『統一評論』524号(2009年6月)
ヒューマン・ライツ再入門6
コリアン・ジェノサイドの真相解明を
――関東大震災朝鮮人虐殺ソウル・シンポジウム
三月二八日、ソウル鐘路の韓国基督教会館で「関東大震災時朝鮮人虐殺――植民地犯罪、日本国家に責任を問う」が開催された。主催は「関東大震災における朝鮮人虐殺の真相糾明と名誉回復を求める日・韓・在日市民の会」、共催は韓国の民族問題研究所、およびアヒムナ運動本部である。
基督教会館は、韓国民主化闘争の際の民衆運動の拠点のひとつだった。学生・労働者とともに、キリスト者による民主化の闘いが推し進められたからである。
独立運動・不逞鮮人・虐殺
冒頭、関東大震災朝鮮人虐殺の研究に人生をかけてきた姜徳相(滋賀県立大学名誉教授)のビデオ・メッセージが流された(以下の引用はシンポジウムの配布パンフレットによる)。
その問題提起は、事件を朝鮮民族独立運動に対する弾圧として再認識することであった。従来、震災の混乱時に「朝鮮人が井戸に毒を投げ入れた」という流言飛語が流れ、民衆が虐殺を惹き起こしたという神話が流通してきた。混乱時の流言飛語の自然発生性と、興奮状態の民衆による虐殺とが組み合わされたイメージが繰り返されてきた。
しかし、そこには大きな疑問がある。軍隊や警察の行動をていねいに見ていけば、事件の真相はまったく異なる。
戒厳初動軍の中心となった部隊について見ると、九月一日夜半に警備救援出動した國府台野重砲連隊は、二日早朝に戒厳軍となり、岩波隊は朝鮮人二〇〇名を虐殺、松山隊は三〇〇名、また岡野隊は一七〇名を捕虜にした。
九月二日早朝、戒厳令を受けた習志野騎兵連隊は「敵は朝鮮人」の認識で出動し、問答無用の朝鮮人狩りを行った。
民衆が流言飛語に乗せられて虐殺するよりも前に、最初から軍隊が組織的に虐殺した。続いて各地の警察が、朝鮮人暴動が発生したというデマを流した。軍隊や警察の行動を知った民衆が、各地で自警団を組織し、大虐殺に発展していく。混乱時の流言飛語による虐殺ではなく、軍隊と警察によって組織的に惹き起こされたことが明らかである。
それでは、なぜ日本軍はこれほど迅速に朝鮮人狩りを始めたのか。なぜ警察は朝鮮人暴動のデマを捏造したのか。
三・一朝鮮独立運動に先行する旧韓末の義兵戦争では、日本軍死者一三六、負傷者二二九、韓国義兵死者一七、七七九、負傷三、七〇六である。戦争というべき内実を持っていたことが見えてくる。義兵戦争に対する勝利の結果、日本は韓国を併合した。だからこそ現役陸海軍大将を総督とする統治が行われた。
「軍事警察の憲兵が行政を牛耳る軍政そのもので、朝鮮人は『服従か死か』の選択しかなかった。言論、集会、結社の自由を奪われ、その中で土地を奪われ、生存権を奪われていった。抵抗したり不平を洩らす者は『不逞鮮人』の烙印を押され監視、迫害の対象となった。所詮『大正時代』の日本の朝鮮認識は『不逞鮮人』『不逞唱歌』『不逞結社』等々『不逞』『不穏』にみちみちていた。『不逞』は不平、従順でないを意味した。天皇の領土を盗む不逞の輩とも使われた」。
その延長で三・一事件が発生した。独立万歳、生存権を主張する朝鮮民衆に対する弾圧は、「戦争の論理」にたって行われた。七、五〇〇名の犠牲は、まさに戦争被害である。その後も、日本軍と朝鮮軍の戦闘が繰り返された。三・一運動の影響を受けた中国四・三運動も日本に衝撃を与え、弾圧がいっそう激化した。東アジアにおける「植民地防衛戦争」という観点で見るべきである。
関東大震災時の戒厳軍の中心人物は、石庭二郎軍事参議官をはじめとして、朝鮮や満州で朝鮮独立運動と戦った経験のある軍人たちである。震災直後、軍隊は軍事参議官の私邸に兵士を派遣して警備している。朝鮮独立運動を弾圧し、大虐殺をした本人だとの認識があったからである。
同様に警察の中枢は、水野練太郎内務大臣と、赤池濃警視総監の二人であった。水野は、三・一事件当時、朝鮮総督府政務総監であり、赤池は総務局長だった。三・一事件の記憶を生々しく持っていた二人が、朝鮮人の抵抗に恐怖感を持って事態に対処しようとしたことは容易に推測できる。
軍隊と警察が率先して朝鮮人虐殺を実行し、朝鮮人暴動のデマを流して民衆を興奮させ、虐殺を煽動した。その結果、六、六六一名というおびただしい犠牲者が出た。「国家権力を主犯に民衆を従犯にした民族的大犯罪、大虐殺となったのである」。
「この在日同胞の独立運動の一環を負うこの悲惨な犠牲に対してこんにちまで何ゆえに、調査、謝罪要求一つしないのか。国家は国民を守る義務がある。歴史に時効はない。今からでも遅くはない。上海臨時政府の法統を引き継ぐ韓国政府は、日本政府当局に朝鮮人が放火した、井戸に毒を投げたとの汚名からの名誉回復と謝罪と真相調査要求をしていただきたい。在日同胞の願いである。殺された人の遺族の悲しみはそれなしに消えない」。
日本国家の犯罪と民衆責任
続いて、山田昭次(立教大学名誉教授)「関東大震災時朝鮮人虐殺事件の日本の国家責任」は、歴史資料を駆使して、虐殺のメカニズムを解明し、日本国家の責任の全体を構造的に明らかにした(山田報告の詳細はこれまでの本誌連載参照)。
日本国家の責任は、「第一に朝鮮人虐殺そのものの責任」である。朝鮮人暴動という誤認情報を流し、戒厳令を布告し、大虐殺を惹き起こしたことである。
しかし、それだけではない。朝鮮人暴動がないことが判明すると、官憲は国家責任隠蔽工作を展開した。それには次の四つがあるという。
①架空の朝鮮人暴動の捏造。
②朝鮮人を虐殺した自警団員に対して形式的な裁判を行って、国家責任を果たしたような外観を作った。他方、朝鮮人暴動流言を流した官憲や朝鮮人を虐殺した軍隊の罪は全く問われなかった。
③虐殺された朝鮮人の遺体を朝鮮人に引き渡さずこれを隠し、虐殺数や虐殺状況を徹底的に隠蔽した。
④官憲が編纂した関東大震災に関する歴史書は、朝鮮人虐殺の原因を朝鮮人自身と日本人民衆に押しつけ、朝鮮人虐殺の国家責任を隠蔽した。
このように国家責任とその隠蔽の問題性を抉り出しつつ、山田報告は、軍隊や警察に煽動された民衆の責任も問い直そうとする。日本民衆が朝鮮人に対して根強い差別と蔑視を抱いていたこと、自らの主体性を確立しえていなかったことが、煽動にのせられて朝鮮人虐殺に走った原因であるし、その後も日本民衆による反省がきちんとなされたとはいえないからである。
山田報告に対して、韓国側から、朴漢龍(民族問題研究所研究室長)がコメントした。やはり国家責任と民衆責任をどのように把握するかが焦点とされた。
「朝鮮人虐殺は国家の暴力的システムのみでなく、(むしろ)日本民衆の一部が虐殺に自発的に先駆けた事実が重要である。ここには朝鮮人に対する偏見と恐怖、それから差別意識があった。当時、日本統治当局や言論のせいにするとしても集団狂気に捕らわれて、スケープゴートとして朝鮮人を虐殺した行為そのものに関しては深い責任感を持って反省しなければならない。そうした上でこそ、次に、虐殺を幇助・共謀・指揮・工作した国家に対して強くその責任を問えると思う」。
そして、南北朝鮮の政府、民衆、さらには在日朝鮮人の「責任」も再考しようとする。例えば、韓国の歴史教科書の記述の不十分性、韓国国家機関の無責任性など。その上で、在日朝鮮人の歴史的な意味を見直そうとする。
「ただ被害者という枠組からのみ見るといけない。在日朝鮮人の中の相当数は、過去日本帝国主義の植民地支配と天皇制ファシズム、対外侵略戦争に対して闘争してきた。日本民主主義闘争史の中で、かれらの闘争が過小評価されては困る。植民政策の犠牲者としての人道主義的なレベルでの評価のみでなく、日本社会をよりよい社会につくるために献身した在日朝鮮人の堂々たる歴史を明確に告げる必要がある」。
ジェノサイドは終わったか
次に前田朗が、関東大震災朝鮮人虐殺を国際法上の犯罪であるジェノサイドの視点で把握する報告を行った。その主な内容は、二〇〇八年夏の「在日朝鮮人歴史・人権週間(さいたま市・ソニックシティ大宮)」における報告と同じであり、すでに本誌に掲載されている(前田朗「コリアン・ジェノサイドとは何か」『統一評論』二〇〇八年一一月号)。
以下では、これと重複しない部分を引用・紹介しておく。
* *
関東大震災は一九二三年の出来事です。八五年の歳月が流れました。それでは関東大震災ジェノサイドは終わったのでしょうか。
関東大震災ジェノサイドの真相解明はなされたでしょうか。それどころか、日本政府は事実を隠蔽し、真相解明を妨げてきました。被害者への謝罪も補償もしていません。形だけ自警団メンバーの裁判を行いましたが、真の責任者を明らかにしていません。裁きも不十分で事実認定は歪曲され、量刑も著しく軽いものでした。それどころか、愛国心ゆえの犯行だったなどと弁解をしています。責任者処罰がなされたとはとても言えません。ですから、再発防止の努力もなされていません。民間ではさまざまな努力が積み重ねられてきましたが、日本政府はサボタージュあるのみです。
関東大震災ジェノサイドは、何一つ終わっていないのです。しかも、冒頭に見たように、石原都知事は差別の煽動を公然と行っています。日本政府は石原発言を擁護しています。
事実を認めず、隠蔽し、石原都知事発言のように逆転した発言を続けることは、次の不安と危険を呼び覚まします。ドイツにおいてユダヤ人虐殺を否定する「アウシュヴィッツの嘘」発言が新たなユダヤ人差別であり、犯罪とされていることはよく知られています。
終わっていないのは関東大震災だけではありません。コリアン・ジェノサイドは終わっていません。朝鮮半島に対する植民地支配、朝鮮人差別、数々の弾圧と虐殺の真相は解明されず、責任も明らかにされていません。
戦前だけではありません。例えば、阪神教育闘争事件とは何だったのでしょうか。阪神教育闘争事件は、一九四八年に起きた単発の事件として理解することはできません。朝鮮植民地支配の残滓であり、朝鮮人差別の繰り返しです。その後の朝鮮人弾圧と差別の予告でもありました。
いまもなお続く朝鮮人差別と歴史の偽造も指摘しておかなければなりません。朝鮮半島をめぐる政治的緊張のたびに、日本社会では「チマ・チョゴリ事件」に象徴される差別と犯罪が繰り返されています。社会で時たま起きる事件ではありません。日本政府が再発防止の努力を行わず、それどころか、最近の滋賀朝鮮学校事件を始めとする朝鮮総連関連施設弾圧事件のように、日本政府こそが率先して朝鮮人差別の犯罪を行っているのです。
世界史の中で考えよう
関東大震災朝鮮人虐殺をジェノサイドとして理解することは、事件を世界史の中で考えることです。
レムキンがジェノサイド概念を構築したとき、念頭にあったのは一九一五年のアルメニア・ジェノサイドと、一九三〇年代からのナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺でした。レムキンは、なぜ一九二三年の関東大震災に言及していないのでしょうか。――知らなかったからです。国際社会でコリアン・ジェノサイドは語られていません。
今日でも世界各地でジェノサイド、人道に対する罪が繰り返されています。規模や原因はさまざまですが、世界各地で悲劇が続いています。歴史を振り返れば、スターリンの大粛正、日本軍の三光政策・無人区政策、ヒロシマ・ナガサキへの原爆投下、朝鮮戦争における国連軍の犯罪、ベトナム戦争・北爆・枯葉剤作戦、カンボジアのポルポト派による大虐殺、旧ユーゴスラヴィアの「民族浄化」、ルワンダのツチ虐殺、東ティモール独立をめぐる内戦による虐殺、スーダンのダルフール・ジェノサイド、アフガニスタンとイラクで続いている戦争における膨大な民間人被害、そして、イスラエルによるパレスチナ・ジェノサイド――コリアン・ジェノサイドは、これらと同じ文脈で語られなければなりません。
歴史のはざまで数々の悲劇が起きてきました。この悲劇は自然災害ではありません。人為的な犯罪は防ぐことができます。ジェノサイドをいかにして防ぐのか。そのための議論はいまだに十分になされていないのではないでしょうか。コリアン・ジェノサイドにきっちり決着をつけて、二度と起きないようにする課題です。八五年も昔の物語ではなく、今なお私たちが向き会わなければならない未決の課題なのです。
私たちに何ができるか。
これまでの調査・研究の積み重ねの上に立って、これから私たちは何をすることができるでしょうか。さまざまな課題が考えられますが、ここではその一部を指摘する事で問題提起とさせていただきます。
第一に、国際社会への訴えです。国連人権理事会をはじめとする国際人権機関に報告する事によって、事件を国際社会の舞台で明らかにしていきましょう。ユダヤ人ジェノサイドやアルメニア・ジェノサイドはよく知られていますが、コリアン・ジェノサイドはまったく知られていません。日本軍「慰安婦」問題や南京大虐殺と同じように、世界史的出来事として語る必要があります。そのために国際的なNGOネットワークの協力を得る必要があります。日本政府に対する責任追及(真相解明、事実の承認、謝罪など)を進めるためにも、関係政府(韓国、朝鮮、中国)に適切な対応を求めるためにも、国際社会への訴えが重要となります。
第二に、日本の裁判所における訴訟の可能性ですが、この点は、次の梓澤報告の中で議論されるでしょうから、ここでは省略します。
第三に、民衆法廷の可能性です。日本軍性奴隷制(「慰安婦」)問題を裁いた女性国際戦犯法廷、朝鮮戦争における国連軍の戦争犯罪を裁いたコリア戦犯民衆法廷、アフガニスタンにおけるアメリカの戦争犯罪を裁いたアフガニスタン国際戦犯民衆法廷、イラクについて同様のイラク国際戦犯民衆法廷のように、国際的な協力の下に民衆法廷を開いて、真相と責任の所在を明らかにすることです(前田朗『民衆法廷入門』耕文社参照)。
歴史の彼方からの呼びかけ――八〇年以上の長きにわたって聞き取られることのなかった無数の叫びに耳を澄まし、ジェノサイドの過去を深く反省し、未来に向けて新たな歩みを始めることが必要です。二〇世紀最初の、東アジアにおける最初のジェノサイドを、私たち自身の手で終わらせましょう。
* *
前田報告に対して、韓国側から、ユン・ミヒャン(韓国挺身隊問題対策協議会常任代表)
がコメントした。
まず、ある日本軍「慰安婦」問題のシンポジウムにおいて在日朝鮮人女性が「チマ・チョゴリ事件(在日朝鮮人の子どもたちに対する暴力や脅迫)」を報告したが、シンポ参加者の反応はあまりよくなかったことがある。他方、朝鮮の人工衛星打ち上げ問題で日本の世論が沸騰した時期に、子どもの安全を気遣う在日朝鮮人の母親の思いを考えた。こうした事例を思い起こすと、日本の政治、経済、文化、社会のすべての分野で朝鮮人差別が継続している。「コリアン・ジェノサイドは、過去の歴史でのみならず、現在も継続している」と述べた。
続いて、「世界史の中でコリアン・ジェノサイドを考える」ことが従来、十分とは言えなかった点について、日本軍「慰安婦」問題の解決のために挺身隊問題対策協議会が行ってきた国際活動が参考になるとして、その具体例を紹介した。真相解明のための資料公開、記録保全、専門家による研究、広報教育活動、マスコミ対策、演劇、展示、国際シンポジウム、海外同胞との協力など。
さらに、国際人権法を活用した運動について、市民的政治的権利に関する国際規約、国連人権理事会、国際司法裁判所へのアクセスの重要性を指摘した。最後に、記憶と再発防止に関連して、ジェノサイドの時代としての二〇世紀の悲劇を繰り返すことのないように、「現在も日本の政治家およびマスコミ、社会全分野で繰り返されているコリアン・ジェノサイドに対する韓日政府次元の教育と追悼活動を求め、これを通じ予防活動を実施するようにし、市民次元でも再発防止のためのキャンペーン、文化芸術分野での活動などが行われればと思います」とまとめた。
国家犯罪を裁くために
三番目に梓澤和幸(弁護士)「日弁連勧告の趣旨と再発防止」は、日弁連人権擁護委員会の関東大震災事件委員会委員長として行った調査と勧告の概要を紹介した(報告自体は個人の立場で行った)。二〇〇三年八月二五日の日弁連調査報告書および勧告の全文が資料として配布された。勧告の趣旨は次の二点である。
① 国は関東大震災直後の朝鮮人、中国人に対する虐殺事件に関し、軍隊による虐殺の被害者、遺族、および虚偽事実の伝達など国の行為に誘発された自警団による虐殺の被害者、遺族に対し、その責任を認めて謝罪すべきである。
②国は、朝鮮人、中国人虐殺の全貌と真相を調査し、その原因を明らかにすべきである。
梓澤報告は、この勧告をまとめるにいたった日弁連の調査活動を紹介するものであった。
第一に重要なことは、軍隊による虐殺があったことである。
「当時、戒厳令が出ていたわけです。戒厳令が出ている中で、軍隊が出て行って人を傷つけると、それは戒厳『詳報』という文書に公式の記録に残っています。公式の記録に残った朝鮮人虐殺の数が、記録に残っているものだけで、九月一日から九月四日までの四日間で、二八三人です。二八三人、それはこん棒やなたで殺害したのではなく、銃で殺害したのです」。
第二に自警団を作れという指令が出ていたことである。
「自衛の策をとるために自警団を作れという指令が出ていた、その指令の中で出来上がった自警団の数は驚くべき数です。自衛隊と警視庁の関東大震災の研究という本が出ていまして、そこには約一五〇〇の自警団が出来ていたということが記録上に残っています。そういうことを国は研究しているんです。なのに、今まで国が民衆を扇動して悲惨な虐殺を巻き起こしたということが全く語られてこなかった。そのことは放置されてはいけないのではないか、ということが日弁連の勧告でございます」。
日弁連報告書は、軍隊による虐殺の日時、場所、部隊などをできる限り特定して詳細に列挙している。その上で、軍隊や警察に先導・扇動された民衆による虐殺についても、日時、場所などを順次特定している。
「日弁連の勧告はひとつのきっかけを作ったということで、つまり、今までの事件像、民衆が激高してやっちゃったというイメージを根底から覆す、事件像を覆すスタートを切ったんだという点で、私は日弁連の勧告の意味はもっと語られてしかるべきだと思います。今、私たちが生きているこの時代は、決して生者、生きている人が独占して良いものではありません。無念の思いで亡くなっていった人も含めて、この時代を共に生きていると信じます。そいう意味で、今日のこの集会や、私どもの非常に紆余曲折の末に到達した日弁連勧告の内容というのは、その意味が色々な人の生き方の問題として語られてほしい、と思っています」。
梓澤報告に対して、韓国側から、魏大永(弁護士、民主社会のための弁護士会)がコメントした。
梓澤報告は日弁連勧告の内容紹介に加えて、訴訟の可能性についても検討を加え、日本の裁判所での裁判の可能性について問題点を指摘していた。戦後補償裁判をはじめとする多くの裁判例を見ると、関東大震災朝鮮人虐殺について提訴することは必ずしも良策ではない。裁判所の姿勢が後ろ向きであり、訴訟法上のさまざまなネックがある。最悪の場合、裁判所によって歴史の事実が否定されかねない。せっかく日弁連調査によって明らかになった事実まで否定される恐れもある。
この点について、魏コメントも同様の懸念を指摘した。日本政府や裁判所の姿勢からいって、謝罪、補償および賠償請求訴訟を提訴しても敗訴する可能性がとても高い。国際法的論点も国内法的論点も数多くあり、事実上日本政府に従っている裁判所にあまり期待できない。他方、賠償請求などの履行請求訴訟と異なって、違法確認訴訟の可能性は検討に値する。一九二三年一二月一五日の衆議院の質疑において、朝鮮人虐殺に関する質問に対して、総理大臣が、調査中であり後日報告する、と述べている。にもかかわらず、その後、国会に報告がなされていない。日本政府は現在に至るまで真相調査も国会報告も行っていない。調査および報告のために必要な相当の期間を超えて報告していないのは、政府の違法行為であることを確認する訴訟は可能ではないか、と述べた。
植民地犯罪とは何か
最後に、本シンポジウムのタイトルが「関東大震災時朝鮮人虐殺――植民地犯罪、日本国家に責任を問う」となっていること、「植民地犯罪」という概念が用いられていることに関連して、少し検討しておきたい。
第一に、「植民地犯罪」とは何か。国際法にも国内法にも「植民地犯罪」という用語は見られない。むしろ、植民地宗主国によって作られた国際法は、植民地を合法的なものとしてきた。国家指導者に対する暴力や脅迫によって締結された植民地条約は違法だが、それ以外の植民地条約はいずれも合法かつ有効とされてきたから、「植民地犯罪」という概念は否定されてきた。
しかし、植民地とされた側の人民にとって、その歴史的経験はまさに「植民地犯罪」と表現するべきである。そこで、第二次大戦後の国連国際法委員会において国際刑事裁判所づくりが進められる中で、「人類の平和と安全に対する罪の法典草案」に、ジェノサイド、人道に対する罪、戦争犯罪と並んで、「植民地犯罪」規定が盛り込まれた。しかし、旧宗主国側の反発、法的定義の困難性などを理由に、すぐに削除されてしまった。一九九八年の 国際刑事裁判所規程は、もっとも重大な国際犯罪として、侵略の罪、ジェノサイド、人道に対する罪、戦争犯罪のみを掲げた。
他方、二〇〇一年のダーバン人種差別反対世界会議では、植民地時代における奴隷制が人道に対する罪であったことを旧宗主国にも認めさせることができた。謝罪や補償の義務は否定されたが、奴隷制が人道に対する罪であることを国連レベルで認めることになった。
この間、各国においてもさまざまな議論が積み重ねられてきた。フランスでは奴隷制を人道に対する罪と認めるトビラ法が制定された。イギリスやアメリカのいくつかの州議会決議も出ている。こうして「植民地犯罪」そのものではないが、「植民地責任」というべき議論が世界で広がった。日本による朝鮮植民地支配も、こうした文脈で再検討されつつある。最近の歴史学研究は大きな成果をあげている(岩崎稔ほか編『継続する植民地主義』、金富子ほか編『歴史と責任』、永原陽子編『「植民地責任」論』など。なお、前田朗『人道に対する罪』)。
第二に、関東大震災朝鮮人虐殺は日本で起きた事件であって、朝鮮半島で起きた事件ではない。それにもかかわらず「植民地犯罪」と呼んでいることにも注意が必要だ。国際法上の犯罪概念としての「植民地犯罪」を定義するとすれば、さまざまな困難がある。場所的定義の限定も要請されざるをえないからである。
しかし、人道に対する罪の成立要件に該当する犯罪のひとつとしての植民地犯罪を検討する場合、植民地という支配―被支配関係の下で起きた事件という点に着目すれば、日本において起きた事件もこれに該当するといえるだろう。
あるいは、国際法上の犯罪概念としてではなく、歴史的責任を解明するための作業仮説として「植民地犯罪」という概念を用いる場合も、同じことがいえる。
「植民地犯罪」は単純な類型ではなく、複数の犯罪概念を包括した概念として理解されるべきである。少なくとも次の三つの類型を相対的に区別して、それぞれ議論する必要があるだろう。
①植民地化の犯罪――実際には植民地戦争、侵略戦争、その中での民衆虐殺によって実現される。
②植民地支配における犯罪――植民地政策のみならず、支配―被支配関係の中で起きる。それゆえ、朝鮮から日本への強制連行、日本における差別と迫害も含まれ、関東大震災朝鮮人虐殺は典型例といえる。
③脱植民地化に関連する犯罪――植民地責任のサボタージュ、在日朝鮮人に対する差別と迫害、侵略戦争の美化、歴史の隠蔽など。
このような検討を踏まえて、植民地犯罪概念を練り上げることも今後の課題である。
軍隊と警察が、朝鮮人集団をターゲットに組織的に大規模に行った虐殺。警察および政府が組織的に流した朝鮮人暴動のデマ。これに触発された民衆が「愛国心」と恐怖に駆られて敢行した虐殺。これはジェノサイドや人道に対する罪という国際法上の重大犯罪であった。第一の責任は日本政府にある。
虐殺の国家責任と民衆責任を解明するためにも、被害側の朝鮮政府や韓国政府、両国市民、他方で加害側の日本市民、そして在日朝鮮人が連帯して取り組む必要がある。
八六年の歳月を隔てて、いま問われているのは、東アジアの民衆自身による平和と安全と連帯の構築であるだろう。いまなお世界で繰り返されるジェノサイドや人道に対する罪の予防、再発防止のためにも、日本で起きたジェノサイドのメカニズムを解明し、政府による謝罪、犠牲者の名誉回復を行うべきである。