Monday, August 03, 2009

ヘイト・クライム(6)

週刊金曜日』597号(2006年3月)

日本には人種差別がある

国連人権委員会特別報告者、日本政府に勧告

昨年七月に来日した国連人権委員会の人種差別に関する特別報告者の報告書が公表された。報告書は、日本政府に対して、人種差別禁止法を制定すること、人権委員会を設立することなど多くの勧告を行なっている。

人種差別の隠蔽を批判

「日本政府は、日本社会に人種差別や外国人排斥が存在していることを公式に表立って認めるべきである。差別されている集団の現状を調査して、差別の存在を認定するべきである。日本政府は、人種差別と外国人排斥の歴史的文化的淵源を公式に表立って認め、人種差別と闘う政治的意思を明確に強く表明するべきである。こうしたメッセージは、社会のあらゆる水準で人種差別や外国人排斥と闘う政治的条件をつくりだせるのみならず、日本社会における多文化主義の複雑だが意義深い過程を促進するであろう。」

今回公表された報告書は、日本政府に対して、もっとも根本的なレベルからの勧告を行なっている。というのも、人種差別の事例を一つひとつ指摘したり、その克服のための提言をしているだけではない。何よりもまず日本政府が日本に人種差別のあることを認めるように迫っているのである。このことの意味は大きい。なぜなら、日本政府は従来、日本社会に人種差別が根強く存在することに光を当ててこなかった。それどころか、人種差別の存在を隠蔽したがっていると疑われるような姿勢をとってきたからである。

 毎年ジュネーヴ(スイス)の国連欧州本部で開かれてきた国連人権委員会や人権促進保護小委員会、日本政府報告書を審査した二〇〇一年三月の人種差別撤廃委員会、同年八月にダーバン(南アフリカ)で開かれた人種差別反対世界会議――これらの国際会議に参加してロビー活動を展開してきたNGOにとっては、人種差別が現に存在することを日本政府に認めさせるためにエネルギーを使い続けてきたのが実情なのだ。

 特別報告者の勧告は、人種差別を隠さずに認めて、その克服のために国際社会並みのスタートラインに立つことを日本政府に求めている。日本社会構成員の九八%以上が日本人であり、圧倒的多数を占めているため、差別される側の痛みを理解しない社会意識が根強い。政府が的確に事実を認識して人種差別対策を行なわなければ、被害者の声が掬いとられることがない。

 国連人権委員会の特別報告者が日本の人権問題について報告書をまとめたのは、一〇年前のラディカ・クマラスワミ「女性に対する暴力特別報告者」による『日本軍「慰安婦」に関する報告書』(一九九六年)以来二度目のことである。

 報告書の正式名称は『人種主義・人種差別・外国人排斥・関連する不寛容の現代的諸形態に関する特別報告者ドゥドゥ・ディエンの報告書:日本訪問』(E/CN.4/2006/16/Add.2)である。ディエン特別報告者は、二〇〇五年七月三日から一一日にかけて来日し、大阪、京都、東京、北海道および愛知を訪問した。日本政府の外務副大臣、関連省庁担当者、裁判官、および大阪・京都・東京・札幌の自治体関係者と面会した。また、日本弁護士連合会を含む多くのNGOメンバーと会合を持った。その上で作成された報告書だが、残念ながら東京都知事には会えなかったとわざわざ明記されている。国際的に有名な差別主義者の都知事に面会したかったのであろう。

差別禁止法を求める

 ディエン報告者は、日本における人種差別の現状を分析し、日本政府の政策や措置も検討した上で、二四ものパラグラフに及ぶ勧告を行なっている。特に強調されているのが、人種差別が存在することを公的に認め、人種差別を非難する意思を明確に表明し、人種差別と闘うための具体的措置をとること、従って、そのために人種差別禁止法を制定することである。

 「日本政府は、自ら批准した人種差別撤廃条約第四条に従って、人種差別や外国人排斥を容認したり助長するような公務員の発言に対しては、断固として非難し、反対するべきである。」

 都知事をはじめとする政治家による差別発言や暴言の数々はいまや国際的にも知られている。

 「日本政府と国会は、人種主義、人種差別、外国人排斥に反対する国内法を制定し、憲法および日本が当事国である国際文書の諸規定に国内法秩序としての効力を持たせることを緊急の案件として着手するべきである。その国内法は、あらゆる形態の人種差別、とりわけ雇用、住居、婚姻、被害者が効果的な保護と救済を受ける機会といった分野における差別に対して刑罰を科すべきである。人種的優越性や人種憎悪に基づいたり、人種差別を助長、煽動するあらゆる宣伝や組織を犯罪であると宣言するべきである。」

 勧告は、二〇〇一年の人種差別撤廃委員会の日本政府に対する勧告を引用して、人種差別禁止法の制定を呼びかけている。人種差別撤廃委員会において、日本政府は「日本には処罰する必要のある人種差別は存在しない」と述べて、顰蹙を買った。

 日本政府は人種差別禁止条約を批准した際に、人種差別行為を犯罪とする内容を規定した条約第四条(a)(b)の適用を留保した。これに対して、人種差別撤廃委員会は、日本政府の留保は条約の基本的義務に合致しないと指摘した。特別報告者も同様の指摘をして、人種差別禁止法の制定を求めている。

 日本政府は、表現の自由を根拠に人種差別の処罰は困難であると述べて世界を驚かせた。アメリカ、イギリス、フランス、ドイツをはじめ世界中で多くの諸国が何らかの形で人種差別を禁止し処罰している。これらの国には表現の自由がないのだろうか。人種差別撤廃委員会は、人種差別表現の自由などというものは認められないと指摘した。それから五年、特別報告者の勧告も同じことを述べているが、日本政府の姿勢に変化は見られるだろうか。

勧告を手がかりに

 ディエン報告者は、差別を受けている被害グループそれぞれについて現状を分析し、NGOが提供した情報を吟味して、様々の勧告を記している。

就職や各種のサービス業において差別をするために個人の出身地に関するリストを作成することを禁止する法律を制定すること(いわゆる「部落地名年鑑」を想定している)、人種差別を明確に禁止した人権憲章を制定すること、独立した平等・人権国内委員会を設置すること、その委員について国籍条項を設けないこと、ダーバンで開かれた人種差別反対世界会議で採択された「ダーバン宣言と行動計画」に基づいて人種差別と闘うための国内行動計画を策定すること。

少数者や近隣諸国の関係者の歴史を客観的かつ正確に反映するように、歴史教科書を見直すこと。被差別部落民、アイヌ、沖縄人、在日コリアン、在日中国人の歴史や文化を教科書に記述すること。記述に当たっては、長い視野で歴史を捉え返し、差別の起源を明らかにすること。植民地時代や戦時における日本の犯罪、特に「慰安婦」制度の事実と責任を記述すること。

 アイヌを先住民族と認めて、国際法に従って先住民の権利を承認すること。先住民族に関するILO条約を批准すること。アイヌの鮭の漁業権を認めること。少数者の代表を国政に送るために国会にアイヌや沖縄人の代表割当制を採用すること。アイヌの独立メディアを創設すること。沖縄の米軍基地による人権侵害を徹底調査し、その結果生じている差別について監視すること。

 朝鮮学校など外国人学校に対する差別的処遇を撤廃すること。補助金などの財政援助を行なうこと。大学受験資格を認めること。朝鮮学校生徒に対する差別と暴力を予防し、処罰すること(いわゆる「チマ・チョゴリ事件」を念頭においている)。国民年金から排除されている朝鮮人高齢者を救済すること。ウトロに居住する朝鮮人の生活と居住を保障する措置をとること。

 国営メディアは、社会に多元主義を反映するように、少数者に関する番組により多くのスペースを割くこと。外国人に対して雇用、居住などの権利や自由を保障すること。外国人に対する偏見を予防するために文化政策(文化間・宗教間の対話等)をとること。

 勧告は日本政府だけに向けられたものではない。

 人種差別禁止法の制定にあたっては、関連するコミュニティが制定過程に参加することが求められる。差別されている諸グループは、互いに連帯の精神をもって行動し、多元主義社会を達成するために互いに援助しあうことが求められる。

 人種差別の克服は、人種差別撤廃条約を批准した日本政府の責務であるが、同時に日本社会構成員の責務でもある。差別被害を訴えている当事者をよそに、差別の存在を否定する政府。フランスにおける暴動や、イスラム教風刺漫画による世界の混乱は大々的に報道するが、日本の中の差別には無関心なメディア。被害者が普段はなかなか「見えない人」であるがゆえに「見ようとしない」私たち多数者の日本人。

ディエン報告書は、「見えない問題」が実は私たちの周囲に確実に存在していることを教えてくれる。そして「差別問題」が差別される側の問題である以上に、差別する側の問題であることに気づかせてくれる。

差別のない社会はない。だからといって、差別は仕方のないものではない。少数者に対する差別を放置していることは、九八%の多数者の人間の尊厳を自ら傷つけることでもある。ディエン報告書を手がかりに、日本社会における人種差別との闘いを活性化していくことが私たちに求められている。

 

ヘイト・クライム(5)

救援452号(2006年12月号)

ヘイト・クライム(憎悪犯罪)(五)

ヘイト・クライム法

 ホール『ヘイト・クライム』第六章は、ヘイト・クライム対策法を取り上げる。ジェイコブとポッターの『ヘイト・クライム』(オックスフォード大学出版、一九九八年)によれば、アメリカのヘイト・クライム法は四つに分類される。①犯罪が憎悪の動機による場合に刑罰を重くする法、②犯罪的行動を新しい犯罪として定義づける法、③特に公民権問題に関連する法、④ヘイト・クライムの報告・データ収集に関連する法、である。ホールはこの分類を参照しながら、アメリカの法律を順次紹介している。

一九六八年の公民権法は、現在のヘイト・クライム法の触媒となった。人種、皮膚の色、宗教、国民的出自のゆえに暴力や威嚇によって、選挙権、教育権、雇用の権利などの権利に介入することを禁止している。ヘイト・クライムそのものを対象にした法ではないが、ヘイト・クライム予防に関連すると理解されてきた。

一九九〇年のヘイト・クライム統計法は、アメリカ司法省をはじめとする法執行機関が、ヘイト・クライム情報を毎年収集し、公表すると定めた。人種、宗教、性的志向、民族によって動機づけられた犯罪に関連する情報を収集するもので、謀殺、故殺、強姦、暴行、傷害、放火、器物損壊などについて調査する。それによって、①刑事司法制度がより効果的にヘイト・クライムに対処できる、②法執行官がヘイト・クライムに敏感になる、③一般民衆がヘイト・クライムに関心を持つ、④アメリカ社会に「ヘイト・クライムに寛容であってはならない」というメッセージを送る、と期待された。

一九九四年の女性に対する暴力法は、被害者のジェンダーによって動機づけられた犯罪は、ジェンダーに基づく差別からの自由という被害者の権利を侵害する犯罪であるとした。これによってヘイト・クライムのカテゴリーに初めてジェンダーが導入された。

一九九四年のヘイト・クライム重罰化法は、犯行者が、被害者の人種、宗教、皮膚の色、国民的出自、民族、ジェンダー、傷害または性的志向に対する偏見によって犯行を行なったことが証明された場合、量刑を三〇%重くすることができるとした。

一九九六年の教会放火予防法は、宗教上の対立や偏見から教会・礼拝所に対する放火事件が続発したため、教会放火の量刑を加重するとともに、被害を受けた教会再建のために連邦がローンの保証をすることにした。

一九九九年のヘイト・クライム予防法は、上院を通過したが、下院を通過していない。ヘイト・クライムを重罪とし、訴追における連邦検事局の権限を強化する法律である。

州法に眼を転じると、ヘイト・クライム法において、年齢に関する規定(四州)、暴行傷害(四五州、コロンビア特別区)、民事訴訟(三〇州等)、情報収集(二三州等)、ジェンダー(二五州等)、制度的蛮行(四二州等)、人種、宗教、民族集団(四三州等)、性的志向(二八州等)の規定がある。

もっとも、ヘイト・クライム法に対してアメリカでもイギリスでも、理論的批判や実務的批判が生まれているという。法律を制定したからといってヘイト・クライムがなくなるわけではない。法律に対する反発を生じることもあるし、実務が十分に法律を適用しないこともある。表面だけ取り繕って、かえって密行化することもある。

とはいえ、ヘイト・クライム統計法を制定して、実態を明らかにした上で必要な立法の検討を行う手順は参考になる。

日本の人種差別

一一月六日、国連総会第三委員会において、ド・ディエン「人種差別問題」特別報告者が報告書のプレゼンテーションを行い、その中で日本における人種差別に言及した。

「国連人権委員会への公式訪問報告書において、特別報告者は、人種差別および外国人嫌悪が存在し、三種類の被差別集団に影響を及ぼしていると結論づけた。三種類の被差別集団とは、ナショナル・マイノリティ(部落の人びと、アイヌ民族、沖縄の人びと)、かつての日本の植民地出身者およびその子孫(コリアン、中国人)、ならびに外国人・移住労働者である」(「人種差別撤廃NGOネットワーク」の情報による)。

そして、日本には人種差別が存在すると認めること、それと闘う政治的意思を表明すること、人種差別禁止法を採択すること、および国内人権委員会を設置することを勧告した。

しかし、日本政府は、これらの勧告を拒否している。マス・メディアもまったく報道しようとしないため、日本国内ではほとんど知られていない。ディエン報告書は二〇〇六年三月の国連人権委員会に提出されたが、ほとんど報道されなかった。報告書については、前田朗「日本には人種差別がある――国連人権委員会が日本政府に勧告」週刊金曜日』五九七号参照。二〇〇六年九月一八日、ディエン特別報告者は、国連人権理事会におけるプレゼンテーションの際にも日本における人種差別の存在を指摘したが、これも日本のメス・メディアでは報道されなかった。この点につき、前田朗「ミサイル実験以後の在日朝鮮人への人権侵害」『世界』七五八号参照。そして国連総会での報告である。それでも日本のメディアは報道しようとしない。取材していないわけではない。知らないわけでもない。ジュネーヴの国連欧州本部にも、ニューヨークの国連本部にも、日本の主要メディアは常駐して、取材しているし、国連のプレスリリースが直ちに送られてくるから、記者たちが知らないということは考えられない。そもそも記事を書いていないのか、書いてもデスクが潰すのかは知らないが、典型的な「マスコミ・ブラックアウト」である。

日本政府は人種差別の実態を調査しようともせず、「深刻な人種差別はないから人種差別禁止法は必要ない」と断言する。マス・メディアは、日本の人種差別が国連総会で取り上げられても報道しない。日本に生まれ育った日本国籍日本人は、国内では人種差別されることはないから、関心を持たない。現実に被害者がいるのに平気で無視する。それが人種差別の上塗りであることに気づこうとしない。NGOがディエン特別報告書を精力的に活用して日本社会の意識を変えていく必要がある。

ヘイト・クライム(4)

救援451号(救援連絡センター、2006年11月号)

ヘイト・クライム(憎悪犯罪)(四)

犯罪学の失敗

 ホール『ヘイト・クライム』第五章はヘイト・クライム犯罪者の分析を試みている。ベン・ボウリングによると、イギリスで人種差別を犯罪として研究するようになったのは一九八〇年代からで、きっかけは一九八一年のブリクストン暴動の発生や同じ時期の被害者学の発展であったという。バーバラ・ペリー『憎悪の名において――ヘイト・クライムを理解する』(ルートリッジ出版、二〇〇一年)によると、アメリカでもヘイト・クライムは「新しい」現象と理解された。ホールは偏見がいかにして否定的な行為に転換するのかを犯罪学は説明できなかったという。ペリーも犯罪学はヘイト・クライムを説明してこなかったという。歴史的には、マートンの緊張理論が最初の説明であった。マートンによると、犯罪は西欧社会における成功目標と、目標達成のために個人に与えられている手段との間の不適合である。この理論がヘイト・クライムに適用され、例えば「外国人」によって仕事や社会的資源が奪われたとか、「アウトサイダー」によって経済的安全が脅かされたと考えた者による犯罪という説明がなされた。目標達成の正当な手段に対する脅威への反応である。この説明を支える実証研究もなされた。

 しかし、ヘイト・クライムは緊張が生じた時期や緊張がもっとも激しい時期に起きるとは限らない。ヘイト・クライム被害者は圧倒的に少数者であることが多く、社会にさほどの経済的影響を与えるわけではない。加害者側もあらゆる階層にわたっている。ペリーによると、ヘイト・クライム犯罪者には、社会において比較的権力の地位にある者が含まれ、その地位が脅かされていない。それどころか権力の最高の地位にある者がヘイト・クライムを犯してきた。それゆえマートン理論はヘイト・クライムを説明できない。そこでペリーは「差異」に着目する。性別、人種、ジェンダー、階層などのヒエラルキーを構成する差異の観念が、差別現象には深く埋め込まれている。差異は社会的に構成されたもので時と場所によって変化する。差異はその前提として「所属」を仮設する。境界が固定され、相互浸透性がなく、構成員は所与のものであり、選択できないとされる。こうした分割のもとでアイデンティティが構成される。差異の上に支配的な規範が形成される。西欧社会における白人、男性、キリスト教徒、裕福という標識が確立し、支配と権力の「神話的規範」となる。差異が優位性や従属性の階層構造を生み出す。この構造が、労働、雇用、政治、性別、文化を通じていっそう強められる。ヘイト・クライムは社会における従属集団がよりよい地位を得ようとして優位・劣位の「自然な」関係を脅かすと、支配を再確立しようとして用いられる「道具」である。ヘイト・クライムは権力構造に深く根ざした抑圧の文脈で理解することができる。

 しかし、ホールは疑問を呈する。ペリーの権力理論は個人の犯罪者と被害者との関係の複雑性を覆い隠すのではないか。権力理論が正しいならば支配集団構成員だけがヘイト・クライム犯罪を行なうはずであるが現実は違う。少数集団だけが被害者になるはずだが違う。権力理論では、犯罪者がどう考えているのか、被害者がどう感じているのか、誰が犯罪者になりうるのかを説明できない。権力の考察は重要だが、人間感情や人間行動を多面的に検討する必要がある。

研究の進展

 ペリーの問題提起以後、ヘイト・クライム研究が盛んになった。ケリーナ・クレイグ「憎悪に基づく攻撃の研究」『攻撃と暴力行為』七号(二〇〇二年)は、規律と攻撃についての象徴的効果に着目して被害者集団の行動様式の変動を俎上に乗せつつ、犯罪者については社会、心理、政治、文化的な諸要因の総合研究を展開した。

レー・シビット『人種ハラスメントと人種的暴力の犯罪者』(内務省、一九九七年)は、ロンドンにおける人種暴動の研究をもとに、社会的文脈と個人の心理的要因の相互作用に焦点を当て、コミュニティにおける犯罪者の類型化を試みる。人種主義犯罪者は年齢も性別も問わないが、年代や性別によって犯罪化要因が異なる可能性を指摘する。年代別、犯罪表出のタイプ別の研究がめざされる。

マクデヴィット、レヴィン、ベネット「ヘイト・クライム犯罪者」『社会問題雑誌』五八巻二号(二〇〇二年)は、ボストンでの犯罪者、被害者、警察官への調査に基づいて類型化を試みている。①スリル、②防御、③報復、④使命の四つの性格づけと、犯罪者が単独か集団か、年齢、場所(被害者の領域か犯罪者の領域か)、武器・手段、被害者歴、偏見の有無、抑止などとを交差させている。

 バイアー、クライダー、ビッガース「偏見犯罪の動機」『現代刑事司法雑誌』一五巻一号(一九九九年)は、サイクスとマッツァの理論を応用して、犯罪者が自己の行為を正当化する論理、手法を解明しようとした。アーミッシュに対するヘイト・クライムでは「中立化の手法」が用いられ、①傷害の否定(実害はないじゃないか)、②被害の否定(現実の被害者の無視)、③より高い忠誠(自分が属する集団の安全という言い訳)、④非難者に対する非難(被害者と称する者こそ犯罪者だ)、⑤責任の否定(他の諸事情への仮託)が試みられる。

 ホールは、ヘイト・クライム研究は増え続けているが、なぜ人々がヘイト・クライムを行うのかの包括的説明にはほど遠いという。刑事司法がヘイト・クライムに効果的に対処するために犯罪者の正確な理解が必要である。人間感情としての憎悪は偏見に根を持つという仮説は確かであるとはいえ、単に偏見を有しているというだけでは不十分である。偏見を持っているからといって誰もがヘイト・クライム犯罪に走るわけではない。ホールは、むしろ誤った信念や否定的感情を犯罪行為に転換させる何ものかがあり、社会的、心理的、犯罪学的、文脈的な諸要因となっているはずだと考える。これら諸要因間の相互作用を具体的な文脈の中で理解する必要がある。憎悪という言葉は一つであるが、実は単一の感情や行動ではなく複合的な心理現象であり、それに応じた説明が必要であるという。

ヘイト・クライム(3)

救援450号(2006年10月号)

ヘイト・クライム(憎悪犯罪)(三)

犯罪統計

ヘイト・クライムの複合的な性格を解明して、効果的対策を提言しようとするナタン・ホール『ヘイト・クライム』(ウィラン出版、二〇〇五年)は、アメリカとイギリスにおけるヘイト・クライムの頻度や性格を取り上げる。

アメリカでは一九九〇年以来、ヘイト・クライム統計法に基づいて、統計が公表されている。統計には、五種類の偏見(人種、宗教、障害、性的志向、民族性)の動機によって行なわれた犯罪(殺人、強姦、暴行、加重暴行、脅迫、強盗、窃盗、自動車盗、放火、器物損壊)に関する情報が含まれている。ヘイト・クライム統計法はヘイト・クライムの正確な情報を収集することを目的としているが、バーバラ・ペリーによると、実際の状況とはかけ離れているという。なぜならヘイト・クライム統計法のヘイト・クライムの定義が狭すぎるからである。現実のヘイト・クライムはもっと多様な動機で、もっと様々な犯罪の形で現出している。統計には上がってこない暗数の存在は言うまでもない。こうした制約はあるが、統計法によってアメリカにおけるヘイト・クライムの概要が一応は確認できる。二〇〇二年には、七四六二件のヘイト・クライム犯罪のうち、人種的偏見によるものが四八・八%、宗教的偏見によるものが一九・一%、性的志向による差別が一六・七%、心身障害の偏見が〇・六%である。人に対する犯罪が六七・五%、財産に対する犯罪が三二%である。もっとも多いのは脅迫で三五・二%、器物損壊等が二六・六%、暴行が二〇・三%、加重暴行が一一・七%である。人種的偏見による犯罪のうち黒人に対するものが六七・五%、白人に対するものが二〇・二%、アジア・太平洋諸島の人々に対するものが六・一%である。宗教的偏見によるヘイト・クライムのうち反セミティズムが六五・九%、イスラモフォビアが一〇・八%、特定できないものが一三・八%、反カトリックが三・七%、反プロテスタントが二%である。性的志向の異なる者への犯罪は一四六四件報告されているが、そのうち男性同性愛者に対するものが六五・四%、女性同性愛者に対するものが一四・一%である。ヘイト・クライム殺人は一一件、強姦は八件、強盗が一三〇件である。家屋内で発生したものが二九・五%、路上が二〇%、学校が一〇・六%、公園や駐車場が六・二%である。ヘイト・クライムの最大の被害者は、アフリカ系アメリカ人であり、ついでユダヤ人、男性同性愛者の順である。

ホールは統計が不備であることを繰り返し指摘しているが、法律に従って情報を収集し、統計を公表していることだけでも重要である。どのようなヘイト・クライムが実際に発生しているかを確認し、議論することができるからである。人種差別に関する統計調査を一切拒否しながら、人種差別禁止法を必要とするような人種差別は存在しないと断定する日本政府とは決定的に違う。

犯罪の被害

 ホールは、ヘイト・クライムを単発の犯罪としてではなく、個別の犯罪が関連を持って継続する<過程>として理解しようとする。ヘイト・クライムを過程として理解すれば、動態的に分析し、過程におけるすべての行為者の社会的関係に着目することになる。身体的暴力、威嚇、脅迫の継続が特徴である。繰り返される被害、あるいは系統的な被害。しかも、被害は犯罪の実行によって始まったり終わったりするのではない。ヘイト・クライムの被害は一つの犯罪とだけではなく、多くの犯罪と結びつくからである。特定個人だけが被害を受けるのではなく、事件の発生による恐怖はその瞬間を越えて広がる。

 ホールは、ボウリングのニューハム調査を紹介している。一九八七年から八八年にかけてニューハムでは二つの通りに住む七つの家族に対して五三件の嫌がらせが発生した。言葉による嫌がらせ、卵を投げる、器物損壊、ドアをノックするなど。一つひとつは小さな事件であり、犯行者もそれぞれ個別に行なっている。しかし、これらが累積することで被害者にとっては重大な恐怖となる。ヘイト・クライムの被害は、単発事件によっては理解できないので、過去にさかのぼって累積的に調査する必要があるが、刑事司法や犯罪統計にはこの観点が欠けている。

 ホールによると、過程としてのヘイト・クライムの被害や影響は、単発事件の被害や影響とは異なる。ヘレク、コーガン、ギリスによる一九九七年のヘイト・クライム調査によると、被害者にはひじょうに長期にわたるPTSDが確認され、落胆、不安、怒りにとらわれがちである。通常犯罪なら二年程度の影響が、ヘイト・クライムでは五年以上継続する。ヘレク、コーガン、ギリスは二〇〇二年にも調査を行なった。それによるとカムアウトした同性愛者は、公共の場で見知らぬ男性によって被害を受けることが多い。通常犯罪とヘイト・クライムとで例えば暴行の程度が同じであっても、被害者が受ける心身のダメージは異なる。そして、被害者個人だけではなく、同性愛者のコミュニティ全体に対しても影響を与える。ヘイト・クライムは、コミュニティの他の構成員に対して<メッセージ>を送るのである。犯行者の犯罪動機が伝えられることによって、憎悪の対象とされた集団全体に恐怖を呼び覚ます。ボストンにおけるヘイト・クライムと通常犯罪に関するマクデビットらの研究によっても、被害者の心理には差異が確認される。ヘイト・クライムの方が後遺症が大きく、回復に時間を要する。将来の恐怖の大きさも、被害の繰り返しのためにずっと大きい。クレイグ-ヘンダーソンとスローンの研究によると、人種差別はその人種に属しているために標的とされるが、その人種であることは外見でわかるので、いつ誰が被害を受けるかわからないという性質を有する。人種差別は、その人種を極端に否定的にステレオタイオプ化し、烙印を押す。このことは犯行者の動機に明白に表れている。すべての被害者が否定的ステレオタイプを押しつけられる。

 以上のように、ホールは、ヘイト・クライムを量的にも質的にも検討して、被害のメカニズムを明らかにしたうえで、加害者の研究に目を転じる。

ヘイト・クライム(2)

救援』449号(救援連絡センター、2006年9月号)

ヘイト・クライム(憎悪犯罪)(二)

差別の<今、ここ>

 郭基煥『差別と抵抗の現象学』(新泉社)は、差別を<罪>ではなく<病>の位相で捉え返そうとする。それは差別者を許したり労わったりするためではない。被差別者の立場から差別を克服するためである。差別されるという経験を人間学的に分析する中から、抵抗する主体としての思想を立ち上げるためである。

 しかも、今日、在日朝鮮人に対する差別の局面がかつてとは異なっている。朝鮮による日本人拉致事件や「核疑惑」のため、「北朝鮮は当然のこととして警戒され、正当のこととして批判されている」からである。その批判を振り向けられないために、「自分と『北朝鮮』を結びつけることは『間違い』であると自分に納得させることが可能だとしても、心の外部にいる『日本人』が自分の思うように納得するものだと信じきることなどできはしない」という状況に置かれているからだ。この状況の中で、在日朝鮮人は、「北朝鮮の他者化に共犯するよう脅迫」されている。差別者が用意した罠を罠と知りつつ、共犯となることで「未来の同胞への責任」を果たすことも困難をきたしている。

 こうした状況を把握した上で、郭は、「差別に対する抵抗の意思の生成とその初源の姿を明らか」にしようとする。フランツ・ファノンの「身体」についての議論や、レヴィナスの<顔>に関する議論を援用した郭は、こう述べる。

 「命名の暴力は、<恐怖する分身主体>への無限責任を生みだす。そしてその責任は、<恐怖する分身主体>、理念としての、しかし<私>の肉を分け持った被命名者の恐怖への応答である以上、<私>が恐怖の中に赴こうとする運動の中でしか果たせないだろう。<恐怖する分身主体>は<私>に恐怖の中で暴力に抗うように常に責める。恐怖のないところではなく、恐怖のさなかで暴力に抗うこと、つまり<対決>の場にいるように責める。」

 <責任としての抵抗>は命名の暴力によって生み出される経験の構造から生まれる。

 「朝鮮人という語で自らを語ろうとした者たち、己の身体でその語が持つ響きを吸収しきろうとした者たちは、この語によって圧倒された同胞、殺されさえした同胞への責任、そして、この語によって圧倒されるかもしれない未来の同胞への責任に呼びかけられた者たちのことなのだ。」

 <責任としての抵抗>は、それゆえ「決して支配者たちに回収されない形で抵抗する」ことを必要とするという。日本における「北朝鮮表象」の現実の中で、共犯化から免れ、<対決>へと不可避的に促されること――こうして郭は「差別と抵抗の<ひそやかな関係>」を語る地点に到達する。差別の人間学的考察は、差別者と被差別者の対立構図を<責任としての抵抗>を手がかりに乗り越えようとする。

しかし、先を急ぎすぎたかもしれない。郭の現象学からいったん離れて、そもそもヘイト・クライムとは何かを考えてみよう。

ヘイト・クライムとは

 「人種差別禁止法を必要とするような差別は日本には存在しない」。人種差別撤廃条約に基づいて設置された人種差別撤廃委員会が人種差別禁止法制定を勧告したのに対して、日本政府は差別の存在を否定して見せた。在日朝鮮人に対する就職差別、アパート入居差別、差別的表現をはじめとする数々の人種差別を指摘されても、法律を必要とするほどの深刻な問題ではないと言う。各種資格試験などについて日本政府自身が差別を繰り返してきたのだから始末に終えない。

 焦点の一つとなったのがヘイト・クライムである。人種差別撤廃条約第四条は、人種的優越性に基づく差別・煽動の禁止を定め、同条(a)は人種差別の煽動を犯罪であるとし、同条(b)は人種差別煽動団体・活動を違法であるとし、法律を制定することを求めている。日本政府は条約を批准した際に、この条項の適用を留保した。

 ポーツマス大学講師で犯罪学者のナタン・ホールは、その著『ヘイト・クライム』(ウィラン出版、二〇〇五年)でヘイト・クライムの複合的な性格を解明して、効果的対策を提言しようと試みている。

 ホールはまず「ヘイト・クライムとは何か」について、それが複合的性格を有するため、研究者や実務家にもコンセンサスがないとして、社会的構築としてのヘイト・クライムに関して従来なされてきた様々な定義の試みを検討する。例えば、バーバラ・ペリーは、ヘイト・クライムは他の犯罪とは異なって、直接当事者だけではなく、異なるコミュニティ間の関係にもかかわり、被害は身体的被害や経済的被害にまで及ぶ。コミュニティに恐怖、敵意、疑惑を生み出すと特徴づけている。ホールは、これを異なる者の集団全体に対する象徴的な犯罪と捉えるが、だからこそ定義が困難であると見る。憎悪や偏見の社会的分析を行なえば判明することだが、その表出形態は実に様々である。偏見の意味を解明するとともに、偏見が犯罪と結びつく性格や程度を明らかにしなければならない。ヘイト・クライムに対応するためには正確で有効な定義が必要である。

 そこでホールは「偏見と憎悪」の関係を問い直す。まず偏見と差別について、偏見は心理学的概念であり、差別行為との関係が問題となる。両者は互換的に用いられることが多いが、区別されるべきである。偏見は社会集団構成員に対する態度であり、差別は社会集団構成員に対して向けられた行為である。次にホールは、ステレオタイプな決め付けや権威主義や日常的な偏見について論じて、意図的でない偏見、カタルシスの偏見、善意による偏見、ありきたりの偏見を検討し、これらが憎悪と結びつく場面に向かう。

 さらにホールはヘイト・クライムの歴史を探り、この言葉が使われるよりずっと以前から、アメリカにおいてはネイティヴ・アメリカン、アフリカ系アメリカン、アジア人移住者に対して、リンチ、奴隷化、ジェノサイド、偏見による行為が実に長いこと続いたことを確認する。歴史は古いが、ヘイト・クライムは現代の社会問題として理解されている。しかし、ヘイト・クライムが新しいのではなく、社会的関心が新しいのである。

ヘイト・クライム(1)

救援448号(救援連絡センター、2006年8月号)

ヘイト・クライム(憎悪犯罪)(一)

テポドン騒動

 七月五日以来、各地で朝鮮人に対する暴行・暴言・脅迫事件が続発している。大阪の生野朝鮮初級学校一年の男子生徒が通学路で殴られた。愛知朝鮮中高級学校中級部二年の男子生徒も暴力被害を受けた(毎日新聞七月一四日)。暴行事件以外にも、「朝鮮帰れ」「三国人は日本から出て行け」「殺してやる」「ただじゃおかないからな」などの脅迫や無言電話、暴言、器物損壊など百件を超える嫌がらせが続いている(読売新聞七月一四日)。日本政府による制裁のため、生徒の修学旅行さえ実施できなくなっている。

 きっかけは、七月五日、朝鮮がミサイル実験を行なったことである。各種のミサイルが日本海のロシア沖に落下したという。アメリカが事前に警告していたため、ある程度予想された実験強行であった。ところが、日本では待ってましたとばかりに異常な騒ぎが始まった。マスコミ、政府、社会の順で確認しておこう。

 マスコミは、ロシア沖に落下したのに、当初は日本に向けて発射したかのようにセンセーショナルに取り上げた。予想された実験にもかかわらず「何をするか分からない」と興奮する。報道の視点も論評も、事実確認よりも興奮状態での大騒ぎである。アメリカ情報に依拠し、米日の利害だけを持ち出す。

 日本政府は、即座に非難を打ち出し、英米仏などと国連安保理事会に制裁決議を提出したが、国連憲章第七章(武力行使)を含むという異常さであった。決議から第七章が削除されたのは当然である。

 政府もマスコミも次から次と虚偽宣伝で戦争を煽っている。そもそもミサイル打ち上げは国際法に違反していない。これまでに四十数カ国がミサイルを保有している。毎年百回ほどのミサイル打ち上げが行なわれているが、非難された国はほとんどない。こうした事実を隠して、朝鮮が国際法違反をしたかのように誘導している。通告なしに打ち上げたというが、日本がロケット(物理的にはミサイルと同じ)を打ち上げる際に朝鮮に通告したことはない。また、七月七日、海上自衛隊は米軍との合同演習リムパックで、護衛艦三隻によるミサイル発射を行なっているが、朝鮮に通告していない。すべてのミサイル打ち上げを非難するべきだろう。日本もミサイル打ち上げを自粛するべきだ。

 このように日本の行動と主張は常軌を逸しているのに、マスコミは「北叩き」に専念している。「拉致問題」以来、そうした感情が日本社会に蓄積されているから何でもありである。政府とマスコミが差別を煽り、戦争の火付け役になっている。その結果、多数の朝鮮人生徒が深刻な被害を受けることは、従来の経験からよくわかっていることである。一九九四年の「核疑惑」騒動、九八年のテポドン騒動、二〇〇二年の拉致問題など、朝鮮半島に緊張が走ると、日本社会は朝鮮人の子どもたちに襲いかかり、差別と犯罪を繰り返してきた。

差別の現象学

 「日本において朝鮮人が陥っている苦境は、それ自体、日本という巨大な密室におけるドメスティック・バイオレンスなのではないか」と問う郭基煥『差別と抵抗の現象学』(新泉社、二〇〇六年)は、現象学を手がかりに「差別の哲学的人間学的問い」に迫る試みである。郭は、まず被差別体験を現象学的に分析し、その生成と意味を問い返した上で、差別行為の分析に向かう。人間を差別へと誘引する人間的条件とは何かを問うのである。

 「<私>における他者の超越は、もっとも基層においては、他者は、別の他者のところからやってきたし、同時にまた、別の他者のところへ行きうる存在であるという形で知られている、と言えないだろうか。言い換えれば、他者の超越についての知は、この<あなたたちの世界>経験によって形成され、その知の中核に常に保持されているのではないか。他者が別の他者のところからやってきたし、別の他者のところへ行きうるという事態を、ここでは<社会的運動>と名づけておこう。」

 <あなたたちの世界>経験によって社会的世界の超越の知が得られる。<あなたたちの世界>の痕跡こそが「われわれの社会・国」という社会表象を可能にする。これは単なる一般論や抽象論ではない。郭は次のように論及する。

 「差別の力が二つの方向に向けられていることは明らかであり、その点に最大限の注意が払われるべきであろう。その一つは、『被差別者』に対するそれであり、もうひとつは『仲間』に対するそれである。差別は、『仲間』を『仲間』として拘束すると同時に、『被差別者』を『仲間ならざるもの』という『役割』に拘束する。その拘束は具体的には何に向けられているのか。それは、いつも他者の社会的運動に向けられているのだ。したがって、二重に他者の社会的運動を封じ込める行為であると言いうる。」

 差別者の世界のリアリティは<あなたたちの世界>によって脅かされている、と感じられている。それでも自己のリアリティを固持するためには、別のリアリティの存在を意識の内部で抑圧しなければならない。見えているものすら見えなくなるのはここである。他者から不意打ちされ、世界を奪われるかもしれないという<根源的社会的不安>に促されて、逆に他者に不意打ちをかけ、世界を剥奪しようとするのである。したがって、差別の事実を暴露したり、差別者の罪を非難したり、差別者のその暴力性に気付かせるだけでは不十分である。郭は「<病>としての差別」について語る。

 「人間についての徹底的な反省は、<あなたたちの世界>を経験せざるを得ないという変更不可能な人間の条件に対する<根源的社会的不安>に、差別へと人を誘惑する最初の動機を見出すのである。その意味では、差別は暴かれるべき<罪>ではなく、むしろ治癒されるべき<病>なのであり、差別者とは暴力的存在である以前に、不安におののく者なのである。」

 郭によれば、ヘイト・クライムもまた<罪>である以前に<病>であるということになるだろうが、<病>であると同時に<罪>でもあることが否定されるわけではない。

Wednesday, July 22, 2009

地下壕・強制連行(9)貝山地下壕(2)











7月19日、2009在日朝鮮人歴史・人権週間(東日本)は、貝山地下壕見学を行った。横須賀には海軍があったため、数百の地下壕がある。神奈川県内で1500ともいう。特に夏島地下壕や浦郷地下壕は全国最大級の地下壕である。貝山地下壕は、小さな山の上が貝山公園となっているため、破壊されずに残されている。ここは海軍航空廠の疎開先であり、それだけに珍しい特徴がある。会議室らしき部屋があり、炊事場も残されている。地上に出る階段もあり、実に貴重な地下壕である。これまでに10回ほど見学したが、その都度、新しい発見がある。