Monday, January 09, 2012

デモと集会の自由を考える(一)

法の廃墟41(「無罪!」2011年11月号)



相次ぐ不当弾圧



市民の街頭行動に対する警察の弾圧が続いている。九月二三日には、民族差別と排外主義に反対するデモに対して不当弾圧が仕掛けられ、一人が逮捕された。救援会抗議声明は、次のように述べている。



「第六機動隊員が、バナーを手に持ち沿道の人達にアピールしていたAさんを引きずり出して隊列から引き離すと同時に、示し合わせたように私服警官を含む大勢の警察官がデモになだれこんできました。デモ参加者も引き倒されたり抑えつけられたりしながら抗議しましたが、警察官はきわめて暴力的にAさんを引き倒し、不当にも逮捕しました。この警察の不当、違法な行為の一部始終は、映像でもはっきりと確認できます。/これは、ただ歩いていただけのAさんを狙い撃ちにし、同時に、民族差別・排外主義に反対するすべての人々を踏みにじるも同然の行為です。」



九月一一日の脱原発デモに対しても警察による強引な介入が行われ、一一名もの市民が不当逮捕された。



この間の過剰警備、過剰介入、不当逮捕をどう見るべきか。三月一一日の東日本大震災と福島第一原発事故に関連する数多くの市民のデモに対して何度も不当弾圧がかけられているので、一面では、原発推進という国策に抗してモノをいう市民に対する弾圧ということができる。



 もっとも、九月一九日の脱原発六万人デモに対して警察は介入を控えた。なぜだろうか。一つには、六万人という従来にない大規模なデモであり、警察による介入の余地がなかったことが考えられる。ノーベル賞作家・大江健三郎をはじめとする著名人が参加したことからメディアも注目し、警察が手を出せなかったとも考えられる。加えて、六万人デモの中核部分は従来型の組織動員によるデモであった。従来型の組織動員デモであれば、警察にとっても「予測の範囲内」であり、無用な弾圧を避けたのかもしれない。逆に言うと、例えば「素人の乱」呼びかけのデモは、従来型の組織性、規律性がないという点で、警察にとって「対応しにくい」ものであり、このことが警察の過剰介入の一因となったのではないだろうか。もしそうだとすれば、これこそ日本における市民のデモの本格化の兆しと言えるかもしれない。



 もう一つ指摘しておかなければならないのは、九月一一日デモへの不当逮捕を、背後で扇動したのが在日特権を許さない市民の会(在特会)であったことだ。ユーチューブなどに掲載された画像を見ると、何ら逮捕の必要性もないのに、在特会らが「逮捕しろ」と大騒ぎする中で、警察が市民を暴力的に逮捕している。在特会と警察の連係プレーである。



 九月二三日デモは在特会などによる民族差別や排外主義に反対する取り組みである。これに対しても警察は不当介入をしている。京都朝鮮学校事件をはじめとして、各地で在特会の暴力行為を黙認してきた警察が、差別に反対する市民に対して襲いかかるという異常な事態が生じている。論点は多いが、以下ではデモの自由について少し検討してみたい。 



人権としてのデモ



 日本ではデモや集会の自由は極端なまでに制限されてきた。しかし、日本国憲法第二一条は「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由」を保障している。表現の自由は、個人の人格権と民主主義の二つを柱とする。憲法第一三条は個人の尊重を定め、人格権を保障している。憲法学は厳しすぎる法規制を批判してきたが、裁判所は現状を是認してきた。



 それでは国際人権法ではどうだろうか。武器を持たない平和的な集会は、国際人権法では当然の権利とされている。世界人権宣言第二〇条第一項は「すべての人は、平和的集会及び結社の自由に対する権利を有する」としている。国際自由権規約第二一条は「平和的な集会の権利は、認められる。この権利の行使については、法律で定める制限であって国の安全若しくは公共の安全、公の秩序、公衆の健康若しくは道徳の保護又は他の者の権利及び自由の保護のため民主的社会において必要なもの以外のいかなる制限も課することができない」としている。



 地域レベルでは、アフリカ人権憲章第一一条、米州人権条約第一五条、欧州人権条約第一一条、アラブ人権憲章第二四条六項は「平和的な集会」の権利を認めている。デモと国際人権法について、前田朗「『デモと広場の自由』のために(一)」『救援』五一一号(本年一一月)参照。



 武器を持たない平和的な集会は、国際人権法では当然の権利とされている。その意味を、まず世界人権宣言の注釈に見ていこう。フィンランドの国際法学者マーティン・シャイニン(トゥルク・アカデミー大学教授)は「集会の自由や結社の自由は、表現の自由とともに、政治的権利の中核を成す」という(グドムンドル・アルフレドソン&アズビョルン・アイデ編『世界人権宣言――実現のための共通基準』マルティヌス・ニジョフ出版、一九九九年、四一七頁以下)。なぜなら、集会の自由は、積極的な市民社会にとって合理的集団的意思形成を可能にする法的基礎であり、公的問題のパブリシティや、参加や代表的民主制の過程のための法的基礎だからである。「政治的」性格を有するということは、これらが他の人権カテゴリーと関係ないということではない。集会や結社の自由は、私的領域に関する多くの人間活動にとって本質的である。良心の自由、宗教の自由や、教育の分野にとっても重要だからである。集会の自由に関する国際人権規定は、すべての人権と相互依存的で、不可分である。このことは一九九三年のウィーン世界人権宣言にも明示されている。



 シャイニンによると、世界人権宣言起草過程で、集会の自由についての検討がなされている。一九四七年六月、宣言起草の中心メンバーの一人であったエレノア・ルーズベルト(アメリカ、ルーズベルト大統領夫人)は、集会の自由の規定を削除する提案をした。集会の自由と結社の自由の規定を分離する提案もなされた。しかし、四八年五月の国連人権委員会・宣言起草委員会は「平和的な集会の自由への権利」とした。同年六月、国連人権委員会は、中華民国による単純化提案を採用した。「平和的な」という形容はウルグアイの修正案であった。宣言第二〇条第二項の「何人も、結社に属することを強制されない」という消極的規定方式に対して、積極的に結社の権利を提示するという意見もあった。ソ連はファシスト団体などの禁止を提案したが、否決された。こうして世界人権宣言第二〇条第一項・第二項が成立した。