Friday, August 29, 2025

ヘイト・スピーチ研究文献(228)

小山留佳「ヘイトスピーチ規制をめぐる日本法の問題点と国際人権法の必要性」『神奈川大学大学院法学研究論集』34号(2025年)

第一章    ヘイトスピーチ規制と国際人権法の視点の重要性

第二章    レイシズムとヘイトスピーチ

第三章    日本におけるヘイトスピーチの規制

第四章    国際人権法におけるヘイトスピーチ法の規制

第五章    結論と課題

小山は神奈川大学大学院生だが、本論文は東京女子大学大学院に提出した修士論文に加筆修正を施したものだと言う。文献・資料も含めて63頁に及ぶ論文である。

目次から直ちにわかる通り、ヘイトスピーチの議論に際して、日本国憲法だけを論じるのではなく、国際人権法の視点を重視しているのと同時に、議論の前提としてレイシズムの問題をきちんと取り上げている。全面的に賛同できる論文だ。

小山の問題意識は、ヘイトスピーチの議論をする際に対抗言説の有無や伝統的表現の自由の枠組みで対応することは適切と言えるのか。現行法は、ヘイトスピーチの根底にあるレイシズムの内容を想定してきたか。現行法は、国際人権法を受容してきたかという点にある。

小山は、第二章のレイシズム論では、まず「レイシズムと人種差別主義の相違点」を取り上げている。「日本の差別の問題を考える際に、『人種差別』という言葉を使うと、不可視化されてしまう差別が存在すると考える」からである。レイシズムを人種民族に限定せず、「変えられない属性を基にして、ある集団(またはその集団に属する人)を差別すること」と定義し、交差性や複合差別にも視線を送る。

小山は、欧州と日本とで、レイシズムには共通点(植民地主義の下での構造的差別)があるが、日本では「民族」概念による差別とその不可視化があることと、「反レイシズム規範の欠如によるレイシズムが存在すること自体が不可視化されている」ことに相違があると見る。レイシズムとヘイトスピーチの関係についてはアメリカで用いられてきた「ヘイトのピラミッド」を参照して理解する。

第三章では、刑事裁判と民事裁判(京都朝鮮学校襲撃事件)を検討し、ヘイトスピーチ解消法、及び川崎市条例を検討する。

小山は第四章で、国際自由権規約及び人種差別撤廃条約を検討する。「人権条約を確認すると、ヘイトスピーチが虐殺に繋がる危機感を背景にして、レイシズムのピラミッドの第四段階であり『差別助長要素』でもあるヘイトスピーチを抑止するために、差別扇動行為(ヘイトスピーチ)を禁止する法律の制定を国家に義務付けていることが分かる。人権条約が過去の人権蹂躙の反省を出発点としていることを想起すると、人権条約の実施は、マジョリティに自身の『人種的忘却性』を意識させ、『忘却』されている特権や、それを発端とする制度的レイシズムなどを可視化させる『差別抑止要素』の役割を持つと期待できる。」という。

小山の結論。

「以上を踏まえて、日本のヘイトスピーチ規制を考える際に必要なことをまとめると次のようになる。まず、現行法での対応を考える際には、ヘイトスピーチにより侵害されている権利・利益と現行法が想定している保護法益や権利・利益との相違点を確認する必要がある。次に、ヘイトスピーチが侵害する権利や利益を明らかにするためには、ヘイトスピーチの根底にある日本特有のレイシズムを認識することが必要である。そして、現在の日本にはヘイトスピーチそれ自体を処罰の対象とする法律が存在せず、不特定集団に対するヘイトスピーチの規制は現行法上不可能であり、特定集団に対する暴力行為を重罰化した法律が存在しないため、『差別抑止要素』として、国際人権法を具体化したヘイトスピーチ禁止法や、包括的差別禁止法が必要である。その立法や実施の際には、マジョリティが『人種的忘却性』を認識することが重要である。」

小山の議論はレイシズム、差別、ヘイトスピーチ、ヘイトクライムを射程に入れて、国際人権法による対応を追求して、日本の議論状況に反省を迫るものであり、国際社会の常識に合致している。現代人権論が重視する基本的価値に従って反差別の立法と法解釈を展開する課題が浮き彫りになる。

国際人権法におけるヘイトスピーチの議論は2010年代以後、ラバト行動計画、CERD一般的勧告35、国連ヘイトスピーチ戦略など、さらに大きな発展を見ている。他方で、2020年代、EU諸国をはじめ排外主義が再び台頭し、国際人権法の危機も現実化しようとしている。今後その研究も重要となるだろう。

Wednesday, August 27, 2025

戦後80年を問う群馬市民行動委員会(略称:アクション80)

東京造形大名誉教授 前田 朗さんと

「負の歴史、加害の歴史」と排外主義を考えよう

 

・ 日本ではヘイトスピーチだけをとり上げて「表現の自由」の問題として議論されるが、もともとヘイトクライムである。それが差別であり差別の煽動、脅迫、迫害であることは明らか。だからヘイトクライム。問題の本質は、まず憲法13条。個人の尊重、人格権。他人のアイデンティティを否定することが許されるのか。もう一つは14条。法の下の平等である。

・ 平和主義はあの戦争や植民地支配を反省したがゆえにとの前提にたつ。憲法がつくられ13条と14条がある。国際社会の常識ではヘイトスピーチは暴力であり迫害であり人道に対する罪につながるできごと、だから規制しなさいということ。その次に「表現の自由」となる。12条に憲法上の権利や自由には責任が伴う。責任ある「表現の自由」について議論しなければならない。

(集会「もの言えぬ社会をつくるな ー戦争をする国にしないためにー」 から)

 

群馬の森の追悼碑に対する攻撃は、戦時中、大日本帝国が行った「強制連行」を否定する言説が発端でした。ヘイト団体だけでなく政府や群馬県も加担し、裁判所も続きました。歴史学の検証によるものではなく、政治が歴史を否定・改ざんしたものといえます。また国内では、戦時中の被害については広く報道されますが、近隣諸国への加害の事実はあまり報道されません。この課題を追及する前田朗さんに、問題の本質に切り込んでいただきます。

 

□日 時 9月26日(金)18001930

□場 所 群馬県教育会館 3階中会議室

          ・前橋市大手町3-1-10   TEL 027-322-5071  

・教育会館の駐車場は利用できません。近隣のをご利用下さい。

 

□内 容 前田 朗さんの講演と意見交換

□参加費  500円

 

  催  戦後80年を問う群馬市民行動委員会(略称:アクション80)

事務局   前橋市大手町3--10群馬県教育会館内  mail:gunma.action80@gmail.com

Tuesday, August 26, 2025

深沢潮を読む(1)愛のかたちと家族のかたち

深沢潮『ハンサラン 愛する人びと』(新潮社、2013年)

『週刊新潮』の「名物コラム」とされる高山正之「変見自在」が終了した。もともと差別的で傲慢なコラムで、何度か読んだことはあるが、ほとんど読んでいない。今回は「創氏改名2.0」というコラムで、朝鮮植民地時代の差別政策を想起させ、外国人排斥を強化させる悪質なコラムだった。被害を受けた深沢潮が記者会見し、多くの著者が深沢を支援し、週刊新潮に苦情を寄せたため、新潮社が「お詫び」し、コラム終了となった。

深沢潮の作品は少ししか読んだことがないので、今回の「事件」を契機に、まとめて読むことにした。

2012年の新潮社の第11R-18文学賞大賞を受賞した「金江のおばさん」が深沢のデビュー作だ。本書冒頭に収められている。金江のおばさんは、在日朝鮮人女性で東京・池上在住、首都圏の在日朝鮮人の結婚を斡旋することで有名なおばさんで、多くの在日男女の出会いを斡旋してきた。日本社会に1%に満たない人口の在日朝鮮人なので、男女の出会いから結婚に至るきっかけをつくるには、金江のおばさんのような人物が必要だ。

本書には6つの短編が収められている。「四柱八字」「トル・チャンチ」「日本人(イルボンサラム)」「代表選手」「ブルー・ライト・ヨコハマ」。それぞれの主人公は異なるが、いずれも金江のおばさんが(名前だけの場合もあるが)登場する。金江のおばさんつながりの連作短編集だ。

日本人読者にとっては、在日朝鮮人の出会い、恋愛、結婚、離婚や、家族の物語に関心を持って読むことになる。一方では、在日に固有の物語だが、他方では、どこの世界にも共通の普遍的な愛と家族の物語でもある。その固有性と普遍性の連関が独特の語り口で提示される。

固有性を浮き立たせるのは言うまでもなく植民地支配とその帰結、戦後も続く朝鮮人差別という背景がある。深沢は本作では植民地支配そのものを取り上げていないし、戦後日本の差別政策を主題としていないが、常に背景にあることは言うまでもない。読者がどのように読むかは、読者自身の歴史認識に委ねられている。「帰化」をめぐる在日朝鮮人の悩み、煩悶をどう受け止めるかも、読者の側の知識や認識に委ねられている。

朝日新聞826日に、戦争と性暴力をめぐる特集が組まれ、沖縄に連行された朝鮮人女性を題材として『翡翠色の海へうたう』を書いた深沢潮も一文を寄せている。満蒙開拓団の黒川村事件を描いた映画『黒川の女たち』が話題になったので、戦時性暴力問題を取り上げた特集だ。日本人男性が日本人女性をソ連軍に差し出した黒川村事件と、日本軍がアジアの女性を蹂躙した「慰安婦」問題をはじめ、現代における戦時性暴力問題は世界的に問われ続けている。

深沢潮「アリランをうたう」

https://note.com/soundofwaves/n/n65cf1e5c14c1

「慰安婦」の日常描く 深沢さん八重瀬でトーク

https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1415065

<差別なき社会へ>沖縄の朝鮮人慰安婦の小説執筆

https://www.tokyo-np.co.jp/article/184883

戦時下の性暴力、深沢潮さん「私たちの問題」 女性に向かう支配欲

https://www.asahi.com/articles/AST8N7TG5T8NUPQJ00GM.html?msockid=39656b98262d63d91b7179fe27c76213

大江健三郎を読み直す(1)

https://maeda-akira.blogspot.com/2014/01/blog-post.html

大江健三郎を読み直す(83)「最後の小説」への道、「最後の小説」からの道

https://maeda-akira.blogspot.com/2017/12/blog-post_53.html

目取真俊の世界(1)むきだしの国家暴力に抗して

https://maeda-akira.blogspot.com/2018/01/

目取真俊の世界(12)歴史・記憶・物語

https://maeda-akira.blogspot.com/2018/12/blog-post.html

 

 

Friday, August 22, 2025

9/16 三多摩反弾圧集会 講演「冤罪・弾圧と闘う取調拒否権」

講師:前田朗さん(東京造形大学名誉教授・朝鮮大学校講師・救援連絡センター運営委員)

 

9月16日(火)午後6時半開場

講演7時から他基調や連帯あいさつなど

会場:柴中会公会堂

★JR中央線/南武線/青梅線/五日市線立川駅南口から徒歩5分

★資料代500円

 

トランプ政権の強硬な関税政策や移民排斥、戦争に関しての「ディール」などで世界は混乱の中にあります。一国主義が台頭する中で日本でも移民排斥を公然と主張する差別的な政党が現れています。こんな中で国家の抑圧体制や刑事・民事弾圧の強化の動きには細心の注意を払い、警戒していく必要があります。

日本では今冤罪の多発が1つの社会問題になっていますが、これと闘う術として黙秘権の意義をしっかりとらえ直す必要があります。今回前田朗さんを講師にこの問題で講演会を行うことになりました。どなたでも参加できます。ぜひ一緒にこの問題を考えて見ましょう。

 

主催:三多摩労組争議団連絡会議・三多摩労働者法律センター

連絡先:三多摩労法センター東京都国分寺市南町2-6-7丸山会館2F

TEL 042-325-1371

Saturday, August 16, 2025

朝鮮学校とともに・練馬の会 結成15周年記念講演会

朝鮮学校とともに・練馬の会

結成15周年記念講演会

9月24日()18時30分~

【会場】

ココネリ 3階 研修室1  (区民・産業プラザ)

参加費 1000円 障害者・学生 500円

講演「民族教育権と将来の世代の人権」

講師 前田朗(朝鮮大学校法律学科講師

 

私たちは20103月から15年間、毎月1回の街頭アピールを中心に、

朝鮮学校への無償化適用を求める活動を続けてきました。

15 年という長い年月は決して誇れることではなく、

15 年かけても、朝鮮学校への「無償化」を実現できなったということです。

前田朗先生をお迎えして、民族教育への新しい視座をお聞きしたいと思います。

 

朝鮮学校とともに・練馬の会

共催:練馬教育問題交流会

連絡先 090-5445-7123 ()

subetemushoka-nerima@yahoo.co.jp

冤罪防止のための取調拒否権入門セミナー第4回学習会

冤罪防止のための取調拒否権入門セミナー第4回学習会

弁護人の援助を受ける権利

 

1015日(水)午後6時開場、開会午後6時半~8時半 

東京ボランティアセンター会議室  JR飯田橋駅隣のビルRAMLA10F

参加費(資料代含む):500

 

講演:弁護人の援助を受ける権利

葛野尋之さん

 

2024年、袴田事件再審無罪、大川原化工機事件、福井女子中学生殺人事件、大阪地検検事違法取調事件など多くの刑事事件で、不当な取調問題に注目が集まった。

不当な取調べと自白強要は、被疑者の防御権を侵害し、冤罪につながり、人格権を侵害する。

身柄拘束された被疑者は拘置所又は留置場に在房するべきであって、警察署の取調室に行く理由がない。

取調室に強引に連行することは黙秘権の軽視である。

被疑者が黙秘権行使を告げたら、取調べを中断するべきである。

黙秘権と取調拒否権の行使に当たっては弁護人の援助を受ける権利の保障が不可欠である。

講演者プロフィル: 青山学院大学法学部教授。主著『弁護人の援助を受ける権利の現代的展開』『少年司法における参加と修復』『少年司法の再構築』(以上日本評論社)『刑事手続と刑事拘禁』『未決拘禁法と人権』『刑事司法改革と刑事弁護』(以上現代人文社)等。

 

主催:平和力フォーラム

電話070-2307-1071

E-mail: akira.maeda@jcom.zaq.ne.jp

Wednesday, August 13, 2025

琉球民族遺骨返還を求める連続講座・第2回

琉球民族遺骨返還を求める連続講座・第2回

10月2日(木)18時開場、1830分開会~2030

東京ボランティア市民活動センター会議室(JR飯田橋駅隣)

参加費:500

京都大学への返還要求に続いて、東京大学への返還要求の取組が始まりました。「学問」の名による植民地主義と人種差別を問い直す運動です。

また、無自覚のうちに琉球差別を続け、差別と指摘されても無責任を貫く「憲法フェスティバル実行委員会」の問題性を報告します。

「憲法9条擁護、平和主義」と言いながら、レイシズムに鈍感で民族差別を続ける日本社会を検証します。

「東京大学への遺骨返還請求問題」

・さいとう・まの(東京大学遺骨返還プロジェクト)

松島泰勝(龍谷大学教授)

・與儀睦美(琉球人遺骨返還を求める会/関東)

「憲法フェスティバル琉球差別問題の経過」

前田朗(朝鮮大学校講師)

共催:

平和力フォーラム

琉球人遺骨返還を求める会/関東

連絡先:070-2307-1071

E-mail: akira.maeda@jcom.zaq.ne.jp

Wednesday, August 06, 2025

<並木陽介弁護士への書簡 憲法フェスティバル実行委員会への書簡(第3信)  ――あなた方はいつまで琉球差別を続けるつもりなのですか>

<並木陽介弁護士への書簡

憲法フェスティバル実行委員会への書簡(第3信)

 ――あなた方はいつまで琉球差別を続けるつもりなのですか>

 

並木陽介様

憲法フェスティバル実行委員会様

 

 84日、並木さんからのお手紙(731日付)を拝受いたしました。ありがとうございます。

 

 お手紙を拝見して大変残念な思いをしました。私たちが提起した問題については一切言及がありません。書かれていることは、憲法フェスティバル実行委員会の内輪の理屈と奇妙な一般論に終始しています。

 

 並木さん

 下記の文章はいったい何を意味しているのでしょうか。

 「憲法フェスティバル実行委員会は、様々な立場や思想にこだわることなく、かつ弁護士や法律家だけでなく多くの一般市民の皆さんをメンバーとして構成している実行委員会です。そうした性格から、頂きました個別具体的な問題についての統一した見解をまとめて公表ないし回答するなどといったことは行っておりません。」

 

 第1に、上記の文章は事実に合致しているでしょうか。これまで長年の間、憲法フェスティバル実行委員会は憲法問題、平和問題、憲法改悪問題、安保法制問題をはじめとして多岐にわたる見解を公表してきました。政治問題、外交・軍事問題、人権問題について夥しい見解を公表してきました。憲法フェスティバル実行委員会のウェブサイトを拝見しても、フェスティバルの過去の宣伝チラシを拝見しても、そのことは明らかです。差別問題になったとたんに見解公表を渋るのはなぜでしょうか。

 

2に、ここに書かれている「性格」なるものは、憲法フェスティバル実行委員会の内輪の理屈にすぎません。一方で、憲法問題、平和問題、憲法改悪問題、安保法制問題について意欲的かつ積極的に見解を公表しながら、差別問題を指摘されたとたん、「そうした性格から、頂きました個別具体的な問題についての統一した見解をまとめて公表ないし回答するなどといったことは行っておりません」というのは理解しかねます。政治・社会・憲法・外交・軍事に関して社会的発言を繰り返してきたにもかかわらず、言いたいことは言うが、都合が悪くなると口をつぐむのでしょうか。

 

3に、ここに書かれている「性格」なるものを理由に応答を拒否することは、逆の意味で、憲法フェスティバル実行委員会の「性格」を体現しているのではないでしょうか。社会的問題について発言するが、責任は負わないと言う一方的な姿勢は、憲法フェスティバル実行委員会が社会的に発言する資格そのものに疑念を抱かせるものです。倫理観の欠如した団体が社会的活動を続けることが許されるでしょうか。

 

4に、問題は民族差別問題です。単に過去の京都大学による差別ではありません。現在の京都大学による差別であり、山極壽一氏による現在進行中の差別です。私たちは憲法フェスティバル実行委員会がこの民族差別を許容し、擁護する結果になることに警鐘を鳴らしました。

これに対して並木さんは「性格」を持ち出して回答を拒否しています。「憲法フェスティバル実行委員会は、様々な立場や思想にこだわることなく」とありますが、そこには「差別する立場」や「差別思想」も積極的に含むのでしょうか。一緒に差別すれば怖くないという姿勢に見えます。

 

下記の文章はいったい何を意味しているのでしょうか。

「一般に、出演を依頼して登壇いただいた方に対して、お願いしたテーマとは別の問題について何らかの働きかけをするようなことはすべきではありませんし、当実行委員会としても致しかねます。」

 

5に、このような「一般論」は到底認められません。社会常識に反します。およそ、ありえないことです。

例えば、84日、週刊新潮コラム差別事件に抗議する記者会見が行われました。

①週刊新潮コラムに作家の深沢潮さんが抗議 新潮社はHP上に文書掲載

https://www.asahi.com/articles/AST8432ZRT84UCVL01MM.html?msockid=39656b98262d63d91b7179fe27c76213

②週刊新潮コラムに作家の深沢潮さんが抗議…新潮社がおわび「出版社としての力量不足と責任を痛感」

https://www.yomiuri.co.jp/national/20250804-OYT1T50158/

③週刊誌コラムに作家の深沢潮さん抗議 「出版社として力量不足。責任痛感」と新潮社謝罪

https://www.sankei.com/article/20250804-X4EZJO4QW5N7HAYP5FF4ZKEJEY/

差別コラムを執筆したのは高山某というライターですが、これをチェックすることなく掲載したのは編集長であり、最終的には新潮社の責任が問われます。

TV番組で差別発言がなされれば、司会等がそれを指摘・是正するべきです。是正措置が取られなければディレクターの責任であり、最終的にはTV局の責任が問われます。

公開集会で差別発言がなされれば、主催者の責任で停止、又は事後的に是正するべきです。そもそも民族差別を繰り返してきた人物にわざわざ講演依頼したことが不見識ですが、いったん講演依頼をしたから代えられないと言うのであれば、当日の公開集会で差別的な事象が生じないように配慮するのが主催者の責任ではありませんか。

 

並木さん

あなたは第三者ではなく、当事者です。

 

6に、憲法フェスティバルにおいて現に差別的発言がなされました。浅倉むつ子氏(早稲田大学名誉教授)は、19464月の衆議院議員選挙において「女性初の参政権」が認められたと確認し、「『平等』は戦後、日本国憲法で保障された。」と断定しました。

194512月の衆議院選挙法改正の際、「沖縄県民」及び「旧植民地出身者」の選挙権が停止(剥奪)されました。1946年の衆議院選挙において、琉球の女性にも男性にも選挙権は与えられませんでした。1946年の日本国憲法は、琉球の女性も男性も排除して、制定されました。「『平等』は戦後、日本国憲法で保障された」と述べることは、琉球民族や朝鮮人を排除して「平等」を語ることです。特定の集団を排除したことを高く評価して正当化することは、差別を擁護することです。

人種差別撤廃条約では、「『人種差別』とは、人種、皮膚の色、世系又は民族的若しくは種族的出身に基づくあらゆる区別、排除、制限又は優先であって、政治的、経済的、社会的、文化的その他のあらゆる公的生活の分野における平等の立場での人権及び基本的自由を認識し、享有し又は行使することを妨げ又は害する目的又は効果を有するものをいう」(人種差別撤廃条約第11項)と定義されています。

差別する意図や目的がなくても、差別を是認し、正当化する発言はやはり差別です。琉球民族を「区別、排除、制限」し、「平等の立場での人権及び基本的自由を認識し、享有し又は行使することを妨げ」ることを正当化するあからさまな差別思想の表明です。

 

並木さん

あなたは弁護士です。弁護士法第1条には「弁護士は、基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とする。」と書かれています。差別の恐れを指摘されても何ら対処することなく、公開集会でさらに別の差別事象を招いたことをどうお考えでしょうか。憲法フェスティバル実行委員会の内輪の理屈を繰り返すのは責任倫理に反するのではないでしょうか。

弁護士法第12項には「弁護士は、前項の使命に基き、誠実にその職務を行い、社会秩序の維持及び法律制度の改善に努力しなければならない。」とあります。差別の恐れを指摘され、事後に質問がなされたにもかかわらず、どこにも通用しない「一般論」をタテに回答を拒否するのは「誠実」と言えるでしょうか。

 

私たち(前田)は40年近く反差別の人権論研究に携わってきましたが、その中で心ない発言をしたために「差別的だ」と指摘されたことが何度もあります。その時、採るべき対応は事実を確認し、相手と対話し、謝罪することでした。

アイヌ民族が遺骨返還を要求した時、北海道大学は面会も対話も拒否しました。琉球民族が遺骨返還を要求した時、京都大学は面会も対話も拒否しました。民族差別の被害者を無視し、排除することは民族差別の上塗りではないでしょうか。

 

並木さん

なぜ、あなたは「回答するなどといったことは行っておりません」と撥ねつけるのでしょうか。なぜ、対話を拒否するのでしょうか。

 

琉球民族遺骨返還問題は、京都大学に留まる訳ではありません。東京大学も琉球民族遺骨を保管しているため、その返還運動が始まりました。

「松島氏ら、東大に情報開示請求 琉球人遺骨を保管か 支援者と連携、訴訟も視野に」

.https://ryukyushimpo.jp/news/national/entry-4484277.html

東京大学は本年7月、アイヌ民族の遺骨19体を小樽のアイヌ民族」などの団体「インカルシべの会」に返還しました。その際、東京大学総務部長が「アイヌ民族の方々の尊厳を深く傷つけたことは誠に申し訳なく、深くお詫び申し上げる」と、初めて謝罪しました(松島泰勝「差別の清算を求めて――琉球人遺骨と東京大学・上(学者の人骨研究特権化、遺族への配慮感じられず)」(『沖縄タイムス』202585日)。

 

私たちは今後も、盗まれた先住民族遺骨返還運動を通じて、琉球沖縄に対する差別と偏見の是正・解消を求めていきます。

 

並木さん

せめて、あなたが差し出している、その差別の手を引っ込めていただくことはできないでしょうか。

 

                                 以上

 

2025年8月7日

 

前田朗(ヘイトスピーチとレイシズムを乗り越える国際ネットワーク(のりこえねっと)共同代表、青年法律家協会弁護士学者合同部会・元東京支部長、朝鮮大学校講師、東京造形大学名誉教授)

松島泰勝(琉球民族遺骨返還請求訴訟元原告団長、琉球民族遺骨情報公開請求訴訟元原告、ニライ・カナイぬ会共同代表、龍谷大学教授)

 

*本書簡へのご意見やお問い合わせは下記へお願いします。

前田 E-mail: akira.maeda@jcom.zaq.ne.jp

松島  E-mail: matusima345@yahoo.co.jp

<憲法フェスティバル実行委員会>からの書簡

<憲法フェスティバル実行委員会>から書簡が届きました。

731日付書簡が84日に私の所に配達されました。実行委員会の並木陽介弁護士の名義です。以下に全文を引用紹介します。

私たちからの書簡は下記の2つです。

https://maeda-akira.blogspot.com/2025/06/blog-post_13.html

https://maeda-akira.blogspot.com/2025/07/2.html

 

*****************************

 

前田 朗先生

 

旬報法律事務所

弁護士 並木陽介

 

前略

 いつも憲法フェスティバルをご支援いただき、また先日は貴重なご意見をお寄せいただき、ありがとうございます。

 

 いただきましたご質問についてですが、憲法フェスティバル実行委員会は、様々な立場や思想にこだわることなく、かつ弁護士や法律家だけでなく多くの一般市民の皆さんをメンバーとして構成している実行委員会です。そうした性格から、頂きました個別具体的な問題についての統一した見解をまとめて公表ないし回答するなどといったことは行っておりません。

 

 また、一般に、出演を依頼して登壇いただいた方に対して、お願いしたテーマとは別の問題について何らかの働きかけをするようなことはすべきではありませんし、当実行委員会としても致しかねます。

 

 何卒ご賢察の上、ご理解を賜れば幸いです。

                      以上

Saturday, August 02, 2025

シンポジウム 「太平洋戦争終結80年 日本の敗戦80年 平和な世界の構築にむけて」

 シンポジウム

「太平洋戦争終結80年 日本の敗戦80年 平和な世界の構築にむけて」

「中国を仮想敵国に仕立て上げて、着々と戦争準備に突き進んで良いのか。中国は敵ではない。」

―日中友好こそ、日本の最大の安全保障の一つだ―

 

まもなく、第二次世界大戦終結80年、日本の敗戦80年という歴史的節目の時を迎えようとしている。

日本では、戦後、自民党の幹部や大臣経験者から、度々、侵略や植民地支配を否定する歴史改竄主義的な発言が繰り返されてきた。

戦後、日本政府がアジアの諸国から、最も高い評価を受けた1995年の「村山談話」の後も、この談話に反発を強めた自民党の右派勢力の情念は蠢き続け、安倍首相にも受け継がれ、現在においても、自民党の右派幹部に引き継がれている。

日本の国内の一部の保守・極右勢力の中には、村山談話で記された、歴史への反省を「自虐史観」などと揶揄する向きもあるが、それは大きな間違いだ。

日本の敗戦80年という歴史的節目の時を迎えるにあたり、改めて、あの侵略戦争の本質を問い、歴史を鑑として、未来に進むという観点から、アジアの平和と繁栄の道は、どこにあるのかを、皆さんと、考えたいと思います。

日本を代表する、知の巨人のお話は、興味深いシンポジウム(詳細は添付のチラシ・参照)になると思います。多くの皆様方のご出席をお待ちしています。

 

日時:2025814日(木)1400~(開場1330

1330分から、衆議院第一議員会館ロビーで入館カード配布

会場:衆議院第一議員会館・地下1階・大会議室

 ※必ず、事前申し込みが必要です。

申し込み先:多くの参加者が想定されます。定員(300名)に達し次第、申し込みを締め切りますので、恐縮ですが、大至急、以下のメールまで参加申し込みを、お願いいたします。

E―mailendentakakageybb.ne.jp

●連絡先 090-8808-5000

 

●大変、中味の濃いシンポジウムとなりますので、多くの皆様にお知らせいたしたいので、何卒、皆様お一人・お一人のSNSで、大拡散をお願い申し上げます。

 

●プログラム●

1.総合司会:増田都子(元中学校社会科教員)

2.主催者代表挨拶:藤田高景(村山首相談話の会・理事長)

3.来賓のご挨拶

●鳩山友紀夫(第93代内閣総理大臣・東アジア共同体研究所理事長)

●呉江浩(中華人民共和国駐日本国特命全権大使)(要請中)

4. 記念講演

●山田朗(明治大学教授)

「平和創造のために引き出すアジア太平洋戦争の教訓」

●髙野孟(東アジア共同体研究所理事)

「台湾有事は日本有事」というデマを粉砕しよう!

. 各界からの御発言

●古賀茂明(政治経済評論家、元経済産業省官僚)

今こそ原点に帰り「何が何でも戦争はしない」政策に転換する時だ

●高山佳奈子(京都大学教授)

国際学術交流を通じた平和貢献

●木村知義(北東アジア動態研究会主宰、ジャーナリスト)

「敗戦80年」、こえるべき課題に向き合う視座とは

質疑応答           

7.閉会の挨拶  野平晋作(ピースボート共同代表)

 

主催  村山首相談話を継承し発展させる会

反差別連続講座第3回 民族教育権と将来の世代の人権

反差別連続講座第3回

民族教育権と将来の世代の人権

前田 朗

 

9月11日(金)18152030 開場18:00

浦和コミュニティセンター第13集会室

浦和駅東口 浦和パルコ上10

参加費 800円 (学生・障がい者500円)

 

主催: 外国人学校・民族学校の制度的保障を実現するネットワーク埼玉

協賛: ヘイトスピーチ禁止条例を求める埼玉の会

子どもの人権埼玉ネット

朝鮮・韓国の女性と連帯する埼玉の会

問合せ・申込:080-1245-3553(斎藤) 

取調拒否権を考える(6)

取調拒否権について、最近はあちこちいくつかのメディアに書かせてもらっているが、以前は、ほとんど救援連絡センターとその機関紙『救援』が主たる舞台だった。

 

『救援』には1995年からずっと毎号連載している。テーマは全てその時々の私の判断で、編集部から注文がついたことがない。自由気ままに書いてきた。

 

2018年の連載は次の通り。

1月:恣意的処刑とジェンダー

2月:死刑と差別に関する国連報告書

3月:アジアの中の日本国憲法

4月:刑罰制度改革はいかにあるべきか

5月:反差別運動における暴力(二)

6月:女性に対するレイシズム

7月:集会・結社の自由の人権理事会報告書

8月:ヘイト番組「ニュース女子」問題

9月:フェミニズムはどこへ行ったのか

10月:日本軍「慰安婦」問題人種差別撤廃委員会勧告

11月:うちなーんちゅうしぇーてぇーないびらんどー

12月:少年年齢引き下げ法改正に反対する刑事法研究者声明

 

刑事法と差別問題のテーマが多いが、11月は翁長雄志・沖縄県知事が亡くなったので追悼の意味、12月は少年法改正問題。以下に貼り付ける。

 

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救援18年11月

うちなーんちゅうしぇーてぇーないびらんどー

 

前田 朗(東京造形大学)

 

基地問題の新局面

 

 琉球新報社編『魂の政治家――翁長雄志発言録』(高文研)は「イデオロギーよりアイデンティティ」を掲げ、「オール沖縄」を牽引して、日本政府と渡り合った翁長雄志の二一本の発言・講演をまとめた一冊である。

 八月八日、翁長雄志沖縄県知事が亡くなった。膵臓癌のため手術を受け、さらに入院中だったが闘病かなわず、六七歳の早すぎる逝去である。ご家族の思いはいかばかりか。と同時に、辺野古基地建設反対運動をともに闘ってきた沖縄の人々の心中も察するにあまりある。

 沖縄に米軍基地を押しつけ、その撤去のために何もできずに来た本土のやまとんちゅの一人に過ぎない私に、翁長知事の追悼を述べる資格があるのか、と考え込まざるを得ない。

 とはいえ、尊敬する政治家の死を悼み、敬愛する人間の早すぎる死を惜しみ、私なりの追悼をするのに資格などもともと不要だ。

 七月二七日に辺野古基地建設に伴う埋立承認撤回に向けた手続きの開始を宣言する記者会見の様子を見て、翁長知事のやつれた姿に驚き、不安に思い、同時にそれでも前向きに闘う翁長知事の姿勢に心から敬意を抱いたのは、私だけではないだろう。

 日米両政府の植民地主義的で、問答無用かつ尊大きわまりない基地押しつけに敢然と立ち向かい、オール沖縄の闘いを全身で牽引し、アメリカにも国連にも出かけて惨状を訴えた政治家・翁長の決意と志に打たれた多くの人々と同様に、深甚の限りない無念の涙とともに、翁長知事のご冥福を祈る。

 一人ひとりの市民の生きる暮らしと願いと夢と希望を賭けて、首長として、政治家として、人間として、最後の最後まで毅然と、冷静沈着に、だが断固として平和を求め、自由と人権のために歩み続けた翁長知事のご冥福を祈る。

 日本という国と、私たち日本人、やまとんちゅの果てしない堕落と腐敗を痛切に受け止め、歯噛みしながら、基地建設反対運動、平和運動、人権運動にこれまで以上に力を注ぎたい。

 二〇一五年九月二一日、翁長知事が国連欧州本部の第二〇会議室で、国連人権理事会で発言した、あの時と同じ座席に座って、哀悼の思いを心に刻んできた。次の一歩、のために。

 九月三〇日、沖縄県知事選は翁長知事の遺志を引き継ぐデニー玉城が対立候補に大差をつけて当選した。基地はいらないという沖縄県民の堅い意志が改めて表明された。

 にもかかわらず、日本政府は沖縄に基地を押し付ける方針を再表明し、徹底差別を続けている。辺野古基地建設に反対するデニー玉城知事と沖縄県民の闘いは、いっそうの熱意と希望の下、逆に厳しい攻撃にさらされながらの新局面を迎えた。沖縄に基地を押し付けない本土の闘いを強化しなければならない。

 

翁長雄志の言葉

 

 「集団自決が日本軍の関与なしに起こりえなかったのは紛れもない事実」(二〇〇七年九月二九日、教科書検定意見撤回を求める沖縄県民大会)との、沖縄県市長会会長としての発言を皮切りに、政治家・翁長の紡ぐ言葉と思想は揺らぐことがなかった。

「基地の整理縮小という一点で県民の心が一つにまとまった」(一二年九月九日のオスプレイ配備反対沖縄県民大会)

「日米安保体制は日本国民全体で考えるべきだ」、「沖縄県民は目覚めた。もう元には戻らない」(一三年一月二七日のオスプレイ配備撤回東京要請行動における沖縄県市長会会長としての発言)。

 「イデオロギーよりもアイデンティティに基づくオール沖縄として、子や孫に禍根を残すことのない責任ある行動が今、強く求められている」(一四年九月一三日、知事選出馬表明)。

 「安倍総理が『日本を取り戻す』と言っていた。取り戻す日本の中に沖縄が入っているのか」(一五年四月五日、菅義偉官房長官との会談)。

 「私は日本の政治の堕落だということを申し上げている。うちなーんちゅうしぇーてぇーないびらんどー(沖縄人をないがしろにしてはいけませんよ)」(一五年五月一七日、止めよう辺野古新基地建設県民大会)。

 「沖縄の人々は自己決定権や人権をないがしろにされています」(二〇一五年九月二一日、ジュネーヴ国連人権理事会)。

 「ぐすーよー、まきてぇーないびらんどー(皆さん、負けてはいけませんよ)、わったーうちなーんちゅぬ、くゎんまが、まむてぃいちゃびら(私たち県民の子や孫たちを守っていきまでょう)。ちばらなやーさい(頑張っていきましょう)」(二〇一六年六月一九日、米軍属女性暴行殺人事件に抗議する県民大会)。

 行政の責任者として住民の安全と平和を守るため、理不尽な差別に抗し、不正義を撃つ姿勢は、うちなんちゅだけではなく、「本土」の思想家や平和運動家を感銘させ、叱咤激励し続けた。ここにはあいまいな言葉を駆使して陰で利権あさりに励む日本の政治家(政治屋)とは対極的な思想家・翁長雄志が端然と、すっくと立っている。

 普久原均(琉球新報社編集局長)は「不世出の人物から未来への光を」と題して「翁長雄志という政治家は、沖縄にとって不世出の存在だった。そう感じられてならない。その名が屋良朝苗、瀬長亀次郎、西銘順治、大田昌秀と並んで沖縄現代史に深く刻まれるのは間違いない。だがそこにとどまらず、沖縄近代史、琉球史に記される存在だったといっても大げさでないのではないか」と言う。

 普久原はさらに「沖縄側の意思を蹂躙する存在に対し、体を張り、命を賭けて抵抗したという意味では、近世史初めの琉球王国高官・謝名親方を彷彿とさせるものがある。謝名は島津の琉球侵略に抗い、島津に忠誠を誓う起請文への連判を拒んで処刑された人物だ。翁長氏の歩みはそれと重なって見える」と言う。

 七月二七日、膵臓癌を患い、まともに歩くことさえままならない状態にもかかわらず、辺野古埋立承認撤回表明の記者会見で、翁長雄志は死のぎりぎりまで、沖縄の民意を踏みにじる政府を批判し、基地押し付けに抵抗した。抵抗と自己決定権の正当性を確固たる言葉で語り、毅然とした姿勢を貫いた。翁長雄志の言葉は「沖縄の思想」そのものとなり、語り継がれるだろう。本土のやまとんちゅも「沖縄の思想」に学び、自らの植民地主義と暴力性を猛省しなければならない。

 

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救援18年12月

少年年齢引き下げ法改正に

反対する刑事法研究者声明

 

前田 朗(東京造形大学)

 

審議不十分

 

 法制審議会少年法・刑事法(少年年齢・犯罪者処遇関係)部会(以下「部会」)において、「少年法における『少年』の年齢を一八歳未満とすること及び非行少年を含む犯罪者に対する処遇を一層充実させるための刑事法の整備の在り方について」の審議がすすめられている。この立法措置には重大な疑問があるため、一一月一六日、全国の一三〇名の刑事法研究者が強い反対を表明した(呼びかけ人二八名)。事務局を担ったのは葛野尋之(一橋大学教授)、武内謙治(九州大学教授)、本庄武(一橋大学教授)である。声明は四つの柱からなる。

 第一に「部会では現在まで少年法適用年齢の上限の引下げに関して十分な審議が行われていない」。

 第二に「少年法適用年齢の上限の引下げには積極的な根拠が必要である」。

 第三に「部会において構想されている『若年者に対する新たな処分』は、現行制度の代替にはなりえない」。

 第四に「民法上の『成年』を少年法上の『少年』とすることはできない、とすることの誤り」。

 国際自由権委員会や拷問禁止委員会など国際人権機関からの改善勧告には耳を閉ざしながら、法務官僚と司法官僚の談合によって推進されてきた刑事司法改革の一環であり、結論ありきの審議が進められている。子どもの権利条約をはじめとする少年司法に関する国際準則の配慮も不十分である。以下、順次補足していこう。

 第一に、少年法適用年齢上限引下げ問題が部会で正面から取り上げられ、検討されたことは二〇一八年一〇月末日まで一度もない。少年法適用年齢上限は、本質において、刑事政策のみならず青少年政策上も極めて重大な問題であり、関係する専門的知見を十分に踏まえて、多角的かつ慎重に検討を進めるべき問題である。それゆえ拙速な審議は厳に避けるべきであるのに、十分な審議がなされていない。

 第二に、少年法適用年齢上限引下げには積極的な根拠が必要であるが、その根拠が十分に示されていない。部会設置後に行われた民法改正をめぐる国会審議では、民法上の成年年齢は単独でさまざまな取引行為ができ、親権に服さなくなる年齢であって、少年法上の成人年齢引下げを必然的に帰結するものではないと確認されている。一八歳、一九歳の若年者はいまだ成長過程にあり、引き続き支援が必要な存在であり、社会全体として支えていかなければならないという視点が重要である。複数の参考人からは少年法適用年齢の上限の引下げることへの反対意見が表明されている。

こうした説明が国会において公式に行われたのに、なぜ少年法適用年齢が引き下げられなければならないのか、立法措置の必要性・合理性がより一層積極的に示されなければならないはずである。しかし、その必要性・合理性は今日まで示されていない。

 

新たな処分への疑問

 

第三に、部会において構想されている「若年者に対する新たな処分」は、現行制度の代替にはなりえない。部会が構想する「若年者に対する新たな処分」は、現行少年司法制度と同等以上に有効な刑事政策措置にはならない。部会審議のように民法上の成年は刑事上も大人として扱うことを前提とする場合、「新たな処分」のあり方は自由権保障との関係で問題が生じる。行為責任主義や比例原則に鑑みれば、施設内で身体拘束を行う少年院に相当する施設への送致や少年鑑別所送致を「新たな処分」の中に含めることができなくなる。適正手続保障の観点からは、家庭裁判所における非形式的な非公開の手続で審判を行うことにも問題が生じ、無罪推定の法理から、事実認定前に社会調査や鑑別が行われることにも問題が起こる。

こうした自由権保障を無視するなら、「新たな処分」は実質的には保安処分となる。民法上の「成年」を少年法上の「少年」として扱うことが許されないという前提に立つ以上、少年法の理念が及ばないこととなると考えるのが自然である。となると、「新たな処分」においては、本人の成長発達を促すための働きかけに限定されることなく、再犯を防止するための措置がとられることになろう。これが他の年齢層に拡大しないという保証はない。

自由権保障のための刑事法の諸原則にしたがい、「新たな処分」の内容を社会内処遇である保護観察に限定しても、問題は解決しない。この場合、家庭裁判所における調査と審判は事実上保護観察を課すか否かを判断するものとなり、教育的働きかけのプロセスではなく、すでに決まった結論へと向かう形式的なものになってしまう可能性が高い。現在非行少年に対する家庭裁判所の調査と審判が有している教育的な働きかけが失われてしまう。

さらに、検察官が起訴猶予相当と判断することなく、刑事裁判所に起訴した事件については、「要保護性」の科学的調査とそれに応じた教育的な処遇を受ける機会を失うこととなる。

 第四に、民法上の「成年」を少年法上の「少年」とすることはできない、とすることは誤りである。部会で検討されている「若年者に対する新たな処分」が、いずれにしても、現在の少年司法制度と同等以上に有効な刑事政策措置とはなりえないという隘路は、部会が民法上親権者の監護が及ばない「成年」を少年法上の「少年」として扱うことは許されないという前提に立っていることから生じている。

そもそも、民法上の「成年」を少年法上の「少年」とすることはできない、との前提自体に重大な疑問がある。民法上の「成年」を少年法上の「少年」とすることはできない、との考えは、少年司法制度の形成および発展の歴史からみても正しいとはいえない。

 「若年者に対する新たな処分」構想にしても、民法上の「成年」と少年法上の「少年」をめぐる理解にしても、現行少年法制度の経験や実績についての内在的検討を踏まえず、外在的要因に右往左往した改革案の正当化に部会審議が集中しているのではないかと疑念を抱かざるを得ない。

二一世紀に入ってからの矢継ぎ早の刑事司法改革も同じ傾向を示してきた。外在的要因の影響下でなされた刑事司法改革の帰結の検証も十分なされないまま、次々と目先を変える「改革病」が蔓延している。被疑者、被告人、受刑者、少年などの市民の権利保障を緩和しながら、検察官、裁判官、一部の刑事法研究者など「専門家」の「改革病」が事態を悪化させている。