Saturday, November 01, 2008

一人ぼっちのシャリナウ公園

 一週間先に出かけた先発隊とカブールで合流するはずだったが、連絡がとれなくなった。Eメールを送っても、まったく返事がない。


イスラマバード空港から週に一便しか飛んでいないアリアナ航空にのってカブール空港に着く。入国手続きを終えて空港玄関に出たが、さて、どうしたものか。先発隊が泊まるはずだったホテルはわかっている。タクシーで行けばすぐに着くはずだ。しかし、カブールだ。一人きりでタクシーに乗るのは考えものだ。言葉も通じないし、何より危険だ。道はわかっているが、この暑さの中を荷物抱えて歩くわけにもいかない。荷物を置いたまま、途方にくれる。厳しい陽射しを浴びながら、思いあぐねる。


タクシー運転手が次々と話しかけてくる。ダリ語かパシュトゥ語だろう。まったく意味がわからない。どこへ行きたいのかとか、俺の車に乗れとか、言っているのだろう。どうしようか迷う。


日本の新聞記者の通訳をしたことがあると言う青年が、折れ曲がった古い名刺を見せてくれた。たしかに日本の新聞記者の名刺だ。片言の英語の通訳をし、カブール案内したのは本当だろう。ホテルまで送ってくれると言う。少しその気になる。短い距離だし、日中だし、乗ってみようか。


そんな気になりかけた時、空港玄関から旧知の男が現れた。前回ガイドとしてカブールを案内してくれた彼は、先発隊と会っていて、この日ぼくがカブールに着くと聞いていたので、わざわざ探しに来てくれたのだ。助かった。彼の車でフラワー通りとチキン通りの交差路に近いゲストハウス(民宿)に送り届けてもらった。先発隊もここに来ることになっているという。



チェックインした後、メールチェックのためにインターネットカフェに出かけた。一人歩きは避けたいが、昼間だし、とにかくカブールに無事到着したことを日本に知らせておかなければ。


メールチェックをしたが先発隊からの連絡はない。しかし、ゲストハウスで待っていればいいので、安心だ。インターネットカフェを出て、シャリナウ公園を散歩する。カブール中心部にある公園だ。公園といっても、茶色にくすぶった感じで、やせ細った木々が立っているだけで、花壇もなければ、花も咲いていない。端に映画館があってインド映画を上映しているから、その付近は人々がいるが、それ以外は人もまばらな寂しい公園だ。


シャリナウ公園に花はない。初めてカブールに来た時に調査に協力してくれたNGOのカブール駐在員は「昔はシャリナウ公園は美しい公園だったのよ」と言う。カブール生まれの彼女は幼年時代にシャリナウ公園で遊んだものだという。花咲き誇るシャリナウ公園は、しかし、今はない。あるのは、茶色と灰色の大地だけだ。



花も咲かないシャリナウ公園を一人歩く。思わず「花はどこへ行った(Where have all the flowers gone)」を口ずさむ。


「野に咲く花はどこへいった 娘たちが摘んでいった 娘たちはどこへいった 娘たちは若者たちのもとへ」


ピート・シーガーの作品で、1962年にキングストン・トリオがヒットさせた。反戦フォークの傑作だ。ベトナム反戦運動の中で広く歌われた。輪廻と反戦がテーマといわれる。ピーター・ポール&マリーも1962年のデビュー・アルバムに収録している。長らくスタンダード・ナンバーとして広く歌われている。しかし、最近は反戦フォークとしての意味が忘れられている。


沖縄反戦フォークの先頭を走り続けたまよなかしんやは「花はどこへ行った」にこだわる。日本で普及した翻訳は原意をうまく反映していないと、自ら訳し直して歌っている。


「若者たちは どこへ行った 若者たちは戦場へ 若者たちは今は墓の中 墓の周りは花でいっぱい」


シャリナウ公園に花はない。カブールでも、マザリシャリフでも、クンドゥズでも、花はわずかしか見かけない。ジャララバードからカブールへの道では、脇に戦車が落ちていた。マザリシャリフへの道では、沙漠の砂嵐に出会った。


アメリカの若者が戦場で斃れ、アフガニスタンの若者が沙漠に朽ちてゆく。イラクの若者も砂嵐の彼方に消えてゆく。闘う理由をもたない若者が戦場に送られ、互いに敵対し、憎悪をぶつけ合う。なぜ国家は戦争のサイクルを繰り返すのか。なぜ人々は過ちを繰り返すのか。辺野古の空に向かってまよなかしんやが歌う。


「教えてください 花はどこへ 野に咲く花は どこへ行った 教えてください 花はどこへ いつになれば 私たちはわかるの」


いつになれば――