雑誌「統一評論」528号(2009年10月)
ヒューマン・ライツ再入門⑩
「慰安婦」強制連行は誘拐罪
安部発言の非常識
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七月一八日、横須賀市で「在日朝鮮人歴史・人権週間」東日本集会が開催された。
在日朝鮮人の人権問題は、現在の人権侵害と、その根底にある歴史における人権問題とを切り離したままでは全体を理解できない。問題解決も望めない。同週間は、歴史の中の人権を手がかりに、日本社会の特質を洗い出し、在日朝鮮人の人権がなぜ、どのように侵害されてきたのか、その解決のためには何が必要なのかを解明し、解決に向けて実践するための運動である。二〇〇七年一一月には山口県宇部市で全国集会が開催された(前田朗「海底炭鉱に眠る朝鮮人遺骨」『月刊社会民主』二〇〇八年二月号参照)。二〇〇八年八月には埼玉県さいたま市で全国集会が開催された(前田朗「コリアン・ジェノサイドの現場へ」『月刊社会民主』二〇〇九年二月)。そのほかにも各地で学習会や聞き取り調査が取り組まれている。
横須賀・東日本集会では、「強制連行」概念をひとつのテーマとした(以下は当日の筆者の口頭報告を敷衍したものである)。というのも、二〇〇七年にアメリカ下院において「慰安婦(日本軍性奴隷制)」問題の解決を勧告する決議案が上程・審議された際に、安部晋三首相(当時)が「官憲が家屋に押し入って連れ出す人さらいのような狭義の強制性はなかった」と発言したからである。
家屋に押し入って人さらいをしなければ構わないというのだから、安部発言は、路上や公園から誘拐するのは自由だと言っているようなものである。乱暴な安部発言が世界中で顰蹙を買ったことは言うまでもない。あまりにも非常識であり、一国の首相の発言とはとうてい考えられない。アメリカのメディアはもとより、欧州各地のメディアにも取り上げられた。そして、アメリカ下院だけではなく、オランダ議会、EU議会などでも同様の決議が採択されることになった。
ところが、日本の状況はまったく違った。安部元首相と同じように異様な心情と歪んだ歴史認識の持ち主が多くいる。メディアや市民の多くもこの問題を正しく理解していない。
「狭義の強制性がなかったとしても、広義の強制はあったのだから、それなりの責任はあるのではないか」といった反応はその一例である。こうした意見は責任を認めているようで、実は半分、安部元首相のごまかしに乗せられている。「強制」を恣意的に「広義」と「狭義」に分ける議論そのものが、異常な安部の発想である。これでは、非常識なのは安部だけではなく、日本の社会意識自体が、世界の常識からかけ離れた異常なものとなってしまうだろう。
安部元首相の見解に従うと、日本人拉致事件も「家屋に押し入って人を連れ出した」わけではないから、なかったことになってしまう。
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強制を考えるために
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「慰安婦」問題をはじめとする朝鮮人・中国人強制連行・強制労働について検討するためには、強制連行概念を明確にしなければならない。強制連行にはさまざまな局面があり、諸相がある。具体例はかなり多様である。そして、強制概念も一義的に明確というわけではない。
それではどのようにして強制連行概念を確立すればいいのだろうか。もっとも重要なのが法的概念であることは言うまでもない。第一に、日本政府の責任を追及するのであれば、法的責任の有無が最大の問題になる。道義的責任その他の責任も議論する必要があるが、まずは法的責任が問題であり、そのためにも法的概念が不可欠である。第二に、国際法上の概念が重要になる。日本国内で日本人に対して行われたことであれば、当時の日本法を検討すれば足りる。しかし、アジア太平洋各地の「植民地」や占領地で行われたことであるから、国際法が重要になる。
実際、一九九〇年代以来の国際人権機関では、奴隷の禁止、強制労働条約違反、人道に対する罪などの国際法上の基準に照らして議論が進められた。国連人権委員会のラディカ・クマラスワミ「女性に対する暴力」特別報告者、ゲイ・マクドゥーガル「戦時性奴隷制」特別報告者、二〇〇〇年の女性国際戦犯法廷などは、いずれも当時の国際法に照らして「慰安婦」問題の犯罪性と日本の国家責任を解明してきた。最近の拷問禁止委員会、自由権規約委員会、女性差別撤廃委員会などの条約機関から日本政府に対して勧告が相次いでいるのも、国際法の観点が大きい(前田朗『人道に対する罪』青木書店、二〇〇九年)。
このように従来、「慰安婦」問題は国際法の基準に照らして検討されてきた。安部元首相は、長年にわたって積み重ねられてきた国際法の議論を全否定して、「狭義の強制」に逃げ込んだのである。
それゆえ、強制概念を明確にするためにも、国際法上の概念整理を改めて行うことが必要とされているが、他方で、従来、国内法的検討が十分に行われてこなかったことも確認しておく必要がある。安部元首相のように「家屋に押し入って連れ出す狭義の強制」などと言うのは、路上誘拐を容認する発言であって、およそ非常識であるにもかかわらず、日本のメディアや一般の議論においてこの種の非常識な発言が共鳴を呼んでいるのも事実である。
強制概念を明確にするためには、国内法と国際法の両面に視線を向ける必要がある。
A 国際法
B 国内法
以下では、これまで十分に詰められてこなかった国内法に照らして強制概念を明確にしていこう。
(日本軍「慰安婦」の問題性は「強制連行」だけにあるのではなく、連行から「慰安所」での処遇にいたる全体において重大人権侵害が行われたことにある。強制連行、強制労働、さらには逮捕、監禁、暴行、脅迫、傷害、殺人、そして終戦後の遺棄、現地置き去りなど、数々の犯罪が行われたが、今回は立ち入らない。
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長崎事件判決
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「慰安婦」の徴募には様々の形態があった。すでに一九九五年の国連人権委員会に提出されたクマラスワミ「女性に対する暴力」特別報告者の予備報告書及び一九九六年の人権委員会に提出された「日本軍慰安婦報告書」は、徴募には、①自発的応募、②給料のよい仕事で騙す、③大規模な強制と奴隷狩りに匹敵する女性の暴力的連行、の三つの類型があると指摘していた。
仮に最初は①の自発的応募でも、慰安所に監禁し、「慰安」を強制し、劣悪な環境に置き続けたとすれば、当然に重大な人権侵害である。②の騙しの場合、本人を騙す場合や親を騙す場合が含まれるだろうが、前者は誘拐であり、後者は人身売買に当たる。③の大規模な強制は、例えば植民地支配下の朝鮮において法的強制に限らず、経済的その他の事実上の強制が行われたことは周知のことである。中国やフィリピンでは奴隷狩りと言うべき事態が報告されている。
これらの類型を検討する際に参考になる事例を、一九三七年の大審院判決が提供している。
一九九七年八月六日の毎日新聞が報道したように、「朝鮮人強制連行真相調査団」が発見した一九三七年三月五日の大審院第四刑事部判決は「女性を騙して国外の慰安所に送ることは国外移送目的誘拐罪に当たる」と判断した(大審院は今日の最高裁判所に相当する)。
「誘拐は犯罪である」という当り前のことを確認した大審院判決を見てみよう。『大審院刑事判例集』(一六巻・上、法曹会、一九三八年)によると、事件の内容は次のようなものである(以下「長崎事件」と呼ぶ)。
<Aは、一九三〇年一一月頃から上海で慰安所を営業していたが、一九三二年一月、「海軍指定慰安所」として営業を拡張しようと思い、B(判決当時は故人)の紹介で、上海の旅館でC、Dと相談して、Dが資金を提供し、BとCが日本から女性を雇い入れる事とし、その際、慰安所であることを秘匿し、単に女給または女中として雇うもののようにだまして誘惑し、上海に移送することとした。そこでDらは長崎にいたDの妻Eに女性募集を頼み、EはCの妻FとGに連絡して三名で分担して行うこととし、Dが帰国するや、さらにHをも加えて合意し、一九三二年三月下旬頃、IとJを介してKやLの協力も得て実行することとし、結局、I、L、J及びKが女性一五名をだまして誘拐し、上海に移送した>(現代的表現に直して引用した。以下同じ)。
この事実に対して、長崎控訴院は次のように判断した(控訴院は今日の高等裁判所に相当する)。
<第二審は被告人等が婦女を誘拐して上海に移送し醜業に従事させることを謀議した上、被告人A以外の被告人等がその謀議に基づき長崎地方において十数名の婦女を誘拐し、これを上海に移送したる事実を認定し、被告人等をいずれも共同正犯なりと判定し、その行為中誘拐の点に対しては刑法二二六条第一項、移送の点に対しては同条第二項を各適用し、なお右両行為の間に手段結果の関係あるものと認め同法五四条第一項後段に照らして処断したり>。
長崎地方裁判所及び長崎控訴院は、長崎事件につきAからLまでの全員について国外移送目的誘拐罪の成立を認め、順次共謀による共同正犯とした。
これに対して被告人らの一部が上告した。誘拐の実行行為をしたのはI、L、J、Kであり、他の者は謀議には参加したが、誘拐や移送の実行行為はまったくしていないし、女性をだまして誘拐する認識もなかったと主張した。上告に対して、大審院が判断を下した。「判決要旨」は次の三点にまとめられる。
①「国外移送の目的をもって人を誘拐しその被誘拐者を国外に移送することを謀議した者は、その実行行為を分担しなかった時といえども、国外誘拐並びに国外移送罪の共同正犯の刑責を負うべきものである」。
②「上海に移送する目的をもって人を誘拐して、これを同地に移送した時はただちに国外誘拐罪並びに国外移送罪の成立をきたすべく、同地に帝国軍隊が駐屯するか否か、帝国裁判権が行われるか否かは、犯罪の成立に関係ないものとする」。
③「国外移送の目的をもって人を誘拐した者が、その被誘拐者を国外に移送した時とは、その誘拐の点につき刑法二二六条第一項、移送の点につき同条第二項を各適用し、その間に手段結果の関係あるものとして、同法第五四条第一項後段に照らし処断するべきものとする」。
これが長崎事件・大審院判決の骨子である。前田朗「国外移送目的誘拐罪の共同正犯」(『季刊戦争責任研究』一九号、一九九八年[同『戦争犯罪論』青木書店、二〇〇〇年所収])参照。
その後、戸塚悦朗(龍谷大学教授)は、長崎地裁および控訴院の判決文が存在することをつきとめ、これを入手・公開して、検討を加えている。戸塚悦朗「戦時女性に対する暴力への日本司法の対応、その成果と限界――発掘された日本軍『慰安婦』拉致処罰判決をめぐって(上・下)」(『季刊戦争責任研究』四三号・四四号、二〇〇四年)、および戸塚悦朗「日本軍『従軍慰安婦』被害者の拉致事件を処罰した戦前の下級審刑事判決を発掘」(『龍谷法学』三七巻三号、二〇〇四年)参照。
戸塚によると、長崎事件判決は「日本軍『従軍慰安婦』の募集を日本の司法が犯罪として処罰したただ一つの事例」であり、「日本軍の『慰安所』に女性を拉致して、『慰安婦』にした加害者の処罰に関する今のところ最初の公文書」である。その歴史的位置について、戸塚は次のようにまとめている。
「拉致事件の発生は、判決言い渡しより四年前の昭和七年(一九三二年)のことであり、日本軍『慰安婦』被害者の事例としても、初期段階のものである。吉見義明教授が日本海軍の『軍慰安所』設置の最初の開設時期について論じている内容から考えると、相当早い初期段階の事例としてよいであろう。早期の日本軍『慰安所』の存在に関する有力な証拠の一つとなるばかりでなく、それらの設立が違法になされたことをも示す公文書と見ることができる」(戸塚悦朗、前掲『龍谷法学』八二五~八二六頁)。
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略取と誘拐
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「慰安婦」強制連行は誘拐罪にあたることが明らかになった。当時の刑法に基づいた判断であり、常識にも合致している。
誘拐罪というと、ほとんどの人は身代金目的誘拐罪を思い浮かべるだろう。テレビドラマでも、「お前の子どもを預かった。金を用意しろ」という電話から事件発生が明らかになるのが普通だ。他人の家に押し入って誘拐する例もないわけではないが、普通は路上や公園など屋外からの連れ出しである。
刑法が規定する誘拐罪には多様なものが含まれる。基本類型は次の通りであった。
ⓐ未成年者略取・誘拐罪(刑法二二四条)
ⓑ営利・わいせつ・結婚目的略取・誘拐罪(刑法二二五条)
ⓒ身代金目的略取等罪(刑法二二五条の二)
ⓓ国外移送目的略取・誘拐罪(刑法二二六条)
ⓔ被略取者収受等罪(刑法二二七条)
一般には誘拐罪と言われるが、刑法では「略取・誘拐」とされ、時に「拐取罪」とも呼ばれる。長崎事件で適用されたのは国外移送目的誘拐罪である。大審院判決当時の刑法(一九〇八年制定)は次のように規定していた。
<二二六条 帝国外ニ移送スル目的ヲ以テ人ヲ略取又ハ誘拐シタル者ハ二年以上ノ有期懲役ニ処ス帝国外ニ移送スル目的ヲ以テ人ヲ売買シ又ハ被拐取者若クハ被売者ヲ帝国外ニ移送シタル者亦同シ>
日本国憲法施行に伴い、一九四七年の一部改正で「帝国」が「日本国」に改められ、さらに一九九五年改正で次のように改められた。
<二二六条 日本国外に移送する目的で、人を略取し、又は誘拐した者は、二年以上の有期懲役に処する。日本国外に移送する目的で人を売買し、又は略取され、誘拐され、若しくは売買された者を日本国外に移送した者も、前項と同様とする。>
さらに二〇〇五年改正で、二二六条の「所在国外移送目的誘拐罪」、二二六条の二の「人身売買罪」、二二六条の三の「被略取者等所在国外移送罪」に分けられているが、基本内容は同じである。
長崎事件当時の国外移送目的誘拐罪には四つの行為類型があった。
①国外移送目的+略取
②国外移送目的+誘拐
③国外移送目的+売買
④被拐取者・被売者の国外移送
他の誘拐罪が日本国内における誘拐を念頭においているのに対して、国外移送目的を有する誘拐罪を別扱いにして独立の犯罪としたものである。国外移送目的誘拐罪であるから、現に国外に移送したことは必要なく、国外に移送する目的をもって誘拐して国内にいても、この罪の未遂が成立する。国外に到達することも必要なく、日本の港や空港から連れ出せば既遂となる。
「『略取』、『誘拐』とは、人を保護されている状態から引き離して自己又は第三者の事実的支配の下に置くことである。『略取』と『誘拐』の区別については、『略取』は暴行又は脅迫を手段とする場合であり、『誘拐』は欺罔又は誘惑を手段とする場合であるとするのが多数説であり、他方、略取は被拐取者の意思に反して行われるもので、主として暴行脅迫を手段とする場合であるとする反対説もある」(『大刑法コンメンタール刑法八巻』六〇一頁)。
「誘拐罪における『欺罔』とは、虚偽の事実をもって相手方を錯誤に陥れることをいい、『誘惑』とは、欺罔の程度に至らないが、甘言をもって相手方を動かし、その判断を誤らせることをいうとするのが多数説である」(『大刑法コンメンタール刑法八巻』六〇三頁)。
平川宗信(名古屋大学名誉教授)は次のように説明する。
「略取・誘拐とは、人を本来の生活環境から離脱させて自己又は第三者の事実的支配の下に置くことをいう。暴行・脅迫を手段とする場合が略取、欺罔・誘惑を手段とする場合が誘拐だとされる。誘惑とは、欺罔に至らない程度の甘言をもって判断の適正を誤らせることをいうとされている」(平川宗信『刑法各論』有斐閣、一九九五年、一八〇頁)。
このように「略取」には暴行・脅迫が、「誘拐」には欺罔・誘惑が対応しているが、本質は本人の意思に反して連れ出すことである。
刑法には「取る」ことについて、「窃取」(二三五条・窃盗罪)、「強取」(二三六条・強盗罪)、「騙取」(旧二四六条・詐欺罪)、「恐喝」(二四九条・恐喝罪)、「横領」(二五二条・横領罪)のように他人の財物等を取る場合と、「略取」、「奪取」(九九条・被拘禁者奪取罪)のように人を取る場合とが規定されている。後者がより重い罪である事はいうまでもない。
さらに、「売買」とは、「対価を得て人身を授受する事である」。国外移送目的をもった人身売買を犯罪としている。
「移送」とは、「被拐取者又は被売者を日本国の領土、領海又は領空外に運び出すことをいう。運び出した時点で既遂に達し、他国の領土内に運び入れることを要しない」(『大刑法コンメンタール刑法八巻』六三〇頁)。
長崎事件では、上海の慰安所に送る目的で女性をだました行為が②の誘拐に当り、長崎から実際に送り出した行為が④の国外移送に当ることになる。
「慰安婦」問題に即してみれば、「奴隷狩りのような強制連行」は「略取」に当り、「いい仕事があるとだます」のは「誘拐」に当ることがわかる。「奴隷狩りのような強制連行」がなくても、誘拐は犯罪である。「家屋に押し入って連れ出」さなくても、誘拐は犯罪である。
それでは略取・誘拐の保護法益は何であろうか。言い換えると、略取・誘拐を犯罪として処罰することで何を守ろうとしているのか。三つの学説がある。
① 被拐取者の自由とする説。
② 親権者等による人的保護関係とする説。
③ 被拐取者の自由と保護者の監督権の両方とする説。
従来の多数説は③説とされているが、未成年者誘拐ならともかく、成人誘拐の場合に保護者の監督権を想定することはできないし、「保護者の監督・監護権は、未成年者の人身の自由を保障するためのものというべきであり、これを独立した法益とする必要はない」から、①説が妥当であろう(平川宗信)。
「慰安婦」問題に即してみれば、女性、しかも多くは未成年の人身の自由の保護が必要であった。人身の自由の保護という観点から見ると、醜業協定(一九〇五年)、醜業条約(一九一〇年)、奴隷条約(一九二六年)、婦女売買禁止条約(一九二五年)、強制労働条約(一九三二年)等の国際条約が当時すでに存在し、日本政府も奴隷条約以外の条約を批准していた。
人身の自由を侵害する略取・誘拐罪を処罰する規定は、こうした国際常識に合致しており、まさに「慰安婦」問題に適用されるべき規定であった。日本刑法は一九〇八年に常識にかなった規定を設けていた。
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長崎事件判決の意義
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長崎事件・大審院判決から明らかになったことを確認していこう。
第一に、「強制連行」の判断基準である。刑法の誘拐に当たる行為は強制連行であり、違法である。誘拐に当たらない行為のすべてが強制連行に当たらないといえるかどうかはさらに検討が必要である。
安部元首相は「家屋に押し入った」誘拐だけに強制を認め、路上誘拐を容認する。歴史修正主義者は「強制連行=奴隷狩り」という主張を勝手に大前提にしてしまう。しかし強制連行は奴隷狩りには限られない。略取・誘拐罪に当たるような犯罪行為は、当然、違法な強制連行である。
もちろん、強制連行だけが問題なのではなく、強制連行のない場合でも違法な監禁や強制労働についても国家責任が問われるが、今回は取り上げない(別途、取り上げる予定である)。
第二に、これは当時の価値基準に従っている。
「当時は許されていた」とか「戦前の問題について今日の価値基準で批判するべきではない」などという主張は、明らかに誤っている。略取・誘拐罪の規定は一九○八年刑法の規定である。監禁罪も同じ刑法規定である。強制労働禁止は一九三二年の強制労働条約の規定である。当時の国内法から見ても、国際法から見ても、完全に違法であることが確認できる。
長崎事件判決の歴史的意義について、戸塚悦朗(龍谷大学教授)は、次のように述べている。
「原審段階ならともかく、確定して後に判例集に登載されたような重要事件であったこの事件の場合は、一般人には知られていなかったとしても、政府関係者(政府中枢部はもとより全国的に軍、外務省、司法省、内務省・警察関係者)にとっては、特別に調査をしなくても、広く当然知られていたはずの情報だったといってよい。当時の法から見れば、『海軍指定慰安所』への長崎の被害女性らの拉致は犯罪であったことが確定したのであって、『当時は許されていた』などという見解は、到底支持しかねる状態にたちいたったのである」(戸塚、『龍谷法学』前掲八二六頁)。
第三に、判断基準は少しも変わっていない。
歴史修正主義者は「強制連行概念の拡張」を批判するが、「拡張」の必要性もなく、拡張は行われていない。国際法に照らした議論を行う際に、別の基準が用いられることがあるが、両者は矛盾するものではない。国際法に基づく判断と国内法に基づく判断をそれぞれ行えばいいのである。
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日本軍は実行正犯
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第四に、共犯問題を検討しておこう。
長崎事件のAは、Bの紹介でC、Dと相談しただけである。大審院判決からは、AがE以下と会ったとは読めない。面識があったか否かすら定かでない。Aは上海にいて、犯行地長崎には行っていない。犯行時にAは被害女性たちとも会っていない。被害女性たちの個人情報も持たず、その人数すら正確には知らなかったと思われる。それにもかかわらず、Aは長崎事件の共同正犯である。
この結論は大審院も現在の最高裁判所も変わらない。この結論に至る論理は<順次共謀による共同正犯論>である。それを支える実質的論拠は、Aがこの犯罪の主要な役割を果たしていることである。Aは犯罪を企画・立案し、共謀した。その犯罪はAの経営する慰安所拡張のために行われた。Aの利益のために犯罪が行われた。E以下は自分の利益のために自分の犯罪を犯したのではなく、Aの利益のための犯罪に便乗・加担した面がある。その意味で、これは全体として「Aの犯罪」である。
長崎事件のAと「慰安婦」問題における日本軍とを比較すると、Aは順次共謀による共謀共同正犯であるのに対して、日本軍は「実行共同正犯」であることが明らかになる。
Aは共謀しただけであり、しかもその共謀の相手も別人と共謀しただけであって、実行者からの距離が大きい。犯行時Aは実行者と会っていないし、実行犯に指揮・命令・援助もしていないし、心理的影響を及ぼしたわけでもない。それでもAは共同正犯である。
他方、日本軍は「慰安所」政策を企画・立案し、「慰安所」設置を許可し、設置方法を教授し、「慰安所規則」を制定し、業者に免許を与え、施設を貸与し、施設内で営業させ、兵隊に「慰安所」行きを許可し、そのための金員又は利用券を配付し、避妊具も配付し、「慰安婦」移送を許可した。「慰安所」営業に必要な事項のほとんどを軍が自ら行い、軍の存在ぬきに「慰安所」は存在し得なかった。つまり、軍は単に共謀したどころではなく、「慰安所」に関する実行行為を自ら行っている。一連の行為の中で、業者による強制連行・強制労働があれば、それは完全に軍の行為の一部である。軍が正犯である。業者は、軍の許可の下に、軍のために、軍の庇護の下に営業したにすぎない。共謀共同正犯論を採用するまでもなく、軍の地位は明確である。日本軍は共謀共同正犯というよりも、実行共同正犯である。
最後に、歴史修正主義者は「強制連行を命令した公式文書」にこだわっているが、共謀共同正犯論によれば、文書の存在はまったく不要であることが明らかである。共謀は口頭でも足りるし、黙示でも足りる。まして日本軍は単なる共謀者ではなく、実行共同正犯である。文書があろうとなかろうと、実行責任があることは明白である。
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不処罰を乗り越えるために
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第五に、不処罰を乗り越えるために、今何をなすべきであろうか。
「慰安婦」問題が政治課題として浮上したのは、一九九〇年代初頭である。被害女性による告発がなされ、民間団体による被害者支援や事実調査が広がった。日本政府もいちおうの調査を行って、河野洋平官房長官談話や村山富市首相談話につながった。
ところが、その際に日本政府は長崎事件判決を明らかにしなかった。「慰安婦」強制連行を犯罪として処罰した大審院判決の存在を隠蔽したのである。大審院判決は一九九七年に朝鮮人強制連行真相調査団が発見して公表した。長崎地裁判決および控訴院判決は二〇〇四年に戸塚悦朗が発見して公表した。
日本政府は十数年にわたって、「慰安婦」問題の真相解明を怠り、被害者への謝罪も補償も拒否してきた。その結果として、安部元首相のような途方もない無責任発言が飛び出すようになった。
日本軍「慰安婦」問題については、近年、野党による解決法案の国会上程を繰り返してきた。八月三〇日の衆議院選挙によって政権交代が実現した現在、解決法案の再度の上程と可決が期待されるが、そのためにも、真相を徹底的に解明し、日本軍性奴隷制度の事実を直視することが不可欠である。長崎事件判決を一つの手がかりとして、「慰安婦」問題の法的検討がすすめられる必要がある。