昨夏、私は、花崎皋平『田中正造と民衆思想の継承』(七つ森書館、2010年、以下「本書」)を読んで、非常に違和感を感じたため、そのことをブログにおいて表明したうえ、夏から秋にかけて、あるミニコミに「虚妄の民衆思想」という文章を書き、その全文を私のブログにアップし、いくつかのMLでご案内しました。
http://maeda-akira.blogspot.com/2010/09/1.html
http://maeda-akira.blogspot.com/2010/11/blog-post_22.html
本年1月19日、中野佳裕さんは、ML[civilsocietyforum21]に「季刊誌『環』 44 号:花崎皋平さんに関する書評。」を投稿しました。
*その書評は、中野佳裕「花崎皋平著『田中正造と民衆思想の継承』――その思想形成を内在的に理解する異色の書」『環』44号(2011年)378~381頁。
中野さんの書評を拝読しましたが、基本的に同意できませんでした。発想が根本的に異なるのだろうかと考えざるをえませんでした。すぐに私の感想を投稿するつもりだったのですが、仕事の忙しさにかまけて投稿しないままに終わりました。また、雑誌が手元に見当たらなくなったため、断念していました。しかし、最近、同雑誌がみつかり、改めて中野さんの書評を目にすることができたので、遅ればせながら感想など書き連ねてみます。
(以下、敬称略)
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中野の書評は3つの部分から成ります。
まず「著者の田中正造研究の集大成」において、「洋の東西を問わず、思想の優れた読み手は、思想書の論理構成の分析に終始することなく、その思想を成立させる根拠にある深い精神性の領域へと入り込むことに長けているように思われる。思想のもつ精神性をわたしたちが直面する現実に対する批判へと転化し、これまでとは異なる形で世界を見つめ、これまでとは異なる行為を起こす契機を開いていく。思想を読むという行為は、『批判』『実践』『解放』のトライアングルを螺旋的に反復する運動そのものである、と言えよう」というスタンスが開示されています。そのうえで、中野は、花崎について「思想を読むことの根本的な意味を十分に理解し、思想と運動との間に良質な循環を起こす独自の哲学の構築を模索してきた人である」とし、「世界のポスト開発思想と問題意識と展望を共有するだけでなく、日本とアジアの民衆運動・思想の独自性と可能性に光を与える無二の貢献を行っている」と位置付けつつ、本書が花崎の田中正造研究の集大成であるとしています。
続いて「実践の中で形成された民衆思想」と題して、中野は、「民衆思想」という言葉に「日本の社会像を構想することを含意する言葉」という側面を確認しつつ、「近現代の日本思想史を、一九六〇・七〇年代から正造の時代へ、そして正造の時代から再び現代へ、と反復する身振りが見られる」とし、正造の思想形成の独自性と花崎の思想形成の独自性、それぞれの独自性とともに、継承や交錯をもからめながら発展的に理解しています。「民衆の生活経験に寄り添いながら思惟する過程の中で、既存の西欧近代民主主義思想や立憲政治制度の衣を脱ぎ去り、より普遍的で深遠な生存の問いへと向かった一人の実践家」としての「花崎/正造」像を描きます。
最後に中野は「サブシステンスの領域に見出される霊性」と題して、キリスト教の影響を受けた正造が、晩年には「民衆の土着の経験の深みにおいて世俗の権力や近代の経済的価値観には還元されないより普遍的な価値――善、正義、聖性――を見出す」、「人間の生存基盤(サブシステンス)という最も基礎的な物質的領域に、もっとも深遠で神聖な霊性を見出している」としています。最後に、中野は、本書あとがきにおける花崎の主張に賛同して、正造の思想は「アジア地域の周辺において未だ実践されているさまざまな民衆運動を再評価し、経済グローバル化に代わって生命の様式の多様性を重んずるアジア独自の民衆世界を築く重要な布石となるであろう」とまとめています。
中野の書評は、限られた分量(『環』4ページ分)で、内容・エッセンスを紹介して、書評者の思索を展開するという意味で、よくできた書評です。著者の意図を正しく把握して、正しく伝えようとするものです。加えて、著書の受け売りだけに終わることなく、本書を日本の近現代思想史に位置付け、今後の展望の中につなげるという問題意識も示されています。
しかし、疑問もあります。私は前述の「虚妄の民衆思想」において、花崎「民衆思想」について、第1に、正造や貝沢の評価をめぐって、アジアに対する「侵略容認の民衆思想」であること、第2に、正造の「妾」問題や、正造の実践をめぐって「女性差別容認の民衆思想」であることを指摘しつつ、花崎の「民衆思想」に疑問を呈しておきました。
ここでの批判は、もっぱら、本書、花崎『田中正造と民衆思想の継承』に対するものです。花崎の著作全体を取り上げてはいません。花崎がほかの著書において、長年にわたって取り組んできた運動と思想について開陳していること、そこにおいて日本によるアジア侵略を批判し、女性差別を批判してきたことはよく承知しています。私自身、長年にわたって花崎の著作の読者であり、大いに学ぶべきと考えてきました。
さて、「虚妄の民衆思想」では省略しましたが、それ以前にブログに書いた「結論」を引用しておきます。
<以上、今や社会運動と民衆思想の権威であり、全国にたくさんの教徒をもつ著者の「40年以上にわたるライフワークの集大成」を読んできました。正造、前田、安里、貝澤の思想のそれぞれに学ぶべきところがたくさんあることは、著者が紹介している通りでしょう。しかし、民衆とは何かを考えた時、民衆が民衆であるが故に正当であるという発想は厳しく戒める必要があります。民衆はファシズムの担い手になることもあれば、侵略の手先になることもあるのです。「侵略容認の民衆思想」「女性差別実践の民衆思想」--このことに自覚的であり、自ら問い続けることがなければ、無残で滑稽で危険な民衆思想しか生まれようがありません。>
なお、私はブログでは「花崎教徒」という言葉を使いましたが、実際、何人もの日本人から「花崎先生を非難するとはけしからん」という実に低レベルな意見を受け取りました。彼らはまさに「花崎教徒」であり、問題外です。日本人で、私見に基本的に賛同を示したのはわずか1人でした。在日朝鮮人からは5人以上、趣旨に賛成との意見をもらいました。
残念なのは、私に対する批判の中に、議論に値するようなまともな批判が一つもなく、「花崎先生を貶めるな」「あなたに花崎先生を批判する資格があるのか」といった水準のものしかなかったことです。
さて、中野の書評は、花崎の積極面を適切に評価し、測定しています。その点に異論をさしはさむつもりはありません。私が疑問に思うのは、中野が花崎の思想を全体としてどのように把握しているのか、です。
私は、花崎民衆思想がアジア侵略容認の民衆思想であると批判していますが、そのことによって花崎の全思想を否定するつもりはありません。花崎の生涯、業績は貴重なものであり、学ぶべきことが多いことを否定しません。私にとって重要なのは、そのような花崎の「集大成」においてアジア侵略容認記述がなされているのはなぜなのか。それが花崎の思想全体の中でいかなる位置にあり、いかなる意味を有しているのか、です。換言すれば、花崎の民衆思想の積極面と、そこににじみ出てしまった消極面とはいかなる関係にあるのか。両者は花崎のインナースペースにおいて、どのようにスパークしているのか。その矛盾は何を引き出すことになるのか。あるいは、もしかして両者が矛盾なく同居しているとすれば、それをどのように理解するべきなのか。女性差別についても同じことが言えます。
そもそも「花崎/正造」に侵略容認の一面を見ること自体、中野は認めないのかもしれません。あるいは、それを認めつつも、開発学の研究者である中野にとっては、それはさして重要ではないと考えられているのかもしれません。しかし、戦争認識にしてもジェンダー認識にしても、これは花崎の「民衆思想」の根幹にかかわるはずであり、一言でいえば致命的欠陥であると、私は考えます。
繰り返しますが、ある思想家の言説の中に許容しがたい否定的な個所があることをもって、その思想家を全否定するのは適切ではありません。全体から切り離して、そのことだけを非難するのは適切ではありません。しかし、その否定的言辞が、思想の根幹にかかわる場合、それが思想全体の中でどのような位置にあるのかを問わないことは、思考停止というしかありません。
中野の書評に即して、さらに問いを立ててみます。
第1に、中野は、花崎の本書を、正造「思想形成を内在的に理解する」ものと位置づけています。戦争認識やジェンダー認識を問うことは正造の思想にとって外在的なのでしょうか。花崎の思想にとって外在的なのでしょうか。
第2に、中野は「思想を成立させる根拠にある深い精神性」や「思想のもつ精神性」について語ります。本書にそのような側面を見出すことができることに、とりあえず異論はありません。しかし、その「精神性」とは、「深さ」とは何を意味しているのかこそが重要です。「思想を読むという行為」は、「花崎/正造」の限界を見極めることでもありうるのではないでしょうか。
第3に、中野の言う「民衆思想」とは何でしょうか。私はすでに「花崎/正造」の「民衆思想」が、民衆の中からではなく、民衆の外から登場していることに疑念を呈してきまた。他方、中野は、「名もなき民衆の日常生活において長年培われてきた世界観・知恵・実践を、学者や官僚が用いる専門知識としての哲学・思想と同等の、いやそれ以上に重要な思想として承認し、これら土着の思想文化に基づいて望ましい日本の社会像を構想することを含意する言葉である」と明示しつつ、花崎の正造像を「民衆の生活経験に寄り添いながら思惟する過程の中で、既存の西欧近代民主主義思想や立憲政治の衣を脱ぎ去り、より普遍的で深遠な生存の問いへと向かった一人の実践家の姿である」としています。ここでは、知の「専門性」に対する「民衆性」と、「西欧近代民主主義思想」に対する「民衆性」が、おそらく不可分のものとして重ね合わせられています。そのような民衆思想を構想し、実践することの重要性について私は同意します。しかし、同時に、中野が「民衆の生活経験に寄り添いながら」と語る時、いささかの疑念を呈さずにはいられません。誰が、なぜ、いかなる資格で「民衆の生活経験に寄り添う」のか。言葉尻をとるわけではなく、これは中野の「民衆思想」とは何なのか、中野自身の専門である開発学とは何なのかを考えるとき、重要な意味を持つはずです。
私はこれまで数々の民衆運動に参加し、民衆法廷運動を提案し、主催し、参加してきました。私の専門である人権論や戦争犯罪論は、民衆運動としての、民衆運動の中での研究です。非国民研究とその運動も、無防備地域宣言運動も、最近取り組んでいる東アジア歴史・人権・宣言運動も、いずれも民衆自身による権利運動であり、平和運動です。民衆以外の誰にも寄り添ってもらう必要がありません。中野/花崎/正造の「民衆思想」を否定するつもりはありませんが、私の考える民衆運動とは無縁の存在であるのだろう、と感じます。先に示した暫定的な結論を再引用して、この文章を閉じます。
<民衆が民衆であるが故に正当であるという発想は厳しく戒める必要があります。民衆はファシズムの担い手になることもあれば、侵略の手先になることもあるのです。「侵略容認の民衆思想」「女性差別実践の民衆思想」--このことに自覚的であり、自ら問い続けることがなければ、無残で滑稽で危険な民衆思想しか生まれようがありません。>