Wednesday, August 06, 2025

<並木陽介弁護士への書簡 憲法フェスティバル実行委員会への書簡(第3信)  ――あなた方はいつまで琉球差別を続けるつもりなのですか>

<並木陽介弁護士への書簡

憲法フェスティバル実行委員会への書簡(第3信)

 ――あなた方はいつまで琉球差別を続けるつもりなのですか>

 

並木陽介様

憲法フェスティバル実行委員会様

 

 84日、並木さんからのお手紙(731日付)を拝受いたしました。ありがとうございます。

 

 お手紙を拝見して大変残念な思いをしました。私たちが提起した問題については一切言及がありません。書かれていることは、憲法フェスティバル実行委員会の内輪の理屈と奇妙な一般論に終始しています。

 

 並木さん

 下記の文章はいったい何を意味しているのでしょうか。

 「憲法フェスティバル実行委員会は、様々な立場や思想にこだわることなく、かつ弁護士や法律家だけでなく多くの一般市民の皆さんをメンバーとして構成している実行委員会です。そうした性格から、頂きました個別具体的な問題についての統一した見解をまとめて公表ないし回答するなどといったことは行っておりません。」

 

 第1に、上記の文章は事実に合致しているでしょうか。これまで長年の間、憲法フェスティバル実行委員会は憲法問題、平和問題、憲法改悪問題、安保法制問題をはじめとして多岐にわたる見解を公表してきました。政治問題、外交・軍事問題、人権問題について夥しい見解を公表してきました。憲法フェスティバル実行委員会のウェブサイトを拝見しても、フェスティバルの過去の宣伝チラシを拝見しても、そのことは明らかです。差別問題になったとたんに見解公表を渋るのはなぜでしょうか。

 

2に、ここに書かれている「性格」なるものは、憲法フェスティバル実行委員会の内輪の理屈にすぎません。一方で、憲法問題、平和問題、憲法改悪問題、安保法制問題について意欲的かつ積極的に見解を公表しながら、差別問題を指摘されたとたん、「そうした性格から、頂きました個別具体的な問題についての統一した見解をまとめて公表ないし回答するなどといったことは行っておりません」というのは理解しかねます。政治・社会・憲法・外交・軍事に関して社会的発言を繰り返してきたにもかかわらず、言いたいことは言うが、都合が悪くなると口をつぐむのでしょうか。

 

3に、ここに書かれている「性格」なるものを理由に応答を拒否することは、逆の意味で、憲法フェスティバル実行委員会の「性格」を体現しているのではないでしょうか。社会的問題について発言するが、責任は負わないと言う一方的な姿勢は、憲法フェスティバル実行委員会が社会的に発言する資格そのものに疑念を抱かせるものです。倫理観の欠如した団体が社会的活動を続けることが許されるでしょうか。

 

4に、問題は民族差別問題です。単に過去の京都大学による差別ではありません。現在の京都大学による差別であり、山極壽一氏による現在進行中の差別です。私たちは憲法フェスティバル実行委員会がこの民族差別を許容し、擁護する結果になることに警鐘を鳴らしました。

これに対して並木さんは「性格」を持ち出して回答を拒否しています。「憲法フェスティバル実行委員会は、様々な立場や思想にこだわることなく」とありますが、そこには「差別する立場」や「差別思想」も積極的に含むのでしょうか。一緒に差別すれば怖くないという姿勢に見えます。

 

下記の文章はいったい何を意味しているのでしょうか。

「一般に、出演を依頼して登壇いただいた方に対して、お願いしたテーマとは別の問題について何らかの働きかけをするようなことはすべきではありませんし、当実行委員会としても致しかねます。」

 

5に、このような「一般論」は到底認められません。社会常識に反します。およそ、ありえないことです。

例えば、84日、週刊新潮コラム差別事件に抗議する記者会見が行われました。

①週刊新潮コラムに作家の深沢潮さんが抗議 新潮社はHP上に文書掲載

https://www.asahi.com/articles/AST8432ZRT84UCVL01MM.html?msockid=39656b98262d63d91b7179fe27c76213

②週刊新潮コラムに作家の深沢潮さんが抗議…新潮社がおわび「出版社としての力量不足と責任を痛感」

https://www.yomiuri.co.jp/national/20250804-OYT1T50158/

③週刊誌コラムに作家の深沢潮さん抗議 「出版社として力量不足。責任痛感」と新潮社謝罪

https://www.sankei.com/article/20250804-X4EZJO4QW5N7HAYP5FF4ZKEJEY/

差別コラムを執筆したのは高山某というライターですが、これをチェックすることなく掲載したのは編集長であり、最終的には新潮社の責任が問われます。

TV番組で差別発言がなされれば、司会等がそれを指摘・是正するべきです。是正措置が取られなければディレクターの責任であり、最終的にはTV局の責任が問われます。

公開集会で差別発言がなされれば、主催者の責任で停止、又は事後的に是正するべきです。そもそも民族差別を繰り返してきた人物にわざわざ講演依頼したことが不見識ですが、いったん講演依頼をしたから代えられないと言うのであれば、当日の公開集会で差別的な事象が生じないように配慮するのが主催者の責任ではありませんか。

 

並木さん

あなたは第三者ではなく、当事者です。

 

6に、憲法フェスティバルにおいて現に差別的発言がなされました。浅倉むつ子氏(早稲田大学名誉教授)は、19464月の衆議院議員選挙において「女性初の参政権」が認められたと確認し、「『平等』は戦後、日本国憲法で保障された。」と断定しました。

194512月の衆議院選挙法改正の際、「沖縄県民」及び「旧植民地出身者」の選挙権が停止(剥奪)されました。1946年の衆議院選挙において、琉球の女性にも男性にも選挙権は与えられませんでした。1946年の日本国憲法は、琉球の女性も男性も排除して、制定されました。「『平等』は戦後、日本国憲法で保障された」と述べることは、琉球民族や朝鮮人を排除して「平等」を語ることです。特定の集団を排除したことを高く評価して正当化することは、差別を擁護することです。

人種差別撤廃条約では、「『人種差別』とは、人種、皮膚の色、世系又は民族的若しくは種族的出身に基づくあらゆる区別、排除、制限又は優先であって、政治的、経済的、社会的、文化的その他のあらゆる公的生活の分野における平等の立場での人権及び基本的自由を認識し、享有し又は行使することを妨げ又は害する目的又は効果を有するものをいう」(人種差別撤廃条約第11項)と定義されています。

差別する意図や目的がなくても、差別を是認し、正当化する発言はやはり差別です。琉球民族を「区別、排除、制限」し、「平等の立場での人権及び基本的自由を認識し、享有し又は行使することを妨げ」ることを正当化するあからさまな差別思想の表明です。

 

並木さん

あなたは弁護士です。弁護士法第1条には「弁護士は、基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とする。」と書かれています。差別の恐れを指摘されても何ら対処することなく、公開集会でさらに別の差別事象を招いたことをどうお考えでしょうか。憲法フェスティバル実行委員会の内輪の理屈を繰り返すのは責任倫理に反するのではないでしょうか。

弁護士法第12項には「弁護士は、前項の使命に基き、誠実にその職務を行い、社会秩序の維持及び法律制度の改善に努力しなければならない。」とあります。差別の恐れを指摘され、事後に質問がなされたにもかかわらず、どこにも通用しない「一般論」をタテに回答を拒否するのは「誠実」と言えるでしょうか。

 

私たち(前田)は40年近く反差別の人権論研究に携わってきましたが、その中で心ない発言をしたために「差別的だ」と指摘されたことが何度もあります。その時、採るべき対応は事実を確認し、相手と対話し、謝罪することでした。

アイヌ民族が遺骨返還を要求した時、北海道大学は面会も対話も拒否しました。琉球民族が遺骨返還を要求した時、京都大学は面会も対話も拒否しました。民族差別の被害者を無視し、排除することは民族差別の上塗りではないでしょうか。

 

並木さん

なぜ、あなたは「回答するなどといったことは行っておりません」と撥ねつけるのでしょうか。なぜ、対話を拒否するのでしょうか。

 

琉球民族遺骨返還問題は、京都大学に留まる訳ではありません。東京大学も琉球民族遺骨を保管しているため、その返還運動が始まりました。

「松島氏ら、東大に情報開示請求 琉球人遺骨を保管か 支援者と連携、訴訟も視野に」

.https://ryukyushimpo.jp/news/national/entry-4484277.html

東京大学は本年7月、アイヌ民族の遺骨19体を小樽のアイヌ民族」などの団体「インカルシべの会」に返還しました。その際、東京大学総務部長が「アイヌ民族の方々の尊厳を深く傷つけたことは誠に申し訳なく、深くお詫び申し上げる」と、初めて謝罪しました(松島泰勝「差別の清算を求めて――琉球人遺骨と東京大学・上(学者の人骨研究特権化、遺族への配慮感じられず)」(『沖縄タイムス』202585日)。

 

私たちは今後も、盗まれた先住民族遺骨返還運動を通じて、琉球沖縄に対する差別と偏見の是正・解消を求めていきます。

 

並木さん

せめて、あなたが差し出している、その差別の手を引っ込めていただくことはできないでしょうか。

 

                                 以上

 

2025年8月7日

 

前田朗(ヘイトスピーチとレイシズムを乗り越える国際ネットワーク(のりこえねっと)共同代表、青年法律家協会弁護士学者合同部会・元東京支部長、朝鮮大学校講師、東京造形大学名誉教授)

松島泰勝(琉球民族遺骨返還請求訴訟元原告団長、琉球民族遺骨情報公開請求訴訟元原告、ニライ・カナイぬ会共同代表、龍谷大学教授)

 

*本書簡へのご意見やお問い合わせは下記へお願いします。

前田 E-mail: akira.maeda@jcom.zaq.ne.jp

松島  E-mail: matusima345@yahoo.co.jp

<憲法フェスティバル実行委員会>からの書簡

<憲法フェスティバル実行委員会>から書簡が届きました。

731日付書簡が84日に私の所に配達されました。実行委員会の並木陽介弁護士の名義です。以下に全文を引用紹介します。

私たちからの書簡は下記の2つです。

https://maeda-akira.blogspot.com/2025/06/blog-post_13.html

https://maeda-akira.blogspot.com/2025/07/2.html

 

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前田 朗先生

 

旬報法律事務所

弁護士 並木陽介

 

前略

 いつも憲法フェスティバルをご支援いただき、また先日は貴重なご意見をお寄せいただき、ありがとうございます。

 

 いただきましたご質問についてですが、憲法フェスティバル実行委員会は、様々な立場や思想にこだわることなく、かつ弁護士や法律家だけでなく多くの一般市民の皆さんをメンバーとして構成している実行委員会です。そうした性格から、頂きました個別具体的な問題についての統一した見解をまとめて公表ないし回答するなどといったことは行っておりません。

 

 また、一般に、出演を依頼して登壇いただいた方に対して、お願いしたテーマとは別の問題について何らかの働きかけをするようなことはすべきではありませんし、当実行委員会としても致しかねます。

 

 何卒ご賢察の上、ご理解を賜れば幸いです。

                      以上

Tuesday, August 05, 2025

朝鮮学校とともに・練馬の会 結成15周年記念講演会

朝鮮学校とともに・練馬の会

結成15周年記念講演会

 

「民族教育権と将来の世代の人権」

前田朗 朝鮮大学校法律学科講師

 

9月24日()1830分~

  *受付開始:1815分、開会1830分、閉会2240

ココネリ(区民・産業プラザ) 3階 研修室1 

*練馬駅下車徒歩1

 

参加費 1000円

障害者・学生 500円

*講演会で出た収益は、朝鮮学校へのカンパにあてます。

私たちは20103月から15年間、毎月1回の街頭アピールを中心に、朝鮮学校への無償化適用を求める活動を続けてきました。

15 年という長い年月は決して誇れることではなく、15 年かけても、朝鮮学校への「無償化」を実現できなったということです。

前田朗先生をお迎えして、民族教育への新しい視座をお聞きしたいと思います。

 

朝鮮学校とともに・練馬の会

共催:練馬教育問題交流会

連絡先:09054457123(林)

E-mail: subetemushoka-nerima@yahoo.co.jp

Saturday, August 02, 2025

シンポジウム 「太平洋戦争終結80年 日本の敗戦80年 平和な世界の構築にむけて」

 シンポジウム

「太平洋戦争終結80年 日本の敗戦80年 平和な世界の構築にむけて」

「中国を仮想敵国に仕立て上げて、着々と戦争準備に突き進んで良いのか。中国は敵ではない。」

―日中友好こそ、日本の最大の安全保障の一つだ―

 

まもなく、第二次世界大戦終結80年、日本の敗戦80年という歴史的節目の時を迎えようとしている。

日本では、戦後、自民党の幹部や大臣経験者から、度々、侵略や植民地支配を否定する歴史改竄主義的な発言が繰り返されてきた。

戦後、日本政府がアジアの諸国から、最も高い評価を受けた1995年の「村山談話」の後も、この談話に反発を強めた自民党の右派勢力の情念は蠢き続け、安倍首相にも受け継がれ、現在においても、自民党の右派幹部に引き継がれている。

日本の国内の一部の保守・極右勢力の中には、村山談話で記された、歴史への反省を「自虐史観」などと揶揄する向きもあるが、それは大きな間違いだ。

日本の敗戦80年という歴史的節目の時を迎えるにあたり、改めて、あの侵略戦争の本質を問い、歴史を鑑として、未来に進むという観点から、アジアの平和と繁栄の道は、どこにあるのかを、皆さんと、考えたいと思います。

日本を代表する、知の巨人のお話は、興味深いシンポジウム(詳細は添付のチラシ・参照)になると思います。多くの皆様方のご出席をお待ちしています。

 

日時:2025814日(木)1400~(開場1330

1330分から、衆議院第一議員会館ロビーで入館カード配布

会場:衆議院第一議員会館・地下1階・大会議室

 ※必ず、事前申し込みが必要です。

申し込み先:多くの参加者が想定されます。定員(300名)に達し次第、申し込みを締め切りますので、恐縮ですが、大至急、以下のメールまで参加申し込みを、お願いいたします。

E―mailendentakakageybb.ne.jp

●連絡先 090-8808-5000

 

●大変、中味の濃いシンポジウムとなりますので、多くの皆様にお知らせいたしたいので、何卒、皆様お一人・お一人のSNSで、大拡散をお願い申し上げます。

 

●プログラム●

1.総合司会:増田都子(元中学校社会科教員)

2.主催者代表挨拶:藤田高景(村山首相談話の会・理事長)

3.来賓のご挨拶

●鳩山友紀夫(第93代内閣総理大臣・東アジア共同体研究所理事長)

●呉江浩(中華人民共和国駐日本国特命全権大使)(要請中)

4. 記念講演

●山田朗(明治大学教授)

「平和創造のために引き出すアジア太平洋戦争の教訓」

●髙野孟(東アジア共同体研究所理事)

「台湾有事は日本有事」というデマを粉砕しよう!

. 各界からの御発言

●古賀茂明(政治経済評論家、元経済産業省官僚)

今こそ原点に帰り「何が何でも戦争はしない」政策に転換する時だ

●高山佳奈子(京都大学教授)

国際学術交流を通じた平和貢献

●木村知義(北東アジア動態研究会主宰、ジャーナリスト)

「敗戦80年」、こえるべき課題に向き合う視座とは

質疑応答           

7.閉会の挨拶  野平晋作(ピースボート共同代表)

 

主催  村山首相談話を継承し発展させる会

反差別連続講座第3回 民族教育権と将来の世代の人権

反差別連続講座第3回

民族教育権と将来の世代の人権

前田 朗

 

9月11日(金)18152030 開場18:00

浦和コミュニティセンター第13集会室

浦和駅東口 浦和パルコ上10

参加費 800円 (学生・障がい者500円)

 

主催: 外国人学校・民族学校の制度的保障を実現するネットワーク埼玉

協賛: ヘイトスピーチ禁止条例を求める埼玉の会

子どもの人権埼玉ネット

朝鮮・韓国の女性と連帯する埼玉の会

問合せ・申込:080-1245-3553(斎藤) 

取調拒否権を考える(6)

取調拒否権について、最近はあちこちいくつかのメディアに書かせてもらっているが、以前は、ほとんど救援連絡センターとその機関紙『救援』が主たる舞台だった。

 

『救援』には1995年からずっと毎号連載している。テーマは全てその時々の私の判断で、編集部から注文がついたことがない。自由気ままに書いてきた。

 

2018年の連載は次の通り。

1月:恣意的処刑とジェンダー

2月:死刑と差別に関する国連報告書

3月:アジアの中の日本国憲法

4月:刑罰制度改革はいかにあるべきか

5月:反差別運動における暴力(二)

6月:女性に対するレイシズム

7月:集会・結社の自由の人権理事会報告書

8月:ヘイト番組「ニュース女子」問題

9月:フェミニズムはどこへ行ったのか

10月:日本軍「慰安婦」問題人種差別撤廃委員会勧告

11月:うちなーんちゅうしぇーてぇーないびらんどー

12月:少年年齢引き下げ法改正に反対する刑事法研究者声明

 

刑事法と差別問題のテーマが多いが、11月は翁長雄志・沖縄県知事が亡くなったので追悼の意味、12月は少年法改正問題。以下に貼り付ける。

 

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救援18年11月

うちなーんちゅうしぇーてぇーないびらんどー

 

前田 朗(東京造形大学)

 

基地問題の新局面

 

 琉球新報社編『魂の政治家――翁長雄志発言録』(高文研)は「イデオロギーよりアイデンティティ」を掲げ、「オール沖縄」を牽引して、日本政府と渡り合った翁長雄志の二一本の発言・講演をまとめた一冊である。

 八月八日、翁長雄志沖縄県知事が亡くなった。膵臓癌のため手術を受け、さらに入院中だったが闘病かなわず、六七歳の早すぎる逝去である。ご家族の思いはいかばかりか。と同時に、辺野古基地建設反対運動をともに闘ってきた沖縄の人々の心中も察するにあまりある。

 沖縄に米軍基地を押しつけ、その撤去のために何もできずに来た本土のやまとんちゅの一人に過ぎない私に、翁長知事の追悼を述べる資格があるのか、と考え込まざるを得ない。

 とはいえ、尊敬する政治家の死を悼み、敬愛する人間の早すぎる死を惜しみ、私なりの追悼をするのに資格などもともと不要だ。

 七月二七日に辺野古基地建設に伴う埋立承認撤回に向けた手続きの開始を宣言する記者会見の様子を見て、翁長知事のやつれた姿に驚き、不安に思い、同時にそれでも前向きに闘う翁長知事の姿勢に心から敬意を抱いたのは、私だけではないだろう。

 日米両政府の植民地主義的で、問答無用かつ尊大きわまりない基地押しつけに敢然と立ち向かい、オール沖縄の闘いを全身で牽引し、アメリカにも国連にも出かけて惨状を訴えた政治家・翁長の決意と志に打たれた多くの人々と同様に、深甚の限りない無念の涙とともに、翁長知事のご冥福を祈る。

 一人ひとりの市民の生きる暮らしと願いと夢と希望を賭けて、首長として、政治家として、人間として、最後の最後まで毅然と、冷静沈着に、だが断固として平和を求め、自由と人権のために歩み続けた翁長知事のご冥福を祈る。

 日本という国と、私たち日本人、やまとんちゅの果てしない堕落と腐敗を痛切に受け止め、歯噛みしながら、基地建設反対運動、平和運動、人権運動にこれまで以上に力を注ぎたい。

 二〇一五年九月二一日、翁長知事が国連欧州本部の第二〇会議室で、国連人権理事会で発言した、あの時と同じ座席に座って、哀悼の思いを心に刻んできた。次の一歩、のために。

 九月三〇日、沖縄県知事選は翁長知事の遺志を引き継ぐデニー玉城が対立候補に大差をつけて当選した。基地はいらないという沖縄県民の堅い意志が改めて表明された。

 にもかかわらず、日本政府は沖縄に基地を押し付ける方針を再表明し、徹底差別を続けている。辺野古基地建設に反対するデニー玉城知事と沖縄県民の闘いは、いっそうの熱意と希望の下、逆に厳しい攻撃にさらされながらの新局面を迎えた。沖縄に基地を押し付けない本土の闘いを強化しなければならない。

 

翁長雄志の言葉

 

 「集団自決が日本軍の関与なしに起こりえなかったのは紛れもない事実」(二〇〇七年九月二九日、教科書検定意見撤回を求める沖縄県民大会)との、沖縄県市長会会長としての発言を皮切りに、政治家・翁長の紡ぐ言葉と思想は揺らぐことがなかった。

「基地の整理縮小という一点で県民の心が一つにまとまった」(一二年九月九日のオスプレイ配備反対沖縄県民大会)

「日米安保体制は日本国民全体で考えるべきだ」、「沖縄県民は目覚めた。もう元には戻らない」(一三年一月二七日のオスプレイ配備撤回東京要請行動における沖縄県市長会会長としての発言)。

 「イデオロギーよりもアイデンティティに基づくオール沖縄として、子や孫に禍根を残すことのない責任ある行動が今、強く求められている」(一四年九月一三日、知事選出馬表明)。

 「安倍総理が『日本を取り戻す』と言っていた。取り戻す日本の中に沖縄が入っているのか」(一五年四月五日、菅義偉官房長官との会談)。

 「私は日本の政治の堕落だということを申し上げている。うちなーんちゅうしぇーてぇーないびらんどー(沖縄人をないがしろにしてはいけませんよ)」(一五年五月一七日、止めよう辺野古新基地建設県民大会)。

 「沖縄の人々は自己決定権や人権をないがしろにされています」(二〇一五年九月二一日、ジュネーヴ国連人権理事会)。

 「ぐすーよー、まきてぇーないびらんどー(皆さん、負けてはいけませんよ)、わったーうちなーんちゅぬ、くゎんまが、まむてぃいちゃびら(私たち県民の子や孫たちを守っていきまでょう)。ちばらなやーさい(頑張っていきましょう)」(二〇一六年六月一九日、米軍属女性暴行殺人事件に抗議する県民大会)。

 行政の責任者として住民の安全と平和を守るため、理不尽な差別に抗し、不正義を撃つ姿勢は、うちなんちゅだけではなく、「本土」の思想家や平和運動家を感銘させ、叱咤激励し続けた。ここにはあいまいな言葉を駆使して陰で利権あさりに励む日本の政治家(政治屋)とは対極的な思想家・翁長雄志が端然と、すっくと立っている。

 普久原均(琉球新報社編集局長)は「不世出の人物から未来への光を」と題して「翁長雄志という政治家は、沖縄にとって不世出の存在だった。そう感じられてならない。その名が屋良朝苗、瀬長亀次郎、西銘順治、大田昌秀と並んで沖縄現代史に深く刻まれるのは間違いない。だがそこにとどまらず、沖縄近代史、琉球史に記される存在だったといっても大げさでないのではないか」と言う。

 普久原はさらに「沖縄側の意思を蹂躙する存在に対し、体を張り、命を賭けて抵抗したという意味では、近世史初めの琉球王国高官・謝名親方を彷彿とさせるものがある。謝名は島津の琉球侵略に抗い、島津に忠誠を誓う起請文への連判を拒んで処刑された人物だ。翁長氏の歩みはそれと重なって見える」と言う。

 七月二七日、膵臓癌を患い、まともに歩くことさえままならない状態にもかかわらず、辺野古埋立承認撤回表明の記者会見で、翁長雄志は死のぎりぎりまで、沖縄の民意を踏みにじる政府を批判し、基地押し付けに抵抗した。抵抗と自己決定権の正当性を確固たる言葉で語り、毅然とした姿勢を貫いた。翁長雄志の言葉は「沖縄の思想」そのものとなり、語り継がれるだろう。本土のやまとんちゅも「沖縄の思想」に学び、自らの植民地主義と暴力性を猛省しなければならない。

 

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救援18年12月

少年年齢引き下げ法改正に

反対する刑事法研究者声明

 

前田 朗(東京造形大学)

 

審議不十分

 

 法制審議会少年法・刑事法(少年年齢・犯罪者処遇関係)部会(以下「部会」)において、「少年法における『少年』の年齢を一八歳未満とすること及び非行少年を含む犯罪者に対する処遇を一層充実させるための刑事法の整備の在り方について」の審議がすすめられている。この立法措置には重大な疑問があるため、一一月一六日、全国の一三〇名の刑事法研究者が強い反対を表明した(呼びかけ人二八名)。事務局を担ったのは葛野尋之(一橋大学教授)、武内謙治(九州大学教授)、本庄武(一橋大学教授)である。声明は四つの柱からなる。

 第一に「部会では現在まで少年法適用年齢の上限の引下げに関して十分な審議が行われていない」。

 第二に「少年法適用年齢の上限の引下げには積極的な根拠が必要である」。

 第三に「部会において構想されている『若年者に対する新たな処分』は、現行制度の代替にはなりえない」。

 第四に「民法上の『成年』を少年法上の『少年』とすることはできない、とすることの誤り」。

 国際自由権委員会や拷問禁止委員会など国際人権機関からの改善勧告には耳を閉ざしながら、法務官僚と司法官僚の談合によって推進されてきた刑事司法改革の一環であり、結論ありきの審議が進められている。子どもの権利条約をはじめとする少年司法に関する国際準則の配慮も不十分である。以下、順次補足していこう。

 第一に、少年法適用年齢上限引下げ問題が部会で正面から取り上げられ、検討されたことは二〇一八年一〇月末日まで一度もない。少年法適用年齢上限は、本質において、刑事政策のみならず青少年政策上も極めて重大な問題であり、関係する専門的知見を十分に踏まえて、多角的かつ慎重に検討を進めるべき問題である。それゆえ拙速な審議は厳に避けるべきであるのに、十分な審議がなされていない。

 第二に、少年法適用年齢上限引下げには積極的な根拠が必要であるが、その根拠が十分に示されていない。部会設置後に行われた民法改正をめぐる国会審議では、民法上の成年年齢は単独でさまざまな取引行為ができ、親権に服さなくなる年齢であって、少年法上の成人年齢引下げを必然的に帰結するものではないと確認されている。一八歳、一九歳の若年者はいまだ成長過程にあり、引き続き支援が必要な存在であり、社会全体として支えていかなければならないという視点が重要である。複数の参考人からは少年法適用年齢の上限の引下げることへの反対意見が表明されている。

こうした説明が国会において公式に行われたのに、なぜ少年法適用年齢が引き下げられなければならないのか、立法措置の必要性・合理性がより一層積極的に示されなければならないはずである。しかし、その必要性・合理性は今日まで示されていない。

 

新たな処分への疑問

 

第三に、部会において構想されている「若年者に対する新たな処分」は、現行制度の代替にはなりえない。部会が構想する「若年者に対する新たな処分」は、現行少年司法制度と同等以上に有効な刑事政策措置にはならない。部会審議のように民法上の成年は刑事上も大人として扱うことを前提とする場合、「新たな処分」のあり方は自由権保障との関係で問題が生じる。行為責任主義や比例原則に鑑みれば、施設内で身体拘束を行う少年院に相当する施設への送致や少年鑑別所送致を「新たな処分」の中に含めることができなくなる。適正手続保障の観点からは、家庭裁判所における非形式的な非公開の手続で審判を行うことにも問題が生じ、無罪推定の法理から、事実認定前に社会調査や鑑別が行われることにも問題が起こる。

こうした自由権保障を無視するなら、「新たな処分」は実質的には保安処分となる。民法上の「成年」を少年法上の「少年」として扱うことが許されないという前提に立つ以上、少年法の理念が及ばないこととなると考えるのが自然である。となると、「新たな処分」においては、本人の成長発達を促すための働きかけに限定されることなく、再犯を防止するための措置がとられることになろう。これが他の年齢層に拡大しないという保証はない。

自由権保障のための刑事法の諸原則にしたがい、「新たな処分」の内容を社会内処遇である保護観察に限定しても、問題は解決しない。この場合、家庭裁判所における調査と審判は事実上保護観察を課すか否かを判断するものとなり、教育的働きかけのプロセスではなく、すでに決まった結論へと向かう形式的なものになってしまう可能性が高い。現在非行少年に対する家庭裁判所の調査と審判が有している教育的な働きかけが失われてしまう。

さらに、検察官が起訴猶予相当と判断することなく、刑事裁判所に起訴した事件については、「要保護性」の科学的調査とそれに応じた教育的な処遇を受ける機会を失うこととなる。

 第四に、民法上の「成年」を少年法上の「少年」とすることはできない、とすることは誤りである。部会で検討されている「若年者に対する新たな処分」が、いずれにしても、現在の少年司法制度と同等以上に有効な刑事政策措置とはなりえないという隘路は、部会が民法上親権者の監護が及ばない「成年」を少年法上の「少年」として扱うことは許されないという前提に立っていることから生じている。

そもそも、民法上の「成年」を少年法上の「少年」とすることはできない、との前提自体に重大な疑問がある。民法上の「成年」を少年法上の「少年」とすることはできない、との考えは、少年司法制度の形成および発展の歴史からみても正しいとはいえない。

 「若年者に対する新たな処分」構想にしても、民法上の「成年」と少年法上の「少年」をめぐる理解にしても、現行少年法制度の経験や実績についての内在的検討を踏まえず、外在的要因に右往左往した改革案の正当化に部会審議が集中しているのではないかと疑念を抱かざるを得ない。

二一世紀に入ってからの矢継ぎ早の刑事司法改革も同じ傾向を示してきた。外在的要因の影響下でなされた刑事司法改革の帰結の検証も十分なされないまま、次々と目先を変える「改革病」が蔓延している。被疑者、被告人、受刑者、少年などの市民の権利保障を緩和しながら、検察官、裁判官、一部の刑事法研究者など「専門家」の「改革病」が事態を悪化させている。

Saturday, July 12, 2025

取調拒否権を考える(5)

取調拒否権を考える(5)

 

2017年、同志社大学で、浅野健一ゼミの公開講座が開かれた。京都強盗殺人事件容疑によって逮捕され、取調拒否をして不起訴処分となったFさんが登壇して体験を語った。

 

その内容を『救援』1712月号に紹介した。これまで紹介してきたことと内容に違いはない。

 

連載の2回目なので、『救援』1711月号に1回目を寄稿をしているが、手元に記録がない。見つかれば、掲載したい。

 

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救援17年12月

正しい黙秘権行使による不起訴処分(二)

前田 朗(東京造形大学)

 

浅野健一ゼミ

 

 一一月一七日、同志社大学における「浅野ジャーナリズム講座」第一四回「出房拒否権」が開催された。センター運営委員、本紙連載中の浅野健一・同志社大学教授(大阪高裁で地位確認係争中)と学生・市民による自主ゼミである。

 最初に京都強盗殺人事件に関連して逮捕され、不起訴処分を勝ち取ったFさんから体験報告がなされた。四月一一日、身に覚えのない強盗殺人容疑で京都府警に逮捕され、伏見署に収容された。それ以前に別件で逮捕され、本件についてはまったく関与していない、事件そのものを知らないことを繰り返し供述したにもかかわらず、京都府警は自白を強要するためにFさんを強引に逮捕した。すでに何度も供述・否認したにもかかわらず逮捕されたことに疑問を感じたFさんは黙秘することに決めた。四月一二日に接見した高田良爾弁護士は黙秘権行使を貫くこと、そのためには取調べそのものを拒否し、そもそも出房を拒否することを助言した。翌一三日には、前田朗著『黙秘権と取調拒否権』を差し入れた。留置場で同書を読んだFさんは黙秘権行使の正当性を確信し、出房拒否を敢行することにした。留置係に黙秘権行使を通告し、取調室への連行を拒否した。

 留置係は、被疑者には取調受忍義務があると告げて、取調べを拒否するとかえって不利になるかのごとく説得してきた。留置係だけでなく当直長も説得に来た。一六日、押収品返還という口実で取調室に出向くことになったが、何も返してもらえなかった。それどころか捜査官から「弁護士が受忍義務がないとか大きな間違いや」「弁護士と警察の力の差は歴然としている」「無罪なら隠れんと大人らしく自分で話せ」などと説得された。Fさんはその後も出房拒否を貫いた。留置係と当直長による説得が続いたが、これに乗せられることはなかった。

四月二〇日、検事調べに出たところ、担当検事が「こんなんで、よう逮捕状が出ましたね」「任意同行で呼ぶくらいの証拠しかないのに逮捕までしている。任意の聴取なら、私に話してくれましたよね。三つの質問に答えてくれれば、私の責任で不起訴にできる」と言ったという。

Fさんは「荒っぽい捜査をした警察はもちろん悪いが、裁判所が逮捕状や勾留状を簡単に出すのが問題だと思う。逮捕状が出るレベルが低すぎる。私の場合、何の証拠もないし、別件でさんざん調べられていることも分かっているのに、右から左に令状を出している」と裁判官の責任を指摘する。

続いて高田良爾(弁護士)及び筆者が報告し、取調拒否権の重要性を明らかにした(前田朗「取調拒否権行使により不起訴処分」『マスコミ市民』一七年一一月号)。

 

取調拒否が第一歩

 

 最後に浅野健一教授が自身の取材結果をもとに報告した(浅野健一「Fさん、『出房拒否』の闘いから学ぶ」『週刊金曜日』一七年九月八日号)。

 八月一〇日、京都府警に、Fさん逮捕の記者クラブへの広報の内容、担当捜査官、逮捕状請求警察官の氏名・役職などを質問した。府警は、記者クラブへの広報をした事実を認め、引き回しについては否定した。捜査官等の氏名は回答しなかった。八月一八日、京都地検に担当検事の氏名等を質問したが、「すべての質問に回答を差し控える」との回答であった。 八月一八日、京都地裁に令状発布裁判官の氏名等を質問したが、すべてについて「回答することはできません」との回答であった。被疑者の個人情報をメディアに流して、犯罪視報道をさせておきながら、司法関係者は匿名の陰に隠れている。

 浅野教授によると、Fさん逮捕の際に警察が記者クラブに提供した情報に基づいて、マスメディアではFさんを強盗殺人犯人視する報道がなされ、氏名、住所、職業が広範囲に報道された。不起訴処分後も、逮捕・送検時の映像や記事がインターネット上に流れている。家族、親戚、友人たちとの関係にも大きな障害となっている。「テレビや新聞に名前が出ると、全く知らない人にまで知られてしまう。特に私の名前はよくある名前ではないので、実名が出ると生活ができない。親戚にも、いろいろ言われる」という。

 「メディアの取材・報道にも注文があるが、今は我慢する。メディアを批判すると、また目を付けられて、名前が出ると困る。会社から切られるのが怖い。名前が広まったら一瞬でクビになる。法的に不起訴になったからといって、周囲、世間の見る目はそう急には変わらない。不起訴になっても、身内から縁を切ってくれと言われている」と、報道被害の大きさを語る。

 被疑者を留置場に収容し、二四時間の生活を監視・管理し、捜査官の思いのままに取調室で拷問まがいの取調べを強行し、虚偽自白を強要する代用監獄制度は一九八〇年代から厳しい批判を受けてきたが、一向に改善されていない。それどころか日弁連は代用監獄を是認し、これを前提とした司法改革に協力している。これでは黙秘権も無罪の推定も絵に描いた餅に過ぎない。被疑者の人格を侮辱し、名誉を毀損し、メディアでさらし者にする「中世」の刑事司法が人権侵害と誤判・冤罪を量産している。弁護士とメディアも「共犯」ではないのか。

 代用監獄体制(留置場収用、取調受忍義務論、自白強要、拷問)を打破するために、正しい黙秘権行使の実践と理論が必須である。

身柄拘束された被疑者の本来的収容場所は拘置所である。留置場が収容場所に指定されれば留置場に収容されるが、その場合、被疑者は留置場にいなければならない。被疑者を留置場から連れ出すことは許されない。被疑者は勝手に取調室に行くことはできないし、行ってはいけない。

黙秘権を行使する被疑者には取調室に行く理由がない。黙秘権を行使するということは単に黙っていることではない。捜査官に一切情報を与える必要がなく、捜査官と顔を合わせる理由もない。取調室で捜査官の顔色を窺ったり、供述をめぐる取引をする必要もなく、捜査官から罵声を浴びせられる理由もない。黙秘権を行使する被疑者には他に選択の余地はない。違法な取調べに協力することなく、出房せず取調拒否をするのが正解である。

刑事弁護人は、被疑者を孤立無援の状態で取調室に行かせてはならない。取調拒否をさせるか、弁護人立会を勝ち取るために、刑事弁護の質を向上する必要がある。被疑者を単独で取調室に行かせる弁護人は、捜査官による自白強要の「共犯」となる。取調拒否はまともな刑事司法改革の第一歩である。