大江健三郎『ヒロシマの「生命の木」』(NHK出版、1991年)
1990年夏に放送されたNHKスペシャル「世界はヒロシマを覚えているか」の取材をもとに書かれた思索の記録であり、27年後の第2の『ヒロシマ・ノート』である。放送は見ていないが、当時読んだときは、前半のソビエト知識人との対話の部分を読みこなせず、あまり感心しなかったような気がする。改めて読み直して、東西対立の最後の時期に大江が核問題を切り口に、東西対立を超える課題として核廃絶を訴えたことの意味を考えさせられた。
ソビエト時代の最後の作家アイトマートフ、日本中世文学研究者ストルガツキー、「プラウダ」記者にしてチェルノブイリ原発事故を主題に戯曲を書いたグーバレフ。他方、アメリカでは、広島の被爆者に取材し、分析を加えた心理学者リフトン、物理学者ダイソン、そしてセーガンなどとの対話。最後に、大江は、アジアからの声をおさめるために金芝河と対話する。アジアからの声が金芝河だけというのは物足りないが。
それぞれの対話は興味深く、大江流のまとめも深い読みを必要とするもので、知的刺激に満ちている。ヒロシマ・ナガサキの歴史的経験と、核の国際政治、心理学と物理学、加害国・日本と被害を受けたアジア。これらの重ね合わせを繰り返しながら、人間性と品位に迫ろうとする大江は、息子・大江光の音楽に身をゆだねる。本書に限らず、大江が繰り返し述べてきたことであり、目新しくはないが。
NHKライブラリー版で解説を担当したディレクターの山登義明は「ヒロシマは希望のしるしでもあった」と言う。
ヒロシマを希望にするために、どれだけの人々がどれだけの努力を積み重ねてきたか。大江や山登の努力もその上に立ってのことである。私たちが取り組むべき課題を指し示してくれる著作である。
本書出版から25年、この2016年にも2つの大きな出来事があった。一つはオバマ大統領のヒロシマ訪問であり、もう一つは10月の国連総会における核兵器廃絶条約交渉開始決議である。この現実を踏まえた第3の「ヒロシマ・ノート」を大江が書くことはあるだろうか。