Sunday, April 21, 2024

アフガニスタン訪問・室蘭報告会

 アフガニスタン訪問・室蘭報告会

『ターリバーン支配下のアフガニスタン女性と子どもたちの今』

2024 227日~39日アフガンツアー報告

 

(日時) 52日(木) 14:00 ~16:00

             (13:30 開場)

(場所) 中小企業センター 2階研修室 (北海道室蘭市東町4-29-1)

(参加費) 500円   どなたでもご参加いただけます

 

<報告者> 

*清末愛砂(室蘭工業大大学院教授、憲法学、RAWAと連帯する会共同代表)

   著書:猫塚義夫・清末愛砂『平和に生きる権利は国境を超える』(あけび書房)、清末愛砂・前田朗・桐生佳子『平和とジェンダー正義を求めて――アフガニスタンに希望の灯火を』(耕文社)、他多数

 

*前田 朗 (朝鮮大学校教員、国際人権法、RAWAと連帯する会共同代表)

     著書:『ジェノサイド論』(青木書店)、『軍隊のない国家』(日本評論社)、他多数

 

*桐生佳子(RAWAと連帯する会事務局長)

*高橋国夫(社会活動家、RAWAと連帯する会事務局)  

 

<共催>RAWAと連帯する会 、憲法を守る室蘭地域ネット、

    室蘭工業大大学院工学研究科ひと文化系領域清末愛砂研究室  

 <連絡先> 増岡080-58304714

      akiyosue@muroran-it.ac.jp

Saturday, April 20, 2024

私たちはなぜ植民地主義者になったのか?in札幌

私たちはなぜ植民地主義者になったのか?

――コリアン・ジェノサイドからガザ・ジェノサイドへ

――ガザ連帯緊急上映『太陽の男たち』



51日(水)開場1300、開演1330

開場:札幌エルプラザ2F環境研修室

会費:500

主催:パレスチナ連帯・札幌(09095163750

 

戦争にも、人間として許されないルールはあるのか? 歯止めの利かない軍事作戦に国際法は手をこまねくしかないのか。国際法とはいったい何なのか。現代世界を植民地主義が覆っているのはなぜなのか。根本に立ち返って考えてみよう。

 

スケジュール

13301520

映画『太陽の男たち』(ガッサン・カナファーニー、1971年)

休憩

15301700

講演:前田朗「私たちはなぜ植民地主義者になったのか?」

17101800

質疑応答


前田朗講演会in札幌

430日(火)18:3021:30(開場18:10

会場  札幌エルプラザ4階中研修室

    (札幌市北区北8西3)

  ※JR札幌駅北口地下通路直結

参加費 800

  ※当日、会場にて受付ます(予約不要)

第一部 18:30-20:05

関東大震災ジェノサイド―摂政裕仁の責任を考える

第二部 20:15-21:15

差別されない権利の類型―人種差別禁止法のガイドブックを読む

 

前田朗(まえだ・あきら)

1955年札幌生まれ。東京造形大学名誉教授、朝鮮大学校法律学科講師、日本民主法律家協会理事。著書『メディアと市民』『旅する平和学』(以上彩流社)『軍隊のない国家』(日本評論社)非国民シリーズ『非国民がやってきた!』『国民を殺す国家』『パロディのパロディ――井上ひさし再入門』(以上耕文社)『ヘイト・スピーチ法研究原論』『ヘイト・スピーチ法研究要綱』『憲法9条再入門』(以上三一書房)『500冊の死刑』(インパクト出版会)等。

【主催】

札幌市に人種差別撤廃条例をつくる市民会議

問合先:Tel.090-6446-3974(チョキム)

syu@sapporoyu.org(さっぽろ自由学校 遊)

Friday, April 12, 2024

群馬の森裁判/藤井正希さんのインタヴュー記事(一部公開)

 『月刊マスコミ市民』663号(20244月)に掲載された藤井正希さんのインタヴューの一部を、編集部及び本人の了解を得て、以下に公開します。

最新号のため、全部ではなく一部の公開にとどめます。

このインタヴューは本年3月に行われました。聞き手は同誌編集部の石塚さとし編集委員です。雑誌が刊行されたのは本年41日です。出版記念会が開催された46日よりも前に出版されたものです。

<藤井正希/群馬の森・朝鮮人追悼碑強制撤去問題を問う

政治的中立性を過度に強調すれば、公の場での政治的発言はできなくなる>

『月刊マスコミ市民』663号(2024年4月)より

全文は4656頁に掲載。

以下に公開するのは、そのうちの5053頁の部分です。

記事全体は以下の構成です(小見出しを列挙します)。

・些細なルール違反で追悼碑を撤去した

・右翼の攻撃に屈した群馬県知事

・追悼碑の前をスピーカーズコーナーに(*公開部分です)

・敵対者が混乱させると言う理由で表現を規制してはならない

・憲法の理念をさらに発展させること


■追悼碑の前をスピーカーズコーナーに

 

――次に、パブリックフォーラム論について伺います。パブリックフォーラム論は、公共の広場における表現の自由や集会の自由に可能な限り配慮すべきとするアメリカの理論ですが、とりわけ道路や公園など伝統的パブリックフォーラムにおいての表現活動は、原則として許されなければならないと思います。これについて、少し説明をしていただけますか。

 

藤井 日本では、これまではむしろその逆だったのではないでしょうか。駅前とか公園とか広場とか、人が集まる場所ではむしろ政治的発言をしてはいけなくて、その時の理由として政治的中立性が持ち出されてきたのではないかと思います。なぜ政治的中立でなければいけないのかといったら、政治的なことをすれば混乱が生じてしまい、都市公園が市民の憩いの場ではなくなってしまうというのです。駅前のように人が通っている所で演説をすれば交通の妨げにもなるし、政治的な激論をすれば混乱が生じて公共の利益に反するといって、むしろそういう場ではやってはいけないと言われます。

 けれども、アメリカのパブリックフォーラム論でいうとそれは逆なのです。むしろ、人が集まる公園とか広場とか駅前とか公道といった場所こそ、表現の自由、特に政治的な表現を認めなければいけないのです。広場や駅前や公道において、政治的表現の自由が認められた独裁国家はありえないことを銘記すべきでしょう。

 たとえば、イギリスの国立公園のハイドパークにはスピーカーズコーナーというのがあって、そこは誰でも政治的な発言ができるのです。たとえば、むしろ群馬の森の朝鮮人追悼碑のようなところこそスピーカーズコーナーにして、慰安婦が本当にいたのか、朝鮮人の強制連行があったのか、関東大震災の時の流言飛語によるデマで朝鮮人の虐殺があったのかを、追悼碑の撤去を求める人も含めて自由に議論できるようにすればいいのです。

 しかし、日本における行政では、政治的な表現をしないことが政治的中立性だと考えられています。だから政治的な表現をしてはいけないというのです。たとえば、テレビのニュースキャスターが政権に批判的なことを言うと中立性に反すると言われますし、国立大学の授業でも、学生に対してあまり政権批判的なことを言うと政治的中立性がないと言われます。政治的中立性というのは、自分の政治的意見を言わないことではなくて、自分の政治的な意見をはっきり言う一方で、相手の反対意見を無碍に否定しないことです。発言の機会を認めて尊重するのが政治的中立だと思うのです。そういう発想から、公的な広場こそ政治的発言を認めなければいけないと思います。

 2019年の参議院選挙の時に、街頭演説で野次の取り締まりがありました。「安倍やめろ」と言った人が警察官に排除された事件です。確かに、安倍首相の訴えを聞きたい人が集まっているので、安倍首相が演説している時に大きな声で妨害するのはよくないと思います。しかし、そういう時はただただ排除するのではなく、安倍首相に対して何か言いたい人にもその場で発言の機会を可能な限り認めるべきだと思います。

 私はヘイトスピーチをある程度規制した方がいいと思いますが、ヘイトスピーチをしている人にも言いたいことがあるわけです。だからヘイトスピーチを規制するのであれば、別に言う機会を認めることが必要です。政治的中立性というのは、人の発言を封じることではなくて、意見の異なる発言を認めることです。その場で発言の機会を認めることがどうしてもできないのであれば、別に表現する場を与える手段があっていいと思います。

 

――パブリックフォーラムは民主主義の根幹を成すものだと思います。討論がなければ世論は形成されないわけですから、民主主義を支える根底の部分を、日本の場合はわかっていないような気がします。

 

藤井 「言論には言論で対抗する」ということですね。安倍首相の演説に対する野次でも、演説の後に反対者に主張の機会を与えることができないのであれば、自民党が何らかの手段で反対者に発言の機会を与えるとか、自民党のホームページに反対者の主張を載せてあげるとか、言論には言論で対抗させることです。それはやろうと思えばできると思いますので、政治的中立性をもって封じないことです。

 

――群馬県知事は、そういうことがわかっていないようですね。

 

藤井 知事は県民が知らない間に碑を撤去してしまいました。それは、すべてが闇に葬られてしまったということです。本来、知事がやるべきことは、朝鮮人の追悼碑があったことや撤去に関して争いがあったことを県民に知らせた上で、十分議論の場を設定することです。追悼碑の撤去を求めている市民と、追悼碑を守ろうという市民とが冷静な議論をする場を、一般の市民にも開かれた形で設けて、すべての県民をまきこんだ議論をし、県民の民意を踏まえた上で知事が政治的判断をすべきでした。

 しかし、これまでの日本の行政はそういうことをまったくやってこなかったのです。慰安婦問題にしても、本当に国が解決したいのであれば、元慰安婦の人を呼んで国会で話してもらうとか、韓国の歴史家も含めて冷静な議論をする場を作ることです。それができるのは行政しかないのです。私は、追悼碑の撤去を求める市民団体の人たちともいろんな議論をしたいと思っています。このように市民の中で意見が対立している場合、行政には市民が自由で有益な議論のできる場をぜひ設定してほしいと思います。この点、東京の小池知事は、横網町公園で行われている関東大震災朝鮮人大虐殺の追悼集会に慰霊文を送らなくなりましたが、あの問題でも、朝鮮人犠牲者の追悼碑を守ろうとする人と碑を撤去しようとしている団体とにそのような議論の場を与えることが必要だと思います。

 2014年11月に、「守る会」は更新不許可処分の取り消しを求めて群馬県を提訴しましたが、あの裁判は2011年7月22日の状況を踏まえて、県の更新不許可処分は適法であると判断できると判決しただけのものです。だから、知事は撤去を求める市民団体の人たちと「守る会」の人たちが碑文の内容をどうしたらいいのかの議論をできるようにすればいいのです。このような〝行司役〟ができるのは行政しかないのです。場合によっては外務省の人を呼んだり、また、混乱しないように警察を呼んだりして、行政法で言うところの〝調整的な行政指導〟をやればいいのです。それは法律にも根拠のある手続きです。

 私は歴史学者ではないので、強制連行や慰安婦の問題について「これが歴史の真実だ」と、何かを言うつもりはありません。しかし、強制的に連行されて鉱山などで働かされた人や強制的に性の仕事をさせられた慰安婦がいたこと、あるいは関東大震災の時に流言飛語によってそれなりの人数の朝鮮人が虐殺されたことは、歴史的な真実として教科書にも載っていたことです。私もそのように習ったし、今でも強制連行も慰安婦も朝鮮人の虐殺も歴史的事実だというのが通説でしょう。もしそれを否定するのであれば、理由と証拠をきちんと示して国民的議論を求めなければなりません。何の根拠も示さずに「嘘だ」「デタラメだ」というやり方はよくないと思うのです。

<以上>

月刊マスコミ市民

http://masukomi-shimin.com/

Thursday, April 11, 2024

群馬の森追悼碑裁判における藤井正希さんの意見書

群馬の森追悼碑裁判における藤井正希さんの意見書を、本人の了解を得て、公開します。

201692日に執筆され、同月15日付で、一審の前橋地裁に提出されました。

下記でご覧ください。

https://drive.google.com/file/d/1tk67ssh0ypqqjiszz4Kf0_zaqymmjxg-/view?usp=sharing

この意見書は、201692日に執筆され、同月15日付で、一審の前橋地裁に提出されました。

意見書に目次はついていませんが、下記の構成です。

本件・群馬の森裁判における表現の自由の議論は秀逸です。ぜひお読みください。

1.        はじめにその憲法的意義

2.        事案の概要

3.        許可条件の法令違憲及び適用違憲の可能性

(1)法令違憲について

(2)適用違憲について

4.        憲法21条違反の可能性

(1)表現の自由の優越的地位―ー厳格な違憲審査基準の必要性

(2)パブリック・フォーラム論

(3)敵意ある聴衆の法理

(4)表現の自由の最大限の保障

5.憲法31条違反の可能性


Wednesday, April 10, 2024

藤井正希さんの講演レジュメ<『検証・群馬の森朝鮮人追悼碑裁判』出版記念会(4月6日)>

46日に開催された<歴史修正主義とたたかうために 『検証・群馬の森朝鮮人追悼碑裁判』出版記念会>における藤井正希さんの講演レジュメです。

 

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群馬の森朝鮮人追悼碑問題から学ぶ

― 追悼碑撤去の先にあるものとは?

                       群馬大学准教授 藤井正希

 

 

1.   事件の概要(問題点をザックリと!)

 

①朝鮮総連の機関紙である『朝鮮新報』の記事をきっかけにして、「碑文の内容が事実ではなく反日的でデタラメである」、「追悼碑は即刻撤去すべきである」などの抗議の電話やメールがあいついで県に寄せられた。

 

②その後、右翼団体の構成員が県庁に押しかけて抗議をし、公園の入口付近や高崎駅前で追悼碑の撤去を求める街宣活動をおこなった。さらに、公園に来園してプラカードを持ち込んだため、職員との間で小競り合いとなり、警察が駆けつける騒ぎにまで発展した。

 

③県と追悼碑を建てる会とは、外務省とも連絡を取りながら、碑文の内容が政府見解である村山談話や日朝平壌宣言の範囲内となるように、文言のすり合わせをおこなったうえでこの追悼碑を設置しており、「碑文の内容が事実ではなく反日的でデタラメである」という理由で県がこの追悼碑を撤去することは絶対にできない。もしそのような理由で追悼碑を撤去すれば、県が国の公式見解に逆らうことになる。

 

④県は、追悼碑を守る会(旧建てる会)が除幕式以来、毎年、碑前で開催してきた追悼式において、守る会の共同代表と事務局長が「強制連行」の事実を訴える発言をしていたことを後からことさらに取り上げて、「強制連行」との発言が「政治的発言」であり、それゆえ「政治的行事」がおこなわれたとして設置許可の条件違反を理由に知事が更新を不許可とし、追悼碑を行政代執行で撤去した。そして、最高裁もこれを追認。

 

⑤設置許可の条件として「政治的行事をしない」という条件がつけられてはいたが、県は当初はまったくこの発言を問題にはしていなかった。この点、“県の本音”は、「追悼碑の撤去を求める右翼の抗議がうるさくてたまらない。いちいち対応するのはめんどくさい。追悼式における政治的発言なんて本当は些細なことでどうでもいいのだけど、これを口実に許可条件違反ということにして、追悼碑なんか撤去してしまえば楽でいい・・・」。

※県としては、歴史修正に加担する意図はなかったとしても、結果的に歴史修正主義者を助長し、喜ばせる結果を招いてしまったことが今回の最大の問題点であり、今後に大きな禍根を残したと言わざるをえない。

 

2.山本一太知事の対応の不当性

 

  「ルールを破ったことがすべてで、ルールを破った方が悪い」

 

確かに、守る会の共同代表と事務局長により「強制連行」の事実を訴える発言がなされたことは、設置についての条件違反と言われてもやむをえない。しかし、例えば、窃盗罪(刑法235条)の法定刑の上限は懲役10年であり、コンビニでおにぎり一個を万引きしても窃盗罪は成立するのだから、この場合、懲役10年を科しても形式的には適法と言えるかもしれないが、それは明らかに不当であり、許されない。同様に、今回のような些細なルール違反でいきなり強制撤去を認めることは、「当不当」の問題としては許されないと考えざるをえない。

 

  「最高裁判決ですでに決着がついており、もはや過去の終わったことである」

 

最高裁判決で確定されたのは「2014722日に知事がおこなった更新不許可処分は適法である」ということだけであり、「追悼碑を撤去しろ」とか、「許可することが違法である」と言っているわけではない。そもそも県立公園にある追悼碑をどうするかということは行政の問題であり、裁判官が決めるべき問題ではない。しかも、それからすでに10年近くが経過しており、その間、追悼碑が一般県民に具体的な弊害や不利益を与えた事実はまったくない。本件はあくまで行政裁量の問題なのだから、むしろ現在の民意を反映した知事独自の政治的判断こそが要請される。すなわち、山本知事は事実や経緯を県民に説明した上で、県民アンケート調査により民意を確認し、「追悼碑を存続させるか、撤去するかの知事としての行政判断」をおこなうべきだった。

 

  「追悼碑が紛争の原因になっており、公園施設としてふさわしくない」

 

この論理に従えば、「都市公園に掲揚された日の丸の前で『日の丸を国旗と認めない』という抗議活動が活発化すれば、日の丸は都市公園にあるべき施設としてふさわしくないから撤去してもいい」となりかねない。しかし、そのようには絶対に言わない。そもそも政府の公式見解が記された追悼碑をなぜ撤去しなければならないのか、まったく理解しがたい。

 

3.追悼碑撤去の“真のねらい”― 憲法改正の地ならし

 

追悼碑をモチーフに制作された美術作品「群馬県朝鮮人強制連行追悼碑」の作者である白川昌生さん

「追悼碑撤去問題の背後には○○〇〇が存在し、追悼碑の撤去がゴールではなく、その先には憲法改正がある」「群馬県議の八割はそのメンバー」

実際、群馬の森の追悼碑の撤去運動をしていた○○〇は東京の横網町公園でも追悼碑の撤去を求めている。群馬の森から始まって、東京都の横網町公園、そして全国にある慰安婦や強制連行や朝鮮人虐殺に対する追悼碑や慰霊碑がつぎつぎと撤去され、その最後の総仕上げが憲法改正。追悼碑撤去は憲法改正をするための地ならし。“追悼碑問題は憲法改正問題”

 

4.国会議員の任期延長改憲の不当性について

 

(1) 問題点

①選挙権(憲法15条)は、「国民の国政への参加の機会を保障する基本的権利として、議会制民主主義の根幹をなすもの」(2005914日・在外日本人選挙権制限違憲 最高裁判決)であり、国民主権(憲法前文・1条)に直結する。安易な国会議員の任期延長は、選挙権を侵害し、国民主権に反する。よって、まずは最大限に選挙の機会を保障することを考えるべきである。

②権力者の“居座り”や“お手盛り”の危険!

 

(2) まずやるべきこと

①公職選挙法の改正 ~ 災害に強い選挙制度(日弁連)

㋐繰延投票、㋑郵便投票制度、㋒避難先の市町村役場で投票できる制度、㋓選挙延期制度、㋔在宅投票制度、㋕移動投票所の設置など

 

②参議院の緊急集会(憲法542項)の積極的活用

㋐任期満了の場合も憲法542項を適用する(憲法542項類推適用説)。

㋑憲法541項(解散の日から40日以内に総選挙、選挙の日から30日以内に国会召集)は緊急集会の対応を70日に限定する趣旨ではない(70日例外許容説)。

 

(3) それでも対応できないような極限的な事例

  ~ 空気感染する致死性ウイルスが蔓延し、容易に外出すらできない場合

 

①災害時における国会議員の任期延長について

近藤三津枝議員質問主意書に対する答弁書(H23.11.11

憲法第45条本文は衆議院議員の任期を4年、憲法第46条は参議院議員の任期を6年と規定しており、また、衆議院が解散された場合、憲法第45条ただし書は衆議院議員の任期はその期間満了前に終了し、憲法第54条第1項は解散の日から40日以内に総選挙を行うと規定しているところであり、これらの憲法の規定にかかわらず、御指摘の東日本大震災に伴う地方公共団体の議会の議員及び長の選挙期日等の臨時特例に関する法律のような法律を制定することにより「国政選挙の選挙期日を延期するとともに、国会議員の任期を延長すること」は、できないものと考える。

← これを前提にして「国会議員の任期延長改憲」が必要だと主張している。

 

②“緊急は法を知らず”“例外のない規則はない”

(英米法系の考えによる超憲法的な“エマージェンシーパワー”)

 

憲法211

「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。」

← しかし、解釈により、名誉棄損表現、わいせつ表現、ヘイトスピーチは規制できると考える。

 

選挙権の保障、議会制民主主義、国民主権、立憲主義等、日本国憲法の基本原則に反しないように「明確に要件を定めた」うえで、「容易に想定しがたい極限的な場合」につき、「国会議員の任期延長」を「法律」(措置法、時限法等)で定めることも可能である。

あえて憲法に規定する必要はないし、憲法に規定しない方が事態に柔軟に対応でき、むしろ望ましいであろう(不文律)。

もちろん選挙が可能になった段階で、即座に総選挙をおこない、その対応の是非を国民の信に問うべきである。

 

(4) 憲法改正に固執する理由

①最高法規である憲法の改正を史上、初めて成し遂げたという達成感、政治家としての功名心を得たい。

← 完全にまったく頓珍漢で間違った達成感と功名心!

 

②右派の歓心を買い、支持率をアップし、政権維持に利用したい。

← 憲法改正を政争の道具にするな!

 

③とにかく一度“お試し改憲”をやって、憲法改正のハードルを下げ、9条改憲・緊急事態条項改憲へ突き進みたい。戦争できる国づくり

← これが本音! 何でもいいから、とにかく「3分の2」で合意できるテーマで改憲しようとしている。動機が不純であるし、全く不要である!

 

“みっともない憲法ですよ、はっきり言って。それは、日本人が作ったんじゃないですからね。

憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法がいつの間にか変わっていて、ナチス憲法に変わっていたんですよ。誰も気づかないで変わった。あの手口を学んだらどうかね。”

“日本の国、まさに天皇を中心としている神の国であるぞということを国民の皆さんにしっかりと承知して頂く。”

 

このような人たちに絶対に憲法を改正させてはならない!

 

5.憲法9条を厳守することが平和への唯一の道!

 

①「軍備を増強すれば、軍隊や核兵器を持てば、アメリカと一体化すれば、日本が平和になる」(抑止力)という考えはもうやめよう。“武力による平和”の限界を知れ!

 

②アメリカは戦後一貫して“世界最強の軍隊を持ち、世界最大の軍事大国”であったが、キューバを屈服させられず、ツインタワーも守れず、ベトナムからもアフガニスタンからも“逃げるように撤退”を余儀なくされた。

 

③日本がアメリカに擦り寄り平和を維持することは、まさに“ジャイアンに擦り寄るスネ夫”の発想だ!

 

④ロシアもイスラエルも核保有国だが、戦争には簡単に勝つことはできず、多くの犠牲を強いられている。

 

⑤日本が最初から平和主義にもとづいて対応している限り、ウクライナやイスラエルのように攻撃を受けることは絶対にありえない。

 

⑥日本はあまり“勇ましいこと”を言ったり、やったりしない方が良い。劇場で乱射されたり、満員のバスで自爆テロがおこなわれたりして、多くの日本人が殺される等、テロの標的となりかねない。           以上

バーミヤンにて 2024年3月

今年3月にもアフガニスタンを訪問した。

バーミヤンからヤカオランに向かう途上にて。