
2 保護法益
3 成立要件(構成要件)
Ⅲ DNA鑑定による遺骨損壊罪の成否
1 保護法益の検討
2 構成要件の検討
3 本件DNA鑑定の正当性と合法性
Ⅳ 国際人権法の視点
1
被害者の権利と遺骨へのアクセス権
2
記憶する権利と真実への権利
Ⅴ 日本政府の責任
1 DNA鑑定問題
2 海底坑道への放置
3 歴史的責任
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一 結論
1.長生炭鉱海底坑道で発見された遺骨の身元特定のために、DNA鑑定が不可欠である。日本政府はすみやかにDNA鑑定を実施するべきである。
2.日本政府がこれを行わない場合、民間人が主導してDNA鑑定を実施する必要がある。
3.民間人による本件DNA鑑定は死体等損壊・領得罪(刑法190条)の保護法益を侵害せず、構成要件に該当しない。本件DNA鑑定は、合法かつ正当である。
4.国際人権法では遺骨へのアクセス権、喪に服する権利、記憶する権利、真実への権利が議論されており、長生炭鉱遺骨の遺族や韓国社会にはこれらの権利が保障されるべきである。
5.日本政府は、DNA鑑定と遺骨返還を遅延させることによって、刑法190条の保護法益が侵害される状態を招いている。
6.日本政府は、DNA鑑定と遺骨返還を遅延させることによって、遺骨へのアクセス権、喪に服する権利、記憶する権利、真実への権利が侵害される状態をつくり出している。
二 理由
「長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会」(以下「刻む会」)は、長年にわたって日本政府に海底坑道の調査・発掘を要請してきたが、日本政府はこれに協力してこなかった。
刻む会は、自らの負担(財政、人材、クラウドファンディング等)で海底坑道調査に漕ぎ着け、2025年8月25日、海底坑道で遺骨を発見した。発見された遺骨を直ちに山口県警に引き渡した。
発見された遺骨は、1942年2月3日の長生炭鉱水非常(事故)によって海底坑道に埋もれた骨と推定される。当該遺骨は、海底坑道で作業していた183名のうちの誰かと考えられる。その内訳は、朝鮮半島出身者136名、日本人47名である。それ以外に海底坑道に人骨が存在した可能性はない(長生炭鉱水非常について、前田朗『旅する平和学』彩流社、2017年)。
刻む会は日本政府に協力を要請したが、厚労省担当者は刻む会の要請に応じてこなかった。
刻む会は当該遺骨を山口県警に引き渡したが、山口県警はDNA鑑定しようとしない。鑑定実施の判断は警察庁など国の判断としている。
警察庁は、NHKの文書質問に「DNA鑑定の実施の判断のために韓国政府との協議を要するなど通常とは異なる配慮が必要で、関係省庁と調整し韓国政府との意思疎通の結果を踏まえ適切に判断していく」と回答したという。
韓国の犠牲者遺族は遺骨の返還、それゆえ遺骨のDNA鑑定実施を希望している。
刻む会は31件(日本人2名の犠牲者、朝鮮人27名の犠牲者)のDNA情報を2025年10月21日に警察庁に提出した。韓国政府は重複分を除き57人の犠牲者のDNA情報を保有しているという。韓国政府は遺骨鑑定に参加することで国民の貴重なデータを活かす担保にしようとしている。刻む会と合わせて83名分の犠牲者のデータがある。
Ⅱ 遺骨損壊罪の法解釈
1 刑法190条
刑法190条 死体、遺骨、遺髪又は棺に納めてある物を損壊し、遺棄し、又は領得した者は、3年以下の拘禁刑に処する。
刑法190条は「死体損壊罪」「死体等損壊罪」と呼称されることが多いが、本稿では遺骨のDNA鑑定が主題となるので、遺骨損壊罪という用語も用いる。
2 保護法益
刑法190条の死体等損壊罪の保護法益は、刑法学では社会的法益と理解されている。
①死者に対する敬虔感情――死者に対する社会的な敬意や感情を保護すること。死体等は、社会的な習俗に従って、適切に扱われるべきであり、これを損壊することは社会全体の倫理観を侵害することになる。
②宗教的感情――死者に対する宗教的な感情を保護すること。いずれの文化や宗教においても、死者の扱いは非常に重要であり、適切な埋葬や葬祭が求められる。このような行為を損壊・妨害することは、人々の宗教的な信念を侵害することになる。
それゆえ、死者本人や遺族(個人)の権利・法益に対する侵害ではなく、社会的な習俗や宗教に関連して理解される。
最高裁判所判決は保護法益について次のように述べている。
「刑法190 条は、社会的な習俗に従って死体の埋葬等が行われることにより、死者に対する一般的な宗教的感情や敬けん感情が保護されるべきことを前提に、死体等を損壊し、遺棄し又は領得する行為を処罰することとしたものと解される。」(最高裁令和5年3月24 日判決(刑集77 巻3号41 頁))
それゆえ、刑法190 条の犯罪類型は、「単なる」死体等の損壊、遺棄、領得を処罰するものではなく、「死者に対する一般的な宗教的感情や敬けん感情を侵害する態様」の死体等の損壊、遺棄、領得を処罰するものである。
福永俊輔によると、「洋の東西を問わず、死者をねんごろに葬り追慕と祭祀の対象とすることは、古くから人間の慣わしとして行われてきた宗教風俗に他ならない。ゆえに、死体遺棄罪の保護法益は、公衆の一般的な宗教的感情、死者に対する追悼・敬虔の感情であるとするのが学説上の通説であり、裁判例においても同様に理解されている。したがって、社会的に見て『公衆の一般的な宗教的感情、死者に対する追悼・敬虔の感情を害する態様の死体等の放棄・隠匿』が死体遺棄罪の実行行為である『遺棄』ということになる」という(福永俊輔「熊本技能実習生死体遺棄事件控訴審判決」『西南学院法学論集』第55巻2号、2022年)。
さらに、最高裁令和5年3月24 日判決が示した保護法益の理解について、福永俊輔「死体遺棄罪における『遺棄』について」『西南学院法学論集』第58巻2号(2025年)参照。
酒井智之は、「法益侵害の有無という点では、一般的に行われている方法で死体を葬る行為につき死体遺棄罪の成立が否定されることに疑いがないとしても、敬虔感情という保護法益は極めて抽象的であり、具体的にいかなる行為がそれを害するかを判断することは容易ではない」として、「死体遺棄罪の成立範囲を明確にするためには、保護法益を具体的に捉えた上で、それに基礎づけられた形で『遺棄』の意義を明らかにする必要がある」と言い、保護法益を詳細に検討する必要性を指摘する(酒井智之「死体遺棄罪の保護法益と作為による遺棄の意義」『一橋法学』第21巻3号、2022年)。
他方、松宮孝明は、死体等遺棄罪の保護法益を「個人的法益」として把握し直しており、個人的法益説も有力説となってきている(松宮孝明「『他者による葬祭可能性の減少』と死体遺棄」『立命館法学』404号、2022年)。
ここでは、判例及び多数説に従って、死体等遺棄罪、それゆえ遺骨損壊罪の保護法益について社会的法益として理解し、最高裁令和5年3月24 日判決の「社会的な習俗に従って死体の埋葬等が行われることにより、死者に対する一般的な宗教的感情や敬けん感情が保護されるべきこと」を保護法益として理解する。
3 成立要件(構成要件)
刑法190条の客体は、死体、遺骨、遺髪又は棺に納めてある物である。その実行行為は「損壊し、遺棄し、又は領得」である。
②
損壊とは、基本的に「客体を物理的に破壊する行為」を指すと理解されている。
②遺棄とは、客体を捨てること、放棄することである。埋葬等の方法によらずに死体を放棄することである。つまり、「社会的な習俗に従って死体の埋葬等が行われる」ことを妨げる方法で客体を放棄することを意味する。習俗上の埋葬方法とは認められない態様で客体を放棄することである。
③領得とは、窃盗罪や強盗罪など奪取する罪におけるように、占有者の意思に反して財物の占有を取得することを指す。一般的な表現をするなら、他人の財物を自分の財物であるかのように振舞うことである。
すでに述べたように、形式上の損壊や領得の行為があったからといって直ちに遺骨損壊罪が成立するのではなく、保護法益を侵害する態様で当該行為が行われることが必要である。
なお、遺骨損壊罪は作為だけでなく、不作為によっても成立する場合があることが判例通説で認められている。死者を埋葬する義務のある者が、適切な埋葬を行わずに放置した場合や、他者による適切な埋葬を妨げる結果をもたらした場合に、不真正不作為犯が成立する場合がある。
福永俊輔によると、「遺棄の行為の態様としては、こうした作為形態のみならず不作為形態のものもあるとするのが判例の確立した見解であり、学説上も不作為による遺棄を認める見解が通説である」。不作為がつねに遺棄に該当するのではなく、「不作為による遺棄は行為者に葬祭義務がある場合(葬祭義務者)に限られるとされている。これは、不真正不作為犯の成立には作為による構成要件と同視できるものでなければならず、そのために行為者に作為義務が必要とされるところ、死体遺棄罪においては葬祭義務が作為義務に当たるとされているのである」(福永俊輔「孤立出産の末の死産と死体遺棄罪」『西南学院法学論集』第54巻2号、2022年)。
この点は日本政府の責任に関連するので、後述する。
Ⅲ DNA鑑定による遺骨損壊罪の成否
1 保護法益の検討
本件DNA鑑定の実施は「損壊」に当たるか。形式的には「損壊」に当たるように見えるが、実質的には当たらないと解釈するべきである。
本件DNA鑑定の実施によって、保護法益が侵害されるかを検討する必要がある。
最高裁令和5年3月24
日判決によると、刑法190条は「死者に対する一般的な宗教的感情や敬けん感情を侵害する態様」の死体等の損壊、遺棄、領得を処罰するものである。
本件DNA鑑定は、遺骨の返還及び埋葬のため、遺骨の主を特定するために実施されるDNA鑑定であるから、「死者に対する敬虔感情」や「宗教的感情」を損なうことはなく、保護法益が侵害されることはない。
次に、本件DNA鑑定のために遺骨を刻む会の手元に保管する行為は「領得」に当たるか。これも「損壊」の場合と同様に考えられる。
すなわち、本件DNA鑑定のために遺骨を刻む会の手元に保管するのは、遺骨の身元を特定し、身元が判明すれば返還し、遺族等による慰霊や埋葬等を促進するためである。
最高裁令和5年3月24 日判決によると、刑法190条は「死者に対する一般的な宗教的感情や敬けん感情を侵害する態様」の死体等の損壊、遺棄、領得を処罰するものである。本件DNA鑑定は「死者に対する一般的な宗教的感情や敬けん感情を侵害する」ことはなく、むしろ、返還及び埋葬を促進する行為である。
刻む会が遺骨の一部を手元に保管するのは、DNA鑑定を実施し、遺族や故郷に返還するためである。刻む会として当該遺骨を保管し続けることを目的とするものではない。日本政府がDNA鑑定を実施して遺骨を返還するのであれば、刻む会は速やかに当該遺骨を日本政府に引き渡す用意がある。
2 構成要件の検討
上記の通り、本件DNA鑑定は刑法190条の予定する保護法益を侵害することがないから、構成要件に該当しないが、さらに検討する。
最高裁令和5年3月24 日判決によると、「刑法190 条は、社会的な習俗に従って死体の埋葬等が行われることにより、死者に対する一般的な宗教的感情や敬けん感情が保護されるべきことを前提に、死体等を損壊し、遺棄し又は領得する行為を処罰することとしたものと解される」のであるから、保護法益を侵害しない行為は「死体等を損壊し、遺棄し又は領得する行為」に該当しない。それゆえ、本件DNA鑑定は刑法190条の実行行為に該当しない。
本件DNA鑑定は、長生炭鉱水非常の真相を解明し、発見された遺骨を遺族の手元に返還し、埋葬・慰霊・追悼を実施するために行われる。それは日本市民社会の歴史的責任として実施されるものである。歴史的正当性があり、犠牲者遺族や韓国市民社会の法感情にも適う。その意味で社会的相当性が非常に高いと言える。それゆえ刑法190条の構成要件に該当せず、正当な行為である。
福岡高裁令和4年1月19日判決によると、被告人の行為がその「外観からは死体を隠すものに見え得るとしても、習俗上の葬祭を行う準備、あるいは葬祭の一過程として行ったものであれば、その行為は、死者に対する一般的な宗教的感情や敬けん感情を害するものではなく、『遺棄』に当たらないから、被告人が現にした行為がそれらを害するものであるかどうかを判断するにあたって事後の死体の取り扱いについての意図を考慮することは、誤りではない」と言う。
福永俊輔は、行為者の「意図」を考慮する可能性を指摘し、保護法益が侵害されたか否かを判断する際に、行為者が死体損壊罪の「意図」を有していたのか否かを検討している(福永俊輔「熊本技能実習生死体遺棄事件控訴審判決」『西南学院法学論集』第55巻2号、2022年)。
刻む会は、死体等損壊罪の「意図」を有するものではなく、DNA鑑定の実施により、当該遺骨を遺族や故郷に返還して、遺族等の手により葬祭が行われることを促進する「意図」を有している。この点からも、本件DNA鑑定及びそのための保管行為はこのような目的で行われるから宗教的感情に沿うものであり、遺骨損壊罪の損壊や領得に当たらないことは明白である。
以上の通り、客観的要件に照らしても、「意図」という主観的要件に照らしても、本件DNA鑑定は遺骨損壊罪の構成要件に該当しない。
3 本件DNA鑑定の正当性と合法性
以上をまとめると、本件DNA鑑定は、日本政府(警察)が速やかに実施するべきものであり、DNA鑑定実施の必要性と相当性は非常に高いと言える。そうであれば、民間人がDNA鑑定を実施した場合であっても、その行為の目的、行為態様は合理的かつ正当なものである。あえて「損壊」と呼ぶ必要がない。仮に形式上は「損壊」や「領得」に当たるように見えるとしても、刑法190条が前提とする保護法益を侵害することがないので、構成要件該当性はなく、犯罪とはならない。
法益侵害に着目してさらに検討すると、本件DNA鑑定は犠牲者特定の目的で実施されるものであり、その必要性と相当性が高いと言えるから、「死者に対する敬虔感情」や「宗教的感情」を損なうことはない。
逆に、犠牲者遺族が慰霊・追悼目的でDNA鑑定実施を希望しているので、DNA鑑定実施こそが埋葬・慰霊を促進するものであり、「死者に対する敬虔感情」や「宗教的感情」に合致している。
Ⅳ 国際人権法の視点
1 被害者の権利と遺骨へのアクセス権
国際人権法で重視されてきた「人間の尊厳」が民主主義国家において最も尊重されるべき価値であることには異論がない。日本国憲法第13条は「個人の尊重」、同第24条は「個人の尊厳」を明記しており、人間の尊厳と同一ではないが、日本においても人間の尊厳が重要な価値であることは共有されている。
2005年の国連総会で採択された「国際人権法の重大な違反および国際人道法の深刻な違反の被害者に対する救済および賠償の権利に関する基本原則とガイドライン」によれば、「被害者の救済の権利」として、(a)司法への平等かつ実効的なアクセス、(b)被った損害に対する充分で実効的かつ迅速な賠償、(c)違法行為と賠償制度に関する適切な情報へのアクセスが挙げられる。
損害賠償として、「原状回復、補償、リハビリテーション、満足および再発防止の保障」が掲げられている。このうち「満足」について、次の事項が列挙されている。
①失踪者の行方の捜索、誘拐された子どもの身元特定、殺害された者の遺体の捜索、および被害者が表明した意思、推測される被害者の意思、又は家族やコミュニティの文化的習慣に従った遺体の回収、身元特定、改葬。
②被害者および被害者と密接に関係する者の尊厳、名誉および権利を回復する公式の宣言または司法判決。
③事実の認定と責任の承認を含む公的な謝罪。
④違反の責任者に対する司法上および行政上の制裁。
⑤被害者への記念と追悼。
⑥国際人権法および国際人道法の法教育およびすべてのレベルの教材に、発生した違反の正確な説明を含める。
2007年の国連先住民族権利宣言第12条は次の通りである(市民外交センター訳)。
「 1. 先住民族は、彼/女らの精神的および宗教的伝統、慣習、そして儀式を表現し、実践し、発展させ、教育する権利を有し、彼/女らの宗教的および文化的な遺跡を維持し、保護し、そして私的にそこに立ち入る権利を有し、儀式用具を使用し管理する権利を有し、遺骸/遺骨の返還に対する権利を有する。
2. 国家は、関係する先住民族と連携して公平で透明性のある効果的措置を通じて、儀式用具と遺骸/遺骨のアクセスおよび/または返還を可能にするよう努める。」
この規定は「先住民族の権利」について言及しているが、今日においては、先住民族のみならず、マジョリティ・マイノリティを問わず、すべての市民にとって「遺骨のアクセス」が権利であると考えられる。
2006年の強制失踪条約第15条は「締約国は、強制失踪の被害者を援助するため、失踪者を捜索し、発見し、及び解放し、並びに失踪者が死亡した場合には、その遺体を発掘し、特定し、及び返還するに当たり、相互に協力し、かつ、最大限の援助を与える」とする。
さらに同条約第24条は「被害者」の権利として、「被害者は、強制失踪の状況に関する真実、調査の進展及び結果並びに失踪者の消息を知る権利を有する」とし、失踪者が死亡した場合には、「その遺体を発見し、尊重し、及び返還するため、すべての適当な措置を取る」と定める。
国際人権法では、重大人権侵害被害者、先住民族、強制失踪被害者の権利として遺体等に関する権利保障が認められてきた。近年の国連人権理事会等の議論では、そもそも人間の基本的人権として遺体等及び記憶や追悼の権利が重要視されてきている。
2005年の重大人権被害者権利ガイドライン、及び2007年の国連先住民族権利宣言の国連総会での採択の際、日本政府は賛成した。2006年の強制失踪条約について、日本政府は2007年に署名した(同条約は2009年に発効)。
日本政府は遺体・遺骨へのアクセスの権利を保障・実現するために必要な措置を講じるべきである。DNA鑑定を実施して、すみやかに遺族等の元に遺骨を返還することは、決して至難の業ではなく、日本政府において容易に実施しうることである。
日本政府がこれを実施しない場合に、民間人が自らの責任で本件DNA鑑定を実施することは、国際人権法に照らして積極的な意味を有し、正当行為である。
2 記憶する権利と真実への権利
ウラディスラウ・べラヴサウ&アレクサンドラ・グリシェンスカ-グラビアス編『法と記憶――歴史の法的統制に向けて』所収のアントン・デ・ベーツ(オランダ・フローニンゲン大学教授)の論文「国連自由権規約委員会の過去についての見解」は、権利としての記憶と権利としての歴史について検討する。
権利としての記憶に関する見解として、デ・ベーツは、①喪に服する権利、②記念する権利、③記憶する権利、④歴史見解を禁止する記憶法の不存在、⑤自由な表現を制限しない伝統、を列挙する。
続いて、権利としての歴史に関する見解として、①過去についての真実への権利、②過去についての情報への権利、③過去の犯罪を捜査する国家の義務、を掲げる。
ごく一部だけ紹介しよう(詳しくは、前田朗『ヘイト・スピーチ法研究要綱』三一書房、2021年参照)。
①
喪に服する権利
デ・ベーツによると、尊厳に基づく人権原則は喪に服する権利をプライバシーや思想の権利に含めていると言える。シェトコ対ベラルーシ事件では、息子がいつ、どこで処刑されたか、どこに埋葬されたかも教えられなかった事案について、国際自由権委員会は国際自由権規約第7条に違反すると指摘した。埋葬場所を知らせることや遺体を遺族に返還するようを勧告した。
②
記念する権利
デ・ベーツは私的に喪に服する権利は必然的に公的に喪に服する権利や記念する権利に広がり、表現の自由や平和的集会の権利につながるという(自由権規約第19条、第21条)。国際自由権委員会一般的勧告第31号(2004年)は人権侵害被害者について「公的に謝罪し、公的に記憶することのような補償措置」があるとした。ソ連邦時代のスターリン主義抑圧の被害者を記念するための集会に関するベラルーシの事件で、国際自由権委員会は平和的な記念活動を組織する権利を支持した。
③
記憶する権利
デ・ベーツによると、国際自由権委員会は記憶する権利を国際自由権規約第18条2項に関連付け、思想の自由に関する委員会一般的勧告第22号(1993年)、意見・表現の自由に関する一般的勧告第34号(2011年)を想起した。市民には記憶する権利があり、これには喪に服する権利と記念する権利が含まれる。
④
真実への権利
デ・ベーツによると、過去に人権侵害を受けた被害者や遺族には真実にアクセスする権利があることが1990年代を通じて認識されるようになった。真実への権利は情報への権利、実効的救済の権利、非人道的措置から自由な権利と結びつきを有する(自由権規約第19条、第2条3項、第7条)。キンテロス対ウルグアイ事件で、国際自由権委員会は娘が失踪した母親に娘に何が起きたかを知る権利があるとした。真実への権利が保障されないと直接被害者の遺族も人権侵害被害者となる。
⑤
情報への権利
デ・ベーツによると、情報への権利は個人が公共機関が保有する情報にアクセスする権利であり、遺族にも認められる。ぺゾルドヴァ対チェコ共和国事件で、国家による財産破壊を被った申立人が1991~2001年の間、政府資料へのアクセスを否定されたことを国際自由権委員会は実効的救済の権利が侵害されたとした。国際自由権委員会一般的勧告第34号も同じ趣旨を述べている。
⑥
過去の犯罪を捜査する国家の義務
真実への権利には国家が過去の犯罪を捜査する義務が対応していなければならない。国際自由権委員会は1982年以来、一般的勧告第6号(生命権)、第20号(拷問の禁止)などでこの義務を認めてきた。
他方、国連「真実・正義・補償・再発防止保障特別報告者」のファビアン・サルヴィオリ(アルゼンチン・ラプラタ大学教授)の報告書『人権と国際人道法の重大違反の文脈における歴史記憶化過程――移行期正義の第五極』(A/HRC/45/45. 9 July 2020)は、移行期正義は異なる時間軸にかかわると言う。
第1に過去の侵害に光を当てる(事実の認定、刑事法では実行者の処罰)。
第2に現在の問題(被害者の記憶の認知・尊重・共有化、補償の提供、体験を語ること、公的謝罪、歴史否定主義との闘い)。
第3に未来のための準備(教育を通じての未来の暴力の予防、平和の文化の構築)。
サルヴィオリによると、南アフリカ真実和解委員会は南アフリカにおける人種関係を変更するためにアパルトヘイト犯罪に対処し、異なる未来を構想するのに役立った。委員会の仕事は技術的ではなく、言葉のもっともよい意味で政治的であり、被害者集団、メディア、政治家、労働組合等にも幅広い支持を得た。
第二次大戦後のニュルンベルク裁判だけでなく、1960年代のニュルンベルク継続裁判に引き続き、膨大な研究書が出版され、多くの学生たちが強制収容所を訪問し、ホロコーストについての数々のテレビドラマが放映された。これら全体によってナチスの犯罪が認知され、民主社会への移行が果たされた。
カナダの真実和解委員会は、インディアン居住学校の悪しき遺産に影響を受けた人々についての歴史の事実を確定した。リベリアでは真実和解委員会の勧告により保障と紛争解決メカニズムが検討された。シエラレオネでは真実和解委員会が国家の将来構想に広く反映させられた。アルゼンチン真実委員会と責任者の訴追により、軍事独裁下の国家テロリズムについての共通理解が形成された。
以上のように、国際人権法は喪に服する権利、記念する権利、記憶する権利、真実への権利を練り上げてきた。各国はこれらの権利を尊重し、実現するために必要な措置を講じるべきである。国際社会における紛争時の記憶化の課題はまさに現在進行中の重要人権問題である。
Ⅴ 日本政府の責任
1 DNA鑑定問題
DNA鑑定を実施せず放置することは「死者に対する敬虔感情」や「宗教的感情」を損なうものと言うべきである。
長生炭鉱は民間企業であったが、第二次世界大戦の戦争遂行に資するべく危険な労働条件で増産に励んだために水非常事故を惹起した。
戦後も83年にわたって当事者の民間企業や日本政府が真相解明、遺骨調査を実施することなく、放置してきた。このため当該遺骨が犠牲者遺族の手元に返還されることなく83年を徒過したものである。
日本政府には、長生炭鉱水非常の真相を明らかにし、犠牲者の氏名を特定し、発見された遺骨の身元を特定し、これを遺族及び韓国に返還する歴史的責任がある。
長生炭鉱水非常の真相を解明し、犠牲者の慰霊・追悼を行うことは、日本社会の歴史的責任であり、市民の責務である。同時に日本政府の歴史的責任であるから、日本政府は速やかにこれに協力するべきである。
それにもかかわらず、日本政府がDNA鑑定を実施せず、長期にわたって遺骨の身元特定を妨げ、その返還を妨げることは、刑法190条の保護法益を侵害する状態を招くことを意味するのではないか。
最高裁令和5年3月24 日判決によると、刑法190条は、「死者に対する一般的な宗教的感情や敬けん感情を侵害する態様」の死体等の損壊、遺棄、領得を処罰するものである。
福岡高裁令和4年1月19日判決によると、「他者により適切な時期に葬祭が行われる可能性を著しく減少させたという点において死者に対する一般的な宗教的感情や敬けん感情を害する」ことが死体遺棄罪の実質である。
「他者により適切な時期に葬祭が行われる可能性を著しく減少させた」と言う場合の「適切な時期」がどの程度の期間を意味するのか明確な法規定はなく、判例においても必ずしも明らかではない。
福岡高裁令和4年1月19日判決の事案は、死亡から「1日と約9時間」であった。
死体損壊罪における「適切な時期」について論じた学説の多くは、死亡直後の遺棄事案に関するものである。本件のように水非常から80年以上の歳月を経て発見された遺骨について論じた学説は見当たらない。
とはいえ、死亡届の提出時期は「死亡の事実を知った日から7日以内(国外で死亡したときは、その事実を知った日から3か月以内)」とされている。
墓地、埋葬等に関する法律第3条は、「埋葬又は火葬は、他の法令に別段の定があるものを除く外、死亡又は死産後24時間を経過した後でなければ、これを行つてはならない。但し、妊娠7箇月に満たない死産のときは、この限りでない。」と定める。
死体の場合は腐敗する等の事情があり、本件遺骨は腐敗する恐れがないので、ただちに墓地、埋葬等に関する法律を適用するべきとは言い難いかもしれない。
しかし、最高裁判決に「社会的な習俗に従って死体の埋葬等が行われることにより、死者に対する一般的な宗教的感情や敬けん感情が保護されるべきこと」とあるので、死亡後すみやかに葬祭の準備を行い、これを実施することが一般的な宗教的感情に合致することは論を待たない。
刻む会は2025年8月25日に海底坑道から遺骨を発見し、これを山口県警に引き渡した。このことは同日、主要なメディアに大きく報道され、遺骨発見は社会的に周知の事実となった。韓国においても本件は関心を集め、繰り返し報道された。それゆえ、犠牲者遺族は、発見された遺骨の身元特定がなされれば、すみやかに遺族のもとに返還されると期待した。
刻む会が遺骨を発見したことが報道された時点で、犠牲者遺族及び日韓の市民社会は、すみやかにDNA鑑定が実施され、遺族が特定されれば遺骨が遺族の元に返還され、埋葬・慰霊・追悼が行われるものと信じた。遺族が特定されなくても遺骨が望郷の丘に送られることで、韓国市民社会のもとで埋葬・慰霊・追悼がなされるものと期待した。にもかかわらず、身元特定も返還も行われていない。
日本政府は、必要なDNA鑑定を実施しないこと(不作為)によって、日韓の市民社会における「死者に対する敬虔感情」や「宗教的感情」を損なう事態を招いている。これにより、犠牲者遺族の側から見れば、遺骨の「隠匿」状態が作り出されている。帰ってくるはずの遺骨が帰って来ないからである。
83年の歳月が流れたので、数カ月の遅延などさして重要でないと考えるべきではない。83年の歳月を経て、ようやく遺骨が帰ってくると期待して、慰霊の時を待ちわびている遺族にとって、数カ月の遅延はとうてい甘受できる遅延とは言えない。日韓の市民社会における宗教感情に照らしても、すみやかな返還が求められる。
最高裁令和5年3月24 日判決によると、刑法190条は、「死者に対する一般的な宗教的感情や敬けん感情を侵害する態様」の死体等の損壊、遺棄、領得を処罰するものである。死体等の「遺棄」には一定の「隠匿」が含まれるというのが刑法学説及び判例である。
2 海底坑道への放置
さらに検討するべき重要な論点がある。
本件遺骨は刻む会が発見し、山口県警に引き渡した。上記の議論は、山口県警に引き渡して以後の遺骨領得や遺骨遺棄(隠匿)についてのものであるが、遡って遺骨発見以前の日本政府の義務を検討する必要がある。
というのも、1942年の水非常から83年もの歳月が流れた。つまり、犠牲者の遺骨は83年以上の長期間、冷たい海に放置されてきた。
放置してきたのは誰か。換言すると、葬祭義務を負うのは誰か。
身元不明の遺体は、墓地、埋葬等に関する法律、及び行旅病人及行旅死亡人取扱法により、取り扱われる。遺体等の引取者がいない時は、死亡地の市町村が遺体の火葬等を行うことになる(行旅法第7条)。
本件遺骨について、直接的には死亡地の宇部市が葬祭を行うことになる。ただ、本件は規模及び被害の点で重大事故であり、83年もの長期に及んでいるだけではなく、犠牲者の多くが朝鮮半島出身者であるため、日韓間の外交問題になってきた。この点に着目すれば、本件遺骨の葬祭義務者は日本政府である。
日本政府には、長生炭鉱海底坑道に残された遺体を探索し、発見し、引き揚げ、そして適切な時期に葬祭を行う作為義務があった。にもかかわらず、日本政府はこれを怠ってきた。
日本政府は刻む会からの要請にもかかわらず、自らの作為義務を怠っただけでなく、刻む会及び遺族が期待する葬祭を妨げている。
不作為犯は継続犯であり、日本政府は今日まで不作為による死体遺棄を続けていると評価できる。
遺骨を冷たい海の中に放置しておくことは、「死者に対する一般的な宗教的感情や敬けん感情を侵害する態様」の死体等の遺棄に当たるのではないか。一般人をして「死者に対する敬虔感情」や「宗教的感情」を損なうものと認識しうる状態となっているのではないか(不作為による死体遺棄等について、福永俊輔「孤立出産の末の死産と死体遺棄罪」『西南学院法学論集』第54巻2号、2022年参照)。
3 歴史的責任
強制連行・強制労働や徴用工その他の名称で呼ばれる朝鮮半島出身者で、日本において死亡した者の遺骨は、朝鮮人強制連行真相調査団を始め多くの市民団体の手で調査され、故郷への返還が試みられてきた。
北海道の朱鞠内で遺骨の発掘と返還に生涯を賭けた殿平善彦は、「日韓政府間で膨大な時間と経費を使い、日本国内で何度も両政府が参加する遺骨の共同調査も行いながら、朝鮮人強制動員犠牲者の遺骨は日本政府の手を通しては、一体も返還されることなく今日に至っている」と述べる(殿平善彦『和解と平和の森――北海道・朱鞠内に朝鮮人強制労働の歴史を刻む』高文研、2025年)。
何度も繰り返してきたように、犠牲者遺骨の返還は、日本政府の責任であり、同時に市民社会の責任である。日本政府は、刻む会の努力と成果を踏まえてすみやかにDNA鑑定を実施し、遺骨を犠牲者遺族及び故郷に返還し、適時における葬祭を可能とするよう努力するべきである。
国際人権法に照らしても同様のことが言える。本稿ではごく一部の紹介にとどめたが、1980~90年代、国連人権委員会において重大人権侵害被害者の人権保障の議論が始まり、2005年には国連総会ガイドラインが採択された。1998年のローマ国際刑事裁判所規程によって設立された国際刑事裁判所も独自の被害者権利ガイドラインを策定した。
2005年の国連重大人権被害者権利ガイドライン、2006年の強制失踪条約、2007年の国連先住民族権利宣言など多くの人権文書において被害者への補償のための国家の責務が定められた。それには被害者の権利としての遺骨へのアクセス権、被害者遺族やコミュニティの喪に服する権利、祈念する権利、記憶する権利、真実への権利が含まれる。日本政府は国際人権法の視点から、その政策を見直す必要がある。
長生炭鉱で発見された遺骨のDNA鑑定を怠り、その遺族や故郷への返還を堰き止めることによって、日本政府は国際人権法の基本原則に反し、人道を拒否し、人間の尊厳を貶める結果を招いている。
<参考文献>
①酒井智之「死体遺棄罪の保護法益と作為による遺棄の意義」『一橋法学』第21巻3号(2022年)
②殿平善彦『和解と平和の森――北海道・朱鞠内に朝鮮人強制労働の歴史を刻む』(高文研、2025年)
③福永俊輔「孤立出産の末の死産と死体遺棄罪」『西南学院法学論集』第54巻2号(2022年)
④福永俊輔「熊本技能実習生死体遺棄事件控訴審判決」『西南学院法学論集』第55巻2号(2022年)
⑤福永俊輔「死体遺棄罪における『遺棄』について」『西南学院法学論集』第58巻2号(2025年)
⑥前田朗『旅する平和学』(彩流社、2017年)
⑦前田朗『ヘイト・スピーチ法研究要綱』(三一書房、2021年)
⑧松尾誠紀「死体遺棄罪における保護法益の実質とその成否判断」『北大法学論集』第72巻5号(2022年)
⑨松宮孝明「『他者による葬祭可能性の減少』と死体遺棄」『立命館法学』404号(2022年)
⑩Uladzislau Belavusau and Aleksandra Gliszczyńska-Grabias (ed.), Law
and Memory. Towards Legal Governance of History. Cambridge University Press,
2017.
⑪Fabian Salvioli, Memorialization processes in the context of serious
violations of human rights and international humanitarian law: the fifth pillar
of transitional justice. Report of the Special Rapporteur on the promotion of
truth, justice, reparation and guarantees of non-recurrence. A/HRC/45/45. 2020.