『無罪!』2006年12月
法の廃墟(9)
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国境を下から越える思想を
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出会いの場所・検問所
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二〇〇六年一一月、下北沢のザ・スズナリで上演された坂手洋二+燐光群の『チェックポイント黒点島』は、国境の検問所をめぐる物語である。かつて東西ベルリンの壁につくられたチェックポイント・チャーリーを舞台に、三つの物語が交錯し、反響しあう。
一つは、まんが家ヒロコと弟クニオ、そして母親の日常と非日常の物語。革命家クニオは日本を離れドイツで地下工作をつづけ、苦境の際に姉に助けを求める。「チェックポイント・チャーリーで待つ」。一日遅れでチェックポイント・チャーリーにたどり着いたため、弟と会えなかった姉は、後に自宅にチャーリーのレプリカを建てる。
二つ目は、ヒロコが描いた未完の傑作マンガ『チェックポイント黒点島』である。太陽黒点の観測を行なっていた天文学者夫婦は、突然の海底隆起によって東シナ海の中央に生まれた新島を黒点島と名づけて、チェックポイント・チャーリーと酷似した検問所を建てる。新領土の浮上に色めき立つ日本や周辺諸国のスパイ合戦が始まる。
三つ目は、住宅街に設置されたチャーリーそっくりの検問所と周辺住民の物語である。マンガ『チェックポイント黒点島』の読者である主婦のヒロコは、いつの間にかマンガの中のヒロコになりきる。主婦ヒロコはなぜ自宅に帰らないのか。平和な住宅地で年末に起きた殺人事件の謎は・・・。
三つの物語が交錯し、絡み合いながら進行するが、途中で二〇〇六年春の法政大学事件も登場する。構内の看板撤去をめぐる不当逮捕事件、不当退学事件、そして正門で学生証を見せないと入校させない「検問所」。法政大学は笑えないパロディを現実世界で演じてしまった。他方、マンガ家のヒロコは九州の対馬にあるという「カフェ・チェックポイント・チャーリー」を訪れたりもする。
正しいチェックポイントのあり方とは何であるのか。ベルリンのチェックポイント・チャーリーは、東西ベルリンを分画し、人々を隔てたが、同時にそこを通過する人々が出会う場所でもあった。マンガ家ヒロコのチェックポイント・チャーリーにも仲間や母親が集まり、そして弟クニオが帰ってくる。チェックポイント・チャーリーを通過できない主婦ヒロコは、向こうへの眼差しを持ちながら、恐怖の予感に立ち尽くす。黒点島チェックッポイントに集まる各国政府のエージェントたちも、東シナ海における出会いを演じることになる。
『チェックポイント黒点島』は、時代の最先端を鋭利に切り取り、折り曲げ、重ね合わせ、仮想現実の世界を構築してきた坂手洋二+燐光群の本領発揮の作品である。『ブレスレス』(一九九一年)から『だるまさんがころんだ』(二〇〇四年)へと辿ってきた燐光群の世界は、いつものことながら考えさせられ、悩まされ、楽しめる。ゲスト出演の竹下景子と渡辺美佐子と、燐光群スタッフとの出会いも素敵だ。しかも、日本の領土問題、国境問題を通じて、世界のあり方に思いをめぐらし、そして何より「国境を越える」思想へのチャレンジに立ち会うことができる。
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国境を越えるために
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国境をめぐる物語は、国境とは何か、領土とは、国家とは、国民とは何かを問い返すことになる。
地図上に描かれた国境線は人々の意識を捻じ曲げて固定させる。あたかもそこに何らかの実在が存して、国境を隔てているかのごとく。あたかも太古の昔から国境が引かれていたかのごとく。あたかも国境は越えられないかのごとく。
しかし、国境なるものが近代の国民国家によって考案された新案特許に過ぎないことは言うまでもない。古代や中世においては、国家や都市の中心部は確定していても、外延の国境は不可視であり、無規定ですらあった。「人外魔境」は国家の関心の外であっただろう。世界史に時として登場した帝国も、猛烈な膨張と収縮を繰り返したので、安定した国境とはなじみにくい。
ところが、大航海時代の世界の急激な拡大と、資本主義のグローバリゼーション、つまり植民地主義の世界支配、帝国主義による世界分割によって、地上のあらゆる土地が国家の領土として区分されていった。国民国家の形成は、国境による世界分割と同時進行で進められた。
近代法は、国家を主権、領土、国民によって定義してきた。国際法は領土の帰属をめぐる原則を構築してきた。芹田健太郎『日本の領土』(中央公論新社、二〇〇二年)は、北方領土、尖閣諸島、竹島の領土帰属をめぐる国際法を丁寧に検討している。明石康他『日本の領土問題』(自由国民社、二〇〇二年)も、世界の中の日本という視点を盛り込みつつ、特に北方領土問題について詳細な検討を行なっている。
こうして国境の国際法は鮮やかにも、と言うよりも、あざとくも見事に国家イデオロギーの浸透を完成させる。第三の道は予め否定されているからだ。
日本国憲法には領土の規定がない。このことを国際法学者は、カイロ宣言(一九四三年)およびポツダム宣言(一九四五年)で、本州・北海道・九州・四国および諸小島に決まっていたからだと説明する。なるほどカイロ宣言とポツダム宣言にはそう明示されている。もっともな説明に見える。しかし、実は大日本帝国憲法(一八九〇年)にも領土の規定がなかった。大日本帝国にとって、国境とは伸縮自在な、恣意的に変更可能な当座の線でしかなかった。国境の本質を表現しているのではないだろうか。北方領土、尖閣諸島、竹島問題を見れば明らかなように、日本はいまだに国境が不明確な国家である。国境を画定することが本当に外交の目的となったことがあるのかすら疑わしい。国際法学者の説明よりも、国境を画定しないことこそ国家戦略だったとでも説明した方が説得的である。日本は一度も国境を画定したことのない国家なのだ。
国境の不確実性と恣意性は、国境の越え方にも示唆を与える。国民国家論が盛況な時期に「国境を越える」といった物言いが流行ったが、日本政府発行のパスポートを握り締めて入管を通過しても「国境を越えた」ことにはならないだろう。
国境を越えるためには、国家や国民というイデオロギーそのものを思想的に越えなければならない。近未来物語の黒点島が東シナ海の現実を下から乗り越えようとしたように、国境を下から越える思想を紡ぎだしていくことが求められている。それは国民国家の只中で「非国民」として生きることを自らに課す思想闘争の彼方にはじめて立ち現れる課題であろう。