Monday, August 03, 2009

ヘイト・クライム(9)

3 日本はどこへ行くのか

  それでは日本はどこへ向かっているのでしょうか。

  長期的なスパンで考えるべきことではありますが、それだけの知識も準備もありませんので、ここでは日本のシナリオを、二一世紀初旬に限定して考えてみたいと思います。対照的な二つのシナリオを見てみましょう。

  第一は、対米追随の極限的進行、自衛隊海外派兵と武力行使、従ってアジアに対する軍事侵略というシナリオであり、これは日本の自滅にたどり着きます。対米追随を進めれば進めるほど、問題の把握の仕方から解決の方式に至るまで、米中関係や米朝関係など、アメリカとアジアの関係をベースにしなくてはなりませんから、日本外交自身による問題解決の可能性は消失していきます。これほどの経済大国であり、同時にすでに十分大きすぎる“軍事大国”である日本が、政治家や官僚の居丈高な発言にもかかわらず、東アジアの外交関係におけるカードを失っていくことなのです。資源や権益をなんとか維持するためにはアメリカとともにあることこそ重要だという発想では、日本はアジアの撹乱要因でしかなくなります。

  第二は、例えば最近数人の人たちが提案している東北アジア共同体論や、東北アジア非核平和条約の道、アジア人権機構の創設、さらにはアジア通貨の模索といったシナリオです。東アジア冷戦の終結を視野に入れたものです。このシナリオでは、アジア、東アジアにおける各国の対等・平等の立場での平和外交の確立が出発点となります。その中で、アジアにおける日本の積極的役割が期待されます。

  実は私はいささか悲観的に、現在の日本国家と社会は第一のシナリオを積極的に採用して、破滅への道を突き進んでいると考えています。日本だけが勝手に破産して、惨めな思いをするだけなら、それでも構わないかもしれませんが、そうはなりません。日本の自滅は、その過程においても、その結果としても、アジア各国にも重大な危機を惹き起こします。

  ですから、第二のシナリオに軌道修正しなければならないのですが、日本社会自身が、現在は、第一のシナリオを握り締めて離さないわけです。時間はかかると思いますが、軌道修正の努力を続けるしかありません。

  第二のシナリオは、もともと日本国憲法前文と第九条の道であり、平和憲法を実現する課題です。半世紀以上にわたって、憲法第九条に支えられてきた日本の平和運動はそれなりの豊かな歴史を刻んできました。その平和運動の意識が憲法第九条を支えてもきました。

  ところが、最近では日本社会の平和意識が大きく揺らいでいます。対米追随は「テロとの闘い」であり、朝鮮有事や中国有事に向けて軍事的関与を追及する意識が強まっています。周辺事態とか武力攻撃事態などと称しつつ、実際には「先制攻撃体制」を着々と準備しています。

  残念ながら現在の平和運動はこうした現実に直面して正面から平和の課題を掲げることすらできていません。言葉の上で「憲法第九条を守れ」と唱えるだけで、憲法第九条の内容を実現する運動にはなっていません。「憲法第九条を守れ」ということは、在日米軍完全撤去、そして自衛隊解体でなければなりません。こうした当たり前の課題が、日本の平和運動から消失して久しいのです。

  二〇〇二年から二〇〇四年にかけて、アメリカのアフガニスタン攻撃における戦争犯罪を裁くためにアフガニスタン国際戦犯民衆法廷(ICTA)という民衆法廷運動を日本各地で開催しました。アフガニスタン攻撃は侵略の罪であり、アフガン各地への爆撃は無差別爆撃であり、従って戦争犯罪であり、大量の難民を発生させたことは人道に対する罪であるという告発です。被告人はブッシュ大統領です。検事は日本やアメリカの弁護士が担当しました。判事は日本、インド、アメリカ、イギリスの五人の法律家に担当してもらいました。

  この運動のために、戦争被害調査が必要となったので、アフガニスタン戦争被害調査として九回の現地調査を行ないました。アフガニスタンの首都カブールは惨憺たる廃墟と化していました。ヒンドゥークシの彼方に抜けるような青空のアフガニスタン。アジア・ハイウェイの脇に落ちている壊れた戦車。地雷処理の進む砂漠。そして、砂埃の路上に座ったまま動かない人々がいました。頭からブルカをかぶり、幼子を抱えた女性たちが施しを求めて手を差し出してきます。地雷のために片足を失った人がたくさんいました。下半身を失って両手で歩いている人にも遭遇しました。米軍が投下したクラスター爆弾のために失明した少年に取材しました。一瞬にして家族一六人を亡くした少女もいました、クンドズの山間の村で家族を失った人たちにも会いました。カブール北部のベマル山麓の井戸からは通常の二百倍の放射能が検出されています。たった一回の爆撃が残した傷跡です。

  カブールで通訳をしてくれた青年医師は、ヒロシマ・ナガサキを知っていました。彼にとって、日本はかつてアメリカによって原爆投下の被害を受けた国です。今、アフガニスタンがアメリカの空爆を受けて大勢の人々が亡くなっている。そこへ調査にやってきた私たちに向かって、彼はヒロシマ・ナガサキについて語るのです。アメリカのアフガニスタン空爆に燃料給油をして協力している日本の私たちは、彼に向かって何を言えるでしょうか。

イラクも同じです。大量破壊兵器の嘘、イラク解放の嘘、さまざまな嘘を並べてイラク攻撃を強行したアメリカ。米軍兵士の犠牲者は数えられていますが、イラクの膨大な犠牲者の数は不明です。無差別爆撃、拷問、虐殺の嵐の中で苦悩するイラクの人々に対して、自衛隊が無法な占領に加担している日本の私たちは、何が言えるでしょうか。

かつて朝鮮戦争、ヴェトナム戦争においても日本は米軍への加担を行ないましたが、現在の加担はその程度をはるかに大きく超えています。

アジアの平和と安定を実現するために、日本のシナリオを変えることが不可欠です。あらためて市民の平和力を鍛えなおし、アジアにおける平和、友好、連帯の時代を模索し、グローバルな市民社会の形成を目指す闘いが不可欠です。