Saturday, September 10, 2011

差別犯罪と闘うために――ヘイト・クライム法はなぜ必要か(1)

「解放新聞東京版」766号(2011年6月15日号)



在特会に有罪判決



  三月二一日、京都地裁は「在日特権を許さない市民の会(在特会)」「主権回復を目指す会」などのメンバーが行った差別、暴言、虚言、暴力事件について、四人の被告人の犯罪事実を認定し、それぞれ懲役一~二年(いずれも執行猶予四年)を言い渡した。


  事件は京都と徳島の二箇所で起きた。第一に、二〇〇九年一二月四日、被告人ら四名(ABCD)が、共謀の上、京都朝鮮第一初級学校に押しかけて暴言を撒き散らし、スピーカー接続の配線コードを切断した(威力業務妨害罪、侮辱罪、器物損壊罪)。第二に、二〇一〇年四月一四日、四名のうち三名(ABC)が、共謀の上、徳島県教職員組合事務所に乱入し、暴れた(建造物侵入罪、威力業務妨害罪)。


判決理由(京都事件)は大要次のように述べている。「被告人四名は、京都朝鮮第一初級学校南側路上及び勧進橋公園において、被告人ら一一名が集合し、日本国旗や『在特会』及び『主権回復を目指す会』などと書かれたのぼり旗を掲げ、同校校長Kらに向かって怒声を張り上げ、拡声器を用いるなどして、『日本人を拉致した朝鮮総連傘下、朝鮮学校、こんなもんは学校でない』『都市公園法、京都市公園条例に違反して五〇年あまり、朝鮮学校はサッカーゴール、朝礼台、スピーカーなどなどのものを不法に設置している。こんなことは許すことできない』『北朝鮮のスパイ養成機関、朝鮮学校を日本から叩き出せ』『門を開けてくれ、設置したもんを運び届けたら我々は帰るんだよ。そもそもこの学校の土地も不法占拠なんですよ』『戦争中、男手がいないところ、女の人レイプして虐殺して奪ったのがこの土地』『ろくでなしの朝鮮学校を日本から叩き出せ。なめとったらあかんぞ。叩き出せ』『わしらはね、今までの団体のように甘くないぞ』『日本から出て行け。何が子供じゃ、こんなもん、お前、スパイの子供やないか』『お前らがな、日本人ぶち殺してここの土地奪ったんやないか』『約束というものは人間同士がするものなんですよ。人間と朝鮮人では約束は成立しません』などと怒号し、同公園内に置かれていた朝礼台を校門前に移動させて門扉に打ち当て、サッカーゴールを倒すなどして、これらの引き取りを執拗に要求して喧騒を生じさせ、もって威力を用いて同校の業務を妨害するとともに、公然と同校及び前記学校法人京都朝鮮学園を侮辱し、被告人Cは、勧進橋公園内において、京都朝鮮学園が所有管理するスピーカー及びコントロールパネルをつなぐ配線コードをニッパーで切断して損壊し」た


これらが威力業務妨害罪(学校の授業運営などを妨害した)、侮辱罪(朝鮮学校に対する侮辱)、器物損壊罪と判断された。



犯罪被害をどう理解するべきか



各地で差別と暴力を繰り返してきた在特会メンバーに有罪判決が出たことは大きい。これまで三鷹事件、名古屋博物館事件、西宮事件などで、在特会は警察官の面前にもかかわらず、激しい差別と暴力を繰り返してきた。京都事件でも、現場に立ち会った警察官は差別と暴力を規制するそぶりも見せなかった。被害者や弁護団の度重なる要請によって、京都地検がようやく重い腰を上げて、本件が立件された。被告人らの逮捕は事件から八ヶ月も後のことであった。このように遅ればせとはいえ、ともあれ威力業務妨害罪や侮辱罪で有罪となった。本件判決を広めて活用していくことも必要である。


もっとも、事件の法的評価について言えば、そもそも起訴状が不十分なものであったため、判決も不十分である。事件の本質はヘイト・クライム(憎悪を煽る犯罪、憎悪に基づく差別犯罪)であるが、日本にはヘイト・クライム法がない。名誉毀損罪があるにもかかわらず、検察官は名誉毀損罪を起訴状(訴因)に含めず、侮辱罪に限った。「事案の真相」(刑事訴訟法第一条)を解明する作業ははじめから放棄された。


 起訴状、公判立証、判決を通じて、在特会の蛮行が明らかにされ、当然の有罪判決が出たとはいえ、実際に起きた事件の本質が俎上に載せられることはなかった。ヘイト・クライム被害の重大性や深刻性は脇におかれる結果となった。


 ヘイト・クライムとは、人種、民族、言語、宗教、ジェンダーその他の一定の特性を理由として、ある人々(多くはマイノリティ)に対する差別を煽動したり、差別的動機で暴力が行われる犯罪である(前田朗『ヘイト・クライム』三一書房労組、二〇一〇年)。


 被害者は直接のターゲットだけではない。朝鮮人であるがゆえにターゲットにされたのである。「朝鮮人は出て行け」という排除と迫害の「メッセージ犯罪」である。現場に居た朝鮮学校生徒、教員、および急を聞いて駆けつけた保護者だけではなく、京都在住の朝鮮人全体が被害者である。ひいては事件報道を見聞きした在日朝鮮人全体が被害者である。


 被害は犯行時だけではない。いつまた襲撃されるかわからない危険性と恐怖がつきまとう。子どもたちの安全を守るために、通学途上の安全性の確保、授業中の学校周辺の状況にも眼を光らせる努力を強いられる。重大な被害を受けた者は、後になってフラッシュバックに襲われたり、トラウマが残ることもある。


 被害地は朝鮮学校だけではない。近所に出かける際にも用心をしなければならない。街中に同じような犯罪者がいるのではないかという不安感にさいなまれる。ヘイト・クライムの「空間的影響」である。


 被害を心理学的に究明する必要がある。被害感情や苦悩は場合によってはかなり長期に及ぶ。自分が被害を受けやすいことに気づいた被害者は「自信喪失」に見舞われる。昨日までの自分ではいられない。自己尊重が失われ、逸脱感情に襲われる。時には被害者が自分を責める事態に陥ることもある。被害者と同じ集団に属する者には同様の被害感情が共有される。


  こうした被害の重層性、複雑性をていねいに見ておかないと、憎悪を撒き散らす差別犯罪であるヘイト・クライムについて語ることはできない。



人種差別撤廃委員会の勧告



  それゆえ人種差別撤廃条約第四条(a)は、人種差別の煽動を犯罪として処罰することを締約国に義務付けている。


  日本政府は一九九五年に条約を批准したが、条約第四条(a)(b)の適用を留保した。理由はなんと、人種差別表現は憲法上の表現の自由の保護の範囲内にあるというものである。日本政府は「人種差別表現の自由」という驚くべき思想を語る。


 二〇〇一年三月、人種差別撤廃委員会は、日本政府報告書の審査結果として、日本政府に条約第四条(a)(b)の留保を撤回し、包括的な人種差別禁止法を制定するように勧告した。 九年後の二〇一〇年三月、人種差別撤廃委員会は、第二回目の日本政府報告書の審査結果として、再び日本政府に対して留保撤回と人種差別禁止法の制定を勧告した。朝鮮人に対する暴力や、インターネットにおける部落差別の実態を見据えた勧告である。


 なお、ここで言う人種差別禁止法とは、ヘイト・クライム規制だけではなく、民事・行政・教育・雇用など諸分野におけるさまざまな差別を規制するための総合的立法である。ヘイト・クライム法は人種差別禁止法の一部に相当するが、刑法分野に属する。


 人種差別撤廃委員会だけではない。二〇〇五年以来数回にわたって日本の差別状況を調査した国連人権委員会のドゥドゥ・ディエン「人種差別問題特別報告者」も、留保撤回と禁止法の制定を勧告している。


 ところが、日本政府はこれらの勧告を拒否している。理由は、第一に表現の自由である。人種差別表現も憲法上の表現の自由に含まれるという。第二に罪刑法定原則である。ヘイト・クライム法は概念が不明確であって、処罰範囲を明確に規定できないという。


 日本政府の弁解には説得力がない。人種差別撤廃委員たちは、日本政府に対して「人種差別表現の自由というものを認めるべきではない」「表現の自由を守るためにこそヘイト・クライムを規制するべきだ」と指摘した。現行刑法にも名誉毀損罪がある。人種等に対する名誉毀損罪を認めることは決して難しいことではない。日本政府の主張が正しいとすれば、世界の大半の諸国には表現の自由がなく、日本だけが表現の自由を守っているという珍妙な話になってしまう。戦争反対のビラ配りさえ許さない日本に表現の自由があるというのは、ブラックジョークにすぎないのではないだろうか。


 また、条約第四条(a)を受けて、世界の多くの諸国にヘイト・クライム処罰規定が整備されている。日本政府の主張が正しいとすれば、世界の大半の諸国には罪刑法定原則がなく、日本だけが罪刑法定原則を守っているという奇怪な話になってしまう。


 それでは世界のヘイト・クライム法はどうなっているのだろうか。表現の自由とヘイト・クライムの刑事規制を両立させるために、各国はどのような努力を続けているのだろうか。